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ぱぱぱ・ららら - 2009年分

選出作品 (投稿日時順 / 全8作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


月の見えない夜に羊は消える

  ぱぱぱ・ららら

雲が満月でも何でもない月を
隠している隙に
世界中の羊は一匹残らず消える
 
ポール・オースターの小説に出てきそうな
私立探偵エディは
謎の男から依頼を受けて
ひつじを探すことになる
 
やーい、ひつじやーい。
と、言いながらエディは
深夜の渋谷のスクランブル交差点を探しまわる
 
ひつじ飼いのエディは仕事を無くし
自らのアイデンティティーを
探し求め旅に出る
 
アフリカにある名前の無い国に
たどり着いたエディは
自らの名前を落としてなくしてしまう
 
ひつじについての詩ばかり書いていた詩人のエディは
創作意欲を失い
言葉を忘れ
自分のことをひつじだと思い込むようになる
 
エディはひつじの消えた
牧場に入り
メー、メー、メー。
と鳴いている。
 
前世がひつ
じだった風俗嬢のエディはとても長い黒髪がとても
素敵でとても人気があったの
だけれど
 
 
エディのはたらいていたお店はほうりつか何
かにいはんしてい
て営業てい止になってしまいエディはふ
つうのOLへと戻ることになってしまう
 
むかしむかし、ひつじなんていうなまえの羊なんていなくて、ひつじかいなんかもいなくて、エディなんてなまえのにんげんもいなくて、それがよかったのかどうかはわからないけど羊は羊だった。
あるよる、羊のもとにエディとよばれるにんげんがやってきて、羊のことをひつじとよび、それがわるかったのかどうかはわからないけど、ひつじかいはひつじをかうようになった。


詩人

  ぱぱぱ・ららら

「僕は詩人だ!」
深い崖の下で叫び泣いた
僕は
確かに僕だったと思う
 
波がきて
波が去る
その繰り返しが時間なら
僕であったはずの
僕は
退屈さの中で
死んでしまった
 
石ころだっていつか死ぬ
その頃には
ヨークシャテリアだって
哲学的問題を解き始める
 
「僕は詩人だ!」
って沈んでしまった太陽の光の
ように泣いたって
明日は仕事さ
 
むかし、詩人だった君は
白い月の下
イタリア製の高級スーツに身を包む
 
Xー700を冬の海に持って行き
世界を切り取る僕は
やっぱり詩人なのかな?
周りは
愛無き愛の物語
 
「助けてよ」
と言ったのは誰?
海を潜り、水難救助した僕に
待っていたのは部屋
に一つの死体
 
『鏡の街』
 
第一編・詩は死を呼ぶ
 
僕は探偵だ
だから依頼を受けて
事件を解決した
報酬を貰い家に買えると
死体が転がっていた
僕の彼女だ
死体は言った
これは報復なのよ
誰かを救えば
誰かが死ぬの
生命には限度があるの
人が増えれば
木々は死ぬ
僕は尋ねる
何で君が殺されなきゃいけなかったの?
犯人に聞けばわかるわ
 
第二編・センチメンタルに走る僕は非詩人
 
 豚丼を食べている僕は、間接的に豚を殺している訳で、彼女が殺されたからって、犯人を責めることは出来ない気がして、僕は時計を左回りにまわす。
 すると、海が見えてくる。寒い、どうやら冬のようだ。太陽は山の裏に沈んでしまい、橙色の光が山の裏から少しだけ、紫色した空を照している。波が来る。そして去る。波の音、久しぶりに自然の音を聞いた気がする。僕の隣には彼女がいる。彼女の隣には僕がいる。僕の隣には彼女がいる。それだけ。
 
第三編・わたしは貝になりたい?
 
