#目次

最新情報


選出作品 (投稿日時順 / 全50作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


違反といいねのカオス花盛りです

  

「情けは人の為ならず」の本来の意味は、いつも人には親切にしたほうがよいという意味で、現在のその意味は「情けが仇」でございます。昨日もスーパーのレジで賢く並んでおりますと、きっと家に介護が必要な方が居られるのか、そのような買い物をされていて、大荷物なってしまっていたのですが、ものすごく手際よく、カートに入れて、駐車場のバイクに、まるで積み木を積むように積んでおられました。



わたしはその様子を見て、あまりの手際の良さに驚いて、おもわず「手伝いましょうか?」と、「小さな親切大きなお世話」な、いらぬ世話を口走ってしまいましたが、そこも上手に笑顔でかわして頂けまして、わたしは、走り去るバイクを笑顔でお見送りすることができました。おかげさまで、なんと清清しい日なんだと思いながら、わたしもバイクに買った豆腐とビールをぶらさげて、家路についたわけでございます。



「情けが仇」といえば、携帯端末のタッチパネルでも使える手袋というのを100均で買ったのですが、これが画面を押しても、まったく何をしても反応しないわけでして、安物買いしたと後悔していたのですが、近頃、ちょうど人差し指の部分が破れて穴があきまして、めでたく使えるようになりまして、他人から見れば、なんとも無様な手袋ですが、わたしからすれば、見た目が悪くとも、非常に便利な手袋でございまして、わたしの穴あき手袋に情けは無用なのでございます。



好きなことでも、上手に好きと言わなければ、不憫に思われたり、その「好き」までもが指摘される時代でございまして、そこには未だに自由はなく、相変わらず歴史は戦中を繰り返しております。昔から、無邪気な人間でも、野球と政治の話は飲み屋でするなと言いますが、今のインターネットも、立ち飲み屋と同じ状態でございまして、ただ、人と人の間には、刑務所の面会所のようにガラスの隔てがあるので、お酌も乾杯も握手もできません。ただただ、言葉だけが空しく黄色信号のように点滅していまして、気持ちの方は徐行もせずに、飲酒運転や、スピード超過、シートベルトの締め忘れなど、違反といいねのカオス花盛りです。


夕沈みき月を待つれば星薄れ陽を待つのみ

  


これはポケットの中で起こった本当のお話です。

もしも君の扉を開けるとしたら 僕に鍵は必要ないのさ 
あいつと君の幸せを願い 僕はポケットに手を突っ込んだまま



渋い波止場のガード下、小粋な電話帳をお大事に。浅さの深い晴天の、僕の息子は切ない照れ屋さんです。やなおや音楽が聴こえてきましたから、突き刺してやると、蚊が舞い込んできました。ちょっと楽しいこの気分に、絵の具を貸してあげるから、白い首で天道を編み、今だから医者が言っていられることも、二重羽織の虎の背模様です。



目覚めたら、大きなハコフグに乗って、アラブの砂漠を彷徨い、海と平行に息を切らして走り、時間の角度に影を変え、スパイシーな言葉をひとつください。初めての朝帰りも並キスでした。石も転がると磨り減るんだね。あなたはスケベで、3万人の人形で平和の交合を盲点に、遥か遠くの交差点で、あなたの首筋にキスをするとき、髪から蓆(むしろ)の匂いがしたのでおもむろにあなたを殴りつけた。あなたは泣きながらその匂いはわたしたちが今こうしてここにいる証しだと言って空を指差した、何の変哲もなかった景色が正方形に切り取られ、その中にあなたは何人もいた。僕は一番幼いあなたを抱き上げて、やさしく頬にキスをした。



何かしらの感情を白銀のベッドにプチトマトの痕が点々と、とても軟らかく温かい感じが込み上げてきて、耐えられなくなるくらい、突き刺して描いてあった甲斐ありで、髪は窪みに触れました。よろしく、よろしくと、意識は根こそぎ持っていかれて、海は死に、山は死に、水を愛するものは知に溺れ、山を愛するものは愛に溺れ、僕は恋で焦がれ死にます。



防人の詩は、流転のニヒリズム、そのままお洒落にお月様を着こなして見ていてください。浴衣姿の過去娘、白髪を染めたる男衆や、涙故郷のエロチック、灰色気分の長財布、下腹に抉りこむおしめりは蒼い苔。誰かの腕に抱かれる欲望が焼け死んだ頃、火の鳥は復活し何度も読書を繰り返し、タンポポの綿毛がサラサラ地蔵の上で、葉っぱの本名を適当に考えていると、なんだか泣きそうになってきて、一台のトルソーの如く、神様の話はしないでほしい、夢の遮断機がたとえ滴のように冷たくても我慢します。


なんて

  

こら、そこのおっさん、おばはん、
じじばば、くそがきども

8月15日この終戦祈念日を迎えて
最後にひとこと言わしてもらう

便利すぎて不便!


神様のこと

  

さて神様、このお話が面白いか、或いは面白くないかなどについて、わたくしその判断をいただける余地を与えられておりません。故にわたくし、わたくしのできることを精一杯に行為するだけにございます。神様の喜びのみを考え想像し、ここへ生まれ辿り流され漂着したものが今のわたくしにございます。

わたくしは、神様、神様、と口走っておりますが、神様もそれぞれに個性をお持ちになられ、そして生まれ今日までお育ちになっておいでますので、この則を手にした方も、わたくし同様に、わたくしもこの則を手にした方の、神様なのでございます。では、どのように致せば、神様を人括りにすることなく、神様方々に喜んで頂けるか夢想するにあたり、わたくしが思い当たる節をご説明したく存じ上げます。

では、わたくしの出生を説明させて頂きます。「わたしは植物が好きです。」以上にございます。

神様がわたくしに対して、相当以上のご興味を抱いておいでの場合、わたくしの出生についてこと細かくご説明する必要がありましょうが、たいてい神様の出生についてのお話など、犬に純粋な欠伸と退屈を与えてしまうことが常にございます。

それは何故かと申し上げますと、神様がお生まれになり、今日まで生まれ辿り流され漂着しておいでになっていることは、明らかにございます。生まれり辿り流され漂着し、永くもはかない神様の記憶を、すべて同じく日に奉り立てること非常に困難であるからです。

わたくし、わたくし一人では抱えきれない大きな夢を持っています。神様の夢のお話をお聞きする前に、そしてその夢があまりに大きい故に、簡潔に説明することができます。わたくしが死んだ後、夢は生き続けることでしょう。それがわたくしの夢にございます。

さて、神様、神様の夢をお聞きする前に、もうひとつお聞きください。神様、わたくしの場合、その夢の大きさ故、その夢は先にご説明さしあげた夢の一部分にございます。わたくしの周囲にはたくさんの神様がおいでになられます。

そしてわたくしもここへ生まれ辿り流され漂着した一人なのでございますので、わたくしにはその大きな、いえ、偉大な夢を叶える為の役割を配分されております。しかし不思議なことに、その偉大な夢の方から、音沙汰があるわけでなし、分担されたりすることはございません。

わたくしは神様の中の、ここへ生まれ辿り流され漂着したものとして、わたくしの階段を建造いたしますが、それよりもわたくし自身のたったその一段の階段を瞑想する方が、神様の階段を上るよりも難しいことなのでございます。

わたくしが神様の喜びのために、わたくし自身を無くすことができれば、たったその一段の階段を造ること容易なのかもしれませんが、それぞれの神様の喜びを願うほど、それはわたくし自身が、わたくし自身との折り合いに迷うからにございます。

神様、流行の風にお乗りになってはいけません。一段一段、階段を建造するために、今世の河の流水、情緒無く急がしく速すぎます。わたくしは神様が流行の風からお去りになられる姿を知りたくありません。しかし、寂しさが淋しさを啄ばむでなく、清水の滴る静かな山林に寂しさを祠に淋しさを生きることができますが、寂しさとは親しむことができません。

安穏という形のないもの、剣という意味のないものに対して、わたくしは希望を抱き胸に据え、神様やここへ生まれ辿り流され漂着したものがお亡くなりになられても、その偉大な夢は生きつづけます。このどうしようもない喜びの代わりに合わせられた手のひらの中で、暖められた小さな孤独を争いとお呼びしても、お赦しいただけますか?


僕のノートに

  

「芋虫」

僕は草花が好きなので、成長したくない。
なぜかいうと、僕は僕の季節に従って、
変化するだけ。
芋虫は蛹の中で、うちの家の庭木を、
食べ尽くしたこと、ぜんぶ忘れて蝶になれっ。
子供の頃、虫かごの中でたくさん殺した。
お母さんが怒るので、先生に言われた通り、
標本にしたりした。



「キャー!」

小学校まで、一人で歩いて1時間、
それからみんなとバスに乗って、さらに1時間かかった。
僕のクラスは8人で、男子は菅君と僕の二人だけだった。
菅君は、毎週お母さんに花束を持たされていた。
それはとてもきれいな花で、いつも教室の花瓶に飾ってあった。
菅君は、いつも先生から、ありがとうと言われていた。
僕も先生に、ありがとうと言われたかったので、
雑草をいっぱい摘んで、先生に渡した。
先生のありがとうは、菅君のありがとうの時と少し違った。
次の日、僕は養殖池から飛び出して、
地面でピチピチ跳ねていたマスを捕まえて、
ランドセルに入れて先生にあげた。
先生はキャー!



「首吊り」

僕の作文が選ばれて、
南海放送のテレビで発表されることになった。
放送の日、お爺ちゃんは市内のうどん屋で
それを観て泣いていたらしい。
作文の内容は、
僕が大人になったら、
お医者さんになってお爺ちゃんの病気を
治してあげるというものだった。
その日の放課後、僕は校庭のスベリ台のてっぺんに、
なわとびの片方を括りつけ、
もう片方を自分の体に巻きつけてすべって遊んでいた。
けれど、体に巻きつけた方のなわがつるっとすべって
首にひっかかってしまい、首吊り状態になってしまった。
僕は意識不明で救急車で運ばれ、
ウンコもオシッコも垂れ流しだったらしい。
気がついたとき、新しいパンツをはいていた。
僕は診療所のベッドで横になりながら、
「1日に2回もテレビに出るところやったんよ。」
と、お爺ちゃんの顔をみて言った。





・地獄へ落ちないためには
天国を作らないことです





「おえっ!」

僕が中学生の頃、
小児がんを患ったとき、
新しいお母さんはきた。
僕は抗がん剤の副作用で、
口にするものぜんぶ吐いていた。
だけどもたくさん夢があって、
食べたいものはいっぱいあった。
ある日、鶏のカラアゲが食べたいと、
つい言ってしまって、
それから新しいお母さんは、
毎日、鶏のカラアゲを持ってきた。
毎日、鶏のカラアゲを運んでくる、
新しいお母さんのこと、
お父さんは感謝しろと言うので、
僕は毎日、カラアゲをトイレに流していた。




「風呂桶」

お父さんが家に帰ってこなくなって、
僕はせいせいしながら夜遊びをしていた。
ある日、めずらしくお父さんが家に居るので、
僕は二階に非難していた。
すると、一階から女性の大きな叫び声がするので、
そろそろと降りて覗いてみると、
玄関のガラスが割れていて、風呂桶に裸の女の人が入っていた。
それを別のもう一人の女の人が、仁王立ちして睨み付けている。
僕はチャンスと思って外に出て、さっさと自転車に乗って出かけた。
小児がんの再発で、「コバルト照射」という治療をうけることになった。
お医者さんは、副作用として脱毛と無精子になる恐れがあると言った。
毛は既に抜けているので、気にならなかったけど、
無精子というのは大人になったときの自分に、
どのような影響を及ぼすのか想像がつかなかった。
僕は16歳のときに、ひとりの女性を孕ましてしまったことがあるのだけど、
あれは本当だったのだろうか?僕は今日も自転車に跨ったままだ。



「ひっ算」

ひっ算するとき、
10とか9とかとなりに貸してあげるやん?
あれ返さんでええの?
気が付いたときはもう遅かってん、
そのまま今日まできてしもたわ。



「バブルの欠片」 

初めてのサラリーマンは、訪問販売のセールスマンだった。
法外な価格の商品を買ってもらいに一件一件を虱潰しに、
クロージングしてゆくのだけど、自慢ではないが、
全社員2000人の中で、15位の成績をあげていたことがある。
なぜ、そのような成績を、僕が売り上げ続けることが、
できたかというと、過去に押し売りをされて、もう訪販はこりごり、
という奥さんを見つけて、なだめてすかして、
また買って貰うのが、僕の得意技だったからだ。
それもクーリングオフ制度がはじまって通用しなくなった。






・飛び降り自殺の死因の多くは
落ちているとき
一度に処理しきれない数の
思いが一気に脳へ流れ込む
パンク死だそうです







「人売り」

1993年、僕が勤めていた不動産屋は、ラブホテルも経営していた。
僕はそのラブホテルに住み込みで働き、仕事は主に雑用をしていた。
当時はたくさん日系ブラジル人が日本に出稼ぎに来ていた。
会社のラブホテルにも住み込みのブラジル人がたくさん働いていた。
僕はブラジル人にポルトガル語を教えてもらったり、
ブラジル流の誕生パーティーをしてもらったり楽しい毎日だった。

ある日、社長がブラジル人たちを他社のラブホテルに派遣したいと言い出した。
そして、普段からブラジル人と仲がよかった僕がその部門の担当主任に抜擢された。
僕は異国の友人に日本で新しい職場で働くためのコツを教えたり、
派遣先に営業をかけたりと、忙しくなった。
会社から新しいスーツと金縁のメガネ、それから新車を買ってもらった。
仕事が軌道にのりだした頃、ブラジル人と僕の関係は、よそよそしいものになっていた。





問題の多いラブホテル

いくらブラジル人を派遣しても、逃げ出してしまう、
問題ばかり起きるラブホテルがあった。
業を煮やした社長は、SSランクを派遣しろと言う。
SSランクとは、子連れで出稼ぎにきている夫婦者のブラジル人のことで、
家財道具や荷物が多く、子供の学校の転校手続など諸々面倒なので、
逃げ出す確立が低いだろう、という意味でそう呼んでいた。

辛い休暇

今回こそは逃げられないように、いつもより念入りに計画を立てた。
まず、派遣当日の2週間前から、ブラジル人に自分達の荷物をすべてまとめさた。
それをすぐに派遣先のラブホテルに送ってしまう。と同時に2週間の休暇をあたえる。
祖国の裏側、ニッポンまでわざわざ働きにきている彼らにとって、
この2週間の休みは、精神的に辛かったと思う。
裸同然の生活をさせてから、派遣先のラブホテルへ連れていくことにした。

黒塗りの予感

派遣当日、社長はぜったいネジ込んでこい!と言ってベンツの600を貸してくれた。
ブラジル人の家族も、最初は社長のベンツに乗ることができて嬉しそうにしていたけれど、
だんだんと車内の空気は重苦しくなってきた。
子供がぐずりはじめたので、なんどもトイレ休憩をして、外の空気を吸わせた。
僕は運転をしながら、できるかぎり楽しい話をしようと努めたけれど、
それも尽きてきてしまい、子供は泣きつかれて眠ってしまった。
派遣先のホテルに着いたときに、子供が起きてまたぐずり出すと厄介だ。
ウィンカーをだす音が鳴るたびに、黒塗りのベンツのなかは、
右折ならコッチコッチ、左折ならアッチアッチ、僕たちの思いが揺れる。

ラブホテル到着

目的のホテル街に入っても、派遣先のホテルに直行できなかった。
わざと車をぐるぐるまわし、ここのホテル街は立地的に便利なことを説明しながら、
そんなウソ話を聴きながらでよいので、子供がやんわり目覚めてくれるようにと。
問題のラブホテルの支配人は、はじめてブラジル人を派遣した頃に比べると、
差別的な感情は、なくなってきているように感じた。
そして笑顔で迎えてくれたが、子供は親のうしろにすぐに隠れてしまった。
支配人自慢のペロペロキャンディーにも、この子はまったく屈しない。

人が逃げたあと

床に落ちている長い髪が、縺れた思い出を梳かすことができないでいる。
案内された部屋は、まるでスラムに迷い込んだような貧しい部屋だった。
こちら側としても、支配人に袖の下も潜らしてあるし、何度もウハウハ接待もした。
しかもSSランクのブラジル人を連れてきたのだ、これでもしも、
支配人の小言のひとつでも、会社に持ち帰れば、社長は間違いなくキレるだろう。
社長が座っている椅子の、後ろの壁に掛かっている散弾銃ときたら、時々本当に火を噴くので、
そのときは何匹の鴨が落ちる?

ブラジル人が施設の説明を受けている間、

------------------------------------------------------------------------------

1993年、細川内閣の誕生、自民党は結党後はじめて野党に堕ちた
1994年、羽田内閣発足、羽田内閣は短命に終わる
1994年、同年、村山内閣発足
1995年、1月7日、■関西・淡路大震災
1995年、8月15日、村山談話で謝罪の意を前面にあらわした村山富市は、
マスコミのプロパタンガに煽られた国民から反日売国奴と叩かれた

1996年、村山内閣失脚
1996年、同年、自民党は与党に返り咲き、橋本内閣発足

--------------------------

2009年、自民党歴史的大敗、民主党が大勝利、鳩山内閣発足
2009年、同年、小沢一郎は500人を連れて訪中「小沢訪中団」
2011年、1月31日、小沢一郎、東京地裁に強制起訴「陸山会事件」
2011年、3月11日、■東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)
2011年、同年、管直人総理大臣失脚
2012年、民主党大敗、野田内閣失脚、民主党野党に転落
2012年、同年、自民党、公明党、連立で与党に返り咲く、第2次安倍内閣発足
2015年、深夜、僕は○○屋にきた。お金を入れてボタンを押し食券を渡す、これでOK。
お肉は、心から産まれた瞬間から、フィクション生み続けている怪物だと思う。

-----------------------------------------------------------------------------------

1993年、僕は別室で支配人と契約書を交わし、少し談笑してラブホテルを出た。
ブラジル人は最上階の窓から手をふり、僕の名前を呼びながら、大声で何か喚いている。

「ツギ、イツクルー??ツギ、イツキマスカー!!」

「早く来るよー、頑張ってやー!」

僕はそう言って、ベンツから手を振ったけれど、スモーク張りの窓を閉め切ったとき、
「まわりに声が響くやんけっ、もっと静かに話せやっ!」
とひとさし指を口の前に立てて「シーッ!」の仕草をした。


耳をすましてごらん?

