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2006年07月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


ゆっこの乳母車(プリントアウト用パート3)

  ミドリ


僕らは知り合った
京都駅の構内
売店でタブロイド誌を買い

37歳 無職男性に誘拐された
子供の記事などを読み

眉間に皺をよせ
退屈そうに足を組み
人たちを乗せて揺れる 

京都駅発 奈良行きの電車の中で
アヒルを乳母車に乗せて
通路を歩く
ゆっこと出会った

「いい子にしていたよ
 今日は全然 おしゃべりしていないもん」

アヒルは乳母車の中で
首をいっぱいに後ろへひねり
母親のゆっこに話しかけると
ゆっこは肩をすくめ
アヒルの頭を撫でてやった

彼女はアヒルの腰を捕まえて
乳母車から降ろし
ひざ掛けの上に乗せると
胸の中で強く抱きしめた

みんながわたしたちのことを
まるで知っているみたいな顔でこっちを見ている
きっと君が
アライグマやペンギンだったとしても
そんな風に
みんな君を見るんだろう

この町で君は生きていかなければならない
ゆっこはアヒルの頬に耳を寄せると
もう一度強く抱きしめる

「ママ」って アヒルは小さくつぶやき
車窓の外側の空に
小さな雲をひとつ見つけると

「ほら見て 
 あの雲さ パパの顔にそっくりなんだよ!」
そう言って ゆっこの膝の上でポンポン弾むと

「ママの顔は どこにあるのかな?」
アヒルの顔に頬を寄せ
窓外を下から透かし見るように
空を見上げるゆっこに

アヒルは大きな口を尖らせて言うんだ
「ママの顔なんて どこにもないよ!」って言うんだ

僕らは知り合った
京都駅発 奈良行きの電車の中で

アヒルの大きな嘴からこぼれた
とても小さな声と
それを胸ん中で 必死に抱きかかえる
ゆっこと出会ったんだ


春の手紙

  fiorina

     さよならの風景は
     あまりにも似ているから
     昨日桜の樹の下で
     だれに手を振ったか
     わからなくなる
     郵便配達が燃やした手紙が
     風に吹かれて
     わたしに届いた
     燃えるよりほかに
     仕方のなかった文字が
     煙になって流れてきた
     紙の上にあったときよりずっと上手に
     わたしはそれを読んだ
     郵便配達の使命は
     手紙を配達しないことだ
     届かない一通の手紙から
     文字は溢れつづける
     けれど
     その手紙をだれが書いたのか
     わたしは知らない
     もう知りたくない


第二次性徴

  佐仲

私は昨日生れたばかりなのに、今日もまた生
れなくては。清流のせせらぎが、私を運んで、
気がつけば汚穢な海。思い出しました。やっ
と。私はあなたにしずめられたんだ。お母さ
ん。

目覚めると、さわやかな草原で純美なうさぎ
をレイプしていた。今まで味わったことのな
い、欲求。知らない。知らなかったの。こん
なの。オオカミたちは狙っている。私の、私
のうさぎをレイプしようと。おまえらなんか
には絶対わたさないぞ! ケダモノたちめ!

お母さんは、どうして、私が生れたのに気づ
いてくれなかったの。たしかに、これ以上は
ないというくらいに簡単に生れてきた。まる
で卵みたい。だけど、あんまりだよ。ひどい!
うさぎの純白の毛が血塗られてゆ、く。ああ
ああ ああ/


肌を焦がす陽射し
肌をなでるやわらかい風
肌を触れ合ういくつもの家族が
小高い丘のキャンプ場
垂直に下げられた無数の釣竿
眩しさにしかめ面の
あどけない子どもたちよ 
君たちは殺される
最愛の人に
水面に映るの
私の顔に
うきしずみ/


私は昨日生れたばかりなのに、今日もまた生
れなくては。うさぎの血走った目を覚えてい
る。私は自分がいつどこで生れたのか、分か
らないけれど。ケダモノじゃあない、ケダモ
ノなんかじゃ。緩やかに流れる清流が、今日
も私を追い詰めている。生れなくては。


