文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

年間各賞・総評4(織田和彦)2009文学極道

2010-04-17 (土) 22:00 by 文学極道スタッフ

【新人賞】 受賞者
■ひろかわ文緒氏
(【創造大賞】ダブル受賞)

「2009年の年間選考にあたって、発起人各人の口からまず漏れたのは総じて低調だった」これは「総評1」の冒頭の書き出しからの引用ですが、そういうムード、認識の中にありながら圧倒的な支持を集めたのが、ひろかわ文緒氏です。文学極道では気鋭の新人をいち早くキャッチし、WEB発の文学ムーヴメントを取り込みながら「読む-読まれる」ことの新しい形を提示する。いわば未来型の文化の送受信をあり方を考えることをDNAとして持ち、そのアーキテクトとして発展していく途上のメディアですが、その発端は「ネタ」や「ノリ」、つまり内輪の「何か面白いことをやろうぜ!」だったという風にぼくは理解しています。この辺りはサイトの立ち上げに加わった当事者たちがいるので、詳細はそちらに譲ります。それは換言すると、文学極道という場所は、24時間、365日行われる詩・文学の祭りだと考えてよろしいかろうと思うのです。文学をネタにして、場のノリを共有するもの同士で文学(神輿)を担ぐ。有名無名、虚と実、新参古参、古株と人参、人間とサル、羊にメンドリ、マカロニと明太子を問わず、酒を盛れ! ケツを振れ! 最初に脱ぐのは誰ぞ! これです。

それでは、ひろかわ氏の登場は2009年の一番のハイライトであったのか? その答えはイエスでもあるし、ノーでもあると言えると思います。まずは、おっさんA(イニシャルM)の証言から。「だって彼女、いっぺんも脱がなかったぜ!(><+)/¨」←これは非常に勘違いしている向きがあります。詩・文学とストリップは同一次元で考えることはできません。それはAカップとDカップを、もはや同一次元で考えることが不可能となったこの時代の背景と、軌を一にする現象であると言えましょう。(><。)

ひろかわ文緒氏が、野々井夕紀の名で投稿された「金色の月」から引用していきます。
たびたびご登場願いますが、おっさんB(debaser氏)の証言から。

debaser氏(おっさんB):「素敵な詩ですね。ジーンズが出てきたあたりからきれいに詩の中へ入ることが出来ました。作者さんの役に立つような批評とか出来たらいいんですが出来ないので、素敵な詩でしたという感想だけをお伝えします。」
どうでしょう。さすがはおっさんBです。もう、オネーチャンだったら何でもいい! という感じが良く出ています。
「きれいに詩の中へ入ることが出来ました(*^^*)」←汚ねぇーから勝手に入んなよ! ボケっ!!(><。)/

これに対して、ひろかわ氏からの返信です。

「こんにちは。
ひろかわ文緒です。(夏なのでというわけでもないんですが名前を変えてみました。)」

もう、言うことおまへんわな!

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エンターテイナー ゼッケン氏 ダーザイン個人年間総評2

2010-04-16 (金) 22:38 by ダーザイン

 現代詩=一般人は一生読まないつまらない文章。これが詩という廃村同然の集落の外、即ちあたりまえの世界での認識だろう。そういう問題意識を持って一般人=まともな人間にも読んでもらえるエンターテイメント詩を書いてきた人はミドリさんとか本当に少数しかいない。ゼッケン氏は文学極道登場時に「アニメや漫画の世界から来た」というような出自を述べていた記憶があるが、要するにそれは現代性を担保しているということだ。そのゼッケン氏がこの一年文体厨のダーザインの目から見ても創造大賞を狙えるほどの大変な筆力の向上を成し、神経症的な笑い話を展開する様子は実にすばらしかった。
 私はテレビのお笑い番組はもう何年もほとんど見ていない。鳥肌実や外山恒一は別格として(彼らは過激すぎてテレビに出られない)、初期のタモリや怪物ランド(怪物ランド - 平光琢也、郷田ほづみ、赤星昇一郎からなるお笑いトリオ)は面白がって見ていたが、その後ほとんどお笑い番組は見ていない。あかしやさんまが画面に出てきたら顔を見ただけで嫌な気分になり一瞬でチャンネルを変える。笑わせるための消耗品などネットにはもっと面白いものが幾らでもあり、私自身、地下暗黒掲示板群あやしいわーるどで干支が回るほどネタを振り続けてきたので、お笑いとは自分で成すものであり、テレビにあてがわれるものだという認識は全くないのである。
 ゼッケン氏の詩はあやしいわーるどでも一流固定ハンドルとして通用する面白さと文学としての達筆さを併せ持つ実にすばらしいものである。本物のエンターテイナーは自分を笑い物にできる潔さどころか、自分が笑い物になっている潔さまで持っている。ゼッケン氏にはそれがあると思う。ゼッケン氏には是非ともこれからもウッディー・アレンばりの面白い作品を書き続けてほしい。

