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文学極道の発起人・スタッフによるブログ

7月分選考雑感(一)文責 浅井康浩

2010-08-22 (日) 03:11 by 文学極道スタッフ

2010年7月分選考雑感(一)文責 浅井康浩

4575 : 雨期  鈴屋 ('10/07/26 23:23:23)の選考雑感

>木陰で紫陽花の青が光っている
>踏切ではレールが強引に曲がっている
>側溝で捻りあう蛭の恋愛

そう、このようなどぎつい光景を横目でみながら、私はつぶやく

>あなたはただ単に明るく生きればいい存在だ

そう、このような複雑な世界から身を隠して。
しかし、「あなた」は何によって「ただ単に明るく生きれ」なくなるのか。

>ふり返ればあなたの住まいは、もやい舟のようにたよりない

のだとしての、家の「内/外」の区別ははっきりしており、家の外の上記のような光景が、家の内にある「あなた」の空間を侵食した形跡はなく、あなたはただ、
>わたしを見送る仄白い顔も窓から消えた
というように、窓からそとをながめていただけなのだから。

だとしたら、家の内側にいるもの、すなわち「私」の存在によって、
あなたは「ただ単に明るく生きれ」なくなるのだろう。
私がいるから、あなたは、私があなたに望むような生き方ができなくなる。
私によって、あるいは、

>無防備に晒されているひかがみ、きつく跡付けられた二本の湿った皺、そこで折れ曲がっている静脈、足の裏の秘密めいた汚れ、

を盗み見てしまう私。窃視。室生犀星をイコンとするこの性の欲望があなたを対象として機能してしまう私によって。

そして窃視者にとってこれほどフェテッシュな場面もない。「無防備」「きつく跡づけられた」「湿った」

これは、わたしが嫌悪をもって描いていた
>側溝で捻りあう蛭の恋愛
よりも、ある者にとっては官能的であり、自分の欲望に気付きみずからを滅入らすのに十分なものである。

しかし、この欲望は、あなたを裏切るだけでなく、わたしをも裏切る。
この視線はおそらく、欲望を志向することはするが、室生犀星のように激しい勃起へとシフトするストレートな欲望ではなく、けだるさ、ある種のむなしさに特徴づけられるものだからだ。

窃視により明確となるのは、フェチの記号としてあらわれてくるおんなの肉体ではなく、室生とは逆に、志向される欲望は形と方向を与えられず、けだるくくすぶっている自らの身体をみいだすだけだ
窃視しながらも、みずからの視線は宙をさまよったまま対象をみつけだすことができない。
だからこそ、
>もう一度あなたの姓名を呟いてみる
ことしかできないのだ。
だからこそ
欲望をおんなに読みとられてしまう前に、あるいはおんながいることで意識してしまう自らの身体が欲望そのものの機能としてしまうのをすんでのところで回避し、しかしそれが先送りでしかないことに私自身がぼんやりと意識できる場所として相応しい場所をさがしに
わたしは、私自身を家の内側からねじきるようにして放擲しなければならないのだ。あなたがただ単にあかるく生きるために。

そう、駅舎の前で傘をさしたまま一服する私に、このような選評が書きつけられる。
晴天の中を雨が通り打っていく。明るさの中に湿りと靄が浮き、私とあなたの関係性のなまめかしさを再構築する、と。
あるいは、梅雨の描写が身体感覚にまで及んでいる、と。あるいは、
ツカミが少し苦しく、やや足りなかったり余分だったりしつつも、綴りは地味ですが悪くない詩情が灯ります。言葉のセンスは古いが、それが却ってさみしさを静かに虚ろに照らしている、と。

4576 : 百行詩  田中宏輔 選考雑感

>形式が決まっている分、もっと内容の、枠からはみだそうとする運動を求めてしまう

という選考での言葉がある。
素数、完全数などの注意を払うことはいくらでもできたはずだが、あえて1〜5、5〜10というように、ストーリーを決まった数字ごとにまとめてしまったことは、1〜100を数字そのものとして記述することを断念してしまっているし、数字がストーリーに従属してしまい、数字そのものの手ざわりが、巨大なマチエールをつくりだし、数字の後に続く言葉を飲み込んでしまう事態はおこることはないだろう。

このような形式でもとめられるのは、
数字そのものがどのような形態となって、磁場の中にあらわれてくるのかどうかであり、
1,2,3、4と、ふえ増え続けてゆく運動が、言葉そのものとどう拮抗するのかということだろう。
数字そのものが、文脈を生じさせないこと。それとともにそれそのものが運動と化すこと。

たとえば、CGに数式をプログラミングし、数式そのものを具体的な運動として提示する木本圭子の言葉「快いのは動きのかたちではなく、動きを想像することなのだ」
そう、1から100まで不断にふえつづけてゆく運動のダイナミクスを言葉としてどうあらわれてくるのか、を想像しながら、言葉をかきつけること。
それが、このような形式においてもとめられることではないだろうか。

