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浅井康浩 - 2009年分

選出作品 (投稿日時順 / 全4作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


No Title

  浅井康浩

初夏をどこまでも感じていたい。すぐりのはえた裏庭から、低気圧がひろがって南岸方面
の降雨の開始を早めてゆくのも、おでかけをするうえでのたのしみにしたい。ふわっとし
た雨のにおいを待ちながら、海岸をてくてくあるいて、フランボワーズだってつまんでみ
たい。そうやって過ごしながら、てのひらにつつまれたような、発酵したパン生地のよう
な匂いに、ふわっとからだをすくわれてみたい。気がついたころにはもう、雨の匂いにつ
つまれていて、ひとあしとびに、食卓へと歩をすすめている。あしどりはあかるく、あた
たかな雨域をやさしくよければ、生クリームとさっくり混ぜるころあいのような、そんな
感じで木イスにすわってひといきをつく。そのようにして、誰からもわすれられていたよ
うなオーブンの水跡のように、しずけさを添えてたたずんでゆきたい。



プレパラートはすぐに割れるだろう。ピントをあわすまえからの決まりごとだというのに、
ふわっとした水の粒子はいくつもの層を織りなしては消える。10倍×10倍程度での観
察ならカバーガラスをかけることもあるまい。グラニュー糖や水をはかったりしないで、
あっさりとかろやかに焼きあげるあなたのクラストをおもいながら、レボルバーを回転さ
せ高倍率レンズへかえてゆく。倍率を高くする前に,視野の中心に試料を動かし,ピント
をきちんと合わせることをわすれるのはいつものことだけれど、発芽するものたちの息づ
かいに耳をすませるものにとって、わすれてはいけないことなんてなにもないのだと、い
つだってそうおもっている。



写す、という気持ちをずっとわすれてしまっていた。かたちにはならないくらいの、かす
かな、あたたかなそれが、ただの一度だけ、わたしにはわからないくらいのゆるやかさで、
とおくにながれはじめるのをじっと見送ったまま、今日という日になった気もする。晴れ
た日の午後は、みずからの足跡をつけないように、そっと、あるく。シロツメクサを摘む
あなたを追いかけて、背中ごしにピントを合わせる。そうやって、あなたが見ているもの
とわたしが見ていないものが陽だまりのなかでまじわりつづけられるように、さらさらと
ながれる一日のなかに、これからの行き先をとじこめるために。



空気がそよぐように設計されたこの歩道の先につづいてゆくものが、どのような庭園術に
つながっていくのか、そのことを意識しない日はなかった。樹林にかこまれていることの、
そしてそのことによってうまれる直線へのささやかなしたしさを、環状へとつづく道筋や
写実的ともとれる水の流れでせきとめようとするたびに、庭園の空気には植物そのものが
ふくまれていことを知ってしまうから、しばらくは、この庭園の入口に視線をやって、息
をととのえなおしたりすることもあった。そうしておもうことは、a scene,a scene,a scene
それだけをたよりにここまでやってきたのだと。



ペーパーフィルターのミシン目にあわせて、かすかに底の角をなぞるように折ってゆけば、
あたたかな雨の湿り気がゆびさきへとつたわってくるようです。あまだれのようにおちて
ゆく82℃になるまでのしずけさは、缶の底にのこされたマンデリンの手触りをおもいう
かべるはじまりとなりますから、わたしの内側へと、耳をすませるように、かすかな弱音
としてさわやかな苦さがひろがってゆくことがわかります。もう知ることのできなくなっ
たあなたという人のひとときのすごしかたが、ドリップを通じてしずくとなってさみしい
響きをたててあらわれるなんて、そんなふしぎをあらためておもってしまうよゆうも、い
まのわたしにはあります。だから、もうあんしんしてください。そっと、ひとりぶんのソ
ーサーをよういして、ふちをつまむ。そうやって、いろんなものがすぎてゆきます。いつ
の日かこの珈琲がさらさらとこのからだを流れすぎてゆくことがあっても、それはささや
かないのちのひとしずくとなっているはずですから


