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zero - 2014年分

選出作品 (投稿日時順 / 全17作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


I温泉郷

  zero

I温泉郷へ車で向かった。I温泉郷はF県北部に位置する伝統のある温泉郷である。I温泉郷へ向かう途中のトンネルを抜けてしばらく過ぎると、先ほど通過したのと同じ名前の蕎麦屋があった。おかしなこともあるものだと思いさらに道路を進んでいくと、いつの間にかもときた国道へと戻ってしまった。そこで私は気づいた。トンネルの出口を抜けるとトンネルの入り口から反対車線へ戻ってしまうのだと。トンネルの出口はそのまま逆方向に入り口に戻ってしまうのだ。だが、I温泉郷に行くにはそのトンネルを抜けるしか道はない。

I温泉郷へ車で向かった。I温泉郷はF県北部に位置する伝統のある温泉郷である。I温泉郷へ向かう途中のトンネルを抜けてしばらく過ぎると、交差点があり道路標識の板が見えた。右方に向かうと「未来」、左方へ向かうと「過去」、直進すると「現在」とのことだった。私は迷った。過去へ向かうと若返るのか、それとも一層歳をとるのか。現在へ向かうと時間の流れが停止してしまうのか、それとも現在は常々更新されていくのか。未来へ向かうと一気に数年分を跳ばしてしまうのか、それとも穏当に現在から連続する未来が続いていくのか。とりあえず「現在」に向かって直進した。すると山道を登っていく道になり、右折や左折を繰り返し山を下る段になると信号が赤になった。横断歩道を渡っていく男がいて、どこかで見たことがあると思ったら私自身だった。途端に私は横断歩道を渡っていて、左を見ると私が車に乗って停止していた。私はそのまま町内会の集まりに向かった。いつも通りの年寄りたちのメンバーで、酒を酌み交わしながら新しいゴミ捨て場について意見交換をした。私はそのままI温泉郷にある自宅に帰り、妻と共にテレビを見て、その後入浴し就寝した。

I温泉郷へ車で向かった。I温泉郷はF県北部に位置する伝統のある温泉郷である。I温泉郷へ向かう途中のトンネルを抜けてしばらく過ぎると、古びた小さな観光案内所があり、中には中年のおばさんがいた。初めてくる場所なのでどこに行ったらよいのか聞こうと思って、私は案内所の駐車場に停車し、案内所の扉を開けた。中に入ってみると、それは案内所どころではなく、I温泉郷のすべてだったのだ。内側は広大になっており、おばさんは沢山の入浴場を地図を使って紹介してくれた。私はI温泉郷マップを手に携えて、とりあえず価格の穏当なところを5か所くらい梯子した。タイル張りで狭いところ、檜風呂で広いところ、下に砂利が敷いてあったり、露天風呂だったり、案内所の中にはたくさんの温泉があり、沢山の入浴客でにぎわっていた。案内所のおばさんは毎回私と一緒に風呂に入り、温泉ごとに体つきと顔が若返っていった。私が案内所を去るころには、高校生くらいの若くて美しい姿で見送ってくれた。

I温泉郷へ車で向かった。I温泉郷はF県北部に位置する伝統のある温泉郷である。I温泉郷へ向かう途中のトンネルを抜けてしばらく過ぎると、急に人々の集団に道を阻まれた。私は危険なので停車し、様子をうかがった。押しかけてきた人々は、人種も性別も身なりもてんでバラバラであり、この人たちを結びつけているものはいったいなんなのだろうと思った。白人の老人が何かを叫んでいる。中国人の若者がガムをかんでこちらをにらんでいる。黒人の太った女性がどっしりと構えている。私は日本人らしい老婆を見出し、話しかけてみた。「ここに来る途中にあった進入禁止の標識を見なかったのかい。柵があって入れなくなっていたはずだがねえ。」老婆はそう言った。ところが標識も柵もなかったのだ。「ここに入った以上二度と戻れないよ。この村にはたくさん秘密があるんだ。」私は人々に連行されて、村の長の前に突き出された。「この村の存在をどうやって知ったんだ」長は私に問い詰めた。確かに、I温泉郷は実は私が秘密文書からその存在を推知した場所だった。現在の地図には載っていないし、政府によってごく自然に存在が抹消された場所だった。ここでは人間の品種改良が行われているらしいということを私は知った。「お前は何か特殊な能力をもっているか? でなければこの場で殺す。」長は私にそう告げた。幸い私は知能指数が200だったので、一命を取り留めた。そして、毎晩のように色んな女性と交わっている。


時間

  zero

大学を出たあと、私は郷里に帰り塾講師として働いていた。郷里は自然の風景が多分に残っている田舎町であり、私の家もまた自然に取り囲まれていた。朝、鳥たちの声と影を庭に認めながら、朝陽を浴びた庭木の輝きに緩やかに身を整える。雪が融け、凍った大気と光も徐々に融解していく中、間歇的に訪れる春に身をほどく。家の軒先と野原や果樹園にまばらながら花々が咲き始め、やがて花の嵐となる。そんな風に自然の時間は流れていき、私はその流れに身を委ねていた。一方で、午後からの塾での個人指導の流れもある。タイムカードを押して、生徒にあいさつして、勉強する内容を指示、答え合わせ、間違った部分を解説、そして次の生徒へ。労働は私の表面も内面も規律し、労働の時間の流れにも私は身を委ねていた。

