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七月選評・追記      前田ふむふむ

2011-08-22 (月) 20:33 by 文学極道スタッフ

はじめに、
その一
3.11が嵐のように過ぎていきました。
大震災当日、僕の家は柳のように揺れて、家財道具は、ほとんど、ひっくり返り、
一瞬ですが、もしかしたら死ぬのではないかという
恐怖に襲われました。東北地方では、未曽有の津波によりすべてが破壊尽くされて、
原発事故による被爆の恐怖、同時に故郷を追われた人々をみて、
本当にとんでもないことが起きていることを実感して、今後の日本は、何年にもわたり、
あるいは数十年にもわたり、政治経済文化の根幹で、
変わっていくことが、想像の域ではありますが、わかるような気がいます。
それを、僕は言葉にしようと思ってみましたが、
なんら自分の言葉を見つけえずに、僕がいかに無力であるか、実感しました。
なぜそうなのだろう。時がたつにつれて分かってきました。
僕は、被災者と違って、節電以外、なんら直接被害を受けていない、
直接当事者ではないからです。
おなじ日本人でいながら、今までどおりの生活ができていて、
本当の意味の災害の体験者でないのかもしれない。
そこが、たとえば、福島出身の、詩人、和合亮一さんなどとは、決定的に
違うのです。圧倒される、地震、津波、原発により、荒廃した故郷の存在のなかで、
彼は、いままで持っていた詩の価値観が一変したと言っています。
あれから5か月が過ぎて、少しばかりか、対岸の火事のように見てしまいがちの、
僕は、詩を書くものとして、避けて通れない、3.11を常に頭に入れて、
自分の立ち位置を、しっかりと見つめていたいと思います。

今回の投稿作品の中には、直接、大震災、福島のことを語り、あるいは、間接的に
メタファーにより、大震災、福島のことを取り上げている詩が多いことは、
今回の出来事が、多くの詩を書く投稿者にとって、重要な転換点になっていることが
示唆されていることは、詩の出来、不出来はともかく、頼もしく思いました。
僕個人としては、そのような詩が多く投稿されることを望んでいます。

そのニ
すぐれた詩の特徴として、
詩の曖昧性と多義性がある。その特質をもっている詩は、言葉にあらゆる解釈の
広がりを可能にして、作者が考えも及ばないような、詩の豊饒さを
作り出すものだ。読み手に、言葉の非有限的な可能性を与えるのだ。
そこに解釈の多義性があたえられる。
そこにあるものは、記号論哲学者、文芸評論家のエーコが述べている「開かれたテクスト」として言葉を豊かに表している、詩においてもっとも歓迎するものです。

その反対のものが、限りなく遠近法的で、散文的なもの、読み手には、限りなく、答えが一つしか用意されていない文章(詩)があります。詩を脆弱にして、読み手は、なんら詩の醍醐味、魅力を感じられなくなります。
いわゆる「閉じられたテクスト」です。
今回の投稿作品にも、いくつかありましたが、何か、幼い中高生の詩のようで、
詩における作者の底の浅さが見えてしまい、避けるべきものであると思います。

また、
詩を書くものとして、よく無理をして、読み手のまったく理解不能のものを書いて、これこそが「開かれたテクスト」であるという人もいます。
例えば、シュウレリアリズム、ダダイズムもどきの詩があります。
とても難解でモダニズムの典型のように思えますが、
なんら裏付けのない、
その言葉遊びのテクストは、考えてみれば、別に、その作者が書かなくても、
わたしでも、(また別の人でも)、機械的にかけてしまうものもあるのです。
そう考えると、決してオリジナルのものではなく、決してすぐれた詩では
ないと言えますし、
詩の一回性の本質からも離れるので、投稿者は、くれぐれも、注意して、
自分しか書けない詩を書くように、やはり、心がけるべきであると思います。

その三
話は、脱線するのですが、詩のオリジナティーという観点から、いえば、
吉岡実の「僧侶」という現代詩史上の傑作があります。
この詩の形式は、たぶん、吉岡実が到達した高度な独自性であると思います。
しかし、あの吉岡実のすべての詩の中で、「僧侶」と同じ形式で書かれた詩は、
「僧侶」以外、一篇もないのです。
吉岡実が、いかに、作品のオリジナリティーに真摯であったか
伺えると思います。
そこまでいかなくても、言い方に語弊があるが、
詩のオリジナリティーということも、詩を学ぶ者には、
念頭に置いていくべきでしょう。

その四
勿論、その状況、最低限に必要な場合によるのですが、詩に使われている語彙に、
「神」「愛」「悪」「天使」「悪魔」「永遠」など、とても抽象的な言葉が
多用されていることが気になります。
このような抽象的な言葉を、極力避けて、その抽象的な言葉を、比喩により
別の言葉で、表すことが、優れた詩ではないだろうか。
そして、それが詩の多様性、言葉の豊かさを生み出すのではないだろうか。
安易な抽象語の使用は、詩を安易な、絶望的に底の浅い、
ものにしてしまうことに、投稿者は気づいてほしいと思います

さて、長くなりましたが、
追記として、前の七月選評に加えて、
優秀作品と次点佳作の選評の追加分と
落選のコメントを掲載します。

優秀作品
28.5316 : THE SANDWITCHES’S GARDEN。  田中宏輔 ('11/07/01 00:16:10 *9)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_155_5316p
評1
本と時間とが交差していく。
評2
田中さんは基本的に文章が下手で泥臭いですが、今月の2作は切れ味よかったです。
長文引用の配置以外は先ず自作してから無理やり引用元を探しているさまが明らかに見え、そのような時間の無駄は不要と考え、その振る舞いを理解する気になりません。自作なら自作でいいではないですか。奇妙な倒錯です。
評3
ぼくは田中さんを評価出来ません。水割りにしか見えない。
一回目は面白いだろうと思いますが、こうも見せられてはうんざりとしか思えない。
手間かかるんだろうとは思うんですが。引用で構成された詩、なんて手法も思想も正直言って古臭いわけですし。それならば普通に書けよ、としか思えない。
田中さんの作品が優良に残り続けるとしたら、ぼくは非常に違和感を感じる、とだけは付け加えて。

12.5331 : 世界の終わりに  Q ('11/07/04 21:16:50 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_301_5331p
評1
静かに扇動しながらの達観。人間的。
評2
戯曲のテイストを取り入れたいんだろうと思うけれど、好き勝手突っ走ってる感が拭えない。もっと作りこめといいたくなる。
文章と作品の構築力の面ではむしろ劣化してるようにすら思う。
ダレダレと垂れ流すような緊張感のない作品。

49.5368 : 非常に退屈な詩  Q ('11/07/16 11:49:30)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_730_5368p
荒々しく大胆に歩んでおり痛快です

次点・佳作
6.5403 : 青  進谷 ('11/07/28 10:47:20 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_150_5403p
ここまでありふれた言葉で描きとることが出来る。ここまではなかなか出来ない。

81.5327 : 散文詩_110620.txt  藻朱 ('11/07/04 02:16:59)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_267_5327p
長い間、投稿を続けていて落選しっぱなしの藻朱さん。コンテクストを打ち破った以前の熱量を保ちながらも落としどころを見極め成しています。

