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田中宏輔 - 2014年分

選出作品 (投稿日時順 / 全22作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


水面に浮かぶ果実のように

  田中宏輔



 いくら きみをひきよせようとしても
きみは 水面に浮かぶ果実のように
 ぼくのほうには ちっとも戻ってこなかった
むしろ かたをすかして 遠く
 さらに遠くへと きみは はなれていった

もいだのは ぼく
 水面になげつけたのも ぼくだけれど


陽の埋葬

  田中宏輔



 術師たちが部屋に入ってきてしばらくすると、死刑囚たちの頭に被せられていた布袋が、下級役人たちの手でつぎつぎと外されていった。どの死刑囚たちにも、摘出された眼球のあとには綿布が装着され、その唇は、口がきけないように上唇と下唇を手術用の縫合糸でしっかりと縫い合わされてあった。見なれたものとはいえ、術師たちはみな息をのんだ。嗅覚者は、自分の右隣に坐った男を横目で見た。男は術師たちの長とおなじ、幻覚者であった。嗅覚者は、以前に何度か右隣の男と言葉を交わしたことがあったが、以前の様子とは少し違った雰囲気を感じとっていた。男の前に坐らされていた死刑囚が頭を揺さぶった。眼があったところに装着されていた綿布が外れて落ちた。
「よい。」と言い、右隣の男は手をあげて、一人の下級役人があわてて近寄ろうとするのを遮った。男が呪文を唱えると、下に落ちた綿布が床の上をすべり、死刑囚の足元からするすると、まるで服の内側に仕込まれた磁石に引っ張り上げられたかのようにしてよじのぼると、もとにあった場所に、少し前までは眼があったところにくると、ぴたりととまった。嗅覚者の鼻が微妙な違いを捉えた。以前に男が術を使ったときに発散していたにおいとは異なったにおいを。嗅覚者の鼻が、異なるにおいを感じとったのだった。嗅覚者は、隣に坐っている男をよく見た。男の身体全体を、ある一つのにおいが包み込んでいた。顔はおなじだが、前のにおいとは違ったものであった。嗅覚者の鼻は、また死刑囚たちの身体にも、ふつうの死刑囚たちとは異なるにおいを感じとっていた。嗅覚者の鼻は、魂をにおいとして感じとることができるのであった。目の前に坐らされた死刑囚たちはみな暴力的な人間ではなかった。生まれつき粗暴な人間には、粗暴な人間特有の魂のにおいがあった。死刑囚たちは、おそらく思想犯だったのであろう。最近は、図書館の死者たちを解放するのだといって、破壊活動をする思想犯たちの数が急増しているらしい。国家反逆罪は、もっとも重い刑罰を科せられる。もちろん、死刑である。処刑される前に、眼球と内臓の一部が取り出され、再利用されるが、さいごに人柱として利用される前に魂を抜かれるのだった。いや、魂の一部を抜かれると言ったほうがより正確であろう。術師たちによって、魂の一部分をエクトプラズムとして取り出されるのだった。術師たちは、術師たちそれぞれ独自の方法によって、人間の魂からエクトプラズムを取り出すのだが、その取り出され方によって、エクトプラズムの質と量が異なるのであった。ある程度の量をもった質のよいエクトプラズムは、ほぼそのまま、見目麗しいホムンクルスとして成形される。平均的なふつうのエクトプラズムは、別の日に、おそらくは、翌日か、翌々日にでも、この施術室のなかにはいない別の術師たちの手によって抽出され、さまざまな用途に合わせて加工されるのであった。また、平均以下の、あまり出来のよくないエクトプラズムも、それらの術師たちの手によって処分されることになっていた。そして、質のよいエクトプラズムのなかでも、もっとも質のよいエクトプラズムから、死体を生かしておく霊液がつくられるのであった。図書館の死者たちが生きつづけて、われわれの文化の礎となっているのも、これらの霊液のおかげである。永遠に生きつづける死者なくして、文化など存続できるものだろうか。自然もまた、術師たちのように、さまざまなものたちの魂からエクトプラズムを抽出して、さまざまなものをつくり出す。妖怪や化け物といったたぐいのものがそうである。自然の何がそうさせるのか、いろいろ言われているが、もっとも多い意見は、時間と場所と出来事がある一定の条件を満たしている場合においてである、というものであった。ただし、術師たちの派閥によって、その時間と場所と出来事の条件がところどころ違っているのだが。ところで、歴史的な経緯からいえば、自然もまた、というよりも、術師たちのほうこそが、また、であろう。自然がつくり出した妖怪や化け物たちを、自分たちもまたつくり出したいと思って自然を真似たのであろうから。
 嗅覚者は男についての噂話をいくつか思い出した。月での異星人との接触。その異星人との精神融合における数日間の昏睡と覚醒。嗅覚者は、ふと、イエスとラザロのことを思い起こした。イエスとラザロも、一度は死んだのだ。死んで甦ったのだった。死んだからこそ甦ることができたとも言えるのだが、そもそものところ、はたして、二人は、ほんとうに死んだのだろうか。もし仮に、二人がほんとうに死んだとしても、二人に訪れた死は、同じ死なのだろうか。同じ意味の死が、二人に訪れたのだろうか。二人の死と復活には、違う意味があるのではないだろうか。そうだ。たしかに、象徴としては、二人の死と復活には、意味に違いがあるだろう。しかし、事実としての死が二人に訪れたのだとしたら、どうだろう。死の事実も違うのだろうか。いや、死は、ひとしく万人に訪れるものであって、それらの死は、すべて同じ一つの死だった。一つの同じ死なのだ。二人が、ほんとうに死んでいたとしたら、その死んでいた状態とは、死体となって存在していたという意味なのだ。死体となって存在していたのだ。しかし、その死んでいた状態には、いったいどのような意味があったのであろうか。その死んでいた期間には、いったいどのような意味があったのであろうか。かつて、このことを、ほかの術師仲間と話し合ったことがあるが、その相手の術師は、その当時、死んでいた期間とは、ひとが死んだということが、遠く離れた地に伝わるまでの時間だったのではないかと言っていたのだが、どうなのであろうか。しかし、それにしても、その状態が、新しい生に必要だったのだろうか。死んでいた状態の、死んでいた期間が。いや、なぜ、そもそも、わたしの脳裏に、イエスやラザロのことが思い浮かんだのだろうか。男が洞窟で甦るイメージをあらかじめ持ってしまっていたからであろうか。たぶんそうなのであろう。この男は死んでいたわけではなかったのだ。死に近い状態であったとは聞いていたのだが。しかし、男の魂のにおいは、まったく別人のもののようだった。そんなはずはない。そんなことはあり得ない。もしも、この男が同じ人間であったなら、どのような状態であっても、魂のにおいは同じもののはずだ。仮に精神的な動揺で別人のように様変わりしようとも、魂のにおいには変化はない。あるとしても、ごくわずかなものだ。たしかに、その表情には、おかしなところなど何一つないのだが……。この男の表情を読みとることは、嗅覚者にもたやすいことではなかった。当の詩人は、嗅覚者の視線を感じてはいたが、自分に顔を向けている嗅覚者のほうには振り向かず、嗅覚者の顔を思い浮かべながら自分の精神を集中させた。嗅覚者の瞳孔が瞬時に花咲くように開いた。詩人は、嗅覚者の見ている映像を、自分と嗅覚者のあいだに浮かべた。洞窟のなかに横たわった詩人が身を起こそうとしている場面であった。詩人は、なおもいぶかしげに自分の顔を見つめようとする嗅覚者の瞳孔を、瞬時に花しぼませるように縮めた。嗅覚者は、ふたまばたきほどした。嗅覚者の目には、死者がまとうような白い着物を着た詩人が洞窟のなかで起き上がろうとしている映像が見えていたが、すぐに非映像的な抽象概念に思いをめぐらせた。イエスとラザロの死の意味についてだった。術師の長が立ち上がった。
「それでは、はじめよう。」という、術師の長の掛け声をもって、術師たち全員が立ち上がった。術者たちは、椅子に縛り付けられた死刑囚たちの魂から、それぞれの持つ術で、エクトプラズムを抽出しはじめた。嗅覚者が手をかざしている死刑囚の身体からは、魂のにおいが泉の水のように噴き出した。嗅覚者のかざした手のなかに、それらの憤流が渦巻きながら凝縮していった。また、詩人の前に縛り付けられていた死刑囚の縫い合わされた口腔のあいだや鼻腔から、綿布が装着された眼窩から、細長い白い糸がつぎつぎと空中に噴き出した。よく見ると、それらの白い糸は文字の綴りのようであった。そのエクトプラズムの抽出の仕方によって、男は詩人というあだ名で呼ばれるようになったのであった。詩人の向かい合わせた手のひらのあいだにするすると白い糸が凝縮して、一体のホムンクルスが姿をとりはじめた。詩人の抽出するエクトプラズムはかなり質の高いもので、みるみるうちに人間の姿となっていった。すこぶる見目麗しいホムンクルスが、詩人の手のなかに横たわった。

 夜が夜を呼ぶ。夜が夜を集める。日が没すると、電燈の明かりがまたたき灯った。公園の公衆便所の前で、携帯電話の画面を見つめている男がいる。夜が集めた夜の一つであった。男は立ち上がって、河川敷のほうへ向かった。樹の蔭から別の男が出てきて、そのあとを追った。これもまた、夜の一つであった。そして、これもまた、夜の一つなのか、エクトプラズムが公園の上空に渦巻きはじめた。さきほどまでは、雲一つ浮かんでいなかった月の空に、渦巻きながら、一つになろうとして集まった雲のようなエクトプラズムがひとつづきの撚り糸のようにつながって地上に降りてきた。それは、公園のなかに置かれた銅像の唇と唇のあいだに吸い込まれていった。公衆便所の裏には、小川が流れていて、その瀬には、打ち棄てられた板屑や翌日に捨てられるはずのごみが袋づめにされて積み上げてあった。そこには、月の光も重なり合った樹々の葉を通して、わずかに差し込むだけだった。それでも、小川を流れる川の水は、月の光を幾度も裏返し、幾度も表に返しては、きらきらとまたたき輝いていた。小太りの醜いホムンクルスが三体、袋づめにされたごみとごみのあいだに身をすくませていた。それらの目の前で、二頭の大蛇のような、太くて長い陰茎のような化け物たちがまぐわっていたのだった。まるで無理にねじり合わせた子どもの腕のような太さの陰茎であった。一頭の陰茎が射精すると、もう一頭のほうもすぐに射精した。二頭目の陰茎の化け物の精液が、身を寄せ合っていたホムンクルスたちの足もとにまで飛んだ。いちばん前にいたホムンクルスの足にかかったようだった。そのホムンクルスの足がかたまって動けなくなった。すると、突然、空中から、シャキーン、シャキーンという鋏の音がした。ホムンクルスたちが上空を見上げた。わずかな月の光を反射して、巨大な鋏が降りてきた。鋏はシャキーン、シャキーンという音とともに、陰茎の化け物どもとホムンクルスたちのそばにやってきた。三体のホムンクルスが背をかがめた。かがめ遅れた一体のホムンクルスの首が、一頭の陰茎の化け物の亀頭とともに、ジャキーンと切り落とされた。
 銅像が目を覚ます。右の腕、左の腕と順番にゆっくりと上げ、自分の足もとに目をやった。足が持ち上がり、銅像は歩きはじめた。青年は先に河川敷に出て、川を見下ろせる石のベンチに腰掛けていた。二つの橋と橋のあいだに点々とたむろする男たち。追いかけていた男が青年の隣に腰掛けた。青年は自分の腕にまとわりついていた蜘蛛の巣をこすり落としていた。それは、青年の死んだ父親の霊だった。青年の父親はさまざまな姿をとって、死んだあとも、青年の身にまとわりつくのであった。この夜は、千切れ雲のような蜘蛛の巣となって空中を漂いながら、青年がくるのを待っていたのであった。追いかけてきた男が立ち去ると、青年は携帯電話をポケットから出して開いた。きょうも詩人からは連絡がなかった。嬌声が上がった。上流のほうで、叫び声とともに、何か大きなものが川に落ちる音がした。もう一度、ひときわ大きなわめき声に混じって嬌声が上がった。青年は立ち上がって、振り返った。だれもいなかった。ふと、ひとがいる気配がしたのであった。青年は上流に向かって歩きはじめた。大人にはなりきっていない子どものようなきゃしゃな体格の男たちが、茂みと茂みのあいだにある細長い道を走り去っていった。川には、黒眼鏡を手にした中年の男がいた。男は、もう一つの手で水辺の雑草をつかんだ。黒眼鏡の中年男は医師だった。走り去った男たちは、医師が持っている薬が目当てだった。青年が渡したハンカチで濡れた手を拭き取った医師は、坐らせられたベンチの下を覗き込んだ。姿勢を戻した医師は、青年の目の前で、手のひらを開いた。手のひらのくぼみには、ビニール袋に包まれた黒い粒と白い粒がいくつかあった。銅像は耳をすませた。銅像の耳は、時代を超えた叫び声を聞いていた。刀や槍で刺し貫かれて川に突き落とされた男たちの叫び声だった。猛獣に噛み殺され身を引き裂かれた女の叫び声だった。銅像は瞼を上げた。銅像の目は、時代を超えた映像をいくつも見ていた。川べりで生活する古代人たち。川遊びをする子どもたち。川の上を、爆弾を落としながら、飛行船が横切っていった。その映像が、公衆便所の真上にくると、巨大な鋏が姿を消した。地面の上には、白銀色のエクトプラズムの残骸がちらばっていた。銅像は自分がいた場所に戻るために、その重たい足を持ち上げた。地面の砂がざりざりと音を立てる。

 ホテルの支配人に案内されてから十数分ほどのあいだ、彼の精神状態は張り詰め通しだった。ひとり、老作家のいた部屋の窓から飛行船を眺めやりながら、彼は、瞬間というものに思いをはせていた。テーブルの上には、老作家が若いときに、愛人の若い男性といっしょに撮られた写真が残されていた。老作家とのやりとりもまた歴史に残る一コマであった。彼は、それを十分に意識していた。彼は、老作家のやつれはてた相貌を目にして、そのことで気を落としながらも、そう思っていることを悟られないように気をつけて、微笑みを絶やさず、老作家の瞳を見つめながら話をしていた。軍服を着た役人たちには渡さずにおいたフォトフレームに手を伸ばすと、彼は写真を取り出し、それを自分の懐のなかにしまった。彼は、その部屋に入る前と、出て行くときとでは、自分がまったく違った精神状態にあることを自ら意識していた。入る前は、たとえ異国の作家ではあっても、自分が尊敬し、敬愛していた偉大な人物に会えるということで、気分が高揚していたのであった。しかし、いまは、その人物が生気を失い、見るも無残な老醜をさらしていたことにショックを受けていたのであった。彼は部屋のドアも閉めずに、ホテルの廊下に歩をすすめた。ドアの外に待機していた配下の役人が二人、あとにつき従った。後年、彼は、自分と老作家とのあいだで交わされた会話を書くことになるだろう。彼は、老作家にこう言ったのだった。「あなたが世界をお忘れになっても、世界は、あなたを忘れてはおりません。日本という異国の地ではあっても、あなたの存命中はもちろんのこと、あなたが召されてからも、最善至高のおもてなしをいたします。あなたは、あなたが亡くなったあとも、あなたの貴重な体験を、あなたのたぐいまれな才能を、図書館で発揮していただくことができます。あなたの死後、あなたの血管のなかを、日本の最高の術師たちによる、きらめき輝く銀色のエクトプラズムの霊液が駆け巡ることでしょう。あなたは、永遠に生きる死者として、後世の人間に、あなたの体験や知識を、あなたの事実や、あなたがつくった物語を、真実と真実でないあらゆるすべての瞬間を語りつづけることができるでしょう。」それまで打ち捨てられていた老作家は、それまで打ち捨てられていた通りに、ただ息をするばかりで、彼の言葉をほとんど理解することもできていないようだった。やがて担架が運び入れられ、その身体が持ち上げられて、担架とともに運び出されるまで、老作家はひとことも口をきくことができなかった。彼は、ホテルの支配人に、老作家の庇護者に早急に連絡をとるように言い、老作家の身のまわりの品物をすべて、あとで日本の領事館に送り届けるように命じた。
 三島由紀夫は、オスカー・ワイルドをのせた担架が飛行船に運び込まれるところを後ろから見ていた。瞬間か。そうだ、瞬間だ。しかし、われらには死後の生がある。すべてが瞬間のきらめき、つかのまのものだ。だとしても、われらには死後の生もある。たしかに、ただ、ほんものの美は瞬間のきらめき、つかのまのものであって、死後において語られる言葉のなかにはない。言葉ではない。言葉にはできない。語ることができないものなのだ。それが、わたしには恐ろしい。しかし、言葉は装置でもある。ただ、こころのなかにだけではあるが、美の瞬間を甦らせることができるのだ。つかのまの歓びである、つかのまの悲しみを甦らせることができる装置なのだ、言葉というものは。個人としては、だな。三島は苦笑した。いや、個人を超える伝統というものもまた、死者たちが図書館で語る言葉によって維持されてきたのだった。
 飛行船がゆっくりと上昇していった。


泣いたっていいだろ。

  田中宏輔



あべこべにくっついてる
本のカバー、そのままにして読んでた、ズボラなぼく。
ぼくの手には蹼(みずかき)があった。
でも、読んだら、ちゃんと、なおしとくよ。
だから、テレフォン・セックスはやめてね。
だって、めんどくさいんだもん。
うつくしい音楽をありがとう。
ヤだったら、途中で降りたっていいんだろ。
なんだったら、頭でも殴ってやろうか。
こないだもらったゴムの木から
羽虫が一匹、飛び下りた。
ブチュって、本に挾んでやった。
開いて見つめる、その眼差しに
葉むらの影が、虎斑(とらふ)に落ちて揺れている。
ねえ、まだ?
ぼくんちのカメはかしこいよ。
そいで、そいつが教えてくれたんだけど。
一をほどくと、二になる。
二を結ぶと、〇になるって。
だから、一と〇は同じなんだね。
(二って、=(イコール)と、うりふたつ、そっくりだもんね)
ねっ、ねっ、催眠術の掛け合いっこしない?
こないだ、テレビでやってたよ。
ぼくも、さわろかな。
そうだ、いつか、言ってたよね。
ふたつにひとつ。ふたつはひとつ。
みんな大人になるって。
中国の人口って14億なんだってね。
世界中に散らばった人たちも入れると
三人に一人が中国人ってことになる。
でも、よかった。
きみとぼくとで、二人だもんね。
ねえ、おぼえてる? 言葉じゃないだろ! って、
好きだったら、抱けよ! って、
ぼくに背中を見せて、
きみが、ぼくに言った言葉。
付き合いはじめの頃だったよね。
ひと眼差しごとに、キッスしてたのは。
ぼくのこと、天使みたいだって言ってたよね。
昔は、やさしかったのにぃ。
ぼくが帰るとき、
いつも停留所ひとつ抜かして送ってくれた。
バスがくるまでベンチに腰掛けて。
ぼくの手を握る、きみの手のぬくもりを
いまでも、ぼくは、思い出すことができる。
付き合いはじめの頃だったけど。
ぼくたち、よく、近くの神社に行ったよね。
そいで、星が雲に隠れるよりはやく
ぼくたちは星から隠れたよね。
葉っぱという葉っぱ、
人差し指でつついてく。
手あたりしだい。
見境なし。
楽しい。
って、
あっ、いまイッタ?
違う?
じゃ、何て言ったの?
雨?
ほんとだ。
さっきまで、晴れてたのに。
そこにあった空が嘘ついてた。
兎に角、兎も角、

志賀直哉はよく書きつけた。
降れば土砂降り。
雨と降る雨。


かきくけ、かきくけ。

  田中宏輔



ちっともさびしくないって
きみは言うけれど
きみの表情が、きみを裏切っている。
壁にそむいた窓があるように
きみの気持ちにそむいた
きみの言葉がある。
きみの目には、いつも
きみの鼻の先が見えてるはずだけど
見えてる感じなんか、しないだろ。
そんな難しそうな顔をしちゃいけない。
まるで床一面いっぱいに敷き詰められた踏み絵みたいに。
突然、道に穴ぼこができて
人や車や犬が、すっと消えていくように
きみの顔にも穴ぼこができて
目や鼻や唇が
つぎつぎと消えていけばいいのに。
もしも、アブラハムの息子が、イサクひとりじゃなくて
百も、千もいたら、しかも、まったく同じ姿のイサクがいっぱいいたら、
ゼンゼンためらわずに犠牲にしてたかもしれない。
ノブユキは、生のままシメジを食べる。
ぼくが、台所でスキヤキの準備してたら
パクッ、だって。
アハッ。
かわいいよね。
すておじいちゃん。
拾ってきてはいけません。
捨ててきなさい。
ママは残酷なのだ。
バスに乗って
ぼくは、よくウロウロしてた。
もちろん、バスの中じゃなくて、繁華街ね。
キッズのころだけど。
そういえば、河原町に
茂吉ジジイってあだ名のコジキがいた。
林(はや)っちゃんがつけたあだ名だけど
ほんとに、斎藤茂吉にそっくりだった。
あっ、いま、コジキって言ったらダメなのかしら。
オコジキって丁寧語にしてもダメかしら。
貧しい男と貧しい女が恋をするように
醜い男と醜い女が恋をする。
ぼくはうれしい。
バスの中では、
どの人の座席の後ろにも
ユダが隠れてる。
ここにもひとり、そこにもひとり。
そうして、ユダに気をとられている間に
とうとう祈りの声は散じてしまった。
それは、むかし、ぼくが捨てた祈りの声だった。
蟻は、一度でも通った道のことは忘れない。
一瞬で生まれたものなのに、
どうして、すぐに死なないのだろう。
おひさ/ひさひさ/おひさ/ひさ。
で、はじまる、わたくしたちのけんたい。
ひとりでにみんなになる。
ああん、そんなにゆらさないでよ。
お水がこぼれちゃうよ。

カッパの子どもが
(子どものカッパでしょ?)
頭をささえて、ぼくを睨み返す。
ゆれもどしかしら。
もらった仔犬を死なせてしまった。
ぼくが、おもちゃにしたからだ。
きのう転生したばかりだったけれど、
でも、また、すぐに何かに生まれ変わるだろう。
さあ、ビデオに撮るから
そこに跪いて、ぼくにあやまれ。
そしたら、ぼくの気がすむかもしれない。
たぶん、一日に十回か、二十回、ビデオを見れば
ぼくの気がすむはずだ。
それでもだめなら、一日中見てやる。
そしたら、きみに、ぼくの悲劇をあげよう。
ぼくは、膝んところを痛めたことがない。
いつも股のところを痛める。
おしりが大きくて、太腿が太いから
股がすれて、ボロボロになってしまう。
これが、ぼくがズボンを買い替える理由だ。
やせてはいない。
標準体型でもない。
嘘つきでもなかったけれど、
母乳でもなかった。
母乳がなかったからではない。
友だちに言われて、3月に京大病院の精神科に行った。
精神に異常はないと言われた。
性格に問題があると言われた。
しぇんしぇい、精神と性格とじゃ、
そんなにちごとりまへんやんか。
どうでっか。そうでっか。さいですか。
二枚の嫌な手紙と一枚のうれしい葉書。
光は、百葉箱の中を訪れることができない。
留守番電話のぼくの声が、ぼくを不快にさせる。
そんなにいじめないでください。
サウナの階段に
入れ歯が落ちてたんだって。
それ、ほんとう?
ほんとうだよ。
百の入れ歯が並んでた
なんて言えば、嘘だけどね。
嘘だってついちゃうけどね。
だって、いくら嘘ついたって
ぼくの鼻、のびないんだも〜ん。
そのかわり、
オチンチンが大きくなるの。
こわいわ。
こわくなんかないわ。
こわいのはママよ。
小ごとを言うのに便利だからって
あたしの耳の中にすみだしたのよ。
家具や電化製品なんか、どんどん運び込んでくるのよ。
香典返しに、
たわしとロウソクをもらう方がこわいわ。
ヒヒと笑う
団地の子。
手術したい。
ヒヒと笑う
団地の子。
手術したい。
手術してあげたい。
いやんっ、ぼくって、ノイローゼかしら。
ぼくぼくぼく。
たくさんのぼく。
玄関を出ると
目の前の道を、きのうのぼくが
とぼとぼと歩いているのを見たが
それもまた、読むうちに忘れられていく言葉なのか。
百ひきの亀が、砂浜で日向ぼっこしてた。
おいらが、おおいと叫ぶと
百ひきの亀がいっせいに振り返った。
おいらは
百の亀の頭をつぎつぎと、つぎつぎと
ふんっ、ふんっ、ふんっと、踏んづけていった。


カラチョキチョキ。

  田中宏輔



ディオゲネス・ラエルティオスの『ギリシア哲学者列伝』を読んでたら
アリストンという名前の哲学者が、ハゲ頭を太陽に焼かれて死んだって書かれていた。
べつに、ハゲでなくっても、日射病ぐらいにはかかると思うんだけど。
まあ、ハゲには、直射日光も、かくべつキツイってことなのかな。
カラチョキチョキ。
いつも、ぼくの髪を切ってくれる美容師の男の子が、前にこんなことを言ってた。
ハゲってさあ、すぐに散髪が終わっちゃうの、嫌がるんだよねえ。
だから、その人には見えないように、頭の後ろで、ハサミを動かしてあげるの。
髪の毛を切らないで、チョキチョキ、チョキチョキって、音をさせてあげるの。
ただ、ハサミの音を聞かせてあげるだけだけどね。
それで、満足みたいよ。
それ、あたしたちのあいだでは、カラチョキチョキって呼んでるんだけど。
そういえば、古代ギリシアの悲劇詩人である、あのアイスキュロスも
頭がハゲてたせいで死んだって話を読んだことがある。
ヒゲワシという種類の鷲に、頭に亀をぶつけられて殺されたらしい。
その鷲は亀の肉が好物で、生きている亀を岩の上に落として甲羅を割ってバラバラにして食べるという。
詩人のハゲ頭を、岩と間違えたってことなんだろうけど、悲惨な話だ。
これって、ハゲの人のほうが、ハゲじゃない人より災難に遭う確率が高いってことかな。
カラチョキチョキ。
だからこそ、ひといち倍、ハゲには思いやりが必要なのだ。
ん?


HELLO IT’S ME。

  田中宏輔



ところで、きみの名前は?
(トマス・M・ディッシュ『話にならない男』若島 正訳)

ぼくの名前?
(ジョン・T・スラデック『西暦一九三七年!』乗越和義訳)

きみの名前だよ。
(J・ティプトリー・ジュニア『ハドソン・ベイ毛布よ永遠に』伊藤典夫訳)

名前は何といったっけ?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』6、岡部宏之訳)

なんて名前だったっけ?
(テリー・ビッスン『赤い惑星への航海』第一部・1、中村 融訳)

きみの名前は?
(J・G・バラード『終着の浜辺』遅れた救出、伊藤典夫訳)

きみの名前は?
(ジャック・リッチー『貯金箱の殺人』田村義進訳)

きみの名前は?
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラットの復讐』11、那岐 大訳)

きみの名前は?
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

きみの名前は?
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』A面5、嶋田陽一訳)

きみの名前は?
(コードウェイナー・スミス『ナンシー』伊藤典夫訳)

きみの名前は?
(ノーマン・スピンラッド『星々からの歌』クリア・ブルー・ルー、宇佐川晶子訳)

きみの名前は?
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

きみの名前は?
(エリック・F・ラッセル『ディア・デビル』伊藤 哲訳)

きみの名前は?
(ジョン・ボイド『エデンの授粉者』13、巻 正平訳)

きみの名前は?
(ニールス・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』下・41、日暮雅通訳)

きみの名前は?
(R・A・ラファティ『とどろき平』浅倉久志訳)

きみの名前は?
(R・A・ラファティ『つぎの岩につづく』浅倉久志訳)

きみの名前は?
(ジェフリイ・コンヴィッツ『悪魔の見張り』15、高橋 豊訳)

きみの名前は?
(ロッド・サーリング『歩いて行ける距離』矢野浩三郎訳)

きみの名前は?
(レイモン・クノー『地下鉄のザジ』7、生田耕作訳)

きみの名前は?
(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』6、佐藤龍雄訳)

きみの名前は?
(ナン&アイヴィン・ライアンズ『料理長殿、ご用心』中村能三訳)

きみの名前は?
(シオドー・スタージョン『ゆるやかな彫刻』伊藤典夫訳)

きみの名前は?
(エリス・ピーターズ『アイトン・フォレストの隠者』4、大出 健訳)

きみの名前は?
(ロジャー・ゼラズニイ『おそろしい美』浅倉久志訳)


MAXWELL'S SILVER HAMMER。

  田中宏輔



魔術を使うのだ
(ジェラルド・カーシュ『ねじくれた骨』駒月雅子訳)

魔法さ。
(パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』下・42、田中一江・金子 浩訳)

魔法の杖で触れること。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ほら
(ジェイムズ・D・フーストン『ガスマスク』大谷圭二訳)

こうやって
(コードウェイナー・スミス『ショイヨルという星』3、井上一夫訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆる光景が
(イアン・ワトスン『エンベディング』第二十三章、山形浩生訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ベティは
(アン・ビーティ『一年でいちばん長い日』亀井よし子訳)

牛を
(リチャード・マシスン『縮みゆく人間12、吉田誠一訳』

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ルーシーは
(アン・ビーティ『愛している』16、青山 南訳)

赤ちゃんの顔を
(ロバート・A・ハインライン『未知の地平線』14、斎藤伯好訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ロシア人夫妻が
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ポーランド人の女中を
(ミラン・クンデラ『小説の精神』第三部・混同、金井 裕・浅野敏夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

その隣では息子が
(ナボコフ『賜物』第4章、沼野充義訳)

自分自身を
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・12、宮西豊逸訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

レジナルド卿は
(テランス・ディックス『ダレク族の逆襲!』2、関口幸男訳)

画家を
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』下・第二部・20、酒井昭伸訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ラモンの眉は
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・13、宮西豊逸訳)

床を
(ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』11、風見 潤訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ゴールズワス館は
(ナボコフ『青白い炎』詩章 第四篇、富士川義之訳)

断崖を
(フェリクス・J・パルマ『時の地図』第三部・42、宮〓真紀訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

飲物のコップや盆は
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』普通の男たちと女たち、鮎川信夫訳)

きみの顔を
(サンドバーグ『愚行』安藤一郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

警官は
(P・D・ジェイムズ『死の味』第一部・11、青木久恵訳)

彼の不安を
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

同じ表情を
(アンナ・カヴァン『氷』6、山田和子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

郵便配達人が
(J・G・バラード『夢幻社会』22、増田まもる訳)

自分の名前を
(レイ・ブラッドベリ『イカルス・モンゴルフィエ・ライト』一ノ瀬直二訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

役人は
(マイクル・スワンウィック『大潮の道』12、小川 隆訳)

無意味なくり言を
(エズラ・パウンド『残りの者』新倉俊一訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

騎馬警官が
(ドナルド・バーセルミ『大統領』邦高忠二訳)

なめらかな無数のまんこを
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

道化は
(エズラ・パウンド『そして、怒濤』XII、小野正和・岩原康夫訳)

薄笑いを
(ナボコフ『賜物』第2章、沼野充義訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

王は
(ヴォンダ・N・マッキンタイア『太陽の王と月の妖獣』下・29、幹 遙子訳)

またもや爆発。
(ロジャー・ゼラズニイ『復讐の女神』浅倉久志訳)

タロス博士は
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』32、岡部宏之訳)

少年を
(ウォルター・デ・ラ・メア『すばらしい技巧家』瀧口直太郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バスが
(ヘンリイ・カットナー『住宅問題』宇野利泰訳)

バス停を
(R・A・ラファティ『月の裏側』伊藤典夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

娼婦が
(アン・ビーティ『グレニッチ・タイム』亀井よし子訳)

自分の本当の気持ちを
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・4、御輿哲也訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

犬たちは
(ロジャー・ゼラズニイ『心はつめたい墓場』浅倉久志訳)

娼婦たちを
(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テストとの散歩』清水 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

クレティアン伯は
(ヴォンダ・N・マッキンタイア『太陽の王と月の妖獣』上・12、幹 遙子訳)

詩を
(アレン・ギンズバーグ『工業化の波』高島 誠訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ヘボ詩を
(シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』第三幕・第三場、中野好夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

おかまだって
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

ものすごいおならを
(フィリップ・ホセ・ファーマー『デイワールド』8、大西 憲訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

死んだ鳥は雨を
(アゴタ・クリストフ『昨日』堀 茂樹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

光は
(イヴ・ボヌフォワ『木々の梢の国』II、清水 茂訳)

花を
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第一場、野島秀勝訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ウサギが
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジョディ・2、亀井よし子訳)

ぬいぐるみの熊を
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラットの復讐』17、那岐 大訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

金魚が
(ロバート・シルヴァーバーグ『一人の中の二人』8、中村保男訳)

兎を
(ピーター・ディキンスン『緑色遺伝子』第三部・9、大瀧啓裕訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

豚が
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

人間を
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』1、井上一夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

すべて同時に
(アゴタ・クリストフ『昨日』堀 茂樹訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

瞬間が
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・14、小川 隆訳)

永遠を
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

永遠は
(エミリ・ディキンスン『作品一二九五番』新倉俊一訳)

瞬間を
(ミラン・クンデラ『笑と忘却の書』第二部・11、西永良成訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

全体が
(フレデリック・ポール『ゲイトウエイ 2』12、矢野 徹訳)

部分を
(ノヴァーリス『断章と研究 1799−1800』[559]、今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

部分は
(ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』第四章、杉山洋子訳)

全体を
(ラングドン・ジョーンズ『時間機械』山田和子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

一つは
(デイヴィッド・ブリン『有意水準の石』中原尚哉訳)

多くを
(リリアン・デ・ラ・トーレ『しつこい狙撃者』斎藤数衛訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

多数からできている
(デイヴィッド・ブリン『有意水準の石』中原尚哉訳)

多であるものは
(レイ・ブラッドベリ『飛行具』一ノ瀬直二訳)

多くは
(キャロル・エムシュウィラー『浜辺に行った日』伊藤典夫訳)

一つを
(W・H・ホジスン『ウドの島』井辻朱美訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

夢は
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』13、川副智子訳)

現実を
(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わり』小川 隆訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

現実は
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

夢を
(パオロ・バチガルピ『シップブレイカー』7、田中一江訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

答えが
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』3、内田昌之訳)

問題を
(アン・ビーティ『女同士の話』亀井よし子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

問題は
(A・E・ヴァン・ヴォークト『宇宙船計画』中村能三訳)

答を
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット 諸君を求む』14、那岐 大訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

時間は
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』帰郷、宇佐川晶子訳)

場所を
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』第四部・15、黒丸 尚訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

場所は
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十八章、浅井 修訳)

出来事を
(アン・ビーティ『広い外の世界』道下匡子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

出来事は
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第八巻・四六、神谷美恵子訳)

時間を
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジュディ・9、亀井よし子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

時間は
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』帰郷、宇佐川晶子訳)

出来事を
(マイクル・スワンウィック『大潮の道』14、小川 隆訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

場所は
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・11、御輿哲也訳)

時間を
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジュディ・9、亀井よし子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

出来事が
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

場所を
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』第四部・15、黒丸 尚訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

すべての場所が
(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)

出来事が
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

時間が
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ギレアデ、深町真理子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

現在は
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』38、岡部宏之訳)

過去を
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

過去は
(P・D・ジェイムズ『正義』第四部・46、青木久恵訳)

未来を
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

未来は
(アラン・ライトマン『アインシュタインの夢』一九〇五年五月三日、浅倉久志訳)

現在を
(キム・ニューマン『ドラキュラ戦記』第一部・10、梶本靖子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

現在は
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』38、岡部宏之訳)

未来を
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

未来は
(ブライアン・W・オールディス『見せかけの生命』浅倉久志訳)

過去を
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

過去は
(P・D・ジェイムズ『正義』第四部・46、青木久恵訳)

現在を
(キム・ニューマン『ドラキュラ戦記』第一部・10、梶本靖子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

過去も現在も未来も
(J・G・バラード『深淵』吉田誠一訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

あらゆるものを
(ナサニエル・ホーソーン『ラパチーニの娘』橋本福夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

あらゆるものがあらゆるものとともに
(ホルヘ・ギリェン『ローマの猫』荒井正道訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

詩人が
(ロバート・シルヴァーバーグ『生と死の支配者』1、宇佐川晶子訳)

言葉を
(ドナルド・バーセルミ『戦争の絵物語』邦高忠二訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

言葉が
(トマス・M・ディッシュ『M・D』上・第一部・12、松本剛史訳)

詩人を
(ノヴァーリス『断章と研究 1799−1800』[705]、今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

詩が
(アントナン・アルトー『ヘリオガバルス』I、多田智満子訳)

新しい言葉を
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

新たな語彙を
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・53、酒井昭伸訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

別の意味を
(ガルシア・マルケス『大佐に手紙は来ない』内田吉彦訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

形式は
(ミラン・クンデラ『小説の精神』第七部、金井 裕・浅野敏夫訳)

余白を
(ヴァージニア・ウルフ『オーランドー』第五章、杉山洋子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

文体は
(ジュリアン・バーンズ『風呂ベールの鸚鵡』7、斎藤昌三訳)

句読点を
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第十四の旅、深見 弾訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

限界が
(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』8、成川裕子訳)

その定義を
(アルフレッド・ジャリ『超男性』I、澁澤龍彦訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

その意味を
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

挑戦的な精神が
(ジョン・クリストファー『トリポッド 2脱出』6、中原尚哉訳)

精神の限界を
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』下・第六部・34、小木曽絢子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

言葉は
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

意味を
(ウィルソン・ブライアン・キイ『メディア・レイプ』第二章、鈴木 晶・入江良平訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

概念は
(ロバート・A・ハインライン『未知の地平線』17、斎藤伯好訳)

事物を
(ウィリアム・エンプソン『曖昧の七つの型』下・8、岩崎宗治訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

自我が
(ポール・アンダースン『わが名はジョー』浅倉久志訳)

実在のものも架空のものも
(ジェラルド・カーシュ『ブライトンの怪物』吉村満美子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

潜在意識が
(ロバート・F・ヤング『スターファインダー』伊藤典夫訳)

眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

意味のわからない言葉が
(シオドー・L・トマス『衝突針路』小尾芙佐訳)

意味を
(サミュエル・R・ディレイニー『コロナ』酒井昭伸訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

潜在意識が
(アーサー・C・クラーク『犬の星』南山 宏訳)

見たものを
(K・W・ジーター『グラス・ハンマー』黒丸 尚訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

潜在意識が
(ロバート・F・ヤング『スターファインダー』伊藤典夫訳)

ぜんぜんちがった意味でその言葉を
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヨルダン、深町真理子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

言葉が
(マルティン・ハイデッガー『言葉』清水康雄訳)

視点を
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』7、幹 遙子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

新しい刺戟が
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第二部・V、友枝康子訳)

脳の各層を
(デイヴィッド・ブリン『有意水準の石』中原尚哉訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

新たな知覚は
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・53、酒井昭伸訳)

記憶を
(ルーディ・ラッカー『空洞地球』7、黒丸 尚訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

未知のものが
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

既知のものを
(ヴァレリー『カイエ 一九一〇』村松 剛訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

芸術は
(フィリップ・ホセ・ファーマー『デイワールド』2、大西 憲訳)

新しい性格を
(R・A・ラファティ『九〇〇人のお祖母さん』浅倉久志訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

物語は
(ドナルド・モフィット『星々の聖典』上・6、冬川 亘訳)

ぼくたちの息づかいを
(ジャック・フィニイ『失踪人名簿』福島正実訳)

実在感を
(ラングドン・ジョーンズ『機関機械』山田和子訳)

現存在を
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

数えきれない詩を
(フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『手から口へ』大瀧啓裕訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

章句を
(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テストとの散歩』清水 徹訳)

文章を
(ブルース・スターリング『スキズマトリックス』第二部、小川 隆訳)

言葉を
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)

句読点を
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第十四の旅、深見 弾訳)

余白を
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』丹治 愛訳)

その白さを
(P・D・ジェイムズ『正義』第三部・36、青木久恵訳)

その構造を
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』32、峰岸 久訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

空白が
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第三部・17、嶋田洋一訳)

音を
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・・ガイド』第三章、安原和見訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

沈黙が
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

韻を
(トマス・M・ディッシュ『M・D』上・第一部・12、村松 剛訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

言葉を
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

言葉を
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

言葉を
(シオドア・スタージョン『めぐりあい』川村哲郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

光、光、光
(アルフレッド・ベスター『分解された男』15、沼沢洽治訳)

光、光、光
(アルフレッド・ベスター『分解された男』15、沼沢洽治訳)

花、花、花
(ゲオルギー・グレーヴィッチ『創造の第一日』袋 一平訳)

花、花、花
(ゲオルギー・グレーヴィッチ『創造の第一日』袋 一平訳)

顔、顔、顔
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

顔、顔、顔
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

いつまで、いつまでも、いつまでも
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第二場、斎藤 勇訳)

いつまで、いつまでも、いつまでも
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第二場、斎藤 勇訳)

とても、とても、とても
(アルジャーノン・ブラックウッド『秘書奇譚』平井呈一訳)

とても、とても、とても
(アルジャーノン・ブラックウッド『秘書奇譚』平井呈一訳)

そう、そう、そう
(コードウェイナー・スミス『夢幻世界へ』1、伊藤典夫訳)

そう、そう、そう
(コードウェイナー・スミス『夢幻世界へ』1、伊藤典夫訳)

わかる、わかる、わかる
(ロバート・シェクリー『コードルが玉ねぎに、玉ねぎがニンジンに』酒匂真理子訳)

わかる、わかる、わかる
(ロバート・シェクリー『コードルが玉ねぎに、玉ねぎがニンジンに』酒匂真理子訳)

愛、愛、愛
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・43、青木久恵訳)

愛、愛、愛
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・43、青木久恵訳)

憎悪、憎悪、憎悪
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』20、岡部宏之訳)

憎悪、憎悪、憎悪
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』20、岡部宏之訳)

なぜ、なぜ、なぜ
(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』7、成川裕子訳)

なぜ、なぜ、なぜ
(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』7、成川裕子訳)

チ、チ、チ
(デーモン・ナイト『異星人ステーション』浅倉久志訳)

チ、チ、チ
(デーモン・ナイト『異星人ステーション』浅倉久志訳)

無意味、無意味、無意味
(リチャード・マシスン『縮みゆく人間』10、吉田誠一訳)

無意味、無意味、無意味
(リチャード・マシスン『縮みゆく人間』10、吉田誠一訳)

否定して、否定して、否定して
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

否定して、否定して、否定して
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

何もいうな、何もいうな、何もいうな
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・スペース』7、金子 司訳)

何もいうな、何もいうな、何もいうな
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・スペース』7、金子 司訳)

ひっこめ、ひっこめ、ひっこめ
(R・A・ラファティ『なつかしきゴールデンゲイト』井上 央訳)

ひっこめ、ひっこめ、ひっこめ
(R・A・ラファティ『なつかしきゴールデンゲイト』井上 央訳)

何もない、何もない、何もない
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

何もない、何もない、何もない
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

理由などない、理由などない、理由などない
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・11、小川 隆訳)

理由などない、理由などない、理由などない
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・11、小川 隆訳)

二度と、二度と、二度と
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、小田島雄志訳)

二度と、二度と、二度と
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、小田島雄志訳)

息ができない、息ができない、息ができない
(グレアム・ジョイス『鎮魂歌(レクイエム)』27、浅倉久志訳)

息ができない、息ができない、息ができない
(グレアム・ジョイス『鎮魂歌(レクイエム)』27、浅倉久志訳)

ぼくは、ぼくは、ぼくは
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ぼくは、ぼくは、ぼくは
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

言葉、言葉、言葉
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

言葉、言葉、言葉
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

自我、自我、自我
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』17、中村保男・大谷豪見訳)

自我、自我、自我
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』17、中村保男・大谷豪見訳)

退屈、退屈、退屈
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

退屈、退屈、退屈
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

黙れ! 黙れ! 黙れ!
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

黙れ! 黙れ! 黙れ!
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

いっしょなら? いっしょなら? いっしょなら?
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

いっしょなら? いっしょなら? いっしょなら?
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

屑だ! 屑だ! 屑だ!
(トーマス・M・ディッシュ『いさましいちびのトースター』浅倉久志訳)

屑だ! 屑だ! 屑だ!
(トーマス・M・ディッシュ『いさましいちびのトースター』浅倉久志訳)

アー、アー、アー
(M・ジョン・ハリス『ライト』22、小野田和子訳)

アー、アー、アー
(M・ジョン・ハリス『ライト』22、小野田和子訳)

然り、然り、然り
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』25、中村保男・大谷豪見訳)

然り、然り、然り
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』25、中村保男・大谷豪見訳)

絶対に、絶対に、絶対に
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、野島秀勝訳)

絶対に、絶対に、絶対に
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、野島秀勝訳)

なにかあれば、なにかあれば、なにかあれば
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』大洪水、宇佐川晶子訳)

なにかあれば、なにかあれば、なにかあれば
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』大洪水、宇佐川晶子訳)

請求書、請求書、請求書
(エルマー・ライス『良心』永井 淳訳)

請求書、請求書、請求書
(エルマー・ライス『良心』永井 淳訳)

いや! いや! いや!
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

いや! いや! いや!
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

すべて同時に
(アゴタ・クリストフ『昨日』堀 茂樹訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

不在は
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

存在を
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

存在は
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

その実体を
(ケッセル『昼顔』二、堀口大學訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

現実は
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』4、山田和子訳)

非現実を
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』24、金子 司訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

天国が
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第八章、青山隆夫訳)

地獄を
(ジェラルド・カーシュ『遠からぬところ』吉田誠一訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

必然性は
(ジョン・クロウリー『時の偉業』4、浅倉久志訳)

死を
(ドナルド・モフィット『創世伝説』下・第二部・9、小野田和子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

狂気は
(カート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』第4章、浅倉久志訳)

ひとつの光景を
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・61、酒井昭伸訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

同じ言葉を
(テア・フオン・ハルボウ『メトロポリス』5、前川道介訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

矛盾が
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』8、岡部宏之訳)

真理を
(マルクス・アウレーリウス『自省録』第十一巻・四、神谷美恵子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

それ自体が
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』下・第三部・20、小木曽絢子訳)

それを
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

目が
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』21、市田 泉訳)

目を
(コルタサル『悪魔の涎』木村榮一訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

愛は
(デイヴィス・グラッブ『月を盗んだ少年』柿沼瑛子訳)

憎しみを
(イエイツ『まだらな鳥』第一編・14、島津彬郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

憎しみは
(コードウェイナー・スミス『夢幻世界へ』伊藤典夫訳)

愛を
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』5、三田村 裕訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

数字、記号といったものが
(ジェームズ・ハーバート『ムーン』竹生淑子訳)

すべてを
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』9、三田村 裕訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

彼は
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』6、深町真理子訳)

ぼくの名前を
(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わり』小川 隆訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

彼の名前を
(レイ・ブラッドベリ『イカルス・モンゴルフィエ・ライト』一ノ瀬直二訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

愛は
(デイヴィス・グラッブ『月を盗んだ少年』柿沼瑛子訳)

体を
(シルヴィア・プラス『チューリップ』徳永暢三訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

時間は
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』帰郷、宇佐川晶子訳)

秘密を
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

肉体は
(ロバート・フロスト『不変のシンボル』安藤一郎訳)

ひとつの名前を
(フィリップ・リーヴ『略奪都市の黄金』第二部・28、安野 玲訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ちがう名前を
(アーシュラ・K・ル・グイン『記憶への旅』小尾芙佐訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

恋人の顔を
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』大洪水、宇佐川晶子訳)

声を
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第六章・52、青木久恵訳)

会話を
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』1、深町真理子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

コーヒーを
(フィリップ・ホセ・ファーマー『デイワールド』8、大西 憲訳)

ハンバーガーを
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』5、寺地五一訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

サンドイッチも
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』4、峰岸 久訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

いろいろな光景を
(ブライアン・オールディス『死の賛歌』井上一夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

その場の情景のすべてを
(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テストとの散歩』清水 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

自分の記憶を
(アルジス・バドリス『アメリカ鉄仮面』第九章、仁賀克雄訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

自分の人生を
(キッド・リード『ぶどうの木』浅倉久志訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

数百万のぼくを
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

幾百もの顔。
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』第一部・2、黒丸 尚訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

あらゆる可能性
(J・G・バラード『神と生と死と』野口幸夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

同じ夢
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』8、堤 康徳訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

願い事
(ロッド・サーリング『大いなる願い』矢野浩三郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

信行のことを
(志賀直哉『暗夜行路』第一・二)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヨルダン、深町真理子訳)

彼を
(フィリクス・J・パルマ『時の地図』第一部・5、宮〓真紀訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

信行は
(志賀直哉『暗夜行路』第一・十二)

ぼくのことを
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

ドリブルして
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

くれるかな?
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

経験
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

過去
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

記憶の断片
(シオドー・L・トマス『衝突針路』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

時間
(シオドー・L・トマス『衝突針路』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

場所
(シオドー・L・トマス『衝突針路』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

出来事
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

情景
(マーシャル・キング『海浜の情景』中村保男訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(ジョージ・パイラム『驚異の馬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

窓の外
(クリフォード・D・シマック『孤独な死』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

土曜日
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

視線
(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

浴室
(ロバート・シェクリー『危険の報酬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

石鹸
(ロバート・アバーナシイ『ジュニア』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

彼の背中
(デーモン・ナイト『異星人ステーション』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

下半身
(ロバート・アバーナシイ『ジュニア』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

お尻
(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

くぼめた手のなか
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

あの神経過敏なところ
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

長いキス
(キャロル・エムシュウィラー『浜辺に行った日』伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

寝室
(フリッツ・ライバー『跳躍者の時空』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ベッド
(クリフォード・D・シマック『孤独な死』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

空間
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

地面
(キャロル・エムシュウィラー『狩人』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

地球
(イアンド・バインダー『火星からの教師』中村能三訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

埠頭
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

溪谷
(ロバート・シェクリー『危険の報酬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

草原
(ジョージ・パイラム『驚異の馬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

平原
(フリッツ・ライバー『マリアーナ』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

砂浜
(キャロル・エムシュウィラー『浜辺に行った日』伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

太陽
(アイザック・アシモフ『ロボットAL76行方不明』中村能三訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

日没
(エリザベス・エメット『魅惑』中村保男訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(エドモンド・ハミルトン『世界の外のはたごや』中村能三訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

月光
(フリッツ・ライバー『跳躍者の時空』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

夜明け
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

日射し
(シャーリー・ジャクスン『ある晴れた日に』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

テーブル
(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

トーストとコーヒー
(エリザベス・エメット『魅惑』中村保男訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

語尾
(マック・レナルズ『時は金』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

笑み
(アブラム・デイヴィッドスン『ゴーレム』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

手違い
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『帰郷』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

うそ偽り
(シャーリー・ジャクスン『ある晴れた日に』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

二人のきみ
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

言葉
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

言葉の最後
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

さよなら
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ガラガラ蛇
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

思考
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

数式
(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

符号
(R・C・フェラン『わたしを創(つく)ったもの』中村保男訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

平方根
(マイケル・シェイボン『シャーロック・ホームズ最後の解決』黒原敏行訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

平行線
(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

三角形
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

凹み
(ロバート・シェクリー『危険の報酬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ゴボゴボ
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ポキポキ
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バス
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バスのなかで
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

乗客
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『帰郷』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バス
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バスのなかで
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バスの運転手
(シャーリー・ジャクスン『ある晴れた日に』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バス
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

バスのなかで
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

となりの男
(デーモン・ナイト『異星人ステーション』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

日に焼けたうなじ
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『帰郷』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

禿頭
(デーモン・ナイト『人形使い』伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

後頭部
(コードウェイナー・スミス『夢幻世界へ』6、伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

その上に
(クリフォード・D・シマック『孤独な死』

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ハンマー
(キャロル・エムシュウィラー『浜辺に行った日』伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

遠いむかし
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

小さいときの記憶
(デーモン・ナイト『異星人ステーション』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

玄関
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

金魚鉢
(デーモン・ナイト『人形使い』伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

教室
(ゼナ・ヘンダースン『なんでも箱』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

便所
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

便器
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

無意識
(シャーリー・ジャクスン『ある晴れた日に』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

潜在意識
(アイザック・アシモフ『緑夢業』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

神さま
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ふうっ
(フリッツ・ライバー『跳躍者の時空』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぱっ
(シオドア・R・コグズウェル『変身』吉田誠一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ソクラテス
(フリッツ・ライバー『跳躍者の時空』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

スターリン
(コードウェイナー・スミス『夢幻世界へ』2、伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

三人の独身のおばたち
(ロバート・アナーバシイ『ジュニア』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

お母さん
(シオドー・スタージョン『隔壁』深町真理子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

看護婦
(リチャード・M・マッケナ『闘士ケイシー』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

牧師
(クリフォード・D・シマック『孤独な死』小尾芙佐訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

群衆
(ジョージ・パイラム『驚異の馬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

何千という人間
(ジョージ・パイラム『驚異の馬』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

何億人という人間
(ブライアン・W・オールディス『率直(フランク)にいこう』井上一夫訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

たえず何かを
(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』第三部・一、三好郁朗訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

自然の法則を
(タビサ・キング『スモール・ワールド』14、みき 遙訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

論理を
(R・A・ラファティ『超絶の虎』伊藤典夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

対称性を
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第三部・17、小木曽絢子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

連続性を
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面12、嶋田洋一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

関連性を
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』6、亀井よし子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

多義性を
(ジェイムズ・サリス『蟋蟀の目の不安』野口幸夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

類似を
(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』第三部・二、三好郁朗訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

何もかも
(ケリー・リンク『妖精のハンドバッグ』柴田元幸訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

偶然だって
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

この見捨てられた土地の歴史や神話を
(ブライアン・オールディス『死の賛歌』井上一夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

神々を
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

聖書を
(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第一幕・第三場、中野好夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

同じ物語を
(ノーマン・メイラー『ライターズ・アット・ワーク』より、岩本 厳訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

話を
(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』下・46、岡部宏之訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

話の続きを
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』4、鈴木 晶訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

水を
(フレッド・セイバーヘーゲン『ゲーム』浅倉久志訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

水たまりを
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・107、土岐恒二訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

道を
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

空を
(マーヴィン・ピーク『海賊船長スローターボード氏』高木国寿訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

雲を
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第一部・4、小木曽絢子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

海を
(アストゥリアス『グアテマラ伝説集』春嵐の妖術師たち 1、牛島信明訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

光を
(ソーニャ・ドーマン『ぼくがムス・ダウであったとき』大谷圭二訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

闇を
(R・A・ラファティ『地球礁』6、柳下毅一郎訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

星ぼしを
(マイクル・スワンウィック『ウォールデン・スリー』小川 隆訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

夜を
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』シャッフル・カット、飯田隆昭訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

真実を
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・7、宮西豊逸訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

嘘を
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』15、市田 泉訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

サンドイッチを頬張りながら
(カルロス・フエンテス『二人のエレーナ』安藤哲行訳)

誰もが持っていることさえ拒むような考えを
(ダン・シモンズ『大いなる恋人』嶋田洋一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

矛盾する考えを
(ジョン・T・ウィルアムズ『プーさんの哲学』2、小田島雄志・小田島則子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

夢を
(コルタサル『牡牛』木村榮一訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

霊感を
(ノヴァーリス『対話・独白』今泉文子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくは
(シェイクスピア『ハムレット』第五幕・第二場、野島秀勝訳)

人間を
(オースン・スコット・カード『人間の熱い眠り』8、大森 望訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

物事を
(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

世界を
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

宇宙を
(ダグラス・アダムス『宇宙の果てのレストラン』29、風見 潤訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

自分自身を
(J・G・バラード『低空飛行機』野口幸夫訳)

ドリブルする
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ブ!
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』11、寺地五一訳)

ブルブル、
(ブルワー・リットン『幽霊屋敷』平井呈一訳)

ブルルルル、
(アントニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』2・2、乾 信一郎訳)

と突然、
(エイブラム・メリット『林の乙女』大瀧啓裕訳)

あらゆるものが
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

次々に
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

何度も何度も、
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

一つひとつの表情が
(E・ピーターズ『死者の代金』10、岡本浜江訳)

きみのことを
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』3、内田昌之訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人はみな
(エズラ・パウンド『カンツォ』IV、小野田正和・岩原康夫訳)

歳月を
(ノヴァーリス『断章と研究 1799−1800』[677]、今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

起こった出来事を
(P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』第四章・4、隅田たけ子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

後悔とそのすべての細部を
(ブライアン・W・オールディス『見せかけの生命』浅倉久志訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

涙を
(キム・ニューマン『ドラキュラ崩御』第二部・12、梶元靖子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

孤独を
(P・D・ジェイムズ『ある殺意』1、山室まりや訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人の親切を
(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

愛を
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

意味のないものが
(ブライアン・W・オールディス『暗い光年』10、中桐雅夫訳)

人々を
(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テストとの散歩』清水 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人々の断片を
(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テストとの散歩』清水 徹訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人々の顔を
(ジョセフィン・テイ『時の娘』2、小泉喜美子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

目を
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』13、寺地五一訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

耳を
(マックス・コメレル『拒否された「あとがき」』川村二郎訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

頬を
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

唇を
(リチャード・マシスン『縮みゆく人間』12、吉田誠一訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

手を
(シェイクスピア『オセロウ』第三幕・第四場、菅 泰男訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

両の手のひらを
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』5、深町真理子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

足を
(デイヴィッド・マルセク『ウェディング・アルバム』浅倉久志訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

首を
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』メンバーはすべて最低の世紀、飯田隆昭訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

体を
(マーヴィン・ピーク『同じ時間に、この場所で』高木国寿訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

死体だって
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』29、宇佐川晶子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

世界が
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十四章、榊原晃三・南條郁子訳)

ぼくらを
(J・G・バラード『最終都市』野口幸夫訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人の心を
(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』第三部・二、三好郁朗訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

胸の内を
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』4、亀井よし子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

精神を
(ノヴァーリス『花粉』87、今泉文子訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

魂を
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第二幕・第一場、石川重俊訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人間を
(シルヴィア・プラス『マリアの歌』徳永暢三訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

人間を
(シルヴィア・プラス『マリアの歌』徳永暢三訳)

ドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)


STATION TO STATION。

  田中宏輔



言葉、言葉、言葉。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

言葉にならなかった何かを言おうとして、
(アストゥリアス『グアテマラ伝説集』春嵐の妖術師たち 3、牛島信明訳)

言葉、言葉と思っている彼の前に、バスが止まった。
(リチャード・マシスン『狂った部屋』小鷹信光訳)

バスが停まっても誰も乗らない。
(アゴタ・クリストフ『昨日』堀 茂樹訳)

たぐいなく美しい一輪の花が、おだやかな波にゆられて、輝きながら漂ってきた。
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第九章、青山隆夫訳)

水が水と出会うように、
(エマソン『償い』酒本雅之訳)

言葉と水が混じり合う
(ディラン・トマス『ぼくがノックし』松田幸雄訳)

波はあなたの足を濡らした。
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』9、鼓 直・杉山 晃訳)

花じゃないの?
(ブライアン・W・オールディス『唾の樹』中村 融訳)

花?
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』10、岡部宏之訳)

きれいな花ね。なんというの?
(ジョン・ウィンダム『野の花』大西尹明訳)

魚さ。
(ギブスン&スターリング『ディファレンス・エンジン』上・第二の反復、黒丸 尚訳)

何という名前だったかな、
(ナボコフ『賜物』第5章、沼野充義訳)

名前を教えてくれ、それがきっかけで
(チャールズ・ディケンズ『手袋』中村保男訳)

忘れていたことが思いだされてくる。
(グレゴリイ・ベンフォード『夜の大海の中で』第二部・14、山高 昭訳)

新しい名が新しい性格をひきだすこともある。
(R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』浅倉久志訳)

古い名前を残せば、古い意味も残り伝わる
(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)

水の中に答えはない。
(ロジャー・ゼラズニイ『ユニコーンの徴(しるし)』10、岡部宏之訳)

その水は、ちらちらと見える魚の住むひとつの夢であり、
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

夢自体、影にすぎない。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

でも
(ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』1、米川和夫訳)

この夢から醒めることは、またこの夢のなかにとびこむことだ、
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』19、鈴木 晶訳)

われわれ人間は夢と同じもので作られている。
(シェイクスピア『テンペスト』第四幕・第一場、伊東杏里訳)

ぼくはなにを見つけられると思っていたのだろう?
(グレッグ・イーガン『ワンの絨毯』山岸 真訳)

幾千匹もの魚たち、
(J・G・バラード『夢幻会社』21、増田まもる訳)

枝にかへらぬ花々よ。
(金子光晴『わが生に与ふ』四)

その忘れがたい素晴らしい思い出に
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』1、野谷文昭訳)

夢に、さまざまな声にひきよせられたのだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・13、小川 隆訳)

光がまぶしかった。
(ロバート・F・ヤング『時が新しかったころ』11、中村 融訳)

一つ一つのものは自分の意味を持っている
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)

だがそのすべてが贋物でありうるのだ。
(ジョン・スラデック『使徒たち──経営の冒険』野口幸夫訳)

なぜ「きみを愛している」といえなかったのか?
(リチャード・コールダー『アルーア』浅倉久志訳)

顔、顔、顔。
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

記憶の記憶の記憶。
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』2、大森 望訳)

水に変化する
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急報』では、身支度を……、諏訪 優訳)

自我
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』17、中村保男・大谷豪見訳)

水とは生まれてきた魂でなくて何か?
(イェイツ『クール荘園とバリリー、一九三一年』高松雄一訳)

眠ることのない潜在意識が、
(アーサー・C・クラーク『犬の星』南山 宏訳)

世界中のあらゆる記憶が宿っているのだ。
(ロア=バストス『汝、人の子よ』VII・7、吉田秀太郎訳)

自分の記憶だけではなく、あらゆる人々の記憶が。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・13、嶋田洋一訳)

水を愛し、
(紫 式部『源氏物語』蜻蛉、与謝野晶子訳)

水へはいってしまった人は
(紫 式部『源氏物語』蜻蛉、与謝野晶子訳)

すべて
(ジョン・スラデック『使徒たち──経営の冒険』野口幸夫訳)

溺れる
(パメラ・ゾリーン『心のオランダ』野口幸夫訳)

人がよく死ぬ水だ
(紫 式部『源氏物語』浮舟、与謝野晶子訳)

同じ水だけれど、
(フェリスベルト・エルナンデス『水に浮かんだ家』平田 渡訳)

この考える水も永劫には流れない
(西脇順三郎『旅人かえらず』)

魚はみんないなくなっていた。
(アルフレッド・ベスター『コンピューター・コネクション』3、野口幸夫訳)

同じ夢を見ていたのだろうか?
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』8、堤 泰徳訳)

ちひさき魚は眼(め)にもとまらず。
(萩原朔太郎『広瀬川』)

その詩なら知っている
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』3・2、小泉喜美子訳)

引用さ
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』知らずして御(み)使(つか)いを舎(やど)したり、宇佐川晶子訳)

すべて本から仕入れたものさ。
(P・D・ジェイムズ『不自然な死体』第二部・1、青木久恵訳)

思考はあらゆるものを、利用可能なものに変える。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

どのような自我の排出が行なわれ、そしてどのような自我の再充填が行なわれているのか。
(ロバート・シルヴァーバーグ『一人の中の二人』7、中村保男訳)

言葉、言葉、言葉。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

ぼくらはそれに奉仕せねばならないんだ。さもなければ、それはぼくらに奉仕してはくれないだろう。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

言葉は力だ。
(マキャフリー&ナイ『魔法の船』3、嶋田洋一訳)

魂を広げてくれる
(ロバート・シルヴァーバーグ『内側の世界』6、大久保そりや・小川みよ訳)

おのれの思考と意志の活力に応じて、彼は世界を自分のなかへ吸収する。
(エマソン『自然』三、酒本雅之訳)

だが、
(トマス・テッシアー『ブランカ』添野知生訳)

意志の力で愛することはできない
(P・D・ジェイムズ『殺人展示室』第三部・7、青木久恵訳)

ただ愛さなければいけないというだけで、愛することなどできない
(イエイツ『まだらの鳥』第三編・1、島津彬郎訳)

しかしロゴスの論理を、われわれはどこにさがせばいいのか?
(R・A・ラファティ『超絶の虎』伊藤典夫訳)

すべてを解釈しようとする心
(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』第三部・二、三好郁朗訳)

人間の心は説明をもとめつづける。
(ジョージ・アレック・エフィンジャー『重力が衰えるとき』6、浅倉久志訳)

偶然かもしれない。
(ウォルター・テヴィス『運がない』黒丸 尚訳)

聞こえもせず、見えもしないものが後ろにある。
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第一幕、石川重俊訳)

ふだん、存在は隠れている。存在はそこに、私たちの周囲に、また私たちの内部にある。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

思考は、演算のなかに存在し、結論は、命題のなかに存在する。
(ノヴァーリス『一般草稿』[1022]、今泉文子訳)

ある場所、ある時間、ある不思議な類似性、ある錯誤、
(ノヴァーリス『断章と研究 1799-1800年』[559]、今泉文子訳)

なんらかの偶然などを介して、最も異質なもの同士が遭遇する。
(ノヴァーリス『断章と研究 1799-1800年』[559]、今泉文子訳)

小魚の群れが一つになってさっと動いてはとまり、
(ルーシャス・シェパード『黒珊瑚』小川 隆訳)

またさーっと動いて枝の中にはいったりでたりしている。
(ルーシャス・シェパード『黒珊瑚』小川 隆訳)

すばやく、詩句がとびかった。
(M・ジョン・ハリス『パステル都市』第四章、大和田 始訳)

人間たちの夢を見るんだ。
(ジェラルド・カーシュ『骨のない人間』西崎 憲訳)

だけど、
(イアン・マクドナルド『キャサリン・ホイール(タルジスの聖女)』古沢嘉通訳)

だれがだれの夢なのか。
(デイヴィッド・ブリン『有意水準の石』中原尚哉訳)

