文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

●「2017年・年間選考経過」2

2018-05-25 (金) 15:33 by 文学極道スタッフ

(1からの続きです)

 文学極道年間最優秀作品賞には選考推薦として挙がった数作品の中から特に『◾ひずむ音になれなくて ゆがまなかった』(村田麻衣子)、『光のコークレッスン』(Kolya)、『イヴの手が触れるアダムの胸の傷あと──大岡信『地上楽園の午後』』(田中宏輔)、『埋葬 の 陽』(宏田 中輔/黒崎水華)、『Kite flying』(紅茶猫)、『成人儀式』(朝顔)、『挽歌』(軽谷佑子)、『ファウル、年末の。』(bananamwllow)、『Grimm the Grocer (back to back)』(アルフ・O)について議論が深められました。そして各作品の受賞が決定いたしました。『◾ひずむ音になれなくて ゆがまなかった』(村田麻衣子)、『光のコークレッスン』(Kolya)各作品の受賞ならびに『Kite flying』(紅茶猫)、『ファウル、年末の。』(bananamwllow)各作品の次点が決定いたしました。『◾ひずむ音になれなくて ゆがまなかった』(村田麻衣子)には、時代を超えて残る可能性がある見事な作品であり最後のはみ出していくことを視覚的に操作している部位も素晴らしい、という意見などが挙げられ受賞が決定いたしました。『光色のコークレッスン』には、、題材としてはよくあるものだが独特の形でうまくまとめておりクリケットからの流れが良かった、という意見などが挙げられ受賞が決定いたしました。『Kite flying』(紅茶猫)には、完成度の高い作戦であり世界観も受け入れやすく独特の物語ながらわかりやすい、長くても読みたくなる作品、かなり作り込まれているのが分かるが凝縮されて短いほうがいい気がした、作者の形式を極めていって欲しい非常に作品が気になる、などの意見が挙げられ次点決定となりました。 『ファウル、年末の。』には実存賞受賞の項で触れた意見などが挙げられ次点決定となりました。
 そして最後に、本賞受賞には至らなかったけれども十二分な磁場を示した作者と作品を各選考委員それぞれが推薦し選考委員特別賞が決定いたしました。本賞受賞者などの選考を進めていく際、いずれの作者も自身の作風を持ち推し進め深めていて議論対象となるだけの強度を作品で示しており賛否両論を持ち合わせていることなどが印象的でした。いかいか氏には次のような意見が挙げられました。《いかいか氏は嫌悪感をも覚えてしまう感情を揺さぶる発露があります。時に、それは暴力的で時に、それは悲しく切ない。筆圧が濃すぎて内輪の中傷にしか過ぎない作品も多々、投稿されていましたが、次点以上に残っていた作品は現代詩に人生を振り回されていく人間の芸術が色濃く展開されていました》、《句読点が骨肉を切断していき体液をまとわりつかせながら汚濁にまみれて、しかし成就されていく怨念の強さが呪いのように残ります》、《読んだ後に後悔さえしてしまうトラウマともなる詩文の強さは作者が自己自身を切り刻み苦悩していく様子を他者を巻き込み作品化していく唯一無二の存在に圧倒されます》。鷹枕可氏には次のような意見が挙げられました。《詩が筆者の行為であるならば、その言葉には筆者の皮膚の下にある肉の感触を感じるものだと思います。この方の作品には多くそれがあるように感じられます。言葉で虚飾しようとせず、ただただそこに立ち指先を指し示しているようなリアリティがあると思います》。《鷹枕可氏は自己の世界観を信じ切り、読み手が着いていけなくとも着いていきたくなる領域を示しており、創造者として唯一の存在といって良い異彩を放っています。今年はリーダビリティへの挑戦なども見えて、作品が個々に豊かになりました。詩集を意識して書いていくと、もっと面白くなるかもしれないと思います》。鷹枕可氏は賛否両論あり評価が大変、割れました。完備氏には、静謐さと動的心の軸が合わさりながら詩情を昇華していく手法が上手い、などの意見が挙げられました。岡田直樹氏には、作品が非常に上手く更に読みたいと思う投稿数によっては今年の年間本賞に入ったとも思った、などの意見が挙げられました。アラメルモ氏には、作品の出来がまばらなことが気になるけれども良い作品を書いている、などの意見が挙げられました。本田憲嵩氏には次のような意見が挙げられました。《とにかく作者は詩情を出す力が秀逸》、《情景に意識を溶かし込んでゆく、直接的主張をする必要性のない詩。必要です。