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前田ふむふむ - 2015年分

選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


喪失についての二つの詩

  前田ふむふむ

氾濫         
     1

雨が落ちる 十二月の空の
音のなかに形がある
形は 
またあしたと 透明なひかりのなかで
自らいのちを絶ったきみの寂しい眼が 
左の肩に
野球大会と 勇んで 碧い空に飛びだして
溶けそうなアスファルトの道路のうえで
ふたたび帰らない時間をつくった
きみの笑顔が
右の肩に 鋭く刺さり
いつまでも わたしだけが生きていると
消せない 冷たい傷として
激しく降りそそいだ

けれど
茫々として ときに明確に
わたしは あの驟雨のなかに
痛みに耐えて
蹲るような恰好をした
薄ら笑いを浮かべる
冷徹な鬼をみる
それが わたしであるということに
気づかないふりをしているのだ

ずぶ濡れになりながら
泣いているわたしと 鬼が 楕円をつくり
グルグルとまわり 対話をくりかえし
そのなかを 
わたしという形が歩いている

    
形のあるときには 音はない
わたしの胸の底辺に 
絶えることなく 
降り注ぐ雨は
累代の静脈の彼方から
未来にむかって注がれている
しかし 不安定に 震えながら 明るい方角にのみ傾いた
背伸びは
日常という闇に晒されている
わたしの若い裸体を あるいは思考を
少しずつ老いさせて
手鏡でみる わたしの顔の 新しい皴は
言いわけの数だけ
増えていく
気づいて 両手で その皴を
伸ばして
急ぎ 消そうと試みるが 消えるわけがない
それも 言いわけなのだ

音のない雨は 降り止んだことはない
   
  

   
いまにも 明けようと稜線が 赤々と
顔色を上げているのだろうか 
わたしが胸を打つ
本に載っている
「朝焼け」という題名の絵画は
夕暮れにしか見えない
誤る眼が刺されるように痛む 難破船のように
わたしの新しい放射状に延びていく路地は
間違いだらけで溢れているのだろうか
止まった心臓の音が 
聞えるような夜 
指先に 触れてくるひかりが
ぼんやりと 音のない居間に止まっている
緩んだ水道の蛇口が 血液を垂らして 
世界を刻んでいる
わたしの臆病な 思索のときが また始まるのだ
   
    2

真夜中 黒い空気の匂いに浸りながら 
自転車のペダルを踏む足が軟らかい
薄っすらと 鎖骨が汗をかく
セブンイレブンの 真昼のようなひかりのなかで
コピー機を操る
一枚一枚 わたしのよそゆきの顔が 出来上がっている
背中に 店員の侮蔑した視線を感じながら
少しでも 多くコピーをとろう
そうすれば 当分 わたしは よそゆきの顔を もっているから
原紙の身体を見せないで 歩ける
少しでも明るい方へ
手足をカクとさせたあと
弓のように 空にむかって
背伸びをした

けれど いつまでも
窓のそとは晴れあがっているのに
窓のなかの雨が止まない

もしかすると
わたしは コピーという 
原紙と何も変わらない 
乱発されて
剥き出しになった 原紙という名の身体であるのかもしれない

セブンイレブンを出て 
呼気が 白く昇っていくが
自転車のライトが照らす道は
わたしという原紙のコピーで溢れている
そのなかを
いつまでも四十肩で激痛を感じながら
ふら付かないように 
堅い
ハンドルを握っている


喪失

   1

夜になったのに
やり残したことを 頭のなかで
プラモデルを組み立てるように考えている
たぶん わたしは死にきれなかったのかもしれない
父が 祖父が 親族が
部屋の暗がりから
物悲しそうにあらわれて
それぞれが 木製のこん棒を持つと
わたしを こなごなに 叩き潰した
おかげで 未明になって やっと 血も肉も骨も
捨てることができた

目覚まし時計が鳴り
眩いひかりが突き刺すように 顔を覆って
わたしは 無理やり起こされる
文句をいうように 陽が射してくる窓を睨み付けても 
何かを言い返してくるわけでもない
無言で 生まれているのだ
あらゆるものが 
聞こえない絶叫とともに
あかるさは 
祝福されているからだろう

でも いつまでも 立ち止まってはいられない

朝 鶏が鳴くと 一日がはじまる合図というが
あれは 死ぬための合図なのだ
朝の洗面 朝の食事から 
自分の葬儀の支度のように
段取り良く 一日をやり過ごさなければならない
夜までが勝負なのだが
わたしは 一度として
まともに出来たことがない

  2

わたしは 片足を 失くした靴を履いて
ちんばで
街頭を リクルートスーツで歩く
いつも決まった時刻の電車のなかで 
既製品の玩具の設計図を
生涯眺めている上司のとなりに座り
一言も口を開かずに
二十年を過ごした
わたしとちんばの靴と リクルートスーツは 限りなく 
造化の骨のような 無機質なことばだけになった

「もしもし 失くした片足の靴はどこにありましたか 」

スマートフォンで検索する ことばのなかから
コピーのように両足に靴を履いた 
既製品のリクルートスーツを着た
息をしていない
わたしが 溢れ出る

短くなった陽が落ちかけている

ふと
わたしは 両足に靴を履くことを考えていたけれど
思い切って 片足の不便な靴を 
脱いでみた
とても新鮮な空気が 肺胞をみたしていく
少しはずかしいが とても身軽だ

きょうは
こん棒をもった先祖はあらわれるだろうか 
たぶん ぐっすり眠れるかもしれない
冷たい風に当たりながら
忘れていた
死にきった夜を歩いている


季節の底辺についての二つの詩

  前田ふむふむ

秋―― 流れる底辺の

      1

ふかく ふかく 靄のようなひかりの
記憶のなかに 身体を浸していると
さらさらと透明なみずが 
胸の底辺を流れていて
きっと わたしは その暗い川を抱いているから
震えながらも 
手にペンを持てているのかもしれない
しずかな囁きにより 
わたしを包んでいる 
近くで傍観する書架の群れは
日々 わたしの痩せた欲望で 
面積を広げている

病床のうちに
枯葉のような生涯を駆けぬけた古い詩人の墓標が
三段目の棚に眠っている
若い燃焼のときが 産声をあげた詩集に眼をやれば
詩行の欠片が 
わたしの痛みのなかで躍動する
それは 壊れた人形を抱えたわたしを
仄暗いベッドから 引き摺りだしてくれた
脈打つ無辜のかなしみの声である
だから 
わたしの皮膚のしたにある 
消えそうな細い線を繋ぐたびに
薄いカーテンのむこうがわに 希望のあかりがみえて
わたしは それを掴もうと 
陽炎のように消えそうだった意志に 
身を委ねてきたのだ

いまも 三段目の墓標には 赤い血の跡が付いている
鋭敏な指先で触れれば 
胸の水面が丸い弧を描こうとする
一番奥に佇む言葉のみずうみは

いつでも 
折れそうなときに
わたしに諦めた橋を渡らせて
死にかけた胸に火を灯して
図形だらけの都会の雑踏のなかの
生きようとする喬木の模様に
わたしを
誘ってくれる

