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2017年12月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  深尾貞一郎

異教徒の女から、
火葬場の右手のちいさな汗だまりは
汗の滴はつっと、
散って
わたしの左目にはいったとき、
目から
骨の各部のあじを薄く云う。

わたしは
あのひとの笑みをうかべて、
むぞうさに
数日まえに足のうらにはられた
ひふのなかの瞳たちと、
ち、ち、 ちち、ち、 ち、ちちちち、と。

タールをぬる
ふたつの蝶のなまぐさく、
下駄箱の蛇のように恥じた
リチウムイオンで、
いつも白い肌をおおうハツカネズミ
は頭のなか
いっぱいに拡がり、
すこし傾ける
と産まれてすぐの
雨に濡れない手をすりつぶし、
ほんの
煎餅のように小指を噛み。

運動靴のなかに
雨に手掴みにして、胸のなか
にできていたものを、
踏みつぶしてしまった。
生身のそしきだったものをぱりぱり
と割り、
そこに
入れた。


もうすぐ百の猿になる。

  田中宏輔



 ジャン・ジュネの『小さな真四角に引き裂かれ便器に投げこまれた一幅のレンブラントから残ったもの』にある、「ある日、客車のなかで、前に腰かけていた旅客を眺めていた私は、どんな人も他の人と等価であるという啓示を得た。」「人はあらゆる他者に等しい、」「各人が単数の、複数の他者である。」「誰もが私自身、ただし、個別の外皮に隔離されたわたし自身だったのだ。」(鵜飼 哲訳)といった文章を読んでいると、一八七一年五月にランボーによって書かれた、ポオル・ドゥムニー、ジョルジュ・イザンバアル宛の二通の手紙のなかにある、「我とは、一個の他者である。」(平井啓之訳)といった言葉が思い出された。そのときには、「誰もが私である」というジュネの言葉と、「我とは、一個の他者である。」というランボーの言葉が、同じような意味を現わしているような気がしていたのだが、ぼくには、よく考えもしないうちに、よし、わかった、と思うことがよくあって、そのときにも、同じような意味なのだろうと漠然と思うだけで、深く考えなかったのであるが、あとで、自分の数学の時間に、命題を教える機会があって、命題とその逆命題の真偽について教えているときに、ジュネの言葉と、ランボーの言葉が思い出され、それらの言葉がけっして同じ意味を現わしているとは限らないということに気が付いたのであった。


他者とは、私ではあらぬ者、また私がそれではあらぬところの者である。
(サルトル『存在と無』第三部・第一章・II、松浪信三郎訳)

 仮に、他者と私とのあいだに相違というものがまったくなかったとしたら、他者と私とは等しい存在であるといえよう。しかし、細胞の個数や、その状態といったところまで同じ条件をもつ複数の肉体など存在しない。一個の肉体でさえ、時々刻々と、細胞の個数や、その状態は変化しているのである。一個の肉体でさえ、厳密な意味では、自己同一性を保つことなどあり得ないのである。それゆえ、ジュネとランボーの言葉を、そのまま字句どおりに受け取ることは誤りであろう。強調表現の一種と見なせばよい。すなわち、「誰もが私である。」は「誰もが私に似ているところがある。」に、「我とは、一個の他者である。」は「私は、ほかの誰かに似ているところがある。」というふうに。どれだけ「似ている」か、「すこし似たところがある」から「そっくり同じくらいによく似ている」に至るまで、さまざまな程度の「似ている」度合いがあるであろう。こう考えると、自己同一性について配慮する必要はなくなる。


それはいくらか私自身であった。
(サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

 これなどは、「それはいくらか私に似ているところがあった。」という意味になるであろうか。


ぼくたちが出会うのは常にぼくたい自身。
(ジョイス『ユリシーズ』9・スキュレーとカリュブディス、高松雄一訳)

 この言葉から、「similia similibus percipiuntur. 似たるは似たるものに知らる。」というラテン語の成句が思い出された。「人間というのは、自分と似た者のことしかわからない。自分と似ていない者のことはわからない。」というのである。たしかに、自分に似た者のことはわかりやすい。しかし、生きていくうえで、自分に似た者ばかりが周りにいるわけではないことは周知の事実だ。よく生きていくためには、周りの人間のことを理解していなければならない。どうすればよいか。自分のほうから他者に似ていかすという方法がある。これが自然にできる場合がある。シャーウッド・アンダスンの『トウモロコシ蒔(ま)き』という作品に、「結婚生活がうまくいっている人たちには、ある種の共通点があるようだ。そういう夫婦はしだいにお互いに似通ってくる。顔までが似てくる。」(橋本福夫訳)とある。こういった現象は、恋人や夫婦といった間柄に限って起こることではない。「alter ego 親友」というラテン語の成句がある。もともとの意味は、「もう一人の私」である。小学生のときのことである。低学年でもなかった。おそらく、四年生か、そこらのことであったと思う。ある日、ぼくは、ぼくの話し方や、身振りの癖といったものが、いつの間にか、親しく付き合っていた友だちの話し方や身振りの癖にそっくりになっていたことに気がついたのである。そういえば、そのとき思ったのだが、そういったことは、それがはじめてのことではなくて、いつも、ぼくの方から、ぼくが親しくなった友だちの話し方や身振りの癖を真似ていっていたのであった。別に故意にではなく、それがごく自然なぼくの友だちとの接し方であったのである。自然といつも、ぼくの方から、友だちに似ていったのである。「私は誰かによく似ている。」という言葉をもじって言えば、「私は、誰かによく似ていく。」とでもなるであろうか。成人してからも、新しく親しくなった友だちの話し方や身振りの癖といったものが、ぼくにうつるということがあって、あるとき、そのことにふと気づく、といったことが、よくある。他者に似ていくということは、他者から強い影響を受ける傾向があるということである。詩を書きはじめたころは、そのことが怖かった。自分が他人の影響をすぐに受けるということが怖かったのである。すぐに他人に影響を受ける自分というものには、もしかしたら、個性などなく、個性的な詩を書くことなどできないかもしれない、と思われたのであった。しかし、その不安は、自分が多数の詩や小説を読んだりしていくうちに次第になくなっていったのである。多数の詩人や作家の書いたものを読んでいくうちに、その影響が重なり合って、一人の詩人や作家の影響ではなくなっていることに気がついたのである。言い換えると、多数の詩人や作家から影響を受けていく過程で、自分の書くものが、誰にも似ていないものに近づいていくということに気がついたからである。ここにおいて、「他者」というものから「多数の他者」というものに目を転ずると、「個性」という言葉が、それまで自分が思ってきた意味とはまったく違った意味をもつものに思えたのである。ぼくは、こう考えた。「個性というものは、多数の他者に似ていく過程で獲得されていくものである。」と。したがって、「真に個性的な者とは、自分以外のすべての他者に似ている者」ということになる。ターハル・ベン=ジェルーンが『砂の子ども』9のなかに書きつけている、「自分に似ること、それは別の者になること」(菊地有子訳)という言葉を目にして、この言葉の「自分」と「別の者」という言葉を入れ替えると、ぼくの考え方にかなり近いなと思った。もちろん、ぼくのいう「多数の他者に似ていく過程」は、エリオットの『伝統と個人の才能』のなかにある「個性滅却のプロセス」(平井正穂訳)とほとんど同じものだろう。トーマス・マンの『道化者』のなかに、そういった過程を経ていく描写がある。「おれは多読だった。手に入るものはなんでもかんでも読んだ。しかもおれの感受性は大きかった。おれは作中のどんな人物をも感情で理解して、その中におれ自身を認めるように思うので、他の書物の感化を受けてしまうまでは、ある書物の型に従って、考えたり感じてたりしていた。」(実吉捷郎訳)というところである。ぼくもまた、この主人公のように本と接していたように思っていたので、マンの『道化者』を読んで驚かされた。たぶん、この主人公も、ぼくのように、容易に信じやすく、だまされやすいという、警戒心のごく乏しい性格であったのであろう。


 西暦一年頃の世界人口は、推計で、約三億。一六五〇年は訳五億、一七五〇年は七億、一八五〇年は十一億、一九六〇年は三〇億、一九八〇年は四十四億三千二百万。
(平凡社『大百科事典』)

 ぼくには一人のパパがいる。そして、ぼくにはママが二人いるけど、血のつながっているママは一人だけだから、血のつながっているのは、パパとこのママの二人だ。血のつながりとして見ると、ぼくとおなじように、だれにでも、パパが一人とママが一人で、合わせて二人の親がいるはずだ。すると、ぼくは、また、ぼく以外のだれでもそうだが、かつては、二人の人間だったことになる。計算がややこしくなるから、ぼくだけに限って考えてみるけど、ぼくのパパやママにも、パパとママが一人ずついたはずだから、二代さかのぼると、ぼくは四人の人間だったことになる。ぼくのパパのパパやママにも、ぼくのママのパパやママにもそれぞれ一人ずつパパやママがいたはずだから、ぼくは三代まえには八人の人間だったことになる。四代まえには十六人、五代まえには三十二人、六代まえには六十四人、すなわち、n代まえには、ぼくは、2のn乗の数の人間だったことになるのである。十代まえだと、千二十四人である。十代といっても、たかだか数百年くらいのことであろうから、数百年まえには、ぼくは千とんで二十四人の人間だったわけである。そのさらに数百年まえだと、ぼくは百万人以上の人間だったのである。千年まえだと、少なく見積もっても、ぼくは十億人以上の人間であったはずである。しかし、千年まえには、日本には、そんなに人間がいたとは考えられないのだけれど、それにしても、ぼくはものすごい数の人間だったのだ。おそらく、千年以上むかし、日本にいた人間は、みんな、ぼくだったのだろう。


 おれはお前たち全部になりたい、そうして、お前たちが皆いっしょになって一人のアントニーになってもらいたい。そうしたら、お前たちがしてくれたように、おれがお前たちのために働けるのだがなあ。
(シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』第四幕・第二場、小津次郎訳)