 僕の隣には犯人がいる。
 僕は僕のじゃないみたいな、僕の口を機能させる。
 
あなたが殺したの?
そうだよ
どうしてですか?
ねぇ君って、哲学って信じる
信じるます
好きな哲学者は?
ニーチェ、ドゥルーズとか
それじゃダメだ、そもそも君は哲学についてどれくらい理解しているんだ? 哲学を哲学して、それでも君は哲学を信じるって言ってるのかい? 詩はどうだい?
詩も好きですよ。というか、僕はあなたに彼女を殺されるまで詩人のつもりでした。
でも君は詩人じゃない。
その通りです。僕は詩人じゃない。僕が書いてたのは詩なんかじゃなかった。もっと別の落書きとか、そういうものです。
わたしは詩が嫌いだ。詩は卑怯だ。いつも大事な局面では現れやしない。なぜアウシュビッツには詩人がいないのか、なぜネイティブアメリカンには詩人がいないのか、なぜアイヌには詩人がいないのか、君は答えられるかい? 答えられないなら、詩なんて書くべきじゃない。そうだろ?
そうかもしれません。ところで、あなたはゴダールの映画を観たことがありますか? 彼の映画にその事について言及しているものがあります。あなたは観たことがありますか?
さあ、どうかな忘れてしまった。本当に。言い訳じゃなく、わたしは記憶というものを持っていないんだ。
最近、チェ・ゲバラのアメリカ映画がやってるのは知ってるでしょう。二本あるそうです。二年前ぐらいかな、オリバー・ストーンがフィデル・カストロにインタビューしてドキュメン映画があります。でもそれはアメリカでは上映禁止になったそうです。これについてもっと考えてみるべきじゃないですか?
ちょっと待ちたまえよ、君は何が言いたいんだい?
僕が何を言ってるか分かったとしたら、それは僕の表現が下手だったという事だ。これはグリーンスパンの言葉です。彼は詩人でも哲学者でもない。経済学者です。でもこの言葉って詩だと思いませんか?
ちょっと待て。もはや詩なんてものは存在しない。現代詩ってやつを読んだことがあるだろう? あんなのがもう何十年も続いてるんだ。もう詩なんて存在しないだろ。わたしだって昔は詩を信じてたさ。だがヒッピーがただの金持ちの大学生の集まりだったのと同じことさ。ねぇ君は家畜の動物たちについてどう思う? ただ食べられる為にだけ、生まれ、生かされ、殺される。君が今持ってる缶コーヒーを作る為に一体どれだけのアフリカ人が搾取されてるかのか? これが世界なら、君が詩人だと言うのなら、これが詩の作り出した世界なのかい?
あなたは詩を深く考えすぎですよ。詩なんて無力なもので、詩で何かが変わるわけでも無いし、詩を誰かに伝えようなんて気もない、誰も。ねぇ、最近あまりにも批評家が増えていると思いません? しかも、すごく偉そうなんだ。たとえどんなにひどい詩だって、どんなに素晴らしい批評よりは讃えられるべきだと思わないです? ねぇ、詩っていつからただの文学的技術論になったの? 詩だけがただ唯一の、人に創れるものじゃ無かったのですか? 詩が世界を救える、詩が貧困をなくす、詩が人生の闇に光を照らす、そう考えちゃうのは、やっぱり僕が詩人じゃないからですか?


帰還

  ぱぱぱ・ららら

なにかの果てから
還ってきた
帰還兵の少年は言った。
 
見つけたよ、
見つけたよ、
と。
 
上ずった興奮した声で、
ぎこちない
笑顔で言った。
 
見つけたよ、
見つけたよ、
と。


言葉

  ぱぱぱ・ららら

偉そうな言葉は
僕の中には存在しない
と言いたい
 
再発見とでも言うべきか
それとも
幸せとでも言うべきか
 
僕は生まれる
言葉によって
それから
言葉によって死ぬ
 
 告白すると、僕は言葉を書き終える度に、もう二度と言葉なんて書きたくないと思う。インクが乾いたとたん、胸がむかつく、とベケットは言っていたそうだ。僕も同じ様に思う。それでも彼は書き続けた。ただ言葉を。マーフィーも、モロイも、マウロンも、それから名前の無いものも、語り続けた。シオランは、世界は絶望のきわみだ、と言い続け、そして、それでも生き続けた。書き続けながら。言葉を。
 
