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MANITOU - 2014年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


グラウンド・ゼロ

  MANITOU

 私のお腹が出てきたのはいつの頃からだったろうか。いやね、そうたいして出てはいな
いんですよ。家族が言うほどには出ていないと私は思う。でも、痩せていた昔と較べると、
明らかにポコッと膨れてきているから、お腹の中に誰かいるのは間違いない。しょっちゅ
う喋り声が聴こえてくるけど、おヘソに耳を当ててよく聴いてみようにも、上体を目いっ
ぱい前屈して顔を左右どちらかに向け、片方の耳をおヘソに当てるなんて、サーカスの軟
体芸人じゃあるまいし、私にできるわけがない。さてどうしたものかと思案していると、
何処からか一角犀がのそのそ歩いて来て、私のおヘソに片方の耳をピタッと当てると、お
腹の声を状況説明付きで復唱し始めた。「関東甲信越放送のタテヤマさん?」「…oggpox
…gppppx…」一角犀によれば、お腹の中はテレビ局のスタジオになっていて、長身美人キ
ャスターのゼッターランドさんが、現地で取材中のレポーターに呼び掛けているそうだ。
「関東甲信越放送のタテヤマさん?」「…gqqqvv…ppxx…」何でもJR中央本線勝沼ぶど
う郷駅前に、突如としてグラウンド・ゼロが出現したらしい。「関東甲信越放送のタテヤ
マさん?」「…xqqiix…xkkxxx…」あいにく現地は昨夜からの猛吹雪。通信トラブルのせ
いでなかなか中継が繋がらない。「タテヤマさん?」「…wv…viioooiv…」「タテヤマさ
ん?」「…pppuuxxjjoiw…」ゼッターランドさんはいい加減イライラしながら、タテヤマ
さんを呼び続けている。「タテヤマさん?」繋がらない。「タテヤマさん?」やっぱり繋
がらない。「タテヤマさん?」駄目。「タテヤマさん?」「…jqoqoxxwpzzz…」「タテヤ
マー!!!!」おーっと終いには呼び付けだ。「タテヤマー!タテヤマー!」むきになっ
て連呼している。私はタテヤマさんなんて知らないが、ゼッターランドさんが気の毒にな
ったので、つい中継が繋がったふりをして、「…igogviggpoxx…いタテヤマですっ!」と
叫んでしまった。それを聴いた瞬間、ニヤッと笑った一角犀は、おもむろにおヘソから耳
を離すと、私を睨み付けながら言った。「やはりお前がタテヤマだったか」


                         かすみがかったピンク色の空の下
                  火星最大の盾状火山であるオリンポス山の山頂に
                      巨大な合金製の立方体が乗っかっている
         地球の富士山がすっぽり収まってしまうくらい広大な複合カルデラは
                立方体の底面に覆われてしまって見ることができない
      太陽系の最高峰でもあるオリンポス山の標高は優に25,000mを超えるが
                   立方体の高さを足すとその倍近くになるだろう
          鏡のように火星の光景を映し 陽光を反射している立方体の各面に
           時折 その内部から外界の様子を窺う巨大な両眼の映像が現れる
                   まつ毛の長いパチクリしたおめめがキョロリン
                           ハートキャッチプリキュア!
                キュアマリンこと来海(くるみ)えりかちゃんの眼だ