 ところでダーザイン、お前は陰気なポエムばかり書いていているだろう。どこにお笑いを書いているんだと、一般人にはなかなか辿り着けない地下暗黒掲示板群での前世紀からの俺の活動をを知らない人は思うだろう。それでさくっと、かつてあやしいわーるどで連載した精神病患者の回復施設に潜入してのエロ・劣情視点からのルポ日誌(ばれて危うく訴訟沙汰になった「デイケア日誌」という一連の破廉恥なルポ)を貼ろうとしているのだが、あやしいwalklが消えてしまったのでログが見つけられない。あやしいわーるど者であれらの劣文を保存している者がいたら連絡ください。代わりに、インパクト著しく落ちるが前世紀にあやしいわーるどに書いた「完全失業日記」を貼っておきます。

「完全失業日記」

1.

 今日から失業者ですわコラ。知能程度の低い友人どもはねちっこく解雇解雇と書き立てますが、私が会社を首にしたのですよコノヤロウ。日本国をアジアにするべく完全失業率のアップに貢献したのだよコラ。
今日は1日寝て過ごしました。むさ苦しいおっさんのひきこもり。よってほんじつも詩とめるひぇんはお預けです。あやしーわーるどなどの地下掲示板群からしか人がこない下品な掲示板であったのに、このところ訪れる人が増えましたな。非常に喜ばしいことであります。男たるもの詩を書いて何ぼ、詩を書かん奴に用はありません。ここはひとつ、遠い昔、我が祖国ロシヤはネバ川のほとりで友人が開発した旧ソ連邦の科学技術の結晶、爆裂電波詩強化ギブスや爆裂電波詩受信ギアをはめて、文学の王道を探求するのも良いかもしれませんな。
2.

 ティムポを握り締めてしばし呆然としていたわたくしの目を覚まさしたのはご近所のガキどもでした。カーテンも閉めずに放心していたのはうかつでしたな。
「変態!」と叫ぶ声が住宅街に木霊するうら悲しい午後、今日は鬱です。目覚めると時計の短針が45度も進んでおりました。ティムポ握ったまま。ああなんか人生みたいだな、とわたくしは思いました。会社を辞めてから一週間、そんなふうにやり過ごしてしまいました。
 まだ旅には出られません。寝癖が脳の皺にもついてしまったようです。わたくしが呆けていた間にも、窓外では雲が流れ、風が渡り、人が出会ったり別れたり、ティムポが立ったり立たなかったりと世界はポエムとメルヒエンに満ちていたのでありましょうが、一行のたわごとも出てこないのは私のせいではありません。
 実存とは不条理なものなのです。

3.

