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ねむのき - 2015年分

選出作品 (投稿日時順 / 全11作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ひかりちゃんの卵かけご飯

  ねむのき


学校に強盗がやって来たことがあった
男と女二人だった

"靴泥棒"が来た!
とひとりが叫ぶと
みんなは慌てて教室中を逃げ回り
机や壁の影に隠れた
廊下から悲鳴が聞こえてくる
誰かが襲われたみたいだ
女子達がパニックを起して叫ぶ
喚き声と怒号が沸騰する
次々に窓から外へと飛び降りるクラスメート達を
呆然と眺めていたら
とうとう強盗の女と鉢合わせてしまった
手にしていたカッターナイフで
僕は女を刺し殺した
薄い刃が頸動脈を突き破って
鮮血が勢いよく噴き出す
〆られた魚みたいに
女は身体をびちびち痙攣させて
目と口をいっぱいに開いていた
狂気に血走った女の眼が
最期まで僕を睨み続けていた

女の死体を職員室に運んで
机の上に携帯の番号を書いたメモを残し
僕はひとりで家に帰った

それからというもの
女の人と目が合うと
たびたび僕は気を失う

ある日
ひかりちゃんという女の子が
道の真ん中で倒れていた僕を介抱してくれた
ひかりちゃんは自分の部屋に僕を連れて行った

男の方の強盗が
いつか僕を殺しに来る予感がして
不安で仕方なかった
そう彼女に打ち明けると
ひかりちゃんは
ウチのマンションはオートロックだから大丈夫だよ、と言う
すると宅急便が来る
僕はテーブルの下に隠れる

小さなダンボールの箱を抱えて
リビングに戻ってきたひかりちゃんは
ごはんを炊き始めた
箱の中身は
新鮮な卵だった

そして
僕らは卵かけごはんを食べた

卵の黄身だけを熱々のごはんに乗せ
その上に刻んだ小葱をまぶして
出汁醤油をほんの少し垂らす
それは
上品で濃厚な味わいの
卵かけごはんだった


体液

  ねむのき

意地悪な学校に
行きたくない、いつもの朝に
寝ぐせ頭は、重たく軋み
冷たい蛇口
をひねると
胸がつぶれて
涙があふれた
歯みがきができなくて
ぼくは困って
よけい悲しい

ぼくの涙は
制服をぬらし
洗面器を、いっぱいにして
迷い込んだ一匹のクラゲ
がふわふわと
泳いでいる
歯ブラシとコップを、持ったまま
ぼくは
困りはてて泣いたまま
意地悪な学校に
行かなければ、ならない朝に
たくさんの、クラゲたちが
鏡の中を、漂っている


いっそスモークチーズになりたい

  ねむのき

(※)

ああ めんどくさい
どうでもいい

あ 袋いらないです
レシートも結構です

釣り銭を財布にしまうのがめんどうだから 全部募金箱に流し込む 
業務用電子レンジを見つめる 単調な毎日が回転している
テープを巻き戻す不快な金属音が 頭のなかで響く 眩暈がする 
缶コーヒーと煙草をひったくるようにして ぼくはファミマを後にした
高校生らしきバイトの男の子が 弁当を手に困った顔をして店長を呼ぶ

そんなことは もはやどうでもいい
ああ めんどくさい と呟きながら
あてもなく駅前をうろつく 
薄汚れた本屋に入る 
ビジネス本コーナーには どこぞの成金が書き散らかしたであろう 
愚劣なタイトルの自己啓発本が平積みされている
ぼくは小さな手帳を買う
本屋を後にする

公園のベンチに腰掛けて 煙草に火を付ける
辺りを見回す
目に染みるほど青く空が晴れている
子供がひとりでボールを追いかけまわしている
手帳を取り出し ぼくは《宇宙を呪う歌》という詩を書きはじめる
ペンはするすると滑り ページを飛び越える
しばらくして壮大な叙事詩が完成した

