文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

ロリコン魂炸裂と現代詩の状況

2011-10-25 (火) 23:23 by ダーザイン

@ロリコン魂炸裂
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 拙者はうつ病持ちなのだが、このところずっと調子良くてダウナーに成ることはなかった。基本的にやる気のない人生だが、どうにか仕事をしてきたし(現在は失業中)、お前はイタリア人かと疑念を抱かれることはあっても、暗い奴だと思われることはない。

 だが久々に拙い。最近露骨にうつが出ており、症状として眠い。(秋はいつもマズいんだ)淋しくなり(美少女限定)多少不安になる。よって、美少女女子高生とかを抱っこよしよしっつーか、抱っこよしよしされたくなるのだが当てが無い。

 近所の高校の美白クイーン山本さんがスーパーのバイトを辞めて拝めないのが辛い。あれがいなくなると、あれのことしか思い出さない。金色ルチル交じりの石英で作られた天使のように可憐なな美少女だ。拝むだけでいいからと、泣いて土下座して頼みたいところだ。

 そのスーパーでバイトをしている女子高生は全員可愛いくて、他の子には褒め称える程度のちょっかいを出してきたのだが、一目見た瞬間に萌死にしそうになった肝心の山本さんは
「あっち行って、こっち来ないで」
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 オーラを出していたので声を掛けられなかった。汗。常時他の子にばかり声をかけてきた。通常の漏れはイタリア人の流儀で母子で歩いている可愛い子を見かけたら

「お母さんはちょっと席をはずしてください」と言って娘さんを口説こうとするほどなの漢なのだが、何故か哀しいことに究極萌美少女の前に出ると手も足も出ないの。

 他にも近所のコンビニにAKBの全員よりも可愛い子がいて、こりらっくまの着ぐるみを着させて抱っこしたいのだが手も足も出ない。

 こんなことを書いている時点でキッパリとイカレテいると同時に美少女萌病な。求職のための職業訓練が月曜から始まっており眠いとまずいんだが(営業系諸々の訓練5ヶ月。無論仕事が見付かればそんなもの途中でやめる)。

 散文詩集「青の果て」のことは、持ち込んだ棒出版社にどうなっているのか聞きたいところだが一月も経っていないのに催促の電話はしにくい。すぐ次へ次へ行きたくなるのは短気でいけない。だが今、電子書籍やPDFに興味が移っている。

 佳子のイメージモデルをokしてくれている美人ショップ店員二十歳がいるし(たまらなく可愛い)、最近、はっと驚くような美女モデルさんも見つけたし、文章だけより写真付きの方が面白いんじゃないのかなと。

 全国の萌え美少女・萌え美人の皆様、私の佳子のモデルになりませんか? 漏れなく抱っこよしよしして差し上げます。ギャハ
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@@一銭にもならない芸術、現代詩

 金になる芸術とならない芸術がある。才能と努力だが、それ以前にジャンルとしてあらかじめ誰も儲けられないジャンルがある。それが現代詩だ。書店は詩集を置いてくれず、商業詩誌からの依頼原稿をあげても原稿料が貰えず、ほとんどすべてに近い現代詩人が自費出版しており、現代詩だけで食べている人は一人もいない。
 商業詩誌の新人賞の賞金はたったの10万円。そんなものを商業といえるだろうか。21世紀新鋭詩文学グランドチャンピオン決定戦の賞金も選者持ち寄りで10万だ。

 何故そのようなことになったかというと、現代詩はつまらなくて売れない、すなわち商業価値がない状態が長く続いたからだ。10年や20年というスパンではない、もっと以前から、現代詩は支離滅裂で意味不明、難しくてわけが解らなければ偉いという風潮に毒され、現代詩人の作詩意図は「どんな解釈もすり抜けてやる」といったもので、読者に何某かの感銘を与えるという意識はまったくなく、そもそも詩人仲間内以外の読者を想定しておらず、仲間内で学術用語を並べ立ててほめ合っている有様だ。

 そのような詩を正常な一般の方が読んでくれるわけがなく、出版という商業からは鼻つまみ者扱いで除外された。

 だから、私たちの戦いは二重だった。私は「人様に捧げる言葉の花束」という意識を持ち、ちゃんとした美しい日本語で読者を震撼させ、感動していただける詩を書こうと努力してきた。私の詩は東野圭吾さんの小説を読んでいる二十歳の美少女にもちゃんと理解できる(携帯小説しか読まない人には漢字が読めないとか言われてダメだが、笑い)。

 そしてあるときから現代日本最大の詩人に私自らが成らなければならない、美と神秘の魔術師として名を轟かせねばならないという強い意志を抱いて散文詩集「青の果て」(佳子シリーズ7部作)を書き始めた。己の才能を信じ、まず自分自身が前述した現代詩の状況を突破しようと挑戦してきた。「青の果て」で私は現代日本最大の詩人になったと傲慢に確信している。現在、完成した「青の果て」の原稿は商業として成り立っている出版社に読んで頂いているがまだ返答はない。そこがダメなら他をあたるし、見つからなければ電子書籍、PDFでもいい。とにかく自費は極力避け、ちゃんと自分が書いた文章でお金を稼ぐ。他の芸術ジャンルでは当たり前のことをやろうとしているだけだ。

 もうひとつの戦いはまともなメディアを作ることだった。先述した言語遊戯に明け暮れていた商業詩誌に関わる気になれなかった私は、7年前、志を同じくする詩人たちと共に芸術としての本来的な詩を取り戻す為に「世界性」・「人様に捧げる言葉の花束」の旗を掲げ、新しいメディア、新世紀詩文学メディア「文学極道」を打ち立てた(21世紀のルネサンス)。トップページに「程度の低い者出入り禁止」という趣旨のことが書いてあるにもかかわらず最近は低迷も見られるが、この7年間、特に最初の数年は時代を代表する綺羅星のような詩人たちがいっせいに集まり、文学極道は瞬く間に現代詩の頂点になった。一条、コントラ、りす、ケムリ、軽谷佑子、ミドリ、光冨郁也、浅井康浩、宮下倉庫、泉ムジ、いかいか、黒沢、ひろかわ文緒、佐藤yuupopic、、、