とはいえ、選考においては、読み手の想像を超えたところから詩作が始まっていることに、新鮮な驚きを感じる作品です、という意見などありました。

a piece of  yuko ('10/07/05 00:21:17)の選考雑感

>オッサン受けしそう
という選考での言葉通り、釣れたオッサンがマジメに語っています。
>自分を世界の中にちゃんと配置できていて、且、この人の技法=シュルレアリスムは
シュルレアリスムの本来の意味でイマジネーションにおける作品の”現実”を際立たせている。
オッサンじゃないひとはこう言っています。
>奥がない。体熱が希薄。。
>作者の意思よりも、感動した作品をなぞっていくような後ろに回る感情が大きい。
>特に、挿入されている会話のような部分がはまらなかった。いたいたしさを感じた。

文責者は、作者のもうひとつの作品のみを次点とし、ほかは落選としたものだから、
この作品が優良に選ばれてしまったことで、自信をなくしている。
そして次点になったこの作者の作品について書きたくてウズウズしている。

4545 : まいそう  yuko 

一見、何も関連のないように見える貝殻を拾う私と、階段を上る奇形児たち

>かいがらたちを、いちまいいちまい、棺のうちがわにはりつけていく。なにがここに葬られるのかは、まだ知らないけれど。
といいながら、貝殻を拾う私と
>いっせいに身を投げる
ために階段を上ってゆく奇形児たち

非生産的な、あるいは、何の意味を持つのかはっきりわからない行為にひたすら没頭してゆくものたちを書いた一連と二連は、
・貝殻を詰めて棺を「構築」する行為/身を投げて自らを「破壊」する行為
・生→死をわかつ海岸へと「降りてゆく」私/DNAなどに象徴される生の象徴である螺旋を「昇る」奇形児
・探す営為をおこなっている欠損として認識されている私/そうしつによって完成された奇形児

など相反した行為の唐突な結合などが、なんの関連もない両者の間に象徴的に読みとらされてしまうことによって、「非生産的」で「無意味」な行為の連続を、独自のマチエールをもつひとつの行為として「はかなさ」「うつくしさ」をくわえることに成功していると思う

そしてここで重要となるのが、以下につづく文章が、意味や象徴からいかに身をよじらせるように脱却しているかが書けているかであり、(行為に意味や象徴をもたせるのではあまりにもありきありなので。)行為の空虚さそのものが題材としてうまくとりあつかわれているかどうか、だろう。

あと一点、重要なことは、物語を事後の視点から語るのではなく進行しているプロセスそのものとして
かたることはできないか、という点だと思う。
行為になんらかの意味を見いだすことができないという現われ方のなかで、それを自身の物語の中に回収し統合することでなく、私の視線によって出来事に秩序が与えられ(おおくは矮小化された)物語となってしまう回路を断ち切るために必要なプロセスは、作品が陳腐にならないための最低限の処置だとは思うのだが。

そのような意味で、最終連へのつなげかたには疑問をもってしまう。

a piece of  yuko には、他にも

>この作品ではyukoさん独自の手腕がよく見られてさらにまた嬉しかった。
今年一番の逸材の一人だと思う。
>巧く綴れていると思う。題材的には80年代90年代から進めていないようにも思えるけれども、それはそれで良いと思う
>もっと繊細な筆致であったなら優良作品に推したいんですが、ちょい足りない、酔いきれない、ウソ臭さが拭えない。

等の言葉が寄せられています。

4555 : おばあちゃんの畑  野の花ほかけ 選考雑感

ポエムに拒否反応を示す人の、ポエムをよむ際の苦しさは、なにも物語全体が甘美な世界観としておおわれているのを見るからでなく、ポエムであるかそうでないかのギリギリの境界を、作品への期待を(だがなんの期待なのか?)こめて読みながら、しかし、ものがたりの世界観が終盤に差し掛かるほどによろめき、ポエムにならない程度の限界を超えて、ついに安易な世界観のほうへと逃れてしまうこと、つまり作者として書ききれなかったことを露呈してしまう過程そのものがあからさまにみえてしまう、ということにある。

物語の構造は簡単だ。
>甘い匂いが漂うのです
>懐かしい記憶の鈴が鳴るんです

というプルースト的予感をさらりと書いて、

     +

と間を置く構造から展開される物語、と書けばだいたいはわかる。
そして過去を振り返り追体験するだけでなく、その情景から

>みけと一緒ににまどろんで まあるくなって そらに昇って

というように、記憶がねつ造されるのではなく、いつのまにか現在進行形となってあたらしい体験をしている、という場面へと流れて行くことがどのように書ききれているか、というのが、この作品の評価となる。

たとえば、前半において
>そいつを「ガブリ」とやるのです
>「ゆっさゆっさ」と七月の風にも負けずに「すっくと」立って
という人物像から、
>猫に「ちゅぅ」
>夕焼けが 西の「お空」を焦がしても 「だあれ」も呼びに来ないから

という人物像の転換は、
>作者の母に振り返って貰えない寂しさ
をあらわしているというよりは、粗雑さを、あるいは展開の説得力の無さを示すものとしてあらわれてしまう。