ティアドロップ

  ケムリ

センテンスが散乱していくみずうみ
泳がぬ魚の小さなまばたき
静謐を撒き散らす爆撃機の群れ
涙を象る一音のために

ティア ティアドロップ
弦に触れて痛む花びら
天上から落ちるイメージの金色
限りない平面に 落ちていく最後の一音

それはあの子の足先が触れる場所
光の川が流れ着く平野
ゆくあてのないひかりが
ただ あどけなく眠るみずうみ

ティア ティアドロップ
ただの夜に似た群像
やわらかなくるぶしを待ち望み続けて
いつしか ベースソロは終わろうとしている

あの子は何か忘れ物をしたみたいに
足を降ろしたその場所から
生まれ果てたイメージの金色
それは涙を象る一滴のためだけに

ひかり ひかりよ ただ交わってゆけ
せかい せかいよ ただ救われてゆけ
朽ち果てた歌がひかりの粒に果てる頃
みずうみはあなたの足をあらう

全ての歌は その一滴に
全てのひかりは そのあどけなさに
果ての無い満ち潮の中で
あなたは限りなくほどけていく

ティア ティアドロップ
ただ まっすぐに落ちてゆく繋がり
あなたはそこでどこまでも薄れて
待ち望めなかった最初の一音が鳴らされていく

新しい歌のために
落ちていくひかりのために
重なり合った幾つもの眠りのために
描写しか出来ないぼくらのために


乾電池

  みつとみ

 夏風邪が治ったころ。台風が接近する前。あさってには北上し、上陸するとTVが予報を流していた。デパートのミニ扇風機はもう売れ切れていた。わたしに必要なものはデパートには売っていなかった。その帰りに、なくしたものと思っていた、神話の本を、浜辺の流木の陰で見つけた。本は水を吸ってふくれている。表紙の砂をそっとぬぐう。表紙の精霊の女の横顔がにじんでいる。台風が来たら、きっと本は波で流されていただろう。
 本を手にすると、女の声が聞こえる。何を言っているのか意味のとれない、言葉にならない声だ。女の声はかすれている。とぎれとぎれに声は風に運ばれてくるように、わたしの体に伝わってくる。曇った空の隙間から光がかすかに差している。
 後ろポケットに本を突っ込み、わたしは空き地に戻った。けれども乗り捨てられた車はもう撤去され、ただタイヤだけが残っている。タイヤの上に立ち、女の声を探して。どうしたら会えるだろうか。辺りを見渡す。空き地のすみにはコンビニの袋が捨てられている。

 わたしはコンビニに向かった。乾電池を何本か買う。乾電池の数を確かめる。どこに行ったら女に会えるだろうか。台風が来る前の海岸通りは凪だった。自分の鼓動の音だけが聞こえる。通りを右に左にさまよう。きっとあるはずだ。女の声はまだしている。わたしは掲示板の地図により、それに見入った。自分のアパート、浜辺、空き地、道路、バス停、コンビニ、デパート。
 スクラップ置き場。地図の方角と実際の道の方向を確かめ、走った。デパートの裏手から、走ったり、歩いたりして十分、町の自動車工場のわきにあった。
 スクラップ置き場、に置かれた車。高く積まれている車は、不安定に見える。塗装のはげた車、ドアのとれた車、フロントがつぶれた車。そして角の手前にあった、タイヤのない白いセダン。
 近より外から見た。ダッシュボードの上のミニ扇風機。わたしは車のドアを開けた。中に入る。ミニ扇風機を手に取り、スイッチを押す。プロペラは回らなかった。そして、コンビニの袋から乾電池を取り出す。乾電池を入れ直し、ドアを閉めた。ミニ扇風機がゆっくりと動き始める。回った。が、プロペラはすぐに止まってしまう。電池を入れ直す。スイッチを押す。スケルトンのボディから配線を眺める。また電池を入れ直す。スイッチを入れる。動いた。わたしはフロントにミニ扇風機を置き、誰もいない助手席に向けた。風が吹く。プロペラの回る音だけがしている。西日が差し込みはじめている。プロペラの風が吹く。
 その風の先から、透明な女の髪が、光りながら揺らぎ出す。次第に女の姿が浮かび上がる。女は正面を見つめている。わたしも同じ方向を見る。スクラップ置き場の廃車の山の間から見えるのは、縦に切り取られた深く蒼い海だった。

