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山人 - 2015年分

選出作品 (投稿日時順 / 全21作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ツララ

  山人


ローカル線のまだ暗い無人駅
駅舎から少し離れた作業小屋
中ではストーブが赤々と燃えている
長靴についた雪はとけてゆく

庇には
外灯に照らされたツララが生っている
ほの明るいオレンジ色を
透明な胎内に蓄えている
視線を動かすと
オレンジ色の命は輝き
動いた


早朝の外はまだ暗い
早朝仕事のあとの
一服時の作業小屋

中では若い監督さんが無心にスマホを見ている
これからの人
これまでの人
が入り混じった
作業小屋の温度と
おもいが攪拌され
外に出され
凍る

ツララは
濡れひかる妖しさと
輝き切る頑なさを保ち
粉雪の舞う中
凛々とオレンジ色を輝かせていた


名もない朝

  山人



失意を助長させるように
朝は無造作に切りひらかれて
風とともに雪が舞っている
わたしの前で理想は裸に剥かれ
細く小さく哭いている
風の圧力があらゆる隙間に入り込む音
体の底から口までまっすぐ空いた管の中を
冷たい季節風が流れ込み
刃物のように音は鳴っている

差し迫る年末の気配に
急かされるように
日没は容赦がない
体内の、そのまた体内の、さらにその奥の
そこに潜り込むように夜を迎える
宇宙のひと粒の日常が黒く塗りつぶされる

記号のような日
背中を押される囚人のように
その扉を開ける


薬屋

  山人

 ふと誰かが呼ぶ声にはっとして玄関に出てみた。
いまどき珍しい、風呂敷で覆われた箱を背負った中年が立っていた。薬売りだという。
昔ながらの熊の謂だとか、小さなガラス瓶に入った救命丸など、まったく利きそうもない薬をずらりと並べた。
そんなもんいらねぇ、と言おうとするのだが、なんとなく巧妙に遮り、薬売りはするすると勝手に会話を続ける。
並べてふっと一息吐き、「いかがですか?」と言う。
意気込んで喋ろうとすると、「心の薬もあるんですよ」
真っ直ぐ物怖じせず一矢射るように言葉を発した。
 行商人だから重い大きな風呂敷に包まれた箱を背負って歩いてきたのだろう、しかし蒸し暑い季節なのに汗ひとつかいていない。胡散臭そうではあるが、一本どこか筋のとおったような頑なさがあり、ロマンスグレイに近くなった毛髪をびしっと横わけにしている。
一流のマジシャンが行う巧妙な話術と沈着な物腰と所作、それらが何の変哲もない一家の玄関先で繰り広がられている。
 「心の薬?そんなものあるわけないでしょう」
なるべく意地悪く吐き捨てるように言うのだが、薬屋は物怖じせず一点を射る様に見、「利きます」、と断定的に言う。
四洸丸のパッケージのような袋に入っていて、五角形である。
外側に草書で 心がよくなる薬 と書かれている。
橙色の少し固めの袋を振ると、からからと一〇粒くらい入っているのだろうか音がする。
 「とてもいい按配になりますよ、必ず変わってきます」
淡々と事務的に医師のように言い放つと、「一〇袋入って税込みで三一五〇円です」
返事も聞かぬうちに、「ハイこれ」と領収書を切ってしまっている。
たしか、買う、とは言っていなかった筈だったが、言ってしまったのだろうか、誰かに指図されたかのようにぼんやりとしながらお金を渡し、薬売りを見送った。
 心が良くなる薬 なんとまぁ、大雑把でアバウトでそのまんまなんだろう、しかし、この大胆なネーミングが人を食っているようで憎めなかった。
一億パーセント利くはずがないと口に出して言う。
一回一袋食後とある。未だ午後五時過ぎたばかりだったが、冷奴を半分胃に収め、水で薬を流し込んだ。
甘く酸味のある薄灰色の薬は胃に収まっていった。
 一〇袋入りのその薬は、三食後の服用だったので、ほぼ三日でなくなった。
やられたな・・・、あり得ないと思っていたのだが、上手いマジシャンのような手口にやられてしまったというわけだ。
舌打ちをしつつ、雑用をこなしていると、ふと聞き覚えのある声が玄関先で響いている。
「その節はどうも。ちょうど薬が切れている頃かと思いまして、伺いました」
文句を早速言おうとすると、「どうですか?毎日自分の心を見つめる事が出来るでしょう?それが大事なのですよ」
・・・とまた、薬屋は領収書を切り始めた。「今度は一〇日分です、二回目だからお安くして、五二五〇円です」
しゃがんだ姿勢でするすると板の間に領収書と共に手を這わせ、右手で薬を同じ場所に並べて置いた。
要らないと意思表示するのを手で遮ると、薬屋は一呼吸置き、射るような視線で薬屋は語り始めた。
 自分の心が今何処にあるか、どういう風になっているのか、風邪をひいているのか、熱があるのか、傷がないのか、体のそこらへんが痛かったりすると薬や医者に行きますが、心がそんな風になっていても、人は無頓着なものです。自分の心が今何か困っているのではないか、その原因はなんなのか、あまり考えてはいませんよね。この薬の成分は申し上げることは出来ませんが、心の中身を見つめてあげる薬なのです。心が一番大事なのです、生かすも殺すも、死ぬも生きるも。どうですか?この薬を飲んで、少しは自分の中の心を白い紙に広げてみたりしませんでしたか? たぶん、あなたはこの三日間と言うもの、自分の心を客観的に観察者として観察し、見つめてきたのではないですか?今度はあと一〇日です。この薬を飲んだ時、或いは飲む時にでも良いのです、心を眺めてみてください。それだけ。それだけで心が良くなってくるのです。そして心というものはすべての根本なのです。人は一つのありがたいことに対し、感謝することから始まるのです。それは可も不可もない平凡な日常のなかでさえ当たり前に体験できるものです。感謝の心は待ち受けていた豊穣の土に種を蒔き、やがて成長し、それがあらたなる豊かな実を実らせ幸福を引き寄せるのです。
あなたが私の為にこうして玄関のあかりをともしてくれたこの光、これは遠い昔はきちがいの発想だった。ありえない発想、つまり、心という無の物からあらゆるものは誕生したのです。あなたの周りにあるすべての事象、いえ、あなた自身の今、それらはすべて無からあなたの心が作り出した作品なのです。そのために、心が良くならなくてはどうしようもないのです。
 一気にまくし立てるように言い放つと、最後にとびきりの笑顔をまき散らかした。
いつのまにか、結局頷いたりするのみで、いいように言い包められてお金を払い、薬屋を見送っていた。
 薬が切れかけた頃、テレビで薬屋の逮捕が伝えられていた、薬事法違反である。
きびきびとした態度、眼光の鋭さ、定規で当てたような七、三の髪は煌々とひかりに照らされて輝いていた。背骨を軽く折りたたみ、一礼すると、何かをやり遂げたような安堵が漂っていた。
 「利く薬がまたひとつ消えたのか」
私は、そうつぶやき、最後のラムネ菓子を口に放り込んだ。


