#目次

最新情報


紅月

選出作品 (投稿日時順 / 全13作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


白雨

  紅月



(dear L,)

 
西窓から
こがね色の蜂蜜があふれ
あけわたされた廊下を
遊び風が濯ぐ
木目の数だけ鈍くきしむ床に
罅割れた指を這わせて
(鳴いている?)
やまない久遠の
練乳のような午睡のうえ


文法的には
あやまちなどない
細身のあなたが横たわる
あわく宿る偽りの水のうえに
おおよそ嘘という語意の
あえかな名前が呼ばれ
遺品のために列をつくる亡霊たちの
さいごのひとりに加わる


寡黙な西日に浸された
青く茂りつづける畳の
ささくれを摘む
軟らかな風の抜けていくのに
ひとつも萎みはしない午後に
いつしか緩みきっていた廊下を
ひたひたと伝う蜂蜜
(鳴いている、)
かたくなに硬い
いやはての骨すらつらぬいてゆく
甘くながく滴る午睡の糸を
指でもてあまして
 
 


落日

  紅月

鋭いふじつぼが覆う
防波堤に腰掛けては
水に平行に浮かぶ灯台と
水を垂直に貫く灯台の
交差点を横切ってゆく
ちいさな鴎の残響を聴いていた
坦々とつづく白砂のうえに
残しておいたはずの足形も
ひとつのこらず剥ぎおとされて
(硬い珊瑚だけが堆積してゆく、)


うねる波は朱色
風に遊ばれる
薄いカーテンのようだ
ね? と、
錆色をした明喩を拾っては
飛沫の先へ投げる
(押し返されては
ひとりでに戻ってきて、)


翡翠の原を砕きながら
いっせいに
対岸へと駆けていった子どもたち
彼らのいうとおり
ささめきながらゆれる鏡面から
顔を覗かせる幾つもの
にぶい岩礁の影は
尖った指先のようにも見えた
まさぐっているのは
こちらではなくあちらなのか、
問答の乾かないうちに
誰もいなくなった
あがる飛沫はやがて発火して、


あわいまどろみばかりが
白砂に打ちあげられては
代わりに浚われてゆく影を
追う影もなく、
熱のない炎上をはじめた島が
しだいに焼け焦げてゆく空へ落下する


やがてさかしまとなって
そそぐ夜雨のつめたさを、
いったいどんな比喩で語ればいいのか
この島に人は住んでいないが
それでも詩は書けた
(潮騒に埋もれた鴎のこえ、
それがもし
うつくしいメタファであったとしても
わたしには永遠に理解できない)
 


ピエタ

  紅月

わたしが物語をかたりはじめるたびにこの街には長い雨がおとずれ
る、いっそここが翡翠色の海ならばわたしたち鱗をもつ魚で、感傷
じみた肺呼吸をやめられるのですか、浸水した教会の礼拝堂で素足
のまましずかに泳ぐあなたの、白髪は重力に逆らいながら天へと伸
びてゆく、延びてゆく、ひとでなくなったあなたの御名はくちびる
による発音が出来ないから、筆記として、「ゆぐどらしる」と記す
ことにする、記すことにしたわたしたちは腕のない魚だからそれを
記す術がない、(「ゆぐどらしる」は、深海を射抜く幾筋の月光を
受け、銀に蛍光する梢をゆらゆらと細かく震わせる、水底にも風は
やまないって知ってる?)浮力、すなわち重力に隷従する「ゆぐど
らしる」の髪は空へと茂りつづける、こうして物語るあいだにもこ
の街には長い雨がやまない、器は充たされているのに溢れだした水
はどこに留まるというのか、文明の名残である酸性の雨が水面を穿
つ音すら響かないがらんどうのしじまの奥に「ゆぐどらしる」であ
る、ありつづけるあなたを世界樹たらしめるもの、かつて教会と呼
ばれていたはずのほころんだ遺跡にてほほえみを絶やさぬなんらか
の女神の像の、marbleによる肌はどこまでもやわらかな乳白色をし
ていたのに、しだいに象ることを放棄してかんたんな球のかたちに
かわってゆく、黒ずんでゆく、



彼岸、という名のみぎわで、という名のeddaで、という名の腕、腕
を伸ばす、かつてあなたが小指をくぐらせたであろう銀の指輪はす
なわち「ゆぐどらしる」の髪束で、人であったころ、わたしはあな
たのうなじに手をかけた、白線を引けばそこからうみのはじまり、
便宜上父と名付けられたあわい紅珊瑚が海底を埋めつくしている、
鱗をもつ父は鏡台で口紅を塗り、鱗をもつ父はまいにち早朝になる
と死ぬ、夜になっても死ぬ、何度も小指を繋いでは、そのたびにわ
たしは、(礼拝堂で祈る献身的な、)いっぽんの大樹が根をおろし
ている、「ゆぐどらしる」が身を震わすたび、まるで焦点の合って
いないぼやけた視界のなかでこまかい泡が粉雪のように舞う、それ
らはすべてそらへむかう、倣いながら、(誰に?)彼岸で、そらを
指さすなんらかの女神に、