 女はしんきろうのようにゆらいでいる。わたしは半透明な女の手を握ろうと手を伸ばす。女は振り向き、ゆっくりと笑うように目をつむった。指が触れようとする、その端から、光の砂となって、女のかたちをしたものが崩れていく。髪の先が風に舞い上がり、消えていく。わたしがつかもうとした手は、表紙の痛んだ本に変わっていった。挟んであった栞も見当たらない。ミニ扇風機の電池は切れていた。新しい電池を入れるが、もう動かない。壊れてしまった。寿命の尽きた電池がシートの下に落ちていく。オモチャのミニ扇風機を握りしめる。
(わたしがふれようとしたものは)
 わたしは空いた助手席の本に、手を重ね、そのまま、夜を迎えた。本をつかみ、腿の上におく。まだ台風がこない夜は、透明で、静かで、やわらかだった。女が、まだ、そばにいるような、そんな気がして。目を閉じると、光っている何かが見える。本から手をはなし、のばせば、何かにふれられるような。


*「バードシリーズ最終章」/シリーズ中、これだけ投入してなかったので。


雨音

  riala

海に雨が降っている。国道にはひっきりなしに車が通り、水しぶきと雨がどちらともなく互いをこばみ。
老人はつえをついてるのだが、ついていないようにも見える。それほど道路は滲んでいた。老人がいたことに気づいたのは声を掛けられたからだ。声を掛けられていなかったらたぶん家に帰るまで、後ろに老人がいたことを知らなかっただろう。それに僕は帰るってことを諦めてしまっていたから、老人のことを全く知らないで暮らすことだってできた。
「落としましたよ」
雨粒が耳に入り込み、海の底であぶくを飲み込んだように息が詰まった。
振り返り、老人の顔を見る。
何日も雨が降らない乾いた地面に、両生類の背中がひっそりと眠っている。色の抜けた肌。
何も見当たらない事を確かめてから、僕は
「何も落としてません」と答えた。
何も落としてませんよ。

老人は不思議そうに首を少しだけ傾けて、それから僕などはじめからいなかったように雨に煙る海へ視線を移した。

僕らが来た道から、女の人が走ってくる。
スカートが足にぺたりと張り付いてとても重そうだった。
サンダルの足首は水しぶきに消されてしまいそうだった。
息せききって走ってくると、呼吸を整えてから女の人は僕にお辞儀をした。
ご迷惑をおかけしました。
動かない黒い瞳。
彼女は、海のほうを向いている老人の背を軽く叩いて帰り道を促した。
そのまま帰って行こうとする老人のすぐ後ろで、もう一度僕を振り返り
軽く頭を下げた。
背の高い女の人は首を少し垂れ、老人はもっと深く、そばに誰かがいることを知らなくていいくらいに、深く。

愛というものが落とせるものなら、僕は全部落としてきたのだ。
雨のなかに。


水槽

  ケムリ

水のない水槽の中に、脱け殻が残っていた。
今日も不完全な朝を控えて、私は眠り続けて
いる。ゆらゆら、と描く曲線に、わたしのく
びすじにそっと触れる羽根と七つ足の感触に。
ざわめいているのはいつも水面の下での出来
事。

 点滅する電灯の度に、隣室で誰かが悲鳴を
あげている、バスルームからは色のついた水
が溢れ、わたしはまだ窓辺に鳥が訪れる日を
信じている。潮を上げる海がわかる、酷い匂
いのする油の浮いた海の上を、下弦の軌跡で
鳥が過ぎる。

 羽根の痛む背中で、分厚いコートを着た人
達が熱帯夜を憎んでいるのがわかる、車のエ
ンジン音が過ぎるたびに。わたしは冷蔵庫の
中で囁く子ども達を、一人ひとり窓辺に干し
てやろうと思うのに、足先が鼻梁を横切って
いく。

 今は、熱帯夜に疲れた人達が円卓を囲んで
トランジスタラジオを直している時間。少し
ずつチューンされていく、後頭部に抱きつく
七つ足の感触に、節くれた腹が粘つく皮膚を
撫ぜていき、まだ回線は繋がらないまま、鼻
のカテーテルだけを刺しなおす。