「いや私はタテヤマなんかじゃない!」と叫んではみたものの自信がない。でも私はタテ
ヤマなんかじゃ、タテヤマなんかじゃ……あれ? じゃあ私は誰だっけ? よく分からな
い。私は本当はタテヤマなのかも知れない。どうもタテヤマのような気がしてくる。タテ
ヤマのような気が増してくる。タテヤマのような気がどんどん増してくる。私のタテヤマ
度がどんどんどんどん増してくる。私のタテヤマ度がどんどんどんどんどんどんどんどん
増してくる。タテヤマ度がどんどんど……もうそろそろ私はタテヤマだろう。タテヤマな
のか? タテヤマ? 事ここに至って私は宣言する。何を隠そう私こそタテヤマその人で
ある。一角犀の奴めこのタテヤマに一杯食わしやがった。私のお腹の中にテレビスタジオ
なんか無いのだ。大おんな美人キャスターのゼッターランドさんも作り話だ。私はもとも
と自分自身のお喋りを聴いていただけだったのだ。グラウンド・ゼロなんてどこの駅前を
探したってありゃあしない。「果たしてそうかな?」一角犀が薄笑いを浮かべながら言っ
た。その瞬間、私のお腹の中に核爆発の閃光が走り、黒褐色のキノコ雲が立ち昇ると、亡
霊の如くグラウンド・ゼロが出現した。そこは破壊され尽くして、何も無い、誰もいない
空虚だ。「タテヤマぁ、お前の空っぽなお腹をツンツンしてやる」一角犀が私のお腹を角
で突っつきながら言った。チクチク感がビミョーに心地よい。刺激によって活性化された
のか、お腹のグラウンド・ゼロは徐々に成長を始めている。もしやおめでたか? おめで
たなのか? いったい何が?「もうちょっと膨らんできたらぷにぷにしてあげる」一角犀
が流し目を使いながら幼女の声で言った。ぷにぷにというのは具体的にどうやるのか、私
にはよく分からないが、語感から察するに、それも悪くなさそうだと思った。


キュアマリン応答せよ! 火星のキュアマリン応答せよ!
こちらハートキャッチプリキュア!
希望ヶ花中学校駐屯員にして来海えりかの大親友
キュアブロッサムこと花咲つぼみですっ
成層圏を哨戒飛行中 レーダーで把捉後にオクトパス型探査スコープにて再度確認
JR中央本線勝沼ぶどう郷駅前スーパー銭湯「ゆぴか」露天風呂にて
TIPEタテヤマのグラウンド・ゼロが発生しました!
ただちに対処しないとお腹が→子宇宙→孫宇宙→ひ孫宇宙…へと指数的に増殖してしまう
恐れていた多宇宙に跨る空虚の孵化 ひいては重畳ヒッグス場のVertical崩壊が始まる
指令α-187「ANTI-ぷにぷに」の発令を待っていては遅きに失するかも知れない
キュアサンシャインもキュアムーンライトも砂漠の使徒に捕まって
凌辱のあげくブツ切りにされて土手鍋の具になっちゃったの
あたしはプリキュア史上最弱で有名だし……
だからキュアマリン!
火星のキュアマリン!
いま地球はあなたの力が必要なの
えりか!
早く帰って来て!