稜線のラクダ

  山人



一日中 しとしとと降り続いた雨ははたと止んでいる
ガラス越しに稜線が見える
夕焼けに染まった稜線
砂漠の上をラクダがとおる
ゆっくりゆっくりラクダは右に動く
あまりに美しく あまりにも悲しすぎる
私は 稜線のラクダを悲しそうに見つめている
明日は
晴れるだろうか 
私も
晴れるだろうか

稜線のラクダはゆっくりと山頂を目指して歩いている
この美しさを このはかなさを
私は誰に伝えたらいいのだろう
もうすでに 作業のダンプの影はなく
遠い稜線は私の前で 夕闇に包まれはじめている
こんなに 悲しく うつくしい稜線を そしてラクダ達を
今までずっと見たことはなかった


amaoto

  山人

ガードレールに捲きついた細い蔓植物が雨にたたかれ揺れている
雨はそれほど強く降っていた
たぶん汗なのだろう、額から頬にかけて液体が流れ落ちている
さらに背中は液体で飽和され、まるで別の濡れた皮膚を纏っているかのようだ
雨は降るべくして降っている
草は、乾ききった葉の産毛をゆらめかせ、雨を乞い、重い空はすでに欲情していた
二つ三つ水が落下し、やがてばらばらとちりばめられ、草は今、雨に弄られ、四肢を震わせている
 私は無機質に草を刈る
たった今まで草たちは悦びに満ち溢れていた、その草を刈る
草は断面を切断され、ひときわ臭い液体をこぼし雨にくったりとその残片をアスファルトにさらしている
私たちは雨の中、いや、土砂降りの中、まるで水中を漂う藻のようにふわふわと何かに押され、引かれ
脳内のどこか片隅から放たれる小声に従い、動いていた
 雨、その水滴に溶け込んだ念仏
水滴が引力に引かれ落下し、アスファルトという固形物に撃ち当たり、球体が破壊される炸裂音
その音が、ひとしきり私たちの外耳に吸い込まれていく
脳内の広大な農場に張出した棘の先端をおだやかに覆うように流れていく
私たちは皆、ひとりひとりが孤独な生き物となり、降りしきる雨の中を、新しい戦いのプロローグの中を、ゆったりと活動していた


春に埋もれて

  山人

時はまろみを増し、水は思い出したように透明になる
神経のひとつまみを
樹皮の隙間からそっと出して外をみつめる木々たち
億千のいとなみの瞼がゆっくりと開けられる
街は人を配り、人の吐息は其処彼処に一時乗り
やがてけたたましく
車が風をともない浚ってゆく

春になると別な世界がやってくるという。
座布団カバーを外して洗濯機へ放り込む
おそるおそるヘルスメーターに乗る
冬の重みや大きくせり出した脳の重さが如実だ
階段を昇り便所を掃除する
塵を分別する
布団をたたみなおして押入れに入れる
掃除機を取り出してまず二階の廊下から
玄関マットまで塵を吸い
目から零れ落ちた脳片まですいとる

終末のあとの残骸をリセットするように、細針の糸通しの孔を、鋭利な、音が、静かにゆきわたる。
鵺の正体とよばれる夏鳥が鳴いている。


20世紀少年のトモダチのように僕は
覆面の中で「まあね」と真似てみる
そして
「まだ、おわらないよね」と
トモダチの断末魔のときの台詞を真似てつぶやいてみる
僕たちは20世紀少年。
いまでもこれからも。

朝霧が立ち
窓を開けてみると だいぶ明るい
とても日が長くなった
トラツグミは未だ鳴いていた


農場

  山人


農場は今日も静かだった
土の畝が形どられ
わずかな小雨が土を濡らしている

休眠した種子たちを
刺激する気配すらも感じられない
すでに、どうだ
私が農民であったことさえも自覚できず
こうして一日の終わりを
狂いのひと時に浸ろうとしている

どんよりとした
ビニールハウスの湿度の中で
点々と茎を太らせた
菜たちのよどみが揺れる
吐いた息を
そのまま吸うような不潔な気体の中
脳さえも失われた
その菜たちの目はひたすら濁っている

