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ヌンチャク (葛原徹哉)

選出作品 (投稿日時順 / 全22作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


オフロスキー

  ヌンチャク

リビングの真ん中に浴槽があって
フランス映画で見るようなヤツ
そうそう脚がついてるタイプの
だから家の中ではずっと裸でいるわけだけど
宅配ピザを頼んだ時にちょっと困る
別に悪いことをしているつもりはないのに
裸でマルゲリータを受け取ると
店員が僕の股間から目を反らし気まずそうな顔をするから
そうしてまたひとりになって浴槽の中で座り込み
マルゲリータを頬張りながらテレビを眺める
もし僕が色白の美少年だったとしたら
裸でも絵になるはずだと思うんだ
ジンジャーエールを飲みながら僕は思う
リビングの真ん中に浴槽があることが問題じゃない
浴槽をお湯以外のもので満たせない
僕の空虚さが問題なのだ
外はちとちと雨が降っている
空っぽの浴槽で
僕はひとりで口笛を吹く
(誰かに聴こえているのかな?)


ローカル線

  ヌンチャク

えんじの色の座席の上に
落ちる日溜まり昼下がり

さっくんは僕の隣でこっくりしている
トミカを落としそうになっている

今日もお目当ての靴はなかった
もうすぐ春になるというのに

さっくんの柔らかい髪の毛が
陽に透けて茶色く光る

ローカル線は日がな一日
ガタコンガタコン行ったり来たり


日曜日の談話室

  ヌンチャク

日曜日の談話室は
見舞いに来た家族と
車椅子に乗せられた患者で賑わっていた

その前を通り過ぎ
真っ白い病室に入るなり妻は
寝ているお義母さんの耳元に話しかけた
ぼんやりした目でお義母さんは
差し歯の抜け落ちた上顎が気になるのだろうか
しきりにもごもごと口を動かしていた

しばらくして下の子が暇になり外へ出たいと言うので
私は手をひいて屋上へ連れていき
一緒に道路や家や車を眺めた
取って付けたような真新しい住宅地のすぐ裏に昔からの墓地があって
私が死者ならこんな造成気にいらないな
うるさくて眠れやしないなどと思ったりした

談話室へ戻り窓際に腰をおろす
傍らで息子はすぐに眠ってしまった
病室にも談話室にも
春と間違うような
暖かな陽射しが差し込んでいた
カーテンを閉めていても
うなじが熱く焼かれるのだった

私と同世代くらいの夫婦が
母親らしき人を車椅子に乗せてやってきた
写真やら映像やらを見せて
とめどなく話しかける
これ誰かわかるか
来年は一緒に行こな
今日はあたたかいな
外の景色見よか
ちょっと動かすで
見えるか
痛い?
痛ないな
大丈夫やな

脳外科病棟では
返事をできる人のほうが少ない
私はぼんやりと一方的な親子の会話を聞きながら
詩を書くことの無意味さを思った
壁に貼られた「禁煙」という赤い文字を見ていた

息子を長椅子に寝かせたまま病室へ戻る
どうやらお義母さんも眠ってしまったようだった
ほんま今日はいい天気やもんな
起こしたら悪いからそろそろ行こか
うん

寝ている息子を抱き上げると
欠伸をしながら目を覚ました
パパ抱っこしたろか?
ヒトリデアルクネン
じゃあ靴はき

病院を出るといつもほっとする
それが不謹慎なのかどうか私にはわからない
先の見えない道の途中で
まだ道が確かに伸びているという安堵感
もしかしたらこの調子でという淡い期待
そういうものに寄りすがりながら私たちは
少しずつ少しずつ造成していく
切り崩し平らにならし踏み固めていく
生ぬるい私たちの日々を

そのすぐ隣にある
死をいつか迎え入れる朝のために

今はただ
早く本当の春になって
もう一度皆でお花見がしたい
そんなことを思った


雪駄解禁

  ヌンチャク

なまあったかい春の夕暮れ
ジャージに雪駄をつっかけて

みいとさっくん引き連れて
お散歩がてらコンビニでお買いもの

パパはビール(パパおさけのみすぎ!)(ノミスギ!)
みいはメロンソーダさっくんはジャガビー

チキンを5つ買って(パパ2つやで)(ずるっ!)
ママの待つおうちまで競争(ヨーイドン!)

雪駄ペタペタ(パパはやくー!)(パパハヤクー!)
みいとさっくんはやいはやい

知らないおばあちゃんにコンニチハして
散歩中のワンワンにバイバイして

葉桜みたいに眩しい後ろ姿の
伸びてく影を踏んでみる(次さっくん鬼ー)


ちいさいオジサン

  ヌンチャク

こんにちは
って顔のぞきこんだらおばあちゃんが
ベッドに変な男いてるって言う
変な男?どこに?
薄っぺらい楊貴妃のミイラみたいな肩と背中を
一回五千円やで(※)ってマッサージしながら話きく
ゆうべな
ちっちゃい男が枕元からな
布団の中に入ってきてな
やらしいことばっかしてくんねん

そこそこ
ええわー
気持ちええわー
ほんでな
やらしいことばっかしてきてな
やめてって言うてんのにな
一晩中ずっとやで
はよ出て行きって
私だいぶ怒ったってんけどな
なかなか出て行かへんねん
あんたからも怒ったってや
うんうん
おばあちゃんそれひょっとして
ちいさいオジサン(※)ちゃうの
しゃくゆみこ(※)が見たっていうやつ
いけのめだかちゃうで
妖精やで妖精
妖精がちょっとイタズラしに来ただけや
妖精反省どないせい言うて
病床妄想どないしょう言うて
すごいやんおばあちゃん
ついに見えへんもんが見えるようになったんや
なあなあどんな顔やった?
ジャージ着てんのん?
今度ちいさいオジサン出たら教えてや
僕も見たいから
おばあちゃんは
鼻からチューブを入れられて
もうレモンをがりりと噛むことも出来へんし(※)
みぞれを欲しがることもない(※)
私もうあかんねん
長ないねん(※)
何がや
点滴にビール入れたろか
おばあちゃん好きやったやろ金麦
看護師さんには内緒やで
前歯の抜け落ちた口をカパッと開けて
ニカッと笑ったおばあちゃん
昔は西萩小町(※)て呼ばれてたて
自分でよう言うてはったけど
今じゃだんれい(※)って言うより
ほんこん(※)に似てる




※ 「あんた高いわー」
  「もうだいぶツケたまってんでもうすぐ家建つわ」

※ 尼崎のゆるキャラはちっちゃいおっさん

※ 「しゃくやでしゃく、ちゃうちゃうおばあちゃん言うてんのそれかつらじゃくじゃくやから」

※ ちえこのパクリ

※ としこのパクリ

※ 「足やろ知ってる」

※ じゃりン子チエのパクリ

※ まわりゃんせの人

※ サンコンとは別人




「あの人なんで亡くならはったん?」
「誰?」
「亡くなったんやろあの人」
「誰のこと?」
「ヌンチャクさんや」
「おるやんここに」
「ヌンチャクさん!」
「‥‥僕まだ生きてますけど」


詩忘遊戯

  ヌンチャク

己で己に敗けるのは、
男子として最も恥ずべき事である。
一度敗け、二度敗け、
やっぱり三度目も敗けたのである。
自分を信じる事も許す事も出来なくなったら、
もはや廃業するしかあるまい。
男は思った。
男はポエムを書いていた。
嫁と子供にも秘密であった。
ポエムなど、
いい年をした分別のある大人の男の書くものではない。
恥ずかしいものだ。
そうは思っても、書かずにはいられなかった。
沸き立つ血が、捌け口を求めていた。
時折ふと我に返り、
男は、無性に腹立たしくなるのだった。
ポエムなどを書いている自分自身に対してである。
そうして突然、
いてもたってもいられなくなり、
すべてを削除するのである。
これで三度目。
男はもう、自身の意思を信じない。
所詮おれの覚悟など、
この程度のものなのだ。
詩を失い、
ポッカリ胸に穴が開いたよう、
だとは思わなかった。
人間なんてものは皆、
初めから埋められない闇を抱えて、
生まれてきたんじゃなかったのか。
おれの闇には詩が似合う。
ただそれだけの事だ。
けれどもすべてを忘れよう。
昨日は家族で公園に行った。
GWの公園は多くの家族連れで賑わっている。
さあ、メシやメシや。
芝生の一角にミッフィーのレジャーシートを広げ、
男は大きなお握りを頬張る。
娘は早く遊びたくてウズウズしている。
パパ、ナワトビシヨー。
娘に引っ張られるままに、
男はごはん粒のついた指を舐め舐め、
人混みのグラウンドにメシアのごとく悠然と降り立つ。
缶ビールで赤らんだ顔の男は、
二重飛びが二十五回も飛べた自分にうっとりする。
どうだ、と思って振り向くと、
娘はもう遠くまで行っている。
わっちゃー。
男は慌てて追いかける。
危ないから、一人でどっか行ったらあかん!
子供思いの、良いパパなのである。
つまらないポエムさえ書かなければ。
おれがくだらないネットポエマーだからと言って、
娘が苛められたら嫌だな。
有象無象の烏合の衆の一人のくせに、
男は、いつか自分が詩で身を立てた時の、
無用で無意味な心配をしていたのだった。
(男にとって詩で身を立てるとは、
中也賞をもらうことでも文学史に名を刻むことでもない。
ロト6で一攫千金、
仕事を辞めポエムサイトで詩三昧、
無頼派気取りでPCM、
それが男の考える至福のポエムライフだった)
だがしかしそんな杞憂ともこれでおさらば、
父として、いつまでもネットに個人情報をさらけ出しておくわけにはいかん。
調子にのって子供の『携帯写真+詩』まで投稿しちゃった。
あぶないあぶない。
いざ、削除。いざ、退会。
本当に削除してもよろしいですか?
これで、いいのだ。
芸術よりも、子供のしあわせ。
許せ太宰、やはりポエムより桃缶だ。
ザ・小市民。
詩を捨てよ、街へ出よう。
藍沢、ポエムやめるってよ。
さらば、薔薇色のラヴァーソウル。

沈黙の日々は流れ、
雨は降り、風は雲を押し流し、色を変え、
見上げた空をまたひとつ、
虚ろな季節が通り過ぎた。
なんにもない、
なんにもない、
なんにもないからしあわせだ。
男はいつしかそんな歌のようなものを口ずさむのが癖になっていた。
ある夜、
団地の四畳半で電気も付けずに男は一人、
CDラジカセを前にぼんやりしていた。
嫁の自慢の嫁入り道具、電動コブラトップ。
oasisのDon't look back in angerを聴こうと思い、
ボタンを押したがカバーが開かない。
イラッとして力まかせに、
無理矢理こじ開けたらギミック部分がポッキリ折れてはずれてしまった。
カバーを握りしめて佇む男。
台所からは嫁が皿を洗う音が聞こえる。
どうする、おれ。
ポエムどころじゃねえ、
おれにはリアルがどうにもならんのだ。
なんにもない、
なんにもない、
なんにもないからしわよせだ。
ふと足下を見ると、
『燃えよドラゴン』のDVDが落ちている。
男はかつて、
ブルース・リーのポエムを書いた事があった。
反響はまったくと言っていいほどなかったが、
それでも男は満足していた。
世の中には、拳でしか語れない美があるのだ。
(ちなみに男はブルースの熱心なファンではない)
“ I said emotional content , not anger ! ”
ブルースは言った。
“ Don't think ! Feeeel !!!! ”
ブルースは言った。
かつて朔太郎が吠えた前橋の青い月に、
香港島でブルースがそっと人差し指を伸ばす。
それは怒りじゃ、ダメなんだ、と。
そうだ、おれはもうおれにすら敗けたのだ。
今さら恥ずかしがる事は何もない。
感じるままに、書けばいい。
ドス黒く澱み腐っていた血が、
獲物を見つけたウワバミのように静かに、
張り詰めた力を制御しながらゆっくりと流れ始めた。
ドクン。
心臓が、耳元で鳴る。
焼酎ロックをちびりと舐めて、
男は再び、立ち上がる決心をした。
と、その前に腕立て十回。
“ What's your style ? ”
“ My style ?
You can call it the art of fighting without fighting . ”
いそいそとスマホを取りだし、
胸を震わせ、アカウントを再取得する。
自虐とナルシスを鎖で繋ぐ、
我が名は、ヌンチャク。
何度でも削除して、
何度でも晒してやろう。
勢いまかせに振り回し、
自らの股間に当てて悶える姿を。
立ち上がれ、おれ、
ネットだろうとリアルだろうと、
人生なんて、何度でも、
いつからでも、やり直せる。
力強い足取りで、
台所へと続く襖を静かに開ける。
眩しい光がゆっくりとおれを包む。
(背後からのカメラアングル、スローモーション
BGMにDon't look back in anger のピアノイントロが流れ始める)



「‥‥あのー、すみません、ラジカセ壊れました‥‥」


じゃりン子チエのテツ最強詩人説

  ヌンチャク

リスペクトする詩人は誰や言うたら
有無を言わさずテツをすすめる
パッと見はどちらか言うと
『ウチは日本一不幸な少女やねん』が口癖の
チエちゃんのほうがポエマーぽく見えるかしらんけど
なんやかや言うてもチエちゃんは
家族思いのやさしい子やから
一分間の深イイ話は書けても
詩は書けん
良くてポエムや
『明日は明日の太陽がピカピカやねん!』
こんな感じ
僕は喧嘩と博打に明け暮れる
テツの詩が読みたい
こないだ帰りの電車の中で
JAの帽子かぶった酔っ払いのジジイと
ガイジのニイチャンが喧嘩しとった
ブタブタブタブタブタッ!!
ニイチャンはなんやわからん奇声を発して
激怒したJAが怒鳴り付けた
おまえ日本人ちゃうやろ!
日本語喋れ!!
ここは日本やぞ!
日本の法律で裁いたるど!
刑務所ぶち込んだるど!!
どっちの意見が正しくてどっちから喧嘩売ったんか
事情は知らん
せやけどテツならそこで迷わず
やかましいんじゃボケェ言うとったはずや
言えるかおまえそんなん
誰かて面倒なことには巻き込まれたない
家族持ちならなおさらや
子供に恥じない生き方しよう思て
結局それをうまいこと言い訳にして
いろんなことを見て見ぬふりしながらすまし顔で
波風立てず日々を送っとる
その程度のちんまい男が
ほっこりしたポエム書いて誉められて
何が詩じゃ
何が文学じゃケッタクソ悪い
ちんまい男のちんまいポエム
略してちんポじゃこんなものは
『オゴれる者久しからず
行く川の流れはたえずして
ええカッコしてる奴は皆地獄行き』
ちんちんぶらぶらソーセージ
その背中誰に見せんねん
『今夜、きみ、
快速急行に乗って
流星を正面から
顔に刺青できるか、きみは!』
て吉増に言われても
そんなん出来るのタイソンだけや
ネットポエマーにそんな覚悟も度胸もあるわけないやろ
威勢がいいのは文字の上だけ
生活に首根っこひっつかまれて
キャンタマ縮みあがっとるわ
せやけどテツなら
テツなら血走った目で歯ァ剥き出して
真っ先に拳骨でカタつけとる
おバァにシバかれても
ヨシ江に逃げられても
今日もチエちゃんにホルモン焼かせて
カルメラどついてミツルを脅す
言いたいことを言い
やりたいようにやる
シッピンクッピン『ポリコが来たらはいビスコ!』
なにがじぇーえーや
おどれが日本語喋らんかい
『人生は一日一日が完結編なんじゃ』
詩と拳はよう似とる
僕はテツの詩になりたい


くろひげききいっぱつ

  ヌンチャク

みゅう(※)、さくたろう(※)、
いいこに してますか。
パパは いま、
おしごとちゅうです。
あさからの あめが、
ゆき(※)に かわって、
はやし(※)も、
みち(※)も、
まっしろです。
ゆきや こんこ、(※)
きつねも こんこん、
ふっても ふっても、
ふりふり ポテト。
おうちの ほうは、
どうですか。
おにわに ゆきが、
つもったら、
ゆきだるまを つくれますね。
ぼく オラフ、(※)
ぎゃーっと だきしめて!
きょうは、
せいじんのひ(※)です。
おとなに なった、
おいわいを するひです。
おさけを のむひ(※)では ないですが、
いつか みゅうと さくたろうも、
おとなに なったら、
パパと いっしょに のみましょう。
やきとりやで せせりでも かじりながら、
こどもの ころの おもいでばなしや、
しょうらいの ゆめ に ついて、
(あるいは し に ついて)
おおいに、
かたりあいましょう。
いつも、
パパが おうちに かえったら、
ママと みゅうと さくたろうが さんにんで、
いちどに しゃべって くるものだから、
じ ゅ ん ば ん !(※)
パパは こまってしまうのですが、
おとなに なっても、
パパと たくさん おはなし してください。
みゅうは さいきん、
さくたろうの めんどうを よくみて、
すごく しっかりした、
おねえちゃんに なりましたね。
もっと たくさん、
あまえても いいですよ。
さくたろうは やんちゃで、
みんなに しょうらいを、
しんぱいされて いるけれど、
パパは なんにも、
しんぱいなんか していません。
みゅうも さくたろうも、
ぜったいに だいじょうぶ。
なにが、
と きかれると、
なんのことだか わかりませんが、
パパの いうことは、
あたります。
しんじる、
という ことばの いみを、
パパは しっているからです。
きもちは ねつです。
ことばは ひかりです。
パパは そのふたつを もっているから、
いつでも みゅうと さくたろうを、
あたためることが できるし、
てらすことも できます。
パパが おうちに かえったら、
きょうも くろひげききいっぱつ(※)で、
あそびましょう。
パパは もうすこし、
ファイトいっぱつ、(※)
おしごと がんばります。
ぴょん、って とばないように。
ゆきが つよく なってきました。
でんしゃも とまるかも しれません。
アレンデールが き き な の よ。(※)
ことしも せいじんしきは あれんでーる。
どうか あんな おとなだけには ならんでーる。
あざわらう ヤンキイは いやだ いやだ!(※)
いつか まとまって やすみがとれたら、
おんせんりょこうへ いきましょう。
きょうの ひの かたまりに あう、(※)
おいしい かにを たべましょう。





※ 詩の女神ミューズから名付けました。(大嘘)

※ 萩原朔太郎から名付けました。(大嘘)

※ さおりじゃない。

※ ますみじゃない。

※ やすえじゃない。

※ 『雪/文部省唱歌』の替え歌。

※ 『アナと雪の女王』に出てくる雪だるま。

※ さっくんはおっぱい星人。

※ 週に二日は休肝日をつくりましょう。

※ 『となりのトトロ』より引用。

※ 『黒ひげ危機一発/タカラトミー』
  パーティーでやると盛り上がるよね!
  文極史上初(?)のステマポエム。

※ 『リポビタンD/大正製薬』
  美味しいよね!
  文極史上初(?)のステマポエム。

※ 『アナと雪の女王』劇中歌より引用。

※ 『秋の一日/中原中也』より引用。

※ 『今日の日の魂に合う
   布切屑をでも探して来よう。』
  引用のために『秋の一日』を読みかえしてみて、
  今さらながら気付いたんですけど、
  僕は今まで20年以上も、
  なぜだか『魂』を『塊』と誤読していたのでした。


無言電話

  ヌンチャク

ふた月ほど前からだろうか/毎晩眠りにつこうとすると/無言電話がかかってくるようになったのは

非通知でかかってくるそれを/無視するか着信拒否をすればそれで済む/ありがちな悪戯だったが/何故だか私は毎晩律儀に/無言電話を取り続けた

部屋の灯りを落としまぶたを閉じると/携帯がビリビリ震える/私は青白く光るディスプレイをぼんやり見つめ/無言のまま通話する/小さな携帯を耳に押しあて/暗闇の向こうに耳を澄ます/言葉どころか/息づかいすら聞こえないのに/確かに気配だけは感じるのだ

何故無言なのか/私は不思議だった/私への嫌がらせのつもりであれば/憎悪にしろ嘲笑にしろ/何か言いたい事があるのではないのか/言葉にならない声に/私は無性に興味を引かれ/しまいに無言電話を心待ちにするようになっていた

いつも知らないうちに眠ってしまう/そうして決まって夢を見た/私は小さな魚になっていて/青い海の中を一匹で泳いでいた/親もいない子もいない恋人も友人もいない/静まり返った海の中を/ゆらゆらとあてもなくさ迷っていると/突然辺りが闇に覆われ/雷鳴と共に嵐がやって来る/激流に飲まれながら/助けを求める為なのか/それとも危険を知らせる為なのか/とにかく私は大声を上げようとするのだが/どれだけ喉を開いても/まったく声が出ないのだ/そしてまた/仮に大声が出せたとしても/それを聞く者は誰もいないという事実に/私は嵐よりも酷く打ちのめされる

無言電話を聞き続けているうちに/私はある事に気が付いた/私が相手の声を聞きたいと欲しているように/相手もまた/私の声を聞きたがっているのではないかと/つまり何か言いたい事があって電話をかけてきているのではなく/私から何かを聞き出す為に/私の言葉を待っているのではないかと/私は何を話すべきなのだろう/生まれてきた朝の空の色/小さな頃の兄弟喧嘩/初めて触れた女の子の髪の匂い/人を傷付けてしまった夜/言いたい事はたくさんあった/けれどもそれを言い表す言葉はどこにもなく/私はいつまでも無言のままで/今夜も一人着信を待つ

貝殻のように携帯を握り締めると/かすかに/波の音が聞こえた


ふるさと

  ヌンチャク

さっくんと男同士
風呂に入る
タイルに貼った
にほんちずを見ながら
話をする

さっくんがうまれたのはここ
なら
だいぶつの絵が描いてある
パパがうまれたのはここ
ながの
ぶどうの絵が描いてある

  今でも生家は長野にあるが
  私の帰る家はない

  生きていくのに邪魔になったら
  いつでも親は捨てて行け

さっくんのふるさとはここ
なら
だいぶつの絵が描いてある
パパのふるさとは
このちずの
どこにもない


ポエム、私を殴れ。

  ヌンチャク

メロスは激怒した。
必ず、かの厚顔無恥の王を
除かなければならぬと決意した。
メロスには現代詩がわからぬ。
メロスは、腐れポエマーである。
ホラを吹き、ポエムを書いて暮して来た。
けれども自意識に対しては、
人一倍に敏感であった。

と、ここまで書いて、
ヌンチャクは思った。

一人の作者だけから全文引用して、
自分の作品とするのは、
たしかアウトだったかな。

そうだそうだ。
引用なんてくだらない。
所詮は借り物の衣装に過ぎない。
太宰マントは脱ぎ捨てろ!
おまえは誰の言葉でもなく、
自らの言葉で、
語らねばならぬ、
おまえの愛を。
おまえの詩を。
夕陽が沈む前に。
走れ、僕のメロス。
ポエろ、僕のメロス。

 ぼくは新しい倫理を樹立するのだ。
 美と叡智とを規準にした新しい倫理を創るのだ。
 美しいもの、怜悧なるものは、すべて正しい。
 醜と愚鈍とは死刑である。
 『もの思う葦/太宰治』

あ、また引用しちゃった。
アウト?
セーフ?
よよいのよいっ!