岸壁のまま母

  MANITOU

どんよりとした曇り空の下、遥かな海の沖合いから陸地へと、黒々とした波が絶え間なく打ち寄せて来る。陸地のウォーターフロントでは、東西にどこまでも続く岸壁が、打ち寄せる黒い波を堰き止めている。岸壁に係留されている船は少なく、ここからは西方向にも東方向にも、遠くに数隻の貨物船が接岸しているのが見えるだけだ。対照的に、陸地には岸壁に並行して沢山の倉庫が立ち並び、コンテナや資材があちこちに積まれている。コンクリート舗装された岸壁のエプロンには、夥しい数の父子連れが釣具を持って来ていて、ある父親は簡易な折りたたみチェアに座り、ある男の子は岸壁の端の車止めに座って海の方へ足を垂らし、ある女の子は母指を曲げたような形の、先っぽの丸い繋船柱に跨って、海へ向けて繰り返し釣竿を振り、釣り糸を垂らしている。彼らが使用する餌はたいていエビかゴカイだ。狙いはタイやギザミやメバル、チヌやカサゴやウマヅラハギ、そしてコチやサヨリなど、親子で釣りを楽しむには手頃な小・中型の魚である。刺されると大人でも泣くと言われるオコゼや、強力な毒を持つフグなどは必ずしも歓迎されないが、しかしそれら要注意の魚も、子供に自然のちょっとした恐さを教える材料としての意義はある。あいにく天気は快晴とはいなかったが、またラッシュと言えるくらい多い人出ではあるが、もう一時間もすれば満潮を迎える岸壁には、釣りを楽しむ父親と子供達の、のどかで微笑ましい光景が広がっている。しかし、何も知らない子供達はともかく、岸壁にやって来た父親達の真の狙いは、海のもっと沖の方にある。どういうことか? 遥かな沖合いに目をやり、しばらく眺めていると、やがて水平線近くの海のあちこちに、ポツリ、ポツリと小さな膨隆が出現し始める。それらは時間が経つに連れて増えてゆき、やがて水平線近くの海は、西から東までそれら小さな膨隆でいっぱいになった。のみならずそれらはみな、この岸壁に向かって近付いて来ているようだ。初めは小さく見えていた海の膨隆は、こちらに近付くに連れて一つ一つが相当に大きく、スピードも速いことが分かってくる。寄せ来る波を後ろから押しのけて、それぞれが小さな丘のような海の盛り上がりが、大挙して岸壁の近くまで迫るのにそう時間はかからなかった。遂にその先陣が岸壁に襲い掛かると思われたその時、海の盛り上がりは次々にザッバアーッ!ザッバアーッ!ザッバアーッ!と大きな水飛沫を上げて破裂し、その中から巨大な裸体のまま母が立ち現われた。全身から流れ落ちる海水をブルブルッと振り払い、エプロンに足を掛けて上陸して来た彼女らの数は東西に渡り数百体。体長はおしなべて100メートル強。女性らしからぬ電子音混じりの重低音で、「ちち」「ちち、ちち」「ちち、ちち、ちち吸わせえ〜」「ちち、ちち、ちち吸わせ〜」と口々に呟いている。巨大なまま母達の体重を受け止め、彼女らの音声が含む超低周波振動に曝されて、打ち震え、のたうつ岸壁。しかしながら岸壁は崩壊することなく、よくその長大な構造を持ちこたえている。「ちち、ちち、ちち吸わせえ〜〜」「ちち、ちち、ちちゅ吸わせえ〜〜」まま母達はドズン!ドズン!と腹に響く足音を立てて岸壁のエプロンをのし歩いている。かと思うと中腰になり、パニック状態の父子達に向けて大口を開けると、「ゴォホオオオオオーーーーッ」と吸気し始める。父親達は釣竿を放り投げて逃げる間もなく、いや、子供を置き去りにして逃げるわけにもいかないのであろう、まま母達の吸気と同時に次々に宙に浮かび、彼女らの口腔内に吸われてゆく。「ちち、ちち、ちちゅ吸わせえ〜〜」「ちち、ちち、ちちゅう吸わせぇ〜〜」「ゴォホオオオオオーーーーッ」もとより父親達の狙いは自身の胸の両側、つまりちち毛の処理など一切していないが、慎ましいことこの上ない左右の乳頭を、まま母達のイソギンチャクめいた唇で吸ってもらうことにあったのだが、いかんせん相手が想定を遥かに超えて巨大過ぎた。まさか彼女らのほんの一息、と言うかひと吸気で、自らのちちどころか全身丸ごと吸引されてしまうとは、父親達には想像だにできない事態だったのである。「ちち、ちち、ちちゅう吸わせえ〜〜」「ちち、ちち、ちちゅう吸わせえちちゅう〜〜」「ゴォホオオオオオーーーーッ」父子入り乱れる中で子供達を残し、父親だけを選択的に吸い込むことが、まま母と父と子の、どのような生物物理学的&家族機能論的&ハイパーエディプス説的機序で可能となっているのかは不明だが、まま母達はたちまちの内にすべての父親を吸い込んでしまった。ところで、まま母達の口腔内に入った父親は、その後は胃袋に続く食道ではなく、肺胞に続く喉頭から声門、そして気管というルートを辿ったらしい。やがて岸壁のあちこちから、まま母達の気道の異変を知らせる音声が聴こえ始めた。「エグッ」「ハグッ」「アガッ」「ホガッ」初めはやや強くむせる程度だったが、次第にそれはより深刻なものに変わっていった。「ハグアッ、ガフウッ」「ゴァフッ、ガゴーッ」「アガゴッ、ガゴゴゴグゥアーッ」そして終いには「グアゴガガガゴガゴガガガガガゴオォーーーーッンぺペッぺッんナラぁーーッ!!!!」と、大地を揺るがし海洋をひっくり返しかねない大音響と共に、彼女らに吸い込まれていた父親達が、口からバラバラバラバラ吐き出されたのである。今や岸壁の至る所に、瀕死の父親達が横たわっている。意識不明状態の彼らの全身は、まま母達の痰と唾液と鼻水にまみれてベットベトだ。すると、これまたDNAのどこらへんに書き込まれた遺伝情報によるのかは不明だが、事の一部始終を目撃していた子供達が、一斉に自分の父親の元に駆け寄ると、衣服に手を掛けて胸を肌けるやいなや、その乳頭をちゅぱちゅぱ吸い始めたのだ。これは一体どういうことか。赤ん坊の吸啜反射とはだいぶ異なるようだが、ともかく、子供達が可愛らしい音を立ててちちのちちをちゅぱちゅぱしている間に、父親達は一人また一人と意識を回復していったのである。一方、気道内異物を超ど派手に吐き出したまま母達は、これはまたどうしたことであろう、その巨大な図体に似合わぬ脆弱性を見せ、なんと、誤飲性ショックによりあっさりと絶命していったのである。ドッ、ドッ、ドッ、ドッ、ドッドドドドドドドドッズズズーーーーンンン!!!! 沢山の倉庫とコンテナ群、そして父子連れが乗って来たワゴン車や乗用車を下敷きにして、まま母達が倒れ込む音響が、岸壁の全域にこだましていった。彼女らの頭部は、倉庫より更に内陸側の空き地にまで達しているようだ。そしてまま母達の身体は、あたかも引き潮時の砂浜に打ち上げられた巨大クラゲのように、空き地のセイタカアワダチソウを揺らしている潮風に晒されて、速やかに干涸らびていったのである。その頃には、岸壁の父親達はすっかり体力を回復し、全身に付着していた痰や唾液や鼻水もパリパリに乾いて、再び海に向かって釣竿を振り始めていた。子供達はと言えば、子供が何事にも飽きっぽいことは洋の東西を問わず共通である。せっかく魚のよく釣れるこの岸壁に来ているのに、また、干涸らびたまま母達の残骸や、破壊された倉庫やコンテナ群は、彼らにとって絶好の遊び場となるだろうに、もはや父親のスマホでゲームをして遊ぶことしか、興味が無くなっていたのである。父親がどや顔でウマヅラハギを釣り上げても、それには見向きもせず、子供達はスマホゲームに夢中になっている。どんよりと曇った空の下、そこら中からゲームの効果音が聴こえて来る岸壁に、黒々とした波が打ち寄せている。


