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fiorina - 2014年分

選出作品 (投稿日時順 / 全1作)

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シャルロットの庭*

  fiorina

2001年9月11日の午前、私はパリ発の飛行機でロンドン、ヒース
ロー空港に向かっていた。(隣の席にアラブ系の女性が子ども連れで乗
っていた。)


私がそのことを初めて知ったのは、翌12日、ロンドンの宿を出る時で
、最初はテレビに映っている光景か何を意味するのかまるで理解できな
かった。受付にいた日本女性が説明してくれて、ようやく事件の一部を
知った。


その足で市内に出かけ、午後にはかねてから行きたかったキューガーデ
ンを訪れた。日本のテレビでしばしば紹介されていた庭園は、広大さは
想像以上だったが、期待したほどの感銘は受けなかった。もっとも、私
がまだ見ていない場所が、かなり残されていたに違いない。夕刻になっ
て、痛い足を引きずり、ほとんど迷子になりながら辿り着いたのが、「
シャルロットの庭」と言う夏期だけその門を開く小さな一角だった。既
に閉園近い庭に観光客らしい人影はなく、かなたに太陽を包んで重い雲
がかかっていた。入り口付近から幻想的な美しさで引き入れるような庭
のたたずまいに、足の疲れを忘れて踏み入った。


木のベンチに銀髪の老婦人が斜めに腰掛けて新聞を開いていた。古い手
紙でも読むに相応しい庭に、それはひどく不似合いな光景だった。新聞
の記事が何であるかは容易に想像が付いた。


庭は美しかった。
さっきまで見てきた場所もそれなりに美しいと言えるのだが、似て非な
る何かが領していた。あまりにも美しい場所というのは、死の気配がす
る。私はその庭を愛した人々の魂や、まだ其処かしこに見開かれたまま
の瞳、死者のささやきを木立の陰や自分の背後に感じた。花々の彩りは
むしろ沈んでいたが、夕暮れを押しとどめる華やかさがあった。


私と老婦人の他にもう一人いた。その庭を任されているらしい園丁だっ
た。彼もまた庭に相応しい美しい金髪の若者だった。けれども、異常に
痩せて蒼白な皮膚の色は、当時話題の不治の病を思わせた。彼は掘り返
した紫の花株を手に持って、新しい場所を物色していた。そう言う単調
な作業が、どのような歓びに溢れたものかを私もいくらか知っている逡
巡を、庭に溶けいるような静かさでくり返していた。おそらく庭は彼の
心の色でもあるのだった。


彼は新聞の記事を知っていただろうか。知っていたとしても、この庭の
中には、その記事の殺伐さは入ってきようがないのだと私は感じた。た
とえ、この場所までもが破壊されるような事態が起こったとしても、こ
の庭に息づいているものを誰も破壊することは出来ない。彼が配置し、
育て、染め上げた心の色を、今というこの瞬間を、誰も破壊することは
出来ないのだと。もし、私の想像通り、彼が不治の病に冒されていると
したら、その憂愁の中に最後の時まで、限りない憧憬として、心として
あることを、シャルロットの庭はやさしく見まもるにちがいなかった。

文学極道

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