まばゆい時間の 小刻みにゆれる青さ
珊瑚礁を覗かせて萌える 艶やかな森の木々
哀しみも知らず どこまでも陽気にうかぶ島々。
歓びにあふれる光
しろい砂浜と椰子の木と影
涼しげな風、
美しい女奴隷や ワインとチーズ
いにしえの牧歌を口ずさむ碧緑の瞳の男娼たち
小指一本ほどの贅沢なくらし。
ここはタクスヘブン 地球のどこか
薬と皆殺し すべての悪のもたらす対価の景色 そのもの。
指先は ふるえながら、
針の痛みにつづく濃密な空気や 恐れ
滲みだす 底なしの虚無の力と気配に、
落ちてくる巨大な隕石 やがて
まぶたの裏側に容赦なく描きだされる 至高の瞬間、
もはや錯覚と悟らせぬほどの
みごとな色付きの 勝手に動きまわる影、
私の抑えきれない想いを
一滴の肉汁も漏らさず たっぷり含んだ影。
待ちわびた夢の訪れ
突然の眼も覚めるような幻覚、
あいつだ!
あいつが今そこにいる!
燃えたつ地獄、
私のビジネス
おびただしい数の銃弾 劣化ウラン、
悲鳴
走り泣く子らのさけび。
バナナの葉で巻いた甘い紫煙、
ちがう
私は詩人だ、天使ウルトビーズ。
<君の画策する未来において詩人たちの処遇を知りたい>
ああ、そうさ。ウルトビーズ。 彼らは最上位の
祭司階級に他ならない、異論はない。
――この世界は幻である――
と、つよく確信すればこそ出来た あの殺戮 あの悲劇 あの惨事。
映画「ドッグヴィル」を観たあとのような、
後味のわるさのつきまとう なんだか嫌なかんじ。
いやこれは夢なのだ。
そして父は死んだ、
夢想家特有の 緻密すぎる長い文章が致命的だったのだ。
彼の死後 つかの間おとなしくしていたが、
マルクスの耳元でささやくと
ついに 彼は筆をとった。
つぎにトロッキーを扇動し、レーニンを手なづけ
スターリンを誘惑した。
やつらは 皆(トロッキーは失敗した) あの高い山の頂に連れだすと
ほくそえみ、
すぐさま頷き すすんで魂を売った。
私の名は、スタヴローギン。
詩人である、
だがしかし ビジネスで扱う武器のほとんど すべてが
OEM生産された、
ナチスだ!
聞け、宇宙を夢見る力こそ真実なのだ。
ビキニ姿の唇奴隷がカクテルを運ぶ。
彼女は自分の身分について 何も 何も 知らない。
その天真爛漫さが 愛らしく
私の手が
彼女の尻に伸び、
やわらかく弾力のある感触 湿り気をおびた砂まじりの肌
潮風のいざなう匂い 微かな恥じらいをともなった
あの悦びの 場所を たしかめる。
言葉をうしなった唇をみつめながら
ついに私はそれ以上の行為をはじめようとしていた。
同時刻。
地球の反対側 とある国にて。
未明に
イナゴの群れがおとずれて村を焼いた。
燃えおちる藁葺の屋根 また燃えおちる 燃えおちる
イナゴは旋回し、また もどってくると
村から森から一斉に機銃掃射を行った。
逃げまどう村人に口封じの射撃を無差別につづける
将軍に、
ささやいたのは もちろんこの私
新兵器の 単にテスト
が目的だった。
同様に、社会構造を操る目的で
私は
「ルーチンワーカー」「ノンルーチン」の言葉をひろめはじめる。
やがて訪れるだろう新時代!
奴隷 管理者 超人
この枠のなかで 人はもはや人ではない。
私はこれらの悪の所業によって神々に等しく、
恐れるものもなく 安穏とした日々に歳をかさね
一本の指先でこの星をもてあそぶ。
未来も 過去もなく
ただ、
映画「ドッグヴィル」を観たあとのような、
後味のわるさのつきまとう なんだか嫌なかんじ。
いやこれは夢なのだ。
最新情報
atsuchan69
選出作品 (投稿日時順 / 全52作)
- [優] 私の名は、スタヴローギン! (2006-04)
- [佳] 陽だまりのマリー (2006-04)
- [優] ディオニソスの宴 (2006-05)
- [佳] 入道雲 (2006-07)
- [優] 形骸 (2013-12)
- [佳] 雲肌の襖 (2014-03)
- [佳] 黄昏の霊廟 (2014-07)
- [佳] コンソメパンチの犬 (2014-10)
- [佳] わたしたち (2014-12)
- [優] 暁のエクスタシー (2015-02)
- [佳] 春めく色たち (2015-04)
- [佳] らりぃ・アリス (2015-05)
- [佳] ガーデニア (2015-06)
- [佳] 名もなき夏の島にて (2015-07)
- [佳] 夜の軋み (2015-07)
- [佳] 夜霧のパピヨン (2015-08)
- [佳] スヴァスティカ (2015-09)
- [優] 星と砂粒 (2015-10)
- [優] キングコング岬 (2015-11)
- [佳] 郭公の見る夢 (2015-12)
- [佳] 逝く前に、鮨だ! (2015-12)
- [優] カレーの庶民 (2016-08)
- [佳] チビけた鉛筆の唄 (2016-10)
- [佳] 麗しき火星のプリンセス (2016-12)
- [佳] 銀河 (2017-01)
- [佳] 六花 (2017-02)
- [優] ら、むーん (2017-03)
- [優] 奈落に咲く (2017-04)
- [優] ペテルナモヒシカ (2017-05)
- [佳] わたりがにのフィデウア (2017-05)
- [優] 暗い窓辺に (2017-06)
- [佳] 夏越の祓 (2017-06)
- [優] ///ノイズ&CM。 (2017-07)
- [佳] 夏/向日葵の道 (2017-07)
- [優] 産業道路のコンバーチブル (2017-09)
- [佳] Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht? (2017-10)
- [佳] 線文字Aの女 (2017-10)
- [佳] 黒の墓標 (2017-12)
- [佳] Sacrifice (2017-12)
- [佳] 見なれた顔 (2018-01)
- [佳] 神の名前 (2018-03)
- [佳] ビンタ (2018-09)
- [佳] 戦艦パラダイス号 (2018-11)
- [優] 騒ぐ言葉 (2018-11)
- [優] キャベツ君 (2019-03)
- [佳] ラーメンと日本人 (2019-03)
- [佳] 歩行と舞踏 (2019-04)
- [佳] フレアスタック (2019-06)
- [優] グレンチェックの太股 (2019-07)
- [佳] 夜の夢 (2019-09)
- [優] この世界を離れて (2019-12)
- [佳] 西瓜の冷やし中華 (2020-07)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
私の名は、スタヴローギン!
陽だまりのマリー
英国式庭園の花たちのいろは 乱暴
きいろ うすむらさき 赤、 アカン
うちはもう 戻られへん あんたの所為や。
マリーは そう言って、立ち上がる、
白いタープ 木陰のテーブル 高価な陶器に秘められた
インド行きの船 渋く涸れた紅茶と 焼きたてのスコーン、
きらびやかに香る 自家製ママレード たっぷり。
まるで僕には 不条理な 問いそのもの しかし、
ミルクが先か 紅茶が先か 答えはついに
判らなかった。それでも 去年の春、
土筆のはえる なだらかな丘の斜面を からだが火照り、
ふたり 転げて、あおいだ 空。
そよ風の愛撫 僕のイゾルデ とささやくと あまい息
名も知れぬ 草花の数ほど たくさんの口づけ くりかえし
マリーは僕の胸 やがて小鳥が囀るように、
わたしの トリスタン 死なないでね そう言った。
(そのとき、僕は 落とされた ダントンの首 をイメージした)
コンバーチブル、ふたり ならんでサングラス。
君はフェルトの帽子をふかく かぶり、
ナイト&デイ ♪口元の笑み 謎めいて
高速道をひた走る 異教の信者 ふたり この世界をはなれて
すぐそこに きらめく漣(さざなみ)が 見えていた、
自由が かけがえのない夢が
うちよせている 彼方・・・・
眠気をさそうほどに つづく 言葉のられつ
まだそこに陽だまりがあった、
クォーツの秒針をきざむ 胸の鼓動
マリーは泣いた 泣きじゃくり、やがてしくしく
泣きながら 僕じゃなく きっと 別の何かをみつめていた。
マリーは家にもどり 権威ある
ウインチェスターM73 を連れてきた。
撃つわ、覚悟して!
砕かれた ウエッジウッド ふきとんだ格式、
こっぱ微塵。午後のけだるさは あえなく 舌をながく垂らし、
神よ!
ああ、ここは特に【mediocrity】凡庸な表現です、お許しを・・・・
――穏やかな 陽だまりに くっきり 青い影をのこして 死んだ――
そして僕は とっさに、やむなく 紅茶が先だ と答えたのだ。
連れ去ったんじゃない、きみが僕を 連れ去ったのだ。
ああ マリー、ずいぶん 遠くまで来てしまったね、
もう サングラスも 帽子もいらないよ、
最初から、この愛に 隠すものなど要らなかったんだ。
その時、合成された音声 ナビのささやき、
この先 700メートル前方 海です
ああ、すぐそこに ほんのすぐそこに
途方もない ひろがりと、あらぶる大波のしぶきが襲う 自由 が見えていた。
どこまでもつづく 砂浜 さまよう足跡
乱暴な想いが 寄せては引き 果てしなく うちよせている。
つよく輝く マリーの瞳に映る 僕じゃない 別の何か
そう、ただそれはあまりにも儚い 「永遠」
一瞬のことば 詩 ごときもの。
ディオニソスの宴
雨あがりの 虹 ユメの様につづく 昼さなか
なだらかな坂道を ものがなしい 暗い絵を えがいて
ころがる 酒樽。意味を 多重に含ませながら
メタモルフォーゼ し(詩)、よろこびとともに 現はれる
濡れた紫陽花 葉の上に かたつむり。
世俗へと 砕け ほとばしり、恋する 成りゆきの カラダ。
豊満な乳房 ゆれる 揺れる ブランコ 影も また
ゆれる 雑踏 にぎわう街の 裏通り すえた匂い
不潔な記号 さげすまれた 愛は びっこをひき、
せむしの遊女たち 女装の男たち
つかの間の 愛、許されぬ 愛たち すべての 愛に
薔薇の花びら 散らす 笑み 爛漫な 瞳 眩しく
花弁を いっぱいに溜めた 籠には、春の日ざし
おおらかな空気 許しとキス 自由の歌を 解き放ち、
のろいを 熔かす 秘密の ことば 口から くちへ。
野に咲く 意味もなく 忘れられた 花 咲くこともしらない
草や 無言の木々 沼の浮草 岩肌の苔 種から芽吹いた さかんな衝動、
これら 大地の精を 絶やしては いけない。
と、彼は言った。
ことばを 思いつくままに 歌い
剥きだしの 欲望 そのままに
踊る 彼につづくのは さげすまれた 愛
せむしの遊女たち うつくしく 哀れな
女装の男たち つかの間の 愛、許されぬ 愛たち
罪深き 遊女らとともに、歌い 踊り、
まるで 疲れることを知らぬ 幼子のように。
雲は水に 滲む インクの文字さながら、
蒼く ため息を 漏らして たなびく空に
ただ一度 あはあ。と、あえぎ 声を のこした。
やがて 詩人たちの参列 つづく大群衆 おびただしい 歌と踊り、
昼も 夜もなく 繰りひろげられる 性愛の乱。
武器をもたぬ Revolution カオスの氾濫は、ついに堰を切り、
もはや 諸国の王たちは 逃げだすほかに 術はなかった。
入道雲
海を眺望するために
首筋の汗をタオルで拭き、
どこまでも蝉の声に染まる山道を、
ふたり まだすこし歩く。
水気を含んだ草の色にさわぐ虫たち
土の匂いの蒸す、マテバシイの並木がつづくと
ゆるい勾配に散らばるのは
落ちた枝葉や いつかの木の実。
細く切りとおした山肌の途、
涼しげにゆらめく葉蔭に身を寄せて
丸太椅子に座る妻へと
背負いのリュックからとりだす
双眼鏡と 水筒。
そのとき、風がトンビのように滑空し
奪おうとした、夏の記憶
海に狂い咲く、入道雲たちが
白く 眩しく もくもくとカタチを壊しながら、
出鱈目な しかし堂々とした姿で
図太く あからさまに浮かんでいた。
「おべんとう、幕の内だからね
「あー 待ち遠しいな、おべんとう
先行く子どもたちは、
きっと今ごろ 山の頂きに立ち、
とうに江ノ島と富士を臨んで
海にうかぶ 沢山のヨットを数えている筈だ。
水筒にいれたカルピスを 僕も飲み、
双眼鏡を仕舞う
お楽しみは あと暫く我慢、
さぁ、ふたたび歩こうか。
(註 マテバシイ―ブナ科の常緑高木。実はどんぐり。
形骸
荒く乱暴に削られた悲しくも不真面目な凹凸のある石畳は、煌めくルビーがさんざん泣いて叫んだあとのように、まだ温みのある紅い夜の涙でびっしょりと濡れていた。
蒼褪めた馬の首を被った人を殺したおまえたちがせわしく迎える朝、その罪の許しを請うまえに色とりどりの花で飾られた街中の窓という窓はすべて開け放たれ、年若い娼婦や片足のないバイオリン弾き、首にマフラーを巻いた金持ちの酔っ払い、猫を抱いた老婆、飛行帽をかぶったタイロッケンコートの男、真下に皿を投げ落とす憑依障害の女、洟をたらした太っちょの少年、そして葉巻をくわえたスコティッシュ・ディアハウンドだの女装趣味のあるナイフ砥ぎだの、白いエナメルの長靴をはいたミルク売りの少女だの…。
さてさて、一体全体どいつもこいつも美しく淫らな罪の色に染まってやがる。やがて誰かがおまえたちの悪行を償うために死んでしまうなんて、ほんの微塵も考えちゃいなかった。【生贄】は今夜もふたたび必要とされていたが、肝心の生贄たちはすこぶる陽気でお気楽だ。だいいち、穢れた生贄なんて豚も喰わない。たとえ神がどれほど寛容だったとしても、もしも仮に葉巻をくわえたスコティッシュ・ディアハウンドなんかが生贄だったら、きっとその罪を許すどころか激しい怒りのあまり街じゅうを灼熱の火炎によって百年は焼きつづけるにちがいない。しかしだからといって、生贄はいらないという訳でもけしてなかった。人を殺したおまえたちのためには、それ相応の償いは必要だろうし、かけがえのない命以外に大いなる神の許しに匹敵するものなど到底考えられなかったのだから。
そこで人を殺したおまえたちは、なんとなく神の喜んでくれそうな気のする白いエナメルの長靴をはいたミルク売りの少女を生贄に選んで箱詰めにした。すると、――君たち、こんな夜更けになにをやっているのだい? とつぜん、飛行帽をかぶったタイロッケンコートの男がすぐ近くの窓から声をかけたが、人を殺したおまえたちは黙って知らぬふりをきめた。それから、娘がとっくの昔に操を捨てていたとか今も数人の男と関係があるらしい…等ということはぜったい神様には内緒だ。そんなことがバレたりでもしたら、人を殺したおまえたちの命どころか魂は永劫に地獄行きだ。だから箱詰めのあと、生贄の箱を青い水玉模様の包装紙で丁寧につつみ、さらに紅い大きなリボンをかけて広場に置いた。そうして残酷な朝の光が不吉な教会の鐘の音とともに訪れるまえに、人を殺したおまえたちは跪き、箱をまえに神へ祈るふりをした。すると見よ! 夜の涙で濡れた石畳はたちまち地響きとともに崩れて、生贄の箱は底なしの奈落へと沈んだ。
街中の窓という窓からふたたび美しく淫らな罪の色に染まった顔が登場し、――ふん。なんだよ、また生贄ごっこかい。と、口々にそう云った。蒼褪めた馬の首を被った人を殺したおまえたちはそれらの陽気な悪人たちの顔を見あげ、とりあえず今夜も生きながらえているということを、恐るべき深淵の入口を見つめながらも束の間の安堵のうちに、そっと悟った。
雲肌の襖
冬鳥の啼く声も掠れ
野火煙る薄闇に
遠い鐘の音とともに
虚ろに舞う、
まばゆい欠片たち
山颪(おろし)の風に攫われる
か細い梢の一瞬の落花、
土に眠る豊かな彩りと
ひややかな水の命を
小さな花の色に映して
雪の果てに颯爽と散り、
蘗(ひこばえ)の匂う野山にも咲く
あれは月夜に朧に散った花弁
冴えた風のうごくさまに倣い、
止め処なく空谷を埋める
淡く紅をさした白無垢の、
ふるえる花唇のむごく幽かな血の色
静やかに息尽きる幻、その刹那に
光滲む雲肌の襖をひらけば
然も絢爛とひろがる春、桜絵巻
黄昏の霊廟
やがて忘却の海辺に打ち寄せられた白い欠片、
朽ちた流木や貝殻の転がる旧い別宅の荒れ果てた庭に
ある日。螺旋に絡みつく二本の蔓の梯子が垂らされていたが
それはあたかも、私には儚い夢の終わりのようだった
「ええ。怖くなんかないわ」
――そう言って、
白い縁取りのある紅いキャミソールドレスの君は
一艘の小船に乗って訪れた数人の死者たちのまえで
花飾りのある虚空に吊るされた不思議な螺旋の蔓を見あげた
黒衣の死人たちも、また彼女を囲んで黙って見あげる、
「いったい、どこまで続いていると思う?」
傍らにいた私の手をとり、可愛げにウインクする
彼女は、太い蔓に巻きつけた籐の踏板に片足をのせた
思わず、駄目だよ! と私は言った。
あ、登っちゃいけない!
