「2016年・年間選考経過」(スタッフ)
「2016年・年間選考経過」
文学極道『2016年間各賞』は2016年に『文学極道詩投稿掲示板』へと投稿された作品のうち月間優良作品に選出された171作品・次点佳作に選出された165作品、80名の作者を対象として、委員スタッフによって1月25日から4月1日の期間に選考会を開催し審議の結果、上記ページの通り決定いたしました。本年度の選考(月間選考と年間選考)はスタッフである光冨郁埜、平川綾真智、石原綾、望月遊馬、清水らくは、麻田あつき、瀧村鴉樹、葛西佑也、チアーヌ(乃村寧音)に外部協力者である百均、オダカズヒコ、浅井康浩を加えた計12名で行いました。
創造大賞には選考推薦として挙がった『澤あづさ』『zero』『泥棒』『あやめ』各氏の内、最終選考対象となった『澤あづさ』『zero』『泥棒』各氏について議論が深められ『澤あづさ』氏の受賞ならびに『zero』『泥棒』各氏の次点が決定いたしました。澤あづさ氏の作品へは、まさに「最もイマジネーションを炸裂させた者」であった、出来不出来もあるように感じたけれども稀な達成をされた方であると思った、という意見などがあり選考委員のほぼ全員が推挙しての受賞となりました。選考委員からは次のような肯定的な意見が挙げられました。《新しい文学を創造する、というのは言うのは簡単。だが現実問題として、それはかなり難しい話だと思う。澤さん作品は自分人生とプライドを、覚悟を賭けて一つの詩に、表現に賭けており、更にそこにおぞましい程の圧縮がかけられており、個人的にはちいさな小宇宙を見ているかのような錯覚を覚える瞬間があり、宇宙とは即ち一人の人間の中にあるのだ、人生とはこうも豊かであるのだ、という発見がある。語り尽くせない程の人生をあやゆる手管を用いて表現するという軒並みならない覚悟、その魂を表敬し、僕は創造大賞として澤さんを推薦する》。 《他の作品群とは追随を許さない執念を感じる》。《優良の三作品どれも再読性に耐えうるものであり作者の独自性を、かなり客観的に見ながら出していて創造の名にふさわしい作品ばかりだったと思えます。これからも素晴らしい作品で勉強させてほしいと思いました》。一方で、次のような意見も挙げられました。《月間選考中にタイトルも書きかえ初投稿作品とは、ほぼ別物となってしまうことには選考当時、疑問を抱いた》。《「文学極道」の傾向と対策を行っていて、それに寄せていることを初読では感じた(ただし、それを思いながら読んでも強度のある作品なのは間違いない)。寄せていかなくても強固な作品を書ける作者なので、もったいないとも思う。もっと自らで詩の世界を引っ張っていける作者だと思っている》。最終的に、詩における独自性と覚悟を現出させた「
ひふみよ。 」の評価が非常に高かったことから創造大賞受賞が決定いたしました。zero氏には、質も量も共に高い作品を提示し続けている本作風で貫き続けるのは大変なことだと思う成し遂げている稀有な作家、歴史的作品たちと充分に渡り合える密度の濃い作品は勉強になった、などの意見が挙げられ、3回目の創造大賞次点決定となりました。泥棒氏には、作者のユーモアは息をのむものがある、繊細さが痛いくらいに感じられる一方で強くまっすぐなものも表現されていて詩として生み出された意味を感じる作品群に意義を感じる、などの意見が挙げられ、創造大賞次点決定となりました。
最優秀抒情詩賞には選考推薦として挙がった『山田太郎』『fiorina』『村田麻衣子』『あやめ』『桐ヶ谷忍』『軽谷佑子』『ねむのき』『右肩』各氏の内、最終選考対象となった『山田太郎』『fiorina』『村田麻衣子』『あやめ』『軽谷佑子』『ねむのき』各氏について議論が深められ『あやめ』『fiorina』『軽谷佑子』各氏の受賞が決定いたしました。あやめ氏に関しては、圧倒的な詩情を持っている、創造賞でも良いと思う今後も投稿し創造を獲って欲しいと思う、幻想的な詩を書かれており印象的、「ように」「ような」を多用しているのに比喩の強度が薄まっていない点が素晴らしい、などの意見が挙げられ、「かのじょの肖像 」の評価が非常に高かったことから2年連続2回目の受賞が決定いたしました。fiorina氏に関しては、まさしく抒情詩であり豊かさを教えられた、年月を経ることで光る詩情を放っている、などの意見が挙げられました。