君はなんのために書くのか?
言葉を
ここで今更ながら
断っておくが
これは詩じゃない
言葉だ
それは太陽でも
愛でも
絶望でも
なんでもない
 
 僕はなんのために書くのか。これは僕自信に対する問いだ。別に内側を知りたい訳じゃない。僕は輪郭が知りたいんだ。ここでレズニコフやカーヴァーの言葉を引用してもいいのだし、それが僕のやり方かも知れないけれど、辞めておく。これは僕の言葉を捜す言葉だから。でも僕は僕の言葉よりも彼らの言葉の方が大事だ。僕の言葉なんて嫌いだ。
 
何も書くべきものは無いように思う
初めから。
それでも
僕は書いている。
なぜ?
またベケットに登場してもらうとすると、
彼の『名づけえぬもの』では、
無の中で
ただ無目的に喋りまくり、
さあ、続けよう。で本は終わる。
これは絶望か?
これは無か?
 
 僕が書くのは剥き出しの言葉だ。なにも引き合いに出してはいないし、隠してもいない。僕が海と書くとき、それは海で、僕が愛と書くとき、それは愛であって欲しい。
 
君が書くのは
詩か?
 
僕が書くのは
言葉だ
 
それは
そこら辺に落ちてる石にすぎない
 
石は絶望か?
石は無か?
 
 シオランは長い間、不眠症に悩まされ続けた。彼は言う。もし私が朝から働かなくてはいけない状況で生活していたのなら、きっと自殺していただろう、と。僕は不眠症で、朝から仕事が待っている。僕は死すべき人間なのだろう。野獣だし。なんて言うつもりはない。でも書いた。消すつもりはない。
 
もう書くべき言葉が思い付かない
振りをして
終わろう
いつだって
終わらなければならないのなら
僕だけがそこから
逃れるなんてことは出来ない
逆もまたそうだ
 
さあ、終わりにしよう
 
僕は言葉だ


存在証明(は今日も出来ず)

  ぱぱぱ・ららら

 僕はここにいる。君はそこにいるのかい? あれ、僕はここにいるって言ったっけ? 君はどこにいるって言ったっけ? 忘れてしまったよ。最初から何も知らなかったっけ? 僕の肌は今日も白くて、やっぱり病人みたいで、世界は僕とはなんの関係もなく、いつも通りにまわっている。僕はその遠心力に吹き飛ばされ、どこか誰もいないところにたどり着く。君もいなけりゃ、君もいない。僕はいるのかな? イルカのように生きていたあの子は、イルカに食べられて、僕がムーミンの絵本を読んで聞かせたあの子は、ムーミン谷へと歩いて行ってしまった。僕はここにいると言う。でも僕はここにいない。君は君を喪い、僕は僕に別れを告げて、イルカもムーミンもいない孤独な谷へと旅に出る。それから、いや、それから、じゃない。それから、はもういない。じゃあ誰がいる? 何がある? 何も無い。難問だ。僕らはいない。天使のような歌声で歌ってる子を見つけたら、それは本当に天使で、僕は雲の上にいるのだと言うことが出来ることにしよう。猿が去るように君は去り、猿よりも猿らしく成功する。ボス猿はかく語り、僕は彼の古文になる。もしくは彼が僕の。モスクワは今日も寒いですよ、とメールしてきたカフカは断食芸人と知り合い、彼に夕食を御馳走する。雄鴨のように美しくなりたいな。誰か聞いてるかい? 僕は、雄鴨のように美しくなりたいんだ。君は雄鴨の美しさを知ってるかい? まあ、当たり前だけれど、雌鴨も美しいんだけどね。脚がしびれてきた。最近、よくしびれるんだ。なにか病気だろうか? 君に脚はあるかい? 君にお金はあるかい? 僕は無いよ。ところで、ああ、ごめん。ところで、も死んだんだった。いつだって素晴らしいものからいなくなるんだ。じゃあ、もうすべてに消えてもらおうか? 君はもう消えたかい? 僕はもう消えたのかな? 消失。焼けるように熱い、道端に落ちてる石ころは、僕らのボンジュール。オレンジジュースを飲み干して、砂漠をもっと増やそうぜ。缶詰だけで生き延びろ。最後の言葉はそれにしよう。僕はもう最後の言葉しか話さない。君だってそうだろ? 善人はいないなら、僕もいないなんて、僕には言えないから、さよならも言わずに、僕は去っていく。じゃあ、皆さん。缶詰だけで生き延びて下さい。


現代詩

  ぱぱぱ・ららら

僕がみどりの草原をヤギと一緒に
歩きまわるということはない
 
あの黄色い花は何?
僕は知らないな
 
コンビニの前に落ちてる
小石だって歌うんだぜ
 
動物園にいる猿たちが
僕のリンゴを食べることは無い
 
羊飼いはどこに行ったの?
最初からいなかったっけ?
 