無理やり蔓を握ると、私の指に棘の痛みが走った
その手を庇うや、私は指の腹に滲んだ微量の赤を見た
まもなく螺旋の花飾りはゆっくりと回転しながら上昇をはじめ
遠い記憶の中でさえ味わったことのない鉛色の暗い孤独が
華やかな薔薇色に染まった夕映えの空に背いて、
虚しく亡霊のような淡い影を地上に落とした
身を仰け反らせて天へと登る女と地上の死人たち、
そして光沢のある朱子織の衣を纏った女は
甘く匂う花飾りのある鋭い有刺の縄梯子とともに
アオビユやイヌビエや猫じゃらしの茂った海辺の庭を離れて
宙にぶら下がった両腕の手指を最大限に伸ばした
「いいのよ、これで・・・・」
たった数人の今は亡き友人は白く能面のような顔を作って
輪のように私を囲み、サンダガラ、マギ、ナコステ、と口ずさむ
――サンダガラ、マギ、ナコステ、
美しい夕映えが湿った潮風とともに生と死の際に打ち寄せて
あえて形容し難いその崇高なる想いに私の声も震えて
――ナビラ、アシュ、アマンダ、マギ・・・・
やがて深い哀しみの海の果てに夜の帳が降りはじめたが、
尚も友人たちと私は、得体の知れぬ唱和をつづけた
だがしかし、ふと妙な気配を感じて
私はふり向きざまに息も止まるほど呆然とした――
黄昏の残光のなかに広大な庭園が拡がり、
背後には白く巨大なイスラム様式の霊廟が聳えていた
私の居場所はすでになく、見回すと海辺の庭も死人たちもなく
夕映えの空を見あげても花飾りのある有刺の縄梯子もなく
身を仰け反らせて天へと登るキャミソールドレスの君も、
ふたりだけの束の間の時間も、今日までの経緯も
それどころか、たった今の今さえもが・・・・総て消失してしまったのだ
そこには四本の小塔を従えた中央のドームがあった
まるで天文台を想わせる円い屋根はよわく柔らかな陽に照らされていた
大門から水路に沿って近づくと、頭にターバンを巻いた男が現れた
立派な口髭を生やしたシーク教徒の兵士はなぜか立ち止まり
やや小難しげな顔で同じように足を止めた私を睨むと
ただそっと右の手を、躊躇いながらも徐に差し出し、
地球上のどんな言語よりも確かな握手を、
この私に求めた )))
コンソメパンチの犬
だって夢に出てきたのだから仕方ないじゃない
まさか個人の夢にまでイチャモンをつける奴もいないだろう
で、そいつがさぁ。人間みたく二本足で走って
夜の街をぶらつくオイラの方へと身体を揺すりながら向かってきた
コワイなんてもんじゃない、現実にこんなもんが存在するんだ
ああ、夢の中だけど。
でもまあ夢の中では確かにリアルな設定になっている
そいつは突然襲ってきて噛みついたりはしなかったな
実際、2メートルを超えるトンデモなく巨大な縫いぐるみの犬なんだが
やっぱり夢の中では【本物の】生きたコンソメパンチの犬だった
オイラの眼の前には元気なナマ足のお姉ちゃんがさぁ
ハミケツのショートパンツ穿いて今そこに立っている、っちゅうのに
そいつのせいで声も掛けられないじゃねえかよ
しょうがねえな、今夜は諦めて温かオウチに帰ろうか
かえりたい かえりたい あったかなんとか かえりたい
――っていうのもさ、
夢に出てきたフレーズなんだから許してくれよん、クレパス、色えんぺつ
それよりも紅い首輪のコンソメパンチの犬だ
なんでオイラに纏わりついて駅からの家路を一緒に歩いているんだよ?
Pコートの左ポケットを弄るとランチパックが一個入っているのに気付いた
オイラの好みはツナマヨネーズだ
おまえにやるよ、これやるから付いてくんなよ。コンソメパンチの犬よ
なぁ聞いてんのかよ え? イラナイってか
ふと夜空を見上げると、
シャーロット・オリンピアの厚底パンプスが何百足もの大編隊で飛んでいた
色は不明だ サイズもわからない しかし自由奔放かつ洗練された独特なデザインが
白々しい冬の闇に掻き消されるよーなことは‥‥ない、たぶん
それでとうとうコンソメパンチの犬が家までついて来やがッタ、
どうか夢に出てきたフレーズなのだから許してくれ キャント・バイ・ミー・ナントカ
地球をあげるよ 世界をぜんぶあげる だからやらせてくれ お姉ちゃん、
玄関先にはニコール・キッドマンがいて今夜は鶏肉のガンボだと言った
おまえ、ちょと寄っていくか? よかったらメシ食べてゆけよ
オイラみたいな開拓民の家の食事っていえば、やっぱりブラウン色の田舎臭いガンボなんだな
ローラ・インガルスんちの夕食みたいだろ って知らないのかよ、大草原の小さな家
醤油かけるか? ガンボには醤油だろ 宇宙人なんだから。捕まった宇宙人といえば、たいがい醤油顔だしな。嘘だけど
おまえ犬だから知らないだろ、妻の実家キッドマン家は昔むかしはキッコ・ド・マン家と呼ばれていたんだ
それがある時を境に、キッコマン家とキッドマン家に分かれた‥‥
おいおい、アホな話なんか聞いてないで早く食えよ、早く食って 早く帰れ もっともっと醤油かけるか?
ああ、それはテキサス・キャビア。ブラックアイドピーズとコーンのサラダみたいな‥‥
そいつはスタッフドポテト、ニコールの得意料理 なんか夢のくせに細部まで拘っているだろ
メシ食ったらオイラの部屋へ来い、見せたいモノがある
これだよ、がまかつ「インテッサG-IV」 リールはシマノ「ステラSW」。オイラ、レバーブレーキは苦手なんだ
こんそめ こんそめ コンソメなんとか〜
結局、コンソメパンチの犬はオイラの家に泊まっていった
すこし早い朝、リビングへ行くとソファでやつが逆さに新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる
「おはよう、コンソメパンチの犬」
するとやつは新聞に隠れた犬の顔を少しのぞかせて、こう言った。
「おはよう、と言ったからには‥‥これは夢じゃない。でも、これは夢じゃないと信じている君の夢の中の夢なのかもしれないよ」
たしかに。コンソメパンチの犬やらキッドマンの肖像権問題も含めてこれが夢の中の夢というのなら万事うまくゆく
妻はオーブンで温めなおしたオニオンパイと同じ皿にグリッツとベーコンエッグを盛った
よかったら、ここにオバマとか呼んで楽しい朝メシパーティとかをやらかそうか?
「いいね、それ。メイビー、グッドなアイディアかもしれないね」と犬が頷く
で、さっそくコンソメパンチの犬はホワイトハウスに電話する、やったァ、OKみたい!
「ついでにさぁ、キムとマフムードも‥‥あっ、そうそう。ビクトル・ボウトも呼ぼうか」
「じゃあ、普天間からオスプレイも呼ぶべきだ!」
床板を突き破ってジェットモグラに乗ったバージルが登場、木彫りの顔が妙に硬直したまま眉と口だけを動かして叫んだ
その時。眩しい閃光が激しい風と爆発音をかなり後に残して部屋中を強く照らした
するとたちまち、妻の顔に粥状のグリッツが付着し、運ぼうとしていた料理が宙に浮かんだ
そして壁が崩れるとかん高く怖ろしい鳴き声とともに隣村の身籠った原子炉から何かが生まれ、
新しい命と引き換えに周囲何十キロもの形あるカタチとすべての生けし生けるものとを消失させた
チェッ、産みやがった。これで2匹目だ オイラがそう言うと、顔中煤だらけの妻は「今度のは誰の子?」
あきれた風にそう言って、皿を放り投げると放射能の灰を被ったボサボサの髪を掻き毟った
「まあ、これは夢じゃないと信じている君の夢の中の夢の出来事だし」
コンソメパンチの犬は首のとれたバージルの人形を抱いて、笑いながらそう言った
わたしたち
妖しく燃え立つ大地の
白く輝ける夜更けに
残忍な、
神々の祝祭が終わると、
廃墟に零れた
紅い 涙の滴りを吸って
一輪の、
ことばの花が咲いた
その名は、わたしたち
生けるものすべてに刻まれた名前
泥水に濡れたからだを震わせながら、
わたしたちは、ひとり
そしてまた、ひとり
絶望という名の 酷い夢から身をおこす
凍える唇が、
途切れる息とともに
その名を、
やっと 声にすると、
色や、
かたちのちがう、
様々なわたしたちが
炎の燻る、東雲の空を見上げる
幾百、
幾千ものわたしたちが
深いかなしみに覆われた
音のない夜明けに
折り重なったあなたたちを埋めつくす
わたしたち、
わたしたちはきっと、
燃え尽きた世界の果てまでも
やさしく、
そして飾りのない
たくさんの言葉の花を咲かせるだろう
あかい、
涙の滴りから生まれた、
微かな、
震える声の
暁のエクスタシー
細身の女は、
恐ろしく小さな核ミサイルを抱いて
なぜだか不思議と人通りの少ない
一匹の異様に痩せた野良猫の、
か細い瞳で睨んだ薄汚い裏通りに
幾年月も在り続けたベンチさえ置かれていない露天のバス停に佇み、
小雨の降りしきる一日を
当て所ないジプシーのように立ち尽くして
血管の浮き出た白く透明なかぼそい首に、
「私は、捨てられた人形です」
と、
赤いマジックインキで書かれたベニヤの板切れを下げていた。
通りすがり、そして女なら誰でも良く
昼日中からE、F、G、の次がしたくなった私は拳大のペニスを硬直させ‥‥
目敏く、真っ赤なラム革のミニスカートを穿いた細身の彼女を発見するや、
行き過ぎたレクサスをわざわざバックさせて
おもむろにバス停の真横に車をぴったり停めた。
速やかに電動スイッチを押して助手席側の窓を開け、
それでも幾分、はにかんで
赤らんだ、拳大のペニスみたいな顔を覗かせて
――乗らない? 送るけど‥‥
そう云った。
「この子‥‥名前は『永遠』です。いつも温めていないと、いけないから」
そこで私は、車から降りて助手席側へ回るとおもむろにドアを開いた
「君は、捨てられた人形だろ? だからボクが拾ってあげるよ。さあ、乗って‥‥」
「あのォ、この子は、半分、日本製だよ」
得体のしれない彼女の話など、ただただGの次がしたいだけの私には上の空だ
そうして、ホテルのウォーターベッドにミサイルを挟んで二人は仰向けに並んだ、
「この子を、立派に♂発射させてあげたいの」
アチラ訛りのある細身の女は、
白く滑らかなミサイルの胴体を摩りながら言った
「ああ。それはヒジョーに難しい相談だぜ」
「お願い、そのためなら、私。なん度でも貴男を喜ばせることできるヨ」
「‥‥」
夕暮れにラブ・ホテルを出ると、鬱陶しい雨はもう止んでいた。
レクサスは高速道に入り、やがてナビの案内で海へと向かった
「子供のころ‥‥砂浜で、夏の夜に花火大会をしたのを思い出すナ」
「私は、黄昏のビーチで『北の家族』とバーベキューをしたこと、が、ある」
濃い潮風が、夜の渚に佇む二人の髪を揺らしている
傍らに、茶褐色のハングル文字で
恥しげもなく『偉大なる永遠』と記された
醜い大人の玩具のような核ミサイルを砂浜に転がして
二人は、幾度も口づけを重ねた
「核実験と、マスターベーションってよく似てるよな」
「男の人のことは、知らないけど。でも、そういうものなのかしら」
「しないと、さ。もう、本当にダメっていうか‥‥」
「ガマンできないんでしょ」
「うん。できない」
「もうじき、迎えがくるわ」
「迎えって誰が。君をかい?」
「いいえ。私じゃなく、この子を‥‥眩しい朝が、この子を迎えに来るの」
「でも君は、こいつを、早く発射させてあげたいんだろ」
「ええ。ゼッタイ、そうだと思います」
「じゃあ、早くしないと。スイッチはどこに?」
「スイッチは、、ここ」――彼女は、服の上から両の乳房を触った。
「あーん。どうやって?」
「まず右の乳頭を3秒長押して、次に左のを5秒間押すとカウントが始まるだよ」
「発射までの時間は?」
「約15秒」
「わかった。じゃあ、始めよう」
「発射台のかわりに‥‥」
転がった円筒を彼女は抱き起すと、
「噴射時の衝撃からミサイルの体を支えるための垂直な穴を掘る、出来るかしら」
いくぶん強い口調でそう言った。
「それなりに‥‥随分と、手間がかかるんだナ」
長袖シャツの両腕を捲って、しぶしぶと私は従った
用意が整うと、彼女は、ブラウスを脱いでブラジャーを外した
ちょうどその時。灯台の明かりが届いて、痩せた彼女の胸を赤裸々に照らした
「ちがう、ある。そっちは左。あなたからの右じゃなくて」
「あ。そうか」
「じゃあ、押してみてほしい‥‥15秒だと、一体どのくらい逃げれる‥‥ですか?」
「男子100メートルで世界記録は10秒を0.2秒切るくらいだろ」
「とにかく起動したら、すぐに走る。よろしいか? あなた、はじめる、どうぞ、ゴー!」
素晴らしく長い脚の彼女に促されて従うと、
「起動・しました」
小さなミサイルは、日本語で音声報告をした
「逃げよう!」
「発射まで・あと15秒です‥‥」
私は立ち上がり、次の瞬間。――裸の胸のままの彼女の手を引いていた
「ブラジャーを忘れちゃったわ」
「そんな。取りに行く暇なんかないぞ、走れ!」
「発射まで・あと・10秒・です‥‥」
「ええと、もしミサイルが飛ばなかった場合は‥‥」
走りながら、とつぜん緊急な疑問が生じ、私は叫ぶように彼女に訊いた
「いますぐ、ここで爆発するだけ」
「ちッ、マジかよ!」
「9・8・7‥‥」
「もう、だいぶ走ったんじゃないかな」
ふり向くと、そこで私は彼女の手を放した。
「3・2・1‥‥0」
真っ暗な砂浜には、波の音しか聞こえない
「あれ? 飛ばねえぞ‥‥」
と言う、私を、見事に裏切るかのように、
忽ち、ミサイルはシューンンンンンという高熱ガスの噴射音と、
凄まじい化学反応が生んだ色鮮やかなオレンジの光と白煙とともに
星々の煌めく夜空へと
火炎の軌跡を残して 消えた
「終わったわ。これですべて」
「で、あれはどこまで飛んで行くの?」
「‥‥」
彼女は僕の質問に答えなかったが、
ややあって、デミタスカップに収まる程度の溜息を吐いた後、
「行きたいところは、もちろん今から美しい『永遠』のはじまるところよ」
そう言って、外されたブラウスのボタンを不安げに弄りはじめる
「ふーん。じゃあ、とにかく街まで帰ろう」
「いいえ。まずブラジャーを取りに行かないと‥‥」
細身の女は、果てのない海のどこかを見つめると、
ふたたび愛のない捨てられた人形の顔をした
「あ、ミサイルの飛行距離って?」
ふたたび海辺へと向かう彼女を足早に追いかけて私は訊いた
「たいして飛ばないと思う。だから、はやくブラジャーをつけないと」
「え?」
とつぜん、薄闇の空が真昼のように明るくなった
何かが生まれたことを告げる雷にも似た声が、そのすぐ後に全天に轟くと
世界中の「捨てられた人形」たちが、
たった今、輝かしい胸に蒼褪めた色のブラジャーをつけて
両腕を通したブラウスを堂々と大きく開き、
「主よ、来りませ」
と、それぞれの言葉でしっかり呟くと
私と、肉眼で見えているこの古びた不確かな場所とを道連れに、
やがて始まろうとする深刻で悲惨な朝を迎えることなく
すべてを、一瞬で消滅させた。
春めく色たち
第一幕 (森の妖精たち)
矢継早に、四方より登場
わたしは、碧――
贅沢に華を散らして
眩しい朝の陽を浴びた葉桜のように
濃淡の影も爽やかなみどり
わたしは、黄色――
麗らかな山麓に菜の花が咲き
キャラメルを一欠けら頬張った子らの
愛らしい笑みも声もきいろ
わたしは、紅――
背いた罪の数ほど美しく
威風堂々と山里を染める紅枝垂
裂けた葉の無数のあか
わたしは、蒼――
あてどなく彷徨うごろつきの
転がる石も雪融けの水に呑まれ
沈み流れて仰いだ空のあお
暗転
第二幕 (湖畔に立つ女のシルエット)
重いピアノの伴奏がつづく
わたしは、透明――
硬く、そしてつめたく
淡海まで凍りついた冬の終わりに
囀る鳥の声を聞いた、とうめい
雷、雷、そして暫くの沈黙
でも、きっと――
彼は雷鳴のように轟く声で
わたしにつよく何かを叫ぶと
疾風ように丘を駆け降りてきた
でも、きっと――
彼は迷宮のように行き先を隠した
朽ち葉のつづく深い森の道を抜けて、
漸く夜の終わりに熱いキッスを届けたの
(ピアノの伴奏が止る)
七色の光を浴びた女と、
その背後に立つ四人の妖精。
静やかに弦楽合奏からはじまり、
管楽器も加えた穏かな牧歌が流れる
ええ、乳白色の朝靄のなかで
彼は陽光を背にして凛々しく立っていたわ
――だから今わたしは、
あなたが望む何色にだって染まるの
女を囲み、踊りだす四人の妖精
そして静かに緞帳が降りてゆく
――エピローグ (囁くような声で)
でも、わたし 本当は
とても気紛れな虹色なの・・・・
らりぃ・アリス
アリスはそこへ乱暴に投げだされ
黒い瞳に大粒の涙をためた
やがて朽ちてゆく散らされた意味の
灼熱に乾いたサハラカラーの砂漠の丘に
一面、蒼く鮮やかに咲く魔の花の
雑音交じりの夢へといざなう、
【邪まな・・・・】
邪まな罪の香りをキッスのあとに嗅ぎ、
あれは許されざる声の生まれる
たった数秒、縺れ、ざらつく舌のうえで
言葉になるはずだった君への想いが
熱いフライパンに落としたキューブバターのように
たちまち融けて変色してしまった
【愛という・・・・】
愛という熱病に冒された、
ピンクのノースリーブワンピースに痩せた身を包んだ
地下の駐車場で待合わせた牝のバニーが一匹、
青いサテン地のシーツを波立たせ
たった一度きりではない過ちを再び犯して
笑いながらパンティを下ろしはじめる
【こっちへ来て・・・・】
こっちへ来てと牝のバニーが言い、
鏡の中からまだ帰れない私は
今いる場所を懸命に探そうとする
濡れたラビアにリング状のピアスが輝いている
音符の描かれた水色の爪がその周囲を這う
――こっちって、どこ?
【きっと私は・・・・】
きっと私は鏡の中のアリスだった
ベッドのまわりには四人の女装した私がいた
あんたの濁った眼で私を見ないでよ
ちゃんと心の眼で見なさいな、
この服、ラフォーレで買ったエイチナオトよ
本当の私はさあ、可愛い少女なの!