レッド・ツベルクリン

  MANITOU

2014年2月。レッド・ツェッペリンはソチ五輪の銀盤上でトリプルアクセルを3回決
めそこなった。アンコールが何曲だったかは不明だがどうでもいいことだ。選手村のレス
トランではドゥービー・ブラザーズがすき焼きにディープ・パープルをぶち込んで食って
いた。すき焼きを食わなかったレッド・ツェッペリンは銀盤上でトリプルサルコウを4回
決めそこなった。調理場からユーライア・ヒープの唐揚げが次から次へ飛んで来る。それ
に頭から齧り付くポール・バターフィールド・ブルースバンド。尻っぽから齧り付いたレ
ッド・ツェッペリンは銀盤上でトリプルトウループを5回決めそこなった。シライ/キム
ヒフンは6回決めそこなった。けどクイックシルバー・メッセンジャー・サービスなんか
7回決めそこなってケツのぜんぶの毛穴からハッタイ粉が吹き出たんだぜ。あいつらみん
な死んだ。それが兆候だったと後に解説のサノさんは語った。


ヤマモモの並木が続く高台の歩道を歩きながら、
平原林ミサヨは買ったばかりのパンプスの感触を確かめていた。
眼下に望む海からの風が心地よく頬を撫でてゆく。
ネイビーカラーのパンプスはすぐに彼女の足に馴染むだろう。
やわらかな春の光を浴びながら、平原林ミサヨはふと思う。
ああ、どうして空はこんなにおのれらの歯列がぜんぶ透けて見えるくらい青いのか。
どうして世界はこんなにおのれらのミンコフスキー光円錐を日曜日の河川敷のバーベキュー
の串で斜めに突き刺したみたいに孤独なのか。