そんな春のある日、本棚を整理していたら、学生時代に購入したカントの『純粋理性批判』ドイツ語原典を再び見出した。途端に、私の中に甘く苦しい感傷が流入してくるのがわかった。私は本来大学院に残って哲学の研究者になるのが夢だった。それは経済的な理由などにより諦めたのだけれど、その夢の挫折の傷口が急に開いてしまったのだ。私の中に流入したのは、何よりも私固有の時間だった。自然の時間や労働の時間によって覆い隠されていた私固有の時間が、夢の挫折という形でくっきりと、そのとき悠々たる流れを眼前に現したのだ。自然の時間の流れは、雄大で全方位的で極めて優しい。私はその流れに自分の卑小さを解消させていた。労働の時間の流れは、社会的で肯定的で極めてリズムが良い。私はその流れによって自分が承認されるのを快く思っていた。だが、自然と労働の流れに身を委ねているうち、私は自分固有の時間の流れを見失ってしまっていたのだ。それは沢山の屈折と傷と闇とねじれに彩られているもので、だからこそあえて見ないようにしていたのかもしれない。

私はいくつもの時間を生きている。他者との交わりの時間、自然に抱かれる時間、社会の仕組みに従う時間、余暇にふける時間。私はそれと同時に、私固有の何よりも強靭で鋭い時間を最も深く生きている。だがそれは、最も隠蔽されやすく、最も自明な時間でもある。自然の時間も労働の時間も、その発祥の基礎には私固有の時間がある。私は『純粋理性批判』を棚に戻すと、こみあげる涙を辛うじてこらえた。私固有の時間が、今これから白日の下に再び始まる。自然や労働の時間を織り直すように。


無色の欲望

  zero

始まりと終わりはどこまでも流れ落ちていくので
現在の幅に射し込む水の光だけで流れていく渓流
岩は感情のように水の流れを変え
木の葉は矜持のように水の面を彩る
僕はその川の方向のような
一個の論理になりたい
一個の機械的な連鎖を生み出す機関になりたい

建築はどこまでも増えて土地の限界を試し続ける
人々は関係から関係へと包括と還元を繰り返す
都市は修辞のように人の心をあいまいにし
社会は定型のように人の手足の歌を規律する
僕はその社会の照明のような
一個の概念になりたい
一個の明晰な理解を生み出す関数になりたい

この世でたった一人であるがゆえの孤独
歴史の中の特異点であるがゆえの寂寥
誰とも最終的には分かりえない絶望
僕はその唯一性に反逆を企てて
一個の無色の欲望になりたい
誰とでも分かち合え分かり合える
この世にも歴史にも何回も登場する
何の個性もない生きる欲望になりたい


古い人

  zero

古い人よ
あなたの残してきた足跡が
時間の湖に一つずつ落ちる音がして
僕はそこに誰にも使われなかった時計の針を見る
新しい村に深く棲み付きながら
あなたの姿は目に見える姿とは別の姿だ
あなたの声はこだまを失って久しい
声には代わりに美しい義務ばかりが返された
権利を自分の手になじむように削って用いていた
古い人よ
どんな微風にでも新しくとがった権利が乗って来て
あなたのまなざしはそれを消化するには繊細すぎる
人との多色の交わりが幾筋もつながっていく中で
あなたの生の表現はその筆触を落ち着かせ
それと同時に柔らかい繊細さを増して行った
僕は新しくも古くもなく
ただあなたを訪れるごとに一つずつ感情が生まれていった
絶対的に古い人よ
相対的な景色に打たれ相対的な人に打たれ
相対的なすべてに真心でもって驚いてきた絶対的に古い人よ
僕はあなたへと至るきざはしを解体しようと思う
あなたに対する債務は徐々に返還していく
もうどんな一個人も絶対的に古くなどならないように
無数の原理と無数の伝統と無数の宗教が
すべて巡り巡って空間に位置を持たないように
すべて反応し合って絶対的な新しさを生まないように
ふたたび古い人よ
あなたの古さは古いままいつまでも生まれ変わっていく


  zero

初めて現代詩を読んだのは、柏駅のビルにある書店で現代詩手帖を立ち読みしたときだった。当時私は19歳で、漠然と沢山の出会いを受け身で待っている孤独な少年だった。だが現代詩は私のそのような欠落を埋めるものではなかった。それは落雷のように、発火のように、刺突のように、私の空洞の底を突き破ってどこか遠くへと去っていった。私は突き破られた傷の痛みを現代詩との出会いの証拠としてその後大事に保存するようになった。
――草の種の表皮が破れて小さな芽が出てきた。真っ赤な芽が辺りに散在する宇宙に一斉に見つめられ、弱々しくその真っ赤な色を恥じた。だが芽を組成する幾何学はすべての宇宙を証明する可能性だけを持っていた。

現代詩を書くとき、それに先立つ静寂が熟していく。詩を書くということは、粘土をこねるようなもの。充満した液体が閾を超えて溢れ出していくようなもの。そこには語りえない技術が詩の源泉に介入していて、技術は否定に否定を重ねて、最終的に肯定にまでは至らない緩やかな証明を与えることで詩行が生まれる。決して治癒に至らない火傷、裂傷、骨折が、その熱ゆえに身近な道具を鎔かし尽くし、抽象的な合金を作り上げる。もっとも光り輝く憎しみが、その矛盾ゆえに生活の細々した豊かさに休息を求める。
――草はすべての方位に向かって頑なに分枝していった。いや、方位は意味を持たなかった。枝を生やすごとに周りの空間は全く別のものになり、新しい空間に突き刺す試みが必要だった。草には花の概念がなかった。