高層ビルに囲まれた木と
森の奥で太陽の香りを放つ木との
違いなんて無いのさ
 
美しい詩の言葉は
遠く遠くで
桜の花びらのように
散ってしまった
 
それは1941年の7月7日のことだった
 
きっと今日と同じように
空は青く
太陽の柔らかな光が彼らを包み
それから風が吹いていたのだろう
 
その日、詩は燃えてしまった
 
僕らに残ったのは灰だけか?
 
冷房のきいた図書館の
大きな窓から外を見ると
たくさんの名も知らない
木々たちが風に乗って踊っていた


偽物の猿の目は黒い(前編)

  ぱぱぱ・ららら

0、
 これから僕が話すのは、偽物の猿についてだ。それはアルコール中毒のトランペット奏者についてでも無ければ、昨今問題となっている黄色人種に対する大虐殺の話でも無い。
 でも正直に言って僕が偽物の猿について語れることは、あまりにも少ない。まず根本的な問題として、僕は本物の猿について絶望的なまでに何も知らない。動物園で猿を見たことはある。でも、動物園の猿を本物と言うことができるのだろうか。誤解してはもらいたくないのだが、これから僕が話すのは動物園の猿についてではない。僕は本物の偽物の猿について話す。偽物の猿について話すことによって、いつか僕らは本物の猿について、何かしら知ることができる日が来るかもしれない。
 
1、
 僕の彼女は売れない舞台役者だった。僕も冴えないフリーターだったから、僕らは互いに金を持たざる者として仲良くなっていった。ある夜、稽古帰りの彼女は言った。「良い役を貰ったの、主役よ」。僕はそれを聞いて素直に喜んだ。これまでに何度か彼女の所属する劇団の公演を観たけれど、彼女はいつだって小さな役しか与えられていなかった。居なくてもいいような、彼女じゃなくてもいいような、そんな役ばかり。一度なんて大根の役をやらされていた。料理をする主演女優。買い物袋に入れられた彼女。主演女優は包丁とまな板を取り出し、彼女を切り刻んだ。トントントン、と包丁がまな板にあたる音がしていた。彼女は悲鳴ひとつあげなかった。舞台上は彼女の血で染まり、最前列の観客には血しぶきが飛び、観客達は悲鳴をあげた。僕は最後まで観てられず劇場を出た。公演が終わるまで、向かいの道路のガードレールに寄りかかり、煙草を吸っていた。僕以外に劇場から出てくる観客はいなかった。
 公演後、「これはあまりに酷いじゃないか」、と僕は演出家に訴えた。演出家は僕よりずいぶん歳上に見え、髭も伸び放題だった。「しょうがないでしょ、彼女下手糞なんだから」、と演出家は言った。「死んじまえ!」、と僕は悪態をついて彼の元を去った。
 
2、
 彼女の主演する舞台のチラシを見た。『サラジーヌ』という題名だった。一番先頭に彼女の名前が書いてあり、演出家は僕が死んじまえと罵った男だった。チラシの裏には、『迫真の演技。体当たりのベットシーン。』と黄色い文字で書いてあった。
 僕はその公演を最前列で観た。チラシの通り、彼女と主演男優によるベットシーンがあった。熱いキスの後、男の舌は彼女の胸を舐め、左手は彼女の股へと伸びていった。彼女は演劇用のよく響く声で喘ぎ、腰を激しく動かした。僕の席からは彼女の表情がはっきりと見えた。彼女は本気で感じているように思えた。僕は最後までその劇を観たけど、ベットシーン以外なにも覚えていない。
 公演後、僕は彼女に言った。「何が『迫真の演技。体当たりのベットシーン。』だよ。そんなにリアルなベットシーンがしたいなら、本当にヤっちまっえばいいじゃないか」。僕はそう言ってチラシを破り捨てた。「だいたい何でお前みたいな下手な人間が主役なんだよ。お前なんか野菜の役で十分だろ」。僕はいくらか酔っぱらっていた。「どうせこの役もあの髭野郎に抱かれて貰ったんだろ」、と僕は言った。彼女は左手で僕の頬を叩いた。「最低ね」、と彼女は言った。「最低ってなんのこと?」と僕は心の中で呟いた。
 