  おまえたちは、わしの心に勝ったのだ。
  虚飾を脱ぎ捨てた、
  この裸身のような心で、
  わしも仲間に入れてくれぬか。

  王様!
  改心するの早いって!
  まだセリヌンティウスも呼んでないのに!

王宮に、
メロスの竹馬の友、
セリヌンティウスが呼び出された。
久しぶりの再会であった。
メロスを見るなり彼は言った。

  王様、裸じゃね?

セリヌンティウスはすぐさま刑吏に捕らえられ、
処刑台にくくりつけられた。
ざわめく聴衆に、
彼は必死に訴え続けた。

  ボロは着てても心は錦!
  一糸纏わぬ裸は裸!
  引用してもいいんよう!

 ぎんぎんぎらぎら 夕日が沈む
 ぎんぎんぎらぎら 日が沈む
 『夕日/作詞: 葛原しげる』

アウト?
セーフ?
よよいのよいっ!

夜酔いの宵っ!

  看守長!
  さきほどから部屋の隅で、
  何やらブツブツとあの囚人が、
  様子がおかしいのでありますが、
  大丈夫でありましょうか?

  放っておけ。
  あんなキチガイナイスガイ、
  裁判を待つまでもなく、
  じきに国外追放だ。

公序良俗に反した罪で、
牢に入れられている全裸のメロスに、
緋のマントをかける少女はいない。

 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、
 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ、
 『斜陽/太宰治』

 金比羅船々追風に帆かけてシュラシュシュシュ
 『民謡』

 シュリケン、シュリケン
 シュシュシュシュシュ!
 『さっくん忍者参上!/ヌンチャク』

ポエム、私を殴れ。
音高く、私の頬を殴れ。
私は一度だけ、君を疑った。
いや、二度。
嘘、三度。
土台こんなものは詩でないと、
誰に裁く権利があるものか。
とりあえず私を殴れ、
私も殴る、
そうでなければ私には、
君と抱擁する資格さえないのだ。

微笑むポエム、ポポエム。

ヌンチャクは、ひどく赤面した。


モロゾフ

  イヤレス芳一

バスケ部の練習を終えて
川沿いをチャリで走っていると
いつもこの時間
クマみたいな犬を散歩させてる
おねえさんとすれ違う

モコモコフワフワの茶色い毛
鼻の低い丸い顔
どう見ても犬じゃない
でっかいテディ
ヌイグルミみたいなやつ

なんて言う種類の犬か
おねえさんに聞いてみようと思いながら
白いワンピースがヒラヒラするから
眩しくて
いつも
聞きそびれる
なんだか自分が
いっつも失敗ばかりしてる
チャーリー・ブラウンみたいに
すごくダメなやつに思えてきて
心の中でわーってなって
チャリを立ち漕ぎする

犬の名前がわからないから
勝手に
モロゾフと呼ぶことにした

ダラダラと練習サボって
ガンちゃんにシバかれた日も
もうこんな部活辞めてやるって
チャリでブッ飛ばしたけど
川沿いを
モフモフとモロゾフが歩いてきて
ぼくのことなんかまるで
興味がないとでも言いたげに
チラ見してシカトして通りすぎて行って
ワンピースがヒラヒラヒラヒラしていて
なんだかやりきれなくて
モロゾフのやつ
おねえさんのくるぶしを
うれしそうにクンクンしやがって

真夏日なのに青い春って
カルピスソーダみたいだ
水色に白の水玉
ちがう
白色に水色の水玉か
どっちでもいいや
濃ゆいカルピスを
はじける刺激で割って
おねえさんと飲みたい


  ではああ、濃いシロップでも飲もう
  冷たくして、太いストローで飲もう
  『秋日狂乱/中原中也』


モロゾフの本当の名前
いつかわかる日が来るんだろうか
知りたいような知りたくないような
クマみたいな犬の名前
犬みたいなクマだったらどうだろう
おねえさん実は
猛獣使いだったりして
おねえさん実はぼくも
モンスターなんですって言って
バカすぎて笑える


  恋、と書いたら、あと、書けなくなった。
  『斜陽/太宰治』


たまに
遠くの空の夕焼けに
青と赤の交わるところに
見とれることがある
そんな姿を
クラスのやつらに見られるとうるさいから
ジョージ、昨日夕焼け見てたやろって
ジョージ、ちょっとウルッときてたやろって
おさるのジョージに似てるからって
そのあだ名やめろよ

今年の夏は
スリーポイントシュート
うまくなりたい

あと
おこづかい貯めて
ビアンキのMTB欲しい
夏空色
チェレステカラーの


孵化

  イヤレス芳一

侮辱された追憶が花瓶を割った
 赤蟻の群がる朝露の香気を嗅いで
絹の靴下を履いた氷嚢を押しつぶすように
 顔のない声が墓場の輪郭をぼんやりさせる

海洋がさざ波の底に僕を埋めた
 深い夕凪と予言のあいだで
煤けた煙突の陰影に傲慢と罪が重なり
 ぼろを纏った核心が夜に怯える

潮流に乗って旅をする片口鰯の群れを
 赤銅色の鯨が歴史をさえずり丸飲みすると
ずれた地軸の果てに悔恨と月が凍るのだろう

――忘れ去られた彗星の記憶!
 胎児がヒタヒタと朝陽の夢に溺れている時
隻眼の母は薄目を開けて古びた文字を聴いている


ぼくがさかなだったころ

  イヤレス芳一

 私はその男の詩を、いくつか、読んだことがある。
 数年前から私は『現代詩日本ポエムレスリング』という詩のSNSに、趣味として書いた自作詩を投稿している。同じように詩を書いている会員同士が、互いの作品の感想を述べ合ったり詩にまつわる雑談を交わしたりと、『詩』という世間一般ではそれほど愛好者の多くない趣味をネット上で気軽に共有できる社交場として、それぞれ楽しんでいるのである。昨年の春先、シュリケンというHNのその男は現れた。男は有名な詩句のパロディ作品を投稿しているようだったが、お世辞にも上手とは言い難い。改行をしただけの日記のようだ。自分の気持ちや日常の些細な出来事をそのままストレートに言葉にしただけでなんの趣向もレトリックもないのだが、逆に本人はそのシンプルさがご自慢らしい。作品やコメントの端々に、どこか詩や詩人を馬鹿にするような舐めているようなニュアンスも見受けられる。たとえば、こんな作品がある。


 『詩をやめる』シュリケン

 詩をやめろ
 日記を書こう

 日記なら
 魂などいらない

 こんなものは詩ではない
 と言われたら

 そうですよこれはスケッチブックです
 と言ってやろう

 わたくしという現象は青色発光ダイオードの
 せわしい明滅(←いかにも現代詩っぽい単語)

 やる気スイッチが入った時だけ
 光ります


 賢治を侮辱している、そう思った。そうして自分の未熟で粗末な作品は棚に上げ、他人の作品は評価せずに「馴れ合いだ。」「くだらない。」などと罵るのである。詩の投稿サイトにはよくいる、実力も才能も伴わないのにプライドばかり無駄に高く人と衝突ばかり繰り返す、人間性に難のあるメンヘラ、コミュ障、酔っ払いの類いの一人なのだろう。こういう手合いは、ひたすら無視をするに限る。なに、実生活が孤独で惨めなので、せめてネットの中だけでもチヤホヤされたいのに違いないのだ。遊び半分でヌンチャクを振り回し自滅する中学生のように、ひとしきり暴れるだけ暴れ痛手を負うとアカウントを削除して行方をくらまし、時が過ぎればまた別のHNを使用してなに食わぬ顔で恥ずかし気もなく舞い戻ってくる。どこの詩サイトにも、そういうはた迷惑な寄生虫のような利用者が、一人や二人、必ずと言っていいほど存在するものだ。そう思い私も、わざわざ関わり合いになるつもりはなかったのだが、男の傍若無人な振る舞いはさすがに鼻につくところがあり、私の大切な居場所を土足で踏みにじられては堪らないというような義憤も手伝い、なによりその高慢な態度とは裏腹にあまりにも作品が空虚で次元が低いため、ついつい我慢できずに「相当酷い。批評以前の問題。」とコメントを入れてしまった。私は、日頃の男の言動から察するに感情的な反論や口汚い罵倒の言葉が返ってくるものとばかり思い込み、これでは私も奴と同じ穴のムジナではないか、やはり自ら関わるべきではなかったと己の軽率さを悔やむとともに、今後起こるであろうコメント欄での不毛なやり取りを想像し内心鬱々としていたのだが、事態は意外にも、さらにおかしな方向へと動いたのだった。SNS内の私信機能を使い、男から、長い長いメールが送られてきたのだ。



 *****

 こんばんは。先日は僕の詩にレスをいただき、ありがとうございました。早いもので僕がネットで詩を書くようになってから、もう五年ほど過ぎました。こうしてお会いしたこともない方に自分の詩を読まれ、感想を頂くということは、なんとも気恥ずかしく、また、嬉しいものですね。僕はPCを持っていないので、それまでネットの世界というものをまったく知らないまま生きてきたのですが、五年前、暇潰しに携帯でネットを見るようになり、そこで初めて詩のサイトがあるということを知ったのでした。
「こんなところに詩人がいる! 」
 大げさな言い方ですが、その発見は僕にとっては、南太平洋の真ん中で人知れずひっそりと栄える小さな秘島、楽園を見つけたような、あるいは地中海の断崖絶壁、入り江の奥の奥にそこだけ陽の当たる白い砂浜、美しい渚にたどり着いたような、思ってもみなかった衝撃、興奮でした。長らく眠っていた詩への思い、詩作への情熱が、ふつふつと甦ってくるのを感じました。恥ずかしい話ですが、僕にもこれでも若い頃、ぼんやりと詩人を夢見ていた時期があったのです。

 小学生の頃から僕は、学校の授業や全校朝礼など、時間的空間的に自由を制限されるような状況や集団行動に対して、動悸、目眩など、一種のパニック障害、不安神経症のような症状を持っていました。息苦しくなるといつも、死にかけの金魚のように空気を求めてパクパクと大きな口を開けて呼吸していました。中学生の頃には、授業中の緊張感、不安感を身体的な痛みで紛らわすため、右手に収まる小さなカッターナイフで左手の指の腹を切るのが癖になっていました。当然、血が滲んでくるのですが、そのままにするわけにもいかないので、手のひらにスティック糊を塗り、そこに血を混ぜ合わせ、赤黒くなった糊を垢のように練り上げるのです。そうすることで少しでも不安から意識をそらし、時間を潰そうとしていました。自分のそんな病状を誰にも言えず、自分でも受け入れられず、そうでもしなければやっていられなかったのです。授業中に血まみれの手のひらを捏ね回すその奇行をクラスメートに見つかり、問い詰められたこともあります。

 高校に入ってからもますますひどく、授業に集中できない状態は続き、教師の目には「やる気の感じられない怠惰な生徒」として映っていたのでしょう、日本史の授業中でした、僕は態度を注意されました。
「日本の歴史も学べないとはおまえは非国民か。窓から飛べ。」
 先生は笑いながら言って、もちろんクラス全員、それがブラックユーモアであることは理解していましたが、僕は瞬間的に頭に血が昇ってしまい、無言のまま窓枠に飛びついたところで、数名のクラスメートに引きずり下ろされました。こいつなら本当にやりかねん、普段からそう思われていたのでしょう、僕は誰とも目を合わせることができずにいました。(イヤレスさん、ここでBGMに『Raining/Cocco』を聴いてください、グッときますよ。)

 高校二年の秋、十七才でした。僕は修学旅行を欠席しました。二時間、三時間に渡る新幹線やバスでの団体移動は、僕にとっては拷問に等しいものだったのです。旅行前日まで担任には何度も職員室に呼び出され説得され理由を聞かれましたが、僕は黙秘権を行使する犯罪者のようにひたすら無言を貫きました。僕の弁護をしてくれる奇特な人などどこにもいないと思っていました。

 クラスメートが修学旅行へ行っている間、課題として司馬遼太郎『街道をいく』の読書感想文の提出を命じられていましたが、僕はそれにはまったく手をつけず図書室で一人、やなせたかし先生の『詩とメルヘン』を読んでいました。大きな見開きページの一面、きれいなイラストに飾らない詩が添えられ、僕はすっかりその世界に魅了されてしまいました。それが、僕の詩との出会いです。いつか、やなせ先生に僕の詩を読んでもらいたい。(今となってはそれももう、叶わぬ夢となってしまいましたね。)それ以来、胸の奥に溜まっていく泥を、グチャグチャにノートにぶちまけることが、僕の日課になりました。(後日談ですが、僕の提出した読書感想文を読んだ副担任に、おまえには文才がある、と誉められたのです。今思えば、そのひとことが卒業後の進路決定にも繋がっていたのかもしれません。)

 高三に上がる春休み、両親が別居することになり母は家を出ました。僕は父と家に残りましたが、それはけして父を慕っていたからなどという理由ではなく、ただ単に高校が近かったからということと、父がいない間は一人きりでいられるからという理由でした。夏休み直前、僕はふとしたことから拒食症に陥り、一日にビスケットを三枚しか食べない日々が続き、二学期が始まる頃にはその反動が来たのか、過食症になっていました。誰もいない家の中で、胃がはち切れそうになるまで無理矢理食べ物を流し込み、トイレで喉の奥まで指を入れて吐きました。けれども、いくら吐いても胸の奥の泥は吐き出すことは出来ず、吐けば吐くほどますます深く、沼のように沈みこんでいくのでした。その頃、体重は54kg(身長は178cmありました。)くらいまで落ち、体重が減れば減るほどどこかほっとして、浮き出たあばら骨を撫でながらつかの間の安心感を得てはいましたが、それでもどうしても自分のことを好きになれず、周囲の人間とも馴染めず、馴染む気すらなく、自分は人とは違う、人よりも数段劣った人間なのだ、と思っていました。これ以上親の世話にはなりたくない、顔も見たくない、早く家を出たい家を出たいと願いながら、けれども、人並みに社会に出て仕事をこなし生活していくなんてことは僕にはとても無理だ、もしそうなったら出来るだけ早く死ななければいけない。いずれ死ぬことが僕に出来る唯一の責任、僕に与えられた使命なのだと、今思えばなんとも馬鹿馬鹿しい青臭い病的な考えですが、当時の僕は真剣にそう信じ、思い詰めていました。

 二学期も中頃、秋も深まり校庭の木々が赤く染まっていくように、クラスメートの話題も受験一色になり、皆次々と将来を見据えた進路を決めそれに向かい受験勉強をしている中、僕は一人焦っていました。どうせいずれは死ななければならないのだから勉強なんてしたくない、かと言って出来損ないの僕には就職などは到底無理だ、今やりたいことと言えばしいて言うなら詩を書くことぐらいだろうか、どこかに学科試験も面接もなく受験できる、詩を書くための大学でもあればいいのに。いくらなんでもそんな虫のいい話あるわけないと思っていたら、あったのです。推薦入試は小論文だけ、大阪芸術大学文芸学部でした。(副担任の言葉を真に受けていたのかどうか、僕は論文の練習などせずとも、必ず合格する、これは運命なのだと何の根拠もなく確信していました。)

 近鉄南大阪線喜志駅を降りて学生専用のバスに乗り、細く曲がりくねった路地を抜けたところに大学はありました。桜並木の坂道を上りキャンパスに入ると、そこは高校とはまったく違う、自由な華やかさで溢れていました。無事に高校を卒業し大学生になった僕は、その伸びやかで開放的な雰囲気の中で人目をあまり気にすることもなく、他人と足並みを揃える必要もなくなり、広場恐怖のような緊張感もだいぶやわらいでいくように感じ、これが何か自分を変えるきっかけになるかもしれないと思い、新しい学生生活に期待もしていたのですが、そこでもやはり僕は馴染むことが出来ませんでした。周囲を見渡すと、スキンヘッドで全身黒ずくめの女やサザエさんのような髪型で薄汚い破れたTシャツを着た無精髭の男、個性的でなければ芸術家ではないとでも言いたげな奇抜な格好をした者も多く、地元では『丘の上の精神病院』と揶揄されるほどで、作品そのものではなく外見や言動を少しでもエキセントリックに見せようと張り合っているような馬鹿者たちもいましたし、真摯な芸術家の集団と言うよりはむしろ世間からは相手にされない奇人変人の吹き溜まりといった様相で、もちろん僕自身もそういう出来損ないの一人ではありましたが、まだ若く芸術に対して理想もあった僕にはどうしてもそれが許せず、その吹き溜まりに自ら安らぎを求めるのも嫌でしたので、作品を創る者が自ら作品になってどうする、芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだと、一人で憤っていました。芸術なんて程遠い、所詮僕らは美術館の片隅で誰にも見られることもないまま錆びていくオブジェに過ぎないのだ、いや、そのオブジェにすらなれない僕はいったい何なんだ、と思うと無性に虚しくなり、そのまま授業に出るのもやめてしまいました。昼前に大学に来て、誰もいないところで煙草を吸ったり、夕暮れ、四階の廊下から地面を見下ろし、散ってしまった桜の花びらのようにヒラヒラ舞い落ちてしまいたい、今飛び降りたら明日の朝までは見つからずにいられるだろうか、などと思ったりしました。

 そんな短い学生生活の中で、ひとつだけ記憶に残っている授業があります。文芸学部らしく、創作の授業があったのです。眼鏡をかけたまだ若い助教授から与えられたテーマにそって、原稿用紙二枚の散文を書き、次週、助教授がそれを寸評していくというゼミ形式の授業でした。第一回目のテーマは「自己紹介」でした。小さな教室で助教授を囲むようにして向かいあって座る十五人ほどの学生は皆、作家や編集者を志しているような者ばかりですから、自己紹介程度の散文などお手の物とでも言いたげに、始めの合図と共に、競い合うようにして一斉に筆を走らせ始めました。人生や人付き合いにおいてすっかり卑屈になっていた僕は、自己紹介などする気も起こらず、何を書いたらいいものか、しばらく周りの学生が何やら真剣にカリカリと音を立てて書いているのを阿呆のように眺めていました。けれども僕もこのまま何も書かないというわけにもいかず仕方なく、自己紹介とはまったく関係のない『ぼくがさかなだったころ』という空白だらけの詩を即興で書き殴り提出しました。次の週、返ってきた原稿用紙を見ると、タイトルの横に赤いインクで、『A+』と書かれていました。最高点でした。A+は二名だけ、と助教授は言い、スティーブン・キングが好きだと言うもう一人のA+である学生の原稿用紙のコピー(私は霊を見たことがある、という書き出しで始まるその学生の散文は、段落分けするのも惜しい、というくらいにぎっしりと最後まで文字で埋め尽くされていました。)を皆に配り、それを見ながら講義を進めていきました。最後まで僕の名前も、僕の詩も、話に出てくることはありませんでした。