虹をかんむりに
シャイな霧を瞼に乗せて
夕日に頬を赤らませ
星を瞼に閉じ込めて

少し寒い農場の脇に立つ
まだ待てばいい
ずっと待っている
動き出した土の一つの意思
きっと新しい言葉たちは芽吹いてくるはず


山林の詩五篇

  山人

「山林へ」
いつものように作業の準備をし山に入る
ふしだらに刈られた草が山道に寝そべり
そこをあわてて蟷螂がのそのそと逃げてゆく
鎌があるからすばしこくない蟷螂は
俺たちと同じだ
三K仕事に文句も言わず
ガタピシときしむ骨におもいの鉄線を補強して
なけなしの体をつれて山林へ入る
蟷螂のような巨大な刃の付いたカッターを背負い
俺たちは木を刈る草を刈る
山の肌は俺たちにはだけられ
少しだけ身じろいだが
久々の日光に少し心地よげだ
親方の合図で一服だ
煮えた腹に水をくれてやれ
体中の口が水を浴びている
どれおまいらにも
青く澄んだ混合油を口に流し込んでやる
打ちのめされた糞のような現実を叩き切る刃も研いでやろう
たまには涼風も体を脇を通ってゆく



「夏」
開かずの扉があるという。日照が熱い、暗いもがきと汗が内臓から湧き出し、無造作に衣服を濡らす。すでに自らが獣となって草を刈り分け、怒涛の進撃を続けている。名もない歌がふと流れる、何の歌だ?知る由もない、歌などどこからやってきたのだ。風は佇んでいて何も動いていない。見ず知らずの感情が脳内に浮遊し、まるで荒唐無稽の羽をつけながら舞っている。
古代から開けることのなかったかのような陰鬱としたその暗闇を少しづつ抉じ開ける。ふと照らされた光に暴露された青の暗闇は、現実にさらされ始めた。突然、暗闇はすでに暗闇などではなくなり、現実のものとして現れはじめた。いささかも微動だにせず渾身の夏の陽光に照らされている。「すべて、その暗闇に差し出せば良いのだよ」、と声がする。手のひらの臓物を掲げて静かに目を閉じて、自らをささげて、暗黒の中に魑魅魍魎としたその内奥へ、入り込んでしまおう。魔界からの伝達が来ないうちに。それにしても今年は暑いな。



「山林に残された風」
山林は、祭りの後のように、しなだれた風景をさらしている。
命をおどらせた、たくましい汗と鼓動が、かすかな風を生み、どこか静かにたたずんでいるようだ。
おもいの仔虫を黙らせて、思考を凝固させ、俺たちの汗と暑さが、体を引きずり、どこか知らないところまで連れて行ってくれた。
 俺たちのつけた風の名、それはまだそこにいた。
一匹の幼虫が静かに尺をとる。
すべての思考は、まだ閉ざされて、残された山林に、風とともに漂っていた。



「山林の昼休憩」
圧縮された飯粒の上に焼き魚がのり
それを掘削するように口中に放り込む
鯖の脂がいっとき舌をやわらかくするが
噛み締めるのは苦味だけだった
頭蓋の内壁には からからと空き缶がころがり
虫に食われた枯葉が ひらひらと舞っている
硬い金属臭のする胃壁に落ちてゆく飯粒
咀嚼しなければならない咀嚼しなければならないと
私の中の誰かが呟くのだ

いくつかの物語を静かに語るように鳴く蟋蟀の音
もの思いにふける枯れ草
かつて田であったであろう荒廃地
下草や小藪を生い茂らせ
大きく手を広げる鬼胡桃の樹

生きるとはこのようなものなのだよ
カラスはゆさゆさと羽音を揺らし
杉の天辺から天辺へとわたり行く

山は流血している
汚らしい内臓を曝け出し
そして。
いつ戦いは終わるのだろうか
私は大きな田へと続く農道を
意味もなく歩いていた



「枝打ち」
高台にある林道の脇に車を止める
さびれた初冬の枯れススキが山腹を覆い
はじき出された男たちのけだるい溜息がアスファルトに這う
自虐で身を衣にして新しい現場に向かう
男たちの嬌声に雑木は何も言わない

刈り倒された雑木の群れを泳ぐ
夢を肴に酒を飲んだ日もあった
はじき出された抑うつを抱え込んではまた
そうして男たちの今がある

油びかりするチェーンソーに給油する
打ちひしがれた心の貝の蓋を抉じ開けてエンジン音が鳴る
ひとつふたつ、男たちはジョークを散らし山林へと散ってゆく


夏休み

  山人


結露した鉄管を登ると
冷気の上がる自家発電の貯水層があり
ミンミンゼミは狂いながら鳴いていた
夏はけたたましく光りをふりそそぎ
僕たちはしばしの夏に溶けていた
洗濯石鹸のにおいの残るバスタオルの上に寝転がり
紫色になった唇で甲羅を干した
毒々しい竹煮草を蹴飛ばすと赤茶けた汁をほとばしらせ
嫌な臭いは赤土に吸い込まれていった

母は黙って軒先で草とりをしている
僕はそれを確かめると執拗に眠気がきて
かび臭いコンクリートブロックの冷やかさに安心して眠るのだった

暑さをほどくように
ヒグラシは小走りに夕刻を知らせ
ふと外を見ると
いつの間にかみんなが遊んでいる

何かから逃れるように僕らは
あちこちにある風を捕まえては遊んだ
いつも暮れる一日のようなあきらめを
瞳の奥にたくわえながら
もう、ひらかれることがなくなった開拓村の
僕らだけの夏休みを過ごした


雨の朝

  山人

久しぶりに雨が
そう日記に書きはじめてからふと外を眺める
激しく季節はずれの陽光に照らされ
疲弊した草たちは
むせぶように雨に濡れている
雨粒の音が、幾重にも重なった何処かに針のように入り込む
その奥で、カエルのつぶやきが聞こえている