「さっきからずっと何を書いてるの?」
子供がそばにやって来て訊ねた
「詩を書いているんだよ」
ぼくは答える
子供が手帳を覗き込む
「そんなにタバコを吸ってたら、スモークチーズになっちゃうよ」
ベンチの下に散らばった吸い殻を指さして 子供が言う
「きみはなかなかの詩人だね」
ぼくは笑う
子供は手を振って 走っていってしまった

全てがめんどうだった
宇宙の全てがどうでもよかった
〈いっそスモークチーズになりたい〉
手帳の新しい頁に ぼくは書き留めた――



風が吹いている
遠くで工事現場の防音シートがなびいて 曇り空に 鉄骨を叩く乾いた音が響く
ライターの火が付かない 僕は風を避けようとして 体をくるくるしている
すると彼と目が合った

「今日も詩を書いているの?」
ニコニコしながら駆け寄ってきて彼は言った
「また会ったね」
僕はベンチの端に座り直す 
すこし間をあけて 彼はぼくの隣にちょこんと座る
僕は手帳を取り出し ページをめくる
「じつは、きみのために新しい詩を書いたんだ」

Dal segno senza fine


幽霊とコントラバスの親子

  ねむのき

昼寝していたら
ちっちゃい男の子の幽霊に取り憑かれた
金縛りにあって動けないでいると
右手をちょこんと握ってきて
(かわいーなあ)
って呑気にそんなことを思ったけど
でも金縛りが解けたあと
起きて洗面台の鏡でよく見てみたら
取り憑いてたのは気色悪い緑色をしたおっさんの霊だった


近所のお寺に行って
お坊さんにお祓いを頼んだら
「ごめんウチそういうのやってないから(ポリポリ)」
お坊さんはキュウリの漬け物をポリポリ食べながら 
ぞんざいな感じでそう言った
お坊さんの漬け物がすごく美味しそうだったから
「お祓いはいいんで、その漬け物ひとくち下さい」
って聞いてみたら
「それだけはちょっと無理(ポリポリ)」
ってきっぱり断られた

お坊さんはかわりに
知り合いのK教授を紹介してくれた
なんでも除霊物理工学という新しい分野の研究で
第一人者と言われているえらい先生らしい
研究室を訪ねると教授はにこやかに出迎えてくれた
理学部棟の4階の隅っこに置かれた研究室は散らかっていて
たくさんの実験装置がうぃんうぃんひしめいている
部屋の奥の方では学生が二人雑魚寝していた
なんだかさっきからすごいミシミシ物音がする 
これがラップ音ってやつだろうか
「あー二人憑いてるね
そこの椅子に座って待ってて」
教授はそう言って席を立った
道着に着替えて戻ってきた教授の腰の黒い帯には
金の刺繍糸で「悪霊退散」の四文字が縫いつけてある
教授は僕の背後に立つと 深呼吸しながら精神を集中させ 
おっさんの霊にむかって渾身の正拳突きをかました
すると緑色のおっさんが悲しい顔をしながらふわふわ消えていく様子が
目の前にあった書棚のガラス戸にうっすら映って見えた
なんかもっとこうハイテクななにかを期待していたから 僕はちょっとガッカリした
「もう大丈夫だから安心して
またなにかあったらいつでも連絡してね」
優しい笑顔でそう言うとK教授は道着姿のまま
パソコンでなにかのデータを分析しはじめた
ディスプレイにカラフルな三次元グラフが表示される
僕はぺこりと礼をして研究室を後にした


帰りに駅前のボーリング場に寄った
とても混雑していたせいで 
しばらくしてアメリカ人の親子連れの二人と相席(相レーン?)にさせられた
親子の二人は太っててお尻がデカかった
なんだかコントラバスとチェロが並んでるみたい
コントラバスのお母さんはマイボールを持参していた
彼女の投球フォームはキレキレで 
スイングからフィニッシュまでまったく動きに無駄がない
ラメがキラキラしているライムグリーンのボールが
ものすごい角度でカーブして 
吸い込まれるようにピンを薙ぎ倒していく
ほとんど全部ストライクだった
チェロの息子くんは7歳で(見た目はもう少し幼い感じ)
お母さんよりだいぶ日本語が流暢だ 
息子くんは僕に正しい投げ方をレクチャーしてくれた
「ピンを狙うんじゃなくて 
右から二番目のスパットにボール投げるんだよ」
レーンに描かれた三角の目印をスパットと言うらしい
二人ともすごいフレンドリーで 
(やっぱアメリカ人ってコミュ力すごいな)
って僕は思った