 だがここも商業と結びつける道はまだ見えてこない。

 突破したい。

 必ず突破しなければならない。

 私個人も、文学極道も、一銭にもならないという在り方を超え、正当な報酬のある地平へと。

 まずは私自身が突破者と成りたい。

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2011年9月分月間優良作品・次点佳作発表

2011-10-24 (月) 13:57 by 文学極道スタッフ

2011年9月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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2011年8月分月間優良作品・次点佳作発表

2011-09-24 (土) 16:18 by 文学極道スタッフ

2011年8月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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七月選評・追記      前田ふむふむ

2011-08-22 (月) 20:33 by 文学極道スタッフ

はじめに、
その一
3.11が嵐のように過ぎていきました。
大震災当日、僕の家は柳のように揺れて、家財道具は、ほとんど、ひっくり返り、
一瞬ですが、もしかしたら死ぬのではないかという
恐怖に襲われました。東北地方では、未曽有の津波によりすべてが破壊尽くされて、
原発事故による被爆の恐怖、同時に故郷を追われた人々をみて、
本当にとんでもないことが起きていることを実感して、今後の日本は、何年にもわたり、
あるいは数十年にもわたり、政治経済文化の根幹で、
変わっていくことが、想像の域ではありますが、わかるような気がいます。
それを、僕は言葉にしようと思ってみましたが、
なんら自分の言葉を見つけえずに、僕がいかに無力であるか、実感しました。
なぜそうなのだろう。時がたつにつれて分かってきました。
僕は、被災者と違って、節電以外、なんら直接被害を受けていない、
直接当事者ではないからです。
おなじ日本人でいながら、今までどおりの生活ができていて、
本当の意味の災害の体験者でないのかもしれない。
そこが、たとえば、福島出身の、詩人、和合亮一さんなどとは、決定的に
違うのです。圧倒される、地震、津波、原発により、荒廃した故郷の存在のなかで、
彼は、いままで持っていた詩の価値観が一変したと言っています。
あれから5か月が過ぎて、少しばかりか、対岸の火事のように見てしまいがちの、
僕は、詩を書くものとして、避けて通れない、3.11を常に頭に入れて、
自分の立ち位置を、しっかりと見つめていたいと思います。

今回の投稿作品の中には、直接、大震災、福島のことを語り、あるいは、間接的に
メタファーにより、大震災、福島のことを取り上げている詩が多いことは、
今回の出来事が、多くの詩を書く投稿者にとって、重要な転換点になっていることが
示唆されていることは、詩の出来、不出来はともかく、頼もしく思いました。
僕個人としては、そのような詩が多く投稿されることを望んでいます。

そのニ
すぐれた詩の特徴として、
詩の曖昧性と多義性がある。その特質をもっている詩は、言葉にあらゆる解釈の
広がりを可能にして、作者が考えも及ばないような、詩の豊饒さを
作り出すものだ。読み手に、言葉の非有限的な可能性を与えるのだ。
そこに解釈の多義性があたえられる。
そこにあるものは、記号論哲学者、文芸評論家のエーコが述べている「開かれたテクスト」として言葉を豊かに表している、詩においてもっとも歓迎するものです。

その反対のものが、限りなく遠近法的で、散文的なもの、読み手には、限りなく、答えが一つしか用意されていない文章(詩)があります。詩を脆弱にして、読み手は、なんら詩の醍醐味、魅力を感じられなくなります。
いわゆる「閉じられたテクスト」です。
今回の投稿作品にも、いくつかありましたが、何か、幼い中高生の詩のようで、
詩における作者の底の浅さが見えてしまい、避けるべきものであると思います。

また、
詩を書くものとして、よく無理をして、読み手のまったく理解不能のものを書いて、これこそが「開かれたテクスト」であるという人もいます。
例えば、シュウレリアリズム、ダダイズムもどきの詩があります。
とても難解でモダニズムの典型のように思えますが、
なんら裏付けのない、
その言葉遊びのテクストは、考えてみれば、別に、その作者が書かなくても、
わたしでも、(また別の人でも)、機械的にかけてしまうものもあるのです。
そう考えると、決してオリジナルのものではなく、決してすぐれた詩では
ないと言えますし、
詩の一回性の本質からも離れるので、投稿者は、くれぐれも、注意して、
自分しか書けない詩を書くように、やはり、心がけるべきであると思います。

その三
話は、脱線するのですが、詩のオリジナティーという観点から、いえば、
吉岡実の「僧侶」という現代詩史上の傑作があります。
この詩の形式は、たぶん、吉岡実が到達した高度な独自性であると思います。
しかし、あの吉岡実のすべての詩の中で、「僧侶」と同じ形式で書かれた詩は、
「僧侶」以外、一篇もないのです。
吉岡実が、いかに、作品のオリジナリティーに真摯であったか
伺えると思います。
そこまでいかなくても、言い方に語弊があるが、
詩のオリジナリティーということも、詩を学ぶ者には、
念頭に置いていくべきでしょう。

その四
勿論、その状況、最低限に必要な場合によるのですが、詩に使われている語彙に、
「神」「愛」「悪」「天使」「悪魔」「永遠」など、とても抽象的な言葉が
多用されていることが気になります。
このような抽象的な言葉を、極力避けて、その抽象的な言葉を、比喩により
別の言葉で、表すことが、優れた詩ではないだろうか。
そして、それが詩の多様性、言葉の豊かさを生み出すのではないだろうか。
安易な抽象語の使用は、詩を安易な、絶望的に底の浅い、
ものにしてしまうことに、投稿者は気づいてほしいと思います

さて、長くなりましたが、
追記として、前の七月選評に加えて、
優秀作品と次点佳作の選評の追加分と
落選のコメントを掲載します。

優秀作品
28.5316 : THE SANDWITCHES’S GARDEN。  田中宏輔 ('11/07/01 00:16:10 *9)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_155_5316p
評1
本と時間とが交差していく。
評2
田中さんは基本的に文章が下手で泥臭いですが、今月の2作は切れ味よかったです。
長文引用の配置以外は先ず自作してから無理やり引用元を探しているさまが明らかに見え、そのような時間の無駄は不要と考え、その振る舞いを理解する気になりません。自作なら自作でいいではないですか。奇妙な倒錯です。
評3
ぼくは田中さんを評価出来ません。水割りにしか見えない。
一回目は面白いだろうと思いますが、こうも見せられてはうんざりとしか思えない。
手間かかるんだろうとは思うんですが。引用で構成された詩、なんて手法も思想も正直言って古臭いわけですし。それならば普通に書けよ、としか思えない。
田中さんの作品が優良に残り続けるとしたら、ぼくは非常に違和感を感じる、とだけは付け加えて。