一つ一つの単語の意味は理解できるが、その総和はちんぷんかんぷん
(コードウェイナー・スミス『星の海に魂の帆をかけた女』5、伊藤典夫訳)

言葉がいかに迅速に交差するか、
(エズラ・パウンド『グイード・カヴァルカンティに』小野田正和・岩原康夫訳)

ぼくなど、記憶と誤解のちらつきでしかない。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

ちらちらと見える魚
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

幾千匹もの魚たち、
(J・G・バラード『夢幻会社』21、増田まもる訳)

感情の元素とは内的な光なのだが、その内的な光は屈折して、
(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』二、今泉文子訳)

より美しく、より強烈な色彩となる。
(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』二、今泉文子訳)

光は尽きることなく次から次へあふれてくる。
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』1、内田昌之訳)

光のかけら一つ一つがそれぞれ人間の命なのだ。
(ブルース・スターリング『スキズマトリックス』第三部、小川 隆訳)

どれもが千の顔のひとつであり、二度と見ることはない。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)

何千何万という世界が重なっている。
(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わり』小川 隆訳)

ありとあらゆる色彩と光とがあふれていた。
(サングィネーティ『イタリア綺想曲』6、河島英昭訳)

これまでに、こんなものを見たことがあるかい?
(サミュエル・R・ディレイニー『エンパイア・スター』12、岡部宏之訳)

自分のものではないとわかっている多くの記憶のこま切れだ。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第3巻、矢野 徹訳)

文学作品からの引用
(ジョン・スラデック『書評欄』越智道雄訳)

それは一つの純粋な詩なのだ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』1、中村保男・大谷豪見訳)

なぜこんなものを選んだのだろう。
(キム・ニューマン『ドラキュラ紀元』38、梶元靖子訳)

ほかになにがあると思っているんだい?
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

ぼくらは夢と同じ生地で織られている
(ホフマンスタール『三韻詩(テルツイーネ)』川村二郎訳)

溺れる人間が立てる音はどのようなものか?
(パメラ・ゾリーン『心のオランダ』野口幸夫訳)

じつはきみの夢もためしてみたんだ
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヨルダン、深町真理子訳)

ぼくは、きみが苦しんでいるのを見ると楽しいのさ。
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第一部・2、小木曽絢子訳)

きみも詩を書いてるのか?
(ティム・パワーズ『石の夢』上・第一部・第八章、浅井 修訳)

あるいは、その逆か
(アヴラム・デイヴィッドスン『眠れ美女ポリー・チャームズ』古屋美登里訳)

詩人というものは、他者の性質を変化させるほどの内なる力の結合の産物であり、
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』序文、石川重俊訳)

これらの力を刺激し、支える、外なる影響の産物なのだ。
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』序文、石川重俊訳)

詩人は、その一方ではなく、両方なのだ。
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』序文、石川重俊訳)

創造者であるとともに被創造物でもある。
(ブライアン・W・オールディス『讃美歌百番』浅倉久志訳)

詩人は詩による創造であり、詩は詩人による創造である。
(オクタビオ・パス『弓と竪琴』詩的啓示・インスピレーション、牛島信明訳)

記憶の記憶の記憶。
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』2、大森 望訳)

また増えてるのかい?
(ボブ・ショウ『メデューサの子ら』2、菊地秀行訳)

わたしはわたしとなり、
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

やがて世界中すべてが、わたしの声と顔、そして手触りに満ちる。
(シオドア・スタージョン『闇の間近で』樋口真理訳)

なぜ「きみを愛している」といえなかったのか?
(リチャード・コールダー『アルーア』浅倉久志訳)

人生にはなにか見落としているものや自分の知らないものがあるだろうか?
(アンナ・カヴァン『愛の渇き』5、大谷真理子訳)

自由なのは見捨てられたものだけだ。
(ブライアン・W・オールディス『終りなき午後』5、伊東典夫訳)

創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。
(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)

オリジナルよりもずっとリアルなものに並びかえられたジグソーパズル。
(リチャード・コールダー『デッドガールズ』第七章、増田まもる訳)

いくつものばらばらな記憶
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・61、酒井昭伸訳)

自分の記憶だけではなく、あらゆる人々の記憶が
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・13、嶋田洋一訳)

他人の思い出が自分自身の思い出といかに簡単に混じり合うか、
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十四章、榊原晃三・南條郁子訳)

それをならべかえる
(カール・ジャコビ『水槽』中村能三訳)

好きなように世界が配列できるのだ
(スタニスワフ・レム『天の声』17、深見 弾訳)

自分自身の感性以上にリアルなものは存在しない。
(フリッツ・ライバー『ジェフを探して』深町眞理子訳)

誰があなたをここへ?
(ブライアン・W・オールディス『解放されたフランケンシュタイン』第二部・5、藤井かよ訳)

こんな場所に誰が連れてきたのだろう?
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年五月二十二日、関 義訳)

ほんとうのヴィジョンとはなんだろう? 現実だ、もちろん。
(アーシュラ・K・ル・グイン『視野』浅倉久志訳)

人生は解決すべき問題ではなく、経験すべき現実なのさ
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

作家にとって無駄な経験というものはない。
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

苦労せずにすぐれたものを手にすることはできない。
(イエイツ『アダムの呪い』高松雄一訳)

生のすべての真実を、直接的な体験として知ること。
(イアン・ワトスン『エンベディング』第十三章、山形浩生訳)

人生はまず生きてみなくてはいけない。
(ホセ・ドノーソ『閉じられたドア』染田恵美子訳)

重要なのは経験だ。
(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶訳)

すべての経験にそれ自体の教えがある
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第1巻、矢野 徹訳)

経験の外にあるものを思い出すことは不可能だ。
(バリントン・J・ベイリー『光のロボット』13、大森 望訳)

いかに記憶し、いかに思考過程をはじめるか
(ブライアン・W・オールディス『率直にいこう』井上一夫訳)

記憶とはいったい何なのか、
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・21、土岐恒二訳)

記憶は個人的な感覚(、、、、、、)であり──個人化の要素である。
(ノヴァーリス『一般草稿』[859]、今泉文子訳)

結局、記憶なんてのは、純然たる選択の問題なのよね
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

しかも、物語の多くを間違って覚えている。
(ロジャー・ゼラズニイ『アヴァロンの銃』6、岡部宏之訳)

過去の現実というのは、あと知恵という強い力に照らされると違った見え方をするからだ。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・21、嶋田洋一訳)

古い記憶ほど鮮明なものである。
(J・L・ボルヘス『老夫人』鼓 直訳)

別人の顔があらわれる。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『紫年金の遊蕩者たち』大和田 始訳)

記憶は出来事の順序や人の名前をごた混ぜにする、
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

記憶は詩人の素材である。
(ロバート・リンド『遺失物』行方昭夫訳)

あらゆるものがなんとあふれんばかりに戻ってくることか──
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・24、増田まもる訳)

詩、また詩。嘘、また嘘──
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第六部・41、増田まもる訳)

世界はものごとをほんものにする
(テリー・ビッスン『世界の果てまで何マイル』26、中村 融訳)

時はわれわれの嘘を真実に変えると、わたしはいっただろうか?
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』17、岡部宏之訳)

われわれ自身がその媒介になるのだ。
(ミロスラフ・イサコーヴィチ『消失』波津博明訳)

多くのことを知っているが、全部ではない。そこには違いがある。
(ロジャー・ゼラズニイ『影のジャック』6、荒俣 宏訳)

もっと多くのことを知らなければならない。
(ロジャー・ゼラズニイ『オベロンの手』5、岡部宏之訳)

あらゆるものが現実だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック:スケリーンプレイ』34、浅倉久志訳)

あらゆる出会いが苦しい試練だ。
(フィリップ・K・ディック『ユービック:スケリーンプレイ』34、浅倉久志訳)

形と意味を与えられた苦しみ。
(サミュエル・R・ディレイニー『コロナ』酒井昭伸訳)

過去は味が深くなる。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』富田 彬訳)

どんなものも、過去になってしまわない限り現実味を持たない。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第2部・13、嶋田洋一訳)

再び生きる、
(ロバート・シルヴァーバーグ『いまひとたびの生』1、佐藤高子訳)

あれこれ思い返しては何度もそのときを生きたのだった。
(アドルフォ・ビオイ=カサーレス『パウリーナの思い出に』平田 渡訳)

これは、心の始まりだろうか?
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第3巻、矢野 徹訳)

はじめはそんな単純なものさ。
(スタニスワフ・レム『浴槽で発見された手記』2、村手義治訳)

ぼくはここからはじめる。
(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・5、大森 望訳)

人間がその死性を免れる道は、笑いと絆を通してでしかない。それら二つの大いなる慰め。
(グレゴリイ・ベンフォード『輝く永遠への航海』下・第六部・5、冬川 亘訳)

だれが光を注いでくれたのか
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』39、澤崎順之助訳)

精神は刺激を同化吸収しようとつとめる。精神を刺激するのは、異質なものである。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

交わりは光りを生む
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十四篇、新倉俊一訳)

それがまったくちがった人々や場所、出来事をむすびつけている
(イアン・ワトスン『エンベディング』第一章、山形浩生訳)

光こそ事物の根源で
(プルースト『シャルダンとレンブラント』粟津則雄訳)

すべては光でできている。
(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第二部・10、黒丸 尚訳)

光ならずして何を心が糧にできよう?
(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』二冊目・27、野口幸夫訳)

瞬間的でしかない意識
(ブライアン・オールディス『橋の上の男』井上一夫訳)

きみが生きている限り、きみはまさに瞬間だ、
(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)

永遠の中のただの一瞬、
(ヴァン・ヴォークト『フィルム・ライブラリー』沼沢洽治訳)

瞬間は永遠に繰り返す。
(イアン・ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)

光、光、光。
(R・A・ラファティ『深色ガラスの物語』井上 央訳)

その光を、どうやって手に入れる?
(アイザック・アシモフ『夜来たる』川村哲郎訳)

交わりは光りを生む
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十四篇、新倉俊一訳)

ぼくらは多くのものに影響を受け、共鳴する。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

多くのほかの精神につながっている
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・14、小川 隆訳)

どのような自我の排出が行なわれ、そしてどのような自我の再充填が行なわれているのか。
(ロバート・シルヴァーバーグ『一人の中の二人』7、中村保男訳)

砂漠に沈む太陽は、ぼくの魂に沈んでゆく太陽だ。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

事物を離れて観念はない
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・巨人の輪郭・I、沢崎順之助訳)

外界の事物は、人間の頭脳にほんとうに影響をおよぼすものである。
(ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』26、窪田般弥訳)

だが
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第2巻、矢野 徹訳)

現実の事物は刺(し)激(げき)が強すぎる。用心しなければならない。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』冨田 彬訳)

偽の光
(ジョン・スラデック『非12月』越智道雄訳)

偽の記憶
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラットの復讐』17、那岐 大訳)

光は過剰な秩序であり、致命的なものになり得る。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の子供たち』第二巻、矢野 徹訳)

太陽は人をあざむくからね。
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』4、大社淑子訳)

用心したまえよ、事物のやさしさに、
(ポール・ジャン・トゥーレ『コントリーム』入沢康夫訳)

虚偽は言葉のなかにではなく、事物のなかにある
(イタロ・カルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』IV・都市と記号5、米川良夫訳)

実在するものはすべて、絶えず同時に現われたり消えたりしてるのよ。
(イアン・ワトスン『存在の書』第三部、細美遙子訳)

それらすべてがわれわれの周囲に渦巻いている。可能性だ
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』10、増田まもる訳)

可能性の影は物体であり、事物であり、事象である。
(イアン・ワトスン『存在の書』第二部・細美遙子訳)

世界、──魂の投げかけるこの影、あるいはべつのわたし(、、、、、、)」
(エマソン『アメリカの学者』酒本雅之訳)

どんな悦びも一瞬のあいだしかつづかないのではなかろうか?
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三六年一月二十七日、関 義訳)

生けるものは誰一人、苦しみを味わうものなかれと願う。
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第一幕、石川重俊訳)

心は、わたしを苦しめる以外にどんな役に立ったというのだろう?
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年四月八日、関 義訳)

なぜ人は自分を傷つけるのが好きなんだろう?
(J・ティプトリー・ジュニア『ヴィヴィアンの安息』伊藤典夫訳)

いったい人は、いつかは誰かを理解するものなのだろうか? そして自分自身のことも?
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年三月十七日、関 義訳)

多分ぼくは苦しむのが好きなのだろう。これまでも人をさんざん苦しめてきたし、
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが内なる廃墟の断章』9、伊藤典夫訳)

見聞するところでは、人を苦しめるのが好きな人間は、苦しめられることを無意識に願っている。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが内なる廃墟の断章』9、伊藤典夫訳)

苦しみは自我の根拠であり、自我の唯一の疑うべからざる存在論的証拠である
(ミラン・クンデラ『不滅』第四部・11、菅野昭正訳)

痛覚がわれわれの肉体を保持するために欠くことのできない条件であるように、
(トルストイ『ことばの日めくり』十月二十八日、小沼文彦訳)

苦悩もまたわれわれの霊を保持するためにどうしても必要な条件である。
(トルストイ『ことばの日めくり』十月二十八日、小沼文彦訳)

人生に意味を与える
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』レサマ=リマ、安藤哲行訳)

苦痛こそ教育の効果なので、新たな知識が誕生するにつれて、
(J・K・ユイスマンス『さかしま』第六章、澁澤龍彦訳)

苦痛はいよいよ大きくなり、刃(やいば)のように鋭くなるのだ。
(J・K・ユイスマンス『さかしま』第六章、澁澤龍彦訳)

自我は単なる勝利だけでは満足しないのだ──試されつづけねばならない……
(ゲイリー・ライト『氷の鏡』安田 均訳)

だけど、
(イアン・マクドナルド『キャサリン・ホイール(タルジスの聖女)』古沢嘉通訳)

なぜ苦痛なんだ?
(グレッグ・ベア『ナイトランド─<冠毛の>一神話』7、酒井昭伸訳)

なぜ苦痛なのか?
(J・ティプトリー・ジュニア『大きいけれど遊び好き』伊藤典夫訳)

正しく評価されないことが苦痛なのだ
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

芸術家気質というものをよく知っている
(ゴア・ヴィダール『マイラ』35、永井 淳訳)

ぼくはいつも夢みて生きているんだからね
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

このコーヒー茶碗、このナイフ、このフォーク、本質のままの事物
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

単に存在するだけということはできないのか?
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

色彩の下には形(シエイプ)があった。
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

まるでわたしの顔だちの一つ一つが、その形に苦しんでいるかのように。
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年四月十日、関 義訳)

笑ったりゆがめたりしないと、人の顔には個性なんて生まれてこないのよ
(トマス・M・ディッシュ『M・D』下・第五部・68、松本剛史訳)

具体性こそが基本である。
(オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』第四部、高見幸郎・金沢泰子訳)

現実を生き生きとさせ、「リアル」たらしめ、個人的に意味のあるものにするのは「具体性」なのである
(オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』第四部、高見幸郎・金沢泰子訳)

いかにすばらしくたって、夢はけっきょく夢だからね
(アーサー・マッケン『パンの大神』1、平井呈一訳)

夢想で作り上げたものは現実で償われなければならない
(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』I、志村正雄訳)

不幸は情熱の糧なのだ。
(ターハル・ベン=ジェルーン『聖なる夜』9、菊地有子訳)

情熱こそは人間性の全部である。
(バルザック『人間喜劇』序、中島健蔵訳)

不幸はしばしばもっと大きな苦しみによって報いられる。
(ルネ・シャール『砕けやすい年(抄)』水田喜一朗訳)

おそらく、苦悩はつねに最強のものなのだ。
(マルロー『アルテンブルクのくるみの木』シャルトル捕虜収容所、橋本一明訳)

苦しみは人生で出会いうる最良のものである
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

魂の他のどんな状態にもまして、悲しみは、人間の性格や運命を深く洞察させる。
(スタール夫人『北方文学と南方文学』加藤晴久訳)

増大する苦痛が苦痛の観察を強いるのです。
(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)

悲しみは、一回ごとに一つの法則をわれわれにあかすわけではないにしても、
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

そのたびにわれわれを真実のなかにひきもどし、物事を真剣に解釈するようにさせる
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

世界はすべての人間を痛めつけるが、のちには多くの人がその痛めつけられた場所で、かえって強くなることもある。
(ヘミングウェイ『武器よさらば』第三四章、鈴木幸夫訳)

苦悩(くるしみ)は祝福されるのだ。
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)

苦痛の深部を経て、人は神秘に、真髄に達するのだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

悲哀のあるところには聖地がある。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)

苦悩はいとも永い一つの瞬間である。
(ワイルド『獄中記』田部重治訳)

創造する者が生まれ出るために、苦悩と多くの変身が必要なのである。
(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)

苦しみは焦点を現在にしぼり、懸命(、、、)な闘いを要求する。
(カミュ『手帖』第四部、高畠正明訳)

苦しむこと、教えられること、変化すること。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』不幸、田辺 保訳)

海が消えた。
(ウィリアム・ギブスン『カウント・ゼロ』23、黒丸 尚訳)

花はなかったし、
(紫 式部『源氏物語』東屋、与謝野晶子訳)

バスもなかった。
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』7・2、小泉喜美子訳)

何もない。
(アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』1、高橋泰邦訳)

決してあったことのない記憶、頭の外にはなかったものだ。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット諸君を求む』12、那岐 大訳)

魔術を使うのだ
(ジェラルド・カーシュ『ねじくれた骨』駒月雅子訳)

魔法さ。
(パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』下・42、田中一江・金子 浩訳)

魔法の杖で触れること。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

ほら
(ジェイムズ・D・フーストン『ガスマスク』大谷圭二訳)

そのひと言で、
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦士(アマゾネス)、木村榮一訳)

太陽をこわしたり、作ったりできる
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十一回の旅、深見 弾訳)

詩というのは
(J・L・ボルヘス『月』鼓 直訳)

現実を変えてしまうのさ。
(K・W・ジーター『グラス・ハンマー』黒丸 尚訳)

ああ、ぼくの頭はどうしたんだろう?
(シオドア・スタージョン『人間以上』第三章、矢野 徹訳)

頭のまわりで世界が回転する。
(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』12、安原和見訳)

ぼくの頭もぐるぐるまわりはじめた。
(ジョン・クリストファー『トリポッド 2 脱出』2、中原尚哉訳)

頭がぐるぐる回っている、
(ドナルド・バーセルミ『アリス』邦高忠二訳)

私は頭の回転がよくなっているのだろう。
(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』二冊目・3、野口幸夫訳)

ああ、世界がぐるぐる廻るわ!
(レイ・ブラッドベリ『メランコリイの妙薬』吉田誠一訳)

この世界がぐるぐるまわっているからさ。
(ボブ・ショウ『メデューサの子ら』5、菊地秀行訳)

世界ははたと動きをとめた。
(アルフレッド・ベスター『祈り』稲葉明雄訳)

いったい、この世界はどうなっているんだろう。
(ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓 直訳)

どうして人生を込み入ったものにしちゃうんだろうな?
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

深い知恵は無知を恐れない。
(トルストイ『ことばの日めくり』十月一日、小沼文彦訳)

愚かさがなければ、さらなる理解への刺激はどこにあるというのだ?
(ジャック・ヴァンス『なみ以下のサーディン』米村秀雄訳)

なんのための芸術か?
(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村二郎訳)

世界は私の傷だ、
(ディラン・トマス『黄昏の明かりに祭壇のごとく』VIII、松田幸雄訳)

音楽や性行為、文学や芸術、それは今やすべて、楽しみの源ではなくて苦痛の源にされてしまってるんだね
(アントニイ・バージェス『時計じかけのオレンジ』3・4、乾 信一郎訳)

でも
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』8、大森 望訳)

世界はそのままきみのものではないのか。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)

きみはどんどん使い捨てて、いつも手をさし出しては新しい世界を求めた。
(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)

なにがほしいの?
(ロジャー・ゼラズニイ『ユニコーンの徴(しるし)』3、岡部宏之訳)

物語だよ、フローラ。
(ロジャー・ゼラズニイ『ユニコーンの徴(しるし)』3、岡部宏之訳)

「花は?」
(フロベール『感情教育』第一部・五、生島遼一訳)

「花は」
「Flora.」
たしかに「Flower.」とは云はなかつた。
(梶井基次郎『城のある町にて』手品と花火)

汝は花となるであろう。
(バルザック『セラフィタ』五、蛯原〓夫訳)

花となり、香となるだろう。
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・7、安藤哲行訳)

それにしても、なぜいつもきまってあのことに立ちかえってしまうのでしょう……。
(モーリヤック『ホテルでのテレーズ』藤井史郎訳)

どこであれ、帰ってくるということはどこにも出かけなかったということだ。
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

あれは白い花だった……(それとも黄色だったか?
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』3、野谷文昭訳)

「青い花ではなかったですか」
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第一章、青山隆夫訳)

見覚えました花ですが、私(わたし)はもう忘れました。
(泉 鏡花『海神別荘』)

真(まつ)黄(き)色(いろ)な花の
(泉 鏡花『春昼後刻』三十三)

淡い青色の花だったが、
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第一章、青山隆夫訳)

世界は物語でいっぱい
(オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』15、野口幸夫訳)

じつを言えば、たいていなにをやっていても楽しいのだ。
(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』13、安原和見訳)

人生とはほとんどいつもおもしろいものだ。
(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遙訳)

いつも何かが起きてしまうのだ。
(A・A・ミルン『自然科学』行方昭夫訳)

幸福でないものがあるだろうか?
(ブライアン・W・オールディス『暗い光年』1、中桐雅夫訳)

すべてが喜びなのである。
(ジョン・ダン『秋のような顔』湯浅信之訳)

太陽はけっしていかなる影をも見ない。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』科学論、杉浦明平訳)

愛よ おまえは何を夢見ているのか?
(ヘッセ『カーネーション』岡田朝雄訳)

愛はそんなものじゃない
(デイヴィス・グラッブ『月を盗んだ少年』柿沼瑛子訳)

もともとの本質からして愛が永続するはずがない
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

もちろんさ。
(アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』5、高橋泰邦訳)

もちろんよ。
(ヘンリー・ジェイムズ『エドマンド・オーム卿』平井呈一訳)

だけど、まず最初に、もう一度夢を見なければならない
(イアン・マクドナルド『キャサリン・ホイール(タルジスの聖女)』古沢嘉通訳)

真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。
(岡倉覚三『茶の本』第二章、村岡 博訳)

どんな秘密も、そこへ至る道ほどの値うちはないのですよ。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十二章、園田みどり訳)

きみは実在しているものについて語る、セヴェリアン。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)

こうして、きみはまだ実在しているものを保持しているんだよ。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)

創造者がどれだけ多くのものを被造物と分かちもっているか、
(トマス・M・ディッシュ『M・D』下・第五部・67、松本剛史訳)

今、わたしの存在を維持しているのはだれか?
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)

あるひとつの思考は、どのくらいの時間、持続するものなのだろうか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』12、菅野昭正訳)

人間の精神は、ほんのわずかのあいだしか、ひとつの考えに、とどまっていることをしない
(アーサー・C・クラーク『銀河帝国の崩壊』10、井上 勇訳)

瞬間的でしかない意識
(ブライアン・オールディス『橋の上の男』井上一夫訳)

心はひとりでに動いてしまう。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の子供たち』第1巻、矢野 徹訳)

運動は一切の生命の源である。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』「繪の本」から、杉浦明平訳)

言葉同士がぶつかり、くっつきあう。
(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第四部・22、黒丸 尚訳)

ああ、これがあらゆることのもとだったんだ。
(アントニイ・バージェス『ビアドのローマの女たち』7、大社淑子訳)

変化だけがわたしを満足させる。
(モンテーニュ『エセー』第III巻・第9章、荒木昭太郎訳)

結局、精神構造とは、一個の複雑な出来事ではなかろうか?
(バリントン・J・ベイリー『王様の家来がみんな寄っても』浅倉久志訳)

世界中で価値のあるものはただひとつ、活動的な魂です。
(エマソン『アメリカの学者』酒本雅之訳)

大切なのは活発に動くことだ。
(D・G・コンプトン『人生ゲーム』2、斎藤数衛訳)

ぼくたちのバスは止まる、
(ジャック・フィニイ『失踪人名簿』福島正実訳)

私たちは言葉や指でさし示すことによってだんだん世界をわがものとしてゆく、
(リルケ『オルフォイスに寄せるソネット』第一部・16、高安国世訳)

人は手に触れるもの、愛するもの、夢見るものばかりではなく、
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

恐れ、拒否するものさえも祝福できるようにならなければいけないということだ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

わたしが目にしているのはなにか?
(ロバート・シルヴァーバーグ『予言者トーマス』4、佐藤高子訳)

水はたえず流れ去るが、イメージ自体は消えることがない。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』IV、宇野利泰訳)

別の道
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

べつの場所
(アルフレッド・ベスター『願い星、叶い星』中村 融訳)

別の物語
(リチャード・コールダー『デッドボーイズ』第5章、増田まもる訳)

無数の名前を記録する
(イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』I 都市と記号1、米川良夫訳)

自我、自我、自我。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』17、中村保男・大谷豪見訳)

精神的引力はさまざまな出来事を自分のところへ惹きつける
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』20、宇佐川晶子訳)

蜜蜂は蜜の収集家である。
(バリントン・J・ベイリー『知識の蜜蜂』岡部宏之訳)

ナポレオンの象徴は、ハチだった
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)

詩人というものは、
(ジャック・ヴァンス『愛の宮殿』8、浅倉久志訳)

蜜蜂の運命をもつ者なのだ。
(『デモクリトス断片』227、廣川洋一訳)

この蜂たちは一匹ずつごくわずかにちがう蜂蜜のしずくをもって帰ってくる
(ジェラルド・カーシュ『不死身の伍長』小川 隆訳)

口のなかは、花や蜜や花粉でいっぱいだ。
(T・J・バス『神鯨』10、日夏 響訳)

どこかで、蜂のとんでいるようなぶんぶんいう音がしている。いつもこの音だ。
(トーマス・M・ディッシュ『虚像のエコー』4、中桐雅夫訳)

多くの響きでありながら一つに聞こえる、
(シェイクスピア『ソネット8』高松雄一訳)

蜂の巣のなかの完全共同作業。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?』伊藤典夫訳)

蜂蜜といっても、巣によってそれぞれちがう
(ジェラルド・カーシュ『不死身の伍長』小川 隆訳)

せっせと蜜を集めては、
厄介な詩を作っている
(ホラティウス『歌集』第四巻・二、鈴木一郎訳)

蜜蜂が勝手にあんなものを作るのである
(稲垣足穂『放熱器』)

さ、あの音楽をお聴き。
(シェイクスピア『ヴェニスの商人』第五幕・第一場、中野好夫訳)

しかし
(ノヴァーリス『対話・独白』今泉文子訳)

人類は客観的事実に縛られてはいない。
(フレデリック・ポール『マン・プラス』3、矢野 徹訳)

頭のなかには現実の場所よりも
はるかに多くの回廊がある
(エミリ・ディキンスン『作品六七〇』新倉俊一訳)

偽の記憶
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラットの復讐』17、那岐 大訳)

架空の記憶
(J・G・バラード『ある日の午後御、突然に』伊藤 哲訳)

記憶というものはなんと二股の働きをするものだろう。一方では現わし、他方では隠す。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラットの復讐』4、那岐 大訳)

記憶というものも、それの不完全さということがやはり天の恵みなのだ。
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

二すじに割れた水も手の背後ではまたひとつに結び合う。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)

瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ
(崇徳院『詞花集』恋)

魂の流出は、幸福である、ここには幸福がある、
(ホイットマン『大道の歌』8、木島 始訳)

なにも知らないことを心から楽しんでいた。自分の無知が彼を興奮させた。
(ロバート・シェクリー『トリップアウト』4、酒匂真理子訳)

つまり、学ぶことがたくさんあるということだ。
(ロバート・シェクリー『トリップアウト』4、酒匂真理子訳)

一つの現実からもう一つの現実へと
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボブ』7、若島 正訳)

名前はさらなる名前へと、どんどん遡る、最後には名前のない者へと。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第3巻、矢野 徹訳)

すべてがはじまる場所へ。
(コードウェイナー・スミス『クラウン・タウンの死婦人』1、伊藤典夫訳)

バスはいつもと違うコースをとった。
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

きみはまたぼくと会うことになる
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』4、友枝康子訳)

あるいは、その逆か
(アヴラム・デイヴィッドスン『眠れる美女ポリー・チャームズ』古屋美登里訳)

あらゆるものは、始まったところにもどるもの
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』2、深町真理子訳)

「愛」が覚えている先の一瞥(いちべつ)のごとく、
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第二幕・第五場、石川重俊訳)

いまぼくはあの数瞬間をふたたび発見し、それがきみを永遠にぼくに結びつけているのだ。
(ビュトール『時間割』第四部・四、清水 徹訳)

映像また映像がたわむところ
(チャールズ・トムリンソン『水の上に』土岐恒二訳)

夢はうごいている。
(サンドバーグ『赤い銃のあいだで』安藤一郎訳)

眠っているあいだも、頭ははたらいている。
(ロバート・ブロック『死の収穫者』白石 朗訳)

寝ている間も脳は動いているんだわ。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

眠ることのない潜在意識
(アーサー・C・クラーク『犬の星』南山 宏訳)

一人の人間の夢は、万人の記憶の一部なのだ。
(J・L・ボルヘス『マルティン・フィエロ』鼓 直訳)

われわれ人間は夢と同じもので作られている。
(シェイクスピア『テンペスト』第四幕・第一場、伊東杏里訳)

「夢」が知となる。
(ポール・ヴァレリー『海辺の墓地』安藤元雄訳)

心の中では数々の夢が力を持っている。
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

夢がまちがってることだってあるのよ
(チャールズ・ブコウスキー『狂った生きもの』青野 聰訳)

間違っているかどうかなんて、そんなことが問題じゃないんだ、
(トンマーゾ・ランドルフィ『幽霊』米川良夫訳)

絶対に間違いのないようにするなんてことは、何の役にも立ちはしない、
(トンマーゾ・ランドルフィ『幽霊』米川良夫訳)

人生にはなにか見落としているものや自分の知らないものがあるのだろうか?
(アンナ・カヴァン『愛の渇き』5、大谷真理子訳)

われわれのかかわりを持つものが、すべてわれわれに向かって道を説く。
(エマソン『自然』五、酒本雅之訳)

その構造を知ること。
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』32、峰岸 久訳)

構造?
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第二部・9、小木曽絢子訳)

啓示の瞬間が長く続くことはない。たちまちのうちにまたいつもの見方にとらわれてしまう。
(ロバート・シェクリー『隣は何をする人ぞ』米村秀雄訳)

別の雲。
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)

別の曲
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『砂漠の音楽』原 成吉・江田孝臣訳)

人間の通性が不意に稀有なものとなる。
(ジェフリー・ヒル『小黙示録』富士川義之訳)

万物に輝きと昂揚を与えるこの魂
(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳)

われわれの内部にあっては情感であるあの魂が、外部にあれば法則となる。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)

昼がなければ夜もあるまい
(ロバート・シルヴァーバーグ『大地への下降』12、中村保男訳)

考えれば気づいたはずのこと
(アン・マキャフリイ『クリスタル・シンガー』5、浅羽莢子訳)

夜には昼に教えることがたくさんある
(レイ・ブラッドベリ『趣味の問題』中村 融訳)

太陽は昼をつくる、諸惑星がめいめいの夜をつくるのだ。
(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のように』4、中桐雅夫訳)

われわれの内部にあっては情感であるあの魂が、外部にあれば法則となる。
(エマソン『償い』酒本雅之訳)

自我という公式(、、)を発展させること。
(ノヴァーリス『一般草稿』[639]、今泉文子訳)

だが、
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

法則に支配される創造性というようなものはないのだぞ
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第1巻、矢野徹訳)

生きるって、感情よ。愛するって、感情なのよ。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第一章・8、青木久恵訳)

もともとの本質からして愛が永続するはずがない
(リサ・タトル『きず』幹 遙子訳)

愛はたえずとびまわらなければならぬ。
(ノヴァーリス『青い花』遺稿、青山隆夫訳)

すべては同じようにはかなく移ろいやすいものだ。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・IV、安藤哲行訳)

少なくともそのために、束の間のものを普遍化するために書く。たぶん、それは愛。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・IV、安藤哲行訳)

愛の驚き、
(ハート・クレイン『橋』四、ハテラス岬、東 雄一郎訳)

驚きあってこその人生ではないか。
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』上・第三部・32、酒井昭伸訳)

varietas delectat.
變化は人を〓ばす。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

変化は嬉しいものなのだ。
(ホラティウス『歌集』第三巻・二九、鈴木一郎訳)

人生を意義あるものにしてくれるのは、危うさだ。人生という地雷源を躍りぬけること。
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』1、黒丸 尚訳)

わたしたちは、わたしたちを知らぬ多くのものによってつくられているのではないかしら。
(ヴァレリー『ムッシュー・テスト』友の手紙、清水 徹訳)

だからこそ、わたしたちはわたしたち自身を知らないのだ。
(ヴァレリー『ムッシュー・テスト』友の手紙、清水 徹訳)

言葉が不可解だというのは、言葉自身がみずからを理解せず、また理解しようとも思っていないからだ。
(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』一、今泉文子訳)

よく見るのだ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を払うこと。
(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)

知覚されないかぎり何一つ存在できない。もし一瞬でも知覚をしくじると、それは永遠に消え去ってしまう
(R・A・ラファティ『宇宙舟歌』第四章、柳下毅一郎訳)

人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、
(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)

表現者は、あらゆることが表現でき、また表現しようと思わなければならない。
(ノヴァーリス『花粉』25、今泉文子訳)

思考はあらゆるものを、利用可能なものに変える。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

自分の作り出すものであって初めて見えもする。
(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳)

経験や行為は場面や戦慄となって表現されるのである。
(オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』第三部・15、高見幸郎・金沢泰子訳)

なぜ人は、互いに話がしたいのかしら? つまり人は、相手のどんなことを、いつも知りたいと思うものなの?
(シャーリイ・ジャクスン『たたり』第六章・1、渡辺庸子訳)

いったい人間を理解するすべなどあるのだろうか?
(R・A・ラファティ『悪魔は死んだ』第十九章、井上 央訳)

じっくりと観察すること、それがアーティストにとっての至上命題であることはいうまでもない。
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジョディ・9、亀井よし子訳)

生きて、読んで、考えることだ。
(ナボコフ『賜物』第4章、沼野充義訳)

考えよ。たえず考えるんだ。いろいろなことを。
(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)

人間についてのすべてのことはわからなくても、すべての人間がわかってくるよ
(R・A・ラファティ『一切衆生』浅倉久志訳)

世界というのは一つだけではないのですよ。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『紫年金の遊蕩者たち』大和田 始訳)

コーヒーのお代りは?
(ロジャー・ゼズニイ『ドリームマスター』1、浅倉久志訳)

コーヒー?
(ロバート・B・パーカー『約束の地』12、菊池 光訳)

だって、
(コレット『青い麦』一五、堀口大學訳、読点加筆)

コーヒーを飲むまでは、機嫌が悪いんだもの。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『デイワールド』8、大西 憲訳)

愛するとは受け取ることの極致である。
(シオドア・スタージョン『一角獣の泉』小笠原豊樹訳)

in omnibus caritas. 
萬事において愛。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

すべてのものが
(バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』6、大森 望訳)

わたしという
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』11、岡部宏之訳)

存在になる
(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のごとく』5、中桐雅夫訳)

作りうる組合せは無数にあり、その大部分はぜんぜん的外(まとはず)れのものである。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとIII』28、田中 勇・銀林 浩訳)

無用な組合せを避け、ほんの少数の有用な組合わせを作ること、これこそが創造するということなのである。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとIII』28、田中 勇・銀林 浩訳)

発見とは、識別であり選択である。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとIII』28、田中 勇・銀林 浩訳)

とらえがたい選択こそが、成功の秘訣であることを知らない芸術家が一人でもいるだろうか。
(E・T・ベル『数学をつくった人びとIII』28、田中 勇・銀林 浩訳)

創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。
(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)

世界は、必ずしもわれわれに意味を与えてくれてはいない。
(サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』5、伊藤典夫訳)

あるものにとっての知恵は、他のものの知恵ではありません。
(リチャード・カウパー『クローン』34、鈴木 晶訳)

詩はつねに新しい関係をもとめる。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)

新しいものはいい
(ジェローム・ビクスビー『日々是好日』矢野浩三郎訳)

目に映るすべてのものが新しいとでもいうように、
(バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』6、大森 望訳)

意味が新しくなる。
(ポール・ヴァレリー『ムッシュー・テストと劇場で』清水 徹訳)

驚かされる(、、、、、)こと、新しいものを生じさせること、それこそ(、、、、)、わたしが最も欲していることなのだ
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第1巻、矢野 徹訳)

自分の気持ちを憶えているかね?
(ジョン・クリストファー『トリポッド 3 潜入』1、中原尚哉訳)

むかしというのはいろんな出来事がよく迷子になるところでね
(ロバート・ホールドストック『アースウィンド』4、島岡潤平訳)

ぼくらは人生に迷い子となるが、人生はぼくらの居所を知っている。
(ジョン・アッシュベリー『更に快い冒険』佐藤紘彰訳)

論理的には全世界が自分の名前になるということが理解できるか?
(イアン・ワトスン『乳のごとききみの血潮』野村芳夫訳)

この世界が、自分自身なのだ
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急報』諏訪 優訳)

失われるものは何もなく、役に立たないものもない。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

おれのしてきたすべてのことが、視線も、息も、ことごとく輝き、巨大に、無限におれ自身になる。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

やがて世界中すべてが、わたしの声と顔、そして手触りに満ちる。
(シオドア・スタージョン『闇の間近で』樋口真理訳)

人間が自らを理解すること、人生のあらゆる瞬間を静かな喜びでもって豊かにすること──
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』20、安田 均訳)

これこそ、われわれの真の目標だ。
(エドモンド・ハミルトン『虚空の遺産』20、安田 均訳)

そして人生は生きるためにある。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・2、青木久恵訳)

まだコーヒーが残ってるかな?
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』4、峰岸 久訳)

サンドイッチも残ってる
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』4、峰岸 久訳)

感情にいい悪いはないよ。感じるものは感じるんだよ。
(P・D・ジェイムズ『原罪』第二章・24、青木久恵訳)

世界は結局、心情(、、)になるのではないか。
(ノヴァーリス『断章と研究 1799-1800』[577]、今泉文子訳)

正しく質問すれば答えは得られたも同然、
(シオドア・スタージョン『ゆるやかな彫刻』伊藤典夫訳)

重要な答えはすべて自己に関係があるものだからね。
(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わり』小川 隆訳)

なにもかもがそこにある。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内側の世界』6、大久保そりや・小川みよ訳)

信行のことを思った。
(志賀直哉『暗夜行路』第一・二)

で、彼を愛していた?
(ジョン・ヴァーリイ『ブルー・シャンペン』浅倉久志訳)

愛情だろうか。敢えて愛情と呼べるだろうか?
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・〔1〕・V、鈴木克昌訳)

そして恋は? あれは果して恋だったのだろうか?
(W・M・ミラー・ジュニア『時代おくれの名優』志摩 隆訳)

幸せだったのだろうか?
(サバト『英雄たちと墓』第I部・20、安藤哲行訳)

"愛"とか"欲望"とか呼ぶものがどこから生まれるかは、だれにもわからない。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』26、岡部宏之訳)

単純な答えなどない。はげしく誰かを愛しながら、きらうこともできる。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

幸せな苦痛だった、いまでもそうだ、
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第三幕・第四場、石川重俊訳)

忘れたことなんかないさ。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『リバイアサン』第三部・16、友枝康子訳)

今でもきみのことを夢に見るよ。
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』3、内田昌之訳)

きみはまたぼくと会うことになる
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』4、友枝康子訳)

夢のひとつさ。
(アダム=トロイ・カストロ&ジェリイ・オルション『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』浅倉久志訳)

憎しみこそこの世でもっとも破壊的な力だと人は言うだろう。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・1、青木久恵訳)

だが、そんなことを信じてはいかん。一番破壊的なのは愛さ。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・1、青木久恵訳)

みんな自分の亡ぼすものを愛している。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』4、岡部宏之訳)

愛することを怖れる必要はないとわかるまで、どうしてこんなに時間がかかったのだろう。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・7、青木久恵訳)

いいえ。あなたは私と同じよ。愛し方を知らないわ。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・8、青木久恵訳)

さあ、教えてくれ。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』22、岡部宏之訳)

この苦しみは、いったいいつまで続くのか?
(アンナ・カヴァン『召喚』山田和子訳)

大体苦しみのない愛情が存在すると思う方がおかしい。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・11、青木久恵訳)

迷うことはない。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

愛して
(ジョン・ヴァーリイ『ブルー・シャンペン』浅倉久志訳)

憎む相手を見つけるのだ。そうすればすぐに自分を取り戻せる。
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・ガイド』下・第11章、安原和見訳)

そしておまえたちにさらなる裏切りの機会をあたえるのか?
(リチャード・コールダー『デッドボーイズ』第4章、増田まもる訳)

裏切りは裏切りを生む、
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

裏切りには裏切りが返ってくる
(ヴォンダ・N・マッキンタイア『太陽の王と月の妖獣』下・29、幹 遙子訳)

偽の光
(ジョン・スラデック『非12月』越智道雄訳)

いまは偽の光以外なにひとつ残ってはいない。
(ジョン・スラデック『非12月』越智道雄訳)

期待のもたらす苦い味を嚙みしめているのだ
(コルタサル『悪魔の涎』木村榮一訳)

それは苦痛をもたらすが、同時に知恵をも生むのだ。
(グレゴリイ・ベンフォード『光の潮流』上・第二部・7、山高 昭訳)

定義し理解するためには定義され理解されるものの外にいなければならない
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ぼくも以前は金魚鉢が大好きでした。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・25、土岐恒二訳)

詩はもっぱらペンによる所産、一連のイマージュと音との集まりではなく、ひとつの生き方(、、、、、、、)である。
(トリスタン・ツァラ『詩の堰』シュルレアリスムと戦後、宮原庸太郎訳)

それは矛盾しているためにかえって真実そのものに違いなかった。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・9、土岐恒二訳)

大半の真理は循環パラドックスでしか表現されえない、
(オースン・スコット・カード『死者の代弁者』下・18、塚本淳二訳)

原因も結果も、ひとつの事実にそなわる二つの側面なのだ。
(エマソン『円』酒本雅之訳)

人間はみんな同一じゃない。
(ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』12、浅倉久志訳)

それぞれ異なることばを聞いたのね、わたしたち
(グレッグ・ベア『ナイトランド──<冠毛>の一神話』4、酒井昭伸訳)

それがあなたの魂の夢なのね、
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』5、深町真理子訳)

これがぼくの魂なんだよ
(イアン・ワトスン『我が魂は金魚鉢の中を泳ぎ』美濃 透訳)

夢はいつまでもつきまとう。
(シオドア・スタージョン『火星人と脳なし』霜島義明訳)

それは夢ではなかったのだよ
(ストルガツキー兄弟『神様はつらい』4、太田多耕訳)

裏切りに基づく生は生とはいえない。
(ノサック『ルキウス・エウリヌスの遺書』圓子修平訳)

裏切りは人間の本性ではなかったかな?
(ソムトウ・スチャリトクル『スターシップと俳句』第一部・7、冬川 亘訳)

私たちの魂は裏切りによって生きている。
(リルケ『東洋風のきぬぎぬの歌』高安国世訳)

だれもが自分を裏切るんだ
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

花から花へ
(テニスン『イン・メモリアム』22、入江直祐訳)

指一本で花にさわってみる。
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペース』2、金子 司訳)

すべてがもとどおりになる。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』4、岡部宏之訳)

花はみんな約束を果たす。
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペース』2、金子 司訳)

どう、この花は?
(ジェフリイ・コンヴィッツ『悪魔の見張り』8、高橋 豊訳)

いったいなんという花なのだろう?
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』知らずして御(み)使(つか)いは舎(やど)したり、宇佐川晶子訳)

この花びら!
(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)

この花たちに目を覚まされたのか?
(J・G・バラード『夢幻社会』22、増田まもる訳)

これほど愚かな花もないだろう。
(ナボコフ『賜物』第3章、沼野充義訳)

思いだしたかい?
(ピーター・フィリップス『夢は神聖』浅倉久志訳)

ああ、
(レイ・ブラッドベリ『メランコリイの妙薬』吉田誠一訳)

そうだ、
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第三幕・第四場、石川重俊訳)

幾つもの名前のことを思いだした。
(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)

どれもこれも昔の思い出につながっていたのだ。
(ノヴァーリス『青い花』第二部、青山隆夫訳)

しかし、
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・49、酒井昭伸訳)

以前知らなかった一つの存在を認識したために思考が豊かになっているので、
(ノサック『滅亡』神品芳夫訳)

心が新しい感覚で鋭くなっていった。
(イアン・ワトスン『アイダホがダイヴしたとき』黒丸 尚訳)

あらゆるものがわれわれに向かって流れ込んでくるように見える
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

今まで忘れていたことが思い出され、頭の中で次から次へと鎖の和のようにつながっていく。
(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)

きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだよ。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

何もかも以前とは違って新しくなっているのよ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『大地への下降』11、中村保男訳)

すべてのディテールが相互に結びついたヴィジョン。
(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)

あらゆる細部が生き生きしていた。
(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)

この世でひとたび掴み得た一つのものは、多くのものに匹敵しよう。
(リルケ『ドゥイノの悲歌』第七の悲歌、高安国世訳)

芸術のおいて当然栄誉に値するものは、何はさておき勇気である。
(バルザック『従妹ベット』二一、水野 亮訳)

芸術家にとっての限界はたった一つだけで、それはあらゆるもののなかで最も大きなもの、つまり形式です。
(ディラン・トマスの手紙、パメラ・ハンスフォード・ジョンソン宛、一九三三年一〇月一五日、徳永暢三・太田直也訳)

内容は形式として生まれてくるほかない
(オスカー・レルケ『詩の冒険』神品芳夫訳)

重要なのは形式なのである。
(P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』第四章・8、隅田たけ子訳)

このような芸術作品に変えられてしまった自分自身の姿をわが目で眺めるというのは、いったいどんな経験なのか。
(ロバート・シルヴァーバーグ『一人の中の二人』7、中村保男訳)

持続する唯一の過去は、そなたの中に言葉によることなく存在する。
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第1巻、矢野 徹訳)

魂の中にほんとうの意味で書きこまれる言葉、
(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)

意識からは失われるが、つねに存在する記憶として。
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

記憶はあらゆるものを含む
(ジョン・アッシュベリー『波ひとつ』佐藤紘彰訳)

すべての真の詩、すべての真の芸術の起源は無意識にある。
(コリン・ウィルソン『ユング』4、安田一郎訳)

感受性の強い者や想像力のたくましい者は、通常の意識よりも潜在意識を働かせている
(ウィリアム・F・テンプル『恐怖の三角形』若林玲子訳)

芸術は意識と無意識の結婚なのだ。
(ジャン・コクトー『ライターズ・アット・ワーク』より、村岡和子訳)

専門用語に気をつけることよ。それはたいてい無知を隠し、知識を運ばないものだから
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第3巻、矢野 徹訳)

真の知識にとってなによりも有害なのはあまり明瞭でない知識や言葉を使用することである。
(トルストイ『ことばの日めくり』四月十八日、小沼文彦訳)

何かを知っていると考えるときは、それが学習に対して最も完璧な障壁になるのだ
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

<知性>の第一の義務は自己に対する懐疑である。これは自己軽蔑とは別物だ。
(スタニスワフ・レム『虚数』GOLEM XIV、長谷見一雄訳)

創造性とは、関係の存在しないところに関係を見出す能力にほかならない。
(トマス・M・ディッシュ『334』ソクラテスの死・4、増田まもる訳)

ねぇ、きみ、きみは知らねばならないよ、その瞬間に発せられた言葉だけが、あらゆるもののうちで
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』12、沼野充義訳)

もっとも平凡なその瞬間を光で照らし、その瞬間を忘れがたいものにしてくれるんだってことを。
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』12、沼野充義訳)

人生で起こる偶然はみな、われわれが自分の欲するものを作り出すための材料となる。
(『花粉』 66、今泉文子訳)

精神の豊かな人は、人生から多くのものを作り出す。
(『花粉』 66、今泉文子訳)

まったく精神的な人にとっては、どんな知遇、どんな出来事も、無限級数の第一項となり、
(『花粉』 66、今泉文子訳)

終わりなき小説の発端となるだろう。
(『花粉』 66、今泉文子訳)

あらゆるものが芸術になりうるのだ。
(ノヴァーリス『信仰と愛』39、今泉文子訳)

偶然とはなんだと思う?
(グレアム・チャーノック『フルウッド網(ウエツブ)』美濃 透訳)

偶然だって?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

偶然は本質と同じように貴重なのだ
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・133、土岐恒二訳)

人間もまた偶然の存在だ。
(ダン・シモンズ『真夜中のエントロピー・ベッド』嶋田洋一訳)

偶然こそ、私たちの生の偉大な創造者というべき神である。
(プリニウス『博物誌』第二十七巻・第二章、澁澤龍彦訳)

愛とは驚愕のことではないか。
(ジョン・ダン『綴り換え』湯浅信之訳)

人生は驚きの連続だ。
(エマソン『円』酒本雅之訳)

ぶつかることのできる場所のようだ。
(リルケ『黒猫』高安国世訳)

存在の大鍋の中の一瞬のきらめき。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『紫年金の遊蕩者たち』大和田 始訳)

創造の鍋の中から生き残るのはほんのひと握りなんだよ。
(アン・マキャフリイ『竜の夜明け』上・第一部・6、浅羽莢子訳)

新しいものはいい
(ジェローム・ビクスビー『日々是好日』矢野浩三郎訳)

新しい感覚には新しい言葉が必要だ。
(ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』29、窪田般弥訳)

つねに先がある。その先にもさらに先がある。
(M・ジョン・ハリスン『ライト』27、小野田和子訳)

絶えず作り直されねばならない。
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

何度でも生まれ直すんだ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いまひとたびの生』1、佐藤高子訳)

詩はもっぱらペンによる所産、一連のイマージュと音との集まりではなく、ひとつの生き方(、、、、、、、)である。
(トリスタン・ツァラ『詩の堰』シュルレアリスムと戦後、宮原庸太郎訳)

作品と同時に自分を生みだす。というか、自分を生みだすために作品を書くんだ
(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)

自分自身の感情以上にリアルなものは存在しない。
(フリッツ・ライバー『ジェフを探して』深町眞理子訳)

唯一大事なのは、自分の真実の知覚だ。
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

生きること、世界のいたるところに自分の苦しむ自我を運びまわること。
(ミラン・クンデラ『不滅』第五部・六、菅野昭正訳)

おそらく、苦悩はつねに最強のものなのだ。
(マルロー『アルテンブルクのくるみの木』シャルトル捕虜収容所、橋本一明訳)

苦しみは人生で出会いうる最良のものである
(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・逃げさる女、井上究一郎訳)

魂の他のどんな状態にもまして、悲しみは、人間の性格や運命を深く洞察させる。
(スタール夫人『北方文学と南方文学』加藤晴久訳)

増大する苦痛が苦痛の観察を強いるのです。
(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)

悲しみは、一回ごとに一つの法則をわれわれにあかすわけではないにしても、
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

そのたびにわれわれを真実のなかにひきもどし、物事を真剣に解釈するようにさせる
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

世界はすべての人間を痛めつけるが、のちには多くの人がその痛めつけられた場所で、かえって強くなることもある。
(ヘミングウェイ『武器よさらば』第三四章、鈴木幸夫訳)

苦悩(くるしみ)は祝福されるのだ。
(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)

名前には意味がある。
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』2、大森 望訳)

いやいや、
(ジェラルド・カーシュ『破滅の種子』西崎 憲訳)

意味はないよ。
(グレゴリイ・ベンフォード『時の迷宮』上・第二部・8、山高 昭訳)

あらゆるものに意味があったのではないかな?
(A・バートラム・チャンドラー『左まわりのネジ』乗越和義訳)

いったいどっちだろうね。
(ジェラルド・カーシュ『狂える花』駒月雅子訳)

もしかしたら世界それ自体に意味がないのかもしれない。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』丹治 愛訳)

意味のあるものはない。ということは意味のあるものは無なのだ。
(ジェフ・ヌーン『未来少女アリス』風見賢二訳)

夢には意味があるって思わない?
(サバト『英雄たちと墓』第I部・17、安藤哲行訳)

あるいはね。
(J・G・バラード『砂の檻』永井 淳訳)

名前っていったい何なのか?
(シェイクスピア『ロミオとジューリエット』第二幕・第二場、平井正穂訳)

なぜ名前をもっていなくちゃいけないと思う?
(ダグラス・アダムス『宇宙の果てのレストラン』29、風見 潤訳)

名前が大事なのかい?
(ジョン・ヴァーリイ『汝、コンピューターの夢』小隅 黎訳)

名前には意味がある。
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』2、大森 望訳)

意味?
(マイケル・ムアコック『北京交点』6、野口幸夫訳)

名前と結びつけて考える。
(ウィリアム・バロウズ『ダッチ・シュルツ最後のことば』196、山形浩生訳)

名前を持つことが自立した実体として存在することである。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第3部、小中陽太郎・森山 隆訳)

どうしてそんなことがわかる?
(ゴア・ヴィダール『マイラ』36、永井 淳訳)

なんでそんなに名前にこだわるんだ?
(R・A・ラファティ『イースター・ワインに到着』8、越智道雄訳)

ぜんぜん別なことじゃないのかな。
(ゴーゴリ『妖女(ヴィイ)』原 卓也訳)

名前なんかどうでもいい
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』6、鈴木 晶訳)

べつに意味はないんだよ。
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』1、内田昌之訳)

何の意味もない。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

嘘をついているわ。なぜ嘘をつくのかしら?
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

嘘をつくのは、そうする甲斐があるからさ。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』15、市田 泉訳)

りっぱな嘘つきだわ。
(エリス・ピーターズ『聖なる泥棒』7、岡本浜江訳)

永遠に名前を呼びつづける
(エリス・ピーターズ『聖女の遺骨求む』10、大出 健訳)

あのかわいらしいさかなを見なかったの?
(A・E・コッパード『アダムとイヴ』橋本福夫訳)

ああ。覚えてるとも。
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』33、峰岸 久訳)

名前ない体験のなり止(や)まぬのはなぜだらう
(伊東静雄『田舎道にて』)

感受性の強い者や想像力のたくましい者は、通常の意識よりも潜在意識を働かせている
(ウィリアム・F・テンプル『恐怖の三角形』若林玲子訳)

意識からは失われるが、常に存在する記憶として
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第2巻、矢野徹訳)

意味のないものが
(ブライアン・W・オールディス『暗い光年』10、中桐雅夫訳)

無意識に反復されている
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』4、岡部宏之訳)

それは
(テリー・ビッスン『世界の果てまで何マイル』26、中村 融訳)

潜在意識の雑音よ。
(アーシュラ・K・ル・グイン『定刻よりも大きくゆるやかに』小尾芙佐訳)

無意識というものには、それ自体の論理がある。
(ロバート・A・ハインライン『フライデイ』1、矢野徹訳)

名もなく顔もない生き生きとした一なるもの、
(カトリーヌ・ポッジ『祝詞(アーヴエ)』渋沢孝輔訳)

「貫通するものは一なり。」と芭蕉は言つた。
(川端康成『日本美の展開』)

ああ、これがあらゆることのもとだったんだ。
(アントニイ・バージェス『ビアドのローマの女たち』7、大社淑子訳)

名前はない。
(ギブスン&スターリング『ディファレンス・エンジン』上・第三の反復、黒丸 尚訳)

名前なんてどうだっていいよ
(ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』16、風見 潤訳)

名前なんてのは、忘れられるものだ。
(ニールス・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』上・23、日暮雅通訳)

いずれ無意識が何かのヒントか、すばらしい啓示をもたらしてくれるかもしれない。
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』A面4、嶋田洋一訳)

海は潜在意識とよく似ている。潜在意識そのものかもしれん──
(R・A・ラファティ『みにくい海』伊藤典夫訳)

目を覚ますと、夢が問題を整理してくれている。
(アン・ビーティ『女同士の話』亀井よし子訳)

ああ、意味と無意味が入り混じっている!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、野島秀勝訳)

まさに理解不能な世界こそ──その不合理な周縁ばかりでなく、おそらくその中心においても──
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

意志が力を発揮すべき対象であり、成熟に至る力なのであった。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

一つ一つのものは自分の意味を持っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)

その時々、それぞれの場所はその意味を保っている。
(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)

断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)

オリジナルよりもずっとリアルなものに並びかえられたジグソーパズル。
(リチャード・コールダー『デッドガールズ』第七章、増田まもる訳)

肝心なことはね、人生がすごくリアル(、、、)に感じられるようになったことでしてね。
(ジョン・スラデック『平面俯瞰図』越智道雄訳)

文体とは、まさに作家の思考が、現実に対して加える変形のしるしです。
(プルースト『サント=ブーヴに反論する』サント=ブーヴとバルザック、出口裕弘・吉川一義訳)

断片だけがわたしの信頼する唯一の形式。
(ドナルド・バーセルミ『月が見えるだろう?』邦高忠二訳)

首尾一貫など、偉大な魂にはまったくかかわりのないことだ。
(エマソン『自己信頼』酒本雅之訳)

すべて詩の中には本質的な矛盾が存在する。
(アントナン・アルトー『ヘリオガバルス』III、多田智満子訳)

矛盾ほど確実な土台はない
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』8、岡部宏之訳)

まさに理解不能な世界こそ──その不合理な周縁ばかりでなく、
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

おそらくその中心においても──意志が力を発揮すべき対象であり、成熟に至る力なのであった。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

驚きあってこその人生ではないか。
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』上・第三部・32、酒井昭伸訳)

人生はほとんどいつもおもしろいものだ。
(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遥訳)

優れた詩のように
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』2、友枝康子訳)

きみは生きている限り、きみはまさに瞬間だ
(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)

芸術家にとっての限界はたった一つだけで、それはあらゆるもののなかで最も大きなもの、つまり形式です。
(ディラン・トマスの手紙、パメラ・ハンフフォード・ジョンソン宛、一九三三年一〇月一五日、徳永暢三・大田直也訳)

重要なのは形式なのである。
(P・D・ジェイムズ『ナイチンゲールの屍衣』第四章・8、隅田たけ子訳)

世界は新しい形のものだ
(ギブスン&スターリング『ディファレンス・エンジン』上・第二の反復、黒丸 尚訳)

無情も情である
(紫 式部『源氏物語』竹河、与謝野晶子訳)

独創とはくりかえしからの脱出だ。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)

内容は形式として生まれてくるほかない
(オスカー・レルケ『詩の冒険』神品芳夫訳)

芸術は感覚の仕事ではなくて、表現の仕事だ。
(ピエール・ルヴェルディ『私の航海日誌』高橋彦明訳)

偶然の成功を増やしていき、(…)それらの成功を結びつける当人が、それらに心をとめ、
(ヴァレリー『『パンセ』の一句を主題とする変奏曲』安井源治訳)

大切にすることが必要である。
(ヴァレリー『『パンセ』の一句を主題とする変奏曲』安井源治訳)

芸術は偶然の終るところに始まる。しかし芸術を富ませるのは偶然が芸術にもたらすすべてのものなのだ。
(ピエール・ルヴェルディ 『私の航海日誌』高橋彦明訳)

しかし
(ノヴァーリス『対話・独白』今泉文子訳)

用心したまえよ、事物のやさしさに、
(ポール・ジャン・トゥーレ『コントリーム』入沢康夫訳)

現実の事物は刺(し)激(げき)が強すぎる。用心しなければならない。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』冨田 彬訳)

光は過剰な秩序であり、致命的なものになり得る。
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

太陽は人をあざむくからね。
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』4、大社淑子訳)

慣れることと
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

美は批判力を堕落させる。
(P・D・ジェイムズ『死の味』第三部・4、青木久恵訳)

私らはたえず自分が一度好きになったものにしがみついて、しがみついていることを忠実と考えるけれど、
(ヘッセ『夢の家』岡田朝雄訳)

それは怠惰にすぎない。
(ヘッセ『夢の家』岡田朝雄訳)

我々の思考は発展しなければならないし、同時に保存されなければならない。
(ヴァレリー『精神の危機』恒川邦夫訳)

思考は極端なものによってしか前進しないが、存続するのは平均的なものによってである。
(ヴァレリー『精神の危機』恒川邦夫訳)

事物や存在を支える偶然
(イヴ・ボンヌフォア『詩の行為と場所(抄)』宮川 淳訳)

この世でひとたび掴み得た一つのものは、多くのものに匹敵しよう。
(リルケ『ドゥイノの悲歌』第七の悲歌、高安国世訳)

考えよ、たえず考えるんだ。いろいろなことを。
(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)

詩は存在を救わねばならぬ、ついで、存在がわれわれを救わねばならぬ。
(イヴ・ボンヌフォア『詩の行為と場所(抄)』宮川 淳訳)

生きつづけることであり、幸せに生きること
(フランシス・ポンジュ『プロエーム(抄)』VII、平岡篤頼訳)

一つの現実からもう一つの現実へと
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボブ』16、若島 正訳)

別の関連の中へ
(リルケ『ドゥイノの悲歌』第九の悲歌、高安国世訳)

ほんの少し視点を変えるだけで、世界はすっかり変貌するのだ。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』7、幹 遙子訳)

意味が新しくなる。
(ポール・ヴァレリー『ムッシュウ・テストと劇場で』清水 徹訳)

そうして言葉が世界をつくるのだ。言葉が現実を構築する。
(イアン・ワトスン『星の書』第四部、細美遙子訳)

現実を変えてしまうのさ。
(K・W・ジーター『グラス・ハンマー』黒丸 尚訳)

芸術作品はすべて美しい嘘である。
(スタンダール『ウォルター・スコットと『クレーヴの奥方』』小林 正訳)

といってもそこにはなんらかの真実がある。
(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラI、井上究一郎訳)

どんな巧妙な嘘にも、真実は含まれている
(A・E・ヴァン・ヴォクト『スラン』10、浅倉久志訳)

このうえなく深い虚偽からかがやくような新しい真実が生まれるにちがいない、
(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川村二郎訳)

それはわたしをどこまで連れ去るのか?
(ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』32、窪田般弥訳)

あらたいへん、ビールを冷やすのを忘れてた。
(イアン・ワトスン『オルガスマシン』第一部、大森 望訳)

サンドイッチ召し上がる?
(ジョン・スラデック『見えないグリーン』10、真野明裕訳)

今日のサンドイッチの具はなに?
(オーエン・コルファー『新銀河ヒッチハイク・ガイド』下・第12章、安原和見訳)

人生を楽しむ秘訣は、細部に注意を払うこと。
(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)

観察の正確さは思考の正確さに相当する。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)

見ることはまったく能動的な──徹底して形成的な──行為なのだ。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

細部こそが、すべて
(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町眞理子訳)

魂は物質を通さずにはわれわれの物質的な眼に現われることがない
(サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳)

et parvis sua vis. 
小さいものにもそれ自身の力あり。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

小さくてつまらないことでも、大きな象徴とおなじように役に立つ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

法則が表現される際の象徴がつまらないものであるほど、それだけいっそう強烈な力を帯び、
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

人びとの記憶のなかでそれだけ永続的なものになる。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

思考はあらゆるものを、利用可能なものに変える。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

卑猥とさえ思えることも、思考の新しい脈絡(みやくらく)で語られると、輝かしいものとなる。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

おそらく認識や知などはすべて、比較、相似に帰せられるだろう。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

語りは比喩でなされるし、人間は比喩そのもので、それ以外のなにものでもない。
(R・A・ラファティ『イースターワインに到着』6、越智道雄訳)

相対的なものに極限はない。
(ポール・ヴァレリー『オリエンテム・ウェルスス』恒川邦夫訳)

われわれ人間は、類似性や対比や関係を見出すことで、自分たちの周囲のものを、
(コニー・ウィリス『航路』下・第II部・承前・34、大森 望訳)

自分が経験したことを、自分自身を理解しようとする。われわれはそれをやめられない。
(コニー・ウィリス『航路』下・第II部・承前・34、大森 望訳)

いたるところに類似を読みとろうとする
(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』第三部・二、三好郁朗訳)

類似が明確であればあるほど、陶酔も一層大きなものとなる。
(ロジェ・カイヨワ『妖精物語からSFへ』第三部・一、三好郁朗訳)

魂には、自己を増大させる比率(ロゴス)がそなわっている。
(『ヘラクレイトス断片』115、廣川洋一訳)

すべてはこのロゴスにしたがって生じている
(『ヘラクレイトス断片』1、廣川洋一訳)

それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。
(岡倉覚三『茶の本』第一章、村岡 博訳))

相対的なものに極限はない。
(ポール・ヴァレリー『オリエンテム・ウェルスス』恒川邦夫訳)

巧みに世界を縮小することが可能であればあるほど、私たちは一層確実に世界を所有する。
(澁澤龍彦『胡桃(くるみ)の中の世界』)

聖テレサが、魚は海に、そして海は魚の中にあると言ったように
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第七部・V、友枝康子訳)

我々の内部にあるものは、やはりつねに我々の外側にもあるんだ。
(トンマーゾ・ランドルフィ『ころころ』米川良夫訳)

個人は全体のなかに生き、全体は個人のなかに生きる。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

抽象的なことを身近な体験に凝縮(ぎようしゆく)することだ。
(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第二部・10、黒丸 尚訳)

ぼくは自分が理解しようと努めていたこと、探し求めていた凝縮を、正確に捉(とら)えようとする。
(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第二部・10、黒丸 尚訳)

本質的に小さなもの。それは芸術家の求めるものよ
(フランク・ハーバート『デューン砂丘の大聖堂』第2巻、矢野 徹訳)

もっといろいろ見たいだろう?
(ロジャー・ゼラズニイ『ドリームマスター』3、浅倉久志訳)