 かつて、ボルヘスの『恵みのうた』という詩を読んでびっくりさせられたことがある。詩を書きはじめて、まだ間もないころのことだった。もしかすると、そこに、『陽の埋葬』の原点があるのかもしれない。「長い回廊をさまよいながら ぼんやりとではあるが/聖なる戦慄をもってしばしば感じたものだ/わたしは同じ日々に 同じ歩みを/行っている死者、他者であると。/複数の〈わたし〉の そしてただ一つの影を有する/この両者のいずれがこの詩をかきつけているのか。」(田村さと子訳)。ボルヘスのこの詩に出合ってからというもの、ぼくはこの「複数の〈わたし〉」という概念なしには、自分というものの存在について考えることができなくなったのである。つい最近、ナンシー・ウッドの『今日は死ぬのにもってこいの日』という詩集を読んでいたら、つぎのようなフレーズと出くわした。「わたしの部族の人々は、一人の中の大勢だ。/たくさんの声が彼らの中にある。」(金関寿夫訳)。この詩のなかに出てくる「大勢」というのは、「熊」や「ライオン」や「鷲」であったり、あるいは、「岩」や「木」や「川」でさえあったりする。ぼくの場合、自分の声のなかに、血のつながりのあるものの声が混じっていることは、はやくから気がついていたのであるが、あるとき、ひょんなきっかけから、自分の声のなかに、血のつながりのないものの声も混じることがある、ということに気づいたのである。これもまた、ぼくが詩を書きはじめて間もないころのことで、親友の歌人である林 和清と電話で話をしているときのことであった。『引用について』というタイトルの論考を、雑誌の「詩学」に出すことになって、その下書きをファックスにして送り、いっしょに検討してもらっていたときのことであった。三時間近くしゃべっていたと思う。長い時間、電話で話をしているうちに、林の声のなかに、ぼくの声が混じっているような気がしたのである。そして、その声を聞きながら話すぼくの声のなかに、林の声が混じっているような気がしたのである。電話から林の声を通して聞こえるぼくの声を、ぼくが聞きながら、ぼくが林に向かってしゃべるという奇妙な感触を味わったのである。このようなことを、はっきりと意識できた経験は、このときだけだ。それ以後はいっさいない。林との電話で起こったことを思い返してみると、二人が親友であったということも要因として考えられるが、「引用」という文学行為に対して思いをめぐらすことの多かった二人が議論に熱中し、まるで一つの見解を二人が創出するかのごとくに考えをまとめあげていったということの方が要因としては大きいと思われる。この感覚をさらに推し進めると、マンが、『トリスタン』という作品のなかで、「おお、万象の永遠なる彼岸における合体の、溢るるばかりゆたかな、飽くこと知らぬ歓呼よ。悩ましき迷誤をのがれ、時空の束縛を脱して、「汝」と「我」と、「汝(な)がもの」と「我がもの」とは、一つに融けて、崇高なる法悦となった。」(実吉捷郎訳)と書き表している境地にでも立つことができるのであろう。あるいは、また、ムージルが、『静かなヴェロニカの誘惑』のなかで、「甘美なやわらぎと、このうえもない親しさを、彼女は感じた。肉体の親しさよりも、魂の親(ちか)しさだった。まるで彼の目から自分を眺めているような、そして触れ合うたびに彼を感じとるばかりでなく、なんとも言いあらわしようもないふうに、彼がこの自分のことをどう感じているのかをも感じとれる、そんな親しさであり、彼女にはそれが神秘な精神の合一のように思えた。」(古井由吉訳)と書き表しているような境地にでも立つことができるのであろう。残念ながら、そのときのぼくは、そのような境地になど立つことはできなかったのであるが、たとえば、ホイットマンが、『草の葉』の〈私は自身を礼讃する〉のなかに書いている、「すべての人々のなかに、私は自身を見る」(長沼重隆訳)といった能力のあるひとならば、あるいは、『バガヴァッド・ギーター』の第六章に書かれている、「すべてのなかにわたしを見、わたしのなかにすべてを見る」(宇野 惇訳)といった能力のあるひとならば、たとえ、相手がだれであっても、「崇高なる法悦」や「神秘な精神の合一」に達することなど珍しいことでなんでもないのだろうけれど。


 胸の想いをのべるためにじぶんの舌をつかっていると、ぼくは気づく、ぼくの唇がうごいていることに、そして話しているのはぼく自身だということに。
(ロートレアモン『マルドロールの歌』第四の歌、栗田 勇訳)

彼はことばをきる。自分の口を借りて、まるで見知らない声がでてきていることに気づいたからだ。
(サルトル『奇妙な友情』佐藤 朔・白井浩司訳)

だれでも、自分自身と一致していないときに限って不安をもつのだ。
(ヘッセ『デーミアン』第八章、吉田正巳訳)

 あるとき、ふと、自分の声のなかに、自分ではないものの声がまじっていることに気づくという、ぼくと同じ体験をしたひとは、あまり多くいないようだ。林を含む友人たちに訊いてみたが、だれも、そのような経験をしたものはいなかった。しかし、たとえば、巫女が声色を使って、神託や口寄せをすることはよく知られている。ただし、この場合、声が混じるというよりは、まったく別の人間の声になっているといった方がよいかもしれない。いずれにしても、神託や口寄せをする巫女の声に、ぼくたちが、畏怖の念を抱きつつも耳を傾けるのはその声の極端な変わりように、まさにいま尋常ではないことが起こっているのである、といった印象を受けるからであろう。どうやら、ぼくには、人格だけではなく、声というものもまた、統一的な存在であると思いたい欲求があるようである。しかし、よく考えてみると、相手によって、ぼくの話す声と口調が異なっていることは確かである。性格の方も、声ほどではないが、相手によって、やはり違ったものになっているようだ。ただし、これは巫女の場合とは違って、どれもが、ぼくの声であり、どれもが、ぼくの口調であり、どれもが、ぼくの性格であるように思われるのだが。しかし、いったい、いつ、いかなるときに、ぼくのほんとうの声が、ぼくの口を通して出てくることになるのであろうか。


子供が自分の声を探している。
(ロルカ『唖の子供』小海永二訳)

どの声もどの声も僕のまわりを歩きまわる。
(原 民喜『鎮魂歌』)

声はつぎつぎに僕に話しかける。
(原 民喜『鎮魂歌』)

僕は自分自身を捜し求めた。
(ラディゲ『肉体の悪魔』新庄嘉章訳)

鏡があった。あれは僕が僕というものに気づきだした最初のことかもしれなかった。僕は鏡のなかにいた。
(原 民喜『鎮魂歌』)

 ヴァロンによりますと、幼児は最初、自己の鏡像のばあいには、他人の身体の鏡像のばあいにもまして、それを本当の身体の一種の分身として見ていた、と考えなければならないわけです。/多くの病的な事実が、そうした自己自身の外的知覚、つまり「自己視」(autoscopie)が存在することを証言しています。まず、多くの夢のばあいがそうであって、われわれは夢の中では、自分をさながら自分にも見える人物であるかのように思い描きます。こうした現象は、溺死の人とか入眠時の或る状態とか、また溺れた人などにもあるようです。そうした病的な状態において現われてくるものと、幼児が鏡の中に見えている自分自身の身体について持つ税所の意識とは、よく似ているように思われます。「未開人」は、同一人物が同一瞬間にいろいろな地点にいると信ずることができます。
(M・メルロ=ポンティ『幼児の対人関係』第一部・第三章・第一節・a、滝浦静雄・木田 元訳)

およそ問題となるのは、自分が自分をどう思っているか、なんと自称しているか、なんと自称するに足る確かさを持っているか、という点だ。
(トーマス・マン『道化者』実吉捷郎訳、句点加筆)

しかし、
(ヘッセ『青春彷徨』山下 肇訳)

人間は自己自身を見渡すことができない。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳)

僕らが自己を発見しようと思ったら、自己の内部へ下りてゆく必要はないのだ。なぜなら、ぼくらは外部に見いだされるのだからね。
(ホーフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

己れを識ることを學ぶための最善の方法は、他人を理解しようと努めることである。
(ジイド『ジイドの日記』第五巻・一九二二年二月十日、心情嘉章訳)

「第一の格言」と、リュシアンは思った。「自分の中を見つめないこと。それ以上、危険な誤ちはないから」。真のリュシアンというものは──それを今、彼は知っているのだが──他人の眼の中に求めるべきなのだ。
(サルトル『一指導者の幼年時代』中村真一郎訳、読点加筆)

 もちろん、「他人の心のなかを知ることなんて、絶対にできない」(スーザン・マイノット『庭園の白鳥』森田義信訳)ということを知ったうえで、他人が自分のことをどう思っているのか、考えるのである。ベン=ジェルーンの『砂の子ども』7にある、「私は沈黙のうちに錯乱し、彼女の思考と一体化し、それを私自身の思考として認識することができた。」(菊地有子訳)の「錯乱」という言葉など、ランボーの手紙のなかにある言葉を思い起こさせるが、この主人公は「錯乱」しているというよりはむしろ「錯覚」していると言った方が適切であろう。さて、この辺りで、そろそろ羊の話に戻ろう。まえに引用した「それはいくらか私自身であった。」や「すべての人々のなかに私自身を見る。」などに見られる、ジュネの「誰もが私である。」という言葉に収斂していくものとは違って、ランボーの「我とは、一個の他者である。」という言葉は、これまで見てきたように、「私」の成り立ちと、その起源について、ほんとうに、さまざまな知見をもたらせる、多元的な認識を示唆するものであった。一方、ジュネの言葉は、そういった多元的な認識を示唆するようなものではなかった。というのも、ジュネの言葉が、まず、「他者」は「他者」であり、「私」は「私」である、ということを前提したものであるからであろう。ランボーの言葉は、その前提にこそ疑いの目を向けさせるものであったのである。