やがて、私の中の詩人は一度苛烈に死んだ。私の持っていた詩人観に私自身がそぐわなくなってしまったのである。詩人とは純粋な否定の機械でなければならなかった。伝統の重苦しさを否定し、社会の押し付けてくる責任を否定し、他者との連帯を否定し、言語を憎まなければならなかった。だが私はもはや否定の絶対性に縋ることができないほど、すべてを愛しすべてに与える人間になっていた。否定の原理が愛の原理にとってかわるとき、その原理から演繹される私の詩人観も、張り巡らされた緊張する神経が緩まるように重力を確かに感じるようになった。否定が死に孤独が死に傷が死に憎しみが死んだとき、私はその夥しい死骸の上に新しく生まれ変わっていた。さようなら、はじめまして。
――草はようやく花を咲かせた。これまで咲いていたと思っていたのは色違いの葉っぱに過ぎなかった。本物の花が、星々が蜜を吸いに来る花が、アジア・アフリカ・アメリカ・ヨーロッパ、あらゆる地域の草原を埋め尽くした。

詩は世界だった。詩は物語だった。詩は無数の人物の相克の舞台だった。詩は明確に概念を述べるものだった。詩は小説だったし、詩は評論だったし、詩は戯曲だった。立体から平面、平面から線、線から点へと分析される人生のあらゆる細部に、瞬間から出来事、出来事から物語、物語から歴史へと総合される人生のあらゆる運行が宿っている。謎を謎のまま証明し隠すことで詩は成立し、喪失の痕、獲得の痕、流れの痕の上に正確に立つことで詩は育っていく。詩は痕跡を歌うものなので、常に何かを失っていると同時にその何かの痕を必ず得ている。ひさしぶり、ひさしぶり、ひさしぶり、ひさしぶり。
――草は実を生らせた。実はそのまま熟し、草の枝に生ったまま発芽するだろう。今度の芽は緑色だ。大地と風と日光と雨とをどこまでも流れていく変化する緑色だ。草を取り巻く人生群はせわしなく生活する。草もまた内部において生活する。生活の散らばったところに宇宙の中心はささやかに宿っているのである。


  zero

伸ばした手、求める手が落ちていく
信濃川の流れを
国道4号線を
池に沈んだ石は頭痛で回転していて
パラシュートは風の汚れを無視する
落ちるのはほんのわずか
朝焼けがいつの間にか白色に変わるように
同輩たちの贈り物は落ちていく
落ちる先にあるものと落ちる先にないものは減算されている



夢の中で僕はあなたに恋をしていました
あなたの面影は逆光で良く見えず
ただ部屋の中の椅子に座りひっそり佇んでいるあなたを
僕は甘やかな気持で眺めていたのです
部屋は開かれて幾つもの光が交差し
夢から覚めると
途端にあなたの性別が分からなくなりました
僕は性のない人に恋をしたのです



冬が好きだった
空気の冷たさは人々の冷ややかさ
葉のない木々は孤独の渇き
底の見えない夜は絶望の深さ
冬はそうあることで冷やかさ孤独絶望全てを許してくれると思った
こんなにも嫌われがちな気取った感慨を許してくれると
冬は何よりも優しかった
だが僕は今そんな冬を温める仕事をしている



ドアを開けると
その先にはまたドアがあって
その鍵を開けるのに一苦労し
そのドアをやっと開けてもその先にはまたドアがあることは
余りにもわかり切っていることだから
開けたドアをいったん閉めて
しばらく元の部屋にとどまってみる
時計の音を聴き
布団に身を投げ
軽く本でも読んでみる



人間ではなかった
人間に近くもなかったし
人間に似てもいなかった
だが人間のように呼吸し
人間のように恋をし
人間のように死んでいった
そいつを何と名づけるかは各人の自由だし
そいつも今となっては気体と液体のはざまにいるだけだが
試みにそいつを
「私」と名づけよう



何かをドロドロに溶かしていく
その何かは僕の体であったか
あなたの幸せであったか
彼の失敗であったか
今となっては判らない
輪郭は余りにも鬱陶しいから
言葉は余りにもやかましいから
形や言葉を逐一ドロドロに変換していき
そのドロドロをおいしく吸いながら
今日も僕は生き長らえるのだ



早朝、薄明が家や木に移ろいを与える頃
ガラスのような空から太陽が歌い出した
建築に重さと堅さを与え
木から秘密と悔恨を奪う
その歌声は水晶のような挨拶
僕はその挨拶に応えるために後ろを向いた
無防備な背中の広がりに歌を泳がせて
大きく息を吸って太陽に小さくごめんなさいと



捨てられ続ける現在を
拾い集めたら過去になっていた
この過去は未来にしたい
この過去は未来にしたくない
いつも現在はとげだらけで触りづらいから
過去になってからおもむろに未来へ差し出す
もう一度やって来い
偶然が夢の卵を割り
現在へ幸福を突き刺すように
もう一度あの密かな幸福を