プーははにかんで小さなおちんちんをつかんだ。
(オーガステン・バロウズ『ハサミを持って突っ走る』青野 聰訳)

こんなに小さいのははじめてだ。
(ジョン・ヴァーリイ『ウィザード』下・40、小野田和子御訳)

そうした幸せは、まさしく小さなものであるからこそ存在しているのだ
(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)

芸術において当然栄誉に値するものは、何はさておき勇気である。
(バルザック『従妹ベット』二一、清水 亮訳)

人間とは一体何だろう?
(ミロスラフ・イサコーヴィチ『消失』波津博明訳)

人間がその死性を免れる道は、笑いと絆を通してでしかない。それら二つの大いなる慰め。
(グレゴリイ・ベンフォード『輝く永遠への航海』下・第六部・5、冬川 亘訳)

なぜ二つなんだ?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『異世界の門』7、浅倉久志訳)

その二つはちがうの?
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』囚われびと、深町真理子訳)

同じことさ。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I〔1〕IV、鈴木克昌訳)

同じではない。
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第2巻、矢野 徹訳)

どちらでもいいさ。
(ダン・シモンズ『ハイペリオンの没落』上・第二部・20、酒井昭伸訳)

異なってはいるが本質的には同じ二つの世界
(P・D・ジェイムズ『ある殺意』4、山室まりや訳)

だいじなのはそれだけだ。
(デイヴィッド・B・シルヴァ『兄弟』1、白石 朗訳)

だが、それだけのこと。
(トマス・テッシアー『ブランカ』添野知生訳)

きみはそれを知っている人間のひとりかね?
(ノーマン・マイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

多くの名前が人間の夜をつぶやく
(ウィリアム・バロウズ『爆発した切符』シャッフル・カット、飯田隆昭訳)

魚も泣くことができるのかしら?
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I〔1〕I、鈴木克晶訳)

「ハンカチいるか」類猿人が言った。
(ロバート・ブロック『ノーク博士の謎の島』大瀧啓裕訳)

魚が水をどんな名前で意識するというのだ?
(フレッド・セイバーヘイゲン『ゲーム』浅倉久志訳)

「ハンカチ貸そうか?」と類猿人は言った。
(ロバート・ブロック『ノーク博士の島』伊藤典夫訳)

このハンカチを使えよ、さあ
(ジョン・ベリマン『76 ヘンリーの告白』澤崎順之助訳)

しわくちゃのハンカチ。
(ブライアン・W・オールディス『世界Aの報告』第一部・1、大和田 始訳)

宇宙は小さなハンカチでしかなかった。
(ブライアン・W・オールディス『ああ、わが麗しの月よ!』浅倉久志訳)

なんのための芸術か?
(ホフマンスタール『一人の死者の影が……』川村二郎訳)

作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)

言葉以外の何を使って、嫌悪する世界を消しさり、愛しうる世界を創りだせるというのか?
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

あらゆる表現は対比的なもののなかにおかれ、自由に結合することが、詩人を無制約なものにする。
(ノヴァーリス『断章と研究799-1800』[705]、今泉文子訳)

文体とは、まさに作家の思考が、現実に対して加える変形のしるしです。
(プルースト『サント=ブーヴに反論する』サント・ブーヴとバルザック、出口裕弘・吉川一義訳)

芸術家の技芸(わざ)とは、自分の道具をあらゆるものにあてがい、世界を自分流に写しとる能力にほかならない。
(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』二、今泉文子訳)

優れた詩のように
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』2、友枝康子訳)

詩人というものは、
(ジャック・ヴァンス『愛の宮殿』8、浅倉久志訳)

他の人の人生に意味を与える
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』レサマ=リマ、安藤哲行訳)

ばかばかしい
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』5、宇佐川晶子訳)

くだらない人生だけどね、
(ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓 直訳)

詩人の人生なんてのは糞溜めみたいなもんなんだよ
(チャールズ・ブコウスキー『詩人の人生なんてろくでもない』青野 聰訳)

数えきれない詩を書いているんだよ。
(フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『手から口へ』大瀧啓裕訳)

書くことによって時間を現実のものとする
(グレゴリイ・ベンフォード『ミー/デイズ』大野万紀訳)

場所を
(デイヴィッド・ブリン『有意水準の石』中原尚哉訳)

出来事を
(マイクル・スワンウィック『大潮の道』14、小川 隆訳)

自分の感情を
(ゴア・ヴィダール『マイラ』30、永井 淳訳)

意識が連続性を保とうとするのは自然なことよ。
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面12、嶋田洋一訳)

どんな人間の言葉も真実ではない。
(ペール・ラーゲルクヴィスト『星空の下で』山室 静訳)

ぼくだってどこに真実があるかなんて知っちゃいないさ。
(コルターサル『石蹴り遊び』41、土岐恒二訳)

そも人間の愛にそれほど真実がこもっているのだろうか。
(エミリ・ブロンテ『いざ、ともに歩もう』松村達雄訳)

言葉は虚偽だ。
(ヴァージニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

詩は優雅で空虚な欺瞞だった。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』4、友枝康子訳)

で、
(ジョン・ヴァーリイ『ブルー・シャンペン』浅倉久志訳)

なんの夢を見てたの?
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』30、金子 司訳)

幸福な歳月は失われた歳月である、
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、井上究一郎訳)

本当の楽園とは失われた楽園にほかならないからだ。
(プルースト『失われた時を求めて』第七篇・見出された時、鈴木道彦訳)

愛の訪れは、こうまで長い年月を待たねばならぬものか。
(ウィリアム・ピーター・ブラッティ『エクソシスト』II・1、宇野利泰訳)

すべては失われたものの中にある。
(アンナ・カヴァン『失われたものの間で』千葉 薫訳)

すべてが記憶されていたのか?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)

記憶はあらゆる場所にある。
(ウィリアム・ギブスン原案・テリー・ビッスン作『J・M』8、嶋田洋一訳)

時と場所も、失われたもののひとつだ。
(アンナ・カヴァン『失われたものの間で』千葉 薫訳)

思い出された事実には重要なことなど何もない、大切なのは思い出すという行為それ自体なのだ。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

で、彼を愛してた?
(ジョン・ヴァーリイ『ブルー・シャンペン』浅倉久志訳)

幸せだったのだろうか?
(サバト『英雄たちと墓』第I部・20、安藤哲行訳)

信行のことを思った。
(志賀直哉『暗夜行路』第一・二)

夢のひとつさ。
(アダム=トロイ・カストロ&ジェリイ・オルション『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』浅倉久志訳)

思い出の恋ほどすばらしいものもない
(アルジス・バドリス『アメリカ鉄仮面』第九章、仁賀克雄訳)

今でもきみのことを夢に見るよ。
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』3、内田昌之訳)

幸せな苦痛だった、いまでもそうだ、
(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第三幕・第四場、石川重俊訳)

忘れたことなんかないさ。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『リバイアサン』第三部・16、友枝康子訳)

この苦しみは、いったいいつまで続くのか?
(アンナ・カヴァン『召喚』山田和子訳)

夢で
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』22、岡部宏之訳)

きみはまた、ぼくに会うことになる
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』4、友枝康子訳)

潜在意識の定義は、きみの一部分が、意識的思考の意志作用なしに決定をくだすことにある。
(ジョン・ヴァーリイ『スチール・ビーチ』下・第二部・16、矢野 徹訳)

韻律とは何か?
(ディラン・トマス『黄昏の明かりに祭壇のごとく』IV、松田幸雄訳)

きみは韻をふんでいる。言葉が韻をふむというのがどういうことかわかっているかい?
(トマス・M・ディッシュ『M・D』上・第一部・12、松本剛史訳)

リズムはわれわれのあらゆる創造の泉である。
(パス『弓と竪琴』詩・リズム、牛島信明訳)

運動は一切の生命の源である。
(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』「繪の本」から、杉浦明平訳)

くりかえすことによって、ある種の真実を作り出せる
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第1巻、矢野 徹訳)

詩行の響きが意味と重なる
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・6、御輿哲也訳)

シラブルの一つ一つが鼓動だった。
(ルーシャス・シェパード『ジャガー・ハンター』小川 隆訳)

経験や行為は場面や戦慄となって表現されるのである。
(オリバー・サックス『妻を帽子とまちがえた男』第三部・15、高見幸郎・金沢泰子訳)

しかし、セックスでないとすれば、いったいなんのことをいってるんだろう?
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・49、酒井昭伸訳)

おもしろいものを見せてあげようか?
(ジョン・ヴァーリイ『ブルー・シャンペン』浅倉久志訳)

ちんこかい?
(バルガス=リョサ『子犬たち』I、鈴木恵子訳)

触っちゃだめよ、見るだけ。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第二部・5、青木久恵訳)

オマンコしたいの?
(レイ・ガートン『ライヴ・ガールズ』9、風間賢二訳)

さわったら、殺すわよ
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

なぜ、こんなことになっちゃったのかな?
(ジョー・ホールドマン『終りなき戦い』マンデラ二等兵、風見 潤訳)

ぼくはね、とりつかれているんだ。なにかにとりつかれているみたいだよ
(H・G・ウェルズ『くぐり戸の中』浜野 輝訳)

セックスは好きかい?
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・8、小川 隆訳)

セックスはつねに尽きることなく、少しも飽きることがない。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』9、友枝康子訳)

この一瞬一瞬のよろこび
(リチャード・マシスン『縮みゆく人間』12、吉田誠一訳)

あらゆる瞬間が幻覚(ヴイジヨン)だ
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第3巻、矢野 徹訳)

楽しんだかい?
(ノーマン・スピンラッド『はざまの世界』9、久保智洋訳)

人間が真実の相において愛することができるのは、自分自身なのであり
(三島由紀夫『告白するなかれ』)

愛とはそれを媒体としてごくたまに自分自身を享受することのできる一つの感情にすぎない。
(E・M・フォースター『モーリス』第四部・44、片岡しのぶ訳)

真の原動力とは、快楽なのだよ
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第三部・50、酒井昭伸訳)

事物を離れて観念はない
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・巨人の輪郭・I、沢崎順之助訳)

重要なのは経験だ。
(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶訳)

経験は避けるのが困難なものである。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』上・15、岡部宏之訳)

人生のあらゆる瞬間はかならずなにかを物語っている、
(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)

すべての経験はわたしという存在の一部になるのだから
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』 11、岡部宏之訳)

新しさというものは、過去の残(ざん)滓(し)からだけしか組み立てることができないのである。
(J・G・バラード『燃える世界』第二部・8、中村保男訳)

あらゆるものがあらゆるものとともにある
(ホルヘ・ギリェン『ローマの猫』荒井正道訳)

言葉同士がぶつかり、くっつきあう。
(ルーディ・ラッカー『ホワイト・ライト』第四部・22、黒丸 尚訳)

新しい関係のひとつひとつが新しい言葉だ。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

レサマは「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ。」とぼくに言った。
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』通りで、安藤哲行訳)

われわれのかかわりを持つものすべてが、すべてわれわれに向かって道を説く。
(エマソン『自然』五、酒本雅之訳)

あらゆるものが、たとえどんなにつまらないものであろうと、あらゆるものへの入口だ。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第3部・20、嶋田洋一訳)

思考はあらゆるものを、利用可能なものに変える。
(エマソン『詩人』酒本雅之訳)

運命とは偶然に他ならないのではないか?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』下・48、岡部宏之訳)

だれもが自分は自由だと思っとるかもしれん。しかし、だれの人生も、たまたま知りあった人たち、
(コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)

たまたま居合わせた場所、たまたまでくわした仕事や趣味で作りあげられていく。
(コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)

すべては同じようにはかなく移ろいやすいものだ。少なくともそのために、束の間のものを普遍化するために書く。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・四、安藤哲行訳)

たぶん、それは愛。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・四、安藤哲行訳)

ぼくにとってこれが人生のすべてだった。
(グレッグ・イーガン『ディアスポラ』第三部・8、山岸 真訳)

人間であることは、たいへんむずかしい
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

人間であることはじつに困難だよ、
(マルロー『希望』第二編・第一部・7、小松 清訳)

もしかすると、きみがこうしていることが、この宇宙に実質と生命力を与えているのかもしれない。
(バリー・N・マルツバーグ『ローマという名の島宇宙』10、浅倉久志訳)

ことによると、きみが(、、、)宇宙なのかもしれない。
(バリー・N・マルツバーグ『ローマという名の島宇宙』10、浅倉久志訳)

「困難なことが魅力的なのは」とチョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまうからだよ」
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』1、三田村 裕訳)

きみの苦しみが宇宙に目的を与えているのかもしれないよ
(バリー・N・マルツバーグ『ローマという名の島宇宙』10、浅倉久志訳)

心のなかに起っているものをめったに知ることはできない
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第三部・10、山西英一訳)

ある場所、ある時間、ある不思議な類似性、ある錯誤、なんらかの偶然を介して、最も異質なもの同士が遭遇する。
(ノヴァーリス『断章と研究 1799-1800』[559]、今泉文子訳)

あなたの潜在意識よ、ミューシャ! なにかの記憶だったのよ!
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『最後の午後に』浅倉久志訳)

すべての真の詩、すべての真の芸術の起源は無意識にある。
(コリン・ウィルソン『ユング』4、安田一郎訳)

そしてこれから、それらが新鮮で、活気があり、「驚嘆」すべき性質をもっていることが説明される。
(コリン・ウィルソン『ユング』4、安田一郎訳)

詩というのは
(J・L・ボルヘス『月』鼓 直訳)

無意識世界の無意識の象徴だ
(J・G・バラード『地球帰還の問題』永井 淳訳)

隠れている背後の自己のほうがもっと驚かす
(エミリ・ディキンスン『作品六七〇番』新倉俊一訳)

驚きあってこその人生ではないか。
(デイヴィッド・ブリン『スタータイド・ライジング』上・第三部・32、酒井昭伸訳)

きみの中で眠っていたもの、潜んでいたもののすべてが現われるのだよ。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

意識的に受け入れたわけでもないつながりを、自分自身の中にもってるからなのよ
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

芸術は意識と無意識の結婚なのだ。
(ジャン・コクトー『ライターズ・アット・ワーク』より、村岡和子訳)

ああ、意味と無意味が入り混じっている!
(シェイクスピア『リア王』第四幕・第六場、野島秀勝訳)

このすべてに、どんな意味があるのだろう?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『飛翔せよ、遙かなる空へ』下・47、岡部宏之訳)

コーヒーのことを、すっかり忘れていた。
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』19、船戸牧子訳)

もっとコーヒーを飲むかい?
(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』17、仁賀克雄訳)

名前は何といったっけ?
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』6、岡部宏之訳)

なんて名前だったっけ?
(テリー・ビッスン『赤い惑星への航海』第一部・1、中村 融訳)

名前なんかどうでもいい
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』6、鈴木 晶訳)

名前なんてのは、忘れられるものだ。
(ニールス・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』上・23、日暮雅通訳)

なぜ名前をもっていなくちゃいけないと思うのだね?
(ダグラス・アダムズ『宇宙の果てのレストラン』29、風見 潤訳)

名前は
(フィリップ・ホセ・ファーマー『デイワールド』35、大西 憲訳)

名前は忘れてしまったけれど
(ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓 直訳)

名前のない体験のなり止(や)まぬのはなぜだらう
(伊東静雄『田舎道』)

名前っていったい何なのか?
(シェイクスピア『ロミオとジューリエット』第二幕・第二場、平井正穂訳)

その名が何を意味するか
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第二問・第二項、山田 晶訳)

いくつもの名前が
(レイ・ブラッドベリ『浅黒い顔、金色の目』一ノ瀬直二訳)

顔になる。
(アーサー・ポージズ『ビーグルの鼻』吉田誠一訳)

幾百もの顔。
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』第一部・2、黒丸 尚訳)

無数の名前
(イタロ・カルヴィーノ『見えない都市』I 都市と記号1、米川良夫訳)

どれもが千の顔のひとつであり、二度と見ることはない。
(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)

花は愛だったのに……
(J・ティプトリー・ジュニア『故郷へ歩いた男』伊藤典夫訳)

花から花へ
(テニスン『イン・メモリアム』22、入江直祐訳)

人間の約束
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』9、藤井かよ訳)

それは夢で
(ストルガツキー兄弟『神様はつらい』4、太田多耕訳)

それは夢で
(ストルガツキー兄弟『神様はつらい』4、太田多耕訳)

花はなかったし
(紫 式部『源氏物語』東屋、与謝野晶子訳)

バスもなかった。
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』7・2、小泉喜美子訳)

何もない。
(アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』1、高橋泰邦訳)

決してあったことのない記憶、頭の外にはなかったものだ。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット諸君を求む』12、那岐 大訳)

恋愛なんて取るに足らない行為ですよ。際限なく繰り返すことができるんですからね。
(アルフレッド・ジャリ『超男性』I、澁澤龍彦訳)

風景はなぜ立止つてくれないのだらう。
(金子光春『わが生に与ふ』四)

バスはゆっくりと走り去っていった。
(ウォルター・M・ミラー・ジュニア『帰郷』深町真理子訳)

いつの日か、わたしたちはみな、いまはただの夢でしかないものになるだろう。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

夢は現われるべくしてあらわれ、人間は現われた一つの夢だ。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上巻・11、宮西豊逸訳)

人生というものは閃光の上に築かなければならないものだということを僕は知っていた。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』9、菅野昭正訳)

偽りを許さない何か
(ロバート・F・ヤング『魔法の窓』伊藤典夫訳)

あの何か間違ってはいないものの響き、ずっと昔に起こった何かの経験、正しく光り輝くものであったことの?
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』10、矢野 徹訳)

人生は土壇場でできている。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第四章、榊原晃三・南條郁子訳)

人生は一瞬一瞬が崖っぷちなんだからね、
(ロバート・ルイス・スティーヴンソン『マークハイム』龍口直太郎訳)

それらが置き換えられる
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・〔1〕・III、鈴木克昌訳)

閉じた宇宙では、すでにあるものを並べなおすことしかできない。
(グレッグ・イーガン『プランク・ダイブ』山岸 真訳)

すると、これさえも新しい経験ではないのだ。
(グレゴリイ・ベンフォード『光の潮流』下・エピローグ、山高 昭訳)

われわれは、しばしこの世にとどまり、しかしてのち去る。
(ロバート・シルヴァーバーグ『我ら死者とともに生まれる』4、佐藤高子訳)

ここにもまた一つの思い出がある。
(ネルヴァル『火の娘たち』シルヴィ・七、入沢康夫訳)

それは君自身の記憶かね?
(アリアードナ・グロモワ『自己との決闘』草柳種雄訳)

ほかになにがあると思ってるんだい?
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

思い出の恋ほどすばらしいものもない
(アルジス・バドリス『アメリカ鉄仮面』第九章、仁賀克雄訳)

あれもまた、夢だったのだろうか。
(ダン・シモンズ『ハイペリオンの没落』上・第一部・14、酒井昭伸訳)

人は人を愛するというのではなく、むしろ、人が愛するのは夢で、
(シオドア・スタージョン『火星人と脳なし』霜島義明訳)

その夢に近い相手に出会う幸運な者もいる、というのが真実ではないのだろうか。
(シオドア・スタージョン『火星人と脳なし』霜島義明訳)

同時にあらゆる場所に存在する
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

もうひとつの昨日にいるのかもしれない。
(ジェラルド・カーシュ『ブライトンの怪物』吉村満美子訳)

同じ夢を見ていたのだろうか?
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』8、堤 康徳訳)

夢を見ているんだろうな。きみと同じだ。ほら、愛しい人。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』26、市田 泉訳)

この夢から醒めることは、またこの夢のなかにとびこむことだ、
(シオドア・スタージョン『コスミック・レイプ』19、鈴木 晶訳)

過去もそうだったし、今もそうだ。
(P・D・ジェイムズ『死の味』第五部・7、青木久恵訳)

夢はいつまでもつきまとう。
(シオドア・スタージョン『火星人と脳なし』霜島義明訳)

いつまでも、いつまでも、いつまでも、
(シェイクスピア『リア王』第五幕・第三場、斎藤 勇訳)

ぼくが夢に見るからだ
(ダン・シモンズ『ハイペリオンの没落』上・第一部・6、酒井昭伸訳)

現実を
(ハンス・エゴン・ホルトゥーゼン『詩についての試み』生野幸吉訳)

夢が
(イアン・ワトスン&ロベルト・グロリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

夢みているのだ、
(ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』第一部・いかだの下、高本研一訳)

事物を
(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・巨人の輪郭・I、沢崎順之助訳)

他者を
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

ぼくのことを
(フエンテス『脱皮』内田吉彦訳)

夢はかなうのよ。
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』13、川副智子訳)

夢が現実をつくるんじゃないかい?
(イアン・ワトスン&ロベルト・グロリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

逆もまた真なりよ。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』1、市田 泉訳)

夢じゃない。
(ウィリアム・バートン『サターン時代』中村 融訳)

それは夢ではなかったのだよ
(ストルガツキー兄弟『神様はつらい』4、太田多耕訳)

そして、ぼくは? ぼくは
(ロジャー・ゼラズニイ『混沌の迷宮』10、岡部宏之訳)

あらゆる夢を覚えている。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』4、岡部宏之訳)

夢のなかの夢
(J・L・ボルヘス『グアヤキル』鼓 直訳)

記憶の記憶の記憶。
(オースン・スコット・カード『神の熱い眠り』2、大森 望訳)

偽装の中の偽装の中の偽装の中の偽装……
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

人間よ、この行きて帰らぬ忘却よ
(アドリアン・ロゴス『確率神の祭壇』(住谷春也訳)に引用されていたイオン・バルブの言葉)

枝にかへらぬ花々よ。
(金子光春『わが生に与ふ』二)

濡れた黒い枝の先の花びらなどなし
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』7、黒丸 尚訳)

濡れた黒い枝の先の花びらなどなし
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』7、黒丸 尚訳)


WHOLE LOTTA LOVE。

  田中宏輔



『詩人の素顔』という本を買った。
シルヴィア・プラスのことは
ガスオーヴンに、頭を突っ込んで死んだ詩人
ってことぐらいしか、知らなかったけど
読んでみたいと思った。
死に方にも、いろいろあるんだろうけど
もっと、違ったやり方があるんじゃないの?
って、ずっと前から、思ってて。
特別価格100円だった。
上からセロテープで貼り付けた
100円の値札をはがすと、300円の値札が
その300円の値札をはがすと、900円の値札が付いていた。
もともと、1850円(本体価格1796円)だった本が
古本屋さんだと、100円になる。
でも、シルヴィアさん
自分が、100円で売られてたの知ったら
また、ガスオーヴンに
頭、突っ込んじゃうかもしんないね。
ぼくが中学生か、高校生だったころ
横溝正史が流行ってた。
いや、流行ってたってもんじゃなくって
大大大流行って感じ。
もちろん、金田一耕助シリーズね。
まわりの友だちなんか
みんな、ほとんど、読んでたと思う。
大学生のころは、赤川次郎だった。
赤川次郎の小説のひとつに
シュウ酸で自殺した男の話があった。
コーヒーに入れて飲んだと書いてあった。
すっごく、すっぱくて
そのままじゃ、とても飲めないからって。
ぼくのいた研究室にも
シュウ酸があった。
酸といっても
粒状のさらさらした結晶体で
薬さじにとって
ほんのすこし、なめてみた。
めちゃくちゃ、すっぱかった。
何度も、つばといっしょに、ぺっぺ、ぺっぺした。
ショ糖に混ぜて、1:100とか
1:200とかの比にして、なめてみたけど
すっぱさは、ほとんど変わらなかった。
どう考えても、赤川次郎の小説は、嘘だと思った。
で、薬局に行って、カプセルを買ってきて
そのなかに、シュウ酸を入れてのむことにした。
(これって、学生時代のことで
 致死量の何倍、計量したか、忘れちゃった。)
わりと大きめのカプセルだったけど
5個ぐらいのんだと思う。
コーヒー牛乳でのんだ。
(紙パック入りのね。あの四角いやつ。)
しばらくすると、胃のあたりが、すっごく痛くなって
ゲボゲボもどした。
忘れ物をとりに戻った先輩が
(もうとっくに帰ったと思ってたんだけど)
ゲボゲボもどしてるぼくを見て
タクシーで、救急病院に運んでくれた。
牛乳で胃洗浄。
鼻から透明の塩化ビニールチューブを入れられて。
診察台のうえで、ゲボゲボ吐きもどしてるぼくを見下ろして
看護婦さんが、「キタナイワネ。」って言ったこと、おぼえてる。
あのときは、ひどいこと言うなあ、って思った。
いじめ問題の解決方法を考えた。
日替わりで、いじめる人を決めて
クラスのみんなで、いじめるんだ。
毎日、いじめられる人が替わることになる。
そしたら、みんな、手加減するだろうし
(そのうち、自分の順番がくるんだもんね。)
それほどひどいことにはなんないと思う。
だって、いじめたい気持ちって
だれだって、ぜったい持ってんだもんね。
レイモンド・カーヴァーだったかな。
それとも、リチャード・ブローティガンだったかな。
たぶん、カーヴァーだったと思うけど
インタビューか、なんかで
自殺してはいけないよ、って言ってたのは。
世界にまだ美しいものがあるかぎり
って。
ん?
あ、
ブローティガンだったかな。
友だちのタクちゃんちは
ぼくんちと同じくらい複雑な家庭環境だけど
自殺するなんて、考えたこともない、って言ってた。
そのタクちゃんが、このあいだ、引っ越すことになって
ぼくも手伝ってあげた。
引っ越し先のマンションの壁に
「空(くう)あります。」って看板が掲げてあって
これ、何だろ、って訊くと
ぼくのこと、バカにしたような感じで
「空室ありますよ、ってことでしょ。」
って言って、教えてくれた。
ぼくは、ぼくの目のなかで
「空(くう)」と「あります」のあいだに読点を入れて
「空(そら)、あります。」って読んでみた。
「空(そら)、あります。」だったらいいな
って、思った。






*ぼくは、マジに、「空(あき)あります。」を「空(くう)あります。」って読んでいました。
この作品を同人誌に発表した後、女性の詩人の方に教えていただきました。
すんごい世間知らずですよね。っていうか、ほんとに、バカ。バカ、バカ、バカ。


陽の埋葬

  田中宏輔



真夜中、夜に目が覚めた。
水の滴り落ちる音がしている。
入り口近くの洗面台からだ。
足をおろして、スリッパをひっかけた。
亜麻色の弱い光のなか、
わたしの目は
(鏡に映った)わたしの目に怯えた。
いくら力を入れて締めても(しめ、ても)
滴り落ちる水音はやまなかった。
ドア・ノブに手をかけて廻してみた。
扉が開いた。
いつもなら、ちゃんと鍵がかかっているのに……
廊下の方は、さらに暗かった。
きょうは、なんだか変だ。
患者たちの呻き声や叫び声が聞こえてこない。
すすり泣く声さえ聞こえてこなかった。
隣室の扉を開けてみた。
ここもまた、鍵がかかってなかった。
わたしの部屋と同じ、
ベッドのほかは、なにもなかった。
ひともいなかった。
ただ、ベッドのうえに
大判の本が置いてあるだけだった。
写真集のようだった。
表紙は、後ろ手に縛られた裸の少女。
少女の顔は、緊張した面持ちで青褪めていた。
ページをめくってみた。
一匹の大蛇が、
少女の頭を呑み込んでいるところだった。
さらにページをめくってみた。
めくるごとに、少女の身体は、
大蛇の顎(あぎと)に深く
深く呑み込まれていった。
最後のページは
少女を丸呑みした大蛇の腹を撮った写真だった。
わたしは、本を開いたまま自慰をした。
(かさかさ)
足下で、なにか小さなものが動いた。
それは、写真のなかの少女だった。
彼女は、わたしの腕ほどの大きさしかなかった。
逃げ去るようにして、少女は部屋から出ていった。
わたしは本を置いて、彼女の姿を追った。
隣室の扉が開いていた。
入ってみた。
やはり、ここも、わたしの部屋と同じだった。
ベッドしかなかった。
いや、そのうえに、あの裸の少女が寝ていた。
と、思ったら、
それは、波になったシーツの影だった。
(かさかさ)
振り返ると、
さきほどの少女が
半開きの扉の間を走り抜けていった。
廊下に出て、隣室の扉を開けると
あの写真で見た部屋だった。
部屋の真ん中に、木でできた椅子があって
そのうえに人形のように小さな少女が立っていた。
あの写真と同じように、裸のまま後ろ手に縛られて。

わたしは、少女を、頭からゆっくりと、呑み込んで、いった。


YOU TAKE MY BREATH AWAY。

  田中宏輔



書き止めておいた、メモの切れっぱしが見つかった。
(ガルシア=マルケス『族長の秋』鼓 直訳)

これは詩になるな
(ウィル・ワーシントン『プレニチュード』井上一夫訳)

まだ、詩を作っているの?
(リルケ『ミュンヘンにて』一、水野忠敏訳)

もちろんさ。
(アイザック・アシモフ『ミクロの決死圏』5、高橋泰邦訳)

引用?
(ジョセフィン・テイ『時の娘』3、小泉喜美子訳)

引用さ
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』知らずして御(み)使(つか)いを舎(やど)したり、宇佐川晶子訳)

すでにあるものを並べなおす
(グレッグ・イーガン『プランク・ダイブ』山岸 真訳)

それだけだよ。
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』月のシャドウ、宇佐川晶子訳)

それでも、それは美しい。
(ポール・プロイス『破局のシンメトリー』一年後、小川 黎訳)

そうではないか?
(ポール・プロイス『破局のシンメトリー』一年後、小川 黎訳)

どれも
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

引用しただけさ。
(アイザック・アシモフ『信念』伊藤典夫訳)

引用だけで
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・10、小川 隆訳)

コラージュを作っていた
(P・D・ジェイムズ『正義』第三部・37、青木久恵訳)

詩さ、詩だ、すべてが詩なんだ。
(ジャック・ケルアック『地下街の人びと』真崎義博訳)

数えきれない詩を書いているんだよ。
(フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『手から口へ』大瀧啓裕訳)

彼女は、眉をひそめて、その詩を眺めた。
(グレゴリイ・ベンフォード&デイヴィッド・ブリン『彗星の核へ』上・第二部、山高 昭訳)

あら、これは詩じゃないわよ。韻を踏んでないもの。
(P・D・ジェイムズ『神学校の死』第一部・3、青木久恵訳)

単なる言葉の遊びでしょう?
(ジョセフィン・テイ『時の娘』13、小泉喜美子訳)

これは違う種類の詩なんだ
(P・D・ジェイムズ『神学校の死』第一部・3、青木久恵訳)

一種の無韻詩ね。
(ジョセフィン・テイ『時の娘』13、小泉喜美子訳)

実験詩だ。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)

現代詩
(ティム・パワーズ『アヌビスの門』上・第四章、大伴墨人訳)

ちょっとした暇つぶし
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

ただの遊びだよ。
(パオロ・バチガルピ『第六ポンプ』中原尚哉訳)

つまらんものばかりさ。
(ブレッド・ハート『盗まれた葉巻入れ』中川裕朗訳)

ただ楽しみのためだけ。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

意味はないよ。
(グレゴリイ・ベンフォード『時の迷宮』上・第二部・8、山高 昭訳)

頭の体操なのだ。
(パオロ・バチガルピ『ねじまき少女』下・28、田中一江・金子 浩訳)

あはん。
(ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』11、浅倉久志訳)

なにそれ?
(グレゴリイ・ベンフォード『輝く永遠(とわ)への航海』上・3、冬川 亘訳)

ばかげた詩。
(ジョージ・R・R・マーティン『子供たちの肖像』中村 融訳)

軟弱ねえ。
(ジョン・ヴァーリイ『ミレニアム』15、風見 潤訳)

人生をだいなしにしてるわ。
(フィリップ・K・ディック『ブラッドマネー博士』9、阿部重夫・阿部啓子訳)

わたしには、ちんぷんかんぷんだわ
(ジェイムズ・ブリッシュ『暗黒大陸の怪異』I、中村保男訳)

詩集を出したってのは本当なの?
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』1、大社淑子訳)

ああ、
(シェイクスピア『ヘンリー四世 第一部』第三幕・第一場、中野好夫訳)

ばかにされてる感じがする?
(パット・キャディガン『汚れ仕事』小梨 直訳)

詩人がなんの役に立つ?
(ロバート・シルヴァーバーグ『生と死の支配者』1、宇佐川晶子訳)

芸術はなんの役にたつ?
(マラマッド『最後のモヒカン族』加島祥造訳)

詩なんてものはね、だれも読まないの
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』上・詩人の物語、酒井昭伸訳)

だれも知らないよ。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』下・探偵の物語、酒井昭伸訳)

そいつのどこがいけないっていうんだ?
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』2、内田昌之訳)

詩には意味なんかないよ。詩は詩なんだ!
(マイク・レズニック『一角獣をさがせ!』8、佐藤ひろみ訳)

それ自体は意味はないものさ。
(R・A・ハインライン『異星の客』第三部・31、井上一夫訳)

無意味なものに意味をもたせてなんになる?
(オースン・スコット・カード『ゼノサイド』下・15、田中一江訳)

何でもない
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・3、御輿哲也訳)

まったく異質なもの同士を組み合わせてみるのが楽しみだった。
(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』一、今泉文子訳)

詩人ってなんだか知ってるかい?
(シルヴィア・プラス『ベル・ジャー』5、青柳祐美子訳)

言葉のコレクターなのだよ。
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』12、沼野充義訳)

言葉、言葉、言葉。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

言葉とはなにか?
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』オールド・ドクターを二度呼べ、飯田隆昭訳)

詩人にとって、詩は限定された道具の制約をうけているがゆえに、芸術となるのだ。
(ノヴァーリス『青い花』第一部・第八章、青山隆夫訳)

体験したことのない人生を体験し、経験しなかったことを経験できる
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十一回の旅、深見 弾訳)

言葉とはなにか?
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』オールド・ドクターを二度呼べ、飯田隆昭訳)

言葉、言葉、言葉。
(シェイクスピア『ハムレット』第二幕・第二場、野島秀勝訳)

体験したことのない人生を体験し、経験しなかったことを経験できる
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十一回の旅、深見 弾訳)

言葉とはなにか?
(ウィリアム・S・バロウズ『爆発した切符』オールド・ドクターを二度呼べ、飯田隆昭訳)

ぼくが語りそしてぼくが知らぬそのことがぼくを解放する。
(ジャック・デュパン『蘚苔類』3、多田智満子訳)

もう詩を書く必要はないんだ──ぼくはいま詩を生きている。
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十八章、浅井 修訳)

そう、
(タビサ・キング『スモール・ワールド』8、みき 遙訳)

それで、幸せなの?
(クリフォード・D・シマック『法王計画』16、美濃 透訳)

幸せ? それはわからない。
(クリフォード・D・シマック『法王計画』16、美濃 透訳)

幸せだったのだろうか?
(サバト『英雄たちと墓』第I部・20、安藤哲行訳)

たいした詩人ですこと
(オースン・スコット・カード『死者の代弁者』1、塚本淳二訳)

わたしの人生もそんな単純だったらいいのに。
(チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』空間的地平線、金子 浩訳)

さて、
(ウィリアム・S・バロウズ『シティ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第二部、飯田隆昭訳)

どうだろう、
(J・ティプトリー・ジュニア『大きいけれども遊び好き』伊藤典夫訳)

きみはだれに、何になるのかね?
(ゴア・ヴィダール『マイラ』33、永井 淳訳)

いま書いている詩、聞いてみたくない?
(オーガステン・バロウズ『ハサミを持って突っ走る』青野 聰訳)

その必要はないわ。
(クリストファー・プリースト『スペース・マシン』6・4、中村保男訳)

あの雲をごらんよ
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第一部・4、小木曽絢子訳)

雲が動いているのを見て
(プイグ『赤い唇』第九回、野谷文昭訳)

あの白いフワフワしたやつ
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』40、峰岸 久訳)

目を離したら、雲の様子を正確に形容できない
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』2、黒丸 尚訳)

一片一片が瞬間ごとにおのおのべつの動きをする。
(モンテーニュ『エセー』第II巻・第1章、荒木昭太郎訳)

一瞬一瞬をさまざまな消息を経ながら新たに生きている。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』16、友枝康子訳)

おのおのの瞬間は、それにつづく他の瞬間を導くためにのみ、あらわれる。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

一つ一つの動きが次の動きにつながっていく。
(ロジャー・ゼラズニイ『ユニコーンの徴(しるし)』3、岡部宏之訳)

その動作それ自体が詩であり
(ブライアン・W・オールディス『中国的世界観』12、増田まもる訳)

あらゆる動きが永劫を暗示している。
(ボブ・ショウ『メデューサの子ら』14、菊地秀行訳)

大切なのは活発に動くことだ。
(D・J・コンプトン『人生ゲーム』2、斎藤数衛訳)

留まることは死ぬこと。流れていくことは生きること。
(グレゴリイ・バンフォード『時空と大河のほとり』大野万紀訳)

誰にも永遠を手にする権利はない。
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

だが、ぼくたちの行為の一つ一つが永遠を求める
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

あらゆるものがなんとあふれんばかりに戻ってくることか──
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・24、増田まもる訳)

何十年も前のさまざまな記憶の断片、昔の顔や昔の情感が、
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・24、増田まもる訳)

いま、詩となるのだ。
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・24、増田まもる訳)

魂の流出は、幸福である、ここには幸福がある、
(ホイットマン『大道の歌』8、木島 始訳)

しかも、これには際限がなかった。
(ジョン・クロウリー『リトル、ビッグ』I・〔2〕・I、鈴木克昌訳)

雲がむくむくと形を変え、
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

日の光が断続的に野原を走り、屋根や窓に反射する。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

それは美しい。
(ポール・プロイス『破局のシンメトリー』一年後、小川 黎訳)

あの雲をごらんよ
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第一部・4、小木曽絢子訳)

ウサギがいるよ。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『魔法の眼鏡』第三章、中村 融訳)

ウサギは時間のない現在に入りこみ、その目は大きく見ひらかれて、われは存在するというものとなる。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・11、宮西豊逸訳)

実在のものも架空のものも
(ジェラルド・カーシュ『ブライトンの怪物』吉村満美子訳)

兎は何百といる。
(ケリー・リンク『石の動物』柴田元幸訳)

森からの幾百もの顔。
(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』第一部・2、黒丸 尚訳)

顔、顔、顔。
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第二巻、矢野 徹訳)

空間がさまざまな顔で満たされるのだ。
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』48、澤崎順之助訳)

雲がむくむくと形を変え、
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

空はまた奥深くなり、ひろびろと視線をあそばせてくれる。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』 17、住谷春也訳)

観察の正確さは思考の正確さに相当する。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)

一インチでも距離をおくと百マイルも遠ざかってしまうということもあるのだ
(D・G・コンプトン『人生ゲーム』9、斎藤数衛訳)

見ようとしているものが何だかわかったとたんに、
(シオドア・スタージョン『神々の相克』村上実子訳)

見えなかったものがはっきり見えてくるといった、視覚の不思議な現象がある。
(シオドア・スタージョン『神々の相克』村上実子訳)

見たいと思うものが見える
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』上・第一部・5、小木曽絢子訳)

実在した光景であり、同時に実在しなかった光景でもあった。
(スタニスワフ・レム『星からの帰還』6、吉上昭三訳)

存在の確かさ
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第七部・V、友枝康子訳)

具体的な形はわれわれがつくりだす
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』25、三田村 裕訳)

考えたことがすぐに形をとるのだ。
(ロバート・ブロック『クライム・マシン』佐柳ゆかり訳)

解読するとは生みだすこと
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・71、土岐恒二訳)

自分の作り出すものであって初めて見えもする。
(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳)

見ることはまったく能動的な──徹底して形成的な──行為なのだ。
(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)

だが、
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

どんなものも、くりかえされれば月並みになる、
(R・A・ラファティ『スナッフルズ』1、浅倉久志訳)

どんなに美しい風景でも、しばらくすると飽きてしまうからだ。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーバードリーム』5、増田まもる訳)

散り散りになった雲の切れっぱしが流れていった。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

どうしてあれがわたしでありえよう。
(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』27、澤崎順之助訳)

ぼくは自分が視るものに自分を視る
(オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)

イメージのないところに苦痛もない──。
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急報』中国人の洗濯屋、諏訪 優訳)

「この白さに──」と孟子は言った
(エズラ・パウンド『詩篇』第八十篇、新倉俊一訳)

「この白さになにが加えられるだろうか」
(エズラ・パウンド『詩篇』第八十篇、新倉俊一訳)

その白さにどんな白さを加えられようか
(エズラ・パウンド『詩篇』第七十四篇、新倉俊一訳)

更に多くの「空白」?
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』上・&、志村正雄訳)

その言葉そのものに?
(サミュエル・R・ディレーニイ『バベル-17』第一部・2、岡部宏之訳)

白さと白とを区別すること
(リルケ『あの墓碑以上のことを……』高安国世訳)

言葉はすべてに違う意味合いをもちこむ
(J・G・バラード『ハイ‐ライズ』13、村上博基訳)

思いもしなかったような意味になって出てくることがある
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』9、若島 正訳)

なにが起きるかわからないということだ。
(ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』26、内田昌之訳)

まえもって知ることはできないのだ。
(E・E・ケレット『新フランケンシュタイン』田中 誠訳)

読書の楽しさは不確定性にある──
(ジェイムズ・P・ホーガン『ミクロ・パーク』26、内田昌之訳)

兎は、われわれを怯えさせはしない。
(ヴァレリー『倫理的考察』川口 篤訳)

しかし、兎が、思いがけず、だし抜けに飛び出して来ると、われわれも逃げ出しかねない。
(ヴァレリー『倫理的考察』川口 篤訳)

愛はまったく思いがけないときにやってくるもの
(リチャード・コールダー『デッドボーイズ』第6章、増田まもる訳)

まるで兎のようだ。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・21、嶋田洋一訳)

何が「きょう」を作るのか
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』下・NO、志村正雄訳)

ただの偶然ではないはず。
(ロジャー・ゼラズニイ『キャメロット最後の守護者』浅倉久志訳)

こんどは何を知ることになるだろう?
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』5、船戸牧子訳)

偶然とはなんだと思う?
(グレアム・チャーノック『フルウッド網(ウエツブ)』美濃 透訳)

偶然だって?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

偶然とはなんだと思う?
(グレアム・チャーノック『フルウッド網(ウエツブ)』美濃 透訳)

偶然こそ、私たちの生の偉大な創造者というべき神である。
(プリニウス『博物誌』第二十七巻・第二章、澁澤龍彦訳)

人間もまた偶然の存在だ。
(ダン・シモンズ『真夜中のエントロピー・ベッド』嶋田洋一訳)

人間こそすべてだ、
(エマソン『アメリカの学者』酒本雅之訳)

それは一つの純粋な詩なのだ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』1、中村保男・大谷豪見訳)

なぜ「きみを愛している」といえなかったのか?
(リチャード・コールダー『アルーア』浅倉久志訳)

非常に心を動かされる引用だな
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第2巻、矢野 徹訳)

誰を引用しているのだ?
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』下・NO、志村正雄訳)

だが真理はどこかちがうところにある。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』24、中原尚哉訳)

本を閉じることだな。
(アヴラム・デイヴィッドスン『さもなくば海は牡蠣でいっぱいに』若島 正訳)

感傷性は弱さと苦痛への好みを前提としている。
(リルケ『フィレンツェ』森 有正訳)

明らかに道をまちがえてしまった人間なのだ。
(カフカ『判決』丘沢静也訳)

彼は手から石を落した。
(ムージル『若いテルレスの惑い』吉田正巳訳)

落ちる石を見る。
(ロジャー・ゼラズニイ『影のジャック』6、荒俣 宏訳)

彼は
(ムージル『若いテルレスの惑い』吉田正巳訳)

道を杖(つえ)でつついた。
(J・リッチー『無痛抜歯法』駒月雅子訳)

その瞬間、
(ジェラルド・カーシュ『死こそわが同士』駒月雅子訳)

石が
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

空中でとまった。
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』月のシャドウ、宇佐川晶子訳)

感電したウサギのように
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第七部・II、友枝康子訳)

ぼくはいっそうはっきりと石を見る、ことに影を、
(アンドレ・ブーシェ『白いモーター』12、小島俊明訳)

あるひとつの思考は、どのくらいの時間、持続するものなのだろうか?
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』12、菅野昭正訳)

原子ひとつを(、、、、、、)同じ場所でじっとさせておくだけのために、どれだけの力が必要だと思う?
(グレッグ・イーガン『移相夢』山岸 真訳)

一貫した意識をもつひとつの自己が、時間のなかで存続しうる(、、、)と思うか──
(グレッグ・イーガン『移相夢』山岸 真訳)

その意識の周辺じゅうで数十億の心の断片が形成されたり消えたりすることなしに?
(グレッグ・イーガン『移相夢』山岸 真訳)

彼は
(ムージル『若いテルレスの惑い』吉田正巳訳)

道を杖(つえ)でつついた。
(J・リッチー『無痛抜歯法』駒月雅子訳)

その瞬間、
(ジェラルド・カーシュ『死こそわが同士』駒月雅子訳)

同時に
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

あらゆる場所に存在する
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

石が
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第一部・1、大西 憲訳)

落ちる。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二十四章、園田みどり訳)

なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?
(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)

ひとつの名前が
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

あらゆる場所となる
(イアン・ワトスン『エンベディング』第八章、山形浩生訳)

もうひとつの名前を
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

ちがう名前を
(アーシュラ・K・ル・グイン『記憶への旅』小尾芙佐訳)

引きつれてきた。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

すべてが記憶されていたのか?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)

思い出すことのなかった物事を呼び覚まし、
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

過去の体験のイメージや感触や匂いや色を驚くほど鮮明に頭の中に送り込む
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

このできごとのどこまでが現実にあったことだ?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)

これはおれが即興で作っている話か、それとも夢なのか?
(グレッグ・ベア『女王天使』下・第二部・54、酒井昭伸訳)

なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?
(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)

その意味を知るためには、人は経験を通りすぎていかなくてはいけないし、
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

それでもその意味は人の目の前で変化する。
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

人間であるというのは、いつもいつも変化しているということなんだ。
(ソムトウ・スチャリトクル『しばし天の祝福より遠ざかり……』6、伊藤典夫訳)

変化だけがわたしを満足させる。
(モンテーニュ『エセー』第III巻・第9章、荒木昭太郎訳)

varietas delectate
變化は人を〓ばす。
(『ギリシア・ラテン引用後辭典』Cic. N.D.I, 9, 22.)

変化は嬉しいものなのだ。
(ホラティウス『歌集』第三巻・二九、鈴木一郎訳)

それは多様さを把(は)握(あく)するということだろう。
(モンテーニュ『エセー』第III巻・第9章、荒木昭太郎訳)

きみは多義性を頑迷に愛するんだな、
(ジェイムズ・サリス『蟋蟀の眼の不安』野口幸夫訳)

きみはロマンティストだ。
(J・L・ボルヘス『死者たちの会話』鼓 直訳)

愛ならば、すんなりと受け入れてしまう
(チャールズ・ボーモント『レディに捧げる歌』矢野浩三郎訳)

我々は自分に欠けているものを愛するとプラトンは言った。
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第七部・II、友枝康子訳)

また増えてるのかい?
(ボブ・ショウ『メデューサの子ら』2、菊池秀行訳)

結局これもまた夢なのではないだろうか。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』26、市田 泉訳)

きみはわれわれがどうも間違った兎を追いかけているような気はしないかね?
(J・G・バラード『マイナス 1』伊藤典夫訳)

兎をつかまえにいけよ
(ピーター・ディキンスン『緑色遺伝子』第三部・9、大瀧啓裕訳)

なぜ「きみを愛している」といえなかったのか?
(リチャード・コールダー『アルーア』浅倉久志訳)

いい詩だよ、覚えてるかね?
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下・第三部・18、大西 憲訳)

愛ならば、すんなりと受け入れてしまうわ。
(チャールズ・ボーモント『レディに捧げる歌』矢野浩三郎訳)

あなたは引用がお得意だから。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

本当の愛にはお芝居がつきものだし、そのお芝居を別のものに変えてしまうものよ。
(チャールズ・ボーモント『レディに捧げる歌』矢野浩三郎訳)

こわされるために作られるものだってあるのよ
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』9、藤井かよ訳)

作家は文学を破壊するためでなかったらいったい何のために奉仕するんだい?
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・99、土岐恒二訳)

自分の人生をそこまで破壊するからには過激でなくてはなるまい?
(マイクル・スワンウィック『大潮の道』10、小川 隆訳)

だけど、
(イアン・マクドナルド『キャサリン・ホイール(タルジスの聖女)』古沢嘉通訳)

だれがだれの夢なのか。
(デイヴィッド・ブリン『有意水準の石』中原尚哉訳)

わたしたちのどちらが、本当に他者を作り出しているのだろう?
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の異端者』第3巻、矢野 徹訳)

このいずれも詩のなかにはないのだ!
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

詩ではない?
(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』一冊目・六月三日、野口幸夫訳)

きみも詩を書いてるのか?
(ティム・パワーズ『石の夢』上・第一部・第八章、浅井 修訳)

あはん。
(ポール・アンダースン『タウ・ゼロ』11、浅倉久志訳)

ばかばかしい。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』5、宇佐川晶子訳)

あたしをどんな女の子だと思ってるの?
(ケリー・リンク『靴と結婚』金子ゆき子訳)

あなたのコレクションの一部になれというの?
(リチャード・コールダー『デッドボーイズ』第2章、増田まもる訳)

うるさい。意味もわからないくせに。
(ゼナ・ヘンダースン『光るもの』山田順子訳)

なんていう舌だ!
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第二部・9、山西英一訳)

人間五十三歳にもなると、もうほとんど他人が必要でなくなる。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』丹治 愛訳)

おまえたちなんかいなくてもいいんだ
(ロバート・シルヴァーバーグ『内側の世界』3、大久保そりや・小川みよ訳)

なんだかをかしい。
(川端康成『たんぽぽ』)

おかしいかい?
(ロバート・シルヴァーバーグ『ゴーイング』2、佐藤高子訳)

ヒステリーのおかま(、、、)みたい
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』8・1、小泉喜美子訳)

おかまだって?
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

ばか!
(ブライアン・W・オールディス『地球の長い夜』第一部・10、伊藤典夫訳)

ぼくは
(ロジャー・ゼラズニイ『伝道の書に薔薇を』2、大谷圭二訳)

数えきれない詩を書いているんだ
(フィッツ=ジェイムズ・オブライエン『手から口へ』大瀧啓裕訳)

詩だ。
(ウォレス・スティヴンズ『アデージア』片桐ユズル訳)

そりゃ、
(サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』6、伊藤典夫訳)

詩の才能がないことは知っているよ。
(フリッツ・ライバー『『ハムレット』の四人の亡霊』中村 融訳)

詩人として、たいした才能はないかもしれない──
(ウィリアム・ネイバーズ『平和このうえもなし』3、黒丸 尚訳)

死後の名声は現世のそれ以上に価値はない。
(J・L・ボルヘス『死者たちの会話』鼓 直訳)

だけど
(サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』6、伊藤典夫訳)

ぼくにとってこれが人生のすべてだった。
(グレッグ・イーガン『ディアスポラ』第三部・8、山岸 真訳)

これは愛の行為だった。
(ポピー・Z・ブライト『ロスト・ソウルズ』第二部・21、柿沼瑛子訳)

ほかになにがあると思ってるんだい?
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

ほかになにができる?
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

なにが気に入らないんだ?
(ロバート・A・ハインライン『未知の地平線』14、斎藤伯好訳)

詩は優雅で空虚な欺瞞だった。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』4、友枝康子訳)

ああ、そこここに幻術の穴。
(ランボー『飾画』眠られぬ夜III、小林秀雄訳)

幾つもの砂浜に、それぞれまことの太陽が昇り、
(ランボー『飾画』眠られぬ夜III、小林秀雄訳)

そのときどきの太陽を沈めたのだった。
(ディラン・トマス『葬式のあと』松田幸雄訳)

あら? 傷つけてしまったかしら?
(リチャード・コールダー『デッドガールズ』第四章、増田まもる訳)

早く死んでくれればいいのに!
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

詩句を書くこと、それもまた詩から逃れるひとつの手段ですよ
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』18、菅野昭正訳)

そういうことは考えないのさ。
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

すでにあるものを並べなおす
(グレッグ・イーガン『プランク・ダイブ』山岸 真訳)

好きなように世界が配列できるのだ
(スタニスワフ・レム『天の声』17、深見 弾訳)

世界が一変するだろう。
(ミシェル・トュルニエ『すずらんの地』村上香住子訳)

すべてが現実になる。
(フレデリック・ポール&C・M・コーンブルース『クエーカー砲』3、井上一夫訳)

どういう意味?
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』下・第五部・30、小木曽絢子訳)

どういう意味なの?
(ルーシャス・シェパード『スペインの教訓』小川 隆訳)

頭がおかしいんじゃない?
(サラ・A・ホワイト『闇の船』第二部・33、赤尾秀子訳)

あなたは人生についてなにを知ってるの?
(アントニイ・バージェス『ビアドのローマの女たち』4、大社淑子訳)

何を愛しているの。
(グレゴリイ・ベンフォード『ミー/デイズ』大野万紀訳)

言葉よ。
(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第三部・19、嶋田洋一訳)

ただの言葉にすぎないわ。
(グレゴリイ・ベンフォード『光の潮流』上・第二部・6、山高 昭訳)

それが楽しみなの?
(グレゴリイ・ベンフォード『光の潮流』上・第二部・6、山高 昭訳)

どうでもよくない?
(ジーン・ウルフ『ピース』4、西崎 憲・館野浩美訳)

あなた、どうかしてる。
(ジュリエット・ドゥルエの書簡、ヴィクトル・ユゴー宛、1833年、松本百合子訳)

あなたの人生はどうなってるの?
(カミラ・レックバリ『氷姫』V、原邦史朗訳)

詩人?
(アルフレッド・ベスター『消失トリック』伊藤典夫訳)

ちがうよ。ぼくは詩人じゃない。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』下・探偵の物語、酒井昭伸訳)

物事はそんなに単純じゃないさ。
カミラ・レックバリ『氷姫』III、原邦史朗訳)

単純な答えなどはない。
(アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

心がどんな材料で出来ているか
(シェイクスピア『リア王』第三幕・第六場、野島秀勝訳)

愛ね。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第二章・15、青木久恵訳)

愛するって、人間を孤独にするものなんだわ、
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』富田 彬訳)

もうたくさん。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『階層宇宙の創造者』14、浅倉久志訳)

「呪文は、手品師の帽子に入っている兎のためじゃなくて、お客のためなんだよ」
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』14、矢野 徹訳)

きみはそれを知っている人間のひとりかね?
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

あなたの引用は意味がずれてるわよ、
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』4、金子 司訳)

欲しいのはただ、ほんのささやかな、人間らしい人生よ
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』3・4、小泉喜美子訳)

寝るわ、今すぐ。
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』帰郷、宇佐川晶子訳)

もうあっちへ行っておねんねでしょ?
(キリル・ボンフィリオリ『深き森は悪魔のにおい』5、藤 真沙訳)

孤独であることを学びなさい。
(フィリップ・K・ディック&レイ・ネルスン『ガニメデ支配』12、佐藤龍雄訳)

ちらちらと
(フランク・ハーバート『デューン砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

かすかに見える影──あれは雲だろうか。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』下・領事の物語、酒井昭伸訳)

淡い雲
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ウェイン・20、亀井よし子訳)

青空に溶け込む雲。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

またウサギかな?
(ジェイムズ・アラン・ガードナー『プラネットハザード』上・5、関口幸男訳)

vel capillus habet umbram suam.
一本の頭髪さへその影をもつ。
(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)

知恵は影の影にすぎない
(エズラ・パウンド『詩篇』第四十七篇、新倉俊一訳)

然り、然り、然り。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』25、中村保男・大谷豪見訳)

quod semper movetur, aeternum est.
常に動くものは、永久なり。
(『ギリシア・ラテン引用後辭典』)

永遠に不変なものは、変化するものにおいてしか、表現できない。
(ノヴァーリス『断章と研究 1799-1800年』[705]、今泉文子訳)

空がない。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・9、青木久恵訳)

空には雲ひとつない。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』下・領事の物語、酒井昭伸訳)

空には
(クリフォード・D・シマック『宇宙からの訪問者』11、峰岸 久訳)

もう一匹もウサギはいない。
(ジョン・コリア『少女』村上哲夫訳)

ぼくを視る ぼくが視るもの
(オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)

ウサギはまばたきもせずにてのひらにうずくまっていた。
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』月のシャドウ、宇佐川晶子訳)

どうしてこんなところに?
(コードウェイナー・スミス『西欧化学はすばらしい』伊藤典夫訳)

ふざけた夢だ。目を覚まさなくっちゃ。
(ウィリアム・コッツウィンクル『バドティーズ大先生のラブ・コーラス』13、寺地五一訳)


ORDINARY WORLD。

  田中宏輔



「物分かりのいい子ね」とドリーンがニヤリとしたとき、誰かがドアを叩く音がした。
(シルヴィア・プラス『ベル・ジャー』1、青柳祐美子訳)

「どうぞ!」とドニヤ・カルロータはケイトに言った。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・10、宮西豊逸訳)

あのときもチャーリイ・クラスナーと灰色の明け方に押しかけたのだった。
(ジャック・ケルアック『地下街の人びと』真崎義博訳)

「グレーゴル? 気分よくないの? なにか必要なものある?」
(カフカ『変身』丘沢静也訳)

ダニエルは傍聴人たちを見つめた。
(ギ・デ・カール『破戒法廷』II、三輪秀彦訳)

ブラドレーはまばたきした。「なんでしょう?」
(R・A・ハインライン『異星の客』第二部、井上一夫訳)

「シャワーを浴びるのはどう?」エリカが尋ねた。
(カミラ・レックバリ『悪童』富山クラーソン陽子訳)

「人間の男の心は暗くて不潔です」グンガ・サムはいった。
(ロバート・シェクリー『人間の負う重荷』宇野利泰訳)

エスターは身震いした。彼女は若者の辛辣なところが嫌いだった。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』1、藤井かよ訳)

トレーが眼鏡をはずしてわたしを見つめる。その顔は少年のように無防備で、頬には愛する者にしか感じ取れない柔らかさがある。
(ダン・シモンズ『バンコクに死す』嶋田洋一訳)

マキャフリイの容貌は、何百万の人間と同じ。目を離したら、雲の様子を正確に形容できないのと同じように、その容貌も形容できない。
(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』2、黒丸 尚訳)

二階のベッドルームには、いつもスーザンがたくさんいる。みんな、自分が熟してくるとここで待つのだ。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

隣では、わたしの少年の愛人であるセヴェリアンが、若者らしい気楽な寝息を立てて眠っていた。
(ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』18、岡部宏之訳)

小人は片腕をあげるとパリダに向かって伸ばす。
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

「ねえエレーン、ぼくらはいま、いくつくらいなんだろう」
(F・M・バズビイ『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』室住信子訳)

クリスティーンはいま、自分が予想のつきやすい女だと思われているのではないか、と不安を覚えていた。
(アン・ビーティ『アマルフィにて』亀井よし子訳)

ジョナサンとルーシーは、ある日、地下鉄の中で知りあったのだった。たまたま、とんでもない奴が、ただ退屈だという理由で、催涙弾を電車の中で放った。
(ベルナール・ウェルベル『蟻』第1部、小中陽太郎・森山 隆訳)

「行かなきゃ」とアリスが言った。
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

「なにもそんなに急ぐことはなかろう」とマークハイムはやり返した。
(ロバート・ルイス・スティーヴンソン『マークハイム』龍口直太郎訳)

翌日は、アブナー・マーシュにとって人生でもっとも長い一日だった。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』11、増田まもる訳)

「ああ、だがほんの一瞬だった」カドフェルは慎重に答えた。
(エリス・ピーターズ『悪魔の見習い修道士』2、大出 健訳)

ドライズデールは美しい女性と一緒のところを人に見られるのが好きだった。
(P・D・ジェイムズ『正義』第一部・10、青木久恵訳)

人間がつき合わなければいけない相手の大半は変人なんだよ、とグランディソンは言い切っていた。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』6、友枝康子訳)

「まあ、あなた」とマグダレンは溜息をついた。
(エリス・ピーターズ『死者の身代金』8、岡本浜江訳)

グルローズは、わたしの知った最も複雑な人間の一人だった。なぜなら、彼は単純になろうと努力している複雑な人だったから。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』7、岡部宏之訳)

レサマが話をする、するとその話を聞いていた者は、好むと好まざるにかかわらず、すっかり人が変わってしまった。
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』レサマ=リマ、安藤哲行訳)

「クレティアン伯は過去の君とは別れたよ」ロレーヌが言った。「現在の君とももうじき別れる。そして今は未来の君の寸前で踏みとどまっている」
(ヴォンダ・N・マッキンタイア『太陽の王と月の妖獣』上・12、幹 遙子訳)

ぼくは幸福だ。わかるだろう、ガーニイ? ナムリ? 人生に謎などまったくないんだ。
(フランク・ハーバート『デューン 砂丘の子供たち』第2巻、矢野 徹訳)

人生を使うんだ、ハロルド。人生中毒になれ。
(ハーヴェイ・ジェイコブズ『グラッグの卵』浅倉久志訳)

「生き方を知る人間は、ただ生きるもんだよ、ニコバー。知らん人間が定義したがるのさ」
(マイク・レズニック『ソウルイーターを追え』7、黒丸 尚訳)

クレヴェルは不審のおももちだが、ぼくには彼の気持がわかる。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・21、土岐恒二訳)

こんなふうに考えてみたらどうだろう、マーサ。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

チャーリー・ジョーンズが卒倒したのは、何も乙女めいた慎みからではなかった。どんなことだって卒倒する原因になりうるのだ。
(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)

彼はバッリにもアンジョリーナにも嘘をついていなかった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』3、堤 康徳訳)

モネオは、何かをつかみそこねたことを悟った。
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第1巻、矢野 徹訳)

きみはフームを愛する。そしてフームを愛しているから、きみの一部はフームになる。きみを知る者たちもまた、その一部はフームになる。
(オースン・スコット『神の熱い眠り』9、大森 望訳)

イノックは首を振った。それは気違いじみた考えだ。
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』19、船戸牧子訳)

スティーヴは肩をすくめたが、その動作は厚いコートとたくさんの下着の下に隠れて、ほとんど見えなかった。
(ハリイ・ハリスン『人間がいっぱい』第二部・13、浅倉久志訳)

スティーヴの説明によると、潜在意識は脳の一つの機能であり、一つの状態であって、決してただの一部分ではないという。
(ピーター・フィリップス『夢は神聖』浅倉久志訳)

「貫通するものは一なり。」と芭蕉は言つた。
(川端康成『日本美の展開』)

ソレルはおし黙っていた。それはなにもいわないのとはちがう。
(テリー・ビッスン『冥界飛行士』中村 融訳)

マルティンはナイフを広げた、そして、いまではもう遠い昔のことのように思えるあのころのことに思いをはせた。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・20、安藤哲行訳)

ガーセンは、語られたことよりも語られなかったことから相手の真意を察して、立ち上がると、いとまを告げた。
(ジャック・ヴァンス『殺戮機械』5、浅倉久志訳)

フォン・レイは輝く山なみにむかって、あごをしゃくった。
(サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』2、伊藤典夫訳)

サージアス、人間は自分の生活をいったいどうするんだろう?
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

スパナーは手をさしだしたりはしなかった。もし彼女が手を出しても、わたしはその手をとっただろうか。
(ニコラス・グリフィス『スロー・リバー』7、幹 遙子訳)

アンは足もとの床の小さな円を見つめた。
(デイヴィッド・マルセク『ウェディング・アルバム』浅倉久志訳)

カーニーが見ると、白猫はそのほっそりした小さな気むずかしい顔を彼のほうに向けた。
(M・ジョン・ハリスン『ライト』22、小野田和子訳)

クレート叔父はテーブル、コップ、瓶、溲瓶、窓枠をスティックで軽くたたきながら、"ジャズ・バンド"を弾く、それぞれの物はその音を持つ、
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

エリーズの肉体のなまめかしさについては言うべきことがたくさんあったが、その精神については言うべきことはほとんどなかった。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』28、三田村 裕訳)

じっと彼女を観察していたカレルは、やがて突然、エヴァが本当にノラに似ているような気がしてきた。
(ミラン・クンデラ『笑と忘却の書』第二部・11、西永良成訳)

アドリエンヌと長く話しあうほど、ふたりの気持ちはどんどん離れていく。
(フレッド・セイバーヘーゲン『ゲーム』浅倉久志訳)

スーザンはそういう人間だよ。過去に生きない。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

自分の心に特別の存在として映った女と、これほど多くの女が似ていることに、ギャロッドは鈍い驚きを覚えた。
(ボブ・ショウ『去りにし日々、今ひとたびの幻』4、蒼馬一彰訳)

オラシオは間違っていない。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・133、土岐恒二訳)

そもそもどんな分野であれ、決定的な貢献ができる人の数など、ほんの僅(わず)かなんです、とバンクスは語った。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・4、御輿哲也訳)

フォックスが何か音を立てる。痛みに彩られた、ドスンというような音。
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

アーテリアは肩をすくめた。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

ぼくが見るレイミアの夢は、レイミアの見る夢とまじりあっている。
(ダン・シモンズ『ハイペリオンの没落』上・第一部・3、酒井昭伸訳)

レイグルの幻覚はぼくの経験とどこかで同調している。
(フィリップ・K・ディック『時は乱れて』6、山田和子訳)

ベンは退屈している。そういうとき、彼は人を挑発する。
(アン・ビーティ『グレニッチ・タイム』亀井よし子訳)

ハヴァバッドは手帳につぎのように書きこんだ──「スカヴァロの件で昼食、二十八ドル四十セント」。
(アン・ビーティ『ウィルの肖像』ジョディ・9、亀井よし子訳)

エヴェリンは、魅入られたもののように、かれのうえに身をかがめた。
(シオドア・スタージョン『人間以上』第一章、矢野 徹訳)

ダニエルは自分の一生を一行ごとに翻訳したものを与えられたような気がした。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』18、友枝康子訳)