12.5331 : 世界の終わりに  Q ('11/07/04 21:16:50 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_301_5331p
評1
静かに扇動しながらの達観。人間的。
評2
戯曲のテイストを取り入れたいんだろうと思うけれど、好き勝手突っ走ってる感が拭えない。もっと作りこめといいたくなる。
文章と作品の構築力の面ではむしろ劣化してるようにすら思う。
ダレダレと垂れ流すような緊張感のない作品。

49.5368 : 非常に退屈な詩  Q ('11/07/16 11:49:30)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_730_5368p
荒々しく大胆に歩んでおり痛快です

次点・佳作
6.5403 : 青  進谷 ('11/07/28 10:47:20 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_150_5403p
ここまでありふれた言葉で描きとることが出来る。ここまではなかなか出来ない。

81.5327 : 散文詩_110620.txt  藻朱 ('11/07/04 02:16:59)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_267_5327p
長い間、投稿を続けていて落選しっぱなしの藻朱さん。コンテクストを打ち破った以前の熱量を保ちながらも落としどころを見極め成しています。

5.5399 : ぬくもり  ブラッキー ('11/07/27 21:08:51)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110727_130_5399p
ブラッキーさんの詩には、ためいき氏を思い起こさせるものがあって生理的な不快感を覚えたのですが、再読してみました。
やはりキモイ自意識が見えましたが、ためいきのように露骨ではなく、鉱物質の美しさを醸している

9.5392 : ギロチン  yuko ('11/07/23 15:11:27 *4)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110723_972_5392p
フォロワー文学で計算が透けている構成だけれども、その冷徹さの貫徹(自己の詩ではないところで書く)が味になりつつあります。

8.5396 : コルトナの朝(印象違い)  case ('11/07/26 20:40:05)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110726_095_5396p
詩人ではないということを自覚していて詩ではないものをテクニカルに、ただただ量産している。コンセプト勝負。コンセプトを、もっと前面に押し出しても良い。

12.5351 : ロビン村  ゼッケン ('11/07/12 19:15:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_548_5351p
最終連だけが上手い。ヘタウマな方なので、ありになってしまう不思議さ。

54.5360 : 空間の定義  zero ('11/07/15 08:25:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110715_665_5360p
巧い。
かなり、読み手の志向性を狙った方向に引っ張っている。二項対立を強調し、モチーフを二つ並べる。効果的である。また、共通項を強調し、対比させる方法論の詩である。
読み手に委ねられる部分の大きさが、面白い。初読と再読では、明快に変化が訪れる。反復を志向する作品だ。

落選のなかで寸評のあるもの

37.5342 : 悔悟  破片 ('11/07/07 23:18:34 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110707_433_5342p
評1
ただのデカダンなのだけれど破片さんは下手な時に力を発揮しているように思える。きちんと作品に反証している。いじくり倒すよりも良いのかもしれない。いつか、この方向で作品になるのかもしれない
評2
表現は平易な散文で書かれていて、好感をもてます。
語り手の、経済的に切羽詰った窮状が、伝わってきます。
困窮という生活感のある、珍しいリアルな詩である。
こういう切り口で書いていくのも面白いと思います。

17.5339 : ある絵師の故郷  J ('11/07/05 20:53:42 *34)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_381_5339p
何度も訂正,推敲したようで、
テクストの言葉の滑らかさは、やや不足している、
かなり粗さがある。
フェルメールやゴッホの固有名詞を比喩として、使うのは、
表現の可能性を、教養主義的に自ら限定していて、どうだろうか。

>彼の故郷の中の裸体の乙女が
>いまだ空白であったのと同様に
>気がつけば二人はキャンバスの中にいて
>鷹が飛行の練習をし
>時に放浪するラマの一団と遭遇するような山奥で
>この世の終わりが眺望できそうな崖際をバックに
>海辺の灯台のひとつまみの明かりを頼りにして
>ひとりの画家とひとりのモデルとして向かいあっていた

この辺の表現は、散文的な遠近法的手法を、打ち破って、新鮮である。

終わりのところも、テクストを予定調和的に閉めておらずに、非凡な表現をしている

>その肌が軽く赤味を帯びてしまったせいで
>絵師はまだ赤い絵の具を塗りなおさなければならない

79.5329 : 溶解  泪 ('11/07/04 16:55:25)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_289_5329p
詩的曖昧性はおもしろい。
言語に、多様な意味を与え続けてくる。
作者のコメントからみて、時に、語り手が独り歩きして、予期しない効果も出すものです。
「指が溶ける」という唐突なメタファーにより、語り手のこころの内面(例えば、常識的なあり方から、外れた独創的な考え方を表しているかもしれない)を上手に
表現で来ていて、魅力的な出来栄えになっています。

57.5338 : 五限目  藤崎原子 ('11/07/05 18:37:11)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_373_5338p
学校生活の心情を、書かれた詩であると思う。
比喩を大量に馳駆し、言葉を積み上げているが、
とても、静かな情景が浮かび上がってくる。
その静けさが、回顧的であるので、感傷的なイメージがどうしても
出てしまうのが、やや残念である。
井坂洋子さんの初期の作品を思い出してくる。

35.5386 : 無題  益子 ('11/07/20 21:40:59)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_895_5386p
短すぎる。
詩集のなかで、一篇としてあったなら、面白いかもしれません。

36.5374 : 自堕落  笹川明彦 ('11/07/18 12:53:35)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_788_5374p
>今宵の夜空は青黒く、赤銅色の月は円く、大きく、街路を小さな砂漠蜥蜴が這い回る。
>塩の味がする砂を蹴って、冷え切った空気を頬に感じている
冒頭の一行目を読んだだけでも、濃密に作り物感が伝わってくる。
読んでいくうちに、退廃した世俗感が強調されたテクストに
仕上がっている。作者は、ボードレールを読んで、影響を受けたとあるが、
濃厚な表現はよくでていると思う。