 音を探す、海が満ちる前に。水槽の中から
ひかりも待たずに飛び立った七つ足。水面下
のざわめきは、いよいよ大きくなる、わたし
は耳を塞いで流れ続ける、海鳥の群れが同じ
軌跡を描きながら、ただ螺旋を捧げている。

 定められた音律を適切に守りながら、非常
階段を昇っていく群れが見える。白み始めた
月が、海鳥の群れを鮮やかに映して、潮を上
げるたましいのために、全ての蛍光灯の紐を
引きちぎって回る彼らは、わたしの上を七つ
足は歩き回る。

 青白く光る月に、わたしたちはただはにか
んだまま、蘇る強い痛みを待ち続け、防波堤
を滑らかな波がそっと越えていく、グラスに
注がれた水銀の中で、七つ足は沐浴を始める
わたしの肋骨がさかさにねじれるたびに、サ
ーモスタッドの温度はいつも低すぎる。

 水面を切り裂いてゆけ、伸ばした指先から。
わたしの鼻梁を発射台に高らく、格子窓を貫
いて、わたしの肉を腐らせた優しさで、朝を
完全にさせる軌跡を描いて。屋上に辿りつく
人々を、囁くように導きながら。


別離

  軽谷佑子

長いあいだ見えなかった
逆さまに走る
ばらばらに散る

波頭に跳ねてとんで
いくたびのうつくしい夢
月日に身を投げて

遠くまで見通せる
場所に立っていつまでも見ている

髪を伸ばすことに躊躇しない

人のいる寝床を欲しがる
すこし温かくすこし熱い
だんだん崩れていく

おおぜいの水辺に立ち
腕はもうとうに
自由がきかない


ガリレオと八王子駅前で

  Tora

午前と午後が見事に溶け合って タバコを買いそびれた深夜に
八王子駅前の雑貨屋のシャッターを思い切り蹴った
振り子のように行き来する列車に
乗車拒否されたような気がして 泣いた
涙しても顔が引きつる事は無く 
汚い 汚い
コインランドリーでグルグルしたい

待ち合わせの時間が近づく頃
歩道は首輪のついたヤギで溢れかえり
「銘々がメィメィ」とうまいことを思う
感情は大聖堂の鐘のように左右に振れ
いつでも ご陽気だ

久しぶりの再会だったのだから
喫茶店ぐらいには入りたかったが
車道を渡るのが面倒くさくて
二人して ヤギに紛れて駅へと向かう

「明日へ向かったのだから 過去に向かうのは自然な行為だ」

「生きる意味を求めたのだから 等しく死をも求めるのかい」

「いっせいのせ」で駅員を振り切り走り出し
3番線ホームまでのその見事なフォーム
見とれる観客を尻目に二人はダイブ
勢いあまって反対側ホームに着地
「そういえばさっき面白い事思いついてさ」
俺の話に彼は大いに笑い
「くだらないね」とつぶやいて
俺たちはフサフサとしたヤギになって
快速列車に乗り込んだんだ

雑貨屋のへこんだシャッターは翌日には綺麗になっていたし
3番線ホームには「ダイブ禁止」の立て看板
どちらが底へ早くたどり着くかの競争も意味を無くした頃
午前と午後は再び綺麗に分かれた