ラムジー夫人はそれらを巧みに結び合わせてみせた、まるで「人生がここで立ち止まりますように」とでもいうように。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・3、御輿哲也訳)

「これが人生ってものよ」とジェロメットがいう。「少しずつ物事を発見していくの」
(クロード・クロッツ『ひまつぶし』第五章、村上香住子訳)

「何だって? 何と言ったの?」彼は目を眇(すが)めるようにしてジャネットを見ました。
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第三部・II、友枝康子訳)

「おそろしい気がするのよ!」とケイトは言った。真実を語っていたのだった。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・7、宮西豊逸訳)

「うん」と信行はうなずいた。
(志賀直哉『暗夜行路』第一・十二)

かれは、それがアイダホの考えの中に形をなしていくのを見ることができた。
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第2巻、矢野 徹訳)

パパジアンはなにも知らずに通りを歩いていった。なにも知らないことを心から楽しんでいた。
(ロバート・シェクリー『トリップアウト』4、酒匂真理子訳)

いまのチョークの決意や行動を左右するのは、もっとほかのもの、もっと精神的なものだった。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』9、三田村 裕訳)

スダミの手。それがクリスにつきまとう問題だった。
(シオドア・スタージョン『閉所愛好症』大森 望訳)

どうしたの、マルセル?
(ケッセル『昼顔』九、堀口大學訳)

──上の人また叩いたわ──とバブズが言った。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

そのとたん、キルマンのことが急に心に浮かんできた。仇敵キルマン。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』丹治 愛訳)

デ・ゼッサントは、読みさしの四折判本をテーブルの上に置き、伸びをして、煙草に火をつけた。
(J・K・ユイスマンス『さかしま』第六章、澁澤龍彦訳)

それから何が起こったか正確に描写することはできないが、数分間は極めて活劇的だった。シリルのほうから子供に飛びかかったようだ。空気は腕や足やその他で充満していた。
(P・G・ウッドハウス『ジーヴズと駆け出し俳優』岩永正勝・小山太一訳)

ルイスは独りでいると驚くほど熱心に物を見て僕たちよりも長く残るかもしれないいくつかの言葉を書く。
(ヴァジニア・ウルフ『波』鈴木幸夫訳)

エリザベスは、一年に一日しか休みをとれない、貧しい召使いの少女をうたったロバート・ブラウニングの詩のタイトルを思い出そうとした。
(アン・ビーティ『蜂蜜』亀井よし子訳)

「物事は明るい面を見なくちゃいけない」とルーク氏は言った。「みんな優秀な番犬になるだろう」
(ケリー・リンク『黒犬の背に水』金子ゆき子訳)

アリス、いまよ! 青春なんて束の間よ、束の間なのよ。
(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

ブリケル夫人の恋は失敗に終わった。夫人の反論がないのをいいことに、彼はいいつのった。自分と妻のあいだでは、何ごとも気軽に打ち明け合う、と。
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』6、亀井よし子訳)

しかしな、マーティン、向こうへ帰ったら、きみのいる世界にもメリーゴーラウンドやバンド・コンサートや、それに夏の夜があるということが、きみにもわかると思うよ。
(ロッド・サーリング『歩いて行ける距離』矢野浩三郎訳)

ジョンはゆっくりとキスをしたので、そのことをクレアが考え、受け入れて、その意味を知るには充分な時間があった。
(グリゴリイ・ベンフォード『時の迷宮』上・第四部・4、山高 昭訳)

サマンサは分数から野生の馬の群れを連想する。
(ケリー・リンク『スペシャリストの帽子』金子ゆき子訳)

彼は指を突き出して、宙に小数点を書いた。でも、ラルフ・サンプソンはその点にさわれる。彼がさわると、点がバスケットボールに変わる。
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』7、亀井よし子訳)

アーテリアは肩をすくめた。わかったわ、頭とりゲームをやりましょう。最初はあなたがわたしの頭をドリブルして床を走りまわる。そのつぎに、わたしがあなたの頭をドリブルする。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』13、浅井 修訳)

かつてトイスは、「この世をふり向けば疑問にぶつかる。答えは全部どこかに隠れているのよ」と言ったが、まさにそのとおりだった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』30、宇佐川晶子訳)

エドガー・ポウについて、他のすべてを忘れたとしても、あの瞳の印象を捨て去ることはあるまい。ポウの瞳は外を見ているばかりでなく、内も見ているようだ
(ルーディ・ラッカー『空洞地球』4、黒丸 尚訳)

サビーヌ、ぼくは探究だとか判断だとか知性だとかいうものに、信頼をおかないんだ。
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年一月二十四日、関 義訳)

「あのねえ」とマイロ。「何も考えずに始めたはいいけど、知らないうちにそれに足をすくわれて身動きがとれなくなってるということだってあるんだぞ」
(アン・ビーティ『シンデレラ・ワルツ』亀井よし子訳)

「プランタジネット」ジェレミーは言う。「それも実在の場所だよ。(…)」
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

ルーシーにいうつもりはなかったが、ルーシーにあってじぶんにはない資質がなにか、最近分かってきたような気がしていた。
(アン・ビーティ『愛している』16、青山 南訳)

彼女の身体を持ち上げて頭の上でぐるぐる回してやると、嬉しそうにきゃっきゃっ声をあげて笑っていたアミラミア。彼女はきっとゆっくり回転しながら、べつの角度から世界を見渡していたのだろう。
(コルタサル『女王人形』木村榮一訳)

ペドロは、彼女は頭がおかしいと言う気になれなかった。事実おかしかったからだ。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』2、野谷文昭訳)

地下鉄とは人類の倒錯(とうさく)であり、ジューブにはどうしても馴(な)れることができない。
(ジョージ・R・R・マーティン『ワイルド・カード 2 宇宙生命襲来』下・ジューブ 6、堺 三保訳)

彼はベンチから立ちあがり、ゆっくりと遊歩道を歩いていった。あと少ししたら、ヒューバートが朝食のしたくをしているあの続き部屋に戻ることになる。
(クリフォード・D・シマック『法王計画』11、美濃 透訳)

けれども彼女が出ていき、裏口のドアがバタンと音をたててしまったとき、ウィリアムは刺すような悲しみが胸をよぎるのを感じた。
(トマス・M・ディッシュ『M・D』上・第三部・32、松本剛史訳)

私、ジェラールが好きでも何でもないんですもの。好きになったことは一度もないの。彼のことがほしくてほしくて仕方がない時でも。それがセックスの恐ろしいところだわ。
(P・D・ジェイムズ『原罪』第一章・5、青木久恵訳)

パウトは苦痛を与えるのが好きだった。
(バリントン・J・ベイリー『禅<ゼン・ガン>銃』5、酒井昭伸訳)

レキシントンへの道中は若いペイ中に変装して移動しなきゃならなかった──ビルとジョニーって名前に決めたんだが、これがしょっちゅう入れ替わってある日は目をさますとビルで次の日はジョニーって具合──
(W・バロウズ『ソフトマシーン』1、山形浩生・柳下毅一郎訳)

ああ、ライサ! 恋人の顔をじっと見つめるとね、《何か》がくずれて、そして、《現世》では、もう二度と同じ人は見つからないことがわかるのよ!
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』大洪水、宇佐川晶子訳)

ジョニーはレコーディング・ルームで靴を脱いだが、あれは頭がおかしくなっていたからではない。昨日、そのことを話してくれたマルセルとアートには、それが分かっていない。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

ケイトが言った。「頸動脈がきれいに切断されています。意外と手に力があったんですね。特に強そうには見えませんが、でも手というのは弱々しく見えるものですよね」
(P・D・ジェイムズ『正義』第三部・32、青木久恵訳)

「だれだってみんな死ぬんだ」トゥールは低い声でいった。「ちがうのは死に方だけさ」
(パオロ・バチガルピ『シップブレイカー』14、田中一江訳)

ミリアムのウェディングドレスは、溺れた飛行機の霊魂のようだった。
(J・G・バラード『夢幻会社』26、増田まもる訳)

ブライアが目の前の光景を表現する言葉を十個選べといわれたら、"きれい"はその中に入らなかっただろう。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』20、市田 泉訳)

カルソープは、その光景ばかりでなく、それが持つ意味に気分が悪くなって、顔をそむけた。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』3、山高 昭訳)

「ああ、グローリィ!」わたしは首をまわして彼女の手に頬を押しつけた。
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』帰郷、宇佐川晶子訳)

スワミはしばらくそれをつづけた。観客は陶然として身を乗りだしていた。
(マーク・クリフトン『思考と離れた感覚』井上一夫訳)

アンのブルーの目には魅了され、叱責し、崇拝する感情が同居している。こんな組みあわせを同時に抱くには若さが必要だな、とバザルカンはふと考えた。
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』23、金子 司訳)

あなたがどんな質問をなさるか分かりますよ。ルーシーとの関係は性的な関係だったのか。私にはそんなことを考えるだけでも冒涜だとしか答えようがありません。
(P・D・ジェイムズ『秘密』第三部・4、青木久恵訳)

時としてほんとうに伝えたいことは言葉で言い表わすことはできない、ジャンヌはこれまでそう信じてきた。
(コルタサル『すべての火は火』木村榮一訳)

ジョンは芝居の批評を続けた。かれはそれまでより突っこんだ見方をしているように、わたしには思われた。
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』13・ジョン、同種族を探す、矢野 徹訳)

チーチャンズは犬だし、したがって細君よりは高等な動物である。ぼくは、ストリックランドが鞭でひっぱたくものと予想して、彼の顔を見た。
(R・キップリング『イムレイの帰還』橋本福夫訳)

「いまでも聞える」プニンは塩か胡椒の容器を手に取りながら、記憶の持続性に驚いて軽く頭を振った、「いまでも聞えるよ、命中して木魂が空に舞いあがったときのパシッという音がね。肉を食べないの? 好きじゃない?」
(ウラジーミル・ナボコフ『プニン』第四章・8、大橋吉之輔訳)

ブルーノは答えた、人間というものを云々するとき、真実が語られることは滅多にない、なぜなら、苦痛や悲しみ、そして破壊をもたらすだけだからね。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・8、安藤哲行訳)

そうだ、あんただって細部のひとつなんだよ、ロードストラム。もし一瞬でもあんたが俺の心の中になかったら、あんたはいなくなっちまう。
(R・A・ラファティ『宇宙舟歌』第四章、柳下毅一郎訳)

「本名でいきますよ」セランはいつもそう答えるのだが、これがまちがいだった。ときには、新しい名が新しい性格をひきだすこともある。
(R・A・ラファティ『九百人のお祖母さん』浅倉久志訳)

「ミケランジェロが」とジョンはいった。「どういうわけか据える空気はぜんぶ吸ってしまったようですね。(…)」
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』4、大社淑子訳)

パリーモン師はかつて、わたしに教えてくれた。恩情はわれわれ人間のものであり、一引く一は零より多いと
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』30、岡部宏之訳)

ヒラルムは無言だった。
(テッド・チャン『バビロンの塔』浅倉久志訳)

ラッセルはその半分もわかっていなかった。
(ジョー・ホールドマン『擬態』37、金子 司訳)

そしてボースンゲイト氏は判事がふたたび一連の意見をのべているな、と思った
(ジョン・ゴールズワージー『陪審員』龍口直太郎訳)

「ラーキンはこの本に、詩想と作品の断片は必ず同時に浮かんでくるものだと書いています。あなたも同じご意見ですか、警視長さん」
(P・D・ジェイムズ『死の味』第二部・1、青木久恵訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

ベンジャミンもそこに加わった。
(デイヴィッド・マルセク『ウェディング・アルバム』浅倉久志訳)

「同時にふたつの場所にいることができるものかしら?」アリスはじっくり考えました。
(ジェフ・ヌーン『未来少女アリス』風間賢二訳)

おそらく、エルザンはいまそれらの頁のことを考えていないだろうし、それらの頁を書いたとき以来、それについて考えたことは一度もなかっただろう。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』12、菅野昭正訳)

「明りはここに残してゆきましょう」サラがささやいた。「あなたがいなくても光ったままでいるんでしょう?」
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヨルダン、深町真理子訳)

「ドクター・ミンネリヒトは明かりに目がないのさ。明かりそのものも好きだし、明かりを生み出すものも好きなんだよ。(…)」
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』21、市田 泉訳)

エレナはいたずらっぽい口調で、「たぶん、それについてもあなたが正しいんでしょうね」
(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

「ネッリーは他の誰も見ないようなものを、あたしに見てるんじゃないのかなあ」
(カミラ・レックバリ『氷姫』V、原邦史朗訳)

スタークは頭をめぐらし、ミリアム・セントクラウドをじっとみつめた。
(J・G・バラード『夢幻社会』32、増田まもる訳)

自分自身のことはなにも思い出さずに、ミュリジーに抱いていた関心を徐々に思い出した。
(クリストファー・プリースト『ディスチャージ』古沢嘉通訳)

マークは、過去を理解せずして現在を理解することはできないから歴史の研究を選んだと言っていましたよ。
(P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』3、小泉喜美子訳)

ジェミーは言った。「残酷な時代を思いだすのを拒めば、悪と共存する善の記憶をも同時に拒否することになる」
(ゼナ・ヘンダースン『血は異ならず』大洪水、宇佐川晶子訳)

レサマは「覚えておくんだよ、わたしたちは言葉によってしか救われないってこと。書くんだ」とぼくに言った。
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』通りで、安藤哲行訳)

わたしはグレイダスに以前会ったことがあるのだろうか? ちょっと考えさせてくれ。会ったことがあるのだろうか? 記憶は頭(かぶり)を振る。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

見るともなしにグリフィスを見ながら、何とか記憶を取り戻そうとした。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第2部・14、嶋田洋一訳)

記憶がよみがえってきた。そうだ、この記憶だったんだ。あの子は、パメラの先触れだったのだろうか? 
(アントニイ・バージェス『ビアドのローマの女たち』2、大社淑子訳)

ヌートがまだ生きているということに、クリフはもはやまったく疑いを抱いてはいなかった。「生きている」という言葉が何を意味しているとしても。
(ハリイ・ベイツ『主人への決別』6、中村 融訳)

いったいスサナ・サン・フアンはどういう世界に住んでいたのか、これはペドロ・パラモがついに知ることのできなかったことのひとつだ。
(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)

それをぼくが考えたこともなかったなんて思わないで欲しいね──とオリベイラが言った──。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

ラングは水の栓を開閉して、そのつどかすかにかわる音に耳をすました。
(J・G・バラード『ハイ-ライズ』16、村上博基訳)

それはスケイスに何も語らなかった。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第二部・1、青木久恵訳)

しかし、カレルは、エヴァを通して美しいノラ夫人を時間をかけてゆっくり見ていたかったので、その瞬間を引き延ばそうとした。
(ミラン・クンデラ『笑と忘却の書』第二部・11、西永良成訳)

トゥカラミンの口調にある何かが、クゥアートに質問させた。
(グレゴリイ・ベンフォード『光の潮流』下・第五部・2、山高 昭訳)

「その定義を認めるとすると」とサン=ジュリューが言った、「実現された行為は恋愛を排除しませんか?」
(アルフレッド・ジャリ『超男性』I、澁澤龍彦訳)

僕はなにもしませんでしたよ、イレーヌは僕になにも言いませんでした。なにもかも察しなければならなかったんですよ、いつでもね……
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』16、菅野昭正訳)

ドク・ポルの話だと、複合感覚は人間には非常によく見られるものなんだそうです──一般に考えられているよりも、ずっと多いんですって。
(ドナルド・モフィット『第二創世記』第二部・9、小野田和子訳)

自己は消滅しても、このロンドンの街路で、事物の満(みち)干(ひ)のままに、ここに、かしこに、わたしが生き残り、ピーターが生き残り、お互いの胸のうちに生きる、と信ずることが。
(ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』富田 彬訳)

野蛮人なんてものはいないんだよ、フィル。あるのは野蛮な行為だけなんだ
(ポール・プロイス『地獄の門』24、小隅 黎・久志本克己訳)

クレアは髪の毛をゆすると、前へ全部たらし、それから息をのむほどすてきに、うしろへさっと投げた。
(シオドア・スタージョン『神々の相克』村上実子訳)

レジナルド卿は、精いっぱい抵抗するものの、銃口がまっすぐ自分を狙っているのに気づいた。まるで、スローモーションの映画を見てでもいるように、奇妙なくらい鮮明にすべてを見ることができ、感じることができた。
(テレンス・ディックス『ダレク族の逆襲!』2、関口幸男訳)

ヴィクターは薔薇のとげに親指をふれた。「女ってやつは。男は自由でいいっていいやがる。で、女に自由を与えると、むこうはそれをほしがらない」
(ジョン・クロウリー『ノヴェルティ』6、浅倉久志訳)

フィオナは首を振りながら反対意見をのべた。
(ジョン・ブラナー『地獄の悪魔』村上実子訳)

モニは、相手のことばをさえぎった。
(テレンス・ディックス『ダレク族の逆襲!』1、関口幸男訳)

ベンウェイは学生で一杯の大講義室で手術をしている──
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』病院、鮎川信夫訳)

「帝王(スルタン)は壮大な夢をお持ちだ」ルビンシュタインが言った。「だが、あらゆる夢はもしかしたら、さらに大きな夢の一部であるのかもわからん」
(ドナルド・モフィット『星々の教主』下・16、冬川 亘訳)

「それは循環論法的なパラドックスですか? 大半の真理は循環パラドックスでしか表現されえない、とドン・クリスタンが言ってます」
(オースン・スコット・カード『死者の代弁者』下・18、塚本淳二訳)

「何だって?」とヴォマクト。その目──その恐ろしい目!──は、いうまいと思ったことまでいわせてしまう。
(コードウェイナー・スミス『酔いどれ船』伊藤典夫訳)

最近妻を亡くしたばかりの植物学者のベルクと──自分のよりも、むしろ相手のミスに腹を立てながら──チェスをした。
(ナボコフ『賜物』第2章、沼野充義訳)

ジェラルド・エメラルドは片手を差し伸ばしていた──こうしていま書いている瞬間にもそれは依然としてその位置のままにあるのだ。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ミンゴラはそのわきに坐ってライフルの掃除をしながら、これからの日々のことを思っていた。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・11、小川 隆訳)

アンドロイドは再びまたたきし、桃色の唇の両端をひげに引きつけると、めったにお目にかかれないダールグレンの微笑のかたちになった。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』2、藤井かよ訳)

エンリはベク・アレンのこうした非現実な行為を見る機会が前にもあった。
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』24、金子 司訳)

「古代の神々を呼びもどそうとしていらっしゃるんですか?」とケイトはあいまいな調子で言った。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・10、宮西豊逸訳)

K・Cの行く手には栄光が待っている。彼はそれをまさしく歯の詰め物にも感じていた。
(トマス・M・ディッシュ『第一回パフォーマンス芸術祭、於スローターロック戦場跡』若島 正訳)

いつかきみのいわゆる中心的姿勢とやらについて、もっと詳しい議論を聞きたいもんだ──とエチエンヌが言って立ち上がった──。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

アリスがいう、何を愛しているの。
(グレゴリイ・ベンフォード『ミー/デイズ』大野万紀訳)

医者がピギーにコーヒーを渡した。
(アン・ビーティ『愛している』20、青山 南訳)

フィリッパはモーリスの少しもうろたえない皮肉っぽい視線をなかば意識して戸口に立っていた。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・8、青木久恵訳)

名前はなんて言うんだろう。アルタグラシア・モラレス夫人? それともアマンティーナ・フィゲロア夫人? それともフィロミーナ・メルカド夫人? そういう名前をおれはこよなく愛している。それは一つの純粋な詩なのだ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』1、中村保男・大谷豪見訳)

カティンのやつ、あいつは過去しか眼中にないんだ。そりゃ、過去は、今が明日をつくるみたいに今をつくったものだし、キャプテン、まわりじゃ河がごうごうと流れてんだぜ。
(サミュエル・R・ディレイニー『ノヴァ』2、伊藤典夫訳)

メリックはこの場所に生気を吹きこんでいるのはふたりの心臓の鼓動なのであり、ふたりがいなくなるとすぐに、滝の流れは止まりツバメも姿を消すのではないかと考えることがあった。
(ルーシャス・シェパード『竜のグリオールに絵を描いた男』2、内田昌之訳)

ホリー独特のものの考え方は、チェスターの話の中に無意識のうちに入りこんでいる。
(アン・ビーティ『コニーアイランド』道下匡子訳)

それわたしのよ──とラ・マーガは言って、それを取り返そうとした。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・108、土岐恒二訳)

よく引用されるバークリーのことばに、「存在するということは、知覚されること」ということばがある。
(ジョン・T・ウィリアムズ『プーさんの哲学』4、小田島雄志・小田島則子訳)

そしてフィリッパは母にキスをした。何もかも簡単だった。すばらしく簡単だった。愛することを怖れる必要はないとわかるまで、どうしてこんなに時間がかかったのだろう。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・7、青木久恵訳)

それが彼の心を期待でいっぱいにした。なんについての期待か?──それは彼にも確かではなかった。フリーマンはなおも自分のもたぬものに憧(あこが)れている人間なのだ
(マラマッド『湖上の貴婦人』加島祥造訳)

デイヴィッドには、大人たちがどうして顔と心で別々のことを言うのかさっぱり理解できなかったが、そんなことはもう馴れっこだった。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』2、中村保男・大谷豪見訳)

しかし、霧が晴れるにつれてさらに輝きを増した一対の窓の黄色い灯は、ダルグリッシュをヒューソン夫妻のカテージへと引き寄せた。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

ムアドディブはすべての経験にそれ自体の教えがあることを知っていたのだ。
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第1巻、矢野 徹訳)

「二つの世界に住む人は誰でも」ヴィットリアは言った。「複雑な生活を余儀なくされるのよ」
(ジョアナ・ラス『フィーメール・マン』第五部・XI、友枝康子訳)

ガーニイはいつも、ぴったりとくる引用をしましたね。
(フランク・ハーバート『デューン 砂の惑星』第3巻、矢野 徹訳)

食事の間中、レイは自分のことばかり話していた──配役、批評、敵に勝つ喜び。ダニエルはこの人物の抱く、虚栄心と飽くことのない賞讃への渇望をはじめて目のあたりにした。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』14、友枝康子訳)

だが、あのジョニーからあふれ出しているものは美しい、恐ろしいほど美しい。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

マーサはいつもそれを、カウリーでの日々の不安と焦燥がそれを記憶に焼きつけてしまい、そのため思いだすことがたやすいのだというふうに考えるのだった。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)

フィンガルは心配なんかしていなかった。ただくたびれて神経がピリピリしているだけだった。
(ジョン・ヴァーリイ『汝、コンピューターの夢』小隅 黎訳)

ホッブスが何度もくりかえし強調したことと言えば、明晰な定義は幾何学にだけじゃなくて明晰な思考にも肝心なものだということだ。
(ジョン・T・ウィリアムズ『プーさんの哲学』3、小田島雄志・小田島則子訳)

ガウスゴーフェルは一目でチェルパスを憎んだ。──憎しみは、ときには恋とおなじほど自然で奇跡的なものなのである。
(コードウェイナー・スミス『夢幻世界へ』伊藤典夫訳)

ヒューゴは"チーズ"という言葉を知っている。自分の名と同じくらいよく知っている。ある種の言葉を聞くと目をぱっと輝かせ、耳をぴんと立てる彼の仕草がわたしにはいとおしい。
(アン・ビーティ『待つ』亀井よし子訳)

こうしたすべて、そしてその千倍ほどの多くの事柄が、この啓示の瞬間にオバニオンの頭の中でくっきりと浮かび上がった。
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』13、若島 正訳)

タロス博士は観衆の想像力から多くのものを引き出した。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』32、岡部宏之訳)

「あんたはもうちょっと空中浮揚を練習すべきだと思わないかい?」ロウの無言の問いが、がやがやいう話し声のかげから、ぴーんと明瞭に伝わってきた。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)

〈あの子はこの先、どれだけ苦しむことになるのだろう〉と呟きながらも、ブルーノは優しげな眼で彼の後を追った。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)

「ありがとう」とピギーはいった。ジェーンの亡霊がいわせたのだった。
(アン・ビーティ『愛している』20、青山 南訳)

ソーザが超能力のなんらかの証拠を見せるとき、かれは常にはっきりと異常なほどの関心を示すのだ。
(マーガレット・セント・クレア『アルタイルから来たイルカ』10、矢野 徹訳)

その物体が近づいてくるにつれ、まずキャリエルに、数ミリ秒遅れてケフにも、その物体の形がはっきりとわかるようになった。
(マキャフリー&ナイ『魔法の船』5、嶋田洋一訳)

「母か」エルグ・ダールグレンは何か不調和なものを見つけたように微笑した。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』12、藤井かよ訳)

人生ってものはすばらしいものなんだよ、ケイト。一人っきりでは生きられないものなんだ、だれかほかの物と分けあうものなんだね。だから、相手の苦しみは自分の苦しみなんだよ。
(ジョン・ゴールズワージー『陪審員』龍口直太郎訳)

これこそ、ラルフ・ストレングだった。いま、ストレングはぼくたちにむかってにっこりと笑い、自信たっぷりなようすで、落ち着きはらって立ち去っていく。
(マイケル・コニイ『ブロントメク!』2、遠山峻征訳)

まるでシプリアーノはラモンの顔に、自分自身をさがしているかのようだった。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・12、宮西豊逸訳)

一方、ドウェインの狂気はどんどん進行していた。ある晩、彼は新しいミルドレッド・バリー記念芸術センターの真上の空に、十一個の月を見た。
(カート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』第4章、浅倉久志訳)

「アーヴァ夫人!」と彼は呼んだ。「あなたとお話がしたいのです!」
(フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』12、山岸 真訳)

「エカテリーナ」とギュンターがやさしく呼びかけた。「どれだけ寝ていないんだい? 自分の胸にきいてごらん。自分じゃなくて覚醒剤に考えさせてしまっているよ」
(マイクル・スワンウィック『グリュフォンの卵』小川 隆訳)

マルティンは服を着終えたとき、《そう、それじゃ、一人にさせて》というアレハンドラのあの恐ろしい言葉を耳にしたミラドールでのあの夜明けをふたたび思いだしていた。
(サバト「英雄たちと墓」第I部・20、安藤哲行訳)

いくら積分社会数学にくわしくても、ヘアーの内部には分割がある。最古で最悪のパラドックスのように、そこには部分への分割がある。
(ジョン・クロウリー『青衣』浅倉久志訳)

二人とも人の仕事を批評したり、他人の才能で肥え太ることしかできないものだから、モーリスが創作的な仕事をしているのが我慢ならなかったのよ。よくあることだわ。芸術に寄生する人たちの創作家に対する嫉妬。
(P・D・ジェイムズ『不自然な死体』第三部・3、青木久恵訳)

それでもおれは窓を降ろした。イーニアス・カオリンの庭園にただよう馨(かぐわ)しい香りを嗅ぐには、窓をあけるしかないからだ。
(デイヴィッド・ブリン『キルン・ピープル』下・第四部・72、酒井昭伸訳)

「ほら、リーシャ──この木はこの花をつけてるだろ。そうできる(、、、)からだ。この木だけがこういうすてきな花をつけることができる。
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』2、金子 司訳)

デボラと庭を見れば、それが絶えざる(、、、、)創造であることは明らかだった。つまり、ぼくが言いたいのは、庭が毎日、毎時間、新しくなっていたということだ。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十六章、榊原晃三・南條郁子訳)

「ねえきみ、自分の感情を反映させてはいかんよ。わたしがマイロンをほめるときは、単に彼を(、、)ほめているのであって、別にきみをけなしているわけじゃないんだから」
(ゴア・ヴィダール『マイラ』33、永井 淳訳)

「あたしはいまでもあなたの味方です」イネスは彼に近づいてそういった。恥ずかしがり屋の恋人がそっと近づいて、愛しているわ、というときのように。
(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

ラングには、彼女のばかげた気まぐれを満たしてやろうとするとき、彼女の饒舌な叱責がうれしかった。
(J・G・バラード『ハイ-ライズ』16、村上博基訳)

じつはね、とプールは彼女にいった。向こうの宇宙にはさらにゲートがあって、またべつの宇宙に続いている
(スティーヴン・バクスター『虚空のリング』下・第五部・32、小木曽絢子訳)

フォードはこぶしでコンソールを叩き、そのドンという音を聞いていた。「ゼイフォード、このドンという音を忘れてたよ。つまり、この音とかそういうことを。
(オーエン・コルファ『新銀河ヒッチハイク・ガイド』第3章、安原和見訳)

ジークは逃げ出しそうになったが、新たな音に注意を引かれた──
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』25、市田 泉訳)

ロビンはますを眺めていた。
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とブフ』16、若島 正訳)

なぜなら、ブルーノが言うように、精神の悲劇的な不安定さの一つは、また、その最も深みのある繊細さの一つは肉を通してでなければ現れないからだ。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・17、安藤哲行訳)

ミリアムの手もとをのぞきこんで、彼女が半分をクレヨンで、半分を鉛筆でしあげている作品に驚嘆した
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヤコブのあつもの、深町真理子訳)

とにかく行動することがラムジー夫人の本能だった
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・11、御輿哲也訳)

「しかし、永遠の生命の目的はなんなのだろう?」コヴリンはたずねた。
(チェーホフ『黒衣の僧』5、原 卓也訳)

孤独よりも悪いことがいくらもあることを、ケイトは身にしみて知っていた。
(P・D・ジェイムズ『秘密』第二部・2、青木久恵訳)

わたしはハンスの眼の下にわたしの顔があることを意識していた。まるでわたしの顔だちの一つ一つが、その形に苦しんでいるかのように。
(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年四月十日、関 義訳)

ジョニーにはそうなりえたかもしれないもう一人のジョニーの影のようなものがある。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

スーザンたちは何か昔の話の結末について言いあっている。みんなの記憶がそれぞれ違っている。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

ミス・キャロルが一瞬こわばった指をのばして、両の手のひらをねじりあわせ、そしてやがて話しはじめると、一同はただひとりきりの人間になって耳をすました……
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』5、深町真理子訳)

シプリアーノはやはり一個の力なのだ。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下・20、宮西豊逸訳)

ヘンリイの神経と血液とはその瞬間をはっきりと記憶しており、そして、死ぬまでそれを忘れはしないだろう。
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』3・2、小泉喜美子訳)

ブルーアーの獲物を狙うような愛相笑いを見たフィリッパには、ガブリエルがなぜ彼に惹かれたのか理解できた。特異な顔、一風変わった顔に彼はいつも惹かれる。そうでなければ、フィリッパを相手にしなかったはずだ。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・7、青木久恵訳)

ミンゴラにとっては蜘蛛の巣の動きや、ロウソクが投げる不規則な影が知覚できない呼吸のしるしだった。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・13、小川 隆訳)

おれはトーニの心を読むまいと必死に抵抗しなければならなかった。間違った答ではなく、正しい答をつかむのがこわかったのだ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『内死』8、中村保男・大谷豪見訳)

コンラッドは人とそれを取り巻く環境──都市、ジャングル、川や人々──との間に、科学がまとめて否定するような意義深い関係を確立する。
(ウィリアム・バロウズ『夢の書 わが教育』山形浩生訳)

午前の授業がなかばほど進むころには、アンナがあんなにも躍起になっていた問題というのが、わたしにもすこしはわかってきた。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』囚われ人、深町真理子訳)

「詩は万人によってつくられなければならない。ただ一人によってではなく。」というロートレアモンのことばに耳を傾けましょう。
(ポール・エリュアール『詩の明証』平井照敏訳)

奇妙なことにマルティンの眼には涙が溢れ、体は熱でもあるように震えていた。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・17、安藤哲行訳)

ジェレミーの父親の忠告はたいてい、なんらかの形で巨大蜘蛛に関係している。
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

クリフォード・ブラッドリーがエドウィンをああも怖れていたのはそのせいじゃないかと思います
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・1、青木久恵訳)

きみは実在しているものについて語る、セヴェリアン。こうして、きみはまだ実在しているものを保持しているのだよ。
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)

とつぜん、二コルの声が聞こえた。でかけていなかったのだ。階上でお風呂にはいっていたのだ。
(アン・ビーティ『愛している』28、青山 南訳)

ぼくはジンシヌラの新しい言葉を受けとめる新しい径のついた新しい〈灯心草〉をつくった。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

物語だよ、フローラ。
(ロジャー・ゼラズニイ『ユニコーンの徴(しるし)』3、岡部宏之訳)

どのオセロもまだ恋をするには到っていない
(サバト『英雄たちと墓』第I部・7、安藤哲行訳)

わたしはベッドに横になったまま、フランクがバスルームから出てくるのを待っている。
(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

誰にだって愛情を期待する権利はない、とダルグリッシュは思った。だが、それでもわれわれは期待する。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・5、青木久恵訳)

だが、カドフェルは完全に取り違えていたのだ。人はなんと簡単にだまされることであろう。一つひとつの言葉、一つひとつの表情がカドフェルには正しく読み取れなかったということだ!
(E・ピーターズ『死者の身代金』10、岡本浜江訳)

セヴェリアン、愛しているわ! 一緒にいた時に、わたしはあんたに恋焦がれていた。そして、何十回もあんたにわたしの体をあげようとしたのよ。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』29、岡部宏之訳)

ボウアディシアは気のきいた微笑を浮かべながらかれを眺めていた。そろそろ倦きてきた、ピンクレディをすすった。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』5、友枝康子訳)

「今、わたしの存在を維持しているのはだれか? オッパシゴか? 休んでもいいよ、オッパシゴ」
(ジーン・ウルフ『新しい太陽のウールス』50、岡部宏之訳)

ダールグレンは自分の半白の髪やひげや口にさわり、眼を閉じた。彼は倒れなかった。
(フィリス・ゴッドリーブ『オー・マスター・キャリバン!』2、藤井かよ訳)

一瞬俺たちは、エドが夢の話をするんじゃないかと恐れる。他人の夢の話を聞かされるほどうんざりなことはない。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

そのロバたちが帰ってくるまでのあいだ、空いている厩舎が、ビーンポールとぼくの寝床になるのだった。
(ジョン・クリストファー『トリポッド 3 潜入』2、中原尚哉訳)

どっちが本物のパーヴェルです? 両方とも本物ではないのでは?
(イアン・ワトスン『ヨナ・キット』21、飯田隆昭訳)

もう一人のピーターがこう口を切った。「どう見ても、ぼくらはみんな同じくらい本物ですね。つまり、あなたとぼくとは、例の扇子のそれぞれちがった骨の上に存在しているからなんですな、これは」
(ジョン・ウィンダム『もうひとりの自分』大西尹明訳)

「もちろんですとも」だが、それはパオロのあいさつにはこめられていなかった。
(グレッグ・イーガン『ワンの絨毯』山岸 真訳)

ついにテンノが言った。「それはとんでもない選択ですよ」
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』32、宇佐川晶子訳)

シプリアーノが邸から出て来た。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・13、宮西豊逸訳)

今日は木曜日だから、ヒルダは審判所に出かけている。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・8、青木久恵訳)

ソニアの香水や帰る時にそっと自分の肩に置いた掌のほうが、言葉よりも多くのことを語りかけていたように思える。
(コルタサル『すべての火は火』木村榮一訳)

ジャスティンはヒロインに好感をもった。ヒロインの姿に自分の姿を重ねた。せめてそこに自分を見いだしたかったのだ──
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』1、川副智子訳)

ドアのうしろにバドリイ神父の黒い僧服が吊してあり、その上にはすり切れて形も崩れたベレー帽。
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』2・1、小泉喜美子訳)

バリスの言葉の残酷さは、言葉そのものが消えたあとも、沈泥のように部屋の中に残っているようだった。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』18、三田村 裕訳)

フラズウェルとシーラとは、人間が負う重荷の責任を分ちあった。
(ロバート・シェクリー『人間の負う重荷』宇野利泰訳)

ウィリアム・ブレイクの言葉がフィリッパの心にふと蘇った。(…)〈生あるものはすべからく神聖だ。命は命を楽しむ〉
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・7、青木久恵訳)

極めて稀にだが、確かにアレハンドラがマルティンの傍でくつろいでいるときがあったようだ、
(サバト『英雄たちと墓』第I部・8、安藤哲行訳)

きみがルシオのことを思い出すのも無理はない。今頃の時間になると、昔のことが懐かしく思い出されるものだ。
(コルタサル『水底譚』木村榮一訳)

サムは気取っているふりをするが、気取っていなければそんなふりはしないのだ。
(キリル・ボンフィリオリ『深き森は悪魔のにおい』1、藤 真沙訳)

ダヌンツィオを彼女はたいへん可愛がったと、新聞が書いている。可愛がったか。このばあさんの写真を見てごらん。どう可愛がったものやら。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

ニコルの悲しんでいるのは分かっていたが、じぶんの母親の死とどうやって折り合いをつけようとしているのかは、ルーシーにはさっぱり見当がつかなかった。
(アン・ビーティ『愛している』28、青山 南訳)

彼はラモンのそばへ来て立ち、ラモンの顔をちらと見あげた。が、ラモンの眉はひそめられていて、その目は中庭の向こう側にならぶ小屋のあたりの暗黒にすえられていた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・13、宮西豊逸訳)

バックの部屋から、五時に会いたいという電話があったときも、事態はいっこうに好転していなかった。彼のひどく上機嫌なようすがちょっと気になった。
(ゴア・ヴィダール『マイラ』30、永井 淳訳)

「では愛が終わったということですわ」メリセントはいっそう熱をこめていったが、それは心のすみっこがそれは嘘だと叫んでいたからだった。
(E・ピーターズ『死者の身代金』8、岡本浜江訳)

ルーシーに分かったことは、なんだってそうなりうるのだということだった。そのとき以降、彼女はなにかに夢中になるルーシーになった。じぶんと状況を遠くからながめるルーシーになった。
(アン・ビーティ『愛している』25、青山 南訳)

モコロとは、一、二度会ったことがある。威勢がよくて感じのいい男だった。それに、自分の型を持っていたな。型ってのは、やるべき仕事があればさっさと片づける腕のことだ。
(コルタサル『牡牛』木村榮一訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

「自由というようなものもありませんよ」とドン・ラモンの静かな、太く低い、不気味な声がくりかえしているのを彼女は聞いた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・4、宮西豊逸訳)

ロナは自分がバリスの言葉を正しく聞きとったのかどうか確信がもてなかった。しかし、もう一度くり返してくれとは頼まなかった。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』22、三田村 裕訳)

シルフが木立の中に隠してあった自転車に案内してくれたので、モードはステージ・サイドまで漕いでいった。
(マイクル・スワンウィック『ウォールデン・スリー』小川 隆訳)

メアリ=アンの完全無缺な肉体には何かしらわたしを興奮させるものがある。彼女の中にか、わたしの中にか、それとも二人の中にあるのかわからないけれども、探りださなければならない秘密があることは確かだ。
(ゴア・ヴィダール『マイラ』35、永井 淳訳)

エスターの瞼は少し細くなり、角膜から反射した黄色い灯の点を隠していた。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』27、藤井かよ訳)

彼女を追いもとめ、彼女に侵入しそうだったのは、シプリアーノの内部の未完成なものであった。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・12、宮西豊逸訳)

『図書館』がジェレミーとカールとタリスとエリザベスとエイミーを友だちにした。
(ケリー・リンク『マジック・フォー・ビギナーズ』柴田元幸訳)

メイアーの言葉は感受性を感じさせた。ジェイン・ダルグリッシュは確かに彼にとって不死の存在に思えた。高齢の老人というのは、われわれの過去を作っているのだと彼は思った。
(P・D・ジェイムズ『策謀と欲望』第一章・6、青木久恵訳)

始まりは簡単だった、とジーンは思った。何事も始まりは簡単なものだ。表面は簡単だ。しかし深くなると複雑なものだ。
(ケイト・ウイルヘルム『杜松の時』5、友枝康子訳)

ラウラが嘘をついたところでどうってことはない。あのよそよそしい口づけやしょっちゅう繰り返される沈黙と同じ類のものだと考えればいいのだ。そして、その沈黙の中にニーコが潜んでいるのだ。
(コルタサル『母の手紙』木村榮一訳)

この国が生み出すことのできる最高のものは、男と男との何か強力な関係かもしれない、とケイトには思えた。結婚そのものは、つねに気まぐれなものだろう。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・9、宮西豊逸訳)

彼の望んでいることは、何があったかいっさいをダールグレンに告げ、それが良かったか悪かったかいっさい彼の判断に委せることだった。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』26、藤井かよ訳)

「いいです! 大へんいいです!」とシプリアーノは言いながら、なおも相手の男の顔を、おどろいたような、子供っぽい、さぐるような黒い目で見つめた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・12、宮西豊逸訳)

審査官はフェリックの眼をじっと覗きこんだが、その視線は人間くさく、一種の確信を欠いていた。
(ノーマン・スピンラッド『鉄の夢』1、荒俣 宏訳)

パーシー様、お手紙でございます。
(シェイクスピア『ヘンリー四世 第一部』第五幕・第二場、中野好夫訳)

ウィスタン、口を出さないで。
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』上・&、志村正雄訳)

セルバンテスは小説の小説を書き、シェイクスピアは芝居の中で芝居の批評をし、ベラスケスは描いている自分の姿を描いた。
(パス『弓と竪琴』詩と歴史・英雄的世界、牛島信明訳)

忘れっぽい人は人生を最大限に生かそうとする人なので、平凡なことはうっかり忘れることが多い。ソクラテスやコールリッジに手紙を出してくれと頼む人などどこにいるか。彼らは、投函など無視する魂を持っているのだ。
(ロバート・リンド『遺失物』行方昭夫訳)

店の入り口に、セリジー夫妻の姿を見つけるといきなり、ルネは、店の奥からハンカチを振って叫んだ、
(ケッセル『昼顔』一、堀口大學訳)

ウィンクホーストは叫ぼうとはしなかった──。いかにも落ち着いて、彼は腰を掛けた──。
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急報』中国人の洗濯屋、諏訪 優訳)

「ええ、見えるわ」セリア・マウはいった。「よく見えるわよ、あのクソ野郎ども!」
(M・ジョン・ハリスン『ライト』17、小野田和子訳)

彼は、その態度や高価な衣服からみて上流階級と思われる背の高い美男子がアーヴァに近づくのを見た。彼女はにっこり笑って立ちあがり、彼を小屋に連れこんだ。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』12、山高 昭訳)

「いやよ、マーク!! いや! いや! いや!」とメァリーは悲鳴をあげ、壇のほうへ引きずられながら恐怖のあまりに大小便をもらす。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

しかしエミリ・ディキンスンは耳や目を閉じようとはしなかった。
(トーマス・H・ジョンスン『エミリ・ディキンスン評伝』第八章、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)

ルイーズが言う。「とにかく、この前より楽よ。ドッグフードしか食べなかった頃のことを思えば」
(ケリー・リンク『ルイーズのゴースト』金子ゆき子訳)

エルメートは水のお代わりを求め、ごくごくと飲みほした。「でも、あのころを思い出しはせんのかな、アルビナ? クチュマターネスのことを?」
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・8、小川 隆訳)

「ええ、他のはありませんし、今後もないと思います」とオルジフ・ソウクルは断定的にいった。
(イヴァン・ヴィスコチル『飛ぶ夢、……』千野栄一訳)

自分自身の空を捜し求めている巨大な白い鳥のように、ミリアムは真下までくると立ちどまった。
(J・G・バラード『夢幻会社』25、増田まもる訳)

「ああ、ぼくは大丈夫だよ。ようやく大丈夫になるさ。心配しないでくれ。それから見舞いには来ないで。G・K・チェスタートンの言葉にこういうのがあっただろう。"人生を決して信用せず、かつ人生を愛することを学ばねばならない"。ぼくはとうとう学べなかった。」
(P・D・ジェイムズ『原罪』第四章・49、青木久恵訳)

アンナが言い返す。「どうしてわかるのよ?」
(ケリー・リンク『ルイーズのゴースト』金子ゆき子訳)

「どうして、きまっているんです?」軽い、どちらかというとひやかし半分の口調のつもりらしかったが、ダルグリッシュの耳は怒りを含んだ鋭い防御の響きを逃さなかった。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・5、青木久恵訳)

「いいえ、そうは言ってませんよ」シスター・ブリジェットは面白がっていた。「わたしはただ、美は表面的なものにすぎないという考えに疑問を呈しているだけ」シスターはコーヒー・カップを両手で包みこむように持った。
(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』4、成川裕子訳)

「まあ、ルノアールだわ!」
(P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』3、小泉喜美子訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

わたしは思わず息を呑み、その拍子にアメリアの長い髪を何本か吸いこんでしまったことに気づいた。
(クリストファー・プリースト『スペース・マシーン』5・4、中村保男訳)

ぼくたちはゴーロワーズを吸った。ジョニーはコニャックならほんの少し、タバコは日に八本から十本くらいなら吸ってもいいと言われていた。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

スヴェンのいうとおりだった。シルヴァニアンはビーズつなぎに苦心する必要があった。彼は手仕事をしている間は、考える必要はなかったのだ。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』29、藤井かよ訳)

ぼくはジョアンナのところへおやすみをいいに行くつもりだった。そういう小さな礼儀が、女性にはどんなに大きな意味をもつか、ぼくは知っているからだ。
(キリル・ボンフィリオリ『深き森は悪魔のにおい』4、藤 真沙訳)

クレールのそばにいると秋がいつもとちがって見えるんだ、とあなたは書いてきたわ。
(フエンテス『純な魂』木村榮一訳)

ヘレンは冷たく笑った。「いいわ、いただくわ、ありがとう。でも、ひとりでも──いい、ひとりでもよ──カメラマンがいたら、わたしは帰るわよ。なんの理由がなくても、帰ってしまうかもしれなくてよ。それでいい?」
(コードウェイナー・スミス『星の海に魂の帆をかけた女』5、伊藤典夫訳)

するとファーバーの心の中になにか複雑な、苦しいものがこみ上げてきて、喉がつまり、目が熱くなって、いつのまにか自分でも気がつかぬうちにしゃべっていた──静かな部屋に妙に声がひびく──帰らないで、ここにいっしょにいてくれ。二度と出ていかないでくれと頼んでいる自分の声だった。
(ガードナー・ドゾア『異星の人』5、水嶋正路訳)

「そこのテーブル・クロスの上にパンがある」とジョニーは宙を見つめたまま言う。「それは疑いもなく固いもので、何とも言えない色艶をしていて、いい香りがする。それはおれじゃないあるものだ。おれとは別のもの。おれの外にあるものだ。(…)」
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

君はようやくわかってくれたんだね。かつて僕が持っていたものをまた手に入れたんだ。今僕はそれを所有することができる。僕はふたたび君を見つけたんだよ、クレール。
(フエンテス『純な魂』木村榮一訳)

ベン=アミは大人の話を聞いている子供が感じるような、あるいはその逆の、欲求不満を感じはじめていた。「わかるように話してくれ」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面13、嶋田洋一訳)

ある哲学者の言葉を、確かロジャー・スクルートンだったと思うけど、思い出しましてね。"想像したものが与える慰めは想像上の慰めではない"
(P・D・ジェイムズ『殺人展示室』第二部・19、青木久恵訳)

ピエールとセヴリーヌのふたりは、顔を見合わせて、笑いあった。衰えるものは何ひとつ見のがすことのない若々しい朝の光も、若いふたりの顔には寛大だった。
(ケッセル『昼顔』三、堀口大學訳)

ふとヘアーは、この世界がどれほどうまくまとまっているか、人びとがそこにどれほどしっくり適応しているかを実感した。その継ぎ目のない行動場のなかに、この自分も不安をかかえたままでやはり適応しているのだ。
(ジョン・クロウリー『青衣』浅倉久志訳)

サディーはとても優しい子でした。詩は情熱だけれど、人生のすべてである必要はないということを教えてくれました。
(P・D・ジェイムズ『神学校の死』第四部、青木久恵訳)

不安になって、ハリーは部屋のなかをうろついた。寄(よせ)木(ぎ)細工の床が彼の足どりの不安さを反響する。
(ブライアン・オールディス『外がわ』井上一夫訳)

ゾフィーがいなければぼくは無です。彼女がいてくれてこそ、ぼくはいっさいとなるのです。
(ノヴァーリス『日記』I・一七九七年六月六日[八十日]、今泉文子訳)

「わたしは生得観念が存在しないことを証明するつもりだ」とコンディヤックはいった。「すべての愚かな哲学者どもを永久に論破してやる。心の中には、知覚によってとりいれられたものしかないことを証明してやる。
(R・A・ラファティ『コンディヤックの石像』浅倉久志訳)

骨と肉だけが顔を作るのではない──とブルーノは思った──つまり、顔は体に比べればそれほど物理的なものではない、顔は目の表情、口の動き、皺をはじめとして、魂が肉を通して自らを現すそうした微妙な属性すべてによって特徴づけられるのだ。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・2、安藤哲行訳)

母親がさまざまな狂信者とかかわりあったため、ヘレンは鋭い人間観察家に成長していた。人びとの筋肉には各人の秘めた歴史が刻まれており、道ですれちがう赤の他人でさえ、(本人が望むと否とにかかわらず)そのもっとも内なる秘密を明かしていることを、ヘレンは知っていた。
(コードウェイナー・スミス『星の海に魂の帆をかけた女』4、伊藤典夫訳)

銀色のホットパンツを身につけた、とても若くて色の黒い一人の女が、アブの左腕を見つめ、小指を見つめる。それが一匹のタランチュラとなって自分の腕を這いあがってくるかのように。(アブは全身が非常に毛深かった)。
(トマス・M・ディッシュ『334』死体・1、増田まもる訳)

その時だしぬけにフリエータが明るいキャラメル色の眼でぼくをじっと見つめて、低いけれども力強い声で「キスして」と言った。こちらがしたいと思っていることを向こうから言い出してくれたので、一瞬ぼくは自分の耳が信じられず、もう一度今の言葉をくり返してくれないかと言いそうになった。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』世界一の美少女、木村榮一訳)

ばらばらに砕けたイメージが、カールの頭の中で静かに爆発した。そして、彼はさっと音もなく自分の身体から抜け出していた。遠く離れたところからくっきりと明白にランチルームにすわっている自分の姿を見た。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ホセリト、鮎川信夫訳)

レイン・チャニングの別荘に着いて五分とたたぬうちに、わたしのスーツはずいぶんおとなしくなり、傷ついた花のように両肩から垂れさがった。
(J・G・バラード『風にさよならをいおう』浅倉久志訳)

プチ・マニュエルが彼女を見上げたまなざしは、踏みにじられた花を思わせた。
(J・G・バラード『コーラルDの彫刻師』浅倉久志訳)

アイリーンがちょっとためらってから、にこっとして言った。「あれはきっと、イギリス英語で『ようこそ』という意味なのよ」
(チャールズ・ボーモント『レディに捧げる歌』矢野浩三郎訳)

リミットは慎重にあたりを見回してから、ブリーフケースを数インチほど開けて、メアリの顔のところに差し上げる。中をのぞきこんだときの表情から、メアリには何であるかわかったようだ。
(K・W・ジーター『ドクター・アダー』黒丸 尚訳)

ソニヤは悲鳴をやめ、しわくちゃになったシーツを引っぱり上げて台なしになった魅力を隠すと、みっともなくのどを鳴らして悲劇的な表現に熱中しはじめた。ぼくはものめずらしい気持で彼女を仔細に眺めたが、それは演技だった。でも彼女は女なんだから特に演技してみせることもないのだ、この意味がわかるだろうか?
(キリル・ボンフィリオリ『深き森は悪魔のにおい』2、藤 真沙訳)

クセノパネスは老年になってから、どちらを見ても、ものがみなあっというまに「統一性」へ駆けもどってしまうと不平を言った。あきあきするほど多様な形態のなかにおなじ本質を見ることが彼にはうんざりだった。
(エマソン『自然』五、酒本雅之訳)

ジョーは議論にそなえて男のほうに向き直り、言葉をつづけようとした。そのとき、ジョーはだれに向かって話しかけようとしていたかを悟った。
(フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』5、汀 一弘訳)

きみのフルネームは、アリス・プレザンス・リデルかい?
(ジェフ・ヌーン『未来少女アリス』風間賢二訳)

オノリコいわく。物語るだけでは十分でない。重要なのは語り継ぐことだ。つまり、すでに語られた物語を、自分のために入手し、自分の目的のために利用し、自分の目標に隷属させたり、あるいは語り継ぐことによって変容させたりする語りである。言い換えるなら、メンドリは、卵が別の卵を産むために用いる手段だということだ。
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』覚書、園田みどり訳)

「チャーリィはまだ理想主義者なのさ」ハチャーが言った。「世界は論理的じゃないということを認めようとしないんだ」
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』15、大島 豊訳)

「それでは、いったい何の目的でこの世界はつくられたのでしょう」とカンディードはいった。
(ヴォルテール『カンディード』第二十一章、吉村正一郎訳)

詩人のロン・ブランリスはいいました、「われわれは驚きの泉なのです!」と。
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第3巻、矢野 徹訳)

だが、ジャックはヴォーナンからなんの情報も聞き出してはいなかった。そして、愚かにも、わたしはなにも気づかなかったのだ。
(ロバート・シルヴァーバーグ『時の仮面』16、浅倉久志訳)

マルティンはふたたび視線を上げた、今度はほんとうにブルーノを見るためだったが、まるで謎を解く鍵を教えてもらおうとするような眼差しだった、
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・2、安藤哲行訳)

ベルナルド・イグレシアスは教会を意味するイグレシアスという名をもちながら、ついにその名に救われることはなかったが、考えてみると教会というのは人を救ったりはしないものだ。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』すべてが愛を打ち破る、木村榮一訳)

ロナの足がロナ自身に告げた。アーケードへ行って、この雪の夜の光とぬくもりに包まれながら、しばらく歩きまわろう。
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』4、三田村 裕訳)

ファウラー教授は、額をおおう黄土色の土をぬぐった。ぬぐいそこねた土は、まだ額に残っている。
(アーサー・C・クラーク『時の矢』酒井昭伸訳)

ティムの顔は、さまざまな感情の去来する場だった。
(ブライアン・W・オールディス『神様ごっこ』浅倉久志訳)

場所ね、ドラゴーナ、しっかりと立っていられるようなところ。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

エンダーには、そんな場所を自分の中にみつけることはできなかった。
(オースン・スコット・カード『エンダーのゲーム』4、野口幸夫訳)

イレーヌの顔には、そういうことがなにか留(とど)められているかと考えて、その顔をじっと眺めてみたが、そこにはなにひとつ留められていないことが、見てとれるような気がした。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』7、菅野昭正訳)

これもいつかブルーノが彼に言うことになるが、わたしたちはそんなふうにして、このもろい死すべき肉体を通して、永遠を仄かに見ることができるように作られているからである。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)

ジミーをいらいらさせるのは、そういうこまかい話である。
(ジョン・ウィンダム『ポーリーののぞき穴』大西尹明訳)

ク・メルが人間に通じているのは、なによりも自分が人間ではないからだった。ク・メルは似せることで学んだが、似せるという行為は意識的なものである。
(コードウェイナー・スミス『帰らぬク・メルのバラッド』3、伊藤典夫訳)

ほんの一瞬ではあったが、娼婦のシオマーラを通してぼくは二度と会うことのなかったあの女の子を思い出したのだ。
(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』最後の失敗、木村榮一訳)

わたしのフルネームはアリス・プレザンス・リデルよ。
(ジェフ・ヌーン『未来少女アリス』風間賢二訳)

アリスはいつも二重に裏切られたような気分になるのだった──まず、だまされていたということに、そして次に、最後までちゃんとだましおおせてもらえなかったということに。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』37、細美遙子訳)

だが、フェリシティ・フレイにはそうさせるな。
(ジョン・ウィンダム『野の花』大西尹明訳)

ディディは手すりに駆けよって、まるでクジラたちが死のダンスを踊っているところへ手をさしのべようとでもするように、手すりから身を乗りだした。風が顔に吹きよせたが、風などまったく吹いていなかった。
(ソムトウ・スチャリトクル『スターシップと俳句』第一部・10、冬川 亘訳)

「さ、これでかたづいた」ビングは満足げにいうと、ガラスの数珠をポケットに入れ、カンバス地のスーツケースを取り上げた。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』22、細見遙子訳)

ロジャーの目をとおして、われわれはかれが見たものを見た。
(フレデリック・ポール『マン・プラス』15、矢野 徹訳)

私の過去のいっさいのものは私があの不幸な男の頭に触れた日以来、すべて予兆となってしまった。アダにたいする私の愛、彼らはそれを中傷するだろうし、そのためにさまざまな言葉を考えだすだろう。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』23、菅野昭正訳)

「連中のことを気にしてはいかんよ、リーシャ」彼があのすてきななまりでいった。「けっして。東洋の古いことわざがある。"犬は吠えるがキャラヴァンは進む。"礼儀を知らず、または嫉妬した犬が吠えたからといって、きみはけっして自分のキャラヴァンの速度をゆるめてはならないよ」
(ナンシー・クレス『ベガーズ・イン・スペイン』3、金子 司訳)

イルマの手の中が空であることが見えずにそこに抱かれている思い出を見て、こういった。「ああ……かわいい坊やだね」
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第五部・15、小川 隆訳)

ハヴェル先生は、伝聞や逸話もまた、人間そのものと同じく老化と忘却の掟に従うものだということをよく知っていた。
(ミラン・クンデラ『ハヴェル先生の二十年後』3、沼野充義訳)

「他人が支配しているものを通じて幸福を求めるな」シプリィは答えた。「さもないと結局は支配しているやつらの奴隷になる」
(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』15、大島 豊訳)

カントは証明してくれた。われわれは、あるがままの物自体を知ることはない。ただその物がわれわれの心に映るさまだけを知るのであると。
(ハイネ『哲学(てつがく)革命』伊藤 勉訳)

生命の本質は変化だと、サンプソン博士はかつて言っていた。死の本質は不動性だった。死体にすら、その肉がくさるかぎりは、そのめしいた目にウジがむらがり、破れた腸から流れ出る液をハエが吸うかぎりは、生命の痕跡があった。
(ロバート・シェクリー『石化世界』酒匂真理子訳)

ダーナ・キャリルンドもおそらくかれと同じくらいの人間通だったが、その手段も目的もマーティンとはちがっていた──つまり、それは人間の精神の健康を改善するためではなく、人間たちをもっと大きな図式に当てはめるためだった。
(グレッグ・ベア『斜線都市』上・第二次サーチ結果・5/、冬川 亘訳)

空気はゆるみつつあり、空も明るくなってオレンジ色からもとの青色へともどりつつあった。そして、前方に半透明のジュリアの姿がふたたびあらわれたとき、クロフォードはそれを予期していたことに気づいた。
(ティム・パワーズ『石の夢』上・第一部・第十一章、浅井 修訳)

バードはまたおちつかなげに歩きまわり、弁護士というよりは、むしろ床(ゆか)を相手に話をしているようだった。
(オスカー・シーゲル『カシュラの庭』森川弘子訳)

マルガリータ夫人はこう呟いた『これはきっと重大なことなんだわ。誰かが、わたしの魂に水をもたらすのは夜のほうがいいと考えて、こんなふうにしたのよ』
(フェリスベルト・エルナンデス『水に浮かんだ家』平田 渡訳)

ジュアンが私の目をまっすぐ覗くようにして見た。すると一瞬また体に震えが走り、テーブルにいるのは本当はジュアンと私だけではないかというとっても奇妙な感覚に捉われた。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第一部、飯田隆昭訳)

アグノル・ハリトは率(そつ)直(ちょく)に、わたしたちが洞窟の入り口に達したら、そのあとは地獄さながらの場所に入りこむことになるだろうと警告した。あとでわかったことだが、アグノル・ハリトの警告はあまりにもひかえめなものだった。
(ニクツィン・ダイアリス『サファイアの女神』東谷真知子訳)

ソネットの厳しい規則が詩作に高い水準を強制できるように、科学的な事実に忠実であることは、よりよいSFを生みださせることができる。これを無視するのは、自由詩型についてのロバート・フロストの言葉──"それはネットを下ろしてテニスをするのに似ている"──を思いおこさせる。
(グレゴリイ・ベンフォード『リディーマー号』のあとがき、山高 昭訳)

ガスは考えた──あとどれぐらいしたら、ハルジーは、自分が自分に仕掛けた罠に気づくだろうか?
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

デ=セデギはドラム缶のまわりに集まっている男たちの中に彼の姿をさがし、両手をひろげてどうしようもないというポーズをした。ミンゴラはあからさまな挑(ちよう)戦(せん)という概念に縛られて、男のわきまで歩いていった。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・8、小川 隆訳)

メグはコプリー氏がアマチュアのヴァイオリニストだったことを思い出した。今は手がリューマチがひどくて、ヴァイオリンを持つどころではないが、楽器は隅のタンスの上に今もケースに入ってのっている。
(P・D・ジェイムズ『朔望と欲望』第六章・51、青木久恵訳)

知的無責任者のほうが、じつは、ハンカー氏やバラロンガ卿のような非知性的な冒険者より、人間として邪悪なのではないか。
(H・G・ウェルズ『神々のような人ひと』第二部・三、水嶋正路訳)

「かつてはここもすばらしい世界だったのでしょうがね」とホートは答えた。「息子さんはこの星を憎んでいました。いやむしろ、もっと具体的にいえば、この星で彼が見たものを憎んでいました」
(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・5、大森 望訳)

「ねえ、ギョーム」と彼女がふいに言った、ときおり見せるあの萎れたと言ってもいいような微笑みを浮かべながら、「そんなふうにして、火のなかになにを見つめてらっしゃるんですの? ……」
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』20、菅野昭正訳)

レスティグは車を走らせた。(…)ひたすら車を駆った。そのようすはさながら、もし彼が想像力に富んだ男であったなら、本能に導かれてまっすぐ海へ帰ってゆくうみがめの子になぞらえただろうような、そんなひたむきさを持っていた。
(ハーラン・エリスン『バシリスク』深町真理子訳)

ジュリーは目を閉じ、心の奥にしまった光のレースを取り出そうとする。頭蓋を飛び出した〈精神(エスプリ)〉のレースは大きく広がり、やがて森を包む雲になる。
(ベルナール・ウェルベル『蟻の革命』第3部、永田千奈訳)

ジョージ・マレンドーフが自宅の玄関へと私道を歩いていくと、愛犬のピートが駆けよってきて、彼の両腕めがけてとびついた。犬は道路から跳びあがったが、そこでなにかが起きた。犬は消えてしまい、つかのま、いぶかしげな空中に、鳴き声だけがとり残されたのだ。
(R・A・ラファティ『七日間の恐怖』浅倉久志訳)

イノックはポンプを押した。ヒシャクがいっぱいになると、男はそれを、イノックにさしだした。水は冷たかった。それではじめて、イノックは、自分ものどが渇いていたことを知り、ヒシャクの底まで飲みほした。
(クリフォード・D・シマック『中継ステーション』6、船戸牧子訳)

スザンヌはまだ若すぎたし、それに物事のうわっつらばかり見て育った女だった、彼女は目に見えるものだけで満足していたのだ。
(ノサック『弟』2、中野孝次訳)

キャスリンの脚が部屋に入ってくると、床板が少したわんだ。ギャビイの脚が続いた。
(キム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』下・第四部・20、大西 憲訳)

ステファンヌは私に夢中だ。私という病気にかかっていることがようやくわかった。こっちがなにをしようと、彼にとっては生涯、それは変わらないだろう。
(エルヴェ・ギベール『ぼくの命を救ってくれなかった友へ』8、佐宗鈴夫訳)

メグは穏やかな口調で食い下がった。「でも、その声が自分の声ではないと、自分の潜在的な欲求ではないとどうしてわかるのでしょう。その声の言っていることは、自分の体験、個性、遺伝体質、内的欲求を通して考え出されたものにちがいありません。
(P・D・ジェイムズ『朔望と欲望』第六章・51、青木久恵訳)

死の十年前、フロイトが人間を総括して何と言っているか、御存じになりたくありませんか? 「心の奥深くでこれだけは確かだと思わざるを得ないのだが、わが愛すべき同胞たる人間たちは、僅かな例外の人物を除いて、大多数がまず何の価値も持たない存在である。」
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』11、斎藤昌三訳)

だが、ボドキンは行ってしまっていた。ケランズはその重い足音がゆっくり階段を上がって、自分の部屋の中に消えてゆくのを聞いた。
(J・G・バラード『沈んだ世界』3、峰岸 久訳)

一瞬、わたしはまた夢を見ているような気分になった。城壁の狭間に狒狒が登っていたのだ。だがそれはまぐさをばりばり食べている馬と同様に、現実の動物で、ごみを投げつけると、トリスキールと同じように印象的な歯を剥き出した。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』28、岡部宏之訳)

クリフォード・ブラッドリーは長い間待たされたにしてはかなりよく耐えていた。言うことにも矛盾はないし、毅然とした態度をとろうと努めていた。しかしすえたような恐怖の病菌を部屋の中まで持ちこんでいた。恐怖は人間の感情の中でもとりわけ隠し方がむずかしい。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第二部・15、青木久恵訳)

ズィプティ、ズィプティ、ズィプティ、宇宙船と人工衛星。その通路は病院と天国が半々になったような臭いがし、そしてボズは泣きはじめた。
(トマス・M・ディッシュ『334』解放・3、増田まもる訳)

気をつけたほうがいいな、ロバート。きみはまたその鳴き声を耳にするかもしれんぞ。
(J・G・バラード『沈んだ世界』4、峰岸 久訳)

バッリは寒さが気にならないようすで、コップのなかを、まるで自らの考えをそこに発見したかのように見つめていた。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』11、堤 康徳訳)

わたしは目を閉じて、ブルーノの夢を想像してみようとする。だが、行きつくのはブルーノが夢に見そうもないことばかりだ。青い空。あるいは大地が冷えきったときの野原の無情さ。たとえそうしたものに気づいていたとしても、ブルーノはそれを悲しいとは思わないだろう。
(アン・ビーティ『駆けめぐる夢』亀井よし子訳)

「人は夢や希望といったものを一度持つと」と、ハドリーは少し考えてから説明しはじめた。「それをあきらめなければならなくなったあと、とてもつらい日々をすごさなきゃならなくなるものなんです。
(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』14、佐藤龍雄訳)