書架の隙間から
月がでている
窓枠の線の内側と外側では 
絶えずみずが循環する右脳の森が 
わたしのなかで脈を打っている


      2

ボールペンの先が 掌に刺さった
痛いと思わず声をあげた
わたしには 痛みを感じる理性が残っている
この意識の地平という
水底の断崖には 願望とやがて忘れ去られるかなしみが
渦を巻いているのだろうか
わたしは ふたたび戻らぬ病棟を
何度も振り返ると 
手を振り 
虚空に眼を泳がす少女が 
夜ごと こころの眼窩に宿るが 
少女の手は わたしの胸に繋がることはない
その砂のような味に わたしは 声をあげて呼ぶこともできない
喉の奥に 固い痛みが 棘のように 走るが
こうして 眠ろうとしている時間に
いつも
書架がしずかさを饒舌に語りはじめる
きょうは
三段目の墓標は 背表紙が いつも違う顔をして 
煌びやかに 飾り立てている

嬉しいことも そして かなしいことも




幻惑―― 逆光の冬の   
    

風が一度もやまない場所を知っている
子供のときのように
ぶきように草笛をつくった 
それから 青い空にむけて 吹いてみても 聞こえない
突風が 
やめることなく わたしを叩いている
おもわず 高圧線の鉄塔のふところに 
身体をいれて 逆光線を顔に浴びれば 
わたしの身体から 黒いぶよぶよになった影が離れていく
でも 不思議だ この鉄塔のなかは
父の遺影 幼いころの家族写真 母が赤子のわたしを抱いている写真
父と二人で撮った大学の入学式の写真などが
一面 埋め尽くされている

広々とした河川敷なのに
不似合いな 風鈴の音がする
その方向をむくと
長くつづく土手の上の道端で
黒い帽子を被り
グレーの分厚いセーターを着た男が 立っている
右肩を落として 少し傾いている
右手には 傷を負っているのか 血が流れている
血はズボンにたれている
男は その傷を手当てするでもなく
眼は虚空を見ているように ぼんやりとしている
男の傍を通り過ぎるものは 何人かいたが
その異様な風体に 誰も気づかない

別れを惜しむ 寂しさのように
草を踏む音が聞こえた
何者かが近づいているのか

今まで気がつかなかったが
いつからか
男が かなしいほど
鋭い眼を見開いて わたしをじっとみているのだ
怖くなり 反射的に
思わず眼を瞑り 視線を避けた
でも そのままでいるのは もっと恐ろしく
手に力瘤をいれて
思い切って
眼を見開き 男を睨み付けた

土手の上には 誰もいなかった
若いマラソンランナーが 男の居たうえを走り去っていく

ときどき 見る幻覚なのだろうか

わたしは 風に飛ばされそうな 黒い帽子を被り直してから
買ったばかりの グレーのセーターを着た肩を狭めた
凍るようにとても寒いのだ
気がつかなかったが どこかでぶつけたのか 
右手から血が流れている
あわてて ハンカチで止血をした
指をなめると 苦い味がした
胸のなかに 糸のように絡まりつづけた
数滴の苦さかもしれない
さっきから わたしの身体が空洞をつくり
うなりをあげて
風を通している
顔が引きつってくる そして 視界がぼやけてくる
冷たい雨が降っているわけではない
風が容赦なく わたしの顔を 叩いているからか
わたしは 風に折れた草のように
鉄塔から 
勇気を出して 最初の一歩を出した
そして 思い出したように
土手の方にむかって歩き出した
傾いている右肩を
懸命に直しながら

遠くで 市役所の 迷い人の放送が  
スピーカーから流れている


所属についての二つの詩

  前田ふむふむ

所属

上司が口を開く
ここがあなたの席です
自由に使ってください でも
その机のなかや 本棚の上にはとても大切な書類が入っているから
触らないようにしてください
しかし 書類に触れようにも 
机の引き出しには 鍵が掛かっていて開かなかった
机の上には 半分以上が 上司の封をした書類で
山積みされている 前も良く見えないほどだ
両肘を机の上に置くのがやっとだった
それを見て 上司は
少し不便かもしれないけど しんぼうしてください 
と しずかに言った

わたしは 一か月前から この職場に異動してきたのだ
わたしの仕事は 上司がいう雑用的なことを淡々とこなすことだ
何も用がないときは その机に座り待機しているのだ
でも そんなとき 大好きな小説を読むことは許されない
わたしの書類である たった半ページが一日分の業務日誌と 
もう ほとんど合理的ではない時代遅れの 業務のマニュアル本があるだけだ
わたしは それを ぼんやりと眺めて過ごすのだ

わたしは 長い間 慣れたやりがいのある事務職を務めていたが 長い病に会い
長期欠勤を余儀なくされた
その結果
この会社で一番きつい肉体労働の職場に回された
もともと 頑強ではないわたしは 一年で頸椎と肩を壊して
先月 大した用のないこの職場に 配属されたのだ
昼食の時 食事をしながら思うのだが 
あのきつい肉体労働のときも 自由に使える自分の席はあった
いまは
この会社で パートを除けば 自分の机を自由に使えないのは
わたしだけだと分かってくると
食事が喉に痞えて 眼がしらがあつくなる

ある日 上司が いまわたしの机が書類でいっぱいなので
あなたの席を貸してくれないですかと ものしずかに言った
わたしは この職場でみんなが共有している 着替え室の
畳の上にある小さなテーブルに移された
今は二月なので 
効きの悪い暖房器をつけた
わたしは 午前中で終わってしまう簡単な仕事を片づけた後
テーブルのうえで 
誰も見てくれない業務日誌を 振り返りながら見てみる
もう一週間もこうしている

陽が暮れるのが とても早い
チャイムがなると終業の時間なのだ
わたしは 家族という自分の居場所に帰らなければならない
そして いつものように 
忙しく仕事をしたと 明るく振る舞うのだ
わたしは あまりの寒さなので
コートの襟を立て 首あたりを覆い 
普段飾りになっているボタンで止めた





 

十一月の手紙

ひかりの葬列のような夕暮れ
グラチャニツァ修道院のベンチに凭れている
白いスカーフの女の胸が艶めかしく見えた
たくしあげている
黒い布で捲れた白い腿は 痩せた大地から 
砂埃とともに はえていた
細い足首は 銃弾の跡があり
青い静脈管を浮かばせて
汚れた簡易なゴム靴で覆っている

掌を上に翳すと
わたしの指の透き間から
薄化粧をした若い国旗に見つめられて バザールが眼を覚ましている
質素な衣装に覆われた人のなかを 牛が一頭 通る
その痩せた肌の窪みは
喧噪に染まった収奪された地のなかにひろがり
針のようなしずかさを伴って わたしの空隙を埋めている