それには理由がある。レッド・ツェッペリンがソチ五輪の銀盤上でトリプルフリップを3
回決めそこなったからだ。直後にカントリー・ジョー&フィッシュが印旛沼で清老頭(チ
ンロートー)を出しそこなったというニュースが各国報道ブースに4回入りそこなってハ
ーマンズ・ハーミッツは八郎潟ポン、ヤング・ラスカルズは油ヶ淵チイ、スペンサー・デ
イビス・グループは多鯰ヶ池リーチ、ラヴィン・スプーンフルはチミケップ湖ロン、と無
意味にハモりながら囲む雀卓が銀盤上をストレートラインステップで5回横切りそこなっ
た。直後にウィッシュボーン・アッシュは銀盤上でトリプルルッツを6回決めそこなった。
マーシャル・タッカー・バンドは7回決めそこなった。だが、レッド・ツェッペリンは3
回決めそこなって足がこんがらかってつんのめって転んで打った。頤を。


モミジバフウの並木が続く高台の歩道を歩きながら、
平原林ミサヨは臀部にあてがった簡易オムツの感触を確かめていた。
私がオムツをしているのは便が漏れ出るからじゃない。
私からマサオが漏れ出て行くのを防止するためだ。
平原林ミサヨはそう信じていた。
マサオは彼女が週3回清掃に行くオフィスビルの5Fにある信販会社の男だ。
しかし実のところ、平原林ミサヨからはマサオではなく、
ヤマダデンキの店員トラスケが漏れ出ているのだ。
彼女はなぜそのことに気が付かないのか。


それには理由がある。レッド・ツェッペリンがソチ五輪の銀盤上でドーナツスピンを3回
転してすぐにコケたからだ。クロスフィットスピンは踏み切る直前にまたしても足がこん
がらかってつんのめって転んで打った。頤を。おのれらヘンドリックスだ。ジミ・ヘンド
リックスを持って来い! 聖火台の十字架で火炙りされて乳首を焦がしたジョニ・ミッチ
ェルがおらぶ。だがしょせんは無駄な努力だった。レッド・ツェッペリンがシットスピン
を3回転してすぐにコケたからだ。ジミはソープへ沈んで地道に生きる徳島県人の阿波踊
り大会で5回優勝しそこなった。そのくせデイヴ・ディー、ドージー、ビーキー、ミック
&ティッチは銀盤上でビールマンスピンを6回転してコケた。フライング・ブリトウ・ブ
ラザーズは7回転してコケた。だが、レッド・ツェッペリンは3回転してすぐにコケた。


うるせえな。何回転でもいいじゃねえか。
ハナミズキの並木が続く高台の歩道を歩きながら、
平原林ミサヨが顎に手をやってシリコン製の変装マスクを剥ぐと、
マイルス・デイビスの黒い顔が現れた。
スライ・ストーンにゃさすがのオレもビビったぜ。
おのれらマクラグリンだ。ジョン・マクラグリンを持って来い! 
だが、おのれらが高台まで担いで来たのはカイル・マクラクランだった。
おのれらは間違えたのだ。ならレッド・ツベルクリンを持って来い!
などと無体なことを所望するJAZZの帝王マイルス。
やれドッコイショッ。ねぐらのある児童公園に帰り着いたマイルスは、
公衆トイレ裏の地べたに敷かれたダンボールの上に座り込むと、
静かに自叙伝(宝島社文庫)の追補編を口述し始めた。