シェイクスピアの場合、語と語の音声関係に対する興味は、それらの語の全体的意味に対する興味とぴったり一致していた。ある語との出会いがどんな出会い方であろうと、彼はその語を確実に掴まえた。
(ウィリアム・エンプソン『曖昧の七つの型』上・2、岩崎宗治訳)

リーはバッグを閉じ、老ヤク中ポーターを呼んで仕切りを後にする。背後では仕切りの壁がついに破れて、裂けて千切れて潰れる音。
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』赤見、山形浩生訳)

ワンダが眼を開いて、新たな深淵に眼をこらした。
(ジャック・ウォマック『テラプレーン』11、黒丸 尚訳)

オーデンいわく、「詩は実際の効用をもたらすものにあらず」。
(ジュリアン・バーンズ『フロベールの鸚鵡』10、斎藤昌三訳)

コプリー氏は静かに坐ったまま、古い説教や法話、よく使う聖句からインスピレーションを得ようとしているのか、せわしなくまばたきした。
(P・D・ジェイムズ『朔望と欲望』第六章・51、青木久恵訳)

そして彼女はフェルナンドのそんな仕草をもどかしそうに待っていたみたいだった、まるでそれが彼の愛情の最大の表現ででもあるかのように。
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)

彼女は低い天井を見つめていた。わたしはそこにもう一人のセヴェリアンがいるように感じた。ドルカスの心の中にだけ存在する、優しくて気高いセヴェリアンが。他人に最も親しい気分で話をしている時には、だれもが、話し相手と信じる人物について自分の抱いているイメージに向かって、話をしているものだ。
(ジーン・ウルフ『警士の剣』10、岡部宏之訳)

ユートピアの害獣、害虫、寄生虫、疾病の除去、清掃の各段階には、それぞれいろいろな制約や損害が伴った可能性があるという事実を、キャッツキル氏は、その鋭い軽率な頭脳でつかんでいた、というより、その事実が彼の頭脳をつかんでいたと言ったほうが当たっている。
(H・G・ウェルズ『神々のような人びと』第一部・六、水嶋正路訳)

クレオパトラが言ったように、あの出来事が傷のようにぼくをさいなんだ。その傷が今もなお疼くのは、傷自体の痛みのせいのみならず、そのまわりの組織が健全であるが故なのだ。
(L・P・ハートリー『顔』古屋美登里訳)

レター氏のあの口笛、突然陽気な気分になっては、また突然に無気力な様子になるあの変わりよう、あの砂色の髪にきたない歯が、わたしの怒りをめざめさせる。とりわけ、会社を出てから時間がたっても、あのメロディが頭の中でぐるぐるまわるときが、まるでレター氏を家に連れて帰るようなもの。
(ミリュエル・スパーク『棄ててきた女』若島 正訳)

「おまえは実の父親にむかって、地獄へうせやがれというのか?」アンクはつぶやいた。この質問は、アンクのがらんとした記憶の広間から、いまなお彼自身の奇妙な少年期の断片が息づいている片隅へとこだまを返した。
(カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』6、浅倉久志訳)

「生命だ、ビリー」ジュリアンの微笑は彼をからかっていたが、ビリーはどうにか微笑を返した。「生命と愛と欲望、豊富な食物と豊富なワイン、豊かな夢と希望だ、ビリー。それらすべてがわれわれの周囲に渦巻いている。可能性だ」彼の目がぎらぎらと輝いた。(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』10、増田まもる訳)

ウェンデルの質問は、もうとっくに、あのバージニアカシの生えたなだらかな丘のガソリン臭い空気の中へ、置きざりにされている。
(ウォード・ムーア『ロト』中村 融訳)

ドゥーリーはまさに敵対的な侵入勢力そのもののような男だった。彼がまっすぐこちらの精神のなかにはいってきて、何か利用できるものはないかときょろきょろしているのが感じられた。
(ウィリアム・バロウズ『ジャンキー』第六章、鮎川信夫訳)

こわくない、とラムスタンは自分に言い聞かせていたが、それは自分への嘘、あらゆる嘘の中で一番簡単な嘘だった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』28、宇佐川晶子訳)

いつもながら、クロードとかかわりのあるものは、どれもあいまいで、不可解で、疑わしい。アンナのような気性の激しい女性にとって、こうしたことの積みかさねから出てくるものはただ一つ──怒りであった。
(ジェイムズ・P・ホーガン『プロテウス・オペレーション』下・29、小隅 黎訳)

かわいそうなカルロはもうそれこそ彼女を愛していた。ひと目ぼれの永遠の愛だった。
(ガッダ『アダルジーザ』アダルジーザ、千種 堅訳)

「数知れぬと言ってもいいが、この地上における一切の不幸のなかでも」と、エレディアは身振りをまじえ、宮殿の避雷針を見つめながら語る。「詩人の不幸ほど甚だしいものはないでしょう。さまざまな災悪によりいっそう深く苦しめられるばかりでなく、それらを解明するという義務も負うているからです」
(レイナルド・アレナス『めくるめく世界』34、鼓 直・杉山 晃訳)

「そう、それなんだ」と、ク・メルは心にささやいた。「いままで通りすぎた男たちは、こんなにありったけの優しさを見せたことはなかった。それも、わたしたち哀れな下級民にはとどきそうもない深い感情をこめて。
(コードウェイナー・スミス『帰らぬク・メルのバラッド』3、伊藤典夫訳)

少しずつジョンは、労働を節約するいくつもの小さな工夫を家の中に取り入れていった。
(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』6、矢野 徹訳)

「そんなの、わたしが思ってたよりずっと面倒くさいじゃないの、ロジャー。まったく面倒だわ」ドリーが愚痴をこぼした。
(タビサ・キング『スモール・ワールド』8、みき 遙訳)

子供の頃、オードリー・カオソンズは物書きになりたかった。物書きは金持ちで、有名だったからだ。
(W・S・バロウズ『おぼえていないときもある』レモン小僧、山形浩生訳)

いつたんこの世にあらはれた美は、決してほろびない、と詩人高村光太郎(一八八三―一九五六)は書いた。「美は次ぎ次ぎとうつりかはりながら、前の美が死なない。」
(川端康成『ほろびぬ美』)

「きみはばかな男ではない、グラブ・ディープシュタール」このことは、伯爵はおれのことを自分よりはるかにばかだと考えていることを意味していた。
(ハリイ・ハリスン『ステンレス・スチール・ラット』18、那岐 大訳)

マクレディの長老教会派(プレスピテイアリアン)の良心は、一旦めざめさせられると、彼を休ませてはおかなかった。
(J・G・バラード『沈んだ世界』3、峰岸 久訳)

「僕たちは神を存在させるだろうよ」とエルサンは言った、「行動することによってね」
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』14、菅野昭正訳)

ダルグリッシュとマシンガムはソファに坐った。スワフィールド夫人はひじかけ椅子の端に腰をかけて、二人を励ますように笑いかけている。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

町の中心部にむかうミンゴラの目の前から、犬がこそこそと逃げてゆく。裏返しになった平底舟の下では蟹がちょこちょこと歩きまわり、掘ったて小屋の下では一人の黒人が気を失って倒れ、乾いた血がその胸に縞(しま)模様をつけている。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

アレッサンドロ・サルテが自分一人だと思い、自分を見張っていない稀な瞬間には、彼の真の相貌が素描されて浮かびあがるのである。
(ユルスナール『夢の貨幣』若林 真訳)

ボードレールは存在するものの根底において、その死の中で、しかも、それが死ぬゆえに、存在するものがわれわれの救いでありうることを予感した。
(イヴ・ボンヌフォア『詩の行為と場所(抄)』宮川 淳訳)

「──ふふん、これだな、必要がオノレ・シュブラックを、またたくひまに脱衣せしめた場合っていうのは。どうやらこれで彼の秘密がわかって来たような気がする」と、わたしは考えたものだった。
(ギヨーム・アポリネール『オノレ・シュブラックの消滅』青柳瑞穂訳)

シプリアーノは、太古の薄明を自分のまわりにめぐらしつづけていた。
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』下・20、宮西豊逸訳)

フラムはヨークに答えるひまを与えなかった。こめかみを指でとんとんと叩きながら話しつづける。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』8、増田まもる訳)

それからナポレオンは眠りに入った。
(サンドバーグ『統計』安藤一郎訳)

ところがだ、その影がゆうべ、このリチャードの魂をふるえ上がらせたのだ、愚かなリッチモンドの率いる武装兵一万騎が現実に立ち向ってくるのより恐ろしかった。
(シェイクスピア『リチャード三世』第五幕・第三場、木下順二訳)

リアの影法師さ。
(シェイクスピア『リア王』第一幕・第四場、野島秀勝訳)

ああ、ハムレット、もう何も言わないで。
(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、野島秀勝訳)

アイテルは悲しかった。だが、それは楽しい悲しさだった。
(ノーマン・メイラー『鹿の園』第六部・28、山西英一訳)

ラムスタンはグリファに惹かれると同時に、それを憎んでいた。今はグリファが両親とおじの声を使ったことで、彼らまで憎らしくなった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』26、宇佐川晶子訳)

レイロラ・ラヴェアの教えでは、人生のバランスを獲得すれば──ありあまる幸運を完全に分かちあい、すべての不運が片づいて──完璧に単純な人生がのこる。オボロ・ヒカリがぼくたちにいおうとしていたのは、それなんだ。ぼくたちが来るまで、彼の人生は完璧に単純に進行していた。
(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)

ところが、こうしてぼくたちが来たことで、彼は突然バランスを崩された。それはいいことだ。なぜなら、これでヒカリは、完璧な単純さをとりもどす手段をもとめて苦闘することになるからさ。彼は進んで他者の影響を受けようとするだろう。
(オースン・スコット・カード『エンダーの子どもたち』上・4、田中一江訳)

まあ、何が起こるにせよ、なかなかおもしろい旅行になりそうだった。知らない人々に会え、知らないものや知らない場所を見ることができる。それがドリーと関わりあいになった最大の利点のひとつだ。人生とはほとんどいつもおもしろいものだ。
(タビサ・キング『スモール・ワールド』5、みき 遙訳)

人は誰でもパスワードに保護された、自分だけが理解できる隠れた文脈の中で生きている──ハモンドのようなやつが現われて暗号を破り、壁を飛び越え、中で怯えて縮こまっている本人の姿を暴き出してしまわない限り。
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第2部・13、嶋田洋一訳)

コスタキは空を見上げた。山間の故郷では星は降るように輝いていた。だがここでは、ガス灯と霧と分厚い雨雲が、夜の千の目を奪っている。
(キム・ニューマン『ドラキュラ紀元』15、梶元靖子訳)

シルヴァニアンはまた、自分の怪物のようなエゴも心得ていた。ほかの強い心の持主と同じく、彼も決して無軌道ではなかったが、感情におぼれこんでしまうのだった。感情の力学がどう働くか、よく心得ているくせに、自分で自分の感情を操作することはできなかった。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』25、藤井かよ訳)

これがヒーコフなら、病院の物音をたのしんだことだろう。深い闇の奥から聞こえる恐ろしい苦痛のうめき。怒りと空腹を訴える乳児の明るい泣き声。夜の仲間のこうした物音には、母音推移がない。
(ハーヴェイ・ジェイコブズ『グラックの卵』浅倉久志訳)

事務長のジョナサン・ジェファーズは、金縁眼鏡をかけ、茶色の髪をぴっちりなでつけて、飾りボタンのついた深靴をはいたやさ男だったが、計算と取引に関してはすご腕だった。なにひとつ見落とさず、売買契約の際はじつにしぶとく、チェスを指すときはさらにしぶとい男なのだ。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』4、増田まもる訳)

「困難なことが魅力的なのは」と、チョークは言った。「それが世界の意味をがらりと変えてしまうからだよ」
(ロバート・シルヴァーバーグ『いばらの旅路』4、三田村 裕訳)

世俗的な嘘がどうして精神により高度なビジョンをもたらすことができるのか、ルーにはおぼろげに理解できた。芝居や小説は比喩を使ってそれを行っている。そして比喩的な意味としては、今度のハプニングは、単なる事実の達成を期待する文学的叙述より、精神的に真実の本質に近いビジョンを世界に提供するだろう。
(ノーマン・スピンラッド『星々からの歌』デウス・エクス・マーキナ、宇佐川晶子訳)

スザンナという名はどんな女性にもふさわしくない。パーブロはまちがいなくパーブロで、独自のものを持っていた。いまは不安そうに前かがみになって椅子に腰かけている。しかし、人殺しには見えない。われわれはみんなそうだ。
(マイクル・コニイ『カリスマ』9、那岐 大訳)

「いやあ、これは本当に驚いたなあ」、とギョームは言った。
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』6、菅野昭正訳)

彼は土地使用料を扱う担当者に任命され、その遊園地を目にするたびにロビンのことをつい思い出し、ロビンに会うたびについカーニヴァルのことを思い出すようになってしまった。
(シオドア・スタージョン『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』3、若島 正訳)

スミザーズさん、二つの悪をお選びなさい
(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

「聖人の群れに加えられるか否かは」ラドルファス院長は頭を高々ともたげ、語りかけている会衆のほうは見ずに、アーチ形の天井に視線を向けて言った。「われわれの理解しておるいかなる基準によっても決せられるものではない。聖人の群れが、罪を犯したことのない人びとからのみなるということはありえない。
(E・ピーターズ『門前通りのカラス』11、岡 達子訳)

しかしエルグ・ダールグレンは心の底ではそうではないことを知っていた。そして何か別のことを心待ちにしていたのだった。傷つきやすいものへの一瞥、女王も近づけない、彼が"自我"と名づけた本性への。
(フィリス・ゴットリーブ『オー・マスター・キャリバン!』26、藤井かよ訳)

フェリックスはあえぎながら木の根元に横たわった。眩暈がしたし、すこし吐き気がした。自分の大腿骨の残像が、この世のものならぬ紫色に輝きながら目のまえに漂っていた。「ミスター・ラビットに会いたい」フェリックスは電話に向かってそうつぶやいたが、答えはなかった。少年は泣いた。
(チャールズ・ストロス『シンギュラリティ・スカイ』外交行為、金子 浩訳)

グライアンは空を見上げた──太陽はまだ高く、木々のあいだの熱い空気は動かしがたいように思えた。
(クリストファー・プリースト『火葬』古沢嘉通訳)

ジャーブはそう感じる、グロールもアイネンもそう感じる、それぞれが別々の心の中で。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』4、住谷春也訳)

木曜日の午後、ロズは少しの安堵と少なからざる愛惜の念をもって、アイリスを送り出した。何はともあれアイリスは、独り暮らしが情緒的、精神的によくないことをロズに示していったのだ。結局のところ、一人の人間が考えることには限界があり、その考えが他者の意見で修正されることなく募(つの)っていったとき、強迫観念になるのだ。
(ミネット・ウォルターズ『女彫刻家』8、成川裕子訳)

部屋にふたたび沈黙が訪れ、ジェフズ氏の視線がそこをさまよっているうちに、ようやくハモンド夫人の表情をとらえた。その顔はゆっくりと左右に揺れていた。ハモンド夫人が頭をふっていたからだ。「知らなかった」とハモンド夫人は言っていた。夫人の頭は揺れるのをやめた。夫人の姿はまるで彫刻のようだった。
(ウィリアム・トレヴァー『テーブル』若島 正訳)

スタンダールは私の生涯における最も美しい偶然の一つだといえる。──なぜなら、私の生涯において画期的なことはすべて、偶然が私に投げて寄越したのであって、決して誰かの推薦によるのではない。
(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも怜悧なのか・三、西尾幹二訳)

一瞬、その惑星の名前を思い出しそうになる。だが記憶は、形をとる直前にからかうように消え去り、サイレンスは嫌悪に顔をゆがめた。
(メリッサ・スコット『地球航路』3、梶元靖子訳)

ニックはこの一瞬のうちに、永遠の美の煌(きら)めきを見た──無邪気に大笑いしているフェイはなんと愛らしいのだろう。卵形の洞窟の中で力いっぱい弓なりになった舌も、ピンクのうねのある口蓋も、全部まる見えになるほど大きな口をあけて笑っている。
(グレゴリイ・ベンフォード『相対論的効果』小野田和子訳)

クロネッカーの鉄則である《構成なしには、存在もない》以来、純粋数学者のなかには構成的でない存在定理にポアンカレの時代以上に熱心でないものもいる。しかし数学を利用するものにとっては、細部がどうなっているかということが、研究を進めていくうえにどうしても必要である。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと III』28、田中 勇・銀林 浩訳)

カールはズボンのポケットから紙幣を半分引っぱり出していた…… 所長はロッカーや保管箱がずらりと立ち並ぶそばに立っていた。彼はカールを見た。その病気の動物のような目は光を失って、奥のほうで死にかけ、絶望の恐怖が死の表情をうつし出していた。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ホセリト、鮎川信夫訳)

それでレオは感じるのか? うん、エロスが知っていることだけを感じている。
(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』N、志村正雄訳)

サムはもっとずっと重要なことを考えなければならなかった。しかし、真に重要なことは、無意識によって最もよく識別されるものだ。そして、この考えを送り出したのは、この無意識であったにちがいない。初めてかれは理解した。真に理解した。脳から足の先までの、体中の細胞で理解した。リヴィは変ってしまったと。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが夢のリバーボート』26、岡部宏之訳)

あなたの潜在意識よ、ミューシャ! なにかの記憶だったのよ!
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『最後の午後に』浅倉久志訳)

ジャスティンは、自分はここには一度も来たことがないという確信めいた印象をもった。それがなにかの意味をもつということではないけれど。
(デニス・ダンヴァーズ『天界を翔ける夢』11、川副智子訳)

ハビエルにそのことを話そうと思い、振り返ってみると、あんたは一人ぼっちなのに気がついた。ハビエルをどこかに置いてきてしまったのであった。あんたはいま自分がどこにいるのか知りたかった。大声で叫んだが、声はどこにも届かず、自分の頭の上で堂々巡りをし、また自分の唇に戻ってくるかのようであった。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)

「いや、沈黙というものは、そのまわりにある言葉によってしか存在しないものなんですよ、イレーヌ。人生はすべてそういうものですよ……僕たちの人生のどんな瞬間であろうと、僕たちのなかには、発散されることを必要とする力があるものなんです」、彼は勢いこんでそう話しつづけた、
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』9、菅野昭正訳)

鋭い観察眼の持ち主であるエミーリオは、老母のとまどいがすべて見せかけであり、アンジョリーナがすぐには帰宅しないのを知っているはずだと完璧に見抜いた。しかし、いつものように、彼の観察力はあまり役に立たなかった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』11、堤 康徳訳)

さあ、アンリ、ロジーヌのところへ行くといいわ。私の大嫌いなロジーヌの腕に飛びこむといいわ。そうすればどんなに私も嬉しいか。だって、あなたの愛は、女の人生に起こりうる、最悪の不幸だもの。もしその女が幸せなら、あなたはその幸せを取りあげる。
(クレマンティーヌ・キュリアルの書簡、スタンダール宛、一八二四年七月四日付、松本百合子訳)

ナポレオンは死の直前、ウェリントンと話がしたいと願った。ローズヴェルトに会いたいという、常軌を逸したヒトラーの懇願。体から血を流しながら、一瞬でいいからブルータスと言葉を交わしたいと願ったシーザーのいまわのきわの情熱。
(オースン・スコット・カード『キャピトルの物語』第一部・4、大森 望訳)

ほんのちょっと前に、わたしはアギアに、セクラの死から受けた悲しみの心情を吐露したばかりだった。今や、これらの新しい懸念がそれに取って代わると、わたしは実際に、人が酸っぱいワインを地面に吐き出すように、それを吐き出してしまったと悟った。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』24、岡部宏之訳)

リシュリューとライヒプラッツはまったく同じ意味──〈豊かなる場所〉をあらわすことばであることを知って愕然とした。
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十回の旅、深見 弾訳)

そして、眠り(ことによったら死だったかもしれない)が目蓋を引っぱっている間、わたしは傷を探して体じゅうをゆっくりと手探りしながら、まるで他人事のように、おれは服も金もなくてどうして生きていけばよいのだろうか、パリーモン師がくれた剣と外套をなくしたことを、師に対してどのように申し開きしたらよいのだろうかと、思案していた。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』28、岡部宏之訳)

「ポール」と彼女はもう一度わたしの名を呼んだ。それは新しいわたしにも古いわたしにも手の届かない、いや、わたしたちを形作った長官たちの目論見も手の届かない、彼女の心の奥底からのせつない希望の叫びだった。わたしは彼女の手をとっていった。
(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)

「でも」と彼はブルーノに言った。「もうぼくは以前のぼくではなかったんです。そして、二度ともとのぼくに戻ることはないでしょう」
(サバト『英雄たちと墓』第I部・1、安藤哲行訳)

アウグスティヌスは、『三位一体論』第九巻において、「われわれが神を知るとき、われわれのうちには何らかの神の類似性が生ずる」といっている。
(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一二問・第二項、山田 晶訳)

「誰もすんなり退場なんてできないのよ」ローラが静かに言った。「人生っていうのは、そういうふうにはできてないの」
(マイケル・マーシャル・スミス『ワン・オヴ・アス』第1部・6、嶋田洋一訳)

おばさんは食卓の上座に、シートンは末座に、そしてぼくは、広々としたダマスコ織りのテーブル・クロスを前にして二人の中間に坐っていた。それは古くてやや狭い食堂で、窓は広く開いているので、芝生の庭とすばらしい懸崖(けんがい)作りのしおれかけた薔薇の花とが見えた。
(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンのおばさん』大西尹明訳)

ボビー・ボーイはゆっくりとぼうっとしたような動き方で、エディーのほうをふり返った。手にしたディスペンサーからアンプルを押しだして、鼻の下でぽんと割り、ふかく息を吸いこんだ。顔が細長く伸びるように見えた。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・14、小川 隆訳)

あとには、ハモンドとわたしだけが、われわれの「神秘」とともにとり残された。
(フィッツジェイムズ・オブライエン『あれは何だったか?』橋本福夫訳)

それからミッシャ・エルマンの音楽会に行った。二時間の音楽の波が彼の鼓膜を打った。音楽は男のうちにある何かを洗い落した。音楽は彼の頭と心臓の中の何かをぶち壊(こわ)して新しいものを築いた。
(サンドバーグ『沐浴』安藤一郎訳)

女の声が、背後から飛んだ。サイレンスはふりかえった。地獄のかけらをかかえているため、あまりはやく動けない。〈無形相〉の力がいそいでつくられたバリアにあたり、地獄がシューシューと音を立てる。あらゆる色彩を秘めながらいかなる色でもない、目を焼くような円盤から、火花があがり、またおちてくる。
(メリッサ・スコット『地球航路』7、梶元靖子訳)

リリーは絵具箱の留め金をいつも以上にきっちりと閉めた。その留め金の小さな音は、目には見えない輪の中に、絵具箱も、芝生も、バンクス氏も、そして傍らを走り抜けたおてんば娘のキャムさえも、永遠に包み込んでしまうように思えた。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・9、御輿哲也訳)

一台の車というものは、ロッティがいくら呟いてみせたり不服を言ってみせたりしたところで、しょせん理解できないような、一つの生き方を表しているのだった。
(トマス・M・ディッシュ『334』334・第三部・21、増田まもる訳)

フィリッパはパセリを少し摘んで彼にプレゼントした。セントポーリアのお返しができてうれしかった。お返しをすれば、母も自分も彼に借りを感じる必要はない。保護司はパセリを受け取ると、自分のハンカチを台所の流しで初め湯で洗い、次に水でゆすいで、それでパセリを丁寧に包んだ。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第二部・11、青木久恵訳)

シャン。セティアン人はこう言っている、チャーテン場においては、深いリズム、究極の波動分子の振動以外なにものもない。瞬間移動は存在を作り出すリズムのひとつの機能なんだ。セティアンの精神物理学者によれば、それは人間ひとりひとりを永遠と偏在に参与せしめるリズムへの架け橋なのだ。
(アーシュラ・K・ル・グイン『踊ってガナムへ』小尾芙佐訳)

アンジョリーナはがんこな嘘つきだったが、本当は、嘘のつき方を知らなかった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』10、堤 康徳訳)

ピートは闇をすかして、おのれの両手を見おろした。どんな惑星も、どんな宇宙も、人間にとってのおのれの自我とくらべたら、ちっぽけな存在でしかない。
(シオドア・スタージョン『雷と薔薇』白石 朗訳)

トム・ズウィングラーは、ルビーのネクタイピンと、ピカピカの赤い水晶カフスボタンをしていた。それ以外のすべては白と黒で、かれの発言さえも白か黒かの厳密さを保っていた。
(イアン・ワトスン『エンベディング』第三章、山形浩生訳)

ミンゴラは雨戸の隙間からこぼれる淡い明け方の光に目をさまして、酒場にいった。頭痛がし、口の中が汚れている感じがした。カウンターの半分残ったビールをかっさらって、掘ったて小屋の階段をおり、外に出た。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

いま、ラヴェナは強い人だった、と言いました。(…)今にして思えば、彼女は強さを装っているだけでした。それはわたしたち人間にできる最善のことです。
(カート・ヴォネガット『パームサンデー』VII、飛田茂雄訳)

ゼアはかすかに笑みを浮かべ、やがてその笑みが大きくなった。体の中に笑いがあるようで、周囲の人間たちも笑みを浮かべて、たがいに顔を見合わせ、そしてゼアを見た。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

あのとき、ヘアーにはそれがまるでなにかの物語のように思えた。農場で働くことも、がらんとして巨大な夏の夕方のことも。彼は身を入れて聞いていなかった。そこに衝撃的な図と地の反転が生まれ、予想外の物語、それに対する心構えのまったくできていなかった物語が見えてくるとは思いもしなかった。
(ジョン・クロウリー『青衣』浅倉久志訳)

ラ・セニョリータ・モラーナの家にそして男たちや女たちの上に霧がかかり、彼等が交わし、いまだ空気の中に漂っている言葉を残らず、一つ一つ、消して行く。記憶は霧が課する試練に耐えられない、その方がいいのだ。
(カミロ・ホセ・セラ『二人の死者のためのマズルカ』有本紀明訳)

「時間がかかると思います」スタンリーがいった。「もっとつづけてください。ただしその際必要なのは、言葉に視覚的なイメージを関連づけてやることです。言葉はもともとは意味のないものですから。それによって自分の頭に浮かんだイメージが、この機械の脳部に伝わるようにしてやればいいわけです」
(フィリップ・K・ディック『空間亀裂』10、佐藤龍雄訳)

そのときマルティンはブルーノが言ったことを思いだした、自分はまったく正真正銘ひとりぽっちだと思い込んでいる人間を見るのはどんなときでも恐ろしいことだ、なぜなら、そんな男にはどこか悲劇的なところが、神聖なところさえもが、そして、ぞっとさせられるばかりか恥しくさせられるようなところがあるからだ。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・20、安藤哲行訳)

グランディエには殺人者になるつもりなど毛頭なかったのと同じに、妻をも含めてだれかを愛するつもりもなかった。それは積極的に人間を嫌っているというわけではなく、周囲の世界で愛という名のもとにおこなわれているふるまいに対する強度の懐疑主義のせいだった。
(トマス・M・ディッシュ『ビジネスマン』10、細美遙子訳)

教会の鐘が一度だけ鳴り、なにか不思議なやり方で、それが風景全体を包みこんだように見えた。ジョンにはその理由がわかり、心臓が跳びあがった。鐘の主調音から切れ切れにちぎれたぶーんと鳴る音の断片がこれらの色になったので、基本的なボーオオオンという音は白のままだ。さまざまな色がぶーんと鳴り、渦巻いて、神の白色となり、分かれて、もう一度戻ってくる。
(アントニイ・バージェス『アバ、アバ』4、大社淑子訳)

スリックの考えでは、宇宙というのは存在するすべてのものだ。だったら、どうしてそれに形がありうるのだろう。形があるとすれば、それを包む(、、)ように、まわりに何かあるはずだ。その何かが何かであるなら、それ(、、)もまた宇宙の一部ではないのだろうか。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライブ』12、黒丸 尚訳)

あまり細かく見てはいけないことをジョニーは知っていた。あらゆるものに、あまり大きく意識を割いてはいけない。
(ウィリアム・ギブスン原案、テリ・ビッスン作『JM』9、嶋田洋一訳)

「無理もないな。ジーヴズ、ぼくらどうする?」
(P・G・ウッドハウス『同志ビンゴ』岩永正勝・小山太一訳)

その言葉にマイロもわたしもぎょっとした。邪気のない、哀れを誘う問いだった。マイロはわたしのそばに来て、両腕を回して抱きしめた。彼の最後の抱擁だった。
(アン・ビーティ『シンデレラ・ワルツ』亀井よし子訳)

エミリ・ディキンスンにとっていちばん大事なことは、各人の自己の本質と首尾一貫性の問題だった。そして苦悩の神秘についての検討から始めた。
(トーマス・H・ジョンスン『エミリ・ディキンスン評伝』第十章、新倉俊一・鵜野ひろ子訳)

その世界はジム・ブリスキンの好奇心をそそったが、それはまたかれのまったく知らない世界だった。
(フィリップ・K・ディック『カンタータ百四十番』5、冬川 亘訳)

ヴェーラは玄関にある鏡を覗いた。受話器を耳に当てて立っている自分がいる。鏡は古ぼけており、黒い染みが付いていた。わたしはこの鏡によく似ている、とヴェーラは思った。
(カミラ・レックバリ『氷姫』IV、原邦史朗訳)

あいつのあの顔つきときたら、いつだって同じだ。そりゃニクソンだって自分のおふくろは愛してただろうけど、あの顔じゃとてもそうは思えないよな。
(アン・ビーティ『燃える家』亀井よし子訳)

常に──とブルーノは言う──わたしたちは仮面を被っている、その仮面はいつも同じものではなく、生活の中でわたしたちにあてがわれる役割ごとに取り換えることになる、つまり、教授の仮面、恋人の仮面、知識人の仮面、妻を寝とられた男の、英雄の、優しい兄弟の仮面というように。
(サバト『英雄たちと墓』第II部・20、安藤哲行訳)

いつわりであるからといってつねに無価値とはかぎらないことは、バザルカンも知っている。それが物理的な現実においてまったく根拠のないものであってさえも、
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』19、金子 司訳)

彼ら三人は水に浮かぶボートに座っている。彼らが人とは限らず、あれもボートとは限らない。彼女の靴紐を結んだ三つの結び目なのかもしれないし、ヒルディーの鏡台に隠された三本の口紅なのかもしれないし、三切れのフルーツなのかもしれないし、ベッドの横の青いボウルに入っている三個のオレンジなのかもしれない。
(ケリー・リンク『人間消滅』金子ゆき子訳)

シェリーのようなロマン主義者は、まず自らの媒体があり、自分の見、聞き、考え、想像するものを、己の媒体によって表現するのです。
(ディラン・トマスの手紙、パメラ・ハンスフォード・ジョンソン宛、一九三余年五月二日、徳永暢三・太田直也訳)

ポールは一瞬、相手に共感して心を痛めた。だが、共感から同一視まではあと一歩。ポールはその感情を押し殺した。
(グレッグ・イーガン『順列都市』第一部・6、山岸 真訳)

静寂。(…)それはキッチンの全壊半壊の器具類、イジドアがここへ住みついてこのかた作動したことのない死んだ機械類から、鎖を離れたようにとびだした。それは今の使用不能なランプ・スタンドから滲み出し、蠅のフンに覆われた天井から降下するそれと、無音のまま絡みあった。
(フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』浅倉久志訳、オールディスの『十億年の宴』より孫引き)

サー・ジョンと仲間の美術貴族たちは大英博物館やルーヴルやメトロポリタンの監督として、夢見るファラオやキリスト磔刑や復活(第二のデ・ミル監督の出現を待ちわびる究極の超大作映画の題材)の絵画を揃え、たしかに人間の魂の空虚を巧みに満たしてくれたが、そもそも魂のなかに欠けていたものは何だったのだろうか。
(J・G・バラード『静かな生活』木原善彦訳)

シュタイナーによれば、われわれは生まれる前に自分で運命を選びとったのであるから、それを嘆くのは見当ちがいだという
(コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』7、中村保男・中村正明訳)

頭を垂れたまま貧相なわが借家に向って砂利道を登っているとき、わたしは、あたかも詩人がわたしの肩辺に立って、少々耳の遠い人に対して声高に言うみたいに、シェイドの声が「今夜おいでなさい、チャーリイ」と言うのを、至極はっきりと聞いたのである。わたしは畏怖と驚異に駆られて自分の周囲を見まわした。まったく一人きりだった。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

「私の考えではビル、彼等は異なった引力の下で存在しているのではないかと思うのよ──」
(ウィリアム・バロウズ『ノヴァ急行』緑の大地から、諏訪 優訳)

ジェイドにはよく言いふくめておいた。彼女はあとまで果たして憶えているだろうか? それとも憶えていすぎたために疑い始めるだろうか?
(W・M・ミラー・ジュニア『時代おくれの名優』志摩 隆訳)

「むだだって?」自分と同じ考えを他人が口にするのを聞いて驚きながら、エミーリオは尋ねた。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』13、堤 康徳訳)

その尋ねかたの中にある何かがシオナに、かれがすでに知っていることを告げた。
(フランク・ハーバート『デューン 砂漠の神皇帝』第1巻、矢野 徹訳)

ラ・マーガと会えるだろうか?
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・1、土岐恒二訳)

この勤勉な街では、その時間帯、気晴らしに歩いている者は誰もおらず、どこに向かっているかなどまったく眼中にないようにゆっくりと歩いている、しなやかで華やかなアンジョリーナの姿は、みなの注意を引いた。彼女を見れば、情事にはうってつけの相手だとみんながすぐに考えるはずだと思った。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』11、堤 康徳訳)

自分自身の思考の世界に自らを忘却し得るこの能力において、ガウスはアルキメデスとニュートンとの両者に似かよっている。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと II』14、田中 勇・銀林 浩訳)

ここでパリーモン師は言葉を切った。一秒たち、二秒たった。新しい夏の最初の金蠅が窓のところでぶんぶん羽音を立てていた。わたしは窓を破りたかった。蠅を捕えて逃がしてやりたかった。師に早く何か話してくれと怒鳴りたかった。その部屋から逃げ出したかった。だが、これらのことは何一つできなかった。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』13、岡部宏之訳)

アダルジーザは「愛情に耐えることができた」。びくともせずに。
(ガッダ『アダルジーザ』アダルジーザ、千種 堅訳)

彼女は、ピーターはいつも、このような驚きや鮮明さをもって彼の周辺の生物を見ているのだろうとも思った。見たことのない世界に生れてきた人間が、初めて創造物の輝かしい色あいをみて、すべてを新鮮に感じるときのように。おそらく画家の感じ方とはこうしたものなのだろう。
(P・D・ジェイムズ『ある殺意』2、山室まりや訳)

アンバージャックは、停滞の中に凝結した自分が、とつぜん明かりのともった自分の部屋の窓をのぞきこんでいるのを知った。窓のむこうでは、自分自身が玄関のドアからはいってくるところだった。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『エイン博士の最後の飛行』浅倉久志訳)

エイデルスタインは無感動と激怒を交互にくり返しながら、数日間過ごした。例の胃の痛みがぶり返しており、このままではいずれ胃(い)潰(かい)瘍(よう)になるのはまちがいなかった。
(ロバート・シェクリー『倍のお返し』酒匂真理子訳)

証拠がないこと、はっきりした動機がなにもないことは、ジャープの推理を手(て)控(びか)えさせる代わりに、かえってほしいままの空想へ導く。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』19、住谷春也訳)

ひどく神経質で感じやすい、衝(しよう)動(どう)的(てき)な人間だった。(…)子供のときから、バードの意志は風(かざ)見(み)鶏(どり)のように、いつも他の人びとの望むほうにむいているのだ。
(オスカー・シスガル『カシュラの庭』森川弘子訳)

娘よ、おまえもわたしも動物だ。真人ですらない。しかし、人間には、ジョーンの教え、人間らしく見えるものが人間だという教えが理解できない。姿かたちや、血や、皮膚のきめや、体毛や、羽毛ではなく、言葉が鍵なのだ。(…)偉大な信仰は、大寺院の塔からでなく、つねに都市の下水道から生まれるものだ。
(コードウェイナー・スミス『ノーストリリア』浅倉久志訳)

ジョーンはいった。「愛は特別なものじゃなく、人間のためだけに用意されたものでもありません。/愛はいばらないし、愛にはほんとうの名前はありません。愛は命のためにあるもので、その命をわたしたちは持っています。/わたしたちは戦って勝つことはできません。人間たちは数が多すぎるし、武器はたくさんありすぎるし、スピードは速く、力も強すぎます。
(コードウェイナー・スミス『クラウン・タウンの死婦人』伊藤典夫訳)

マーティンは、木の家や家具が好きではない。植物、とくに樹木というものには、単純だが深遠な高次の意識があるというのが、彼のいっぷう変わった持論だ。植物は精神も自我も〈匡〉も持たないが、生命活動においては、成長、エクスタシーも罪の意識もないセックス、苦痛のない死など、ごく単純な反応を示す。そこには意識がかかわっているのではないか。
(グレッグ・ベア『女王天使』上・第一部・18、酒井昭伸訳)

「すばらしい名文家というだけじゃありませんわ」と、ヘティが言った。「文体は意味を明らかにすると同時に、それを隠しもします。彼のもっともすぐれた作品では、RLSは文体をその両方を成し遂げるために使っています。ですから読者は、永久に神秘と啓示のあいだに宙ぶらりんになるんです」
(ブライアン・W・オールディス『三つの謎の物語のための略図』深町真理子訳)

君たちは生命の外観だけはとらえる。けれど、あふれ出る生命の過剰を現わすことはできない。たぶんは魂であって、外観のうえに雲のようにただよってる、なんともわからないもの、──一口にいえば、チチアノとラファエロがつかまえた生命の花、それが君たちには現わせないのだ。
(バルザック『知られざる傑作』I、水野 亮訳)

エピメニデスのパラドクスは、たった一行の短い言葉である。「この文章は嘘だ」どの文章が嘘なのか。この文章だ。もし、この文章は嘘だといえば、私は真実を述べたことになる。となると、この文章は嘘ではない。つまり、この文章は真実である。この文章は意味が反対になった姿を鏡のように返してくる。しかも、際限なく。
(ベルナール・ウェルベル『蟻の革命』第3部、永田千奈訳)

モナの世界のかなりの部分は、知ってはいても、生身で見たことも訪れたこともないものや場所で成り立っている。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』11、黒丸 尚訳)

あらたな概念があらたな法則を作り出し、それが世界を存続させてきたのです。ニュートンが重力という普遍性をつくりだすと、万物はそれにしたがって再編成されました。アインシュタインが空間と時間という概念を明確にすると、万物はふたたびそれにしたがって配列しなおされました。
(ダン・シモンズ『ヴァンニ・フッチは今日も元気で地獄にいる』柿沼瑛子訳)

バザルガンは先へと庭園を進んだ。楽しみつつ、朝のあらゆる瞬間を、あらゆる香り、残り香、音をとりこんでいく。ザクロ、バラ、ジャスミン、アーモンド。詩の種を蒔いた庭園こそは、彼の知るなかでもっとも鮮やかな確固とした光景で、露は一滴ごとに水晶でエッチングされ、花びらは一枚ごとに明るく輝いている。
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』19、金子 司訳)

コングロシアンはうす赤いスポンジ状の肺組織を見つめた。「おまえは私だ」彼は肺組織に語りかけた。「おまえは私の世界の一部だ、私でないものではない。そうだろ?」
(フィリップ・K・ディック『シミュラクラ』14、汀 一弘訳)

きょうのドウェインは、わたしが一度も見たことのないドウェインだ。
(カート・ヴォネガット・ジュニア『チャンピオンたちの朝食』第4章、浅倉久志訳)

ボニートは彼の前を走り、跳びはねては雀を追いかけ、ワンワンと吠えていた。『犬であるってのは幸せなもんだな』とそのとき彼は思った、あとでドン・バチーチャにそう言ったが、バチーチャはパイプをふかしながら考えこむようにして彼の話を聞いていた。
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・5、安藤哲行訳)

ジョシュアが彼を見つめた。マーシュはちらっとその目をのぞきこんだだけだったが、瞳に宿るなにかが手をのばして彼に触れ、するとふいに、そのつもりもないのにマーシュは目をそらせていた。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』12、増田まもる訳)

「それでは」とアルヌーは言った、「僕たちはまたもとの見解の相違にもどってしまうよ。なぜって、君と僕とは、同じ神を存在させないだろうからね。そして僕はそれが悲しいことだとは言わないだろう、なぜってそれではなにも言わないことになるだろうからね。いや、僕は、君の神は僕の神を殺すだろう、と言うだろうね」
(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』14、菅野昭正訳)

ヤーコプは(…)自分の墓碑の上につぎのような銘をほりつけるよう遺言した。それは「たとえこの身は変わっても、私は同じものとなって復活する」。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと I』8、田中 勇・銀林 浩訳)

マシンガムは青と黄色に染め分けたボールをドリブルしながら芝生を突っ切っていった。元気な足がすぐその後を追い、二人は家の横にまわって姿を消した。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第四部・3、青木久恵訳)

彼は今しばらく立っていた。ゴメスのようにセカセカとはやく走り、ビリャナスルのようにゆっくりと慎重に動き、決して地に足をつけることなく風に乗ってどこかへ飛んでゆくドミンゲスのように漂流できるこの背広。彼らの持ち物であると同時に、かれらすべてを(、)所有しているこの服。
(レイ・ブラッドベリ『すばらしき白服』吉田誠一訳)

コーデリアはよろこびに昂奮して眺め入った。そう、あの少女の服の独特の青、光線を同時に吸収し、反射している頬や、むっちりした、若々しい腕の──美しい、まるでそれとさわれるような肉のみごとな描写を見まちがうはずがなかった。彼女が思わず叫んだので、みんながこちらを見た。
(P・D・ジェイムズ『女には向かない職業』3、小泉喜美子訳)

「待って……」わたしはいった。だが、アギアはわたしを歩廊に引っ張り出した。子供が一握りしたくらいの砂が、われわれの足についてきて歩廊を汚した。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』19、岡部宏之訳)

彼は、あわれげに口ごもった。態度を明らかにしないことを恥じて、シャンスファーから眼をそらした。黄色い水仙が、うつむいた彼の眼を嘲笑していた。
(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のように』4、中桐雅夫訳)

アナベル・リイはもうきのうの一部で、きのうはもう過ぎてしまったのさ。今は、二人で過ごしたあのときのことを思い出すことができるし、その思い出も苦痛じゃない。
(ロバート・F・ヤング『われらが栄光の星』田中克己訳)

エル・スプレモによって解放された奴隷たちの一人の息子にとって、これこそはたぶん人間が希求し得る唯一の永遠性だったのではないか。つまり、自らが救われ、他の人びとの中に生き延びることは……。彼らは不幸で結ばれていたのだから、救済への希望においてもがっちりとスクラムを組まなければならないのだ。
(ロア=バストス『汝、人の子よ』I・16、吉田秀太郎訳)

「ヒトラーのような相手と戦うと、常に自分たちも戦う相手のようになってしまう」とわたしは話を続け、「長く深淵のぞきを続けすぎる。それがヨーロッパ。もうひとつの戦線は太平洋にできる。日本が一九四一年にハワイを攻撃するが、その飛行機は──」
(ジャック・ウォマック『テラプレーン』9、黒丸 尚訳)

アーベルは(…)どうしてそんなに早く第一線にまで進出しえたのかをたずねられたとき、彼は「大学者に学ぶことによって。その弟子たちに学ぶことではなく」と答えた。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと II』17、田中 勇・銀林 浩訳)

ミセス・シッフは芸術について言っていた。芸術はさえずりであるべきだ。この瞬間、そしてこの瞬間、常にこの瞬間に生きようとすること、そしてそう望むばかりでなく、激しく望むことですらなく、大いにそれを楽しむことだ、果てしない、切れ目のない歌の陶酔を。それがベルカントのすべてであり、飛翔への道なのである。
(トマス・M・ディッシュ『歌の翼に』16、友枝康子訳)

「かんじんなことは」とアニカはいった。「生きていることは、気にくわないからといってやめられるようなものじゃないってことを、いまのあなたはもう少しで悟りかけている。それがかんじんなんだよ。生きているってことと、あなたとは、別物じゃなくって一つなんだよ」
(ジョン・ウィンダム『地球喪失ののち』2、大西尹明訳)

ジョニーが最初に気づいたのは、闇(やみ)だった。ここでは闇が実体を持って、あらゆる場所にあふれている。床を覆い、隅にわだかまり、空気中に積み重なり、安っぽいペンキのように壁からしたたっている。あたかもスパイダーが闇の収集家で、ここが彼の宝物庫だとでも言うかのように。
(ウィリアム・ギブスン原案、テリー・ビッスン作『JM』11、嶋田洋一訳)

詩について語るのは、詩そのものの喜びについて語ることであるべきだとフロストは言ってるの。詩は喜びに始まり、叡(えい)智(ち)に終わる。詩の形象は愛と同じものである
(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』III、嶋田洋一訳)

プーは「詩や歌ってのは、こっちがつかむものじゃなくて、あっちからこっちをつかむものなんだ」と言う。ハイデガーはこれを一般論にして、「言語は語る」と書いた。
(ジョン・T・ウィリアムズ『プーさんの哲学』7、小田島雄志・小田島則子訳)

ヤコービは、彼の数学上の発見の秘密を問われて「つねに逆転させなければならない」といった。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと II』17、田中 勇・銀林 浩訳)

マルグリットを見つめると、少女は動いていないがっちりした機械の上に軽がると敏(びん)捷(しよう)にすわっていたのに、なんとなくその機械の一部みたいだった。
(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・四二、菊盛英夫訳)

ああ、ルシア、ぼくはきみがいなかったらとても寂しいだろう、ぼくは肌に、喉に、その悲しみを感じるだろう。息をするたびに、もはやきみの存在しないぼくの胸のうちに空虚が侵入してくるだろう。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・11、土岐恒二訳)

エディなら、そばにいないときでも姿を忘れることがない。たいした奴ではないかもしれないけど、なんにせよ、いてくれる。変わらない顔というのが、ひとつぐらい必要だ。
(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』15、黒丸 尚訳)

ラルフィの顔は不安そうだった。彼には二つしか表情がない。悲しそうなのと、不安そうなのだ。
(ウィリアム・ギブスン原案、テリー・ビッスン作『JM』1、嶋田洋一訳)

「ジェリーを殺したのはきみか?」とダンツラーはたずねた。ムーディにむけた質問だったが、相手は人間に見えず、隠されたメッセージを解き明かさなければならない構図の一部にしか思えなかった。
(ルーシャス・シェパード『サルバドル』小川 隆訳)

哲学史のボロトフ教授と歴史学者のシャトー教授の激論の応酬の断片が聞こえてきた、「実在とは存続のことなんだ」とボロトフの声がとどろき渡る。「ちがう!」と相手の声が叫ぶ、「石鹸の泡だって歯の化石と同じように実在しているんだ!」
(ウラジーミル・ナボコフ『プニン』第五章・2、大橋吉之輔訳)

勇気ということよ、そこをよく考えるのよ。アーサー。わたしの読んだ本によれば、科学の世界では精神の力にもう一度恐れをいだき始めているそうよ。心に合図を送り、じっさいにものを考えさせ、祝福する精神力に対してね!
(ウォルター・デ・ラ・メア『シートンおばさん』大西尹明訳)

でもねえ、ジオルジナ、いつか木がよく売れて正直にもうけた金を神さまがいつもより数グロッシェン多くくださったことがあったねえ。ぼくはあのときの悪い一杯のワインのほうが、よその人がぼくたちに持ってくる上等のワインよりずっとおいしいんだよ。
(ホフマン『イグナーツ・デンナー』上田敏郎訳)

ステファヌ・マラルメについての思い出を問われるとき、私の答はいつでもこうである。つまり彼は私に、私の意識に入ってくる万物を前にして、これは何を意味するか(、、、、、、、、、、)という問(、)をたずさえて真向うようにと教えてくれた人である。問題は描くことではなく、解釈することなのだ。
(ポール・クローデル『或るラジオ放送のための前書』平井啓之訳、平井啓之箸『テキストと実存』より引用)

何かが信じられるか信じられないかを決めるのに、サリーが何をよりどころにしているのか、ぼくにはさっぱり合(が)点(てん)がいかなかった。いったい、どうしてうら若い女が、頼りになる一束の証拠書類を、まるで湯気くらいに軽く片づけてしまうのか。
(ジョン・ウィンダム『ポーリーののぞき穴』大西尹明訳)

理由はわからぬながら、このワイルダー・ペムブロウクという男は彼のなかにいっそうの不信と敵意をつのらせていた。「自分のつとめを果たしているだけです」ペムブロウクは繰り返した。
(フィリップ・K・ディック『シミュラクラ』13、汀 一弘訳)

ダルグリッシュがその車の観察を終えるか終えないうちに、コテイジのドアが開いて、一人の女性がせかせかと二人の方にやってきた。国教の教区に生まれ育った者なら、それがスワフィールド夫人であることに疑いを抱くはずがなかった。まさに田舎の教区牧師夫人の典型だった
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第二部・1、青木久恵訳)

やがて、おれの目と同時にミリアムの目を通じて、周囲のあらゆるものが二倍もくっきりと見えるようになった。二人の心の内部に、彼女の神経性めまいと、おれに対する愛情と信頼とを感じることができた。公園の花や樹葉の一枚一枚が、ひときわ燦然(さんぜん)たる輝きを放っていた。
(J・G・バラード『夢幻会社』26、増田まもる訳)

「この秋にはイタリア旅行を計画しているんです」とハトン氏がいった。彼は自分がぶくぶくした泡のような、ひょうきんな気持ちの高まりで今にもポンと栓の抜けそうなジンジャー・エールのびんのような気がした。
(オールダス・ハックスレー『モナ・リザの微笑』龍口直太郎訳)

ジェット夫人はそれから何時間も、人間の目ほどの大きさの、つぼみのような炎をじっと見つめていた。その炎もまた彼女を見返して、さあ、また寝こんで、あんなに取り乱しちゃいけないぞ、と警告しているみたいだった。
(ファニー・ハースト『アン・エリザベスの死』龍口直太郎訳)

「いや、シェイクスピアの再来かもしれない人間は、この劇団にはひとりしかいない。それはビリー・シンプスンだ。そう、小道具のことだよ。彼は聞き上手だし、どんな人間ともつきあう方法を心得ているし、さらにいえば心の内側にせよ外側にせよ、人生のあらゆる色と匂いと音をネズミとりのようにとらえる心をそなえている。
(フリッツ・ライバー『『ハムレット』の四人の亡霊』中村 融訳)

それに非常に分析的だ。ああ、彼に詩の才能がないことは知っているよ。でも、シェイクスピアが生まれ変わるたびに詩の才能をそなえているとはかぎらない。彼は十人以上の人生をかけて、劇的な形をあたえた素材のひとつひとつを集めたのではないだろうかね。
(フリッツ・ライバー『『ハムレット』の四人の亡霊』中村 融訳)

寡黙で無名のシェイクスピアが、つつましい人生を重ねながら、いちどの偉大な劇的なほとばしりに必要な素材を集めたという考えには、なにかとても胸を刺すものがあると思わないかね? いつかそのことを考えてみたまえ」
(フリッツ・ライバー『『ハムレット』の四人の亡霊』中村 融訳)

フェンテスは彼の方法の鍵を私たちに与えています。「ひとりの人物を創るためにはいくつもの人生が必要だ」、というのがその鍵です。
(ミラン・クンデラ『小説の精神』第3部・諸世紀の空のもとに、金井 裕・浅野敏夫訳)

「犬、たぶんくたびれて寝てるんだね」とゾフィアはあたしに言った。「悪夢だってたまには眠らないとね」
(ケリー・リンク『妖精のハンドバッグ』柴田元幸訳)

リタは、思い出のなかにうかびあがってくるのはちいさなこまごまとしたものなのだ、とおもった。わが家のちいさなものはどれもいとおしい。ちいさなものひとつのほうが、テーブルのうえの半ダースもの品々よりも、たくさん口をきいてくれるから。
(アン・ビーティ『愛している』26、青山 南訳)

わたしが裏口から通りに出たとき、トランクの中で音がし、バァーという声がした。アルベルト・キシュカはかくれんぼをしていた。
(イヴァン・ヴィスコチル『飛ぶ夢、……』千野栄一訳)

ジェラールに軽々しく扱われたのは、自分で自分を軽々しい扱いに値いする人間にしていたからだ。
(P・D・ジェイムズ『原罪』第五章・63、青木久恵訳)

足音がジャーミン通りをゆっくり近づいてきた。そしてはたと止まった。パワーズ船長は目くばせし、シオフィラス・ゴダールはわずかにうなずいた。足音はまた聞こえ始めた。道路を渡ってキーブルの家のほうに向きを変えた。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』1、友枝康子訳)

するとスクラトン先生が通りかかった。この人はまったくいいおやじだ。この谷間じゅう捜したってスクラトン先生よりすばらしい男はいやしない。先生のけつは脱腸なんだ。ねじこんでもらいたいときには腸を三フィートものばして相手に渡すのさ…… 
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』普通の男たちと女たち、鮎川信夫訳)

また、その気になれば腸の一部分だけを落っことして、自分の事務所から遠く離れたロイのビヤホールまで行かせることだってできる。腸は蛆虫のようににょろにょろはいまわってピーターを捜しにゆくんだ……
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』普通の男たちと女たち、鮎川信夫訳)

リーは身動きした。とじたままでいようとして、まぶたがぴくぴくした。しかし意識と明るくなる光とが、むりにその目をあけさせた。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』1、深町真理子訳)

──あの畜生みたいな男の相手をして、さぞ困ったでしょう?」とたずねても、セヴリーヌは答えずに、かえって、熱っぽい笑いを見せた。アナイスの家の女たちは驚いてお互いに顔を見合わせた。彼女たちは今、昼顔が、そのときまで、一度も笑ったことのないのに気づいた。
(ケッセル『昼顔』六、堀口大學訳)

ヘーゲルにとって、全体とは、各部分の総合以上のものだった。実のところ、各部分の意味がよくわかるのは、それが全体に属しているからなのだ。ヘーゲルはそれをこう定義している。「心理は全体である」
(ジョン・T・ウィリアムズ『プーさんの哲学』6、小田島雄志・小田島則子訳)

「個人的には」と、ホーガン社長はいった。「わしは寄せ波にプカプカうかぶプラスチックびんを見るのが好きだ。よくわからんが、なんだか自分が、永久に残るものの一部になったような気がする。きみに伝えてもらいたいのは、この感情だ。さあ、もどって短報の仕事を片づけろ」
(フレデリック・ポール&C・M・コーンブルース『ガリゴリの贈り物』浅倉久志訳)

そう言ったあと、彼はサモサタのルキアノスが『本当の話』のなかで語っていた言葉を思い出した。"私は、目に見えず、証明もできず、ほかにだれも知らないことを書く。さらには、絶対に存在しないもの、存在する根拠のないものについて書く。"いやでも頭にこびりついている文章だ。
(フェリクス・J・パルマ『時の地図』第一部・12、宮〓真紀訳)

ピートは人間すべての手をポケットに深く突き入れると、ゆっくりした足どりで外野席に引きかえしていった。
(シオドア・スタージョン『雷と薔薇』白石 朗訳)

(あらゆる人間と同じように)アレハンドラが具えていた多くの顔の中でも、その写真の顔はマルティンにはもっとも近しい、少なくとも近しかった顔だった、それは深みのある表情、手に入れられないと初めから分っていながら求めずにはいられないでいる人間のいくぶん淋しげな表情だった、
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・5、安藤哲行訳)

ヘアーは笑いだした。彼女がそれを隠すためにタバコを吸ったことが、かえってそれを明らかにしてしまったことがおかしかった。若い──彼女がもっと年をとり、経験を積めば、若さを暴露したりはしないだろうが、この朝の一瞬にはたしかにそうだった。
(ジョン・クロウリー『青衣』浅倉久志訳)

ジョシュアは、あたかも影それ自体が人間の姿をまとったかのごとく、影のなかからふいに出現した。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』12、増田まもる訳)

アルビナは彼にパン屑(くず)とチーズを食べさせはじめた。ミンゴラにはその中断がありがたかった。老人の描写に耐えられなくなってきたからだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・8、小川 隆訳)

スウェインは肩をすくめて、にっこり笑ったが、室内の人間より部屋全体に向けた微笑に見えた。
(P・D・ジェイムズ『死の味』第二部・5、青木久恵訳)

アギアには貧乏人特有の、希望に満ちてもいるし絶望的でもある勇気があった。たぶんこれは人間すべての特質の中で、最も魅力的なものだろう。そして、わたしにとって彼女をより現実的なものにする様々な欠点を見つけて、わたしはうれしかった。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』19、岡部宏之訳)

でも絵は見られてしまった、手からもぎ取られたような気分だ。この人は、わたしの心の奥にある内密なものを分けもつことになった。むしろそのことに対してラムジー氏やラムジー夫人に感謝し、この時間この場所にも感謝したかった。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・9、御輿哲也訳)

ふたりが並んで道を歩いているとき、バッリは自分の願望を口に出さなかったが、エミーリオは、このような友の気遣いによって気が楽になることはなかった。というのも、友が言葉にしなかった欲求が、エミーリオには実際よりも大きく思え、それに胸が苦しくなるほど嫉妬していたからだった。
(イタロ・ズヴェーヴォ『トリエステの謝肉祭』11、堤 康徳訳)

夜風はリンゴみたいな匂いがする。きっと時間というのもこういう匂いなんだろう、とエドは考える。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

「きみを永遠に愛する」とジョナサンが誓った。/「あなたはもう、そうしたのよ」とエレナは答えて、ジョナサンの髪を撫でた。
(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

共通の夢がふたりのあいだの空間に形をとりはじめるにつれて、アレックスは何度かつづけざまにまばたきした。「ワーオ」
(アダム=トロイ・カストロ&ジェリイ・オルション『ワイオミング生まれの宇宙飛行士』浅倉久志訳)

『イエイツはつねに誠実だ』これは随分はびこっていてね、批評家がある作家の誠実さについて語るのを聞くようなとき、わたしにはその批評家か作家のいずれかが馬鹿だとわかるんだ
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

さらに、おどろくことに、ハイデガーはこうことばを続けている。「歌は、歌になってからうたわれるのではない。そうではなくて、うたっているうちに、歌は歌になるのだ」
(ジョン・T・ウィリアムズ『プーさんの哲学』7、小田島雄志・小田島則子訳)

「顔よ」マータは楽しそうに言った。「あなたのために、いろいろな顔を持ってきてあげたのよ。男、女、子供。ありとあらゆる種類、身分や大きさの」
(ジョセフィン・テイ『時の娘』2、小泉喜美子訳)

おお ロバート──そして涙はない
(ジェイムズ・メリル『ページェントの台本』下・コーダ、志村正雄訳)

彼らは会話を始めた。タミナの好奇心をそそったのは彼の質問だった。といっても、その内容のせいではなくて、彼が自分に質問をするというたんなる事実によってだった。まったく、人に何も訊かれなくなって何て長い時間がたったことだろう! 彼女はそれが永遠だったような気がした。
(ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』第六部・5、西永良成訳)

スペンサーがコーヒーを持ってきたので、叔母は言葉を切った。「あなたがディタレッジ・ホールで息子のオズワルドを池に落としたとか何とか、とんでもない話を信じ込んでいらっしゃるらしいの。まさかねえ。いくらあなただって、そんなことはしないでしょ」
(P・G・ウッドハウス『ジーヴズとグロソップ一家』岩永正勝・小山太一訳)

記述はオウルズビーの死ぬ前日で切れていた。セント・アイヴスは呆然とした。まるで突然それが乾いてしまった小さな害獣の死体にでもなったように、ノートをテーブルの上に取り落した。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』4、友枝康子訳)

だがさしあたってはすべてとても平穏だ。快適な旅行馬車は走り、ニコラの母、エヴゲーニヤ・エゴーロヴナはハンカチで顔を覆ってまどろみ、その隣では息子が寝そべりながら本を読んでいる。そして道路の窪みは窪みの意味を失って、印刷された文字列のでこぼこや、行の跳ね上がりにすぎなくなる。
(ナボコフ『賜物』第5章、沼野充義訳)

「オズワルドは、あなたに突き落とされたと言い張っています。サー・ロデリックがそのことを気になすってお調べになったものだから、亡くなったあなたのヘンリー叔父さんのことが明るみに出たみたいなのよ」
(P・G・ウッドハウス『ジーヴズとグロソップ一家』岩永正勝・小山太一訳)

ニーファイ・サーヴァントの顔は、彼の性格をよく表わしていた。その横顔は、クルミ割りか、やっとこの曲った顎のようだった。彼は自分の顔に忠実だった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』12、山高 昭訳)

そうしてわたしもヘオルヒーナの心の奥底で起きたことを、わたしにとってはもっとも懐かしい部分に起きたことを、いくぶん知ることができたのだった。/だが、それがいったい何になるというのか? 何になると?
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)

アシル氏は幸福だ。まるでずっと前から幸福ではなかったみたいである。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

叔母は深刻な顔で僕を見やり、僕は神妙な顔でコーヒーを飲んだ。二人は一族の墓穴を覗き、ひとつの亡骸(なきがら)を眺めているわけだ。亡くなったヘンリー叔父は、ウースター一族の汚点ということになっている。
(P・G・ウッドハウス『ジーヴズとグロソップ一家』岩永正勝・小山太一訳)

ギャスとおなじ世紀に生まれて死んだ、哲学者であり、数学者でもあったバートランド・ラッセルなる人物は、こんなことを書いている。"言葉は思いを表明するだけのものではなく、思考を可能ならしめるものである。言葉なくして、思考は存在しえない"。しかり、言葉にこそ、人類の非凡なる創造的才能の真髄はある。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』上・詩人の物語、酒井昭伸訳)

わざわざセント・アイヴスのために豆を一粒上げて見せた。まるでそれがふたりで検討できる魅力的な小世界だとでもいうように。
(ジェイムズ・P・ブレイロック『ホムンクルス』12、友枝康子訳)

ときどきティンセリーナは、留守番電話のメッセージのようなしゃべりかたをすることがあります。あまり何度もおなじ言葉をくりかえしたので、意味を忘れてしまったかのように。
(トマス・M・ディッシュ『いさましいちびのトースター火星へ行く』浅倉久志訳)

「それで、第三の意味は?」ドルカスは尋ねた。
(ジーン・ウルフ『拷問者の影』32、岡部宏之訳)

教えたり説教したりすることは、元来、人間の力に余るのかもしれない、とリリーは思った(ちょうど絵具を片づけているところだった)。高揚した気分の後には、必ず失望が訪れます。だのに夫人が夫の求めに簡単に応じすぎるから、家計に落差が耐えがたくなるんですよ、と彼女は言った。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・8、御輿哲也訳)

おれの体は怒れる鳥たちがさえずり鳴く気違い病院だった。デービッドが身構えるようにあとずさり、レイチェルの耳に警告の言葉を囁いたとき、おれはスーパーマーケットの店先で立ちどまった。子供たちが足もとで騒ぎたてるなかで、おれは十羽あまりの小鳥や一羽のオオハシ、そして、もみくしゃにされたハヤブサを解放してやった。
(J・G・バラード『夢幻会社』27、増田まもる訳)

彼よりほかに知るよしもない、この部屋以外の、あらぬところをじっと見つめながら、イポリドは、三人の女が居心地わるい怯(お)じけた気持でいると見てとった。
(ケッセル『昼顔』七、堀口大學訳)

ルーシーとミンネリヒトの会話には、ブライアには呑み込めない事情、背景のわからない事柄がひしめいているようだった。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』22、市田 泉訳)

ルーシーはうなずいた。彼女もときどきしていることを、レスはいましていた。信じがたいのは分かるが、それは馬鹿げたやり口だった。事実を何回も口にして、そうやって時間を稼いでいれば、話のべつな結末が聞けるかもしれない、と考えるなんてことは。
(アン・ビーティ『愛している』27、青山 南訳)

ジェイクが外のポーチに座ってるすごくいい写真がある。笑っていて、出てくる笑いをつかまえようとしてるみたいに片手を口に当てている。
(ケリー・リンク『妖精のハンドバッグ』柴田元幸訳)

夫人のスピーチが終わって気がつくと、ダルグリッシュとマシンガムは居間に通されていた。
(P・D・ジェイムズ『わが職業は死』第三部・1、青木久恵訳)

ハトン氏は黙ってそのありさまを眺めていた。ジャネット・スペンスの様子は、彼の心に尽きせぬ興味をよび起こした。彼は、どんな顔でも内面に美や異様さを秘めているものだとか、女性のおしゃべりはすべて、神秘な深淵の上にかかったもや(、、)のようなものだとか、とそんなふうに想像するほどロマンティックではなかった。
(オールダス・ハックスレー『モナ・リザの微笑』龍口直太郎訳)

メリーは一昨日から意識がなかった
(ジェイムズ・メリル『ミラベルの数の書』0.4、志村正雄訳)

ジョンは引き返した。通路の中央を埋める岩は、かなり大きいが、経験のない彼の目には、異常なものとは見えなかった。彼は、その一つを取って、黄麻布の携帯嚢に入れた。灰色な斑点の群れが銀色に閃いたと思うと、また灰色に戻って、安全な距離をとりながら整然とした列を組んで浮かび、彼を慎重に観察した。
(グレゴリイ・ベンフォード『時の迷宮』上・第二部・6、山高 昭訳)

そうした現実のうち、あるものは"高確率"で、あるものは"低確率"だとベク・グルーパーが呼んでいた。世界(ワールド)語には存在しないことばだ。なかには、存在していながら、それと同時に存在していない現実もある。デイヴィッド・ベク・アレンのようなひとが、純然たる意志の力で明らかにしないかぎりは見えなかったようなものが。
(ナンシー・クレス『プロバビリティ・ムーン』エピローグ、金子 司訳)

ジェイクのすごいのは、何をやってもかならず楽しめてしまうところだ。
(ケリー・リンク『妖精のハンドバッグ』柴田元幸訳)