存在するということは
いつも決まって挨拶だから
時間が渦を巻くところに
僕も決まって挨拶を返す
今日も歴史が生まれましたなあ
いえいえ単なる磁場ですよ
そうして僕は踵を返し
存在しないということは
いつも決まって慈しみだから
少しずつ存在しない身体へと化けていき
低い恍惚のさ中へ



政治はタケノコのようにぐんぐん伸びては掘り起こされ
経済はキノコのようにひっそりと蔓延っては摘み取られ
法律はシダの様に日陰でこそこそ葉を広げては切り落とされ
社会という植物が一掃されたところに個人という鉱物が鏤められました
いくら頑張っても政治・経済・法律が作れない
鉱物だから



一つのアイラブユーから次のアイラブユーへと
簡単に交換できない
同じアイラブユーでも互いに相容れないアイラブユー同士
いつまで経っても水と油が胃の中で消化できず漂っている
忘れるという美しい嘘を何度も繰り返し
新しいという悲しい嘘を何度も繰り返し
アイラブユーは異形のものになる



疲れるということは
何かを思い出すということだ
一日中歩き通してふと体の奥に眠っていた郷愁を思い出す
一日中働き通してふとご飯のおいしさを思い出す
一日中待ち通してふと青春の闇を思い出す
そうして僕は今日も
一日中生き通してふと
未来に投げ出されたまま取り戻せない物たちを思い出す



土から生まれ
土の共同体に生き
土に収斂していった
両親の土壌から生まれ
土を耕し植物を育て
植物を食べたり売ったりして生活した
火もまた土から立ち昇り
水もまた土へと還っていった
土へと収斂しないもの
例えば都市は
僕を沢山の鏡に映した
例えば空は
僕に知らない歌を教えてくれた



僕は宇宙の中心で
宇宙を満たす多彩な感情を逐一丁寧に断っていた
孤独は柔らかく僕は僕の胎内で眠っていた
中心性に飽きて辺境や複数の場所に同時存在したくて
多彩な感情に応答し自ら感情を振りまいた
そうして沢山傷つけ合ったがその傷は美しい模様で
模様を更新するため感情の中を生き続ける



柿の木に若芽が芽吹いて緑の霞のようだ
春の鳥の声に包まれながら
やがて葉は緑の濃さを増し大きさを増し
夏の日差しに陰を作る
そして小さな緑の実が風に揺すられ
やがて葉は落ち橙の実は大きく熟し
カラスたちが舞い
そんな巡りの大きな速度に接して
僕は柿と束になり歩いてきた道を振り返る



宇宙が僕を置き去りにして過ぎ去っていく
幼年時代も少年時代も青春も高速で僕をすり抜けていく
人々も社会も自然も言葉も僕を過ぎ去っていく
そして最後に僕が残ったかと思えば
僕もまた過ぎ去っていって
残ったこの穴のようなもの無のようなもの
疑問符と感嘆符が冷たい風を一身に浴びている



言葉が沢山散らばっている野原で
僕はその言葉達の背後にある哲学を編もうとした
多種多様な関係の枠組みを総動員して僕は一個の一貫した哲学を読み取ったつもりでいた
だがもう一度その野原を眺めるとその哲学もまた同じように散らばっていき
僕はまたその背後にある思想を編みそれはまた散らばり



人生というテクストを波打たせるものとして
今日も音楽は僕の体で屈折を繰り返す
人生というテクストを裁断するものとして
今日も路傍の花達は僕から世界の中心を奪っていく
人生というテクストを修繕するものとして
今日も人々は僕に沢山の声を置いていく
だが人生はそもそもテクストであったか



気付いたら本に取り囲まれいていた
自ら進んで本の牢の中に閉じ込められた僕だ
本はとても甘い果肉を持っているが
そこに微量の毒を込めることを忘れない
僕は本から逃げられず
狂ったようにその果肉を啜っては毒に冒されていく
本の装丁・活字達
本は拒絶し僕は拒絶を超えることで負けていった



故郷に在るということは
郷愁を呼吸し郷愁を湯水のように浴びることである
それぞれの道に隠された記憶を神秘に触れるように辿り返し
それぞれの人の過去と自分の過去を縫い合わせることである
あの山に登れば
神はどんな木陰にもどんな山陰にも存在する
僕は神に挨拶して山頂で神めく太陽を射る



この声は誰にも届かないと
この手は誰にも触れないと
極力理解することで自分を守ろうとした
だが声は増幅して多数の人々へと届き
手にはいつの間にか無数の糸が絡まり
僕はそれを十分感じていたが
それでもこの声は、この手は、誰にも届かないと
自分の内側に消せない烙印を押し僕は怒っていた



自然は緩やかに回転する衛星を内に秘めている
少しずつ木々は芽吹き花を咲かせ実を生らせ
その回転に歯車のように噛みあって
僕らは木々の実りを最も美しくするために
蕾の数や実の数をそろえ
害虫や病毒から木を守った
実りの季節
自然の回転から歯車をそっと外し
何も移ろわない喜びを沈める



遠からず
過去の意味がやって来る
現在の子孫がやって来る
そんな未来が来ないように
時間の流れを体で塞いでいるのだが
この体こそが時間そのものらしい
何か未来を紛らすものはないか
美しい修辞はどうだ
冷たい母音はどうだ
だが言葉こそが時間そのもので
僕は時間を円周軌道に閉じ込めた