4ゲームも遊んでボーリング場を出た頃には
辺りはすっかり暗くなっていた
結局晩ご飯をいっしょすることになって サイゼに入った
僕は明太子パスタ
お母さんはステーキのデカいやつ
息子くんはお子様セット
それから小エビのサラダと ピザとかフォッカチオとかも色々頼む
食事が済んだあとも長い時間ドリンクバーで居座って 
僕はお母さんと世間話を続けていた
コントラバス親子(ボーリングに夢中で名前聞くタイミングを逃した)は母子家庭らしい
まだ慣れない日本でシングルマザーを続けていて いろいろ苦労してるみたいだった
彼女は英会話スクールで先生をしていて
毎日サラリーマンにビジネス英語を教えているらしい
どうりで教えるのが上手だと思いましたよ と言うと
「わたし子供達がとても大好きだから、本当は学校の先生になりたかったの」
と彼女は肩をすくめ 笑った
息子くんは隣でずっと妖怪ウォッチのゲームで遊んでいた


緑が丘駅で二人と別れる頃には22:30を回っていた
お母さんとLINEを交換した
「またボーリング勝負しようね」
そう言って息子くんが僕の右手をちょこんと引く
昼間の金縛りの時と奇妙なくらい同じ手の感触だった
お母さんと手を繋いでバイバイしながら僕を見送る息子くん
その寂しげなまんまる顔が なぜか幽霊のおっさんの最期の表情と重なって
なんだかいたたまれない気持ちになった僕は
東急線に揺られながら ずっとおっさんの冥福を祈っていた
コントラバス親子が幽霊だったということを知ったのは
それからだいぶ経った後のことだった


保健体育

  ねむのき

5限目の
保健体育

浅黒い顔をした
中年の体育教師が

男性器のしくみについて
説明している

君は
眠たそうな顔をして聞いている

僕は
横目で君のノートを盗み見る
〈射精 精液の量:平均5~10ml〉

視線を下ろすと
制服のスカートから、白いふとももが覗いていて

僕の性器は硬直して
ズボンが膨らむ

ああ、僕はたぶん
今日も君に話しかけないだろう

昨日も今日も明日もこのまま
話したいことは
たくさんあったはずなのに


蝶のサラダ

  ねむのき

流れ星の 駅のホームで
駅員のおじさんが 
蝶を食べている
 
ガス燈の灯に集まった蝶を
大きな虫取り網で
すくっては パクパクと
口にはこんでいる

「ねえ、おじさん
「どうして、蝶を食べているの?
って訊いてみたら、駅員さんは
「かわいそうだけど、仕方がないことです
って答えた

(そうか
生きるためなら、仕方がないことも、
あるよね

ぼくは納得して
帰りにスーパーで 半額のアゲハ蝶を買った

夜のニュースを見ながら
ぼくは
ひとりで 蝶のサラダを食べた


   *


目が覚めると
駅員さんが枕元に立っていた

「たった今、準備が整ったところです
そう言って鞄から
ぶよぶよした立方体を取り出すと

タツノオトシゴに変身して
駅員のおじさんは
泳いでいってしまった

窓の外は
雲ひとつない晴れの空で
今日もたくさんの
白いタオルが降っている

展翅された 大きな青い蝶を閉じこめて
透明な立方体は
ぼくの部屋のベットのそばでずっと
ゼリーみたいに浮かんでいる


詩編「記号図鑑」

  ねむのき

   [ae]

きのう、隣のクラスの担任の
英語のヤマシタ先生が死んだ

ヤマシタ先生はおっとりした人で
授業はいつもつまらなくて
眠かったけど
めったに怒らない 
やさしい先生だった

先生の自宅のアパートからは
発音記号で書かれた遺書が
見つかったらしい

その日から 
隣のクラスのみんなは
〈apple〉を〈アップル〉と 
発音しなくなった

  

