ロリコン魂炸裂と現代詩の状況
@ロリコン魂炸裂
拙者はうつ病持ちなのだが、このところずっと調子良くてダウナーに成ることはなかった。基本的にやる気のない人生だが、どうにか仕事をしてきたし(現在は失業中)、お前はイタリア人かと疑念を抱かれることはあっても、暗い奴だと思われることはない。
だが久々に拙い。最近露骨にうつが出ており、症状として眠い。(秋はいつもマズいんだ)淋しくなり(美少女限定)多少不安になる。よって、美少女女子高生とかを抱っこよしよしっつーか、抱っこよしよしされたくなるのだが当てが無い。
近所の高校の美白クイーン山本さんがスーパーのバイトを辞めて拝めないのが辛い。あれがいなくなると、あれのことしか思い出さない。金色ルチル交じりの石英で作られた天使のように可憐なな美少女だ。拝むだけでいいからと、泣いて土下座して頼みたいところだ。
そのスーパーでバイトをしている女子高生は全員可愛いくて、他の子には褒め称える程度のちょっかいを出してきたのだが、一目見た瞬間に萌死にしそうになった肝心の山本さんは
「あっち行って、こっち来ないで」
オーラを出していたので声を掛けられなかった。汗。常時他の子にばかり声をかけてきた。通常の漏れはイタリア人の流儀で母子で歩いている可愛い子を見かけたら
「お母さんはちょっと席をはずしてください」と言って娘さんを口説こうとするほどなの漢なのだが、何故か哀しいことに究極萌美少女の前に出ると手も足も出ないの。
他にも近所のコンビニにAKBの全員よりも可愛い子がいて、こりらっくまの着ぐるみを着させて抱っこしたいのだが手も足も出ない。
こんなことを書いている時点でキッパリとイカレテいると同時に美少女萌病な。求職のための職業訓練が月曜から始まっており眠いとまずいんだが(営業系諸々の訓練5ヶ月。無論仕事が見付かればそんなもの途中でやめる)。
散文詩集「青の果て」のことは、持ち込んだ棒出版社にどうなっているのか聞きたいところだが一月も経っていないのに催促の電話はしにくい。すぐ次へ次へ行きたくなるのは短気でいけない。だが今、電子書籍やPDFに興味が移っている。
佳子のイメージモデルをokしてくれている美人ショップ店員二十歳がいるし(たまらなく可愛い)、最近、はっと驚くような美女モデルさんも見つけたし、文章だけより写真付きの方が面白いんじゃないのかなと。
全国の萌え美少女・萌え美人の皆様、私の佳子のモデルになりませんか? 漏れなく抱っこよしよしして差し上げます。ギャハ
@@一銭にもならない芸術、現代詩
金になる芸術とならない芸術がある。才能と努力だが、それ以前にジャンルとしてあらかじめ誰も儲けられないジャンルがある。それが現代詩だ。書店は詩集を置いてくれず、商業詩誌からの依頼原稿をあげても原稿料が貰えず、ほとんどすべてに近い現代詩人が自費出版しており、現代詩だけで食べている人は一人もいない。
商業詩誌の新人賞の賞金はたったの10万円。そんなものを商業といえるだろうか。21世紀新鋭詩文学グランドチャンピオン決定戦の賞金も選者持ち寄りで10万だ。
何故そのようなことになったかというと、現代詩はつまらなくて売れない、すなわち商業価値がない状態が長く続いたからだ。10年や20年というスパンではない、もっと以前から、現代詩は支離滅裂で意味不明、難しくてわけが解らなければ偉いという風潮に毒され、現代詩人の作詩意図は「どんな解釈もすり抜けてやる」といったもので、読者に何某かの感銘を与えるという意識はまったくなく、そもそも詩人仲間内以外の読者を想定しておらず、仲間内で学術用語を並べ立ててほめ合っている有様だ。
そのような詩を正常な一般の方が読んでくれるわけがなく、出版という商業からは鼻つまみ者扱いで除外された。
だから、私たちの戦いは二重だった。私は「人様に捧げる言葉の花束」という意識を持ち、ちゃんとした美しい日本語で読者を震撼させ、感動していただける詩を書こうと努力してきた。私の詩は東野圭吾さんの小説を読んでいる二十歳の美少女にもちゃんと理解できる(携帯小説しか読まない人には漢字が読めないとか言われてダメだが、笑い)。
そしてあるときから現代日本最大の詩人に私自らが成らなければならない、美と神秘の魔術師として名を轟かせねばならないという強い意志を抱いて散文詩集「青の果て」(佳子シリーズ7部作)を書き始めた。己の才能を信じ、まず自分自身が前述した現代詩の状況を突破しようと挑戦してきた。「青の果て」で私は現代日本最大の詩人になったと傲慢に確信している。現在、完成した「青の果て」の原稿は商業として成り立っている出版社に読んで頂いているがまだ返答はない。そこがダメなら他をあたるし、見つからなければ電子書籍、PDFでもいい。とにかく自費は極力避け、ちゃんと自分が書いた文章でお金を稼ぐ。他の芸術ジャンルでは当たり前のことをやろうとしているだけだ。
もうひとつの戦いはまともなメディアを作ることだった。先述した言語遊戯に明け暮れていた商業詩誌に関わる気になれなかった私は、7年前、志を同じくする詩人たちと共に芸術としての本来的な詩を取り戻す為に「世界性」・「人様に捧げる言葉の花束」の旗を掲げ、新しいメディア、新世紀詩文学メディア「文学極道」を打ち立てた(21世紀のルネサンス)。トップページに「程度の低い者出入り禁止」という趣旨のことが書いてあるにもかかわらず最近は低迷も見られるが、この7年間、特に最初の数年は時代を代表する綺羅星のような詩人たちがいっせいに集まり、文学極道は瞬く間に現代詩の頂点になった。一条、コントラ、りす、ケムリ、軽谷佑子、ミドリ、光冨郁也、浅井康浩、宮下倉庫、泉ムジ、いかいか、黒沢、ひろかわ文緒、佐藤yuupopic、、、
だがここも商業と結びつける道はまだ見えてこない。
突破したい。
必ず突破しなければならない。
私個人も、文学極道も、一銭にもならないという在り方を超え、正当な報酬のある地平へと。
まずは私自身が突破者と成りたい。