5.5399 : ぬくもり  ブラッキー ('11/07/27 21:08:51)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110727_130_5399p
ブラッキーさんの詩には、ためいき氏を思い起こさせるものがあって生理的な不快感を覚えたのですが、再読してみました。
やはりキモイ自意識が見えましたが、ためいきのように露骨ではなく、鉱物質の美しさを醸している

9.5392 : ギロチン  yuko ('11/07/23 15:11:27 *4)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110723_972_5392p
フォロワー文学で計算が透けている構成だけれども、その冷徹さの貫徹(自己の詩ではないところで書く)が味になりつつあります。

8.5396 : コルトナの朝(印象違い)  case ('11/07/26 20:40:05)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110726_095_5396p
詩人ではないということを自覚していて詩ではないものをテクニカルに、ただただ量産している。コンセプト勝負。コンセプトを、もっと前面に押し出しても良い。

12.5351 : ロビン村  ゼッケン ('11/07/12 19:15:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_548_5351p
最終連だけが上手い。ヘタウマな方なので、ありになってしまう不思議さ。

54.5360 : 空間の定義  zero ('11/07/15 08:25:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110715_665_5360p
巧い。
かなり、読み手の志向性を狙った方向に引っ張っている。二項対立を強調し、モチーフを二つ並べる。効果的である。また、共通項を強調し、対比させる方法論の詩である。
読み手に委ねられる部分の大きさが、面白い。初読と再読では、明快に変化が訪れる。反復を志向する作品だ。

落選のなかで寸評のあるもの

37.5342 : 悔悟  破片 ('11/07/07 23:18:34 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110707_433_5342p
評1
ただのデカダンなのだけれど破片さんは下手な時に力を発揮しているように思える。きちんと作品に反証している。いじくり倒すよりも良いのかもしれない。いつか、この方向で作品になるのかもしれない
評2
表現は平易な散文で書かれていて、好感をもてます。
語り手の、経済的に切羽詰った窮状が、伝わってきます。
困窮という生活感のある、珍しいリアルな詩である。
こういう切り口で書いていくのも面白いと思います。

17.5339 : ある絵師の故郷  J ('11/07/05 20:53:42 *34)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_381_5339p
何度も訂正,推敲したようで、
テクストの言葉の滑らかさは、やや不足している、
かなり粗さがある。
フェルメールやゴッホの固有名詞を比喩として、使うのは、
表現の可能性を、教養主義的に自ら限定していて、どうだろうか。

>彼の故郷の中の裸体の乙女が
>いまだ空白であったのと同様に
>気がつけば二人はキャンバスの中にいて
>鷹が飛行の練習をし
>時に放浪するラマの一団と遭遇するような山奥で
>この世の終わりが眺望できそうな崖際をバックに
>海辺の灯台のひとつまみの明かりを頼りにして
>ひとりの画家とひとりのモデルとして向かいあっていた

この辺の表現は、散文的な遠近法的手法を、打ち破って、新鮮である。

終わりのところも、テクストを予定調和的に閉めておらずに、非凡な表現をしている

>その肌が軽く赤味を帯びてしまったせいで
>絵師はまだ赤い絵の具を塗りなおさなければならない

79.5329 : 溶解  泪 ('11/07/04 16:55:25)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_289_5329p
詩的曖昧性はおもしろい。
言語に、多様な意味を与え続けてくる。
作者のコメントからみて、時に、語り手が独り歩きして、予期しない効果も出すものです。
「指が溶ける」という唐突なメタファーにより、語り手のこころの内面(例えば、常識的なあり方から、外れた独創的な考え方を表しているかもしれない)を上手に
表現で来ていて、魅力的な出来栄えになっています。

57.5338 : 五限目  藤崎原子 ('11/07/05 18:37:11)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_373_5338p
学校生活の心情を、書かれた詩であると思う。
比喩を大量に馳駆し、言葉を積み上げているが、
とても、静かな情景が浮かび上がってくる。
その静けさが、回顧的であるので、感傷的なイメージがどうしても
出てしまうのが、やや残念である。
井坂洋子さんの初期の作品を思い出してくる。

35.5386 : 無題  益子 ('11/07/20 21:40:59)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_895_5386p
短すぎる。
詩集のなかで、一篇としてあったなら、面白いかもしれません。

36.5374 : 自堕落  笹川明彦 ('11/07/18 12:53:35)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_788_5374p
>今宵の夜空は青黒く、赤銅色の月は円く、大きく、街路を小さな砂漠蜥蜴が這い回る。
>塩の味がする砂を蹴って、冷え切った空気を頬に感じている
冒頭の一行目を読んだだけでも、濃密に作り物感が伝わってくる。
読んでいくうちに、退廃した世俗感が強調されたテクストに
仕上がっている。作者は、ボードレールを読んで、影響を受けたとあるが、
濃厚な表現はよくでていると思う。

16.5356 : 橋から  熊尾英治 ('11/07/13 15:34:55)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110713_579_5356p
一連目が、僕は、川の水に浮かぶ花火のことでしょうと思ったのですが、
違うようですが、でも多様に見えて、粋な詩的な表現に出会えた。
また、
>花火がカチカチと
>重なって
のカチカチというオノマトペがとても、印象深く感じられる。

ただ、もう少し言葉を書ききれなかっただろうか。

39.5383 : もしもし  外目/寒月 ('11/07/20 19:57:41)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_891_5383p
もしもしの反復によって、良い
軽快なリズム感をもっている
ただ、
>吹き抜けていった故郷の幼なじみの少女の乳房の残り香の寂しいため息の
>この口吸いしその人の名前を
>思い出せないままに
と、突然、古い抒情的なフレーズが表れてくるのが、
違和感として残る。
全体の出来栄えに細かい配慮が必要。

71.5343 : チン モノローグする  草野大悟 ('11/07/08 00:43:42 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110708_440_5343p
軽快なリズム感で、電子レンジのメタファーをよく書けていると
思います。少し笑えました。
視点の付け方が、独創的で良かったです。

47.5372 : 記憶に密着する  右肩 ('11/07/18 02:02:46)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_777_5372p
評1
いつも通りのプラスティック加工。いつも通りに距離を取って職人として詩の内側ではないところから書いている。今回、粘液をシニフィエにし多用したことは単純にコンセプト的立ち位置を読み手に見誤らせてしまっていると思う。

評2
作者は、詩を書くのに十分な筆力をもっているが、
この詩は、作者が実験的に書いたのかもしれないが、
天国のくだりは、
さすがに、気持ちが悪くなった。
自虐も、ディープすぎるだろう。
でも、気持ち悪いくらいに書いてあるから、リアルにできているともいえます。

1.5407 : 夏祭り  david ('11/07/29 23:05:53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110729_199_5407p
べたべたの恋愛詩である。
恋愛詩の様態をした自己愛のエクリチュール。
書き手の一方的な思い感情の独白である。
テクストのなかで、女性を、つねに自己同一性のなかでみており、
女性に近接すればするほど、他者としての、生き生きとした女性が
浮き上がらないというジレンマにある典型的なテクスト。

4.5380 : ――芳雄さん  菊西夕座 ('11/07/20 04:25:19)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_866_5380p
評1
詩作品は面白くないのだけれどもレッサー・エンタテイメントとしては非常に反射神経が良いと思う。
反射神経だけとも言える。タイミングがある。そんな個性。