季節は時をすべり
一つまみの夢を冬鳥がさらい
いくつかの諦めの氷片が砕けて冬となる
かすかに踏み跡をたどれば
そこにまた春があった
ずっと止まることなどなかった、あらゆる事柄は
終わることのない物語のように
幾冊ものノートに記帳されている

外の作業所の向こうは霧に包まれている
大気の中の微細な水粒が
すべての物物に湿気を与えている
あらかじめ知っていたかのように
大杉はそれを受け止めている

葉の裏で雨をやり過ごす蜘蛛が居るのだろう
少しばかりの湿気をとりこみ
頷くように外を眺める
生き物たちは、ただ黙って
雨とともにたたずんで居る

物語はまだおわらない
人は物語をつくるため生まれ
ずっと物語をつくり続ける

雨の日曜日はどことなく
生きる香りが漂い
乾いた何かを湿らせてくれる


小さな 五つの詩篇

  山人




罪深い朝よ
おまえはそんなにはりきってどこへ行くというのか
時空を超えて宇宙の滝まで行くというのか
俺を待ってはくれないだろうが
朝よ、おまえは嫌いじゃない

おまえが夜に吐き散らかした叫びが
結露してまばゆく光っている
おまえにも夜があり
泣き崩れた時があったのだろう
でも、朝よ
おまえは暗さを剥ぎとって透明な色を手に入れたのだな
朝よ、おまえが光ると人が喜ぶ
おまえが産んだ卵が孵る時だ
朝だ朝だよ
太陽をつかまえてこいよ






種よ
虫に食われた かんらからに乾いた親などの
真似をするんじゃないぞ
お前は一個の種として生きてゆけ
カラスに食われたのなら
黙って硬くなって糞から根を張れ
太陽の光が遠かったら、黙って眠っていろ
お前は種だ
やがてお前の時代が来る
でも種よ
万が一
腐れ掛かったら
俺の枯れた葉っぱの影で
ひとしきり皮膚を乾かせ
それまで俺は
からからに乾ききった体で
突っ立っているよ





座椅子に座り
スコッチのロックを飲る
僕は巨人になって
そこらへんの杉の木を二本折り
小枝を歯磨きして削ぎ落とし
流星をひとつつかまえて
グラスに入れる
星のカタチした流星
グラスの中で
かちりかちりと泳いでいる
満月のクレーターに顔を近づけると
酒臭いぞと雲に隠れた
宇宙の外側に顔を出すと
またそこは宇宙だった
果てしないんだなぁ
宇宙って
僕はそう言って
息を吐き出すと
きらきらと
流星雲となって
空へ伸びていった






午後の重みに しなだれた校舎から
飛び出したキャンディのようにチャイムが鳴る
太陽は後ろ向きになり
角ばった校舎は
ためいきとともに丸くなる

砂山が崩れると
ハンドスコップがことりと倒れ
ひかりは赤く染まり
川となって
町を流れてゆく





老人がベンチシートに並んでいるのだ
昔はたぶん女だった
男だった
今は老人だ
人生なんて そんなもの
皺皺に閉じ込めて
ホッチキスでとめている
そんなもんがあったんかい
それでも老人
剣を持ち
戦車を引き
戦いを挑んでいる
この世で一番相手にされないのに
それを苦にするでもなく
悟りきった戦士のように
今日も
乾いた脳で思考し
味の無い舌でまくし立てる
皺皺の老人
殺されても生きろ
燃やされる前に何か叫べ!
目の前の医者に噛みつけ!


青の眠り

  山人



目を閉じると浮かんでくる
夏の日 ゆるんだ瞳と影が音もなくさまよっていた
あの日私の時間が揺れた

蝉しぐれのカーテンを開ければ
幼子の手を引いた私が歩いている
名もない道を
あてのない夕暮れを

ふと頬に触れるものがある
とどまった重い温度はいなくなり
あきらめと安堵の間にうまれた
淡い風のようなもの

まだ行くべき道の雑踏は消えることがない
幾度も幾度も顔を凍らせ
胸を支配する恐怖の坩堝は消えることがないだろう

頑なに身を固まらせ
直線的なまなざしを向けるでもなく
ただ 淡々と
思考し 動かしてゆく

瞬きをする
その湿っ気を含んだ重い瞼で
脳裏に中に潜む
ブルー
その濃淡の闇と安らぎが
わたしを少し眠らせる


夜の山道(二バージョン)

  山人

一、
草は静かに闇の中、葉に露をまとい、一日の暑さを回想している。
ヘッドランプのあかりに照らされた、それぞれの葉のくつろぎが、私の心にも水気を与えてくれる。
闇は静かに呼吸していた。
その息が葉を動かし、それぞれの露がほころんでいる。
 
日中、病的に鳴き叫んでいた狂い蝉の声もなく、皆それぞれの複眼を綴じ、外皮は動かない。
ときおり、谷に近い場所でキョキョキョとヨタカの声がする。
闇を食い、大口を開けて虫をさらいこむ。

うっすらと下界には数々の明かりが見える。
厳かな団欒を過ごし、それぞれの家族がそこで暮らし、命の脈音が、不確かにぼんやりと発光している。

一途なおもいだけが、私をこうして山に繰り出させ、闇の中の登山道を歩いている。
頭をよぎる冷笑を、振りほどこうとするでもなく、私は私の意に任せ、山道をただ歩いている。

何も問題はない。
こうして私は山に入り、そしてこの夜の山を歩いている。
起伏のある静かな稜線はうっすらとその影を晒している。
そしてその上には星が散りばめられ、欠けはじめた月が頂きを照らし始めた。