 今日は休肝日にするつもりだったのですが、ムーミンとドザエモンが地獄で飲んだくれている様を想像して、あのぷにぷにの腹に触れれば「めるひぇん」の一つも出てくるのではないかと思い至りウイスキーを買いに走ってしまいました。そんなわけで今日も激しく酩酊しておりますが私のせいではありません。
 さて、仕事のことでありますが、なかなか見つかりませんな。何故かと言うと、探さないから。職安には一度参りましたが、
「ここには、えいえん在りますかぁ?(´ー`)」
「はぁ? (;´Д`)」
 というやり取りだけで帰ってまいりましたよ、はい。
 親切な飲み仲間が夢のように良い職を紹介してくれたりもしたのですが、
「僕には過分な仕事だ、つとまるわけない」と、ダメダメ鬱野郎丸出しでせっかく頂いたチャンスから逃げ回って不細工な柔道選手で一本抜いたりしておりますよ、はい。
 もはや抗鬱剤ごときでは労働意欲が沸かないようなので、精神病院に出向いて、
「先生、アクセラとブラッティーアイ処方して下さい。心身もPCも12倍速に強化したいのです」とぶちかまし、ただ飯を食うのも良いかもしれませんな。
 世の中には既に機械の身体を入手された方もおるとか。羨ましい限りです。私も銀河鉄道に乗って機械の身体を入手し、幸いあふるる夢の国へ行きたいのですが、切符を買う金がありません。そこで一つ提案があります。ネットアイドル菜々子のことでありますが、実はわたくしが菜々子でないという保証は何処にもないわけではないような気がしないでもないわけでもないわけで、@女の子であるかもしれないような気がしないわけでもない私が貴方をデバイス無しで抱っこしてあげますので送金若しくは銀河鉄道への乗車券を送ってください。悪い取引ではないと思いますよ。わたくしは控えめに見てもナタ―シャ・キンスキー以上の美貌を誇っております。
「一生童貞」さん見ておられますか? 貴殿らも、もし御ふじゅうなさっておるようなら宜しく切符の調達に御協力願います。

4.

 さて、私は昨日クラブサイベリアに出向きプシュケーを入手しました。よってもうデバイスは必要ありません。リアルワールドとワイヤード(ネット空間)の境界がずぶずぶと崩れていくのが解ります。そんなわけで1日中ネットスフィアに入り浸っておるわけですが、神の探索の為です。テイヤールドシャルダンの弁証法神学が予見していたとおり、ワイヤードという広大な新世紀の現実の中には、新しい、遍在する神がおるのです。ニーチェによって告知された神の死から一世紀以上、人類は孤独でした。だが今まさにここで新しい神が産まれ出つつあるのです。

5.

 今日は友人に
「オマエは酒やめても相変わらずキチガイだな、ピンクの象が見えないと自慢げにほざいているが、中毒の対象がワイヤードに変わっただけで、リアルワールドでも
「(;´Д`)ぁぅぁぅぁー」とか「(*´Д`)萌え」とか言っている自分の現状を直視しろ。トットと働けやゴルア!」と、キツイお叱りを受けました。
また、素敵な女に頂いた電話には「わたしは半既知外で相変わらず無職でダメダメ鬱野郎なのでかまわないで下さい、さようなら」と返信してしまいました。
今日は激しく鬱です、殺してください。
 そんなわけで病状は悪化する一途なのですが、ポエムやめるひぇんも飯を食わねば書けませんので今日は職安に行って参りました。職安に行くにもそれなりの正装というものがあります。ジャージ(アディオス)、無精ひげ、寝癖のついた頭など。礼を尽くして行ったつもりなのですが、私が持ち込んだ求人票を見た担当官殿は
「これは競争激しいよ、もう決まっちゃったかもねえ」とツレナイ言葉を吐きな がら私の姿をねめまわしました。無礼な奴です、死になさい。
 実は先日も某社に面接に行ったのですが、
「君は何ができるのかね?」
「君は何故当社で働きたいのかね?」などと馬鹿の一つ覚えのような台詞を吐き続けるので、これはひとつものの道理を教えてやらねばならんなと思い至り、
「御社が私に何を期待しておるのか解りませんが、ちんぽの立ちは良いほうです」
「お見受けしたところ貴方はリストラ寸前の脳梗塞気味のハゲですが、貴方にはいったい何ができるのですか、リストラなら得意ですのでお任せください」と言い放ち、帰って参りましたよ、はい。馬鹿につける薬があったら分けてください、マイフレンド。

 それにしてもやはりいまだに神の姿が見えないのは何故でしょうか。
 脳の中にアンテナを高く掲げ、150万光年彼方からの電波もキャッチできるようにしておるのですが、わたくしの空っぽの脳みその中には二つ三つ流れ星が落ちてきただけで、小さな波紋を作って消えてしまいました。
神よ、何故に我を見捨てたまいし。
 もうすぐ冬です。トットト雪積もって俺を埋めれや。

5.