人々よ
口を閉じ目を閉じ耳を閉じ
何も感じるな
そして何も発するな
そうすれば
お前たちの存在を際限のない疲労が包んでいくだろう
疲労の果てに向かって身を投げろ
意識を捨てろ
再び目を開けたとき
壁は相も変わらず垂直で
太陽は相も変わらず眩しい
そのとき訪れる微笑に身を委ねるのだ



「人生」なんて言葉はとっくに死語だから
大局的思考はもう時代遅れだから
そんなことを言いたくなる人生の一局面に
瞬間やその持続で人間の時計の針の音だけを聴く
時計のように正確で慈悲に満ちた通告に
僕は瞬間の応答を返し
寂れていく村の中で
僕は楽しく自分を刻み音を奏でていった



明けない夜は続いて
已まない雨は続いた
僕は光を灯す方法と
傘をさす方法を
非常に巧みに修得したが
その工夫には段々疲労するばかりだった
思い切って闇にも雨にも濡れてみた
体が底まで冷え入るまで濡れてみた
長い時間の経過後
再び僕は
開けない夜とやまない雨へ別の工夫を考え始めた



あなたはあのとき純粋に怒っていた
表情にすら出さずましてや声にすら出さず
理解されようとか理解されまいとかそんなことも考えず
ただ純粋に怒っていた
その黙された怒りについて僕は考えるのです
何の痕跡も何の発展も残さない怒りを僕だけが知っている
この秘密を誰かに明かしてよいものか



そんなに汚れた動機なんていらない
そう思って動機を片っ端から捨てていったら
動機は全て消えてしまった
そんなに美しい結果なんていらない
そう思って結果を片っ端から捨てていったら
結果は全て消えてしまった
動機と結果の間に残されたもの
汚れても美しくもないただ純粋な行為のみ愛する



詩人が死んだと電話で告げられた
誰がかけてきたのか分からないけれど
詩人が死んだとメールで告げられた
誰が送ってきたのか分からないけれど
詩人が死んだと自分に告げられた
自分が誰だか分からないけれど
葬式も要らなければ挽歌も献花も要らない
ただ詩人は死んだ
そしてもう生き返った



天体の動きから外れてしまった人間の動きだけれど
再び体を澄まして天体の回転や移動に釣り合うだけの平衡を取戻す
遠いところで灼熱の物質たちは激しく流動し凍てついた物質たちは宇宙線を反射する
その距離を静かに抱きしめて
その距離から再び更新されるものを
細胞の中心に確かに置いていく



優しさは誰にも見えなくていい
むしろ外見は恐ろしくて気味の悪い方がいい
優しさは誰に与えるものでもない
ただ内側を満たして眼を明るくしてくれるだけのもの
優しさはとても遠いもの
あなたに届かなくても遠い未来にあなたを不意に襲えばいい
僕は無色の振る舞いに判別できない優しさを込める


  zero

あなたの体の中を
馬のように駈けている命が
僕を見つけて立ち止まったのか
それとも
僕の中で安らいでいる
鳥のような命が
あなたを見つけて飛び立ったのか
あなたのまなざしと僕のまなざしは
すぐに絡まろうとするので
僕もあなたも必死に目をそらす
重く残る電気を走らせながら
街路を歩いていても
あなたの体は僕の体の前で
不器用に固まってしまう
僕は何かをかみつぶすように
あなたを無視してすれ違う
あなたの命と僕の命は
同じ暗号を解いてしまった
同じ秘密をのぞいてしまった
だから僕もあなたも
共に居てはいけない
共通の血を通わせてしまったから
これ以上互いを受け入れてはいけない
命同士が勝手に密約を交わした
僕はそれを拒否する
あなたもそれを拒否する
それでも僕の中から飛び立った鳥は
いつかあなたの中を駆け巡る馬の背に
優しく羽を休めるかもしれない
その日まで互いの命は
目的のない争いを続けるだろう


コンプレックス

  zero



前へ逆らってくるものに濁った静寂を飲ませよう。人間は平等な墓石の上で草になるのを待っているから。広がって他を照らそうとするものをそれ以上の絶対的な光で鎮めよう。あらゆる広がりは人間の狂った尊厳が自滅した痕跡に過ぎないから。人間は結合しましたね、磁石のように。結合した人間は関係を吐き出し雲を作り、その雲を社会と呼びます。雨と雷が泣き声になって降ってくるのはそれが歴史だから。磁石の磁場をどこまでも微妙に感じてわずかな振動を与え、雨と雷の悲劇を楽しみつつその虚構性に存在の真実を認め、ただ振り返ることもなく社会をケーキのように切り分けてゆっくり食べること。それだけでいい。自分の頭を光らせる必要はないし、自分の頭を風呂敷のように広げる必要もない。光と広がりは既に社会が精妙に構築してあらゆる人の体をぬぐっています。ひとまず息を緩やかにして社会の指使いを体の奥にまで通して行こう。