また

   三毛猫が、
   足音立てずにやってきて
   少女のほっぺを ぺろん、と舐めた

というような、過去にさかのぼったわたしが語っている物語なのに、いつのまにか
私を「少女」と名付けて語る第三者の視点に切り替わってしまったりする点も気になる

>みけと一緒ににまどろんで まあるくなって そらに昇って
という展開が、
>だあれも呼びに来ない「から」

の「から」に込められた心情を補完するものとして機能するには、その後の展開は弱いとしかいいようがない。

最後の点に関しては、選考において
>ラスト、空まで連れて行かれました。

>良い作品なのに最後、技巧もどきに走ったことで損をしているように思えます。
>素直な素朴な良質さがあるので、そのままいって欲しかった

>詩情には乏しくとも、読んでホッとする。最後の記号はいやらしく、却ってマイナス

との意見がありました。

また、全体に関する点として
>文字の配置や余白の刻みかたがかなり重要で、携帯からでは読み切れません
>年間賞の候補として一考すべき良作だと思います

との意見もありました。

4529 : 神のもん  右肩

この作品は、読み込めなかった。
そのため、選考の際に書かれた言葉をランダムに抜き取っておく。

とにかく読ませる力があり、流れが詩的です。だからこの作品はとても優良だと思う。

会話が少し冗長なのでシェイプして欲しい。
? の後改行しないで続けるときは一ます空白(□)を入れること。
会話のあと黒雲描写になり、高天原の話に鳴る構造には迫力がある。

会話部分が冗長に感じられるのは、バランスが悪いからだと思う。連作にして、分けても良かったかもしれない。「コバチ」は好きです。「泣いてもだめです」はうっとうしいと思う。

会話部分の起伏の無さと造りものっぽさに、ずっこけます。
後半だけでも充分にいいのでは?

右肩さんですが、
詩人というよりも職人なので、プロットと裏切りを全て計算でやっていて、
毎回の作品からの詩情や立ち上がる捻転は、
精神と精神のぶつかり合いとは少し立ち位置が違う、批評的眼をこらしながら丁寧に運ぶ綺麗な出来のものだと(私は)思っています。
今回も最後の裏切りへ向けて長めの助走を入れて計算で持っていっているのだと思います。
ただ、私は裏切りがあると見えていたので次点にしていました。

僕がどうしても引っかかるのは、右肩さんの「神のもん」です。多数決からいくと、文句なしの「優良」だと思うのですが、作品の出来自体からいって、本当に優良なのか、僕はどうしても納得できない部分があります。
 
 作品の大半を占め会話部分は、イタイ、としか言いようのないセンスを欠いたものであり、後半で右肩さんらしさが出てくるとしても、前半の下手な会話部分が重くのしかかりすぎて(軽妙な会話を狙ったはずが・・・)、どうにも説得力のない作品になってしまっているような気がします。これが文学極道の月間優良作品になって本当によいのかなと、かなり疑問なのです。

 もちろん、みんなの総意が大事ですから、「優良」になっても異存はありませんが、僕自身の後学のために、「神のもん」の良さを、教えて頂きたいなと、面倒くさいことを承知で、こんなことを言ってみました。すみません。

右肩さんの「神もん」はぼくも全く論外の作品だと思うんですが、(優良に)推してる人が2人いるんで”自動的”に優良枠に入ってますね。ぼくもそのへん(どこが良いのか)を訊いてみたい気がします。

まず仕組みを二重に読みました。
ひとつは、下敷きになるイメージというか、骨格なのですが、これは市街地爆撃とか限定核戦争のイメージが、我々の時代の常識として共有されてしまい、「幸福の限界」として前提にされている状況を利用している、と思います。どんなにイチャイチャしてても、先はどうせ暗いのかもよ、と。逆からみれば、ここをつけば共感してもらえる、というスポットとしてそれがあることを意識して、そこを突いてきていると思います。

しかし、それをほんとうに戦争のイメージとしてしまうと話が薄くなってしまうからでしょうか、そうは読み取れないレベルまで拡散させて、「なんらかの巨大な不幸・不条理」が起きたのかもしれない、という不穏な雰囲気だけ残しています。

第二の、上にかぶせた層ではさらにもう一枚遠く、「なんらかの巨大な不幸・不条理」すらも起きてはいない。

その結果として曖昧な、ゆえに強い恐怖を喚起する作品となっていると思います。
普通に生活していても、恋愛なんて船子板一枚下は地獄です。そういう、「幸福感の限界」をよく描いていると思います

神のもんの前半の会話は下世話なオヤジギャグで、あんなことばかり書いていれば勿論落選作扱いにするけれども、描かれようとしているこの作品の目的、神的なるもの=戦慄を際立たせるために卑近なことを書く必要が構造上意味がなかったとは思えない。戦慄を描くこと、これは文学芸術の主目的の一つだと思い、私も挑戦しているけれども、接近の方法が私とは全く違うので興味を持った。後段の神的な感覚について柳田国男などの日本作家の影響を全く受けておらず、よーろっぱ発の俺には新鮮に感じられるのかもしれない。アフタヌーンに何年も連載されていた「夢使い」は女の子の絵柄は最高に可愛くて萌たが世界観、ロマンにはすぐ飽きて読むのを止めた。この作品が、ああいう陳腐化に落ちないのは後段の王道ともいえる写実描写で現実を暴きだすための超現実が使われているから。パンタグラフがバチバチ火花を放ち薄明に再点火する異化作用のイメージがちゃんとした写実描写の中にあるところを買う。親父ギャグもこれで生きるしね