二、
日が暮れ、夜になると言うのは、実は一瞬である
と言うことに気がついたのは最近だ。
空間は凝縮され、ついには何もなくなる。
色彩はすべて黒く塗りつぶされる。

凡庸な野鳥どもは何処かに失せ、
頑なで、入念な鳴き声が闇に放たれる。
なぜ誰も闇鳥という名で呼ばないのだろう。
ヨタカは孤独に浸り、闇を祝うように訥々と鳴き続けている。

山道の草の葉のそれぞれが、
その日一日を回想するように、
夜露を揺らしている。
その葉脈の体液は今、
静かに夜の音を聴きながら寛いでいるのだろう。

深山の一角の稜線を、山道を、深夜、
私は一人で歩いている。
遠くに見える夜景が美しい。
醜さと、欲望の塊がゆらゆらと発光し、
偽善者のような美しさを具えている。
その遠い明かりから私に注ぐ視線は皆無だ。

ときおり、風がとおる。
見えない風の道があるとする。
そして風は意図して吹いているのだと気づく。
その風が皮膚をこすると、
細菌が剥がれ落ち、再び私に生気が戻る。

この世に私のような者は、私だけだと知る。


雨 二篇

  山人



私たちは降りしきる雨の中、草むらに腰を下ろし、川の流れを見ていた。
彼はしゃべり、私もそれに応えるようにしゃべっていた。
ただそれは、衣服の内を流れる雨水や汗の流れる感触を誤魔化すためだけに会話していたのかもしれない。
それほど雨はひどい降りであった。
二匹か三匹のアブが私の周りを飛び回っている。まとわりつくアブである。それにしてもこの雨の中やたら飛び回り、秋へと向かう季節の急流の中でわずかな望みを託し、吸血しに来たのであろう。
 雨はとにかく酷い降りで落ちてきていた。
与えられたものに対して、その反動、あるいは、返し、と言うものがあるもので、先月から続いた日照りの反動は当然のごとく行われるのであろうか。
 かくて日照は、あらゆる水気を乾かして、空へとたくし上げ、多くの結露を蓄えてきたのであろう。
 私たちの雨具は、形状は「それ」であるが、すでに水気をさえぎる機能は失われ、むしろ水を吸収することに没頭している。つまり私たちは雨に飽和され、特にあらためて生体であると主張するまでもなく、二体の置物が雨に濡れそぼっているに過ぎなかった。さらに、アブについても言えるのだが、アブがまとわりついているのではなく、アブをまとわりつかせている、侍らせているとでも言おうか、私たちはとにかくそんな風体だった。
 受け入れ難い、現実の断片、それにもたれるように重力に逆らうこともなく、受け入れる。
アブの動きは止められない。アブを理解することで物事は動き始める。




うねるように雨は立体的に風とともにうち荒れている
緑と緑の間を荒んだ風が雨をともない蹂躙している
私は疲労した戦士のように澱んだ眼をして山道をあるいている
ただの一人もいないこの孤独な空間を打ちひしがれることもない
風が舐めるように広葉を揺らしていく
がしがしと太ることのみに命の灯を燃やし続ける草たち
廃れた林道には命をへばりつかせた脈動がある
人の臭さは無く、におい立つ草いきれだけが漂う
雨はすでに私の魂の中にまで入り込みあらゆる肉体が雨そのものになっている
私はひとりの雨となって山道を歩き
狭い沢に分け入りこむ
すでに私は雨と同類となり道を歩んでいる
水同士がむすびつき小動物のように山道に流れ
私の行く方向に皆流れ始めている
他愛もない休日
私はふと
雨の向こうを探していた。


S市

  山人

むかし住んでいた中都市を車でめぐる
広大な敷地にいくつもの工業団地が立ち並び
その周辺には刈り取られた田圃が季節を煽るように敷き詰められている
なつかしい鉄工所や、古いビルもまだあった

学校を出て初めて勤める地へ、狐色のコートを羽織り、ローカル線に乗った
初めてもらった給料の少なさに驚いた
それでラジカセを買ったり、鳥の巣のようなパーマをかけた
白衣の白さに気恥ずかしさを感じながら、菓子づくりもやらせてもらえた

文通をしていた
手紙を大家さんから受け取ると長大な文章を書いては投函していた
文字数の多さが募る思いの大きさだと思い込んでいた頃だった

あの街は、大人の出発点であり、もうひとつの故郷だった気がする
まったく奇妙な人の集まりで、個性に満ち溢れ
その人たちが皆、一つの構内でパンや菓子を作っていた
それぞれの細かい動きや、話しぶり、今でも鮮明に覚えている


なつかしい街の様子はかなり変わっていて、よく立ち寄った喫茶店やデパートは無かった
よく飯を食いに行った食堂は存在していた
しかし、もう営業はしていなく人の気配すらもない
タバコ屋の大家さんはもうこの世にはいないだろう
かつて工場があった場所を探すがほとんど解らない
時代はまるでどこかに急ぐように走り続けているのだと思った

  *

乾き物の肴で
覚えたてのタバコを吸っていた
みっチャンという酒場で
飲んでいたんだ

ショーケースの中には
ショートケーキやシュークリームが並んでいたし
売店の女の子は可愛かった
ミニを履かされていたからきゅんとした
女子寮で膝を立てて下着を見せる子が居た