見えすいた相手の思考がいちおう落ちつくまで、ガスはがまん強く待ちつづけたが、彼の心の奥底では、なにかがやりきれないため息をついていた。こうしたばつ(、、)の悪さは、これまでにもたびたびほかの人間を相手に経験して、すっかり慣れっこになってはいる。だが、慣れることと、気にもとめないこととは別物だ。
(アルジス・バドリス『隠れ家』浅倉久志訳)

マイラは、昔なじみのコンプレックスが、他人には絶対知られたくないコンプレックスが、浮上してくるのが、わかった。世間を遠ざけているのはじぶんが失敗者だからなのではないか。強さというよりは弱さのあらわれなのではないか。
(アン・ビーティ『愛している』15、青山 南訳)

マーサはすまして言った。「あなた、気がついてる、アルジー? 彼女はわたしより二十も年上なのよ。可哀そうなアニー。なんていう運命なんでしょう──史上最年長の娼婦とは!」
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』1、深町真理子訳)

「希望をお捨てにならないで!」とベティはこちらがぎょっとするほどの大声でいった。この人、クリスチャンかしら、とわたしは思った。二番目の夫と暮らしていたアパートに、やたらにクリスチャンが来たことがあった。それも、エホヴァの証人が。
(アン・ビーティ『一年でいちばん長い日』亀井よし子訳)

トルブコは笑みを浮かべていた。彼は顔を赤らめた。
(アンディ・ダンカン『主任設計者』VII、中村 融訳)

馬の肌に雨の匂いがした。黄色いスリッカーを着、黒いステットソンの帽子をかぶったスティーヴはガイと私に向かって手を振り、雨が灰色の壁のようになって降る中を馬に鞭をいれ、駆け足させた。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第三部、飯田隆昭訳)

庭には花をつけた木が一本あった。いま、こうして近づいてみると、ちっぽけな猫がマザー・トムの大きな足の下で丸くなっているのが見えた。マザー・トムの手が上がり、花びらが一枚、木から落ちてひらひら舞いはじめた。マザー・トムの手が高く上がって振られる。花びらが地面に落ちる。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

マザー・トムがほほえみ、足もとの猫がのんびりと目を閉じる。マザー・トムが手を下げる。笑みが消え、手が体のわきにもどる。それから庭全体が、一瞬ぴくっと揺れたように見えた。マザー・トムの顔がむっつりいかめしく気づかわしげな表情になる。猫の目が警戒するようにぱっと開いた。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

マザー・トムの手が前とおなじように上がり、顔が明るくなって笑みが浮かび、猫の目が閉じはじめる──そしてまた一枚、木から花びらが落ちてくる。ぴったりおなじタイミングで。(…)マザー・トムが手を振る。猫が眠る。花びらが落ちる。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

小さな閉ざされた場所に永遠に閉じ込められたような、窒息しそうな感覚とともに、ぼくはそのときさとった。落ちてくる花びらはすべて、一枚の花びらなんだ。マザー・トムが手を振るのは、一回きりのことなんだ。そして、冬はけっして来ない。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)

あと五分待って、スーザンに電話しよう。五分。そうしたらもう一度電話するのだ。時計の針は動いていないけれど、待つことはできる。
(ケリー・リンク『しばしの沈黙』柴田元幸訳)

「でも、ホームズ君、ぼくにはなんのことだか──」
(ヒュー・キングズミル『キトマンズのルビー』第十六章、中川裕朗訳)

この少女はハミダにちがいない。当時十二歳くらいのはずだが──この地方ではよくあるように──体が未熟な分だけ精神的にはませているという、不幸にとっては格好の条件を満たしていたのだ。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第十六章、榊原晃三・南條郁子訳)

フローラもよくそこにいて、デッキチェアに寝そべっていたが、ときおりそれを移動させて、いわば夫のまわりに円を描き、次々と散らかした雑誌で彼の椅子を取り囲みながら、彼のよりもさらに濃い木陰を探すのだった。
(ウラジーミル・ナボコフ『ローらのオリジナル』若島 正訳)

「あんなふうに不愉快な目ざわりなものを見るたびに、あたしはニーナのとこの男の子をどうしても思ってしまうわ。戦争は恐ろしいわ」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ニックの声はどこからともなくおれの知覚の中へ流れこんでくるような感じだった。気味の悪い、肉体から離脱した声だ。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ハウザーとオブライエン、鮎川信夫訳)

野獣は奇妙な目つきでマーシュを見つめていた。彼のことばが理解できないか、知っていたすべてのことばを忘れてしまったかのようだった。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』34、増田まもる訳)

ルウェリンは身長が一メートル八十になるよりも小人にまで縮むよりも、変身してリスやフィロデンドロンの鉢になるよりも、はるかに大きく変わってしまっていた。
(シオドア・スタージョン『ルウェリンの犯罪』柳下毅一郎訳)

頭の上では羽がぶーんとまわり、うしろからは外の扉が閉じてかんぬきをかけるがーんという反響音がした。どこか近くで、ざらざらの石畳を靴がこする音がして、誰かがミンゴラのライフルをもぎとろうとした。彼はそれをふりほどき、ぱたぱたと駆けてゆく足音をきいて、会衆席の奥にとびこんだ。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第四部・13、小川 隆訳)

ファーバーはこの連中を避けるようにして中へ入った。
(ガードナー・ドゾア『異星の人』1、水嶋正路訳)

わたしはアルヴィのベッドの端に腰掛け、上の階のむきだしの板の上を歩くベラの足音に耳を澄ましていた。終日、彼女といっしょに過ごしていたが、彼女に対してなにか感じるような余裕はなかった。数々の記憶に圧倒され、この島に対する自分の印象に取り憑かれていたのだ。
(クリストファー・プリースト『奇跡の石塚』古沢嘉通訳)

四日目に、セヴリーヌが、売淫の家から出ようとすると、また見るより先に、その影でそれと知れる姿が、彼女の前に立ちはだかった。いかにも魁(かい)偉(い)な姿なので、彼女にはこの姿が夕暮れの光をすべて奪ってしまうかと思われた。
(ケッセル『昼顔』七、堀口大學訳)

しかし、リュシュ氏は自分の考えにとりつかれて、ろくろく聞いていなかった。オイラーに不意にゴルドバッハが乱入してきたことで持ち札が変わり、彼の最後の結論が疑わしくなったのだ。
(ドゥニ・ゲジ『フェルマーの鸚鵡はしゃべらない』20、藤野邦夫訳)

男がそこにいることが我慢ならなかった。フィリッパの身内を怒りが流れた。彼女は噴き上げる憤りの炎に浮き立つように持ち上げられ、憤りとともにインスピレーションと行動がほとばしった。/「待って」と彼女は言った。「待ってよ」
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・7、青木久恵訳)

すると、クロフォードは同時にふたつの場所にいた。いまも浜にいて五線星形とジョセフィンとブーツの下の熱い砂を感じていたが、船でこみあったリヴォルノ港にいるドン・ジュアン号の甲板の上にも立っていた。
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十七章、浅井 修訳)

宙を打つおれの左腕をグレンダがつかんで、支えてくれようとするが、おれは次から次へと痙攣に襲われる。世界が近づき、退き、分裂し、やがておれのまわりでも内側でもふたたびまとまる。
(ロジャー・ゼラズニイ『われら顔を選ぶとき』第二部・8、黒丸 尚訳)

ダンツラーは彼の背中のまん中に足をかけ、頭が沈むまで踏みつけた。DTはそり返ったり足をかきむしったりして、なんとか四(よ)つん這(ば)いに体を起こした。靄が目や鼻から流れでて、やっとのことで「……殺してやる……」という言葉がもれた。ダンツラーはまた彼を踏みつけた。
(ルーシャス・シェパード『サルバドル』小川 隆訳)

「創作を志す者には、どんなに長い一生でもたりないんだよ、ロール。そして、自分自身を理解し、生のなんたるかを理解しようとする者にとってもね。それはたぶん、人間であることの業(ごう)だ。それと同時に、至福でもある」
(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』下・第二部・33、酒井昭伸訳)

「愛は、すべての意味を持つ、ただひとつの感情ね」とエレナはうなずいた。
(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

ブルースがうなずく。「あるいは、ウォーレス・スティーヴンスが書いていたみたいに。"言葉の世界では、想像力は自然の力のひとつである"」
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』上・10、浅井 修訳)

レスは首をつきだした。「なんだって?」
(アン・ビーティ『愛している』27、青山 南訳)

「人間は」、オリヴァー・クロムウェルが言った、「自分の行先を知らぬときほど高みにのぼることはない」。
(エマソン『円』酒本雅之訳)

だしぬけに、爆発のような音が轟いた。塔が崩れたあとの瓦礫の山から、何十羽もの鳩がいっせいに舞いあがったのだ。ビリー悲嘆王の王宮だった場所を巣にしているらしい。サイリーナスは、鳩の群れが酷熱の空に輪を描くのを眺め、驚きをおぼえた。こんな虚無ととなりあわせの場所で、よくもまあ、何世紀も生き延びてこられたものだ。
(ダン・シモンズ『ハイペリオンの没落』上・第二部・19、酒井昭伸訳)

「エレナ、人生は、あらゆる悲劇の母……いやむしろ、悲劇のマトリョーシカだよ。大きな人形を開けると、小さな悲劇が入っていて、その中にももっと小さな悲劇が……。究極的には、それが人生をおかしく見せるんだ」
(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

エレナはまた笑った。「おかしな人」
(イアン・ワトスン&ロベルト・クアリア『彼らの生涯の最愛の時』大森 望訳)

「なんでお前ら、ちっとはまともなこと言えないんだ?」とバトゥは、体を回し顔を上げながら言った。そうやって床に座り込んで喋っているバトゥの声は、いまにも泣き出しそうに聞こえた。ピシャッ、とバトゥはゾンビをはたいた。
(ケリー・リンク『ザ・ホルトラク』柴田元幸訳)

「ミス・ブライア」ブライアを遮った声は、ちょうどよい音量をいくらか超えていた。
(シェリー・プリースト『ボーンシェイカー』22、市田 泉訳)

「パット!」少年は腹から声を発し、自分の名を告げた。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第三部、飯田隆昭訳)

プレンティスは耳に刺激的な無音を感じて目を覚ます、
(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』J、志村正雄訳)

彼は父が後ろを向き、階段のほうに遠ざかっていくのを見た。そして、姿を消すまえにもう一度向きなおり、死後何年かしてマルティンが絶望の中で思いだす、あの視線を向けたのだった。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・7、安藤哲行訳)

冷たい汗をかきながら、彼は自分とフランシーンが間違いをおかしてきたことを、はっきり悟る。二人の暮らし方、ごくたまにしかゆっくりとくつろぐことのできない生き方が間違っていることを。
(アン・ビーティ『ねえ、知ってる?』亀井よし子訳)

愛には、たいして理由などいらない。デボラとの件でもそれはあらためて証明されたことだ。知識の欠落が感情の刺激剤となるということかもしれない、物事はほんとうというわけではないときに大きな魅力を発揮するということかもしれないのだ
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第三部・11、小川 隆訳)

日曜日、両親は彼女を好きなだけ寝かせておく。午前中ずっとペドロがオペラのレコードをかけてもまるで目を覚まさない。彼女が目を覚ますのは、正午きっかりに、サント=クロチルドの鐘が鳴ったときだけで、そのとたん、彼女はベッドから飛び下り、窓を開ける。そしてありとあらゆる人形と一緒に外を眺めるのだ。
(ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』3、野谷文昭訳)

レミー・パロタンは愛想よく私にほほえみかけていた。彼はためらっていた。彼は私の位置を理解しようと努めた、静かに私を導いて羊小屋へ連れもどすために。しかし私は恐れなかった。私は羊などではなかったから。私は彼の落ち着いたしわのない美しい額を、小さな腹を、そして膝の上に置かれた手をながめ、彼に微笑を返すとそこを離れた。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

絵葉書には『ぼくは今、数知れぬ愛の中を、たった一人で歩いている』と書いてあったが、これはジョニーが片時も離さずに持っているディラン・トマスの詩の一節だった。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

カストラートは本物の歌うオカマであり、ネルソン・エディではない。人間のつねでオカマもいつかは死ぬ運命にあるが、その死はめったに凄惨なものにはならない。ところがこのオカマの死には、きっとあなたも鳥肌が立つだろう。
(G・カブレラ=インファンテ『エソルド座の怪人』若島 正訳)

ディム・カインドは目をおおっていた手をおろした。「ええ、話さなかったわ。その理由を教えましょう。おまえたちがそういうものを思いつくまで、そういうものはなかったからよ。
(ジョン・クロウリー『ナイチンゲールは夜に歌う』浅倉久志訳)

〈クレイジー・カフェ〉に腰を落ち着けたときは心からほっとした。量産された意識のせいで、目に見えるものや感覚が嘘っぽいものになっていようが、椅子は椅子であり、疲労感は疲労感だからだ。彼女はいなかった。ドリス・ブラックモアはそこにいなかった。ちらっと見ただけでわかった。
(L・P・ハートリー『顔』古谷美登里訳)

淋しくないこと、びくびくしないこと──ボアズはこの二つが人生で大切なことだと考えるようになった。
(カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』7、浅倉久志訳)

彼女が無感情なのは美が世界にたいするときの静かな自信の兆候であるように、ミンゴラには思えた。アルビナの中には美が存在し、それを傷跡が実証しているのだと思った。だが、彼女を利用したくはなかった。安心して利用できるようなたぐいの美ではなかったのだ。/「きれいな傷跡をしているね」
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・8、小川 隆訳)

心の眼のなかで家族たちが薄れてしまうと、オルミイはみんなが返してくれた荷物をほどき、そのすばらしい中身を貪欲にとりこんだ。/それは彼の〈魂〉だった。
(グレッグ・ベア『ナイトランド─〈冠毛〉の一神話』9、酒井昭伸訳)

翌朝はからりと晴れ上がった空だったので、ジェット夫人には何かにつけてほっと心の休まることが多かった。牛乳配達がカタコト音を立てて過ぎるのを聞いているのもいい気持ちだった。朝日が、自分で刺繍した窓のカーテンを通して、微笑むようにさしこんできたが、彼女はそれに微笑み返す余裕ができていた。
(ファニー・ハースト『アン・エリザベスの死』龍口直太郎訳)

国境守備兵ゲーディッケが彼の魂を構成する諸断片のうちから狭い選びかたをしたか、彼がその自我を新しく組み立てるのにそれらの断片をいくつとりあげ、いくつ排除したかはとうてい判然としがたいことであって、ただ言えるのは、かつては彼のものだったなにものかがいまの彼には欠けているという気持を抱いて歩きまわったということだけである。
(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・一五、菊盛英夫訳)

そのとき、クローンのモーナがビリー・アンカーのコントロール・ルームの壁に書かれたヒエログリフの行間から歩みでてきた。
(M・ジョン・ハリス『ライト』17、小野田和子訳)

「知っておいてもらいたいことがあるの」アイリーンが言った。「あなたの中のわたしたちの思い出は、偽物だった。でもこのとおり、今はもう本物になったわ」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面20、嶋田洋一訳)

(…)よどんだように静かで、荒涼とした風景だが、ジョカンドラにとってはホームグラウンドだった。そしてその静けさが彼女の心にも静けさを呼び起こし、熱っぽい額にあてられた冷たい湿布のように彼女の緊張をほぐした。
(ルーシャス・シェパード『緑の瞳』3、友枝康子訳)

エディにとってはただのピアノではなかった。ネディなのだった。エディはある程度の時間手にしたものには何でも愛称をつけた。それはまるで、馴染み深い海岸線や目的地が見えないと不安にかられる大昔の船乗りさながらに、名前から名前へと飛びうつっているかのようだった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『奇妙な関係』母・2、大瀧啓裕訳)

リシュリューとライヒプラッツはまったく同じ意味──〈豊かなる場所〉をあらわすことばであることを知って愕然となった。
(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二十回の旅、深見 弾訳)

「人間は同じものにいろいろな名前をつけます」とメアリがいった。「〈混沌〉はわたしたちにとっては一つのことを意味するにしても、ほかのだれかにとってはまったくべつなことを意味するかもしれません。さまざまの文化的背景がさまざまの認識を生むのです」
(クリフォード・D・シマック『超越の儀式』23、榎林 哲訳)

(…)何世紀も昔の哲学者ニーチェの文章を思い出した。(…)人間の心を蜜蜂の巣として描いている。われわれは蜜の収集家であって知識や観念を少しずつ運んでくるのだと──
(バリントン・J・ベイリー『知識の蜜蜂』岡部宏之訳)

ラムジー夫人はそれを巧みに結び合わせてみせた、まるで「人生がここに立ち止まりますように」とでもいうように。夫人は何でもない瞬間から、いつまでも心に残るものを作り上げた(…)
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第三部・3、御輿哲也訳)

セアこそ、わたしの初恋の人だった。また彼女は、わたしが救った人のものだったから、わたしは彼女を崇拝してもいた。最初にセクラを愛したのは、彼女がセアを思い出させるからにほかならなかった。今(…)わたしはふたたびセアを愛した──なぜなら、彼女はセクラを思い出させるから。
(ジーン・ウルフ『調停者の鉤爪』10、岡部宏之訳)

美しいものというのはいつも危険なものである。光を運ぶ者はひとりぼっちになる、とマルティは言った。ぼくなら、美を実践する者は遅かれ早かれ破滅する、と言うだろう。
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』刑務所、安藤哲行訳)

少女は少女の痛みを抱えて、モーリスは自分の痛みを抱えて、二人は芝生を並んで歩いた。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・9、青木久恵訳)

E・A・ロビンソンは彼の後半生において自分の詩以外はどんな詩もほとんど読まなかったと告白している。ただ自分の詩だけをくり返しくり返し読む。これは自己模倣の麻痺が、人生半ばにして多くの良い詩人を駄目にするという事実の説明にもなる。
(デルモア・シュワーツ『現代詩人の使命』2、鍵谷幸信訳)

自分は個性(パーソナリテイ)に欠けるというエドワードの意見は正しい。彼は実際に同席しているときより話題にされているときのほうが実在感があった。友だちがぼくを作っていると彼はよく言った。しかし、彼の存在が目に見えない秘密の通路を通ってぼくたちに流れこんでいたのだ。
(L・P・ハートリー『顔』古屋美登里訳)

ところがそれ以来、電話はかかって来なくなった。かつてエドマンドが初めて交換手に苦情を言った直後と同じだ。アトリエは今や昼も夜も澱んだ熱気と静寂に満たされており、絵の中の子供らはめいめい好き勝手に虚空を見つめている。
(ロバート・エイクマン『何と冷たい小さな君の手よ』今本 渉訳)

だが、ラシーヌが何を言おうと、死者たちの国へ降りてゆくための道はない。魂たちのかわりに、ここにあるのは飛ぶ種子、浮遊する蜘蛛の糸、羽虫だ。死者たちの国への入り口はケルトの伝説が語っているように一筋のまっ直ぐな道でできている。
(イヴ・ボヌフォワ『大地の終るところで』VIII、清水 茂訳)

「もし私が他の人たちより少しでも遠くをみたとするならば、それは私が巨人の肩にたっていたからだ」という言葉は、ニュートンの言葉だとされている。しかり、彼は巨人の肩に立っていた。その巨人のうち最大のものはデカルト、ケプラー、ガリレオであった。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと I』6、田中 勇・銀林 浩訳)

「あなたたちはもう行かないと」アーリーンの声が言った。「話している時間はないわ。もちろん、そんな必要もないんだけど」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面20、嶋田洋一訳)

ジョン・シェイドの外貌はその男の中身とあまりにもそぐわないために、人びとはそれを粗野な偽装だとか、ほんのかりそめのものだと感じがちなのであった。
(ナボコフ『青白い炎』前書き、富士川義之訳)

トインビーは、スパルタのミストラの丘の上の白のてっぺんに腰を下ろし、一八二一年にそこを壊滅させた蛮族が残した廃墟を眺めていた。まるで今にも、その蛮族たちが地平線の彼方からだしぬけにどっとあふれ、この街を滅ぼしつつあるように思われ、昔のことがありのまま(、、、、、)に起こったことに彼は打撃を受けた。
(コリン・ウィルソン『時間の発見』第5章・5、竹内 均訳)

あたしがジェイクに恋したのは、ジェイクの頭がよかったからじゃない。あたしだってけっこう頭はいい。頭がいいっていうのはいい人だってことじゃないのはあたしだってわかるし、学識があるってことでさえないのもわかる。頭のいい人が、いろんな厄介事を自分で招いてるのを見ればそれくらいわかる。
(ケリー・リンク『余生のハンドバッグ』柴田元幸訳)

クロフォードの背後の斜面の木々が折れたり倒れたりしている。丘そのものが目ざめて自分の器官である木の絨毯を投げすてているかのようだ。海が鍋のお湯のように泡だっている。空いっぱいに幽霊が勢いよく飛びかっている。
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十七章、浅井 修訳)

まぎれようもない態度を何か示すべきだ。だが、ハトン氏は急におびえてしまったのである。彼の身内に発酵(はつこう)したジンジャー・エールの気が抜けたのだ。女は真剣だった──おそろしく思いつめていた。彼は背筋が冷たくなるのを感じた。
(オールダス・ハックスレー『モナ・リザの微笑』龍口直太郎訳)

町が変わりつつあることは、ブリケル夫人にとってはべつだん驚くほどのことではなかった。小さいときからずっと見てきた子どもたちも、いずれ大人になって、それぞれ子どもを持つようになるはずだ。最近は、かつてのように都会に出て名をあげようとするのではなく、小さな町でゆったりと暮らしたい、という人も多くなった。
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』8、亀井よし子訳)

スケイスは蛇口を締めて、その規則的な静かな滴りを止めたい衝動にかられたが、こらえた。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・6、青木久恵訳)

それじゃ宇宙は電子からなっているのね。その電子は、カ空間がとても小さく丸まってできた極(ごく)微(び)の輪なのね。そうなのね、ヤリーン?
(イアン・ワトスン『存在の書』第三部、細美遙子訳)

アンジェリーナ・ソンコは今や二重ヴィジョンで世界を眺めており、第二の景色が現実の世界を明るく照らし、明晰化し、絶えず作り変えてゆく。
(イアン・ワトスン『マーシャン・インカ』I・7、寺地五一訳)

もうひとりの男はジェミーと紹介された。《長老》? そんな歳には見えない。だが、このひとたちにとって〈老〉ということばは〈賢明〉を意味するのかもしれない。その点では、かれにはその資格がある。多くの人間に見られる未完成なところが、このひとにはみじんも感じられない。彼は──そう、完璧だ。
(ゼナ・ヘンダースン『忘れられないこと』山田順子訳)

アメリカの上層中流階級の市民はいろいろな否定の合成物だ。彼らは主として自分がそうではないものによって表現されている。ゲインズの場合はそれ以上だった。彼は否定的であるだけでなく、絶対に目に見えない存在で、つかみどころのない、かといって非の打ちどころのない存在だった。
(ウィリアム・バロウズ『ジャンキー』第六章、鮎川信夫訳)

こういう状況だというのに、ジョニイは力強さと生気をみなぎらせていた。こんな人間にはめったにお目にかかれるもんじゃない。説明はむずかしいが、いままでにも何度か、部屋にいならぶ大物たちが、ジョニイのような人物を中心にして、ひとりでに動きだすのを見たことがある。
(ダン・シモンズ『ハイペリオン』下・探偵の物語、酒井昭伸訳)

オードリーの首の中に脊椎骨がひょい(ポツプ)と現われる。アーンは舌をチッと鳴らす。オードリーがじっと鏡の中のトビーの虚ろな青い目を一心に見つめると、生まれたばかりの死霊のような乳白色の肉が自分の体に張りついているのが見えた。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第三部、飯田隆昭訳)

(…)飛行機の旅はよかったかとか、ブロンズの鐘を鳴らしたかとか、と彼女が訊いた。善良な老シルヴィア! 彼女は物腰の曖昧さ、なかば生来の、なかば飲酒したときの好都合な口実として培った無精な態度の点で、フルール・ド・フィレールと共通するところがあった。
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

雨のリズムにやがてミンゴラのほうも眠くなってきた。さまざまな思いがつぎつぎと、輪を描いて虚(こ)空(くう)を飛ぶ鷹のように意味も脈絡もなく、頭の中をよぎっていった。デボラのこと、自分の力のこと、タリーや、イサギーレのこと、故郷と戦争のこと。
(ルーシャス・シェパード『戦時生活』第二部・7、小川 隆訳)

カントが、われわれは世界を「カテゴリー」に分けてみる、と言っているのは正しい。カントの言う「カテゴリー」を、あなたの鼻の上にのっている目に入るものすべてが最も奇異な角度や位置にみえるような、へんてこな色メガネと考えてみよう。実はこれこそがわれわれの頭脳が把握している空間と時間なのである。
(コリン・ウィルソン『時間の発見』第5章・5、竹内 均訳)

薔薇の花輪がどの壁にもかかっていた。イーフレイムは来ているのか?
(ジェイムズ・メリル『イーフレイムの書』H、志村正雄訳)

「ええ!」ヒギンズは熱烈にそう答え、たぶんカーライルの緊張を感じ取ったのだろう、少し譲歩した。「少なくとも今以上に、現実への深い洞察が得られるわ」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面12、嶋田洋一訳)

モーリスはあの時の、感情を害して気まずそうにしている彼女の顔を思い出した。そんな感情に気がつかなければよかった。
(P・D・ジェイムズ『罪なき血』第三部・8、青木久恵訳)

ヘアーは、靴のなかに小雨がしみとおってくるのもかまわず、都市の古い区域を歩きまわった。裸になったが温かい気分、青衣をぬぎはしたが、はじめてこの世界を歩いている気分だった。両足が、一歩また一歩とその世界を作りあげているようだった。
(ジョン・クロウリー『青衣』浅倉久志訳)

キャサリンはカールトンの部屋の荷物を出し終えていた。熊や鵞鳥や猫の形をしたナイトライトが、そこらじゅうのコンセントに差してあった。小さな、低ワット数のテーブルランプもある。カバ、ロボット、ゴリラ、海賊船。何もかもが優しい、穏やかな光に浸されて、部屋をベッドルーム以上の何かに翻訳していた。
(ケリー・リンク『石の動物』柴田元幸訳)

ジョニーは向こう側にいる──向こう側というのが正確に何を指しているのかよく分からないが──そんなジョニーがぼくは羨ましい。一目でそうと分かる彼の苦しみはべつとして、ぼくは彼のすべてが羨ましい。彼の苦しみの中には、ぼくには拒まれているあるものの萌芽があるように思えるのだ。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)

「いやいや」〔と足を組みかえ、何か意見を開陳しようとする際にいつもそうするように肘掛椅子をかすかに揺らしながら、シェイドが言った〕「全然似ていないよ。ニュース映画で王を見たことがあるが、全然似ていないよ。類似は差異の影なんだよ。異った人びとは異った類似や似かよった差異を見つけるものなんだよ」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

私の周囲にあったものは、すべて私と同一の素材、みじめな一種の苦しみによってできていた。私の外の世界も、非常に醜かった。テーブルの上のあのきたないコップも、鏡の褐色の汚点も、マドレーヌのエプロンも、マダムの太った恋人の人の好さそうな様子も、すべてみな醜かった。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

オードリーの目の前の少年は体内から光を発している。真下の床が落ちるのをオードリーが気づくや、少年の目に一瞬ぎらっと光が走る。オードリーが落ちると同時に少年の顔もいっしょに下へ。すると目がくらむばかりの閃光が部屋と、待ちかまえている顔たちを消滅させる。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第二部、飯田隆昭訳)

アイネンが、形のくずれた靴から視線をもどす。
(ホリア・アラーマ『アイクサよ永遠なれ』15、住谷春也訳)

ダンツラーは手を伸ばしたが、相手の手をとる代わりに、その手首をつかんでひき倒した。DTはいいほうの足でバランスをとろうとしたが、ひっくり返って霧の下に姿を消した。落ちるだろうと思っていたのだが、DTは肌に霧をはりつけたまますぐにうきあがってきた。そのはずだ、とダンツラーは思った。
(ルーシャス・シェパード『サルバドル』小川 隆訳)

「あなたは宇宙を支配しているのですか?」ザフォドが訊(き)いた。
(ダグラス・アダムス『宇宙の果てのレストラン』29、風見 潤訳)

ぼくのために橋となってはくれないきみの愛がぼくを苦しめるのだ、橋は片側だけで支えられるものではないのだからね、ライトだってル・コルビュジェだって片側だけで支えられる橋を造ることはないだろう。
(コルターサル『石蹴り遊び』その他もろもろの側から・93、土岐恒二訳)

フロベールは、オメーの俗悪さを列挙する場合にも、全く同じ芸術的な詐術を使っている。内容そのものは下卑ていて不快なものであっても、その表現は芸術的に抑制が利き調和しているのだ。これこそ文体というものなのである。これこそ芸術なのだ。小説で本当に大事なことは、これを措いてほかにない。
(ナボコフ『ナボコフの文学講義』上・ギュスターヴ・フロベール、野島秀勝訳)

(…)夫人はあと一瞬だけとどまろうとした。それから身を動かし、ミンタの腕をとって部屋を出ると、もうあの光景は変化し、違った形をとり始めた。夫人は、肩ごしにもう一度だけ振り返って、それがもはや過去のものになったことを知った。
(ヴァージニア・ウルフ『灯台へ』第一部・17、御輿哲也訳)

ダルグリッシュの視線が、すでに一度はとらえておきながら気がつかずにいた或るものの上にとどまったのはそれからだった。大机の上に載っている、黒い十字架と文字の印刷された通知書の一束である。その一枚を持って、彼は窓ぎわへと行った。明るい光でよく見れば、自分のまちがいがわかる、とでも言うように。しかし、(…)
(P・D・ジェイムズ『黒い塔』2・1、小泉喜美子訳)

そんなものに、わしゃヘンダソンよりも多くのものを発見するんだよ。
(イエイツ『まだらの鳥』第一編・4、島津彬郎訳)

この家の玄関を設計するにあたって、ぼくはブレインの家の玄関ホールを再現しようと試みた──と言っても巻尺で測ったような現実としてではなく、ぼくの記憶にあるとおりの現実として。現存する「生きて、呼吸し、存在する」ぼくの記憶が、いまは滅んで取り戻せない物理的存在よりも現実的でないなどとどうして言えるだろう。
(ジーン・ウルフ『ピース』2、西崎 憲・館野浩美訳)

キェルケゴールはたずねる。「世界と呼ばれているものは何なのか?…この世へ私をいざなっておきながら、今そこに私を置き去りにしたのは誰なのか?…私はどうしてこの世にきたのであろう?…なぜ私は顧みられなかったのか?…もし私がこの世にむりやりに仲間入りさせられているのなら、その指導者はどこにいるのか?…私はその人に会いたい」。
(コリン・ウィルソン『時間の発見』第5章・8、竹内 均訳)

マルティンは自分がまだ知らないでいるアレハンドラの心の一部を探るかのように、部屋の中を見まわした。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・9、安藤哲行訳)

(…)それからフラムは扉を閉めて、彼の蒸気船を去り、同時に彼の人生から去っていった。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』30、増田まもる訳)

まだ一年も経っていないというのに、サマンサは母親がどんな姿をしていたか忘れかけている自分に気づいた。母親の顔だけでなく、どんな香りだったかさえも。それは乾いた干し草のようでもあり、シャネルの五番のようでもあり、なにか他のもののようでもあった。
(ケリー・リンク『スペシャリストの帽子』金子ゆき子訳)

グレース・ファーガソンに対する興味が深まれば深まるほど、彼女の家やその周辺も彼にとって生き生きとしたものになってきた。
(ヒュー・ウォルポール『白猫』佐々木 徹訳)

人間思想の全分野を革新するということは、きわめてわずかな人にしか許されていない。デカルトはこのわずかな人間の一人である。
(E・T・ベル『数学をつくった人びと I』3、田中 勇・銀林 浩訳)

ウィンターはこの数分で二度目の、自分の世界が裏返される感覚を味わった。「シュレイムが嘘を?」
(ケン・マクラウド『ニュートンズ・ウェイク』B面20、嶋田洋一訳)

彼女は母親とエスペンシェイ氏と一緒に生まれ故郷のマサチューセッツ州サットンに戻り、その町にある大学に入学した。
(ウラジミール・ナボコフ『ローラのオリジナル』若島 正訳)

クロフォードは絶望的な思いでその血を見つめながら自分を奮いたたせようとする。
(ティム・パワーズ『石の夢』下・第二部・第十七章、浅井 修訳)

(…)他人の生活に鼻をつっこむのは(夫人の母親のいい方に従えば、"のぞき")、友情を保つ方法とはけっして思えなかった。たとえ尋ねなくても、知りたいと思う以上のことが聞こえてくるものだ。ブリゲル夫人の経験によれば、そうだった。
(アン・ビーティ『貯水池に風が吹く日』8、亀井よし子訳)

私が自分の持物を二階の部屋に運んでいくとハンスは彼と同室の者を私に紹介してくれた。ミドルタウン出身のアメリカの著者で名前はディンク・リバーズ。じっと私を見つめる並外れて澄んだ灰色の目に驚きの色が浮かんだ。昔の知人と会ったかのようだった。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第一部、飯田隆昭訳)

一瞬私は水の涸れた河床にいて彼が「私が欲しいのならすぐ抱き上げて」と言っているような声を耳にした。しかし次ぎの瞬間ポート・ロジャーのこの部屋にいて私達二人は手を握り合い、彼は頷いていた。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第一部、飯田隆昭訳)

DTは鼻を鳴らした。「たしかにそうだ!」あえぎながらたちあがると、足をひきずって小川の縁に(ママ)歩いた。「渡るのに手を貸してくれ」
(ルーシャス・シェパード『サルバドル』小川 隆訳)

それが実際に父親の口から聞く最後の言葉ということが分っていたなら、マルティンは何か優しい言葉を口にしただろうか?/人は他人に対してこんなにも残酷になりうるものだろうか?──とブルーノはいつも言うのだった──もし、いつか彼らが死ななければならない、
(サバト『英雄たちと墓』第I部・7、安藤哲行訳)

そしてそのときには、彼らに言った言葉はどれも訂正しえないものだということがほんとうに分っているなら。/彼は父が後ろを向き、階段のほうに遠ざかっていくのを見た。そして、姿を消すまえにもう一度向きなおり、死後何年かしてマルティンが絶望の中で思いだす、あの視線を向けたのだった。
(サバト『英雄たちと墓』第I部・7、安藤哲行訳)

彼は頭の回転の速い男ですが、ジュリアンが恐ろしくゆがめてしまったのです。彼のことばに耳を傾けるすべての者をゆがめてしまうように。
(ジョージ・R・R・マーティン『フィーヴァードリーム』30、増田まもる訳)

ルイーズの席からだと、どのチェリストもみんな美男子だ。なんて弱々しい人たちなの、とルイーズは思う。黒のお堅い衣装を着て、あんなふうに音楽を弦から流れ落とし、開いた指のあいだから溢れさせている。まったく不注意なもんだわ。しっかりつかんでおくべきなのに。
(ケリー・リンク『ルイーズのゴースト』金子ゆき子訳)

彼の片方の目は温和で親しみがこもっているが、もう片方の目は嘲りの光を放っているのに私は気づいた。全く人迷惑な目だ。バート・ハンセンはどう応えていいやら分からず不快そうな笑みをこぼしたが、一瞬この二人そっくりすり替わったんじゃないかと思われるような同じ笑みが、今度は彼からこぼれた。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第二部、飯田隆昭訳)

「分る、マルティン? これまで世界には多くの苦しみが生まれなければならなかった、その苦しみがこうした音楽になったのよ」/レコードを外しながら言った、/「凄いわ」
(サバト『英雄たちと墓』第I部・9、安藤哲行訳)

「どうぞ!」とドニヤ・カルロータはケイトに言った。「もうお休みになりましたか?」
(D・H・ロレンス『翼ある蛇』上・10、宮西豊逸訳)

小人は片腕をあげるとパリダに向かって伸ばす。
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

「行かなきゃ」とアリスが言った。
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

「まあ、あなた」とマグダレンは溜息をついた。
(エリス・ピーターズ『死者の身代金』8、岡本浜江訳)

──上の人また叩いたわ──とバブズが言った。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

小人は片腕をあげるとパリダに向かって伸ばす。
(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

「行かなきゃ」とアリスが言った。
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

「まあ、あなた」とマグダレンは溜息をついた。
(エリス・ピーターズ『死者の身代金』8、岡本浜江訳)

──上の人また叩いたわ──とバブズが言った。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

「行かなきゃ」とアリスが言った。
(コニー・ウィリス『リメイク』大森 望訳)

「まあ、あなた」とマグダレンは溜息をついた。
(エリス・ピーターズ『死者の身代金』8、岡本浜江訳)

──上の人また叩いたわ──とバブズが言った。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

「まあ、あなた」とマグダレンは溜息をついた。
(エリス・ピーターズ『死者の身代金』8、岡本浜江訳)

──上の人また叩いたわ──とバブズが言った。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

──上の人また叩いたわ──とバブズが言った。
(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・28、土岐恒二訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

「ゴードンがお気に入りの花々をお見せするでしょう」と彼女は言って、隣室に呼びかけた。「ゴードン!」
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)

ゴードンは驚いたように首をふった。
(ニーヴン&パーネル&フリン『天使墜落』下・15、浅井 修訳)

「ひい──」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)


IN THE DEAD OF NIGHT。──闇の詩学/余白論─序章─

  田中宏輔



どこで夜ははじまるのだろう?
(リルケ『愛に生きる女』生野幸吉訳)

夜は孤独だ
(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・七七、菊盛英夫訳)

めいめい自分の夜を堪えねばならぬのである。
(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のように』4、中桐雅夫訳)

光を運ぶ者はひとりぼっちになる
(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』刑務所、安藤哲行訳)


 林 和清と、早坂 類と、そして、筆者の三人によって、一九九〇年の秋に創刊された同人雑誌の「Oracle」は、一
九九七年の春に十三号をもって終刊したのだが、途中、出すたびにさまざまな書き手を加えていった。笹原玉子もそ
の一人であり、第三号から参加して、短歌や詩を発表していた。つぎに紹介する作品は、その彼女が上梓した第一歌
集の『南風紀行』から六首を選び、一行置きに、筆者の短い詩句を添え、一九九一年の冬に出した同誌の第四号に、
詩として掲載したものである。


Opuscule


誰が定めたる森の入り口 夜明には天使の着地するところ

睡つてゐるのか。起きてゐるのか……。

教会の天井弓型にくりぬいてフラ・アンジェリコの天使が逃げる

頬にふれてみる。耳にもふれてみる。そつと。やはらかい……。

数式を誰より典雅に解く君が菫の花びらかぞへられない

胸の上におかれた、きみの腕。かるく、つねつて……。

知つてゐた? 夜が明けるといふこんな奇蹟が毎日起こつてゐることを

うすくひらかれたきみの唇。そつと、ふれてみる。やはらかい……。

君のまへで貝の釦をはづすとき渚のほとりにゐるごとしわれ

指でなぞる、Angel の綴り。きみの胸、きみの……。

書物のをはり青き地平は顕れし書かれざる終章をたづさへ

もうやはらかくはない、きみの裸身。やさしく、かんでみる……。


 一九九二年の春に出した同誌の第五号では、同人の林が上梓した第一歌集の『ゆるがるれ』のなかから七首を採り
上げ、それらの歌を通して、林の造形技法について論じた。そのうち、三首をつぎに引用する。


淡雪にいたくしづもるわが家近く御所といふふかきふかき闇あり

闇よりくろき革衣着てちはやぶる神戸オリエンタル・ホテルへ

昇降機すみやかに闇下りつつ死してはじめて人は目覚める


 これらを筆者は、「闇の miniatures」と名づけたのであるが、それが、このときの論考に「Bible Black」というタ
イトルをつけた所以ともなっている。
 同人雑誌を最後に出したころに催された同人会の宴の後、三次会になるのか、四次会になるのか、それは定かでは
ないが、夜中の一時はゆうに過ぎていたと思われる。まだまだ帰るのには早過ぎるとでもいうように、林と笹原の二
人が筆者宅に寄り、筆者とともに三人で酒を酌み交わしながら明け方までしゃべりつづけていたことがあったのだが、
そのとき、天狗俳諧もどきのことをしたのである。ちょっとした遊びのつもりで、順々に三人で、上句に中句、中句
に下句をつけて、俳句を詠んだのだが、あまり面白いものとはならなかったので、筆者の提案で、出された句を、各
自で自由に選んで組み合わせることにしたのである。三人が競作をして、それぞれ見せ合ったのであるが、このとき
ほど笑ったことはなかった。まさに、「めちゃくちゃな」といった言葉で形容されるようなものが、つぎつぎと披露さ
れていったのである。それらは、どれもみな、三人の個性が非常によく現われたものとなっていた。筆者がつくった
もののうち、いくつかのものを、つぎに紹介する作品のなかに入れておいた。初出は、ユリイカの一九九八年十二月
号である。


木にのぼるわたし/街路樹の。


ぼく、うしどし。
おれは、いのししで
おれの方が"し"が多いよ。
あらら、ほんとね。
ほかの"えと"では、どうかしら?
たしか、国語辞典の後ろにのってたよね。
調べてみましょ。
ううんと、
ほかの"えと"には、"し"がないわ。
志賀直哉?
偶然かな。
生まれたときのことだけど
はじめて吸い込んだ空気って
一生の間、肺の中にあるんですって。
ごくわずかの量らしいけどね。
もしも、道端に
お父さんやお母さんの顔が落ちてたら
拾って帰る?
パス。
アスパラガス。
「どの猿も 胸に手をあて 夏木マリ」
「抜け髪の 頭叩きて 誰か知れ」
「フラダンス きれいなわたし 春いづこ」
「ゐらぬ世話 ダム崩壊の オロナイン」
「顔おさへ 買ひ物カゴに 笠地蔵」
「上着脱ぐ 男の乳は みんな叔母」
「南下する ホームルームは 錦鯉」
これが俳句だと
だれが言ってくれるかしら?
〈KANASHIIWA〉と打つと
〈悲しい和〉と変換される。
トホホ。
それでも、毎朝、奴隷が起こしてくれる。
まだ、お父様なのに。
間違えちゃったかな。
ダンボール箱。
裸の母は、棚の上にいっしょに並んだ植木鉢である。
魔除けである。
通説である。
で、きみは
4月4日生まれってのが、ヤなの?
オカマの日だからって?
だれも気にしないんじゃない?
きみの誕生日なんて。
それより、まだ濡れてるよ。
この靴下。
だけど、はかなくちゃ。
はいてかなくちゃ。
これしかないんだも〜ん。
トホホ。
いったい、いつ
ぼくは滅びたらいいんだろう。
バーガーショップ主催の交霊術の会は盛況だった。


つぎに、筆者にとって、ポエジーの源泉となるほどに魅了された俳句や短歌を、系統別に分類する。


気の狂つた馬になりたい枯野だつた                             (渡辺白泉)

菫程の小さき人に生れたし                                 (夏目漱石)

馬ほどの蟋蟀となり鳴きつのる                               (三橋鷹女)

一枚の落葉となりて昏睡(こんすい)す                                 (野見山朱鳥)


 他のものになりたい、いまの自分ではいられない、という強い気持ちが、他のものに生まれ変わりたいというここ
ろからの願いが、言葉となって迸り出てきたものであろうか。引用した句のなかでは、とりわけ、はじめの三句にお
いて、その句を作っていたときに、作者たちの心境がかなり危ういところにあったものと推測される。


蟻地獄松風を聞くばかりなり                                (高野素十)

団栗(どんぐり)の己が落葉に埋れけり                                 (渡辺水巴)

木を割(さ)くや木にはらわたといふはなき                             (日野草城)

機関銃天ニ群ガリ相対ス                                  (西東三鬼)


 正確にいえば、すべての句が擬人法に分類できるものではないのかもしれないが、自己の心情を事物に仮託して語
らしめているところは、同様の手法である。


牛(うし)馬(うま)が若し笑ふものであつたなら生かしおくべきでないかもしれぬ              (前川佐美雄)

さんぼんの足があつたらどんなふうに歩くものかといつも思ふなり              (前川佐美雄)

考えがまたもたもたとして来しを椅子の上から犬が見ている                  (高安国世)


 これらの三首には、教えられるところが多かった。短歌では、思考方法をより応用発展させられるようなものが、
わたしの好みである。つぎの三首もまた、同様の傾向のものである。


憂鬱の鳥が頭上にあらはれてふたりの肌のにほひをかへる                    (林 和清)

言霊の子は森といふ文字バラバラにひきはなしたりもどしたり                 (笹原玉子)

冬日和 病院にゐて犬がゐて海もそこまで来てゐるらしい                  (魚村晋太郎)


 林の歌からは、「鳥が来ては、わたしの魂を、他のだれかの魂と取り換える。」といった言い回しを思いついたのだ
が、イメージ・シンボル辞典を引くと、「飛び立とうとしている鳥、または翔んでいる鳥は魂の実体化したもの。」とあ
る。休日には、よく賀茂川の河川敷にあるベンチの上に坐って、鳥たちが空を飛んでいる姿を目で追っていたり、川
のなかで餌をあさっている様子を見つめていたりして、ぼうっとしていることが多いのだが、サバトの『英雄たちと
墓』の第III部・37に、「魂は鳥のように遠くの地に飛ぶことができるとは考えられないものだろうか?」(安藤哲行訳)
とある。後で、原 民喜のところで述べることの先取りになると思われるが、「鳥が来ては、わたしの魂を、他のだれ
かの魂と取り換える。」という言い回しを、「孤独な魂が、わたしの魂を、他のだれかの魂と取り換える。」とすると、
ますます、わたし好みのものになる。

 笹原の歌からは、「巧妙な組みあわせがよく知られた語を新鮮なものにする」(ホラーティウス『詩論』岡 道男訳)。
「詩句とは幾つかの単語から作った(……)国語の中にそれまで存在しなかった新しい一つの語である。」
(マラルメ『詩の危機』南條彰宏訳)「たえず脳漿(のうしよう)に憑(つ)きまとう無数の抒情的なとりつき易い言葉と
美辞麗句をしりぞけ」(マラルメの書簡、アンリ・カザリス宛、一八六四年一月付、松室三郎訳)、「われわれの先輩
たちが(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)(……)すでに秩序を与へて呉れてゐるところの結合を(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)、
さらに新奇に結合し直すことである(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。」(ポオの『ロングフェロウ論』
より、阿部知二の『ColeridgeとPoe』からの孫引き)「作りうる組合せは無数にあり、その大部分はぜんぜん的外れの
ものである。無用な組合せを避け、ほんの少数の有用な組合せを作ること、これこそが創造するということなのである。
発見とは、識別であり選択である。」(E・T・ベル『数学をつくった人びとIII』28、田中 勇・銀林 浩訳)「新しい関
係のひとつひとつが新しい言葉だ。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)「一つの言語を創り出すこと」(マラルメの書簡、
アンリ・カザリス宛、一八六四年十月付、松室三郎訳)。「言語の絶えまなき再創造(つくりなおし)」(C・デイ・ルイス『詩を読む若
き人々のために』I、深瀬基寛訳)。「再創造する力のない思考は、かわりに因習的などうでもよいイメージを持ってく
ることを余儀なくされている」(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラ、鈴木道彦訳)。「卑猥と
さえ思えることも、思考の新しい脈(みやく)絡(らく)で語られると、輝かしいものとなる。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)「なすべ
きことはひとつしかない。自分を作り直すことだ。」(ヴァレリー『邪念その他』P、清水 徹訳)「生まれるとは、前と
は違ったものになること」(オウィディウス『変身物語』巻十五、中村善也訳)といった言葉が思い出されたのだが、
それは、結局のところ、語の選択や、語と語の結合といったものが、そして、その配置や全体の構成といったものが、
文学作品のすべてであるということを、改めて、わたしに思い起こさせるものであった。

 魚村の歌には、目を瞠らされた。自分のほかには、だれもいない病院の玄関先で、これまた吼えもしない、おとな
しい犬を眺めながら、ぼうっとしているような冬日和の静かな街角。その街角の風景のなかで、海だけが動いている。
これまた静かに、ひたひたと破滅の音階を携えながら、といった映像が思い浮かんだ。山が動く、森が動いてくると
いうのは、聖書やシェイクスピアにもあった。海が近づいてくるというイメージは新鮮であった。また、この海が近
づいてくるというイメージは、冬日和の静かな街角の風景そのものが、しだいに海のなかに滑り落ちていくという映
像をも思い浮かばせてくれた。この二つの映像は、作品を読むときばかりではなく、作品をつくるときのイメージ操
作の訓練にも役に立つと思った。逆の視点から見ること。相反する向きから眺めること。それを空間的なものに限る
必要はない。時間的なものにも応用できる。

 以上、引用してきた俳句や短歌には、すべて、「ポウが詩のもっとも大切な要素としてかんがえたあの不意打ち」(エ
リオット『アンドルー・マーヴェル』永川玲二訳)があり、それは、「予期に反して」(アリストテレース『詩学』第九
章、松本仁助・岡 道男訳)、「わたしを驚かせ」(コクトー『ぼく自身あるいは困難な存在』ぼくのさまざまな逃亡につ
いて、秋山和夫訳)、「私の目を私の心の底に向けさせる」(シェイクスピア『ハムレット』第三幕・第四場、大山俊一
訳)ものであった。ただ、これらのうち、多くの「作品が驚かせることに気をつかいすぎることはたしかである」(ボ
ルヘス『伝奇集』ハーバート・クエインの作品の検討、篠田一士訳)が、しかし、驚きこそ、関心を惹かせる最たるも
のである。それにまた、「思考にとって、予想外ほど実り豊かなものがあろうか。」(ヴァレリー『己れを語る』頭脳独
奏用協奏曲、佐藤正彰訳)。

 ところで、子供というものは、何にでも驚くものである。「愚鈍な人間は、どんな話を聞いても、よくびっくりする
ものだ。」(『ヘラクレイトスの言葉』八七、田中美知太郎訳)というが、子供が驚くのは不思議でも何でもない。知ら
ないからである。成長するにつれて、驚くことが少なくなっていく。知っているつもりになるからである。子供はま
た、よく怖がるものである。とりわけ、闇を怖がる。少なくとも、わたしはそうであったし、いまでも、そうである。
いまだに電灯を点けたままでないと眠れないのである。子供のころ、母親がわたしの部屋の電灯を消して、部屋から
出て行った後、布団を被らなければ眠れなかったのである。同じ暗闇でも、布団さえ被れば安心だと思っていたから
である。何ものかの気配を感じて眠れなかったのである。いまでも電灯を消してしまうと眠ることができないのは、
何ものかの気配を感じてしまうからである。ふつう、大人になると、自分の部屋のなかの闇を怖がったりはしないも
のだと思われるのだが、それは、そこに何ものかがいることを感じることができないからであろう。子供のころのわ
たしが、闇そのものの怖さを感じていたのかどうかは、いまとなっては思い出すことができないのだが、闇のなかに
潜む何ものかの気配を感じて怖がっていたことだけは、たしかに憶えている。

 わたしが詩を書きはじめたころ、だいたい一九九〇年ごろのことで、ずいぶん以前のことだが、真昼間にドッペル
ゲンガーを見て、部屋のなかにいた何者かの正体が、もう一人のわたしであることがわかって、闇のなかに潜んでい
たのが自分自身であることに気がついてから、少しは闇に対する恐怖心も薄れたのだが、それでも、いまだに電灯を
点けたまま眠っているのである。というのも、たとえ、それが自分自身とはいっても、やはり怖いからである。それ
に、それがほんとうに自分自身であったのかどうか、確実なことはいえないからである。わたしに擬態した何ものか
であった可能性もあるからである。と、こういったことが、橋 〓石の「日の沈むまで一本の冬木なり」という俳句に
出会ったときに思い出されたのだが、ドッペルゲンガーを見たのは、ただ一度きりのことであり、二度とふたたび出
てくることはなかった。もう一度くらい自分自身と顔を見合わせる機会があってもよいのではないかと思われるので
あるが、じっさいに出てくると、やはり驚くことになるのであろう。これまでわたしが引用してきた俳句や短歌の作
者たちも、わたしと似たような感覚の持ち主なのではないだろうか。

 つぎに、原 民喜の作品から引用する。出典は、『冬日記』、『動物園』、『夕凪』、『潮干狩』、『火の子供』の順である。
彼もまた、わたしと同じような感覚を持っていたのではないだろうか。彼の小説はすべて、散文詩のような趣がある。


 ある朝、一羽の大きな鳥が運動場の枯木に来てとまった。あたりは今、妙にひっそりしてゐたが、枯木にゐる鳥
はゆっくりと孤独を娯しんでゐるやうに枝から枝へと移り歩いてゐる。その落着はらった動作は見てゐるうちに羨
しくなるのであった。かういふ静かな時刻といふのも、あるにはあったのか。彼はその孤独な鳥の姿がしみじみと
眼に沁みるのだった。

 去年、私ははじめて上野の科学博物館を見物したが、あそこの二階に陳列してある剥製の動物にも私は感心した。
玻璃戸越しに眺める、死んだ動物の姿は剥製だから眼球はガラスか何かだらうが、凡そ何といふ優しいもの静かな
表情をしてゐるのだらう、ほのぼのとして、生きとし生けるものが懐かしくなるのであった。

 肉はじりじりと金網の上で微かな音を立てた。胃から血を吐いて三日苦しんで死んだ、彼女の夫の記憶が、あの
時の物凄い光景が、今も視凝めてゐる箸のさきの、灰の上に灰のやうに静かに蹲(うづくま)ってゐる。

 濃い緑の松が重なり合ってゐて、その松の一本一本は揺れながら叫びさうであった。

僕は歩きながら自分の靴音が静かに整ってゐるのを感じる。

 まるで鏡のなかの自分自身をじっと見つめるように、民喜は、枯木の枝にとまる鳥を眺め、科学博物館に陳列され
ている剥製の動物に目をとめ、箸のさきにある灰や、濃い緑の松を見ているような気がする。ガラスの眼がはまった
剥製の動物の表情や、金網の上で焼ける肉の音も、松の木の枝葉の揺れや、静かに整って聞こえる自分の足の靴音で
さえも、自分自身のように感じていたのではないかと思われるほどである。すさまじい同化能力である。また、「ゆっ
くりと孤独を娯しんでゐるやうに枝から枝へと移り歩いてゐる」「枯木にゐる鳥」「の落着はらった動作」を「羨しく」
思う民喜であるが、彼はまた、『沙漠の花』のなかに、「私には四、五人の読者があればいいと考へてゐる。」とも書い
ており、その言葉だけからでも、彼がいかに孤独であったか、窺い知ることができよう。「孤独の実践が、孤独への愛
を彼に与えた」(プルースト『失われた時を求めて』第二篇・花咲く乙女たちのかげに、鈴木道彦訳)のかどうか、そ
れはわからないが、じっさい、彼は孤独であったと思われる。そうでなければ、「わたしの吐く息の一つ一つがわたし
に別れを告げてゐるのがわかる。」(『鎮魂歌』)といった言葉など書くことはできなかったであろう。「詩人は同時代人
たちのさなかにあって、真理と彼にそなわる芸術とのゆえに孤独な境遇にある」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)。
レイナルド・アレナスの『夜明け前のセレスティーノ』(安藤哲行訳)のなかに引用されている、ポール=マルグリ
ットの『魔法の鏡』に、「わたしの孤独には千の存在が住んでいる」といった言葉があるが、孤独になればなるほど、
同化能力が高くなるのであろうか。それとも、同化能力が高まるにつれて、ますます孤独になっていくのであろうか。
ローマ人の手紙五・二〇に、「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた。」とある。

 ここで、「私は彼の孤独を一つの深淵に比したいと思う。」(トーマス・マン『ファウスト博士』一、関 泰祐・関 楠
生訳)、「人間は自己自身を見渡すことができない。」(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳)、「蟋蟀(こほろぎ)が深き地
中を覗(のぞ)き込(こ)む」(山口誓子)ようにして、「自分自身のなぞのうえにかがみこむ」(モーリヤック『テレーズ・デスケイル
ゥ』五、杉 捷夫訳)ことしかできないのである。しかも、そこでは、つねに、「幾つもの視線が見張っていた。」(ガ
デンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』11、菅野昭正訳)「彼は、転べば、自分自身に出会う。彼は、自分に(ヽヽヽ)ぶつかる。」(ヴ
ァレリー『倫理的考察』川口 篤訳)「そこでは、唯一人(ヽヽヽ)の者が多数のものになる」(エリク・リンドグレン『鏡をめぐ
らした部屋にて』中川 敏訳)、「「単一」が「多様」に移行する場だ。」(エマソン『詩人』坂本雅之訳)「思うがままに
形を変えるプロテウスは、何者にでもなりうるから実は何者でもない。」(モーリヤック『小説家と作中人物』川口 篤
訳)「自分の中にひとりでいるということは、もうだれでもないことだ。わたしは大勢になっているのだ。」(ジイド『地
の糧』第八の書、岡部正孝訳)。

 しかし、「人間は、そもそも深淵を真下に見て立っているのではないか。見るということ自体が──深淵を見るとい
うことではないか。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第三部、手塚富雄訳)「なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵
もまたなんじを見入るのである。」(ニーチェ『善悪の彼岸』第四章・一四六、竹山道雄訳)。そこでは、「夜がかれを見
つめている。」(レイ・ブラッドベリ『華氏四五一度』第三部、宇野利泰訳)「自分の内部を見張ってい」(ボリス・ヴィ
アン『心臓抜き』II・18、滝田文彦訳)るのである。「すべてこれらのものがどこからやって来たのか、またいかにし
て無の代わりに世界が存在することになったのか」(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)。「魂はその存在の秘奥の叢林を分
けて、層また層と、至りつくすべはないが、しかもたえず予感されている暗黒への道を降って行く。そこから自我が生
まれそこへ自我が回帰する、自我の生成と消滅をつかさどる暗黒の領土、魂の入り口と出口、しかしそれはまた同時に、
魂にとって真実な一切のもの、小暗い影の中に道を示す金色の枝によって魂にあかされた一切のものの入り口であり出
口である。金色にかがやくこの真実の枝は、いかに力をつくしても見いだすことも折りとることもできないが、それと
いうのも発見にまつわる天恵は下降にあたってさずけられるそれと同じ、自己認識の天恵なのだから、共通の真実とし
て、共通の自己認識として魂にも芸術にもそなわっている、あの自己認識の。」(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第II
部、川村二郎訳)「成る程さうだ! 僕等の一切は深淵だ、──行為も、意欲も、/夢想も、言葉も!」(ボードレール
『深淵』堀口大學訳)「すべての事実は、世界が人間の魂のなかに移り住み、そこで変化をこうむって、向上した新し
い事実となり、ふたたび現れてくることの象徴だ。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)「世界という世界が豊穣な虚空の
中に作られるのだ。」(R・A・ラファティ『空(スカイ)』大野万紀訳)。

 わたしが、彼らに魅かれるのは、「わたし以上にわたし自身だ」(エミリ・ブロンテ『嵐が丘』第九章、鈴木幸夫訳)
と思われるところがあるからであるが、そういった人々は、「自分ではそれと気づかないで」(クリスティ『アクロイ
ド殺人事件』23、中村能三訳)、「自分で自分の翼をもぎ取ってしまう」(ジイド『狭き門』村上菊一郎訳)のである。
「敏感で繊細な気質のひとはいつもそうなのである。こういうひとの強烈な情熱は傷を与えるか屈服するかのどちらか
にきまっている。本人を殺すか、さもなければみずから死に絶えるかのどちらかなのである。」(ワイルド『ドリアン・
グレイの画像』第十八章、西村孝次訳)。まるで『イソップ寓話集』のなかに出てくる、自分の羽で殺される鷲のよう
なものである。「自意識という病気を病んでしまっているこういった青年たちは、一瞬たりとも自分自身へ向けた関心
をよそへそらすことができない」(モーリヤック『夜の終り』VIII、牛場暁夫訳)。「なにを見てもいつも自分自身へ戻っ
てしまうのだ。」(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』一、今泉文子訳)。

 俳句や短歌を系統別に分類したところで引用するつもりであったのだが、西東三鬼の「鶯にくつくつ笑ふ泉あり」
という句に出会ったとき、これは単なる「感傷的誤謬(ごびゆう)(自然物に人間の主観や感情を投射すること)」(ロバート・シル
ヴァーバーグ『時間線を遡って』40、中村保男訳)などといったものではなく、三鬼にあっては、すべてのものが、
このような様相をもって彼に対峙していたように思われたのである。逆に見れば、三鬼という人間が、「すべての存在
をただ自分ひとりのために変形するように見える精神を持ち、提出されるすべてのものに働きかける(ヽヽヽヽヽ)ところの、一人の
人間」(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正・清水 徹訳)であったということであろうか。

 民喜もまた、そのような人間の一人であったに違いない。これを病的といえば、語弊は免れないかもしれないが、
「病的なものからは病的なものしか生れ得ないということ」(トーマス・マン『ファウスト博士』二五、関 泰祐・関 楠
生訳)はなく、そういったものが、「健康な感覚を持っているために全然とらえることができず、理解しようとも思わ
ない」(トーマス・マン『ファウスト博士』二五、関 泰祐・関 楠生訳)ことを、わたしたちに教えることもあるであ
ろう。それが、わたしたちにとって、新鮮な感覚や印象を持たせられるものであり、しかも、わたしたちのためにな
るものでもあるということも大いにあり得ることなのである。もちろん、わたしは、健康的なものからは何も得ると
ころがない、などと言っているわけではない。正統的なものと異端的なものとが互いに分かち難く結びついているよ
うに、健康的なものと病的なものもまた、互いに分かち難く結びついているのである。よく、「意識のなかに二つもし
くは数個の考えが同時に存在すること」(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)があるが、わたした
ちの精神は、それらの間を、始終、往還しているのである。それというのも、「同じものでありながら、いつも快いも
のは何ひとつ存在しない」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』第七巻・第十四章、加藤信朗訳)からであって、「そ
れは、われわれの本性が単一ではなく、われわれが可滅なものであるかぎり、或る異なる要素も含まれているからであ
る」(アリストテレス『ニコマコス倫理学』第七巻・第十四章、加藤信朗訳)が、それゆえにこそ、文学には、「前とは
違った眼で眺める」(エリオット『イェイツ』高松雄一訳)ことのできるものが求められているのであろう。

 文学で求められていることは、ただ一つ、「ものごとを新しい観点から見る」(ロバート・J・ソウヤー『ターミナル・
エクスペリメント』31、内田昌之訳)ことのできる「新しい連結をさがすことだけだ。」(ロバート・J・ソウヤー『タ
ーミナル・エクスペリメント』31、内田昌之訳)。カミュの『手帖』の第四部に、「小説。美しい存在。そして、それ
はすべてを許させる。」(高畠正明訳)とある。詩もまた、美しい存在である。詩もまた、「すべてのことは許されてい
る。しかし、すべてのことが益になるわけではない。」(コリント人への第一の手紙一〇・二三)。では、俳句や短歌と
いった定型詩においては、どうであろうか。すべてのことが許されているわけではない。形式というものがある。そ
れに縛られている。しかし、「形式が束縛をあたえるから、観念はいっそう強度のものとなってほとばしり出るので」
(ボードレールの書簡、アルマン・フレース宛、一八六〇年二月十八日付、阿部良雄訳)ある。もちろん、形式といっ
たものが作品のすべてではない。しかし、「人間の注意力は、限界を設けられれば設けられるだけ、また、自らその観
察の場を限られれば限られるだけ、いっそう強烈になるもの」(ボードレール『一八四六年のサロン』一二、阿部良雄
訳)である。「最大の自由が最大の厳密さから生まれる」(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)
所以である。しかし、よく注意しなければならない。こころにも、慣性のようなものがあるのだ。「聞こえもせず見え
もしないものが後ろにある。」(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第一幕、石川重俊訳)「暗闇は単に人間の目の
なかにあって見ていると思っているが見えてはいない。」(アーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』12、小尾芙佐訳)
「新しい刺戟がもう入ってきているのに、脳は古い刺戟によって働きつづける」(ジョアナ・ラス『フィーメール・マ
ン』第二部・V、友枝康子訳)。「意識的に受け入れたわけでもないつながりを、自分自身の中にもってるから」(フエ
ンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)、「暗闇が(……)彼の視線を(……)移させる力をもっている。」(ジェイムズ・
ティプトリー・ジュニア『けむりは永遠(とわ)に』小尾芙佐訳)「無意識の世界にあるものが、意識の世界に洩れ出してくる
のだ。」(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・12、嶋田洋一訳)「闇の世界には、おのずからなる秩
序があるのである。」(ハーラン・エリスン『バシリスク』深田真理子訳)「単純な無ではない。むしろ、力と場と面の
はかり知れない相互作用である」(ブライアン・W・オールディス『銀河は砂粒のように』4、中桐雅夫訳)。「虚無に
よって分割された原子が/知らぬ間に 新しい結合を完成する。」(トム・ガン『虚無の否定』中川 敏訳)「虚無のなか
に確固たる存在がある」(アーシュラ・K・ル・グィン『アカシア種子文書の著者をめぐる考察ほか、『動物言語学会誌』
からの抜粋』安野 玲訳)のである。

 マラルメの『詩の危機』に、「中くらいの長さをもった語が眼にとって理解可能な範囲で、線の形に最終的に並べら
れる。それと一緒に、語の間や各行の前後にある余白の沈黙も並べられる。」(南條彰宏訳)とある。いま、長さについ
ては云々しない。また、竹内信夫の『マラルメ─「読むこと」への誘い』(「ユリイカ」一九七九年十一月号)に、「語
のひとつひとつよりも、語と語を結ぶ空白、更には頁全体を大きく包みこむ空白がより意味深いのである。それは、何
ものをも指示しないが故に、最も多くの可能性にとんだ記号となることができる。」とある。「何ものをも指示しない」
といったことはないと思うのだが、そのことについては、後で述べる。