凍えるような青い炎が琥珀色をした魚の鱗を舐めるとき、かたられ
た物語が濁った香油となって水面に浮かぶ、物語がかたられるとき
わたしたちの領空には長い雨が降る、わたしたち魚、浸水した教会
の錆びた鐘は定期的に鳴らされるのだった、しかし重厚なしじまの
なかで、絶える、のは音ではなく(じかん)、つかのま、あなたの
うちがわの耳が震えている、ふるえている「ゆぐどらしる」が身を
ふるわすたび細かい泡々のsnow glode、にいっぽんの大樹が根をお
ろしていた、その、ひとつの球体をわたしは魚類の存在するはずの
ない腕でかかげてみせる、もっと傲慢に記すならばわたしたち、わ
たし、たち、わたしが、わたしが物語をかたりはじめるたびにはじ
められたいくつかの記録的豪雨により浸水したこの街はあなたの御
名とおなじなまえでした、(なぜなら、あなたの、銀の婚約指輪に
その名が彫ってあったから、)しかしわたしは、わたしたちはもう
その単語を思い出せない、魚ですから、ほんとうは、廃鉱に埋もれ
た泥濘の魚ですから、そらをさす女神の、わずかに女神のかたちを
した器はもはや骨格によってのみ原型をたもっていた、その腕は軽
く、(銀の、約束をくぐる、瞼をおとして、)翡翠の水のなか、溢
れんばかりのながい白髪はいまだ重力のことわりを拒みつづける、
(灼かれたはずの父の名が眼前を泳ぎ去っていく、
ちち、ちちち、(雨、の韻、)ふるい鐘が鳴く、高く、)


(水底にも風はやまないって知ってる?)


灼かれている、
あけわたされたほむらの対岸、


今朝、死んだはずの母がふたたび死んだ
 
 
 


call

  紅月

いきものたちの長方形は
どこまでも直角であればいい
といのるそばから
いびつにつづく石畳の久遠に
分化しゆくあわい複眼の滴が砕ける


雨煙のなか
ただ立ち尽くす
(なまあたたかい東西の壁)
水に濡れた枯葉の群れから
数多の挨拶は失われてゆくから
つらぬくような凍えのなかで
かわいた吸気の骨格の
なだらかな勾配のさなかへ
投身する空蝶の両翅/花弁
あざやかなくちびるから垂れる
一条の宿り木のこんじきの蜜が
たわむれるゆいいつの音楽として
罅割れた石畳を叩きつづけるのだから
もうなにもいわなくてよいから
水彩の絵具がふりそそぐ螺旋に濯がれ
他愛もなくふやけてゆく視界は
葉の抜けゆく秋の大樹のように
彼方にたかく枝を拡げたまま


(かたちない独房の
半透明にすけた檻の隙間を
空欄に入る記述だけがすりぬけてゆく)
錆びた蝶番がこつこつと鳴き
打ちつけられる利き腕は骨の/古枝
いびつな石畳のうえに立ち尽くしながら
反響する雨煙の螺旋の
呼び声にうすい鼓膜をかたむける
ひとりでに震えるくちびるが
物言わぬ系譜の勾配をくだりおちて
はなばなの潤いに分化しゆく複眼の
丸い卵塊だけが宙でくるくると廻りつづけている


祝福

  紅月

 
 
小夜のしじまのなかに横たわる
あおい亡霊の指から波は生まれ
響いてゆくうねりと水平のほとりに
たくさんの林檎の樹が連なっている
垂れさがる果実に口づけをする紙魚
もうなにもいわなくていい
お前は燃えてなどいないのだから
(ここにはいないのだから)
霊安室は狭まりと
拡散のつめたい痙攣を繰りかえし
かたくなに眠りつづける亡霊のかたわらで
紙魚が流していくあかい果汁は
水平のまどろみのさなかへ飛びこみ
新たな波紋をうみひろげるのだろう
亡霊は亡霊のため
鏡面のうえに舟を浮かべ
亡霊は亡霊をはこぶ
(お前は燃えてなどいないのだから)
その光景をのぞむほとりの
林檎の樹の枝は複雑に分化し
進化のいただきに眠るあかい果実は
おだやかな波間の霊安室に灯される
蝋燭の火のようにただひとつあかるい





抜け落ちたしろい尾羽根
凍結した路肩に散乱する枯葉
罅割れた獣骨を拾いあつめ
小夜の空へ投げる(湿った、)
罅割れたタイル(冬のアルタイル、)
亀裂から漏れる乾いた羽根が
かがんだ水面の静寂に点る
ささやくような産声が山々を濡らし
そのあたたかさへと差しのべられた恍惚の腕の
指先のひとつひとつが腕となって
指先のひとつひとつが腕となって
どこまでも分化してゆくそれはやがて
ほとりに立ち尽くす林檎の樹氷
(お前は燃えてなどいないのだから)
波のみぎわには誰もいない
誰もいないことを告げる誰もが
亡霊と呼ばれ透き通ってゆく
乱立する氷晶、