しかし、本当は、どちらがどちらに似てゐたのであらうか?
(三島由紀夫『太陽と鉄』本文)

すべてのものが似ている?
(エリュアール『第二の自然』14、安東次男訳、疑問符加筆)

もっとよく見ようとすると、いっそう見えなくなる。
(ダンテ『神曲』浄罪篇・第三十三歌、野上素一訳、句点加筆)

それが「僕らの自我」
(ホフマンスタール『詩についての対話』富士川英郎訳)

ほんとうさ。
(ジュリアス・レスター『すばらしいバスケットボール』第一部・I、石井清子訳)

嘘じゃないよ。
(サリンジャー『ナイン・ストーリーズ』小舟のほとりで、野崎 孝訳)

夕方になると、
(ロラン・バルト『恋愛のディスクール・断章』不在、三好郁朗訳)

縄跳びをする少女がいる。


ひと跳びごとに少女の数が増えていく。


同じ姿の少女の数が増えていく。


少女は永遠に縄とびをしているだろう。
(サルトル『自由への道』第一部・8、佐藤 朔・白井浩司訳)

ノックの音。父がはいって来た。
(G・ヤノーホ『カフカとの対話』吉田仙太郎訳)

 その後ろから、パパに瓜二つのパパが入って来た。二人のパパが、ぼくの机の横に立って何か言いかけたところで、またもう一人のパパが入って来た。と、思う間もなく、四人目のパパが、開いたままのドアをノックして、ぼくの部屋に入って来た。そうやって、ぼくの部屋のなかに、つぎつぎと瓜二つそっくりのパパたちが入って来た。ぼくのベッドのうえにまで立つたくさんのパパたち。ぼくも、とうとう立ち上がって、たくさんのパパたちのあいだで、押し合いへし合い、ギューギューギュー。うううん、暑いよ、パパ。うううん、痛いよ、パパ。ぼく、つぶれちゃうよ。ああ、もうこれ以上、部屋に入って来ないで。あああん、パパ、いたたたたた、痛いよ、パパ!


成人儀式

  朝顔

母方の叔母が、喪服を着た私にバナナチップ
スばかりたらふく食べていないで、紫色のア
イシャドウをもっと濃く目元に塗りなさいと
いきなり言った。それから、焼き場から呑み
屋にいざなって、鯨のたけりが食べられない
のかと嘲るように哂った。私が耐えられなく
なって泣き出すと、やさしく頭をハグしてく
れた。

桜が満開だったあくる日、しくしくとまだ啜
り泣いている私と叔母は花見に出掛けた。人
の群れはどこも哀しく蠢いていた。ふと気づ
くと、叔母は小さくなって、わたしのさえず
りにもうすべり込んでいた。あっと声をあげ
る間も無く、彼女の血液と私の血液は交換さ
れた。私はそれまでどこかでまだ怖れを抱え
た頑な少年だったのだ。

屋台では明石焼きを焼く音がじゅうじゅうし
ていた。私は残酷に小腹がすいたと懐の貧し
い叔母に告げた。お勘定を待って小さくなっ
て震えている私に、叔母はたまごと出汁とタ
コの味はどうだったかいと訊ねた。美味しか
ったと答えると彼女は満足そうに微笑んで、
ふらりと沼の方角へ消えていった。明石焼き
はほんのりと舌の上できいろく甘かった。

その晩、わたしは初めて唇に深紅を乗せた。
窓の外の梟の声は、私をやさしく包むようで
ある。フローリングには脱ぎ捨てた黒い服が
無造作に散らばっている。しとしとと降る四
月の雨は、私の乳房をつよく柔らかく噛むの
であった。


湖底の朝顔

  游凪

一晩で枯渇した湖の底を歩く
横たわる群青色の夜の匂い
静寂を行方不明の影が彷徨く
湿った老犬が自らの大腿骨を齧っている
浮草がへばりつく泥濘と
点在する緩やかな水溜まり
朧気に映る二つの月の共鳴
先祖返りした朝顔が咲いている
螺旋する蔓の青さ、揺れる燐光
濃霧の中で仄かな光だけがしる、し
浮かぶ美しき想い出に眩暈がする
左腕が引き攣る
噛み過ぎたかつての傷痕が

深淵の監視者に拉致された、
あの甘美な孤独の日々
低い天井には僅かな星のみが瞬く
交わらない生、の生臭さ
持ち合わせの欲求に嫌悪して
痩せていく心臓は静かに漂流する
曖昧な境界は容易く一線を越えて
解き放たれた重力の足枷
骨の浮いた身体は重く沈み
浮遊する魂と冷たい星屑
手放す意識の切れ端が滲んだら
呆気なく太陽は死んだ
感情のない体液を垂れ流す、
これは正しく病気である

日々はやがて乳白色と混じり
病んだ猫の粘膜を優しく拭った
長い長い夜の果てに揺らめく小さな焔
そこから生まれた恒星は
星座を描き、月となり太陽となった
満たされた湖に揺蕩う月光
瑞々しい群青色の夜の匂いが
微かにさざ波立つ湖面に浮かぶ
その畔に佇んだ名前を持つ影
褪せることのない想い出は湖底へと沈めた
螺旋する蔓の青さ、揺れる燐光
今も水底に朝顔が咲いている


百葉箱のなかの祈祷書

  田中宏輔



小学校四年生のときに読んだ『フランダースの犬』が、すべてのはじまりだという。実際、彼の作品
は、神を主題としたものが多い。二十代までの彼の見解は、サドが『閨房哲学』の中で語ったものと
同じものであった。「もし神が多くの宗教によって描かれているようなものであるとするならば、神
こそ世の中で最も憎むべきものであるにちがいない。なぜかと言えば、神はその全能の力によって悪
を阻止し得るにもかかわらず、依然として地上に悪がはびこるのを許しているからだ」(澁澤龍彦訳)


石の水、
(森本ハル『石の水』読点加筆)

この岩の古い肋(あばら)骨(ぼね)、
(ゲーテ『ファウスト』第一部、相良守峯訳、読点加筆)

水はえぐった岩のなかの石だ、
(マクリーシュ『地球へのおき手紙』上田 保訳)

現在の見方は、このような単純なものではない。三十代前半に、彼はさまざまな苦難に遭遇したが、
それらを克服することによって、以前とは違った目で、事態を把握することができるようになったの
である。はじめの間、彼は、まわりが変わったと思っていたのだが、会う人ごとに、きみは変った
と言われることで、実は、まわりが変わったのではなく、自分自身が変わっていたのだということに
気づかされたのだという。ヨブ記を何度も読み返したらしい。魂の方は神を信じたがっているようだ。


ひからびた岩には水の音もない。
(エリオット『荒地』I・埋葬、西脇順三郎訳)

水の流れる音を聞くために、
(G・マクドナルド『リリス』42、荒俣 宏訳)

私は眠りもやらず書物に向かってすわりすごした。
(ヘッセ『飲む人』高橋健二訳)


ダイアン・アッカーマンの『感覚の博物誌』第四章に、「poet(詩人)という言葉は、もとをたど
れば小石の上を流れる水の音を表すアラム語に行きつく。」(岩崎 徹訳)とある。これを読んで、
出エジプト記の第十七章を思い出した。エジプトから逃れて荒野を旅するイスラエル人たちが、飲み
水がなくて渇きで死にそうになったとき、神に命じられたモーセが、ナイル河を打った杖でホレブの
岩を打つと、そこから水が出たという話である。アラム語は、キリストや弟子たちの日常語であった。


あの海が思い出される。
(プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』第一章、金子幸彦訳)

すさみはてた心は
(レールモントフ『悪魔』第一篇・九、北垣信行訳)

あらゆることを、つぎつぎ忘れ去るのに、
(ナボコフ『ロリータ』第二部・18、大久保康雄訳)

羅和辞典を繰っていると、懲罰、痛苦、呵責といった意味の単語 poena を見つけた。そばには、詩と
いう意味の単語 poema がある。共通部分poeが、詩人のポオと同じ綴りであることに気がついた。
小学生のときは、画家になることが夢だったらしいが、作品の中で語られている理由のほかに、もう
一つ、理由があった。画家なら、人と違っていても、そのことで苦しむことはないと思ったからだと
いう。人が自分と違うということを知ったのは、彼が、小学校二年生か、三年生の頃のことであった。


魂が
(ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』第七章、福田恆存訳)

海を見ていた。
(川端康成『日向(ひなた)』)

たやすく傷つけられるものは恒常なのだ。
(オスカル・レールケ『木の葉の雲』淺井眞男訳)

たぶん休み時間のことだったと思う。学校からそう遠くないところで、火事があった。後ろの方から、
火事だと叫ぶ声がして、生徒たちが、いっせいに窓辺に近寄った。みんなが、わいわいと騒ぎ出した。
その火事に目をやる顔の中に好きな友だちの顔があった。その顔も笑っていた。誰かの家が焼けて
いるというのに。そこで誰かが苦しんでいるかもしれないというのに。怖くなって、友だちの顔から
目を背けた。こう語った後、彼は言った。他者が自分ではないことが、あらゆる苦痛の根源である、と。


沈む陽(ひ)の最後のきらめきとともに
(ゲーテ『若きウェルテルの悩み』第一部、井上正蔵訳)

波の上に
(ポール・フォール『輪舞』村上菊一郎訳)

むすびめは、はじけ。
(ヴァルモール『サージの薔薇』高畠正明訳、読点加筆)


お願いマッシュルーム

  北岡 俊

どうか親切にしてください
どうか傷つけないでください
どうか、倖せにしてやってください
何から何まで欲しいものを与えてください
そうすれば欲求
という、はんぺんみたいなのはなくなりますから

嫌いなものに対し
嫌悪と批判の力を示す強さ
好きなものに対し
愛していると言う滑稽さ弱さ
どちらも持ち合わせていない
自分を引き上げることが
とてつもなく僕は不得意
てか不得意な事すらも隠しながら
僕は僕に敗北する、し続ける