【そしてアリスは・・・】
そしてアリスはよく澄んだ瞳を瞬かせた
ベッドには人間を食べる水玉模様の巨きな花が咲き、
またベッドでは人間の言葉を話すイルカが仰向けに泳ぎ
そしてベッドの真ん中には不思議な穴があいていた
恐るゝ穴を覗くと、ああ。なんだ私は私だった
とつぜん私は♂になって俄然、牝の乳房に食らいつく
ガーデニア
避暑の家の涼しげな夏草の茂み
その影もまた深い碧に沈み、
淡く邪気ない木漏れ日が窓辺を揺らしていた
暗い六月の雨をしっかりと含んだ土の濃さが匂いたち、
やがて腐敗へとつづく露骨な大地のプロセスを
梔子の甘く優美な香りが蔽い隠している
彫刻のある楕円の鏡に映った二人は
鏡台に置いた一輪挿しを想わせるグリーンの瓶、
――多忙な夫からのプレゼントだという
花を模したキャップのある洒落た香水に眼をやり
禁断の部屋の猫足の椅子や家具たちを尻目に
その艶やかな白い花の匂いを嗅いだ
忘却も物語もない時間が短い針をまわし、
唇と唇がふれ、渇いた心が水を欲しがるように
不条理な夢が理不尽なまま永くつづくように、
いつか死に等しい罪にもふたり手馴れてしまっていた
隠蔽し続けることが真実を知る者の答えか否か?
偽りの昼の姿かたちはベッドへと転がった
繭のようにシーツで蔽われた二体のむくろ
容赦ない残酷な夏の光が、一切を白日に晒して
名もなき夏の島にて
真下に拡がる海原は
厳しく削られた岩の入江を包み、
とうに半世紀を過ぎた
今しも汽笛の鳴る港へと
煌めく漣(さざなみ)を寄せて
夏の賑わいが恋人達とともに
古い桟橋を大きく揺らして訪れる
そろって日に焼けた肌や
水着姿の往きかう坂道だの
あの日、キスばかりして
砂浜に忘れた浮輪とパラソル
燥(はしゃ)ぐ声を砂に埋め、
渇いた唇で忙しく即興の台詞をならべた
渚に残したいくつかの記憶は
失くしても、きっと悔やみなどしなかった
白いペンキの眩しくかがやく
樹々に隠れた丘の家で
時折、海を眺めて沈黙した
夕凪の吹くテラスの粗末なテーブルに
君が仲直りのカクテルを運ぶと
ふたたび口論をはじめて・・・・
「いつかまた逢いましょう
化粧をする鏡の中で
別れ際にそう云ったから、
君が立ち去った後も
ずっと僕は此処に留まったんだ
そのうち俄(にわか)漁師でも演じて
博打で船を一艘ぶん捕れば
ようやく君を忘れてもよい頃だと思った
時化(しけ)の夜に船を出し、
やがて大波をかぶり海の藻屑と消え‥‥
――つづきを話そう、
強い風に鳥たちが流されてゆく
気紛れな海は忽ちにして豹変した
岩場に叩きつけられた白波が砕け、
それは遥かに人の背よりも高い
僕は一羽の海猫に生まれかわり
今日も必死で、この辺りを飛んでいる
夜の軋み
滲んだ肌に香水が匂う、
視覚からこぼれた淡い影たちが
発せられない声とともに
音もなく、永遠へとむかう
冷たい未来の交じった
柔らかな過去の感触がまだある
つい今しがたも、
昨日も、
生まれる以前も
窓の景色はいつも夜だった
ふたたび自由の風をおこし
燻ぶった愛を烈しく燃やすと、
忽ち、大地の裂けた下腹部は潤み
女は深淵の火照りをあらわに孕んで
嘘のない黒い瞳孔を大きく見開き、
いくども果て、
そしていくども痙攣した
滑らかな唇の
卑猥かつ命の凛々しさ
唾液に濡れて
濃密な舌に絡めた、
アノ感触がどうしても消せない
背く愛ゆえに列車は軋み、
白い合成樹脂の吊革を見上げては
いつか公園で乗ったブランコ、
たわわな胸をゆらす女の歩くさまを想い
するとまた淫らな血が騒ぎだす
やたら空席の目立つ、
長い年月を乗せたシート
その疎らな隙に乗じて
朝夕の犇めく乗客たちの残像は、
足早に何処へともなく
遠く走り去ってしまった
別れ際に足りなかった言葉が
急いたこの胸を焦がし、
古びた夜の闇に鳴る踏切へ
いつしか進路を遮られては
想いは置き去りのまま
夜の軋みに掻き消されて
窓の硝子に映るのは、
裏切る者の顔
歓楽街の夜景を透かして
巡りあうことのない筈の言葉たち
(唇から 唇へ
艶やかな花、彼処の花へ
最新のテクノロジーがもたらした
瞬時に流れ去る世界の
消毒液に浸された昼と夜
鮮やかなブルーに灯る
電光の文字と符号に
あまねく溺れてゆく声たち
――或いは、
水に映ったナルシサスの恋
終わらない物語の原型をなぞって
反自然の、難解なドグマを妄信し
可能なかぎり理不尽に敷かれた
罪に塗れたモラルの軌条を
人々は今日もただ闇雲に走るだけだ
(見馴れた駅
渇いた円環の内側で
覚えているのは、
指の蜜と棘の痛み。//
既に無人のホームへ降り立ったとき、
新しいメールを一件削除した。
きっと明日も刳りかえし、
逢瀬を刳りかえし
それでも一切をかなぐり捨て
ふたり逃げる勇気もなく
さても狂おしい
巡りあうことのない未来の
唇から 唇へ
震える、声を発して‥‥
夜霧のパピヨン
霧につつまれた煉瓦通りを突当たり、
古いビルの地下にその店はあった
暗い夜の匂いが滲みついた長尺のカウンターには、
いつしか様々な顔と顔が並んでいた
俺は雑音の混じるオスカー・ピーターソンのピアノを肴に、
ほろ苦いカンパリをソーダで割ったやつを飲んでいる
青髭はパピヨン(♀犬)みたいな顔の女と一緒で、
紫煙を燻らせながらパッシモをタンブラーで飲んでいた
そしてシェークされた無色透明のカクテルが既に女の前にある
「酔っ払うには、まだ早すぎる」と男が言ったから、
たぶんそいつはギムレットだったに違いない。
案の定、パピヨン(♀犬)は最初の一口で咽てしまった
「だって酔わなきゃ」と、鼻を押さえて
男の胸から取りだされた白いハンカチを受けとった
「私、棄てられたの!」
――途端、キャンキャン吼えて泣いた
青髭はすまなさそうに店内を見回し、女の背中を擦った
パピヨン(♀犬)はカウンターに顔を埋めたが、
困ったという顔の青髭は、なぜか私と眼と眼があって
眉を下げたまま「梃子摺らせやがる」と、さも言いたげだった
左手でロメオ・Y・ジュリエッタを硝子の灰皿でつぶし、
「ご迷惑では?」と、俺に訊いた。
「お気を遣わずに。こちらも、関係なく一人で飲みます」
すると、パピヨン(♀犬)がとつぜん上体を起こした
「そうよ、私だって飲むわ!」
涙で溶けた化粧の下に、毅然とした別の女がいた
「わかった。よし、とことん飲もう」
青髭はそう言って、
「アイリッシュ・ミストで・・・・二人分作ってくれ」
やや髪の薄いバーテンダーに注文した
「ミスティか」と、俺はついうっかり口にした。
「ええと――」
初老のバーテンダーが尋ねる、「音楽も・・・・ですか?」
万事よろしい笑みを浮かべて青髭は言った、
「ジョニー・マティスの歌で頼む」
五十年を経た、黒い合成樹脂の円盤に針を落とし、
甘い声で彼が唄いはじめるや否やまったく理由もなく、
店の入口となった狭い階段から、
そして通気口からも地上の霧が降りてくる
いつしかドライアイスの煙のように真っ白な霧が
青髭とパピヨン(♀犬)の足元を包みはじめ、
やがては店中が夜霧のなかに沈んでしまった
「君は・・・・彼を、愛しすぎたのさ」
深い霧の中で青髭はパピヨン(♀犬)へ言った
「そう、きっとそうね」
「でも今夜からは、きっと違う。君は、もう昔の君じゃない」
「裏切られたもの。二度と愛なんて信じないわ」
そして霧の中で、俺はそっと小声で言った――
なんだ。これって青髭が毎度つかう落しの手口じゃん・・・・
スヴァスティカ
○
。
。 ゜ 〇
ぶくぶくと発酵し、
白く泡立ったパロールが
プチン、パチンと弾ける刹那
闇に包まれた沈黙の森へ
微少の琥珀金を含んだ飛沫を散らす、
ランゲルハンス細胞の 突起
煮えたぎる
夜と、
瀝青の黒に映える
「ワン・センテンス/椀子蕎麦
俯瞰するイメージは、
血まみれの過去を遠く置去りにした
女//
無限遠の被写界深度によって
像をむすんだ、南高梅
赤い楼閣の建ち並ぶ 永谷園
食卓のクローズアップ・・・・
刃こぼれした拙いことばや
陰影の醸しだす強い生命の匂い。
脂の効いた軽やかな厚味、
独特な切り口でみせる
濡れた金星(Venus) その日常の悶え
枯れ落ち葉のうかぶ沼の安らぎと
敷き詰められた権威が澱む深緑の面に
構・築・さ・れ・た 基礎を一瞬にして壊す、
わずか一滴の毒にも似た
淫らな蘇芳に染まる 起立した♂(アソコ)
怪奇なるマーブル模様の波紋を描いて
ざわめく数式の破綻 と、怯え
薔薇の花弁を這う仮面のラング・ド・シャ
濡れた舌の精緻な軌跡さえ狂う、
あまりにも乱暴な筆致の――オチンコ。
想いは、嵐の海に泣き叫ぶ 声
「あはあ、あはあ・・・・
薄墨色の空に渦巻く、ルーン文字
破れはためく帆を幾度もたたき照らす光
――ドドンガーガー!
大粒の雨と吹きずさむ、異界の風と叫び )))
暗転/
爽やかな慈愛にみちたエーゲの牡蠣、
おお、スヴァスティカ。
――「歓び」そのもそのよ!
今しも死者を乗せた船に
セイレーンたちが降り立つ
やがて波に呑まれてゆく陽気な言葉たち
美しい音色を残して砂の海へと沈む
「いやーん、ワン・センテンス/ワン・タン、麺。
なんて卑猥で下賎な飛沫なのだろう
呪われた言葉よ、魔物たちよ
泡立つパロール、
――「歓び」そのものよ!
星と砂粒
満天の星空をつつむ静寂の下
潮騒を聴きながら横たわる身に纏う砂粒
はてしなく投げた仕掛けを海に任せて
ケミカルライトの点る竿先を微かに揺らし、
甘い潮風がコーヒーの苦味を慰める
アタリなく、瞼腫れて
ふたたび巻く糸の手につたう空しさ
針に残る、細かなイソメ
――食逃げしたのは何処のどいつだい!
無惨な餌の痕に、ひとり愚痴をいう
渚を這うように現れては消える灯光
遥かとおく、明滅する航路標識の夜明かし
つかの間にわが身を曝すかと思えば
やがて水際に足元を濡らしては退く、竿立と椅子
硝子瓶の酒を手にして浅く眠り
ふと目覚めれば水平線に望む曙光
星々は滲み、東空に孤高にかがやく星ひとつ
欲深な釣人が不愉快なのか波音も高鳴る
白濁を集めては崩し、
はやくも海は荒れはじめた
キングコング岬
艶かしい光感受性受容器が視神経を通じて見てはいけないアレの端末を脳中枢へと運ぶ。見てはいけないアレの端末であるグロテスクな映像には言葉にしていけない文字である淫らなアナタ自身の当たり障りのない日常的な動作が含まれており、モダンな部屋の壁の色や置かれた家具の配置なども言葉にしていけない文字である淫らなアナタの感性とはまったく関係なく見てはいけないアレの端末は単なる【信号】として時間軸の曖昧な未来へと伝達された。ただそこに別の映像である記憶が無数に紛れているのを見てはいけないアレの端末をすでに脳中枢へと運びおえた言葉にしていけない文字である淫らなアナタは少しも関知していなかった。今しもベッドに横たわる不可視の「見るべきモノ」と文字のない「読むべきモノ」を、昨日の続きを演じるようにまるで理解など無用といった脳天気な顔で言葉にしていけない文字である淫らなアナタは事務的に片づけはじめる。しかし見てはいけないアレの端末は記憶の中では白い砂浜のつづく地球のどこか南の島の海岸でサマーベッドに寝そべっていた。そのとき見てはいけないアレの端末は、赤らんだ嫌らしい顔を少し大きめのサングラスで隠し「すなわち、はげわし、ひげはげわし、みさご、とび、はやぶさの類、もろもろのからすの類、だちょう、よたか、かもめ、たかの類、ふくろう、う、みみずく、むらさきばん、ペリカン、はげたか、 こうのとり、さぎの類、やつがしら、こうもり」と言った。つまり言葉にしていけない文字である淫らなアナタへの愛の告白で、さらに「人がもしその頭から毛が抜け落ちても、それがはげならば清い」とも言った。記憶のなかでは見てはいけないアレの端末は、詩人で魔法使いでもあった。彼が「時よ止まれ」というと時間は止まり、「時よ動け」と言うと時間はふたたび動き出した。たった今、束の間に、この部屋にいて、すべての許されない事柄は、けして言葉にも映像としてのイメージにさえもなりえないタブーの領域に封印されていた。それでも窓の外を覗くと、あの日の波の音ともに見てはけないアレの端末とふたり岬の先端から眺める夕映えの海の景色がよみがえった。彼は言った、「イメージするんだ、今こそ俺の真実を話そう」そしてサングラスを外すと、「いくぶん突飛な喩えだが、俺は優しいキングコングは嫌いだ。なぜなら映画に出てくる奴は偽善そのもので真実からは遠く離れているからだ」そう言うと、彼はしばらく押黙った。言葉にしていけない文字である淫らなアナタは彼がこれからとても重要なことを話そうかどうかいくぶん躊躇していることを悟った。「お願い。言って、どんなことでも。私、びっくりしないわ」すると彼はニヤリと笑った。「じゃあ、もう一度イメージするんだ。つまりその、映画の中では登場しない、隠された、キングコングのアレを」言葉にしていけない文字である淫らなアナタは少し困った顔で言った、「アレって、アレのことかしら? つまり、とんでもなく大きくて、ぶらぶらしている‥‥」見てはけないアレの端末である彼はかぶりを振った、「そんなんじゃない。もっと、もっと、よくじょうして、かたくなった、とてつもなくでかい、アレだよ、アレ‥‥」言葉にしていけない文字である淫らなアナタは、そのとき大波の飛沫のとぶ岬の突端で雄叫びをあげながら胸を叩くキングコングの姿を見た。「見える、見えるわ! つまり、あなたはTVではとても放送できない、天を向いて、そそり立つ、あの股間の‥‥モザイクだったのね」
郭公の見る夢
朝露に濡れた葉のギザギザ。地表を這うように草木を透かして訪れた地獄の陽を浴び、緑に燦然とかがやく【ヤマソテツ】と呼ばれる羊歯を踏みながら言葉なき森の奥深く、「幸」住むと人のいふ原始の密林を駆け巡る雛の雉が歌う、♪サカ菜/サカ菜ァ、そしてサカ菜という野菜を食べると頭が良くなって僕はパンツを穿き、発条式の両眼をとび出させて啼く山鳩の声を背に猛烈に新聞を配りはじめ、ついでに各家庭にヤクルト400も届けてやる。
大審問官ラギの秘めた笑みの裏側に零れた微量の涙など知らない、派手な猫革のジャンプスーツを着た宇宙人が朝から元気に立ちんぼをやっている。
「俺と遊ばないかい?
「嫌だよー、ベーっ!
ゲルダの鐘が鳴り響く午前6時9分。有刺鉄線を張巡らした希望なき地方都市中心街栄町2丁目3の11にもカオスの陽光が射しはじめ、隣家の窓を覗けば「ふーふー、はーはー、ラマーズ式で味噌汁を啜るあこがれのしずかちゃん(w)。するとビビズ・ナ・メコシ谷に住むモモラ人バネット・クレイシーさんが、しゃかしゃかミルバを振って踊る姿がパネルに映り、キャラ弁をつくる若妻たちの深き欲望を隠した微妙な雲はみごとな朝焼けの色に爛れた。
ビナ、ホエーッと吼え、叫びながら飛び立つピンクフラミンゴモドキの鳥人の群れ。
ラギ、ゲルダ、そしてビナという【意味】をあまり持たない言葉たちが真っ赤な嘘とミルバの音にあわせてスキップする。そこにボナ、サルヴァンも加わって踊りだす。 )))
葦の茂る河原にひとり佇むラダン。――半獣半人。
かつて旧ソヴェト連邦では秘密裏に遺伝子操作した狂犬病ウィルスに侵されたリカントロピー患者による政府公認の仮装舞踏会(x)がさかんに行なわれた。
眩い紫を帯びた放射光が花弁のように開く大地の底より、七色の風に揺れる僅か5メートルの深紅の蛇の舌‥‥先が二つに割れ、強欲な女神を祀った神殿につづく地獄の消化器官開口部からチョロチョロと出し入れするそのさかんな動作は、ついに磁性軸(y)を一方向に保つことができなくなった電場の揺らぎにも似て放電しつづける地殻内浅部マグマの不混和二相流による重力分離時の熱プラズマさながら、放射光の集まったドーム状のダリアを想わせる女装の美しい男性の姿かたちと相俟って荷電化された郭公の見る夢のようにひどく猥褻に感じられる。
「逝っちまったよ、チャーリー。
逝っちまったブンド(ブント)に もはや用はない。
コードネーム≪ペコ≫。――以上はお前のために暗号を使って書いている。国際的共産主義者の仮面の下で日々タコ焼きをひっくり返すガマ親分。オイこら、毛糸の腹巻に左手を入れやがって、ワレ。紅生姜もっと入れんかい、ワレ。さて、金融資本と共産主義の利害は何等矛盾しないし、ウインドウズとリナックスみたいな「奪うやつ」と「与える側」の不可思議な共存関係や果てしなくつづく角型と丸型のモデルチェンジのくり返しだの賃金抑制策としてのジェンダー思想および男女雇用機会均等法にみられる操る側にとって好都合な仕掛けを甘い白玉イチゴに隠して夫婦共稼ぎ。恋愛、結婚、不倫、破局、再婚のストーリーを順序正しく行なう愚羊の群れに放った牝の狼こそ≪ペコ≫、おまえだ。着用する下着はコサベラの【Never Say Never】のタンガ。色はアイボリーでなければならない。この作戦においては資金はいつも通り自己調達となるが、たとえ非合法であっても手段は問わない。ただし行く前には必ずイソジンで嗽(うがい)すること。僕を被ったべつの僕のわたしは、今しも昨日ふたたび女性となって戻って来たオルランドとメイクラブの最中だが‥‥ペコ、とにかく行ってこい。希望はまったくない。
w,x,y=肉体こそが唯一の答えだ、≪ペコ≫。
逝く前に、鮨だ!