4556 : 思考する蟹  たけのこ の選考雑感

移動や旅についておもいをはせるとき、居住という点について触れることをわすれるつもりはない。居住/移動。これは旅においては中心⇔周縁となり、あるいは起点と終点となるからこそ「帰還」という安定した枠組みをつくりだし、移動や旅の「前/後」の「物語」をつくりだすことに貢献してきた。そして、現代において、移動/旅について描こうとしている人々は、この「帰還」という枠組みを採用することについて、ためらいを感じざるを得ない。なぜなら、居住の形態そのものが変質を被っているのであり、安定した枠組みをうしなった者は、移動の途上に置いて、自分自身がなにものでもないことを、そして周縁にて出会う相手についても、自分自身がなにものでもないかぎり相対化することが困難となることを知るからだ。だからこそ、移動/旅は、「帰還する私」へと直線的に続くひとつのプロセスではなく、途上に置いて他者との混合を余儀なくされる彷徨となる。
移動そのものが、どれほど嘆こうとも、喪失された過去というアイデンティティの構築というひとつの「帰還」に関わっている限り、
>すべては曖昧にして、終わってみれば無駄だったと気付かされる 。
とは、うしなわれたことや喪失ではなく、自己への延々たる営みへの安息や満足の表明となるしかないのであり、小細工としてなにがでてこようとも、興味をそそられる程度のものではない。

ほかに選考では
>こんなに書ける人だとは知らなかった。
>書くことある人の詩を久しぶりに読んだ気がする。
>この内容でただの独白だったらうんざりさせられるだろうが、
>上等なロードムービーになっている。

>決して上手くないし、技巧も成立していないけれども、ダサい感慨が人間の不器用さを際立たせ興味を引きます。詩は最終的に、やはりその人間です。
>にじみ出ていて、それが良い。傑作ではないダサさが素敵。

>意欲的に取組んでいる事がそのまま作品にも表れている。ただ「何を書くのか?」これをもう少しはっきりとさせた方が良い。

>借り物の羅列、としか読めませんでした

>細部が甘いです。たとえば「‥。」という表現はカッコ悪いと思います。

との意見がでました

4550 : さっちゃん  はゆ の選考雑感

友人に「またね」と手を振られて以来、10年という月日をかたくなにバス停でまちつづけた「さっちゃん」は、結末においてその「待つ行為」が救われているように持続ということにおいて忍耐強い、あるいは一途な「少女」というべきか、それとも、その年代においても「またね」の多様な意味付けの理解ができなかった点に置いて、あるいは待つことへの異常な固執において先天的な障害があったのか。そのような質問がなされることはまずない。それとともに、
ここで記されている「さっちゃん」の特徴が「さっちゃんの小さな身体はふるえ」としてしかかかれておらず、年齢も書かれていないのに、読み手はその年齢を推測することが極めて容易であり、質問がなされることはない。そして、「さっちゃん」の着ている水玉模様のワンピースがたとえばBeBeなのかコムサなのかなどの詮索がなされることもない。あまりに純然な「グッド・ガール」をめぐる物語であり、それ以外にいうことはなにもない。この主題を「グッド・バッド・ボーイ」の物語として書ければ、いうこともでてくるだろうが、「ガール」のイメージにそって書かれたものでしかないので、とくに書くこともない。

選考ではほかに
>ワンピースの水玉が増える以外全く細工がないのが難点だが
>技術もないのに小細工に走るよりずっといい。

>人間版の「忠犬ハチ公」のようなプロット。読みやすい文章。
>詩情とは少し違うのですが、十分だと。

>くだらないっちゃ、そうですが、僅かに機微に触れます。

との意見がありました。

4545 : まいそう  yuko の選考雑感

個人としての雑感は、上記にかいたので、ここでは、他選考委員の言葉を挙げる。

>巧いです。右肩さんのように少し自分がないところもありますが、職人としてよりもフォロワーとして、影響を受ける詩人としてきちんと身を立てています。最終の二連が非常に安定的で、少しの裏切りがあった方が良いのでは、と気になりました。もっと表面的でもよいのかもしれません。

>第2連で丁寧に書き表したことが第3連の「奇形児」という一語で無駄になってしまった。
>強い言葉には注意しないと。

>比喩や接続は上手です。が、相変わらず響かないです。
>詩作が上達する事と詩情の有無は、必ずしも比例しない。一言で言うなら、凝っているし丁寧だけれども退屈な作品。

との意見がありました。

4577 : 蝶の葬儀  しりかげる の選考雑感

各連の一行目を見てみると、端的に日本語が間違えられている。
「わたしの少女」「ささやかに降りしきる」「塩水」への呼びかけ、ほとぼりが宿される赤子、という語彙。

ただ、あえて間違った日本語を書きつけるという行為は、操作された欲望として言葉をおおってしまうということであり、抒情なら抒情へとシフトしてゆくための工夫がなされないかぎりは、空虚な反復として繰り返されるにとどまってしまう、ということに気付くべきだろう。
もちろん、このような間違った日本語の連鎖と、繰り返されるリフレインは読み手の中でなんらかのひっかかりにとらえられ、間違った日本語は間違っているがままに新たなイメージとして読み手の中で再構築されることもあるのだが、そのことを踏まえたうえで、間違った日本語が、間違ったイメージのまま新しい語彙となるとき、その言葉の射程はひろく見積もられていなければならない、ということは念頭に置くべきだろう