濃厚な黒いマッシュルームが空の
隅に生えているのを見つける
逆さに生えてる
いやそもそも、マッシュルームが普段
どうやって生えてるかも分からないし
通常、目にしている状態が逆さ
と本人らは思っているかもしれないから逆さかどうかも微妙だけども
とにかく僕に対しては逆さ、なのだ
誰もが見て見ぬふりをする
そこに生えてる、とか思ってないのか
もしくは生えてると信じたくないのか
淋しさ、虚しさが風のようにして
黒いマッシュルームを撫でていく
けど僕は気がついたからね
シカトはできない
近づいていって手を伸ばし
引っこ抜いてやろうとすると話しかけられた
ーー君は、そうやってなんでも触れようとするの? なんで? アホなの? むせきにんではないかーー
公務員っぽい感じの男だ
見たこともない制服を着て憤慨してる噴火してる
なんて答えようかまごまごし僕は黙ってる
伸ばした手を引っ込めてから
ーーどうか親切にしてくださいどうか傷つけないでくださいどうか、倖せにしてやってくださいーー
と願い、できる限り笑った
黒いマッシュルームは白くなって小さくなるとぷっと消えた


ひずむ音になれなくて ゆがまなかった

  村田麻衣子

アスファルトのうえに芽吹けなかったものがひずむ 静寂を描きかけて 
やめて熱量がたちのぼった瞬間。目に映るものの すべてに記されたの
が記号でなく水彩画でよかったね 泣いてもにじまないアイラインなん
て風情がないけれど きみが きみ自身が滲んでも滲まなくても 叫ん
だことのある人の顔だからね

流さないでいい想像の中での血は、現れるまで 流れ着くところをえら
ばない 昇華されなかった思いがすべて そこで 透き通って 少女が
踊るのであなたかどうかわからないけれど きれいなひとが 溢れた世
の中でよかった。

そこまで及ばない馳せられた思いも、彼女の嗜好がなんだったのかに変
換され雑誌に書かれていて/





          抱え込むようなかっこうで街を歩く 雛鳥をからだ
のなかに 放した 腕の動きがどんなにたどたどしくても、消耗していく
温度を、右手から左手へ 広げながら 深くお辞儀した 骨が見えて 
もう雛ではなかったんだ 
鋭い目つきでわかった 閉じ込められたこの気持ち ねえわたしが き
れいでいることとなんの関係があるのかしら 路上の測量の読みにくい
文字があらわせた 踏みつけて そういう形になった そんなつもりは
、なかったんだよ 綺麗な少女のふくらはぎが世界を描こうとしている
じゃないか 二つに一つをえらべない時に てのひらに 在ったがもう
すでにないものを、泣き腫らすほどにそう。声にならなかった凝縮され
たものが胸に 垂れていくほどに あたまのなかは重みがかたよったま
ま満ち足りていく 
二つの脚に。宿るあたたかさは、交差することを。赦された 偶然だか
らわたしのなかから排除したのは あなたでしかできなかったことなの
に 生きていることを許されたような透明な血液が、透き通ったんだ 
そこまでひどく人見知りをする 反面 歪むかもしれないけれど、握り
しめました わたしのものでなかった
あなたの手でした 
 かなうかわからないことだらけで信じられなくて 滴りに消滅する生
命の。かけがえのない。筋肉の層は、厚くなるだろう、その消えかかっ
た跡のうえを、歩みます。
そこにいるだけです。なんにも 言わないでさ 重い教科書持ちきれないでいる
持たされて まだ憶えていないことだらけが記されている その重さに耐えて 歩むのがやっとでした


浮遊

  ゆあさ

もう500年ぐらい電車に乗っている気がする
気がする 線路の音がする

右耳の奥で明滅する
群生する/ぞわぞわした/子供の手
もう500年ぐらい前から電車に乗っている
人.,がたくさ ん過ぎ.て/ いった。
ひとびと ., 近づいてくる目の群れと白熊の/白熊の/しろくまの/あしあと

・・・

明滅する目の奥で音がしている. .,
している .している., してい/る .
いるいるるるるる. るる.,る
手放した空の方でまた幻覚がしている瞼は重く 瞼は重くつらなり・る・(りる)・開いたり閉じたりしている・()・開いている綴じている目のつらなりまだ子供だから言えなかったの , なに/も
(りるりる りるりるりる)

いつですかいつでしたか?手首から根が生えて!吸った水が苦かったのは・空に落ちるのが怖くて・首を貼り付けていたのは .

また
耳の奥に声帯が生じて声を出したり閉じたりしてる うるさい ことをたぶん声帯は知らない その代わりに喉が閉ざされて 窒息する/した .

また
次の駅が過ぎる ドアが閉まる それを眺めている
閉じていく 閉ざされる 閉ざされていく


・・・

らないから らないからい 閉じてください 閉めてください 車掌さんそのドアを閉めてください見えないから聞こえないからもういいから閉めてください

制帽の下に顔はなく瞼のように今は眠って、

りる?

* メールアドレスは非公開


変成

  宮永



あまりに大きすぎるカラダは私の視界に余
りました。竜がその巨大な肉をくねらせる
たび、鱗が立ち上がります。私は狂喜しま
した。山だ!山肌だ!岩々は柔らかに連な
りながらササクレ立ち、その元には黒々と
した影が差し、私はその暗い陰に深くツメ
をさしこんで、ゆっくりともちあげるのを
想像するのでありました。庭先の石をはぐ
ればハサミやワラジ虫たちが慌てて転がり
出ます。そんな嬉しさを思い起こしはした
ものの、この暗がりの奥底に温い肌があり、
熱い血が流れていることを、やけつくよう
な痛みが生ずることを、愚かにも、我が鼻
の穴から生えた毛ほどにも思ってみなかっ
たのでありました。私はひび割れた、声を
あげました。


剥がされ、晒された痛みはまるで、焼きゴ
テをあてられたようでした。おかげで空気
がカラではないことを、私をぐりと囲い込
み、動けば擦れるということを、大気か、
私かたえず蠢いていることを思い知らされ
ることになりました。私は息を殺しました。
地上において、私はコップの中に酌まれた
ようでありました。トン トン と、滴が
私をたたくたび、何とか呑み込んできたの
です。なみなみと注がれた私は、すでにふ
るふると揺れています。でもまだまだこの
まま、丸く盛られた表面に虹をうつして、
微睡んだふりをしていられるはずでした。
いつ、どこで落ちてきた、どんな滴かはわ
かりません。たぶんそれはいつもと何ら変
わらない一滴であったのでしょう。けれど
も私は流れ去ったのです。


中央線

  岡田直樹

Nに

ひとりで台所でコーヒーを飲んでるとね
希望が呼ぶ声はもうぼくのところまで
とどかないって気がするんだ
水がながれてる音を
しじゅう立てる冷蔵庫と
研磨剤でみがいた流しのあいだに
何か捨ててやしないか
まぎれこんだ希望がときどき
苦情を言ってるんじゃないか
そのくせ希望なんか
ひとつも書かれていない請求書が
ちゃんと月ごとに届くんだ
Nよ、かわいい子供にことばを贈る
言葉だけだとお腹いっぱいに
ならないから
ピカピカのカバンを贈るんだろ?
早く片付けさせてやれ
額縁にいれたことばが
手垢だらけの祝辞だと
察知されないうちに
こっちはいろいろあるぞ
後生大事にしていた財産を
ひとつのこらず掃除していった跡も
三件のやさぐれ者の殺し合いが
放っておかれる夜の都会の路上も
あんたの大事な仕事の詳細を
逐一把握してる国の中継基地も
この拝金奴隷


N・Nに

あんたは最悪だよ
最悪中のベストワン
到底信じられない法だが
あんたにだって生きる権利はあるそうだ
昼は偽善と月面旅行と
ヒステリーのあいだをいきつもどりつ
週に一回セックスフレンドと
お花畑でお医者様ごっこ
もう待っていなくていいと
だんなにいわれるのを
鼻をひくつかせながら
かぎつけようとしてる
ふみはずすのはどの場所からって
熟知しながら
真ん中といわれる場所を
すまして歩いてんだろ?
おとなになれ、あんた


明日に

するよ、できるよ
ごきげんよう、また会いましょう
お会いする日が待ち遠しいです
声を張り背筋のばして顔をまっすぐ
クビ向けて
次はうまくきっとうまく挨拶するさ
もうきっとそうするから
だが
また明日会える、と、もうさよなら、
の中間のどっちつかずのところで
恐ろしいほど膨れあがっていく中心に
われわれの日常があるんじゃないのか?
わかったよ
挨拶するさ、だがこっちを
あんまり見ないでくれ、
あんたをまんまとだませなくなる
見るなって
いい?この糞面白くない常識家、堅物


A・Nに

お前がまだ生きてるんだと
いまだに信じてるぼくは本当の馬鹿だな
それとも飲んでるのか?
血糖値が高い可能性なんかよりはるかに
お前がどこに帰るかたしかめたいから
こっちまで呑まれちゃいられないんだ
いつまでもお前の様子を
見てやるわけにはいかないんだ
好きにやるのはいい加減にしろ、
自意識過剰の気取り屋


プレイヤーたちに
体のいい嘘をついてうがったことを
言うのはもう飽きちゃった
夜中に街路から毎日四、五時間も
ぼくを裸にしたつもりで
傷をつくりに来る
三、四人ほどの男女
何かの嫌がらせに集まっているのは
まったく確からしくて
脅しひやかし暴言凌辱
オン・パレードはどこまでも
うす汚く散らかしちゃう
たとえば彼らがぼくを相手にする
くだらなさを
自覚する時が来たら
ぼくはその時何を自覚するだろう?