 まあ、聞いてくれ。昔、オレがミズーリ州セントルイスで、初めてディズとバードの演奏を聴いた夜にゃあえらくぶっ飛んだもんだが、これから話すのはそれよりももっと前のことだ。そのセントルイスと、オレの家があったイーストセントルイスの間にはミシシッピ川が流れてるんだが、ある時、こっち側の河川敷でロック・フェスティバルが開かれたんで聴きに行ったんだ。どんなバンドが演奏するのか誰も知らなかったが、地元のバンドで「レッド・ツベルクリン」てのが出るという噂だけはオレも聞いていた。三つ年上の高校生だったミヤマのさーちゃんに誘われて、ぼくと同級生のタニグチも一緒に行ったんだけど、さーちゃんは途中から別行動だった。ロックフェスなんて初めての経験だったから、ぼくもタニグチもけっこう胸がドキドキしてたんだよ。大阪からは「ウエストロード」ってバンドが来ていた。「ウエストロード・ブルース・バンド」が正式なバンド名だと知ったのはもうちょっと後のことだ。あの時は「ウエストロード」とだけ名乗っていた。ギターに塩次伸二と山岸潤史がいた。日本のブルースギタリストの草分け的存在になった二人だ。何曲かブルースをやったんだろうけどよく覚えていない。ぼくはまだあまりブルースの曲を知らなかったからね。て言うかコード進行ぜんぶ同じだし、延々とギターソロをやりだしたら曲名なんかどうでもよくなったりして。山岸潤史は今はニューオーリンズに移り住んで、パパ・グロウズ・ファンクとワイルド・マグノリアスの二つのバンドでギターを弾いている。塩次伸二は日本でブルースを追求し続けて、2008年に心不全で死んだ。ミヤマのさーちゃんは在日アメリカ軍基地の奴にコネがあって、LSDが手に入るから一人二万円出せとか言ってたんだけど、こっちは中学生だし金なんか持ってるわけないだろ? 京都からは「スラッシュ」ってバンドが来ていた。スラッシュ・メタルとは関係なくて、元GN´Rのギターのスラッシュとも関係なくて、もっと昔の、日本のロック・レジェンドの頃のバンドなんだけどね。名前は国際的な悪の組織スラッシュから取ったんだろうとその時は思った。意味はツグミ。ナポレオン・ソロとイリア・クリアキンがTVでこの組織と戦っていた。「テン・イヤーズ・アフター」の「I Woke Up This Morning」という曲のカヴァーをやっていたよ。「夜明けのない朝」っていう邦題でシングルカットされて、カッコいいイントロと、アルビン・リーの早弾きソロでよく知られた曲だった。でもアルビン・リーの早弾きって、どこか寺内タケシみたいなところがあって、ROCKとしてはイマイチと言うか、変だったと思わない? まあいいや。この日聴いたバンドの中では、ぼくはこの「スラッシュ」がいちばん気に入ったんだ。あれ以後このバンドはどうなったのかな。ググってみたらある程度は分かった。メンバーは大森○○、長谷川○○、松田○○、真木○○、矢部○○って人達。その後解散して、何人かのメンバーは「腐縁」や「五人組」といったバンドをやっていたらしい。それと、バンド名の由来を勘違いしていた。彼らの古いポスターには「Slush」とプリントされてるけど、ツグミは「Thrush」だ。あの日はミヤマのさーちゃんだけ途中でいなくなった。実はどこかで米兵と落ち合って、LSDをやってたんだよ。あくる日から高校を一週間休んで、あれからなんかさーちゃんぶっ壊れたみたいだった。結局さーちゃんは高校をやめたんだけどね。東京からは「頭脳警察」が来ていた。河川敷にたむろしていた在日アメリカ軍基地の兵士が、バンド名の意味は?って英語で叫んで、ステージからヴォーカルのパンタって奴がBRAINPOLICE!って叫び返していた。こっちはマザーズ・オブ・インベンションの曲からもらったバンド名だね。フランク・ザッパの。やったのはオリジナルばかりだった。「世界革命戦争宣言」とかやったのかな。覚えてないけど。赤軍派を支援するとか言って。今思えばちょっとイタいけどね。政治的なことなんかどうでもよくて、ロックと言えば洋楽だったぼくの耳には、「頭脳警察」の歌はすごくダサく聴こえたんだよ。でも頑張っていたと今は思う。「はっぴいえんど」もそうだけど、あの頃から日本語でオリジナルをやるなんて。あと在日アメリカ軍基地のバンドも来ていたよ。これは完全に「クリーム」のコピーバンドだった。ギターのソロもクラプトンの完コピで、「Strange Brew」とかやってたな。あれはまあ、あんなもんでしょう。ミヤマのさーちゃんと最後に会ったのは5年後の東京だった。さーちゃんは女のアパートに転がり込んで、まあヒモみたいなもんだったけど、その女に他に男ができてさ、アパートを追い出されてえらく落ち込んでいた。本気で惚れてたのかもね。ダサいブガルーパンツ履いて、ちょっとだけタトゥー入れて、福生の路地裏で一袋2500円で買わされたニセ物のマリファナ持って来て、煙草はチェリーに変えたとか言ってオッサンみたいで、ほんと笑えるくらい落ち込んでいた。ひと晩ぼくのアパートに泊めてあげて、あくる朝は西日暮里駅まで送って行ったんだけど、あれから今日までさーちゃんの消息は不明なんだ。あの日、結局「レッド・ツベルクリン」は出て来なかった。バンド名がフザケてやがるからどんなバンドか期待してたんだがな。そんなわけで、あの日からオレに取って「レッド・ツベルクリン」は幻のバンドになったってわけだ。永遠に幻のバンド。どうせチンケなバンドだったに決まってるけどな。と思いつつ念のために「レッド・ツベルクリン」でググッてみたら、けっこうヒットするんだわこれが。わりと若い女がヴォーカルをやってる「レッド・ツベルクリン」の2011年のライブmovieがある。レッド・ツェッペリンの「移民の歌」を歌っている。映画「ドラゴン・タトゥーの女」(ハリウッド版)で、ヤー・ヤー・ヤーズのカレン・Oがカヴァーしていた、アアア〜〜〜〜アアッ!ってターザンみたいなやつ。カレン・Oのはクールだったが、こっちの方は何とも言えずヘタなのがいい。がんばれよネーちゃん! これとはまた別のバンドらしい「レッド・ツベルクリン」の噂話をTwitterでやってる奴がいるぞ。あと「レッド・ツベルクリン」ってハンドルネームで楽天やAmazonにショップレビューとか書き込んでる奴がいるな。日本にゃThe Alfeeってバンドがあるのか? ぜんぜん興味ないけど。そいつら結成時のバンド名の候補が、「がくや姫」と「レッド・ツベルクリン」だったらしい。ついでに見つけたんだが、「ローリングすどうズ」って須藤さん一家のバンドや、「ヨンタナ」ってバンド名もあった。どうせかなりのオッサン世代だろこいつら。みんなどうしてこんなにアフォなんだ。どうしてこんなに。どうしてどうして……。(マイルス談)