とても良い日だ


入道雲

  atsuchan69

海を眺望するために
首筋の汗をタオルで拭き、
どこまでも蝉の声に染まる山道を、
ふたり まだすこし歩く。

水気を含んだ草の色にさわぐ虫たち
土の匂いの蒸す、マテバシイの並木がつづくと
ゆるい勾配に散らばるのは 
落ちた枝葉や いつかの木の実。

細く切りとおした山肌の途、
涼しげにゆらめく葉蔭に身を寄せて
丸太椅子に座る妻へと
背負いのリュックからとりだす
双眼鏡と 水筒。

そのとき、風がトンビのように滑空し
 奪おうとした、夏の記憶

海に狂い咲く、入道雲たちが
白く 眩しく もくもくとカタチを壊しながら、
出鱈目な しかし堂々とした姿で
図太く あからさまに浮かんでいた。

「おべんとう、幕の内だからね
「あー 待ち遠しいな、おべんとう

先行く子どもたちは、
きっと今ごろ 山の頂きに立ち、
とうに江ノ島と富士を臨んで
海にうかぶ 沢山のヨットを数えている筈だ。

水筒にいれたカルピスを 僕も飲み、
 双眼鏡を仕舞う
お楽しみは あと暫く我慢、
さぁ、ふたたび歩こうか。




 (註 マテバシイ―ブナ科の常緑高木。実はどんぐり。


いつか小さくなる

  he

とても思う とても思う
左腕が痺れる 電気クラゲ
電灯が消える 伝統で補える
それはそうと、お昼に食べたクッキー
はおいしかった、もう二度とおいしかった。

一人で喋ってると周りの空気が震えている
解ったけれど、でも何にも無くて
財布を叩いても行き場所は見つからない
擬人法に例えるのも乏しく
針葉樹林が空を突き刺す準備をしているその脇で
磨かれた乱数
いつか小さくなる君と、とても痛いけれどビリビリと恋に落ちてしまう
それは決まりごとには届かない 
傘を捜している
消去したシステムや
消毒されたシンメトリーや
どこかに転がってやしないかと
不釣合いさ 非常に

それでも
水道水を入れた発光する水槽で電気クラゲを飼っている
ブラックライトなんて完備してない
照らしたってきっと視やしないだろう
水はレベルの高い艶を保ってる
過ちが それでも 
過ちが
発光がのた打ち回っているから解かる
何となくです

どんな餌を食べるのか分からないからそのうち引っ越します。
クラゲはこの際そのうち引っ越します。
もっと居心地のいい適当さを
別によくある過ちじゃなかった
大きな声では、心まで奪えない
あのビリビリが不愉快だったんだ
だったんだ。

ビリビリ、びりびりが


寂しき者の歌

  まーろっく


夜の底を川が流れておりました
桜の古木は咲いて
花を散らしておりました

寂しき者がふたりして
抱き合い眠っておりました
指をからめておりました

いや、眠っていると見えたのは
もうなきがらでありました
肌に触れる花びらもくすぐったくはなく

いや、ふたりと見えていたのは
やはりひとりでありました
誰もいない夜をもう悲しみようもなく

寂しき者のなきがらは
ほとんど桜に埋もれて
あたりは静かでありました

それでも花は降り積もり
清い砂礫を川が運び
花が埋めて砂が積もり
やがて寂しき者の丘ができ

寂しき者の丘にマンションが建ち
マンション建ってともし灯ついて
丘いちめんにともし灯ついて

星空に舞い去っていくのでした


わたしは今日迎えます

  一条

裸木にからまった一万匹の赤ン坊のおくびが無名の荒れ野を
占拠する 一滴の唾も分泌しないほどに空は乾いてしまった
黄色い液を全部吐いた道の交差で美しい鳩の首がひとつひと
つ折れ曲がるのをわたしはずっと数えている おまえは世界
に突っ込むんだ 周波数のひずみには いよいよ明かりが灯
され わたしのなりたかったわたしが今日わたしの前で悄然
と立ち尽くしている



きれいに飛んでいた鳩をぐるんと巻き込むように動かなくな
った空の渦動の下では なにもかもが思い通りにはならない
内臓が破裂した建物があった ちょうどおまえの肘掛がわた
しのデリケエトな後頭部位を叩き 完全に折れ曲がった鳩の
首時計が遠回りする決して鳴り止まないサウンド・トラック
は不気味な吃音カシオの電気ビート 爆弾の内部へおまえは
向かえ



    母 は こ れ か ら 歌 い ま す
    時 計 は 狂 い ま す
    わ た し は 美しい 精 神 異 常 で す
    お ま え の な り た か っ た お ま え なんて 嘘っぱち
 
 でいた鳩はぐるんと空を巻き込んで動かなくなった私はど
うやら何もかもがうまくはいかないので このあまりにもお
かしな器官を建物の肘掛に置き忘れたわたしのデリケエトな
鳩の首のとても美しい放物線は遠回りするサウンド・トラッ
ク不気味な吃でいた鳩はわたしの向こう側はいつも無効でし
た向こう側にはいつも無効でしたいつも無効でしたいつもわ
たしは無効でした