 Zへ

描いたすべてを後追いしながら
ひとつ残らず打ち消していく
存在を知ってる?
そんな存在が何も言わなくなる
詩を書いたんだ
まったくグウの音も出なくなる
意地悪な文体でね
ぼくにはカタルシスが必要だから
作品がどんな題名だとか、
テーマは何だとか、
文体は結構は、なんてどうでもいい、
最終でカタルシスが訪れてくれたら
全部瓦解して記憶の中だけのものに
なってしまって構わないんだ
きみは壁に向かって座りつづける?
自分を始末すべき時が来ても
誰も片づけてくれなかったらどうする
歩けるうちに表を歩いて
美しいものを探せ
そうしていい空気を思い切り吸うがいい
ここは娑婆なんだ、覚えておけ


Aに

ずい分長い独り言なんだね
きみが愛想をつかす気持ちは
よくわかるよ
何しろわたしは
相手かまわず毒づいて
知り合うひとごと
暴言暴挙のオンパレード
そんなわたしと
友人でいてくれと言うんだから
詩はまだつづいてるよ
わたしをいい詩人だと
言わされたらきみもうんざりするだろ?
その日は一日、酒も浴びるんだろうね?
きみの奥さんがこういう
やっかいなところを見せたら
きみは殴るかい?


 中央線
列車はガクガクガクガク
線路をたたきながら
東へむけ運行中
ぼくはなぜだかセールスかばんを
抱きながら小旅行
どうしてこんな人間に
なっちゃったんだろう
同じように
もう阿佐ヶ谷もすぎたし、中野もすぎた
駅弁はないけれどラーメン屋は
何軒もある
麺屋のチャーシューたまご入りちぢれ麺
総理大臣の代役はなんぼもいるが
麺屋の兄ちゃんにかわりはいない
拝金奴隷拝金奴隷と言いながら
部屋から出た
Nにわびが言いたくて
ぼくも拝金奴隷じゃなかったか
車両は中野を通過し
東中野で入ってきた総武線とならぶ
中学生も総理も兄ちゃんもじいちゃんも
ガクガクガクガクゆれる
ぼくのかばんも心臓も駅弁も
ラーメンもガクガクガクガクゆれる
そう、N・Nは大阪やったな、
昔のぼくはそんな感じの
ぎこちない関西弁
N・Nが躾けて関西弁になってもうた
ガクガクガクガク、ガクガクガクガク
中央線は新宿駅で総武線といっしょに
ホームへすべりこむ
関西弁でボケたが、ぼくは
ツッコミでけへんやった、
そんな感じ…
すると中学生すっくと立ち上がり、
じいちゃんよっこら立ち上がって
停まったばかりの車両を出ていく
もういいやぼくもかばんを抱いて
車内からホームへ
しかしそれは終わりではなかった
終わりではなく、
つながってつながる
選択のなかのひとつのプロセス
この中央線の線路の先になにかある
それだけが知りたくて、
ぼくは今日もこの座席に
腰を占めているのだ


挽歌

  軽谷佑子

帰らなくとも
家はいつまでも家
冬至が過ぎて
まだながく続く冬の
片手をそっと引いた

町がひかりを区切り
高いところで
飛行機がちいさく移動していく
冬の空は色が薄いので
はさみで切った紙のかけらが
はりついていてもわからない


わたしたちはそのまま
落下していく夜の水辺に星は
かがやきやがてすべてはがれおちて
しかたがない と
口に出して

名残の日々がいちめんに満ち
作業だけがかたちをのこす
あまりにも暗い
朝のなかもはや知らない
風景のなか

わたしたちはいつでも
学ばない水位のあがった川の
したいきたえたひとたちによびかける
冬のきまりにしたがい
枝と葉は別れをいいかわす


letters

  芦野 夕狩

寝室の床、木目をうえへうえへと辿っていくと
色萎えたすみれの花びらへと突き当たる
これは紗代ちゃんのおめかしなの、と
あや子が摘んできたものだ
その花びらに刻み込まれた皺の一つを辿り
幾重にも錯綜する筋に多くのまちがいを繰り返して
やがて最初の皺がすみれの一枚の花びらを横断したころ
昇ってきたのが朝陽だった

紗代ちゃん、とは春にあや子が拾ってきた石であり
紗代ちゃん、とは僕らが迎え入れようとした
新しい家族に与えられるはずの名でもあった
まだ朝が多くを語ろうとしないうちに
それを一瞥し、居間のソファーに腰掛ける
カーテンの隙間から細い光が食卓へ伸びているのを眺めながら
昨晩義母からあった電話のことを考えていた
 呼吸をするときにね
 できるだけ吸う息と吐く息を同じくらいにするの
 そうしたらもう勝手にお腹が膨らんだりしないのよ
あや子の言葉を深刻そうに繰り返す義母を宥めて
細い、ひらすらに細い糸を両腕で抱くような
夜はいつの間にか明けていたのだ

空気清浄機のにおい、とほこり、が
一度も点灯せぬ間に太陽は高くに昇り
鋭く差し込んでいた陽光がちょうど
居間と食卓の境目で戸惑っている
何かを思い出したかのように
湯沸かし器の中の水が沸騰をはじめたとき
玄関が開いた音がした
一晩見なかっただけのあや子は
拍子抜けするほど明るく
僕にただいま、と言い
紗代ちゃんも、とわらった
その明るさの意味を知ってしまうのが怖かった
そういえば爪を一か月ほど切っていないことに気が付いた

伸びきった陽光をカーテンで遮り
振りむきざまに目に入った寝台のランプ
薄暗い光に照らされたあや子の華奢なからだ
それは封筒にいれられていない便箋のようだった
暴力的なほどに剥き出しであるのに
厳しい戒めのもとに秘匿されている
宛てられたものだけに明かされるはずの秘密は
読まなければ誰に宛てられたものか分からないという矛盾に
頑なに隠されていた
夜も更けていくころ
あや子を抱いているのに
もがいているようだった
無数の糸にからだ中絡めとられて
それを振りほどくために

寝室に置かれた
もう何も泳いでいないはずの水槽に
何かが着水したような音とともに目が覚めた
あや子は居間のソファーに寝転んでいた
何か食べるかい、と聞くと
食べたら紗代ちゃんを返しにいかないとね、と言った
それは奇妙な驚きであり
僕はそれをうまく隠し果せたはずだ
近くの河原まで二人きりで歩く道中
あや子はちらちらと僕の方を覗き見ているようだった
ここね、という合図で立ち止まった先の風景は
見知った河原であったがもう緑に乏しく
それ故に僕は痛ましい気持ちを抱いたのかもしれない
水辺まで降りていくと
朝陽に煌かされた水が
無数のたくらみを蜂起させると同時に
それを悉く無に帰する運動のもとに
無限に流れていくのであった
あや子が隣で手を合わせていることに気が付き
僕も同じように手を合わせて目を瞑った
しばらくの時間が経って
急にあや子の手が僕の手に触れたのを感じ目を開いた
 ねえ
その声の響きはどこか新鮮で驚きに満ちていた
 あなたの手ってまるですみれみたいなのね
意味などなかったのかもしれないが
僕がその意味をわかりかねて
ふとあや子のわらっている顔に目をやると
ひとすじの涙が頬をつたった痕がある
すみれ、でなくともいい
す、と み、と れ、と 
その全部で君に咲いていたいと
そう思ったのだ


一途

  

朝からおにぎりの中にひとつだけ赤味がかったのが混じっている気がしていた。昼になってそれは紛れもなく鮭の身の塊だと判明した。箸でふたつに割ってみると中から米粒が少しでてきた。この身はぜんぶほぐしたのか聞くまでもなく他のおにぎりの具はすべて塩鮭だった。漁港の市場で干物を買い七輪で炙り酒の肴に防波堤で釣りをした。あまりにも釣れないので時間はゆっくりと過ぎた。夕暮れになってはじめて竿先がぐいーと波に引き込まれてゆくような感覚がしたので糸を巻くと貝殻が引っかかっていた。夜はその市場で買ったカニと調理道具一式を戸建て式のラブホテルに持ち込んだ。カニの捌き方をスマホで調べカセットコンロと土鍋で茹でた。昆布で出汁をとり茹であがったカニの手足を毟り野菜と一緒に鍋に投げ入れ蓋をした。桃色を纏う電灯は妖しげな蒸気の下で身をほじり、味噌を舐め、甲羅を啜り、最後は卵で綴じあわせた雑炊で〆。密室の固く閉じられた窓をあけると潮風が吹き込んできた。旋回する冷気に生臭い部屋は正気をとり戻し、暗闇が波音一面に拡がっている。


優しさの領域

  霜田明

退屈は
ついえることでははかれない

世界中の遺伝子に告げたい
君たちに決められるものなんて
ほんのちっぽけなことだったよ

扉は澄んだ透明だから
敲いてもその向こう側の世界へ
知られることにはならない

清らかであり続けることで映す者が
ひとりの顔と呟けば済むような
分断された部分だけで実存している

触れることは
背中の方角を知ることだ

憂鬱は
服することでははかれない

みんな見ただろう
きれいな顔を
誰も触れることができなかっただろう

僕にはなにもわからなかった
触れることのできる手のひらは
過ごしていくことの眩しさに飢えていた

実在の君に触れることさえ
能力に瀕する水面のように
複雑な光の途を落とすのに

裸足の足跡を残すために
待てますか
生きているままで、

清らかでありたいと思うことが
君を無口にするのと似ている
だから僕らの恋はいつまでも
片想いにしか過ごされない

幸福だよ
僕らはとてもよく似ていた
つまり僕らが繰り返したかったのは
同じ言葉だと信じられたから

反応することは
優しさではなかった
存在することまでが
優しさの領域だった

若さに出口はない
という言葉の
意味が分かったよ

反応することは
寂しさだった
反復することが
寂しさの答えだった

ひとすじの煙がたちあがる
僕は寂しい言葉を聞いていた
それでも君だって綺麗なままだ
服することが夕空に触れていた

明日というほんの小さなことばさえ
僕は君に渡せない
「また一日が終わってしまう」
言葉はそこまでだったから


風ハラ

  

空き缶を、蹴飛ばしたような青空に、飛行機雲は、思い出の先端から、もやもやと徐々に薄れ、青へかえってゆく。米粒よりも小さな、人見知りのおっさんの、喜びや哀しみを乗せて、置いてけぼりの遺恨や、知らず知らずに残してしまったマーキングを、拭い残してやいないか、臭いを残してやいないか、風に尋ねながら、歩いてゆくおっさんに、憂いの心は似合わない。生まれた日に旗を立て、続けてきた記念は、もうこの青空の、飛行機雲のように消えればいいと、願いながら、自分というものが、貴方にとって、なんでもなかったという、せめてもの証に、オロナインと絆創膏を、澄みわたる青空の、切り傷や擦り傷に処方して、お大事に、なんかちょっと図々しくないですか?