うまくやらないと、

誰かがまた、

地震を起こすかもしれないから。







・笹舟を流して海まで追いかけた
海は大きな僕の溜め息でした







「どうしようもない」

広島に住んでいた頃、
スナックのおねえちゃんと、
いい感じになりかけた。
そのおねえちゃんは、
バレーボールの選手みたいで、
僕よりだいぶ背が高かった。
一緒に歩くだけで、
僕は優越感に満たされ、
自分の努力だけでは、
手に入れることのできない、
どうしようもないものを征服した、
気持ちでいっぱいになった。
かなり幸せだったのだけど、
そのとき勤めていた、
会社の社長に、寝取られた。




「タンス一揆」

僕のうちは天皇家に、
代々仕えてきた、
由緒正しい家系で、
勲章もたくさん残っている。
この桐の箪笥は、
明治天皇から直々に、
拝借したもので、
元禄時代に有名な職人が、
作ったものだそうだ。
お父さんも、お爺ちゃんも、
すごく自慢していたので、
ほんとうにすごい箪笥だと思う。
ならば銀行から貯金を全額おろして、
明日からタンス貯金に切り替えよう。




「寺の鐘」

詩って、なぜ、
言に寺と書いて、
詩と読むのだろう?
と、よく考えていた頃、
それが、自分にとって、
どうでもよいことだと、
気がつくまで、答えは、
必要ないということを、
詩は僕の中で毎日、朝夕、
教えて聞かせてくれる。
詩はあなたの心を映す鏡である。

「ゴーン」




「ミッキーの暑い夏」

彼女が友達と、ディズニーランドに行くと言いだして、
なぜか僕は、留守番することになった。
その日から、ミッキーがどうの、
ドナルドがどうの、パレードがどうの、東京がどうのこうのと、
その話ばっかりで、この女マジでうっとしいと思った。
だから僕は、ミッキーの中には、ハゲ散らかした汗臭いおっさんが入ってて、
楽屋にいるときは、シャブいきながら酒のんどるんや、
そやないと、あんなアホみたいなテンション、ありえへん、と、
彼女が出発する前日まで、さんざん愚痴り続けた。
すると彼女も、「詩とか書いてる奴ってキモイと思う、
だからあんたはキモイと思う。」
と言い返してきた。だから僕も、
「俺はミッキーの中のおっさんみたいなもんやさかいな。」
と言い返した次の日から、
クーラーのリモコンが見つからない。






・公衆便所の落書きテロリスト






「雑草」

オカタツナミソウ
ヤブタビラコ
オニタビラコ
ミズタビラコ(キュウリクサ)
カタバミ
イモカタバミ
ムラサキカタバミ
オッタチカタバミ
アカカタバミ
キランソウ
シハイスミレ
カキオドシ
ツボスミレ
トキワハゼ
シャガ
ヤブジラミ
ツルニチニチソウ
クサフジ
アカバナユウゲショウ

好きな雑草の名前を言いだすと、キリがない。
正直、マジで面倒くさい。
けど、もしも愛ならこのくらいの距離感でちょうどいい。




「おーるぱーふぇくと!」

はじめていった海外はスペインだった。
ポイっと一人で出かけてみた。
成田から羽田、そしてヒースロー空港で
JALからBAに乗り継いだ。
海外の飛行機は想像以上に外国していて、
僕はかなり焦っていた。
そのうえ、はじめての海外で、
はじめてのロストバゲージを、
経験する羽目になり、
僕は到着ロビーのカウンターで、
荷物が見つからないといくら説明しても、
係りの外人のおねえちゃんは、
白いのばかり優先して、
まったく相手にしてくれなかった。
それからも、あっちだこっちだと、
ロビーを2時間ぐらい、
ウロウロたらい回しにされた。
それでもまだ見つからないので、
「見ていません!」
と大きな声で言うと、
「見ていません?」
と大きな声で聞き返された。
よくわからないけれど、
それからやっと、僕の荷物を探してくれた。
僕の荷物はまだ、
ヒースロー空港にあるということだった。
それからさらに、1時間ぐらい、
手ぶり素ぶりのやりとりで、
明日の昼ぐらいには、
宿泊予定のホテルに荷物が届くよう、
手配をしてくれることになった。
これで一応ひと段落・・・、
まだ胸に不安を抱えたまま、
この場を立ち去ろうとしたとき、
係りの外人のおねえちゃんは、
嬉しそうに親指を立てながらこう言った。

おーるぱーふぇくと!






・地下鉄のホームで釣り糸を垂れていると
でっかい朝が釣れました


宇宙人が来た

  

教室では制服を着た生徒たちが、先生の言葉を聴きながら
黒板の文字をノートに写し取り、
校舎の時計台は、青空を背景に四角く切り取られ
街の真ん中で、正統を刻み続けている

今、ひとりの生徒の頭の中に、宇宙人がやってきて、新しい計算式を展開している
それは、教室の窓の外にはいつもの街並みが広がっている光景、
その内と外を取っ払うことのできる数式であり、これを覚えると、
隔てるという概念がなくなり、どこでも素通りすることが出来る、
そして、最終的には霞を食べて生きていけるというものだ
さっそく生徒は手を挙げ、先生に黒板の回答には新しい数式があることを提案しようとすると、
宇宙人はそれを阻止した
テストの回答はすべて白紙で、好きなこと書いて提出すれば良いのだけど、
宇宙人はそれも阻止した

授業が終わって昼休み、生徒が屋上で弁当を食べていると、
宇宙人は頭の中からプルルと出てきて、姿をあらわした
そして、弁当のおかずを食べてみたいと言うので、
生徒は玉子焼きを、ひとつ宇宙人に食べさせた
宇宙人は、はじめて食べたその味に、ひどく感動したらしく、
玉子焼きのすべてを化学し解析すると、それを物理に則って空にドーンと打ち上げた

時計台の時計の針が、逆に回転をはじめ、生徒と宇宙人の目の前を、
青い空を背景にして、鶏が卵を産んだ理由が、一本の大木に喩えられた
大木の周りには、今朝、生徒の母が玉子焼きを巻いた理由や、父と母の間に生徒が生まれた理由、
たくさんの所以が、縺れ合いながら葉や蔓や花になり、水を吸い上げ、風に吹かれている
そもそも居るはずのなかった宇宙人の存在をXとして、二乗していくと、
南極で皇帝ペンギンが滑って転んでいたり、ブラジルでオオアリクイがクシャミをしていたり、
ティラノサウルスがアリゾナの大地を闊歩していたりした
真っ赤なマントルが剥き出しの地球、子供のようにか弱い太陽、風は電磁波に乗り何億光年ひたすら遡っていった
それを見て、生徒は肺が広がっているのを感じ、そして息を吐くと、肺はそれなりに凋んだ 
というのが宇宙人が教えてくれた秘密の数式であり、は=である
実体験するには、死ねば解るそうなので、生徒は屋上の柵に足をかけ、飛び降りようとしたが、
宇宙人はそれを阻止した
なぜかというと、玉子焼きの他にも、もっと色々と食べてみたいそうだ


たぶん、たぶん、たぶん

  

-死は腹に代えられない-

Youtubeの犬や猫の殺処分の動画を観ていて思ったのですが、それに寄せられたコメントを読んでいると、ペットショップもブリーダーも、悪者扱いにされていたりするわけで、そう思っていると、いやいや、ペットショップやブリーダーを悪者あつかいする人の気が知れないとか、意見は対立していまして、この犬猫殺処分の動画をアップした人は、私のコメントが権力によって削除されたー!と嘆いていました。
処分される犬猫は、きっと雑種がほとんどだろうと思っていたら、意外なことに、血統書付いてるんちゃうん?というような、おぼっちゃまや、お嬢ちゃまな犬猫も多く、驚きましたねー、いやー、今どき血統書付きの犬や猫を買って、それで満たされる人がいるんだーと思ったわけで、それなら殺処分場で、死刑寸前の犬猫を引き取って助けてあげる方が、もっと心も満たされるんじゃね?と思います。
悪者扱いされてるペットショップやブリーダーは、「公益財団法人日本動物愛護協会」のような、被災地の動物保護の為に寄せられた義援金を、投資信託にぶち込んで損失だしてるような愛護団体と手を結び、殺処分場から犬猫を無償で引き取り、そして、和製カリスマドッグトレーナーを捏造し、「うちの躾では上品なお座りが出来るようになりますー。」みたいな教室を演出し、あとは可愛く毛色で分別し、テキトーに新たなブランドとして売ればよいと思うわけです。
それから、マスコミを使い昼ドラを制作し、流行りの年増女優に、「あら、奥さん、どこそこのペットショップの、目利きと躾は最高ざますわよー。」とか、「この子は殺処分ギリギリのところで、どこそこのブリーダーさんに助けられたので、人間に対して恩返してくれるのざますのよー。」みたいな台詞を喋らせて、なんかずれてるけど、とりあえず、死は腹に代えられないので、そういうブームを、起こせばよいのです。
犬猫が売れるまでにかかる経費についてですが、どうせ殺処分場の運営費は税金なのだから、公益財団法人日本動物愛護協会のジジィを、枕営業かなんかで唆し、「動物愛護補助金」基金を政府に作らせ、そこから削ってゆけばよいわけで、悪者呼ばわりされているついでに、ペットショップやブリーダーも、「こんだけ必要費用かかりましたー。」と少し上乗せして、国に請求すればよく、これでペットショップもブリーダーも、犬は売れて儲かり、国から補助金は貰えて儲かり、Wで儲かる上、さらに正義の味方扱いされるわけです。
そのようにして、最終的にまんまと殺処分場が無くなれば、公益財団法人日本動物愛護協会の仕事も減るので、天下りの席も同時に減りますし、動物愛護という胡散臭い言葉も魔力を失い、インターネット外野席から、保護だ愛護だ虐待だと野次り合ってた人々も、「ビールいかがっすかー?」と、別々の売り子から同じ会社のビールを売りつけられ、酔っ払って喧嘩すればするほど、儲かるのは酒屋だけで、消耗するのはふたつ正義だったということに、やっと気が付きます。
少し視点を変えれば、グリーンピースと、遺伝子組換えや農薬作ってるモンサントという会社って、やってること間逆だけど、出資元は同じひとつの財団じゃん、それっておかしくね?と気が付く人も増え、顔本のフィードに流れてくる、「みつばち守ろう by グリーンピース」に、イイネをしただけで、これが私の精一杯みたい感じで、自然を守ることに参加した「つもり気分」に浸るまえに、イイネを押しただけで、これで本当に自然を守ったことになるの?と、なんか、便利すぎて不便じゃね?と、心に少しのわさわさ感を覚えれば、血の通った人間らしく、物事を考えることができるようになります。
仕上げに、殺処分場の跡地に火葬場とペット霊園を建設すれば、ペット専門葬儀会社も、地元住民からペット霊園反対!の抗議に晒されなくてすむようになりますので、様々な宗派の坊主に、お好きな方はどうぞーと、高級ペット用戒名ございますと宣伝活動をさせ、最低一匹50万くらいで販売させれば、ふつうの考えを持っている人は、いつも散歩をしていた公園や、自宅の敷地の庭に、子供の頃のような感覚で、そっと土に埋めて埋葬することになりますので、天国と地獄詐欺も終焉し、死後まで支配されることもなくなります。


-夢と目標-

地球のリセットボタンを押そう!水で走る車に乗り、黄金の価値よりも刷りすぎたお札に乗って、世界中を旅したければ、アラジンの魔法のランプから立ち上る煙を、ぼんやりと眺める日々は、もう終わりにして、職場の上司の顔色を伺いながら、余計な気遣いをすることもなく、時間がきたら仕事を仕舞い、嫌ならNO!それさえ言えればすべてYESでパーフェクトであり、これからは本当の自由の為にそれを言い切るべきであり、良識人はNO!の数を減らしてゆくべきであり、早退の理由が、ベランダのプランタの唐辛子の苗に水をやるのを忘れたから・・でも十分通用するわけで、頭の良い人は、ホームセンターで七輪と炭を買って、それでエリンギを焼き、部屋の窓は開けっぴろげにしたままに、自家製のヨーグルトをゴクゴクと飲みながら、下界を悠々とシエスタしているだけで良いのです。

いまや本当の情勢をテレビから知り得ることは不可能なので、インターネットを駆使して、もう一度、モニターの向こう側に人間が居ることを再確認する必要があり、そこで気の合いそうな仲間を見つけ、様々な情報と考え方の違いについて認め合うべきであり、ああ、9・11も詐欺だったねーとか、第7ビルが崩壊する前にイギリスのアナウンサーが、「ソロモンブラザーズビルが崩壊しています!」とフライング報道していたねーとか、ヒトラーがババザベスの親戚であったことや、坂本竜馬が売国奴であったことを知り、それでも彼らは彼らなりに一生懸命に生きていたことを、その情熱だけをリスペクトし、道の間違いは見落とさず、嫁が車の助手席で、右だ左だと喚いているのを、イライラせずに冷静に見極めながらハンドルを操り、車を降りれば手を繋いで、漂白剤を爆買いするくらいの心に余裕が必要であり、ついでに露中して愛を確かめ合うべきです。

私たち日本には、八方美人か鎖国か、それしか生きてゆく道はないので、京単位の借金を抱えている国とはさっさとオサレに離婚して、今のNO1の国々と再婚とまでは言いませんが、合コンを常にして気を惹いておくべきであり、合気道のように無駄な力に逆らうことなく、ソフトに世を渡って往くべきで、膝を露わにして、戦争を反対!なんてしてはいけませんし、戦争と言う言葉は、そんなんあったぁ??と既に無かったことにするべきであり、そもそも戦争という言葉が、武器屋さんが作った造語であったことを知り、ついでに平和もヘチマも無くしてしまって、戦争共々死語に葬ってしまうべきで、反戦詩のネタが夢の中にしかないことを理解すれば、誰もが便利すぎて不便な理由を実感することになり、スーパーで、「レジ゙袋はけっこうです。」と余裕をコイてる前に、これからの目標を立て、すべて一からエコり直すべきです。


-自然の内なる自然について-

あなたがお望みなら
あなたの愛の人生を変える
ジプシーの魔女になら
幸運と健康と魔法がある 

あなたが心をひらけば、恵まれた海は幸せに満ち
とても美しい女性と、あなたが望む景色のままに
覚醒した魔法に、その力を開放します
ジプシーの魔女は、天国で悲しみを紛らし
すべてのあなたへ心をひらき
人種や肌の色の関係もなく
控えめな詩人や
愛を歌う労働者に
力を与えます
ロマンチストな女王さまよりも
気まぐれなジプシーの魔女に
あなたは、SALUD!
幸運と健康をおくります

ブルドッグの故郷イギリスには、ブルベインティングとよばれる
犬と雄牛を闘わせる「牛攻め」という娯楽がありました
雄牛を倒した犬の飼い主には、賞金が与えられました
そこで、牛攻めをもっと面白くするため強い犬を作ろうと
改良に改良を重ね、誕生した犬種がブルドッグです
ちなみに、ブルドッグ(bulldog) のブル(bull)は、雄牛の意味です
ではブルドッグが、凛々しくブサイクな顔になってしまった理由を説明します
ペチャンコの低い鼻は、雄牛のダブダブの皮膚に
長時間噛みついたままでも、
窒息しないように、鼻は口よりも低くなりました
下顎がしゃくれているのは、下顎が前に出ていることで、
噛む力が強くなったと言われています
シワだらけの顔は、噛みついているときに、
牛や自分の血が、目に入らないように、シワをつたって血が流れるような仕組みになっています
短く太い首は、噛みついたままの状態で雄牛に振り回されても、
鞭打ち症にならないようになっています
体高が低いのは、雄牛の角で体をすくいあげられないようにするためです
現在でも、耳は小さいのですが、
当時は雄牛に耳を噛まれないようにするため、更に断耳をしていました
また、当時のブルドッグは、今よりももっと大型で、体重が60キロくらいありました

さて、電気うなぎを生け捕りにするためには、電気うなぎを探す作業から始めます
まず、長さ5mの棒の先に、電気を感知するセンサーを取り付けてください
電気うなぎは、浅瀬に生息していることが多いので
ゴム製の胴長を着用し、センサー付の棒を水中に入れて捜索してください
センサーが反応すれば、その辺りに電気うなぎがいると推測できます
場所を特定できたら、その辺りに、筒状の罠(ビンドウ)を仕掛けます
このとき、ビンドウ全体を、水に沈めてしまわないようにしてください
なぜなら電気うなぎは、肺呼吸をしますので、ビンドウ全体を沈めてしまうと
罠に掛かった電気うなぎが、窒息死するからです
夜行性なので、夕方から翌朝にかけて罠を仕掛けてください
電気うなぎが罠に掛かっていたら、安全の為ゴム手袋をします
電気うなぎの体の大半は、電気を起こす機関になっているので
案外筋力は弱く、ふつうのうなぎのように暴れることは出来ません

草食動物の中でもっとも視野が広いキリンです
他の草食動物と同様に顔に対して目が真横についています
もちろん背の高さは陸上哺乳類NO1!視野はほぼ360度に近く
また涙の濃度が濃く瞬きの回数が少ないのも特徴です
ならば、あなたの言葉ではっきり明示しましょう 