  『開襟シャツ』


  人生というのは死ぬまでの間の
  小さな金魚鉢に過ぎんよ、君

  と助教授は笑った
  日々は新緑のように眩しくて

  言葉はいつも僕に寄り添い
  いつでも僕を置き去りにする

  初夏、汗ばんだシャツの胸元を開け
  風を迎え入れる

  身震いするほど美しい詩を一篇書いて
  死んでやろうと思ってた




 授業にも試験にも出ないまま一年が過ぎ春休みに入り、僕は父に呼ばれました。大きな黒い座卓の上に、不可とすら書かれていない白紙の成績表を広げ、父は言いました。「詩人になるっていう夢は諦めたのか」 いつ僕が会話もなかった父に「詩人になりたい」などと告白したのか、それは今となってはわかりませんが、僕は恥ずかしさと悔しさで、芸術は人から教わるものではない、自らが感じるものだ、勉強なら大学でなくても出来る、と負け惜しみを言いました。父は呆れたのか諦めた様子で、それ以上何も言いませんでした。大学で学ぶための費用を働いて得るということがどれだけ大変なことか、それをみすみすどぶに捨てるということがどれだけ愚かなことか、そんな当たり前のことも僕はわからず、ただ自分の苦しみばかりに囚われていたのでした。学生という肩書きを失い、ひっそりと社会に放り出され、今こそいよいよ死ぬべき時が来たように思いました。けれどもそうは思いながらもなかなか死ねず、ずるずるとその時を先伸ばしにして日々を送っていたのです。ちょうどその頃、片想いしていた女の子(高校を中退してフリーターをしている、どこか陰のある女の子で、細いメンソールの吸殻に、いつも紅いルージュが付いていました。一度だけ二人で、映画館デートをしました。薄暗い館内でひとつ年上の彼女の肩に甘えて頭をちょこんと乗せて、2時間寝た振りをしていました。僕はこの世の中で彼女にだけは、過食嘔吐のことを打ち明けていたのでした。帰り道、家の近くまで送って行き、別れ際、どちらからというわけでもなく不器用にキスをして、次の日から、何となくお互いに気まずくなってしまい、それきり、この恋は終わったのでした。BGMは、『東京/くるり』をどうぞ。)が結婚するということを風の噂で聞き、いよいよもう、この世に未練もなくなった、いつ死んでもかまわないと思いました。世間では『完全自殺マニュアル』という本が話題になっていて、僕も書店で立ち読みしましたが、僕に必要なのは手段でも方法でもない、死ぬ覚悟なのだ、と思い真夜中、マンションの非常階段を上り地面を見下ろし、煙草に火を付け、それから遠くの灯りをぼんやり眺めたりしました。

 結局いつまでたっても死ねないまま、僕は二十歳になり、バイトで貯めた金をもとに、念願の一人暮らしを始めることになりました。築三十年はたつであろう、ボロボロのアパートでしたが、日当たりの悪い薄暗い四畳半の部屋で一人僕は、もう二度と誰の言うことも聞かない、と決意しました。カサカサ、と背後で音がして振り向くと、ザラザラした土壁の上のほうで、赤茶色のゴキブリのつがいが交尾しているのでした。

 バイトとは言え自分で働いて得た金で自活できたことが自信になったのか、それともただ食費がなかっただけなのか、少しずつ過食も抑えられるようになってきて、あまり吐かなくなったある日、もう悩むことにすら疲れ、ふと、奇妙な感覚に襲われました。ちょうどドストエフスキーの『罪と罰』を読んでいた影響もあったのでしょう、ラスコーリニコフが金輪際誰にも心を打ち明ける必要はないと悟るシーン、自分一人がやっと立てる断崖絶壁で生きていく覚悟を決めるシーン、それらはラスコーリニコフにとっては絶望や諦めにも似た暗く深い心情として描かれていたようでしたが、僕には逆に、新しい道のように思えたのです。そうだ、苦しいなら苦しいまま、死にたいなら死にたいまま、そのままで生きていってもかまわないのだ。死ぬしかない、とそう固く信じこんでいた自分にとって、新しいその考えは、ひとつの救いのように感じられました。



  「人非人でもいいじゃないの。
  私たちは、生きていさえすればいいのよ」
  『ヴィヨンの妻/太宰治』



 バイトの給料が月十万程度の、PCどころかエアコンもテレビも冷蔵庫もない質素な生活の中で、ちょうど『インターネット』『ネットサーフィン』などの言葉が一般に広まりつつある頃だったと思いますが、ネットの片隅で新たな詩の世界が産声を上げつつあることなど知る由もなく、僕は次第に詩から離れ音楽に傾倒するようになりました。詩は音楽に負けたのだ。詩は歌詞に負けたのだ。本当はただ、僕の才能がなかっただけなのですが、どうしてもそれを認めたくなかったのです。『elfin』という占いの月刊誌がありそこの読者投稿欄に、カリノソウイチというPNでイラストを添えたポエムを投稿し常連になっていましたが、その雑誌もしばらくして休刊となり、また僕自身の生活も、フリーターとして何度か転職を繰り返した後にようやく正社員の仕事に就くことができ、あれだけ怖れていた『社会人』というごく普通のありきたりで忙しない日常を送る中で、次第に僕は、詩を忘れていきました。詩を忘れることでようやく僕もかつての、いずれは死ななければならない出来損ないなどではなく、『普通の人』として生きていく資格を得た、今となってはそんな気もするのですが、果たしてそれが本当に良かったのか悪かったのか、たった二枚の原稿用紙ですら埋めることのできなかった空白だらけの僕の詩は、そのまま僕の生き方のようでもありました。




  『雨空』

  生まれ変わったら詩はもうやめて
  絵描きになろうと私は思う

  小さな屋根裏をアトリエにして
  来る日も雨の絵ばかりを描こうと思う

  灰青色の絵の中で
  雨に打たれている私は

  何かを叫ぼうとするのだけれど
  私は詩はもうやめたのだ

  晴れることない雨空で
  いつも私の胸は濡れている  




























  ジオゲネスの頃には小鳥くらい啼いたろうが
  きょうびは雀も啼いてはおらぬ
  『秋日狂乱/中原中也』























 詩を書かなくなってからも、完全に詩を諦めてしまったわけではなく、心のどこかで、誰にも読まれなくてもいい、自己満足でもいい、この詩を書くために生まれてきた、この詩があれば生きていける、そんな詩を死ぬまでに一篇だけ書いてみたい、もしかしたら心のどこかにそんな思いがまだ残っていたのかもしれません。空白を抱えたまま十年以上の月日を過ごし五年前、初めて詩のサイトを見つけた時の僕の喜び、おわかりいただけるでしょうか。長い長い沈黙が嘘のように、堰を切ったように後から後から言葉が溢れ出してきて止まらず、最初は僕も嬉々として次から次へと詩を書いて投稿していたものですが、次第に何が何やら自分でもわからなくなり、削除したり暴言を吐いたり、多くの方にご迷惑をおかけして、穴があったら入りたい気持ち、あ、こんなところにちょうどいい穴が、と思い覗きこむと、それは自らが掘った墓穴ですから、どうすることも出来ません。

 いただいたコメントへの感謝の気持ちをお伝えしようと書き始めたのですが、結局いつもの、感傷的な自己憐憫、自分語りになってしまいました。けれどもこれが、エンジン全開クラッチ切れてる、シュリケンスタイルなのです、なんて、開き直れるほど面の皮も厚くなってしまい困ります。

 今、帰りの電車の中です。もうすぐ最寄り駅に着きます。寒くなって来ましたので、お体には気をつけて。イヤレスさん、僕たち、うまくやれそうですね。『Whatever/OASIS』聴いてください。これからもよろしくお願いします。

 それでは、また。



 *****


 何が、「それでは、また」だ。私はとにかく不快だった。今まで、これほど薄気味の悪い私信をもらったことは一度もない。見ず知らずの私に長々と自己愛にまみれた大げさな自分語りを送りつけてくるその狂態、痴態もさることながら、一見、自分の弱さや醜さをさらけ出した独白のように装いつつ、実はそれらを言い訳にして自己を正当化しようとしているその見え透いた魂胆、薄汚く歪んだ自己顕示欲、現実逃避、太宰の威を借る狐、詩にたかる蝿のような執着心、「内心では読者を鼻で嗤っているのではないか」と勘繰りたくなるような、丁寧な言葉使いではあるけれども蜘蛛の巣のようにネットリとまとわりつく奇妙な文体、深みのないひとりよがりな苦悩、すべてが私には嫌悪しかもたらさず、なぜだか私自身が侮辱を受けているような倒錯すら感じ、ただただ不快であった。
 聞くところによるとこのシュリケンという男は別の筆名を持っていて、『頂上文学』という芸術系詩サイトに参加しており、エンターテインメントの書ける作者としてある程度の評価を受けているのだという。どのような作品が評価されたのかは知らないが、この私信のように自意識過剰でわざとらしい自分語り、自己戯画化、私生活の切り売りが果たしてどこまでエンターテインメントたりえるのかどうか、私には甚だ疑問である。どうせ、仲間内での誉め合いなのだろう。そうだ、きっとそうに違いない。偉そうなことを言っておまえだってしっかり馴れ合っているじゃないか、いったい私と何が違うのだ、確かに私の詩は趣味ではあるが少なくとも私はおまえのように詩を馬鹿になどしていない、詩が好きで、詩を必要としているその気持ちに勝手に優劣など付けられてたまるものか、何がシュリケンだ、文責も持たず好き放題書き散らしたあげくどうせまたすぐに名前を変えるつもりなのだろう、それで居場所を見つけたつもりなのかそれがおまえのやりたかったことなのか詩とは何だ文学とはそんなものか芸術なんてどこにある、作品を創る者が自ら作品になってどうする芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだ、いつまで自分を偽るつもりだ姿をあらわせ、本当のおまえはどこにいる?シュリケン、シュリケン、シュルシュルシュ、誰にも見られることのないオブジェ、顔のないトルソー、ド田舎のラスコーリニコフ気取り、唾と蜜、露悪趣味、止まり木、金魚鉢、空白、おまえにとって私は誰だ私にとっておまえは何だ、アントなのかシノニムなのか私の名前は‥‥‥。
 遠く記憶の奥底に沈めたはずの、忘れていたはずのあの目眩、あの息苦しさをうっすらと思い出しながら私は、シュリケンに返信した。(私は、さかなに還るのだろうか。)
「ずいぶん大層なフィクションですね。
詩は、いや、人生は、私小説くずれの慰みものであってはならないと思います。
BGMは、『海を探す/BLANKY JET CITY』で。」




  「私たちの知っている葉ちゃんは、
  とても素直で、よく気がきいて、
  あれでお酒さえ飲まなければ、
  いいえ、飲んでも、」
  『人間失格/太宰治』


バックミラー

  イヤレス芳一

深夜
交通量の少ない山道を
車で帰る
トンネルの手前で
カーラジオの電波がおかしくなって
崖側のガードレールの後ろに立つ
白い人影が見えた


あっ


て思ってそのまま通りすぎて
トンネルの中を逃げるように走っていると
だんだん背筋が寒くなってきて
あー嫌だなー嫌だなーって心臓がドキドキバクバクなって
身体中から冷たい汗がドワーっと吹き出してきて
バックミラーをちらりと見ると
後部座席に
びしょ濡れの女のひとが座っている
バッチリ目が合ってしまったので
無視するわけにもいかず
舌打ちしながら
雑巾のような勇気を振り絞り
「お客さん、どちらまで?」
と聞くとびしょ濡れの女のひとは
長い髪をかきあげて


「おまえタクシーちゃうやろ!!」


と怒って消えた
それを言うなら正しくは
タクシードライバーだとは思ったが
私は霊媒師ではないので
地縛霊の考えることはようわからん

でも
見えてまう

別に見たないけど

見えてまうねん


いつまでたっても
成仏できへん
びしょ濡れの女のひとが


タクシーじゃなかったら
いったい何を待ってんねやろ


私の車の後部座席が
いつもひんやり冷たく感じられるのは
おおよそそんな理由です
そうです
ちょうど今あなたが
右手で撫でているそのあたりです

(運転手はそう言って低く笑った)

ひんやりしているでしょう?
しっとり濡れているでしょう?
お客さんわかりますかそのシートの染みに込められた
びしょ濡れの女の
行き場のないかなしみが
毎晩のようにその道を通り
その度にびしょ濡れの女を後ろに乗せて
なんだか私は女に親近感すら抱くようになったのですよ

と言ってもよかったかもしれません
いつだったか私が

今夜も濡れてるね
グショグショだね

って言うと女は
一瞬ギョッとした表情をしてそれから
少しはにかんだまま

「おまえタクシーちゃうやろ!」

ってもうそれが口癖なんですね
あなたはイエローキャブなんですか?
ってくだらない冗談で私は返して‥‥‥‥





(なにヤダこの運転手さん気持ち悪い‥‥‥)
わたしは身の危険を感じて口を開いた
「すみません、ここで止めてください、降ります!」

運転手は無言のまま振り向きもしない
タクシーはますますスピードを上げ深夜のカーブをタイヤをギュルギュル軋ませながら曲がって行った

「止めてください! 止めて! 今すぐ降ろして!」





キキーーーッッッッッ!!!!






突然の急ブレーキで車は止まった
わたしは助手席の背もたれに頭をぶつけた
恐怖とパニックで慌てふためき
ガチャガチャとドアを開けようとしたが
ロックされているのかなかなか開かない
ゆっくりと運転手がこちらを振り返った時
わたしは男が正気でないことを悟った‥‥‥
わたしはハッキリと見たのだった
黒い沼のように澱んだ男の瞳に


ポエム



書かれてあるのを‥‥‥‥‥‥


ダメヤン

  葛原徹哉


 戦後生まれ、
 戦後生まれと言われて久しい僕たちは、
 あと五十年もすればもしかしたら、
 戦前生まれとして後世の人に記憶されるのかもしれない。

 ある日、
 家に帰ると郵便受けに、
 赤紙が入っている。

 その瞬間に僕の額には、
 小さく深く、
 『歩兵』と刻印され、
 一歩一歩、
 前進あるのみだ。
 後退はない。

 天皇陛下万歳、
 でもない、
 大日本帝国万歳、
 でもない、

 百歩譲って(歩兵だけに)
 死ぬのはいい、
 けれど二十一世紀の僕たちは、
 いったい何に万歳をして、
 死んでいけばいいのだろう。

 万歳のポーズというのは、
 まさか、
 『もはやお手上げ』の意じゃあるまいか‥‥‥。



 そんな詩をいつものようにポエムサイトに投稿して数日後、ぼくは突然、自宅の部屋の中に押し入ってきた数人の男たちに無理矢理部屋から連れ出され、大きな黒いワゴン車の後部座席に押し込まれた。何が起きたのかわけがわからず、混乱する頭の中で思い浮かんだのは、数日前に書いた自分の詩だった。そうか、ついに日本も戦時下に入ったのだ、言論の自由はもはやないのだ、戦争に批判的なことをネットに書き込んだぼくはどこか秘密の場所へ連行され、とても言葉では言えないほど残忍な拷問を受けたり、恥辱の責め苦を浴びて改心と国家への忠誠を誓わされるのだと、恐ろしい想像がふくらみ内心ブルブルと震えていると、走り出した車内で、男たちは手荒なやり方を詫びた後に自己紹介を始めた。彼らは、中学の頃からひきこもりで重度のネットポエム依存症であるぼくを更正させるために、ぼくの両親から依頼を受けた、NPOの職員なのだと言う。そのまま2時間ほどだろうか、車は市街地を抜けて山道をクネクネと走り続け、山奥に突如現れた小さな建物の前で止まった。

 施設の中は病院のように清潔で、天井も壁も真っ白だった。ぼくは持っていたスマホを没収され、白いジャージへと着替えさせられた。これから、ネットポエムのない生活が始まるのだ。PCどころか携帯もスマホもない。外部との連絡は堅く禁じられていた。脱走しようにも、深い森の奥である。方向オンチで土地勘のないぼくにはここが何県なのかすらわからなかった。職員の車を奪ったところで、ぼくは車の免許も持っていない。冬の気配近付く見知らぬ山の中を、徒歩で逃げる勇気はなかった。両親を恨んではみたものの、今さらどうなるというものでもない。拷問を受けるよりはマシだと自分を納得させるより他はなかった。

 施設の生活は規則正しい。朝6時に起床し、寝具を片付け、清掃をする。床をみがき、庭の落ち葉を掃き、ひととおりの清掃を終え、朝食に移る。ごはん、豆腐とワカメの味噌汁、里芋とカボチャの煮物、茹で卵、焼き海苔。朝食が済むと、毎朝恒例のグループカウンセリングが始める。ひとりひとり今まで自分が書いてきた詩を発表し、それを皆で否定し合うのだ。ここの言い回しが気取りすぎていて気持ちが悪い、隠喩が難解でただの自己満足である、等々。他人にハッキリと否定してもらうことで、自分の詩を客観的に見る視線を養い、自惚れのくだらなさを自覚させるのだと言う。ぼくの詩は毎朝さんざんに罵倒されている。

 二週間ほどたち、ぼくも少し周囲の入所者と親しくなってきた。施設のルールでは入所者同士、ネットで使用していたHNで呼び合うことは禁じられていたが、職員のいない自由時間など、ぼくたちは隠れてHNで呼び合った。むしろHNこそが、ぼくたちの本当の名前のようにすら思えるのだった。

 談話室の、いつも窓際の日当たりのいい席に座っている、白いヒゲがご自慢のおじいちゃんのHNは、ヒカル現詩さん。もう六十過ぎだというのに、フランク・ミュラーの腕時計を愛用し、天気のいい日の自由時間には庭で颯爽とローラースケートを乗りこなす粋なおじいちゃんだ。昔はかなりの男前だったらしく、ジャニーズの面接も受けたことがあると自慢している。HNは、光GENJIというグループ名をもじったものだそうだ。続いて、紅一点のマドンナ、エデンの園子さん。三十才くらいだろうか、物静かで、長い黒髪の華奢な女性。いつも白いジャージの袖を指が隠れるほど伸ばしているので気付かなかったが、ほんとか嘘か彼女の左腕には、リストカットの傷がいくつもあるらしい。
「こいつな、若い頃男に捨てられよってん。四股かけられてな。」
 現詩さんが欠けた前歯を見せてゲラゲラ笑いながらぼくに言う。
「しかもそれが発覚したのが結婚式の当日や。見たこともない女が3人も式場に乗り込んできてな、フィーリングカップル1対4や、そらもう修羅場やで、わかるやろ? 家族親類、会社の上司同僚の前で赤っ恥かかされて、そっからちょっとおかしなってもうてな、その恨み辛みをポエムで晴らそうとしたっちゅうわけや。いわば復讐やな。辛気臭い詩書きよんねん。笑うやろ?」
「違います。勝手に話をつくらないでください。怒りますよ。」
「わはは。すまんすまん。新入りのにいちゃんも退屈やろ思てな、リップサービスや。」
「どんなリップサービスなんですか。よくもまあそんなありもしないデタラメをペラペラと、ほんと現詩さんは骨の髄までポエマーですよね。空想好きと言うか、ただの虚言癖じゃないですか。」
 横から口を挟んだのは、坊主頭でよく日に焼けた少しコワモテの中年、ヌンチャクさん。左耳にピアスを2つしている。
「何が虚言癖や。嘘から出たまこと言うやろ。ひょうたんから駒、棚からぼた餅や。ポエムっちゅうのはな、何書いてもほんまになんねん。そこにポエジーがあればの話やけどな。」
「ポエジーどころかポエじじいのくせに何格好つけてるんですか。前歯半分ありませんよ。」
 現詩さんとヌンチャクさんのやり取りは、いつもこんな調子だ。はじめはケンカしているのかと思ったが、犬猿の仲のようで案外、これはこれで気が合うということなのだろうか。
「これはおまえ、名誉の負傷っちゅうやつやないか。先の大戦中、竹槍で戦闘機撃ち落とす訓練中にやな、顔から派手にこけたんや。」
「現詩さん、思いっきり戦後生まれじゃないですか。誰が信じるんですかその話。どうせローラースケートでこけたんでしょう? 昔ジャニーズに入ってたっていうのも嘘だったじゃないですか。」
「災いなるかな、信仰心の薄い者よ。嘘って言うなポエジーと言え。信じるも信じないもあるかい。地球の歴史は人類の共有財産や。親から子へ、子から孫へ、人類みんなで受け継いでいくもんや。石垣りんが『空をかついで』で言うとったやろ。なあ、にいちゃん。」
 急に話を振られて、ぼくは口ごもった。
「‥‥‥そんな詩じゃなかったと思うんですけど‥‥‥。」
「ほんまに読んだことあるんかいな。にいちゃん、HNなんやったっけ?」
「‥‥‥sclapです‥‥‥。」
「せやせや、スクラップや、クズ鉄やな。乗り鉄、撮り鉄は知ってんねんけど、クズ鉄は聞いたことないわ。廃線マニアか。廃棄車両が好きなんか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど‥‥‥」
「新人いびりはその辺にしたらどうですか?」
 左手の裾を伸ばしながら園子さんが、助け船を出してくれた。
「いびってへんわい失礼な。わしは詩の話をしとんねん。」
「もう詩の話はいいじゃないですか。」
 今まで黙って聞いていた吉永さんが口を開く。
「僕達は詩を辞めるために集まったのですから、施設を出た後の生活のこととか、もっと前向きな話しましょうよ。」
 若い十代や二十代の入所者は、たいていはぼくのように、自身の意思に反して家族に無理矢理入所させられてしまった人がほとんどだが、吉永さんはネットポエム依存から脱却するため、自らの意思でここへ来たという変わり種だ。国立大を出ているのに、ネットポエム依存が原因で就職を棒に振ってしまったことを今でも悔やんでいる。
「たまに口開いたと思たらまたそれか、極寒メガネ。」
「極寒メガネじゃありません、僕の名前は吉永隆太郎です。」
 吉永さんは一人だけ、HNで呼ばれることを頑なに拒否している。極寒メガネというのは、現詩さんが付けたあだ名だ。
「吉永隆太郎て名前だけはいかにも詩人ぽいけどな、きょうびネットポエムで実名なんか流行らんぞ。おもろいHN考えたほうがマシやで。」
「いいんです、僕は詩を辞めて早くまっとうな生活をしたいのですから。」
「まっとうな生活? なんや、結婚でもすんのか? やめとけやめとけ女なんか。騙されて捨てられるのがオチや。ポエムのほうがええぞ。」
「ポエムで飯が食えますか? 結婚よりもまず就職ですよ。」
「就職ぅ? ポエムキチガイに就職先なんてあるわけないやろ。いっそ自分で商売やったらええねや。バーなんてどうや? ポエムバー『北極』のマスター、極寒メガネこと吉永隆太郎です。どうぞ、今宵のオススメ、ドライジンにライム果汁と谷川俊太郎をミックスしたカクテル、『ネリリとキルル』です。いかがですか? 口中に広がる宇宙感覚が舌の上でハララするでしょう? ってそれただのジンライムやないかい! 言うてな、どやこれ? おもろいやろ?」
「店開けるのにどれだけ資金がいると思ってるんですか? あなたが無利子無担保で全額貸してくれると言うなら考えますけどね。」
「アホか。わしみたいな独居老人のわずかな貯えを狙うとはおまえ鬼か? わしこれから先どないして生活していったらええねん。」
「知りませんよ、自分が言い出したんじゃないですか。とにかく、僕はもうネットポエムを辞めたいんです。」
「辞めんのなんか簡単やないかい。一、詩を書かないこと、二、ネットを見ないこと、それだけや。」
「へっ、それが出来たらおれらみんな、今頃もっと幸せな人生送ってますよ。」
 そうだ、みんなわかっているんだ。それが出来ずに、こんな山奥に幽閉されている。ヌンチャクさんの皮肉に一同、苦笑するしかなかった。