オメエ、死ぬのかい
――だったらよう、
せめて逝く前に鮨食おうぜ
肝っ玉据えて、俺と鮨食えよ
粋な麻暖簾くぐってさ
どうぞ勝手に席へ就いちまいな
捌いたネタと酢飯の匂い、
舎利の温(ぬく)みを感じるか?
――わかんねえ、
なんて言わせねえ。
そんな奴は胡瓜でも齧ってろ
薄紅のガリを抓まんでよ、
涙巻き喰らって笑いやがれ
煮蛤に、海鼠に、鮟肝だ、
縞鯵、寒鰤、栄螺、九絵
急ぐなら、よし握って貰おう
海胆、小肌、蝦蛄に岩牡蠣、星鰈
酒は久保田か菊姫か
よっしゃ、海老の踊りでも頼もうかい
お猪口でちょこっと酒呑みねえ
烏賊の印籠詰めでえ、喰ってみろ
鮪の背トロもいいけれど
おう、玄界灘の天然黒鮑だぜ!
なんてぇ豪勢な歯応えなんだい
――ええと。
それでオメエさん‥‥
首吊るんだったっけ?
じゃあ、スマン
逝く前に俺の分も勘定払ってよ
二人で、たったの四万円
今日は本当に御馳走さん、
あの世でも、どうかお達者で――
カレーの庶民
たった今、水とルーだけのカレーをアルマイトの鍋で作ってる途中だ。煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりだが、男の料理だし、丁寧に作るつもりなど初めからまったくない。肉がないので竹輪と蒟蒻を指でちぎって鍋に入れた。白いペンキの剥がれた窓枠に、小さなヤモリが張り付いている。外は雨だ。閉めきった夏の家はスチームサウナみたいになっていて、窓という窓はぜんぶ曇っている。扇風機がひとり淋しく風を送っているが、蒸し暑くて敵わない。水冷式クーラーならリビングに設置してあるが、あいにくと此処は飯を食べる場所だ。そもそも避暑の家にクーラーがあるというのもなんだか可笑しい。それでも冷蔵庫を開けると肌寒い靄が魔法のようにあらわれて少しばかり嬉しくなった。麦茶をコップに注いで、書き物をしているキッチンテーブルの上のノートに目をやる。パーカーの万年筆が開かれたノートの上に無造作に置かれてあり、それは「たった今、水とルーだけのカレーをアルマイトの鍋で作ってる途中だ」と記したばかりだった。水とルーだけのカレーというのは、戦後になって売り出された即席カレーのことなのだが、ほとんどの家庭では、肉と玉葱を炒めたあと人参と馬鈴薯をルーと一緒に煮込んで作るはずだ。冷たい麦茶を飲んで、首にかけたタオルで汗を拭く。カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりなのだが、私のカレーの作り方は、他所とはずいぶんと変わっていた。とつぜん、雨の音が激しくなってきたようだ。ガラス窓をいきおい伝い落ちる水の向こうに巨きな緑の物影が揺れ動いている。あまりテレビは見ないが、どうも台風が来ているらしい。カレーが煮えたようだ。茄子とキャベツの野菜炒めをぶち込もうとした矢先、ダイヤル式の黒電話が鳴った。受話器を取ると、妻からで「東京タワーにモスラが繭をつくった」という。もうじきそっちも暴風圏に入るぞと言うと、「モスラの繭はどんな風にもびくともしないでしょう」と強い確信をもって言った。勝手にしてくれ、ふとキッチンテーブルの上のノートに目をやると「肉がないので竹輪と蒟蒻を指でちぎって鍋に入れた」という嘘が書かれてある。肉がないだと? 肉ならきのう買ったぞ、牛肉の上ロース。それに缶詰のコンビーフだってあるし、ソーセージだってある。だいいちカレーに竹輪と蒟蒻はないだろう? ふたたび妻が電話してきた、「あなた今どこ?」――葉山、おまえ馬鹿じゃないの。ここにいるって知っているから電話してきているんだろ。そんなことより台風が上陸するらしいぞ。カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めをそこへぶち込んでやるつもりだが、ノートを見ると「白いペンキの剥がれた窓枠に、小さなヤモリが張り付いている」等と虚偽が記されている。「外は雨だ」とも太字の青いインク文字で綴られていた。嘘だろ、いつから俺はこんな嘘吐きになったんだ。ヤモリなんかいない。外も雨じゃない、またよく読むと、「とつぜん、雨の音が激しくなってきたようだ」という全く事実でない戯言がさも事実であるかのように書いてある。嘘だ、嘘だ、嘘だ! 俺の書くやつはぜんぶ出鱈目で大嘘だ。ここは葉山じゃないし、たった今この俺は昭和時代に建てられた古びた木造の別荘なんかに居ない。「水冷式クーラー」ってなんやねん。「パーカーの万年筆」? いまどきキーボードやろ。もうだれもこの俺の書くやつを信じないし読まないぞ。おっと、妻からの電話だ、「カレーが煮えたら、茄子とキャベツの野菜炒めを入れるんでしょ?」知らねえよ、切るぞ。ガチャッ! なんだか蒸し暑くて敵わない。茹だる頭の中でふたたび電話が鳴った。テレビは、ウソしか伝えていない。東京タワーにモスラが繭をつくったという‥‥「あなた今どこ?」
チビけた鉛筆の唄
かたく凍った夢を砕いて
画用紙に宇宙を描いて暴れだす
果てのない星々の海は瞬き、
チビけた鉛筆が一本
煌く銀河を縦横無断に奔る
つめたく凍った言葉を融かして
原稿用紙に文字を紡いで歌いだす
美しい旋律は心の深淵をなぞり、
チビけた鉛筆が一本
壮大なシンフォニーを弾き語る
やがて純銀の軸に収まり
窓辺を透かしの帷が泳いでいた
風に、捲れる日誌の傍らで
チビけた鉛筆は一本
ごろごろ、ただ転がっている
麗しき火星のプリンセス
は、「蝶」だった。
彼女は、彼の血が殆ど「白い花」であることなど知らなかった。
また猫を被った「砂漠」の似非民主主義の下に隠された
支配と、からくり仕掛けの国体そのものが
火と硫黄の燃えている池の散らばる果てのない苦しみの場所にも劣らぬ
凄まじき呪いの連鎖であることさえ見えていなかった
なぜ彼が激しく殴るのかも、
あたりまえの日本人である彼女には一厘一分すら理解できなかった
下着姿でダンスを踊るときの彼の顔は普通に「△」だったし、
(中断)
「そよ風」の目的は、民族の「郵便番号」に他ならない。
(中断)
覚せい剤麻薬物の製造や販売等の
それらの忌むべき所業を一般的には非合法というが、
しかしながら国家的規模の大がかりな犯罪行為においては
複雑な外交問題も絡んで超法規的視野での検討が司法に促される
事実、「ガラスの仮面」は――
日本人の非戦闘員を虐殺するために
1945年8月、「教室」に原子爆弾を投下したが、
その莫大な威力を知りながら尚、さらに「職員室」にも原子爆弾を投下した
「カスタードプリンを掬った銀のスプーン」は、
もうそのことを半分くらい頭から忘れてしまっている
(中断)
政府が関電の安全対策を承認した9日、枝野氏は記者会見でこういってのけた。
「再稼働基準をおおむね満たしている」
「おおむね」で動かされてはたまらない。あのアホの繰り言「ただちに影響ない」と同じ詐欺的論法である。
【週刊ポスト2012年4月27日号 大飯原発再稼働 “黒幕”の暗躍で急ピッチで進んだとの証言】より抜粋
(中断)
帰国子女の彼女には、騒がしく乱暴なこの世界が
夢を纏った得体の知れない欲望の「お茶漬け海苔」であることや、
非対称ジメチルヒドラジンを燃料として使用した簡易なロケットエンジンの
パーツのひとつひとつに汗ばんだ「夢裡の蛙」が潜んでいるのを‥‥
(中断)
そして漆黒の熊野灘から、火は走り続けた」。
(中断)
悦びを投げ捨てた女の激しい憎しみが、胎を割いて泣き叫ぶ、
夜であるお前たちの背後の壁に褪色しやすいイーストマン・カラーで描かれた美しい時代が
粗い粒子の消滅とともに細かな光をちりばめて色鮮やかに燃えてゆく
あかい口紅をヌリタクッタ、精液と嘘マミレの唇よ!
やがて業火を呼び起こし、紅蓮の炎を吹いて騙し絵の世界を焼き焦がしてしまえ
オマエの母はヘリコプター・マネーをひろう黒い羊だ、
オマエの住処は、当て所なき海の漂泊だ!
(中断)
麗しき火星のプリンセス、
(中断)
は、「声」だった。
銀河
誰の手にも負えない
お前たち自身の肌寒さが
漏れ吐く息の、
ごくまぢかに訪れて
今日もくたくたのダンボールと引換えに
すべてを燃やし、一日が終わる
小賢しい、
世の、
いっさいを棄てた
なれの果て
それでも此処には
ガラス瓶の底の数滴の酒と
人と人とを罵る、
災いだらけの口がある
赦しがたい、
夜の沈黙の所為で
お前たちは今夜、
この場所に眠るのだ
高架ごしに覗いた
かがやく星々を仰いで
――おやすみ、
‥‥銀河。
立去るぼくの声も白いよ
六花
望み、儚く
残す轍 遠い道程
荷の重さつらく
そぞろ立ち止まっては
見上げる空の哀しみの果て
日ごと、無惨に、
鞭で打たれる、背の
痛みさえ忘れるような
僕(しもべ)らのゆめ、
また夢のゆめ
艶めく花に狂う、
春の野を駆けめぐり
いつか散る瞬く間の色
ふたたび、冬
永い、ながい静寂――
薄墨の空を舞う、
白くつめたい六花の
勢い吹雪く枯野に
罪科を載せた荷車を牽く
凍える手指、埋れて
やがて溌剌な
若人の声が虚空にひびく
湧き立つ山あいの霞
深雪をも溶かし
春の風そよぐ 幻
※
ゆめ、夢でなく
曖昧なことばに心託して
なおも修羅の轍をゆく
忘れられた人々の祈りが
不義の舌に火を燈す
深々と降頻る花弁雪が
吾等の咎をやさしく覆う
火炎で焼かれる、背の
深き淵の灼熱の裁きさえ和らぐ
穏やかな春の日を待ち望んで
幾たびも、
幾たびも、
冬。
ら、むーん
微かに血の色を混ぜた
純白の火照り。
月光を浴びた濃淡の起伏が、
永くしずかに波打つ夜
幾重にも重なりあう
厳かな山脈を流離う爛漫、
滑り落ちる霞のごとく
裾野へ降りて散る花、死、花の吹雪
青褐に染まる森を見下ろし
おぼろげな雲に隠れた
ほろ酔いの影の淡さが声に滲む、
生娘の笑みを想わせて
彼処にうかぶ、
夢ごこちの華たち
光を浴びた木々の枝に、
芽吹き犇きあう葉たちの在るがまま
夜露に濡れた草葉の蔭、
湿った土を這う虫たちは蠢く
あれは嵐の晩
稲妻に倒れ、今も横たわる朽ちた老木
そして寄添うように群生し、
俄(にわか)に育つ菌類の欲深な匂い
その膠質の粘液に映りかがやく
――ら、むーん
(甘いささやき
仄かに発光し、花弁の絨毯の上を
揺れつづける声が中空を舞う )))
妖精の羽ばたきにも似た
哀しくも甘い息と息、その喘ぎ
夢うつつに交わす、つがいの音色は清く
疑う者たちへの沈黙と笑み、
「答え」は、
一瞬のうちに――
細く柔らかな咽喉を )
鋭利なことばで/切り裂く
サクラ、
その薄紅のはなびらが夜も尚、
歓びに震えつづける刹那
人知れず山懐の擁く万象を見渡し、
散るさまはかなしみもなく
ただ雲の間に、いくぶん懼れを孕んで 」」
奈落に咲く
白い花弁に滲んだ色は、
褪めた肌の哀しみにも似て
わずかな岩の裂け目へと根をつけた
くらしの危うさを今も孕みながら
押殺した声の倹しい日々さえ底なしに
やがて崩れ落ちる恋に焦がれて
夢の儚さに立ち向かっては、
微かに残る花翳の匂い
望みなく咲かせた冬空に笑みを返し
吐息にさえ震えるたった一輪
可憐な花の凜とした姿は清々しく
温もりに潜ませた想いはひしと
燃え煌めく、紅蓮の誘い
――ひとときの風に、
あそばれては揺れる白い花の
たとえ奈落に咲いてさえ
美しきその刹那、
みじかくも艶やかに
ペテルナモヒシカ
獰猛な夜が
虹の谷を蔽う、
ラベンヌの香りを
「あっ
という間に消し、
タムナスをこえて
閉ざされた世界が
この時代にあって
信じがたいくらい
迷信じみた
//異界の速さで
近づいて来る
――メレナス ピニャ
ジ、カルナシ、タ、ギャナス
夜の肌は美しく、
その爬虫類にも似た
冷たい皮膚に滲んだ
粘液の輝きと
まだらな模様
「ルガ ルナス、タムナス ルド、マネイドゥ
ジャングルに踊る )))
夢、幻、
古代の血が
さわぐ、
密林に繁る多種多様の植物たち、
呪いの歌声に揺れひびく 野生の大地
火山の噴火と 零れるマグマ、
闇に映える
赤、赤、
「ユキ、ユキ、ナバーゥド、ルパ!
心臓を刺す、
刃(やいば)
捧げられた
――少女の
白い裸体。
タムナスの沈黙
自由とは、
預けられた鍵
勝手気儘な航海が
きっと扉の向こうで 待っている
「行け、新しい歌をうたう者よ!
心なき世界にたちこめる野獣の匂い
生贄を喰らう 牙と、
歓びにゆれる尻尾
哀しみの風に吹かれて、
ひとときを満たすのは淫らな歌と踊り
そして無惨な死。
神殿の巫女たちと交わる 数知れぬ男ども
ラミダ //アヌンガ、サキ、マキ、
夜に震える ことば
//ペテルナモヒシカ
ルガ ルナス、タムナス
//ルド、マネイドゥ、。
わたりがにのフィデウア
わたりがにのフィデウアは、僕の恋人
半年に一回くらい、僕と妻は君を食べる
君はいつも白い渚からやって来て
まるごとぶつ切りにされ
黄昏の陽を浴びた二人に食べられる
君を飾る赤と黄のパプリカとセルバチコ
ミニトマトや酸味の強いレモン
そしてムール貝やら烏賊リングやら
ぶつ切りの想い出と朱く茹った腕やら脚やら
君との思い出を僕は妻と共有する
わたりがにのフィデウアは、君との時間
半年に一回くらい、海辺の店であの日を想う
君は、つかの間の日を僕とすごして
潮風の吹く戸外のテーブル席で
こんな僕を、それでも好きだと言ったんだ
暗い窓辺に
陰鬱な雨音が窓辺に滲みて
低くつづく唸り声と
さかんな水飛沫とともに
霧中に奔り去る夢の銀輪たち
仄暗い部屋で
目覚めると
突如、
胸に激しい痛みを覚えた
良くない
一日の訪れは
ああ、
確かに。
今、この場所が
――魂の牢獄――
だと、
気付かせる
雨音はさらに強まり//
寝間着の袖で窓を拭き、
外の景色を覗いた
葉を濡らした街路樹は
重く撓(しな)垂れ、
やがて狂った風に吹かれるまま
野獣のごとく暴れ騒いだ
激しい、/薬物の濫用と
閃光の後に/子供たち
鳴り響く 落雷の/青く光る、
音/不可視の眼。
破滅へ導かれても
尚、不確かな明日を信じている
爽やかな夏の朝の始まりが、
――ふたたび
此処へやって来るのだと
誰もが、きっと誰もが )))
千切れた雲が忽ち、
素早く流れては消え
低く、獄舎を覆った妖しい空を
ただ雲は虚しく千切れ
標もなく、何処へと
遠く彼方へと流れ去り
現れては、忽ちにして消えてゆく
盲信しよう、
いつかこの暗い窓辺に
おまえは必ずやって来て
甘く優雅な薫りとともに
艶やかな唇に花言葉を添えて
白い梔子を飾るのを
煌びやかに移ろう日々と、
大きく開け放った窓から覗く
狭い町並みが迷路のように連なり
始終、安穏とした空気にみちて
清しい朝の眺めが、
微塵の痛みもなく訪れることを
夏越の祓
数多(あまた)の田は
既に水が張られ
夜ともなれば蛙が鳴き、
やがて狂おしいほどの肌の火照り、
野鯉を釣った後の
烈しい血の騒ぎも抑えがたく
儀式は、六月のうちに
さも義人を装って
氷室の白い塊りを
派手なゆかたを着た妻が砕き、
削った荒い氷の欠片
酒は微かに牝の匂いがする
生暖かい闇に
冷たさの角が光る
――夏越の祓。
水無月豆腐を肴に呑む
ひとり縁側で
碧い硝子の器を舐めると
じんわりと汗が滲み、
腕や太腿をやぶ蚊に刺された
あ、あれは土間からの水音 )))
杉の盥(たらい)で踊る、
巨きく真っ黒な魚が一匹――
きっと明日にも捌いて
ふたり、酢味噌で食べよう
///ノイズ&CM。
未来から来たという」あなた
ノースカロライナ州シャーロットから
遙々、次元高速鉄道アムトラックに乗り、
核の冬に埋もれる アパラチア山麓を越えて
ジミー・ロジャースの歌声とともに
揺れる/ゆれる (車窓は巻き戻し)
うーっ、ニャパラムニャーヤー >>>>>>
CM削除。
薄紫の靄に包まれた時間を遡る
オリエント・キャロライニアン号の軋み
(A-69-001)と名乗るあなたは
由緒あるアパッチ族の末裔 そして昔、
縄文人の渡ったアメリカ大陸を後にして
ふるさと日本をめざす 旅の途路
///ノイズ。
20××年×月、夢見る自由が残された日本
暴力的違和感が旅行者を襲う、未来の過去
脳内マシーンの記録から削除される CM
すでに「僕」とあなた (A-69-001)は乖離し‥‥
桜、冨士山、ゲイシャ、ス・キ・ヤ・キ。
美しい日本の言葉たちの散る、東京駅八重洲口
即ち、ヤン・ヨーステン・ファン・ローデンスタイン、
彼の名前に因んだ 江戸のど真ん中
日清/日露/大東亜/敗戦/復興/消失
なぜかヤクザの列がならぶ改札を過ぎて
太田胃酸ちがう。救心ちがう、仁丹ちがう
「オー! ト、トイレ ドコデスカ?
声を潜めて しーっ、(下痢を催す、、
「ダレカ、コトバワカリマスカ?