亡霊が亡霊をはこぶ
ほとりの葬列のさなかで
母が波間へと投げいれたあおい彼岸花は
影を落とす霊安室のなかで狭まり
または拡散しいつまでも反響する
もうなにもいわなくていい
ながく滴る小夜の白昼に
投げこまれたあおい波がうねり
いただきの恍惚を食らう紙魚の
垂れながすあかい果汁がうねり
あわいの紫雲に隠蔽されるようにして
ふかく眠りつづける亡霊の系譜
ここにはいないのだから
充ちてゆく腕は指をひろげ
小舟を葉脈の流れに浮かべる
枝分かれする林檎の樹々の群れ(零下の、)
幹に記された御名を呑む紙魚から
漏れる末梢のしじまの糸をたどり
葬列に新たな亡霊がくわわってゆく
母のながいまどろみの底で
ながいまどろみの底で


 


花売り

  紅月

ギムナジウムの罅割れた唇を
なぞる人差し指は青い血にまみれて
この細い裏路地の影のなかでわたしたちはやがて
交わさぬことの愛撫を識り零れていくのだろう
返される砂時計が凍えた額のうえに置かれ
凪いだ瞳からは大量の小砂が溢れてくる


わたしたちはかつて学徒とよばれ
お互いに名前で呼びあうことをしなかった
ひややかな小川が森を横切り
そのどこまでも張りつめた水には
信仰をはこぶ純白の子羊だけが
しずかにくちづけて渇きをいやす
獣のあかく濡れた舌はそのまま流れをくだり
臍のあたりで渦を巻きながら、
(窪みから伸ばされたひかる尾が
幾重にも他の尾と絡みあっては
青空へと放たれていくのがみえる
街を徘徊するはじまりの器官が
その熱だけをあけわたして
誰の名も埋葬されたあとに
遊びだした指だけが先行するから、)


献身をゆるすならば
ゲシュペンストの麓におりて
誰もいなくなった真夜中の歩道橋で
名も知らぬあなたはうたをうたってください
幾重にも波打つ神話は弧を描きながら
声のない閉ざされた公園の隅にある
「叡智」と名付けられたシーソーを大きく揺さぶって
その中心に立って動じぬ遠い母の
臀部は経血に濡れていた(青い、)


裏路地の排水に浮かぶ廃油
涌きあがる昆虫たちには骨がない
着飾った裸体で
たかく父の名を呼ぶ(空には、
にぶく絡まりあう臍の緒が
幾重にも走っているのがみえる、)
切り分けられた空の断面から
あおい蝶が滴っているのが
みえる、(いまでも花びらのようだよ/母さん、)
強烈な逆光に彫りこまれた影のなか
醜く罵りあった、紫痣だらけの
砂が尽きたらまたしずかに時計を返して
はじまりの帰路のうえに溜まった細やかな砂が
真冬の額をどこまでも汚しながら
ギムナジウムの瞳の凪いだ深淵の底
あざやかに宿る白昼へいつまでも残響している

 


matria

  紅月

あやまちなどひとつもなく、
おそろしい精度で
どこまでも正しく列べられた
タイル、いちめんに咲く文脈と、
そこへかたくなに交わりつづける
いくつかの脊椎が灯火する街は、
放射のみどりにあおられながら、
より大きなまちのなかに遍在する、
正しく遍在する、


(母の骨格を、
(抱きかねる、語り手、
(を、抱きかねる、かたりて、


雲ひとつない快晴、
海底から見上げる水際を
鳥の影絵が旋回している、
風、波の幻視のさなかへ
祈るように目を閉じたまま、
次々に身を投げる
鳥ではないとりたちの列、(分岐図、


がらんどうの記号たちの
比喩、あるいは胎盤のなかで、
がらんどうのきごうたちが
豪雨しているのが、
わかる、明るい空へと
私は腕を伸ばす、
濡れた音が鳴る、途端に、
腕が縦に裂ける、
(噴き出す青い血液、)
凍えるような豪雨のなかで、
あたたかい、すなわち、
温度のない血は、
うそぶく祈りに触れ
しだいに日本語されていくから、
ちの飛沫もまた豪雨する、
おとが鳴る、私は裂けた腕を
伸ばす、(いらない、)
おとが鳴る、途端に、
うでがさらに細かく裂ける、
(信仰が流血するのを留めることができない、)
裂けたうでを持つわたしはもはや記号だった、
記号はきごうだった、(いらない、)
切り分けられていく
影絵には体温がない、
ただ凍えている、
凍えてすらいない、


(まどろみのなかで、)


乱立する白い建物のひとつに
母は眠っている、酩酊の、
母は抱かれている、
より大きなははの遺言に抱かれている、
陽がおちることのない窓辺の
ひどく鮮明な母の黎明のうえで
風にもてあそばれる薄いカーテンが
昏睡と覚醒の波を繰り返し描いている、
(わたしはそれを観ている、)
延々と、
他殺に晒される母の隣に、
遂げられない自殺が積もっていく、
水気を失って干からびた、
からからに乾いた記号たちが、
私が、わたしのうでが、
母の細い首を絞めている、
(わたしはそれを観ている、)
彼女の病理は、
より大きな病理に蝕まれつづける、


晴れわたる空、
音叉の産声、浸水、
声ではないこえ、が
仄暗い臓器に残響している、
塹壕している、
(の、)


誤った日本語をすり抜ける
誤った対話だけをここに留めて、


白いとり、 黒いとり、
(あらゆるとり、)
散乱する寓話たちの
産卵、に、灯が点って、
鬼火と呼ばれるようになったら
やがてそれらは数列するのですか、


散華の花弁の中心から溢れだす、
黒蝶の片翅はみな壊死しているから、
まばゆい快晴のしたには異形ばかり、
影絵、奇形の影絵は繁茂して
腕のないわたしはどこまでも正常だった、
(ゆるされるということ、
その斥力の彼岸へと伸ばした
わたしのうでは縦に裂ける、