 職員がやってきて言った。
「そろそろ消灯の時間です。皆さん各自の部屋へお戻りください。」



 ここ、ネットポエム依存症患者のためのリハビリ更正施設、『実りある生活』は、毎晩10時に消灯となる。

 入所者には一人ずつ部屋が与えられている。6畳ほどの部屋にベッドと、鏡台のついた小さな机、椅子、タンスがおいてあり、奥のほうにユニットバスと小さなベランダがある。洗濯物は共用の洗濯機を使い、各自でベランダに干すのだ。15インチのテレビはあるが、もちろんPCやタブレットはない。電話もない。ネットポエム依存から脱却するためには、やはりネットに接続しないということが重要なのだろう。部屋のドアには鍵も付いていて、プライベートは保障されている。部屋から出る時は必ず鍵をかけるように指導されている。過去には、入所者による窃盗の被害などもあったらしい。そして、この施設のいちばんの懸案事項は、入所者同士の恋愛のもつれによる対人トラブルなのだそうだ。詩を書く人間などというものは、もともと自分の感情に酔いしれるところがあるし、その分、大げさに他人に共感したり、恋愛感情も芽生えやすいのかもしれない。施設では恋愛はご法度とされていて、トラブルを未然に防ぐため、職員たちも人間関係には特に目を光らせている。こうして消灯時間が過ぎた後も、入所者同士の密会がないかどうか、当直の職員が1時間おきに廊下を見回っているのだ。自分の生活が他人の監視管理下にあるのかと思うと、鉄格子こそなけれど、ここは半分、刑務所のようなものなのか、と後ろ暗い気持ちになってくる。ネトポ廃人。ネットポエム依存なんて、世間の人たちから見ると、もはや人ではないのだろう。

 『実りある生活』では当然のごとく、詩を書くことは禁じられている。代わりに日記帳を与えられ、
毎日、日記を書くことが義務付けられているのだ。その日記を翌日職員が読み、事実のみを簡潔に述べるようにだとか、無意味な改行はやめましょうとか、文章に過度な装飾はしないように等と、丁寧に添削するのである。今までぼくは、ポエムサイトに作品を投稿しては、「こんなものは詩ではない」と馬鹿にされてきたものだけれど、ここでは反対に、「これでは詩ですね。日記を書いてください。」と言われるのだから不思議なものだ。詩と日記の境界線なんて、結局は読者それぞれの主観の中にしかないんじゃないか、そんな気もしてくる。

 ベランダに出て、夜風にあたる。深い森を渡ってくる風はひんやりと、心の中にまで染み込んでくるようだ。おっといけない、ここでは詩的な言い回しをしようとしてはいけないのだ。葉が揺すれる音、虫の声、なんだか鳥の鳴き声も聞こえるけれど、なんていう名前の鳥なのか、ぼくは知らない。植物の名前、昆虫の名前、鳥の名前、星の名前、世の中にはたくさんの名前があるけれど、ぼくはそのほとんどを知らない。世界を知らない、知識もないということは、やっぱりぼくには詩は向いてないのだろう。ぼくの名前はsclap。現詩さんの言うとおり、人生のクズ鉄なんだ。
 フィッ、クション!! 嘘みたいなくしゃみが出たところで、今夜は、もう寝よう。おやすみなさい。(誰に話かけてるんだ、ぼくは?)


 6時起床。シーツと枕カバーを外し、洗濯機置場のカゴへ入れ、職員からクリーニングされた新しいものを受け取る。衣類やタオルは自分で洗濯することになっているけれど、シーツと枕カバーだけは業者に任せているのだ。

 続いて部屋の掃除。掃除と言っても私物がほとんどないので、部屋の中が散らかることもないし、軽く掃除機をかける程度で、掃除らしい掃除といえば、トイレとバスタブくらいだ。ぼくは今まで実家では、部屋の掃除をほとんどしたことがなかった。中学の頃から引きこもりで、一日中部屋にこもり、母親も入れないようにしていたし、脱いだ衣類や雑誌、ゲーム機、食べ残しのカップ麺、缶ジュース、ゴミ屋敷と大差ないような部屋でずっと生活してきたのだ。深夜に部屋の明かりもつけずPCのモニターを見つめ、複数のポエムサイトを行き来しながら、今日はぼくの投稿作に何ポイント入っているだろうかとか、コメントは来ているだろうかとか、そんなことばかり気にしていたものだ。実生活で人との繋がりがなかったぼくには、ポエムサイトの中が現実そのものだったし、そこでの顔の見えない言葉のやり取りが、人間関係のすべてだった。この施設に来て、久し振りに他人と顔を合わせて直に話をして(それも詩についての話!)、ぼくはまだまだうまく喋ることができないけれど、確かな充実感があった。生身の人間とのふれあい、他人との交流、長い間怖れてきたもの、拒否し続けてきたものが、本当はぼくの欲してきたものだったんだろうか。

 今こうして、無駄なものがまるでないきれいな部屋で過ごしてみると、なんだか頭の中まですっきりと整理されたような気になる。いつか家に帰る日がきたら、まずは部屋の掃除から始めてみよう。燃えるものは燃やすゴミ、燃えないものは燃やさないゴミ、余計なものを全部捨てれば、だいぶさっぱりするに違いない。けれど、心の中のいらないものは、どこへ捨てたらいいんだろう。

  そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに
  気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。
  『憔悴/中原中也』

 大人になったらいつか、そんな気持ちも薄れるのだろうか。

 7時には食堂に集まり、皆で朝食。今朝は、ちょっとした事件が起こった。



 今日の朝食には、デザートにリンゴがひときれ付いていた。現詩さんがうれしそうにぼくに耳打ちする。
「見てみ、クズ鉄。エデンの園子が禁断の果実食いよるで。あかんあかん、それ食うたらここ追い出されるで、あ、でもアダムがおらんからな、四股して逃げて行ったんや、信じてた男に捨てられるって惨めなもんや、アダムっちゅうよりむしろ蛇やな、まあしゃあないわ、男なんてみんなそんなもんや、股間に鎌首一匹飼うとる。騙される女が悪いねん、ええかクズ鉄、ポエムこそが禁断の果実やで、わしらみんなもう楽園には戻られへんねん、なんでこんなもん食うてもうたんやろなぁ、あー、あかん園子食いよった、知恵付いて自分の姿が恥ずかしなんねん、イチジクの葉っぱでな、股間は隠せても左手の傷はよう隠さんてか‥‥‥。」
 バンッ!!
 黙って聞いていた園子さんが、テーブルを叩いて立ち上がり、無言のまま部屋へ帰ってしまった。
「なんやなんや、ヒステリーか。これやからメンヘラはかなんのう。」
「現詩さん、今のは言い過ぎじゃないですか。」
 ヌンチャクさんが咎める。
「何がや。わしはみんなを楽しませようと思ってやな、冗談や冗談、ポエジーやないか。本気にするほうがアホやねん。」
「ペンは剣よりも強し。冗談も過ぎれば人を殺します。」
「なんやツンドラメガネ! わしとやるっちゅうんかい!」
「吉永です。」
「前からおまえのその優等生ヅラ気にいらんかったんじゃ! 大学出がそんな偉いんか!? いつもいつもくだらん文学論振りかざしよって!」
「僕がいつ大卒を自慢しました? 文学論てなんですか、そんなものは知りませんよ、中卒だかなんだか知りませんが、学歴コンプレックスはそっちじゃないですか! つまらない言いがかりはやめてください!」
「言うやないか小僧! 表出ろやボケェ!」
 現詩さんが派手に椅子を蹴飛ばしながら立ち上がった。続いて吉永さんも静かに立ち上がり、無言のままにらみ合う。うつむいたぼくの視界に一瞬、吉永さんの握りこぶしが入った。青い血管が浮いていた。

 沈黙。

 ピリピリした空気を破るように、ヌンチャクさんが静かに口を開いた。
「現詩さん、もちろんそれも冗談なんでしょう?もし本当にここで一戦始めるっていうならおれも――。」
 口調は柔らかかったけれど、日に焼けたヌンチャクさんの顔は紅潮してさらに赤黒く、仁王像のような有無を言わさぬ迫力があった。
「わかったわかった、謝ったらええんやろ? みんなわしが悪いねん、いつの時代でもそうやおまえら若者はな、何でも年寄りを悪者扱いにして、自分らは関係ありません、責任ありません言うとったらええんじゃ!」
「どこへ行くんですか? 食事中ですよ。」
「飯はもうええ。頭冷やして来るわ。‥‥‥すまんかったな、吉永。」
 張りつめていた空気が一気に緩み、ぼくはふうっと息をついた。
「それでは僕もこれで失礼します。」
 吉永さんも席を立ち、後にはヌンチャクさんとぼくだけが残った。ぼくはどうしていいかわからず終始うつむき、子ウサギのように震えながら、リンゴをシャリシャリとかじっていた。これだから人付き合いは嫌なんだ。仲良くなったと思っても、些細なことでいがみ合い、いさかいが起こる。人は憎しみや怒りをぶつけ合わなければ、コミュニケーションが出来ない生き物なんだろうか、ぼくはそんなのは嫌だ、早く家に帰って、また一人だけの世界に閉じこもりたい、こんな世界はみんな嘘だ、ネットポエムの中にこそ、本当のぼくが生きる世界がある、そんなことを頭の中でグルグルと思い巡らせていると、
「詩を書く人間も色々いる。無闇に他人を排除するのもよくないが、他人の意見に振り回されず、自分をしっかりと見つめることだ。自分の詩は、自分で書くしかないのだから。」
 ひとりごとのように呟いたヌンチャクさんの言葉に、ぼくはなんだか胸の内を見透かされたような気がして恥ずかしくなり、慌てて話題をそらした。
「皆さん、大丈夫でしょうか?」
「うん、現詩さんは大丈夫だろう。口は悪いけどああ見えて、根はいい人なんだ。年を取ると、自分が悪いとわかっていても、なかなか引っ込みがつかなくなるものなんだよ。大声を出して威嚇しながら心の中では、誰かが止めてくれるのを待ってたのさ。吉永君はまだ若いから、その辺りの心の機微っていうのかな、わからなかったのか、それか、わかってても我慢できなかったんだろう、いやいや、彼も男気のある、いい青年だよ。」
「園子さんは?」
「‥‥‥どうだろう、吉永君もそうだけど園子さんも、生真面目過ぎるというか、思いつめるところがあるから‥‥‥、もしかしたら、もう一波乱あるかもしれない。」
「どういうことですか?」
「ごちそうさま。お先。」
 ぼくの質問には答えずに、ヌンチャクさんはそそくさと食器を片付け、意味ありげな笑みを残して部屋へと戻っていった。

 その後、グループカウンセリングのために集まったぼくたちは、気まずい空気のまま、けれど誰も朝の一件には触れることなく、表面上はいつもと変わらない一日が静かに過ぎていった。

 もう一波乱あるかもしれない、というヌンチャクさんの予言は、次の日の朝、現実となった。



 朝6時になると施設内には、起床の合図として音楽が流れる。カーペンターズの『Top Of The World』という曲だ。毎朝聞いているのですっかりメロディが頭に染み付いてしまい、口ずさみながら掃除を始める。なんだか今朝は職員たちが騒がしい。しばらくバタバタと走り回っていたかと思うと、じきに静かになった。ほとんどの職員がいなくなったようだ。何事だろうと思いながら食堂へ行くと、現詩さんとヌンチャクさんがもう座っていた。
「おはようございます。何かあったんですか?」
「まあ座れや。」
 3人が揃ったところで、職員の一人が声をかけてきた。
「すみませんが、今日一日、自由時間とさせていただきます。ただし、外出は控えてください。詳細はまた後日、お話いたします。」
 職員が事務所へ戻ったのを見て、現詩さんがヒソヒソと囁く。
「駆け落ちや。」
「えっ?」
「吉永君と園子さんさ。昨日の一件があるからもしかしたら、とは思っていたけど、まさか本当にやるとはね。」
「園子とメガネができとったとはのう。ヌンチャク、おまえ知っとったんか?」
「なんとなくですけどね、勘付いてはいましたよ。
現詩さん、何も気付かなかったんですか?」
「アホか! 気付いてたに決まってるやろ! わしぐらいになるとな、予感霊感千里眼、ポエジーさえあれば過去から現在未来まで、黙ってても何でもお見通しじゃ。」
「そのわりには結構動揺してるじゃないですか。」
「やかましわ。わしの心は明鏡止水、波風ひとつ立ってへんわい。クズ鉄、醤油とってくれ。」
 ぼくは醤油差しを手渡した。現詩さんは生卵を小皿に割る。カパッ。
「鳥は卵の中から抜け出ようと戦う。卵は世界や。」
「デミアンですか、ヘッセの。」
 ぼくも読んだことがある。おどおどとした気の弱い主人公が、デミアンという少年に出会い、導かれるようにして人生を切り開いていく話だ。主人公に感情移入しながら読んだことを思い出し、ふと、ヌンチャクさんはなんとなくデミアンに似ている、と思った。
「まあおまえらはデミアンいうより、ダメヤンいう感じやけどな。なあ、ヌンチャクよ。」
「大きなお世話ですよ。」
「ケッ。それにしてもあいつらうまいことやりよったな。卵から抜け出よった。わしらはあかん、翼どころか雛にもなれん無精卵や。ええかクズ鉄、これがわしらの世界や、グッチャグチャにかき混ぜて、これがカオスや、我がの腹の中に、世界を飲み混むねんぞ。」
 そう言いながら現詩さんは大げさな身振りで、醤油の色に黒く染まった卵かけごはんを口一杯にかきこんだ。
「現詩さん、園子さんに気があったでしょ?」
 突然のヌンチャクさんの言葉に、現詩さんは大きく咳き込み、派手にごはん粒を撒き散らした。
「な、何言うとんねんアホちゃうか! なんでわしがあんなヒステリー女好きにならなあかんねん! 適当抜かすのも大概にせえよ! 怒るでしかし! 」
「園子さんによくちょっかい出してましたよね。」
「あれはやな、おまえ、あれや、ひま潰しやひま潰し。わしああいう辛気くさい女嫌いやねん。年がら年中じとじとぴっちゃん梅雨前線みたいやろ。心の中にまでカビ生えそうやないか。わし、カラッと晴れた秋晴れの後の鱗雲みたいな女が好きやねん。」
「鱗雲の喩えがよくわかりませんけど、女心と秋の空って言いますからね。そうそういつも明るく晴れ渡っているわけにはいきませんよ。誰にだって、人には言えない秘密もあります。」
「左手か? 小さい頃の火傷の痕やろ?」
「なんだ、それは知ってたんですか。」
「知ってるわそれくらい。母親の不注意で火傷したっちゅうやつやろ。ほんで結局それが原因で両親が離婚してもうたとかなんとか。」
「じゃあなんでためらい傷だなんて?」
「ギャグやギャグ! ポエジーやないか! ええ年こいていつまでも両親の離婚は自分の責任やとか火傷の痕気にしてウジウジしてるさかい、笑いに変えたっただけや!」
「誰も笑ってませんでしたけどね。」
「アホウ、メチャメチャウケとったわ、なあ、クズ鉄?」
「えっ? あの、いえ、その‥‥‥、見つかりますかね、二人とも?」
 ぼくは慌てて言葉を濁し、ヌンチャクさんに話を振った。
「深夜は職員の見回りがあったし、逃げ出したのはたぶん4時か5時、明け方近くだろうから、まだそれほど遠くには行ってないと思う。じきに見つかるだろうね。ただ、問題は、道路から外れて山の中へ入って行ってたとしたら。」
「遭難ですか。」
「それもあるけど、ほら、園子さんは少し情緒不安定なところがあるから‥‥‥。」
「心中か。」
「そうですね‥‥‥、いやいや、吉永君がついているから大丈夫でしょう、彼は若いけれどしっかりしている。おれの思い過ごしですよ。」
「そうやとええけどな。」
「もし見つかったら、またここに戻ってくるんでしょうか?」
「それはないね。二人が恋愛関係にあるとわかった以上は、同じ施設内で共同生活させるわけにはいかない。発見次第、家に帰されるんじゃないか。」
「まあとりあえず、騒動のおかげでわしらは一日、自由の身になったっちゅうわけや。カゴの鳥やけどな。ちゃうちゃう、生卵か。飛び立つことも出来んつまらん世界や。今日も一日ひまやのう。朝ドラも見飽きたし。なんやねんパテシエて? 山口県を舞台にしてやな、ネットポエムから中也賞目指すヒロインの朝ドラとかええんちゃうか。わし、ド田舎の美少女が書いたポエム読みたいわ。青空と入道雲と山の稜線とセーラー服と赤い自転車と、小さな恋と喜びと試験と放課後と親友とのケンカと涙と仲直りがあってやな、なんやもうキラキラして眩しくて目ェ開けてられへんようなやつ。もうこの年になるとな、ババアのズロースみたいな生活臭漂うクソポエムなんか読みたないねん。ぽたぽた焼きちゃうねんからやぁ、おばあちゃんの知恵袋みたいな詩読まされてもどないせえ言うねん、のう、クズ鉄、なんかおもろいことないんかい。」
「え、そんな、急に言われても‥‥‥。」
 口ごもるぼくを横目にヌンチャクさんが、悪巧みを思い付いたいたずらっ子のような笑顔で口を挟む。
「実は、こんな時のためにと思って、取って置きのものがあるんですよ。一緒にやりませんか? 現詩さん、いけるクチでしょう?」
「これか?」
 現詩さんはキョロキョロと辺りを伺い職員がいないのを確認すると、テーブルの上にグッと身を乗り出し、うれしそうに口をすぼめてお猪口を傾ける仕草をしてみせた。