あいはぶ、るーず、♪〜♪♪ うっ、ぶりぶりっ
華麗なるイチモツが鬱金色に染まる
――なんと ‥‥公衆の面前で! で、でも快感 )))
正露丸、もういらんわ
バルチック艦隊ツイニ撃沈セリ
「ソウカ、がっかりしていてはいけない
ワタシハ、ホルモン今日たべました 電動の死デス
皆サン、カルテルを シンジケート染ますか?
それとも時刻は 19:27
まだまだ、夢を見たいですか
バックにCIA憑いてます 人類 皆ヘンタイ
エゴイストです。そして原住民、悪くない
悪いの白人 私、桃色人 オー ゼンゼン関係ないネ
ソレ故、神ノ代理人ヲ信ジ・ナ・サ・イ、デス」
従わないなら 石油価格吊上げます
CM削除。「ブタの胎盤、美しいお肌の‥‥
青いシートを被せた箱が点在する
葉を落とした木々の細い枝から覗く公園に
せめて冬の光は、温かみをおびて降りそそぎ
黄色く枯れた芝生の上には
薄汚れた彼らの衣服が 虫干しされ、
かよわい木漏れ日の光を浴びつ並べ置かれている
――A-69-001、///ノイズ。
あなたはこの国の末路を知っている――
せめて僕たちは その前に
ささやかな夢を、沢山の夢を咲かせよう
恐ろしくリアルな、毒々しいほどの命
わーど/生のコトバを、
漲る憎しみと、より深刻な愛の入り雑じった
かけがえのない存在 そのもの/息吹を
///ノイズ。
(哀れなるかな アイドルタイムの道徳者たち
被支配者たちが偶像のまわりで泣き叫んでいる
醜悪な貌をした機械仕掛けの双頭の鳥像が
マークアップされたユニバーサルコードの呪文を唱え、
やがて総てのコトバたちはXMLDBに呑みこまれた‥‥
合掌。
――A-69-001、
あなたはホルモン今日たべましたか?
オー、ワタシ
本当ハ カルビ焼肉ガ好キデス。 )))
///ノイズ。
20××年×月×日 只今の時刻は‥‥
CM。「世界は希望に満ちている!
懐かしの20××年へ
君もリアルタイムで文学極道に参加しよう
めいびぃ、剥きだしの自由がそこにある。
――過去への旅なら、業界随一
アメリカン・タイムトラベル社です
夏/向日葵の道
ある日、大切 な 何か
が、 砕け落ち、、
粉々 に 散らばった 欠片 に
蟻 が たくさん 集まって
スイートな 記憶 を
はこぶ、ヒマワリ の みち
蟻の行列は虎ノ門までつづき、
護衛の警察官 機動隊 白バイ パトカー
装甲車 戦車 ブルドーザー 耕運機
沿道に 日の丸の旗、はためき 走るアベベ
ボワァっと、火炎を噴く大道芸人
押し合い、圧し合い バーゲン売り場、
有閑マダムたちの服の奪い合い、
銀座青木、穴子の白焼きにキャビアを載せて
砂浜に無数のビーチパラソルが花開き、
強力な紫外線に晒された夏――
弾ける胸の谷間に木霊する、
抜殻のコンドームたちが渦状に群がり、
さかんに泳ぐ、広大なひかりの海
焼きそばの匂いも香ばしく、
紅生姜と青海苔をトッピングして、
マヨネーズも乱暴にきわどく搾り出し
口元にマヨネーズ、
胸の谷間にマヨネーズ、
顔中、たっぷりマヨネーズ、、
やがて星の夢をはこぶ、小さな蟻たちが
君のへそにも巣をこしらえて
泳ぐコンドームたちへ
ソースの匂いとともに愛を交信する
夏/向日葵の道――
黄色く 宇宙みたいな花の咲く
産業道路のコンバーチブル
咽喉を刺激する大気、
サビて崩れる鋼鉄の、
強靭な幻が都市を支え
静かに腐食してゆく世界、
やがて酸性雨を降らせる雲が西の空にたなびいている
その曇天の真下、
複雑な曲線と直線の交差するハイウェイ、
装飾のかけらさえ見あたらない
肌もあらわなコンクリートの柱たちが幾千もつづく
あまねく全地を覆う瀝青の暗い景色に、
人はいない
心地よいエンジン音に吸い込まれてゆく息づかい
ボディの派手な紅緋の色とは裏腹に、
黒革のシートの鞣した獣の匂いが興奮を鎮める
疾走するメロディに満ちた快適な室内に幽閉された/からだ
そして背後へ
熱い毒気を吐き出しながら
458スパイダーは産業道路をひた走る
やたら行き交う、
土砂を積んだダンプカーだの、
タンクローリーだの
巨大なトラッククレーンだのが
音もなく後方へすぎてゆく
まるで乾いた夢のように失われた/心は、秒を数える
( 浮遊する、
六価クロムの剥げ落ちた鍍金(メッキ)片が煌く
黒黴に覆われた日常という壁紙の裏側に
吊るされた愛/情事/が記録される
十秒と少しで開くルーフが、
今しも内と外との隔たりを壊す//
たちまちリアルな不快さと 硫黄の燃える匂い、
凶暴な機械たちの激しく軋む、音/悲鳴、
「 儚すぎるわ!
呪いにみちたルートを昼も夜もなく
結ばれるべき線と線を互いに探しあぐねて
幾度もあてどなく交わる
紅い、コンバーチブルの軌跡
吐き気と眩暈。
背徳の鈍い痛みを覚える、
ただ束の間の、、
Mein Sohn, was birgst du so bang dein Gesicht?
錆びたトタンの切れ端を腹に巻いた彼には、まだ、顔がなかった。二十もすぎて今更もう顔なんて要らないよォ、という。が、顔がないので当然、話すのにも口がない。にもかかわらず、「家に住むのに屋根がナインだよ」とでも言いたいそぶりで小指を一本失った右手を左手と揃えてパーをニギニギしてみせる。きっと自分の頭のなかが、世界中の誰もと同じだという類の酷く大きな勘違いをしているのだ。「トタンの切れ端が、アンタのいう『屋根がナイン』そのものだったのに」と、きっぱりとボクは本当のことを言ってやりたいのだが、彼はよく澄んだ秋空を両腕で大きく仰いで【魔王】の「♪かわいいぼうや ぼくのところへおいで 一緒に遊ぼうよ 楽しいよ!」のくだりをテレパシーで歌いはじめた。やがて哀しみの時間が一枚、そして一枚、硬い鱗を剥がすように相対論理言語の深い闇の淵へと落ちてゆく。「それでジジイと孫との近親相姦のホモってどうなの? ランボーとヴェルレーヌみたく、最後にはどうしよーもない刃傷沙汰の修羅場が待っていてさ」――あーん、バキューン! 「さきっちょ、ぺろぺろ」ということで、何? ボクの発言は恐ろしく真面目でユーモアなんて1ミリグラムも含まれちゃいない。また、作品に向かう姿勢を明確に定義している以上、参加者にもユーモアなど一切認めない。例えば、あのとき鳴海清も若かったが、むろん組織的には制裁を止めることなど出来なかった。二十歳の峠を越えたら十分「大人」である。それにたぶん、ここからは別の話になるのだが、軍部の連中の大半はといえば、志は高いのだが、いささか感情年齢が低すぎて困るのである。――あっ、言っちゃった。 削除だ! 削除! 旧帝国陸軍の悪口は言ってはいけなかった。じゃあ、戦後生き残った【あいつら】なんか錆びたトタンの切れ端を腹に巻くどころか商業用原発50基を地震の巣の真ちかくに建てて「ぜったい安全です」なんて言っているそばから数基が重大な事故を起こし、放射能ダダ漏れなのに平気で毎朝牛乳飲んでいるし、そりゃあもう諸外国からみたら核爆弾を腹に巻いて「やれるもんなら。やってみろ、バカ野郎」って感じで世界最終戦争へたった一人参加する可笑しなチンピラに他ならないわけだよな。だから結局、全世界に散らされた忍者だとか徳川家へ行きついちゃうんだけど、超ウラン核種を含む放射性廃棄物の消滅処理が可能になれば、【あいつら】は自分たちの未来の崇高な役割を知って少しばかり興奮するだろう。こうして、誰もが信じたものが奇怪な真実となって歴史は捏造され、赤字だらけの特殊法人等の隠れ家を知らない錆びたトタンの切れ端を腹に巻いた彼には、まだ、顔がなかった。
線文字Aの女
血と、ローズダストの色彩が濃く染みた粗い石英の粒子。そしてジルコンを含んだ研かれた花崗岩の階段がつめたい光沢をともなって果てしなくオリンポスの山の頂から薄紫の色に滲んだ淡い雲の間にのびている。エーゲの海を見おろし、輝かしい青に散る島々の宮殿と天にまで届いた大理石の円柱。それらの、白い柱の側面にふかく刻まれた「線文字A」による神々の名前。沈黙したままの火山の島を眺め、眩しい光と異教の女たちの濡れた唇が、淫らな私の欲望を募らせる。肥沃な大地と紺碧との泡立つ水の境に、切立った今にも崩れそうな崖の、垂直に剥きだした土(テラロッサ)の赤と紫とを混ぜた逞しい地肌が、まるで目の前にいる一人の謎めいた女の底抜けに陽気で残忍な気性をあらわに露出させているかのようで少し怖かった。潮風のはこぶ甘い誘惑が虚空に目覚めを呼びおこす砕けた波の飛沫とともに、すでにテーブルにならんだクリスタルグラスへと、つまり半月状の薄切りの檸檬と女性器そのものを想わせる殻付きの生牡蠣を盛ったステンレス製の皿をまえに鈍く光る黒真珠の耳飾をした巻髪の女が笑うと、私は指を鳴らして若くハンサムなウェイターにワインを注がせた。
いつしか富と名声がテラス席を離れて、帆船のうかぶ海の小波に煌びやかな輝きを与えていた。食事のあと、白い壁と、白い階段のつづく町をふたり歩く。恐ろしく急こうばいの狭く不条理な坂道のそこかしこに、鮮やかなピンクのブーゲンビリアが植えられていた。「君は何を‥‥何をしたいのか? それとも‥‥」
「例えば、触媒核融合型のような純粋水爆なら複雑な国際間においてさえ小国の戦術核として眼を瞑ってもらえる可能性があるかも。しかもそれは戦争屋たちに絶好のビジネスチャンスを与えることになるわ」
「考えてもみて。自分たちをも殺しかねない大規模殺傷型の使えない兵器と、ピンポイントで確実に敵を殺す事の出来る小型軽量かつクリーンなそれとどちらに大勢客が付くかを」
夕日を浴びたネア・カメニの山は、しかし沈黙したままだった。世界とは、幾つもの文明によって支えられた戦いの神々の住まう家なのだ。いや、神々とは、隠された富と名声‥‥。女の手が、私の口を塞いだ。「戯言は止しましょう。――やがて訪れる漆黒の闇は、もしかして私たちにとっての秘密を覆うベールかもしれないわ」「OK、君と取引しよう、たとえ北半球の多くの国々を滅ぼすとしても‥‥」「そのまえに共に哀れな人間であることを互いに確かめたいわね」「ああ、同感だ」
この夜。けして私は、卑しい武器商人などではなかった。少なくとも、戦いの神であるアレウスの情婦のまえでは。
黒の墓標
白い柔肌にそっと触れるや否や
とつぜん狂った発条みたいな
青白い器官が左右の外耳道から飛びだして
先ずは目玉をふたつ、
声もなくポロンと落とし
詩人である若い女の頭部はみごと分解した
やがて生気をうしなった首から下は、
まるいお口のビニール人形が
むりやりダイソンクリーナーで空気を抜かれるがごとく
形而上の深遠な宇宙の闇へ向かって
世界間隔を内へ内へと崩しながら収縮をはじめた
ペラペラと個体の表皮が剥げ落ちるのと同時に、
すでに乾涸びた肉の塊りとなった砂の女は
もはや立ちつづける意志もなく脆くも粉々に砕けたが
幾許かの憎悪が、其処らじゅうに女の生きざまを散らし、
関係をもった男の数だけ傷のある板張りの床へ
ごく少量ながらタール状の黒い染みを点々とのこした
嗚呼。))) 化学分解した核スピン異性体の女よ
その名を淫らな金髪の糸でハートへ刺繍したけど
二度と思い出せそうにないアブジャドの綴りと、
巻き舌のRや鼻母音を含んだことばをやっと発して
瞼の裏側に覗く、沼沢のゆれる水面に浮かぶのは、
夜の色をつよく弾いた睡蓮たちの覚醒、
一瞬に咲いた花の、神秘のけだかき素顔。
そう、記憶の底で眠る君の、――あの歌が忘れられない
世界中のかよわさを余すところなく掻き集めた
懸命な響きが一種独特な 君の、あのたどたどしいハミング
なのに陳腐でありふれた瞳の残光をけして見せまいとする、
やたら即興をベタで口ずさむ勝気と幼さが
「カテバカングン」とガッツ石松はいうけど、
ええと、――それって英語なのかな?
況シテ、華奢なカラダに畢生の煌きを宿した
草原の汗と土ぼこりと瑞々しい息と匂いを
小さく未成熟なまま、野生のロレツを【ら行】で絡めた
その舌も、その濡れた卑猥な唇も、
深淵の硬く蒼い岩盤の底から滲んだ甘く溌剌とした声で
昼も夜も人々へ思いつくまま愛らしい囀りをとどける
彼女は無限大に泡立つ原始のパロールを惜しみなく、
滾々と湧きだす奇跡の泉だった
未練たっぷり悔やみつつ
そぞろ想い返せば、
澄ました知性によってもたらされる「疼き」、
抗原抗体反応のそれはアレルゲンとして一般的に
ある種の不快をともなうアレだよアレ
ヌミノーゼの生ナマしさへの妙によい子に振舞おうとする、
国際親善パーティの日本人特有のつまりアレだ
奇妙な条件反射がつよく顔面を引き攣らせ、
頬の筋肉をピキピキ硬直させるモロ、
ディープでレアなアレじゃん
裏通りの陽に焼けた黄色いテントの
怪しい大人のオモチャ屋が育んだ格別に濃い、
さびれた海辺をそよぐ潮風と磯くさいエッチな匂いとか
いたって健康的な宅配ルームサービスだの
男と女のアブナイ関係だとかハードSMだとか
或いは、地の果てまで移動しつづけるサーカス団の
曲芸師じみた特殊な性愛の技と匠の前に、アレレ?
いつしか少年の日のあどけなさは斯くもみじかくも失せ、
さすが彼(ピニーちゃん)は、
一人前の男子として 逞しく立派に勃起した
だから俺。チョー、我慢できない。 )))
激しい怒りと禁断の歓びとを「運命」がシェイクし、
中出しで避妊のためのゼリーと入雑じった
回転ベッドの欲望の火照りを露わに
真っ赤に熟した地獄の果実を指で引き裂き七ケ食べた
お口にぺろぺろ罪深き・俺・の
ピ、ピニーちゃんを不本意ながら、
大胆にも公衆の面前でデッカク露出させ
極めてテキトーかつ気分しだいプラス残忍なタッチで、
白くねっとりヤマト糊を湛えた湖面へひとり舟を浮かべ/た/べ/た、
ヤクザな俺は、携えたスケッチブックに一日中
太い魚肉ソーセージ一本で
見えざる曲線を無数に引きつづけ
曇天に浮立つ山々の紅葉なんかもうどうだってイイから
あえて自分自身の心の想いをより鮮明に描てみせよう
こうして爽やかな秋晴れの日のように
空きっ腹ちゅうか前述の詳細部分はさておき、
此処までの記述は一切忘れてほしい。
パンツを穿き、いつだって遅く目覚めたけだるい朝には
赤ら顔のクエーカー教徒のおじさんが燕麦の粥を右手で口に運ぶ
おそらく慢性の二日酔いが今朝も続いているとしたら、
英国製陶磁器の傍らに置かれた銀のスプーンの窪んだ鏡面に
ごく稀に小さく、ぼんやりと像を結んだ「農家の庭」の絵が覗き見られる
逆さに投影された高価な絵皿の世界でコケッ、コ、コ、コケッ、
夢なき放し飼いの鶏たちは、信じる神も美学もなく
ただ餌を捕食し、処かまわず盛んに交尾と排泄をつづけた
と、いうのも、全くの嘘だろーが。
痛みもなく血の通わない真実がどれほど赤裸々で冷淡であるか
未来を担うべきモノたちは、物質の線と形と、その影とを探るべきだ
アエテ皮一枚ノ「美」ナド、
姥桜ノ大樽ニ詰メテ塩漬ケニシチャウンダカラ!
一緒ニ干シタ大根モ十本クライ漬ケタヨ、
ソシテ楽シカッタ想イ出モ、全部漬ケタンダ
シリウスの伴星に冬の訪れる頃
黒い染みあとを見て、俺は泣いた
ふん、凶暴な俺のまえでは
詩人の言葉なんか痩せこけた洗濯板の、ただの裸だ!
晒を巻いた腹から飛びだした包丁の柄を握る
キラリと光る一瞬の先。
勢い、よく研いだ出刃をふり降ろして血飛沫、、
醜く老いた厚顔の詩人の首をぶった切ってやった
二度、三度、四、五、六、七‥‥
幾度も、そして幾度となく
殺した詩人の生首が冷たい風に晒され吊るされて
暫く、窓の外にぶら下がっていたけれども
病んだ心の蒼ざめた高名な生首は洟水をたらし
図太くもなお一人、意味不明の詩を朗読した
たぶん、きっといつの日か
その毛の生えた不気味な球体の輪郭すら
高度な漸層法やレトリックともども、
みごと虚空のノイズに紛れて消えてしまう筈である
そう、記憶の底で眠る君の、――あの歌が忘れられない
Sacrifice
――知っていただろうが、
銀のフォークに刺したその柔らかな一切れが
まだ焼かれるまえには紅く鮮血が滴っていたのを
そして屠られるまえに荒く息をし、
「お願い、どうかやめて!」と叫んだのを
――知っているだろうが、
あなた自身がけして善人でないことを
悲しみのひとに席を譲ることよりも
奪うことによってしか私たちが生きられないのを、
その笑顔には、蔑みを隠していることを
――知っているだろうが、
今日までいくども見殺しをくりかえしてきた
TVや新聞で他人ごとの殺戮が五月蝿く報道され
あなたは疲れていたり忙しすぎるのを理由に
ただ、自分のために楽しい時間を作ろうとする、
――You know what I'm saying?
やがて酷く寒い冬が来てキリギリスは死んだ。
いつしか無秩序な生活破綻者たちの暴動を封じるために
ジェノサイドを目的とした収容所があちこちに出来、
彼らは骸を埋めるために深い穴を掘りつづける
――知っているだろうか?