割り算は数字が可哀想だから、
といって、ただ、
ただ掛けあわせていくわたしも、
割られる、割れる刹那の
便宜的な数字でしかない、(いらない、)
延々、わたしを
わたしで割りつづける母、母の
過失がこの身体をすり抜けて、
軽い金属の落ちる音が
何度も私の身体に触れた、
わたしのからだに触れた、
雲ひとつない快晴のしたで
タイルの秩序を繕う腕が
さまよって、
累加する
幾千もの無精卵から
孵るひなどりには嘴がない、
交わりもないまま、
奇形の影絵たちは
文脈の勾配に沿って
日本語の墓場へと巣立ち、
やがて、ここには
うつくしさへと復讐を
つづける卵の殻だけが留まる、
(それら破片を、
(繋ぎあわせ、
(元のかたちに
(戻そうとする私は、
(母と同じように、
(かげをかげの係数で割りつづける、


割りつづける、


(とりは鳥の訃報をたかく歌い、
音もなく歌われたうたが
ぱらぱらと結晶し、そそぐ、
豪雨、
の中心で、
あやまちは、
誤った形式を通過しながら、
影絵で遊ぶわたしの
青い血液を焚書していく、)


つぎはぎの神話は、
病室であわく灯りながら
しだいに暮れていく波紋の中心で
いつまでも小刻みに震えつづける母の
わずかな呼吸さえ止めてくれない、
言葉を失って久しい母の
よごれた利き腕が
さらさらと赤い砂になって
窓辺からの風にさらわれていく、
青い血液の枝が渦を巻く、
罪はゆるすことも、
ゆるされないこともなく、
ただ窓辺から空の水際へと
さかしまに投身自殺を繰り返す、
繰り返す影色のとりの、
はねが、さらさらと赤いすなに
なって、かげはかげを
映せないから、といって、
さかしまにとうしんじさつを
する、めいし(たち)が、
絶えるから、絶えてから、
それでも、変わりはない、
といって、ははの細い首に、
ゆびを絡める、はくちゅうに、
ははの、となりに、
今更、立ち尽くしている私の、
私の身体は赤い砂にかわる、
わたしのからだは赤いすなにかわる、
(凪いだはずのかぜにさらわれ、)
ははのはな、(留めて、)
ははのはね、(留めて、)
ははのはは、(留めて、)
物語性は、
血を吐いて横たわっている、
乱立する白い建物のひとつで、
(あちこちで、)
ひのてがあがる、
つめたく燃えるみなそこ、
うでを伸ばす、
おとが鳴る、(途端に、)


ただひとつの自殺は
既に遂げられていたのだと
気づく、陽が、
暮れることのない窓辺で、
私の、母に似た、
ははの、
瞳の、深淵の、
水のなかで泳ぐ
日本語たち、


黎明の背中が
裂けては産声が響き、
またひとつ、またひとつ、
手折っていく、水際から、
ぱらぱらと赤い砂がおちて、
しだいに、罅割れた
タイルの街に積もっていく、


(影絵はより大きな影絵の逆光へと呑まれ、
記号はより大きな記号の失語の前に無力だった、
だった、と、こうして、
語りはじめたきごうが、
ぱらぱらと空から降る、
降ってくる、豪雨する、
そのさなかで、夜を待つ、
待つ私の、青い血の飛沫、
ひらがなが洪水する、
洪水する、母が、
翳した、利き腕から、
ひらがなが洪水する、
わたしの、
背中から、ひらがなが、
洪水する、まるで、
とりのはねみたいに、
すみずみまでゆきとどいて、
母が、母する、母に、
かしずく、鳥の生身だけが、
赤い血を流している、
ちを、流す、という祝日に、
かしずく、わたしの生身が、
あたりには散乱している、
産卵している、)


昏睡と覚醒の波を描くようにして
凪いだ風にまどうカーテンの
はざまから片翅の黒蝶があらわれ、
ははのはなに留まる、
ははのはねに留まる、
吐血する、
ははの口からは、
青い液体が垂れている、
音もなく黒蝶はそれを吸う、
ははの、ははの、ははの、ははは、
街の正しさを水で充たしていくから、
乾いてしまったははの身体は、
水から逃れるようにして、
みずから空の深淵へと
さかさまに投身していく、
落ちていく、
(わたしはそれを観ている、)
よく晴れた日、(豪雨、)
水面にぷかぷかと浮きあがるははの、
とりの、平たいからだ、(影絵、)
それを底からわたしは見上げ、
また、しだいに浮かび上がっていくわたしの、
ははの、とりの、平たいからだを、
こどもたちが底から見上げている、
(それはわたし、)(あなた、)
(ひらがなが旋回している、)
(流転している、)
鳴りやまない雨音が、
ゆるやかに肥大して、
タイルを打つ、たびに、
あざやかな喧騒を取り戻していく
眩暈のさなか、
母が投げこまれた空、
異形を拒まなかった空の、
正しさ、は、乱れ、
しゅんかん、拡がる、
うつくしい、と、
形容できる、波紋、
音叉の、図形が、
拡がる、空の、枯れ枝を、
見上げ、
呆然と、
意味もなく、
その意図もなく、
鳴く、響く、
がらんどうの、
タイルのまちの、
元の高さに、
戻っていく、
正しさへと、
浮かびあがって、