評2
七五調の韻をふんでいる詩です。
読んでいて、日本語の生理に適っているので、
読みやすいのですが、何か戦前の定型詩の古さを感じてしまい、
好意的には受け入れられません。
原田芳雄の昭和的な古さはイメージとしては、あっているかもしれません。

7.5404 : 摩擦  大丈夫 ('11/07/28 11:40:51)  [Mail] [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_154_5404p
こういう押し付けがましいテクストは、あまり読みたくない。
作者は、詩とは何かを、もっと考えなくてはならないと思う。
時に、ひどく演説調になっている。

10.5353 : まどろみの記述  笹川明彦 ('11/07/12 21:21:02 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_555_5353p
作者としては丁寧に言葉を選んで、テクストを完成させたようだけれど、
荒唐無稽な比喩、シツコイ表現、無理に作りこもうとしているところがあり、
ワザとらしくなっている。
「まどろみの記述」とあるが、本当にまどろんでいるのだろうか。
テクストの最初のところから、
>通りには誰もいない。
とあって、間髪入れずに、
>若者の集団が通りをふさいでいた
とすぐ変わる。
あまりに唐突で、忙しい、
読む気が失せてしまう。
もう少し、読み手を考えて、書いていくことも必要だろう。
でも、まどろんでいる状況であるから、しょうがないかもしれない。

11.5389 : 君へ、  ひかり。 ('11/07/22 09:29:25)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110722_939_5389p
小学生、中学生が書いたような詩です。
また、
詩を書く姿勢に問題がある。
まるで人生を達観したような表現はいかがなものだろうか。
上から目線の詩(詩といえるか疑問である)であると思う。

>人生は儚い、しかもそれを支えるには忍耐が必要だ、

また、表現が大げさで、陳腐にみえる。

>「ときよとまれ、未来永劫、そこにとどまれ、」

13.5406 : (無題)  hatter ('11/07/29 04:15:42)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110729_185_5406p
詩作の方法論としては、面白いかもしれませんが、
単なるダジャレや語呂合わせや書き手の知識の披瀝に終わってしまっていて、
結果、少しも面白みがない。
失敗作でしょうか。

14.5402 : 夢  spectator ('11/07/28 02:47:09)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_146_5402p
冒頭の、作り物感、唐突感と、また、よくある異国風の物語かと思ったが、
テクストは、丁寧に書かれている。文章力もあるようだ。
もう少し、言葉を選んで、書き続けていけば、
もっと良い詩が書けるようになると思う。

15.5390 : 貨幣と呼ばれた男  るるりら ('11/07/22 19:40:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110722_948_5390p
語り手の視点が生きているものとして見ていて、面白い、
バブルと引っかけて、文明批判的な詩で良かったと思う。
たまには、このような詩も良いと思う。

18.5385 : 部屋  んなこたーない ('11/07/20 21:28:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_894_5385p
絵画的な詩、戦前からのモダニズム、シュールレアリズムの影響のある詩のようです。
>本当だろうか?
と繰り返し言いつつ、幻覚か幻想か、あり得ないことが次々と起こる展開は、
単なるシュールレアリズムではなく、
普通の感覚の作者が、普通の感覚を詩作のベースに置いて、絶え間なく空想を十分に膨らまして、
あり得ない奇怪な世界を想像しているという、
書き方をしているが、
これでは、新しさというより、作為的なシュールな作り物になっています。
西欧において、
シュールレアリズムとは、書く主体と、書かれる客体あるいは対象との関係性において、
いかにリアリズムを追及するかという問題に対して、進歩的な芸術家は、もはや
従来の遠近法的手法では、十分表しえないと、リアリズムの本質を追及する過程で
結果として、必然的に奇怪な描写が表されてきたのであり、彼らは、
奇怪な描写を表そうという目的で、表現が奇怪な描写になったのではないのです。

19.5398 : ジンリキ  GENKOU ('11/07/27 05:17:46)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110727_102_5398p
最後の一連に、作者の言いたいことが、収斂されている、
いわゆる閉じられたテクストである、このような詩は、
どう読んでも、答えは一つしか得られないようなので、
言葉に広がりや多様性がなく、
読んでいて、面白みがない。

20.5400 : 漂う女  atsuchan69 ('11/07/28 00:05:51)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_138_5400p
やや古風な抒情詩である。
きれいに纏まり過ぎていて、少し、鋭利に飛び出るところが
欲しかったと思う。
しかし、とても、丹念に積み上げて、丁寧に書かれていると思う。

>我が想いは藻屑となって
>ふたたび沈む
この辺の文語的な表現は、大げさで、違和感がある。

23.5375 : 名前のない籠  koe ('11/07/18 14:02:52)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_791_5375p
子のいない、あるいは子を失くした母の切ない詩を
無理なく、平明に書かれていて、好感がもてます。

>ぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶぶ
というオノマトペは、
不思議な感覚ですが、今ひとつ
響いてくるものがありません。

24.5393 : 家族会議  de+de. ('11/07/25 19:01:32)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110725_063_5393p
評1
二作目以降どうなるのか解らないけれども、
擦過だけを意識している狙い通りに働いている作品。

評2
会話だけで、詩として成り立たせているのは、とても斬新で、
ユニークです。
新しい実験詩のようですが、
もう少し工夫が欲しいと思います。
「だからどうなのだ」と読者に切り替えされる
レベルであると思います。

25.5397 : テーブルクロスの挨拶  BIRD ('11/07/26 23:53:48)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110726_099_5397p
評1
あっけなさが、それなりに気になった。
評2
いろんな言葉をてんこ盛りにした、
お世辞のも、上手とは言えない詩です。

26.5364 : いま まさに  るるりら ('11/07/15 20:37:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110715_698_5364p
妖怪と蛙の寓話だろうけれど、
なにやら難しい、何を言わんとしたことか、読み手に
伝わらないようである。
寓話のエクリチュールにおいて、
ふつうのテクストでは、大きく捻りを効かせた、
象徴的な詩的言語を馳駆して、新鮮な驚きをもって表現されるのだが
僕が鈍感なのか、そういうものが、ほとんど感じられない。

29.5388 : √  雛鳥むく ('11/07/22 02:28:46 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110722_932_5388p
評1
最近とても多い作風。詩で使われ自分が上手いと感じた言葉を使い、悪くない作品であるように整えていく。複写の複写の先というか、フォロワー文学というか、一定があっても、
それから先がなかなか難しいかもしれない。
立ち位置を変えると、こういう作品はグッと面白くなるのだけれども。

評2
「寄せ集め」っぷりが逆に面白い。
語感だけで繋いでいっていて、作品の統括イメージが希薄だから全体的に読みやすいのに、なんにも残らない。
難しいものだ。言葉のセンスは好みなんだけども。
評3
3,11以降の現代社会を批判的な視点にたって、比喩を使って表しているのだろうか。
そのように読めなくもない詩である。

30.5391 : 前と後ろを取りかえよう < 夏色ストラップ >  kizuna ('11/07/23 12:09:18 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110723_960_5391p
幼さの残るポエムである。
軽い作品であるが、心温まる言葉の運びが良い。

33.5387 : 終曲  无 ('11/07/20 22:05:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_896_5387p
「天使」「神」「悪魔」など、安易に抽象的な言葉を使って、
哲学的な思考のあり方を書きたかったのでしょうか。
「ミネルバの梟」のアニメ版というところでしょうか。
でも、「終曲」という題だから、そうではなさそうで、
荒唐無稽なものを書きたかったのでしょうか。