遺伝学的に正しい者たちを残すために
新しい人々は人類の歴史さえも書きかえてしまった、
楽園の外にはまだ傷ついた人も残されていたが
輝ける未来に、もはや哀しみなどなかった
――知っていただろ、
銀のフォークに刺したその柔らかな一切れが
まだ焼かれるまえには紅く鮮血が滴っていたのを
そして屠られるまえに荒く息をし、
「お願い、どうかやめて!」と叫んだのを
見なれた顔
刎ねられた首の、落武者ヘアーの見慣れた顔がそこに在った。
所々に空いた障子の破れから庭の繁みを覗かせた薄暗い茅屋の畳のうえに
斑に変性菌類の付着した身体のない見慣れた鼠色の顔は飄々とした面持ちでごろりと転がっていた
女、子供らはその顔の間近へ卓袱台やら座布団だのを運んだが、
それは失われた日常を取り戻す儀式のためだけでなく実際に朝食の準備も兼ねていた
顔のない母親はひとりアルミの鍋や茶碗を運び、
小鉢の炭と皿に盛った千切った新聞紙を盆にのせて運び、
さいごに白木の飯櫃を運ぶと姿の消えかけている子供らを卓袱台のまわりに座らせた
父さんはいつまでもあんなだけど、おまんまがこうして食べるだけでもありがたいことなんだよ
おそらく母は身振り手振りでそういってみせたのだが、顔がないので口もない
身振り手振りでは到底伝わる筈もなく子供らはさっそく御飯茶碗を持って一斉に母へと向けた
白木の飯櫃には海の砂や貝殻や水色のビー玉、そして神社で拾ってきた玉砂利が入っていた
子供らは茶碗に盛った砂に雑じったビー玉や貝殻を嬉しそうに見つめながら、
同じように小鉢の炭や千切った新聞紙もときおりチラッと見ては愉快そうに笑った
雨の日は、腐敗した古畳の目から悲しみが滲んで濡れた
そればかりか歪んだ天井のそこかしこからも悲しみが滲みて、ポタリポタリと古畳を濡らした
ずぶ濡れになった母と姿の消えかけている子供らが見慣れた顔の傍らで寝そべっている
部屋中を靄のような悲しみが漂い、それでも見慣れた顔はただごろりと転がっていた
月明りの晩。
まるで大地が沈むかと思うほどの地響きにも似た激しい鼾が茅屋から聴こえる
鼾の音で揺れる古畳のうえを一匹の猫がやって来てしばらく光る眼をじっとさせた
眼の前にあるのは破れた障子からもれた淡い月影に染まる落武者ヘアーの見慣れた顔だ
無精髭の見慣れた顔は、突きだした唇をぶるぶる震わせて鼾の音ともに涎を飛ばした
その一滴が猫の額にとんだ瞬間、猫はニャアーと鳴いてとっさに退いたものの
あいかわらず鼾は怖ろしい地響きをたてて古畳、いや茅屋じゅうを揺らしていた
猫は右の前足で額のあたりを何度も拭きながら、
ふと部屋の隅に寄り添って無心に眠る顔のない女と姿の消えかけている子供らを見た
とたん、鼾が止まり落武者ヘアーの見慣れた顔が何かを話した‥‥なかずんば、すせろう、
意味不明な寝言をつぶやくと大きく見慣れた顔が右に傾いてごろりと転がった
そもそも動く物に猫は敏捷に反応する、猫パンチ! 転がる見慣れた顔へ猫パンチ!
弾みをうけて見慣れた顔はどんどん転がってゆき、追う猫はさらに猫パンチを繰りだす
転がりながらも、すせろう、ともやもなるなればあさかなくべねやのうと寝言をつぶやく
‥‥すせろう、
そう言って、無精髭の見慣れた顔は大粒の涙をながして眼をひらいた
すせろうともまけじみれたまかしきおんなきうごめよなあ、すみまかしものよのう‥‥
眼のまえの猫を睨んで、ついに見慣れた顔は動きを停めた。口はしっかりへの字に結んでいる
よほどその形相が怖ろしかったのか、ふぎゃあ! 猫はたちまち逃げだした
正月、
あいかわらずの茅屋で畳も腐敗し変形菌類の発生が見られるほどであったが、
それでも顔のない女と姿の消えかけている子供らは晴れの日の着物を着ている
卓袱台の上には、ブルターニュ産の海泥で捏ねた見事な餅が置かれていた
さらに普段はとても口に出来ない金や銀の色紙や千代紙までが漆器に盛り付けられていた
見慣れた顔は髭を剃り、立派な兜をかぶって床の間に堂々と飾られている
神の名前
火の年に、
大水の声を描く
詩人は、
自ら指を燃やして、
轟く稲妻にも似た
その声を、
陽に焼けて古びた愛と、
数々の秘密と背徳を埋めた土に
透明な色のインクを滴らせ、
尖った刃のような大人しくない言葉で
斃れた灰色の建物の壁に
地響きのような大水の声を描く
やがて神々しい声とともに
もくもくと立ちのぼる
白く巨大な原子雲の見下ろす、
かつては美しい街だったこの世の地獄
人々の営みはもうなかった
それは、
インディアンたちにしたように
容赦なくベトナムで行ったように
イラクで大勢の人たちを殺したように
広島と長崎で女や子供たちを焼き殺したように
平和を纏った狼どもが、街中に火をつける
台本通りの戦争のために
敵にも味方にも武器と弾薬が配られる
純朴な羊どもを戦わせるために、
さまざまな事件やテロを繰返した
それは、まさしく残虐、非道だった
※
うたう声が、
彼処できこえる
その歌に、
大水の声が重なると、
力づよい音のひびきが
多くのことばと結ばれて
やがてそれは
異言でつづられた
祈りのハーモニーへとかわった
すべての思想や宗教が、
牢獄の足枷だということも
うたう人々は、
歌いながら自然に悟った
歴史は、
支配者にとっての
都合のよい嘘で固められていた
姦淫を行うのと
姦淫を行う者を殺すのと
いったいどちらが罪なのか?
理解できる者は、手に持った石を捨てなさい
同性愛を行うのと
同性愛者を殺すのと
いったいどちらが罪なのか?
理解できる者は、手に持った石を捨てなさい
神を信じないのと
信じない者を殺すのと
いったいどちらが罪なのか?
理解できる者は、手に持った石を捨てなさい
全地を統べる神々は、けして強大ではなかった
むしろ彼らの怯えが
「残虐、非道」だった
この世界に在るものが
一切、彼らの所有する財産ではなく
全人類が共有するものだと
世界中のすべての人々が知ってしまった時、
神々の支配はその効力を失う
見よ、新しい天国が降りてきた
煌びやかな宝石を散りばめた天国の門には
「神の名前」が記されているという
その名は――
言葉にはできない
という意味の‥‥
文字通り、
とても言葉にはできない
涙で描かれた、
崇高な文字が記されている
引用:ヨハネによる福音書8章7、8、9節
ビンタ
大粒の涙‥‥いやそれは悲しみというよりまるで馬鹿げてるとしか言いようのないほどの荒く凄まじい憎しみの雨で草木の葉は低くうなだれ足元はたちまち泥の河となった白く靄の立つ密林を飛び石のように跳ねながらやって来る翅のある大鰻の群れとそれを追う三前趾足(さんぜんしそく)のビンタどもそして彼らが過ぎてしまうとまもなく雨は止んで今度はギラつく光が密林の濡れた木々の葉を照らした青空を覗かせる枝葉の隙間からもしも神を信じるならきっと神だろうそのものは天までとどくかもしれない虹の梯子をいくつも下ろして見せた鮮やかな緑の羽毛に覆われた一匹のビンタが鋭い嘴で黒と黄の斑の大鰻を喰らいそこへ別のビンタが餌を奪おうとやって来るなり争いをはじめた泥濘に血の色がまじり鶏冠(とさか)のあるビンタが鶏冠のないビンタから餌を横取りするとそのとき咽喉に槍が突き刺さって空を飛べない羽根をバタバタとさせた鶏冠のないビンタはクォケキックォオオと啼くとたちまち生い茂る草の葉をなぎたおして密林の奥へと消えた大鰻は大人しくなった鶏冠のあるビンタに頭を飲み込まれていたがまだ息をしていた首にいくつもの爪と牙を集めて吊るした背の低い男は腰にある短刀を抜いて静かに近づいたその後を槍を持つ男ども数人が付き添っていた鶏冠のあるビンタの目から涙が流れているビンタもまだ死んではいなかった短刀を持った男はビンタの胸のあたりに止めをさしたキヒィイイと漏れるような声で一度だけ啼いた美しく残虐な血の匂いを嗅いでさらに大型の肉食獣がやって来るかもしれない作業は迅速に行われなくてはならなかった男たちは羽根を切り裂き首も落とした焼いて喰うと旨い大鰻もこの場に残すより他なかったビンタを捌いたのち胸の肉と腿の肉をさらに切り分けて皆で塊を背負った帰り道はとても愉快だ村の女子供たちのよろこぶ顔がすぐ眼の前にある密林に夜が来るのはたぶんもう少し先かもしれない大粒の涙のあとはきまって笑いがやって来る男たちはとてつもなく単純にそれを信じて今日まで来たのだそのくりかえしだった密林で生きてゆくのは
戦艦パラダイス号
当時、カレーライスという料理はそれほど有名ではなかった。カムパネラが初めてそれを食べたのは海の上だ。それは「沈まない要塞」と呼ばれ、バロック調の広間や食堂を備えたとても戦艦とは思えないくらい豪華でお洒落な船だった。深紅の絨毯を敷きつめたとてつもなく広い食堂は、望むなら三千人の乗組員が同時に席に就くことが出来た。見上げると幾十もの馬鹿でかいシャンデリアが煌々と光を放っている。食事の前に艦長が席に就いたまま、「我らが神人陛下に感謝します」とはっきりとした太い声で言った。そして全員が「我らが神人陛下に感謝します」と復唱した。白いテーブルクロスの上に銀のスプーンと水を注いだグラスとカレーライスを盛った陶磁器の皿が並んでいる。カムパネラはそのうっとりするような香りを嗅いだだけでも思わず唾を飲み込んだ。こんなもの、たった今も戦争中の人間がよろこんで食べてよいのだろうか? しかしひと口、黄色がかったオレンジにちかい色のカレーを口に運ぶともうじつにあっけなく論理は崩れ去った。「美味い!」こんなもの、今まで食べたことがない。そしてカムパネラは無我夢中でカレーライスを口に頬張っていた。
幾百の夜がすぎて星は輝き、その夜空を一筋の軌跡をのこして星は燃え落ちた。タバコを咥えたカムパネラは人気のない船首付近の甲板にいた。敵国ダミラスは、男根を持った女性たちの国だ。彼ら、いや彼女たちの国は奴隷の青色人種と貧しい移民のストレート(異性愛者)たちの犠牲によって成り立っていた。しかし我が軍のなかにもアンドロギュヌス(両性具有者)は少なからずいる。そのこと自体が悪いというわけでもなかった。ただ、そもそもの火種は貿易上の双方譲らない利害関係から始まっている。特にナミダ油田の利権争いの際に空軍を使ってメノフチを空爆、ナミダの住民を殺戮したのはダミラスの同盟国サンテ・ドウだった。またナミダの住民の殆どが神人の血を分けたフンドシを祖とするストレートだったことも、戦争を始める側にとっては好都合だった。戦争を始める側というのは、つまり例の「死の商人オカア」率いる秘密結社アドンであるという噂はけっこう古くからある。事実、オカアはデラペニス火薬社のCEOであり、サンテ・ドウ国の王子とは懇意の間柄である。しかし報道各社は殆どオカアの息がかかっていて正しい情報はなかなか伝わってこない。それでも点と点をつないでおよその輪郭というものは見えてくるような気はするが、すでに戦争は始まってしまっているのだ。そしてダミラスの船には、殆ど奴隷の青色人種と貧しい移民のストレートばかりが犇めいて乗っていた。眼をつぶると、錆びたダミラスの船が浮かぶ。彼らは燕麦の粥を食べ、腐りかけた林檎を齧って一発500万キルビルの途方もなく高価な砲弾を撃ち込んでくる。
さすが「沈まない要塞」というだけに戦艦パラダイスの白い主砲にはどれもダイヤモンドやサファイア、そしてルビーが散りばめられている。この船での生活は、厳格な規律はあるものの全く申し分なかった。自由時間にはデッキでギターを弾き歌う者やプールサイドには水着のアンドロギュヌスたちもいた。カムパネラは読書が趣味だった。その多くはくだらない恋愛小説が大半だったが、たまに推理小説も読んだ。恋の成就と謎解きはどこか似ているような気がした。この船の存在理由は言うなれば海上における「主要陣地」であり、もしもこの船が沈むならその時はこの戦争が終わりに近づいたことをすぐさま知ることが出来るだろう。きっとカムパネラも顔が青くなるほど貧しくなってほんの一握りの両性具有者のために一生を奴隷として捧げることになるのだ。だがそんなことは、まずありえなかった。戦艦パラダイス号の艦首最下部には魚雷発射管付きの水中展望台があり、後方部にもまた同様のものがあり、海中からの攻撃にも十分対応することが出来た。そして艦載機はもちろん艦の付近には常時巡洋艦7隻と空母2隻が配置され、敵のいかなる攻撃にも対処していた。そうした硬いガードによって戦艦パラダイスの夜は華やかに幕を開く‥‥。まるで舞踏会さながら戦時下というのに仮面を被ったタキシードや燕尾服、そしてスパンコールの付いたドレスや鳥の羽根の帽子の女、そしてさまざまな色のイブニングドレスと扇、軽快な音楽が入り混じった。パーティー会場にはオカアの姿もあった。「宴もたけなわですが、さてみなさん。ここでデラペニス火薬社CEOのオカア氏に登場願います。この戦争に武器弾薬なくして勝利はありません。氏は、当軍の側にすべての武器弾薬の20%割引を承諾して下さいました」ここで「おお!」というどよめきと歓声、そこかしこで口笛も鳴った。「いいですか、ダミラスは我々よりも20%高い弾薬を使うリスクを背負うことになります。そこで我々は、ダミラスの土手っ腹に風穴を空け、さらに20%分よけい胸や頭にも向こう側の覗ける穴を空けてやりましょう。さらにさらにみなさん、オカア氏はもう一つの特典も与えてくれました。特典とは? フフフ‥‥。それはオカア氏自身から直接教えてもらいましょう。みなさん、オカア氏です――」ふたたびどよめきと歓声、小柄なオカア氏が壇上に上がった。「いやあ、親愛なるニギリメシ国の海軍、戦艦パラダイス号のみなさん。ご紹介に預かりましたオカアです。特典、今月かぎり‥‥すべての武器弾薬を50%割引とします」すると「嘘だろう」とか「まさか」という声が漏れた。「本当です、ただし今月限りですが。ここだけの話、私はニギリメシ国の味方です。もちろん、ビジネスはビジネス。いくらなんでもタダには出来ません、でも私の出来る最大限のご奉仕としてみなさんにプレゼントさせてもらいます。ぜひ受け取って下さい、使用量の制限は一切ありません」カムパネラは驚いた青色人種みたいな顔をした。ということは、魚雷も大砲も打ち放題、命中度を上げるための思案や時間もいらない。簡単に言えば、ただマシンガンのように撃ちまくれば良いのだ。
その3日後、電探(レーダー)室から艦長へ「左舷11時方向、距離42000に敵艦隊発見」と緊急連絡が入った。「了解した」艦長の顔は朝起きて髭を剃った時の爽やかな顔のままだ。すると、いっそう爽やかな顔になって「こちら艦長。護衛艦隊に告ぐ、全艦応戦体制に入れ」と命じた。そしてバタバタと走る海兵、「総員戦闘配置!」カムパネラは艦内の一人乗りエレベーターを使って艦首最下部の水中展望台へ向かった。「水中展望室1号と2号、こちら艦長」すぐさま、「2号です」と後部から。「水中展望室1号、配置完了です」とカルパネラもやっと応答した。「諸君、自由にやれ。これは艦長命令だ」と、俄には信じられない指示が。「了解しました」とはいうものの、今はまだ艦上から視認すら出来ない距離である。しかし「打ち放題」ということであれば話は別で、盲撃ちだって構わないならたった今発射ボタンを押しても良いくらいだ。正面のガラス窓から数匹の黒いマンタが泳いでいるのが見える。その遥か先には無数の魚の群れがあり、柔らかな朝の光は海の底までも静かに梯子を降ろすように届けられていた。仮に52ノットであれば、魚雷は20キロの距離を10分少しで移動する。値段は一般的なサラリーマンの生涯年収のおよそ半分くらいだろうか。これをたぶん昼までにカムパネラの独断で最低20本以上は発射できるのだ。潜水艦ならともかく、この船の場合は銃で例えるなら6発の弾が入ったリボルバーが4器セットされている。交換にやや時間はかかるものの望めば100発だって射出可能だ。問題は「命中精度」なのだが、「盲撃ちの空を向いたマシンガン」か「百発百中の狙撃手の撃った一発か」との選択に等しい。まして過去の海戦においても魚雷は接近戦で使うべきツールであることが実証されている。当時の技術では、距離があるほど「空を向いたマシンガン」になってしまうことが多く、数での優位は無意味に近かった。それでもこれは戦争なのだ、資本主義社会の世界規模の「祭り」なのだ。大勢の人が死に、高価な船舶や航空機があっという間に鉄くずに変わるマジックショーなのだ。人が死ねば棺桶屋が儲かる、造船産業や航空機メーカーも一夜かぎりの花火のような確実に人が死ぬ機械をフル生産で作り続けることができる。カムパネラは躊躇せずに最初の「引き金」を引いた。
衝撃を感じたのは数秒後のことだった、カムパネラは「やった!」と思った。しかし距離からみて早すぎる着弾だった。次の瞬間、鼻腔に嗅いだことのある者にしかわからない一種独特なあの地獄の匂いを感じた。「護衛艦アタリーナ、敵の魚雷攻撃によって被弾しました」嘘だ、嘘だ、カムパネラは頭をふった。なぜ勝手に前にいる? 「沈んでいます! 乗組員は多数の死傷‥‥」そして弱り目に祟り目、「敵機襲来、魚雷攻撃に備えよ」とスピーカーが言い放つ、「敵魚雷、投下されました」間もなく、向かってくる魚雷を目視した、こちらには着弾こそしなかったが、左舷方向を並んでいた護衛艦シズミーノ号の艦首最下部に激突し、立ちのぼる水しぶきとともに爆裂。高額なデラペニス火薬社製「いのちの爆弾の母」を搭載した敵魚雷によって艦は忽ちのうちに沈んだ、「敵魚雷、また投下されました」さらに「別の敵魚雷、投下されました」ちくしょう、カムパネラは「空を向いたマシンガン」を目をつぶったまま撃った、そして撃った、「緊急事態発生! 艦長だ。敵機襲来!」飛来した敵機のうち一機には、肌の白いアンドロギュヌスの操縦士が載っていた。艦橋目掛けて急降下してきたアンドロギュヌスの機を狙って各所の三連装機銃が火を噴く。たちまち、右の主翼を撃ち抜かれて敵機は船の後方部甲板に墜落した。「落ちたぞ! 機体が燃えている。至急消火せよ、繰返す、至急消火せよ」