 


no title

  紅月

●ring

青い花が好きだった赤い少女が白い文法の群生する野原を駆けていく夢を見たんだ、と、洩らした傍らの友人は墨のように真っ黒でなぜか直視できない、明け方の浜辺、打ちあげられた魚たちが至るところで力なく跳ねている、その上空を猛禽たちが鋭い目つきで旋回している、その光景を黒い影たちがゆらゆらと円状に取り囲んで眺めている、(そして、遠くからそのさまを観察する何組もの私と友人、)なぜ死は静寂として齎されないのだろう、と、友人は言う、波が嘲るように声をあげる、いきものはひたむきに躰をくねらせるのにどこまでも静寂だ、静寂に色彩を宛がうように、ぐるぐると幾重に俯瞰の渦を巻き、浜辺に打ち上げられた青い少女が昨夜食べた赤い花は文法の白い野原に群生しているんだよ、と、影たちは口々に言う、彼らもまた文法なのか、




●kasou

日記を書く、私が大切に育ててきた庭のくちなしに火を放つという架空の内容の今日、(炎に浮かぶオオスカシバの幼虫は痙攣しながら溶けていきましたまるで焼け焦げて歪む写真の像のように、)やがて炎は私の家をも呑みこみ爆ぜるのだろう、ばちばちと音を立てて炎上する私の家で生活していた私も炎上する、なんの比喩もそこに介在できない、かつてここに私の家があったころたしかに私はここで生活していました、していたことがあります、と、語るための、熱、(黒い父や黒い母が炎の中に揺らめいているのが見えました、知らない人たちでした、)インクで汚れていく日記帳、文字が咲き乱れている、ね、(ふいに羽音が聴こえて顔を上げると煙る空にたくさんのオオスカシバが舞っていました、)火の粉、空から降り注ぐひかりの鱗粉、透明の翅、色褪せる水の深淵から数えきれないほどの羽音が溢れ、色濃い静寂が炎の喧騒する輪郭を舐める、白昼のさなか、




●eyes

外人の青い瞳の中に指を入れてかき混ぜるとします、赤い語彙が溢れますか、そしてそれをあなたは読解できますか、と、教授は私に問う、外人のことなんてなにもわかりませんなぜなら私が殺した人々はもはや外人ではないから、私の黒い瞳のしじまの中に指を入れる私たち、かき混ぜる、あるいは混ぜられる、赤く染まる視界、射精、吐き出された私の血溜まりにはたくさんの外人の瞳が転がっているから、青や、赤、色彩の花畑、文法を摘んでいく少女は傍らで干からびている私の死体には目もくれない、あなたが外人だから、と、教授は言う、私は答えない、答えられない、(外人だから、)

氷晶、幾数の四角形、あざやかな指が延びていく、枝、野原はやがて森になるのさ、




●yagate

かつて、から
たくさんの水は溢れて、
それを血溜まりと呼ぶ外人は歩き去り、
文法が手を広げる色彩の森の中で、
比喩されたいきものたちの、
かつて、に、
相当する言葉もないまま、
黒く透けた母や、父が、
何度も、芽吹いたり、
刈られたりする、

やがて、
しらないひとのくにから、
たくさんの羽音が聴こえるだろう、
俯瞰が群生する水際の、
明度、影が語彙をもつ白昼のさなか、
外人でありたかった私たちの黒い瞳がこぼれ、
外人である私たちの青い瞳がこぼれ、
森の血溜まりのなかに転がる、
転がった、瞳が、
一斉に割れ、
青い瞳から黒い外人が孵り、
黒い瞳から青い外人が孵り、
その上空で
夥しい数の父や母が、
騒がしい羽音を立てる、

(なぜ静寂として齎されないのだろう、)




今朝、
青い花が好きだった赤い少女が白い文法の群生する野原を駆けていく夢を見たんだ、
と、傍らの友人に告げる私の体は真っ黒でなぜか直視できない、
空から淡くひかる鱗粉が降ってくる、
なにひとつ比喩ではない浜辺で、


 


no title

  紅月

雪が降っていた。

白に沈んでいく丘。色素のうすい幽霊たちがなだらかな稜線に沿ってならんでいる。風に揺れている。彼らの、赤い、瞳、たちだけが点り、まるで春の花のように綻んでいた。声がしていた。呼んでいた。

誰も聴きとれなかった。
やまない白は白の深淵へと手を伸ばし、白と白の差異の境に立ち尽くす。とても充足していた。色素のうすい幽霊たちの皮膚にはとうに感覚はなく、それは凍えによるものなのか、先天的な遺伝によるものなのか、判断もつかないくらい遠くからの遮断だった。肌をすり合わせる。熱のない熱がうまれる。そのたびに、幽霊たちの躰は少しずつ欠損していった。充足していった。その反芻は、彼らの躰がついに壊れ、彼らの、恒久的に燃えつづける赤い瞳たちが、やわらかな雪のうえにこぼれおちるまで続く。