    [🎼]

今日は
誰でも上手にピアノが弾けるようになる
という仕組みの
ト音記号の形をした月がのぼる
年に一度だけの日で

夜の公園に集まった人たちが
なかよくお酒を飲みながら
順番に並んで
思い思いの曲を演奏している



    [±]

わたしの兄は
大学院で数学を専攻していて
それなのに文学オタクで
大学に詩の合評会のサークルを立ち上げるほど
詩が大好きで
自分は「日本で一番数学に強い詩人」だと
わりと本気で思ってる
ちょっと変わった人です

日々の生活の出来事を
微分したり
以前付き合ってた彼女にフラれた ほろ苦い思い出を
統計的に処理したり

兄の書く詩はとても数学的で
日常のことをテーマにしたものばかりなのに
超難解で
毎日ひっそり
詩のサイトに投稿もしてるみたいですが
誰にも理解されずに
いつもスルーされているようです

でも 
わたしが中学1年生の時
「マイナスにマイナスをかけるとプラスになる」
というのがどうしても分からなくて
とても頭を悩ませていことがあって
そのことを
兄に質問してみたら

 良いことがたくさん増えたら、すごく嬉しい
 でも
 嫌なことがたくさん増えたら、すごく悲しいし
 良いことがたくさん減っても、すごく悲しい

 だけどもし
 悲しいことがたくさん減ったら
 それはすごく嬉しいことでしょ

 それといっしょだよ

って教えてくれて
なんだか全然分らなかったのがウソみたいに
不思議と納得できたのです

だからたぶんわたしの兄は
本当に日本で一番の
数学詩人なのかもしれないと
ちょっと思っています



    [φ]

今朝 学校へ行く途中
つるつるした記号のようなものが
道路のうえに落ちているのを見つけた

見たことのない記号だったから
こっそり拾って 
学校に持っていった

図書室の記号図鑑で調べてみると
〈これは記号ではない〉
という意味を表す
いまではあまり使われていない
珍しい記号だった


  ねむのき

夜が青くなる
空を飛びはじめる
溶けていく砂を浴びる
波がうちよせ
逆さまの果実が
水面をすべりだす

月を覆う枝
浮かぶ死者の舟
貝を拾い集める手
斧をかかげ
新しい歌を歌う人々

すべてが
近づきつつある
そしてすべてが許されてゆく
塔が星のように血を流し
燃えつきたあと
夥しい数の 父の群れが
ゆらゆらと/ゆれながら/上空から影を落とし

青く 青く
夜はさらに青く
閉じた光を歪ませ
終りの始まりが
ようやく終わりはじめる

枷を外し
縄を切り裂く音が
遠くから聞こえてくる


列車

  ねむのき

紙製の駅で
ぼくは羊を見つめて立っている
駅を食べてしまわないように
ずっと見ていなければならなかった

閉じた硝子の瞼のように
静かな場所だった
ときおり一両だけの列車がやってきて
色のない草むらへ走っていった

やがて太陽が西に傾くと
空を吊るしている紐がほどかれて
白くてやわらかい花びらのようなものが
たくさん降りはじめるのだった

そうして気がつくと
駅も羊たちも消えていて
記憶のなかの誰もいない教室で
ぼくは列車の絵を描いていた





形のない列車に乗って
左から右へと動いてゆくので
右から左へ どこまでも続く
直方体の空気のかたまりが
窓から身をのりだしているぼくのからだの
表面をやわらかくして
なめらかにすべってゆく

どこへ行くというのだろうか
どこまで行っても
ぼくの瞼の内側でしかないのに

左から
右へ
列車が動いてゆくので

矩形の窓から手を伸ばし
色鉛筆で
まっすぐな線を世界に引き続けると
そのさきにはどこまでも
右から左へ
水のない海が
葉をのばすようにひろがっている


海の詩編

  ねむのき

[エイ]