それでも残念なことに、戦艦パラダイス号の白い主砲はおろか副砲とも火を噴くことはなかった。護衛艦隊のうち空母2隻から飛び立った最新式魚雷を搭載した飛行部隊「ノッテ・ステラータ」が活躍し、敵の艦隊はあっけなく海に沈んだ。また敵側の戦闘機の大半は、戦況の不利を痛感したのか彼らの前進基地のあるカッパ諸島へ逃げ去っていった。カムパネラの射出した魚雷はきっちりと24発。味方の護衛艦以外には一発も当たらず、その他の魚雷は海の果へと向かって消えた。墜落した敵機の操縦士は無事に救助されて捕虜となった。夕方ちかく、医務室から獄舎へと連行される「彼女」の姿をカムパネラは遠巻きに見ていた。そして彼女も、虚ろな眼差しでカムパネラの方をしばらく見た。左目に眼帯と、頬には絆創膏を貼っていた。それでも、「ああ。なんて美しいんだ」カムパネラは思わずそう呟いてしまった。さて、水中展望室1号の報告は日々艦長へ直接行うことが慣例になっていた。葉巻の煙を燻らしながら、「今度の戦争は」と、艦長が言った。「今度の戦争は表向きは我々の勝ちだ」ワイングラスを持ったままカムパネラは艦長の後ろ姿を見つめた。「しかし戦争というものは破壊こそが真実なのだ。破壊され、焦土となった国はやがて復興する。これこそが真の目的だ。そして勝者はやがて没落する‥‥」ふり向くと艦長は、「飲みたまえ、ブラジア産のワインだ」そう言ってカムパネラの肩に手をやった。「はい、でも艦長の仰ることが自分にはよくわかりません」艦長は口元を緩めた。「いつかわかるさ。その前にダミラスは焦土となる。そして復興し、青色人種と貧しい移民のストレートが新しい国のリーダーとなるだろう」カムパネラはまだワイングラスに口を付けていなかった。「自分たちの、ニギリメシ国はどうなるんですか?」すると顎のあたりを撫ぜ、「陽は沈む。とてもゆっくりとだがね」艦長はしみじみとそう言った。「艦長、もうひとつ解らないことがあります」カムパネラは今回の作戦で味方の船を沈めてしまった経緯を率直に話した。「多くの人命と我軍の護衛艦1隻を自分のミスで失いました。それなのに今のところ処分の動きが全くありません。それはなぜでしょうか?」艦長はふたたび背を向けた。「言ったはずだ、自由にやれと。それは護衛艦すべてにも命じた。戦争というものは破壊こそが真実なのだ。敵も味方もない、そのために戦っているのだ。そして今回、君は多額の【消費】を行った。じつに勲章ものだよ」そんな馬鹿な、とカムパネラは思った。でもよく考えてみると、確かに人を殺す行為の前に敵も味方もなかった。
カレーの日は毎月、月の初めの日だ。見上げると幾十もの馬鹿でかいシャンデリアが煌々と光を放っている。そこは戦艦パラダイス号の深紅の絨毯を敷きつめたとてつもなく広い食堂だった。食事の前に艦長が席に就いたまま、「我らが神人陛下に感謝します」とはっきりとした太い声で言った。そして全員が「我らが神人陛下に感謝します」と復唱した。白いテーブルクロスの上に銀のスプーンと水を注いだグラスとカレーライスを盛った陶磁器の皿が並んでいる。カムパネラはそのうっとりするような香りを嗅いだだけでも思わず唾を飲み込んだ。こんなもの、人間を大勢殺した者がよろこんで食べてよいのだろうか? しかしひと口、黄色がかったオレンジにちかい色のカレーを口に運ぶともうじつにあっけなく論理は崩れ去った。「美味い!」そしてカムパネラは無我夢中でカレーライスを口に頬張っていた。
騒ぐ言葉
かん高い声の騒ぐ言葉が部屋中を這いまわっている。声の主は女と女なのだが、女と女は椅子に座っていて向かい合ったちょうど真ん中にテーブルに載った紅茶とポッド、そしてナイフで取り分けたそれぞれのビクトリアサンドイッチケーキが女と女の側に置いてあった。紅茶は、ウェッジウッドの小花柄のカップに注がれていたが、部屋中を這いまわる騒ぐ言葉のせいで微かに波紋を揺らしながら、明るい琥珀の色に溶けた遠いダージリンの土地の幸福な匂いを淡い湯気とともにゆっくり立ちのぼらせていた。また銀のスプーンは、しばしば騒ぐ言葉とともに皿の上で小さく震えることもあったが、女と女は相変わらずケラケラと笑い、無数の騒ぐ言葉を床や壁に這いまわらせていた。その言葉のひとつが、壁に染みた「脂肪燃焼サプリ」だったり、「借金玉の今日はこれに頼りました」だったりしたが、意味は無数の意味の前では何ら意味を成さない。今しも天井を走る「ミコノス島の赤い夕日」が「タコのガリシア風」と激しく衝突し、その拍子で「ミコノス島の赤い夕日」は「賀茂なすの田楽」の這いまわる床に落ちて「日夕い赤の島スノコミ」になって黒い多足の足を天井に向けてバタバタさせている。だが、そんな騒ぐ言葉のひとつひとつを紹介していてもキリがない。ただ一匹、もしくはもう一匹、「あなたのご主人」と「ウチの馬鹿亭主」が、夕べこの家の主人である私が酔っぱらって床に零したワインの染みの上で何故か居心地好さそうに、まだ生まれたばかりの子猫のようにじっと大人しくしていた。そして女と女はケラケラと笑い、さらに無数の騒ぐ言葉を床や壁に這いまわらせるのだった。
キャベツ君
空とぶセスナの 繰り返される女の声が
街中、凶暴にふりそそぐさなか、彼はいつものように
駅前のロータリーでキャベツを抱いて
坐る。 踵をつぶした革のスニーカーを穿き、
深緑のトレーニングウエアと赤い柄の久留米半纏を羽織って
「きゃ、きゃ、きゃべち。きゃべち
と、呟いている
今どきの主婦といったら、スマホで誰かと話しながら
スキニージーンズと巻き髪のブロンドヘアー、
トートバッグのショルダーストラップを右手で弄り、
「あっ、今、キャベツ君のまえを歩いてるとこ。と言う
彼はときおり、
その艶やかな薄緑の葉をむしり
お腹が空いたのか
ちぎったやつを口に運ぶ
悪ガキがキャベツ君を囲むと
彼はとつぜん、咀嚼した緑色を吐き出して
「ぎゃべつんぱぉ!
と、ワケの判らないコトバを叫ぶ
「怖えーゾ。こいつ
悪ガキは一目散に退散する
かつて市長選挙の際、
現職の市長は、この場所で街頭演説を行なったが、
その傍らに 当然キャベツ君も坐っていた
市長は彼についてこう言っている、
「不快ではないよ。危険なら処置も検討するが
――彼の行為はけして違法とは思えない。
たった今、
キャベツ君のとなりにギター弾きが坐った
その少し離れた場所では、
ゴスロリの少女が詩の朗読をはじめた
そして彼は相変わらず、
「きゃべち。きゃべち と、呟いている
ラーメンと日本人
マイナス16℃のニューヨークで
外では行列が出来ている
超有名人のやって来る
そんなゴージャスな店の中で
お前は、すでに死んでいた
だらしなく延びきって、
下品な臭いのするスープの中で
トッピングの華やいだ飾りだけが
妙に和のテイストを感じさせるだけの
単なる見世物に成り下がってしまったお前が、
哀れにも茹ですぎて膨らんだ姿を
海苔だの半切りの煮卵だの
でっかいチャーシューだのに埋まって
ただ沈んだまま息絶えていた
それを静かに啜りながら、
はるばる日本からやってきた
身形のよい老紳士は
眉間にしわを寄せて言葉なく愁いていた
お前の死を悼み、
ツンと匂うスープを
メラニン樹脂の蓮華で掬い
悲しい目でしばらく見つめると
思い切ったように口に含んだ
その幾秒かの後に、
すっと、立ち上がりレジへと向かう
何がイケなかったのだろう
言葉とか文化とかだけではないような気がする
結局、
お前は逝っちまった
中国で生まれ、
戦後、日本が育てた
安くて美味しい、
あのキタナイ店のラーメン
がんこな親爺が妙なこだわりを一生涯通し、
秘伝のスープとかに心血を注いで
たかがラーメン一杯を、
「おう、どうだい」って顔で出してくれた
やって来る客という客はヤクザを除いて貧乏人ばかり
それでも親爺は自慢のラーメンを作りつづける
あのキタナイ店の
がんこな親爺の作ったラーメン
ニューヨークに店がなくてもよいし
行列もいらない
有名人が来なくてもよいし
べつに評判もいらない
ただ妙なこだわりだけは失くさないでほしい
ヤクザの親分だって親爺のこだわりには一目置いていた
いつかブームが去ったとき、
お前のDNAを引き継いだアメリカ人の若者が
RAMENと書かれた屋台をミッドタウンに出している
評判はというとそれほどでもないが
さっそく注文すると
極太麺にソーセージとレタス、が載っている
スープはまさかのBBQソース味
この摩訶不思議な一杯を、
「See? I did it!」って顔で出してくれる
うーん。BBQソース味‥‥
あ、でもどちらかといえば、やはり美味い
これ、メチャクチャ美味いよと言うと
そうだろ
って白い歯を見せてうれしそうな顔で笑う
このラーメンの味、どこで習ったの?
そう聞くと彼は胸を張り、
この秘伝のスープはボクが独自で作ったんだと言う
日本に行ったことはあるの?
ないよ、
でもじつをいえばこのスープの中には
日本人の魂が入っているんだ
君は、誰か特別な日本人を知っているのかな?
もちろん、たくさんの日本人を知っているけど
たとえば誰?
そう、たとえば今では‥‥
アメリカのほとんどの若者は日本人だろ
なんだって? とても信じられないけど
漫画とか読んでいるのはみんな日本人なんだ
ワンパンマンが大好きな連中も
心の中はもう、すっかり日本人だと思うよ
もしかして君も日本人?
そうだよ、なぜ判らなかったの?
じゃあ、このラーメンは「本物」だったんだね
当然さ、
この街で一度ラーメンは死んだけど
今では不死鳥のように甦って
たくさんの屋台があちこちで店を出しているよ
信じられない、ここは本当にニューヨーク?
メイビー。
さらに彼はこう言った――
ここは、ボクたち日本人の街だ
というか、今では世界中どの街も「日本」なんだぜ
歩行と舞踏
鮮紅色の空が液状に溶け出し、細かな雫となって降りそそぐとやがて男の立っている意味のない地名も時間のないそのマカ不思議な場所も遠く何処までも濃く赤みがかった不吉な色に染まった。白いガンダムは、オレンジの斑な夜に背いたコシヒカリだった、それに窓もドアもない地下室には鉛筆が一本ただ転がっているだけだ。きっとヒ日常の長い線路がジュラ紀の地球から敷かれてやっと今に至っているのだと思う。男はため息をつくと仕方なくタール状のべとつく赤い大地をスキップし、両の腕を大きく振ってイメージすることの禁じられた世界へ向かって踊り歩きはじめた。途中、ところどころに【レ】のような【し】が落ちていた。それが果たして「死」なのか「詩」なのかあまりよくわからない。そんなことよりも、はるか彼方に聳える言葉の生えたマの山が崩れ始めているではないか。マの山は、マンが書いたことくらいは知っていたが、鬱蒼と言葉の生えた山が崩れると男はさっさと服を脱いで女装をはじめた。どうせマの山が崩れて言葉たちも倒れるのなら男は男である必然もなく別に女であってもかまわない筈だ。スプーンだよ! 何故だか銀のクリストフルっぽいティースプーンが登場し、納豆ごはんをかきまぜながら、「納豆はからだに良いからね」と言う。かつて男だった女は、「じゃあ、私と納豆とどっちが好きかしら?」色目づかいでティースプーンを誘った。スプーンは箸と納豆ごはんを後ろに放り投げるなり、「もちろん君さ!」そのとき突然、大地が大きく揺れて「がががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががががが」という名前の、何ら意味がないようでじつは深刻でバリュアブルな終りが人でごった返す東京新橋駅のホームに到着する朝の快速電車のようにチョー素早く訪れた。とっさに、「けっ、結婚しよう!」スプーンは女の顔に、大粒の唾を飛ばしてそう言った。
フレアスタック
どんよりと低い空に
ふうっ、と 溜息をもらし
雨を吸った暗いモルタルの壁は
重々しい匂いを滲ませて湿ったまま
窓枠に収められた日々を嘲い
片付いた雑事に安堵を覚えると
たちまち、身体は薔薇色に火照りだし
部屋に射し込む雨上がりの陽光
踵の高いパンプスと、青い薄手のコート
唇には、唇から始まる、真っ赤な嘘を塗って
すこし派手目の恰好で家を飛び出せば、
他愛ない日常は 音もなく崩れ去る
工場地帯のフレアスタックと、不快な騒音、
浅はかな風は 孤独に怯る町を越えて、
吹き払われる絆に舞い上がる火炎、
川縁の雑草にからみつく帯状のプラスティック
白いポリエチレン袋も、そこかしこに
幸福を装った悪夢のなかで人々は集い、
グラスを手に手に満面の笑みで祝福を捧げ
忘れられた儀式のうちに見送られる
――死が、二人を別つまで‥‥
やがて歓声が消えた後の残された闇
激しい、歓びの終わりに
打ち棄てられた影と影が揺らめく
紙屑や投棄物の散らばる
ひとり、逢瀬の小径
グレンチェックの太股
蜜を垂らしたグレンチェックの太股に群がるメタルボディの虫たちは「Ψ」の甲殻に暗い愛を孕んで、野蛮な大顎にまだ温みのあるバニラの薫る【Eggnog】を零したモザイク画の尖塔を咥え、スミレ色の格子のある柄の上をせわしく羽ばたきつづける格子の千鳥――もしくは、黒と赤のハウンドトゥース――が太股から一斉に飛び立つと、残された綾織りの無邪気に毛羽だった茂みに、機械虫「ζ」あるいは別の機械虫「π」の屍骸が横たわっているのがそれとなく判る。しかし虫たちは、太股の向こうにまた別の太股があって夜と昼の境に若い女の泣く声や笑う声がたくさん埋まっているのを微塵も悟ることはなかった。そして一匹の機械虫の屍骸は、千鳥たちの飛び立ってしまった格子の上では何ら自己の存在理由を知ることもなかったが、果たして虫たちは格子の上をやみくもに動きつづけ、今さら「Θ」であるグレンチェックで覆われた太股の性別が男なのか女なのかも全くどうでもよいことだった。ましてモザイク画の尖塔の隠喩などロックフェラー・センターに飾られたクリスマスツリーに比べたら一体どれほどみすぼらしいものだろうか。なだらかな砂丘を想わせる臀部の曲線に邪な想いを抱くこと、それ自体が生きていることの証なのだ。そして夜と昼の境に、どこの誰とも知れないグレンチェックの太股は、大勢の人と人の行き交うスクランブル交差点を足早に‥‥きっと誰よりも美しく、とびきり淫らに、グレンチェックの太股に群がる「Ψ」、「ζ」、「π」、また太股である「Θ」、「Θ´」とともに、宙に浮き、さも躍るように歩いていた。その歩みは、つよく、しなやかに、ただほんの少し‥‥危険な愛を孕んで。
夜の夢
緑色の小鳥が歌います
夜の夢という名の
美しく透明な時と場所で
小さな嘴で泣くように歌います
墜ちたら死ぬのさ
飛ぶしかない
飛ぶしかない
それが僕の一生なんだ
灰色の小鳥が歌います
夜の夢という名の
素晴らしく悲しい時と場所で
小さな嘴で囁くように歌います
いつか死ぬんだ
飛ばなくてもいい
飛ばなくてもいい
それは僕の自由なんだ
青い色の小鳥が歌います
夜の夢という名の
かがやく虹色の時と場所で
小さな羽で飛びながら歌います
墜ちたら死ぬけど
飛ぶのは楽しい
飛ぶのは楽しい
それが僕の毎日なんだ
この世界を離れて
むかし僕は天使だった。
せなかにつくりものの羽をつけ、そでのすこしよごれた白い服を着ていつも母ちゃんのそばにいた。
かがみにうつった母ちゃんの顔はまるでペンキを塗ったように白く、やけにまじめな眼のしぐさで細くあやしいマユを描きながら、
「うちらが旅するのはなんでやの?」
そう、きいた。
「わからへん」
つめたい男爵芋を皮ごとかじりながら僕は言った。
「わからへんか? かんたんやん」
「わからへん」
「さよか。ほな、おしえたろ。オマンマ食うためや」
それで僕は、
「ひゃくしょうは旅しよらんし、医者もお役人もうちらみたいに旅ばかりしよらへん」
と言った。
母ちゃんはマユを描くのをやめて、こんどは紅を口にぬった。
「ええか。うちらは、はみだし者やさかい。ひとつの場所で暮らされへんのや。オマンマ食うためには、ずっと死ぬまで旅まわりせなあかんのやで」
「なんで『はみだし者』にならされてもうたんや?」
「しゃあないやないの。はみだし者は、最初からはみだし者やなんやから」
「父ちゃんのせいか?」
「言わんとき」
「酒呑んであばれるからとちゃう?」
「言わんときいうとるやない」
「なんで母ちゃん、父ちゃんといっしょになったん?」
「しらん。なんでや言われても、なってしもうたもん今さらもとにもどらへんやないの」
「父ちゃんのこと、好きなん?」
「しらん。大切なのは、オマンマ食うて生きてゆくことや」
そして母ちゃんはかつらをかぶって別の女の人になった。
舞台にでた母ちゃんは、おひめさまになりきって父ちゃんの弾くバイオリンの伴奏にあわせておどりだす。客席がわいた。でもたぶん、いちばん見入ってるのは、この僕だった。
おなかがすいた日、母ちゃんは空を見上げて、
「あまい綿菓子みたいな雲がうかんでいるわ」
と言った。
「父ちゃん、ゆうべまた酒飲みにいって帰らへんやん」
「そうや。帰らへんな」
「はらへって死にそうやわ」
「平気や。一日くらい食わんでも死なへん。母ちゃん、七日も食べんときあったで」
「オマンマ食うために旅まわりしとるのとちゃうの?」
「そうやで」
「食われへんやん!」
「がまんしとき。こんな日もあるんやさかい」
そのうち母ちゃんは、どこからか粗末な食べ物をもらってきてこう言った、「やっぱ、食べなあかんな。死んでしまうわ」