いくつもの整った服を重ね着して、いくつもの高価な装飾品を身につけて、皮膚がどこまでも進化していく映像を描き直していく。そんな映像は懐疑を許さないという意味で猥褻だから。映像を駆動する順応のオイルは空虚だから。肩書、業績、成功、そこに至るまでの演奏には正しい不協和音が足りな過ぎるんだ。リズムの逸脱が検閲されているし、そもそもホールを抜け出して雑踏の中で演奏するという芽をきれいに摘んでしまっている。皮膚はもう厚くならなくていいから内臓を豊かにしようよ。グロテスクで醜いけれど生命そのものである内臓に繊細な翅をいくつも与えるんだ。内臓は瞑想の中でわずかに飛翔する。皮膚を覆うのは雨と風と日差しを避けるだけのシャツで十分だ。内臓は思考の瑞々しさによって血を受け、知識の華やかな乱舞によって構造化され、どんどん醜くなっていく。とても醜くてとても豊かな内臓が、とても薄い皮膚を限りなく美しく保つんだ。


燃焼

  zero

私の絶望は何かの病巣のようであって、その病巣はたえず再生産しながら増え続けている。確かに若い頃、万策に窮して絶望の源の方まで落ちていったことはたびたびあった。だが私は結局絶望を燃やし切ることができなかった。絶望の核に至る前に引き返してしまい、絶望をその根っこから完全燃焼させることができなかったのだ。だから私は真に絶望したことがなかったと言っていい。絶望はただ迎え入れられ、私は絶望と共に激しく燃えても決して燃え尽きることがなかった。

今でも季節が盛り上がるような時期に、誰かの落とし物のような絶望に見舞われることがしばしばある。今まで生きてきて何一ついいことがなかった。俺は結局誰からも真に愛されることがなかった。俺は全く無力で救いようがなく汚れている。こんな想念が大気を着色するかのように私の風景を狭める。つまりは、絶望の病巣がまだ活発に生きている証拠なのであって、若い頃に絶望と共に燃え尽きることのできなかった私が燃え残った絶望の飛び火をたびたび浴びるという具合なのだ。

だが絶望は果たして忌むべき病巣なのだろうか。絶望しているとき、人は何事も待たずに済む。人は余りにもたくさんの美しいものを待ちすぎている。それに、絶望しているとき、人は何事も探さずに済む。人は余りにもたくさんの尊いものを探し過ぎている。絶望は、人が常々負っている「待つ」「探す」という負担を免れる心の状態であって、だからこそ絶望はひめやかな快楽を伴うのではないか。

そもそも絶望は私の内部に巣食う病巣であったろうか。それは社会と共に社会の側に存在するものではなかったか。確かに絶望は孤独に発生し、無条件・無根拠に人を襲うものだ。だが、その孤独や無条件・無根拠という状況は個人と社会の隙間に漂っているものではないだろうか。絶望は純粋に個人的でもなければ純粋に社会的でもない。個人と社会との呼応の関係に乗っていくものであろう。

会社帰り、駅のホームで、群衆に紛れながら、疲れた私は何かの火花のように絶望に燃やされることがある。絶望を燃やし切ることは果たして可能なのだろうか。二度と絶望が訪れないようにすることは、果たして。私は絶望と共に燃えてみる。社会も火種にくべて精一杯燃えてみる。何の負荷もない状態でただただ燃え続けていき、このまま灰になってしまったら、私の青春は本当に終わってしまうのではないか。病巣としての絶望は青春を、若さを、私の中に保ち続けてくれたのではないだろうか。


  zero

あるいは、私は人里から山を一つ越えたところにある渓流の脇を何も考えずに歩いていた。落葉樹が思い思いに枝を伸ばし、太陽は私の上に斑点を作っていた。渓流が川底の段差に応じて流れ落ちる音のほかには、静寂が辺りを包んでいた。静寂ではなく沈黙だったのかもしれない。川の水は硬そうな表面を見せながら小さな波を立ててどんどん流れていき、川の容積はその小さな部分でも人を何人も収容できた。歩きながら不意に私は渓流の沈黙が言わんとしていることに気付いた。この渓流は私の傷である、と。人との交わりから離れたところにひっそりとしかし大きな容積で存在し続け、どこまでも流れることをやめず、私が完全に乾いてしまうことを防いでいる。この渓流は私の傷である、と。

あるいは、私は実家の庭を疲弊した体でうろついていた。古くからの農家なので、竹林や沢山の庭木があり、またぽつぽつと咲いている花もあり、私の疲労を少しずつ置き捨てていくのにちょうどよかった。そんなとき、地面の色と似ていたため初めはそれとわからなかったが、一匹の蛇が目の前の地面にじっとしていた。私は尻尾の方を軽く踏んでみたが、特に動く様子はなかった。だが、私との睨めっこに飽きたのか、するすると木陰に入っていってしまった。そのとき不意に私は思ったのだ。この蛇は私の傷である、と。どこまでも私と同化しようとしながらも、結局は異物として消化を拒み、より深いところへどんどんもぐりこんでいき正体がつかめない。この蛇は私の傷である、と。