また一方で、作品によって出来のバラツキがあることが気になった、拮抗して悩み推しきれない部分がある、などの意見も挙げられました。最終的に、「フェノールフタレイン 」の評価が非常に高かったことから10年ぶり2回目の受賞が決定いたしました。軽谷佑子氏に関しては、「宿り」一作品のみの投稿だが最も美しく評価すべきである、一作品のみの投稿だけれども抒情詩として最も美しく存在を見せつけている、ひたすらに作品に感銘を受けた、などの意見が挙げられ、9年ぶり3回目の本賞受賞が決定いたしました。また受賞には至りませんでしたが山田太郎氏に関しては、2006年に投稿掲示板の作品に関して印象に最も残った、突然うまくなり詩が伸びあがったという感動を得た、などの意見が挙げられました。選考委員からは他にも次のような意見が挙げられました。《山田さんの作品は読んでいて多分皆意味が分かる。語り手に心を寄せてその感情を知ることが出来る。綺麗な涙を、流す事が出来る。涙を流す文学が至上なのか? …という問いは捨て置かせていただきたい。僕が言いたいのは、今年、文学極道に投稿された作品の中で、一番心を揺さぶられた作品を書き続けたのは、山田さんだったと思うという事だ。それ以外に何が抒情なのかと言われても、答えるのは難しい》。
実存大賞には選考推薦として挙がった『該当者なし』『湯煙』『田中恭平』『Kolya』『zero』『ねむのき』『シロ』『どしゃぶり』『熊谷』『右肩』各氏の内、最終選考対象となった『Kolya』『ねむのき』『シロ』『どしゃぶり』各氏について議論が深められ『Kolya』『ねむのき』『シロ』各氏の受賞が決定いたしました。Kolya氏に関しては、ともすれば薄くなってしまいそうな素材を一作いっさく見事に強度を持って仕上げており逆説的に生を獲得していく在り方が素晴らしい、作者の皮膚からのアイコンを想起し時代性にまで展開していくかの思いを抱いた、などの意見が挙げられました。最終的に「2010年を、すくうため」の評価が高かったことから4年ぶり3回目の本賞受賞が決定いたしました。ねむのき氏に関しては、独自の単語選択にさらに踏み込んでも良いかもしれないが空気感が美しい、昨年の粗くも心に刺さる作品から様相を変えて書きなれてきた美しさが出てきていて更に凄い作品を書きそう、世界観が非常に勉強になる、幻想的な詩の強度が非常に高い、などの意見が挙げられ2回目の本賞受賞が決定しました。ねむのき氏には、去年より技術が上がっているが瑞々しさが詩情を生んでいた去年の作品群の方が勝っているように思えた、などの意見も挙げられました。シロ氏に関しては、実存ということに関して他の投稿者より一枚上手であるという意見などが挙げられ「あな 二篇」の評価が高かったことなどから2年連続2回目の受賞が決定いたしました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《人間を描く、人生を描く、というのは文学においては当たり前である。という事を考えるとこの賞に当てはまる詩人というのは殆どであって、その中から一人選ぶのは大変である。文学極道には優れた人生を描く詩人が多くいる事を考えるとこの賞にふさわしい人というのは全員であると思いながらも、今年一番目に止まったのはシロさんだと思った。シロさんの作品群は多くの投稿者の目線からは少しだけ遠い所にある人生や人、生活だと思っている。そこが他の投稿者にはない視点であり、一歩だけいい意味で抜けている感じがしました》。 また「あな 二篇」に関して次のような意見がありました。《「老いた犬を連れて」という最後のオチが本当に痺れる。「あな」というメタファーは多くの作品で使われる題材であり、故にハードルの高いテーマであろうとおもうのですが、シロさんの「あな」から漏れ出す詩情というのが、僕は単純に好きだった。僕には上手く言葉にはできないシロさんの詩を書かせようとするそのエネルギーみたいなあなの源泉を「老いた老犬を連れて」に見る一方で、やっぱりその正体はわからないという所に魅力を感じてやまない》。