街を歩いていると
金木犀のにおいがした
秋、鈴木と言う男とよく歩いた
スパゲティ屋でワラエル夢を語っていた

住んでいた周りに側溝があり
夏は強烈に痒い薮蚊が出た
熱帯夜
冷たい風呂に浸かっても眠れなかった

仕事中にアイドルの歌をうたっていた水野は
地方紙の訃報欄に載っていた

佐々木さん
小娘を弄び堕胎させた
フィアンセの眼球は取り除かれていた。



なんだか今
ひどく僕は疲れていて
紙芝居のような
思い出を辿っていると
なんだか
瞼がふくらんで
頭の中が痒くて仕方ない
丸い椅子に座り
パチパチと炎の前で
それらを眺めている
絵は一枚一枚炎にくべられ
きな臭いにおいとともに
火の粉が舞い上がった


  山人

私は森の中にいた
山ふくろうの鳴き声と、おぼろ月夜がおびただしい夜をつくっていた
さしあたり気候は悪くない季節とみえ、そして夜もふけつつある
記憶を辿るが、なぜだか脳が反応を示さない
記憶の構造が気体のようにふわふわと漂っている
この場を離れ、私の拠りどころへと帰る必要がある
さいわいその昔、私は山野を歩く趣味を持ち、さまざまな知識があった
窪地の風が通らないやわらかい腐葉土の上で、横になり少し目を瞑る
流れる霧のその先から明かりが徐々に差し込み、朝が来る
季節は初夏である
そばに渓流があるのか、ミソサザイの突き刺すような声が聞こえる
標高はさほど高くないだろう
まだありふれた雑木があり、一度は人の手が入ったところだ
藪を行くとチシマザサの群落があり、根から斜めに突き出た筍が生えている
小沢を通り、少し登るとコルリの陽気なさえずりが聞こえてくる
多くの野鳥は、森で棲み分けを行い、ひらけた光り溢れる地に居るのがコルリだ
コルリに導かれ、改良されたブナ林に出る
ふと見るとチゴユリの群落があたりを覆い尽くしている
きっと道筋は近い
やがて近くに鉈目を見ることになる
しかし、それは忽然と消えた
たしかに人の存在があり、人の呼吸があったはず
やがて、あたりは再び霧が覆われ
縦横無尽に立ちふさがる蔓群落と灌木が一層激しく立ちふさがり
森は深く難解さを増していった


ゆく

  山人

 小さなザックを背中に背負い、懐かしい山村のバス停で下車した。少年時代を過ごした村である。
すでに稲刈りも終わり、刈り取られた稲の株から新しい新芽が立ち上がり、晩秋の風に晒され微かになびいている。
落穂でも残っているのか、カラスが何羽も行ったり来たりしている。
未だ舗装されていない小道を歩いていくと、深い山容が正面にあった。魔谷山と言われる伝説の山である。名前に魅せられて標高こそ千メートルを少し超える程度だが、多くのハイカーが訪れる山である。
取り憑かれたように突然目を見開き、村人達が山に分け入り、そのまま消息を絶ったと伝えられる魔の山。そんな伝説が登山口の小さなプラスチックの看板に書かれていた。
一歩踏み出すと、別の世界へ踏み込んだような取り返しのつかない感覚に襲われた。私はここを最後の場所として登るのである。
今まで多くの山登りをしてきた私は、幾度も死への恐れを感じたことがあった。その都度生を味わい、安堵したものだった。
幾度となく小さな罪を繰り返し、そしてかけがえのないものを無くしてしまった。私が私自身の存在を受け止めることは許されるべきことではない。泥臭く生きることも可能であり、それが逆に美しいとする考えもあるだろう、しかし、十分すぎるほど泥臭く私は生きた。死んでいく時だけは美しく死んでいきたい。
死を暗示させるような文面も何も残していない。そういうものを残すことは死への恐怖を訴えがたいためのものなのではないか。確かに死は怖い、幾度も危険な目に合い、死の恐怖を感じあの世の使者の舌なめずりを見たこともあった。死は怖いが、私がどのように死に往くのか、そして私の魂はどこに行くのか、それを確かめたい気持ちがあった。それが完結である、そう思いたかった。生を享けた時の記憶がない、だから、生が終わる時は明らかにそれを自覚したい、そう思った。
 
晩秋の気配が漂う山道は、多くの彩られた葉が散乱していた。すでに午後の日差しが差しこみ、夫婦連れの登山者に会った。夫婦と言えども仲が良いとは限らない、だが、夫婦で登るからにはそこに愛があるのは当然だろう、そういう普通の考えを嫌った私だった。
「これからですか」とにこやかに妻君らしい女性が声をかけた。
「ええ・・」、確かにこれから山に登るのだ。だが、違うのは下山しないと言うことだけだが。 
カップル、単独行者、グループ、数組の登山者に会った。山頂に着くと三角点があり、そこにザックを立てかけた。すでに登山者は全て下山しており、登山者によって侵食された山頂には、いくつもの転がった石と生き物の空気が漂っていた。
三角点に腰掛け、五年間止めていたタバコに火を点けた。吸っていた頃の銘柄はすでに発売されていなく、軽めの人気銘柄を買ってきた。気管支や肺の細胞は、五年もの間この時を待っていたかのように煙と毒を堪能していた。毒が満たされ、そのけむっていた想いを晩秋の夕闇に吐き出した。
午後三時を過ぎると明らかに晩秋は駆け足のように夜を急ぐ。山頂を後にした頃にはすでに足元が少し暗くなっていた。
山頂直下の急登を下ると、緩やかな窪地となり、薮を分け入りやすらげる場所を決めた。
最後の晩餐だった。
ヘッドランプを取り出して、湯を沸かした。死ぬつもりが生きるための行為をしているようで滑稽だと思い嗤った。
レトルトカレーとインスタントラーメン、おかずは赤貝の缶詰だ。山でひとりでこんなに贅沢したのは初めてで、自分の存在の終焉に乾杯、と高級な缶ビールを木に優しくぶつけた。
これで眠くなればちょうど良い。
ほどよく眠くなり、しばらく寝たようだ。風の音で目が覚めた。強烈な寒さで星は凍っている、とたんに我慢できない尿意を感じた。死ぬ時もこんなに寒い目にあわなければならないのだろうか、この震えのあとには気持ちの良い眠気が襲ってくるはずだ、そうすれば凍死できる。それにしても我慢できないほどの寒気が体中を刺していた。少し小高いところに立ち、放尿した。尿が風に煽られ飛沫となって左右に揺れ、私の足元もゆらりと揺れた。尿意はまだ納まっていないのに体はバランスを崩し、宙を舞った。暗い闇の中、私は滑落しながらまだ放尿を続けていた。数十?メートル落ちながら尖った岩にバウンドし、私の眼球は頭部から離れ、暗い煌く星空を眺めていた。次のバウンドで頭蓋から飛散した脳漿が体から分離し、新しい闇の空間へ飛び出していった。脳漿の想い、険悪なスラブの岩を滑り落ちながら「あなたは、いつも○○なのよ、お父さんなんて・・・だもの、どうするんだいったい、わかってるよ、そんなこと&%#”!*+<?***」
 ザスッ、鈍い音がやっと平らになった岩棚に落ちた。もはや原型をとどめていない私だった。これで私は間違いなく死んだであろう。心残りは尿意がまだ残っていたことだった。
それと、ずいぶんきたない死に様だ。