あるいは、私は田園地帯の小屋の外に座り満月を眺めていた。月は低めの空に懸り、その光によって逆に天空の闇を広く生み出している根拠のように見えた。月は平板な顔をしながら実は優れた創造力を持ち合わせていて、この天空の闇は見えないながらも限りなく多彩な構造で満ちているかのように思えた。そして、今この私の感慨もまた、月が創りだしているのかもしれない。その月の創りだしたひらめきにより、私は気づいた。この月は私の傷である、と。光を放つことで明確に存在を主張し、周囲に広く闇を創りだしていく。もちろんこの闇は反転して光となりうる豊かな構造によって成立している。あらゆる創造の根拠となる限りない痛み。この月は私の傷である、と。


  zero

稲の規則正しいひしめきの中で
全ての尊いものを押しつぶしていきなさい
そうして全ての卑しいものに隠された
厳しく高貴な天秤でもって
稲は実り稲穂は垂れ
かつて無垢であったという人間の大罪を
赦してくれるから
稲は遠い日の人間たちの共同体を記憶し
明日の社会や明日の国家へと既に根を張り
動かずただ刈り取られるのを
物質として生まれ変わるのを
待っているから
稲はひしめく前に他の稲と名を呼びあい
大きな稲の集団を形成する小さな意志を持ち寄った
稲が等しく低い位置に並ぶのは
稲がとっくに孤独も連帯も捨てているから
ただあずかり知らぬ目的のため
尊厳も平等も捨てて意志を全体で還流させているから
雨と風と戯れ
自らの角度も高度も揺らがせながら
終わっていく日にはきっと
ひとつのひしめく国家を作り
実りは人間たちに
人間たちよりも熟した物質的完成を
気づかれることなく示すだろう


  zero

夢の中で男と二人連れで歩いていた。河原に降りていくと一面のススキで、その間の小道をさらに河沿いまで下っていった。辺りはもう夕方に近く、光の濃度が高まっていた。「見なさい。」男は言った。「あなたの河原には石が一つもない。」言われてみるとその河原には砂しかなかった。「これはあなたが人を信じないからです。人を信じることに長く耐えていくことで、河は一つずつ長い流れに乗せて石を運んでいくのです。」確かに私は夢の中で人を信じることのできない若くて荒んだ人間だった。「人を信じることで、あなたのまわりにはいくつも重い石が置かれていく。もちろん裏切られることもあるでしょう。ですが、一度人と信じ合ったとき、そこではあなたが、自分の孤独を投げ捨て、傷つくことも恐れずに投げ捨て、閉じた心の重みを人生に分け与えた証明が、重い石として残るのです。」確かに私の河には重みをもったものが何一つもないようだ。私は心を閉ざすことで、傷つくまいとすることで、何一つ人生に重みをもたらすことができなかった。そして、河の石とは信じた相手の存在の重みでもあるだろう。私は自らの孤独の重みを投げ捨て、相手の存在の重みを受け取る、そういう信じ合いを積み重ねることがなかったため、私の河にはその証明としての石が一つもないのだった。「石に取り囲まれた、とりどりの重さで彩られた河が出来上がるとき、あなたは今よりもずっと重い涙を流すでしょう。そして今よりもずっと河の流れは急になり、いくつにも分かれていくでしょう。」私は思った。そうはいっても私が人を信じられないのは一つの堰があるようなもので、河の流れを途中でせき止めているものがあるせいだ。そもそもこの河は誰の河だったのだろう。私にはそもそも河を流すことすらできていないはずだ。ではいったい、この河は誰の河なのだろう。男は私の心を察するように言った。「あなたの河はちゃんと流れている。あなたの堰なんて本当はとっくに乗り越えてしまっているのです。あなたはそれに気づいていない。だから夢の中でしかこの河を見ることができないんです。」


誕生

  zero

           ――K.F.へ

理由も目的もなく、理由や目的を作るためにあなたは生まれた。あなたはこれから生きるという不思議なめまいの中に巻き込まれていくが、全ては既に古く、同時にまったく新しい。あなたの顔も手も足も、いつでも何かを更新していくから、あなたの後ろには古さが、あなたの前には新しさが、海と空のように広がっていく。あなたはあなた自身によってあなたの中にあなたを登録する。

世界にこれだけ無数の空席があるというのに、あなたはどの席にも座らない。あなたに席は要らない、ただ驚きがすべての席を埋める。世界にこれだけの空き部屋があるというのに、あなたはどの部屋にも住まない。あなたに部屋は要らない、ただ恐怖がすべての部屋を埋める。あなたによる存在の更新に、世界の神経は驚き恐怖し、世界の隅々まで身構える命令を送ってしまった。そしてすぐさま世界は優しくなった、あなたの小さな姿を認めたから。

小さなあなたが手を開いては閉じる。そこに儚く消え去る真っ赤な炎が見える。小さなあなたが泣き声をあげる。そこにずっと続いていく言葉の連鎖の波が見える。小さなあなたが顔を動かす。そこにいつかは表情となり花となるわずかにほころびた蕾が見える。未来は幾筋もあなたから流れ出している。沢山に枝分かれした未来のどの枝を伸ばしていくのか、それは偶然でも必然でもなく、お父さんとお母さんとあなたと世界とが一つの壜の中に混じり合って決めていくのだ。

あなたの誕生は僕たちの感動の束で出来上がっている。あなたの誕生の前にはお父さんとお母さんが出会うなど沢山の出来事があり、あなたの誕生は歴史の一つの事件であり突端である。だがその誕生は僕たちの感動、僕たちの喜び、僕たちの奇跡である。あなたは僕たちの全ての感動で組織されながら、これから少しずつあなた自身の感動であなたを組み替えていくのだ。生きることは美しいめまいであるが、めまいのたびごとにあなたはあなた自身を新しく作り変えるのだ。