間違えられた日本語はたえず読み手の中で、「間違えられていないもの」として再生し、その「間違えられていない」日本語の帯びるマチエール(素材感)が、物語全体のガジェットに浸透してゆく作用がある。
だからこそ、全体に浸透するような、突出した素材感をもつ間違った日本語を書かなければ、この形式としての成功とはいえないのではないか。
そしてこの作品は、それに成功していない。

ほかに、

>リフレインがくどくて情緒過多の印象を抱いたが
>美しいのでぎりぎり次点に推挙。密度が足りない。

>あんなに下手だった作者が、だんだんと上昇してきている。単語というか綴りというかもっと独自性を深めるべきだとは思うが、書きたい思いを作品化することが出来るようになったということだけでも注目すべき。
>よく使用される強めの単語には既視感があるし、独自性はないが、それでも作者の詩への思いと、そこまでの人間が見える作品。

>リフレインが好みなんだろうが、活きていない。現況、リフが冗漫さを助長させているだけなら、断定の方がベター。
>チャレンジ精神や着想は買う、その上で、もっと読ませる工夫を望む。ごちゃごちゃと賑やかな分だけ陳腐。丁寧さと過剰は違いますから。

>耽美的、とうのだろうか。美に淫しようと努力してしまう感じが、私は嫌いではないです。しかし、変態道を 往くには、まだ浅いかなあ、と思いました。

>くりかえしがわずらわしい。

などの意見がありました。

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7月分月間優良作品・次点佳作発表

2010年7月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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2010年6月分月間優良作品・次点佳作発表

2010-07-24 (土) 11:04 by 文学極道スタッフ

2010年6月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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2010年5月分月間優良作品・次点佳作発表

2010-06-25 (金) 11:35 by 文学極道スタッフ

2010年5月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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2010年3月選考雑感

2010-05-23 (日) 21:57 by 文学極道スタッフ

今月も勉強になりました。
ありがとうございます。

今月は、

4242 : ポエム  ぱぱぱ・ららら ('10/03/09 21:51:53)

4253 : 笑う男  鈴屋 ('10/03/15 00:55:06)

4261 : あなたは空の白鳥で、衛星があなたと僕を見ている  右肩 ('10/03/18 01:39:09 *1)

4250 : 死神  ヒダリテ ('10/03/12 23:31:48)

4272 : 海の指紋  椎葉一晃 ('10/03/26 03:42:54 *1)

以上、5作品が月間優良作品に選出されました。

4242 : ポエム  ぱぱぱ・ららら ('10/03/09 21:51:53)
「日の消えたお香」の誤字が気になりはしたが、凄烈、形骸から生まれる思想、詩と詩を書く者との苦しみと、どうでもよいことと、そして媒体、すべてがある新形態に思える、徹底したフォーマットには詩の角度ではない詩が見えてくる、という意見がありました。誤字があるけれども、それでも良いかな、と思う、簡単なようで、とても難しいことをやってのけている、読み手も幅が広い(思想を理解せず読んでも理解して読んでも読み応えがある)、という意見もありました。作者を良いと思ったことはないが、改めて読んでみると、今後エキサイティングなことをどんどん書いてくる予感がある、という意見もありました。面白い、出来そのものよりも、言いたい事や伝えたい事が混濁していない潔さ、明瞭な輪郭と話者の意志を買いたい、瑕も寧ろ魅力的、普遍的な問いかけにもなっている、記述的には相当にパーソナルであっても独善に堕ちることなく、「詩」に踏み留まっていて、そうした危うさが同居しているのも、良い、という意見もありました。

4253 : 笑う男  鈴屋 ('10/03/15 00:55:06)
全く普通の情景、笑うということで世を渡れる醜悪の確認、一瞬一瞬を確かな言葉と描写で病のように打ち出していく、作者は詩誌受けしそうとの言葉もあったが、最近の詩誌には見受けられないタイプだと思っている、という意見がありました。ただの雑記だったらうんざりするところだが、第2連と最終連でちゃんと空間の中に配置し、垂線を導入している、上手く書くことを心得ている人だが、その配置の中で何が生きているのか、ということが、年間選考の際、指摘されたダメだしに繋がるのではないかと思う、ミスタイプが一か所あるのも気になる、という意見もありました。狂気云々よりも、浪漫なんじゃないかしら、オトコのね、ちゃんと笑えない哀しみ、ではなく、ちゃんと泣けない故の笑い、喜怒哀楽その全てに笑いは顕れる、共感装置としては機能しにくいところはマイナスなんだけど、という意見もありました。

4261 : あなたは空の白鳥で、衛星があなたと僕を見ている  右肩 ('10/03/18 01:39:09 *1)
上手、圧倒的な美しさを計算して見事に作られている、という意見がありました。行頭空白や独自の改行は、当人の意図は知らないが見た目が悪いとしか思わないが、内容はとても良い、美しい空間構成、新鮮なイメージ、話者と対者のありようも色々言われているがこの作品ではシンプルなままの方がいい、という意見もありました。階層的な発想や、絶望と希望の役回り等々、よくよく考えてあって感心頻り、ただ、これ、最終連をどうにかすれば、目眩しそうな傑作となったんじゃないかというような、錯覚かもしれませんが、そんな予感の方が勝ってしまうんですよね、贅沢な期待でもあり、ある意味では酷な期待だとは知りつつも、という意見もありました。