 朝食後、ぼくらはヌンチャクさんの部屋に集まった。現詩さんは椅子に座り、ぼくはドアの近くの床に腰を下ろした。
「ちょっと待ってくださいよ。」
 ヌンチャクさんがゴソゴソとボストンバックから、ラベルの張ってない茶色い一升瓶を取り出し、3つのグラスに酒を注ぐ。
「怪しげな瓶やな。闇市みたいや。どっから盗んで来たんや。」
「人聞きの悪いこと言わないでください、おれの私物ですよ。ここに入所する時、コッソリ持ち込んだんです。もちろんメチルじゃないですよ、中身は普通の焼酎ですから。安物ですけどね。」
「飲めたら何でもええねん。久しぶりやからな。おいクズ鉄、廊下見張っとけよ。」
「はい、なんか、修学旅行みたいですね。」
「枕投げたろか? こんなところに閉じ込められてたら、隠れて酒飲むだけでもなんや悪いことしてる気になるわ。いただきます。‥‥‥。くうぅぅー、うまい、まさに至福のひとときやな。あとは横に酒ついでくれるねえちゃんがおったら言うことないわ。吉瀬美智子みたいなん。おっさんとガキンチョ相手ではのう。」
「まだ園子さんに未練があるんじゃないですか?」
「アホ抜かせ。来る者拒まず、去る者は追わず、男の恋に未練は似合わん。男は黙ってネットポエムじゃ。」
「やっぱり好きだったんですね。」
「知らん知らん。ふりむくな、ふりむくな、うしろには夢がない。寺山修二やったっけ? そんなこと言うとったな。」
「僕の後ろに道はできる、じゃなかったでしたっけ?」
「 sclap君、それは高村光太郎。」
「隅っこでレモンでもかじっとけやおまえは。おまえの本当の空なんかどこにもないぞ。そうやクズ鉄、食堂からレモンパクって来い。焼酎にはレモンいるやろ。梅干しはあかんぞ。わし、年寄りくさい食い物嫌いやねん。」
「もう十分年寄りですよ現詩さん。」
「そんなことあるかい。わしこう見えて、生まれたての仔猫みたくピュアやねん。気持ちはガラスの十代やねん。壊れそうなものばかり集めてまうねんな。なんでて思春期に少年から大人に変わりそこねてるやろ‥‥‥って誰が壊れてもうたRadioや! まだまだ現役じゃ! わしにもほんまのしあわせ教えてほしいわ!」
「うわ、飲んだらさらに面倒くせえなあんた! とにかく、レモンは諦めてください、職員に見つかると厄介ですから。sclap君は、酒はいけるのか?」
「いえ、ほとんど飲んだことないんです。」
「そうか、これも大人のたしなみだ、社会勉強だと思って飲んでみるといい。」
「せやせや、わしの注いだ酒飲めん言うたら張り倒すぞクズ鉄。」
「はい。」
 ぼくは恐る恐るグラスに口を付けた。
「‥‥‥うえっ、ゲホッ、ゲホッ‥‥‥。」
 それを見ていた二人が声を上げて笑う。
「そらそうや、いきなり焼酎のストレートなんて、お子ちゃまのクズ鉄には100年早いわ!」
「どれ、カルピスソーダで割ってやろう。」
「すみません‥‥‥。」
「何、謝ることはないよ。おれも若い頃はそうやって親方に仕込まれたもんさ。」
「親方?」
「うん、大工の見習いみたいなことをしていてね。」
「なんやヌンチャク、おまえ大工やったんか?」
「いえいえ、若い頃の話ですよ。厳しい上下関係が肌に合わずにすぐにやめました。」
「わかるわかる、おまえクソ生意気やもんな!」
「酷いな、現詩さん。おれのことそんなふうに見てたんですか?」
「家族はいてるのか?」
「昔結婚してましてね、子供も男の子が一人、朔太郎って名前なんですけど、十年前に離婚してそれきり、今は独り身ですよ。」
「なんや独り身か、わしと一緒やないか。朔太郎、ええやないか。『人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。』っちゅうやつやな。男は黙ってロンリーウルフや。孤独にもA級とB級があってやな、もちろん萩原朔太郎は文句なしのA級やけど、わしらみたいな、けして世に出ることない無名のネットポエマーでもやな、心持ちと覚悟だけはいつもA級でありたいわな。」
「たまにはいいことも言うんですね。」
「待て待てクズ鉄! たまにちゃうやろ! わし、人生もポエムも喋りも、いつでも全力投球真剣勝負、勇気100%やっちゅうねん! 常にええことしか言うてへんわい!」
「でも自己評価だけは恐ろしく高い。」
「当たり前やろ! わしの人生や他人の評価なんかあてにできるかい、わしの価値はわしが決める。そう言うおまえはどうやねんヌンチャク、ほんで、嫁はんに逃げられて、ネットポエムに慰めを見出だした、ってわけか。」
「まあ、そんなところですよ。」
「クズ鉄、おまえは女おるんかい?」
「いえ、あの、いないです‥‥‥。」
「せやろな。聞くまでもないわな。こないだのグループカウンセリングで見たおまえのポエム、モロゾフやったっけ? ほんまあれは酷かったわ。おまえ童貞やろ? 僕の前に女はいない、この遠い童貞のため、ってな。」
「‥‥‥。」
「まあまあ、気を落とすなよ、あれはあれで、思春期の煩悶が鮮やかに描かれていて、なかなか良かったよ。おれの子も君と同じくらいの年だから、あれから10年か、もう大きくなっているんだろうな。」
 ヌンチャクさんの優しい眼差し。ぼくに別れた息子さんの面影を重ねているのだろうか。なんだかくすぐったくなって、ぼくは目をそらした。
「せやせや、おまえよう見たら目ェクリッとして子グマみたいで、年増に可愛がられそうな顔しとるわ。将来マダムキラーになるんとちゃうか。世の中広いからな、どっかに年上の美女に囲まれてチヤホヤされる夢のような世界があるかもしらんぞ。」
「別にうれしくないですよ。」
「まあまあ、まだ若いんだから人生も詩もこれからさ。飲めよ。」
「孤独と、酒と、ネットポエム! それがわしらの人生や!」
「いよっ、自称天才詩人!!」
「自称は余計や! それが生意気やっちゅうねん!」
「酒の席とネットポエムは無礼講ですよ無礼講。そうそう、おれね、無礼派っていうHNも持ってるんです。」
「知らんがな! 誰得やねんその情報! ええかクズ鉄、ポエムはいつか現実を越えるぞ、ネットポエムが文学史を塗り変える日が来る! いつか来るその日のために、ネットの海で華々しく雄々しく散る、我等ポエジーに命捧げた幾千幾万の特攻兵や! ネットポエム万歳や! 死ぬ気で詩ィ書けよ! って言うてもほんまに死んだらあかんで、喩えや喩え、大人は見えないしゃかりきコロンブス、そういう気持ちやぞ、わかるか?」


  大いなる文学のために、
  死んで下さい。
  自分も死にます、
  この戦争のために。
  『散華/太宰治』


「しゃかりきコロンブスって何ですか?」
「なんや知らんのかいパラダイス銀河! まあええ、たとえ我等の詩が過去ログの藻屑と消えようとも、我等の高い志、崇高な魂は必ずや後世のネット詩人たちへと受け継がれて行くであろう、ええかクズ鉄、おまえのかついだ空、渡せよ次の世代に!」
「はい!」
「ネットポエムは永久に不滅やでな!」
「はい!」
「現詩さん、巨人ファンなんですか?」
「そんなわけあるかい、わし今でもバリバリの近鉄ファンや。おまえら知らんやろうけどな、藤井寺球場で野茂育てたん、あれ、わしや。」
「え、本当ですか?」
「sclap君、それ嘘だから! 簡単に人を信じない!」
「嘘ちゃうわい、ポエジーやっちゅうねん!」

 他人と笑いながら話をするなんて、何年振りだろう。酒の力も手伝って、ぼくは二人の話に大声で笑い、また自分もいつもより饒舌になった気がする。酒を飲んで詩の話をすることが、こんなに楽しかったなんて、ネットポエムとはまた違う興奮にぼくは包まれ、知らず知らずに飲めないはずの酒が進んでいたらしく、ひどく悪酔いして、いつの間にかその場で眠ってしまったようだった‥‥‥。


「おいっ! 起きろクズ鉄! いつまで寝とんねん!」
 どれくらいの時間がたったのだろうか、眠っていたぼくは、現詩さんに蹴り起こされた。
「‥‥‥おはようございます‥‥‥。」
「何寝ぼけとんねん。早よ起きて自分の部屋見てこい。」
 何が何やらわからないまま、ぼくは現詩さんに腕をつかまれ、無理矢理立たされた。
「すみません、ちょっと待ってください。」
 頭がガンガンする。目を閉じると頭を中心にして体と世界がグルグルと回っているような気がして、吐き気が込み上げてくる。これが二日酔いというやつなのだろうか。
「しっかりせえよ、おまえ、金目のもん取られてへんか?」
「はい?」
 ぐたりと座り込んだぼくを見下ろし、赤ら顔の現詩さんが言う。
「ヌンチャクや。あいつ、金持って逃げよったぞ。」
「何が?」
 突然叩き起こされ、まだ酔いの残っていたぼくは、正常な判断力を失い、現詩さんの言うことを理解できずにいた。
「何がやあるかい。ヌンチャクがわしらの金奪って逃げたんや。あいつ、始めからこれが狙いやったんや。騒ぎに便乗してわしらに酒飲ませて、酔うて寝てるあいだにまんまとやりよった!」
「窃盗、ですか? まさか――。」
 ぼくはなんとか話は理解したものの、酷い目眩と吐き気をどうすることもできなかった。
「ちょっと、吐いてもいいですか?」
「アホウ!こんな時に何言うてんねん!吐くのはクソポエムだけにしとけやクズ鉄!」
 ぼくは四つん這いのままトイレまで這って行き、そのまま洋式便器に顔を突っ込んで吐いた。酸っぱい透明な液体を噴水のように吐くだけ吐いて、悲しいのか悔しいのか涙と鼻水で顔中グシャグシャにしながら、しばらく身動きが取れずにいると、現詩さんが呼んだのだろう、二人の職員に両脇から体を抱え上げられ、ぼくの部屋へと連れていかれ、そのままベッドに寝かされた。その後、夜中も何度か目を覚ました記憶がある。ベッドの横で、職員が付き添っていたようだった。

 翌朝6時。いつものようにTop Of The World で目覚めたぼくは、昨夜の記憶を思い返していた。ヌンチャクさんが窃盗、本当のことなんだろうか。職員はもういない。事務所へ顔を出して、昨日はすみませんでした、と声をかけた。もうすぐご両親が来られますから、しばらく部屋でお待ちください、と職員に言われ、それ以上詳しい話は聞き出せなかった。

 食堂へ行くと、現詩さんが今か今かとぼくを待ちかまえていた。
「早よ座れや。二日酔いは覚めたか?」
「はい、昨日はすみませんでした。」
「そんなんええねん。おまえ何にも取られてへんか?」
「いや、ちょっとまだ、確認できてないんですけど、あの、本当なんですか、ヌンチャクさんがまさか、盗みなんて‥‥‥。」
「間違いない。わしも昨日の記憶が途切れてるんやけど、あいつ酒になんか入れたんちゃうか? わし酒は強いほうやねんけどな。油断したわ。現金とクレジットカード全部いかれてもうた。」
「‥‥‥‥。」
 ぼくは言葉を失っていた。もめ事が起こった際にはいつも仲裁役を買って出ていた、正義感の強いヌンチャクさんに、まさか窃盗癖があったなんて‥‥‥。信じたくなかった。嘘だと思いたかった。
「クズ鉄、目ェ剥いてよう見ろ、事実は小説よりもポエム、これが現実やぞ。」
「‥‥‥なんだか、昨日今日といろいろありすぎて、何を信じたらいいのか、よくわからなくなりました‥‥‥。」
「何言うとんねん。ネットポエムも現実の世界も一緒や。ようさん人間がおって、悪い奴もおればええ奴もおる。気の合う奴もおれば虫の好かん奴もおる。出会いがあって、それと同じ数だけの別れがある。おまえまだ、必死になってしゃかりきコロンブスで生きたことないやろ。早よ胸のリンゴ剥けや。人間ゆうのはな、おまえの知らんところで、笑ったり泣いたり傷付いたり怒ったり嘘ついたり裏切ったりしながら、それでも人間を諦めんと、ええ奴も悪い奴もみんな必死になって生きてんねんぞ。おまえそういうこと知らんやろ。せやから人の上っ面しか見ようとせえへんねん。ネットポエムも現実の世界も一緒や。ただひとつ違うのは、そこにポエジーがあるかないかや。」
「‥‥‥はい‥‥‥。」
「でも、まあ、良かったわ。」
「‥‥‥何がですか?」
「詩の次に大事なフランク三浦は盗まれへんかったわ。ほれ。」
 現詩さんが右腕をぐっと前に付き出して愛用の腕時計をぼくに見せた。よく見ると文字盤に、『フランク三浦』と書いてある。
「これ、フランク・ミュラーのニセモノじゃないですか。」
「アホウ、バッタもんちゃうわい、大阪は西成生まれのオリジナルブランドや。遊び心でリアルを越える、どや、これこそポエジーやろ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥。」

 昼前、ぼくの両親が施設に到着し、事務所でしばらく話をした後、ぼくは現詩さんに別れの挨拶をする間もなく、実家へと連れ戻された。結局、ぼくの持ち物からも3万円ほど盗まれていたらしい。父親は施設への不信感を募らせ警察に被害届を出すと息巻いていたが、ぼくはなんとかやめてもらうように頼みこんだ。ヌンチャクさんの行方は、まだわかっていない。

「他人の意見に振り回されずに、自分をしっかり見つめることだ。」

 ヌンチャクさんの言葉が、今は虚しく響く。口先だけのきれい事を並べて本当はただのコソドロじゃないか、そういう気持ちはもちろんある。けれどなぜだか、ヌンチャクさんを恨む気にはなれなかった。ヌンチャクさんも、現詩さんも、駆け落ちした園子さんと吉永さんも、みんな本当は心の中にいらないものをたくさん抱えていて、やり場がどこにもなくて、それでも大人だから泣き言ひとつ言えずに、一生懸命虚勢を張って生きているのだ、そう思うと、今まで長いこと一人で抱え込んできた胸のつかえがすっと取れたような、ただ重苦しいだけだった人生が、儚く脆く、それでいて愛しいものに思えてきた。ぼくはまず、部屋の片付けから始めた。カーテンを開け、窓を開け、雨戸を開ける。何重にも覆ってきた心の殻を破り、世界を、光を受け入れる日が来たのだ。


 家に戻ってから2ヶ月後には、ぼくはコンビニでバイトをするようになっていた。1日4時間ほどの勤務で、パートタイマーの主婦たちに囲まれながら、慣れない仕事を教えてもらっている。人手が足りない時は、夕方から夜の時間帯に入ることもある。同年代の子と喋るのはまだ少し気後れするけれど、必要以上に劣等感を抱くことはない。
「誰にだって、人には言えない秘密もあります。」
 ヌンチャクさんの言葉だ。そりゃそうだ、と今では思う。けれども、引きこもっていた頃のぼくには、世間の人たちは皆、自信に溢れ、毎日を充実して送っているように見えて、いつも眩しかった。ぼくだけが暗い穴の中に落ちているように錯覚して、現実逃避からネットポエムに依存し、あがくことすら諦めてしまっていたのだ。

 実はまだ、ぼくはネットポエムを卒業できていない。『実りある生活』でリハビリを受けたけれど、結局、詩を辞めることはできなかった。今も毎日ポエムサイトを覗いている。ネットに投稿していると、たまに、酷い罵倒や批判を受けることもある。時にはそれが作品評を越えて、作者の人格を否定するような言葉になることもある。以前のぼくは、そういう厳しい言葉の表面的な意味ばかりにとらわれ、深く傷付いたり、落ち込んだりしていたものだけれど、最近は、酷いコメントを入れられても、その言葉の裏には何があるのだろう、相手はどういう表情をしているのだろう、と考えるようになった。
「クズ鉄、おまえの詩ほんまクズやのう。」
 毎朝そう言いながらうれしそうにぼくの詩を読んでくれた現詩さんの笑顔、名誉の負傷だと自慢していた半分欠けた前歯が思い浮かぶ。

 毎日のようにポエムサイトを覗いていると、人の動きがよくわかる。誰と誰が仲がいいとか悪いとか、やはりここも世間と変わらないのだ。なんだかみんな顔馴染みのような気さえしてくる。人の悪口ばかり言っている現詩さんに似た人もいれば、園子さんと吉永さんみたいなカップルもいる。他人のもめ事に横から余計な口を挟み便乗して騒いでいるあの人は、HNこそ違うけれど、本当にヌンチャクさんじゃないかとぼくは思う。もう二度と会うことはないだろうけど。

 いつの日か、ぼくがもっと年を取って、現詩さんやヌンチャクさんのようになって、ポエムバー『北極』で、若い子たちと、酒を飲める日が来ればいいなと思う。ぼくは言うだろう、ポエムもリアルも一緒なんだよって、そこに、ポエジーがありさえすれば、と笑いながら。

 ぼくの名前は葛原徹哉。初給料でフランク三浦買いました。最近、少し酒を覚えました。詩は、まだまだこれからです。あなたは、どなたですか?


【祝エンタメ賞受賞!NCM参加作品】君はポエム。

  ヌンチャク

嘘みたいな3月の青空があって、
嘘みたいにたくさんの人が詩んだのに、
相も変わらず、
オワコンネットポエムで、
詩がどうとか、
芸術がどうとか、
もう辞めるとかどうとか喚いてる君。
そんなに詩を書くことが大事なら、
君の信じる詩の中で、
白目を剥いて詩ねばいい。
誰にも届きやしないんだ、
そんな言葉じゃ。
寝言の中で、
月を見たり、花を見たり、
クスリ、と笑ってみたりして、
詩が書けたつもりになってるだけさ。
嘘だと思うなら、今夜、
春爛漫、
君の咲かせた満開の詩の中で、
身震いしながら散るといい。
詩がどうとか言いながら、
今まで君が見殺詩にしてきた、
たくさんの人、
たくさんの言葉、
咲き乱れるはずだったその、
花びらの一枚一枚、
生き様が詩になるんだよ、
あの日あの時、
口をつぐんで言葉を捨てた、
愛すべきすべてのクズポエマーたちよ、
覚えておくがいい、
4月になっても嘘みたいな青空、
比喩でなく、
僕らはいつか言葉に復讐される。