物質と記憶

  深尾貞一郎

印象は
セミの幼虫の記憶となり、
背を割り、
伐採された木々を想う。
闇に反りかえり発芽する、
ちぢれた、
アルビノの身を垂らす。

鉄パイプの骨組だけを晒す、
碧い宵の空に露出した、胡瓜畑のビニールハウス

涼やかな夏祭りの夜店、
眩しい白熱電球のもと、つらつらと壁に並ぶ
妖しいプラスチックの面。
それは
幼少期のイマージュであり、
生命力にあふれる、
無限とじかに続いていた自分の価値であった。

児は机を丁寧に拭き、
未完成である作文や
未完成な自画像、
真新しいシャツにこめられた親の情念を並べ、
できあがった無限の印象を、
児の個人的世界を、
リコーダーと一緒に密閉すべき鋼鉄箱に入れる。
封印されたイマージュを
灌木の生えた校舎敷地内の暗い地中に。

頬のふっくらとした、まるい手をした、 
もしくは忘却は、
記憶の楽園に棲む者たちの残り香であり、
掘りおこされたとき、
心の奥、深くにしみいる。
忘れ去った意思を、学習ノートの紙面に見つけ、
時の量を、
消耗された自分の夢をみいだすのであろう。


お母さんに会いに行こう

  白梅 弥子


あぁ お母さんに会いに行こう

誰もいない場所で 古く白い階段を登って

ピーィ ピピィーッ
どこかで鳥の囀る声が聞こえる

キーィ ギギャーッ
どこかで猿の群れが鳴いている

隣にいる小鹿は何処に行っていいのかわからず震えている
きっと見守る親がいるからそっとしておく

お母さんに会いに行こう

素朴な椅子に腰掛けた吟遊詩人は
ずっと自分の武勇伝を歌っている

そこらにある花々からは
安らぎの香りが漂ってくる

もうすぐお母さんに会える

ギィーッ ギギッ

お母さん、お母さん
キィーッ キィキッ
お母さんは猿
お母さん、お母さん、私だよ
オカアサンオカアサンワタシダヨ
お母さんは九官鳥
お母さん、私だよ
よく来たね、なんで来たのよ!
キィーッ キキィ ギギャー!
お母さんはまた猿になった

ギィーッ ギギッ

またお母さんに会いに来よう


そこらの子鹿を眺める

吟遊詩人を眺める

手向けられた花束の香り


ギーィ ガチャン


果てしないさよなら

  霜田明

   一

どうしてさよならしたのに
また会わないとならないんだろう

この頃言おうとしたことが言えない
自由という言葉に制約されるんだ

僕のことばを聞く人に
要求と取り違えられることが恐ろしい

向こう側があると思うことが
存在することの影だった

積み上げられる量が恐ろしいんだ
距離は空間のひずみのことだったから

それが偽りだと思うのよりも
悲しいことだと思うんだ

  二

どうしてさよならしたのに
また会わないとならないのか、と

言おうとするのに言えなかった
寂しさからしか語れなかったから

消えていくものだけが美しいという意味に
取り違えられることが恐ろしかった

生まれて死んでいくことの道程ではなかった
人は死んでいることの溜まりだった

持続しているわけではなかった
死んでしまっているから静止しているんだ

だから歩いていることに
心の底の無感覚だけが触れるものがある

覚えることのできない足音の冷たさに
僕らの実存性はときどき触れる

沢山の人が生きていることの
心の共同を信じる気持ちになる

でもそれは水のように死んで
溜まっていることだった

澄んだ湖面を
魂の風がなでるように

過ごしていくことがある
思想の入り込めない領域が

それは共有されないことが共同だという
僕らの生命の中核だ

だからさよならと言うことは
果てしないさよならを響かせる

それは生命の核なんだ
さよならをけして誤解しないもの

優しさの領域に
気がついたんだ

それからは僕の言おうとすることが
みんな嘘のように感じられるようになった

  三

たった一回 触れられたことが
脳裏のどこかで永遠を響かせる

何百回愛されても
何千回愛しても

永遠に辿り着くことはないのに

信じることは
信じられないからこそ起こるもの

現在はいつでも
距離へ意識を失っているから

現実はいつでも
もう存在しないもの

過去はいつでも
信用に値しないのに

歴史はいつでも
世界に色を与えてしまう

愛に
私があなたを愛することはなかった

愛は
あなたが私を愛することだった

それでも僕は邂逅を見つけた
たった一回きりの現実の中に

無限へ広がるふたつの影が
ひとつの影ではなかったことを

(だからさよならと言うことは
 果てしないさよならを響かせる)

僕がさよならと言うことは
自分を見捨てることではなかった

  四

これからという言葉はありえないだろう
明日は僕の予定する明日に過ぎないだろう

君はきっと一つの線上で我を失うことに安心しているだろう
僕はあらゆる関係を差異とだけ誤解しているかもしれない

君は男でも女でもありえないだろう
君はあなたであるよりも私であることを免れえないだろう

寂しい言葉はたやすく抵触するだろう
でも世界はそれらを拒むことを覚えている

拒むことが顔のように現前することはない
でもそれは色に対する無色のように実存する

だから僕の真実性は二重化するだろう
それが僕が君の気持ちに気づいているということの根拠なんだ

こんな夜中に目が覚めている
僕は僕の身体の中でひとりの顔をもって発語しようとする

それが僕の顔でないことを見咎める君の顔の内部で
発語しようとする言葉が反響しているのを聞いている

  五

世界中が同じ色で塗られていると思うのなら
そう思っていればいい きっと爽やかでいられるから

二本の電線に集う烏の
人間の顔のひとつやふたつ

だって
それは明日を想うことにそっくりじゃないか

自分に向かう視線のような方向性の
差異を過大評価しすぎているんだ

君の優しさに気がついてから

果てしないさよならは
細部を持つ身体のように実感を持った

そこには二人があったから
離別は喪失ではありえない

僕がさよならと言うことが
果てしないさよならを響かせることは

二人でなければならない場所が
陰で充ちるのをみとめることだ


黒の墓標

  atsuchan69

白い柔肌にそっと触れるや否や
とつぜん狂った発条みたいな
青白い器官が左右の外耳道から飛びだして
先ずは目玉をふたつ、
声もなくポロンと落とし
詩人である若い女の頭部はみごと分解した

やがて生気をうしなった首から下は、
まるいお口のビニール人形が
むりやりダイソンクリーナーで空気を抜かれるがごとく
形而上の深遠な宇宙の闇へ向かって
世界間隔を内へ内へと崩しながら収縮をはじめた

ペラペラと個体の表皮が剥げ落ちるのと同時に、
すでに乾涸びた肉の塊りとなった砂の女は
もはや立ちつづける意志もなく脆くも粉々に砕けたが
幾許かの憎悪が、其処らじゅうに女の生きざまを散らし、
関係をもった男の数だけ傷のある板張りの床へ
ごく少量ながらタール状の黒い染みを点々とのこした

嗚呼。))) 化学分解した核スピン異性体の女よ
その名を淫らな金髪の糸でハートへ刺繍したけど
二度と思い出せそうにないアブジャドの綴りと、
巻き舌のRや鼻母音を含んだことばをやっと発して
瞼の裏側に覗く、沼沢のゆれる水面に浮かぶのは、
夜の色をつよく弾いた睡蓮たちの覚醒、
一瞬に咲いた花の、神秘のけだかき素顔。
そう、記憶の底で眠る君の、――あの歌が忘れられない
世界中のかよわさを余すところなく掻き集めた
懸命な響きが一種独特な 君の、あのたどたどしいハミング
なのに陳腐でありふれた瞳の残光をけして見せまいとする、
やたら即興をベタで口ずさむ勝気と幼さが
「カテバカングン」とガッツ石松はいうけど、
ええと、――それって英語なのかな?