新人賞には該当者6名の中から『湯煙』『芦野 夕狩』『花緒』各氏について議論が深められ『芦野 夕狩』『花緒』各氏の受賞が決定いたしました。芦野夕狩氏に関しては、絶大な存在感だった、一作ごとに様相が変わっていくようなあり方は今後が気になる、などの意見が挙げられ受賞が決定いたしました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《新しい投稿者の中で、最後までしっかり読めてそれなりの感慨の残る投稿者という点で考えると、ユーカリさんの作が頭一つ抜けていたのではないかと思います。傑作という傑作が花開きそうな作が一つあったのを記憶していますが、可能性を一番持った方なのではないかと思います》。花緒氏に関しては、ご自身の文法がある一方で様々な実験も作品ごとに行いあらたな文法を模索している点を評価したい、などの意見が挙げられ受賞が決定いたしました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《一つの追求したいスタイルを既に投稿初期から持っていて、それを次々と刷新していく姿に好感を持ちます。時には緩く童話風、時には硬くドキュメンタリー風な感じに、と引き出しというかアレンジの仕方が匠であって、つまり作品のバランス調整を取るのが上手いなぁと思わせられる作品を多数投稿していたと思います》。
エンターテイメント賞には選考推薦として挙がった『該当者なし』『泥棒』『ヌンチャク』各氏の内、最終選考対象となった『泥棒』『ヌンチャク(ダサイウザム/百合花街リリ子)』各氏について議論が深められ『泥棒』氏の受賞が決定いたしました。泥棒氏に関しては、エンタメは何よりも創造的な作品を作者自身から作り出していく非常に難しい領域だと思う、作者のユーモアは息をのむものがあり何よりも難しいエンタメ領域を引き上げているように思えた、作品が非常にしまっている、エンタメという枠に入れてしまうのはもったいないが創造的価値があるエンタメとして推したい、などの意見が挙げられ最終的に「暗い桜は錯乱し咲く裂く昨夜未明っ明るい桜が散る春の歌」の評価が非常に高かったことから、2年連続2回目の本賞受賞が決定いたしました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《暗く人生を描く、暗く人間を描く、とにかく暗く自己を掘り下げて書いていく、という詩人は多くいたのですが、それをユーモアで明るくポップにパロディやオマージュであらゆる著名人を滅多打ちにしながら笑い飛ばしていく。という事をやってのけたのは泥棒さんただひとりだったのかなぁと思います。エンタメ大賞は上の三つの賞の内、人間の実存と、抒情を兼ね備えた人しか受賞できないと思います。それはつまり「ユーモア」であり = 表現に毒を持たせながらおかしみという共感に変えていくという事であって、それは本当に大変な事です。そして、こういう精神こそが、ネタとマジから始まった文学極道が大事にしてきたスタンスなのかなぁと思うので、ある意味一番の功労詩人だと個人的には思っています》。また「暗い桜は錯乱し咲く裂く昨夜未明っ明るい桜が散る春の歌」に関して選考委員から次のような意見がありました。《「ちんぽ大爆発」この連がとても気持ちがいい。エンターテイメントとは何か。大体の人間にとっては毎日全てが楽しい訳がなく、辛い瞬間がきっとどこかにあって、でもそれらを笑い飛ばしたり気持ちをリセットしたり、パートナーと支え合いながら生きていく物だとおもうのですが、そういうものが40すぎでバンドを立ち上げる男のバンド名から溢れ出すスペルマであり、バカ野郎であり、しかしこれは春の歌であり、どうしようもなくどうしようもなくくだらないそこらへんの才能のない人間の苦しみと、苦しむ人生の謳歌であり、安吾を笑いとばせと言っている感じがして、凄くええなと思いました》。エンターテイメント賞に関しては、エンターテイメント性を感じる作品は今年は無かった、という意見や、自分自身がエンターテイメントとは何かという点で躓いてしまっているため選べない、という意見なども挙げられました。
レッサー賞には選考推薦として挙がった『該当者なし』『すずらん』『園里』各氏の内、最終選考対象となった『すずらん』『園里』各氏について議論が深められ『すずらん』『園里』各氏の受賞が決定いたしました。すずらん氏に関しては、口語体で分かりやすく作品の可能性や希求体まで伝えていく在り方が素晴らしい、作品が読めていることと確かな詩的学術量を感じさせるレスは読んでいて勉強になった、口語でフランクに書きながらも細部と深層をついてくる、作者自身の作品が非常に良いため説得力がある、作品ももっと投稿して欲しい作者でありレスも鋭い、などの意見があり受賞が決定いたしました。園里氏に関しては、相変わらず恐ろしくなるほどの読みであり展開され行間を埋められてこそ作品になる作品を最高の作品に高めることが出来る随一のレッサーに思える、見事な評者である、理知的で読みも深い、園里氏の作品は少し物足りないが評は素晴らしい評論などをガンガン書いて欲しい、作者の評論集なら買いたい、などの意見があり受賞が決定いたしました。