  海のお腹のように柔らかなあんたをなでていると、とっても気持ちよかったんだ、君は素敵な娘だよ、ほんとにさ。いつまでもこうしてられると思ってたわけじゃ無いけど、なんかぬるぬるしてきて、なんか臭いし、死んじゃったんならキレイな白い石になるまでもう抱いてやらない。しばらく波打ち際に転がってな。
  タクシードライバーのテーマが聞こえてきそうな、空っぽの、淋しい朝靄の立つススキノの片隅でサックス抱えて物乞いしたのは俺じゃないし、激しく降り始めた雨に打たれながら
「えいえんなんてなかった、えいえんなんてなかった!」と叫んでいたのは俺じゃないし、夕日がとってもキレイだったので、真っ赤なトンネルを潜ってどこか遠い所に行っちゃったのは俺じゃないし、それに、地下鉄東西線を止めたのは神様になりたかったからじゃないんだレイン。薄れ行く意識の中で浮かんだ台詞はやはり
「何もこんなふうに終わるのは俺だけじゃないさ、宇宙だって熱死するんだ」だったので、いつまでも馬鹿の一つ覚えのようにこの世界に膨張と収縮を繰り返さしておくわけにはいかないので、20世紀大世紀末、北の都の片隅で、俺はちっぽけな屑で、完全失業者で、ポエムデュークひとつ満足に撃てない、存在しないも同然の時空の歪みのような男だから、世界の果てにぽっかりと開いた真っ黒な穴になってこの世のありとあらゆる物を宇宙の外に放り出して必ずや消滅させるつもりです。

電信 ダーザイン キトク シキュウ カネ オクレ

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「窓を開ける」 ひろかわ文緒さんの詩と言葉 (ダーザイン個人年間総評1)

2010-04-13 (火) 21:58 by ダーザイン

 ひろかわさんはとてもテクニカルだ。抒情的な自然描写にはさりげなくシュールな技巧がちりばめられ、足穂の未来派からスペキュラティブフィクションまで様々な技術が惜しみなく披露されている。それらの技術は本態的な美を現わしていることもあれば、ガシェットの様相を見せていることもある(クリムトの煌びやかな装飾のように)。抒情詩が、創造大賞の方へと越境していくことは、個人的に、文学極道創始以来の夢であったので(人様に捧げる言葉の花束)、ひろかわ文緒さんの登場はとても嬉しかった。
 だが、ひろかわ文緒さんの文体の美質は上記したような技術的な側面だけではなくて、書き手の実存論的立ち位置にある。ひろかわさんの詩の言葉は「窓を開ける」言葉である。明るみの中に事象を照らし出し開き示す言葉、自然、即ち自ずから事柄がなる場所への出で立ちであり、到来である。存在の顕現は充溢であると共に虚無の顕現でもある。これらは切り離すことができない。だから車は衝突し、殺戮が行われ、読者は時折荒涼の中に放擲される。鮮烈な生は死にくるまれている。
 だが、ひろかわ文緒さんはパウル・ツェランのようにはならない。ひろかわさんは、のびやかで、しなやかで、健やかだ。彼女の実存論的立ち位置が存在論的境地にまで至っているのは、男性詩人に往々にしてある孤や病態の果てに辿り着いた寄る辺なき岸辺ではなくて、自然に赦されているからだ。宥められる者と赦されない者がいる。存在に触れている女性詩人には敬愛するanimicaさんや加藤紗知子さん、小木曽淑子さんなど多数おり、彼女らは詩そのものだと言える存在だが、性差にだけ由来するものではないだろう。かつて増田みず子は『シングル・セル』や『禁止空間』などで実存論的孤の極限を描いた。
 上述した人たちとも、増田みず子とも、ひろかわさんは少し違う。ひろかわ文緒はのびやかに、しなやかに越境していく。明るみの中へと、「窓を開ける」姿勢で。

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年間各賞・総評3(織田和彦)2009文学極道

2010-04-10 (土) 21:44 by 文学極道スタッフ

【実存大賞】 受賞者 
鈴屋

侘び住まい・六月

「私が鈴屋さんを推すのは、今年この作品を書いたからです。
時空を生活の中に描ききり、生と死と無から有へ、物象の形態変化、感受の変化、 それらを日常から取り出し提起した。
このことは書き手として非常に困難な位置と素材であり、 それをこなすだけでも賞賛に値し、さらに殻に留まらない筆を動かし続ける熱量が作品を凌駕の情宣へ達し、伸び続けていると断言できます。 」(平川氏の評)