 ところで、詩はもちろんのこと、俳句や短歌においてもまた、余白といったものが、その文字の書かれていない空
白の部分が、いかに重要なものであるのかは、作者だけではなく、読み手の方もよく知っていることであると思われ
るのであるが、作品によっては、文字によって余白が書かれているような印象を与えるものもある。この沈黙ともい
うべき空白は、読み手の記憶に大いに作用するのである。プルーストの「晦渋性(暗闇)によって光を作り、沈黙に
よってフルートを奏している。」(『晦渋性を駁す』鈴木道彦訳)といった言葉が思い起こされる。余白は、また、記憶
だけではなく、読み手がいま現に見ているもの、聞いているもの、触れているものなどにも作用するのである。作用
があれば、当然、反作用もある。読み手の記憶や感覚器官が知るところのものによって、この沈黙ともいうべき空白
も、影響を受ける。余白が大きければ大きいほど、読み手の心象が揺さぶられ、印象の充溢さを増す、といったこと
はないのだが、余白の効果は絶大である。「主観的な余白が重要なのだ。」(ミシェル・ジュリ『不安定な時間』鈴木 晶
訳)。したがって、凡庸な作品でも、余白の視覚的な効果を十分に配慮すれば、読み手によっては刺激的なものになり
得るのである。凡作であっても、俳句や短歌がある特別な印象を与えるのは、余白とリズムによるところが大きい。
詩においても、余白の視覚的な効果をねらってつくられたものもあるが、一瞥すれば、それが凡作かどうかは、すぐ
にわかる。凡作においては、余白は、単なる空白であって、何もないのである。何も詰まっていないのである。沈黙
でさえ、そこには存在していないのである。

 ブロッホの『ウェルギリウスの死』の第III部に、「詩は薄明から生まれる」(川村二郎訳)とある。わたしには、「詩
は薄明そのもの」のように思われる。薄明は、暗闇から生まれるものである。薄明は、暗闇があってこそ、はじめて
存在できるものである。余白とは、闇である。余白のなかには、魂がうようよ蠢いているのである。生きているもの
の魂も、死んだものの魂も、余白のなかに蠢き潜んでいるのである。薄明のうすぼんやりとした明かりのなかで、た
だそれらが存在していることだけが感じられるのである。しかし、目を凝らしさえすれば、夥しい数の魂たちが、そ
の姿をくっきりと現わすのである。「何ものをも指示しない」わけではない。それどころか、はっきりと指し示すので
ある。わたしたちが目を凝らしさえすれば。それというのも、薄明があったればこそのことなのである。たとえ、そ
れがうすぼんやりとした薄明かりであっても。というよりも、それがうすぼんやりとした薄明かりであったればこそ
なのである。なぜなら、うすぼんやりとした薄明かりでなければ、わたしたちが目を凝らすことなどないはずだから
である。

「闇がなかったら、光は半分も明るく見えるだろうか」(ジャック・ウォマック『ヒーザーン』9、黒丸 尚訳)。「光
と闇は宿敵ではなくて、/いったいの伴侶だ。」(ディラン・トマス『骨付き肉』松田幸雄訳)「白にはかならず黒がつ
く。」(フリッツ・ライバー『冬の蠅』大谷圭二訳)「光を見るにはなんらかの闇がなくてはならない。」(ソーニャ・ド
ーマン『ぼくがミス・ダウであったとき』大谷圭二訳)「いかなる物体も明暗なくしては把(は)握(あく)されない。」(『レオナルド・
ダ・ヴィンチの手記』科学論、杉浦明平訳)「光はついに影によって解釈されねばならない」(稲垣足穂『宝石を見詰め
る女』)。「光と色と影とがたくみに配分されるとはじめて、それまで隠されていた見事な様相が目に見える世界に顕わ
れ、そこで新たな開眼にいたるものである」(ノヴァーリス『青い花』第一部・第二章、青山隆夫訳)。


 意味の明瞭なものには、あまり目を見開かされることはない。強い光のもとで、目を見開くことがほとんどないよ
うに。もちろん、意味の明瞭なもののなかにも、見るべき作品はあるのだが、ほとんどのものが通俗的で、その主題
も、すでに知っている作品のなかで取り扱われているものばかりである。結局のところ、わたしたちは、たとえ難解
な作品であっても、それがすぐれたものであれば、たちまち目を凝らして見るものであって、たとえそれが言わんと
しているところの意味が明瞭なものであっても、凡作であれば、ちらとも目を向けようともしないものなのである。
それゆえ、作者といったものはみな、「凡庸なものは一切容赦しない」(ブロッホ『ウェルギリウスの死』第III部、川
村二郎訳)覚悟で、作品の制作にあたらなければならないのである。そして、それだけが、作者というものに課せら
れた、唯一、ただ一つの義務なのである。


LET THERE BE MORE LIGHT。──光の詩学/神学的自我論の試み

  田中宏輔



形象(フオルム)を一つ一つとらえ、それを書物のなかに閉じこめる人びとが、私の精神の動きをあらかじめ準備してくれた
(マルロオ『西欧の誘惑』小松 清・松浪信三郎訳)

言葉ができると、言葉にともなつて、その言葉を形や話にあらはすものが、いろいろ生まれて來る
(川端康成『たんぽぽ』)

人間、日毎に新しきを思惟する者たち。
(デモクリトス断片一五八、広川洋一訳)


「現実とは何かね?」(ソムトウ・スチャリトクル『スターシップと俳句』第三部・19、冬川 亘訳)「場所の概念な
のか?」(ルーシャス・シェパード『ジャガー・ハンター』小川 隆訳)「精神もひとつの現実ですよ」(ガデンヌ『スヘ
ヴェニンゲンの浜辺』16、菅野昭正訳)。「あらゆるものが現実だ。」(フィリップ・K・ディック『ユービック:スクリ
ーンプレイ』34、浅倉久志訳)「すべてが現実なのだ」(サバト『英雄たちと墓』第III部・21、安藤哲行訳)。もちろん、
「現実化する過程なしには現実は存在しない」(スティーヴン・バクスター『時間的無限大』13、小野田和子訳)。「そ
もそもの最初は、なにもなかったのだ。」(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの恒星日記』第二十回の旅、深見 弾訳)「急
に一条の光が射してきて、」(プルースト『サント=ブーヴに反論する』サント=ブーヴとバルザック、出口裕弘・吉川
一義訳)「空虚のなかに、ひとつの存在が出現した。」(グレッグ・ベア『永劫』上・9、酒井昭伸訳)「この過程のすぐ
後には、光に向かっての、突然の浮上が起こる。」(ベルナール・ウェルベル『蟻』第3部、小中陽太郎・森山 隆訳)「思
考し行為し変化する一つの実在になる」(ロバート・シルヴァーバーグ『不老不死プロジェクト』5、岡部宏之訳)。「や
がて、またもや爆発。」(ロジャー・ゼラズニイ『復讐の女神』浅倉久志訳)「閃光! 闇!」(ジェイムズ・ティプトリ
ー・ジュニア『煙は永遠にたちのぼって』友枝康子訳)「万物を操るは電光。」(ヘラクレイトス『断片六四』山川偉也
訳)「一つだったものは、たくさんの反響する心をもつものとなった。」(ディラン・トマス『愛が発熱してから』松田
幸雄訳)「何千何万という世界が重なっている。」(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わり』小川 隆訳)
「ここでは、」(ジュゼッペ・ウンガレッティ『カンツォーネ』井手正隆訳)「無数の世界を、一ヵ所に焦点を重ねたさ
まざまな色の光だと考えればわかりやすいだろう。」(ルーシャス・シェパード『ぼくたちの暮らしの終わり』小川 隆
訳)。

 プルーストは、『ギュスタヴ・モローの神秘的世界についての覚書』に、「作家にとって現実的なものは、彼の思考を
個性的なかたちで反映しうるもの、つまり彼の作品にほかならぬ。」(粟津則雄訳)と述べており、また、「かたち」とは、
文体(スタイル)や作品の構成のことであろうが、『失われた時を求めて』には、「文体とは、この世界がわれわれ各人にいかに見え
るかというその見えかたの質的相違を啓示すること、芸術が存在しなければ各人の永遠の秘密におわってしまうであろ
うその相違を啓示することなのである」(第七篇・見出された時、井上究一郎訳)と書いている。また、ワイルドは、
「あらゆる藝術の真の条件とは、スタイルなのであ」(『嘘言の衰頽)』西村孝次訳)り、「スタイルのないところに藝術
はない」(『藝術家としての批評家』第一部、西村孝次訳)と述べており、ジイドは、「作品の構成こそ最も重要なもの
であり、この構成が欠けているために、今日の大部分の藝術作品が失敗しているのだと思う。」(『ジイドの日記』第五
巻・断想、新庄嘉章訳)と書いている。

 いま、日本の代表的なモダニスト詩人を三人選び出し、筆者が彼らの作品から受けた印象を、ある一人の哲学者の
本のなかにある言葉を使って書き表わしてみよう。突出したモダニスト、北園克衛には、「これまでにあった最も強大
な比喩の力も、言語がこのように具象性の本然へ立ち還(かえ)った姿に比べるならば、貧弱であり、児戯にも等しい。」「われ
われはもう何が形象であり、何が比喩であるかが分からない。いっさいが最も手近な、最も適確な、そして最も単純な
表現となって、立ち現れる。」と、また、瀧口修造には、たしかに、「あらゆる精神の中で最も然(しか)りと肯定するこの精神
は、一語を語るごとに矛盾している。」と思わせられ、西脇順三郎には、なにゆえに、「最も重々しい運命、一個の宿業
ともいうべき使命を担(にな)っている精神が、それにも拘らず、いかにして最も軽快で、最も超俗的な精神であり得るか──
そうだ、ツァラトゥストラは一人の舞踏者なのだ」などといった言葉が思い起こされるのである。ある一人の哲学者
とは、もちろん、ニーチェであり、筆者が用いた本とは、『この人を見よ』(西尾幹二訳)である。「なぜ私はかくも良
い本を書くのか」において、「ツァラトゥストラ」について書かれてあるところから引用した。

 モダニストたちの作品に見られる、その顕著な特徴は、一見すると軽薄にさえ見えることもある、その作品のスタ
イルにある。しかし、彼らの思想は大胆であり、徹底しており、なおかつ繊細なのである。彼らの作品には、ときと
して、「稲妻のように一つの思想が、必然の力を以って、躊躇(ためら)いを知らぬ形でひらめく。」(ニーチェ『この人を見よ』
なぜ私はかくも良い本を書くのか、西尾幹二訳)ことがあり、そういった場合には、しばしば、「事物の方が自ら近寄
って来て、比喩になるように申し出ているかのごとき有様にみえる。」(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い
本を書くのか、西尾幹二訳)のである。そして、そういった彼らの作品によって、わたしたちには、「誰(だれ)もまだ広さの
限界を見きわめたことのない未発見の国土を、どうやら行手に持つことが確からしいとの気配がして来るのである。」
「ああ、このような世界に気づいた今となっては、もはやわれわれは他のいかなるものによっても満たされることがな
いであろう!」(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか、西尾幹二訳)。彼らは、彼らが現われる
前に現われた「どんな人間よりもより遠くを見たし、より遠くを意志したし、より遠くに届くことが出来た(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)。」(ニーチ
ェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか、西尾幹二訳)のである。また、「あらゆる価値の価値転換(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)、こ
の言葉こそが」「人類最高自覚の行為をあらわす表現方式にほかならない。」(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私は一個
の運命であるのか、西尾幹二訳)と、この哲学者であり、詩人でもある人物は言うのだが、モダニストたちも同様に、
その奇抜なスタイルによって、「頭の最も奥深くにあるもの、事物の驚くべき相貌を表現する。」(ボードレール『一八
五九年のサロン』5、高階秀爾訳)のである。「事物に現実性を与えるのは(……)表現にほかならない」(ワイルド
『ドリアン・グレイの画像』第九章、西村孝次訳)。「それが/視線に実在性を与えるのだ」(オクタビオ・パス『白』
鼓 直訳)。

 つい先頃、ネットの古書店で、ロジャー・ゼラズニイの『わが名はレジオン』(中俣真知子訳)を手に入れた。三部
仕立ての作品で、第二部のタイトルは、「クウェルクエッククータイルクエック」というもので、原題
は、”Kjwalll’kje’k’koothai’ll’kje’k”というのだが、これは、イルカの言葉をアルファベット化したものだそうである。
翻訳は一九八〇年に、原著は、本国のアメリカで一九七六年に出たのだが、このタイトルを見ても、あまり驚かなか
った。もし仮に、筆者が、モダニズム詩人たちの作品を、先に知っていなければ、驚いたに違いないのであるが。そ
うなのだ。すべての前衛作品が、いつかは前衛でなくなるのである。作品を見てすぐに、これはあれだったと分類で
きるというのは、わたしたちが、それに馴染みを持っているからであり、それがすぐに分類できないときにのみ、作
品というものは前衛なのである。モダニストたちの多くの作品が、傑作を除いて、その文体や形式が、わたしたちに
驚きを与えたのも、それが初見のときか、まだ私たちの目に、それほど馴染みがないときだけである。しかし、それ
も仕方のないことであろう。何といっても、人間の本性に基づくことなのだから。中世の諺に、「vasanovella placent,
in faece jacent./新しき壺は気に入る、古きは廃物の中に横はる。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)というのがある。
それというのも、「est natura hominum novitatis avida./人間の性質は新奇を求む。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』
プリニウスの言葉より)からであり、「est quoque cunctarum novitas carissima rerum./新奇はまたあらゆるものの
中にて最も楽しきものなり。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』オウィディウスの言葉より)というように、「varietas
delectat./変化は人を悦ばす。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』キケロの言葉より)ものだからである。その理由と
いうのは、もしかすると、「われわれの本性が単一ではなく、われわれが可滅なもの」(アリストテレス『ニコマコス倫
理学』第七巻・第十四章、加藤信朗訳)からできているからかもしれない。「simile gaudet simili./似たるものは似た
るものを悦ぶ。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』)とか、「similia similibus curantur./同種のものは同種のものにて
癒やさる。」(『ギリシア・ラテン引用語辭典』ハーネマンの言葉より)とかいった言葉があり、アリストテレスの『弁
論術』第一巻にも、「例えば人間と人間、馬と馬、若者と若者のように、すべて近いもの、類似したものは一般に快適
である。そこから「同じ年同士はたのしい」「似た者同士」「獣獣を知る」「鳥は鳥仲間」等々の諺がつくられる。」(田
中美知太郎訳)とかいった言葉もあり、時に、人間というものは、変化のないことによって、こころ穏やかでありた
いと望むこともあるのだが、ずっと変化のないことには耐えられないものである。わたしについていえば、とりわけ
変化を望む性質である。「変化だけがわたしを満足させる。」(モンテーニュ『エセー』第III巻・第9章、荒木昭太郎訳)
と言ってもよい。「詩とは、砕かれてめらめらと炎をあげる多様性である。」(アントナン・アルトー『ヘリオガバルス』
III、多田智満子訳)。「もしわたしを満足させるものが何かあるとすれば、それは多様さを把(は)握(あく)するということだ」(モ
ンテーニュ『エセー』第III巻・第9章、荒木昭太郎訳)。「生は多彩であればあるほど、すばらしくなるのだ。」(ノヴァ
ーリス『花粉』補遺120、今泉文子訳)。ちなみに、ゼラズニイの本のタイトルにある「レジオン」とは、聖書のなかに
出てくる”Legion”(ギリシア語で、レギオン)のことで、「軍団」とか「多数」とかを意味する言葉である(教文館『聖
書大事典』)。

 ところで、また、言葉にも、人間と同じように、履歴というものがある。さまざまな文脈の中で意味を持たされて
きた経験のことである。言葉もまた、新たな意味を獲得することに喜びを感じるのではないだろうか。言葉もまた、
再創造されつづけることを願っているのではないだろうか。その願いが叶うには、モダニストたちが、ずっとモダニ
ストでありつづければよいのだが、それは、それほど容易なことではないのである。「観念は人間を通してはじめて認
識される」(ジイド『贋金つかい』第二部・三、岡部正孝訳)のであって、「およそ概念なるものは、人それぞれに独特
な意欲と知性の(ヽヽヽ)眼とに応じてはじめてその現実性を有(も)つ」(ヴィリエ・ド・リラダン『未來のイヴ』第一巻・第十章、
斎藤磯雄訳)ものであり、「知性には、それなりの思考習性というのがあ」(マルグリット・デュラス『太平洋の防波堤』
第1部、田中倫郎訳)るからである。いつまでも革新的でありつづけることは例外的なことであり、ほんもののきわ
めてすぐれた知性についてのみあり得ることであろう。しかし、なぜ、モダニストたちは、文体や形式にこだわるの
だろうか。それは、おそらく、事物や言葉、延いては人間といったものの現実が、それまで存在していた文体や形式
によっては表わすことができないと彼らが思ったからであろう。ニーチェのことを本稿の冒頭にもってきたのは、筆
者が彼のことを二十世紀最大のモダニストであると考えたからである。あるいは、こう言い換えてもよい。モダニス
トたちの父であった、と。たとえ、彼の思想が直接に反映した作品が作られていなくても、「価値転換」という思想が、
モダニストたちの精神に与えた影響は、けっして小さなものではなかったはずである。よしんば、それが無意識領域
のものであっても。いや、無意識領域の方が、意識的なところよりも影響を受けやすいものであり、人間の諸活動は、
無意識領域で受けた影響の方が、より強く発現するものである。

「可視のものはみな不可視のものと境を接し──聞き取れるものは聞き取れないものと──触知しうるものは触知
しえないものと──ぴったり接している。おそらくは思考しうるものは思考しえないものに──。」(『断章と研究 一
七九八年』今泉文子訳)という、ノヴァーリスのよく知られた言葉がある。もしも、その言葉通りならば、意味せざ
るものが、何らかの刺激で意味するものに変容すると考えても不思議はないわけである。同様に、言葉でないものが、
言葉に変容すると考えてもよい。そういえば、「すぐ近くにあるものほど、そのもの自身に似ていないものはない。」(ラ
ディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)といった言葉もあったが、しかし、それは、ある時点においては、似ていないと
いうことであって、よくあることだが、まったく似ていないものが、よく似たものになることもあり、そっくり同じ
ものになることもあるのである。だからこそ、それを、「変容する」と言うのであって、無意識領域にあるものが、意
識にのぼる概念と密接に触れ合っており、ある刺激があれば、無意識領域にあるものが、意識にのぼる概念になるこ
ともあると、少なくとも、その意識にのぼる概念の一部となることもあるのだと、筆者は考えているのである。聖書
の言葉に、「見えるものは現れているものから出てきたのではない」(ヘブル人への手紙一一・三)というのがある。も
ちろん、「一切がことばになりうるわけではない。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第三部・日の出前、手塚富雄訳)。
言葉にならないものもあるだろう。しかし、それが、概念形成に寄与しないとも限らないのである。それが、概念形
成に寄与するものを形成することに寄与するかもしれないのである。これは、いくらでも無限後退させて考えてやる
ことができる。

 もしも、目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手で触れられるもの、こころで感じとれるもの、頭で考えられるも
の、そういったものだけで世界ができているとしたら、そんな世界はとても貧しいものとなるのではないだろうか。
しかし、じっさいは豊かである。目に見えないものもあり、耳に聞こえないものもあり、手に触れられないものもあ
り、こころに感じとれないものもあり、頭で考えられないものもあるということだ。言葉にできないものもあり、言
葉にならないものもあるということだ。しかし、そういったものがあるということが、世界を豊かにしているのだ。
ただし、これらのものの上に「ただちに」という修飾語をつけて考えておくこと。

 一昨年の暮れのことだった。会うとは思われなかった場所で、会うとは思えなかった時間に、ノブユキと出会った
のである。八年ほど前に別れたノブユキに。恋人と待ち合わせをしていたのだという。ノブユキの方が早目に来てし
まったらしく、少しだけなら話す時間もあるというので、あまり人目に付かない場所に移って、話をした。話をして
いる間、ずっと強く、ノブユキの手を握り締めていた。瞬きをする間ももったいないという思いで、ノブユキの目を
見つめていた。どんなに微かな息遣いも聞き逃すまいと思って、ノブユキの声を聞いていた。その時間はとても短く、
あっという間に過ぎていった。別れ際に、ノブユキの方から、電話をするからね、と言ってくれた。ほんとうに、ノ
ブユキは可愛らしかった。その可愛らしさに、変化はなかった。この十年近くの間に、筆者も、何人もの可愛らしい
男の子たちと付き合ってきたのだが、やはり、こころから愛していたのは、ノブユキだった。ノブユキ一人だった。
二人で話をしていた間、ずっと、わたしの心臓は、それまで経験したこともないほどに激しく鼓動していた。あの再
会から一年近く経つのだが、いまだにノブユキからの電話はない。もしかしたら、電話などないのかもしれないと、
話をしている間も思っていたのだけれど。たとえ電話があったとしても、はじめからやり直せるなどとは、思っても
いなかったのだけれど。

 ノブユキとの再会は、あのとき一度きりだった。しかし、再会したつぎの日から、筆者のなかで、何かが変わった
のである。通勤電車に乗っていて、ただ窓の外を眺めていただけなのに、涙がポロポロとこぼれ出したのである。い
つも通りの風景なのに、目に飛び込んでくる、その形の、色彩の、その反射する光の美しさに感動していたらしいの
である。らしい、というのは、涙がこぼれ落ちた理由が、すぐにはわからなかったからである。普通に歩いていても、
破けたセロファンをまとった、タバコの紙箱に、泥のついた、そのひしゃげたタバコの空箱の美しさに目を奪われた
り、授業をしている最中でも、生徒の机の上に置かれた、ビニール・コーティングされた筆箱の表面に反射する光の
美しさに、思わずこころ囚われたりしたのである。ふと、気がつくと、「あらゆるものが美しい。」(ラングドン・ジョ
ーンズ)『時間機械』山田和子訳)「あらゆるものが、わたしに美しく見える」(ホイットマン『大道の歌』6、木島 始
訳)のであった。「光がいたるところに照っていたのだ!」(ボードレール『現代生活の画家』3、阿部良雄訳)「物と
いう物がいっせいに輝き出し、」(スタニスワフレム『ソラリスの陽のもとに』7、飯田規和訳)「自ら光を発している
ようにみえた。」(ブライアン・W・オールディス『世界Aの報告』第一部・2、大和田 始訳)「それは太陽から受けた
よりももっと多くの光を照り返しているかのように見えたからである。」(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・
2、浜野 輝訳)「ありとあらゆる色彩と光とがあふれていた。」(サングィネーティ『イタリア綺想曲』6、河島英昭訳)
「あらゆるものがくっきりと、鮮明に見えるのだ。」(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)「あらゆる細部が
生き生きしていた。」(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)「それがこんなふうに見えるものだとは、私
はかつて考えたこともなかった。」(スタニスワフ・レム『星からの帰還』2、吉上昭三訳)「自分の頭の中に光を、脈
動する光を、見るというより聞き、感じた」(フィリップ・K・ディック&ロジャー・ゼラズニイ『怒りの神』5、仁
賀克雄訳)のだ。「わたしが目にしているものはなにか?」(ロバート・シルヴァーバーグ『予言者トーマス』4、佐藤
高子訳)「光よりも光であり、」(ホイットマン『草の葉』神々の方陣を歌う・4、酒本雅之訳)「希望と現実の、愛情と
好意の、期待と真実の」(マイケル・マーシャル・スミス『スペアーズ』第二部・13、嶋田洋一訳)「光なのである。」
(W・B・イェイツ『幻想録』第三編・審判に臨む魂、島津彬郎訳)「その内的な光は屈折して、より美しく、より強
烈な色彩となる。」(ノヴァーリス『サイスの弟子たち』二、今泉文子訳)。それがつづいたのは、わずか「三日間」(使
徒行伝九・九)のことだったのだが、しかし、たしかに、自分の知らないうちに、何かが記憶に作用したのだ。ある
いは、記憶が何かに作用したのか。それにしても、いったい、何が、筆者に働きかけたのだろうか。何が、あのよう
な光を、筆者の目に見させたのだろうか。「屈折した光条の一つ一つが見せるのは、下層の形象のいろいろな様相では
なく、形象の全体像なので」(フィリップ・ホセ・ファーマー『紫年金の遊蕩者たち』大和田 始訳)ある。「単に物の
一面のみを知るのではなく、それを見ながら全体を把握するのだ。」(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』18、
矢野 徹訳)。

 二〇〇二年の十月に、筆者は、四冊目の詩集を上梓した。タイトルは、『Forest。』である。イメージ・シンボル事
典によると、森は、「無意識」の象徴となっている。冒頭に収めた、引用だけで構成した、二〇〇ページ近くある長篇
の詩で、筆者は、強烈な閃光が、森の様子をすっかり様変わりさせるところを描写したのだが、作品のなかで、その
閃光を発するのは、イエス・キリストであった。

「日光のふりそそぐ大地の上に/春の草は青々と美しく生い茂る。/だが、地の下は真夜中だ、/そこでは永遠の真
夜中である。」(エミリ・ブロンテ『大洋の墓』松村達雄訳)「僕タチハミンナ森ニイル。誰モガソレゾレ違ッテイテ、
ソレゾレノ場所ニイル。」(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳)「人間は木と同じようなものだ。高みへ、
明るみへ、いよいよ伸びて行こうとすればするほど、その根はいよいよ強い力で向かっていく──地へ、下へ、暗黒へ、
深みへ」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第一部、手塚富雄訳)。

 ブロンテの詩句は、前の二行が意識にのぼる意味概念、後の二行が無意識領域の比喩としてとれる。カフカの言葉
は、「無数の断片からなる単一の精神がある。」(ヴァレリー全集カイエ篇1『我』管野昭正訳)とか、「過ぎ去ったこ
とがどのように空間のなかに収まることか、/──草地になり、樹になり、あるいは/空の一部となり……」(リルケ
『明日が逝くと……』高安国世訳)とかいった言葉を思い起こさせる。ニーチェの言葉を、ブロンテの詩句と合わせ
て読むと、経験が重なれば重なるほど、知識が増せば増すほど、無意識領域において、自我が、あるいは、語自体の
持つ形成力、いわゆるロゴスが活発に働くことを示唆しているように思われる。わたしが、わたし自身のなかで生ま
れるのである。

「一たび為されたことは永遠に消え去ることはない。」(エミリ・ブロンテ『ゴールダインの牢獄の洞窟にあってA・
G・Aに寄せる』松村達雄訳)「木々は雨が止んでしまっても雨を降らしつづける」(チャールズ・トムリンソン『プロ
メテウス』土岐恒二訳)。「そこでは、光の下で断ち切られたことが続いている」(ヨシフ・ブロツキー『愛』小平 武訳)。
「言葉の力は眠りのうちに成長し」(ヘルダーリン『パンと酒』4、川村二郎訳)、「知らぬ間に 新しい結合を完成す
る。」(トム・ガン『虚無の否定』中川 敏訳)「自我は一種の潜在力である」(ヴァレリー全集カイエ篇6『自我と個性』
滝田文彦訳)。「断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従って形を求めた。」(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オ
ーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)「知っていた形ではない。」(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ36、
黒丸 尚訳)「もみの樹はひとりでに位置をかえる。」(ジュネ『葬儀』生田耕作訳)「家というのは椅子を一つ少し左に
ずらすだけで、もうそれまでとは違うものになる。」(ホセ・エミリオ・パチェーコ『闇にあるもの』第一幕、安藤哲行
訳)「配列にこそ事物の印象効果はかかっているのである。」(ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』山
田九朗訳)「いったん形作られたものは、それ自体で独立して存在しはじめる。創造者の望むような、創造者の所有物
ではなくなってしまう。」(フィリップ・K・ディック『名曲永久保存法』仁賀克雄訳)「それを見まもる者は誰なのか?」
(ニコス・ガッツォス『アモルゴス』池沢夏樹訳)「ここには誰もいない、しかも誰かがいるのだ。」(ランボー『地獄
の季節』地獄の夜、小林秀雄訳)「あらゆるところにいて、すべてを知り、すべてを見ている」(ターハル・ベン=ジェ
ルーン『聖なる夜』2、菊地有子訳)。「かれはすべてのものを復活させることができる。」(フィリップ・K・ディック
『死の迷宮』1、飯田隆昭訳)「すべてのものを新たにする」(ヨハネの黙示録二一・五)。

「だれがぼくらを目覚ませたのか」(ギュンター・グラス『ブリキの音楽』高本研一訳)。「だれが光を注いでくれた
のか」(ジョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』39、沢崎順之助訳)。「新しい光がわれわれの手をとる。」(ア
ンドレ・デュ・ブーシェ『途上で』小島俊明訳)「内面のまなざしが拡がり(……)世界が生れる」(オクタビオ・パス
『砕けた壺』桑名一博訳)。「なにもかもがわたしに告げる」(ホルヘ・ギリェン『一足の靴の死』荒井正道訳)。「この
表面の下に、いまだ熟さぬ映像がひそんでいる、と」(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』12、黒
丸 尚訳)。「光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。明らかにされたものは皆、光となる」(エペソ人への
手紙五・一三)。「光 それがぼくらを吹きよせてひとつにする」(パウル・ツェラン『白く軽やかに』川村二郎訳)。「光
ならずして何を心が糧にできよう?」(トマス・M・ディッシュ『キャンプ・コンセントレーション』二冊目・27、野
口幸夫訳)「光こそ事物の根源で、」(プルースト『シャルダンとレンブラント』粟津則雄訳)「ああ、これがあらゆるこ
とのもとだったんだ。」(アントニイ・バージェス『ビアドのローマの女たち』7、大社淑子訳)「電光は万物(自然万
有)を繰り統べる。」(ヘラクレイトス断片62、廣川洋一訳)「突如としてそれは落ちてくる。」(ラーゲルクヴィスト『巫
女』山下泰文訳)「待つということが大切だ。」(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)「求めるあまりに、見いだすこと
ができない場合がある」(ヘッセ『シッダルタ』第二部・ゴヴィンダ、手塚富雄訳)。「待つものはすべてを手に入れる。」
(フィリップ・K・ディック『父祖の信仰』浅倉久志訳)「精神の豊富と万象の無限。」(ランボー『飾画』天才、小林
秀雄訳)。


WELCOME TO THE WASTELESS LAND。──詩法と実作

  田中宏輔



「私の生涯を通じて、私というのは、空虚な場所、何も描いてない輪郭に過ぎない。しかし、そのために、この空虚
な場所を填(うず)めるという義務と課題とが与えられている。」(ジンメル『日々の断想』66、清水幾太郎訳)「この間隙を、
深淵を、わたしたちは視線と、触れ合いと、言葉とで埋める。」(アーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』第十
章、佐藤高子訳)「「存在」は広大な肯定であって、否定を峻拒(しゆんきよ)し、みずから均衡を保ち、関係、部分、時間をことごと
くおのれ自身の内部に吸収しつくす。」(エマソン『償い』酒本雅之訳)「彼、あらゆる精神の中で最も然(しか)りと肯定する
この精神は、一語を語るごとに矛盾している。彼の中ではあらゆる対立が一つの新しい統一に向けて結び合わされてい
る。」(ニーチェ『この人を見よ』なぜ私はかくも良い本を書くのか・ツァラトゥストラかく語りき・六、西尾幹二訳)。

 端的にいえば、詩の作り方には二通りしかない。一つは、あらかじめ作品の構成を決め、言葉の選択と配置に細心
の注意を払って作る方法である。もちろん、それらを吟味していて、構想の途中で、最初に考えた構成を変更したり
することもある。拙詩集の『The Wasteless Land.』(書肆山田、一九九九年)は、出来上がるまで二年近くかかった
のだが、はじめに考えていたものとは、ずいぶん違ったものになった。エリオットの『荒地』(The Waste Land)
を読むと、「ひからびた岩には水の音もない。」「ここは岩ばかりで水がない」「岩があって水がない」「岩の間に水さえ
あれば」「岩間に水溜りでもあったなら。」「だがやはり少しも水がない」(西脇順三郎訳)とあって、こういった言葉に、
主題が表出されているような気がしたのである。「主はわが岩」(詩篇一八・二)と呼ばれており、イエスの弟子のペ
テロという名前は「岩」を意味する(マタイによる福音書一六・一八)言葉である。筆者には、「岩には」「水がない」
というところに信仰の喪失が象徴されているように思われたのである。「一方を思考する者は、やがて他方を思考す
る。」(ヴァレリー『邪念その他』A、佐々木 明訳)。コリント人への第一の手紙一〇・一─四には、「兄弟たちよ。こ
のことを知らずにいてもらいたくない。わたしたちの先祖はみな雲の下におり、みな海を通り、みな雲の中、海の中で、
モーセにつくバプテスマを受けた。また、みな同じ霊の食物を食べ、みな同じ霊の飲み物を飲んだ。すなわち、彼らに
ついてきた霊の岩から飲んだのであるが、この岩はキリストにほかならない。」とあり、ヨハネの第一の手紙四・八に
は、「神は愛である。」とあり、コリント人への第一の手紙一三・八には、「愛はいつまでも絶えることがない。」とある。
たしかに、人は神によって愛されているのだろう。「髪の毛までも、みな数えられている」(マタイによる福音書一〇・
三〇)ぐらいなのだから。「なんらかの愛なしには、熟視ということはありえない。」(ヴェイユ『神を待ちのぞむ』田
辺 保・杉山 毅訳)、「愛するということは見ること」(デュラス『エミリー・L』田中倫郎訳)、「じっと目をはなさぬ
ことは、愛の行為にひとしい。」(ホーフマンスタール『アンドレアス(Nのヴェニスの体験──創作ノートの二)』大
山定一訳)というのだから。そこで、ヴァレリーの「愛がなければ人間は存在しないだろう」(『ユーパリノス あるい
は建築家』佐藤昭夫訳)という言葉をもじって、「人間のいるところ、愛はある。」とすれば、エリオットの『荒地』
のパスティーシュができると考えたのである。「不毛の、荒廃した」という意味の「waste」の反意語に、「使い切れ
ない、無尽蔵の」といった意味の「wasteless」があることから、タイトルを決め、構成と文体を西脇訳の『荒地』に
依拠させて制作することにしたのである。このとき、この作品と同時並行的に考えていたものがあって、それは、ゲ
ーテのファウストを主人公にしたもので、モチーフの繋がり具合があまり良くなかったので途中で投げ出していたの
だが、これと合わせて、『荒地』のパスティーシュに用いるとどうなるか、やってみることにしたのである。出来上が
りはどうであれ、語を吟味する作業によって、筆者が得たものには、計り知れないものがあった。

 あるとき、テレビのニュース番組のなかで、南アフリカ共和国のことだったと思うが、黒人青年を、白人警官が警
棒で殴打している様子が映し出されたのだが、それを見て、その殴打されている黒人青年の経験も、殴打している白
人警官の経験も、ひとしく神の経験ではないかと思ったのである。翌日、サイトの掲示板に、この感想を書き、さら
に、「神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。」と付け加えたのであるが、なぜこのようなことを
思いついたのか、よくよく振り返ってみると、本文の45ページよりも長い62ページの注を付けた長篇詩の『The
Wasteless Land.』において、本文の五行の詩句について、35ページにわたって考察したことが、そこではじめて汎
神論というものについて触れたのであるが、また、詩集を上梓した後も、さらに、ボードレールからポオ、スピノザ、
マルクス・アウレーリウス、プロティノス、プラトンにまで遡って読書したことが、筆者をして、「神とは、あらゆる
人間の経験を通して存在するものである。」といった見解に至らしめたと思われるのである。「作品は作者を変える。
/自分から作品を引き出す活動のひとつびとつに、作者は或る変質を受ける。」(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳)。作
者にとって、この「変質」ほど、貴重な心的経験などなかろう。

 神とは、あらゆる人間の経験を通して存在するものである。それゆえ、どのような人間の、どのような経験も欠け
てはならないのである。ただ一人の人間の経験も欠けてはならないのである。どのような経験であっても、けっして
おろそかにしてはならないのである。

 ところで、先に、筆者は、詩の書き方には二通りある、と書いた。もう一つの方法とは、あらかじめ構成を決めな
いで、言葉が自動的に結びつくのを待つ、というものである。偶然を最大限に利用する方法であるが、筆者がよく行
うのは、取っておいたメモが、一気に結びつくまで待つ、というものである。拙詩集の『みんな、きみのことが好き
だった。』(開扇堂、二〇〇一年)に収められた多くの詩が、その方法で作成された。そのうちの二篇を、つぎに紹介
する。


むちゃくちゃ抒情的でごじゃりますがな。


枯れ葉が、自分のいた場所を見上げていた。
木馬は、ぼくか、ぼくは、頭でないところで考えた。
切なくって、さびしくって、
わたしたちは、傷つくことでしか
深くなれないのかもしれない。
あれは、いつの日だったかしら、
岡崎の動物園で、片(かた)角(づの)の鹿を見たのは。
蹄(ひづめ)の間を、小川が流れていた、
ずいぶんと、むかしのことなんですね。
ぼくが、まだ手を引かれて歩いていた頃に
あなたが、建仁寺の境内で
祖母に連れられた、ぼくを待っていたのは。
その日、祖母のしわんだ細い指から
やわらかく、小さかったぼくの手のひらを
あなたは、どんな思いで手にしたのでしょう。
いつの日だったかしら、
樹が、葉っぱを振り落としたのは。
ぼくは、幼稚園には行かなかった。
保育園だったから。
ひとつづきの敷石は、ところどころ縁が欠け、
そばには、白い花を落とした垣根が立ち並び、
板石の端を踏んではつまずく、ぼくの姿は
腰折れた祖母より頭ふたつ小さかったと。
落ち葉が、枯れ葉に変わるとき、
樹が、振り落とした葉っぱの行方をさがしていた。
ひとに見つめられれば、笑顔を向けたあの頃に
ぼくは笑って、あなたの顔を見上げたでしょうか。
そのとき、あなたは、どんな顔をしてみせてくれたのでしょうか。
顔が笑っているときは、顔の骨も笑っているのかしら。
言いたいこと、いっぱい。痛いこと、いっぱい。
ああ、神さま、ぼくは悪い子でした。
メエルシュトレエム。
天国には、お祖母(ばあ)ちゃんがいる。
いつの日か、わたしたち、ふたたび、出会うでしょう。
溜め息ひとつ分、ぼくたちは遠くなってしまった。
近い将来、宇宙を言葉で説明できるかもしれない。
でも、宇宙は言葉でできているわけじゃない。
ぼくに似た本を探しているのですか。
どうして、ここで待っているのですか。
ホヘンブエヘリア・ペタロイデスくんというのが、ぼくのあだ名だった。
母方の先祖は、寺守(てらもり)だと言ってたけど、よく知らない。
樹が、葉っぱの落ちる音に耳を澄ましていた。
いつの日だったかしら、
わたしがここで死んだのは。
わたしのこころは、まだ、どこかにつながれたままだ。
こわいぐらい、静かな家だった。
中庭の池には、毀れた噴水があった。
落ち葉は、自分がいつ落とされたのか忘れてしまった。
缶詰の中でなら、ぼくは思いっ切り泣ける。
樹の洞(ほら)は、むかし、ぼくが捨てた祈りの声を唱えていた。
いつの日だったかしら、
少女が、栞(しおり)の代わりに枯れ葉を挾んでおいたのは。
枯れ葉もまた、自分が挾まれる音に耳を澄ましていた。
わたしを読むのをやめよ!
一頭の牛に似た娘がしゃべりつづける。
山羊座のぼくは、どこまでも倫理的だった。
つくしを摘んで帰ったことがある。
ハンカチに包んで、
四日間、眠り込んでしまった。


 この詩が、先に述べた、「偶然を最大限に利用する方法」でつくった最初のものである。そのせいか、まだ初期の、
思い出をもとに言葉を紡いでいったころの、先に表現したいことがあって、それを言葉にしていったころの名残があ
る。つぎに紹介する「王国の秤。」をつくっていたころには、すでにコラージュという手法にもすっかり慣れていて、
その手法で、できる限りのことを試していたのであるが、それと同時に、コラージュという手法自体を見つめて、「詩
とは、何か。」とか、「言葉とは、何か。」とか、「わたしとは、何か。」とか、「自我とは、何か。」とかいったことも考
えていたのである。

コラージュをしている間、しょっちゅう、こんなふうに思ったものである。「わたしが言葉を通して考えているの
ではなく、言葉がわたしを通して考えているのである。」と。「言葉が、わたしの体験を通して考えたり、わたしの記
憶を通して思い出したり、わたしのこころを通して感じたりするのである。言葉が、わたしの目を通して見たり、わ
たしの耳を通して聞いたりするのである。言葉が、わたしのこころを通して愛したり、憎んだりするのである。言葉
が、わたしのこころを通して喜んだり、悲しんだりするのである。言葉が、わたしのこころを通して楽しんだり、苦
しんだりするのである。」と。

 コラージュをしている最中、しばしば、興に乗ると、数多くのメモのなかにある数多くの言葉たちが、つぎつぎと
勝手に結びついていったように思われたのだが、そんなときには、わたしというものをいっさい通さずに、言葉たち
自身が考えたり、思いついたりしていたような気がしたものである。しかし、これはもちろん、わたしの錯覚に過ぎ
なかったのであろう。たとえ、無意識領域の方のわたしであっても、それもまた、わたしであるのだから、じっさい
には、言葉たちが、無意識領域の方のわたしを通して、無意識領域の方のわたしという場所において、無意識領域の
方のわたしといっしょに考えたり、思いついたりしていたのであろう。ただ、意識的な面からすると、わたしには、
言葉たちが、自分たち自身で考えたり、思いついたりしていたように感じられただけなのであろう。

 つまるところ、言葉が、わたしといっしょに考えたり、思い出したり、感じたりするのである。言葉が、わたしと
いっしょに見たり、聞いたりするのである。言葉が、わたしといっしょに愛したり、憎んだりするのである。言葉が、
わたしといっしょに喜んだり、悲しんだりするのである。言葉が、わたしといっしょに楽しんだり、苦しんだりする
のである。世界が、わたしとともに考え、思い出し、感じるように。世界が、わたしとともに目を見開き、耳を澄ま
すように。世界が、わたしとともに愛し、憎むように。世界が、わたしとともに喜び、悲しむように。世界が、わた
しとともに楽しみ、苦しむように。


王國の秤。


きみの王國と、ぼくの王國を秤に載せてみようよ。
新しい王國のために、頭の上に亀をのっけて
哲学者たちが車座になって議論している。
百の議論よりも、百の戦の方が正しいと
将軍たちは、哲学者たちに訴える。
亀を頭の上にのっけてると憂鬱である。
ソクラテスに似た顔の哲学者が
頭の上の亀を降ろして立ち上がった。
この人の欠点は
この人が歩くと
うんこが歩いているようにしか見えないこと。
『おいしいお店』って
本にのってる中華料理屋さんの前で
子供が叱られてた。
ちゃんとあやまりなさいって言われて。
口をとがらせて言い訳する子供のほっぺた目がけて
ズゴッと一発、
お母さんは、げんこつをくらわせた。
情け容赦のない一撃だった。
喫茶店で隣に腰かけてた高校生ぐらいの男の子が
女性週刊誌に見入っていた。
生理用ナプキンの広告だった。
映画館で映写技師のバイトをしてるヒロくんは
気に入った映画のフィルムをコレクトしてる。
ほんとは、してはいけないことだけど
ちょっとぐらいは、みんなしてるって言ってた。
その小さなフィルムのうつくしいこと。
それで
いろんなところで上映されるたびに
映画が短くなってくってわけね。
銀行で、女性週刊誌を読んだ。
サンフランシスコの病院の話だけど
集中治療室に新しい患者が運ばれてきて
その患者がその日のうちに死ぬかどうか
看護婦たちが賭をしていたという。
「死ぬのはいつも他人」って、だれかの言葉にあったけど
ほんとに、そうなのね。
授業中に質問されて答えられなかった先生が
教室の真ん中で首をくくられて殺された。
腕や足にもロープを巻かれて。
生徒たちが思い思いにロープを引っ張ると
手や足がヒクヒク動く。
ボルヘスの詩に
複数の〈わたし〉という言葉があるけど
それって、わたしたちってことかしら。
それとも、ボルヘスだから、ボルヘスズかしら。
林っちゃんは、
毎年、年賀状を300枚以上も書くって言ってた。
ぼくは、せいぜい50枚しか書かないけど
それでもたいへんで
最後の一枚は、いつも大晦日になってしまう。
いらない平和がやってきて
どぼどぼ涙がこぼれる。
実物大の偽善である。
前に付き合ってたシンジくんが
何か詩を読ませてって言うから
『月下の一群』を渡して、いっしょに読んだ。
ギー・シャルル・クロスの「さびしさ」を読んで
これがいちばん好き
ぼくも、こんな気持ちで人と付き合ってきたの
って言うと
シンジくんが、ぼくに言った。
自分を他人としてしか生きられないんだねって。
うまいこと言うのねって思わず口にしたけど
ほんとのところ、
意味はよくわかんなかった。
扇風機の真ん中のところに鉛筆の先をあてると
たちまち黒くなる。
だれに教えてもらったってわけじゃないけど
友だちの何人かも、したことあるって言ってた。
みんな、すごく叱られたらしい。
子どものときの話を、ノブユキがしてくれた。
団地に住んでた友だちがよくしてた遊びだけど
ほら、あのエア・ダストを送るパイプかなんか
ベランダにある、あのふっといパイプね。
あれをつたって5階や6階から
つるつるつるーって、すべり下りるの。
怖いから、ぼくはしないで見てただけだけど。
団地の子は違うなって、そう思って見てた。
ノブユキの言葉は、ときどき痛かった。
ぼくはノブユキになりたいと思った。
鳥を食らわば鳥籠まで。
住めば鳥籠。
耳に鳥ができる。
人の鳥籠で相撲を取る。
気違いに鳥籠。
鳥を牛と言う。
叩けば鳥が出る。
鳥多くして、鳥籠山に登る。
高校二年のときに、家出したことがあるんだけど
電車の窓から眺めた景色が忘れられない。
真緑の
なだらかな丘の上で
男の子が、とんぼ返りをしてみせてた。
たぶん、お母さんやお姉さんだと思うけど
彼女たちの前で、何度も、とんぼ返りをしてみせてた。
遠かったから、はっきり顔は見えなかったけれど
ほこらしげな感じだけは伝わってきた。
思い出したくなかったけれど
思い出したくなかったのだけれど
ぼくは、むかし
あんな子どもになりたかった。


 目をやるまでは、単なる文字の羅列にしか過ぎなかったメモの塊が、何度か眺めては放置している間に、あるとき、
偶然目にしたものや耳にしたもの、あるいは、ふと思い出したことや頭に浮かんだことがきっかけとなって、つぎつ
ぎと結びついていく。出来上がったものを見ると、結びつけられてはじめてメモとメモの間に関連があることがわか
ったり、関連がなくても、結びつけられていることによって、あたかも関連があるかのような印象が感じられたりす
る。しかも、全体を統一するある種の雰囲気が醸し出されている。出来上がった後は、どのメモも動かせない。一つ
でも動かすと、全体の統一感はもちろん、メモとメモの間に形成された所々の印象の効果もなくなる。「「偶然」は云
はば神意である。」と、芥川龍之介は、『侏儒』に書いている。「偶然即ち神」とも。そういえば、プリニウスの『博物
誌』にも、「偶然こそ、私たちの生の偉大な創造者というべき神である。」(第二十七巻・第二章、澁澤龍彦訳)という
言葉があった。また、「神」といえば「愛」。「神と愛は同義語である。」(ゲーテ『牧師の手紙』小栗 浩訳)、「愛は、す
べてを完全に結ぶ帯である。」(コロサイ人への手紙三・一四)。エンペドクレスは、『自然について』のなかで、「とら
えて離さぬ「愛」」、「「愛」の力により すべては結合して一つとなり」(藤沢令夫訳)と述べている。ヴァレリーの『カ
イエB 一九一〇』には、「精神は偶然である。私がいいたいのは、精神という語意自体のなかに、とりわけ、偶然と
いう語の意義が含まれている、ということなのだ。」(松村 剛訳)とあり、『詩と抽象的思考』には、「詩人は人間の裡
に、思いがけない出来事、外的あるいは内的の小事件によって、目覚めます、一本の木、一つの顔、一つの《主題》、
一つの感動、一語なぞによって。」(佐藤正彰訳)とある。まるで、偶然が、すべてのはじまりであるかのようである。

 ところで、なぜ、メモとメモが結びついたのであろうか。放置されている間に、メモとメモの間隙を埋める新しい
概念が形成されたからであろうか。ショーペンハウアーが、『意志と表象としての世界』第一巻・第九節で、ある概念
が全く異なる概念に移行していく様を、図を用いて説明しているのだが、それというのも、「一つの概念の範囲のなか
には、通常、若干数の他の概念の範囲と重なってくる部分がある。この後者(若干数の他の概念)の領域の一部を自分
の領域上に含むことはもとよりだが、しかし自らはそれ以外になお多くの他の概念を包み込んでいるからであ」り、「概
念の諸範囲がたがいに多種多様に食いこみ合っているので、どの概念から出ようと、別の概念に移行していく勝手気ま
まさに余地を与えている」(西尾幹二訳)からである、というのである。ヴァレリーの『邪念その他』Nには、「見ずに
見ているもの、聞かずに聞いているもの、知らずに心のなかで呟いているもののなかには、視覚と聴覚と思考の無数の
生命を養うのに必要なものがあるだろう。」(清水 徹訳)とあり、マイケル・マーシャル・スミスの『スペアーズ』の
第一部・3には、「決断を下して人生を作り上げているのは目が覚めているときのことだと人は思いがちだが、実はそ
うではない。眠り込んでいるときにこそ、それは起きるのだ。」(嶋田洋一訳)とある。まさに、概念というものは、「創
造者であるとともに被創造物でもある。」(ブライアン・W・オールディス『讃美歌百番』浅倉久志訳)「一つ一つの
ものは自分の意味を持っている。」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)「その時々、それぞれの場所はその
意味を保っている。」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)「断片はそれぞれに、そうしたものの性質に従っ
て形を求めた。」(ウィリアム・ギブスン『モナリザ・オーヴァドライヴ』36、黒丸 尚訳)。

 精神には夥しい数の概念がある。精神とは、概念と概念が結びつく場所であり、概念と概念を結びつけるのが自我
であるという、ヴァレリーの数多くの考察に基づく、非常にシンプルなモデルを考える。あるいは、逆に、概念と概
念が結びつくことによって、自我が形成されると考えてもよいのだが、これは、いわゆる、「原因と結果の同時生起」
(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・九、菊盛英夫訳)といったものかもしれない。「どちらが原因でどちらが結果なの
か」(アラン・ライトマン『アインシュタインの夢』一九〇五年五月三日、浅倉久志訳)、ただ、後者のモデルだと、自
我というものは、概念と概念が結びつく瞬間瞬間に、そのつど形成されるものであることになり、結びつかないとき
には、自我というものが存在しなくなるのだが、それは、極端な場合で、シンプルなモデルを考えると、そういった
場合も想定されるのであるが、前節で引用した文章にあるように、意識のない状態でも、概念と概念が結びつくこと
があるとすれば、自我が消失してしまうというようなことはないはずである。もちろん、自我がない状態というのも
あってよいのであるが、また、じっさいに、そのような状態があるのかもしれないが、しかし、それは、わたしには
わからないことである。ところで、また、自我によって強く結びつけられた概念だけが意識の表面に現われるものと
すれば、想起でさえ、何かをきっかけにして現われるものであるのだから、その何かと、すでに精神のなかにあった
概念を、自我が結びつけて、想起される概念を形成したと考えればよいのである。その何かというのは、感覚器官か
らもたらされた情報であったかもしれないし、その情報が、精神のなかに保存されていた概念と結びついたものであ
ったかもしれないが、少なくとも想起された概念を形成する何ものかであったかとは思われる。キルケゴールの『不
安の概念』第二章にある、「人の目が大口を開いている深淵をのぞき込むようなことがあると、彼は目まいをおぼえる。
ところでその原因はどこにあるかといえば、それは彼の目にあるともいえるし、深淵にあるともいえる。」(田淵義三郎
訳)といった言葉に即して考えると、放置されている間に、メモとメモの間隙を埋める新しい概念が形成されて、そ
れがメモにある言葉を自我に結びつかせたのかもしれないし、たまたま、メモにあった言葉が自我に作用し、自我が
メモにある言葉を結びつかせるほど活発に働いたのかもしれない。ヴァレリーの『刻々』に、「善は或る見方にとって
しか悪の反対ではなく、──別の見方は二つを繋ぎ合わせる。」(佐藤正彰訳)という言葉がある。たしかに、「繋ぎ合
わせる」のは自我であるが、かといって、「別の見方」ができるのは、精神のなかに「別の見方」を可能ならしめる概
念があってこそのことかもしれない、とも思われるのである。どちらが原因となっているのか、それはわからない。
メモにある言葉や、そのメモを眺めているときの状況に刺激されて、自我が活発に働いて、メモにある言葉と言葉を
結びつけていったとも考えられるし、放置されている間に、精神のなかに、メモとメモの間隙を埋める新しい概念が
形成されて、それらが自我に作用して、メモにある言葉と言葉を結びつけていったのかもしれない。後者の場合は、
たしかめようがないのである。じっさいのところは、こうである。突然、あるメモにある言葉が目に飛び込んできて、
ほかのメモにある言葉と勝手に結びついたのである。そして、そういった状態が連続して起こったのである。メモと
メモが結びついている間、自我がすこぶる活発に働いていたのは、たしかなことであった。そう、わたしは実感した
のである。モンテーニュの『エセー』の第III巻・第9章に、「わたしの考えはおたがいに続きあっている。しかし、と
きどきは、遠くあいだを置いて続くこともある。」(荒木昭太郎訳)とある。「ぼくたちはいつまでも空間(あいだ)をおいて見つ
め合わなくてはならないのだろうか?」(トム・ガン『へだたり』中川 敏訳)。デカルトの『方法序説』の第2部に、「一
つのことから他のことを演繹するのに必要な順序をつねに守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達で
きるし、どんなに隠れたものでも発見できる」(谷川多佳子訳)とある。「空間がさまざまな顔に満たされるのだ。」(ジ
ョン・ベリマン『ブラッドストリート夫人賛歌』48、澤崎順之助訳)。

 ところで、ボードレールは、「人は想像力豊かであればあるほど、その想像力の冒険に付き随って行って、それが貪
婪に追求する多くの困難を乗り越えるに足るだけの技術を備えている必要がある。」(『一八五九年のサロン』1、高階
秀爾訳)と述べている。結局のところ、「一人の人間が所有する言語表象の数がその人間が更に新しいものをみつける
のに持ちうる機会の回数にたいへん影響をもつ」(ヴァレリー『レオナルド・ダ・ヴィンチの方法序説』山田九朗訳)
はずで、ニーチェは、『ツァラトゥストラ』の第二部に、「断片であり、謎であり、残酷な偶然であるところのものを、
『一つのもの』に凝集し、総合すること、これがわたしの努力と創作の一切なのだ。」(手塚富雄訳)と書いており、ホ
フマンスタールは、「出会いにあってはすべてが可能であり、すべてが動いており、すべてが輪郭をなくして溶けあう」
(『道との出会い』檜山哲彦訳)と書いている。

「なぜ人間には心があり、物事を考えるのだろう?」(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)「心は心
的表象像なしには、決して思惟しない。」(アリストテレス『こころとは何か』第三巻・第七章、桑子敏雄訳)。

「詩人の才能よ、おまえは不断の遭遇の才能なのだ」(ジイド『地の糧』第四の書・一、岡部正孝訳)。「あらゆる好
ましいものとあらゆる嫌なものとを、次々に体験し」(ヴァレリー『我がファウスト』第一幕・第一場、佐藤正彰訳)、
「一つひとつ及びすべてを、一つの心的経験に変化させなければならない」(ワイルド『獄中記』田部重治訳)のだ。


ATOM HEART MOTHER。──韻律と、それを破壊するもの/詩歌の技法と、私詩史を通して

  田中宏輔



ころげよといへば裸の子どもらは波うちぎはをころがるころがる

 相馬御風の歌である。それにしても、「この音は何だ」(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第一幕、石川重俊訳)。
なんと楽しい歌であろう。これほど人を楽しませる歌は、ほかにはないであろう。愛と喜びに満ちあふれた歌である。
おそらく、「音楽は人間的なことの中でももっとも人間的なことで」(シオドア・スタージョン『夢見る宝石』14、永
井 淳訳)あろう。


街道をきちきちと飛ぶ螇蚸(ばつた)かな                               (村上鬼城)

霧ぼうぼうとうごめくは皆人なりし                            (種田山頭火)

燭(しよく)の火を燭にうつすや春の夕                                (与謝蕪村)

枯蓮のうごく時きてみなうごく                               (西東三鬼)

飛行機となり爆弾となり火となる                              (渡辺白泉)


 一見すると、こういった同音の反復は、短歌よりも音節数の少ない俳句での方が、より音楽的に聞こえるものであ
るが、こうして立てつづけに読んでいくと、いささか単調なものに思われてくる。「どんなものも、くりかえされれば
月並みになる」(R・A・ラファティ『スナッフルズ』1、浅倉久志訳)ということだろうか。つぎに、音調的により
巧妙な技法が施されているものを見てみよう。


春雨や降るともしらず牛の目に                               (小西来山)

何も彼も聞き知つてゐる海鼠(なまこ)かな                              (村上鬼城)

咲き切つて薔薇の容(かたち)を超えけるも                             (中村草田男)

雷落ちしや美しき舌の先                                  (西東三鬼)

憲兵の前で滑つて転んぢやつた                               (渡辺白泉)


 これくらいに音調的に巧みだと、繰り返し読んでも飽きない。じっさい、三度、四度と、つづけて読み返してみて
も、耳に心地よいものである。また、エマソンの言葉に、「ものが美しい調べに変わるさまは、ものが一段高い有機的
な形態に変貌するさまに似ている。」(『詩人』酒本雅之訳)というのがあるが、これらの句のなかに出てくる「牛の目」
や「海鼠」といった言葉から、わたしが思い浮かべるイメージは、これらの句を読む前に思い浮かべていたであろう
イメージとは、まったく違ったものになってしまったように思われる。すでに読んでしまったので、読む前に持って
いたイメージを正確に思い出すことなどできないのだが、それでも、読む前に、「牛の目」や「海鼠」といったものに
対して、それほど神秘的な印象を抱いていなかったのは、たしかである。読んでからなのである。「牛の目」や「海鼠」
といったものに対して、それらの存在に対して、とても神秘的な印象を持つようになったのは。「牛の目」や「海鼠」
といったものに対して、けっして人間には近づくことのできないところ、徹底的に非人間的なところを感じたのは。
しかし、それなのに、同時にまた、よりいっそう人間に近づいたようなところ、よりいっそう身近なものになったよ
うなところも感じられたのである。「画面にひたすら事物だけが描きこまれるときは、事物がまるで人間のように振舞
う。まさに、人間の劇なのだ。」(プルースト『サント=ブーヴに反論する』フロベール論に書き加えること、出口裕弘・
吉川一義訳)「世界は象徴として存在している。語られる言葉の部分部分が隠(いん)喩(ゆ)なのだ。自然全体が人間精神の隠喩だ
からだ。」(エマソン『自然』四、酒本雅之訳)「人間と結びつくと、人間になる。」(川端康成『たんぽぽ』)「人間は万
有に対する類推(アナロギー)の源なのだ。」(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)といった言葉が思い起こされる。
また、短歌も俳句も、「多くを言うために少なく言う言いかたで」(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』17、菅野
昭正訳)、「とても短い言葉なのに、たくさんの意味がこめられている。」(シオドア・スタージョン『フレミス伯父さん』
大村美根子訳)。ときに、「小さくてつまらないことでも、大きな象徴とおなじように役に立つ。法則が表現される際の
象徴がつまらないものであればあるほど、それだけいっそう強烈な力を帯び、人びとの記憶のなかでそれだけ永続的な
ものとなる。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)。引用した句のなかでいえば、草田男のものが、突出しているだろうか。
正確な目が見つめる、ほんのささいな事柄が、「すべての事象により強い実在感を与えると同時に、世界を、微妙なシ
ンボルの集合体に変えてしまったのである。」(ラングドン・ジョーンズ『時間機械』山田和子訳)「そのひと言でぼく
の精神状態はもちろん、あたりの風景までが一変した。」(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』女戦士(アマゾネス)、
木村榮一訳)「人間はいちど変わってしまうともとには戻れない。これからは何も二度と同じには見えないのだ。」(キ
ム・スタンリー・ロビンスン『荒れた岸辺』上・第三部・11、大西 憲訳)。そして、「世界はもう二度と元の姿にはも
どらないだろう。」(コードウェイナー・スミス『酔いどれ船』伊藤典夫訳)。ところで、「単純になるにつれて、豊かさ
が増す」(ノヴァーリス『対話・独白』今泉文子訳)というのは、「複雑なものより単純なもののほうが、より多くの精
神を必要とする」(ノヴァーリス『花粉』87、今泉文子訳)からであろうか。「人生のあらゆる瞬間はかならずなにか
を物語っている」(ジェイムズ・エルロイ『キラー・オン・ザ・ロード』四・16、小林宏明訳)。「人生を楽しむ秘訣
は、細部に注意を払うこと。」(シオドア・スタージョン『君微笑めば』大森 望訳)という言葉があるが、細部での方
が、精神がよく働き、よく実感されるからであろうか。たしかに、人間の精神というものは、大きなものよりも小さ
なものに対して、抽象的なものよりも具象的なものに対して、よりよく働くものである。「愛するものは、生き生きし
てる」(フィリップ・K・ディック『凍った旅』浅倉久志訳)という言葉もあるが、それは、具体的なものが、愛する
対象となっているために、精神がよく働かされ、こころがうれしくなるからであろう。エズラ・パウンドの「おまえ
が愛するものはのこる」(『詩章 第八十一章』出淵 博訳)という詩句が思い起こされる。また、愛とくれば、憎しみ
が、憎しみとくれば、苦痛が連想される。ダン・シモンズの「人生ではね、最大の苦しみをもたらすものは、ごくちっ
ぽけなものであることが多いの」(『エンディミオンの覚醒』第一部・10、酒井昭伸訳)といった言葉も思い起こされ
る。

 その形式が、もたらすのであろう。俳句も短歌も、まことに暗示性に富んだ文学形式である。しかし、一般的には、
俳句作品の方が、短歌作品よりも情景を思い浮かべやすいものが多く、短歌作品の方が、俳句作品よりも作り手自身
の情感を読みとりやすいものが多いと思われる。
 作り手自身の情感がよく伝わる、音調的にも美しい歌を、古今と新古今の歌人の作品のなかから、いくつか見てみ
よう。


ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ                     (紀 友則)

筑波嶺(つくば ね)の峰より落つるみなの川(がは)恋ぞつもりて淵(ふち)となりぬる                    (陽成院)

来ぬ人をまつ帆の浦の夕凪に焼くや藻塩の身もこがれつつ                 (権中納言定家)

玉の緒よ絶えなば絶えね永らへば忍ぶることの弱りもぞする                 (式子内親王)

つぎの歌は、与謝野晶子の作品である。

わが恋は虹にもまして美しきいなづまにこそ似よと願ひぬ


「形式(丶丶)は本質的に反復(丶丶)と結びついている。」(ヴァレリー『文学論』第一部、堀口大學訳)「リズムはいたるところに
あり──いたるところに忍び込む。」(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)「音楽がはっきりした形
をとるのが見える。」(ウィリアム・ギブスン『ニューロマンサー』第四部・21、黒丸 尚訳)「形式は作品の骨格だ。」
(ヴァレリー『文学論』第三部、堀口大學訳)「韻律とは何か?」(ディラン・トマス『黄昏の明かりに祭壇のごとく』
IV、松田幸雄訳)「霊なのか?」(ディラン・トマス『黄昏の明かりに祭壇のごとく』IV、松田幸雄訳)「霊?」(ラーゲ
ルクヴィスト『巫女』山下泰文訳)「霊である。」(『知恵の書』一・六)「霊が眼前に顕われれば、われわれはたちまち
みずからの霊性に目覚めるだろう。すなわちわれわれは、その霊と同時にみずからをも媒介にして、霊感を吹き込まれ
るだろう。霊感がなければ霊の顕現もない。」(ノヴァーリス『花粉』33、今泉文子訳)。声が発語者の身体の延長であ
るならば、書かれた言葉は、書いた者の魂の延長であろう。「語の運びや拍子や音楽的精神を感じとる繊細な感覚にめ
ぐまれた者、あるいは、言葉の内的本性の繊細な働きを身内に聞きとり、それにあわせて舌や手を動かす者」(ノヴァ
ーリス『対話・独白』今泉文子訳)、「詩人の言葉は一般的な記号ではなく──音の響きであり──自分の周囲に美しい
群れを呼び寄せる呪文なのだ。」(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)。
それというのも、人間のうちに音楽があり、意味があるからである。それというのも、人間自体が音楽であり、意
味であるからである。


高野川


底浅の透き通った水の流れが
昨日の雨で嵩を増して随分と濁っていた
川端に立ってバスを待ちながら
ぼくは水面に映った岸辺の草を見ていた
それはゆらゆらと揺れながら
黄土色の画布に黒く染みていた
流れる水は瀬岩にあたって畝となり
棚曇る空がそっくり動いていった
朽ちた木切れは波間を走り
枯れ草は舵を失い沈んでいった

こうしてバスを待っていると
それほど遠くもないきみの下宿が
とても遠く離れたところのように思われて
いろいろ考えてしまう
きみを思えば思うほど
自分に自信が持てなくなって
いつかはすべてが裏目に出る日がやってくると

堰堤の澱みに逆巻く渦が
ぼくの煙草の喫い止しを捕らえた
しばらく円を描いて舞っていたそれは
徐々にほぐれて身を落とし
ただ吸い口のフィルターだけがまわりまわりながら
いつまでも浮標のように浮き沈みしていた


 わたしが生まれてはじめて書いた詩である。初出は、「ユリイカ」一九八九年八月号・投稿欄である。選者は、増
剛造氏である。つぎの詩は、同誌の一九九〇年九月号・投稿欄に掲載されたもので、選者は、大岡 信氏である。「高
野川」を書いていたときには、まだ、詩は、堀口大學氏の訳詩集である『月下の一群』くらいしか読んでいなかった
のであるが、つづけて同誌に投稿していた一年ばかりの間に、北園克衛をはじめとする日本のモダニズム詩人たちの
詩にも接するようになっていた。「夏の思い出」には、その影響が顕著に見受けられる。