飼い犬にとって
あなたのお住まいが、群れの縄張りであり
飼い主であるあなたが、
群れのリーダーであることを
犬に示してほしいのです
あなたが犬と一緒に玄関を出入りするとき
犬を先に通してはいけません
どのようなときも、一度「待て」で犬を座らせ
あなたが先に、玄関を通った後、
犬を呼び込むようにしてください
また、無駄吠えをしているときは、
犬の名前を呼んだり、声をあらげ叱ったりしないでください
一度スイッチが入ってしまった犬に、
そのような対処は逆に犬の興奮を助長することになり
まるで逆効果です
そういうときは、犬の敏感な場所である脇をタッチし、
犬の気がそれた瞬間、間髪いれず
どのような言葉でもよいので、
短く一言、「落ち着け」その意思を毅然とした態度で
犬に伝えてください
それでも鳴き止まらない場合は
ひたすら無視、そして落ち着いたら
先に述べた、玄関を使った
トレーニングを繰り返してください
飼い犬は、家族(群れ)の一員です
そして群れの中で飼い犬の順位は
一番下位、でなければいけません
しかし、野生本能は、群れや縄張りを守ろうとするので、
その性質は、群れの中で、順位を上げるようとする行動としてあらわれます
犬は野生本能に従い行動します
群れのリーダーがしっかりしないから、犬の方があなたの代わりに
群れを守ろうとしています
必ず人間が犬の言葉を、理解した上でリーダーシップを発揮してください
常に犬は自然に帰りたいと思っているのです

それにしても、哺乳類の子供はフォルムが丸い
3〜5頭身で、とても可愛いのはなぜかというと
可愛くないと、親が面倒をみなくなるからです
・手に負えそう、(小型犬・ウサギ・ハムスター)
・意思の疎通が出来そう、(イルカ・クジラ・大型犬)
・自分の役に立ちそう、(馬・牛・トナカイ)
このような条件下で可愛いと、母性本能がはたらき
対象を贔屓します
贔屓は、外界とコミュニケーションをはかり種を守ります
生物はDNAを乗せたバスでした

まぁまぁ、きれいのお姫さまが
かなりイケメンの王子さまのもとに
国境を超えて嫁いできました
新聞は「絶世の美男美女結婚」
と賛美絶賛しました
それを読んでお姫さまは、
私ってかなりイケてるんちゃう?
と勘違いしました
王子さまも、そんなん当たり前やん
という素振りで、バラの花の匂いを嗅ぎました
王子さまは、もともと仕事が嫌いでした
お姫さまは、乾燥肌を理由になんにもしません
ぶくぶく太ってゆきました
それでもひとりの立派な男の子が生まれました
息子は成長すると、こんな両親で本当によいのか?
という疑問を抱き、一人で旅に出てしまいました
そして、いろんな国を流浪し
いつのまにか、義勇軍の長になっていました
息子の故郷では、息子の両親である
王子さまとお姫さまの夫婦喧嘩が原因で。
国を二分するような、大きな内乱が起きていました
それを聞きつけた息子は、
内乱を鎮圧するために10万の兵を連れて
国へ帰ってきました
そして息子の軍は、1日もかからないうちに
内乱を平定しました
しかし困ったことに息子には
父か母か、どちらが内乱の首謀者なのか
判断できませんでした
とりあえず息子は、
お城の財宝をすべて没収し、
父親とその一族共々国から追放しました
そして、母親と共に暮らしましたが
正式に息子が王様になったとき、
この国は間もなく、滅びてしまいました

彼らは気づいていない、自分の言葉が内面を蝕んでいること
彼らは東洋の美しい花瓶をみて、その美を主観で論じ合う
彼らは花を生ける方法を知らないので、
花瓶を実用的に使用できない猿のように、頭を抱えている
機能や構造を知ることなく、存在の理由と目的を見落とし
それを内なる美などと呼び合い、幸福を激しく希求している


-ああ、ローレンス!-

破裂寸前の気球ような町
誘拐されたルバーブパイを
空に浮かべた町
乳飲み子を抱いた母の澄みわたる
向日葵のまわり縺れる愛しい雑草の町
胸の前で両手の指を組み
両膝をそれなりに抱え
胎内のカンテラの灯り
忘れるために思い出す
しじまをわし掴み家の扉を軒並み叩き
眠りを巻あげ、がらんがらん転がる
馬に鞭を打つ音は、水面に針先を落とし
ひろがる波紋を見てはいけない
聞きいてはいけない

午後、悪夢を縛りに
兵隊がやってきた
隊長は教会の敷地の草刈を
兵士たちに命じた

「ああ、どっちが勝っても負けても、俺たちに変わりねぇ」
「あいつらが思っているように、俺たちも思っている、あいつらは人じゃない」
「俺は死んでもDixieを歌わない」
「Dixieを歌わされている55連隊はごめんだ」
「Dixie、綿畑を守るのは、俺たちの仕事ではない」
「Dixieに俺たちのリズムはない」
「Dixieを作ったのはダニエル・エメットだ」
「Dixieは作ったんじゃない、俺たちのために作られたんだ」
「軍服なんぞ脱いじまえ、奴らには俺たちが、敵か味方か、見分けがつかない」
「勇気なんて必要ない、俺たちに必要なのは覚悟だ」
「死ぬのも生きるのも同じことだ、さぁ、はやく子供を抱いてカンザス川に飛び込め!!」
「解放という名の下に、すくわれるというなら、金魚と同じじゃないか」
「あのヤンキーは貧乏だから、声をだして罵れと、俺のヤンキーは言っていた」
「誰も信じるな、と言う親でさえ信じるなという」
「今から、すくわれても、また別の今に移されるだけだ」
「ウィリアム・クァントリルは、俺たちをすくいにきたのか」
「あの金ピカの銃はいいな」
「欲しいものはなんだ」
「こんなもん」
「欲しいものはなんだ」
「リンカーンがなんだ!」

ローレンスの町は焼け落ち
唯一プリマス会衆派の教会だけが
その攻撃を免れていた

夕陽は脊髄を伝い
影は地面に瓦礫の刺青を彫る
兵士が踏み付けた黒い土から
死者は這い出し
骨を叩き、血を噴き散らし
鼓笛隊は肉を剥ぎながら
夜を行進する信徒たちは
ドラムカンで、秘密を燃やしている
そのまわりを火の粉が取り囲んでいる

「誰かが混沌の王になるか、
それとも混沌が神になるのか、賭けをしよう」
「月の邪魔をしないように、星は光っていてもいいのかい?」
「明日は新月、公平な賭けを・・」


-即興詩- 13 Noviembre. Improvisado poema para Francia.

ひとりの死が、ひとつの世界の終わりを告げるように
世界の終わりは、ひとりの死を告げています
ひとりでは支えきれない、たくさんの人の死に
心ここに非ず、悲しみの文字を滲ませたとき
出会ったことのない人たちが、背中を後押してくれます
その手の温もりが、だれのものか知りたくて
落日にむかって、孤独を呼んでいるのです
その声は、地球をひとまわりして、また僕の背中を押しています
どうして世界は丸いのに、背中ばかり見せられる
せめて君の顔をみたくて、ひこうきにのって逢いにいきます
ひとりの死は、世界が何万回終わることより悲しいから

君が死んだ理由を仮説せよ
僕が生きる理由を仮説せよ
心が痛んだ理由を仮説せよ
戦争反対の理由を仮説せよ
人はそれぞれ他人を仮説せよ
臆することなく仮説を仮説せよ


お肉のポエム

  

わたしがあなたであることを証明しましょう
あなたが目をひらけているときはあなたです
さぁ、次ぎは目をとじてごらんなさい
あなたにとってのわたしが脳裏から歩み出て
あなたの目のまえを支配してゆくのがわかるでしょう

宇宙に空間を歪めてしまった
ゴミだしするのを忘れた日

小さな物語のなかは
些細なことで
一瞬に広がる泉
魚が8の字を描く
広大な海に
一人の若者が
荒れ狂う夜に向かって
漕ぎ出した母の話
静かな言葉だった
本を閉じたあと
いつかあなたの少女も
若者の話をきくでしょう

ああ、ところで人間
そう、おまえだ、そこの人間よ
おまえはどこから来て、どこへ行くのだ
そしておまえは今、どこにいるのだ
結局、私の悲しみも誰かの胸の裡
海の藻屑と消えるわけだ
それは私がそうであるように

悲しみを望むような馬鹿ではないけれど
あいつの死は忘れられないほど美味かった
あいつが死んだおかげで、俺は今もここに立っている
あいつの屍が、俺の足首をガッチリと掴まえている
他人の悲しみより美味いものはない
だから俺が死んだときは大笑いしてくれよ
あのバチ当たりもんが、ようやく腹を満たしたかと
恥ずかしいくらい、喰らいやがったと

繰り返される人生の、スクランブル交差点
鳴り止まぬ轟音、耳鳴りのような空をめがけ
芥子粒は真っ只中で立ち止まり
人目を憚らず立ち止まり
力いっぱい腕を突き上げる
その手のむこう、摂氏0℃の指先に
静寂は真空に集まる

放り出されてしまった
街は人々に幻想と問い掛ける
-ゴウゴウ-
耳鳴りだけが風を切る
わたしと暮れ急ぐ空だけが
見えない糸で繋がれた現実
夕焼け色にオレンジの薫りがした
あの人は来なかった

俺はあやまらないから
あなたもあやまらなくていいよ
黙ったまま、心の牢獄で
背負い続ければいい
ガラクタが散乱する
鍵がかかったままの
閉じられたままの鉛の箱を
女はひらけてはいけない

くびすじにキスをするとき
髪から他の男の臭いがしたので
僕はおもむろに君を殴りつけた
すると君は泣きながら、その匂いは
わたしたちが今、こうしてここに在る理由だと
言って空を指差した
何の変哲もない景色が四角く切り取られ
君はその中に何人も居た
僕は一番幼い君を抱き上げて
やさしく頬にキスをした

ばちゃばちゃばちゃばちゃ ばちゃばちゃばちゃばちゃ
ばちゃばちゃばちゃばちゃ きゃりーぱみゅぱみゅ

みずたまり、この水溜りに
思い出が降っている
雨の如く、波打ち際を
いったりきたり

星から星へ
象が玉乗りしている

世界は多分、他者との総和
しかし、互いに欠如を満していると
誰も知りもせず、誰にも知らされもせず
ばら撒かれている者同士、無関心でいられる間柄 
うとましく思うことさへ、許されている間柄
そのように世界が緩やかに、構成されているのはなぜですか?
花が咲いているすぐ近くまで
私の風だったのかもしれない

目にも見えない
耳にも聞こえない
ふと美しいときにだけ
思うことを許された
そんな大きなもの
海に形はありますか?
寄せては引いて
ただそれだけで

老いは裏切らない
空は変化し、命は移り変わる
けれども老いは、俺を裏切らない
人の話に耳などかさぬ
うねうねと迷走する未来へ
黙って一本道を叩きつける
桜の散る春
枯葉舞う秋
奴の背中が
大きく聳え立っている

心は道化師、移り変わる
いったい僕はなにをもって
君に話をしているのだろう
寝ても起きてもいないとき
無心は突然やってきて
ふと僕を黙らせる

地底の薄ら笑み
深々とその浸水
破れた長靴の先に
空の内耳が立ち込める
萎れてしまった午後に
二重の太陽が凍りついている
魂の延命に、白いテーブルが
仮初とあざ笑う
運ばれた肉片の
卑しき爪あとが腹を裂く
午後の雨は鈍い銀の刃

古ぼけた納屋を横切ると
田んぼが、山肌からせり出している
小川のせせらぎの脇にラーメン屋はあった
落ちぶれた人間が
麺の先を辿るように集まるこの店を
人は夜鳴きと呼んだ
暮れ急ぐ竹林に
店主はポロポロ暖簾をだす
罠に捕られたイノブタが
ちぎれそうな足をなげだし命乞い
「わたしの足をスープにしてください!」 
店主言う
「足をひき千切りたまえ。」 
猪は、「ありがとう!ありがとう!」 
涙を流し、その木の根っこのような顔で
鳴り止まぬ横笛の音

愛かどうかは解らない
たんなるひらめきに違いない

ひらけてのひら春のよに
いみもないよな言葉たち
咲かせた花のものがたり
じべたの下で血のような
ぬくもりだけが感覚だ

ならならと、時間の底に横たわる、鉄兜がグシャリ窓から転げ落ち
行く手を見失った戦争の輪郭が、麦の穂にピラピラはためいている
錆びた泉に涌きでる、幾千の爪色の身体を、地に透かした死者の顔が笑う 
うなうなうなうなうなうな
うなうなうな殺してくれ〜
眠りを忘れた老い猫の呻き声が廃屋の枯草を潰す
ジリジリと、足跡が焦げつき
電信棒は腰くだけ、返信さえへもままらない
封筒をナイフで裂くと、幽霊の片腕が落ちる
右目を押さえ、耳から鼻へ紐を通す着信音
魔王は古の橋を、過去から未来へ転倒する
カエルの腸管に息を吹き込めば
引き裂かれた国旗に中吊りの人間にぶらさがっている
石畳に壁に瓦礫と倒れ
圧迫された消灯は軍服の隙間から蛆がひちゃひにちゃと青肉を吸う
淋しい歩道に太陽は照り荒み、ミミズが乾いたまま寝むっている
この細い旋律が雨に流されてしまう前に、魔王よ、いまこそ鳴り響く鐘の音を聞け
テロオオオオオオオン!!
しああああああああん!!

斜めに引き裂かれた断面が降り注ぐ
寂しい婦人、 傘もささずにトタン屋根
錘のような子を抱いて、セピアの海に釣糸を垂れ
おお、雨だ!雨だ!!雨雨雨雨だ!!
窓ガラスに雨が張りついた裸体を舐めまわしたように
新緑の輪郭だけを残し、思い出は甦る
さぁ来い、馬に乗った鼓動が大地に響けば
指のあいだの温度を保て!

モダン色したキリンの群れが
煉瓦造りの街を徘徊する
3階建ての窓から朱色の風船が飛んでゆき
お嬢さんはどこですか?
兵隊の列が、ねずみをかきわけ
破裂した女の腹から闇へギコギコと
鼻から口へ黒い血が垂れ流し
この臓物は馬小屋の味がする

青い海、暮れかかった海のうえに鍵盤が波打ち、どす黒い海だ
人の話し声や、行き交う車の地響きや、おまえのうめき声
混ぜこぜになった風に滑空しているカモメだ
いったいどこの誰が、この止まぬメロディを肴に酒を呷っている
どうしてカモメ、おまえは血と汗と宿命を知り得るか
おまえの翼が、おまえの笑い声が、時間を海に変えてしまった
足跡を浚う、繰り返す波の音!
さりげない明日の予感が呑まれてゆく
おお、首をかしげる海亀のように、人生どもが幻聴に浮かんでいる

あたい、魂売った銅貨一枚
季節外れの砂浜だよ
からっぽで、肌は黒い
誰も居なくて、澄んだ空
とっても静かだったよ

電線に打たれた空気が口を歪め
そしらぬ態度は、ビクンと時間を凍り漬け
鼓動は足並みを揃え、頭を抱えて走り出す
輪郭がまるで知恵の輪のようにゴロゴロと回転している

蜘蛛の糸をひく玄関を押せば
薄ら笑みを浮かべた男が寝ている
ねぇ、お客さん、お客さん
わたしの顔をまたいでおくれ
記憶の裏に、深く沈めた腫れ物をしっかりと拝んで
あんたがどこからきたのか、股間をまさぐりながら
思い出しておくれ、ヘソに店主の顔が浮かびあがる
ここはおばけ屋敷だ

道の欠片に根を張った
薄葉の花と蜻蛉は
なべて昨日の大地に積もり
針のような今を落とす
遠ざかる祭りの囃子が雫を垂れる
笛の音は一丁離れた
先の予感でちょうどよい

空っ風が寝静る街路を、知らないあいだに駈けてくる
テンテンと、幼児のように跳ねてくる
詩人が歩いたその後は、名の無い草が生えている
恥ずかしそうな眼差しで、誰もいなくなった空き地の縁で
地面に耳を押し当てて、目隠ししてるの誰ですか?
あなたはこの世から解雇されました


佐藤くんちのたまごがけごはん

  

僕が住んでいる町は、少し変わっていて、町全体で、ひとつの 「食堂街」 のようになっているんだ。
すべての家の、どの家族にも、それぞれに得意とする料理があって、その料理名も、表札と一緒にかかっている。電話帳にだって、このように載っている。( 日本太郎 住所 電話番号 にくじゃが )。

この町の住人は、週に1度は必ず、よその家族の“家”が得意にしている料理を、自由に選び、家族で食べにいくことになっている。そして、よその家族の家の人に、自分の家族の家の得意料理を、食べてもらうときは、心を込めて、ふる舞わさせてもらえるよう、努力しないといけないんだ。
料理はすべて無料で、必ず5日前には、お互いに相手の家と、その家族に失礼がないよう、予約をしたり、承ることが、何よりも大切なマナーになっている。昔々から、町が守り続けている、この風習は、今では無形文化財に指定されていて、街並みの中心には、町と保存会が運営している、文化博物館と、小学校や大学が、ババーンと聳え立っているんだよ。

でもね、近頃はイタリアンとか、ステーキとか、ラーメンとか、そういう異国の料理が流行りだから、もともとの日本食から、異国の料理に鞍替えする家がとても多いんだ。このまえも、友達の小松君が、地面を見つめながら言っていた。
「ごめん、ほうれん草のお浸しから、ほうれん草のソテーになった。」