また鈴屋さんそのほかの方をめぐった議論の中で、ダーザイン氏からは次のような発言もありました。

「<実存>という言葉の意味をご存じなのだろうかと疑念に思います。
ただ単に人間の現実存在を指す言葉ではありません。
(中略) 非‐本来的(「存在に根付かない、存在論的な思考から生まれていない」)なお喋りを実存論的とは言わない。空疎なお喋り、存在の怠落態です。
ハイデガーの根本哲学ではなくてサルトル流儀の主観主義三文思想からみても、冗漫なお喋りは現実へのコミットではない(以下略) 」
(blogにミドリさんの記事を貼りながらダーザイン注。これは鈴屋さんへ向けられた批判の言葉ではない。実存・世界性にかかわることで意見が合わず袂を分かった人と、山ほどいる世間知らずの言語遊戯の連中に向けられた言葉であり、誤解なきように。この(かっこ)内ダーザイン)

例年、実存大賞は年齢的にいって比較的、上の層の方が多い。実存大賞の対象となる人と作品は「人間・人生が良く描けていた者に」と謳われております。詩や文学なのだから人間や人生を織り込んで書くのは当たり前なのではないか? 残念ながら、特に現代詩と冠された書き物の中には、少なからず言葉上の遊びに終始しているものがみられます。
こうした「流行」が詩を書くものと読むもの間に溝を作り、詩文学という文化を衰退に向かわせている。だとしたらそれは是正されなければならない。これが文学極道のもう一つのコンセプトです。

たとえば上記(平川氏の評)でも触れられている鈴屋氏の作品「侘び住い・六月」から引用してみましょう。

「雨期がつづく 
耳のうしろで河が鳴っていて、困る
部屋にひとり座し
壁など見つめていれば
列島を捨てて大陸へ行きたく、はや 
赤錆びたディーゼル機関車が原野を這う」

作品の中の男は梅雨の最中、一人部屋に座し、せせこましい日本を発って大陸へ向かうことを空想します。男は「赤錆びたディーゼル機関車」それに乗って旅をしているのです。空想の中で、笑。
我々も通勤の満員電車にギュウギュウに詰め込まれて、日経新聞などを読んでいると”ウランバートル”という記事を目にすることがあります。別にそこに取引先がなくたって、次の駅がもしかしたらウランバートルで、ドアが開けばスーツから開放されて、少し行けば馬と草原と澄んだ空があり、今抱えてる日常の雑事から開放されることを偶には空想してみることもできるのではないか?
この作品の作者、鈴屋氏は、心の換気も必要だということを説いているのです。

「流し台の蛇口の先から
蛇がこちらを覗いている 
かわいい
縞蛇の女かもしれない」

などと男はさらにめんどくさい空想を広げていきますが、ここまでくるとかなり。上級クラス(部長コース・1時間3万円)だという感じになってきます。
受賞おめでとうございます。

【実存大賞】 受賞者
右肩

今回の実存大賞の選考にあたって、右肩氏を推挙したのがダーザイン氏、コントラ氏と、私の3名です。まだ誰も読んでいないと思うので、まずはコントラ氏のコラムに話を向けることから始めたいと思います。

「詩なり<作品>と呼ばれうるものは、世界に強烈に根ざそうとすること、根ざしていたことを呼び起こすこと。その地点からしか生まれてこない。これは、書き手にとっては多くの選択肢のひとつであるはず、しかし僕自身にとっては、それは唯一の立場である。」(コントラ氏のコラムより抜粋)

彼、コントラ氏はそのコラムの中で「僕は中学校時代に世間で言うところの「いじめ」を受けた記憶がある。」と告白しておりますが、「誰もそんなこと興味ねえーよ!(><;)/」などと、皆さんが正しく突っ込んだくだりですが、「いじめる」ことで植物でも何でも、味がよくなったり、人間もそうです。いじめられて初めて一人前になれるものです。これは「いじめと根ざしの考察」から、作品論を説き起こした、はじめて論考と言えるでしょう。

では、右肩氏の作品にはそうした「根ざし」の問題と関わりのあるものがあるのでしょうか?