                   


出稼ぎ人夫

  山人

飯場に着くと、俺たちは襤褸雑巾のようにへたり込んだ。ねばい汗が皮膚に不快に絡みつき、作業着は雑菌と機械油の混合された臭いを放っていた。風呂は順番待ちだし、俺たち人夫は泥のような湯船に浸かるしかない。なんとか汗を流せば飯の時間だ。寝泊りする作業小屋から少し歩くと飯炊き女が居てそこで飯を食う。塩ビで出来たどんぶりにまったく光沢のない飯粒を盛る。葱だけの味噌汁、たくわんと鯖の缶詰をおかずに食うのだ。それぞれが安い焼酎ビンをかかげて、生目で飲りながら飯をかっ込む。あとは、酔いつぶれて寝るだけだ。雑魚寝の飯場は花札をやる者、ひたすら不貞寝を決め込む者の二通りしかいない。夜中に酒が醒めるとうるさい薮蚊が徘徊し眠れない。
 隧道のなかで俺たちはひたすら一輪車を押したり、剣スコップで土をほじくったりする。十時と三時に短い一服があって、ずっきりを出して刻みタバコを吸うのだ。刻みタバコを一塊吹かして、火の塊を手の平にぽんと投げつけまた葉をねじ込む。皆が鬼畜の作業から開放される一時だった。それを二回やるともう作業のサイレンが鳴る。サイレンの後には澱んだ重い吐息と溜息が地の底を這う。
昼飯にはメンツ弁当にびっしり隙間なく飯粒がねじ込まれていて、隅っこにしょっぱいだけの昆布の佃煮と、真ん中には真っ赤な血のような梅干が置かれていた。
 俺たちは出稼ぎ人夫。かかぁの股を風に吹かせても、銭を稼ぎにやってきた道具だ。かかぁの股を掘ることもできず土をほじくっている。夜中には、板張りのからっ風の吹き通る糞山の便所で棒を擦る。腐った泪が糞に纏わりつき、そのまま死んでゆく。このまま俺たちは、かかぁの穴の寂しさを埋めることも出来ず、腹の突き出たじじぃの札束を増やすために死んでいくんだろう。


共通する無題詩

  山人


ひらひらした幸福が
街の中を舞っている
今日で地球が終わるので
みんなあわてて楽しもうとしている
それにしてもにこやかじゃないか
もしかしたら終わらないのかも、ね。
そのように僕は彼らを妬んでいると
空からめまぐるしく雪が降ってきた
白く底知れない雪が
降り積もる
まるで僕の穴ぼこを埋めていくように。
埋めてしまえば証拠は残らないよ
僕の妬みや消沈を埋めていっている
悶々・・しながら雪は
慌ただしく思いっきり
わりと気合入れて降っているから
僕はすこしあきれて
いやぁ、降るなぁ、などとしゃべってみる
すると雪はただ黙って
力(りき)入れてどんどん降り積もっていく
クリスマスももう終わって
明日からまた
あたらしいセカイがはじまるらしい。




今まで幾度となく訪れたラーメン店は、少し早い時間帯にもかかわらず「営業中」の看板を掲げていた。
細長い体躯の店主と中年の女が、静かに決まりきった作業を行い、開店準備をしていた。
いくぶん早い客の来訪にあわてるでもなく、自分の所用を足しつつ、頼んだ味噌ラーメンの準備をしている。
店主の中華鍋に無造作にモヤシが放たれ、絶妙な鍋さばきでモヤシは宙を舞う。
いたって淡々とまるで普通に息を吸うかのごとく、店主は当たり前に作業を進める。
女と店主は無言で互いの作業を見計らい、絶妙のタイミングで一杯の味噌ラーメンが仕上がった。
わずかにひき肉がスープの隙間に漂い、どんぶりの中央にはもっさりとモヤシが頂きを形成している。
「麺がおいしくなりました」、と宣伝ポスターが貼ってある。
割箸で麺を掬うと、その光沢に富んだ麺は緩やかにしなだれ、口中に解き放たれるのを心待ちしているかのようだ。
広い店内には、まだ忙しくならないうちにと、店主は別な用事を足している。
女は手持無沙汰のようで、することもない作業に手を動かしていた。