夏の思い出



白い夏
思い出の夏
反射光
コンクリート
クラブ
ボックス
きみはバレーボール部だった
きみは輝いて
目にまぶしかった
並んで
腰かけた ぼく
ぼくは 柔道部だった
ぼくらは まだ高校一年生だった

白い夏
夏の思い出
反射光
重なりあった
手と

汗と

白い光
光反射する
コンクリート
濃い影
だれもいなかった
あの日
あの夏
あの夏休み
あの時間は ぼくと きみと
ぼくと きみの
ふたりきりの
時間だった
(ふたりきりだったね)
輝いていた
夏の
白い夏の

あの日
ぼくははじめてだった
ぼくは知らなかった
あんなにこそばったいところだったなんて
唇が
まばらなひげにあたって
(どんなにのばしても、どじょうひげだったね)
唇と
汗と
まぶしかった
一瞬

ことだった

白い夏の
思い出
はじめてのキスだった
(ほんと、汗の味がしたね)
でも
それだけだった
それだけで
あの日
あのとき
あのときのきみの姿が 最後だった
合宿をひかえて
早目に終わったクラブ
きみは
なぜ
泳ぎに出かけたの
きみはなぜ
彼女と
海に
いったの

夏の

白い夏の思い出
永遠に輝く
ぼくの
きみの
夏の

あの夏の日の思い出は
夏がめぐり
めぐり
やってくるたびに
ぼくのこころを
引き裂いて
ぼくの
こころを
引き千切って
風に
飛ばすんだ

白い夏
思い出の夏
反射光
コンクリート
クラブ
ボックス
重ねた
手と
目と
唇と
汗と
光と
影と
夏と



 韻律はリズムを生み、言葉に躍動感を与える。すると、読み手のこころは大いに喜ぶ。それが、愛の本性に適った
ことだからである。「愛とはなにか。/自己をぬけ出そうとする欲求。」(ボードレール『赤裸の心』二五、阿部良雄訳)
「魂の流出は、幸福である、ここには幸福がある」(ホイットマン『大道の歌』8、木島 始訳)。「僕たちの人生のどん
な瞬間であろうと、僕たちのなかには、発散されることを必要とする力がある」(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』
9、菅野昭正訳)。「愛はわたしを大きくする。」(ローベルト・ヴァルザー『夢』川村二郎訳)「それにしても、何の光だ
ろう?」(サングィネーティ『イタリア綺想曲』69、河島英昭訳)「この光、」(ルーシャス・シェパード『スペインの教
訓』小川 隆訳)「この音は」(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第一幕、石川重俊訳)。「偽りを許さない何か」(ロ
バート・F・ヤング『魔王の窓』伊藤典夫訳)、「あの何か間違ってはいないものの響き、ずっと昔に起こった何かの経
験、正しく光り輝くものであったことの?」(オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』10、矢野 徹訳)「その光は、
途方もなく明るかった」(ラーゲルクヴィスト『巫女』山下泰文訳)。「自分自身を輝かせると同時にそばにいる者を輝
かせる」(レイナルド・アレナス『夜になるまえに』レサマ=リマ、安藤哲行訳)。「なんという強い光!」(カブレラ
=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』昼夜入れ替えなしの興行、木村榮一訳)「それにしても、何の光だろう?」
(サングィネーティ『イタリア綺想曲』69、河島英昭訳)「いったい何なのか、」(コルターサル『石蹴り遊び』向う側
から・21、土岐恒二訳)「輝く光は」(スティーヴン・バクスター『真空ダイヤグラム』第七部・バリオンの支配者たち、
岡部靖史訳)。また、「その光はどこから出てきたものだったのだろう?」(ジュール・ヴェルヌ『カルパチアの城』13、

 安東次男訳)「その光がいったいどこから発しているのか」(アンナ・カヴァン『氷』5、山田和子訳)。そうだ。「あの
光は外から来るものではなく、ぼくの眼から出た光であり、」(カブレラ=インファンテ『亡き王子のためのハバーナ』
すべてが愛を打ち破る、木村榮一訳)「自身の思考から発したものに違いはない」(プルースト『サント=ブーヴに反論
する』サント=ブーヴとバルザック、出口裕弘・吉川一義訳)。愛というものは、つねに見出されるものである。「その
愛が形を変えて」(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)、言葉となって、光となり、音となったのである。
言葉となって、わたしのなかに折りたたまれていた光や音が解放されたのである。あの夏の日の日射し、あの真剣な
彼の眼差し、あのまぶしかった彼の面差し、彼という彼のすべてが一つの光だった。声など交わすこともなく手を触
れ合い、黙って唇を重ね合ったあの静けさも一つの声、あの沈黙も一つの音だった。

「美しいことにどのような意味があるのだろうか?」(ジェイムズ・アラン・ガードナー『プラネットハザード』下・
15、関口幸男訳)「自由とは魂がそのなかで美に向かって開かれるものなのか、魂にその自由の予感を与えるものが美
なのか」(ブロッホ『夢遊の人々』第三部・三、菊盛英夫訳)。「美は、とりわけて可視的なものである。」(ノヴァーリ
ス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)「自然の恵む刺激とは、つまり物象にそなわる美のことで、」(エマソン『詩
人』酒本雅之訳)「魂は物質を通さずにはわれわれの物質的な眼に現れることがない」(サバト『英雄たちと墓』第I部・
2、安藤哲行訳)。「見るというのは明瞭に認識することだ」(ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』第一部・4、
酒井昭伸訳)。「ある概念を認識するためには、まずそれを視覚化しなければならない。」(ブライアン・オールディス『十
億年の宴』9、浅倉久志訳)「目は心に最も近く位置していて、」(プルタルコス『食卓歓談集』二三、柳沼重綱編訳)「観
念は視線を向けられたとたんに感覚となる。」(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)「われわれ
のあらゆる認識は感覺にはじまる。」(『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』人生論、杉浦明平訳)「人間にとっては、可
感的なことがらを通して可知的なことがらに到達するのがその本性に適合している。われわれの認識はすべて感覚に端
を発するものだからである。」(トマス・アクィナス『神学大全』第一部・第一問・第九項、山田 晶訳)「感じるために
は、それを「理解」することが必要だ。」(プルースト『失われた時を求めて』第四篇・ソドムとゴモラ、井上究一郎訳)
「どんなに目に見える幸福も/私たちがそれを内部で変身させてはじめて私たちに認められるものとなる」(リルケ『ド
ゥイノの悲歌』第七の悲歌、高安国世訳)。見ることはうれしい。見えることはうれしい。見ることが喜びなのだ。見
えることが喜びなのだ。
「すべては見ること」(ジョン・ベリマン『73 カレサンスイ リョウアンジ』澤崎順之助訳)。


夕(ゆう)星(ずつ)は、
かがやく朝が(八方に)散らしたものを
みな(もとへ)連れかへす。
羊をかへし、
山羊をかへし、
幼(おさ)な子をまた 母の手に
連れかへす。


「なんとも美しい。こんな詩はもうだれにも書けないね。」(デニス・ダンヴァーズ『エンド・オブ・デイズ』下・12、
川副智子訳)。これは、古代ギリシアの女流詩人であるサッフォーの作品である。この詩の原文は、わずか二行ばかり
のものであったのだが、翻訳された呉 茂一氏によって、このように七行に行分けされた。日本語で書かれた詩のなか
で、この詩ほどにすばらしい詩を、わたしはほかに知らない。第一に、空間の把握の仕方がまことにもって見事であ
る。しかも、呉氏が、原文の二行を七行に改めて翻訳されたので、その空間の拡がりがより感じとれるものとなって
いる。しかし、何よりも、繰り返される言葉自体が耳に心地よく、その繰り返す言葉が、繰り返される人間の生の営
みというものを喚起させ、その音調的な美しさと、その情景の美しさのなかに、読み手を瞬時に包み込んでしまうの
である。はじめて目にしたときの感激は、いまでもいっこうに薄れてはいない。そのような詩は稀である。ここには
永遠があるのだ。しかも、それは、呼吸のように繰り返される、運動性を持った永遠なのである。まるで、ポオが『ユ
リイカ』のなかに書いていた「神の心臓の鼓動」(牧野信一・小川和夫訳)のごときものである。「神の心臓の鼓動」
という言葉はまた、ボードレールの「自我の蒸発と集中について。すべてがそこにある。」(『赤裸の心』一、阿部良雄
訳)といった言葉を、ただちに思い起こさせる。サッフォーのこの詩は、わたしが完璧に暗唱している数少ない詩の
一つである。記憶する際に、韻律は実に効果的であった。この韻律は、瞬時に、そして永遠に、わたしをこの情景の
なかに立ち戻らせる。そうなのだ。この詩は、わたしをその情景のなかに瞬時に投げ込み、瞬時に展べ拡げるのであ
る。無限に拡大するのである。その情景のなかに、わたしの「現存在を無限に拡大する」(ノヴァーリス『断章と研究 
一七九八年』今泉文子訳)のである。「存在を作り出すリズム」(アーシュラ・K・ル・グィン『踊ってガナムへ』小尾
芙佐訳)、「人間ひとりひとりを永遠と偏在に参与せしめるリズム」(アーシュラ・K・ル・グィン『踊ってガナムへ』
小尾芙佐訳)。「一秒にも満たない瞬間にすべてが存在し、見つめられ、触れられ、味わわれ、嗅がれるのだ。」(ラング
ドン・ジョーンズ『時間機械』山田和子訳)「すべてがひとときに起こること。それこそが永遠」(グレン・ヴェイジー
『選択』夏来健次訳)。
 
 ここで、ふと、高村光太郎の「ヨタカ」という詩の終わりの三行が思い出された。


自然に在るのは空間ばかりだ。
時間は人間の発明だ。
音楽が人間の発明であるやうに。


 ノヴァーリスの「目だけが空間的(ヽヽヽ)である──他の感覚はすべて時間的である」(ノヴァーリス『青い花』遺稿、青山
隆夫訳)といった言葉も思い起こされる。

「真の始まりは自然詩である。終末は第二の始まり──そしてそれは芸術詩である。」(ノヴァーリス『断章と研究 一
七九八年』今泉文子訳)「事物を離れて観念はない。」(ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ『パターソン』第一巻・
巨人の輪郭・I、沢崎順之助訳)「人間精神の現実的存在を構成する最初のものは、現実に存在するある個物の観念に
ほかならない。」(スピノザ『エチカ』第二部・定理一一、工藤喜作・斎藤 博訳)「美はものに密着し、/心は造型の一
義に住する。」(高村光太郎『月にぬれた手』)「自分の作り出すものであって初めて見えもする。」(エマソン『霊の法則』
酒本雅之訳)「自然の中には線も色彩もない。線や色彩を創り出すのは人間である。」(ボードレール『ウージェーヌ・
ドラクロワの作品と生涯』3、高階秀爾訳)「具体的な形はわれわれがつくりだすのだ。」(ロバート・シルヴァーバー
グ『いばらの旅路』25、三田村 裕訳)。ほんとうにはっきりと、ものの形が見えるのは、こころのなかでだけなので
ある。ずいぶん以前のことであった。サッフォーの詩に匹敵するくらいにすばらしい歌が、万葉の歌人によって詠わ
れていたことを知ったのは。そのときには、ほんとうに驚かされた。その歌人もまた、女性であったのだ。つぎの歌
が、狭野茅上娘子によるその歌である。


君が行く道の長手を繰り畳ね焼き滅ぼさむ天(あめ)の火もがも


 韻律に気がとられる前に、その情景に圧倒される。狭野茅上娘子のこの空間把握能力のすさまじさには、目を瞠らさ
れる。韻律の妙技が仕掛けられていても、そのあまりに強烈な情念や印象的な情景によって、その片鱗にすら気づか
せられないのである。この作品以上に情念的にすさまじい歌を、わたしは知らない。しかし、「なぜ人間には心があ
り、物事を考えるのだろう?」(イアン・ワトスン『スロー・バード』佐藤高子訳)「生けるものは誰一人、苦しみを味
わうものなかれと願う。」(シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』第一幕、石川重俊訳)「心は、わたしを苦しめる以
外にどんな役にたったというのだろう?」(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三七年四月八日、関 義訳)「それ
は私が孤独だからだろうか?」(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)「われわれを孤独にするのは、まさに人間的なものだ、
ということを理解することを学ばなければならない。」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)「恐らく人は不幸で
ある。」(ボードレール『描かんとする願望』三好達治訳)「人生には幸福なひとこまもあるが、大体はまちがいなく不
幸である。」(フィリップ・ホセ・ファーマー『気まぐれな仮面』1、宇佐川晶子訳)「地上の人生、それは試練にほか
ならない」(アウグスティヌス『告白』第十巻・第二十八章・三九、山田 晶訳)。「すべてのものにこの世の苦痛が混ざ
りあっている。」(フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山 晃・増田義郎訳)「あらゆる出会いが苦しい試練だ。」(フ
ィリップ・K・ディック『ユービック:スクリーンプレイ』34、浅倉久志訳)。それでも、わたしたちは生きている。そ
んな世界のなかで、凛として生きているつもりで歌を詠む。しかし、じつのところ、わたしたちは、まさによそ行き
の顔をして「しあわせを装いながら、生きるはり(丶丶)は嘆きであり、怒りであり、憎しみ、恨み、希望だったのだ!」(コ
ードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』2、伊藤典夫訳)「われわれはなぜ、自分で選んだ相手ではなく、稲妻
に撃たれた相手を愛さなければならないのか?」(シオドア・スタージョン『たとえ世界を失っても』大森 望訳)「も
っとも多く愛する者は敗者である、そして苦しまねばならぬ」(トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』高橋義孝訳)。
「よく愛するがためには、すでにくるしんでいなければならなく、また信じていなければならない」(バルザック『セ
ラフィタ』三、蛯原〓夫訳)。「願望の虐む芸術家は幸いなるかな!」(ボードレール『描かんとする願望』三好達治訳)
「自分の心を苛むものを書き記すこともできれば、そうすることによってそれに耐えることもできるひと、その上さら
に、そんなふうにして後代の人間の心を動かしたい、自らの苦痛に後代の人間の関心を惹きつけたいと望むことができ
るひとは幸いなるかな」(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』18、菅野昭正訳)。「これまで世界には多くの苦しみが
生まれなければならなかった、その苦しみがこうした音楽になった」(サバト『英雄たちと墓』第I部・9、安藤哲行
訳)。「苦悩(くるしみ)は祝福されるのだ。」(フロベール『聖アントワヌの誘惑』第三章、渡辺一夫訳)「創造する者が生まれ出る
ために、苦悩と多くの変身が必要なのである。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)。しかし、苦し
むことに意味があるとしたら、それは、愛することに意味があるときだけである。そう思うと不幸が手放せなくなる。
自分の不幸を手放すのがもったいないとまで思えてくる。「不幸は情熱の糧なのだ。」(ターハル・ベン=ジェルーン『聖
なる夜』9、菊地有子訳)「情熱こそは人間性の全部である。」(バルザック『人間喜劇』序、中島健蔵訳)「おお、ソク
ラテスよ、なんの障害もあなたの進行を妨げないとすると、そもそも進行そのものが不可能になる。」(ヴァレリー『ユ
ーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳) 「そもそも苦しむことなく生きようとするそのこと自体に一つの完全な矛
盾があるのだ」(ショーペンハウアー『意思と表象としての世界』第一巻・第十六節、西尾幹二訳)。「いかなる行動も
営為も思(し)惟(い)も、ひたすら人を生により深くまきこむためにのみあるのだ。」(フィリップ・K・ディック『あなたをつく
ります』7、佐藤龍雄訳)「苦しみは人生で出会いうる最良のものである」(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・
逃げさる女、井上究一郎訳)。「己れの敵を愛せよ(丶丶丶丶丶丶丶丶)。/私は自分を活気づける人たちを愛し、又自分が活気づける人たち
を愛する。われわれの敵はわれわれを活気づける。」(ヴァレリー『文学』佐藤正彰訳)「わたしの敵たちもわたしの至
福の一部なのだ。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)。

 前掲の狭野茅上娘子の歌を読み、その情念の激しさに打たれて、わたしは、これまでの自分が、愛というものに対
して、ずっと誤った視線を投げかけていたのではないかとさえ思われたのである。「世界はすべての人間を痛めつける
が、のちには多くの人がその痛めつけられた場所で、かえって強くなることもある。」(ヘミングウェイ『武器よさらば』
第三四章、鈴木幸夫訳)「多感な心と肉体を捻じり合わせて愛に変えうるのは苦しみだけ」(E・M・フォースター『モ
ーリス』第四部・42、片岡しのぶ訳)。「苦しみは焦点を現在にしぼり、懸命な(ヽヽヽ)闘いを要求する。」(カミュ『手帖』第
四部、高畠正明訳)「苦痛が苦痛の観察を強いる」(ヴァレリー『テスト氏』テスト氏との一夜、村松 剛・菅野昭正訳)。
「苦しむこと、教えられること、変化すること。」(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』不幸、田辺 保訳)「苦痛の深さ
を通して人は神秘的なものに、本質にと、達するのである。」(プルースト『失われた時を求めて』第六篇・消え去った
アルベルチーヌ、鈴木道彦訳)「人間には魂を鍛えるために、死と苦悩が必要なのだ!」(グレッグ・イーガン『ボーダ
ー・ガード』山岸 真訳)「愛はたった一度しか訪れない」(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)。「一(ヽ)度きり、そ
してふたたびはない、そして私たちもまた一(ヽ)度きり。」(リルケ『ドゥイノの悲歌』第九の悲歌、高安国世訳)「まさに
瞬間だ」(H・G・ウェルズ『解放された世界』第三章・3、浜野 輝訳)。「「愛」が覚えている」(シェリー『鎖を解か
れたプロメテウス』第二幕・第三場、石川重俊訳)「一瞬のきらめき。」(フィリップ・ホセ・ファーマー『紫年金の遊
蕩者たち』大和田 始訳)「人生には、まるで芸術の傑作のように整えられている瞬間が、またそういう全生涯があるも
のなのだ」(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』21、菅野昭正訳)。「人生というものは閃光の上に築かなければなら
ない」(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンの浜辺』9、菅野昭正訳)。「一瞬のうちに無限の快楽を見出し」(ボードレール『け
しからぬ硝子屋』三好達治訳)、「その瞬間を永遠のものとするため」(マイケル・マーシャル・スミス『地獄はみずか
ら大きくなった』嶋田洋一訳)。「すべては同じようにはかなく移ろいやすいものだ。少なくともそのために、束の間の
ものを普遍化するために書く。たぶん、それは愛。」(サバト『英雄たちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)「愛だけであ
る」(フィリップ・アーサー・ラーキン『アーンデルの書』澤崎順之助訳)。そして、「ぼくたちの行為の一つ一つが永
遠を求める」(フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)。わたしたちの一瞬一瞬が永遠を求める。わたしたちのすべ
ての瞬間という瞬間が、永遠になろうとするのである。それというのも、「瞬間というものしか存在してはいないから
であり、そして瞬間はすぐに消え失せてしまうものだからだ」(ガデンヌ『スヘヴェニンゲンノ浜辺』25、菅野昭正訳)。
「一切は過ぎ去る。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部、手塚富雄訳)「たった一度しか訪れない」(フエンテス『脱
皮』第二部、内田吉彦訳)。わたしたちの一瞬一瞬が永遠を求め、わたしたちのすべての瞬間という瞬間が、永遠にな
ろうとするのである。割れガラスの破片のきらめきの一つ一つが太陽を求め、やがて、そのきらめきの一つ一つが太
陽となるように。川面に反射する月の光や星の光のきらめきの一つ一つが太陽を求め、やがて、そのきらめきの一つ
一つが太陽となるように。

「詩とはなにか」(ノヴァーリス『断章と研究 一七九八年』今泉文子訳)。その詩に書かれた言葉を目にしたとたん、
わたしはここからいなくなる。その言葉によって誘われた時間に、導かれた場所に行かされる。「思い描ける場所は、
訪れることができる」(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』III、嶋田洋一訳)。「一度見つけた場所には、いつ
でも行けるのだった。」(ジェイムズ・ホワイト『クリスマスの反乱』吉田誠一訳)「わたしたちはそんなふうにして、
このもろい死すべき肉体を通して、永遠を仄かに見ることができるように作られているからである。」(サバト『英雄た
ちと墓』第II部・4、安藤哲行訳)。狭野茅上娘子の歌を読んだ瞬間、それは、わたしの新しい傷となった。振り返れ
ば、いつでも新しい血を流す新しい傷となったのである。

「魂はどこから来たのだろう?」(サバト『英雄たちと墓』第II部・5、安藤哲行訳)「永遠の中のただ一瞬」(ヴァ
ン・ヴォークト『フィルム・ライブラリー』沼沢洽治訳)。「人間脳髄は明らかに「無限なるもの(丶丶丶丶丶丶)」に嗜(し)欲(よく)を持っている」
(ポオ『ユリイカ』牧野信一・小川和夫訳)、「無限を求める心」(ボードレール『アシーシュの詩』一、渡辺一夫・松
室三郎訳)。「われわれは永遠を必要とする。」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)「どんな悦びも一瞬のあいだ
しかつづかないのではなかろうか?」(シャルル・プリニエ『醜女の日記』一九三六年一月二十七日、関 義訳)「それ
はほんの瞬間に過ぎない。しかし」(リルケ『フィレンツェだより』森 有正訳)、「瞬間は永遠に繰り返す。」(イアン・
ワトスン『バビロンの記憶』佐藤高子訳)「おそらく唯一の永遠の喜びとは、それが繰り返されることであろう。」(フ
エンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)「存在が、突然、無限に増加するようなものである。」(リルケ『フィレンツェ
だより』森 有正訳)「永遠を避けることはできない。なぜなら、私がそれを見つけたからだ。」(キース・ローマー『明
日より永遠に』5、風見 潤訳)。
つぎに並べた二つの歌は、高安国世の作品と、前川佐美雄の作品である。


浴槽の如く明るき水の中かさなりて静かに豆腐らはあり

生きてゐる証(あかし)にか不意にわが身体割きて飛び出で暗く鳴きけり


 人間とは、天の邪鬼である。感情とは、天の邪鬼である。知性とは、天の邪鬼である。対立した願いを同時に持つ、
矛盾したこころを持っているのである。この二つの歌に響いている子音のkの音は、音調的な美しさをまったく持っ
ていない。むしろ、音調的な美しさを、わざと壊すか、あるいは、無化するようにつくられているような気がする。
この子音のkの音の響きは、ホラー映画やそれに類するテレビ番組のあの不気味な映像とともに流される音楽に似て
いるような気がする。韻律のこのような高度なテクニックには、感心するほかない。人間の耳は、このような音にも
喜びを感じるものなのである。
つぎの詩は、「ユリイカ」一九九一年一月号に掲載されたものである。


水面に浮かぶ果実のように


 いくら きみをひきよせようとしても
きみは 水面に浮かぶ果実のように
 ぼくのほうには ちっとも戻ってこなかった
むしろ かたをすかして 遠く
 さらに遠くへと きみは はなれていった

もいだのは ぼく
 水面になげつけたのも ぼくだけれど


 この詩は、大岡 信氏によって「ユリイカの新人」に選ばれたときのものであるが、これを書いたときは、まだノ
ブユキとは付き合ったばかりのときで、まさかすぐに別れることになるとは思わなかったのだけれど、この詩の発表
の一年後に別れることになった。これまで引用してきたわたしの詩は、すべて、わたしのじっさいの体験が元になっ
たものであるが、「水面に浮かぶ果実のように」という作品は、わたしが学生時代に付き合っていたタカヒロとのこと
を書いたものだったのだが、いまのいままで、この原稿を書くのに、この詩を制作した日付を調べるまで、ここ数年
の間、この詩のことを、ずっと、ノブユキとのことを書いたものだと思い違いをしていたのである。それほど、ノブ
ユキのことを愛していたのだろうか。愛していたのだろう。では、なぜ、わたしの方から別れようと言ったのだろう
か。愛していたのに。きっと、その愛を、ノブユキの方から壊されたくなかったのだ。愛よりも、虚栄心の方が強か
ったのだ。自尊心とはいわない。つまらない虚栄心だったのだ。「多分ぼくは苦しむのが好きなのだろう。これまでも
人をさんざん苦しめてきたし、見聞するところでは、人を苦しめるのが好きな人間は、苦しめられることを無意識に願
っている。」(フィリップ・ホセ・ファーマー『わが内なる廃墟の断章』9、伊藤典夫訳)。よく考えるのだ。あのとき、
もし、わたしが別れの言葉を口にしなかったら、どうなっていただろうか、と。ありえたかもしれない幸せを、もし
かしたらいまでもつづいていたかもしれない幸せを、なぜ、自分の方から壊すようなことをしたのか、と。すべては、
わたしのつまらない虚栄心のためだった。「幸福とおなじように、おそらく苦悩もまた一種の技能なのではなかろう
か?」(ブライアン・W・オールディス『一種の技能』跋、浅倉久志訳)「人は自分の持つ矛盾によって、われわれの興
味をひき、自分の本當の心のうちを顯わす。」(『ジイドの日記』第五巻・一九二二年十月二十九日、新庄嘉章訳)「矛盾
とはひとつの事実だ。」(ヴァレリー『邪念その他』N、清水 徹訳)「それは矛盾しているためにかえって真実そのもの
に違いなかった。」(コルターサル『石蹴り遊び』向う側から・1、土岐恒二訳)「われわれが矛盾してゐるときほど自
己に真実であることは断じてない」(ワイルド『藝術家としての批評家』西村孝次訳)。「矛盾ほど確実な土台はない」(ジ
ーン・ウルフ『拷問者の影』8、岡部宏之訳)。「すべて詩の中には本質的な矛盾が存在する。」(アントナン・アルトー
『ヘリオガバルス』III、多田智満子訳)「矛盾からは(エクス・コントラデイクテイオネ)、周知のように、何でもあり、なのである。」(スタニスワフ・
レム『虚数』GOLEM XIV、長谷見一雄訳)「不合理な前提からはどんなことでも導きだしうるものだ。」(サバト『英
雄たちと墓』第II部・13、安藤哲行訳)「あらぬ(丶丶丶)もの(非存在)は、ある(丶丶)もの(存在)にすこしも劣らずある(丶丶)。」(『デモ
クリトス断片156』廣川洋一訳)「愛はたえずとびまわらなければならぬ。」(ノヴァーリス『青い花』遺稿、青山隆夫訳)
「存在(丶丶)と存在しないもの(丶丶丶丶丶丶丶)のあいだをたえず揺れ動いているものだ」(スタニスワフ・レム『泰平ヨンの航星日記』第二
十一回の旅、深見 弾訳)。「なぜ、あらゆることが常に変化しなければいけないのか?」(レイ・ファラデイ・ネルスン
『ブレイクの飛翔』6、矢野 徹訳)「もともとの本質からして愛が永続するはずがない」(リサ・タトル『きず』幹 遙
子訳)。「われわれの本性は絶えまのない変化でしかない」(パスカル『パンセ』第六章・断片三七五、前田陽一訳)。「変
化は嬉しいものなのだ。」(ホラティウス『歌集』第三巻・二九、鈴木一郎訳)「運動は一切の生命の源である。」(『レオ
ナルド・ダ・ヴィンチの手記』「繪の本」から、杉浦明平訳)。
これから紹介する歌は、わたしと同年代か、少し上、あるいは、少し若い人たちが詠ったものである。


あきらめの森が拡がるこの雨に針がまじつて降つてくるまで                   (林 和清)

わが半身うしなふ夜半はとほき世の式部のゆめにみられていたり                 (林 和清)

空函(からばこ)にも天と地がありまんなかは木端微塵(こつぱ み じん)がよいかもしれぬ                  (笹原玉子)

終点でバスを降りると夏だつた、あふれる涙もぬぐはず歩いた                 (笹原玉子)

一秒と一千秒が等しく過ぐる花降る午後の有元利夫                      (和田大象)

憤怒など地中に深く眠らせむ寝言ひとこと「このど蒟蒻!」                  (和田大象)

「蠅はみんな同じ夢を見る」といふ静けき真昼 ひとを待ちをり               (魚村晋太郎)

人間の壊れやすさ、と思ひつつ炙られた海老の頭をしやぶる                 (魚村晋太郎)

誰か飛行機雲につながるイメージでぼくを見てゐる誰なんだろう                (西田政史)

ジーンズがはりつくほどの夕だちに似てゐるきみの人差し指は                 (西田政史)


「現代の芸術、引き裂かれ緊張した芸術は常にわたしたちの不調和、苦悩、不満から生まれてくるものではないか。」
(サバト『英雄たちと墓』第IV部・3、安藤哲行訳)「愛によって、芸術によって、貪欲によって、政治によって、労
働によって、遊戯によって、われわれは自分のつらい秘密を言い表わすことを学ぶ。人間であるだけではまだ自分自身
の半分にすぎず、あとの半分が表現なのだ。」(エマソン『詩人』酒本雅之訳)。しかし、それにしても、なんと玲瓏華
美な歌たちであろうか。すさまじいレトリックの塊たちである。彼らの苦悩が、このような音楽となり、意味となっ
たのである。現代歌人たちは、ここまで到達したのである。ここまで追いつめられているのである。

 これまでのわたしの詩作の歴史を、前期と後期の二つに大別すると、たとえば、前期には、「高野川」や「夏の思
い出」や「水面に浮かぶ果実のように」のように、思い出や書きたいことがまずあって、それを言葉に紡いでいくと
いう手法でなされたものが多く、後期には、これから紹介する、「みんな、きみのことが好きだった。」や「頭を叩く
と、泣き出した。」や「マールボロ。」のように、取り掛かる前に、まず言葉の断片があって、それから、それらをつ
なぎ合わせて、一つの情感なり、一つの精神状態のようなものを作り出していくという、コラージュ的な手法でなさ
れたものが多い。手法が変わるきっかけになったのは、やはり、引用のコラージュで制作した第二詩集の『The
Wasteless Land.』(書肆山田、一九九九年)であろうか。前期の詩では、わたしが言葉と出会って、わたしのなかに
折りたたまれていた光や音が解放されていったような気がするのだが、後期の詩では、わたしが言葉と出会った瞬間
に、わたしのなかに折りたたまれていた光や音が自らの光や音を解き放つと同時に、もともとその言葉のなかに折り
たたまれていた光や音をも解放していったような気がする。あるいは、逆に、言葉がわたしと出会った瞬間に、もと
もとその言葉のなかに折りたたまれていた光や音が自らの光や音を解き放つと同時に、わたしのなかに折りたたまれ
ていた光や音をも解放していったのだろうか。いずれにせよ、もちろん、最終的に解放された光や音は、わたしのな
かに折りたたまれていたものでもなかったし、もともとその言葉のなかに折たたまれていたものでもなかった。それ
らが共鳴し合って、新しく生み出された光や音であった。先に引用したノヴァーリスの「真の始まりは自然詩である。
終末は第二の始まり──そしてそれは芸術詩である。」という言葉が思い起こされる。


みんな、きみのことが好きだった。


ちょっといいですか。
あなたは神を信じますか。
牛の声で返事をした。
たしかに、神はいらっしゃいます。
立派に役割を果たしておられます。
ふざけてるんじゃない。
ぼくは大真面目だ。
友だちが死んだんだもの。
ぼくの大切な友だちが死んだんだもの。
without grief/悲しみをこらえて
弔問を済まして
帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
absinthe/ニガヨモギ
悲しみをこらえて
ぼくは帰ってきたんだもの。
Repeat after me!/復唱しろ!
誕生日に買ってもらった
ヴィジュアル・ディクショナリー、
どのページも、ほんとにきれい。
パピルス、羊皮紙、粘土板。
食用ガエルの精巣について調べてみた。
アルバムを出して、
写真の順番を入れ換えてゆく。
海という海から
木霊が帰ってくる。
声の主など
とうに、いなくなったのに。
Repeat after me!/復唱しろ!
いじめてあげる。
吉田くんは
痛いのに、深爪だった。
電話を先に切ることができなかった。
誰にも、さからわなかった。
みんな、吉田くんのことが好きだった。
Repeat after me!/復唱しろ!
ぼく、忘れないからね。
ぜったい、忘れないからね。
おぼえておいてあげる。
吉田くんは、仮性包茎だった。
勃起したら、ちゃんとむけたから。
ぼくも、こすってあげた。
absinthe/ニガヨモギ
Repeat after me!/復唱しろ!
泣いているのは、牛なのよ。
幼い男の子が
ぼくの頭を叩いて
「ゆるしてあげる」
って言った。
話しかけてはいけないところで
話しかけてはいけない。
Repeat after me!/復唱しろ!
ごめんね、ごめんね。
ぼくだって、包茎だった。
without grief/悲しみをこらえて
absinthe/ニガヨモギ
もっとたくさん。
もうたくさん。


 この詩が、わたしの作品のなかで、もっとも音調的に美しいものだと、また、作品自体の出来としても、もっとも
すぐれたものだと自負しているものである。ところで、この詩のなかに、「アルバムを出して、/写真の順番を入れ換
えてゆく。」という詩句があるが、もちろん、じっさいの人生においては、出来事の順番を替えることなど、できるこ
とではない。ただ記憶の選択と解釈の違いによって、その意味を捉えなおすことができるだけである。後々、あると
き、つぎのような表現を目にして、すごいものだと感心させられた。このような文章が書けるのは、ごく限られた作
家だけであろう。そのすさまじい洞察力が窺い知れる。

 彼の笑顔はこの世にふたつとない笑顔だ。その笑顔を向けられると、人生で出くわすありとあらゆる不幸をそこに
見るような気がする。ところが顔に浮かんだその不幸を、彼はあっという間に順序よく並べ替えてしまう。それを見
ていると、今度は急に「ああそうか、心配することはなかったんだ」と感じるのだ。だから彼と話をするのは楽しい。
その笑顔をしょっちゅう浮かべて、そのたびに「ああそうか、心配することはなかったんだ」と感じさせてくれるか
らだ。
(ダグラス・アダムス『さようなら、いままで魚をありがとう』31、安原和見訳)


 作品のなかでは、出来事の順番を替えることなど、簡単である。また、替えるごとに、違った作品が出来上がる。
ただ、「時と場所」(アンナ・カヴァン『失われたものの間で』千葉 薫訳)、「それをならべかえる」(カール・ジャコビ
『水槽』中村能三訳)。それだけでよい。まさしく、「好きなように世界が配列できるのだ」(スタニスワフ・レム『天
の声』17、深見 弾訳)。

 つぎに紹介する詩は、わたしの作品のなかで、韻律的にもっとも複雑な仕掛けが施されたものである。韻律の創造
と破壊を交互に繰り返しながら進行していくのだ。内容は、「みんな、きみのことが好きだった。」ほど整ってはいな
いが、そうであるがゆえに、より凝縮した印象を与えるものとなっている。というのも、言葉というものが新たな意
味を獲得するにつれて、よりいっそうその言葉らしさを身につけるように、「外部の多様性が増すに連れて、内部統一
が生み出される」(ノヴァーリス『対話・独白』今泉文子訳)からである。「詩は、火、身振り、血、叫びなどの種々相
をただ一点に集めて互いに鬩(せめ)ぎ合わせるのである。」(アントナン・アルトー『ヘリオガバルス』III、多田智満子訳)「多
様性から力を引き出して」(ベルナール・ウェルベル『蟻』第2部、小中陽太郎・森山 隆訳)、「多様にちらばっている
ものを綜観して、これをただ一つの本質的な相へまとめること。」(プラトン『パイドロス』藤沢令夫訳)「人びとは理
解しないのだ、いかにして、拡散するものが(拡散するにもかかわらず)自己のうちに凝集しているかを。」(『ヘラク
レイトス断片51』廣川洋一訳)「多なるものから一なるものになる」(エンペドクレス『自然について』一七、藤沢令夫
訳)。「すべては寄り集まってただ一つのものとなる」(エンペドクレス『自然について』三五、藤沢令夫訳)。


頭を叩くと、泣き出した。


カバ、ひたひたと、たそがれて、
電車、痴漢を乗せて走る。
ヴィオラの稽古の帰り、
落ち葉が、自分の落ちる音に、目を覚ました。
見逃せないオチンチンをしてる、と耳元でささやく
その人は、ポケットに岩塩をしのばせた
横顔のうつくしい神さまだった。
にやにやと笑いながら
ぼくの関節をはずしていった。
さようなら。こんにちは。
音楽のように終わってしまう。
月のきれいな夜だった。
お尻から、鳥が出てきて、歌い出したよ。
ハムレットだって、お尻から生まれたっていうし。
まるでカタイうんこをするときのように痛かったって。
みんな死ねばいいのに、ぐずぐずしてる。
きょうも、ママンは死ななかった。
慈善事業の募金をしに出かけて行った。
むかし、ママンがつくってくれたドーナッツは
大きさの違うコップでつくられていた。
ちゃんとした型抜きがなかったから。
実力テストで一番だった友だちが
大学には行かないよ、って言ってた。
ぼくにつながるすべての人が、ぼくを辱める。
ぼくが、ぼくの道で、道草をしたっていいじゃないか。
ぼくは、歌が好きなんだ。
たくさんの仮面を持っている。
素顔の数と同じ数だけ持っている。
似ているところがいっしょ。
思いつめたふりをして
パパは、聖書に目を落としてた。
雷のひとつでも、落としてやろうかしら。
マッターホルンの山の頂から
ひとすじの絶叫となって落ちてゆく牛。
落ち葉は、自分の落ちる音に耳を澄ましていた。
ぼくもまた、ぼくの歌のひとつなのだ。
今度、神戸で演奏会があるってさ。
どうして、ぼくじゃダメなの?
しっかり手を握っているのに、きみはいない。
ぼくは、きみのことが好きなのにぃ。
くやしいけど、ぼくたちは、ただの友だちだった。
明日は、ピアノの稽古だし。
落ち葉だって、踏まれたくないって思うだろ。
石の声を聞くと、耳がつぶれる。
ぼくの耳は、つぶれてるのさ。
今度の日曜日には、
世界中の日曜日をあつめてあげる。
パパは、ぼくに嘘をついた。
樹は、振り落とした葉っぱのことなんか
かまいやしない。
どうなったって、いいんだ。
まわるよ、まわる。
ジャイロ・スコープ。
また、神さまに会えるかな。
黄金の花束を抱えて降りてゆく。
Nobuyuki°ハミガキ。紙飛行機。
中也が、中原を駈けて行った。


 最後に紹介する詩は、わたしの作品のなかで、わたしがもっとも気に入っているものである。これはまた、わたし
にとって、わたしの詩にとって、もっとも大事なことを教えてくれた作品でもある。


マールボロ。


彼には、入れ墨があった。
革ジャンの下に無地の白いTシャツ。
ぼくを見るな。
ぼくじゃだめだと思った。
若いコなら、ほかにもいる。
ぼくはブサイクだから。
でも、彼は、ぼくを選んだ。
コーヒーでも飲みに行こうか?
彼は、ミルクを入れなかった。
じゃ、オレと同い年なんだ。
彼のタバコを喫う。
たった一週間の禁煙。
ラブホテルの名前は
『グァバの木の下で』だった。
靴下に雨がしみてる。
はやく靴を買い替えればよかった。
いっしょにシャワーを浴びた。
白くて、きれいな、ちんちんだった。
何で、こんなことを詩に書きつけてるんだろう?
一回でおしまい。
一回だけだからいいんだと、だれかが言ってた。
すぐには帰ろうとしなかった。
ふたりとも。
いつまでもぐずぐずしてた。
東京には、七年いた。
ちんちんが降ってきた。
たくさん降ってきた。
人間にも天敵がいればいいね。
東京には、何もなかった。
何もなかったような顔をして
ここにいる。
きれいだったな。
背中を向けて、テーブルの上に置いた
 飲みさしの
缶コーラ。


 これは、わたしの体験ではない。わたしの現実ではない。ゲイの友人に、東京での思い出を、ルーズリーフに書き
出してもらって、その「部分部分を切り貼りして」(デニス・ダンヴァーズ『エンド・オブ・デイズ』上・7、川副智
子訳)つくったコラージュ作品である。しかし、「個人は、自分の人生体験にもとづくイメージや象徴でものを考える
のであり、二人の個人が共通の人生経験をもっていなければ、ふたりが分かちあうすべては混乱となる」(ウィリアム・
テン『脱走兵』中村保男訳)。わたしも似た経験をしているので、友人の体験を、自分の体験に照らし合わせて感じと
ることができたのであろう。そしてまた、出来上がったばかりのこの作品に目を通していると、「急にそれらの言葉が
まったく新しい意味を帯びた」(ジェイムズ・P・ホーガン『仮想空間計画』34、大島 豊訳)ような気がしたのであ
る。「マールボロ。」の言葉となってはじめて、ようやく、それらの言葉が、真の意味を獲得したのではないか、とま
で思わせられたのである。そうして、この作品は、いまでは、わたし自身の経験となっているのである。

 それというのも、彼らが浴びたシャワーの湯しぶきのきらめきが、わたしのなかに飛び込んできたからである。わ
たしのなかにある、さまざまな思い出のなかに。なかでもとりわけ、わたしのなかにある、ノブユキとの思い出のな
かに。わたしの全存在が、そのシャワーの湯しぶきのきらめきを見つめる。さまざまな瞬間のわたしが、さまざまな
わたしの、瞬間という瞬間が、その湯しぶきのきらめきを見つめる。あらゆる瞬間のわたしが、その湯しぶきのきら
めきを見つめるのだ。なかでもとりわけ、ノブユキといっしょにシャワーを浴びたわたしの目が、「マールボロ。」の
なかの彼らが浴びたシャワーの湯しぶきのきらめきを見つめるのである。それゆえ、ノブユキとふざけ合いながらい
っしょに浴びたシャワーの湯しぶきのきらめきが、そのときのノブユキの笑い声とともに鮮やかに思い出されたので
ある。「マールボロ。」をつくっているときには、ノブユキといっしょに浴びた、あの湯しぶきのきらめきなど、まっ
たく思い出さなかったのに、出来上がった「マールボロ。」を読んだとたん、すぐにノブユキといっしょに浴びたシャ
ワーの湯しぶきのきらめきが思い出されたのである。しかも、そうしていったん思い出されてしまうと、こんどは、
ノブユキといっしょに浴びたあの湯しぶきのきらめきの方が、「マールボロ。」という作品を、わたしにつくらせたの
ではないか、とまで思われ出したのである。他の言葉もその湯しぶきを浴びる。すべての言葉がその湯しぶきを浴び
て、すべての言葉がノブユキとの愛を語っているように感じられたのである。これは事実に反する。矛盾している。
しかし、印象としては、あるいは、感覚としては、事実に反していないのである。矛盾してはいないのである。また、
そういった印象は、あるいは、感覚は、意識領域のみならず、無意識領域に眠っている記憶をも刺激するのである。
先に、わたしは、「韻律はリズムを生み、言葉に躍動感を与える。すると、読み手のこころは大いに喜ぶ。それが、愛
の本性に適ったことだからである。」と述べた。現実と非現実の間で揺れ動くことの喜びも、矛盾した情感の間で揺れ
動くことの喜びもまた、愛の本性に適ったことなのであろう。

 愛の本性といえば、プラトンの『饗宴』のなかで、ソクラテスに向かって、「愛の奥義に到る正しい道とは(……)
結局美の本質を認識するまでになることを意味する。」「生がここまで到達してこそ、(……)、美そのものを観るに至っ
てこそ、人生は生甲斐があるのです。」(久保 勉訳)と語ったディオティマの話が思い出される。わたしもまた、ノブ
ユキといっしょに浴びたあのシャワーの湯しぶきのきらめき、その飛沫の一粒一粒の光が発するきらめきを通して、
美そのもの、生の本質そのものに辿り着くことができるような気がしたのである。「誰に真実がわかるだろう。」(ダグ
ラス・アダムス『宇宙の果てのレストラン』29、風見 潤訳)。だれに生のすべての真実がわかるだろう。わかりはし
ないだろう。しかし、わかるのではないかと思わせられたのである。わたしたちは、直接の体験だけから、生のすべ
ての真実を知ることができるだろうか。愛そのもの、悲しみそのものが、直接、わたしたちのもとに訪れるわけには
いかない。それらは、ある時間や場所や出来事として、わたしたちの前に姿を現わすだけである。わたしたちにでき
るのは、ただ、そうして訪れた、一つ一つ、別々の時間や場所や出来事に、一つ一つ、別々の愛のさわりを感じとり、
悲しみのさわりを感じとることができるだけである。それだけでも大したことなのだが、やはり、わたしたちは、自
分たちの直接の体験だけから、生のすべての真実を知ることはできないのであろう。他者の体験を見聞きしたり、芸
術作品に接したりしたときに、自己の生のすべての真実を知ったような気になることがあるのだが、それは、そうい
ったものを通して、じっさいに、生の真実が、その真実の一部を、わたしたちに垣間見させてくれるからであろう。
閉じ込められた精神のなかでは、精神そのものが、そのなかをぐるぐると堂々めぐりするしかない。自分の体験のな
かにいるだけでは、その限りにおいては、人間は自分の体験をほんとうに認識することなどできないであろう。それ
に、自己の体験からのみ喚起された感情というものも、じっさいのところ、わたしたちにはないのではなかろうか。
もしあると思われても、それは、自己の体験からのみ喚起された感情ではないのではなかろうか。わたしたちは、他
者の経験との比較によって、ようやく自分のなかに、ほんとうの感情を喚起させられるのではなかろうか。もちろん、
じっさいの体験を通してのものではないどのような感情も、ほんとうの感情ではないのだし、理解するということも、
また同様に、じっさいの体験を経て実感するという経験をしていなければ、けっして、ほんとうの意味では理解する
ということにはならないものである。しかし、ほんとうの感情になるためには、自己の生の真実の一部を虚偽と交換
する必要があるのではないだろうか。じっさいの体験と同様に、そのような経験も必要なのではないだろうか。引用
による詩を数多く書いてきて、わたしはいま、そのことに気づかせられたのである。真実が、よりたしかな真実さを
獲得するためには、その真実の一部を虚偽と交換する必要があると考えられたのである。真実の一部を虚偽に譲り渡
し、虚偽の一部を真実のなかに取り込む必要があると考えられたのである。芸術作品が、それを見たり聞いたりする
者に、その者の生をより切実に実感させることがあるというのも、その者自身の生の真実の一部を、虚偽と交換する
というところからきているのではないだろうか。ノヴァーリスの「活性化とは、わたし自身の譲渡であると同時に、他
の実体を我がものとすること、もしくは自分のものに変成しなおすことである。」(『断章と研究 一七九八年』今泉文
子訳)という言葉が思い起こされる。

 そのとき、彼らが出会ったポルノ映画館には、わたしはいなかった。そのとき、彼らが入ったラブホテルには、わ
たしは行かなかった。そのとき、彼らがいっしょに浴びたシャワーを、わたしは浴びなかった。そのとき、彼が目に
したその青年の背中の入れ墨を、わたしは見なかった。そのとき、その青年がガラスのテーブルの上に置いた缶コー
ラを、わたしは見なかった。しかし、「マールボロ。」という作品が出来上がった瞬間に、その言葉たちを通して、わ
たしは、彼らのいた時間と場所に現われたのである。彼らがいたそのポルノ映画館に、わたしもいたのだ。彼らが入
ったそのラブホテルに、わたしも入ったのだ。彼らがいっしょに浴びたシャワーを、わたしも浴びたのだ。彼が目に
したその青年の背中の入れ墨を、わたしも見たのだ。青年がガラスのテーブルの上に置いたその缶コーラを、わたし
も見たのだ。なぜなら、彼らが出会ったそのポルノ映画館は、わたしがノブユキとはじめて出会ったゲイサウナと同
じ場所だったからであり、彼らが入ったラブホテルの部屋は、ゲイディスコで声をかけられた夜について行ったフト
シの部屋と同じ部屋だったからであり、彼らが浴びたシャワーは、わたしがタカヒロとふざけてかけ合った琵琶湖の
水と同じ水だったからであり、彼が目にした青年の背中の入れ墨は、わたしがエイジの背中に指で書いた薔薇という
文字と同じものだったからであり、その青年がガラスのテーブルの上に置いた缶コーラの側面のラベルは、わたしが
ヤスヒロの手首につけた革ベルトの痕と同じ模様だったからである。

「ああ、ぼくの頭はどうしたんだろう?」(シオドア・スタージョン『人間以上』第三章、矢野 徹訳)「自分自身の
ものではない記憶と感情(……)から成る、めまいのするような渦巻き」(エドモンド・ハミルトン『太陽の炎』中村 融
訳)。「これは叫びだった。」(サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』伊藤典夫訳)「わたしの世
界の何十という断片が結びつきはじめる。」(グレッグ・イーガン『貸金庫』山岸 真訳)「今まで忘れていたことが
思い出され、頭の中で次から次へと鎖の輪のようにつながっていく。」(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己
訳)「あらゆるものがくっきりと、鮮明に見えるのだ。」(ポール・アンダースン『脳波』2、林 克己訳)「過去に
見たときよりも、はっきりと」(シオドア・スタージョン『人間以上』第二章、矢野 徹訳)。「それはほんの一瞬だった。」
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『一瞬(ひととき)のいのちの味わい』3、友枝康子訳)「ばらばらな声が」(フエンテス『脱
皮』第二部、内田吉彦訳)「一つになる」(ロバート・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)。「突然の認識」(テリ
ー・ビッスン『英国航行中』中村 融訳)。「あらゆるものがあらゆるものと」(ホルヘ・ギリェン『ローマの猫』荒井正道訳)
「たがいに与えあい、たがいに受け取りあう。」(ヴァレリー『ユーパリノス あるいは建築家』佐藤昭夫訳)「あ
らゆるディテールが相互に結びついたヴィジョン。」(R・A・ラファティ『他人の目』2、浅倉久志訳)。

「あらゆる個人のなかに共通の精神が宿っていて、」(エマソン『霊の法則』酒本雅之訳)「それがまったくちがった
人々や場所、出来事をむすびつけている」(イアン・ワトスン『エンベディング』第一章、山形浩生訳)。「万物を貫ぬ
くその同一性がわれわれすべてをひとつにし、われわれの平常の尺度ではまことに大きなへだたりを、まったくないも
のにしてしまう。」(エマソン『自然』酒本雅之訳)「「貫通するものは一なり。」と芭蕉は言つた。」(川端康成『日本美
の展開』)「この境界線はあらゆる物のなかを貫いて走っている。」(ノサック『クロンツ』神品芳夫訳)「精神が共感し
て振動を起こす/ひとつの場所がある」(リルケ『鎮魂歌』高安国世訳)。「さまざまな世界を同時に存在させることが
できる。」(イアン・ワトスン『知識のミルク』大森 望訳)「これは共在する存在の領域。」(ジャック・ウォマック『テ
ラプレーン』6、黒丸 尚訳)。

「結局、精神構造とは、一個の複雑な出来事ではなかろうか?」(バリントン・J・ベイリー『王様の家来がみんな
寄っても』浅倉久志訳)「ひとができごとを、できごとがひとを作る。」(エマソン『運命』酒本雅之訳)「人生の中で、
お互いに何年も隔たった存在なのに」(シオドア・スタージョン『ヴィーナス・プラスX』大久保 譲訳)、「すべての物
事が」(コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り』浅倉久志訳)、「すべての場所が一つになる」(ロバー
ト・シルヴァーバーグ『旅』2、岡部宏之訳)、「たったひとつの事実になろうとする。」(エマソン『償い』酒本雅之訳)。

「マールボロ。」の言葉が、その言葉の輝きが、違った光を、一つに結びつけていくのだ。違った時間のわたしを、
違った場所のわたしを、違ったわたしであったわたしを、ただ一人のわたしにするために。違った光が、一つの光に
なろうとするのだ。そして、それはまた、同時に、一つ一つの光が違ったものであることを、自ら知るために。違っ
た光が、一つの光になろうとするのだ。さまざまな瞬間に、わたしを存在させるために。違った光が、一つの光にな
ろうとするのだ。さまざまな場所に、わたしを存在させるために。違った光が、一つの光になろうとするのだ。さま
ざまなわたしを存在させるために。わたしであったわたしだけではなく、わたしでありたかったわたしや、わたしが
一度としてこうありたいと思い描いたことのなかったわたしをも。

 わたしのなかのいくつもの日の、いくつもの時間が、いくつもの光景の、いくつもの光が、「マールボロ。」とい
う、わたしが体験しなかった体験を通して、わたしの友人の言葉を通して、互いに照射し合い、輝きを増すのである。
光が光を呼ぶのである。瞬間が瞬間を呼んで永遠になるように。それが、実体験以上に実体験であると感じられるの
は、いくつもの体験を、ただ一つの体験として感じられるからであろう。もちろん、意識としては、別々の体験であ
ることを知ってはいても、感覚として、ただ一つの体験であると感じられるからであろう。そして、その感覚は、友
人の体験という、自分の体験ではないものをも自己の体験として組み入れるのであろう。それが、自分のじっさいの
体験ではないと意識の上では知ってはいても。いや、知っているからこそ、そうするのかもしれない。矛盾している、
と。混沌ではなく、混乱でもなく、混雑でもなく、矛盾している、ということを知っているからこそ。そうして、そ
の感覚は、わたしを、さまざまなものの前で開く。わたしを、さまざまな時間に存在させる。わたしを、さまざまな
場所に出現させる。わたしを、さまざまな出来事と遭遇させるのである。そうして、わたしではないものをも、わた
しであるという感じにさせるのである。彼らが入ったラブホテルの、そのシャワーの湯のあたたかさが、わたしの肌
となるように。そのシャワーの湯しぶきのきらめきが、わたしの目となるように。そのシャワーの湯しぶきの蒸気に
満ちたシャワー室そのものが、わたしの息となるように。

 ああ、それにしても、「いまだにみんながきみの愛について語ることをしないのは、いったいどうしたことなのだろ
う。」(リルケ『マルテの手記』高安国世訳)。どうしてなのだろう。あれらは、愛ではなかったのだろうか。わたしは、
愛を語らなかったのだろうか。あれらは、あのわたしは、愛ではなかったのだろうか。「だれにおまえは嘆こうという
のか、心よ。」(リルケ『嘆き』高安国世訳)「すべては一つの物語なのである。」(アーシュラ・K・ル・グィン『闇の
左手』1、小尾芙佐訳)「詩は喜びに始まり、叡(えい)智(ち)に終わる。」(ダン・シモンズ『ケリー・ダールを探して』III、嶋田
洋一訳)。


坂道と少年

  田中宏輔



夏陽がじっくりと焦がす
白い坂道の曲がり角
大樹の木陰、繁り合う枝葉
セミの声
見上げる少年と虫捕り網

身体を揺らしながら
爪先立って手を伸ばす少年
ぼくは坂を下り
空の虫籠に
短い命を入れてやった

片手で押さえた麦藁帽子
ぼくを見上げる夏の顔
昆虫と引き換えに
ぼくが受け取った笑顔は
最上の贈り物だった

足早に坂をかけ上る少年
脇に挟んだ虫捕り網
揺れる虫籠
白い坂道
夏の日

いまはまだ大きく揺れる虫籠も
いつの日か、きっと
その紐が切れるぐらいに
重くなるだろう
そのとき少年は振り返って

坂道を下りてくる
腕は太くなり
胸は厚くなって
少年は、少年を越えた日に
坂道を下りてくる

そのとき彼は
大樹の陰に見るだろう
幼かった日の自分を
輝きに満ちた日を
懐かしいときを

世界がまだ自分より
ずっとずっと大きかった
あの頃を
あの日々を
あの夏の日を

夏と
少年と
白い坂道
ぼくのなかでは
何もかもが輝いていた


アルビン・エイリーが死んじゃった。

  田中宏輔



ねえ Maurice 憶えているかい
ぼくらが いっしょに行った 二条城
あの夏の日 修学旅行に来ていた 中学生たちを
黒人の きみのこと ジロジロ 見てったね
何だか ぼくも 恥ずかしかったよ
あ その中学生たちの したことがだよ
ねえ Maurice きみは憶えているかい
あの小石の 砂利の 乾いた砂の 踏みざわりを
雲 ひとつなかった あの日の 青い空を
あの日は きみと過ごした 最後の日だったね
とはいっても きみといたのは わずか三日
たった それだけの あいだだったけれど
でも ほんと 楽しかったよ
きみのこと 夢中に なっちゃったよ
ぼくは I love you っていったね
けれど きみは love じゃなくって
like だって いった
いまなら ぼくも それは わかるさ
だけど あの日は わからなかった
五年前の あの日には わからなかった
あの日 あの夏 あの晩 ぼくらは
アルビン・エイリーの公演を 見に行ったね
ぼくは 「無言歌」がいい っていった
きみは 「プレシピス」がいい っていった
ああ あのアルビン・エイリーが死んじゃった
あの日 あの夏 あの晩 楽屋で
いっしょに会った アルビン・エイリーが
サンフランシスコの 劇場で 踊ってるきみに
声をかけてきた あのアルビン・エイリーが
あれは きみがいた 劇団と違って
黒人だけの 舞踏団だったね
いや なかに 日本人が 何人かいたね
でも きみが 一番 カッコよかったよ
楽屋にいる だれよりも きみは カッコよかった
そして きみは あの日の 翌朝
東京にたっちゃった

ぼくは いま きみの文字を 見つめてる
走り書きされた 文字を 見つめてる

カッコよく ビッ って破られた メモ用紙

               
6-29-84
Atsusuke
I want to thank you for all of your
help and a very good time. Please keep
in touch with me. Love always.
            Maurice Felder

けれど あの日以来 
ぼくは 何度も 手紙を書いたのに
きみは ただの一度も 返事をくれなかった
ぼくは きみに貫かれて 貫かれたまま
どうすることも できなくって
受身に なって しまって
いつも だれかに 抱かれてなければ
貫かれてなければ ならなかった

ああ アルビン・エイリーが死んじゃった

五年前は まだ エイズなんて言葉
ゲイ・バーでも ポピュラーじゃなかった
スキン・キャンサーの新種が はやってるって
だれかがいってたけど ビニガー・セックス
ってので ふせげるって 話だった
そんな いい加減な 時代だった

ああ アルビン・エイリーが死んじゃった

きみは サンフランシスコに 帰っちゃった

ああ アルビン・エイリーが死んじゃった

きみは サンフランシスコに 帰っちゃった

ああ アルビン・エイリーが死んじゃった

いまなら ぼくは きみのメモを 捨てられる

いまなら ぼくは きみのメモを 捨てられる

さよなら Maurice  さよなら Maurice




    



        付記 
        
        この作品は、アルビン・エイリーがなくなった
        1989年の終わりに書いたものです。
        大学4年か、大学院生の1年のときに
        であった黒人の旅行者との実話をもとに
        書きました。
        大学の研究室には、「風邪で熱が出ているので
        休みます。」と言い、家には、「泊まりこみの
        実験で、三日間、研究室にとまることになった。」
        と嘘をつき、ゲイ・バーで知り合った Maurice と
        三日間、いっしょにいました。
        ECCの先生で、ゲイのカナダ人の友だちの家が
        広かったので、そこに二人とも泊まらせてもらって
        めちゃくちゃ楽しかった。
        その三日のうち、一日、ホームパーティーがあって
        イタリア人の白人女性が焦げたパイ生地を指差して
        まるであなたの肌みたいって Maurice に言って
        笑ったのだけれど、黒人の肌が黒いってことを
        ジョークにしてもいいんだって知らなかったから
        ぼくは彼女の言葉をドキドキして聞いてた。
        でも、言われた Maurice も笑ってたので
        ちょっと遅れて、ぼくも笑った。
        アルビン・エイリーの踊りを見に
        岡崎のシルクホールに行ったとき
        席が後ろだったのだけれど
        新撰組ってドラマに出てた俳優のひとが
        ぼくたちを見て、前のほうの席のチケットを
        くださって、ぼくたちは前のほうに移って
        舞踏を観てた。
        その俳優のひと、あとで知ったんだけど
        ゲイで有名なひとだった。
        ぼくたち、すぐにゲイのカップルって
        見破られたんだろうね。
        違うかなあ。
        まあ、Maurice、黒人だし
        めっちゃカッコよかったし
        ひときわ目立ったんだろうね。
 


歌仙「初真桑」の巻 ● 現代詩組

  田中宏輔



歌仙「初真桑」の巻 ● 現代詩組



                捌 魚村晋太郎
                  田中宏輔
                  矢板進




初真桑四にや断ン輪に切ン     松尾芭蕉   夏

 濡れたスプーンにからむ白南風     晋太郎 夏

しぶしぶとテレビ電話に微笑みて     宏輔  雑

 犬の旅出に土産をわたす        進   雑

吊革を揺らしてのぼる月の坂       晋  月秋

 老いた力士とジャン・ケン・ポン    宏   秋




おとうとの通信簿を棄て原爆忌      進   秋

 複眼で夕映えを見ている        晋   雑

バスルーム電気を消して向き合えば    宏  恋雑

 アイデアしぼる坑夫の情婦       進  恋雑

きぬぎぬの舌の上なる糖衣錠       晋  恋雑

 集団自殺はお日柄もよく         宏   雑

満月に不意のくさめをしてしまう     進  月冬

 らせん小路で買った襟巻        晋   冬

つけてくるぜんまい仕掛けのビルディング 宏   雑

 鳥がこぶしをにぎり囀る        進   春

花影の重みに耐える水面に        晋  花春

 春の少女(おとめ)らが糞尿(くそゆばり)す   宏   春


ナオ

うららかに午後の教諭の背が伸びて     晋   春

 やさしい顔の正五面体         進   雑

ムーミンも金で祖国を売買し        宏   雑

 火星の中華街で飲茶を         晋   雑

なんとなく返事がしたい臍(ほぞ)のあな   進  恋雑

 蛇をつつけば藪が出るのよ       宏  恋夏

箪笥という箪笥溢れる蝉時雨        晋   夏

 朝の格子に楽譜うかべて        進   雑

月のごとあなたのハゲも世を照らす    宏  月秋

 胡桃に潜む替玉の皺           晋   秋

うそ寒い空にはそらの真理あり      進   秋

 デカルトさんも秋刀魚に飽きて     宏   秋


ナウ

未来語でしりとりをする案山子たち    晋   秋

 乗り逃げされた豪華客船        進   雑

酔い痴れて瓶詰の地獄浸りおる      宏   雑

 ガーゼで包む脳の右側         晋   雑

花びらの裏と表がなくなる日       進  花春

 土筆かかえてアジトに向かう      宏   春





           一九九九年八月一日首九月十二日満尾


Opuscule。

  田中宏輔



誰(た)が定めたる森の入り口 夜明には天使の着地するところ *

睡つてゐるのか。起きてゐるのか……。

教会の天井弓型にくりぬいてフラ・アンジェリコの天使が逃げる *

頬にふれてみる。耳にもふれてみる。そつと。やはらかい……。

数式を誰より典雅に解く君が菫の花びらかぞへられない *

胸の上におかれた、きみの腕。かるく、つねつて……。

知つてゐた? 夜が明けるといふこんな奇蹟が毎日起こつてゐることを *

うすくひらかれたきみの唇。そつと、ふれてみる。やはらかい……。

君のまへで貝の釦をはづすとき渚のほとりにゐるごとしわれ *

指でなぞる、Angel の綴り。きみの胸、きみの……。

書物のをはり青き地平は顕れし書かれざる終章をたづさへ *

もうやはらかくはない、きみの裸身。やさしく、かんでみる……。


* Tamako Sasahara


ぶつぶつ。

  田中宏輔



わたしはサイくんのおしり
おしりにできたぶつぶつのおできです。

でもサイくんは、どんなにかゆくっても
てでかくことはできません。
(だって、てがとってもみじかいんだもーん)
あしでかくこともできません。
(だって、あしもとってもみじかいんだもーん)

だからサイくんは
テーブルのでっぱりでおしりをかこうとします。
かこうとしてそのテーブルのでっぱりに
とてつもなくおおきなそのおしりをくっつけて
ぐりぐりぐりぐりとこすりつけます。

わたしはサイくんのおしり
おしりにできたぶつぶつのおできです。

でもサイくんは、どんなにかゆくっても
おしりをかくことはできません。
(だって、へこんだところにいるんですものー、わたし)
それでもサイくんはおしりをふりふりふりふり
テーブルのでっぱりにぐりぐりぐりぐりしまーす。

あっ、ダンナさんがかえってきました。
サイくんのおしりがテーブルからはなれました。
じひびきたててはしりよるサイくん。
ほへほへほへーとへたりこむダンナさん。

かいて、かいてといいつけるサイくん。
ふにふにふにーとかかされるダンナさん。

わたしはサイくんのおしり
おしりにできたぶつぶつのおできです。

わたしはこんなサイくんがだいすきでーす。
わたしはこんなダンナさんがだいすきでーす。

ほほほほほほほ、ほっ。


100人のダリが曲がっている。

  田中宏輔



近くの公園で
ジョン・ダンの詩集を読んでいると
小さい虫がページのうえに

無造作に手ではらったら
簡単につぶれて
ページにしみがついてしまって

すぐに部屋に戻って
消しゴムで消そうとしたら
インクがかすれて
文字がかすれて
泣きそうになっちゃった。
買いなおそうかなあ。
岩波文庫・本体価格553円。
やっぱ、もったいないなあ。
めっちゃ腹が立つ。
虫に。
いや
自分自身に。
いや
虫と自分自身に。
おぼえておかなきゃいけないね。
虫が簡単につぶれちゃうってこと。
それに
なにするにしても
もっと慎重にしなきゃねって。
ふうって息吹きかけて
吹き飛ばしちゃえばよかったね。
きのう買ったビールでも飲もうかな。

これからつづきを
まだ、ぜんぶ読んでないしね。

ああ、しあわせ。
ジョン・ダンの詩集って
めっちゃ陽気で
えげつないのがあって
いくつもね。
ブサイクな女がなぜいいのか、とかね。
公園でも
吹き出しちゃったよ。
あまりにえげつなくってね。
フホッ。

石頭、
いつも同じひと。
どろどろになる夢を見た。

文学極道

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