況シテ、華奢なカラダに畢生の煌きを宿した
草原の汗と土ぼこりと瑞々しい息と匂いを
小さく未成熟なまま、野生のロレツを【ら行】で絡めた
その舌も、その濡れた卑猥な唇も、
深淵の硬く蒼い岩盤の底から滲んだ甘く溌剌とした声で
昼も夜も人々へ思いつくまま愛らしい囀りをとどける
彼女は無限大に泡立つ原始のパロールを惜しみなく、
滾々と湧きだす奇跡の泉だった

未練たっぷり悔やみつつ
そぞろ想い返せば、
澄ました知性によってもたらされる「疼き」、
抗原抗体反応のそれはアレルゲンとして一般的に
ある種の不快をともなうアレだよアレ
ヌミノーゼの生ナマしさへの妙によい子に振舞おうとする、
国際親善パーティの日本人特有のつまりアレだ
奇妙な条件反射がつよく顔面を引き攣らせ、
頬の筋肉をピキピキ硬直させるモロ、
ディープでレアなアレじゃん

裏通りの陽に焼けた黄色いテントの
怪しい大人のオモチャ屋が育んだ格別に濃い、
さびれた海辺をそよぐ潮風と磯くさいエッチな匂いとか
いたって健康的な宅配ルームサービスだの
男と女のアブナイ関係だとかハードSMだとか
或いは、地の果てまで移動しつづけるサーカス団の
曲芸師じみた特殊な性愛の技と匠の前に、アレレ?
いつしか少年の日のあどけなさは斯くもみじかくも失せ、
さすが彼(ピニーちゃん)は、
一人前の男子として 逞しく立派に勃起した

だから俺。チョー、我慢できない。 )))

激しい怒りと禁断の歓びとを「運命」がシェイクし、
中出しで避妊のためのゼリーと入雑じった
回転ベッドの欲望の火照りを露わに
真っ赤に熟した地獄の果実を指で引き裂き七ケ食べた
お口にぺろぺろ罪深き・俺・の
ピ、ピニーちゃんを不本意ながら、
大胆にも公衆の面前でデッカク露出させ
極めてテキトーかつ気分しだいプラス残忍なタッチで、
白くねっとりヤマト糊を湛えた湖面へひとり舟を浮かべ/た/べ/た、
ヤクザな俺は、携えたスケッチブックに一日中
太い魚肉ソーセージ一本で
見えざる曲線を無数に引きつづけ
曇天に浮立つ山々の紅葉なんかもうどうだってイイから
あえて自分自身の心の想いをより鮮明に描てみせよう

こうして爽やかな秋晴れの日のように
空きっ腹ちゅうか前述の詳細部分はさておき、
此処までの記述は一切忘れてほしい。
パンツを穿き、いつだって遅く目覚めたけだるい朝には
赤ら顔のクエーカー教徒のおじさんが燕麦の粥を右手で口に運ぶ
おそらく慢性の二日酔いが今朝も続いているとしたら、
英国製陶磁器の傍らに置かれた銀のスプーンの窪んだ鏡面に
ごく稀に小さく、ぼんやりと像を結んだ「農家の庭」の絵が覗き見られる
逆さに投影された高価な絵皿の世界でコケッ、コ、コ、コケッ、
夢なき放し飼いの鶏たちは、信じる神も美学もなく
ただ餌を捕食し、処かまわず盛んに交尾と排泄をつづけた
と、いうのも、全くの嘘だろーが。

痛みもなく血の通わない真実がどれほど赤裸々で冷淡であるか
未来を担うべきモノたちは、物質の線と形と、その影とを探るべきだ

 アエテ皮一枚ノ「美」ナド、
 姥桜ノ大樽ニ詰メテ塩漬ケニシチャウンダカラ!
 一緒ニ干シタ大根モ十本クライ漬ケタヨ、
 ソシテ楽シカッタ想イ出モ、全部漬ケタンダ

シリウスの伴星に冬の訪れる頃
黒い染みあとを見て、俺は泣いた
ふん、凶暴な俺のまえでは
詩人の言葉なんか痩せこけた洗濯板の、ただの裸だ!
晒を巻いた腹から飛びだした包丁の柄を握る
キラリと光る一瞬の先。
勢い、よく研いだ出刃をふり降ろして血飛沫、、
醜く老いた厚顔の詩人の首をぶった切ってやった
二度、三度、四、五、六、七‥‥
幾度も、そして幾度となく

殺した詩人の生首が冷たい風に晒され吊るされて
暫く、窓の外にぶら下がっていたけれども
病んだ心の蒼ざめた高名な生首は洟水をたらし
図太くもなお一人、意味不明の詩を朗読した

たぶん、きっといつの日か
その毛の生えた不気味な球体の輪郭すら
高度な漸層法やレトリックともども、
みごと虚空のノイズに紛れて消えてしまう筈である


そう、記憶の底で眠る君の、――あの歌が忘れられない


激しい雨が降るように

  いかいか

病は、
睡蓮、
生きていく、
事に、
深く、
浸す、
病床は、
苗床で、
貴方が、
赤く実る、
季節に、
「激しい雨が降る」

花は、
摘まれる、
ために、
開く、
「砂嵐が止まない」

私は、
貴方の、
言語を、
孕む
「初めての雷雨が身体中を巡る」

睡蓮、
膝を、ついて
私と言う言語を
死んでいく事に、
浅く浸す、
この、
水は、私の、
髪を洗った、
初めての、
死んでいく、こと、
を、水源として、
分かれ、
いくつもの
流れが、
混濁し、
汚れなかった、
ことが
流された、後の、
生きている、
かなしみ、
は、深く、
沈むことができない、

息をとめる、
種のように、
そして、
白く、
吐かれて、
咲く、
花を、
病床とも
名付ける、

病は、
雲雀、
雀、
紫陽花、
睡蓮、
と、名付けて、
痕跡を、
消すように、
体を、
擦る、
と、赤く実る、
私が、膨れて、
弾ける、

貴方を身籠る、
言葉として、
貴方を、

激しい雨が降る、
様に、
砂嵐が止まない、
様に、
初めての、雷雨が、身体中を巡る
様に、
私は、
言語を、

病は、
高山病の、
香りに、
似ている、
から、
葡萄を、
私の、
墓所として、
実り、
食べておくれ、
春先、雪を、
燃やす、
私は
まだ、終わらず降っている、

私は、
紫陽花を、咲かす、
くそやろう、
ここからが、
お前の、
悲劇だ、
よく聞け、
雨の中、
神々の、
はき忘れた靴を、
探せ、
俺は、
明日三丁目を曲がる、
君は、失われた、
スローカーブを、
もう一度投げれるか、
俺は投げれるよ、
はは、革命は、
遺伝子を、泣かせるからな
だから、黙って泣け、田中!!

言語君おやすみ
明るすぎて寝れないんだね、
だから、もう、灯りを消すよ、
君が起きないように、
君が寝たら、
僕はもうただただ、
泣くだけだ!!
泣くな、言葉
悲しみは、
激しい雨が降る様に、
かきけさなければならない

うわああああああああああああああ

病からは甘い香りがする、
それは、窒息するように、
息がつまる、
様な高山病の
香りだ、

私は、待っている、
激しい雨が降る事を


alcohol

  完備

アルコールをわざわざalcoholって発音しておどけるきみの横顔がすきなの。
酔ってたから? 酔ってなくてもわたしはきみに
ついていったとおもう。
きみがすき。だけどわたし
物語なんて要らない。
ちいさな物語もおおきな物語も要らないのに
きみはぜんぶ物語にしてしまうから、わたし
きみがつくったというだけのそれらを
ずっと抱えなくちゃいけなくなった。
もう部屋がいっぱい。
てゆーかここ、わたしの部屋だっけ? きみのだっけ? わかんないけど
物語なんて要らないのに
物語のなかで流れる川に映るわたしの顔はかわいくなかったから
死にたいなって言ったらきみはもっと死にたそうだった。
死にたくなるたびにストロングゼロ飲みながらalcoholっておどけるきみの横顔がすきなの。
だけどわたしときみは死ねないまま
わたしときみはきっとずっと《わたしたち》にはなれなくて、だから、
さみしくないの。

わたしではない女の子が空を飛んでいるのをわたしは
空よりも高いところから眺めてる。
たぶんいま目があったよ
信じて!
きみは汚い電柱と犬の糞とそのへんのババアを見てる。また物語にしてしまうんでしょ
物語のどこにもきみはいないのに、さ。


音・その光景

  森山イロイ

絶えず揺れるコスモスが
公園の片隅で
老人たちを慰めている
その光景を見る度に
ガラス球の中の世界は小さくなる
すべてから遠ざかるように


無音の中に
ぎゅっと閉じ込められた
幾億の唇たちが
一斉に咲き始める


人が歩いて行く 大勢の人に混じって 小学生くらいの少女が いかにも迷子らしい泣きそうな顔で
辺りを見回している 彼女の家らしき場所には もうたくさんの コスモスが咲いていた



***


辞書によれば
浮かんでしまう病のことを
眠りというらしい
口から漏れる光は青く
かつての空を今も染め上げている

浮かんでいくわたしはミニチュアの光景をみつめている
上昇していく
胸の気泡がかぽかぽ騒ぐ
だというのにわたしは
行き先の太陽に居場所があるのかどうか
そんなことばかり気にしている


***


洗濯物が受け止めて
また離れた
緩やかな傾斜を落ちて

まるでどうしようもないものをみるように わたしが浮かんでいく 端々から端々まで 洗濯物が干されていた 呼吸は浅い 泣きたいけど認識されない 見失われた人々があちこちから歩いてくる ありもしない物語 の切れ端を捕まえるため 語られる言葉もまた 聞こえない


つぎはぎの向こうで
男が足を引きずりながら
口を動かしている
ところが音は途中から
光に変わっていくので
公園は明るい
残酷なほど


やがて諦めたように また浮かび上がっていく
知覚の外側を通って 少女には届かない 絶叫を放ちながら 男も 老人も わたしも


十二月

  maracas


駅にある店で、一万円札を両替してもらおうとすると、おじさん店員にブチ切れられた。ガムを一つ買って一万円札を崩そうとすると、おじさん店員はさらにブチ切れた。おじさん店員は私の一万円札を精算台に叩きつけたあと奥へ行き、しばらくして戻ってきて、ガムと九千五百円を叩きつけた。ガムと九千五百円は地面に散乱し、私は周りの人々の注目をあつめながらそれらを拾った。

帰る方法がなくなったと思った。気を落ち着かせるために、一駅分歩いた。知らない土地だったが、線路に沿って歩いていれば着くだろうと思った。途中、広くて平らな砂場があり、なにかのイベントをやっているのか人がたくさんいたので、近づいてみた。人々は、砂場に描かれた幾何学模様の線の上を、歩いている。線はかき消されるが、ふたたび自然に浮かびあがってくるようだ。人々は線の上を歩き、どこかへ消え、どこからか現れるのを繰り返していた。私ははじめ不安に思ったが、知らず知らずのうちに、歩きだした。

日は暮れはじめた。次の駅、次の駅と、歩き続けた。あたりが真っ暗になると、初動受胎、初動受胎と言う声が聞こえてきた。聞き慣れない言葉に戸惑いながらも、歩くしかなかったので、歩き続けた。


Honey conscious honey

  アルフ・O

 
 