それには理由がある。レッド・ツェッペリンがソチ五輪の銀盤上でバックスクラッチスピ
ンを3回転してすぐにコケたからだ。うるせえな。何回転でもいいじゃねえか。マイル
ス・デイビスのシリコンマスクを剥いだ平原林ミサヨがチャーリー・タマヨ考案の後ろと
びひねり前方伸身2回宙返りをやる前に銀盤上で足がこんがらかってでんぐり返ってひっ
くり転げて転倒してコケて打った。頤を。いと派手に。あるいは地味ヘンドリックスに。
ケツから漏れ出たヤマダデンキのトラスケは銀盤上でキャンデロロスピンを5回転してコ
ケた。アイアン・バタフライはバタフライキャメルのバタフライジャンプからキャメルス
ピンに入って6回転してコケた。クワイエット・サンは7回転してコケた。だが、レッ
ド・ツェッペリンは3回転してすぐにコケた。


天使の骨盤

  MANITOU


         〔骨盤は左右一対の寛骨および仙骨と尾骨によって構成され、
          寛骨は腸骨と坐骨と恥骨によって構成されている。左右の
          腸骨の上外方に広がる扁平な部分を腸骨翼という〕

 天使の骨盤は、単独で自立生活が可能であるから、幼生期には他の身体部位と離れて、
火星に骨盤だけのコミュニティを形成している。火星の北極冠の広大な氷原を群れをなし
て滑走しながら、左右の腸骨から翼が生えて来るのを待つのである。将来翼となる骨芽細
胞の増殖が始まり、十分に成長発達して翼になった暁には、天使の骨盤は氷原を次々に離
陸して、火星の重力圏外へ飛び出し、尾骨の方向舵を巧みに操りながら、大挙して地球に
飛来するのである。ところが、大気圏突入時の空気との摩擦熱で、翼はあっさりと燃え尽
きてしまい、その痕跡として左右の腸骨翼だけが残される。翼を失った天使の骨盤は、当
然ながら地上にボトボト落下するが、間髪を置かずに私や貴女の頭部に襲い掛かり、それ
らを咥え込んで、自らの骨盤腔に内蔵するのである。

 そのような次第で、私の頭部はメスの天使の骨盤に、下方からズッポリと嵌まり込んで
いる。メスの天使の骨盤腔は、ヒトの女性のそれと同様、上方から見ると楕円形をした筒
状空間であるから、私の間脳の、左右のちょうど外側膝状体あたりが楕円軌道の二つの焦
点となり、その周りを役立たずのフェアリーどもが、ピコピコ発光しながら公転している
のである。メスの天使の骨盤は、しばしば前触れなくフンムッと息み出し、私の頭部を膣
口から外界に分娩する。出産された私の顔面は産道の粘液にまみれ、湯上がりのウミウシ
となって産声を発する。お、ギギ、ギア! ところが、外界に産み出された私の頭部は、
またすぐに膣口から骨盤腔内にズルッと引き戻され、元の位置に収納されると、再び役立
たずのフェアリーどもがピコピコ公転し始めるのである。