音楽

  zero

人間であることを返却する前に
再び人間となることを予約しておく
すばやい林檎の色に待ち伏せされては
夜道を歩く闇の物思いにかすかに混じっていく
滲んでくる朝と縫い合わされるために
人間であることを浮動させるために
音楽は淋しく走り続け
この渦と地球との和音を引き締め
この岩と人間とのリズムを澄み渡らせる

見慣れた部屋もいつでも滝つぼになりうるし
住み慣れた土地もいつでも異国になりうる
そのような空間の変換にいつでも抵抗できるのは
積み重なる音楽のひねられた掟のみだ
広がりや色がなくても大きく鮮やかであり
都市が衰退し人口が減ってもますます生い茂るのは
死人の生活と希望を当たり前のものにする
時と間を無効にする音楽の静かな停滞のみだ

日が落ちるとき作曲される海がある
事件が起きたとき演奏される法がある
人を愛するとき編曲される自己がある
国が独立するときに録音される軍隊がある
それでも音楽は頑なで誰にも心を開かない
万象が心を閉ざす音が音楽を構成する
地図には載っているけれど行ってみるとそこには存在しない
膨大な哲学が編まれているけれど誰一人理解できていない
全てを根源から洩らしてしまうので却って聴こえない
それが音楽である


  zero

分析された青空に立つ波としての分割された雲の層
植物たちのひしめき合いから放たれてくる芳醇な気体
俺たち岩だらけの登山道を隊列を作って歩き
すべての壁は初めから存在しなかった
標高と共に植物の命は小さく凝集され
標高と共に土はあらわに全角度から俺たちを照射する
俺の肉の中にあったすべての知識は息と共に吐き出され
俺の骨は途端に広がり過剰な風景を記録し続ける
山は際限なく人と植物と岩石を分解し
山の盛り上がりは風と日光でここまで膨れ上がった
展望が開けた場所で俺は何度も遥か下方へ身投げをし
その幻想の涼しい余白に腕を泳がせる
俺は文化を脱ぎ捨て裸で裏返った
じかの陽射しとじかの山肌から異常な意味を受け取った
ああ世界において万象は互いに奪い合っている
俺は山をそっくり盗み取ったが俺もまた山にすべてを盗まれた
実存などどこにも存在しないし壁もまた存在しない
山はおのれの不自由でもって俺の不自由をあがなった
俺の肌を滑り落ちる感情と形容詞
ここには主語だけがあり述語など何一つない
莫大な数の交信が暗黙裡に行われ
それは土と岩と苔と草と木を媒体とした
生きることに必要なことをすべて失って
生きないことに必要なことをすべて受け取って
俺は山を降りた先の街並みに新しく迷子になった


証明する人

  zero

一度止まってしまったはずのあなたの時間が
僕や多くの人の中で発光し続けている
美しい言葉を遺すということは
あなたがいつまでもあなたを証明し続けるということだ
そして僕とあなたの間に未だ飛び交う問いの群れが
次々と答えられては新たに生まれるのを証明し
結局あなたの存在は無限の謎であることを証明する
ああ 僕はあなたの歳を超えてしまった
あなたが最も鋭利で最も混濁していた歳を
あなたが地に敷くほどにわかっていたこと
あなたが自己への厳しさからあきらめていたこと
あなたの胸に広がる柔らかく秘められた終の棲家を
遺された言葉と遺されなかった言葉から抽出することは可能か
あなたの生きた年限を追い越してしまった瞬間から
僕はあなたという頼れる伴走者を失ってしまった
僕は孤独に走り始めて別の伴走者を慌てて探したが
結局あなたは僕の孤独を一番明確に証明した
誰かと伴に走るなどという甘い夢が消えたところで
僕は改めて原点から僕を作り直した
僕はもうだれにも頼らなくてもこの世界という迷路を踏破できる
あなたはそんな未来までもあらかじめこっそり証明していたのではないか
僕の行く先で僕が発見することすべてを
あなたはもうとっくに証明してしまっているに違いない
証明する人よ
あなたはすべてのことを問いかけ
僕がそれに対する答えを見つけるごとに
同時にその答えをも未来に向かって証明している
孤独に走り続ける僕がこの先世界を開発し続ける
僕が自分の生を終えるとき
あなたは真っ先にやってきて
僕の人生の全てを証明することだろう


実り

  zero

悪は一つの矛盾した実り
弱くふるえている果肉を守るために
幾重にも重なった硬い果皮

善であることは実ることを拒絶すること
果肉が傷ついても
それに耐え続ける強さがあるということ

悪は弱いから傷つくのに耐えられず
自らの内部の構造を充実させていくために
内部が沢山の光によって攪乱されるのを避けるために
初めから傷つかないように果皮で守り
どんな迫害をも笑い飛ばし蹴り飛ばす

本質的に強い悪
内側に弱い果肉を持たない果皮だけの悪は
本当の悪ではない
それはただ衝突の機能を持つだけの
潤いも内部もない害でしかない

悪として繊細に実っていくか
善として実らず傷つき続けるか
害として空疎であり続けるか

私は悪としてどこまでも内側の構造を熟させながら
善や害とも共に響きあい
社会から降ってくる無数の刃を果皮に摂り込み
果皮と果肉とをどこまでも流動的に交換し続けている
やがて実りが矛盾でなくなる日まで
内側の弱さと外側の強さがもはや同義になる日まで

文学極道

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