38.5376 : 鬼 婦  字ぇ ('11/07/19 09:25:53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110719_822_5376p
文章は上手くはなく、面白く書こうとして、
滑っている印象です。
書かれた語彙は、美しさがなく、
作者は、ラカンの理論やフェミニズム論などを書きたかったようですが、
それ以前に、テクストの出来が、悪すぎて、それらに追いついていません。

42.5330 : 悲惨と愛  黒髪 ('11/07/04 17:10:59)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_291_5330p
感傷的な、底が浅い身辺心境詩です。

43.5373 : 噛まれたの?  香瀬 ('11/07/18 08:23:24)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_781_5373p
評1
プラスティック加工のみを行う作者。
最後にもう一ひねりあっても良いかもしれない。

評2
言葉の曖昧性や多義性は、開かれたテクストとしての、
すぐれた詩の要請するところでありますが、
扱ったテーマが、
作者が言う、ずらしの技法が、テクストをより複雑にして、
難解さだけを残して、作者が望む、
詩の成果を受け取ったかどうかはなはだ疑問です。

44.5341 : Bombyx カイコ伝説−七夕異説  RetasTares ('11/07/07 22:07:39 *7)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110707_430_5341p
評1
タイトルと一連の勿体なさ。それ以外は良い。
評2
単なる、御伽話のような物語です。
それ以上でも、以下でもない。

45.5381 : THE BUS  熊尾英治 ('11/07/20 06:09:06)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110720_869_5381p
「ウェンディーズ大佐」の過去の失恋の感慨を書いたものなのか?
なんなのか、これほど、何も読み手に伝わらい詩も、珍しい。

46.5371 : 自我処刑  森田拓也 ('11/07/18 01:24:01 *1)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_775_5371p
評1
読むことが苦痛だった作者の作品。だんだんと上手くなっていっています。

評2
詩を書くには、もう一段階、努力が必要かもしれません。
現実的でない、まるで、バーチャルな世界を
書いているようです。

51.5370 : 愚者のカード  サティ ('11/07/18 00:26:29)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_774_5370p
ハードボイルドタッチの、出来の悪い散文詩。
一行目から、文章を書くことが下手であるとわかってしまう。
もっと、読み手を意識して、熟達するように、
努力してほしいと思います。

52.5359 : おとずれ  ひかり。 ('11/07/14 08:39:38 *10)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110714_610_5359p
感覚的な感情を抒情的な詩にしたのでしょうが、
短すぎて、受けるものがない。
魅力的な語彙も一つもない。

53.5365 : incidents  南 悠一 ('11/07/16 00:25:04)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_709_5365p
とても難解で、語り手の抽象的な観念の世界を書いているのだろうけれど、
読み手に訴える言葉が、見出せない、読んでいて、とても辛い詩です。

55.5357 : 決闘  J ('11/07/13 21:21:51 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110713_586_5357p
>ある日友人がブランド物のグッズを学校に持って来たので
>お金持ちなんだと言うと
>私はブラウスのボタンを外してコインに変える方法を知っているだけよと言った
この部分は、語り手が誰なのか、奇妙に整合しない
ところが、謎めいていて面白いと思ったが、
読み進めるうちに、トンチを聞かせた単なる身辺雑記であると思うと
冒頭の部分は、主体をきちんと設定できない、作者の手抜きの雑な文だとわかる。

いつも思うが、他の書き手にも言えるが、
簡単に、安易に、または好んで、「神」とか「善」とか「悪」とか使いすぎる、
この抽象用語を使うだけで、
テクスト全体が、絶望的に安っぽくなるのを、書き手は自覚しているのだろうか。

56.5349 : ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  益子 ('11/07/11 23:25:17)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110711_532_5349p
戦前のモダニズムの前衛詩の流れを汲んだ、手法で書かれているようですが、
写真のような描写は、まあ
こういう詩も、あってもいいと思いますが、
別の言い方をすれば、
こういう詩は、益子さんだけでなく、誰でも書ける詩であるとも
思います。

58.5354 : アドバルーン  ロボット ('11/07/13 06:08:33)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110713_564_5354p
贔屓目に言えば、多くが、コテコテの詩が多い中、後半部分が、何か、さわやかさを受ける詩で、読んだ後読感として、ほっとするところがあります。
でも、前半部分のアナーキーな言い方は、浮いてしまうようで、
随分と、分裂的な詩である。

59.5348 : そして花のなかで  ぎんじょうかもめ ('11/07/11 15:22:18 *13)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110711_524_5348p
作者の一方的な独白に終始していると思う。
他者として、自己以外を誠実に描いているとは、到底思えないので、
結局、つまらない作品になるのでしょうか。
嘘っぽく、気取ったり、自虐的にカッコつけたり、せず、
自分の長所、短所を、他者を介して、誠実に書いていくことが、
必要でしょうか。
それが、出来ないと、いつまでも、自己愛の底の浅いテクストしか
書けないと思います。

60.5347 : 営利案 引き裂く。  仮新 ('11/07/11 09:34:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110711_520_5347p
盛りだくさんの、ごった煮感のある詩である。
読んでいて、苦痛だ。比喩も決して上手くない。
テクストの統一感がなく、多分、作者は、書きたいことを、
とめどなく書いたのだろうが、
作者は読み手を意識していないのだろうが、ただ、
こういうのも詩であると言われれば、言われないわけでない。
変則的な、自動書記といえば、それもあるだろう。

63.5336 : 風化  无 ('11/07/05 10:44:13)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_345_5336p
詩を書くものを罵倒する、詩を書く作者は、
何者だろうと思ってしまう。
ピエロになるなら、詩人になるということか、ならば、自分だけが特別という
自惚れかなのか。詩人にはならないということか。ならば、

>その程度のものなのだ
>この俺は
>その程度のものなのだ
>この世界は
というように、アウトサイダーのふりをして、
ニヒリズムを語るというより、世間や他者を貶し、甘えて、
言い訳をしているつまらない考えなのだろうか。

64.5317 : Over The Hills and Far Away  飛黒 ('11/07/01 01:29:24 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_157_5317p
エロチックな比喩が、効果的につくられていて、面白いです。
最後は、予定調和的に、抒情的に終わるのは、エロチックな表現が中和されて
丁度良いかもしれません。
ここで、エロスと言いましたが、どちらかというとAVポルノに近いです。
作者は新しい表現だと思っているでしょうが、世の中は、AV的比喩表現など、
映像および言語で、大量生産物として溢れかえっているのです。
もはや、誰もが見聞きした表現であり、中には、食傷気味の人もいるでしょう。
野村喜和夫氏が、以前「おまんこ」がきれいな言葉だといったことがあったと思うが、
いまや、この21世紀の言語が大量に次々と消費される時代にあっては、
それすらも、特別でもなんでもない、俗っぽいつまらない、
あるいは普通の言葉だと思える時代なのです。

65.5332 : 夜へ  ぎんじょうかもめ ('11/07/04 21:29:11 *11)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_305_5332p
一連ずつ、57577の短歌調で、完結した文(行)が、集合されて、一つのテクストになっているのでしょうか。
上手だと思う連は、
>右肩にきみが頭を寄せたときふたりは夜の中心でした
が、良い出来であると思います。