レッサー賞に関しては、個人的には皆似たり寄ったりであり特別抜きんでている人はいなかったと思うという意見や、判断不能でありコメントまで上手く拾うことが不可能であった、などの意見などもありました。
文学極道年間最優秀作品賞には選考推薦として挙がった数作品の中から特に『ひふみよ。』(澤あずさ)、『図形』(Migikata)、『全行引用による自伝詩。(8月)』(田中宏輔)、『水を抱える(botanique motif)』(村田麻衣子)、『詩の日めくり 二〇一五年十三月一日─三十一日』(田中宏輔)、『暗い桜は錯乱し咲く裂く昨夜未明っ明るい桜が散る春の歌』(泥棒)、『2010年を、すくうため』(Kolya)について議論が深められ、各作品の受賞が決定いたしました。『ひふみよ。』(澤あずさ)に関しては、作者の自分人生とプライドを、覚悟を賭けて一つの詩に賭け更におぞましい程の圧縮がかけられており小宇宙を見ているかのような錯覚を覚える瞬間があったという意見、人生とはこうも豊かであるのだ、という発見があり語り尽くせない程の人生をあやゆる手管を用いて表現するという軒並みならない覚悟その魂が作者の作品の中で最も現れていたという意見などが挙げられ受賞が決定いたしました。『図形』(Migikata)に関しては、巧みに創出された世界観の中から飛び出してくる作品からは逆説的な肉感が浮遊してくるように感じるという意見、本作は特に幅が広く飛びぬけて美しい作品を書かれており特に目立っていました尊敬してしまうという意見などがあり受賞が決定いたしました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《月間優良と次点のみすべてに目を通した。その結果、いくつかの気になる作品があったが、一つ誰かに読むことを勧めるなら、こちらの作品を選ぶ。という理由で、こちらを推す》。《右肩さんの作品には裏がある。表現が比喩が読み手が安心して座っている座布団を引っこ抜いて、谷底に突き落とす瞬間がある。逆喩の持つ魔法である。僕らが生きている毎日というある意味で変わらない日常という物がある人たちが目を背けているブラックな感情をえぐり出し表面化させる、裏切りの論理。そこに僕は強烈な抒情を感じる》。『全行引用による自伝詩。(8月)』(田中宏輔)に関しては、毎年新しい詩の形を提示していくということは並大抵のことではなく今年も更なる新しい形式での詩作品を提示してきたことに驚きを隠せない、作者の手腕と確かな詩情には見事としか言いようがなく集大成の作品に取り組み始めた瞬間を見ることが出来うれしい、という意見などが挙げられ受賞が決定いたしました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《引用によって自伝詩を書くという試み、僕はそれだけで素晴らしいと思っています。間違いなく創造大賞としてふさわしい方だと思います。殿堂入りがもったいないですね。引用詩の本当の集大成、最終形態のような感じを受ける…という漠然とした事しか僕はいえないのですけれども、これは澤さんの「ひふみよ。」にも取れる人生という縮図を今まで読んできた本によって表現するということ、本は自身の肉体であり、精神であり、本とは即ち言葉であり、言葉は人であり、人は言葉によって人たらしめられるという事を、この作品のスタイルからひしひしと感じます。その内容も、言葉という歓びを感じるような発見に満ち溢れた鉱山であり、読書する歓びをストレートに伝えている作品だと思います。言葉の愛に溢れた作品だとも言えるでしょう》。『水を抱える(botanique motif)』(村田麻衣子)に関しては、圧巻の作品である、この衝撃的な書き出しに連ごとに上回る見事な詩情が綴られており水性的たゆたいが心地よく人間の黒さを浮き立たせている、作者の作品は全て見事、という意見などがあり受賞が決定いたしました。