16.5356 : 橋から  熊尾英治 ('11/07/13 15:34:55)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110713_579_5356p
一連目が、僕は、川の水に浮かぶ花火のことでしょうと思ったのですが、
違うようですが、でも多様に見えて、粋な詩的な表現に出会えた。
また、
>花火がカチカチと
>重なって
のカチカチというオノマトペがとても、印象深く感じられる。

ただ、もう少し言葉を書ききれなかっただろうか。

39.5383 : もしもし  外目/寒月 ('11/07/20 19:57:41)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_891_5383p
もしもしの反復によって、良い
軽快なリズム感をもっている
ただ、
>吹き抜けていった故郷の幼なじみの少女の乳房の残り香の寂しいため息の
>この口吸いしその人の名前を
>思い出せないままに
と、突然、古い抒情的なフレーズが表れてくるのが、
違和感として残る。
全体の出来栄えに細かい配慮が必要。

71.5343 : チン モノローグする  草野大悟 ('11/07/08 00:43:42 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110708_440_5343p
軽快なリズム感で、電子レンジのメタファーをよく書けていると
思います。少し笑えました。
視点の付け方が、独創的で良かったです。

47.5372 : 記憶に密着する  右肩 ('11/07/18 02:02:46)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_777_5372p
評1
いつも通りのプラスティック加工。いつも通りに距離を取って職人として詩の内側ではないところから書いている。今回、粘液をシニフィエにし多用したことは単純にコンセプト的立ち位置を読み手に見誤らせてしまっていると思う。

評2
作者は、詩を書くのに十分な筆力をもっているが、
この詩は、作者が実験的に書いたのかもしれないが、
天国のくだりは、
さすがに、気持ちが悪くなった。
自虐も、ディープすぎるだろう。
でも、気持ち悪いくらいに書いてあるから、リアルにできているともいえます。

1.5407 : 夏祭り  david ('11/07/29 23:05:53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110729_199_5407p
べたべたの恋愛詩である。
恋愛詩の様態をした自己愛のエクリチュール。
書き手の一方的な思い感情の独白である。
テクストのなかで、女性を、つねに自己同一性のなかでみており、
女性に近接すればするほど、他者としての、生き生きとした女性が
浮き上がらないというジレンマにある典型的なテクスト。

4.5380 : ――芳雄さん  菊西夕座 ('11/07/20 04:25:19)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_866_5380p
評1
詩作品は面白くないのだけれどもレッサー・エンタテイメントとしては非常に反射神経が良いと思う。
反射神経だけとも言える。タイミングがある。そんな個性。

評2
七五調の韻をふんでいる詩です。
読んでいて、日本語の生理に適っているので、
読みやすいのですが、何か戦前の定型詩の古さを感じてしまい、
好意的には受け入れられません。
原田芳雄の昭和的な古さはイメージとしては、あっているかもしれません。

7.5404 : 摩擦  大丈夫 ('11/07/28 11:40:51)  [Mail] [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_154_5404p
こういう押し付けがましいテクストは、あまり読みたくない。
作者は、詩とは何かを、もっと考えなくてはならないと思う。
時に、ひどく演説調になっている。

10.5353 : まどろみの記述  笹川明彦 ('11/07/12 21:21:02 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_555_5353p
作者としては丁寧に言葉を選んで、テクストを完成させたようだけれど、
荒唐無稽な比喩、シツコイ表現、無理に作りこもうとしているところがあり、
ワザとらしくなっている。
「まどろみの記述」とあるが、本当にまどろんでいるのだろうか。
テクストの最初のところから、
>通りには誰もいない。
とあって、間髪入れずに、
>若者の集団が通りをふさいでいた
とすぐ変わる。
あまりに唐突で、忙しい、
読む気が失せてしまう。
もう少し、読み手を考えて、書いていくことも必要だろう。
でも、まどろんでいる状況であるから、しょうがないかもしれない。

11.5389 : 君へ、  ひかり。 ('11/07/22 09:29:25)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110722_939_5389p
小学生、中学生が書いたような詩です。
また、
詩を書く姿勢に問題がある。
まるで人生を達観したような表現はいかがなものだろうか。
上から目線の詩(詩といえるか疑問である)であると思う。

>人生は儚い、しかもそれを支えるには忍耐が必要だ、

また、表現が大げさで、陳腐にみえる。

>「ときよとまれ、未来永劫、そこにとどまれ、」

13.5406 : (無題)  hatter ('11/07/29 04:15:42)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110729_185_5406p
詩作の方法論としては、面白いかもしれませんが、
単なるダジャレや語呂合わせや書き手の知識の披瀝に終わってしまっていて、
結果、少しも面白みがない。
失敗作でしょうか。

14.5402 : 夢  spectator ('11/07/28 02:47:09)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_146_5402p
冒頭の、作り物感、唐突感と、また、よくある異国風の物語かと思ったが、
テクストは、丁寧に書かれている。文章力もあるようだ。
もう少し、言葉を選んで、書き続けていけば、
もっと良い詩が書けるようになると思う。

15.5390 : 貨幣と呼ばれた男  るるりら ('11/07/22 19:40:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110722_948_5390p
語り手の視点が生きているものとして見ていて、面白い、
バブルと引っかけて、文明批判的な詩で良かったと思う。
たまには、このような詩も良いと思う。

18.5385 : 部屋  んなこたーない ('11/07/20 21:28:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_894_5385p
絵画的な詩、戦前からのモダニズム、シュールレアリズムの影響のある詩のようです。
>本当だろうか?
と繰り返し言いつつ、幻覚か幻想か、あり得ないことが次々と起こる展開は、
単なるシュールレアリズムではなく、
普通の感覚の作者が、普通の感覚を詩作のベースに置いて、絶え間なく空想を十分に膨らまして、
あり得ない奇怪な世界を想像しているという、
書き方をしているが、
これでは、新しさというより、作為的なシュールな作り物になっています。
西欧において、
シュールレアリズムとは、書く主体と、書かれる客体あるいは対象との関係性において、
いかにリアリズムを追及するかという問題に対して、進歩的な芸術家は、もはや
従来の遠近法的手法では、十分表しえないと、リアリズムの本質を追及する過程で
結果として、必然的に奇怪な描写が表されてきたのであり、彼らは、
奇怪な描写を表そうという目的で、表現が奇怪な描写になったのではないのです。