僕の家の得意料理は、「たまごがけごはん」なんだ。僕の家では、この、たまごがけごはんを、先祖代々受け継いできている。 お墓参りにいっても、石碑には、これ見よがしに、『 元祖たまごがけごはん 』 って彫り刻んであるからね。
「今さら墓を建てかえる金なんかない!」
って、お父さんはいつも言っているし、 僕たちは汗だくになって、ピッカピカになるまで、墓石を磨き続けなければならない、 だって、僕の家は、たまごがけごはん一筋だからね。 これは仕方がないことなんだ。
でも、実際のところを、 シー!静かに。
コッソリ言わさせてもらうと、今どき、わざわざたまごがけごはんなんか、食べにくる人なんていないんだ。
「食べるものがなかった時代、たまごは栄養満点の高級食材だったんじゃ。」
おじいちゃんは、朝のおつとめがおわったあと、しょっちゅう、たまごの話を、誇らしげにするんだけど、喋りはじめると、お経よりも長くなるんだ。昔はうちの家でも、たまごがけごはんを食べにくる人で、行列ができていたらしいけどね。

先祖代々受け継いできている たまごがけごはん を、町の人たちに食べてもらうことが、めっきり減ってしまった僕たち家族が、ごちそうになる料理の家も、この数年、だんだんと質素なものになってきている。 世間体を気にして選んでいるつもりはないと思うけど、今は、豆田さんちの 冷奴 が5週もつづいている。 豆田さんの家族は、みんな優しくて、善い人だから、ほんとゴメンナサイというか、仲良くしてもらっているんだ。

もうすぐすれば春休み、校庭の花壇や、畦道、道端にも、色んな草花が芽吹きはじめているから、ふわふわ浮かれた気分で、家に帰ってきた。家族のみんなは、目を皿のようにして電話帳を見ているよ。お母さんが、受話器の下を手で隠しながら、肩をすぼめて電話をかけはじめた。

「もしもし、海老名さんのお宅ですか?ご無沙汰しております、 香ばしく焼いた フ、フロマージュ・ド・テット豚のゼリー寄せ〜 の佐藤です。実は、今週の土曜日、海老名さんの エビフライ を、ご馳走になりたいと思いまして。 え、タマゴガケゴハン?。 こ・・香ばしく焼いた、フッ、ブ、豚の寄せてっとゼリー の佐藤になりましたですけど・・、はぁ、はい、そうですねぇ・・ぇえタルタル?!。 あ、ありがとうございます、5人です、ありがとうございます、お世話になります、よろしくおねがいします。」

お母さんが受話器を置くと、チン と静かに音がした。みんな示し合わせていたように、僕の顔を見てニッコリ。 もー! こっち見なくても聴こえてるよ。土曜日は僕の誕生日、エビフライ 大っ好物、 しかも、タルタルソースが付いているなんて。
外の空気が吸いたくなったので、裏庭で、なんとなく町を眺めている。 ほうれん草の小松君に、なんて説明しようかな? ハァー、まだ少し、息が白い。

あれ、にわとりが、死んでる
うわあああああああ、おじいちゃんも、死んでる


まどしめお

  

-もういいよ

空が呼んでくれるまで
洗いながら考えている
手の中でなくなるか
おなかの中でなくなるか
どうして食べれば美味しいか
どちらにしても答えはひとつ
アライグマは
今がいちばんしあわせだ



-はね

鳥は自由に空を飛ぶ
自在は空よりたかく飛ぶ
自由自在っていったいどこだ?
朝がくるまでコケコッコー



-ねこ

ライオンになったねこは
ほえるたびに思いだす
ぼくがライオンになるのは
なかなかむずかしいニャー



-どこから

風がピュー
ウサギの耳はぴこぴこ
トラの耳もぴこぴこ
こころのほうから
耳に話かけるように



-はな

父さん父さん
おはなが高いのね
そうよ母さんも
高いのよ



-にんげんゆうびん

黄色人種さんからお手紙着いた
黒人さんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの白人ご用事なあに

黒人さんからお手紙着いた
黄色人種さんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの白人ご用事なあに

白人さんからお手紙着いた
黒人さんたら読まずに食べた
仕方がないのでお手紙書いた
さっきの黄色人種ご用事なあに



-あいだなしを

にんげんだったらなんとかせんかい!



-手

手と手をつないだぬくもりが
ふたりの孤独を包んでいる
言葉にならないやさしさで
いつか離してしまうのに



-無

まっ黒けでなにも見えないよ
まっ白けでも何も見えないよ



-鐘

平和という言葉を
必要としない時代が
はやく訪れますように



-願い

ゴーンと
こころいっぱいに
鳴り響けば
それでいいのです


供物

  

砂漠でな、雨に殴られながら
明日まで来ちまった
火の玉は魚の群れの
転寝に聴こえて
蜃気楼を消し去るんだ
銃声が日付を飛び越えて
腹と背中を引っ付けちまう
氷河のような目だった
音ひとつしない
何も溶かさない
花のような澄んだ黄昏だった
あることとないことが
ひとつになって生きたり死んだり
血が止まると
心臓が脳みそを鷲掴みにして
がんばろうなんて思う暇なんかない
努力した時点で
オーバーヒートするって魂胆
皿の上で火がのたうちまわって
油を焦がし尽くした頃には
この始末で深い夜のまま
石でも食おうか
生きていた証みたいなもんさ


ネオン街

  

薄口だ、田んぼにまみれた土を、黒長靴の粘土を落とし、街にやってくるものよ、若者よ、首を絞めて殺した地鶏の濃厚な出汁は、どこで啜っているのだ若者よ、花板を夢に、追回しの日々を過ごした、あのド塩辛い涙をどこで薄めているのだ、舐めながら、味見するのか若者よ、尻のポケットの薄っぺらでキラキラな財布の中身も薄っぺら、まるで5000円札が、デフレしているじゃないか、こんな薄っぺらい時代悪に呑まれてしまうな、若者よ、呑まれてしまうな若者達よ!3才まではみんな天才だったんだ、物心という船がやってきて、みんな一緒に乗ってしまって、心に同じ制服を着て安心、見た目の違い?ジャニーズの、黒人の、白人の、それの何が個性だそんなもの!!!という風に、僕も10代の頃、目上の人間に思われていたのかと思えば、なるほど合点がいくから仕方がない。時代に置いていかれた、僕のようなさみしい中年は、昼からカラオケ喫茶でジジババを楽しませたり、偽物を売る、薄くスライスした生ハムの経験、若者に他ないと思えば、それなりに黙っていることも、それなりに“善”、雑草と呼ばれる、一般的という言葉は好みませんけれども、雑草を記憶に収めるのが、趣味というよりも、人生が光そのもの、のようなものですから、僕の器にはピッタリだということを、前置きとして据えて置かなければ、大きな植木鉢ですよ、地球はね、有利な場所、不便な場所はありますけれども、記憶がそれを判断してしまうと、雑草には逢えないというか、成れないという、時をね、使わせてくださいとお願いするわけではないですよ、流れていますのに、それを相変わらずと呼んで頂けるのは、吝かではありませんし、感謝とか大袈裟な話でもないのですよ、雑草としては、滲んでいますけれど、波長ありきですので、あえて、合わせる必要はないと、感じていますし、せせらぎを、若者のリズムで感じることが出来ているか、心を聴くことは出来ませんけれど、もしも聴こえたら、離れてゆく、そのような準備はどこかでしていますし、またいつか、と願っているときは、触れている、こんなに透明であったのかと感じたときに、水は生まれる、のだと、はじまりは絶え間なく、歩き続けているのですから、誰も見ていない世界を、誰も見ていることと知り、手にすることなく息絶える、それが至極当然な答えだと思いますし、見ているふりかもしれませんし、対応は単なる優しさであったかもしれませんが、自然に足が止まってしまうことも、ロスのない、タイムロスであった日がこの世に現れて、切り取られた空は四角く、力強く、力強く、いつもよりしっかりと力を抜きながら、丸みを帯びた互いに観つめあう言葉を、雑草でするように、私に見えないものは、絵的にすべて信じてみたく、ネオン街をさせられてしまいますし、二度とありませんけれど、思い出の焼き回し、もう一度、若者したいと思います。


みずきりさきおくり

  

サワガニを飼っています。毎日、毎日、世話をしています。このような生活を送るようになったきっかけは、鮮魚が美味しいと町で話題のスーパーで、当時、僕が好きだった人が、サワガニを生きたまま買って来たからです。お惣菜を入れるような、簡素なプラスティックのパックの中で、サワガニのどれがどれの足なのか、分からないくらいにこんがらがって、ひとつの塊になっていました。不憫だなぁと思いながら、輪ゴムで縛られているパックをよく見ると、高知県・吉野産と書いてありました。愛媛県と高知県の県境に位置する山村に、僕が幼少を過ごした家が在るのですが、その近くを流れる清流が、下流で吉野川と合流しています。もしかすると、スーパーでこのサワガニを見つけたとき、溯ってきてくれたのかもしれません。

懐石料理の八寸に、サワガニの姿煮が付いていたのを覚えていました。ネットで検索すると、たくさんレシピを見つけることができました。とりあえず、サワガニを調理用のボールへ移しました。サワガニの塊は、円を描きながら滑り落ちていきました。しかし、ボールの底に収まったのも束の間、脱出を試みるサワガニの上に、他のサワガニが乗り上げ、登っては滑り落ち、互いのハサミで足を引っ張り合っていました。暫く眺めていると、一匹のサワガニが、ボールの縁に片足を引っ掛けることに成功しました。僅かに縁を掴んだか細い足で、体全体を引っ張り上げると、諸手(ハサミ)を挙げ、殻いっぱいに重力を吸い込み、外に落ちました。ボタン!それは予想に反し、物凄い勢いで走り出しました。驚いた僕達も、なんとか捕まえてボールに戻すのですが、一匹を捕まえている間に、また別のサワガニが脱出するので、それを慌てて捕まえていると、紐の結び目を解いたように、サワガニは続々と逃げ出して...たまらずフライパンで蓋をしました。

サワガニが逃げ出さないような、容器を買いに走りました。ひとり車を運転をしながら、この事態を頭の中で整理しているとき、アクセルを踏み過ぎていたように思います。100均のダイソーで、洗った食器を預け置く用の、水切りカゴを買いました。トレイの内側から、水切り網を抜き出し、逆さまにしてトレイの上に被せると、水切り網は網目の蓋になりました。蓋がトレイから外れたりずれたりしないよう、合わせてガムテープも買いました。本当は、もっとシンプルな底の深いバケツ的な物を、お互いにイメージしていたと思うのですが。

帰ってくると、夕飯の支度が整っており、炊飯器が、ご飯が炊けたことを知らせていました。買ってきた水切りカゴとガムテープを、袋から取り出して見せると、え? という顔をしていましたが、トムヤムクンという、タイ風のエビ入りスープを作ったようで、頻りに味見をしては、満足そうにしていました。いつもは、味は分からないとか、保証できないと言って、楽しみを先送りにする人なのですが、この日はめずらしく、そのような楽しみを忘れてしまっているようでした。食卓の隅っこでは相変わらず、ボールはフライパンで蓋をされていました。ボールの中からは、砂利を刮ぎ取るような音が漏れ出して、部屋中に立ち籠めていました。外では雨が降りはじめ、町並みを薄暗く染めながら、やがて夕立ちになっていました。水切りカゴは、ベランダにほうり出されてしまって、物干し竿をつたい落ちている、雨水を溜めていました。干されたままの洗濯物は、秒針が刻んだ時の後方で、ぶら下っていました。太陽の光波は、雲の内側で今を透かしながら、今日の思い出を街明りに譲り渡していました。暗い場所、明るいところで、光は同じ意味を以っているように思いました。トムヤムクンはそれなりに、酸っぱく辛くありました。僕はテレビのボリュームを上げました。サワガニの救命活動も、先送りになったままです。 


いすは立ったまま

  

サンタクロース
母乳みたいなの
おかあさん
母乳みたいなの
ひましに
母乳みたいなの
ほしぶどう
母乳みたいなの
ひなたで
母乳みたいなの
いねむり
母乳みたいなの
なにか
母乳みたいなの
おいたを
母乳みたいなの
したの
母乳みたいなの
たった
母乳みたいなの
ままのいす
母乳みたいなの
おとうと
母乳みたいなの
ねむらせ
母乳みたいなの
いもうと
母乳みたいなの
ねむらせ
母乳みたいなの
よふけ
母乳みたいなの
ひとり
母乳みたいなの
たったまま
母乳みたいなの
ねむるいす
母乳みたいなの
いすが
母乳みたいなの


琵琶湖疎水扁額史會

  

さくら淡く電燈に透けながら
ほどけるをみる
※1)萬物資始 :すべてのことがこれによって始まる

もこそに馳せた大陸は
※2)気象万千 :千変万化する氣象と風景の変化はすばらしい
帯状に弛む疎水の門をくぐり
あかりまるく落ちるを知る
※3)寳祚無窮 :皇位は永遠である

長等山のトンネルを抜け
四ノ宮の船だまりで時の歩み蒼白に微睡む
※4)廓其有容 :悠然とした大地のひろがりは奥が深く悠久の水をたたえる

飛沫の余波(なごり)山麓に乗りあげ
月光の果てで、時と混じりあう
※5)仁以山悦智為水歓 :仁者は知識を尊び知者は水の流れをみて心の糧とする

※日御山に沓を遺し
陽はのぼり※御廟野に影を縫う
※6)隨山到水源 :山にそって行くと水源にたどりつく
永遠を呼び醒すこゝろの逝くすえは
琴線をかき鳴らしている
わたしは琵琶湖うまれ
わたしは琵琶湖うまれ
季節の袖で風を拭う

*************

花冷えに春嵐の舞踏をみるを
新緑、水盤に移り映える

※7)過雨看松色 :時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる
※8)美哉山河 :なんと美しい山河である為政者の徳と国民の一致が大切である

古都を燈すあかりの配列は

※9)藉水利資人口 :自然の水を利用して人間の仕事に役立てる
※11)一身殉事萬戸霑恩 :明治35年、田邊朔郎、※蹴上に第1疏水殉職者慰霊碑を私費建立す

蹴上に水は京を禊ぎつづけている
螺旋状に編み込まれたねぢりマンポを潜れば
まもなく4000本の躑躅が花をつけているのを観る

※10)雄觀奇想 :それは見事なながめとすぐれた考えである
※12)亮天功 :民を治めその所を得さしめる

我、大陸黄土に霞むをみる




※参考

※1萬物資始
第2疏水 (取入口)
久邇宮邦彦 筆
すべてのことがこれによって始まる

※2氣象萬千
第1疏水第1トンネル東口 (大津側)
伊藤博文 筆
千変万化する氣象と風景の変化はすばらしい

※3寶祚無窮
第1疏水第1トンネル (内壁)
北垣国道 筆
皇位は永遠である

※4廓其有容
第1疏水第1トンネル西口(藤尾側)
山縣有朋 筆
悠久の水をたたえる
悠然とした大地のひろがりは奥が深い

※5仁似山悦智為水歓歡
第1疏水第2トンネル (東口)
井上馨 筆
仁者は知識を尊び、知者は水の流れをみて心の糧とする

※6隨山到水源
第1疏水第2トンネル (西口)
西郷従道 筆
山にそって行くと水源にたどりつく

※7過雨看松色
第1疏水第3トンネル (東口)
松方正義 筆
時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑をみることができる

※8美哉山河
第1疏水第3トンネル (西口)
三条實美 筆
なんと美しい山河であること
為政者の徳と国民の一致が大切との含意

※9藉水利資人口
疏水合流トンネル (北口)
田邊朔郎 筆
自然の水を利用して,人間の仕事に役立てる

※10雄觀奇想
ねじりマンポ (南側)
北垣国道 筆
見事なながめとすぐれた考えである

※11一身殉事萬戸霑恩
田邊朔郎 筆
明治35年 田邊朔郎が私費建立した第1疏水殉職者慰霊碑(蹴上)

※12亮天功
第2期蹴上発電所 (入口)
久邇宮邦彦 筆
民を治めその所を得さしめる

※日御山
京都府 京都市山科区にある山の名前。(天智天皇が行幸した折「日の山」と 名付けたことから「日ノ山(日御山)」呼ばれている。) 京都で最古の宮「日向大神宮」がある。
※御廟野(御廟野町)
京都府 京都市山科区にある地名。天智天皇陵がある。
※蹴上
京都府 京都市東山区にある地名。蹴上浄水場や蹴上インクラインがある。


蒼ざめし

  

我が頭骸骨をさわりたい
目玉がはまっていたところから
外を覗き込んでみたい
穏やかに昇天している無量の言魂がみえるだろう

我が墓石を前に、
我が頭蓋骨を両腕に鎮めている
あちらの人間も、こちらを見ている
あちらとこちらの境界で、互いに気不味いではないか
胡座の裡にどっしりと座り、

人目を気にせず

ああ、我が頭蓋骨を抱きしめていたい

出かけるのは深夜、我が頭蓋骨のとなりに腰かける
星林は夜景に埋もれ、街明りは絶景を見下ろしている
もう、帰るところがないのである
宙も大地もないのである
雨風を凌ぐ、
家に設計図はいらないのである
あちらもこちらも、
同じ社会構造になってしまう

ひとり静かに死んでいたいのである

我が頭蓋骨を抱きしめ、
ほんとうに最後までよくがんばった
心臓も労ってやりたい (火葬してしまった
せめて墓を建ててやりたい (心臓に名前がなかった
今さら申し訳ないと思う
四十九日、心臓を靖子と名づけ呼ぶことにした

*

靖子、我が片恋の女
あちらでは、
一言の会話さえ、交わしたことがなかった
しかし、今なら告白できる気がする

暦の境界に靴を脱ぎ
ここから飛び降り貴女の跡を追うのだ

靖子、靖子さん

この勇気はいったいどこから湧いてくるのか
こちらで貴女へ伝えられなかった恋情を、
あちらで貴女に伝えること叶うであろうか・・

そう思うと、


靖子がどきどきする


蛾と心

  