67.5337 : 真夏  大丈夫 ('11/07/05 12:51:56)  [Mail] [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_358_5337p
評1
比喩を使うようになってきましたね。大丈夫さんは、とても下手なので、
その分、成長が即座に見えてきます。あと5年くらい書いたら、
優良にいくのかもしれません

評2
せっかく、抒情的に書いているのだから、
もう少し、使用する語彙の選択に注意が必要ではないだろうか。
「ルノアール」とか「怪獣」とか。
最後が予定調和的で、物足りない。

68.5323 : 美しき残像  atsuchan69 ('11/07/02 21:59:21)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110702_214_5323p
きちんと書かれていて、安心して読める詩です。
でも、冒頭の、「紺碧の輝きを放つ」から、
テクスト全体を通じて、西欧詩の翻訳詩のタッチなので、
かなり作り物感があります。

72.5352 : 目的地永久  黒髪 ('11/07/12 21:07:11)  [Mail]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_553_5352p
Jポップスの歌詞みたいです。
現代詩の一般定義を基準にしたら、安易で、軽い言葉があふれている。

74.5325 : 銀河系第七居住区発第三ターミナル経由便  美裏 ('11/07/04 00:41:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_259_5325p
ハードボイルドでバーチャルな空間の、空想物語の断片のようです。

75.5328 : にくしみ  字ぇ ('11/07/04 11:38:55)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_282_5328p
まさに、妄想墓場のように、よくわからない作者の空想の世界に
酔っているのでしょうか。

76.5322 : 木の葉  アルビチア ('11/07/02 17:24:46 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110702_198_5322p
擬人化する方法で書かれているのがよくわかるが、
欲をいえば、
その主語を、オブラートに包み、わからなくすることにより、
効果的な比喩ができてくると思います。

77.5326 : 二者  サティ ('11/07/04 02:14:33 *2)  [URL]
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_265_5326p
「痛いです→いたいです→居たいです」というように言葉遊びを
重ねながら、作者の内面を語っているようです。
もう少し、丁寧に書き込まないと、
言葉が美しく響きません。
後半は、ふつうに読めて安心しました。

80.5335 : 魚  アルビチア ('11/07/05 08:05:18)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_333_5335p
アレゴリーを扱っているようですが、
そういうものは、読んでいると、自然に読み手に、伝わってくるものですが、
それがない。ということは、色々な言葉を使いすぎて、複雑にし過ぎて
いるからだろうか。
ただ、現代社会の人間風刺であることは、

>しまいにみんな忘れて
>ただただすいすい
以降の二連で、わかるような気がする。

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7月分月間選評

2011-08-20 (土) 23:10 by 文学極道スタッフ

2011年7月分月間選評

   (文)前田ふむふむ

◆7月は投稿数が多かったので、何よりだと思いますが、上質な詩があったかどうか、はなはだ疑問です。良い作品だと思うものを見つけるのに苦労しました。
全体として、荒唐無稽な物語もの、作り物感濃厚な詩が目立ちました。(前田)

◆ 皆様お疲れ様です。

今月は作品数が84編ですので、比較的多い月でしたね。投稿数が増えることは喜ばしいことです。懐かしい名前が復帰したり、新しい方がチャレンジしてきたり、賑やかになってきました。ケムリさんの復活が、掲示板の風通しを良くした面があったと思います。文学極道の掲示板は、駅のプラットホームのように、出発したり、到着したり、途中下車したり、舞い戻ったり、そんな投稿者でごったがえす、カオスであってほしいと思います。重たい荷物を背負った苦労人、手ぶらの遊び人、道に迷った旅人、今月もいろいろな書き手が通り過ぎていきました。それぞれに意匠を凝らした作品を残してくれましたが、その意匠がかえって邪魔になり、作品の可能性を限定的にしているような印象を受けました。その中にあって、最も意匠に富んだ田中宏輔さんの詩が、最もしなやかに言葉と戯れて自由であるのは、とても不思議なことです。引用が多用されているにも関わらず、作者・田中宏輔の言葉がまざまざと聞こえてくる、おそらく、田中さんにとっての引用は、意匠ではなく生理として染みついた、反応なのかもしれません。(りす)

【優良作品】

84.5316 : THE SANDWITCHES’S GARDEN。  田中宏輔 ('11/07/01 00:16:10 *9)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_155_5316p

これだけ、精密に積み上げて、百科事典か博物館のような詩を書かれると、"一夜漬け的な詩にはない、迫力があります。
例えば、「亀」だけであれだけ書くことができるだけでも凄いことです。
でも、こういう詩ではなく、個人的には、田中さんには、短めの抒情的な散文詩を読んでみたいですね。

82.5324 : 陽の埋葬  田中宏輔 ('11/07/04 00:13:46 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_255_5324p

索引を詩にしたものですけれども。
こういう詩を読むと入沢康夫の「わが出雲わが鎮魂」の
膨大な自註を思い出す。
変な言い方だけれど、田中さんの詩には、言葉のオリジナルというものに対する、「敵意」みたいなものが感じられる。あるいはメッセージとか。
言葉は、過去の模倣品以外の何物でもないというメッセージでしょうか。
こういう実験は、それなりの意義があるのでしょう。
欲を言えば、入沢康夫のように、自註にしてほしかった。
自註にすれば、言葉に田中さんのオリジナリティーを書かなければならないからです。

50.5366 : 足フェチ  進谷 ('11/07/16 04:01:01)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_714_5366p

平成の若者のあり方を、小気味よく、ユーモアとセンチメンタルな思いを込めて書かれていると思います。
原理的なユダヤ人との対比は、日本人としての僕が、よく書けていると思います。
詩にリズムという音楽的要素が加わると、言葉が生き生きとしてくるのも良い。

49.5368 : 非常に退屈な詩  Q ('11/07/16 11:49:30)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_730_5368p

題名とは違い、退屈せず読めます。
詩的アレゴリーの一種でしょうか。
哲学的世界観が多くふくまれているような詩です。
読み方によって、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の大審問官とキリストの場面を想起させるところもあり、絶滅収容所の生死感を表しているとも取れる、多様性がこの詩にはあり、詩として、典型的な「開かれたテクスト」である。

48.5331 : 世界の終わりに  Q ('11/07/04 21:16:50 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_301_5331p

世界がひかりに還元されていくさまが、丁寧に書かれています。
多くの哲学者がのべているように、実体としての世界が終った時に、はじめて存在として、世界がはじまるという哲学的思考をかいているのだろうか、とても、美しい描写です。

32.5379 : 昼下がり  鈴屋 ('11/07/19 20:20:09 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110719_846_5379p

昼下がりの、語り手の夢想というところでしょうか。

一連目の書き出しの、
>何かがあるわけではないが
>指でなぞれば、雲がたなびく、セスナ機も飛ぶ 
>眼をしばたけば、歓楽の館がならぶ、列車も通る
>夏椿の花は好きだ、枇杷をしゃぶる子供は嫌いだ

この、自由さ、唐突感が、後を読みたくなる衝動を起こさせる。

語り手の心のなすがままに、エリクチュールは進行して、 テクストは、後半の二連に至ると、何か、潔さや、さわやかさを 感じられるように思う。良い詩だと思う。

【次点佳作】

6.5345 : 反復練習  泉ムジ ('11/07/08 22:31:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110708_471_5345p