そして最後に、本賞受賞には至らなかったけれども十二分な磁場を示した作者と作品を各選考委員それぞれが推薦し選考委員特別賞が決定いたしました。本賞受賞者などの選考を進めていく際、いずれの作者も自身の作風を持ち推し進め深めていて議論対象となるだけの強度を作品で示しており賛否両論を持ち合わせていること、年々作品が明らかに上手くなっている作者の存在が輝いており文学極道の選考がなくとも評価が伴わなくとも自作を究めていくだろうことなどが印象的でした。『桐ヶ谷忍』氏には、静謐な情感が魅惑的に呼び込んでいる、などの意見がありました。『どしゃぶり』氏には、作品が粒立っていて素晴らしく目が離せない、などの意見がありました。『熊谷』氏には選考委員から次のような意見がありました。《躍動した詩情が包んでいきます。女性という立場で書かれた作品は、世界に広げられた連綿として、ある種の匿名性を孕み、だからこそ乗り移ってしまうだけの力を発揮しています。独自性にまで、さまざまなものから獲得に至った過程も見える見事な作品群です》。『ヌンチャク』氏に関しては、いろいろと騒ぎもあったがエンタメに特化した作者として印象に残った、という意見などがありました。『李 明子』氏に関しては、 「望郷」が特に印象に残っている、更に作品を読みたい作者である、抒情であり実存である、などの意見がありました。『鷹枕可』氏に関しては、独自の道を突き進めていて出来不出来の差もあるが読んでいて惹きつけられる、などの意見がありました。『田中恭平』氏に関しては、泥臭く人間的詩を書き続けていっており再読性に富んでいて何度読んでも人間の業について考える作品を書く作者だと思う、などの意見がありました。『三代目全自動洗濯機』氏に関しては、スマートな作風を確立している、などの意見がありました。『湯煙』氏に関しては、実存的で非常に上手いが推すか推さないか迷う、などの意見がありました。「詩の日めくり 二〇一五年十三月一日─三十一日」(田中宏輔)については、web上のリンクなどや生活・引用などをコラージュしていく在り方は個というものを超越する圧倒的力を持っていて「十三月」まである作者の世界すべての月が三十一日まである作者の世界の豊かさを思い震えてしまう、などの意見がありました。「旅と日常の日めくり」(天才詩人)については、単体として強度のある作品であり再読性もあるという意見、作者の作品はタイトルを適当につけすぎている傾向があり影響が濃いとは言えタイトルが一行の詩になっている本作品は好意的に読めた、などの意見がありました。「息子よ」(朝顔)については、実世界の匂う非常に気になる作品である、という意見などがありました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《DV家庭の問題顕在化の過渡期の作品に思えた。出口が見えないが生活を前に進めなければいけない。不登校になり暴力行為も壁にするだけで、これから更にひどくなりそうな問題を抱えているようでもある。父は対話をしておらず精神論で息子を立たせたいと思っているため、これから問題が大きくなっていくだろう。その過程の途中が書かれている。作中の流れが上手く客観視を生んでいる。よくある手法だが客観的にみれなくなる状況が描かれているため非常に効果的。他にも作品を読みたいと思った》。「死活」(飯沼ふるい)については、本賞を受賞してもおかしくない作品、などの意見がありました。また選考委員から次のような意見が挙げられました。《単体として強度のある作品であり再読性もあるという意見、作者の作品はタイトルを適当につけすぎている傾向があり影響が濃いとは言えタイトルが一行の詩になっている本作品は好意的に読めた、などの意見がありました。《「死活」は語り手の人生を延々と掘り下げていく、あらゆる手段を方法を用いて掘り下げていく、どうしようもない語り手の感情を掘り下げていく、辺りに散らばった様々なイマージュを頼りに掘り下げていく、というある意味終わりのない地獄のループを綴った作品であり、読むだけでも辛いが恐らく書くのはもっと辛い。そういうものを最後まで描ききったそのタフさに向けて個人的な賞を贈りたいと思っています》。選考委員一同、大変勉強させていただきました。素晴らしい作品の投稿に感謝いたします。
スタッフ一同