人生は詩だから、
ただ生きろ、
愛も変わらず、
そこに在る。


「あ、ヌンチャクくん、
また目ぇ開けたまま寝てる……。」


詩賊、無礼派、ダサイ先生のこと。

  ヌンチャク

 〜登場人物〜

ダサイウザム
   無礼派(新愚作派)を代表するデカダン風詩人。
   太宰マニア。
   詩集『ぼくがさかなだったころ』で第一回詩賊賞受賞。

葛原徹哉
   詩誌『詩賊 Le Poerate』のアルバイト編集者。
   十代の頃は引きこもりで、
   ネットポエム依存症だった過去を持つ。








 ナポリを見てから死ね!
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』


「先生! ダサイ先生!」
「おや、まったく売れないマニアックな詩誌『詩賊 Le Poerate』の駆け出し編集者、葛原君じゃないか。一体どうしたと言うのかね、そんなに大きな声を出して?」
「どうしたもこうしたもありませんよ先生、今日が何の日かもちろんご存知ですよね?」
「六月十九日、桜桃忌だろ。」
「違います! 今日は締め切り日なんですよ! 原稿を頂きに上がりました! もちろん出来てますよね?」
「うむ、出来てない。」
「それでは困ります、今すぐ仕上げてください!」
「幸福は一夜遅れて来る。太宰の『女生徒』にある言葉だが、幸福ですら一日遅れてやって来るというのに、原稿が遅れているくらいでそんなに大騒ぎするものではないよ、みっともない。」
「騒ぎますよ、今日中に印刷所に原稿回さないと誌面に穴が開きますからね!」
「いいじゃないか開けておけば。雄弁は銀、沈黙は金、ましてや詩は、行間の空白を読む文学ではないのかね? なぁに、たかだか4ページくらい真っ白でも構いやしないさ。そうだ、ジョン・ケージだ。無言をそのまま作品にすればいいのさ。」
「先生それ、ネットポエムのちょっとイタイ人がたまにやる本文空白ポエムじゃないですか。」
「いいんだよ別に、どうせこんな三流詩誌、誰も読んでないんだから。」
「あ! それは言わない約束にしようってこないだ二人で決めたとこなのに! それ言い出すとお互い虚しくなるからって!」
「しかしそれが事実だからね。現実を直視する勇気がないのかね、君は?」
「現実を直視する前に、締め切りを直視してください先生、それこそ現実逃避じゃないですか。誰も読んでないだなんて、仮にも詩賊賞受賞者がそんな身も蓋もない事言ったらウチの編集長激怒しますよ。」
「怒らせておけばいいんだ。だいたい賞金どころか賞状ひとつない、授賞式も受賞の言葉も選評すらないような賞にいったい何の価値があるのかね。」
「あるのかね、ってもとはと言えば、ダサイ先生が授賞式メチャクチャにしたから次の年からなくなったんだって、ぼく先輩から聞きましたよ?」
「何の話だ? 記憶にないな私は。とにかくだね、詩賊賞なんて、詩誌としての体裁を整えるための、編集部の自己満足でしかないじゃないか。私ならそんな有り難みのない賞より、詩への対価として金一封でも貰うほうが余程うれしいがね。」
「先生、お言葉ですがそういう考え方は人として最低だと思いますよ。賞というのは、長い時間と議論を重ねて熟考した選考委員の労に心から敬意を払える人間にのみ、その価値が生まれるものです。」
「そうかも知らんね。私なんか端から受賞資格がないのさ。なんたってクズなんだからね。太宰ですら芥川賞を獲れずに死んでいったというのに、私みたいなキワモノが賞を貰ってそれがどうだと言うんだ。笑い話にもなりゃしない。」
「先生、今時自虐的ナルシシズムなんて流行りませんから。貰えるものは有り難く貰っておけばいいじゃないですか。それで箔も付くことですし。」
「そこなんだ問題は。世の中には権威になびく下劣な人種だっているんだぜ。それまで散々私の作品をコケにしてきた連中がさ、私が賞を貰った途端に掌を返し先生先生ってね、現金なものさ、本当にあいつらは本物のクズだな。」
「いいじゃないですか、別に。権威にクズが群がってきたとしても、どちらにしても先生にとっては名誉なことなんですから。無礼派の理念は『詩なんか書くヤツみんなクズ』なんでしょう?」
「そうだ。私だってクズには違いない。しかしだね、葛原君。一寸の虫にも五分のポエジー、クズにはクズなりの美学もあれば信念もあるし、誇りだってあってしかるべきだ、そうだろう? 権威を前に自分の意見をコロコロと変えるような、そんな風見鶏みたいなお調子者、私は断じて批評家とは認めないね!」
「はいはい、先生のお考えはこの葛原、未来永劫しっかと胸に刻み込みましたから、とりあえず今は原稿を仕上げることに専念していただけませんか? だいたい先生はデカダン過ぎますよ、仕事もせずにこんな明るいうちからお酒なんか飲んだりして!」
「そういう作風で売っているのだから仕方がないじゃないか。何を言ったってアル中の戯れ言と思われているのだから。モンスタークレーマーの絡み酒だってさ。読者のイメージを壊してしまったら申し訳ないだろう?」
「先生のプライベートなんか誰も興味ありませんよ。先生の人付き合いの悪さは編集部でも有名ですからね。ここだけの話ですけどね、ウチの先輩が皆、先生の担当になるの嫌がってぼくが任されることになったんですよ。先生、人嫌いのくせに、読者とTwitterフォローし合うわけでもあるまいし、イメージなんか気にしてどうするんですか?」
「作家の良心じゃないか。芸術というのはサーヴィスなんだ、作品に込めた自己犠牲の奉仕、心尽くしなんだよ。私だってこう見えて、自分に与えられた役割というものをだね……。」
「言い訳は結構ですから、その良心とやらがあるならまずはしっかり期日までに作品を仕上げていただければそれでいいんです。」
「そうは言ってもねぇ……。」
「先生! その頬杖ついてアンニュイな表情浮かべる太宰のモノマネやめてください!」
「似てるだろう? クラブの女の子にはウケるのだよ? 先生太宰にソックリねって言ってさ、去年の桜桃忌、小雨のパラつく日だったなぁ、先生食事でも連れて行ってくださいなんてことになって、やっべオレ結構モテるじゃんモノマネやってて良かった太宰ありがとう、って何だよただの同伴かよ人の恋心もてあそびやがって、っていうね。こっちは下心丸出しでちょっと奮発して高級ブランドの勝負パンツでキメて行ったっていうのにさ、普段はしまむらなんだぜ?」
「どうでもいいですよそんな話。ぼく、先生のファッションチェックしに来たわけじゃありませんから。作品はどうなってるんですか?」
「……ふぅん、そこなんだ、どうやら私のミューズはバカンスを取ってどこかへ旅行に出掛けたらしい。そうだ、私も原稿料前借りして伊豆にでも行こうかしら。露天風呂から富士でも眺めれば、いいポエジーが降りてくるかもしれない。」
「何を呑気に昭和の文豪みたいなことをおっしゃってるんですか。ウチみたいな零細出版社にそんな余裕ありませんよ。ぼくなんかボーナスどころか寸志すらなくなりましたからね。」
「そうかい、夢がないねぇ、詩の世界は。」
「先生がぼくらに夢を見させてくださいよ! 太宰どころかお笑い芸人が芥川賞獲ってベストセラー作家になるというこのご時世に、詩人は何をやっているんですか!?」
「お、今日はなかなか鋭いところを突くじゃないか。どうやら君も一人前の編集者の顔になってきたようだな。育てた私も鼻が高いよ。」
「茶化さないでください。さ、早く原稿仕上げて!」
「少年ギャングの編集者知ってるかね? ストーリーに意見を出し、ネームを会議にかけ、漫画家と二人三脚で一緒になって作品を作っていく、それこそがプロの編集者の姿というものだよ。作家と編集者というのは一蓮托生なのだ。それに引きかえ君ときたらどうだ、二言目には原稿寄こせ原稿寄こせと馬鹿の一つ覚えみたいにそれしか言わない。恥ずかしいとは思わんかね? 追いはぎじゃないかまるで。」
「……わかりました。そういうことでしたらぼくもお手伝いいたしますから、原稿を仕上げていきましょう。」
「手伝うって何をだね?」
「ダサイ先生は思い付くまま閃くまま、即興で詩を言葉にしてください。ぼくがそれをこのPCに打ち込んでいきますから。」
「口述筆記というやつか。いいね、大作家って感じがするよ。私と君のジャムセッションだ。やろう。」
「では早速、お願いします。」
「うむ、タイトルは、ええと、そうだな、ポエジーについて。」
「はい。ポエジーについて、と。」
「いつの時代も人々の心を魅了してやまない、ポエジーという得体の知れない神秘、果たしてその正体とはいったい何であろうか?」
「……何であろうか? ……先生、これ論文みたいですけど大丈夫ですか? 詩になりますか?」
「大丈夫だ、続けたまえ。ここから凄い展開になっていくから。ディスイズエンターテインメント、詩賊賞の真髄を見せてやるよ。口語自由詩の先駆け、萩原朔太郎は詩集『月に吠える』の序において、こう述べている。」
「……述べている。」
「『すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩のにほひといふ。』」
「……匂いと言う。」
「まさにこの『にほひ』こそがポエジーなるものの正体であろう。」
「……であろう。」
「まだ学生だった私はこの萩原朔太郎の言葉に触れ、非常に感銘を受けたものだ。」
「……受けたものだ。」
「ってか奇遇! ウチも朔ちゃんとおんなじこと思てたやーん!」
「……思てたやーん、……何これ?」
「やーんの後に顔文字を入れてくれたまえ。」
「顔文字ですか? 思てたやーん(*_*) こんな感じですか?」
「チガーウ、チガウヨ! もっと楽しそうなやつがあるだろう!」
「思てたやーん(^3^)/」
「それそれ、そういうのいいね。」
「さすがダサイ先生、顔文字使った詩なんて斬新ですね、って先生! 真面目にやってくださいよ! どこがエンターテインメントですか、何が詩賊賞の真髄ですか! いつもいつもふざけてばかりで、それでも芸術家のはしくれなんですか!?」
「生真面目だなあ、葛原君は。芸術なんて軽い気持ちで、適当にやればいいんだよ。君にとっての芸術とは何だい?」
「生き様です。」
「生き様ねぇ、若い、若いなぁ君は。所詮生活の苦労を知らんな。場末のスナックのしみったれたホステスと成り行きで結婚するハメになってさ、情にほだされてってやつよ、一人二人でも子供が出来てごらん、子供なんてすぐに熱を出す生き物だし、やれ薬代だ保育園料だとそりゃあ金がかかるのだから。生活の前にあっては、芸術なんて無力なものだよ。」
「やっぱり、そういうものでしょうか?」
「そうさ、こういう言葉があってね。『人間なんて、どんないい事を言ったってだめだ。生活のしっぽが、ぶらさがっていますよ。』」
「誰の言葉ですか? 先生ですか?」
「私じゃない。太宰さ。」
「やっぱり。」
「やっぱりって何だ、ちょくちょく失敬だな君は。」
「先生にとっての芸術って何ですか?」
「チュッパチャップスだね。」
「チュッパチャップスですか?」
「チュッパチャップスさ。」
「ペロペロキャンディーではダメなんですか?」
「どっちでもいいよ。」
「南天のど飴では?」
「そんな食いつくとこかね、ここ?」
「甘くないですか?」
「大甘さ。」
「舐めてるんですか?」
「大いに舐めてるし、しゃぶってるね。」
「……それが先生の芸術ですか?」
「不服かね?」
「そりゃあ不服ですよ。芸術がアメ玉だなんて。」
「たとえば君が山で遭難したとしよう。右も左もわからず身動きすら取れない、いつ救助が来るかもわからない状況に陥ったとして、芸術なんて一体何の役に立つのかね? アメ玉ひとつで繋がる命だってあるんじゃないのかね?」
「確かに理屈ではそうですけど……。」
「理屈じゃない、真実さ。詩が腹の足しになるのかい? 芸術なんていうのは、人生の余暇を持て余した暇人の道楽に過ぎない。いざという時には何の役にも立ちゃしない、詩なんて寝言戯言、虚言妄言だよ。そんなことすらわからずに純粋だの美しさだの傷みだの現実と戦うだの何だのと詩を賛美して回る馬鹿な連中がゴロゴロいるだろう? だから私は詩なんか書くヤツはみんなクズだって言うのさ。」
「そんなに詩が信じられないなら、もうお辞めになってはいかがですか?」
「私だって何度も何度も詩を辞めようと思ったさ。真っ当な勤め人になろうと努力もしたよ。皿洗いもしたし、清掃員も土方もやった。交通整理もしたし、黒服も工場のライン作業も訪問販売もした。どれも長続きしなかったがね。行く先々の職場で馬鹿にされ嘲笑され、小突き回され、結局私に出来ることと言えば、くだらない詩を書くこと、それしか残っていなかったのさ。それがどれだけ愚かで惨めなことか、君にわかるかい? 」
「…………。」
「それから私は、自身がくだらない詩を書くことしか出来ないクズであることを受け入れ、クズとして生きていく覚悟を決めたのさ。けれども世の中には相変わらず、詩を盲信し詩に酔いしれている連中が蔓延っているじゃないか。私が大声で詩なんか書くヤツはみんなクズだと叫ぶと、それこそ束になって集団で私を非難しに来る。私みたいな立ち位置の詩書きは目障りなんだとさ! コミュニティーの和をかき乱す害虫なんだと! ところがだ、普段は芸術がどうのポエジーがどうのと大騒ぎしているその連中がさ、十年前のあの大震災の時、まず何をしたか知っているか? いいか、誰よりも真っ先に口を噤んだんだぜ!? そんなことってあるか!? 詩人自ら言葉を殺したのさ! 語るべき言葉を持ち得なかった? ハッ! 自己保身の言い訳だけは立派だな! 人がぎゅうぎゅうに苦しんでいる時に言葉で寄り添ってやることが出来ずに何が詩人だクソ野郎! 誰一人救えないような芸術、自粛しなければならないようなポエジー、そんなものに一体何の価値がある? 奴ら現代詩かぶれが馬鹿にする『詩とメルヘン』やなせたかしのアンパンマンだって自分の顔をちぎって腹を空かせた子供たちに食べさせるんだぜ? なぜ詩人にそれが出来ない? 一生懸命自分の身体から心から言葉をちぎって配って歩いたらいいじゃねえか! なぜそれをしようとすらしないんだ! 詩ってその程度のものなのか! おまえらの言う芸術ってのはアンパン以下か!? 太宰も『畜犬談』の中でこう言っている、「芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ」ってな! 私はあの時、奴らの薄汚い本性を見たと思ったね。作品をどれだけ美辞麗句で飾っていようと、私は奴らの言うことなど信じない。奴らこそ、弱者を見殺しにして今ものうのうと生きている、紛れもない真性のクズだ。詩書きというのは詩を書くことしかできない無能なのだから、地震が来ようと戦争になろうと身内が死のうと、詩なんていう非常事態には何の役にも立たないゴミみたいなものを、非難を受けながらでも書き続けなきゃいけない業を背負ってるんだ! 業を背負う覚悟がないなら今すぐ詩なんか辞めちまえ! 自分が傷付きたくなくて、自分が非難されたくなくて口を閉ざした薄汚いクズ共よ、私は自身の作品と言動でもって自らがクズであることを証明し、おまえらもまた同じようにクズであるということ、おまえらの欺瞞を暴いてやる! いいか、これは復讐なんだ! 私のポエジーとは、自ら言葉を殺しておきながら、今も何食わぬ顔で詩人面をして芸術がどうだのとほざいているイカサマ師、卑怯者たちへの、憎悪であり、憤怒であり、呪詛であり、殺意であり、宣戦布告であり、断罪なんだよ! 確かに私の言葉は何も生まない、誰も救わない、代わりに私が、誰よりも深く傷付いてやる!」
「…………。」
「聞くところによると君は若い頃、ひきこもりだったそうじゃないか。」
「……はい。」
「社会に何の不満があったのか知らないが、所詮は衣食住の心配などしたことのない親の脛かじりじゃないか。それがどうだ、ちょっと社会に出てきて職にありついた途端、すっかり人生を理解したような気になって芸術がアメ玉では不服だの何だの、浮かれ過ぎだとは思わんかね? 生きるというのは、そんな簡単なことなんですかねぇ葛原さんよ?」
「…………。」
「君は内心、私のことを馬鹿にしているのだろうけど、私からすれば君なんか、口先ばかりでまるで中身のない、ただ小生意気なだけの青二才だ。たとえるなら、素人童貞さ。金出してやらせてもらってるだけの腰抜けが、意気揚々と女心を語るんじゃねぇよ恥ずかしい。たくさん傷付いて傷付けて失敗して躓いて、それでもまだわからない、だからこそ抱く価値があるんじゃねえのか芸術ってやつは。」
「…………。」
「…………なァんてね(^-^)v。どうだい、今の小芝居は? なかなかの名演技だったろう? 実は高校の頃、演劇部だったのさ。」
「え? ……今の、全部嘘だったんですか?」
「当たり前だろ。私を誰だと思っているのかね? 太宰治の劣化コピー、ダサイウザムだぜ。嘘とポーズはお手の物さ。あと、道化もな。」
「なぁんだフィクションか、ぼくはてっきり……、良かった……。」
「良かぁねえよ。今ので約束の4ページ、来月号の作品が出来たと思ったら、すっかり手が止まっているじゃないか。」
「えっ? 今のも作品の一部だったんですか?」
「当然。モンスタークレーマーの絡み酒、凄い展開になるって言ったじゃねぇか。早く仕上げて編集部と印刷所にデータ送ってやれよ。そろそろ編集長もオカンムリだぜ。」
「はい! それにしても芸術って難しいんですね。ぼく、何だか、芸術がアメ玉でもいいような気がしてきましたよ。」
「人生なんて死ぬまでの間の壮大な暇潰しに過ぎんよ、君。日々、興醒めの連続さ。せめてたまにはアメでも舐めていないと、馬車馬だってムチで叩かれるばっかりじゃ、それこそ馬鹿馬鹿しくてやってられねえよ。世の人は皆毎日毎日クスリとも笑わず、いったい何が楽しくて生きているのかねぇ?」
「そうですねぇ……。」
「よし、仕事を終えたら行くぞ葛原君、付いてきたまえ!」
「行くってどこへですか?」
「興醒めの日々をブチ壊し、今ある生を享受しに行くのさ! いいポエジーにはいい酒がいる、そうだろう? いざ行かん、ポエムバー『北極』へ!」
「わかりました、お供します! もちろん先生の奢りですよね?」
「馬鹿野郎、甘ったれるない。旅は道連れ世はポエジー、煙草銭はめいめい持ちってね、覚えておきたまえ。」
「ちぇっ、夢がないなあ、プロの詩人が金欠なんて。」
「何だっていいさ。金なんか土台問題じゃない。どうせ死ぬまでの暇潰しなんだから。詩人なんてくだらねえ。一等星じゃないんだぜ、私たちは。せめて人生のほんの一瞬でも光輝くことができたら本望じゃないか。私は確かにクズに違いないが、そのうち必ず見知らぬ誰かに私の言葉、私の光が届くと信じているのさ。」
「先生……。」
「いいかい葛原君、声を上げることを怖れてはいけない、どんなことになろうと私たちだけは、言葉を諦めてはいけない、詩を棄ててはいけない、距離も時間も越えてまだ見ぬ人に呼びかけ続けるんだ。その小さな声がいつか誰かの心に届いた時、初めてそれが芸術と呼べるものになるんじゃないのかね?」
「……ダサイ先生、ぼく、先生のこと誤解し……。」
「なァんてね! (о´∀`о)」
「あっ! やっぱり! ご近所の皆さん! この先生、本当の本当にクズなんです!」
「そうです、わたすが、ダサイウザムです。」
「なんかぼく、先輩たちが先生の担当嫌がる気持ち、ちょっとわかってきました。」
「嫌え嫌え。男子たる者、人から恨まれるくらいじゃないと生きてても張り合いがねぇからな。アンチを踏みにじって私は行くのさ。私が詩賊賞を獲った時の、クソアンチ共のあのしみったれた不満面! どいつもこいつも、ざまぁ見さらせ、だ。文句があるならおまえが中也賞でもH氏賞でも貰って来いよ!」
「誰に言ってるんですか?」
「……誰って、脳内妄想における仮想アンチじゃないか。」
「……いくら友達いないからって先生……、それ、虚しくないんですか?」
「…………。仲間なんかいらねぇよ。詩は、孤独を深めるためにあるのさ。世界と私の間には大きく深い溝がある。私は、絆から零れ落ちた人間なんだ。しかし私はその断絶を埋めたいわけじゃない。橋を架けたいわけでもない。ただ私の断崖絶壁を世界に知らしめてやりたい、その一心でずっと向こう側へと紙飛行機を飛ばし続けているのさ。届くかどうかはわからない。谷底を覗いてみたまえ、墜ちた機体の残骸でいっぱいだから。」
「…………。」
「…………ん?」
「あれっ? そこは、なァんてねっていうオチじゃないんですか?」
「『人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。』っていう言葉知ってるかね?」
「いいえ。」
「これも太宰の言葉だがね、私はもう、十二分に墜ちてきたんだ。人生も、詩もね。今さらこれ以上どこにもオチようがないよ。冗談は置いといて葛原君、君には未来がある。いいかい、人の批判を怖れずに呼びかけ続けるんだ。」
「はい。」
「君にもきっと、いつか輝く時が来るよ。そしてその光を受け取ってくれる人が必ずいる。」
「……そうだといいんですけど……。」
「なァんてね! (ノ ̄∀ ̄)ノ====卍卍」
「うぅわ、クッソここで来たか! 嫌いだ先生なんかっ!」
「まあ、長生きしてみることだね。いずれわかる。」
「……先生。」
「なんだよ?」
「無礼派に、花は、咲きますか?」
「……咲くわけねぇだろ花なんか。嫌われるためにやってるんだから。徒花散らせて終わりだよ。」
「ぼくが無礼派継いでもいいですか? いつかきっと、ぼくが、大輪の花を咲かせて見せます。」
「……好きにしろくだらねぇ。そういう傑作意識が文学を駄目にするんだ。」
「素直じゃないなぁ、先生は。」
「うるせえな。太宰の『散華』っていう短編読んだことあるか?」
「いえ、ないです。」
「読めよ。戦争で散った若き詩人の物語なんだけどさ、その中に太宰のこういう言葉が出てくる。『私は、詩人というものを尊敬している。純粋の詩人とは、人間以上のもので、たしかに天使であると信じている。だから私は、世の中の詩人たちに対して期待も大きく、そうして、たいてい失望している。天使でもないのに詩人と自称して気取っているへんな人物が多いのである。』今の日本には、純粋の詩人なんてただの一人もいやしねぇ。ネットポエムを見てみろ、一丁前に詩人面したクズの見本市フリーマーケットだ。君は、大いなる文学のために死ねるのか?」
「…………。」
「私は駄目だ。天使でもないのに無駄死には御免だね。生きる覚悟と死ぬ覚悟、今の時代、どっちが重いんだろうな?」
「……。」
「……咲くのも散るのも同じこと、それがこの世に生きた証じゃねぇか。芸術は生き様なんだろ? やれよ葛原、おまえのやりたいように。」
「はい!」
「さあ、原稿も上がったことだし、……桜桃忌か。今夜も太宰の涙雨だ。太宰は愛人と心中したってのに野郎二人で飲んでちゃ世話ねぇな。」
「そうですね。」
「女心など私には皆目見当つかんし、詩と心中もできんとなったら、いよいよクズだが仕方ない、飲むぜ。浴びるほどな。」
「先生もうすっかり出来上がってる感じですけど。ボトル一本空けてるじゃないですか。」
「馬鹿野郎。もう駄目だと思ってからが人生なんだ。永遠の未完成交響曲。空白で終わらせてたまるかよ。先があるなら死ぬのは惜しい。いつとびきりの美人と出会うかわからんからな。諦めずに呼びかけ続けるんだ。あ、そうかわかった、詩ってのはあれだ、ラブレターだよ、一世一代の大勝負、勝負パンツだ! 全裸の一歩手前だよ、さあメタを剥いで私のすべてを受け入れてくれ私のミューズよ、ってな! 」
「先生。」
「なんだ?」
「早くいい奥さんが見つかるといいですね。」
「おう、『春の盗賊』、ロマンスの地獄に飛び込んでくたばるまでは、まだまだ足掻くぜ。人生も、詩もな。合言葉は?」
「ナポリを見てから死ね!」




 紺絣の着物の裾を翻し、ダサイは千鳥足で夕闇の雨の中を街へと繰り出した。愛くるしいサーカスの子熊のようにビアンキのMTBにまたがって、ちょこちょこと後に付いていく葛原徹哉。
 それから三ヶ月後、詩誌『詩賊 Le Poerate』は誰にも知られぬままひっそりと廃刊になり、多少なりとも責任を感じたダサイは狂言自殺を企ててはみたものの、雨の玉川上水で一人上半身裸になり水浴びしていたところを、不審に思った住民に通報され未遂に終わった。後日、その時の体験を『ライフジャケット』という作品にして発表したが、片手で数えられるほどのコアな読者にさえ、一笑に付されただけであった。まさに新愚作派の面目躍如といったところである。
 一方、無礼派を継いだ若き編集者葛原徹哉は文学への夢を諦めず、忙しい仕事の合間をぬってコツコツと独学で作品を書き続けていた。数年後、日本最高峰の文芸サイト『頂上文学』に投稿した自伝的詩小説『ダメヤン』が年間賞に選出されることになるのだが、そのサクセスストーリーはまたの機会に譲るとして、この二人の物語は、ここで幕を閉じることにしよう。
 詩を愛する諸君、すべての孤独な魂に、ポエジーの幸あらんことを!