そのころはまだテレビもない時代で芝居小屋のない町や村では旅の一座がくると、それは町じゅう村じゅうで大さわぎの人だかりになった。父ちゃんはヨレヨレのいっちょうらの燕尾服を着てじまんのバイオリンを弾きかなでて客をよんだ。その音色は甘くかなしく、くわえて母ちゃんの美しさと芸のふかいおどりが人目をひいた。
緞帳の下りたあと、村長がぶっちょう面でやってきて母ちゃんにご祝儀をわたした。母ちゃんはいつもとかわらず、まんめんの笑みでおじぎし祝儀を受けとったけど、父ちゃんのバイオリンは、とつぜん熱がこもりいつもとちがうメロディーをはじめた。それはジプシーの曲でこれは僕もまだ一度しか聞いていないすばらしい音楽だった。
村長は、
「今夜はうちに泊まりなさい」
と、じっと真顔になって母ちゃんに言った。
するとその夜は海と山の幸、そして見たこともない料理の数々と果物や菓子の山盛りだった。
ふかふかの寝床で母ちゃんは僕に言った、
「おまえ、オマンマ食うだけやったら、ずっとここにいてもええんやで」
「いやや」
「なんでやの?」
「ずっとここやったら、つまらん」
「けど、こんなくらし続けても、ちゃんとしたオマンマ食わな、きっといつか死んでしまうで」
「ほな母ちゃんもずっとここで暮らすん?」
「それはありえへんけど‥‥」
「あかんで。母ちゃんと離ればなれになりとうないわ」
「さよか」
と、母ちゃんは言った。
「あそこの村はな、わたいの生まれそだった所や」
村をだいぶすぎたころ、母ちゃんがぽつんとそう言った。あてのない道の両がわには、ただ土の畑がひろがっていた。
父ちゃんはリュックを背おって、もうかなり先を歩いている。両手には革のかばんと黒いバイオリンケースがあった。
「つぎの町まではかなり遠いが、とちゅうの宿場には夜までに着かないといけない」
思い出したかのようにふりむいてそう言う。「山ごえが夜になるとぶっそうだからな!」
「あいよ」
母ちゃんは、つよく精いっぱいにこたえた。
そして休むことなく歩きつづけ、宿についたのは陽のしずむころだった。
「俺は酒場にゆくが、おまえも来るか?」
なんだかしらないが、父ちゃんは僕にきいた。
「いっておいで。母ちゃんは楽器の番をしとくよ」
母ちゃんもそういうので僕はしたがった。
父ちゃんは居酒屋の席について酒を注文すると、
「はらがへってるだろ、なんでも好きなもんをたのめ」
と、僕に言った。「おやじ、酒をくれ。それとこいつに食いものを」
居酒屋のおやじは、
「かぼちゃと雉肉のだんご汁はどないだ」
いくぶん押売りのはいった言い方をした。
「うまいのか?」
「どやろ? けど、まずかったら金はとらんとこか」
「そうかい、そいつはいい。――ぼうず、うまくてもけしてうまいというなよ」
「あかん。いらんこと言うてもうたわ」
父ちゃんに酒をついだあと、おやじは料理のしたくをはじめた。
客はすくなかったが、ややはなれた席にいるからだのちいさな男がこちらへ来るなり、
「あんた、芸人さんかい」
いきなり父にむかって話しかけた。
父ちゃんは上着のひだりポケットにこぶしをかくして酒をのんでいたが、
「俺に用事か?」
男に対して向きなおって言った。
「とつぜん、すまんの。わてはこの宿場のまとめ役をしている者(もん)だす」
男は親しげな笑みをこぼし、「ここはなんやしらん活気のない町でな。人がおらへんよって、博打場かて死にかけたる。つまらん、そないなことを考えながら酒呑んっどったら、とつぜんあんさん方。つまり燕尾服の男と天使のかっこうのボンが眼のまえにあらわれよった。と、見るなり、そや! これや。この人らを当分ここによんで仕事させたろ。ひょっとしたら、ぎょうさん人があつまってこの町もすこしは活気づくのとちゃうやろか。そないなことを、つい今のいましがた思いつきましてな。さっそく声、かけさしてもろうた次第だす」
父ちゃんは顔つきをおとなしくし、
「親分さんですか。それはけっこうなお話をありがとうございます」
座ったままだったが、ひだりのこぶしと酒をのむ手をひっこめるとていねいにおじぎをした。
親分はかぶりをふった。
「いらんわ。かたくるしいのはきらいですわ。それよりも坊ちゃん、ええ顔しとるがな。とてもこの世のものとは思えんな。ところでにいさん。さて、この話どないでしゃろ?」
「せっかくですが。次の興行が決まっておりましてあいにくと、ここは泊めていただくだけの場所となります。なにとぞご理解のほどをお願いいたします」
「さよか。残念やな」
「ご親切にありがとうございます」
「ほな、せめてもの気持ち。酒代くらいはあずかってもらいまひょ」
「これはどうも。かたじけございません。ありがたくちょうだいいたします」
「ほなまた」
父ちゃんはちいさな男を見送って、
「じゃあ、また呑みなおすとするか」
と言った。
ちょうど僕の料理がはこばれたとき、
「こらあ」
店の扉をいせいよくひらいて男がひとり立っていた。「おやじ! 酒呑まさんかい」
その男は見るからにふてぶてしく、義理も礼節もまるで知らないとみえた。おまけにそいつときたら、父ちゃんの右どなりに座ると、「おまえだれや。見なれん顔しとるやんけ。けったいな格好してくさらしおって」
と言った。「おい。そこの羽のはえたボン、こっちこんかい」
男は、気やすく父ちゃんのせなかに腕をまわした。
おとなしく父ちゃんは酒をのみ、ふたたび器を口にしたとたん相手の顔に酒のしぶきをふきつけてまず眼をころし、つぎにでかい鼻をなぐり、ふっとんだ男をつかまえて首のうしろを押さえ、右ひじで頬を打った。これで相手はたおれたが、まだ眼があかないうちに顔をなんどもふみつけた。とどめ、しばらくは立ち上がることができないよう両の足を椅子をつかって打撲した。
男はうめき、父ちゃんは手なれた動作で手をはらうとふたたび椅子にすわり酒を呑みはじめる。
「まぁ、ゆっくり食え。そいつはうまいか?」
「まずいけど、のこさんへん。ぜんぶ食うたるで」
「それはよかった。ところで食いながら聞け、けんかは感情によっておこなうものではない。楽譜がよめて楽器を演奏する能力のある人間と、ただあばれるだけの男とでは人間としてどちらが高等か言わなくてもわかるはずだ。低脳な人間をおそれる必要はまったくない。害がなければ利用し、害があるなら退治するまでだ。この場合、手段はえらばなくてもよい。猛獣にたいして人はときとして武器をつかうだろ。それとおなじだ」
「うん。わかった」
僕はうなずき言った。
すると急に父ちゃんが椅子からひっくりかえった。
たおれた椅子の足をつかんだまま男はたちあがり、つぶれた顔で床にころがった父ちゃんをにらんだ。
「ころしたる」
そして飛びかかり、おおいかぶさると父ちゃんの首をきつく絞めはじめた。
「やめんかい」
店の入口にふたたび、からだのちいさな男がいた。「喧嘩やったら止(と)めへん。けどこの芸人さんはうちの客人やさかいな。だいいちおまはん、堅気ゆうても始終さわぎおこしてけつかるやないの。おかげでこの町に人おらようになってもうたがな。いままで多少のことはと、このわしも眼つぶってきたで。けど、あかんな。辛抱もここまでや。もうゆるされへん、かくごしときや」
そのうしろから、おおぜいの子分たちがあらわれて男をとりおさえた。
「‥‥ゆうとねん、さいしょに手だしたのはこいつやんかい」
「ほな、さいしょにおまんが座った場所はどこやねん?」
「しらんわい」
「言わんかいや。席ならなんぼでも空(あ)いたるがな。さいしょからちょっかい出そうおもわなんだら芸人さんとこいかんでも酒は呑めたはずや。おう? ずぼしやろ。わしをなめとったらあかんぞ!」ちいさな男は子分たちに命令した。「――いてもうたれや」
片目ををつぶり、首をおさえながら父ちゃんはひとりでおきあがった。
「助けていただき、ありがとうございます」
「こっちこそすまんな。いやな思いさせてもうて。かんにんやで。さっき、あのあと。ついそこの通りでこのあほんだら見かけたよって、もしやと思いもどってみたら‥‥案の定やったわ」
そしてこれは子どもが見るべき光景ではなかったが、
「いっしょに見よう」
と、父ちゃんは言った。
手をつながれて見たのは、つめたい夕日のなかで数人が棒切れをもってうしろ手にされた男をぶつさまだった。そのたたきかたははげしく、たちまち服はやぶれ、からだじゅう血がにじみ、そのうち顔や背中のかわがぺろりとめくれた。
男はうたれるたび、
「ぎぇひぇーぎゅあがぁ」
まるで人とはおもえない声で鳴いた。――いや、それはまちがいなく獣そのもののさけびだった。
やがて春がきてみわたすかぎりのレンゲ畑をたくさんの蝶たちがて舞いとんでいた。父ちゃんがハーモニカをふき、母ちゃんは上機嫌で父ちゃんのつくった芝居の歌をうたっている。それは旅の吟遊詩人がお城からお姫さまをつれだす歌で、じっさい母ちゃんも父ちゃんにつれだされたのは本当だ。ところどころ継ぎは当たっていても、白いドレス服の母ちゃんはまだお姫さまのつもりだった。
そして母ちゃんは夢見るようにうたった。
見てごらん こわくなんかないよ
かんたんさ 一歩だけこっちへすすんでみて
君は君以外のものを棄てればいい
お金もいらないし 失うものも何もない
永遠にかわらぬ愛とひきかえに
ぜんぶ棄ててしまって笑いころげよう
きっと失う哀しみもないままに暮らせるよ
神さま ぼくが君といられますように
どうか 君が君でいられますように
ここにあるのは ただそれだけ
行き先は自由 君とぼくとの何もない世界
見てごらん はじまりの時を
ふるえる大地の 鼓動をかんじるだろ
君に君以外のすべてをあげよう
この星をまるごと ぜんぶ君にあげるよ
地獄までつらぬく愛で君をみたそう
暁にかがやく天使よりもつよく、
夜空の星のすべてが落ちるほどの愛で
神さま ぼくが君といられますように
どうか 君が君でいられますように
ここにあるのは ただそれだけ
行き先は自由 君とぼくとのはじまりの世界
どこからか地響きのような音がちかずいてくる。
僕はレンゲ草の首かざりをこしらえて大好きな母ちゃんにあげた。母ちゃんは笑みをこぼし、すると声にしないで「あっ」という顔をした。そしてぼくの肩をたたいてうしろを見るようにうながす。
ふりむくと鉄橋を蒸気機関車がまっ白いけむりをもくもくとはいて走りわたるところだった。
せなかにある羽をおおきくゆらし、ぼくはよろこんで機関車へむかって駆けだした。
それから、とある町ではおおぜいの役者をひきつれた旅芸人の一座と合流した。
皆で食事をし、
「ぜひうちに来てもらいたいと思っているんだがね」
ぶどう酒をのみ、座長が父ちゃんに言った。
「おこころづかい、ありがとうございます」
「わしらは家族みたいなもんさ。困ったときはいつも助けあい、協力する。病気になっても放っておかないし、めんどうもみる。だいいち旅まわりはしてもじつはちゃんと住むところがあるのだ。そこは海べの村だが、一年じゅうあたたかで食べものもうまい」
「さかなつりもできるわ」
まだまだ子どもらしさのぬけていない、にきび顔の娘がそう言った。
「座長はん、どないですか? そりゃあ旅の生活はきびしいでっしゃろ」
母ちゃんはもうさっそくこの先を見すえた話し方をした。
「たしかに。しかし、しょせん大衆演劇とさげすまれる一座ではあっても、巡業先でどよめく観客からアンコールをさけばれるときほどうれしいと思うことはない」
「へぇ。うちらはな、ちぃと、ちゃいまんねん。お客はんによろこばれようが蔑まれようがいつも同じですわ。オマンマ食べていけたらそれでよろしいのとちゃいますか。まあ、そない思ってやってますよってに。けど、うちの人は芸に対してえらくうるさい方でっしゃろな。どないなときでも一生懸命やります」
かぶら大根と鰯の酢漬けをいったん口にしかけ、座長のおくさんが言った、
「つまり芸術家というわけね」
「どやろ。ドサまわりの芸術家ちゅうのは聞いたことあらしませんけど」
母ちゃんはそう言って大笑いをした。
「いや、わしもじつはうすうす感じているよ。その閃光のようにほとばしる類なき才能と狂気とを」
「もしや‥‥」
と、こんどは素顔の道化役が口をはさんだ。「あなたのバイオリン、音のひびきがちがいますよね」
父ちゃんはすこし心配そうな顔をした。
「まあ安物にしてはいい音だが」
「あなたは昔、高名な音楽家のお弟子さんだったのでは?」
「どうしてそう思う?」
「ふんいきとか‥‥なんとなくですけど」
「あははは。わたしの師はわたしさ」
「そうなんですか」
「この人はな、わたいの通うとった女学校で音楽の教師してましてん。どない思います? みなさん、びっくりでっしゃろ。教師も教師なら生徒も生徒や。つきおうて間もなくさっそく駆け落ちですわ。そこからはもう、必死やったし。あまり覚えてまへん。昔のことやないの、忘れてしもうたわ。そうゆうて笑うこともできます。でも、やっぱ忘れられへん辛い思い出もぎょうさんありますわ。なんせ今夜の寝床もわからへんような毎日やさかいな」
そう言って母ちゃんは、父ちゃんの顔を見た。
父ちゃんは、
「しかしまだ生きている」
と、言った。「君も私も、たぶんあとしばらく生きるだろう」
「あとしばらくでっか」
母ちゃんはすこし首をかしげて笑った。
僕の目のまえには、くしで焼いた殻つきの海老がある。
「とんでもない。あとしばらくなんて言わず、あなたもせめてお孫さんを見るまでは生きてなくては」
座長はそう言って、またぶどう酒を飲んだ。
あれは冬の夜、森のなかの一軒家に住むバイオリン作りのおじさんが炎のゆらめく暖炉のまえでこう言った、
「誰にも言うんじゃないぞ、秘密はコオロギの翅じゃ。一年ほど乾燥させたやつをすりつぶしてニスにまぜるんじゃが、これがまたむつかしい‥‥」
僕は熱いミルクをいれた木の器をくちびるにそっとあてて、
「コオロギの話なんかどうでもいいよ。それより父ちゃんのバイオリンの修理はいつまでかかるの?」
すこしばかり怒ったようにそう訊いた。
「まだかなりかかるかな。ちゃんとかわりのバイオリンを貸してあるから、そんなにあわてんでもいいじゃろ」
「僕はバイオリンがなおるまでここに居なくちゃならないんだ」
「なるほど。そう、たぶん遅くても春にはまた旅に出られると思うがね」
「春まで? 少し長すぎない?」
「いいや。あとでわかる時がくる、冬が長すぎるなんてことはない。あっという間さ」
冬の終わり。ふたたび町から町へと白い服を着た僕が先頭に立って通りを歩く。
次の町では、高い塔のある広場で人をあつめた。
どんよりとした空の下、父ちゃんのバイオリンの伴奏にあわせて母ちゃんがうたった。人だかりの円陣のなか、僕は天使のかっこうでずっと父ちゃんの真横に立っている。
さあさあ おたちあいの方々
わたしはお姫さま お城のかごの鳥
ある日 旅の詩人がお城へ来ました
彼は雪解けの大地のようにあたらしい顔をして
また春を告げるようなすがすがしい声で言いました、
――お姫さま
わたしはあなたの瞳にうつる世界を見ました
なんとそこは美しいのでしょう
どうかわたしもそこへお連れ下さい
お姫さまは言いました、
――はい。あなたもそれを見たのですか
でもわたしはそこへゆく道を知りません
なにしろこの城から
わたしは一歩も外へでたことがないのですから
すると詩人は言いました、
――わたしが来た道をしばらくゆくと
また道がつづいています
そしてその道のむこうにはまた道がつづいています
きっとその先に、そこへつづく道があるはずです
――では行きましょう
それもたった今すぐに
ふたりはたちまちお城を去りました
着のみきのまま 鞄さえ持たずに
そして目指すのは お姫さまの瞳のなか
ああ 美しいお姫さまの瞳
そこに映っていたのは ただ旅の詩人だけでした
そこで父ちゃんの弾くバイオリンの音がはげしくなった。そしてからだを僕の方に大きくかむけて、
「俺の帽子をとれ」
と言った。
僕は言うとおりにし、そのあと父ちゃんの帽子を手に円陣にできた人だかりをまわった。そのあいだに母ちゃんがまたべつの歌をうたう、
世界はだれのものでもなくて
あたりまえのように いつもここにあるけれど
影をのこす まぶしい日差しのあたる真昼の今でなく
真実はひとつぶの星の瞬き、
夜空のちいさな耀きのなかにある
それは遠い夢 叶わぬ思い
でも本当はもっと近くにあるわ
眼をとじると、きっと見えるはず もうひとつの世界が‥‥
誰かが帽子のなかに丸い小麦菓子をいれた。またジャリ銭のほかに紙幣をいれる者もいた。りんごをいれる者もいた。そして帽子はたちまち重くなり、ついには子どもの僕に持ちきれないほどになった。
そして僕は今、母の生まれた村で国語の教師をしている。
父も母もあまりながくは生きなかった。
でも思い出の中では、ふたりはとても幸せそうに笑っている。
だからうれしくて‥‥あの天使だったころの日々を思うと、透明な涙が、なぜかポロポロとこぼれ落ちてとまらないのだ。
もうじきだ。僕もやがて父と母の住む場所へゆくだろう。今ここに見えている――美しくもあえかなる――この世界を離れて。
西瓜の冷やし中華
夏が終わるとき、
風呂桶に浮かんだ西瓜を見ても
もう、それほどときめかない
でも冷やし中華を飾る
一切れの西瓜は不思議と美しい
刻んだハムと胡瓜、
錦糸卵と紅ショウガという
いつもながらの顔ぶれに
あ、なんで西瓜なの? っていう、
なんちゃない驚きが嬉しい
――西瓜の冷やし中華、
食べる前に
瞼の裏にしっかり焼き付けよう
雪が降り始めたころ
ああ、
西瓜の冷やし中華が食べたいなあ
なんて たぶん思わないけど、
人生を飾る
嬉しいことのひとつに
たった一切れの西瓜もあるのだから