19.5398 : ジンリキ  GENKOU ('11/07/27 05:17:46)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110727_102_5398p
最後の一連に、作者の言いたいことが、収斂されている、
いわゆる閉じられたテクストである、このような詩は、
どう読んでも、答えは一つしか得られないようなので、
言葉に広がりや多様性がなく、
読んでいて、面白みがない。

20.5400 : 漂う女  atsuchan69 ('11/07/28 00:05:51)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_138_5400p
やや古風な抒情詩である。
きれいに纏まり過ぎていて、少し、鋭利に飛び出るところが
欲しかったと思う。
しかし、とても、丹念に積み上げて、丁寧に書かれていると思う。

>我が想いは藻屑となって
>ふたたび沈む
この辺の文語的な表現は、大げさで、違和感がある。

23.5375 : 名前のない籠  koe ('11/07/18 14:02:52)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_791_5375p
子のいない、あるいは子を失くした母の切ない詩を
無理なく、平明に書かれていて、好感がもてます。

>ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
というオノマトペは、
不思議な感覚ですが、今ひとつ
響いてくるものがありません。

24.5393 : 家族会議  de+de. ('11/07/25 19:01:32)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110725_063_5393p
評1
二作目以降どうなるのか解らないけれども、
擦過だけを意識している狙い通りに働いている作品。

評2
会話だけで、詩として成り立たせているのは、とても斬新で、
ユニークです。
新しい実験詩のようですが、
もう少し工夫が欲しいと思います。
「だからどうなのだ」と読者に切り替えされる
レベルであると思います。

25.5397 : テーブルクロスの挨拶  BIRD ('11/07/26 23:53:48)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110726_099_5397p
評1
あっけなさが、それなりに気になった。
評2
いろんな言葉をてんこ盛りにした、
お世辞のも、上手とは言えない詩です。

26.5364 : いま まさに  るるりら ('11/07/15 20:37:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110715_698_5364p
妖怪と蛙の寓話だろうけれど、
なにやら難しい、何を言わんとしたことか、読み手に
伝わらないようである。
寓話のエクリチュールにおいて、
ふつうのテクストでは、大きく捻りを効かせた、
象徴的な詩的言語を馳駆して、新鮮な驚きをもって表現されるのだが
僕が鈍感なのか、そういうものが、ほとんど感じられない。

29.5388 : √  雛鳥むく ('11/07/22 02:28:46 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110722_932_5388p
評1
最近とても多い作風。詩で使われ自分が上手いと感じた言葉を使い、悪くない作品であるように整えていく。複写の複写の先というか、フォロワー文学というか、一定があっても、
それから先がなかなか難しいかもしれない。
立ち位置を変えると、こういう作品はグッと面白くなるのだけれども。

評2
「寄せ集め」っぷりが逆に面白い。
語感だけで繋いでいっていて、作品の統括イメージが希薄だから全体的に読みやすいのに、なんにも残らない。
難しいものだ。言葉のセンスは好みなんだけども。
評3
3,11以降の現代社会を批判的な視点にたって、比喩を使って表しているのだろうか。
そのように読めなくもない詩である。

30.5391 : 前と後ろを取りかえよう < 夏色ストラップ >  kizuna ('11/07/23 12:09:18 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110723_960_5391p
幼さの残るポエムである。
軽い作品であるが、心温まる言葉の運びが良い。

33.5387 : 終曲  无 ('11/07/20 22:05:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_896_5387p
「天使」「神」「悪魔」など、安易に抽象的な言葉を使って、
哲学的な思考のあり方を書きたかったのでしょうか。
「ミネルバの梟」のアニメ版というところでしょうか。
でも、「終曲」という題だから、そうではなさそうで、
荒唐無稽なものを書きたかったのでしょうか。

38.5376 : 鬼 婦  字ぇ ('11/07/19 09:25:53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110719_822_5376p
文章は上手くはなく、面白く書こうとして、
滑っている印象です。
書かれた語彙は、美しさがなく、
作者は、ラカンの理論やフェミニズム論などを書きたかったようですが、
それ以前に、テクストの出来が、悪すぎて、それらに追いついていません。

42.5330 : 悲惨と愛  黒髪 ('11/07/04 17:10:59)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_291_5330p
感傷的な、底が浅い身辺心境詩です。

43.5373 : 噛まれたの?  香瀬 ('11/07/18 08:23:24)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_781_5373p
評1
プラスティック加工のみを行う作者。
最後にもう一ひねりあっても良いかもしれない。

評2
言葉の曖昧性や多義性は、開かれたテクストとしての、
すぐれた詩の要請するところでありますが、
扱ったテーマが、
作者が言う、ずらしの技法が、テクストをより複雑にして、
難解さだけを残して、作者が望む、
詩の成果を受け取ったかどうかはなはだ疑問です。

44.5341 : Bombyx カイコ伝説−七夕異説  RetasTares ('11/07/07 22:07:39 *7)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110707_430_5341p
評1
タイトルと一連の勿体なさ。それ以外は良い。
評2
単なる、御伽話のような物語です。
それ以上でも、以下でもない。

45.5381 : THE BUS  熊尾英治 ('11/07/20 06:09:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_869_5381p
「ウェンディーズ大佐」の過去の失恋の感慨を書いたものなのか?
なんなのか、これほど、何も読み手に伝わらい詩も、珍しい。

46.5371 : 自我処刑  森田拓也 ('11/07/18 01:24:01 *1)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_775_5371p
評1
読むことが苦痛だった作者の作品。だんだんと上手くなっていっています。

評2
詩を書くには、もう一段階、努力が必要かもしれません。
現実的でない、まるで、バーチャルな世界を
書いているようです。

51.5370 : 愚者のカード  サティ ('11/07/18 00:26:29)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_774_5370p
ハードボイルドタッチの、出来の悪い散文詩。
一行目から、文章を書くことが下手であるとわかってしまう。
もっと、読み手を意識して、熟達するように、
努力してほしいと思います。

52.5359 : おとずれ  ひかり。 ('11/07/14 08:39:38 *10)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110714_610_5359p
感覚的な感情を抒情的な詩にしたのでしょうが、
短すぎて、受けるものがない。
魅力的な語彙も一つもない。