 ちまたに雨が降る
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』

 こんなに雨が降っては、僕はきっと狂ってしまう。
 『ダス・ゲマイネ/太宰治』

 きもちは ねつです。
 ことばは ひかりです。
 『くろひげききいっぱつ/ヌンチャク』

 私たちは、生きていさえいればいいのよ
 『ヴィヨンの妻/太宰治』

 幸福は一夜遅れて来る。
 『女生徒/太宰治』


命中しないあなた、でも愛してる(アンチ藝術としての詩)

  ヌンチャク

通天閣には、まだ上ったことがない。下から見上げるばっかりだ。あべのハルカスが出来るほんの15年ほど前、新世界と呼ばれるあの界隈のてっぺんは、通天閣だった。俺はWと、新今宮駅を降りる。高架下に出ると、8月のムッとした熱気の風に乗って、排ガスと生ゴミの臭気が漂う。いかにも昭和レトロな、錆びついた自転車の前と後ろに、潰れた空き缶のぎゅうぎゅうに詰まった汚いビニール袋を、3つも4つもくくり付けて、ギイギイと、痩せこけた爺さんが通りすぎていく。耳朶のないスキンヘッドの男が、個室ビデオの看板を持って、黙って立っている。新今宮から天王寺まで、交通量の多い直線道路沿いに、隙間なく一列に、ブルーシートを被せたダンボール小屋が長屋を形成し、悪臭を放ち、その前でホームレスと犬が、同じような呆けた表情で日向ぼっこしている。俺はWの手を取り、駅前の横断歩道を渡る。新世界の、フェスティバルゲート(Festival Gate)という、名前と外観だけはやたらと賑やかな複合施設、つまりは第三セクターの、夢見がちでありがちな失敗作に入っていく。施設の中と外を、2階から4階を、小さなジェットコースターが、客の来た時だけ、自暴自棄に駆け巡る。係員は欠伸をこらえていた。俺とWは、閑散とした廃墟の中をくぐり抜け、スパワールドへたどり着く。1000円キャンペーン。水着に着替え、エレベーターで上昇し、屋内プールで落ち合う。Hoopで二人で選んだコバルトブルーのビキニ。小さな惑星のように丸い乳房の膨らみ。水を湛え、新しい生命が生まれる。俺は彗星。いつか俺が燃え尽きた時、おまえの海に堕ちたい。オレンジ色の、大きな浮き輪にWを、座らせて、引っ張って、潜って、丸いお尻を見上げて、触って、流水プールを、流され、流れるままに、ぐるぐると回り続けた。スパワールドの裏には、天王寺動物園が広がっている。入場口を過ぎてすぐ右手に、チンパンジー舎がある。壁一面に描かれた密林の絵、作り物の大きな黒い木の枝に座り、チンパンジーは、いつも遠い空を見上げている。動物園の高い塀の向こう、立ち並ぶビルとネオン看板を越えて、スモッグで霞んだ空を、ぼんやり見ている。その頃、家族と絶縁し、一人暮らしであるにも関わらずバイトすら辞めてしまい、無職だった俺は、かつて自分が、美大生だったこと、詩を書いていたことなどすっかり忘れて、日々の生活のこと、これからの将来のこと、就職のこと、Wのこと、手枷足枷のように縛りつけてくる、ありとあらゆるもののことを、漠然と考え始めていた。動物園のチンパンジーと、ブルーシートの小屋で暮らすホームレスと、どちらがいい暮らしをしているだろう、そんなことを思ったりした。Wは、天然と言うか、アホというか、世間知らずというか、常識や物を知らないところがあった。この前、鉄筋バットでね。それ、金属バットやろ! バットに鉄筋入ってたら、野球やるたび、死人でるわ! Wは、自分の間違いをまるで恥ずかしがりもせず、俺がひとつひとつツッコミを入れると、楽しそうによく笑った。屋内プールから屋外ゾーンに出て、二人で露天のジャグジーに浸かった。他の客から見えないように、泡の中で、Wの丸い胸を下から支えながら、たわわに実った果実のような、その丸み、そのやわらかさ、その瑞々しさを、掌の中に抱きながら、俺は、空へといきり立つ、突き上げる、新世界のシンボル、通天閣を眺める。青いガラスの展望台から、何人かの人影がこちらを見ていた。その、新世界のてっぺんから、いったい何が見えるのだろう。俺からは、HITACHIの文字しか見えない。Idler's Dream。俺は想像する。新今宮。UNIQLO。たこ焼き。づぼらや。スマートボール。ヤンキー衣料。串カツ。ジャンジャン横丁。フェスティバルゲート。ジェットコースター。スパワールド。天王寺動物園。ブルーシート。ダンボール。茶臼山。美術館。青空カラオケ。公園。噴水。植物園。駅前広場。青空将棋。交差点。雑踏。ビッグイシュー。近頃の藝術家は、街も、人も、生活も、悲しみも、貧困も、藝術も、他人事みたいに、俯瞰するのがトレンドらしい。大風呂敷のように広げた地図の、どこか見えないところに、隠されたシナプスがあると言う。伝書鳩にでもなったつもりか。クルックー、クックルー、Googleアース、フラット・アース、新世界秩序、神の視座。馬鹿と煙はなんとやら。俺にはあの、いつも遠い空を見上げて、不満そうな面をしている、寡黙な類人猿が、ほんとうの藝術家に思えてならない。高い作り物の木の上に立って尚、届くはずのない空。自分で果実をもぎ取る自由すら、奪われてしまったあの、空っぽの頭の中に、ほんとうの詩が、その息吹が、衝動が、咆哮が、飼育員にも、客にも、仲間の群れにも、誰にも伝わらずに、世界から遮断され、隔絶され、無自覚なまま、蠢いている。彼は、表現する術を知らない。バナナは上手に剥けるだろう。否応なく飼い慣らされる、ワンワールド。俺もいつか、そうならなければならない。テクスト、ではない。アート、でもない。夢のケーブル? そんなものは、ぶった切れ。俺は誰ともシェアしない。藝術とは、生き様だ。ただ、生きることだ。偽物の世界で、覚悟を決めて、生きることだ。空を見上げればケムトレイル(chem trail)、ダダ漏れの放射能。これが人類の檻ではなくて何だというのか。たまには吠えろ、俺のチンパン。通天閣には、ビリケンさんという神様がいて、土踏まずのない足の裏をこすると、幸せになれるという。結婚式 ― wedding ― という、俺の人生にはおよそ縁がないと思っていた言葉が、突然脳裏をよぎり、不意を突かれ、狼狽し、のろまな牛のようにその言葉を、その意味を、その責任を、反芻しながら、俺は、扁平足で子供っぽいWの足の裏をくすぐった。Wは、目を細めて、屈託なく笑う。www。


ダサイウザム第一回詩賊賞受賞スピーチ全文

  ヌンチャク

「特別賞に引き続き、長らく、お待たせいたしました。いよいよ、栄えある詩賊賞の発表です。今回、初めて賞を創設するにあたり、今後の詩賊の方向性を決定付けることにもなるとあって、選考委員の方々はケンケンゴウゴウ、カンカンガクガク、議論に議論を重ねたと伺っております。……さあ、それでは参りましょう、第一回詩賊賞受賞、無礼派と自称する傍若無人な言動とそれに相反するユルい作風で賛否両論巻き起こしました、自称太宰治の劣化コピー、虚栄心と羞恥心のがっぷり四つせめぎ合い、近所迷惑この上なしフルスロットル空吹かし、マイコメディアン、皆様、盛大な拍手と嘲笑でお迎えください、詩なんか書くヤツみんなクズ、ダサイウザムさんです! どうぞ!」

 司会者に促され、ふらふらと壇上に上がった蓬髪の男は、スタンドマイクの手前で一瞬躓きかけた。先程までしこたま飲んでいたのだろう、顔面は耳たぶの先まで京劇に出てくる孫悟空のように派手に紅潮し、窪んだ目は据わり、それでいて妖しく鈍い輝きを放っていた。
 華やかな授賞式にはおよそ似つかわしくない男の異様な雰囲気に、直に拍手もまばらになり、会場は一種の緊迫感のようなものに包まれ静まりかえった。
 男はそんなことは意に介さないとでもいうように、ただでさえ緩んでいるネクタイの結び目を右手で乱暴に引き伸ばしさらに緩め、マダムのネックレスのようにだらりと首からぶら下げ、前髪をグシャグシャとかき上げながら大きく鼻を啜った後、どこを見るというのでもなく中空の一点を睨み付け、口を開いた。その風貌に似合わず意外にも、甲高い声であった。

「いやいや、どうも、只今ご紹介にあずかりました、ダサイウザムです。今からちょうど二年前の夏、太宰の小説『ダス・ゲマイネ』に登場する詩誌『海賊 Le Pirate』を模した詩誌『詩賊 Le Poerate』が盛大に船出の日を迎え、太宰を愛する私もこんな詩誌を待っていたのだとさすがに嬉しく居ても立ってもいられず、私も船員の一人としてこの大義ある航海に加えて頂きたく、今まで参加してきたわけで、あれからまあ二年経ち、この度は、なんか、賞を頂けるということで、ノコノコやってきたんですけれども、まあ一体、なんと言うんですかね、ずらりとお並びの選考委員の皆々様に、面と向かってこんなことを言うのもあれなんですがね、単刀直入に言うと、あんた方、偉そうにふんぞり返って座ってらっしゃいますが、一般人、いわゆる世間の人たちにどれだけの知名度があるんですかね? あんたたちの詩って、誰が読んでいるんですかね? 詩集はどれほど売れました? そもそもどこに売ってます? 誰も知らんだろう? 今を生きる現代人にはまったく見向きもされないのに現代詩とは、なんとも皮肉なもんじゃないですか。最早誰にも必要とされていないんですよ、我々は。詩賊と名の付いたこの新造船も、出港直後の大層な熱意はどこへやら、世界に詩を届けるどころか、今や大海原のど真ん中で羅針盤を失い漂流中ときたもんだ、見渡す限りの水平線には大陸はおろか、たまにぶつかる小島ですら行けども行けども人っこ一人いない無人島ばかり、挙げ句の果てには甲板の上で仲間割れの大喧嘩、船員は次々遁走、死亡説まで流れる始末、風雨に晒され破れたマストは茶色く汚れ、ああ、こんなはずではなかったとジリジリと身を焼く灼熱の太陽を恨めしく見上げると、アホウ、アホウと鴎まで馬鹿にしやがる、いやいや失礼、口が滑ったすみません、いずれもご立派な経歴肩書きの詩人の皆様方、私みたいなクズが出る幕じゃねぇや、いやほんと、詩賊賞だってさ、笑っちまうぜ、現代詩なんていう狭い狭い村社会、どこに世界があるんだよ、学歴優先コネ優先の仲間内のくだらねぇ審査員ゴッコに付き合わされて、感謝感激、これで私の作品も海の藻屑とはならず文字通り浮かばれるってわけだ。溺れる者はポエムにもすがる、私の詩が、溺れる者のせめて浮き輪代わりにでもなれば幸い、どうせ直ぐに沈むけどな。沈め! 畜生、……最近、反省したことがひとつある。私は無礼派を名乗っているが、全然、無礼じゃない。むしろ人が好すぎるくらいだ。私はこんな賞を貰うために詩なんか書いているのではないのだ。嫌われるだけ嫌われてやろうと思っているのである。無頼どころか、無礼にすらなれずに何が文学か。己の美学のために猫でも女でも全てを振り払い、蹴り飛ばし、なぎ倒していくのである。詩賊賞? クソ食らえだそんなものは! お義理の拍手喝采などいらねぇよ腑抜けども、おっと、貰った以上は私のものだ。賞は返上しないぜ編集長。私に賞を与えたことを、生涯悔やめ。詩賊賞の汚点として語り継げ。本当の本当に詩を侮辱して嗤っているのは私じゃない、おまえたちだ! 詩を解放しろ! 私に言わせりゃ詩なんか書くヤツみんなクズ、詩書きを批判するためにわたしがこんなに声を荒げているってのに、肝心なおまえたちがそんな死に体でどうする! 金にも名誉にもならん仕事に命まで懸けて悔しくないのか! 懇意になるな、権威になれ! まるで倒しがいがないじゃないか! 私をブチのめしてみせろ! それから司会者! 黙って聞いてりゃてめぇディスりすぎだろ……。」

 ダサイはそこまで言うと、スタンドマイクを握りしめたまま、舞台の真ん中で仰向けに卒倒した。急性アルコール中毒である。すぐさま救急車で病院に運ばれ事なきを得たのだったが、ダサイにはその時の記憶はまったく残っていなかった。ダサイが倒れた時、客席は騒然となり、何事が起きたのかと皆総立ちで騒ぐ様は、さながらスタンディングオベーションのように見えなくもなかったと言う。拍手がまるでなかったことを除けば。


「ひょっとして倒れて運ばれるまでを含めた全てが彼なりのパフォーマンスだったのではないか?」
「本当は司会者と裏でネタ合わせが出来ていたのではないか?」
「救急隊員の話によると、ダサイは救急車の中で突然何事もなかったかのようにムックリと起き上がりひとこと、『酔拳……』と呟いたらしい。」
「第二回以降の詩賊賞の授賞式がなくなったのはダサイが原因だそうだ。」
「詩賊の編集者の間では、ストップ・ザ・ダサイがスローガンになっている。」
 それから数年間詩賊界隈では、そんな背びれ尾ひれの付いた噂がまことしやかに流れていたが、詩賊は既に廃刊となり、当時を知る関係者も雲散霧消、真相は今もって薮の中である。
 数々の問題行動で詩賊を廃刊へと追いやった張本人、ダサイウザムは、憎まれっ子世に憚るのことわざ通り、なぜか今も生き永らえ、くだらない詩を書き続けていた。
 ダサイ本人はデカダンを装い無礼派を名乗っているが、周囲からは嘲りを込め新愚作派と呼ばれていることを、彼は知らない。


痛ポエケット ブースNo.ヌ―69【百合イカエロイカ】

  百合花街リリ子

おおきに
ようおこしやす
同人誌月刊『百合イカエロイカ』編集長
百合花街リリ子どす
本名は宮沢いいますねん
宮沢ゆうても
りえ違いますえ
ケンヂどす
嫌やわぁデクノボーやおまへんえ
百合棒どす
幻想的なイマジネーションと
卑猥なオノマトペ駆使して
官能ロマンポルノ百合ポエム書くのが趣味どす
どうぞごゆるり見ていっておくんなはれ
おぶう如何どすか
せやせや聞いておくりやすこないだ
ベッドの下に隠したエロ本
サンタフェとか百合姫とかMY詩集とか最果とか
オカアハンに捨てられてもうたんどす
殺生どすやろ
もう恥ずかし過ぎて死んでしまう系
まあよろしおす
ほんまはもっとえげつないコレクションありますのや
若い頃はおつれらと隠れて
よう展覧会- exposicion - 開いたもんどす
アートどすえ
エロスとタナトスとペーソスとおいでやすとよろしおす
メルヘンチックなはんなりオナニーさせたら
プロ級どすえ
チェリーやけど
あ、
見てくれはりました?
あての代表作
『春画鉄道69の夜』
猫耳の女バンニと姦パネルラが
永遠の少女性
不老不死の身体を手に入れるため
深夜の京阪電車に乗って旅に出る
そうどす
京阪乗る人おけいはんどす
あ、
先言うときますけど
あての痛ポエム
罵倒もスルーもどこ吹く風
痛くも痒くもあらしまへん
心理分析しはっても
一筋縄ではいきまへんえ
亀甲縛りどす
これはギャグやと罵る前に
考えてもみてもらいたいのは
ハンネでしか本音を言われへん
自虐をギャグにするしかあれへん
屈折した哀しみの中にこそ
ポエジーは宿るということ
それがいわゆる
ハンネの日記……
なァんてね(^-^)v
だいぶ話が脱線してもた
鉄道だけに……
ガタンゴトン
ガタンゴトン
パンタグラフ!
ほんで女バンニと姦パネルラが
生八つ橋をポクポク食べながら
白鳥の頭を模したディルド使うて
出町柳から
パコパコ
パンパエコ
パンコパンコパン
天満橋で姦パネルラだけ
サウザンクロスに
昇天しはった後
どこからともなくダーさん来はって
「えいえんなんてなかった」
「知らんがな」
ゆうやつ
知りまへんか
もう、いけずぅ、あんたはんモテ系か羨ましいわぁ
それとか
『オプションの多いレズ風俗店』
名門女子高
聖宝塚カサブランカ女学院高等部に転入した
転校生(美少女)の設定で
演劇部のクラブ活動中
発声練習してたら知らん間に
部長(クールビューティー)に白いブラウス脱がされてもうて
姫百合のシロップ塗られてしもて
くぱぁ
あん、食べられてまう
お姉様そこはあきまへんえ(>_<)
堪忍しておくれやす
あっ、声出てしまいますえ
あっ、おぅ、いぃ、うん、えぇ、おぉ、あぁん、おおぅ
あそこが熱いなあいうえお
もっとさわさわしておくれやす
おねえさまああああ━━━━━っ!!
トロトロ
ゆうやつ
これも知りまへんのんか
いちびりどすえあんたはんリア充やおまへんか妬むわほんまに
いつやったかオトウハンに
「あてが死んだら
エロ本と百合ポエム
ぜんぶ燃やしておくれやす」
ゆうたらオトウハンが
「当たり前じゃこの恥さらしが
なに童貞と中二病ダブルでこじらせとんのや
手遅れやないかわれアホかボケカスブブヅケェ」
言わはって
いくつになっても有り難いのは
親の愛どすなぁ
ほんま


 なぁ、と詩子
 あてももうすぐそっち逝きますさかい
 一緒に食べよな
 生八つ橋
 三途の川で納涼床

 みんなの幸のためならば
 あてのからだなんか
 百ぺん抱かれてもかましまへん

 なぁ、と詩子

 おまはんひとり
 幸せに出来なんだあての
 ディルドみたいな痛ポエム
 何処に何を挿入しても
 ほんとうの天上へさえ行ける切符には
 ならしまへん
 あての心の処女膜は
 もう誰にも破れんのどす
 童貞と中二病だけやおまへん
 シスコンも入れてトリプルで
 銀河の果てまでこじらせてます
 せやから言いましたやろ
 これは詩やおまへん
 痛ポエムや
 ただの
 妄想スケッチや
 て


あ、お客はん、ちょいと待っておくれやす
『百合イカ』買うておくんなはれ
姉妹誌の季刊誌『百合詩ーズ』もありますえ……



 *****



『ジューンリリイブライズ(シックスナイン)』


 永遠を誓うなら6月
 雨に咲いて
 双子の様に死のうと決めた。
 ソックスガーターを脱がせ
 白い足首に
 口づけすると
 桜桃の匂いがしたから。

 ━━ねえ、姦パネルラ、何処を歩いて来たの?