聖地プリシュティナのなまり色の空に
吊るされた透明な鐘は
血の相続のために鳴り響き
ムスリムの河の水面に溶けている
もうすぐ雪が訪れて
大地の枯れた草に泣きはらした街は 鐘の音を
しわの数ほど叩いた鐘楼の番人ごと 凍らせるだろうか

眼を瞑り もう一度、掌を翳すと
中央の広場が 犠牲の祭りで賑わっている
笑顔で溢れる
編物のような自由という言葉にかき消されて
あの白いスカーフの女は 
冬になれば
傷口を露出した足で
二度と姿を見せることはないだろう


親愛なるあなたへ
十一月は凍えるみずうみのようです あなたは 自由という活字の洪水によっ
て 固められた海辺で 打ち寄せる波と 波打ち際を吹き渡る風に よそいき
の服装を着て 今日も屈託のない笑顔で 戯れているのですか あなたが話し
てくれた高揚とした朝の 高く広がる鳥の声は 砂漠のように霞んでいます 
振り返れば せせらぎは見えなくとも 胸の平原を風力計の針を走らせるよう
に わたしはわたしらしく みずの声を聴いたことがあったのだろうか 便箋
に見苦しく訂正してある 傷ついた線は 言葉を伝えられなかったわたしです
 夕立のなかを往く傘を持たない わたしの冷たい両手です 吹雪のなかで 
泣き叫ぶ手負った雁のように 震えるうすい胸は 春の水滴に浮んでいて 枯
れないみずうみを求めているのです


いつまでも 同じ色の遠い空が
しずかにわたしを見ていた
某月某日 正午
砂煙をあげて 豊かな日本語を刻んだ小型ジープで
五つ目の浅い川を渡った
背中のほうに逃げてゆく 緑と茶色で雑然と区分された灌木の平原
後方から前へと滑らせながら追うと
息絶えたふたりの幼児と 剃刀のような自由を抱えて
狂気する浅黒い顔の女の 凍る眼差しが 
わたしを 突き刺した
女は 泥水を浴びているのか
服が白い肌に食い込んでいる
わたしは 気がつかなかったが
驟雨が車体を叩きつけている
道は 体裁をこわして
霞みをもった おぼろげな混乱のなかから
新しくつくられていくのだろうか
先にある なつかしい国境は いのちを失い
絵具のように流れている自由は
女が辿った靄に煙っている
眼のまえには
白い多角形のテントや箱の群で溢れ
どこにも属することのできない
人々が蟻のように 大地にへばり付き
空の向こうまで続いている


追伸
まもなく、帰ります
言い方を変えれば わたしは 帰る場所があるのでしょう
あなたの空をみるために戻ります あなたが熱望した 瑞々しい渓谷は
荒れたローム層の水底に沈んでいました
きっと 帰ったわたしは
もう あなたと同じ あつい息を 交錯することができない
手をしているでしょう
そして あなたの庭に しずかにみずをやる わたしではないでしょう
 
そちらでは あなたの欲した あの澄んだ空は 
今日も 一面 青々としていましたか


見つめることについての二つの詩

  前田ふむふむ

視線

雨が上がって 朝陽が長方形の車窓から射している
いつものように七時三十分頃 
一番線ホームの昇りの電車に乗り 乗車口の脇に凭れて そとの景色を見ている
車内は満員である
突然 身体が前のめりになり 
急ブレーキをかけた車両は エンジンを切り 止まった
車内の蛍光灯も いつのまにか 消えていて
薄暗くなっている
ぼんやりとしていたが わたしは 異変に はっきりと眼を覚ました
事故だろうか しばらくたっても車掌の連絡放送はない
車内では 乗客は なにも口を発せず 異様にしずかである
気がつかなかったが 下りの電車も止まっている
すれ違うことはあるが 止まってすぐ隣に電車がいるのはめずらしい
しかも あまりに近いので 下りの電車のひとたちが はっきり見えている
乗客は スマートフォンを見ていたり 新聞を見ていたり
つり革を両手で握り 外を漠然と見ている
ふと そのなかで 黒髪の端正な顔立ちの女性がこちらを見ている
いや わたしを見ているのだ
よく見ると 憎しみに充ちたような眼
目線を 全く逸らさずに わたしを見ている
その凍るような眼は 少し含み笑いが混ざり合っているように 見える
わたしは初め 不思議で その女性を見ていたが
少しずつ怖くなり 度々 耐えられずに 目線を逸らして見たが 
とても気になり その女性をみてみると
相変わらず わたしを凝視している
どこかであったひとだろうか 全く覚えがない
いままでに 故意に 女性にひどい思いをさせたことがない
それは 自信がある
もしかすると わたしが気づかずに 知らなところで 
とても 辛い思いをさせたひとなのだろうか
いや きっと わたしに似ている男と勘違いしているのかもしれない
十分にあり得ることだ そうに決まっている
でも あの目つきはどうしたことだろう 尋常な形相ではない
しかし あんなに美しいひとに何をしたのだろうか 相当ひどいことをしたのだろう
電車は いつ動くのだ 最悪なのは 下りの電車も全く動く様子がないことだ
もう三十分もこうしている
しかし こんな憎しみの眼で わたしを見ているのだから
誤解を解くために その女性に会うべきではないだろうか
とても そうしたい気分だ
でも 電車が動けば、反対の方向に行くのだから 二度と会えない気がする
ふいに 女性がなにか口を動かしている 
何を言っているのだろう
わたしに言いたいことがあるのだろうか 
相談になるかもしれないから 会って話を聞いてみようか
よくみると 同じ言葉を繰り返しているようだ
となりの乗客は何も感じていないのだから 
たぶん 声を出さずに口ぱくをしているのだろうか
しかし 奇怪な偶然だ
そうだ こういう機会は極めて稀なことなのだから
会って きちんと問題を解決させるべきだ 
そんな思いが強くなる
たしかに 会うことで誤解が解けて 逆に親しくなれるかもしれない

ぐるぐるーと車両のエンジンが回り始めた
消えていた蛍光灯が点いた 車掌の運転復旧のアナウンスがながれる
電車が少しずつ動き出す 
やがて 女性ともっとも近い距離にくると 眼の前で止まっているように
女性の眼は わたしの眼を矢のように鋭く射抜くと 下りの車両とともに 
後方に見えなくなる

車窓のそとは 暗記するほど見慣れた景色がつづき わたしは 朝の陽ざしを
眩しそうにして 全身に浴びると
女性の事しか考えない時間 女性と二人だけの世界という
いままでの車両故障の出来事が 夢物語であったように
これから行く 職場の仕事の段取りを考えている

電車が次の駅に止まると
わたしを 押し倒すように いっせいに多数の乗客が降りると
車両のなかは がらがらになり
そのあとに 子供をブランケットで巻き だっこ紐で抱えた
若い女性が
ひとりだけ乗り込み 相変わらず 
乗車口の脇で 凭れているわたしの 前方の
シルバーシートに座った
徐に その女性は手に持っていた雑誌を開いて 読み始めると
表紙の 女の顔がこちらを見ている