4250 : 死神  ヒダリテ ('10/03/12 23:31:48)
プロットの勝利、読めて良かった、そしてさりげない日常生活が、どこまでも通る奥行きを出している、という意見がありました。ありがち、といえば、そうです、読み易いのはヨシとしても、再読されるSS仕立てにするには更なる工夫が必須、作者はビギナーではないので、「そこそこの作品」は期待されていません、という意見もありました。ちょっと微妙な感じがします、詩人いこーるカリスマでなきゃいけません、という意見もありました。
※本作品への右肩氏のレスポンスの見事さに言及するコメントもありました。付記しておきます。

4272 : 海の指紋  椎葉一晃 ('10/03/26 03:42:54 *1)
いくつかのプロットが波打ち際のルフランのように和音を成している、こんなに美しい文章は久しぶりに読んだ、という意見がありました。これは素晴らしい情景詩だ、作者の能書きや番号は無視して文章だけを読んでみて欲しい、全てのプロットが美の和を成している、という意見もありました。それなりの力量はある書き手なんでしょうね、ってことは判る、ただ、端から指示された通りに読む気にさえなりにくいのは、単純に「おもしろくない」からです、また、読み手に媚びる必要は無いけれども、こうした言語遊戯然とした外観では、作者は楽しんでいるかもしれないが、マニアックな読者にしか読まれません、所謂巧拙以前の話ですね、詩の読者の99%以上は、不親切であり、唯我独尊的であり、飽き易く、そして予めひどく疲れていたりもします、更に、こうしたアプローチを数多の書き手が採用しない、その最たる理由は、この手法が読み手に期待過剰故だからに他なりません、「実験的」と言えるほどの斬新さも無い、違う傾向の作品は読んでみたいですけれども、学級会の発表じゃないんだから、これを評価しちゃダメなんじゃないかな、と、という意見もありました。

さて、次点佳作作品について触れていこうと思います。

4233 : 架空  宮下倉庫 ('10/03/05 19:39:16 *1)
寒々しい、本調子ではないものと思われる、という意見がありました。 スタイリッシュで上手い、作者は完成されてしまっているため、挑戦して欲しいという思いを読む度に抱く、今回は挑戦が薄い、その上での完成度が今まで上げたハードルよりも下にあるように思える、創造大賞を獲った故に読み手の眼を肥やしてしまう大変さがあるので応援したい、という意見もありました。たとえボケ全開であったとしてもガッツリとレスしたくなる数少ない書き手ですね、サラサラッと書いて(もちろん、実際にどうだかは知らないが)食いつきどころ満載なのが魅力、僅かな種子を、如何に咲かせるか、そこに書く醍醐味も読む楽しみもある、この作者の「実力がある」かどうかに興味は無いけれども、凡作を公開しないのは確かで、そこも粋ですね、という意見もありました。

4217 : 日の生まれていく、日の、  黒木みーあ ('10/03/01 09:18:11 *1)
人の孤独は他者と触れ合ってより強固になっていく、そのときに交換しあう性は一人では完結しない階上を覚えるに他ならず、それはすぐに自らを意識させ、孤独としての人間を日に置いていく、上手すぎないので、余白もあり、共通世界を上手く置いていく良作、という意見がありました。あまり「女性的」だとは感じませんね、それへの引力等は無いに等しいのでは? 佇まいは整っていますが、習作ノートの匂いはしますので、切りにくいけど推し辛い、何かしら発明したら急に伸びそうな資質には注目しています、という意見もありました。この人には独自の才能があると思う、という意見もありました。

4223 : 偽物の猿の目は青い(東京の憂鬱編)  ぱぱぱ・ららら ('10/03/01 20:44:03) 
オリジナリティを排除した運び方が印象的、最初の惹き込み方にしては、最終での回収が弱い気もするが、それで良いのだと思う、過程が過程として完成している小品、という意見がありました。とっちらかってはいますけど、ストレンジな味わいはある、トゥルルルは真実とも掛けているのかな? いずれにしても符丁として適役ですね、さりげない無常の封入も悪くない、という意見もありました。劣化村上春樹のような作品だ、という意見もありました。

4262 : 散歩者  りす ('10/03/18 18:14:17 *1)
散歩者は、散歩コースという風景に欠けてはならないものとなる、ならないものとなってしまったので、いつまでも歩かないといけない、最近の作者の作品は、作者としての老いに真正面から立ち向かう妙味があると思う、祭りの後の美しさというか時間が作る味と、筆にきちんと向き合うあり方が深淵を生んでいるのだと思う、10年後の作品は染む味を、どのように受け止めているのか気になっている、という意見がありました。全然、ピンとこない、という意見もありました。この書き手にしては珍しく生真面目に書き、それが見事に裏目に出ているように思えます。巧いんですが殆ど拾うところが無い、丁寧なんだけど無意味に婉曲で窮屈な印象、妙に老成してもらいたくはないし、そもそも「ベテランの域」で達観や境涯について盆栽みたいなのをグダグダ書くくらいなら冬眠した方がマシでしょう? まだ若いんだから身の丈にあったものを書くべきで、枯れた内省は寝たきりになってからでも充分に間に合いますよ、という意見もありました。