ぞぞっ。
美味い麺というよりも、主張をしない、つつましくもねっとりと絡みつく情感のある舌触り。
スープは、ほどよく麺体に絡みつき、それを静かに抱きしめるように歯は咀嚼していく。
麺は、果てては胃腑に眠るように落ちてゆく。
気がつくと、どんぶりの中の麺はいなくなり、脱ぎすてられた衣服のようにモヤシと挽肉が漂っている。
蓮華で一口ずつ口に運ぶ。
やがてピンが外れたかのように、大口を開けてどんぶりに唇を寄せ、無造作な所作でつくられた愛を胃腑に注ぎ込んだ。

その日、食欲は無かった。
美味いラーメン屋は多々あり、タレントのような笑顔で接する、かなしい接客から作り出された食い物の顔を見たくなかった。
何杯ものラーメンをつくるために淡々と作業を行う店主は、すでにモヤシ状に細まり、まるでそれらは店主の血管ですらあった。

店を出ると相変わらず忙しそうに年末の道路は混んでいた。
何かに怯え、目的のない方向へ向かって車は走っているかのようだった。
気がつくと、私の額には汗がにじんでいた。




三日続いた雪の切れ間にほっとし、作業の終了に安堵していた
片づけを終え、雪の壁に放尿する
溜め込まれた液体は、夜に開放されている
空を見上げると、折れそうな細い月が霞んだもやの中で上を向いている
冬の夜の冷気は鋼鉄のようで、星々は光を脈打ちながら瞬いている
夜は寒さに張り付き、あらゆる物を縛りつけ、凍らせていた

どろんとした光を放つ外灯の下では、数え切れない煌きがあった
雪の結晶がオブラート状に薄平らになり、そこに外灯の光が放射し
まばゆい輝きを放っている
それは雪の表皮がきらきらと乱舞しているかのようだった

尖った月は少し揺らいだかのように見えた
言葉にならない命を吐露し、夜をしまいこむ
階段を昇りながら、もう一度ふりかえり、今年最後の雪の結晶を見ていた


  山人

地球という惑星にあふれる水
その水は塩辛く、潮くさい風に揺れている
島が見えるのはまれだが、今日はぼんやりと見えている
島は左右対称ではなく、複雑な凹凸をそなえ、夜には短い光を発していた
黄昏るとき、ふくよかな夕凪があたりを包み
その穏やかな空気を楽しむように海鳥たちは不規則に飛び交う
誰にでも見えるわけではないこの島も、また夜をむかえた
闇が打って一丸となって波と融合してゆく
微動だにしないこの天体の隅々をめぐる体液だけが
執拗に活動を繰り返しているのだ
ちか、ちか、
波による微動なのか、光は点滅するように島に近づき
数々のひかりは島で打ち消えた



島には幾人かの人々がいて、私も居た
声を奪われ、思考さえも奪われている
そういう人々が働かされていた
島には田園があった
主食の穀物が平らな地にならされて、いっせいに刈取りの季節をむかえていた
眼鏡をかけた青年と錨肩の初老の男の息が田園を大きく支配した
ゆらゆらとした気持ち悪い風の中を、滲み出る濃い汗と脂を舐めとると
あきらかに囚人のような私がいた


島は晩秋をむかえていた
田園作業が終わると私たちは森へと作業の場を移された
島の森は豊かだった
木の梢を渡るリスの動きや、男根のような菌類が枯れた大木に所狭しと現れ
なかまたちは喜んで休憩時間を過ごした
すっかり葉が落ちた森は、私たちの声が木々を素通りし、良くとおった
あらためて見る樹冠の上の青空と
洋々と動く雲は今までの苦しみを押しのける気がした
なかまたちは嬉々として冬になる現実を受け止めている
冬になると解放されるのだ
柴木を切り捨て、さらに大木を切り倒すころ、やがて確実に島は白く覆われる

彼らが離島する前に、木の実でこしらえた果実酒を飲んだ
作業の合間、少しづつ溜めた木の実を発酵させ木の洞に仕舞い込んでいたのだ
私たちは、たがいにその時々の労働の辛さを語り合った
饒舌に笑い飛ばすことで苦しみは翅をもち、異国へと飛び立っていく


島には初雪が降り、やがて根雪となった
いま島には、島主とその補佐と私だけが残されている
島はあきらかに冬になっていた
波は狂い、いたるところに寒さが占領している
剥がれかけた私の頬の皮膚を容赦もなく横殴りの吹雪が打ちつける
飛沫は水際におびただしい泡を生み
何かを目論むように揺れている
海鳥は強い風を尾羽で制御している
少しだけ風は凪いだ気がした。


ときには花となって

  山人



私は梅雨空の
とある山の稜線に花となって咲いてみる
霧が、風にのって、私の鼻先について
それがおびただしく集まって、やがて
ポトリ、と土の上に落ちるのを見ていた
私はみずからの、芳香に目を綴じて
あたりに神経を研ぎ澄まし、聞いている
たなびく風が霧を押しよけていくと
うっすらと太陽が光りを注いでくる
豊満な体を、ビロードの毛でくるみ
風の隙間から羽音をひるがえし
花蜂たちがやってくる
 ひとひら舞い、するとその羽ばたきを忘れ、落下し
やがてまた思い出したように空気をつかむ
そのように、落下したりあがったり
きまぐれな空気の逢瀬を楽しむように飛ぶ
それは蝶々
 私は、そのように
花になったり、花蜂になったり、蝶々になったりしたが
またこうして
稜線の石になって黙ってそれらを眺めている

文学極道

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