純粋点

     1

今度 眠って それから 眼を覚ましたら
お空で一番ひかる お星さまになるの
パパとママは となりにひかる
ふたつのお星さまよ
ママの横にひかるのが お姉ちゃん

かなちゃんは 一番ひかる お星さまと
眼を大きく開けて にらめっこしています
手を振り ありったけの笑顔をおくります
あるときは
頬を風船のように膨らませて
べつのときには
右目を指で押さえ ちいさな舌をだして
アカンベーをしたり
空の未来と にらめっこしています
  

    
    2

(バラード)      
あの西の空を埋めつくす枯野に 
鶴の声がきこえる 砂漠を描くあなたは
役目を終えた旅人のように 晴れ晴れとして穏やかです
しずまりいくあなたのその瞳をたたえる 夜のみずうみは
いま 爽やかな風のなかを舞い降りていくのです

まばたく あなたは 星座たちの青い純粋点 
その起点をこえて さらさらとあふれる血液の はるか彼方へ
手をつないでこえていく 少年の裸足たち
笑顔がこぼれている 少女の裸足たち
青いいのちが あざやかに無垢の花を咲かせます

やがて めざめる歌が 子供たちから生まれて
星座をひとつひとつ 草花の涙のなかに染めつくすとき
もえる闇の凍りつくよどみのなかで
羽をもがれている無辜の翼に 
あなたが 鎮魂の天の川をかければ
墜落した凛々しい窓が 厳かに浮びあがっていくのです

夜の鼓動に あなたの身篭った赤い鳥が
充たされた透明な空の時間のまんなかに生まれて
三日月の欠けた 雪の湿地をなめらかに瞬いていきます 

孤独でおおわれた岩の海原 
夜空がことばをつくりはじめる境界線
もえだす赤い鳥 
その 波打つ羽根で散りばめた ひかり そして ひかり
あしたにむかって 
いっせいに泳ぎだす銀河のひかりたち

子供たちがいっせいに歓声をあげる 

美しくかたどるあしたを
子供たちは 
雄々しくながめていきます

    3

パパ ママ
お姉ちゃんが 輝いている
プラネタリュームのようなお空で
パパとママとお姉ちゃんに抱かれながら
かなちゃんは 
正しく刻まない 心臓のちいさな鼓動を
精一杯おおきくして
いつまでも いつまでも たのしそうに 
一番ひかる お星さまを みていました
    
    


蒼いひかり――三つの破片

  前田ふむふむ

ピアノのある部屋

頭が金槌で打たれているように痛む
激しくピアノが鳴り響くなかを
二十年前に死んだ父のなきがらを背負って
みず底を歩く
呼気が泡になり 上に次々と昇っていく 
深い暗闇から太陽のひかりに向かって
水草は 引っ張られるように 伸びていて
溺れた獣が生贄となっている 魚たちの狩場に 魚が一匹もいない
そこには 墓碑が林立している墓場のような 
夕暮れを迎えた森がある
その陰鬱なみどりをすすんでいくと
柿の木が庭に立つ
一軒の小ぢんまりとした木造の家がある
玄関のドアを開けて入ると
父は わたしから 浮くように離れたので あわてて手を伸ばしたが
届かず 抱き戻すことができずに 
少し みずのなかを漂ったが
ひとつの狭い部屋で 消えていなくなった
取り返しのつかないことが起こり
とても悲しくなり
動転して取り乱していると
ここはみず底だという意識はまだ あるのだが
いつの間にか 呼気の泡は消えている
わたしは 落ち着くために ゆっくりと呼吸を整えると
そこは
暗く 壁一面に まだらに黴が繁殖し 
湿気が充満し 
重苦しい時が流れている
その暗い部屋の真ん中に ピアノが一台置いてある
長い歳月を重ねた 古い一台のアップライト ピアノが置いてある
わたしはそのピアノをじっと見ている
なぜか 訳もなく みているだけだ
しばらく眺めていたが
無性に 理由が知りたくなり
わたしは過去の書棚から分厚い百科事典を
取り出して調べてみた
百科事典は 五十音順ではなく
使い勝手が悪かった
眼が文字で溢れるほど
長い時間を掛けて 探してみると
「わたしとピアノ」という項目の言葉が載っていた
生唾を呑みこんで 覗くように見てみると
その解説文は全文 黒くマジックで
塗り潰されていた
驚いて 落胆したが あきらめずに
わたしはさらに丹念に 過去の百科事典を調べた
すると
「わたしとピアノについての解説文を黒くマジックで塗り潰した理由」という
解説文が載っていた 
だが その解説文は再び 黒くマジックで塗り潰されていた
唖然としたが 納得できずに なお わたしは更に深く調べようと
「わたしとピアノについての解説文を黒くマジックで塗りつぶした理由を書いた解説文を塗りつぶした理由」を
探して見つけると
これも 全文 黒くマジックで塗りつぶされていた
胸が張り裂けるような 強い鼓動が わたしの全身を覆っていた

鼠色の雲が裂けて ひかりが身体を射し 
わたしは眩しさに眼を逸らした
ソファーから ゆっくりと起き上がると
夏の日差しを受けて大きな黒いわたしの影が 
わたしの前に不気味に立っていた
それはあの大きな父のように見えた
そして、ピアノの音色が―― 
今日も聞こえる
大きな黒い影のなかから 激しく軋むような呻き声を上げ
隘路に迷い込んだように ピアノの鍵盤が
いつまでも
一番高いオクターブの シの音を 連弾している



精肉譚

市場は 朝早くから 
人々の熱気に溢れており
生肉のほのかに甘い匂いが あたりを覆っている
市場の中央にある精肉店では
ガラスケースのなかに
豚肉のブロックが 積み重ねられている
その赤い血を腸に詰め込んだ
ソーセージがぶら下がっている
ぶつ切りにされた鶏肉が 部位ごとに
大皿の上に盛られている
店頭に立っている
親方の威勢の良い声が 路上に響いていく

裏手の狭い作業場では 
家庭の生活を補うために 学校を休んでいる
七人の子供が集められて
手際よく 鶏加工の流れ作業を行っている
眼を大きく パチクリさせた
幼い男と女の子たちは
手馴れた手つきで
一人目の子供は 鶏の首を切り 血抜きをする
二人目の子供は 鶏を熱湯の中に入れる
三人目の子供は 鶏の羽を毟り取り
四人目の子供は 鋭いナイフで鶏の頭と足を切り落とす
五人目の子供は 鶏を部位ごとに切り離し
六人目の子供は 鶏の内臓を取り出す
七人目の子供は 鶏の全ての部位を仕分けする
さあ 笑顔いっぱいにして
一人目 二人目 三人目 四人目
五人目 六人目 七人目
さあ、気合をいれて
一 二 三 四
五 六 七
繰り返される 爽やかな絵巻物
ノルマを全てやり終えると 鶏の血と脂で汚れた手を
手桶で洗った子供たちは 
店の親方から 報酬を貰うと
嬉しそうに街中へ