そうして、永い時間が経った。
一瞬だった。そのあいだ雪は降り続けた。摩耗した幽霊たちの亡骸、を、覆いかくすほどたかく積もった、白、く、丘は山のように隆起していた。たくさんの、幽霊の、赤い、瞳が、このなかに沈んでいるのだ。と、おもった。燃えているのだ。ずっと、遠い、冬のはじまりから。声がしていた。やがて雪がやんだら、埋もれた幽霊の瞳たちはいっせいに芽吹き、赤い花を綻ばせるのだろうか。春の。遠く、いちめんに、赤い花が点っている山の、稜線の、雪解け、を、想像する、私もまた、例外ではなく、ひとしく、摩耗していた。欠損だった。そのように呼ばれた。白い、差異の、境に立ち尽くして、白は、白のなかに、白を、やどし、呼んでいた。声がしていた。音はなかった。誰にも聴こえないくらい大きな声で。聴こえなかった。誰も答えなかった。何度も。ただ、見ていた。答えず。雪が降っていた。降っている。いまだに。


albus

  紅月



先天の、

   /腕を牽く。勾配をくだる白日。
   現像されたばかりの陰翳、育つ造花。
   水禍。渦を巻くあかるい幽霊たちの麓にて、
   孵らずにはいられないあまたの埋火、


枝が延びる。翅が延びる。痙攣する玉繭から
漏れる石灰。凪いだ深淵の骨をひとつずつ抜
く。去勢された哺乳類のたてる波紋に、水脈
を游ぐ幼虫がいっせいに散っていく。痙攣す
るシナプスのさざめき。先天の喧騒からはぐ
れ凍えていく私秘のやわらかな首を絞めてく
ださい。誰もなにも言わなくなったあとで、
おびやかすための韻律は獣の形状を化石させ
ていく。途絶えた水際の森閑から重力はおと
ずれ、戯れあいながら圏層の弥終へと先走る
植物たちの皮膚を、隠匿の疼きから引き剥が
していく、引き剥がしていく、枝、翅、の、


あらゆる寓意は含有されていくというのに。
白線を踏む獣たちの水禍、
回転する複眼のモザイク、
いざなわれた皮膚は裏返されて、
勾配をくだる四肢の欠損のそばには、
陰翳と紛うほど永い白日が群生する、

                 (のを、ただ、


発芽。演奏。さつりくの、腕を牽く。
回転する。交合する。指の痙攣。
あらゆる、おめでとう、の、りんかく、から、
モザイクの、寓意を、欠く、繭が、

(おびやかされて、)



先天の翅、
枝分かれする水脈は、
紡がれていくたびにはぐれ、
寄り添うわざわいは、
森閑という森のなかに灯りながら、
あかく開花したさいわいを指折り数える、
去勢された哺乳類が呑みこんだ寓意、
幽霊。脚韻が、枝分かれする、
孵さずにはいられないあまたの埋火、

   /腕を牽く。勾配をくだる骨の欠損。
   抜け殻のような躰の渦中で、
   赤紙が燃えている、萌えている、
   育つ造花。ひとりでに演奏されていく深淵の、
   私秘から、漏れる、あらゆる線、
   が、牽かれ、


          平行する、


              (のを。ただ。
 
 
 
 
 
 


phosphorescence

  紅月

[line]

彼女が不可思議な行動を見せるようになったのは僕たちが同棲をはじめてから数ヶ月ほど経ったころだった。ある朝、肌を逆撫でるような寒気に目を覚ますと、あけっぴろげにされた窓からあざやかに燃えひろがる暁がのぞいていた。窓は閉めて寝たはずだが、寝苦しくなった彼女が開けたのだろうか、などとそのときは特段気にすることもなく、隣で熟睡する彼女が起きてくるころには窓のことなどすっかり忘れていたのだけれど、次の朝もその次の朝も、ひらかれた窓辺には白いレースカーテンが踊っていた。彼女もまったく覚えがないというし、さすがにちょっと気味が悪くなって、四日目の夜、背合わせで彼女が眠りにおちたあとも、僕はサイドボードに置かれた青いLEDのデジタル時計の点滅を眺めつづけていた。彼女の呼吸と電子的な明滅のテンポは隔たりと交わりを繰りかえす。繰りかえす。

背越しの物音に半睡から覚醒する。彼女が身を起こしたようだ。衣擦れの音がきこえ、それからしばらくして彼女はベッドから降りる。気付かれぬように様子を窺うと、全裸の彼女がおぼつかない足取りで窓辺へと歩いていくのが見えた。彼女のあまりの異様さにしばし声をかけるかどうかの逡巡がうまれ、そのうちに窓をあけた彼女はするりと滑るようにベランダに出ていってしまう。ここからでは外の様子を確認することができない。しかしなぜか、見てはいけない、知ってはいけない、そう思って、どうすることもせずに僕はひとりのベッドのなかでつめたい石彫刻のようにかたまりつづけていた。すこしばかり経っただろうか、ふいに窓の外からぽつりぽつりとちいさな水音が聴こえてきたかと思うと、ささめきはすぐに陶器を叩きつけるようなかしがましい蝉騒へと変わる。驟雨が降りだしたらしい。全裸の彼女がはげしい雨に打たれる姿を想像する。彼女の腰ほどあるゆたかな黒髪は水のながれを宿し、みずみずしい曲線はおそらく、打ちつけられる強さをもってつぶてを押しかえすのだろう。