53.5365 : incidents  南 悠一 ('11/07/16 00:25:04)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_709_5365p
とても難解で、語り手の抽象的な観念の世界を書いているのだろうけれど、
読み手に訴える言葉が、見出せない、読んでいて、とても辛い詩です。

55.5357 : 決闘  J ('11/07/13 21:21:51 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110713_586_5357p
>ある日友人がブランド物のグッズを学校に持って来たので
>お金持ちなんだと言うと
>私はブラウスのボタンを外してコインに変える方法を知っているだけよと言った
この部分は、語り手が誰なのか、奇妙に整合しない
ところが、謎めいていて面白いと思ったが、
読み進めるうちに、トンチを聞かせた単なる身辺雑記であると思うと
冒頭の部分は、主体をきちんと設定できない、作者の手抜きの雑な文だとわかる。

いつも思うが、他の書き手にも言えるが、
簡単に、安易に、または好んで、「神」とか「善」とか「悪」とか使いすぎる、
この抽象用語を使うだけで、
テクスト全体が、絶望的に安っぽくなるのを、書き手は自覚しているのだろうか。

56.5349 : ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  益子 ('11/07/11 23:25:17)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110711_532_5349p
戦前のモダニズムの前衛詩の流れを汲んだ、手法で書かれているようですが、
写真のような描写は、まあ
こういう詩も、あってもいいと思いますが、
別の言い方をすれば、
こういう詩は、益子さんだけでなく、誰でも書ける詩であるとも
思います。

58.5354 : アドバルーン  ロボット ('11/07/13 06:08:33)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110713_564_5354p
贔屓目に言えば、多くが、コテコテの詩が多い中、後半部分が、何か、さわやかさを受ける詩で、読んだ後読感として、ほっとするところがあります。
でも、前半部分のアナーキーな言い方は、浮いてしまうようで、
随分と、分裂的な詩である。

59.5348 : そして花のなかで  ぎんじょうかもめ ('11/07/11 15:22:18 *13)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110711_524_5348p
作者の一方的な独白に終始していると思う。
他者として、自己以外を誠実に描いているとは、到底思えないので、
結局、つまらない作品になるのでしょうか。
嘘っぽく、気取ったり、自虐的にカッコつけたり、せず、
自分の長所、短所を、他者を介して、誠実に書いていくことが、
必要でしょうか。
それが、出来ないと、いつまでも、自己愛の底の浅いテクストしか
書けないと思います。

60.5347 : 営利案 引き裂く。  仮新 ('11/07/11 09:34:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110711_520_5347p
盛りだくさんの、ごった煮感のある詩である。
読んでいて、苦痛だ。比喩も決して上手くない。
テクストの統一感がなく、多分、作者は、書きたいことを、
とめどなく書いたのだろうが、
作者は読み手を意識していないのだろうが、ただ、
こういうのも詩であると言われれば、言われないわけでない。
変則的な、自動書記といえば、それもあるだろう。

63.5336 : 風化  无 ('11/07/05 10:44:13)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_345_5336p
詩を書くものを罵倒する、詩を書く作者は、
何者だろうと思ってしまう。
ピエロになるなら、詩人になるということか、ならば、自分だけが特別という
自惚れかなのか。詩人にはならないということか。ならば、

>その程度のものなのだ
>この俺は
>その程度のものなのだ
>この世界は
というように、アウトサイダーのふりをして、
ニヒリズムを語るというより、世間や他者を貶し、甘えて、
言い訳をしているつまらない考えなのだろうか。

64.5317 : Over The Hills and Far Away  飛黒 ('11/07/01 01:29:24 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_157_5317p
エロチックな比喩が、効果的につくられていて、面白いです。
最後は、予定調和的に、抒情的に終わるのは、エロチックな表現が中和されて
丁度良いかもしれません。
ここで、エロスと言いましたが、どちらかというとAVポルノに近いです。
作者は新しい表現だと思っているでしょうが、世の中は、AV的比喩表現など、
映像および言語で、大量生産物として溢れかえっているのです。
もはや、誰もが見聞きした表現であり、中には、食傷気味の人もいるでしょう。
野村喜和夫氏が、以前「おまんこ」がきれいな言葉だといったことがあったと思うが、
いまや、この21世紀の言語が大量に次々と消費される時代にあっては、
それすらも、特別でもなんでもない、俗っぽいつまらない、
あるいは普通の言葉だと思える時代なのです。

65.5332 : 夜へ  ぎんじょうかもめ ('11/07/04 21:29:11 *11)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_305_5332p
一連ずつ、57577の短歌調で、完結した文(行)が、集合されて、一つのテクストになっているのでしょうか。
上手だと思う連は、
>右肩にきみが頭を寄せたときふたりは夜の中心でした
が、良い出来であると思います。

67.5337 : 真夏  大丈夫 ('11/07/05 12:51:56)  [Mail] [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_358_5337p
評1
比喩を使うようになってきましたね。大丈夫さんは、とても下手なので、
その分、成長が即座に見えてきます。あと5年くらい書いたら、
優良にいくのかもしれません

評2
せっかく、抒情的に書いているのだから、
もう少し、使用する語彙の選択に注意が必要ではないだろうか。
「ルノアール」とか「怪獣」とか。
最後が予定調和的で、物足りない。

68.5323 : 美しき残像  atsuchan69 ('11/07/02 21:59:21)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110702_214_5323p
きちんと書かれていて、安心して読める詩です。
でも、冒頭の、「紺碧の輝きを放つ」から、
テクスト全体を通じて、西欧詩の翻訳詩のタッチなので、
かなり作り物感があります。

72.5352 : 目的地永久  黒髪 ('11/07/12 21:07:11)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_553_5352p
Jポップスの歌詞みたいです。
現代詩の一般定義を基準にしたら、安易で、軽い言葉があふれている。

74.5325 : 銀河系第七居住区発第三ターミナル経由便  美裏 ('11/07/04 00:41:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_259_5325p
ハードボイルドでバーチャルな空間の、空想物語の断片のようです。

75.5328 : にくしみ  字ぇ ('11/07/04 11:38:55)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_282_5328p
まさに、妄想墓場のように、よくわからない作者の空想の世界に
酔っているのでしょうか。

76.5322 : 木の葉  アルビチア ('11/07/02 17:24:46 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110702_198_5322p
擬人化する方法で書かれているのがよくわかるが、
欲をいえば、
その主語を、オブラートに包み、わからなくすることにより、
効果的な比喩ができてくると思います。