こらこら、行くな

  ヒダリテ

 夏の夜も白々と明け始めた午前四時半、遅々として進まぬ書き仕事に嫌気がさした私は、何か楽しげな事はないかと、半ばやけになりつつ、ぐるぐるとさまざまな思考を巡らしていたところ、ふと、
「お、妻と、遊ぼう。」
 と思い至ったのである。
 そして、いまだ眠る妻のいる寝室のドアを勢いよく開けると、ベッドの上ですやすやと眠る妻に向かって比較的大声で、こう言ってやったのである。
「遊ぼう!」

 ぐるりと腰にヒモを結びつけた妻と、そのヒモの先を握る私とで、リビングの床に黙って、ただ座る。
「何ですの、これ?」
 と妻は言う。
「こらこら行くな遊びだ。」
 と私は答える。
「……行くな遊び? ……なんですの、それ?」
 と言いながら、腰を上げ、キッチンの方へ妻は向かおうとする。スルスルとヒモが伸びていき、私の手の中から逃れようとする。すかさず私はその先をしっかりと握り、少しこちらへ引き戻しながら、言う。
「こらこら、行くな。」

 う、と、小さくうなって妻は再び私の傍らへ引き戻され、座り込む。ぺたり。
 困った、みたいな顔をして私の顔を見る妻は無言で、しかし、確かに何かを言おうとしてためらっているらしいのが分かる。
「どうだい?」
 と言う私に、妻は何も言わない。
「こらこら行くな遊びだよ。妻。」
 と私はもう一度言ってきかせる。
「眠いのよ、あたし。」
 妻はそう言って立ち上がり寝室のドアノブに手をかける。すかさず、私はヒモを引っ張り、もう一度、言う。
「こらこら、行くな。」

 う、と、また小さくうなって、引き戻され、力なく、ぺたり、と、私の傍らに座り込んだ妻は、ひとつ大きなため息をつくと、無言で私の目を見つめる。
「どうだい?」
 と、また私は言う。……妻の、目。
 数秒間の沈黙のあと、妻は、小さな声、しかしきっぱりとした口調で、言う。
「おもしろくないわ。」
 そのまま妻は私が買ってきてしまったちいちゃな靴を見つめている。
 ちいちゃな靴。妻は言った。
「子供、……欲しかったの?」

 私は思う。生まれるはずだった命に、名付けられるはずだった名前がある、と。
 デパートの子供服売り場で、ちいちゃな、ちいちゃな靴を手に取りながら私は、「大人が殺さなきゃならないほどに、子供が溢れてるってわけでもないだろうに……」と、思った。
 市民プールから帰る子供たちがたくさん乗ったバスの車内で、思いがけず涙していた私を、ひとりの少年がじっと見つめていた。私は、ただただ聞いていた。きゃらきゃらと甲高く響く笑い声。その、にぎやかな車内、そこにも、たくさんの名前は行き交っていた。
 まさお、ゆき、とおる、かおる、ひでき、あいこ、めぐみ、さとし……。
 私は思う。たくさんの生まれるはずだった命に、たくさんの名付けられるはずだった名前がある、と。そのことを忘れちゃいけない。たくさん、たくさんの名付けられなかった名前が、あるのだ、と。

 私と妻は、リビングの冷たい床の上、そのままじっと何も言わず、いつまでも、ちいちゃな靴を眺めていた。
 すっかり朝陽も昇り、人々の朝がゆっくりと回転しはじめた。
「子供、欲しかったの?」
 と、また妻は言った。
 う、と、私は思わず、涙しそうになったが、それを堪え、
「しょうがないさ。誰のせいでもないのだし。」
 と、少し大げさに明るく振る舞ってみせると、妻はちょっと笑った。
「ちょっと早いけど、朝ご飯にしましょうか。」
 そう言いながら、キッチンへ向かおうとする妻の腰から伸びたヒモを、もう一度だけ、ぐっと引き寄せながら、私は言う。
「こらこら、行くな。」

 そして。
 う、と、妻はまた、ちょっとよろけて、ぺたり、と、今度は私の膝の上。妻の首、妻の肩、じっくりと、今、妻の体温。
 もう少し、このままが良い。

文学極道

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