とてもながい時間が経って、ようやく部屋に戻ってきた彼女は不思議なことに少しも雨濡れしていない。窓の向こうの雨音は彼女が戻ってくると途端におさまり、すぐに未明はもとのしじまを取り戻した。何事もなかったかのように寝巻を着てそのまま眠りについた彼女はやはり夜のことをなにひとつ覚えてはいないだろう。朝のニュースはどの局も歴史的干魃による水不足の話題で持ちきりだった。

その日から毎晩、彼女はこの街に雨を降らせつづけた。そして、彼女に呼応するように世界は乾きつづけた。






[around]

飲み会が終わったあとの自宅への帰りのバスのなかでうっかり寝過ごしてしまって、目を覚ますとさっぱり見覚えのない薄暗い山道を走っていた。とりあえず聞いたこともないような名前の停留所で降り、iPhoneで地図を確認するのだけれど、そこにはいくつもの線が波紋のように広がっている不思議な図形だけが描かれている。手持ち金もわずかばかりしか残っておらず、仕方がないからバスが走り抜けていった方角と逆方向に歩きはじめる。はじめはどうしようもなく憂鬱な気分だったのだけれど、眼下に海が望める崖沿いの緩やかなカーブや、蔦に侵食され罅割れたアスファルトを踏みしめるうちにだんだん朗らかな気分になってきて、路傍の小さな草花を摘んでみたり、スキップしながら鼻歌をうたってみたりした。月はまとわりつくような群雲にしずみ、わずかばかり漏れだした光が植物のつややかな暗緑色を濡らしている。

とちゅう、人のかたちをした幽霊とすれ違った。軽く会釈を交わしてから自宅への道を尋ねると、幽霊は何も言わずにみずからが歩いてきた方角を指差す。彼の輪郭は絶えずほころびをくりかえし、眼孔にはひとみのかわりにいくつもの語彙が渦を巻いていた。生の幽霊なんて都市部ではなかなかお目にかかれないし、物珍しさから、写真を撮ってもいいですかと聞いてみるが反応はない。きっと沈黙は承諾のあらわれなのだと解釈し、iPhoneのカメラ機能を使いふらふらと風になびいている彼を撮影する。しかし撮れた写真のどれを確認してもそこに彼の姿は映り込んではいない。とても残念だったけれど、彼をこれ以上引き止めるのも失礼だと思い、ありがとう、と礼を言って別れてから、彼がやってきた方角へと歩きつづける。

それからしばらく歩いたのだけれど、いっこうに人里は見えてこないし、もはやどれくらい歩いたのかすらわからなくなってきて、もしかしたら歩いているのではなく止まっているのかもしれない。しだいに体が金属のように重くなってきて、仕方がないから、ふらつくたびに身につけていたものをひとつずつ捨てていった。廃棄をくりかえし、風とおなじくらいのかるさになったころ、ふたたび人のかたちをした幽霊とすれ違う。軽く会釈を交わしてから自宅への道を尋ねてくる彼に、僕は歩いてきた方角を指差す。これから撮影されるたくさんの写真。そして僕は映らない。映ってはいけない。それが決まりごとなんだ。






[bunch]

暗室のなかで現像液を吸いあげる花々は撹拌と停止の指揮にあわせて示されたかたちを繕ってみせる。点を隠すなら点のなかなんだよ、と花が言って、言ったそばから花は他の花に覆われすぐに見えなくなる。群生する花々はたがいの弾力をおびやかしながら触角を絡めあう。点描の線がするすると延びていく。線はしだいに屈曲し円をかたちどるだろう。地面に散乱する不揃いな極彩色の果実。どこからともなく鳥があらわれて、むすばれたばかりの果実のやわらかさへと嘴を埋める。いつしか暗室のなかをたくさんの鳥が飛び交い、机に無造作に積まれた写真の束が彼らの羽撃きに巻きあげられてぱらぱらと宙を舞っていた。果実へと群れる鳥たちの集団はまるで合一したひとつの球体のようにうねり、撹拌と停止を指揮する人影の手には猟銃が握られている。やがて銃声が響いて、血の流れない淘汰がおこなわれるとき、線と線の交錯でことづけられた記号のおおくは奥行きを取り戻しながらみずからの重みに沈んでいくだろう。風にあそばれるたくさんの写真は刈りとられたシーンたちをこま送りのように明滅させる。立ちつくす人影の耳から色とりどりの歓声が勢いよく噴きだし、投げ捨てられた猟銃の銃口からたちのぼる硝煙が、抜きだされた景色と景色のあいだの余白を埋めるようにたちこめる。そして、結びには表題への解答として、発作的な暗転に取り残された人影だけが、屠殺した鳥たちの骸を抱えて黄みがかった現像液のなかへ溶ける。


そうして、かたどりだけがのこされた、
かたられるはかたるのかたちからはぐれ、ここにはなきがらばかり、






[(ref)line]