77.5326 : 二者  サティ ('11/07/04 02:14:33 *2)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_265_5326p
「痛いです→いたいです→居たいです」というように言葉遊びを
重ねながら、作者の内面を語っているようです。
もう少し、丁寧に書き込まないと、
言葉が美しく響きません。
後半は、ふつうに読めて安心しました。

80.5335 : 魚  アルビチア ('11/07/05 08:05:18)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_333_5335p
アレゴリーを扱っているようですが、
そういうものは、読んでいると、自然に読み手に、伝わってくるものですが、
それがない。ということは、色々な言葉を使いすぎて、複雑にし過ぎて
いるからだろうか。
ただ、現代社会の人間風刺であることは、

>しまいにみんな忘れて
>ただただすいすい
以降の二連で、わかるような気がする。

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7月分月間選評

2011-08-20 (土) 23:10 by 文学極道スタッフ

2011年7月分月間選評

   (文)前田ふむふむ

◆7月は投稿数が多かったので、何よりだと思いますが、上質な詩があったかどうか、はなはだ疑問です。良い作品だと思うものを見つけるのに苦労しました。
全体として、荒唐無稽な物語もの、作り物感濃厚な詩が目立ちました。(前田)

◆ 皆様お疲れ様です。

今月は作品数が84編ですので、比較的多い月でしたね。投稿数が増えることは喜ばしいことです。懐かしい名前が復帰したり、新しい方がチャレンジしてきたり、賑やかになってきました。ケムリさんの復活が、掲示板の風通しを良くした面があったと思います。文学極道の掲示板は、駅のプラットホームのように、出発したり、到着したり、途中下車したり、舞い戻ったり、そんな投稿者でごったがえす、カオスであってほしいと思います。重たい荷物を背負った苦労人、手ぶらの遊び人、道に迷った旅人、今月もいろいろな書き手が通り過ぎていきました。それぞれに意匠を凝らした作品を残してくれましたが、その意匠がかえって邪魔になり、作品の可能性を限定的にしているような印象を受けました。その中にあって、最も意匠に富んだ田中宏輔さんの詩が、最もしなやかに言葉と戯れて自由であるのは、とても不思議なことです。引用が多用されているにも関わらず、作者・田中宏輔の言葉がまざまざと聞こえてくる、おそらく、田中さんにとっての引用は、意匠ではなく生理として染みついた、反応なのかもしれません。(りす)

【優良作品】

84.5316 : THE SANDWITCHES’S GARDEN。  田中宏輔 ('11/07/01 00:16:10 *9)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_155_5316p

これだけ、精密に積み上げて、百科事典か博物館のような詩を書かれると、"一夜漬け的な詩にはない、迫力があります。
例えば、「亀」だけであれだけ書くことができるだけでも凄いことです。
でも、こういう詩ではなく、個人的には、田中さんには、短めの抒情的な散文詩を読んでみたいですね。

82.5324 : 陽の埋葬  田中宏輔 ('11/07/04 00:13:46 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_255_5324p

索引を詩にしたものですけれども。
こういう詩を読むと入沢康夫の「わが出雲わが鎮魂」の
膨大な自註を思い出す。
変な言い方だけれど、田中さんの詩には、言葉のオリジナルというものに対する、「敵意」みたいなものが感じられる。あるいはメッセージとか。
言葉は、過去の模倣品以外の何物でもないというメッセージでしょうか。
こういう実験は、それなりの意義があるのでしょう。
欲を言えば、入沢康夫のように、自註にしてほしかった。
自註にすれば、言葉に田中さんのオリジナリティーを書かなければならないからです。

50.5366 : 足フェチ  進谷 ('11/07/16 04:01:01)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_714_5366p

平成の若者のあり方を、小気味よく、ユーモアとセンチメンタルな思いを込めて書かれていると思います。
原理的なユダヤ人との対比は、日本人としての僕が、よく書けていると思います。
詩にリズムという音楽的要素が加わると、言葉が生き生きとしてくるのも良い。

49.5368 : 非常に退屈な詩  Q ('11/07/16 11:49:30)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_730_5368p

題名とは違い、退屈せず読めます。
詩的アレゴリーの一種でしょうか。
哲学的世界観が多くふくまれているような詩です。
読み方によって、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官とキリストの場面を想起させるところもあり、絶滅収容所の生死感を表しているとも取れる、多様性がこの詩にはあり、詩として、典型的な「開かれたテクスト」である。

48.5331 : 世界の終わりに  Q ('11/07/04 21:16:50 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_301_5331p

世界がひかりに還元されていくさまが、丁寧に書かれています。
多くの哲学者がのべているように、実体としての世界が終った時に、はじめて存在として、世界がはじまるという哲学的思考をかいているのだろうか、とても、美しい描写です。

32.5379 : 昼下がり  鈴屋 ('11/07/19 20:20:09 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110719_846_5379p

昼下がりの、語り手の夢想というところでしょうか。

一連目の書き出しの、
>何かがあるわけではないが
>指でなぞれば、雲がたなびく、セスナ機も飛ぶ 
>眼をしばたけば、歓楽の館がならぶ、列車も通る
>夏椿の花は好きだ、枇杷をしゃぶる子供は嫌いだ

この、自由さ、唐突感が、後を読みたくなる衝動を起こさせる。

語り手の心のなすがままに、エリクチュールは進行して、 テクストは、後半の二連に至ると、何か、潔さや、さわやかさを 感じられるように思う。良い詩だと思う。

【次点佳作】

6.5345 : 反復練習  泉ムジ ('11/07/08 22:31:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110708_471_5345p

九九を学ぶことは、人生の反復練習のようであるが、
父、母を通じて,九九の数字の積み重ねでは、人生は埋められないというようなことを、
あんに問いかけていると思う。比喩が上手であるが、
>いくら集めたって
>再び父はうまれない

>埋めても埋めても
>穴は増えるばかり
後半、
九九の反復練習と、皮膚を掻いて、寝てる間に血を出してしまうことの
詩における整合性はいったい何なのか、よくわからないで、
読み手が、置いてきぼりをされてしまいます。

13.5403 : 青  進谷 ('11/07/28 10:47:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_150_5403p