仕事が終わったから
はやく みんなで仲良く遊ぼう
一人目 二人目 三人目 四人目
五人目 六人目 七人目
本当に楽しいね 面白いね 嬉しいな
一 二 三 四
五 六 七
・・・・・・
あとでもう一回手を洗わないとね
ねえ もう一回やろうよ

夕陽が西空で真っ赤に染まっている



伝書鳩

十二段の階段を昇ると わたしの部屋がある
飛べない伝書鳩が 千羽棲みついている部屋がある
暖かい羽根布団のやさしさよ わたしは癒される
わたしは眠る 千羽の伝書鳩に埋もれながら
わたしの部屋の閉じた窓には 小さな穴が開いてある
外を覗くために 錐で開けた穴がある
千羽の伝書鳩は いつも穴を覗いている
穴の向うには 疲れ切ったわたしがいる

ああ 午後の海は真冬の嵐のようだ

鋭く尖った岬に 小さな古い灯台がある
岬の灯台には 激しい波しぶきを被った
細いジグザグ道を行かねばならない
その道は 途中 いくつもの寸断された溝があり
誰も行くことができない
更には 灯台の窓は
悉く 内側から 頑丈な板で塞がれて
釘で打ち付けられていて 
なかを見ることが出来ない
でも わたしは行ったことは無いが
灯台に住む美しい少女を知っている

一度だけ 恐る恐る部屋の小さな穴を覗いたとき
少女をみたことがあった

細い絹を纏っただけの 裸体だった

灯台が月の光で海に浮き上がって映る 穏やかな夜
わたしは 高まる心臓の鼓動を握り締めながら
部屋の小さな穴を覗いてみた
すると 灯台から 窓板を勢いよく突き破って
血だらけになった 千羽の伝書鳩が飛び出し
夜の海をいっせいに駆けていった

海はすべて 伝書鳩で埋め尽くされた
     
十二段の階段を昇ると わたしの部屋がある
わたしの部屋から悲鳴に近い泣き声がする
わたしは 今日は手紙を読んでいる
昔 一度読んで
長い間忘れていた手紙を 読んでいる
隔離された結核病棟の女性が
黄ばんだ古い紙の上で
空しく絶望の声を上げていた


蒼い微光

  前田ふむふむ

    

     1

うすい意識のなかで
記憶の繊毛を流れる
赤く染まる湾曲した河が
身篭った豊満な魚の群を頬張り
大らかな流れは 血栓をおこす
かたわらの言葉を持たない喪服のような街は
氾濫をおこして
水位を頸の高さまで 引きあげる

これで 歪んだ身体を見せ合うことはない
徐々に 溶解していく、
水脈を打つ柩のからくりを知ることはないだろう
唯 あなたに話し 見つめあうことが
わたしには できれば良いのかもしれない

見えない高く晴れわたる空を
視線のおくで掴み 仄暗い部屋の片隅で
両腕で足を組みながら
そう思う

    2

冬の朝は とてもながい
しじまを巡りながら
渇いたわたしの ふくよかな傷を眺めて
満ちたりた回想を なぞりながら
やがて訪れるひかり
そのひかりに触れるとき
ながい朝は終焉を告げる
そこには 恋人のような温もりはないだろう

あの 朝を待つ 満ちたりた時間だけが
恋しいのだ

    3

無言の文字の驟雨が 途切れることなく続く
覆い尽くす冷たい過去の乱舞
わたしは 傘を差さずに ずぶ濡れの帰路を辿るが
あの 群青の空を 父と歩いた手には
狂った雨はかからない
やがて 剥がれてゆく 気まぐれな雨は
蒼いカンパスのうしろに隠れて
晴れわたる裾野には 大きなみずたまりをつくる

わたしのあらすじを 映すためだけに
生みだされた陽炎だ

     4

わたしは きのうがみえる都会の欠片のなかを
隠れるように浮遊する
モノクロームの喧噪が音もなく流れる
その沈黙する鏡のなかで 煌々と燃えている
焚き火にあたり ひとり あしたの物語を呟いてゆく

  八月の船は 衣を脱いで 冬の雪原をゆく
  二台の橇を象る冷たい雪を 少年のような
  孤独な眼差しで貫いて
  瓦礫の枯野に うすい暖かい皮膚を張る

  熱く思い描いた経験が
  あなたの閉ざされたひかりを立ち上げて
  新しい八月には たゆたう枯れない草原を広げる
  わかい八月には 約束の灯る静脈のなかに
  あの幼い日に夢で見た美しい船が
  今日も旅立っていく

     5

忘れないでおこう
たいせつなものを失った夜は
なぜか空気が浄らかに見える
世界が涙で 立ち上がっているからだろう
走りぬける蒼い微光のなかを
立ち止まっていく
忘れていた悔恨の草々
静かに原色が耳に呟く
「言葉は聞こえるときにだけ、いつまでもそこにある。」

鳥篭のなかの唖のうぐいすが
          激しく鳴いた


友人Aの心理

  前田ふむふむ

街はずれの小さなアパートに
だれにも会うことを拒み ひとりでさみしく暮らしている男Aがいる
何故かといえば 
ひとりで孤独にいると 決して 起こることはないのだが
都会の人ごみにいくと 
必ずと言ってよい 奇怪な現象を眼にして
その日は 一日中 震えて過ごさなければならないからだ

友人Aが重い口を開いて 不思議な話をする
初めて起きたのは 二十八の頃 会社帰りの事だったという
頭が削れているほど傷を負い 血まみれになった若い女が
ソフトクリームを頬張る 無邪気な子供の手を引いて 
駅前の横断歩道を渡っていたという
あるときは スーパーの前に屯している十代の子供たちを
見ていると 円座して何かを食べている
よく見ると二 三のパックをあけて 豚の生肉を食べているのだ
いかにも美味しそうに どちらかというと
貪っているに近い
別の話では 繁華街のごみの回収置き場で
頸部にナイフが刺さっているままの 蒼白い顔の男が ごみに凭れるように
ぐったりとしながら 低い声で経文を唱えている
見えないのか 多くの通行人は素通りするが
あまりの異様さに その男に近づくと 薄笑いを浮かべた

頻繁に ありえないようなことが続くので
過労のためか あるいは精神に異常をきたしているのか
心配になり 心療内科 脳外科で診察してMRIで調べてみたが
とくに異常は見られず 医師は 過労による一時的な幻覚だろうと
薬を処方してくれた しばらくすれば 幻覚はなくなるという

けれど その後もいっこうに 症状の改善が見られず
あるときは ビルからひとが飛び降りるのをみて
近くに来てみると 道路に叩きつけられて 息絶えていた
だが 大勢の通行人は 誰も気がつかない
死んだ男の顔をみると 自分の顔だったという

Aは 本当におかしくなったと泣きながら話すのだが
その真剣さに わたしはAが気味悪くなり 同時に 気の毒になったが
どうすることもできない 
こうして一人でいる方が 精神病院に入れられる心配もないのだから
良いかもしれないし ありきたりの慰めの言葉をいって
Aと別れた