4269 : How not to pray  岩尾忍 ('10/03/24 21:18:19)
自己批評的眼差しが溺れさせないまま紡ぎとは何かを問いかけてくる、上手い、そして世代の狭間の澱を吐いている、完成形ではない所が印象的であり、作者のこれからを期待させる、という意見がありました。聖なるものは要らないと言いながら聖なるものとの断ち切れない関係をちゃんと描いている、対比に「人間の屑」は大袈裟だが、おおむねいい文章だと思う、生の強度あり、一箇所タイプミスあり、俗を俗としてステレオタイプに書いちゃうところや文体の粗雑さで迷ったが、再読して、この粗さは荒さでもあり、買ってもいいと思いなおした、という意見もありました。「あー、巧いな」とは思う、熱心さを買うが、この路線は歓迎したくないです、入っていくのに戸惑う、残るものは意外なくらいに少ない、手間暇に比しての結実が乏しい、という意見もありました。
※本作品へのりす氏のレスポンスの見事さに言及するコメントもありました。付記しておきます。

4249 : グッド・バイ  丘 光平 ('10/03/12 18:28:22)
三連の極上は必見。最終連、毒がきちんと回っているにしては弱い綴りに思える、この作品の場合、タイトルで帰着場所が提示されている、その「グッド・バイ」が、内実の鍵となっていて、間の綴りの実へ過剰な期待をしてしまう、綺麗にまとめ過ぎている感もある、三連の極上さがそこのまとめ感を浮かせてしまうのかもしれない、作者の好調さは伺える、という意見がありました。最後の連は、死別した人の言葉だと読んだが、伝わらないですね、これでは、肯定じゃなくて、菜の花畑に火を放ちたいほどの不条理感が諦念の底にはあるのではないか、という意見もありました。途中までは輪郭も含めて綺麗、でも、この最終連はアウトなんじゃないかな? 凡庸だし、なんせ大宰よりは相原が連想される時点で既に苦笑を伴って作品そのものがニュークリアされてしまう問題も残る、タイトルで大宰の引力を想定し得なかったのは、作者の軽微ではあるけれども不注意で、これが作者の意図から100万光年くらい解離したところから最終着地とコネクトしてコージ化するのだから、結果、痛い、という意見もありました。

4267 : 酔いどれ点字  debaser ('10/03/22 00:01:53)
文学極道へと宛てられた手紙のように読んだ、代表へのメッセージが(僕の首をカッキッて欲しい)あるので、それがどう伝わるかの作品なのかもしれない、という意見がありました。どこをとっても面白いのだが、冗漫に過ぎた、という意見もありました。まんざら悪くはない(苦笑)、という意見もありました。フリーハンドというのか、即興に近いのでしょうか、尺が長いので中途で飽きそうになるのが難、少なくない需要があるであろうカッチリとした作品を書く必要はないけれども、とりあえずネタ帳が貧弱な印象は受けるインプロビゼーション作品かな、と、もちろん期待はしています、が、こればっかりは書き手次第でしょうから、という意見もありました。

4258 : ポテトL  ゼッケン ('10/03/16 16:18:27)
小指は約束を想起させます、約束を破ることへの強制を感じながら、いちいちの回収が上手い、エンターテイメントではなく、詩人としての毒がある、これまでとはまた違えた作品、という意見がありました。地味な実存も潜んでいる、それでいて愉しく読める、リズムは今一つ(ちなみに、ポテトLの原価は約10円前後であろうと思われます、ペットボトル烏龍茶の中身の原価も概ね同程度か、もっと安価、まぁ、ペットボトル飲料は概して中身より容器のが高価なわけですから、ディープなユーザーになると何に対価を支払っているのかわからなくなります)、という意見もありました。

4241 : 不快とともに  岩尾忍 ('10/03/09 00:21:39) 
自由さよりも煮詰めの段階を思わさせられる、ある勾配の綴りと裁断していく間合いと行間のつながり、一過性のものには出来ない速度調節を文中で非常に細やかに行うあり方が言葉の魅せ方が、作者の手腕による単体的酵素に持ち上げ、引き込み続け、分かりやすい語彙の背後に広がっていた最深部を提示し、再認識させ、読み手の中で詩を再構成させるような連綿を敷いているんだと思う、という意見がありました。難解な言葉を使用していないけれども、難解さを醸し出すのは何故だろう。「自分の体ってのはさ、//痩せるほど重くなるんだ。」この印象は強烈、単純な内容だけれども、読ませる構成、最終二行は弱い、という意見もありました。話者たる私の不在が胆、かな、良くも悪くもミステリ仕立てで、読み手を楽しませようとする単調ならざる真摯な意図も感じます、ただ、いろいろな関係性を巡って跳べはしますが、タイトルも含め、擽りは巧い方ではないですね、そこ、課題っす、一読して「?」で放り投げる読者を拾う為にも、という意見もありました。7連から10連はどうにか読める代物だが、総じて読ませる細工がない、自意識についてしか書いていない代物だが、自意識が悪いというわけじゃない、読ませる細工がない事が問題だ、若い世代の人は自意識から出ない身体感覚を書く時期と言うものがあるようだが、とっと本領発揮した作品を貼って欲しい、という意見もありました。
※本作品へのゼッケン氏のレスポンスのエンターテイメント性に言及するコメントもありました。付記しておきます。