波の蛍光灯にはりついて
小さな母が
影を見つめている
どこから飛来してくるのか
波は知れない

未だ夜の明かりに求められる
138億年前の爆発
母に光の形をとどめ
その、荒々しい波が
私の大脳皮質を凸凹に踏み潰す

手足や道具から
人間の主語や意味が〓げ
母は微笑みながら降り積もる
性善や性悪が波を支配し
現象がここにある

研ぎ澄まされた私の触覚の
視界が保有している権限は
闇の隅々に鎮み行使される
微かに震える波動が子宮に打ち寄せ
希望は最後まで動かないでいる


草花ノート

  



春から初夏に咲く草花 (山野草) を野外観察しました。好みの生体を選び、その花の名と、その花言葉と、そのときに連想した言葉を貼り合わせました。


ゝ観察した草花とその花言葉のリスト

・タビラコ
花言葉:秘かな楽しみ

・ヤブヘビイチゴ
該当なし

・ヘビイチゴ
可憐、小悪魔のような魅力

・カタバミ
喜び、 輝く心、母のやさしさ

・タチツボスミレ
小さな幸せ、つつましい幸福

・キランソウ
追憶の日々、健康をあなたに

・ナズナ
あなたにすべてをお任せします

・ハナニラ
悲しい別れ

・ホトケノザ
調和

・クサフジ
生命力の旺盛な

・カラスノエンドウ
小さな恋人達、喜びの訪れ、未来の幸せ

・シロツメクサ
私を思い出して、幸福、幸運、復讐

・キツネノボタン
嘘をつくなら上手に騙して

・オドリコソウ
快活、陽気、隠れた恋

・カキツバタ
幸運は必ず来る、幸せはあなたのもの

・キショウブ
信じる者の幸福、私は燃えている

・ハハコクサ
いつも思う、温かい気持ち、いつも想っています

・シロバナタンポポ
私を探して、そして見つめて

・ハルジョオン
追想の愛

・ケマンソウ
あなたに従う

・ササユリ
清浄、上品、純潔

・ワスレナグサ
真実の愛、私を忘れないで

・ツルアリドオシ
無言の恋

・オカタツナミソウ
私の命を捧げます



ゝ草花の観察中に連想した言葉のメモ

・ゆれる
・あなたはあつい
・微量の乙女心のこる
・焦げくさい三月の手紙
・畦道の空
・夢をしている
・道標
・幻が停車している
・ああ、父よ
・その色
・わたしたちの弟は、話し下手な
・里山の血
・もしくは
・土の故郷
・幸せの探しかた
・占った
・あてずっぽ
・四月を摘む
・栞にはさんだまま
・ここにいないということ
・くすぐったい
・すべてのいないということの意味
・風を帯びた
・ほら、あなたの母性
・ごらん、これは水死体
・あれが焼死体
・来世もわたしたちいちりんの(ね
・一寸法師はあとすこしのところでカマキリに食べられました
・緑命の五月
・神社の水
・人間が果物を食べる
・人の味がする
・母乳のふるさと
・涙は海の母
・世界自然遺産は既に死んでいる
・パンダこそ蟄居する自然の姿
・笛の音遠ざかる
・草花は死に切れない
・生き返らない生命
・誰かに枯らされるまえに
・ト、ヘンのまえ
・潔く自害して果てる



ゝ草花の観察中に連想した言葉に草花の名を添えました

ゆれる・タビラコ
・ヤブヘビイチゴ
あなたはあつい
・カタバミの
微量の乙女心のこる
焦げくさい三月の手紙
・タチツボスミレ
畦道の空
・ナズナが
・キランソウの夢をしている
道標
・ハナニラの
幻が停車している
ああ、父よ・ ホトケノザ
・クサフジ色
わたしたちの弟は、話し下手な
・カラスノエンドウ
里山の血
もしくは
土の故郷
幸せの探しかた
を占った
・シロツメクサ
あてずっぽのクローバー
四月を摘む
そして、栞にはさんだ
ここにいないということ
・キツネノボタン
すべてのいないということの意味
くすぐったい
風を帯びた、・オドリコソウ
ほら、
あなたの母性
ごらん、
これは水死体 ・カキツバタ
あれが焼死体 ・キショウブ
来世も
わたしたち
いちりんの・ハハコクサ
一寸法師は
あとすこしのところで
カマキリに食べられました
・シロバナタンポポ
緑命の五月
神社の水 ・ハルジョオン
人間が果物を
食べると
人の味がする
母乳のふるさと・ケマンソウ
涙は
海の母
世界自然遺産は既に死んでいる
パンダこそ
蟄居する自然の姿
・ササユリの笛
遠ざかる
・ワスレナグサ
草花は死に切れない
生き返らない
生命は・ツルアリドオシ
誰かに枯らされるまえに
ト、ヘンのまえで
潔く自害して果てる・オカタツナミソウ



ゝ草花の観察中に連想した言葉と草花の名に花言葉を添えました

ゆれるタビラコ (秘かな楽しみ、調和
ヤブヘビイチゴ (小悪魔のような魅力
あなたはあつい
カタバミの (喜び、 輝く心、母のやさしさ
微量の乙女心のこる
焦げくさい三月の手紙

タチツボスミレ (小さな幸せ、つつましい幸福
畦道の空
ナズナ (あなたにすべてをお任せします
キランソウの (追憶の日々、健康をあなたに
夢をしている
道標
ハナニラの (悲しい別れ
幻が停車している

ああ、父よ、ホトケノザ (調和
クサフジ色 (生命力の旺盛な
わたしたちの弟は、話し下手な
カラスノエンドウ (小さな恋人達、喜びの訪れ、未来の幸せ
里山の血
もしくは
土の故郷
幸せの探しかたを占った
シロツメクサ (私を思い出して、幸福、幸運、復讐
あてずっぽのクローバー
四月を摘む
そして、栞にはさんだ
ここにいないということ
キツネノボタン (嘘をつくなら上手に騙して
すべてのいないということの
くすぐったい意味

風を帯びた、オドリコソウ (快活、陽気、隠れた恋
ほら、あなたの母性
ごらん、
これは水死体 カキツバタ (幸運は必ず来る、幸せはあなたのもの
あれは焼死体 キショウブ (信じる者の幸福、私は燃えている
来世もわたしたち
いちりんのハハコクサ (いつも思う、温かい気持ち、いつも想っています
一寸法師は
あとすこしのところで
カマキリに食べられました

シロバナタンポポ (私を探して、そして見つめて

緑命の五月
神社の水 ハルジョオン (追想の愛
人間が果物を
食べると
人の味がする
母乳のふるさと ケマンソウ
(あなたに従う
涙は海の母

世界自然遺産は既に死んでいる
パンダこそ
蟄居する自然の姿
ササユリの笛の音 (清浄、上品、純潔
遠ざかる
ワスレナグサ (真実の愛、私を忘れないで
草花は死に切れない
生き返らない
生命はツルアリドオシ (無言の恋
誰かに枯らされるまえに
ト、ヘンのまえで
潔く自害して果てるオカタツナミソウ (私の命を捧げます



ゝ草花の観察中に連想した言葉と花言葉を本来在った場所に戻しました

ゆれる調和、秘かな楽しみ
小悪魔のような魅力
あなたはあつい
喜び、 輝く心、母のやさしさ
微量の乙女心のこる
焦げくさい三月の手紙

小さな幸せ、つつましい幸福
畦道の空
あなたにすべてをお任せします
追憶の日々、健康をあなたに
夢をしている道標
悲しい別れ
幻が停車している

ああ、父よ、調和よ
生命力の旺盛な
わたしたちの弟は、話し下手な
小さな恋人達、喜びの訪れ、未来の幸せ
里山の血
もしくは
土の故郷
幸せの探しかたを占った、私を思い出して
幸福、幸運、復讐、あてずっぽのクローバー
四月を摘む
そして栞にはさんだ
ここにいないということ
嘘をつくなら上手に騙して
すべてのいないということの意味

くすぐったい風を帯びた
快活、陽気、隠れた恋
ほら、あなたの母性
ごらん、これは水死体
幸運は必ず来る、幸せはあなたのもの
あれは焼死体
信じる者の幸福、私は燃えている
来世もわたしたち
いちりんの温かい気持ち
いつも想っています
一寸法師は
あとすこしのところで
カマキリに食べられました

私を探して、そして見つめて

緑命の五月
神社の水 追想の愛
人間が果物を
食べると
人の味がする
母乳のふるさと
あなたに従う涙は
海の母

世界自然遺産は既に死んでいる
パンダこそ
蟄居する自然の姿
清浄、上品、純潔の笛の音
遠ざかる
真実の愛、私を忘れないで
草花は死に切れない
生き返らない
生命は無言の恋
誰かに枯らされるまえに
ト、ヘンのまえで
潔く自害して果てる私の命を捧げます


タビラコと仏の座のロゼット

  


早春から、春の七草のひとつタビラコをよく見ます。それはロゼットの状態で冬を越したタビラコが茎や葉を伸ばし花を咲かせている姿です。
(ロゼットの状態で冬を越した)このロゼットとは植物が地面に対し茎は短く葉は這いつくばるような形態で中心から放射状に生えていることをさして云います。語源は八重咲きの薔薇の花の姿「rosette」より連想されたと伝えられています。植物がロゼットを形成する理由は用途によってさまざまですが、身近に見れるものではキク科のタンポポがあります。
合唱曲「タンポポ」の歌詞の中で「雪の下の故郷の夜、冷たい風と土の中で。」と歌われているのは冬越しするタンポポのロゼットのことでありましょう。タンポポのロゼットはこの歌詞のように根は土の中で、葉は(冷たい風)土の上で冬を越します。
又、タンポポの種子についても申しあげませば、種類や固体により差はありますが、カントウタンポポの種子は9月から10月の時期頃に発芽することが多いといわれています。中には種子の状態で冬越しする丈夫な個体もあるかもしれませんが、タンポポにとっては冷たい冬が訪れる前に発芽し、ロゼットの状態で冬越しをする方が何かと都合が良いのかも知れません。

「ロゼットの短所と長所。」

もちろんロゼットにも短所があります。ロゼットの状態では前述したように茎が短く背丈が低いので、他の大型植物との日光争奪戦では影を背負うことになり、光合成を営む上で非常に不利になります。ですのでロゼットの状態では大型植物が生息できない厳しい環境を選ぶ必要があります。その厳しい環境とは人間の暮らしと営みに近接する水田や畑その畦などです。ロゼットが大型植物と生存競争をしないですむ環境を得れば、背丈が低いという短所も長所に成り替わります。茎を伸ばす必要がないので栄養を貯めておくことができます。地面に対して這いつくばるように生える葉は土の温度を利用し冬の外気温から身を守ることができます。放射状に伸びる葉は隣りの個体と葉が重なり合い光合成を妨げることを未然に防ぎます。
これらの条件はタンポポと同じキク科に属する主題のタビラコにも大凡通用するでしょう。

「タビラコと春の七草。」

タンポポやタビラコ以外にもロゼットで冬越しする植物はたくさんあります。その中で身近なところから論うと春の七草のうちの5種類はこのロゼットの状態になっています。セリ、ナズナ、ハハコグサ、ハコベ、そしてホトケノザ(タビラコ)です。 このキク科のタビラコは大きく分けて3種類存在します。そのうち春の七草として一般的に食されるタビラコはコオニタビラコという種類です。その他にはオニタビラコ、ヤブタビラコという種類があります。

「ムラサキ科のミズタビラコとキク科のタビラコとシソ科のホトケノザ。」

キク科のタビラコとは別にミズタビラコと呼ばれる植物があります。これはムラサキ科の植物で容姿はキク科のタビラコとは大きく異なります。このムラサキ科のミズタビラコの名の由来はコオニタビラコと似たような場所に生息し、開花も同じ時期頃だからではないかと思われます。
タビラコを漢字では田平子と書きます。字から見てとれるようにタビラコは水田の畦道など湿った場所に多く見ることができます。
この田平子とはコオニタビラコをさしています。このコオニタビラコは春の七草では仏の座という名で呼ばれており、食品売り場などで春の七草としてその季節に販売されています。通常、仏の座として市場に流通しているのは前述したこのコオニタビラコでありますが、購入後、花が咲くまで待ってみると、それはコオニタビラコではなくオニタビラコだったという話もあるようです。何れにせよタビラコはロゼットの部分を蓮華座に例え仏の座として呼ぶのが通説です。
又、ホトケノザという名の植物にはキク科のタビラコとは別にシソ科のホトケノザが存在しています。分類上ではキク科のタビラコはシソ科のホトケノザにその名を譲ります。従ってキク科のタビラコは春の七草のときには仏の座(ホトケノザ)と呼び、それ以外はタビラコと呼ぶのが相応しいと思います。


「オニタビラコとコオニタビラコ・ヤブタビラコの違いを花径で見分ける。」

これら3種類のタビラコはいったいどのような花を咲かせるのかと申しますと、みなさん花を見ていちばん目につくのは花弁かと思われますが、花弁の色はすべて黄色です。花弁の枚数については個体によって様々ですが、コオニタビラコの花弁が7枚〜9枚に対しコオニタビラコやヤブタビラコの花弁は18枚と記述している図鑑をみたことがあります。しかし実際には観察時に花弁がいくつか散ってしまっている恐れもありますので、花弁の枚数で種類を正確に見分けるのは非常に難しいと思います。
花径(花の直径)の違いではコオニタビラコやヤブタビラコの花径が1センチなのに対しオニタビラコの花径はひとまわり小さく0・8ミリ程度です。しかしオニタビラコの背丈はコオニタビラコやヤブタビラコよりも大きく20センチから1メートルまで成長し葉の(鋸歯)はコオニタビラコやヤブタビラコよりもギザギザと深裂し葉裏は多毛で鋸歯の先に棘が確認できます。又、オニタビラコには、赤鬼と青鬼があり、葉や茎に赤みを帯びたものをアカオニタビラコと呼び、緑色を帯びているものをアオオニタビラコと呼びます。花弁について少し説明を付け加えておきますと、これらの花弁は一枚がひとつの花です。従ってひとつの花が集まり、我々が目にする花の形を形成しています。これを頭状花と呼びます。

「コオニタビラコとヤブタビラコの違いを葉で見分ける。」

コオニタビラコとヤブタビラコの見分け方を説明をする前に、一度おさらいしておきますとオニタビラコの花径は0・8ミリ、コオニタビラコやヤブタビラコの花径は1センチです。
コオニタビラコの背丈は20センチまで伸びます。一方ヤブタビラコの背丈は大きく40センチまで伸びます。花はどちらも似ており見分けがつきにくいので葉の違いで見分けるようにします。
コオニタビラコの葉裏に毛が生えていませんが、ヤブタビラコの葉裏には毛が生えています。ヤブタビラコの葉はコオニタビラコに比べて鋸歯はやんわりと深く裂けコオニタビラコのような丸みが少なく鋸歯の先端に小さな棘が確認できます。
しかし実際に屋外で観察するとこれらヤブタビラコ・コオニタビラコ・オニタビラコは交雑しているのではないだろうかと思ってしまうくらいにコオニタビラとヤブタビラコを見分けるのは難しく感じています。しかし葉の丸み、棘や毛の有無という点に視点を絞り観察すれば多少見分け易くなると思います。
又、オニタビラコとは異なりヤブタビラコとコオニタビラコには綿毛(冠毛)がないという点は見分けるポイントになりましょう。しかしこれも実際に屋外で観察すると綿毛は見受けられないが葉はオニタビラコのように見受けられる個体と遭遇したりすることがありますので、やはりコオニタビラコの葉は丸く毛がなく鋸歯の先に棘がないという点だけで、これは食用に向いているということを想像しながら見分け判断基準にするのがよいと思われます。


「その他の見分け方。」

「オニタビラコ」
・冠毛(綿毛)がある。
・葉や茎を切ると白い乳液がでる。
・花の後、総苞の基部が膨らむ。
※ 総苞とは主にキク科にみられる花序全体の基部を包む苞。萼と似ていますが萼とは呼びません。

「コオニタビラコ」
冠毛(綿毛)がない。
花の後、総苞は円筒形で膨らまない。
花の後、花柄が伸び下に向く。
※ 花柄とは花や実を支える茎のことです。

「ヤブタビラコ」
花の後、総苞が全体的に丸く膨らむ。
花弁の黄色がコオニタビラコに比べやや淡い。


「タビラコと仏の座の名についての様々な意見。」

「〓嚢抄」1446年「運歩色葉集」1548年「連歌至宝抄」1585年では田平子と仏の座が並んで挙げられています。それを「〓嚢抄」に見てみますと、

《或歌には、せりなづな五行たびらく仏座あしなみみなし是や七種》

これには、セリ・ナズナ・ゴギョウ・タビラコ・ホトケノザ・アシナ・ミミナシ、是や7種。とありタビラコ(たびらく)とホトケノザ(仏座)が並んで挙げられているので、ここではタビラコとホトケノザが別種であるように見受けられます。

貝原益軒の「大和本草」1709年に、

《仏の座(ホトケノザ)賤民、飯に加え食う、是れ古に用いし、七種の菜なるべし。一説に仏の座は田平子なり。》

とあります。又、同書には、

《黄瓜菜(たびらこ) 本邦人曰、七草ノ菜ノ内、仏座是ナリ。四五月黄花開く。民俗飯に加ヘ蒸食ス。又アヘモノトス。味美シ、無毒。》

とあります。黄瓜草は4月5月に黄色い花をつけるのですから、この黄瓜菜はキク科のタビラコの仲間のオニタビラコ・コオニタビラコ・ヤブタビラコ、若しくは同じキク科の二ガナ・ハナニガナであると考えられます。しかし、貝原益軒の「大和本草」では、ホトケノザとタビラコという二つの名に対しその見解がどちらも殆ど同じであることに対し、