帰りの電車に乗るために ホームまで来ると
電車が来るというアナウンスがある
ふと 前を見ると 線路のむこう側にひとが立っているのだ
何をしているのだろうと思っていると
電車が入ってきて 男の姿を遮った
わたしは 慌てて電車に乗り 反対側の窓をみても 誰もいない
というより そこにはコンクリートの壁があり 電車と壁の間に
ひとの入るスペースはない
もしかして 轢かれたのだろうか でも事故の連絡放送がない
わたしは 確かに見たと思ったが
事故放送もなければ 他の乗客も 何か変わった様子はない
気のせいだったと 無理に自分自身に信じこませて
窓から、壁を怪訝に 見ていた

わたしはAの話を聞いた後だったから この出来事を
錯覚として見たのだろうか
でも 一瞬だが 確かにいた
心のなかでは いまでも間違いないと思っている
もしかすると 無意識にではあるが
不思議な出来事に ひとは 誰しもが 遭遇しているのかもしれない
こんなにも多くの人々が生きているのだから
十分にあり得るだろう
ただ 常識的にあり得ないと思う心理が 無意識的に矯正を加えて
なにもなかったものと思うのだろうか
Aはずば抜けて 頭の神経が鋭敏だから 意識の上でそれが見えるのだろうか
そんなことを考えながら 歩いていると
突然 雨が降ってきたので わたしは常備している傘を
カバンからだして差した
大粒で降る雨のなかを 救急車がサイレンを鳴らして
過ぎていった

 


速度

  前田ふむふむ


寒い夜である
ベッドに横になる眼の前を 
電気ストーブが燃えている
それは
しずかに 明るさを 放射して
わたしの胸のおくに浸みわたっている
そこには 何も隔てない 
穏やかな 共存がある

けれども
調和された 穏やかさは いずれ飽きてくる
思考は 常に外部へ
弱く点る頭上の
蛍光灯のひかりと 電気ストーブが
交錯して
電気ストーブの裏に 小さな黒い影をつくる
そして
わたしは みえていない影のある
うら側を思考している
そこから流れてくる意識は
電気ストーブ全体を覆い
わたしの全身を埋め尽くそうとしているが
そこには 決して届きそうにない
距離がうまれる

だが 
影のある電気ストーブに距離を感じるのは
視線という
二点を結ぶ 空間をもった 
線分があるからではない
どこまでも対象と溶け合おうとして
叶えられない
速度があるのだ

しずかさのほかに
影は なにも応答することはない 
答えを捜しながら
わたしが 何かを求めているうちは
めらめらと燃えている 
電気ストーブと影は
つねに わたしの速度に 
押しつぶされている

しかし 夜も更けて
わたしは 眠くなり
意識することを 諦めて
まどろみに耽るとき 
わたしは速度を失い
夜の闇と共存し

距離だけを持った
一度 記憶された
電気ストーブは
同様に 夜の眼に包まれ
ひとり
いつまでも 影をつくり 
赤々として 
完成された 自由を獲得する


 


あまのがわ 

  前田ふむふむ

   


換気扇が 軋んだ音を降らす
両親たちが 長い臨床実験をへて
飼い育てた文明という虫が 頭の芯を食い破っている
痛みにふるえる
今夜も 汚れた手の切れ端を 掬ってきた
うつろな眼で アスピリン錠剤をあおる

・・・・・・

痛むこめかみのなかの暗闇から
         歪んだ閃光を浴びて

動いている
わたしを氷山に葬るまなざしで
巨大なビルが キリンの群をつくり 動いている
生きているものは つねに声を
閉じられた咽頭の脈動を埋めた深みで
震わせながら
剃刀の器を瞳孔のなかに浸して
たえず 動いている
  ――――遠く遅れてゆく わたしの視線

動かないものは あすには 忘れられて
思い出という柩のなかに
石鹸の泡のように 仕舞われていくだろう
暗闇のなかで その化石にひかりをあてて
感傷に耽る地表にだけは 秒針は止まっている
その透明な 真新しい休息を
動いているものが 踏み固めていくのだ

急ぎ足で ビルに迷い込んだ 一羽の椋鳥が
サバンナを逃げ惑う シマウマの脅えた眼に
飲み込まれまいと 慌てて ときの歪に身をかくす
見上げれば 原色の空は
突き刺す言葉を 起立させている

動いている
わたしは 弓矢の姿勢で 動かなければならないのか
はたして わたしは ほんとうに 動いているのだろうか

動いている
傷ついた言葉の断片に
湧き水を口に含んで 微笑むあなたが
無数の星となって
わたしの胸のおくを 流れている
            生まれている
               死んでいく

・ ・・・・・・

喉が渇いて 熱があるようだ
音も無く 二つ目の閃光が
         濡れている眼を突き刺す

噎せ返る草のにおいのなかを 躰をしずめて歩く
「父と母が たどたどしい足取りで
やや うしろを歩く」
草は波をつくり 寄せては還して
塩からい汗を吐きだす夏を 加算しながら
「姉妹は 白いレースで飾ったスカートを着て
                 やや 前を歩く」
腕と足に絡み付いてくる草に 躰を裂かれて
わたしは 風に靡く葦のように
口から気泡を吐いて 草の海に たおやかに
溺れている

洗濯物を干す竿が 飛行機雲と平行に引かれている
かわいた手触りで ひかりを集めてある
なだらかな丘陵が 白い芽吹きに包まれて
かつて あの虹の掛かっていた
一面 恋人の胸のようなところに――
あたたかい風が 仕舞ってあるのだろうか

私信
「あなたとの約束は 守れそうにはありません
    きょう やはり たいせつな日です
       雨が降っていますが
   あの草のにおいのするところに行ってまいります」

・ ・・・・・

しばらく なだらかな素数の羅列が
    軟らかくなった脈拍の上に引かれる
       その最後尾を 三度の閃光が通り過ぎて

     ・・・・・

雨は 蟻の隊列にも 休息を与える

だから 弱い採光を ステンドガラスから灯して
講堂は わたしに 赤々とした呼吸の滑らかさを与えて
流れるみずいろの序奏のために
躰を丁寧にたたんでいる

座席に漂う 青く骨ばった息つぎ
眼に映る もえあがる新緑に充ちている春が
わたしの手から 滲み出てきて
込み上げる高揚を 口に切れば
かわいた声は 全身の座席に 立ちのぼってくる

講演台には ガラス瓶の水差しが 中央に浮びあがり
あなたの亜麻色の髪が 水差しのなかで
雨に濡れている
その 止まっている水滴のむこうに
瑞々しい言葉の廃墟が 広大に走り
きらきらとひかる あたたかい
あまのがわが 視える


夢の経験

  前田ふむふむ

        