水平線の上を
一台の自転車が走ってゆく
ぼくはエイをひっくり返している

エイをひっくり返すと
毒針のあるしっぽを
怒ってふりまわすけど
エイたちは笑っている

太陽が
空に吊るされた
白い鏡のように
くるくると光っている
なんの意味もない
焼けつくような光を注いでいる

ぼくもがんばって
何匹も何匹も
なんの意味もなく
エイをひっくり返す

真昼の砂浜に
どこまでもならんでいる
エイたちのぶよぶよしたほほ笑みが
ゆっくりと干からびている



[貝]


近所の砂浜を散歩していると
あしもとから
「今日はとても水が柔らかいですよ」と
山下さんの呼ぶ声が聞こえた

手ごろな大きさの貝殻を拾って
体を小さく折りたたんで中に潜り込むと
山下さんはくちびるを隙間から長く伸ばして
「今日みたいな暑い日は水中に限りますね」と
砂を吐きながら言った

そうしてぼくと山下さんは
八月の海の底に並んで
柔らかい波が行き来するのを
日が沈むまで見上げていた  



[ドライブ]


海岸線
退屈なカーブにさしかかると
真っ白な羊たちの群れ
おおげさな余白のある景色を
右にまがってゆく
季節はずれの花と
給水塔の
とがった影のさきに
死んだ十月と
死にかけた十一月を見つける

今日は
海にへたくそな詩を捨てにいく日だから
会社をずる休みした
小さな車に乗って
まっすぐに北へ進むと
ぼくのうしろに南が広がってゆく
白いカーブを右へ
折れまがるとぼくのうしろにある
南は左側によじれて
東を含んでゆき
ぼくはどこへ向かっているのか
わからなくなる
十一月の午後
ありふれた青い空気のなかで
わけのわからない花が
まっすぐに咲いている

かぜを引いているけれど
タバコに火をつける
ぼくの書いたへたくそな詩は
いつの間にか
よくわからない記号の羅列になっていて
咳をすると
一匹の死んだ魚が
波のあいだに浮かんでいる
そんな
意味のない言葉と
退屈なことばかりが
十月だった気がする

半透明に光る
夕暮れの街角へ
静かな壁のように
降りてゆく、
群青
砂のまじった風が
遠くから吹いてくる
詩なんか
いくら書いたって
なにもいいことなんてない

どんなに
どんなにあかるいものも
(それがなんになる?
という単純なことばを
吹きかけると
とたんに色褪せてゆくこと

そのことを
知ってしまったあとに
なにが望めるというのだろう
なにが許されるというのだろう

冬の模型を
ひとさし指でたしかめながら
考えている



  [クラゲ拾い]



凪いだ海の沖合に
クラゲ拾いの舟が
揺れているのが見える

砂浜では
女のひとたちが
魚を紐に吊るしている

古いアパートのような
懐かしい匂いがして

ぼくはかつて海鳥だったときの
空の飛び方を
思い出してみようとする

電話がずっと鳴っているのに
どこにも見つからない


飛べなくなったひと

  ねむのき

(ふたりの、I、のために)

1

坂道を登ってゆくと
側溝の中に
男のひとがいるのを見つけた

男のひとはずっと
膝をかかえていて
「ああ、おとなになってしまった
と何度も呟いていた

とても天気のいい日だった
うるさい飛行機が
空に吸いこまれて
ちいさな白い点になってゆくのを
ふたりでしばらく眺めた

ぼくが
さよならも言わずに
自転車を漕ぎだすと
男のひとは、
あおむけの格好で
どこかの街へ流れていった


2

飛行機が花のように破裂して
無数の白いシャツが
風を受けて、
ゆっくりと墜落してゆくのが見える

それは
まるで踊っているようにも
あるいは
まるで生きているみたいにも思えた

あるいは、もしかしたら
ひとの形をしたシャツの
形をした人間なのだろうか?
まるで生きているみたい
それなのに結局死んでしまう
無数の人間の形なのだろうか

(生きているのに死んでしまう?
(それはなに?
(それはどうして?

ああ、それは
わたしや
君の形をした
物語なのだろう
いったい
わたしもきみも
ほんとうはどこか別のところからやってきて
そしていつのまにかどこかへ去ってゆく
わたしや君の形をした
誰も知らない誰かなのかもしれない

(それは誰?それは、
(さいごに誰が死んでしまう物語なの?