「女神」は2009年4月優良作品に選出されたテクストです。ここから一部引用してみましょう。

「木製の丸椅子に
坐って
その上からひとり
毛布の皺のような
世界を見ています。
裸の私は
若い。」

「愛とか何か
答えがないまま

スタバのカップに刷られた女神
かも
しれません。」

Martin Heideggerは芸術作品とは自己開示と自己隠蔽の闘争の場である論じていますが、この作品の話者はおそらく若い女性であり、自分は裸になっているのに世界の方が隠蔽されていることに不安を訴え、スターバックスの紙コップに印刷されたロゴほどの実存(根ざし)しかないことへの認識を口にすることで、現代を生きる命たちへの自覚を促す詩になっています。右肩氏のテクストには色んな仕掛けがさりげなく配置され、現象学から、Jacques Derridaのdeconstructionやコントラ氏の旅と帰郷論まで包括する現代詩の書き手の中でもっとも優れたオーソティーとして記憶されるべきでしょう。

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泉ムジさん年間総括・発起人就任

2010-04-08 (木) 20:44 by 文学極道スタッフ

最優秀抒情詩賞ツータイムチャンピオン泉ムジさんに発起人に就任していただきました。よろしくお願いいたします。
以下、泉ムジさんの年間総括です。

「戯れに」(敬称略)、

○私的創造大賞
 鈴屋 ひろかわ文緒
○次点
 いかいか ぱぱぱ・ららら 右肩 りす
○私的最優秀抒情詩賞
 鈴屋 ひろかわ文緒
次点
 DNA はなび リリィ
○私的実存大賞
 該当なし
○次点
 しょう子 黒沢 田中宏輔 ゆえづ
○私的新人賞
ひろかわ文緒
○次点
 はかいし
○私的最優秀レッサー賞
 浅井康浩 右肩
○次点
 朝倉ユライ
○私的エンターテインメント賞
 該当なし
○次点
 該当なし
○私的年間最優秀作品賞
 鈴屋「桃」
○次点
 右肩「砂漠の魚影(或いは「父のこと」)」

○追記
・個人的に、年間各賞は多くの受賞者が出たほうが、盛り上がって良いと思っている。
・各賞受賞者は50音順に並記されており、どちらがより、その賞に相応しいと思うかどうかは反映されない。
・「今後、文学極道には投稿しない」或いは「文学極道年間各賞の受賞は辞退したい」などの発言は、一切勘案しない。これは、私的な戯れである。
・「私的な戯れに名前を出さないで欲しい」などの発言については、考慮する余地があるが、出来れば、笑って許してくれると嬉しい。駄目だろうか。
・実存大賞受賞者が、該当なしである理由は、2009年度において、ひろかわ文緒、鈴屋に比肩すると思える実存大賞受賞相当の者が無かった為である。
・新人賞次点受賞者に、はかいしを選出したのは、2010年度は創造大賞を狙う作者になって欲しいという期待である。本来、新人賞に次点など無い。
・最優秀レッサー賞次点受賞者に、朝倉ユライを選出したのは、文学極道フォーラムにて、「「螺旋響」へのラブレター。」を書いた為であるところが大きい。2009年度の投稿ではないが、情熱的な批評者の存在は文学極道の生命線であると私は考える為、最優秀レッサー賞次点受賞とした。
・エンターテインメント賞受賞者、エンターテインメント賞次点受賞者が、該当なしである理由は、「読まれるものを書く」ことが文学極道最重要の指針であると考える私にとって、この賞が大事である為である。つまり、思い入れが邪魔をした結果、誰も残せなかった。恥である。
・エンターテインメント賞次点受賞者に、最も肉薄したのは角田寿星である。
・年間最優秀作品賞受賞作品、鈴屋「桃」について、また、年間最優秀作品賞次点受賞作品、右肩「砂漠の魚影(或いは「父のこと」)」については、ただ、好みを2作品掴み上げただけに過ぎない。と書くと怒るだろうか。しかし私はひとりで選んでいるのだ。頼りない直感(直観とは言わない)だとして、それ以外に優先すべきものが在るだろうか。
・私にとって、追記とは言い訳の別名である。
・戯れに付き合い、ここまで読んでいただいた方に深く感謝致します。

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