遥かに遠くに満ちていく 夢の泡立ち
その滑らかな円を割って
弱くともる炎
最後のひかりが 睡眠薬のなかに溶けていく

みどりで敷きつめられた甘い草原
潤沢なみずをたくわえて
豊かさを誇示する地肌にひろがる
セイタカアワタチソウの群生のなかを
恋人を失くして
自嘲するピエロのように踊る
わたしの幻影が かなしく背を向けて
うな垂れる

夕照がしみる水槽のような寝室で
空白のこころを埋めるものを 
とりとめもなく捜す
茫々とした夢の荒野から
掌で 溢れだす記憶のみずを汲み上げて
そこから 零れていく稜線を眺めると
わたしは 予約のない夢のなかを
泳いでいたのがわかる
おもわず 夢の捨て場所に立ってみても
暗闇はかたく わたしの手を
見慣れたなつかしい場所に 
押し戻すのだ

生きた長さだけ かわいた瞳孔を
夥しい夢の破片が洗う
閉じたこころが寝返りを打てば
夢の十字路が 砂塵を立てて
見え隠れする

かすかに見える
世界の弁証法をうたった宴が
行われた木に
逝った父が立っている
溢れる笑顔を浮かべて
わたしは 巧みな織物のように 流れる父の笑顔を
始めて見たのかも知れない
駆け寄って 父に話さなければならないだろう
そこには 父もわたしも 二度と行くことは
できないと
凍るようなわたしの手は 父の笑顔を切り裂いて
灰色の葬祭場に ふたたび運ぶのだ
わたしの手は いつまでも血にまみれている
父を葬った 洗ってもとれない鮮血の跡をなぞれば
この口語でできた時代に浸る
法悦の声がささやく
せせらぎが薫る みずの音をたてて
途切れることなく 優しさを滲ませて

こうして 古い砂漠に
垂直する貧しい雨の流れが
ふたつあった夜は
わたしの背中を 過ぎていく
振り返ることはない
綴りこまれた かなしい夢の波紋は
ひろがり わたしの骨になって
わたしは どこまでも遠い夢の欄干を見つめながら
みずのように流れている
忘れられた夢の都会のなかで
銃弾のような棘を抱えて


喪失―失われるとき    

  前田ふむふむ

見送るものは 誰もいない
錆びていく確かな場所を示す
冬景色の世界地図を
燃やしている過去たちが
東の彼方から孤独に手を振る
知らぬ振りをする眼は 遥か反対を伺って
不毛な距離をあらわさない
すすり泣く静寂のさざなみが
過ぎていく春の揺らぎのなかを
固まる 真昼の荒野で瞬いていく

むかえるものは 誰もいない
絶え間なく律動する 縮まりいく そして絶えていき
砂粒へと綻びる 
帰りのない飾り立てた一本の直線の道を
過ぎていく人々のざわめきで塗された気配と
白い木の葉が落ちる
透明な街路樹に差す光線との
空隙のなかを
止め処なく走り抜ける暗闇の青さが
冷たく切り裂いていく

わたしが 決して語ることの無い
この失っていく砂漠のような時間のなかを
語り続けている 繋いでいる そして繋がっている
汚水と蒸留水の混沌で満ち溢れた
思惟の海の岬のふところで
折れた翼を精一杯に張って 飛び立つ海鳥たちの
鮮烈な讃歌が聴こえる

あの 霞みゆく緑の月を 打ち落とせ
あの 溶け出した黒い太陽を 打ち落とせ

金切り声を上げたばかりの海鳥が
見えない時間のなかを 朦朧としながら
喪失した痛みを数えて直立しているわたしの背中を
無造作に撫ぜていく
ああ わたしはひとりで 吹き荒ぶ断崖で
孤独に佇んでいたという現実が
鋭い尖塔のように
青々とした空に突き刺さっている
わたしは溢れ出す灰色の海で号哭することだけが
許されている
曳航される廃船の姿を晒して
今 世界が悲しく死にいく夜を歩いている


花について三つの断章   

  前田ふむふむ

 1

真っ直ぐな群衆の視線を湛える泉が
滾々と湧き出している
清流を跨いで
わたしの耳のなかに見える橋は 精悍なひかりの起伏を
静かなオルゴールのように流れた
橋はひとつ流れると
橋はひとつ生まれて
絶え間なく うすく翳を引いて
川岸に繋がれた
度々 橋が風の軽やかな靴音を鳴らして
街のあしもとで囁いていると
あなたは 雪の結晶のように聡明な純度で
橋のうえから
ひきつめられたアスファルトの灼熱のまなざしを指差して

「砕かれた石の冷たさは 一筆書きの空と同じ色をしていた」
(人は言うだろう
(過去が 垂直の心拍を一度だけ
(小さな掌ににぎる あまのがわをめざした と

それに飽きると ときには 暑さをしのぐ
陽炎の風鈴を並べて
わたしを 
赤い蜜月の夢のなかで浮かぶ しなやかな欄干に誘う

誘われる儘に 橋を渡ろうとすると
あなたは 冬に切り出した花崗岩の巨石を積んだ
瓦礫船を横切らせる
とりわけ 翼のように広がる波は
いっしんに みずおとを わたしの胸に刻み付けるが
一度も 波たつことはなく
悠揚な川は すでに みずがないのだ

ふるえながら 戸惑っていると
乾いた頁が剥がれて 題名を空白にした詩行の群が
交錯する河口の風のように
わたしを吹きつける
心地よい 湿り気が聴こえる

あれは 熱望だったのかもしれない
槍のように胸を刺した 約束だったかもしれない

フクジュソウの花が 
わたしの身体を足元から蔽い
一面 狂おしく咲いている

  2

愁色の日差しが川面を刺すように伸びて
眩しく侵食された山を
父の遺影を抱えてのぼった
その抱えた腕のなかで
わたしが知る父の人生が溢れて
暖かい熱狂と 冷たい雨のふるえが
降下する
滲む眼のなかに 黒く塗りつぶした
五つの笑顔を束ねれば
遺影に冷たいわたしの手が やわらかく
喰いこんでくる

青い空は、望まれなくても
そこにあった
望まれたとしても――

季節を間違えた向日葵の群生が
右に倣い 左に倣い
つぎつぎと 花を咲かせている

   3

落陽を忘れて――
青い空
朝顔の蔓が 空をめざす
   生をめざす 死をめざす
本能をほどいて 十二の星の河を渡る間に
抑えられない曲線をのばして
石の思想を弓のように折り
狂いながら
シンメトリーの道徳的な空白を埋めている
やがて 若さを燃やし尽くして
流れる血が凍るとき
底辺だけの図形的な土に馴染み
跡形もなく 身体をかくす
それは――
植物は 人の欲望に似ている

朽ちていった夕暮れで飾る終焉も
すべてを見届けて 飛び立つ梟も
ふたたび 朝の陽光とともに佇む 黎明が
いっせいに芽吹くとき
渇望する書架の夢は 
途切れることなく
みずのにおう循環を
永遠のなかで描いているのだ