そうさ、
あるいは生きるということ
それはほんとうに
誰の書いた物語なのだろう
結局みんな死んでしまう
なんて、そんな出来損ないの物語を
精一杯生きなければならない
それに
生きていると
弱いからすぐ嘘をついてしまう
ああ、ほら見てごらん
空だけがいつも青くて、
残酷なくらい青くて、
死んでしまいそうなくらい青くて。
それなのに臆病なわたしの手は
もうずっと前から死んでいるように白い
死んでしまうのに生きなければいけない物語を
死んでいるように生きていると
こうして触るものもみんな、ひどく汚してしまう
わたしはわからなくなる
なぜわたしは、おとなになってしまった?
おとなになってしまって、こんなに
飛べなくなってしまったわたしは
誰なのか


3

坂道を登ってゆく
今日もいつもの側溝の中に
飛べなくなったひとがいるのを見つける

「ああ、飛べなくなってしまった
といって膝をかかえている、今日も
空をななめに切りとってゆく
飛行機のちいさな翼を
ふたりでずっとながめている

(どうして、
大人にならなければ、
いけないのだろう

ぼくはさよならを言う
飛べなくなったひとは、今日も
あおむけの格好で目を瞑って
水の上を流れていってしまう


4

(でもどこへ?
(どこへいってしまうの?
って聞いたら
あのひとはなんて答えてくれただろう
ぼくは考える
「さいごにわたしは、わたしを見つけにゆく
そう言ってくれたのだろうか、
それとも、やっぱりさいごには
飛べなくなったひとが死んでしまう
そんな物語だったのだろうか
ぼくにはなにも答えをくれないまま
飛べなくなったひとはもう帰ってこない
(はあ、答えなんて、くれなくてもいいよ
ぼくはさいごまで
あのひとのほんとうの名まえすら知らなかった
(でも、そのかわり、
この飛べなくなったひとの物語の続きは
ぼくが書くことにする


5

(破りとられたページの跡)


6

十月が死んだ
十一月も死んで
死にかけた十二月の空は今日も
死ぬほど青い
君にはじめて会ったのも
天気のいい日だった
そして君にさいごに会った日も
とても天気のいい日だった
わたしはもう空を飛べないけれど
さいごにわたしは
わたしの物語の「作者」を見つけにゆく
そしていつか必ず
もう一度、君に会いにゆく
その日はきっと、今日みたいな
とても天気のいい日になるといいなって
思っているよ

7

空にかかげた
君のちいさな両手のうえには
大きな大理石の本が置かれていた
それは、白いシャツの屍体が積み重なってできた
なにも書かれていない一冊の本だった

やがて
夥しい血と肉の塊が
うつくしい驟雨となって
あたりにやわらかく降り注いだ
新たな、契約の文法と、
新たな文字による、新たな言語で
新たな、長い長い物語を
大理石の本の
真白なページに刻みこもうとしていた

そして君は
様相の論理という、無限に枝分かれしたパイプに、
血の水脈を導いて
わたしや君の棲むこの小さな惑星の外側に
あたらしい可能世界をいくつも創造したのだった

わたしはこれから、その血管を辿り
幾つもの世界線を越えて
無数の君に会いに行こうと思う
君の書いた幼い詩の、赤い余白のなかで
わたしは、もうひとりの、新たなパラレルとしての君と出会い、
君はそこで、君の書いた幼い詩をもう一度復習するだろう
そうやって君の平行世界は
永遠に分岐する可能態としての運動を続ける
そしてわたしも、君も
何度も死んでは生まれる
生まれては死んでを繰り返してゆく
しかし、その必然の帰結として、
魂の不死という形式が
わたしたちの存在にもたらされたのだった

(それが、
ぼくの大好きな、飛べなくなったひとのために、
ぼくがさいごに出した、幼い答えだった

それが、君という、
君の時代の貴重な作家が、さいごに書いた、
わたしの物語だった



石田徹也、「飛べなくなった人」(1996年)
稲川方人、「君の時代の貴重な作家が死んだ朝に君が書いた幼い詩の復習」
(1997年)

文学極道

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