No Title

  浅井 康浩


心臓の音を悼んでいると思ったら、わたし、祈っていたの。
そのままの姿で、くちずさむ調子で、鳥たちの声に。




なぜ自分のしていることが強姦になるのか、そのことがわかりません。ただ、相手にささ
やく言葉を知らなかっただけかもしれない。でも、どこかでふかい悲しみのようなものが
ふるえていて、言葉をつぐませてしまう、というか。そうやってなにも言うことができな
くなって、セックスから言葉や対象が失われてゆくのだとおもいます。静けさというもの
があったとしても、ひそやかな呼吸もなく、植物的なゆるやかさもないセックスのどこに
価値をみいだせばよいのか、それすらもわかりません。




せきとめられていたの、わたし、たおれこんでいたの、この川の辺へ、なんでもないよう
な呼吸のしかたもわすれてしまって。そうやって、そう、せきとめられている。湿り気を
もつハゼ科のように。じぶんの持っている輪郭をつよくととのえるまで。ひかりをいだく
ようにして。いつかはわからないけれど手をふるように。




この位置は、世界から聞こえてくるさまざまなものに耳をすましてゆける位置でもある。
だから、あなたが聞き出そうとしたことは、きっと、誰かがききたかった部分と重なって
いると思う。




そらみみだったのでしょう。こわれかけた鍵盤みたいにぽろぽろ流れこんでくるやすらぎ
にそらを見上げたのはわたし。そんなことをすれば、書けてしまった手紙のことばたちか
ら置き去りにされてしまうこともわかっていたはずなのに、はだしであるきましょう、は
だしであるきましょう、だなんてあなたが告げた声をわすれるともなしに朝をむかえてし
まえば、ひっそりと泣いてしまうことの準備さえできていないというのに。




どうしてそんなにねむることができるのか、そのことの不思議をおもっていた。あまりに
も透明といえそうな、あかるいひろがりに満たされていたから、しずけさにつつまれなが
ら眠ることもできるのかもしれないとも思っていた。




アスパラの茹でかた。喫茶店での過ごし方。待ちわびること。柳宗理の食器。シンプルな
生き方。ZARA、知床半島、マフラーの正しい巻き方。スーパーバタードッグ。上手なコー
ヒーの淹れ方。ヨットの原理。ラベンダー。ふるい絵本。琵琶湖。猫アレルギー。道端に
寝転がること。さつまいものタルト。感謝すること。奈良町。etc. 




デタラメなリズムで漕ぎだすくちぶえはめぐりめぐってHappy Birthdayを奏でてしまう。
だから、目はほそめたままでいましょう。眩しいから、って、そっと手のひらをかざして
こずえのみどりの影にゆっくりと埋もれてゆく。このような日々が終わらないままにつづ
いたとしても、それでもととのいはじめた呼吸のリズムのなかからマガロフのワルツの
音色を思いだすことはできるのだろうか




射精によって空間やへだたりが溶けてしまって、視界がひらけるように、ひとりきりでは
なく、あなたとともに交わっていたことを感じることが、ときにはあるかもしれない、ふ
たり、ということばのさざめきのなかに還ってゆけるかもしれないと感じることも、これ
からはあるかもしれない。発症にいたるまでの経緯をかたることはなんとしても避けると
ともに、わたしの言葉自体が崩されてゆくのを防ぐための努力に最大限の感謝を添える。
いつだって現実の直視からはじまることは疑いがない。そして、せかいは、わたしやあな
たの言葉に聞く耳をもたない。




ふたつのからだは、ひとつになれない。だからね、いとしいひとへの言葉をだきしめるな
んてことを、してはいけない。ましてや、満たすことなんて、してはいけない。


無伴奏組曲

  浅井康浩

星空をみたらあなたのゆびさきをおもう。蜜蜂をみたらあなたのまなざしをおもう。それ
ほど、しんそこだいすきでした。だから、ここへ、いっぴきだったころの、体育ずわりの
あたしをおきざりにします。あんなにも好きなひとをみていてあきない姿勢はなかった、
そんなあたしを忘れるために聴いていたいのは、なにものにもたよれなかったよわむしが
鳴らすひとふゆだけのヴィオラです。