その成り立ちに 死という通過点は
あの稜線に沿って放つ
ひかりの前では 一瞬の感傷なのだろうか

花壇が均等に刈られた家では
喪中を熔かして
家族が死を乗り越える午後に
鳥さえも号哭して
すべてのあり方が 過去のなかの始まりを見据えている

その行為は 死者のために有るのでは無い
――説明的な文脈がすぎる

庭――
勢い良く若さを空に向けている
あかみどりのつらなりに
白い波が 断定の傷を引く
椿 金木犀 さざんかの木が包帯を巻きながら
    包帯を切る 訃報の鋏は
庭のすべてのときを繋いでいる

新しい空に向けて
気高くりんどうが 一輪 生まれた


飛べない時代の言葉から―― 森番

  前田ふむふむ

       

    1   街の――

分厚い雲間から腕が伸びるように 
ひかりが アスファルトをかぶった街路に 
照射し
いつも用心のため 雨傘を携帯する 
きみの 体温は 少し 暖かいだろうか
グレーのランニングジャケットを着た
女性が白い息を吐きながら
速足ですれ違う
枝を折るような朝だ

青い蝶が 断崖を越えていく
夢のような景色が
胸のなかを
棘のように通り過ぎることがある
それは 誰もさわっていない
積もった雪のような希望や 
砂漠のような眼窩を
胸に向かって 射抜いていく
あかるい日差しのように見えるが
とても 大切なものが
泥だらけの地面に落ちて
拾い上げても
もとの形状には戻らない
そんな穴が
火を点けて 燃える紙のように
ひろがっていく

だから
ひとに気付かれないように
靄でかすむ胸のおくに
隠し
それを覆う肋骨のカーブで
牢獄のように
しばりつけ
堪えず ことばごと 失わせてしまう
それはとても苦しいので
わたしは
鋭利なナイフをとりだし
氷のような皮膚に
突き刺し
こわばった肉をほぐしていく
カチとドアの鍵があくように
骨を除けていく
やわらかい空気が
堰を切って 
喉元を涼しくぬらし
呼吸をするたびに
傷口は大きく開いていく
それが
暖かいということか

やけに肉好きの良い
カラス一羽が 車道のセンターラインを
彼此 五分以上
越えたり 戻ったりしている
カラスの足に
布切れが絡まっていて
戸惑っているのか
たどたどしい歩きだ

苛ついた わたしは
センターラインめがけて
小石を投げつけた

カラスは
わたしを睨み付けると
勢いよく 
寒空を飛んでいった


   2  森の――

花弁を剥きだしにして 
白い水仙が咲いている
その陽光で汗ばんだ起伏を這うように
父を背負って歩く

父はわたしのなかで 好物の東京庵の手打ち蕎麦が
食べたい 食べたいと まどろみながら
青い空を見ている

「父さん もう笑ってもいいよ」

心臓の穴を舐めるような 苦痛の病身をもてあまして
一九四一年十二月
丙種合格 徴集免除
日本建鉄・三河島工場に勤務した
うしろめたい空と 同じ空を見ている

うすい雲が貼りついた
あの空を落下するように
雲雀が飛ぶあたり
初夏であるのに 父の葬儀は冬を運んでいた
悴んだわたしの手は 繋がれた家族の手は
父の遺骨に触れ 
病のために その子供のような
小さすぎる軟らかさに 一日を彼岸まで
泣いた

白昼が刺さる わたしの背中で
少し動いている父をきつく抱く
あのときと同じ 子供のような軽さが熱を帯びてきて
わたしは いつまでも
父をおぶっていられると思う

ふいに 海を見たい衝動にかられて
生まれたときから 壁に吊るされている
古い額縁に納まった絵画を――
解体のために錨泊地に向う軍艦が浮ぶ海を
撫でるように見つめる
あの夕陽に見えるひかりは
世界を何度も縛りつけていて 
微動もしない
わたしの冷たくなった性器を貫き
その大人びた海に 黄金色の氷のような砂を塗した
静けさが 毛穴から滲み込んでくる

あのひかりのなかに
わたしはあしたを 見ているのだろうか

眼を瞑ると 波のおとが聴こえる
岬からせりだした浜辺は白く
透明なさくら貝に耳を当てれば
溢れるひかりに包まれた わたしの――
度々 隠れながら視線を注ぐ
薄紙のようなわたしが 
日傘を象る木陰で
寂しく蹲っている

動き出したバスは 豪雨で木が倒れて
渋滞に巻き込まれたようだ
世界の果てにある岸壁まで 灰色に染めるほど
憎んだ 意味を断定する行為を
わたしは 胸のなかで
突き刺さる
鋭利な刃物のような直線を引いていた

バスは混んでいて
探る手つきで
困っている少女に忘れかけた傘の所在をおしえてあげる
造花でない笑顔
気がつけば わたしの暗室に閉じこめていた
暖かい鼓動が 全身をめぐって
両手には もえあがる夏を握っていた

いつものように 携帯電話をひらき
見知らぬ友人を見つめる
わずかに 眼から流れるものがいて
四角い光源を湿らせながら
いくつかの文字列のあいだに
抑えきれない固めた声をしまった

天気予報をみる
窓の外は 雨を窄めているが
ながあめの始まりを告げている
わたしは 明日から
雨に煙る森に入らなければならない


かなしみ 

  前田ふむふむ

   

わたしは みずがない渇いた海原で
孤独な一匹の幻魚の姿をしていたときに見た
色とりどりの絵具を混ぜ合わせたような
漆黒の夕暮れのなかで
朦朧として浮き上がる白骨の黄昏と
共鳴していたかなしみを
無音の慟哭の声を上げて
抱きしめている

赤茶けた砂漠の
絶え間なく変わっていく文様のように
こころは激しくゆれているが
たちまち
凡庸に静まっていく湖面にすがたを変える
その慌ただしき曲折
みずうみには 誰にも知られずに
許されざる過去が沈んでいるだろうか
気がつけば 即興的に濃度が決められている
気紛れな塩水が溶けている
この乾涸びたこころを
剃刀で切り裂いているが
一滴の血も流れない
わたしは ほんとうは 保身の城のなかで
乾いた涙を流しているのだろうか
わたしは 絶望する母親のように
血まみれの胎児を抱いて
強風の吹きすさぶ岸壁の上に佇み茫然としている
だが その赤子こそが 自分であることを
雲に隠れたぼんやりと映る弦月のように
はっきりと認めようとはしない
わたしは 偽りの岩なのだろうか

けれど 冷たい深淵が瞬き 立ち上がる現実を
すべて口に含み 飲み込んでしまえば
こころの壁の 涼やかな水底に浸るわたしは
都会の片隅で
口笛を吹きながら 他人の鏡に映る
自分の青白い顔に
ふてぶてしい薄笑いを浮かべても
霞んでいく瞳のなかの 黒点にある広々とした荒野では
おのずと熱い溢れる涙が
止めどなく流れて落ちている
震える頬に 震える口元に 震える手の中に

今日もわたしは 暗い部屋の片隅で 寂しく
わたしという赤子のかなしみを抱きしめている

文学極道

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