 その時には分からなかったが、今考えてみればこの瞬間に偽物の猿は生まれたのだと思う。僕が彼女に叩かれた瞬間に。僕の頬と彼女の左手を両親として。偽物の猿は生まれた瞬間に死んだ。詩や映画と同じように。だから僕が実際に見たのは、もう死んでいる偽物の猿だったのだろう。でももちろんその時には気づいていなくて、僕は死んでいる偽物の猿を生きている偽物の猿として扱っていた。
 
 
(前編 終わり)


太陽の沈んで行く公園で、彼女は話続けている

  ぱぱぱ・ららら

 夕焼け空。夕日は高層ビルで隠れている(いた)。僕らは公園のベンチに座っている(いた)。真っ黒なカラス。ホームレスの象徴たる鳩。遠くから聞こえてくる(きた)サックスの音。彼女は話を始める(めた)。
 公園のベンチに座っていると、なんだかユスターシュの白黒映画に出演しているような気分になる(なった)。彼は神経衰弱を演じていた。そして本当に自殺してしまった。ブローティガンも死んだ。カートも死んだ。サックスの音色につられて、ホームレスの食べていたピーナッツが踊りだす(した)。ワルツを、もしくはタンゴを。「白いワンピースと黒い長髪の結婚」、と踊り疲れたピーナッツは言った。「なんだい、それは?」、とタカーロフは聞いた。『ホームレスに死は訪れない。ホームレスに生はないのだから』、と言ったタカーロフ。『芸術と宗教は似ている。どちらも絶望の子供たちだから』、と言ったタカーロフ。「二人の子供は茶色い革靴さ」、と答えるピーナッツ。「本当にそうか? 茶色じゃなくて黄色じゃないのか?」、とタカーロフ。「黄色は死んだ。茶色に殺されたんだよ」、とピーナッツ。「だが……」、とタカーロフが反論しようとしたところで、ピーナッツはホームレスの口の中に入れられ、黄色い入れ歯で噛まれていく(いった)。
 サックスは鳴り続け、太陽はまだ沈み続けている(いた)。タカーロフは家に帰り、彼女はまだ話を続けている(いた)。僕はピーナッツみたいに食べられるのを待っていたが、大きすぎたせいか、まだベンチに座っている(いた)。
 六月に死んだ女の子が、七月に死ぬことなない(なかった)。僕は本当は六月に死んだ女の子について、書きたいのだけれど、結局僕には書けないのだろう(書けなかった)。
 サンフランシスコの片隅で、動物園から脱走したキリンとペンギンが殴りあいをしている。中国女とフランス女が観客だ。中国女は娼婦で、小さな部屋に住んでいる。エアコンはない。一回6980円で抱かれている。フランス女は表参道の道路に設置された喫煙所でタバコを吸っている。背は高く、細い体に洒落た服。でもフランス女はフランス女ではなく、ベラルーシ女だ。チェルノブイリで父を亡くした女の子。祈りはどこにも届かない。
 太陽は沈み、空には月が出てくる(きた)。彼女はまだ話を続けている(いた)。僕はその隣で話を聞いている(いた)。退屈な話だ。たいした内容ではない。ホームレスは芝生の上で、缶ビールを飲んでいる(いた)。サックスは鳴り止み、月は僕らの知らない形へと変わっていく(いった)。それでもまだ彼女は話続けている(いた)。僕もずっと隣にいる(いたかった)。

文学極道

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