4257 : 再誕した、明月は遠野に  はかいし ('10/03/16 15:27:02)
美しい、短い文章にしっかりと構造がある、という意見がありました。「霞んでいくだけの影がしなる草木に乱されていくやがて夜間が方々で燃やされて」は良質な方向へ運んでいると思う、はかいしさん、模倣色が毎回強いので、ここからどう化けるのか期待、という意見もありました。携帯の画面を、ただの一度もスクロールさせることなく読める作品、ってのは悪くない、と、これは外観の話ね、考えて書いてはいますが、魅力には乏しい、私が読めていないだけかもしれないけれど、という意見もありました。この書き手には期待している、という意見もありました。

惜しくも選からは漏れましたが、その他、以下に挙げる作品が注目されていました。

4252 : はなのな  はなび ('10/03/13 22:02:31 *2)
推敲どころではなく書き換えられている、書き換え前よりずっと良い作品になっている、という意見がありました。「なにもないことをしてみたいそれなのに」や、「かがみをみてくつしたをはかずうえをみてしたをみて」「あしぶみしてもくてきちまでみちのりはへいたんで」「へいたんでたんちょうなくりかえしがなみのように」の部位は、もっと凝縮しても良いのかもしれない、と思える、最後の一行の強さを活かすために、三行とか四行とか短く構成を整えても良かったのかもしれない、という意見もありました。

4274 : マイナーチェンジ  ヒダリテ ('10/03/26 21:02:26)
読み易いんですが、おもしろくはない、器用貧乏みたいな印象、貴重な書き手だとは思っている、現況、文芸サークルの同人誌に掲載されるかどうかの当落線上クラス、という意見がありました。プロットが平易なだけに細部にこだわって欲しい、「でも僕、ヘンダーソンじゃないのに。」は予想がつくので要らないように思える。ラスト2行はついていける範囲、ついていけない範囲に置いていって欲しいとも思える、けれども、上手な作品、という意見もありました。

4230 : 山茶花の道  丘 光平 ('10/03/04 01:29:13)
最終連は良いのだけれども、足りない、という意見がありました。この作品は、良質だけれども作者の作品の中では(あくまでも作者の作品の中では)、距離感が掴めていない作品に思える、少しわかりやすすぎて説明的に思る、もう少し喩に転化させきった方が良部位が目立つ、死に直面していく作品なのだとわかっていくので(それが実は性的なものだ、とか何か別の読みにふくらまさせていけると良いのだけれども)、それが改めて言われる決意のようなもので、なかなか読み手の中で育っていかないように思える、全てが、もう作品内にあって、それ以上にはならないような感覚、最終連をもっと活かすために「つみとる手」それを何か早い段階で違った視点から提示しても良かったのかな、と感じもする、という意見もありました。

4260 : 合挽き  菊西夕座 ('10/03/17 13:39:55)
駄洒落が、地口も滑りも単純に冴えていない、と感じた、このボリュームなら地雷も必要でしょう、引き続き期待はしているが、ふざけ具合が小器用にはなってほしくはない、という意見がありました。ここまで駄洒落というか親父ギャグというか、くだらなさを追求していく背後には何があるのだろうか、詩という投稿掲示板に長年いて、とことん駄洒落な作品を書くことには、くだらなさすぎて、価値観の転換が崩壊が決壊が見えてくる、くだらなさすぎて素晴らしさへ押し上げているようないないような気がする、ここまで徹底すると気持ちよいものがある、凄い勇気、という意見もありました。

4232 : 夜のなきごえ  やす ('10/03/05 18:25:11)
単調すぎる、そこそこちゃんとした作文を書けているのだから、作品としての構成を考え、立体感をかもす細工をして欲しい、例えばこの作品に、何がしかの荒廃感を醸す人工物の写実をちょっと挿入する、自然描写の中から何か一つ選んで異化作用のあるインパクトのあるイメージを挿入してみる、やかんに火をかける所作や菫色の太陽など目を引く描写もあったが、もっともっと、という意見がありました。拙いなりにまとめている、そこは拾いたい、ただ、説明が饒舌なわりに奥行きが少ない夢日記といえば、そうかも、発芽しそうな、こっから書くべき、地道な努力は感じますが、という意見もありました。作者の成長には驚くばかりだ、という意見もありました。

4214 : 駄目だよ  丸山雅史 ('10/03/01 06:16:50 *10)
※本作品への朝倉ユライ氏のレスポンスの見事さに言及するコメントもありました。付記しておきます。

以上です。

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(今月の発起人投稿作品)

4263 : No Title  浅井康浩 ('10/03/18 23:09:11)

4280 : ヘンドリックのー傷跡ー  織田和彦(ミドリ) ('10/03/31 22:19:24)

4275 : テクノポリス この空の下  織田和彦(ミドリ) ('10/03/27 11:57:10 *4)

4255 : 地上から  みつとみ ('10/03/15 21:34:05)

4226 : 血のいろの空から、風がふく。(改稿版)  みつとみ ('10/03/03 00:39:32)

4227 : 猫に吠える  蛾兆ボルカ ('10/03/03 00:54:23)

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