九九を学ぶことは、人生の反復練習のようであるが、
父、母を通じて,九九の数字の積み重ねでは、人生は埋められないというようなことを、
あんに問いかけていると思う。比喩が上手であるが、
>いくら集めたって
>再び父はうまれない

>埋めても埋めても
>穴は増えるばかり
後半、
九九の反復練習と、皮膚を掻いて、寝てる間に血を出してしまうことの
詩における整合性はいったい何なのか、よくわからないで、
読み手が、置いてきぼりをされてしまいます。

13.5403 : 青  進谷 ('11/07/28 10:47:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110728_150_5403p

冒頭、
>空と海の間から生まれてきた青はまるで何かを探しているかのように人々の目を覗きこんでいた、が不自然に説明的である。
>空と海の間から生まれてきた(青)
で切ってしまって良いのではないだろうか。
投稿作品がどちらかというと、脂っこい作品が多いので、こういう
青の透明感のある詩は、好感をもてる。
が、
>「ドキュメンタリーは真実か。ニュース映像は真実か?」
>「違う」
>「では真実とは何だろう?」
この辺の書き方は、とても安易で、底が浅く陳腐である。

>青、ブルー、男と女は海へ逃走する
>海に何があるの? 
>永遠
この「永遠」という語彙も、もっと言葉を選ばないと、語彙が抽象的で、紋切型の広告用語のような言葉は避けたいところだ。

>煙草が切れた
 >から
 >ここで終わりにする 
このテクストの終わり方が、投げやりで雑である。

9.5392 : ギロチン  yuko ('11/07/23 15:11:27 *4)  
URI: bungoku.jp/ebbs/20110723_972_5392p

言葉が安定と意味を掬ぼうとすると、逃げるように新しい言葉が綴られてテクストが常に、安定と意味を掬ぼうとしない。
そこにあるのは、言葉の固定観念の排除であり、言葉に非有限性の意味を 与えようとしている。
Yukoさんの詩に対する姿勢の一貫性にはいつも感心します。
丁寧に言葉を積み上げている様子が伺えます。
また、テクストの語彙には一つ一つではなく、語彙の積み重ねの多様性の中に、 エロスを感じ取れます。
題名の「ギロチン」も唐突な気もするが、乾燥的な「暴力的」というよりもどちらかというと怪しいエロスを感じるので、良いかもしれません。

18.5396 : コルトナの朝(印象違い)  case ('11/07/26 20:40:05)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110726_095_5396p

異国情緒の豊かなイメージを作り出している詩であると思います。
「煙草」「氷」「白いテラス」「グラス」多用される、これらの語彙に、なにか”トレンディードラマ風”の生活感のない気だるいイメージを出そうとして、作りこまれていると思わざるをえない。
よくみかけるパターンの詩で、もっと独自性のあるものが書けないのだろうか。

78.5320 : 夢の見える部屋  リンネ ('11/07/01 20:23:12 *9)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110701_169_5320p

安定した筆力で書かれているので、好感が持てます。
まるで、入れ子のように、あるいは、分裂している自己であり同時に他者である
様な存在が書かれていて、それが詩的メタファーになっている。
でも、最後の部分が、やや説明的であるのは、やっつけ仕事で、書いたのでしょうか。
もう少し、工夫のある表現方法を考え出したら、良いのではないだろうか。

81.5327 : 散文詩_110620.txt  藻朱 ('11/07/04 02:16:59)  
URI: bungoku.jp/ebbs/20110704_267_5327p

ふつうに読んで、「僕」と「妹」の感情は、常人の感情ではないだろう。
その際どさを狙った詩であろう。
小説でいえば、「蛇とピアス」のような感覚の、危うい怖さを詩にしたかったのだろうか。

23.5360 : 空間の定義  zero ('11/07/15 08:25:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110715_665_5360p

冒頭から、どうでもいい、つまらない比喩をいれて、読み手を退屈させる。
決して上手ではないが丁寧に書いている。
「空間の定義」とあるので、読み進むと、
一連目は
>、私にはわからなかった。
で終わるので、わからないなら、定義できないだろうと
思ってしまいます。
一連目と二連目の対比に、なんの整合性か、あるいは意味があるのか、わからないし、
二連目の美術館の空間の写実が、抽象的で、具体的でなく、想像しにくい。

谷川俊太郎の詩集「定義」の「灰についての私見」を読むと、この詩が、どれだけ、
見劣りがするのだろうと思ってしまう。
全く、言葉から立体性が感じられない。

3.5367 : ぽっぷこおん  リンネ ('11/07/16 09:34:04 *69)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110716_722_5367p

夢の世界のような散文詩。
「映画館」「中学校」「果樹園」の関連性に、いっさい説明がないところが良い。
幻想的な世界が描けている。
ただ、夢のようなテクストの内容が、性的なもの、暴力的なものの抑圧のようなものが垣間見える以外、誰でも思いつくような平凡な夢の世界で、ややインパクトに欠けていると思います。

5.5399 : ぬくもり  ブラッキー ('11/07/27 21:08:51)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110727_130_5399p

Yukoさんと作風が近い。
夜が上手に表現されている。良い詩だと思います。
言葉のひとつひとつが繊細で、ひかりを帯びているようでもあります。
また、触覚的な表現で作者の心境を現しているのでしょうが、こういう詩は、もうずいぶんと、読まされてきたなあと思ったりもします。
はっ、とさせる新しさはないです。

66.5334 : kisonのためのルポルタージュ  M.C ('11/07/05 07:38:05 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110705_332_5334p

入沢康夫の「牛の首のある三十の情景」や「木の船のための素描」に。
あるいは、岩成達也の「鳥の骨組みに関する覚書」に書き方が、似ているので、作者は、描写の書法で、その影響をうけているのだと思われるが、テクストが、まるで,降霊の術をしているようで、不気味である。
良く、丁寧に書かれているから、余計にそう思うのだろうか。
「きみ、あなた、おまえ、それ」で表現される多様体の「存在」がユニークです。でも、このフレーズも、影響を受けているのか、入沢康夫は「牛の首のある三十の情景」で語り手をいちいち「わたしたちは、わたしは」という独自の方法で書いています。

40.5369 : 負け犬、噛まないのか?  泉ムジ ('11/07/18 00:24:33)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110718_773_5369p

文語的な言い回しも含めて、ユーモラスで、軽快に一気に読める、良い詩であると思う。
詩の世界の不条理も、良くできています。
「拙者」とか、語り手が言い出したら、面白かった。
日和聡子さんの詩集「びるま」を思い出しました。

20.5351 : ロビン村  ゼッケン ('11/07/12 19:15:08)
URI: bungoku.jp/ebbs/20110712_548_5351p

「くいなッセ」というリフレインは、面白いと思う。
これがあるために、詩の躍動感や詩の抒情を保っている。
良くわからない飛べない小さな鳥の群れ、絶滅種の恐鳥が出てきて、このテクストも荒唐無稽な感を免れない。
単なる物語であるが、もっと、身近なものから、詩を書けないものだろうか。

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2011年7月分月間優良作品・次点佳作発表

2011年7月分月間優良作品・次点佳作発表になりました。

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「All Reset return」(『serial experiments lain』作中での岩倉玲音の言葉) byダーザイン