この世に必要なんです》、《作者は早めに詩集を編纂して欲しいです》。北氏には次のような意見が挙げられました。《『Mi nada 』は賞向きではないが非常に良いと思った。賞とか関係なく、どんどん書いて発表して欲しいと思った》、《『草花ノート』は、単純に美しいです。作者が実際に自然の中に足を運び、足元に咲く小さな草花をじっと見つめて物思いにふける。最初は連想イメージが淡々と並べられていくものが、細胞を持ち、絡み合い、息づいて、むせかえる森となってゆく様は圧巻です》、《『草花ノート あとがき』はタイトルから期待を抱かせます。視点が落ち着いている中にも常人からかけ離れたところがあり、詩にする意味が感じられました》。ゆあさ氏には、形を変えながら繰り返されるのは読者をひきつける勢いのある言葉である素晴らしい作者、聴覚で書かれていることが分かり視覚的な意識を融合できる作者、などの意見がありました。goat氏には、たゆたいの中の圧縮した静謐を突いている文学芸術の正統派でありながら表現領域を超えるマルチ・ポップを感じる、などの意見がありました。井上優氏には、良い作品ですクリスチャンとしての歩みなど印象深く欲を言うと更に長く読んでみたい、などの意見がありました。『イヴの手が触れるアダムの胸の傷あと──大岡信『地上楽園の午後』』(中田宏輔)には次のような意見が挙げられました。《普段、行間として省かれている部位が書かれた稀有な作品。背景などを知っていると更に面白く思える。詩として提出してあるのだから詩である。そして詩情に富んでいる。おそろしいほどだ》。『埋葬 の 陽』(宏田 中輔)には次のような意見が挙げられました。《コンセプトと技法が一貫していて見事。また賛否両論起こったこと行為を為しきったことは、この技法での成功を意味するし、レスで不快感を書かれていることなども技法の特徴として成功している。破断されているが美しい詩になっていることも勉強になった》。『火の子』(ピンクパーカー)には次のような意見が挙げられました。《体現止めの多用が気になったけれども言葉と言葉の合致から導き出されるイメージに鏡像が引出されていく。数字の使い方が見事としか言いようがない》。『夢の岸辺』(きらるび)には次のような意見が挙げられました。《抜群のセンス。まだ未完成な部分が浮かんでいるが、そこの幅に詩情を感じる。最終連の切れが非常に良い。途中を、もっと整理しても良いかもしれない。読みながら勉強になる作品だった。作者の作品を、もっと読みたい》、《この人にしか書けないんだろうなあと思い、評価しました。所々もう少し練れただろうなと思うものの、その粗さや不完全さの中にこそ作者の本来的な存在が宿ったりするのではないかなと。そういうものが見えるという点で、ただ巧いとか、ただ綺麗で整っている、ただ作り込まれているものより好感が持て惹かれました》。また年間選考の際に、祝儀敷氏に関して次のような意見などが挙げられました。《好き。すげー好き。優良か次点かってつける程じゃないのにすげー引力》、《惹かれるものがある。死の上の時間の経過が残忍でもあり緩やか。詩文を締めるエッセンスもある》。
 総評としては次のような意見などが挙げられました。《確かにお上手でした。お上手だったのですけれど、少し皆様捻りすぎてないかなと。「何を見て、何を感じ、何を考え、何を選び、どう行動するか」感受性が置き去りにされているように感じます。心や魂が未成熟な梅と、匂い立つ時期を過ぎた杏が散乱している印象を全体的に感じました。心を大事にしてもらいたいなーと》。《田中宏輔さん。変わらずの筆力ですね。(2017年度の作品を読んでいるうち、2018年1月投稿ではありますが『横木さんの本を読んで、やさしい気持ちになった』という作品が目に留まりました。横木さん……横木徳久氏が、かつて詩手帖の論評で「新種のメディアの登場によってつねに大量のゴミも一緒にその方向に向かい、移動する」とし、「ネット詩はいずれ淘汰される」と書いたのは2003年のことでした。それから現在までの15年間で、詩手帖がメールアドレスを公開し、ツイッターに公式アカウントを持ち、ライブで一行詩を募集しては連詩を誌面に特集しようとは、当時反ネット詩の先鋒であった横木氏は予測しなかったのかもしれません。良い書き手は媒体の性質に左右されない筆力や推敲力をもっているでしょう。文極が、そのような投稿者の場であり続けていると感じています)。選考委員一同、大変勉強させていただきました。素晴らしい作品の投稿に感謝いたします。

スタッフ一同

Posted in 年間選考 | Print | URL