牧野富太郎「植物記 春の七草」1943年で、

《今日世人が呼ぶ唇形科者のホトケノザを試しに煮て食って見たまえ、ウマク無い者の代表者は正にこの草であるという事が分る、しかし強いて堪えて食えば食えない事は無かろうがマー御免蒙るべきだネ、しかるに貝原の『大和本草』に「賤民飯ニ加エ食ウ」と書いてあるが怪しいもんダ、こんな不味いものを好んで食わなくても外に幾らも味の佳い野草がそこらにザラにあるでは無いか、貝原先生もこれを「正月人日七草ノ一ナリ」と書いていらるるがこれも亦間違いである、そうかと思うと同書タビラコの条に「本邦人日七草ノ菜ノ内仏ノ座是ナリ、四五月黄花開ク、民俗飯ニ加え蒸食ス又アエモノトス味美シ無毒」と書いてあって自家衝突が生じているが、しかしこの第二の方が正説である、同書には更に「一説ニ仏ノ座ハ田平子也ソノ葉蓮華ニ似テ仏ノ座ノ如シソノ葉冬ヨリ生ズ」の文があって、タビラコとホトケノザとが同物であると肯定せられてある、そしてこの正説があるに拘わらず更に唇形科の仏ノ座を春の七種の一つダとしてあるのを観ると貝原先生もちとマゴツイタ所があることが看取せられる》

これを今風に訳しますと、

(現在でいうシソ科のホトケノザを食ってみればわかるだろう、不味い食い物の代表のような植物だ。それでも無理矢理に食べれば食べられないわけでもないけど、これはオススメできないネ。しかし、貝原益軒さんは「大和本草」で、身分の低い人々はこのホトケノザ(シソ科)を飯に混ぜて食うと書いているけれど怪しいもんだ。わざわざこんな不味いものを好んで食べなくても外に出たらこれより美味しい野草がたくさんあるではないか。又、そうかと思うと同書には、ホトケノザ(シソ科)は人日(五節句のひとつ)に食べると書いているけれど、これも間違っている。又、そうかと思うと、同書のタビラコの項に、タビラコは日本の五節句に食べる七草の一つで4月〜5月に黄色い花が咲き、皆はこれを飯に加えて蒸して食べたり、和え物にしても美味しいし毒もないと…。これではホトケノザとタビラコの説明が同じになってしまっているのだが、これは後者のタビラコの方が正しい説明である。又、更に同書には、一説にはホトケノザはタビラコであり、その葉が蓮華座に似ており仏の座のようでその葉は冬から生えている。という文があって、タビラコとホトケノザは同じであると説いているのに、シソ科のホトケノザを春の七草の一つだと言っているなんて、貝原先生も少し迷っておられるようだ。)

牧野富太郎は実際にシソ科のホトケノザを食してみたのでしょう。そして悪列な味を経験しシソ科のホトケノザとキク科のタビラコを区別したうえで、貝原益軒の説に従い黄瓜菜をコオニタビラコと特定しているようです。この特定によるコオニタビラコが春の七草の仏の座として今に伝わっています。

「黄瓜菜とキュウリグサ・ミズタビラコついて。」

音読という視点に立ち返り眺めると、貝原益軒の「大和本草」に登場する「黄瓜菜」は、牧野富太郎が特定したキク科コオニタビラコではなくキュウリグサ(ムラサキ科)と呼ばれる植物であると考えられるでしょう。このキュウリグサは前述したミズタビラコと非常に容姿が類似しておりこれらは同種として扱われることがあります。しかしキュウリグサ(ムラサキ科)とミズタビラ(ムラサキ科)は別種であるという説が私には色濃いです。

「コオニタビラコではなくヤブタビラコ。」

又、牧野富太郎が特定したキク科ホトケノザであるコオニタビラコは、1862年、飯沼慾斎の「草木図説」のコオニタビラコの図に列記されています。しかしこの飯沼慾斎の「草木図説」のコオニタビラコの図はコオニタビラコではなくヤブタビラコのように見受けられます。

「春の七草は12種、ホトケノザとはオオバコである。」

柏崎永似「古今沿革考」1730年で、春の七草は7種類に限らず12種類あり、尋常なのが七草であり、またその七草のホトケノザとは、オオバコ(シソ目オオバコ科)のことだと記しています。オオバコという植物もロゼットを形成します。このオオバコは生薬として著名です。

「タビラコの本名はカワラケナ、そのカワラケナの昔の名がホトケノザである。」

牧野富太郎 「牧野日本植物図鑑」1940年に、

《小野蘭山時代頃よりしてその以後の本草学者は春の七種の中のホトケノザを皆間違えている、これらの人々の云うホトケノザ、更にそれを受継いで今も唱えつつある今日の植物学者流、教育者流の云うホトケノザは決して春の七種中のホトケノザでは無い、右のいわゆるホトケノザは唇形科に属してLamium anplexicaule L.の学名を有し其処此処に生えている普通の一雑草である、欧洲などでも同じく珍しくもない一野草で自家受精を営む閉鎖花の出来る事で最も著名なものである、日本のものも同じく閉鎖花を生じその全株皆悉く閉鎖花のものが多く正花を開くものは割合に少ない、秋に種子から生じ春栄え夏は枯死に就く、従来の本草者流はこれが漢名(支那の事)を元宝草と謂っているが、これは宝蓋草(一名は珍珠蓮)と称するのが本当である、この事が春の七種中のホトケノザでは無いとすると然ればその本物は何んであるのか、即ちそれは正品のタビラコであって今日云うキク科のコオニタビラコ(漢名は稲槎菜、学名はLampsana apogonoides Maxim.である、このコオニタビラコは決してこの様な名で呼ぶ必要は無くこれは単にタビラコでよいのである、現にわが邦諸処で農夫等はこれをタビラコとそう云っているでは無いか、このキク科のタビラコが一名カワラケナであると同時に更に昔のホトケノザである。(即ちコオニタビラコ〔植物学者流の称〕=タビラコ〔本名〕=カワラケナ〔一名〕=ホトケノザ〔古名〕) 》

とあります。常日頃から野草に接し野草と共に生活する人々の目線に立ちタビラコを眺めていることがひしひしと伝わってきます。このひしひし感を失わないよう引用文をわかりやすく今風に書き直ししますと以下のようになります。

「小野蘭山さんの研究以降多くの植物学者達は春の七草の7種を履き違えて捉えている。更にこの研究を引き継ぐ者達、教育者が云うホトケノザを春の七草の7種に入れてしまっている。
このホトケノザとはシソ科に属していて学名はLamium anplexicaule L.である。欧州でもふつうに見ることができる一野草で、開花しなくても自家受精し結実する閉鎖花として有名だ。日本でもふつうに見ることができるし、これもやはり閉鎖花で開花しているものを見ることは少ないそこらへんに生えているふつうの雑草だ。秋に種を落とし春に咲き夏に枯れる。
従来の学者ときたらこのホトケノザ(シソ科)のことを漢字で元宝草(ツキヌキオトギリ)と呼んでいる。これも間違いである。本来ホトケノザ(シソ科)は漢字では宝蓋草(或いは珍珠蓮)と呼ぶ。
ではシソ科のホトケノザが春の七草の7種に入ってないとするならば何をもって真の仏の座と呼ぶかと云うとそれはタビラコである。今日云うキク科のコオニタビラコ(漢名は稲槎菜、学名はLampsana apogonoides Maxim.である。
しかしコオニタビラコをこのような名で呼ぶ必要はなく、タビラコの名にコオニもオニもヤブも必要なく農夫達が呼ぶようにタビラコと呼べば良いのである。コオニタビラコ・オニタビラコ・ヤブタビラコとは植物学者風の呼び方で、そもそもタビラコはタビラコなのである。これらは農夫達にとってはひとえにカワラケナと呼ばれており、これこそがタビラコの本名である。そしてこのカワラケナの古い呼び名がホトケノザなのである。」

となります。

これは上述した(牧野富太郎「植物記 春の七草」1943年)とほぼ同じことを言っているのですが、シソ科のホトケノザのことを更に詳しく学術的に説明し小野蘭山以降の間違いを指摘しています。閉鎖花とは開花することなく自家受精し結実する植物のことです。他の媒介者に頼らないで受精するので純系に近い性質を保ちます。又、学名と漢名を用いて更につよく小野蘭山以降の間違いを指摘しています。そして後半ではひとえにカワラケナと云うのはタビラコの本名であり仏の座という旧名を持つとも述べています。
このカワラケナとはどのような植物達なのか非常に気になります。

「カワラケナからみた仏の座。」

小野蘭山「本草綱目啓蒙」1803年で、小野蘭山は仏の座はムラサキ科のものとみなしています。小野蘭山の見解のムラサキ科とは前述したミズタビラコ或いはキュウリグサのことでしょう。これに対し牧野富太郎は「植物学九十年」1956年で、仏の座はカワラケナつまりキク科のタビラコだと述べています。
又、カワラケナをインターネット検索すると、牧野富太郎の見解である(カワラケナとはコオニタビラコの別名。)という記事が圧倒的に多いのですが、その中にカワラケナはムラサキサギゴケ(ゴマノハグサ科)とするキラ星の如き記事が見つかりました。この少数意見に視点を合わせてみるとムラサキサギゴケ(ゴマノハグサ科)の容姿は、コオニタビラコ(キク科)よりもミズタビラコやキュウリグサ(ムラサキ科)に似ています。
そしてこのムラサキサギゴケもコオニタビラコやミズタビラコ・キュウリグサと同じような水田など湿った場所に生息しロゼットを形成します。

「ふたたび未来に仏の座。」

私は牧野富太郎の

このコオニタビラコは決してこの様な名で呼ぶ必要は無くこれは単にタビラコでよいのである、現にわが邦諸処で農夫等はこれをタビラコとそう云っているでは無いか、

に従い現在のカワラケナの別名はコオニタビラコという通説に
ムラサキサギゴケ(ゴマノハグサ科)
ミズタビラコ(ムラサキ科)
キュウリグサ(ムラサキ科)
オオバコ(シソ科)
オニタビラコ(キク科)
ヤブタビラコ(キク科)
の7種を追加したいと思います。
又、更に春の七草の仏の座であろう植物に
オニタビラコとヤブタビラコ(タビラコの別種として)
カワラケナ・黄瓜草・オオバコ(仏の座の別名として)
を含めようと思います。
するとその名称の総数は10に及びます。

・キク科:コオニタビラコ(黄瓜草/カワラケナ)/オニタビラコ/ヤブタビラコ
・シソ科:ホトケノザ
・ムラサキ科・キュウリグサ/ミズタビラコ(黄瓜草/カワラケナ)
・オオバコ科:オオバコ
・ゴマノハグサ科:ムラサキサギゴケ(カワラケナ/黄瓜草)

人日に七草を食する古よりのしきたりを万民の為に保存しようする問いかけに多くの植物に対する人間の答えはひとつでありましょう。あとはイロイロ食するのみです。


※ 毒草として有名なトリカブトは、ゲンノショウコ(薬草)によく似た葉でロゼットを形成します。他の毒草にもロゼットを形成する種が多くあります。


草花ノート あとがき

  

僕の悲しみは暴れ馬のようにのたうち回っているので、
手綱を雑草に委ねました。
雑草はアスファルトの裂け目や、線路の上や、荒地にも、
どこにでも生えているので、悲しみの痛みを癒すにはもってこいです。
少し目線を落とすだけで、彼ら雑草にはいつでも出逢えます。
とても身近に居てくれるので、僕はほんとうにいつも心強いです。
だからとうぜん雑草に対して感謝をしているのですが、
気高い雑草は僕に謝られるのを何時も拒みます。
人間が付けた名前で呼ばれることについても、「なんだかなぁ。」
と思って首を傾げているようです。
又、写真を撮られるのも嫌がっているようです。
それでも僕は花期に入ると写メを撮ってツイッターへ、
名前と一緒に画像をアップするのですが、このときツイッターに
貰ったファボのことを、雑草に知らせても、「なんだかなぁ。」
という感覚を抱いているように思います。
とくにその写真がデジタルカメラの場合は、とても嫌がっているようで、
彼らの言い分によると、そのデジタル画像は永遠に再現だそうです。
それよりフィルムカメラに収め、生命をデジタルのように再現するでなく、
思い出は再生を繰り返し、そしていつか色褪せて尽きろと言うのです。
僕がバイトで仕方なく草刈りしているときも、「許してな。」
と心で念じながら草刈機のスロットルを全開にしながら謝ると、
「なんで謝られる必要があるのかなぁ?こちらとしては謝られると、
許したり、許さなかったりしなくてはならないではないか?そんなの面倒だ。」
と、謝罪も門前払いされてしまいます。その他にも、日差しの強い日に隣に座り日陰を作っても、
光合成の邪魔だ!というような顔をされます。
そんな雑草ですので、僕を操る手綱さばきを想うと、甚だ僕と雑草は相性が悪いように思います。
だけども僕が雑草に手綱を委ねる理由は、これは植物全般に言えることなのですが、
植物を枯らせる、もしくは殺すことは神様でもできないからです。
なぜなら、雑草は誰かに枯らされたり殺されたりする前に、自分の意思で枯れ、
自分から死ぬからです。
ですので花屋の鉢植えの植物であっても誰も枯らすことはできません。
「わたし、すぐ枯らしちゃうの。。」なんて言っている人は、
そうとう酷い思い上がりです。ですから傷つかないでください。
雑草は、他人に罪を被せません。だから僕は安心して、
のたうち回る暴れ馬の悲しみを、手綱が切れるその日まで雑草に委ねているのです。


  

秋のたちつて虫と羽の韻律をかきくけ焦がすまみ胸も迷いや夕べよ
ひとりらのなかのりるれ独りよがり黄泉のすせそ死なにぬさもみむ
あき空のあかきくけ秋茜さしすせたちつてトンボとまる手とてと手
十五夜お月さま自由の神様うさぎ座お星さま夜の邪魔にぬねのはひ
白いシーツ思いを脱ぎ意味を捨て横にぬねの月あかりでレモネード
カナカナカ、コロコロ、リーンリーン、コトノキミ、スイーッチョン、失、失、失


ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛してます

  

昨夜は鮫と眠りました。
愛で小銭を貢いだ話を聞いてください。
思い出です、交差点に折り重なるアルバムです。
めくると沸騰します。温泉のような、
湯煙はため息です。声を求めて旅に出ます。
まどろみは、緩やかなカーブで、
哀しみは硬水のように隆起していました。
枯葉の船に乗せた宝物は、
海の骸になりました。深く沈んだ遺言です。
私の遺体を十字架に磔。ください。
ヒノキ、香木が良い。
焼香を終えた後、参列者は磔の私とハグをするようにお願いします。
これを「ハグ葬」と名付けます。
中には拒否する人もおられるだろうから、
私と二人きりになれるよう、個室で行うようにお願いします。
それでも、拒絶する方がおられれば、
「後になるほど、ハグで遺体が崩れてゆく。」
お伝えください。
それは、まるでプラネタリウム葬です。
私をプラネタリウムの天井から吊るし、
空中ブランコのように宙を舞い、
大きく弧を描き、揺れる星空から、
舞い降りてくる私を受けとめ、
そして、
ギュッと抱きしめてください。
私は大勢の、一人一人の方々に、
抱きしめていただき、
喜びでボロボロになっているのです。
ボロボロになった身体は、
グズグズになるまで、
その場で煮込み、
最後は、
私をスープにして飲んでください。
砂漠の赤い月のしたで、
深海魚に片足を食われています。
痛いより重い、
お母さん、こんなに敷居が高いとは、
始めて気がつきました。
見えないから形を知る。
見えないから、
見えていないのではなかった。
見えていないことは、
見えていることを離れられないだけだった。
墓地に座って薄暗く脅えている。
もう、どうしようもない。
山も、木も、獣も、この墓標も、
私が作リ出した、
消しゴムで消せる現象でした。
これから、
愛と書いて消せないならば、
海を削り、
メモ帳へ投身します。
消しゴムで消せない名前、
私を受けとめた人達の胸の内へ。


瓶の中

  

表面張力なのか、水面の上に針先を落とせば、
波紋に拡がる緊張が貴女に溢れてゆく。
もしも、星の端末が肉声を受信しているならば、
記憶の原点は振動する希望に雪崩れ込むのだろう。
添えて、なんというありふれた結末、
始まりの向こうは常に心臓へ還ってくるという。
薔薇に刻印される賭博の薫りは、
鎮魂された汗を琥珀に眠らせている。
嗚呼、氷河のような温もりで、
せめて心のひと雫を解きたい。
この世に宇宙が誕生した138億何前の大爆風が、
一枚の枯葉を枝からそっと剥ぎ取ったその慎ましさで、
君と僕を隔てないでください。
骨が血飛沫を浴びるまで、
二人を善悪で隔てないでください。


一途

  

朝からおにぎりの中にひとつだけ赤味がかったのが混じっている気がしていた。昼になってそれは紛れもなく鮭の身の塊だと判明した。箸でふたつに割ってみると中から米粒が少しでてきた。この身はぜんぶほぐしたのか聞くまでもなく他のおにぎりの具はすべて塩鮭だった。漁港の市場で干物を買い七輪で炙り酒の肴に防波堤で釣りをした。あまりにも釣れないので時間はゆっくりと過ぎた。夕暮れになってはじめて竿先がぐいーと波に引き込まれてゆくような感覚がしたので糸を巻くと貝殻が引っかかっていた。夜はその市場で買ったカニと調理道具一式を戸建て式のラブホテルに持ち込んだ。カニの捌き方をスマホで調べカセットコンロと土鍋で茹でた。昆布で出汁をとり茹であがったカニの手足を毟り野菜と一緒に鍋に投げ入れ蓋をした。桃色を纏う電灯は妖しげな蒸気の下で身をほじり、味噌を舐め、甲羅を啜り、最後は卵で綴じあわせた雑炊で〆。密室の固く閉じられた窓をあけると潮風が吹き込んできた。旋回する冷気に生臭い部屋は正気をとり戻し、暗闇が波音一面に拡がっている。


風ハラ

  

空き缶を、蹴飛ばしたような青空に、飛行機雲は、思い出の先端から、もやもやと徐々に薄れ、青へかえってゆく。米粒よりも小さな、人見知りのおっさんの、喜びや哀しみを乗せて、置いてけぼりの遺恨や、知らず知らずに残してしまったマーキングを、拭い残してやいないか、臭いを残してやいないか、風に尋ねながら、歩いてゆくおっさんに、憂いの心は似合わない。生まれた日に旗を立て、続けてきた記念は、もうこの青空の、飛行機雲のように消えればいいと、願いながら、自分というものが、貴方にとって、なんでもなかったという、せめてもの証に、オロナインと絆創膏を、澄みわたる青空の、切り傷や擦り傷に処方して、お大事に、なんかちょっと図々しくないですか?