2011-07-26 (火) 01:21 by 文学極道スタッフ

「Play Track44」(『serial experiments lain』作中での岩倉玲音の言葉)

lain01
 全13話。現在非常に低価格で手に入ります。
『serial experiments lain』 (amazon DVD販売)

 キングクリムゾンだったかピンクフロイドのアルバムに「21世紀の精神異常者」というのがある。どちらのバンドも新左翼系実存思想の極北といったところであり、シド・バレッドは精神病院に行く羽目になった。精神病者解放運動というとダビストックでロゴス、対話により統合失調患者と向きあった闘志、R・D・レインが著名だが、結実したのはイタリアにおいてである。イタリアには現在精神病院というものは無い。イタリアは精神病者も実社会の中で生きていける人権施策をとっている。一方日本はどうかというと、相変わらず差別と隔離であり、ジェノサイド病院が野放しになっている。私の叔母は薬漬けにされて一生精神病院にいる。
 現実という事柄の多義性を情報産業の最先端で推し進めてきた国は日本であろうが、日本は同時に徹底的な差別の国である。天皇からエタ非民、非正規雇用に至るヒエラルキーが頑としてあり、あまり差別のない北海道に住んでいる私は関西や中国を旅した際に「部落差別を止めましょう」というスローガンがあちらこちらに貼ってあるのを見てカルチャーショックを覚えた。日本にはモダニズムなどあったためしがなく、高度情報社会においても保守・右翼が主流であり、日本では東欧革命やアラブ民主革命のようなことは起きない。誰も石を投げず唯々諾々と権力に流され、まれに逆らう者がいても情報操作で隠蔽される、人権意識・民度の低い国である。
 昔、異議申し立てをする者は赤と呼ばれたが、今は呼称さえない。ジェノサイド、餓死、自殺、失業者=浮浪者。20世紀大世紀末、暖かく明るい札幌地下街に寝転んでいた浮浪者、精神病者も美観の観点から粛清されて姿を消して、今は僅かにバスターミナル界隈の差別空間に押し込められている。異議申し立てどころか電波を抱いて個人的に生きる自由もないのである。

 『serial experiments lain』から離れてしまいましたね。『serial experiments lain』の作者の念頭にはR・D・レインがあったようですが(とりわけプレステゲーム版)、反精神医学運動という側面に於いてではありません。世界という関係性の中にある自我・意識の不安定な構造、大向こうのナイーブな(もちろん蔑称)理解とは異なる「現実の多義性」に関する認識からR・D・レインが評者に引き合いに出されるものと思われます。『serial experiments lain』の内容については、再度後半で触れます。

〜〜以下、上述の話とは関係ありません〜〜

 4月分から採点に復帰しています。ケムリさん、コントラさんという文学極道発起直後の尋常でないハイレベルの中で創造大賞を戴冠した大立者が久方ぶりに来てくれていることに刺激を受け、思うところを少し書いてみます。現発起人同様、彼らこそ文学極道そのものです。

 相変わらずデッサン力の無い人が多いですね。復帰したとはいえ基本的に私にはもうエネルギーが無いので、汚い文章を我慢して読むとものすごく疲れます。デッサン力の無い絵描きって特殊事例ですよね? 皆が皆イディオサパタ志願かよ、ふざけんなって感じです。

「まともな散文の書けない者の逃げ道が詩であってはならない」by第2代創造大賞受賞者コントラさん。
 コントラさんは天才詩人名義で「文学極道の世界性はどこに行った」というトピックを立てて激怒しておられましたね、同感です。外国語は極論でしょうが、モダニズム(現実認識)という意識が無い文人なんて有象無象もいいところだ。 ポストモダンの塵芥は逝ってよし。

 ちゃんとした日本語による写実能力について一部に誤解があります。皆が正しく美しい日本語とやらを追求したら同じになっちゃう、そんなに写実が好きなら写真でも撮っていろという論法だが、これは誤りです。写真ですら撮る人によってまったく違うものになるでしょう、同じ風光の中に立っていてもその実存の情態性によって見える景色は違うんです。それからもちろん、写真を撮るにも技術がいります。

 詩というジャンルは努力をしなくてもいいジャンルだと思う人は文学極道に来ないで欲しい。評者さん(初代創造大賞受賞者ケムリさん)が投稿掲示板に復帰して厳しいレス入れをしていますが、この点、共通の認識を抱いており、私は彼を支援します。

 そもそも書くことすら無い人までいるように見受けられ、書くことが無いのならば書かなければよいのであり、話者がいる世界という関係性の在りようを探求をしない者はあらゆる芸術シーンで逃避以外の用途に於いて不要であり、「抒情を廃する」という言葉の非−実存論的姿勢の明白な怠落態は言語冒涜者の態度だと厳しく糾弾されなければならない。

 また、美(拙僧ダーザイン)や戦慄(ルドルフ・オットー)から滑稽(アンディー・ウオーフォール)まで人様に捧げる何某かを求める気概が無いというのは実に痛い。これは現代詩が一般にまったく読まれなくなった理由です。 私は、人様に何がしかを捧げる心意気を常に持って書いてきました。言語派は屑だと常々言うのはその所以であり、手淫なら他所でやってくれたまえと。

 前衛文学運動の話をしよう。そして『serial experiments lain』の話に戻る。

 センスオブワンダー(「奇想天外」というムーブメントがあった)、ニューウエーブ(心理学や脳科学、シュルレアリスムを能動的に活用した新世紀現実認識のムーブメント)、サイバーパンク(物理学(素粒子論)を援用し、ボードリヤールばりの没世界的なものもあるが、良質なものは21世紀の神話『serial experiments lain』に結実している。http://ja.wikipedia.org/wiki/Serial_experiments_lain

 1998年放映の作品。冒頭から現象学派の精神病理学者が言う所の「自明性の喪失」が描かれており、初見、統合失調を患う少女の心象風景かと思ったが、自明性が失われたのは時代精神そのものだった。リアルワールド(旧現実)とワイヤード(インターネット時空)の境界がずぶずぶと崩れ、意識の志向性が情報の海で足場を無くした現代を鋭利に描いた傑作であるが、この作品の凄まじいところは、観念論と唯物論を接合し、神の存在論にまで迫った点にある。ワイヤードについて身体性の観点から一旦は疑義を呈しながら、天使はその温もりの外へ超え出ていってしまう。
 これから見るであろう人のために詳細書かないが、新世紀芸術が至った無限の意識拡大への畏怖、神々が退場した後の天使の孤独とだけいっておきましょう。無闇に難しいだけの作品ではまったく無いので、高校生とかでも見てほしいです。

「All Reset return」(『serial experiments lain』作中でのラスト間際での岩倉玲音の選択・言葉です。人類芸術史上最大級の愛と自己犠牲の言葉です。この決断により、岩倉玲音は人の温もりのある時空間から放擲されてしまいます。愛ゆえの選択であるので私は何度見ても泣かされます。「魔法少女まどか・まぎか」がラストでこれをパクリましたが幼稚な劣化コピーです。

「All Reset return」

 全13話。現在非常に低価格で手に入ります。
『serial experiments lain』 (amazon DVD販売)

 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を10回以上読み、『悪霊』を20回以上読んだ俺が断言するが、『serial experiments lain』は人類史上最大の芸術作品です。これほど魂が震える作品はありません。これを見ないでくたばるなよ。