延びあがった影はやがて斥力に耐えかねて湾曲する。かさなりを拒む乳房のみずみずしい弾性。彼女のしろい乳はどこまでもたかく噴きあがり、なぐりつけるようなはげしい驟雨となって街を濡らす。山々の稜線をしろくなまあたたかい川がよごし、まるで彼女の髪のようにしなやかなながれを汲みあげては、いにしえから雨乞いをつづけていた人々はめいめいのながい乾きを癒していく。そうして、街はいちめん白に染まり、うるおいにひとみを焼かれた人々の眼孔からは次々と煤けた詩句がこぼれおちる。軽い挨拶を交わすたびに、ひとみをうしなった彼らはひとりずつ白の溟い渦のなかへ飛びこんでいくだろう。干からびて使い物にならなくなった文法だけが、ただそこに遺されて、降りそそぐ線の集合のふたしかさを距離に喩えつづけていた。

 


セパレータ

  紅月


いつも日没は反覆だった


ごみ箱に弁当の中身を捨てる
箱の中
散らばった白飯が造花のように咲き
今朝解凍された惣菜がぽろぽろと転がる
(それだけしかないから)
誰にも見つからないようにすっと
西日の差す教室を後にした
あかるい放課後


校庭でふざけあう子供たちのなかに
ひとつだけ人形が混じっていた
鐘が鳴っても帰る場所がわからないの
と 口を固く閉じたまま彼女は言う
あざやかな喧騒が足元を浸し
グラウンドはひどくぬかるんでいたけれど
傍聴席に座っている神様には
あまり影響はなかった


車窓から眺める風景
乱立するビル群
そのあいだからかすかにのぞく稜線
小刻みにうごめいている黒点たち
どれもが形式ばったあやうさを湛え
映るすべてがモノクロに見えた
色を告げるための比喩はとうに擦りきれ
会釈だけが車内にからからと反響しては
こみあげる嘔気に
からっぽの中身を吐き散らかした
ここではないどこか
どこかではないどこか
散らばった臓物が造花のように咲いては
一人分の隙間に丸まった私たちは
どこまでも水平に運ばれていく


緋色の空を切り分ける高架
血液の流れはたがいに平行をたもち
都市はいきものの真似事をつづける
あざやかな喧騒から次々と水は溢れ
やがていびつな流れとなって
指し示すばかりの都市の骨格を飲みこんでいく
逆光のふかくに滲む魚影
潜行 いまだあかるい落陽のさなか




   横たわってばかりいる母の
   枕元にたかく積まれた新聞紙はいつも
   遠くの国に住むだれかのことを語ります
   わかる言葉で書かれているから
   まるでほんとうみたいでした
   たとえば
   銃撃 という記号
   母のからだはひとりで抱えるにはあまりにもかるく
   こぎれいに小分けにされた惣菜を
   毎朝母は解凍し箱詰めします




澱みに沈んでいく部屋のなかで
巻きあげられた新聞紙が蝶のように水にあそび
血塗れのタオルが国旗みたいにはためいている
泳げない母の口からは小さなあぶくが漏れて
それは私の知らない言語だった
切り裂かれた肉片や野菜
たくさんの不揃いな訃報が投げこまれ
撹拌されていくつくりものの箱の中で
なにひとつ交差しないという暴力


そうして神様は
水没した世界をごみ箱に捨てた
かつていきものだったものが
箱の中に散乱してつめたくなっていくのは
とても叙情的でうつくしいこと
なのかもしれなかった
(それだけしかないから)
西日が差す教室
窓の外の景色はすべてモノクロで
なにかに喩えてやりすごすのはとてもむずかしい
ごみ箱の蓋をそっと閉めると
ちょうど下校時間を告げる鐘が鳴り
校庭では顔のない人形たちが
命がけの銃撃戦を繰りひろげているのが見えた

 


design

  紅月


モザイクの一室へと屈葬された
催奇的な昏眠に身を投げるあわい獣たち
彼らは朝に赤い棘を飲んでねむり
昼にやわらかく硬直する
夜には完全するいびつな死骸から
塩の樹がいくつもたちあがっては林立し
ひろがりの森閑のさなかを因子の勾配がすり抜けていく
ひとときだけながく凍った冬に、



あざやかに濁る腐肉の空洞から
極彩色の翅をひらく白い蛆たちが
雲翳を埋め尽くすほどに舞いあがる
たかく、自重がかるさを増すほどに
負わされるままの寓意は分割をくりかえし
逆行/逆光の摩滅に耐えかねて
しだいに醜く焼け焦げていく翅
(は、とてもきれいでした)
翅のない奇形の蛆はどこまでも白く
やがて回転しながらゆっくりと落下する、
いくつもの手が川の水面を掻き乱すたびに
溢れる相貌がそこらじゅうに散らばって
異形を次々と提示しながら
蠕いては折りかさなる、



モザイクの一室へと屈葬された
催奇的な昏眠に身を投げるあわい獣たち
おだやかに腐敗する死骸のうえで
塩で作られたたくさんの腕が垂直に聳え
傾きはじめた夜を支えている、
いつまでも脆くありつづけるための
獣たちの瞳の赤い化石を
刳り抜いては食べてしまう人影が
けっして途絶えることのない列を作りながら
ふかく翳った塩の森を通り過ぎていく
彼らが歩き
偶発的な白を踏みにじる音だけが
ふぞろいに凍てついた冬の
ひとときだけながい静謐を滾々と満たしていた、
 
 

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.