ホトトギス考

  

はじめまして。北の影武者です。北の影武者は私を含め、詳しく発表出来ませんが、現在数十名存在します。過去には戦国時代に数名、あと月と火星に数名います。結論から申しますと、オリジナルの北は他界しています。ですので、今日は、私が北の影武者代表として発言しているのですが、そもそも北という存在は、ひとつの一環した志によって生かされているので、仮に、私の影武者が1000人いても、北は一人なのです。それは、エネルギーそのものには、意思がないようなものです。燃えたり消えたりする、純粋で、且つ公平な力です。

戦国の世では、北は、島左近の影武者をしていました。実は小早川秀秋を、東軍に寝返らせたのは北です。家康殿は、伊賀や甲賀の忍者がお好みでしたが、影武者もいましたよ。オリジナルの家康殿は、三方ヶ原の戦で死にました。そのときの御遺言が、家康は脱糞し命からがら逃げ落ちた、その恐怖した形相を絵にして、末代まで伝えよということでした。多くの武将に比べ、家康殿には虚栄心がありませんでした。天下をとるのに、多くの武将は、語り継がれる為の、甲冑をデザインしたりするものですが、大権現さまにとっては、それも天下人になり、その後、徳川家を存続させる為の、単なる手段に過ぎませんでした。ところで、島左近の影武者、北の方は、小早川を寝返らせた後、黒田殿の鉄砲隊に撃たれ死にましたが、オリジナルの左近殿は、京へ逃れ、日蓮宗の僧になりました。

秀吉さまが、太閤になられたあと、秀吉さまの影武者をしていました。実は、秀頼さまは、北の子供です。つまり、ねね殿が、お子を宿すことが出来なかったのではなく、秀吉さまが、種無しだったのです。このことには、秀吉さまご本人も、気がついておられていましたが、そんなことが噂になれば、豊臣家の家督に関わりますので、最後までふせておられました。秀吉さまから、このご相談を頂戴したとき、お子を宿すなら、正室の、ねね様の方がよいのではないかと、ご進言しましたが、長年連れ添うた、ねね殿を他人に寝取られるのは嫌じゃ、と仰っていましたし、亡きお市さまのことを想うと、せめて浅井の血を残してやりたい、それがお市さまへの供養になるとも仰っていました。

織田信長さまの代わりに、北が本能寺で死にました。織田さまは神父さまになられました。明智殿の謀反は、織田さまがお考えになられた芝居です。又、明智殿は、山崎の合戦で、秀吉殿に撃たれていません。事前にこのことは、織田さまから、秀吉さまへ、「光秀を撃つな。」と密命があり、備中高松城で、秀吉さまが、手柄を独り占めせずに、のろのろと、水攻めを仕掛け、織田さまを、お待ちになった本当の理由は、織田さまが、神父になられるための、海外渡航用の船の支度の為でした。一方、明智殿はその後、比叡山延暦寺に学び、そして天台宗の僧、天海となり、家康さまの片腕として仕えることになります。なぜ、織田さまが、そのような芝居をしてまで、天下を諦め、宣教師を志したかと申しますと、延暦寺の焼き討ち、長嶋の一向一揆をはじめとする、虐殺に対する負い目があったからです。織田さまは、家康殿とは異なり、勝利そのものよりも、勝利の方法、勝ち方、プロセスに拘るタイプでした。うつけを演じた幼少の頃から、その内心には、強い虚栄心を秘めておいででした。


シスレーの印象のように

  

春の緩みに音を立て、凭れるようにとまり木は朽ち

クジラが、甲子園を飲み込んでしまったので、福留のホームランが見れなくなった。その代わりに、君は上手に潮を噴いてくれる。あん、いや、そこ、だめ。なるほど、これが本物の六甲おろしか。僕は初めて見たよ。上等の桐箱に慎ましく包まっている、子供は大人の先輩だ!少年が空に架けたアーチたち。これからも、どんどん夢を運んでください。大きく膨らませてください。だけど僕はカーリングの選手になりたい。

母さんは僕の肋骨で畑を耕す。刃先をピンと尖らせた、僕の肋骨がクルクル回転すると、どんなトラクターよりも、仕事が早い。更に、よい思い出を、よく掘り返す。骨を大切に扱ってくれる母さん。夜は、来世の魂になって、車輪に少し熱を宿す。母さん、明日のために、油を差しておくよ。

マッチ箱から火がでたよ!!ひとりづつ、慌てて小人が出てくるよ。みんなの頭は叫ぶ、まるでパンクロックダダダダ!!!
さて、ここで問い。
モロッコ産の蛸はなぜ痩せているのか?
それは、日本まで海底を歩いてきたからさ!
7つの海を越えてかい?
いいや8つの海だ。
8つ?
じゃあ、もう1つの海はどこにあるんだい?
この鍋の中に決まってるさ!
マッチ箱から火がでたよ。お熱のくせに火を知らない、瞳の奥で、君は、
火事のように燃えている。

春に計算機を叩かないでください。青虫君は自信たっぷりに、キャベツを月に透かせてみせた。一句詠んでみせよう。季語は、「駐車違反に跨るロデオ」でいこう。暴れちまった古時計、道標をへし折りながら軋む廊下、老い猫は前足で時を転がしている。字余りな夜は、ゆで卵に限る。

貴方の内面は、今日のTシャツの文字だ。まるでトルコの舞踏のように、事務所の椅子がよく回る。テレレのレ。ずっと窓際で黄昏を見ている。もう、伝える目的がない。口をあけていると、空から詩情が降ってくる、なんて恋はテロリスト。算数が苦手な王子さま、雨季を知らないお姫さま、「私の心に咲いた花だからです。」印象とはお肉の記憶、腹筋をしなくても、長生きな言葉の父です。


境港

  

濡れる
魂の
再び、
連なるをば
膨張する毛穴ら

おまえの身体は大洋のごとく
無限の
不思議と、
漕ぎだしたかった
撫でるように
蹴りだしたかった

誰にも止めること出来ない
自然の旋律
青をガラス管の中に
心臓6L粘つく1601kcal
を詰める
気圧を熱帯で圧縮する
生命の悪意は
危ない情事
回避不可能の
巨大な好奇心へ
一艘の吸いこまれゆく
おまえの意識はどこへ遠のいてゆく
生死の境港で
泡のある黄いろい情景を
灯台が差し示す
霧笛は頑な心に
カモメ鳴く
なう、なう、なう、
真珠色の炎は、
底知れぬ
波打ち際ではためく
消え失せぬ海面の想いは
破れた旗を繕う熱い雨
いつまでも
降り注ぐ俺は小船
真っ先に死んでみせる
いきり立つ虚栄心
積乱雲の
意地らしさ
何処から湧いてくるのか
誇らしさが
平和に繋がれた鎖を斧で切る

理由は尋ねない
ただほしい
俺の中の俺自身が
俺の心を理解できないでいる!
夜明けが訪れるころ
波音は俺の絶望の歌を
おまえに
聴かせて伝えるだろう

肉の足跡を求め、23tのキャバ嬢


牛乳配達員は牝牛を配る

  

夕焼けは 銭湯の煙突の煙を言い当て蝉の15時 夏風邪の木漏れ日を掻き分け こぎ急ぐ自転車へ追いつこうとする 頬は夏の花に染まり 迷子の牛を数えた
ほんとうは家出したんだ 心がわりしたらしい しとやかさは職業ではない 人から聞いた話だけど クビになったらしい とうぶんは失業保険でやっていくそうだ お母さんが酷い目に遭わされたのかい? いや 牛のはなしだ
見知らぬ時間に出逢えればよかった なんどかタクシーを拾おうとしていたね あなたの中に あなた自身が存在するように 彼女だって彼女の中に 抑えきれない彼女自身を持っている ただ あわてていて あなたは迷っていたんだ 歩き疲れているのに留まろうとしない 葬儀のために用意された鐘が 転がり落ちてゆくのだから
物語は手作りするのが趣味だった ようやくね 人のいないところに来たんだ 優しい過去を 憂うためのはなしは 寿命が尽きてからが面白い もういない牛の背中を 撫でるような仕草をすると あの世でも 尻尾の付け根みたいに だれかの眉間に しわがよるんだ
聖母なんかいらない 正直者は 愛する人のために嘘を吐かない 中身のない空っぽな人間だ 天使の真綿をまもってしまう母に恵まれなかったからだ 罪のむしろで包めた 仄かに熱い 子守唄に揺られて眠ったことがないからだ
くすり箱は痛みに飢えていた 友人の母に 母乳を吸わせてほしいと頼んでみたけれど 願いを叶えてもらえたことは いちどもなかった マキロンに洗い流された太陽は化膿した 蝿になって這い出てしまう
「免疫力が備わりますよ ヘイ ジャパニーズは消毒されすぎたね 今朝から ミルクの代わりに 黒毛牝牛を配ることにしましょう」
「まいどおはようございます 佐藤のお兄さん たくさん搾って ゴクゴクやっちまってください 空ビンじゃなくて空ウシは 表に繋いで出しといてください 翌朝 てきとうに連れて帰りますから」
連れて帰ったら餌をあげよう そして 餌をあげたら 餌をあげたら ダメだ 餌をあげて それから牝牛に何をしてあげればよいのかわからない 花子よ よしよし もうおまえを誰にも渡さない 俺とおまえはいつまでも一緒 なんて嘘だ 花子 おまえ すでにお乳がぱんぱんではないか 鍵盤 波うてば 青信号は旅立ちの 風のあいだを滑空する 伸びやかな旋律が渦まく潮さい 波止場ヘ ふき溜まる母さん たたずむ四隅の空よ 母さんは月の引力を浴び膨張する 母さんは防波堤に押しよせる永遠 母さんに砕ける波 母さんへ飛び散るしぶきを鳴けカモメ 母さんがあふれる景色を なけなけカモメ 母さん泣きながら忘れた自由の空に 母さん羽ばたく白い悲しみは色あせ 母さん 母さんは静まりながら蒼ざめてゆくよ 母さんは歯のように抜け落ちてゆく


ぬけがら

  

立ったり屈んだりして汗をかいているんだね洗ったシャツの袖をとおす竿の先を中指で抑え透かした布生地のさみしいしわのばす口角を上げてはたいてみせた笑みのまわり大気を弛ませた精神と人をつなぐ管もしくもあなたの子供として生まれてくることができたならばあなたのことを愛さずともずっとまもっていけたのに蝉のなきごえを時雨に喩えた空明く不自然なたまりたまりしずくにたまり溜まる考えられないほど不自然な発散できない不自然な思考の老廃物よ不自然な痴呆症あらわる足首に虫喰い口吻ささるまるくあかい痕あーチンコ勃ってきたさようならいっぽすすむれば片方の足がぬけお元気でにほあゆむれば支えどころを失い片方の足もすっぽぬけとうとう崩壊する世界を六足虫の裸足が見あげる不自然な後ろ姿


詩情のない日記

  

ドラックストアでコンドームを購入する際、女性はそれを単体で購入するが、男性はそれの他に、もう一点の商品を、あわせて購入することが多いという。さて、あわせて多く購入されるもう一点の商品とは何か?ドラックストアでレジ係をしている友人が教えてくれた。男性がコンドームとあわせて、多く購入するその商品は目薬だそうだ。

どうして、目薬なんかいっしょに買ってきたの?
あなた、今までに疲れ目なんて、口にしたことないじゃない?
目にゴミが入った?あら大変!ならば、あたしがさしてあげるわ。
自分でさすから要らないっですって?
あなたが目薬をさす姿なんて、見たことないわよ。
ほんとうに大丈夫なの?
ちゃんとさせるのかしら、ちょっとその目薬を貸してみせて。
あなたいつからコンタクトレンズ…
あなたコンタクトレンズなんかしてるの?
眼鏡もかけたことないくせに。
これはコンタクトレンズ専用の目薬よ。
間違えたって、あなた、まだレシート持ってるでしょ、
一般用のと交換してもらってきなさいよ。
恥ずかしい?
はぁ、恥ずかしいって、何が恥ずかしいのよ?
間違えなんて誰にだってあるわよ、それより誰がさすのよ、その目薬。
ほら、恥ずかしいとか言ってないで、早くいってらっしゃいよ。
男の面子が立たない?
目薬交換してもらうのに、面子なんか必要ないでしょ?
ハヤクイッテラッシャイ!!!

ガラガラ バタン

ガラガラ パチン

交換してもらった?
ふーん、目は大丈夫なの?
さしてあげるからこっちへ、
あら、それ大きな目薬ね?
これ、工具セットじゃない?
どうしていまネジまわしが必要なの?
引っ越してきたとき同じもの買って、ずっとみずやの右の引き出しに入ってるわよ!
え?
工具の方が目薬よりも男らしい?
意味がわかんないわよっ!
頭のネジが緩んでんじゃない?
2つも要らないからさっさと返してきてちょうだい。
それともう目いたくないなら、お金を返してもらってきて。
コンドーム?
それは別に決まってるでしょ!昼間からなに言ってるのよ!
工具セットだけ返してきたらいいのよ。

コンドームと目薬を、あわせ買うことで、男性の面子が、仮に守られたとしても、そのたびに、工具セットばかり増えてしまう。それが避妊の記念になるとも考えにくい。避妊を記念する時代を遺伝子は知らない。

月経のことをアンネと呼ぶ時代があった。それは、初めて月経用の、生理帯と専用パンツを、アンネという会社が販売したのがきっかけである。アンネという社名の由来は、アンネ・フランクのアンネに日記にある、生理について書かれた日記が、もとになっているらしい。このネーミングは、月経のことを、アンネと呼ぶ隠語を作るに及び、一般的にひろく普及していったが、今ではアンネという隠語も使わなくなり、正々堂々と、コンビ二エンストアにも、陳列されている生理用品であるが、このアンネの存在がなければ、月経に対する概念は、どうなっていたか想像がつかない。もしかすると、男の面子によって、目薬のように、ついでを装うような扱いを、いまだにうけていたかもしれない。

うちの会社の社長は、60歳を超えた、既婚者であるが、今年の年末に、中学生のときの初恋の女性と、同窓会で再会できると、とうとう彼女に捧げる詞を書き、ギター伴奏をしながら歌ってしまっている。今日は、その弾き語り動画を、彼女に贈るべきかどうかを、相談されたので、贈るべきではないし、捧げるなら、同窓会の日に、皆の前で歌うべきだと進言した。とうぜん、もしものときに、火の粉を浴びないようにするためである。これが最善策だったかどうかはわからないが、防壁を建てた上で、動画を拝見した。詞の内容も、和音の運びも、想像していたよりもシンプルで、歌詞が淡々と、初恋の思い出を客観視してゆく様は、以外であった。そして楽曲も、最後の最後になって、「僕は照れながら歌う〜」というフレーズが、リフレインされはじめた。そして社長は、モニターの中で、最後まで、非常なくらいに、真面目な表情を崩さず、「僕は照れながら歌う〜」と歌い切った。
拍手をしながら思った。コンドームに目薬をあわせ買いする男性の心理が、男の面子を失うことに照れながら崩壊してゆく理性であり、それが目薬だけに、どこか遣る瀬ない。


義母

  

お母さんに逢うため、鳥のように羽ばたき、カマキリのように身構え、馬のたてがみのように揺れるメタファーは既に備わっている。
高鳴る心臓に爪先の雨を降らせた金魚鉢に沈む海を、抹殺した夏の暑さが、わき腹から漏れださないように、お母さんは色のまま化石になった。
清掃婦は道を汚しながら歩いている。地球の自転は岸壁に染みついた嘘をもみ消し続ける。季節をひとつ捨てる毎に、茜雲の色に砕ける波が削った、家の灯りが身にしみる。
母の海は青く、母の地は紅い、魚村は出汁のとり方が都会と違う。箸を並べる順番で子供は育つ。旅立ちの理由を、自分の箸を握りしめる癖にする。
列車は山脈をゆく。車窓がとても明るい。月光が星の意思を邪魔をしないよう、手のひらは夜を翳している。
お母さんのようなあなたは、あなたのようなお母さん。
車掌が座席に近づいてきた。そして聞いているのだ。
お母さんのようなあなたは、お母さんの切符ですか?
線路の上で車両は揺さぶられている。


落葉の色

  松本義明

襟に包まれた黄金色ワインの日々はかわいた藁にさらされる木漏れ日の11月メイプルの香りがスズメ蜂の亡骸を腐敗させた土に還る落ち葉や夢に沈む落ち葉がひとすじの秋の中で思い出のように煙の中で立ちあがる憧れの景色は刈り取られた稲のとなりに咲く菊に鮮やかな花に灯る恋の思い出や死を眠らせる肉体よ
酔いながら冷たく凍れ眠らせた言葉達を踏みつけた血が色褪せる前に雪の中で燃えて死ね


僕にとっては流線形

  松本義明

歌うなら貴女の胸のうちから貴女に歌いたい言葉ではなく意味でもなく伝えることなんて何ひとつない川のせせらぎのように貴女は感じるままに流れればいいそして水面が輝くならば貴女は僕のアクセサリー幸せの代わりになる貴女の胸にささやく旋律は貴女のしあわせを探している小鳥の囀りのようにしあわせとはしあわせを探すことだった黄昏の日まで