 ━━薄氷。

 トゥシューズの乙女のように
 爪先立ちで歩いて来た
 私たち、
 白鳥の停車場まで

 ━━見て、女バンニ。

 姦パネルラの足首から脹ら脛
 膝の裏から内腿へと
 舌を這わす
 薄紅色の花芯の脇に
 小さな蟹のような痣がある。

 69

 ケンタウル、露を降らせ
 ケンタウル、露で濡らせ

 サウザンクロスへ
 一人で逝った姦パネルラ。

 残された私も一人
 そして迎えたSeptember
 〜サヨナラも言えずに〜

 らっこの上着を羽織り
 今夜も
 星めぐりの歌を歌う。


ぼくがさかなだったころ Returns

  ダサイウザム

 詩なんか書くヤツみんなクズ。
 これは十数年来揺らぐことのない私の持論である。
 私自身がクズであることは公言している周知の事実なのだから、類は友を呼ぶということなのだろうか、とにかく私の周りに集まる連中はクズが多い。
 渡る世間はクズばかり、世の中には二種類の人間がいる。
 クズか、より酷いクズか、その二種類しかない。
「ダサイ先生、ファンレター来てますよ。」
 昨日の夕方、しとしとと秋雨の降る中を編集者の葛原君が、詩賊の編集部に届いたという私宛の手紙を持って訪ねて来た。
 封筒を裏返して差出人を見ると、宮澤百合子という名前が書いてある。
「女性のファンが付くなんて、いよいよ先生も隅に置けませんね。」
「何を言ってやがる。いくら私がクズだからって、これでも物書きのはしくれなんだ、そりゃあ女の読者だって一人や二人くらいいるだろう。」
「ダメ男に惹かれる女性もいますからね。先生のその自虐的なところが母性本能をくすぐるんですかね? 私が付いていないとこの人ダメになるみたいな?」
「失敬だな君は。知らん。」
「恋に発展したりなんかして。」
「馬鹿言うな。自分で言うのも何だが、ダサイファンの女なんて気味が悪くて相手したくねえや。」
「そうですかねぇ。ぼくはもっと女性ファンが増えればいいと思ってるんですけど。いや、先生の魅力が読者に上手く伝わっていないということは、ぼくら編集部の責任ですね。」
「何だよ急に。ヨイショしたって原稿料はビタ一文まけねぇからな。」
「先生がもっと有名になってくれたら詩賊も売れるし、そうしたら先生の原稿料も、ぼくの給料だって上がるんですよ。」
「だからさ、わかんねぇかな。きょうび詩なんか誰も読んでないって。」
「そんなことないですよ。少なくともぼくは、先生の作品毎回毎回行間まで読んでますから。」
「当然だろ。担当なんだから。給料貰って詩が読めるってどんな身分だよ。」
「そう言われてみるとそうですね。お金払わなくても詩が読めて給料まで貰えるなんて、いい仕事ですね、編集者って。」
「ほんと単純だな、君は。ういヤツめ。君が女だったら抱いてやってもいいくらいだ。」
「いえ、それは固くお断りします。」
「もう! 徹哉ったら、イ、ジ、ワ、ル!」

 そんな馬鹿話をしながら二人で酒を飲み、先生来月こそは締め切り頼みますよ、おう、まかせとけ私はやる時はやる男なんだ、と、ほろ酔いの葛原君を送り出した後、真夜中、布団に潜り込んで一人でコッソリと手紙の封を開けた。
 ドキドキしていたのである。
 私には女性の読者など皆無であるから、不意に手紙などを貰い、まるで片想いをしている中学生のように年甲斐もなく、それこそギャグポエム『悪目くん』の主人公にでもなったようなソワソワした心持ちで、弱冠緊張もしていたし、まさか葛原君の言うことを真に受けたわけでもないが、妙な期待にあれやこれやと想像を膨らませつつ、丁寧に三つ折りに畳まれた便箋を広げたのだった。
 薄紅色の可愛らしい便箋に、小さく線の細い文字がびっしりと書き込まれている。
 中を読んで愕然とした。

 世の中には二種類のクズがいる。
 こいつは、酷いほうのクズだ。



 *****



 はじめまして、ですよね、ダサイ先生? それともどこかで、お会いしたことがあるのかしら。
 突然のお手紙、失礼いたします。
 ダサイ先生はなぜ、私のことをご存知なんですか? 詩賊6月号に掲載された先生の作品『開襟シャツ』、あれは私のことですよね? どうしてお会いしたこともないダサイ先生が私をモデルにして作品を書かれたのかわかりませんが、若い頃の私の気持ち、心情を余すところなく作品にしてくださり、なんとも気恥ずかしく、嬉しく拝見いたしました。
 どうしてだか先生は私のことをよくご存知のようですので、今さら自己紹介も必要ないこととは思いますが、今後の先生の創作のお役に立てるかもしれません、私の話を聞いてください。

 私は今年で三十になる女です。アラサーですね。ネットで詩を書いています。私はPCを持っていないので、それまでネットの世界というものをまったく知らないまま生きてきたのですが、三年前、携帯をスマホに替えたことを機に、ネットを見るようになり、色々と検索をしていくうちに、『現代詩日本ポエムレスリング』ですとか、『頂上文学』ですとか、様々な詩のサイトがあるということを初めて知ったのでした。
「こんなところに詩人がいる! 」
 大げさな言い方ですが、その発見は私にとっては、たとえばギリシャ、イオニア海の断崖絶壁、入り江の奥の奥にそこだけ陽の当たる白い砂浜、ナヴァイオビーチにたどり着いたような、思ってもみなかった衝撃、興奮でした。長らく眠っていた詩への思い、詩作への情熱が、ふつふつと甦ってくるのを感じました。お恥ずかしい話ですが、私にもこれでも若い頃、ぼんやりと詩人を夢見ていた時期があったのです。

 中学生の頃から私は、学校の授業や全校朝礼など、時間的空間的に自由を制限されるような状況や集団行動に対して、動悸、目眩など、一種のパニック障害、不安神経症のような症状を持っていました。息苦しくなるといつも、死にかけの金魚のように空気を求めてパクパクと大きな口を開けて深呼吸していました。おまけに色黒で目が大きかったので、男子からは『デメキン』というあだ名で呼ばれ、肩を小突かれたりノートを隠されたり、虐められることもしょっちゅうでした。

 高校に入ってからもますますひどく、授業に集中できない状態は続き、教師の目には「やる気の感じられない怠惰な生徒」として映っていたのでしょう、日本史の授業中でした、私は態度を注意されました。
「日本の歴史も学べないとはおまえは非国民か。窓から飛べ。」
 先生は笑いながら言って、もちろんクラス全員、それがブラックユーモアであることは理解していましたが、私は瞬間的に頭に血が昇ってしまい、無言のまま窓枠に飛びついたところで、数名のクラスメートに引きずり下ろされました。こいつなら本当にやりかねん、普段からそう思われていたのでしょう、私は誰とも目を合わせることができず、そのまま黙って教室を飛び出しました。誰も追っては来ませんでした。

 高校二年の秋、十七才。私は修学旅行を欠席しました。二時間、三時間に渡る新幹線やバスでの団体移動は、私にとっては拷問に等しいものだったのです。旅行前日まで担任には何度も職員室に呼び出され説得され理由を聞かれましたが、私は黙秘権を行使する犯罪者のようにひたすら無言を貫きました。私の弁護をしてくれる奇特な人などどこにもいないと思っていました。

 クラスメートが修学旅行へ行っている間、課題を命じられてはいましたが、私はそれにはまったく手をつけず図書室で一人、やなせたかし先生の『詩とメルヘン』を読んでいました。大きな見開きページの一面、きれいなイラストに飾らない詩が添えられ、私はすっかりその世界に魅了されてしまいました。それが、私の詩との出会いです。それ以来、胸の奥に溜まっていく泥を、溢れる血を、グチャグチャにノートにぶちまけることが、私の日課になりました。

 父と母は私が物心付いた頃にはもう折り合いが悪く、毎日のように言い争いばかりしていましたが、私が高三に上がる春休み、口論の最中に母は台所から包丁を持ち出し、手首を切り自殺を計りました。父がすぐに取り押さえ、たいした傷ではなかったようでしたが、私は何だか夢の中の出来事のように、ぼんやりと醒めた目で二人を眺めていました。家族というものは、いえ、人間というものは、バカバカしいほど滑稽で、惨めで、くだらないことに一喜一憂している、顔の前をうるさく飛び回る羽虫のようなものですね。その日を境に母は家を出て実家に戻り、その後、精神病院に入院したと聞かされました。

 それからしばらくして、私はふとしたことから拒食症になり、一日にビスケットを三枚しか食べない日々が続き、二学期が始まる頃にはその反動が来たのか、過食症になっていました。誰もいない家の中で、胃がはち切れそうになるまで無理矢理食べ物を流し込み、トイレで喉の奥まで指を入れて吐きました。けれども、いくら吐いても胸の奥の泥は吐き出すことは出来ず、吐けば吐くほどますます深く、底なし沼のように沈みこんでいくのでした。やがて生理は止まり、体重は41kgくらいまで落ち、体重が減れば減るほどどこかほっとして、浮き出たあばら骨を撫でながらつかの間の安心感を得てはいましたが、それでもどうしても自分のことを好きになれず、周囲の人間とも馴染めず、馴染む気すらなく、自分は人とは違う、人よりも数段劣った人間なのだ、と思っていました。これ以上父親の世話にはなりたくない、顔も見たくない、早く家を出たい家を出たいと願いながら、けれども、人並みに社会に出てOLをする自信もなく、かと言って風俗や水商売には生理的な嫌悪感がありましたし、『生活』という言葉の息苦しさに押し潰されそうで、出来るだけ早く死ななければいけない、いずれ死ぬことが私に出来る唯一の責任、私に与えられた使命なのだと、今思えばなんともバカバカしい青臭い病的な考えですが、当時の私は真剣にそう信じ、思い詰めていました。

 二学期も中頃、秋も深まり校庭の木々が赤く染まっていくように、クラスメートの話題も受験一色になり、皆次々と将来を見据えた進路を決めそれに向かい受験勉強をしている中、私は一人焦っていました。どうせいずれは死ななければならないのだから勉強なんてしたくない、かと言って出来損ないの私には就職などは到底無理だ、今やりたいことと言えばしいて言うなら詩を書くことぐらいだろうか、どこかに学科試験も面接もなく受験できる、詩を書くための大学でもあればいいのに。いくらなんでもそんな虫のいい話あるわけないと思っていたら、あったのです。推薦入試は小論文だけ、O芸術大学文芸学部でした。

 K駅を降りて学生専用のバスに乗り、細く曲がりくねった路地を抜けたところに大学はありました。桜並木の坂道を上りキャンパスに入ると、そこは高校とはまったく違う、自由な華やかさで溢れていました。無事に高校を卒業し大学生になった私は、その伸びやかで開放的な雰囲気の中で人目をあまり気にすることもなく、他人と足並みを揃える必要もなくなり、広場恐怖のような緊張感もだいぶやわらいでいくように感じて、これが何か自分を変えるきっかけになるかもしれないと思い、新しい学生生活に期待もしていたのですが、そこでもやはり私は馴染むことが出来ませんでした。周囲を見渡すと、スキンヘッドで全身黒ずくめの女やサザエさんのような髪型で薄汚い破れたTシャツを着た無精髭の男、個性的でなければ芸術家ではないとでも言いたげな奇抜な格好をした者も多く、地元では『丘の上の精神病院』と揶揄されるほどで、作品そのものではなく外見や言動を少しでもエキセントリックに見せようと張り合っているような馬鹿者たちや、芸術よりも合コンが大事といったようなスーパーフリーさながらの獣たちもいましたし、真摯な芸術家の集団と言うよりはむしろ世間からは相手にされない奇人変人の吹き溜まりといった様相で、もちろん私自身もそういう出来損ないの一人ではありましたが、まだ若く芸術に対して憧れもあった私にはどうしてもそれが許せず、その吹き溜まりに自ら安らぎを求めるのも嫌でしたので、作品を創る者が自ら作品になってどうする、芸術家はただ黙って芸術だけを創ればいいのだと、一人で憤っていました。芸術なんて程遠い、所詮私たちは美術館の片隅で誰にも見られることもないまま錆びていくオブジェに過ぎないのだ、いや、そのオブジェにすらなれない私はいったい何なんだ、と思うと無性に虚しくなり、そのまま授業に出るのもやめてしまいました。昼前に大学に来て、誰もいないところで煙草を吸ったり、夕暮れ、四階の廊下から地面を見下ろし、散ってしまった桜の花びらのようにヒラヒラ舞い落ちてしまいたい、今飛び降りたら明日の朝までは見つからずにいられるだろうかなどと、頭から血を流して地面に倒れる自分の姿を想像したりしました。

 そんな短い学生生活の中で、ひとつだけ記憶に残っている授業があります。文芸学部らしく、創作の授業があったのです。眼鏡をかけたまだ若い准教授から与えられたテーマにそって、原稿用紙二枚の散文を書き、次週、准教授がそれを寸評していくというゼミ形式の授業でした。第一回目のテーマは「自己紹介」でした。小さな教室で准教授を囲むようにして向かいあって座る十五人ほどの学生は皆、作家や編集者を志しているような者ばかりですから、自己紹介程度の散文などお手の物とでも言いたげに、始めの合図と共に、競い合うようにして一斉に筆を走らせ始めました。人生や人付き合いにおいてすっかり卑屈になっていた私は、自己紹介などする気も起こらず、何を書いたらいいものか、しばらく周りの学生が何やら真剣にカリカリと音を立てて書いているのをぼんやりと眺めていました。けれども私もこのまま何も書かないというわけにもいかず仕方なく、自己紹介とはまったく関係のない『ぼくがさかなだったころ』という空白だらけの詩を即興で書き提出しました。次の週、返ってきた原稿用紙を見ると、タイトルの横に赤いインクで、『A+』と書かれていました。最高点でした。A+は二名だけ、と准教授は言い、スティーブン・キングが好きだと言うもう一人のA+である男子学生の原稿用紙のコピー(私は霊を見たことがある、という書き出しで始まるその学生の散文は、段落分けするのも惜しい、というくらいにぎっしりと最後まで文字で埋め尽くされていました。)を皆に配り、それを見ながら講義を進めていきました。最後まで私の名前も、私の詩も、話に出てくることはありませんでした。




  『開襟シャツ』


  人生というのは死ぬまでの間の
  壮大な暇つぶしに過ぎんよ、君

  と助教授は笑った
  日々は青葉のように眩しくて

  言葉はいつも僕に寄り添い
  いつでも僕を置き去りにする

  初夏、汗ばんだシャツの胸元を開け
  風を迎え入れる

  身震いするほど美しい詩を一篇書いて
  死んでやろうと思ってた




(ダサイ先生のこの詩、読んだ時思わず息が止まりました。これはまるっきり私のことですもんね。心臓まで止まりそうなほど驚きましたが、大ファンであるダサイ先生に私のことを書いていただけた喜び、どうしてもお伝えしなくてはと思い、このお手紙を書いています。)

 授業にも試験にも出ないまま一年が過ぎ春休みに入り、私は父に呼ばれました。大きな黒い座卓の上に、不可とすら書かれていない白紙の成績表を広げ、父は言いました。「詩人になるっていう夢は諦めたのか」 いつ私が会話もなかった父に「詩人になりたい」などと告白したのか、それは今となってはわかりませんが、私は恥ずかしさと悔しさで、芸術は人から教わるものではない、自らが感じるものだ、勉強なら大学でなくても出来る、と負け惜しみを言いました。父は呆れたのか諦めた様子で、それ以上何も言いませんでした。学生という肩書きを失い、ひっそりと社会に放り出され、今こそいよいよ死ぬべき時が来たように思いました。母と同じく手首を切ることも考えましたが、今私に必要なのは手段でも方法でもない、死ぬ覚悟なのだ、と思い真夜中、マンションの非常階段を上り地面を見下ろし、煙草に火を付け、それから遠くの灯りをぼんやり眺めたりしました。

 結局いつまでたっても死ねないまま、私は二十歳になり、バイトで貯めたお金をもとに、念願の一人暮らしを始めることになりました。築三十年はたつであろう、ボロボロのアパートでしたが、日当たりの悪い薄暗い四畳半の部屋で一人私は、もう二度と誰の言うことも聞かない、と決意しました。カサカサ、と背後で音がして振り向くと、ザラザラした土壁の上のほうで、赤茶色のゴキブリのつがいが交尾しているのでした。

 バイトの給料が月十万程度の、PCどころかエアコンもテレビも冷蔵庫もない貧相な生活の中、ネットの片隅で新たな詩の世界が広がっていたことなど知る由もなく、私は次第に詩から離れ音楽に傾倒するようになりました。詩は音楽に負けたのだ。詩は歌詞に負けたのだ。本当はただ、私の才能がなかっただけなのですが、どうしてもそれを認めたくなかったのです。『elf』という占いの月刊誌がありそこの読者投稿欄に、ricoというPNでイラストを添えたポエムを投稿し常連になっていましたが、その雑誌もしばらくして休刊となり、また私自身の生活も、フリーターとして何度か転職を繰り返した後にようやく正社員の仕事に就くことができ、あれだけ怖れていた『社会人』というごく普通のありきたりで忙しない日常を送る中で、次第に私は、詩を忘れていきました。詩を忘れることでようやく私もかつての、いずれは死ななければならない出来損ないなどではなく、『普通の人』として生きていく資格を得た、今となってはそんな気もするのですが、果たしてそれが本当に良かったのか悪かったのか、たった二枚の原稿用紙ですら埋めることのできなかった空白だらけの私の詩は、そのまま私の生き方のようでもありました。




  『雨空』

  生まれ変わったら詩はもうやめて
  絵描きになろうと私は思う

  小さな屋根裏をアトリエにして
  来る日も雨の絵ばかりを描こうと思う

  灰青色の絵の中で
  雨に打たれている少女は

  何かを叫ぼうとするのだけれど
  私は詩はもうやめたのだ

  晴れることない雨空で
  いつも私の胸は濡れている  




 詩を書かなくなってからも、完全に詩を諦めてしまったわけではなく、心のどこかで、誰にも読まれなくてもいい、自己満足でもいい、この詩を書くために生まれてきた、この詩があれば生きていける、そんな詩を死ぬまでに一篇だけ書いてみたい、もしかしたら心のどこかにそんな淡い思いがまだ残っていたのかもしれません。空白を抱えたまま月日を過ごし三年前、初めて詩のサイトを見つけた時の私の喜び、おわかりいただけるでしょうか。私はすぐにネットポエムにのめり込みました。今では数人の詩友ができ、皆で同人誌を発行しています。ダサイ先生のことは、そのお友達の一人に教えてもらいました。「詩賊っていう詩誌ができたよ」って。そこで初めてダサイ先生の作品に触れ、すぐに魅了されました。いつかは先生にお会いしてお話ししてみたいと思っていましたが、まさか先生も私のことを思ってくださっていたとは!

 自己紹介のつもりで書き始めたのですが、結局いつもの、感傷的な自己憐憫、自分語りになってしまいましたね。ダサイ先生にはそんなこともすべてお見通しでしょうから、恥ずかしいですが、このまま投函します。

 寒くなって来ましたので、お体には気をつけて。これからも、いい作品を楽しみにしています。MC、マイコメディアン、ダサイ先生。

 それでは、また。おやすみなさい。



 *****


 何が、「それでは、また」だ。
 私はとにかく不快だった。
 今まで、これほど薄気味の悪いファンレターをもらったことは一度もない。
 ろくに眠れないまま一夜明け、日中もあれやこれやと煩悶しながら家の中をうろうろ歩き回り夕方、「どうでしたファンレター?」と嬉しそうにやって来た葛原君にこの手紙を見せると、いつもは場を和ませようと口下手な癖に無理して明るく振る舞う彼もさすがに、「いや、まあ……」と言ったきり苦笑いを浮かべて黙りこんでしまった。
 ギロチン、ギロチン、シュルシュルシュ。
 どちらからというのでもなく、これではどうもやりきれねぇ、酒でも飲むか、自然とそういう流れになった。

 詩なんか書くヤツみんなクズ。
 詩なんか書いてもクズはクズ。
 残念ながら、詩は、あなたを悲劇から救わない。
 むしろ、喜劇を増すだけだ。

 どうして私にはこうもクズばかりが寄ってくるのだろう。
 認めたくはないが仕方がない。
 自らクズを招き寄せ、クズを糾弾し続けること、どうやらそれが、私のライフワークとなるらしい。
 因果応報。
 死ぬまでやってろ。
 これが喜劇ではなくて何だと言うのか。

 私はちびちびと飲みながら考える。
 葛原君は、名前にこそクズが付いてはいるが、人の幸せを願い、人の不幸を共に悲しむことが出来る、のび太みたいないいヤツだ。
 今はしがないアルバイト編集者として、編集長や先輩たちにパシリのように鼻で使われてはいるけれども、将来的には作家を目指し、内緒で小説を書いていることを私は知っている。
 いつかコイツを、私のようなクズのもとから巣立たせて、立派に羽ばたかせてやりたい。
 私は物書きの先輩として、それは、けして、とても誉められた先輩ではないのだし、反面教師にしかなれないのだが、私には私の背負ってきた美学がある。
 黙って、男の背中を見せてやるつもりだ。
 最近では葛原君も、私が良からぬことを考えていると、勘が働くようになってきたらしい。
 帰り際、振り向き様にこう言った。
「あんまり変に刺激しないほうがいいですよ、先生。どんな相手だかわかりませんから。」
 言わずもがな、そんなことは百も承知、こういう、作品と自身の現実の区別が付かない異常者が、いずれ悪質なストーカーへと変貌するのだろう。
 心配ありがとう、しかし私は、痩せても枯れても無礼派だ。
 無礼の道を突っ走る。
 私は彼女に返事を書いた。

「初めまして。
私はあなたのことなど知りません。
私があなたをモデルにしたなどと、つまらん言いがかりはやめて頂きたい。
大層な身の上話をご披露してくださったようですが、ずいぶん陳腐なフィクションですね。
あなたのような詩に溺れたクズが、私は死ぬほど嫌いです。
酒が不味くなる。
詩は、いや、人生は、私小説くずれの慰みものであってはならないと思います。
ただ、生きてあれ!
ぼくがさかなだったころ?
およげたいやきくんかおまえは!」

 深夜、時計の針はもう一時を回っている。
 返信を封筒に入れ、丁寧に糊付けし、〆、を書こうとしたその時だった。
 突然、携帯の着信音(燃えよドラゴンのテーマ)がけたたましく鳴り響いた。
 こんな時間に誰なのだろうか……。
 妙な胸騒ぎがする。
 葛原君ではない、直感でそう思った。
 まさか━━?
 私は封筒を表に返し、先ほど書いた宛名をじっと見つめた。
『宮澤百合子様』
 この胸騒ぎは、間違っても、恋、などではない。
 得体の知れない恐怖に、私は思わず身震いした。

文学極道

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