あたりが静かになると、わたしの寝息にあわせるようにして、しずかに楽章はながれこん
でくる。そのやわらかい響きにつつまれながら、わたしは、こまかくふるえている音の粒
子のしずけさにもたれかかるようにしてしずんでゆく。いままでに聴いたことのないパー
トへと音がさしかかるころには、わたしはねむりのふかさそのもののなかにただよってい
て、その場所からはもう、音がながれでることもあふれだすこともなくなってしまってい
る。無伴奏組曲、この曲はどうして起きることとねむることのあわいにまよってしまった
ときに、わたしのからだへとながれついてくるのだろう。



しんぞうは、夜の冷気にくるまれて芯からこごえるキャベツのひかりのようだった。とり
あえず、たどりつけるべき明日があるいじょう、かわらないままでいい自分をゆるしてく
れるせかいはきれいだと思っていた。へらへらとわらってしまうたびに、透きとおった陽
射しのような水の粒子が満ちてしまう場所が自分のなかにあって、世界の涯は水だから、
けして枯れないポピーを植えてあるいてゆく、そんな夢をみていたいと泣いていたはずの
わたしにとって、そこではすべてのものがやわらかにわすれられてしまい、わたしもいつ
しかながれる時間とともに消えてしまっている。いまのわたしには、なにものにもこたえ
をみつけることができはしないだろうから、せいいっぱい、祈るようにいきよう。ゆきつ
けるところまでゆきついて、その場所で、やわらかくすべてのものがわすれられてゆく。
てのひらをかさねあわせることがなぜいのりへとつながるのか、てのひらをつつみこむこ
とがなぜねがいへとつうじるのか、というささやきにゆさぶられながら。



とぎれめをかんじることができなくなるほど、わたしのてのひらのなかには陽射しがあふ
れてゆくので、おくってほしいといわれたものがいまだに見つかりません。ほどいて、し
ばって、そういうことをくりかえしていたから、とおい日だけが恋しくって、すきとおっ
ていくんです、ことばが。なんとなく、つきつめてゆけば、おくってほしい、とあなたが
言ってきたものはわたしがおくってやりたい、とおもったものとかさなるのよな、そんな
気も、さらさらに、しないでもありません。そういう日には、やさぐれた気分でわたす檸
檬にふりかえりもしないうさぎがかたわらにいたりします。ここから、その場所へ。やさ
しいから、って、おとづれてゆくのは真昼です。ここをすぎるものは、すこやかにそだっ
た青麦たちにまぎれてしまって。


この場所で

  浅井康浩

もしもこの場所で語りつづけることがゆるされるのなら、まずはじめに音楽のことを。チ
ェロによる八小節のあとにひびいてくるオーボエのゆたかさをはなそう。誰にとっても静
けさというものがそうであるように、あるときにふと、音ともいえないかすかなゆらめき
がこめかみをかすめることがあるのだろう。どこからともなく洩れてくるその音が、ピス
トルが世界から消えてゆくあかるさであるよりも、だれかのメヌエットであることが望ま
しいひとたちへ、フィレンツェの春のすべてを持ち寄って、a・d・e・aの和音を鳴らそう




このままねむってしまうのなら、みずからの呼吸、そのまばたきやふるえとかそういった
すべてをわすれて、ただ耳をすましていたい。あなたの吐き出す息の、ただ意味もなくう
つくしい、ということ。いままできいてきた言葉の、そのどれもがよくわからなかったと、
今になっておもうこと。あしたになればまた、あらゆる人々とかかわりをもってしまって
ゆく。そんなくりかえしも夜になれば消えてしまって、ニワトリみたいに忘れさってしま
う。しんしんとしずまってゆくこの場所で、コクリと喉が鳴ったなら、あしたのそらは明
るいのだろう



また、くさむらにねころがってるあいだに君がきていた。なにを言っているのかはわから
なかったけれど、とてもやさしいまなざしをしていたので、たしかに何かがしずかに終わ
ったのだとわかってしまった。あたりには、昨日までは気づかなかった香りが空気にとけ
こんでいて、終わることのない陽射しの、とてもわかりやすい明るさにうながされて、世
界は音律をふくみはじめていた。まばたきの音がして、ハリビユのみどりがはじけて、い
くつかの小さな出来事なら忘れられそうな、とてもいい匂いがした。言い添えるよ、この
場所で。ねぇ、あかるいはなしをしよう。たとえばくさむらのみどりの。つゆくさのみど
りの。

文学極道

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