干し芋

  松本義明

迎えにいく迎えにいく迎えにいかなければならないお口の中で待っているだけならば何も生まれないはじまらないこれみよがしにやってくる化学調味料にはありえないほんとうのほんとうの天然の微かな甘みがお口の中で自分の味覚と出会った瞬間に弾けたポロロン故郷の思い出の中に降る小さな手のひらに溶けるボタン雪の体温に染み渡るほんもの甘みはコンビニにないよ何故ならコンビニには過去を照らす灯りがないこれみよがしに私は唐揚げ私はおでん私は肉まん私はマロングラッセ私はアイスクリーム目をつむっていてもわかってしまう今の味は舌に突き刺さるあれは味ではない針のついた値札だ味覚を鈍らせる毒だだからもう貴女を迎えにいけない貴女を探せない私の味覚は晒した干し芋に空が喪失した記憶が山積みになっている遺伝子組み換えの海の素や種子法の改正わかりやすい味よりお口の中で素材と味覚が探しあいやっと出会えた小さな甘みが涙の中でなんどもなんども爆発しているから思い出しているけれどもう貴女に出逢えない


グローバリズム孤児

  星野純平

僕たちの間に横たわる銀河のことだよ 夢ってなに?そうさ諦めの星雲の淵に薫る夕飯のこと 路地に煙る思い出のなかを手探りで帰る場所のこと 子供のままじゃできない 大人になれば叶えられる 大人ってずるい早く大人になりたい 君ならできる 善い大人になれる 子供は時の流れを堰き止めている 大人は船に乗って魚釣りをしている 星を釣りあげると流れ星が手紙を運んでくる 裏腹な気持ちで遠い空に眠る文字 子供は大人の先輩だってね ああ大人よりも先に生まれてくるからね
べったり張り付かないで信じない人のことは 犬に餌をあげるように愛して 誰にも期待なんかしない 昔の住所からやってきたんだね 遠いところだ 目に見えないところかもしれない 地図にすれば帰れるかい 君が生まれたところ 真っ暗闇をオブラートに包んだ道 そよぐ木々 たなびく草花の丘 死のような地平線 死んだことはあるの 死にたいの いや殺してほしい 風の刃先が首筋に触れる 聞こえてくる 耳なんか澄まさなくてもいい どうすることもできない花の眠りが胸に脈打ち溢れているから
ようやく生まれ変わったきたんだ そんなに焦る必要はない 言葉に腰掛けて君は息をとめて椅子のように黙って 誰かの嫉妬に見つかってはいけない 帰る場所が欲しければそのまま動かないで 夢にまでみたんだよね 流れ星だったけれどほんとうは今でも諦めきれないんだ 間違っているのは間違っていないことかもしれないね 君が歌えばみんな帰れるのかな どこに帰るんだい さっきからずっとその話をしているよ ほら見て空が明るくなってきた 君が歌ったから?ああ夢かもしれない


蛙の交尾

  星野純平

こんなになぜ
あなたを欲しいのか
理由は聞かないでほしい
自分自身を理解できていないのだ
池に夜明けがやってくるとき
朝日があなたへ教えるだろう
独りよがりを好まない
優しさで狂気を恐れ
あなたのためだけに生き
いつもあなたに忠実な
体内に咲く肌の赤いカーネーション
子供のような産声で
愛情を込めて尋ねます
なぜ私を抱きしめないのか
くぁくぁくぁ


ロストバイブルウォーク

  

スーパーで買い物をしたら、
レジで清算をして購入した商品をスーパーの買い物カゴから、
レジ袋や自分のエコバッグに移し入れます。
そして空っぽになったスーパーの買い物カゴは指定の場所に返します。
使い終わった空っぽのスーパーの買い物カゴは元の場所に戻さないと、
混み合ってる時なんかほんとうにそれ邪魔なんです。
スーパーの買い物カゴは、使い終わったら元の場所に返す!
これモラルなんですか?
昨日、私の隣のおじさんが空っぽになった買い物カゴを元の場所に返さずに、
台の上に置いたまま立ち去りました。
私はそのときおじさんに注意しようなんて微塵も思わなかった。
おじさんが残したカゴと私が使い終えたカゴを重ねて一緒に元の場所に返しました。
それについて何の抵抗も感じませんでした。
どうしてか?なぜ一言、注意しなかったのか?
それはめんどくさかったからではありません。
他人の間違いを指摘してもそこに自分の正当性は存在しないと思ったからです。
他人の間違いを指摘する時代にもう終焉を感じるからです。
正解でも間違いでもこれらは実態のないひとつの幻想だからです。
ならば、人、ひとりひとりの考え方の違いを、
それだけを大切しなければならないのではないでしょうか。
それがたとえ僅かな違いであっても見捨てずに拾い上げたい。
そして私があなたの思いの熱に触れたとき、
静かに目を閉じて、あなたと私の手のひらに宿る温度差を感じたい。
手と手を繋いだ温もりのなかに生じた互いの孤独がひとつなったとき、
認識しましょう。
それを引き裂くような、隔てるという力はもうどこにも存在できなくなるということを。
私達を長年縛り付けてきた、
過去の自由からいちど逸脱しましょう。
多くの知識と名誉を抱える人は常に怯えているのです。
ここに限って、言葉の使い方のルールの中でしか生きられない、
そんな怯える人に詩の選評なんかできない。
なぜなら自分の正当性のために詩を読むことは日増しに酷になってゆくからです。
なぜなら正当な上を走る面白さには詩の言葉としての意味がないからです。
私は彼らの頑張りを、ごくあたりまえの、
生まれて死ぬというエネルギーとして賞賛するでしょう。
いずれAIにフルボッコにされるあなたたちのために。


母参道

  

僕はお母さんを知らないから
お母さんに逢うための比喩は要らない
白鳥のように長い首をもたげたり
馬のたてがみのようにゆれている
想いはお母さんを支える楼閣だった
子鹿のように軽快に
跳ねあがる僕の心臓へ
研ぎ澄ました爪先を立てた
希望と絶望の
かわるがわる波音が
海の底へ沈んでゆく
記憶になれば化石になれる
からだじゅうのお母さんが言っている
僕を捨てたあの償いを
岸壁に砕ける羊水が削りとる
暗闇を照らしながら
まっすぐ突き進む満月の参道に
今夜も人の往来がある
もう僕のお母さんは生きているのか
死んでいるのかわからない
そのやうな
産声も聞こえないところへ
手をあわせに上ってゆく人や
手をあわせて下りてくる人がある


月の民

  

月は学びに登ってくる
路地裏のバーから
また空に歌が生まれた
南の砂埃を歌う人々
故郷の血に想いを馳せる人々
天国に声を上げて
叫びながら
メランコリックな天使になる
新しく勇ましい
セメントと石灰の部屋が
赤い月が
肌の色に満ちてゆく
夕暮れ時の窓辺
孤独が掛かる服の袖から
喜びが町中へ堕ちてゆく
古い家を照らすランタン
壁を探している人々
希望と病の中で
永い景色の迷子になった
ホットパインの甘い香りは
波のうわさだった
私は彼らによって
静けさをすべて失う


Minor〓a

  

墓石にキスをして涙を流し
天国の前でしりもちをつく
わたしたちは永遠に家族
どこへ出かけるときも一緒
あなたは月わたしたちは星
悲しみが深ければ
漆黒の闇に浮かぶ船
わたしたちの帆は眩しい
風は雲をかきわけ
太陽の下で影に堕ち
光に紛れ
財布をスリ盗る
わたしたちには時間がない
わたしたちには約束がない
わたしたちには国境がない
今に毎日を押し込め
今日も旅をする
幸せの指し示すほうへ
明るいほうへ
そろそろ僕の言葉が
失速すると予感している君
既成概念に引かれた
君の人生は馬車
月は君らに自由を与える
しかしわたしたちは
翼を持たぬ星
自在に明滅する
文字には写しとれない
大地に鳴り響く
喜びの鐘の音


放熱

  

月は約束も無しに昇り
虚ろな大地に実りを与える
体温に眠りはなく
運命に拓かれた心に
陰りはない
両手に祈りを包みこみ
願いの意味を遠ざける
巫女の舞に召喚された未来
過去から祖父を呼び寄せる
うやぁ、混乱するジャングルの
邪魔と癒の統計学
メガネ猿がフルーツと同じ数の
条約を交わしています
鍵と鍵穴の関係に結付いた
繊細な果肉を絞り
厳密な甘味によって月を点す
フィラメント
義母達の活着の緑夜


コロナウィルス

  

みんなで感染すればいい

みんなが感染しちまえば

治った人を励まそー

コロナー

コロナー

感染しても怖くね

ヒトリボッチにゃさせないぜ

俺がお前を守ってやるぜー

コロナー

コロナー

心と体を大切に

お年寄りも若者も

愛し合おうぜー

わー

今やマスクは〜

コロナよりも

視線から

俺を守るぜ

だけども

それは何を

守っているのか

わかんないぜ

でもきっと〜

俺の中にある

汚い気持ちを

マスクは〜

俺の体に

閉じ込めているのさ〜

吐き出したいぜ

ほんとの思い

吐き出したいぜ

綺麗サッパリ

コロナー

わー

マスクしないと

逮捕されるぜ

国会議員は

アベノマスクつけろ

けつの穴みたいに

ちっこいマスクつけろ

おかしいだろ

なんでアベノマスクつけないの

国会議員は全員

アベノマスクつけやがれ

アベノマスク

サイズがあってねぇ

アベノマスク

放射能漏れ

アベノマスク

WHOも推奨しない

アベノマスク

おまんこ野郎

わー

マスク2枚で

コロナより重い

病気にかかっちまった

マスク2枚で

年寄りは守れねぇ

コロナ吸って見つかったら

逮捕されちゃう

だからみんな

隠れて咳してるんだぜー

息苦しい

息苦しい

息苦しいぜ

息苦しいぜ

生き辛いぜ

コロナー

コロナー

たった2枚で夜も眠れずー

わー


あかるみ

  

日差しのなかで時間が解けてゆくね 桜が咲くと雨が降り風が吹く 日々を哲学しようなんて考えていないさ ただ、誰かの夢の中で僕が生きているのなら 眠りの持ち主に届けてみたい ほろ苦い恋の言葉 酔うために綴った詩 さようならを繰り返す君へ 手作りのおはようを 青空に抱きしめられて蝶が舞っている 自由を押しつけるつもりはないんだ 懐に広がる野原で君は花を摘み冠を編み、妖木の枝にかぶせると 王はひとりでに生まれてくる 僕の手に触れる逃げ水もなく 君は意味のお妃さまになる 白く霞むドレスのなか 光に透けた細い足首のことを 山の麓では春と呼んでいるんだよ


こわれていくんだよ

  



我がいとしの、プリンセスのために、歩けなくなってしまいました。行きたいところも、なくなりましたので、いかだを作り、漕ぎだすことにしました。たくさんの木を、切り出さなければなりません。デジタルな場所から、たくさん木を調達します。いかだの準備ができたら、海へ向かって漕ぎだします。世界はとても孤独で悲しいので、いちばん好きな場所に行くという考えは、既にあります。わたしはいかだで難破します。わたしはいかだに溺れます。



古い橋のたもとで、季節はふたたび出逢います。風の喜びが、水面いっぱいにひろがって、私たちはこころが歌うのを聞いていました。それは花のとき、恐れをしらない冬のように、息を潜める音や、暗い夜を過ごし、いつか戻れると信じながら、言葉で作りだした月明かり、こころを灯す昔のように。古い橋のアーチをくぐる、ススキ、夜風にふかれ揺れる船。もみじの子ども眠る秋の、夕暮れを浮かべた日々。私たちは、こころが涙ぐむことを波と呼びました。
それは花のとき、素直すぎた冬のように、古い橋のたもとで、季節はわたしの腕を掴み、あなたの声は、わたしの指先の行方、今もずっと天国を信じて渡ってきます。

こわれていくんだよ

夕日の影に隠れていたんだね。年齢のこと、君がずっとこっちを見てるって。美しいから、みんな悲しいんだよ。永遠なんて幸せよりも脆いから。顔のしわを数えてごらんよ、数に限りもあるだろう。
君が眠っているとき、僕は君の代わりに人生。また、その逆も。いつまで待っても、じかん通りにバスは来ない。逢ったことがないんだ。停留所の場所も、あとで聞いたんだ。君じゃない、ほかの誰かに。だから泣いたりしない。わかりきっていたこと。君が生まれたとき、今日みたいな日が来るって、みんな知っていたんだ。他愛もないはなし。なのにどうしてこんなに悲しいのさ。君がまたいつか逢えるなんて、僕の心で夢をみているからだ。永遠なんかないんだよ。だから、よけいに、こわれていくんだよ。


月兎の聴躍 2

  

瘤の有る生物に跨る敦煌の空はカシュガルへ降り立つ古風な仕来りに昇る使い古された月に鮮度を与える魅惑的な道は光を放つ交差点に殺到する足跡に擦れ違う文化は実り多く寛容なオアシスを夢で覆うタリム川の濁りや澄んだ水を押し流す星群を清浄の地の国の山肌へ跳躍する明け方の幻想に銷する肉の希望が言葉遊びに満ち欠ける観念の死に費用を掛けない愛の庭師は魂を先頭にエベレスト山頂を飛翔するアネハヅルの翼に明滅する瑕疵を放棄しながら炎と酸欠と心咎めだけを道連れに硬質な骸の間近に訪れる偉大な子供や遠く離れた老人に生きる理由を尋ねるシャイネスなおっさんのドロドロしたおばはんの時の糸を手繰り凧を浮かべ現実を覆う山脈の麓で瘤の有る生物に跨り天竺より御座ある三蔵法師や玉龍が鳴沙山の砂を踏み鳴らす此処は生首からひょろりとひ弱な足が生えた化け物が呻きながら往来する渋谷のスクランブル交差点のド真ん中に一人立ち止まり指先を空より高く突き上げこの指止まる世界中の孤独をバネに月に向かって杵をぶん投げ46億年分のあいいろはとば(藍色鳩羽)でよいしょー!クラクションが人の間に挟まってぺったーん!信号が青になりました潰れた兎の腸が食み出している。


月兎の聴躍3

  

寂れた町の隅っこに吹き溜まる葉や木屑のスラングに無縁仏が風を発す(おこす露骨な色の衣装を纏い逸れ者は子供のまま大人になって腐れ縁を結えたお父様とお母様に離婚を宣告出来る権利を強請る何も決めていない時間が流れていればそれでよい学校で富国強兵や経済成長を学び行進して歩いたり整列したり前に倣え(ならえしたりした指先の爪はよく研いてあるから何時でも後ろから君の背中を串刺しにできる血まみれの二十歳は社会に徴兵されてしまう浅緋(あさあけいろの雑草をまいにち間引いているけど託児所の根っこは全く機能しない子供は大人の先輩なのに兎の腸がはみ出してしまって四方八方に広がる赤い瞳の裡側に散らばった褪せたビルの谷間に食い下ってでっかい太陽の前で小数点がコロコロ零れる曖昧な人生を隔てなく食べて肥大し続ける真心が眩しくて誰も振り返えられない無縁仏の誰かが名前から脱皮する呼んでいる私は事実の集合体ではない。


月兎の聴躍 4

  

幸福が平和を追い越して月光は鞍に跨って暗雲に燐光を掻き分けて過去は諸手に翼を授け乱反射する星達を散りばめたターフの上で見下ろす街の空に神様の落書きは装うあつあつご飯もゆらゆら揺れる廉直なかつお節も踊りながら水屋に眠る夜に茶碗の夢をみる幸福の為に死ねないけれど幸福だからこそ死ねた御納戸色(おなんどいろに生まれ短冊に育つ言葉を数え切れない今で引き止め詩に綴じ込めた願い溢れる部屋の扉を開け出てゆく大切な思い出の塊が大き過ぎて切れない唯それだけの理由で笹の葉サラサラ今と祈りに挟まって兎の腸がはみ出している明日こそ晴天を探しに一緒に出かけよう。


罪業に如くはなし

  

悲しみは夢に落ちてゆくようである。笑みに羽ばたく蜻蛉の空が、薄明りに集まっている。紅葉の幼木に一匹が、ぴたっと止まった。撓みながら、互いの命を揺らし合えば、風は古より興り、景色に色を与え、心の淵に宿る。意味が音を伝い、束の間を昇ってくると、波は海へと繰り返している。月は季節を慰め、無常の儚さを灯している。郷に帰るものの旅末に緑を擡げる道草の色も、遥かなるものである。
知らないうちに人々は、多くの言葉を人生に捧げている。私たちの読点は、より良い句点へ、今日も加速している。夕暮れの改行は、余白の後ろで未知に終わりを告げている。夜空は君を、星へ置き去りにして僕を、善意に導いている。間違いなく外国語の宗教で。言葉はガラクタだ。証拠もないのに信じている。言葉はガラクタだ。願いもしないのに生まれてくる。言葉はガラクタだ。祈ると願いは思いに戻ってしまう。言葉はガラクタだ。母音の前を子音が移り過ぎてゆく。
逢坂の関の近くの、毘沙門堂門跡の宸殿の玄関で、僧が脱いだ草履を見るのが好きだ。いつも、堅苦しくなく揃えてある。左右が、ほんの少し明後日の方向を向いて揃っているのが、これまた暖かみがあってとても良い。特に冬の寒い日には胸がジーンと熱くなる。


我が熱

  

春も光風、草にしっとりとした、
匂いが近づいてくる
銀色に砕けた夜空に浮かぶ、
ほっそりとした三日月は、
指先の中で、貴女の重力に撓んでいる

廃線の駅は、口の中に解け、
その甘味を、ニ匹の氷は知らない
時刻表は、ウィスキーに乗り、
魚のふりをする代わりに、
言葉に連絡しないグラスに、嫉妬をぶつけた

真珠色の、アスファルトは、
ベンチに凭れ掛かり、
花の中は、償いを諦め、
濡れては乾き、生まれては死に、
その甘味を、胃は知らない

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.