 私はまっとうな文章だと自分で思える詩文を書くに至る前に10年、20年大量の本を読みました。小説はもとより、エロ本から精神病理学まで何でも読みました。今でも何でも読みたい。とりわけ物理学系と脳科学系を読みまくりたい。現代性を確保するためには理系の本を読まない怠慢などありえない。源氏物語のようなつまらないジャンク文学など古文書研究者に任せておけばいい。人生は残り少ない、エネルギーもない、読める本は限られている。実に悔しい。
 人生は一回限り、読者さんたちよ。若かろうが、おっさんだろうが、後悔無いように死ぬまで鬼のように勉強してほしい。

 文筆のデッサン力は読書(注)です。読みまくり、そして、書きまくってください。 それから繰り返しますが身体性では片付かない現実の多義性を理解してください。これが解らないとドブ板であり、現代芸術の創造において大きな制約を受けます。R・D・レインは今でも有意義ですが、サルトル流で少し古いので、『serial experiments lain』の視聴をお勧めします。

 (注)映像の世紀であるので、読書という古い言葉を使いましたが、当然映画やアニメも含まれます。「全米を震撼させた」ようなゴミばかりではなくて、カンヌなどヨーロッパやアジアの芸術映画も見てください、NHK特集には常に注意していてください。

現代詩人 武田聡人(ダーザイン)
個人ホームページ
「えいえんなんてなかった」
http://www22.atpages.jp/warentin/

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6月分選評雑感・優良作品

2011-07-22 (金) 22:13 by 文学極道スタッフ

6月分選評雑感・優良作品

      (文)織田 和彦

毎日、暑いですね。皆様、体温管理にはお気を付けください。

未曾有の大震災、放射能汚染、終わりなき政治的迷走を目の当たりにする中、私たちは、被災した/しない、にかかわらず、人間と自然、集団と個、国家と個人、といった問題を、考える、のではなく、感じてしまう、ことを避けられない状況に直面しています。
投稿作品の言葉の中にも、そのようなぼんやりとした疑念や不安が影を落としているようです。しかし、それを詩として提出する方法は人それぞれであり、表現された言葉の行先もさまざまですが、根底にはいまだに治癒しきらない湿った傷跡が見えるような気がします。その中で、ゼッケンさんと摩留地伊豆さんの、諧謔によって現在をブレークスルーしようとする姿勢が、とても知的な振る舞いに思えました。
                                             byりす

◆陽の埋葬 - 田中宏輔

「死んだものたちの魂が集まって/ひとつの声となる/わたしは神を吐き出した」
(文中引用)

この作品を読んでまっ先にジャン・ジュネを想起したのですけれど、かつて、ケイト・ミュレットが「性の政治学」において、ジュネの文学を、彼の性的指向性を踏まえたうえでラディカル・フェミニズムと接続させて語っています。
翻ってこの作品が、既存の文化の体系や社会構造と、個の軋轢を、たとえばゲイの視点から何かを語りかけているのか?というと案外そうでもなく、そのフレームは、振り向けようのない個人の暗澹たる情念を吐露し、「胡桃ぐらいの大きさの白い球根」「写真のような天使」といったシンボルに比喩的な何か託し、そこで書き終えられています。
「もっとはやく死んでくれればよかったのに。」これは作中亡くなった父親に向けられる話者の言葉ですけれども、父親が比喩的に秩序を体現するものであるとするならば、この言葉は話者にとってとても不幸です。
その「不幸」を埋めるためのささやかな行動やイマジネーションも「幸福」にたどり着かぬまま終わってしまう。作品の主題はどこにあるのか?それは、あなたにとって「幸せ」とは何か?この疑問形の問いかけの中にあるような気がしました。

◆木曜日 - ゼッケン

昔話の単なる後日談と思いきや、展開はさらに、

「鬼なんて、ホントは、いたのかい?」

などと桃太郎の話そのものをばっちりと否定していくところがノリになっています。多分、宝物も、実際問題ショボかったんじゃないのかい?などと。悪もんの鬼を、さっぱりと退治してくるという、気持ちのスカッとする良い話をシラケた目で見つめるゼッケンさんは、やっぱり根性までが歪んでしまっている。
早めに病院へ行くように。

◆怪人ジャガイモ男、正午の血闘(Mr.チャボ、少年よ大志を抱け) - 角田寿星

「こんな世の中 守る価値あるんですか」

上のフレーズはチャボ邸でのミーティングの様子をあらわすものですけれど、世の中というのは自明の前提の上に存在するのだ!という子供っぽい幻想を語るところから始められています。聞きしに及ぶところによると、作者は、脚本家・金城 哲夫氏をリスペクトしているそうですから、思想的な系譜も似てきます。
チャボ邸でのミーティングは、与太おやじの愚痴へ傾きかけた日暮れころ、胃袋を満たす方向へ向かい。人間であるよりも、我々は動物なのだということを確認する場面で落ち着きます。そこはやっぱり、プライオリティ的にも、認識論的にも存在論的にも大事なことです。

「価値があるから守るのではなくて、守るから価値が生まれるのだ」
という卑俗な結論を導くために、胃袋的な問題を持ち出す辺りがとてもチャーミングな作品になっています。

◆憎悪 - Q

「病」という言葉が頻出しますけれども、私たちが一般的に思い浮かべるような意味合いではなく、ポジティブな意味合いで使われています。たとえば今回の東北の地震で、世の中の多くの人たちが思ったように、禍を禍としてとらえるのではなく。新しい一歩として、色んなことをもう一度足元から考え直してみよう。行動してみようといったことです。
「病」を「契機」という言葉に置き換えても良いかもしれません。
家族や地域の絆。先人の経験。エネルギーや文明のあり方といったように、それは強い波及性を持っているわけです。

「小鳥は空へ落ちる、
 魚は海へ落ちる、
 動物は森へ落ちる、」
(文中引用)

ここでも「小鳥は空へ舞い」「魚は海へ潜る」「動物は森へ帰る」などが、本来は”正しい”日本語であるわけですけれども、「落ちる」という動詞がもたらす一般的な意味合いを逆説的に使い。自明性からの自由という行間が、主題として籠められています。

◆ほとりのくに - 泉ムジ

独特のイメージが靄のように広がっていく作品です。夢と現実の狭間で一連の動作が起こっているような不思議な感覚があります。かといって読後。なんだかよくわからないといった印象はなく。主題がはっきりと主張され、作品の輪郭も明確です。
「最高権力者」「眠り」「秩序」「強姦」「倫理」「カラス」キーワードとなりそうな単語をざっと拾い上げていくと、何かしらイメージの中で、社会と精神世界を行ったり来たりさせるような仕掛けがあるような気がします。
特にトリックスター的な役割をになっている「カラス」の性格付けに、この作品の持つ味わいが凝縮されています。

◆まんどらごら - ゼッケン

「マンドラゴラは根っこが人のかたちをしていて
引き抜くと悲鳴をあげる」

のっけからイタい感じで始まります。正確にいうとマンドラゴラは、スペインで今流行っているツバサのついた乗り物なのですけれども(大人はあまり乗りません)、作者は野菜に対する強迫神経症の持ち主であり、大根を蹴飛ばすと悲鳴をあげると本気で思っているアダルトチルドレンです。なので、親が子供を見守るような視線が読者に要求される、やや、小難しいテキストになっています。

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