 では、貴女の頭部とオスの天使の骨盤の場合はどうであろうか。貴女の頭部も、オスの
天使の骨盤に下方からズッポリと嵌まり込んでいる。オスの天使の骨盤腔は、ヒトの男性
のそれと同様、上方から見るとハート形をした筒状空間であるから、思うに古来より女性
がハートのシンボルマークを偏愛するのは、このあたりに由来する郷愁の一種ではなかろ
うか。心臓の形の抽象化という俗説は、我々から天使の骨盤の存在を隠蔽するための策略
である。それはさておき、オスの天使の骨盤も、メスの場合と同様、いきなりウオオオッ
と息み出すと、貴女の頭部を肛門から外界にひり出す。その時、貴女の顔面は当然ながら
糞便と腸内粘液にまみれている。だがこの次第は、決して貴女の女性及びヒトとしての尊
厳を貶めるものではない。なぜなら膣よりも肛門の方が、精神性と抽象性において優れて
いることは、古来より詩人の間では常識であるからだ。いわんや天使の肛門においておや。

 外界にひり出された貴女の頭部は、私の場合と違って湯上がりのウミウシに変態するこ
とはなく、糞便まみれにも関わらず、気分の方はすこぶるスッキリ爽やかである。しかし
それも束の間、私の場合と同様、貴女の頭部はすぐに肛門に引き戻され、再び骨盤腔に収
納される。この時はいささか無理やりにであり、貴女の顔面は相当なストレスを蒙るのだ
が、思うに肛門の方もかなりの疼痛があるのではないか。何にせよ、いったん内部に嵌ま
り込んでしまえば、骨盤腔のハート形が貴女を癒してくれるわけだ。

 雌雄の天使の骨盤が、何ゆえこのような、一見して無意味なことを繰り返すのか、実は
現代の科学はおろか、星間天使学においても何一つ確かなことは分かっていない。解明に
はまだまだ時間がかかるのであろうが、一説によると、私達の心身のリフレッシュに関係
しているのではないかとも言われている。しかしそれにしては、貴女の場合に見られるよ
うに、再び外界から肛門を経て骨盤腔に戻る時の、少なからぬストレスは不可解である。
男性である私の場合は特に問題は無い。何故なら、かねてより私の頭部は、湯上がりのウ
ミウシになりたいと切に願っていたからだ。もっと言えば、男性で頭部が湯上がりのウミ
ウシになれたならと願ったことのない者は、まず一人もいないだろう。積年の願いが叶っ
たわけである。もっともごく短時間の変態を繰り返すという形でしかないが。

 いささか長くなってしまったが、以上が天使の骨盤の活動のあらましである。最後に次
のことを付け加えて、この項を終わりとしたい。

 天使の骨盤は、七色に透きとおったピスキス・アウストリヌス座ウエハースに似て、美
しく脆く儚い風情をしており、生温かく柔らかな海豚座マシュマロウに似た、大・小腸及
び膀胱・子宮等の骨盤内臓器と共に、珍味としてグルメ愛好家にたいそう好まれると言わ
れてきた。しかしこれは、名状し難い根本偶然に直面すると、あたかも催眠術にかかった
ようにコロリと夢見がちになってしまい、あらぬ妄想でしばしば道を踏み間違える人類の
呆れた大俗説である。奴らは幼生の頃からイリコやチリメンジャコが大好きで、しょっち
ゅう貪り食っているため、思いのほか骨が硬く、骨盤は相撲取りよりも遥かにガッチリし
ていて頑丈である。いやその硬いこと硬いこと。こんなの食べようにもどうにも歯が立た
ない。グルメ愛好家が食べたと信じているのは、恐らくピスキス・アウストリヌス座ウエ
ハースを成形加工した偽物であろう。悪質なネット直販業者に騙されないためにも、江湖
に注意を喚起しておきたい。そもそも股間に食われているのはこちらなわけだし、天使の
骨盤は食用には適さない。

文学極道

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