冒頭、
>空と海の間から生まれてきた青はまるで何かを探しているかのように人々の目を覗きこんでいた、が不自然に説明的である。
>空と海の間から生まれてきた(青)
で切ってしまって良いのではないだろうか。
投稿作品がどちらかというと、脂っこい作品が多いので、こういう
青の透明感のある詩は、好感をもてる。
が、
>「ドキュメンタリーは真実か。ニュース映像は真実か?」
>「違う」
>「では真実とは何だろう?」
この辺の書き方は、とても安易で、底が浅く陳腐である。

>青、ブルー、男と女は海へ逃走する
>海に何があるの? 
>永遠
この「永遠」という語彙も、もっと言葉を選ばないと、語彙が抽象的で、紋切型の広告用語のような言葉は避けたいところだ。

>煙草が切れた
 >から
 >ここで終わりにする 
このテクストの終わり方が、投げやりで雑である。

9.5392 : ギロチン  yuko ('11/07/23 15:11:27 *4)  
URI: bungoku.jp/ebbs/20110723_972_5392p

言葉が安定と意味を掬ぼうとすると、逃げるように新しい言葉が綴られてテクストが常に、安定と意味を掬ぼうとしない。
そこにあるのは、言葉の固定観念の排除であり、言葉に非有限性の意味を 与えようとしている。
Yukoさんの詩に対する姿勢の一貫性にはいつも感心します。
丁寧に言葉を積み上げている様子が伺えます。
また、テクストの語彙には一つ一つではなく、語彙の積み重ねの多様性の中に、 エロスを感じ取れます。
題名の「ギロチン」も唐突な気もするが、乾燥的な「暴力的」というよりもどちらかというと怪しいエロスを感じるので、良いかもしれません。

18.5396 : コルトナの朝(印象違い)  case ('11/07/26 20:40:05)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110726_095_5396p

異国情緒の豊かなイメージを作り出している詩であると思います。
「煙草」「氷」「白いテラス」「グラス」多用される、これらの語彙に、なにか”トレンディードラマ風”の生活感のない気だるいイメージを出そうとして、作りこまれていると思わざるをえない。
よくみかけるパターンの詩で、もっと独自性のあるものが書けないのだろうか。

78.5320 : 夢の見える部屋  リンネ ('11/07/01 20:23:12 *9)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_169_5320p

安定した筆力で書かれているので、好感が持てます。
まるで、入れ子のように、あるいは、分裂している自己であり同時に他者である
様な存在が書かれていて、それが詩的メタファーになっている。
でも、最後の部分が、やや説明的であるのは、やっつけ仕事で、書いたのでしょうか。
もう少し、工夫のある表現方法を考え出したら、良いのではないだろうか。

81.5327 : 散文詩_110620.txt  藻朱 ('11/07/04 02:16:59)  
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_267_5327p

ふつうに読んで、「僕」と「妹」の感情は、常人の感情ではないだろう。
その際どさを狙った詩であろう。
小説でいえば、「蛇とピアス」のような感覚の、危うい怖さを詩にしたかったのだろうか。

23.5360 : 空間の定義  zero ('11/07/15 08:25:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110715_665_5360p

冒頭から、どうでもいい、つまらない比喩をいれて、読み手を退屈させる。
決して上手ではないが丁寧に書いている。
「空間の定義」とあるので、読み進むと、
一連目は
>、私にはわからなかった。
で終わるので、わからないなら、定義できないだろうと
思ってしまいます。
一連目と二連目の対比に、なんの整合性か、あるいは意味があるのか、わからないし、
二連目の美術館の空間の写実が、抽象的で、具体的でなく、想像しにくい。

谷川俊太郎の詩集「定義」の「灰についての私見」を読むと、この詩が、どれだけ、
見劣りがするのだろうと思ってしまう。
全く、言葉から立体性が感じられない。

3.5367 : ぽっぷこおん  リンネ ('11/07/16 09:34:04 *69)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_722_5367p

夢の世界のような散文詩。
「映画館」「中学校」「果樹園」の関連性に、いっさい説明がないところが良い。
幻想的な世界が描けている。
ただ、夢のようなテクストの内容が、性的なもの、暴力的なものの抑圧のようなものが垣間見える以外、誰でも思いつくような平凡な夢の世界で、ややインパクトに欠けていると思います。

5.5399 : ぬくもり  ブラッキー ('11/07/27 21:08:51)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110727_130_5399p

Yukoさんと作風が近い。
夜が上手に表現されている。良い詩だと思います。
言葉のひとつひとつが繊細で、ひかりを帯びているようでもあります。
また、触覚的な表現で作者の心境を現しているのでしょうが、こういう詩は、もうずいぶんと、読まされてきたなあと思ったりもします。
はっ、とさせる新しさはないです。

66.5334 : kisonのためのルポルタージュ  M.C ('11/07/05 07:38:05 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_332_5334p

入沢康夫の「牛の首のある三十の情景」や「木の船のための素描」に。
あるいは、岩成達也の「鳥の骨組みに関する覚書」に書き方が、似ているので、作者は、描写の書法で、その影響をうけているのだと思われるが、テクストが、まるで,降霊の術をしているようで、不気味である。
良く、丁寧に書かれているから、余計にそう思うのだろうか。
「きみ、あなた、おまえ、それ」で表現される多様体の「存在」がユニークです。でも、このフレーズも、影響を受けているのか、入沢康夫は「牛の首のある三十の情景」で語り手をいちいち「わたしたちは、わたしは」という独自の方法で書いています。

40.5369 : 負け犬、噛まないのか?  泉ムジ ('11/07/18 00:24:33)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_773_5369p

文語的な言い回しも含めて、ユーモラスで、軽快に一気に読める、良い詩であると思う。
詩の世界の不条理も、良くできています。
「拙者」とか、語り手が言い出したら、面白かった。
日和聡子さんの詩集「びるま」を思い出しました。

20.5351 : ロビン村  ゼッケン ('11/07/12 19:15:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_548_5351p

「くいなッセ」というリフレインは、面白いと思う。
これがあるために、詩の躍動感や詩の抒情を保っている。
良くわからない飛べない小さな鳥の群れ、絶滅種の恐鳥が出てきて、このテクストも荒唐無稽な感を免れない。
単なる物語であるが、もっと、身近なものから、詩を書けないものだろうか。

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