青褪める唇、
密度の濃い蜜蝋でふさぐ、
互いにしか通じない
そんな関係。
意識するもされるも、気づいていて、
今は半目で揺られている、
汚す月。
掌に収まる鏡は、互いの顔の為じゃなくて、
増幅する依り代でもなくて、今は、
絶えず重ね合わせて
脈を行き来させる最終手段、
不完全で打ち棄てられた、駒だから。
独り言、そのすべて
回収されて
思念の森に分け与える、
これは挑発。
知らないと思い込んでいる奴への。
意識をぶれさせ、
介入を干渉を遮断する。
「悪趣味正当化してるんだから
 それくらいで困らないでよね?
分け合ってひととき完成させて、
あたしらはまた
噂をかいくぐり
種を求めていのちを振り回す、
 
 
 
*Inspired by MAGIA RECORD
 


天体

  本田憲嵩


   ※

揺らめく瞳に湛えた
微笑みの奥から
さらに微笑みが湧き出ているかのような瞳
滾々とした
透明度の高いその水面の煌めきは
その青い瞳を通して視る世界に
含有されている
金色の星々を意味しているのか
いずれにせよ旺盛な好奇心によって翔びまわる
その青い水鳥は今
飾り窓の中に生えるドレスの樹木に憩う
その樹木に咲き誇っている
洋裁の赤い薔薇を煌かせている

   ※

その距離はほとんどない
対等という名の
おなじ高さにある
鼻の岸壁と鼻の岸壁
一つのレンズを通したように見つめ合う
青い瞳と黒い瞳
砂糖を塗したような覚束ない異国語と
練乳で精製された流暢な母国語が
蔓草のように絶妙に絡み合って
一つの渦巻く小銀河を形成してゆく
鏤められた小さな星星の花
その母音の豊富な微光
そのいくつもの煌めきと陶酔によって
天の川で膨張してゆく明日
乳製品の今日

   ※

強い香水のかおりがスパークする
昨日の情事を煌めく流星の速度で巡る
その頭髪の金星の強い反射率の残光に
かんきつ類が混じって拡がる鼻腔で摩耗してゆく
余韻のリラグゼーション
記憶の燃える小隕石が幾度となく観測される度に
スパーク・スパーク・スパーク!
そのたびに冷たく新発見される
二つの瞳の青い水星
不意にせまり来る
唇の薔薇のような炎星
そのように昨日の情事が次の情事に更新されるまで

   ※

ギリシャ風に白い天体が浮かび上がる
惑星の眠りから目醒めて
閉ざされた睫毛の黒雲が裂かれ
双子の青い衛星が鮮やかに観測される
その時を待つ
不意にレースのカーテンをひるがえして
朝の穏やかな気流が今
その長い睫毛を
吹き払うべき雲としてではなく
黄金の麦穂として
揺り籠のようにやさしく揺らしている
彼女の瞼の奥はもう一つともう一つ
それら青い星だけはでなく
今まさに窓の外で
黄金に輝く
あのひとつの太陽
陽が地平に沈み
やがてこの地球という惑星の約半分が
漆黒のネグリジェを纏うとき
彼女のもう一つの
もう一つの輝く眼は銀の月となる


永遠

  游凪

雨が嫌いになったのはきっと君のせい
降り出す前の灰色の憂鬱
ひきつれて爛れた美しい傷が痛む
鼻腔の奥で煙草とコーヒーの匂いが混じる
小さな魚が飛んで跳ねて
厚い雲の上でクジラになった
遊泳する巨大な白い塊は
潮を吹き上げて雲を散らした
空は近くなって手を伸ばすことを躊躇った
滑空する燕と軌跡をなぞる指先が
唇に触れて柔らかな熱をもつ
伝導する心臓と同じ温かな鼓動
メトロノームの刻むリズムは
洗われた野良犬のお腹
弱々しい光に照らされて
やがてくる夕暮れ
遥か上空に漂う海の蒼さを忘れて
瀕死の太陽は落ちていく

音もなく雨は降り出し
最初の一滴を今日も取り逃した
残されたスクランブルエッグの気持ち
生まれたての今に触れたくて
遮るものは厚い雲だけだった
クジラは名も無き星になっていた
湿った身体は震えている
怯えたように強ばりもする
君も少しだけ冷えていて
二人だけのやり方で
互いの温度を確かめ合った
何も必要ではなかった
ただ君という熱があれば
鼻を擦り合わせて宇宙を見つめる
瞳の奥で光る流星群
飽きずに天体観測の記録をした
星図は新しく描き変えられた

壊れかけの玩具がラベンダー畑の中を歩く
紫色の幻想と褪せない夜の夢
誰かを追っていた気がする
誰かに追われていた気がする
視界が僅かに上下して
揺らめいては滲んでいく
音もなく急速に色を失っていく
煌めいた星の最期を看取った
交わした約束を無くしても
その痕が完全に消えても
少しも涙は出なかった
形はもう意味を成さない
変わりようのなさに安堵して
雨の中やっと眠ることができる
死のようなこの眠りを永遠と名付けた


けつ毛むしり

  祝儀敷

穴の周りの無駄な毛を
早朝にむしる
ぶちぶちっと音を立てて
割と多めに抜ける
けつ毛よおまえはなぜ生える
糞した後にウォシュレットして
それから拭くと紙の丸まったのが絡む
けつ毛よおまえはいらない子
けつ毛よおまえは不必要な子
せいぜいむしられて遊ばれる
けつ毛はなかま十数本
便器の溜まり水に落とされ浮いて
おまえがいた俺のけつを見上げるのだ
けつ毛よおまえはなぜ生える
けつ毛よおまえは貧弱な子
易くむしられ散らされる
ちん毛はあんなに目立つのに
おまえといったらおたまの尾っぽだ
ピンクのトレペに絡まったまま抜ける
鼻毛を抜くようにむしられる
そのまま流され下水施設へ
そこでもただただ沈殿するだけ
けつ毛よおまえはなぜ生える
けつ毛おまえは不憫な子
梳かされも洗われもせずにむしられる


書が好きよ、街を出よう《クリエイティブ・ライティングとしての所作》

  kaz.

【】

私が触れているこの場所、それが東京の住宅街の一角にある草の生えた空き地なのか、絨毛の生えた腸の襞なのか、それともただ単に一枚の毛布なのか、あるいはサウンド・オブ・ミュージックのラストシーンに出てくるような大高原なのかは、読者に委ねることにしよう。自由に想像を広げて欲しい。そのように書くことによって想像力を逆に妨げることは承知の上で言っている。わずか三千字しか書けないこの制約された状況においては、いわゆる「きちんとした文章」を書くことは難しいからだ。例えばジャッキー・チェンがジャケットを脱ぎ着することを少年に教えたようにはいかず、私もいわゆる通常の比喩の着脱がいかにして可能であるかをここに証明することさえできないであろうからだ。それが果たしてこの断章の強みになるのだろうか? 想像力と論理が矛盾を引き起こし、破綻を繰り返すようになるところまで、想像力の翼を広げてみよう。すると論理に生じた亀裂から、鏑矢となって飛んでくるものがある(想像力の中では、こうしたことも自由である)。ここで私が取り上げるのは、次の一節、那須与一が射抜こうとする場所を指し示す箇所である。
「過たず扇の要際一寸ばかりにおいて、」
過たず扇の要際一寸ばかりにおいて、那須与一がひいふつと射抜こうとするのは、果たして何であろうか。そして、何よりこの世界を、あるいはこの世界と名のつくものを、私(彼は一夫多妻制だ)が見ているのか、あるいは一匹の狼が(彼は一夫一妻制だ)、この光景として見ているのか、それともアミメハギ(乱婚型)の視界の中なのか、それは未だ判然としないが、次第にわかっていくことだろう。
さて、私が壁掛け時計を見たとき、カタツムリの角のように動く短針と長針とが、12時5分を指しているせいで、父が時間を間違えてランチを運んできた。チョコスプレーを吹きかけたようなテーブルの上のランチョンマットの上で、山脈のようにぱっくりと割れた肉饅が湯気を吹いている。それが死火山になるまでじっと待ち続けたが、それでもなお12時5分を指しているので、時計を外し、叩き割ると、殻が割れ、黄色い血がだらりと垂れ、胃下垂のように宙ぶらりんになった後、落下して花を生けたままのピンクの花瓶のように炸裂した。途端、死火山になったはずの肉饅から真っ赤な肉がこぼれた。
それが、五年前のカナダの中華料理店での出来事だったとは、とても信じられない。父はそのことを書き記していて、それが上の文章なのだ。父はかつて、私にこう言った。「完璧な文章といったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」父がその文章から始まる小説を書いていたことを知ったのは随分後になってからだった。父は小説家ではなかったが、死後発見されたカクヨムに投稿されていた父の小説には沢山の感想と批評が寄せられていた。父はいわゆる「売らない物書き」だったのだ。確かに完璧な絶望は存在しない。ある程度の承認欲求なら、コンピューターを使えば満たせるようになった。
私が触れていたのは、スマートフォンの画面だったのだが、そんなことは今更どうでもいいことだろう。だから、私は小説を書かない。詩も書かない。日記のような堆積にはなっていくだろう。ただそれだけだ。

【年末の魔物】

年末には魔物がやってくる。「あながち間違いじゃない、とあなたは思うだろう。しかし、違うのだ。間違いなのだ。あなたが聞いているのは、目の錯覚だ。あなたが見ているのは、耳の錯覚だ。死の奔流、というタイトルの詩が書かれ始める。ウィルキンソンのジンジャエールを飲みながら、僕は仕事を始める。パタパタとタイプし続ける。仕事の中身が、これであると気づく前に、旅立たなくてはならない。死の苦しみ、およそあらゆる死の苦しみこそが、作品になり得るもののすべてであって、……違うんだ。これはソレイユによって理論化されているんだ。いや、違うんだ。ここに書かれていることのすべてが、みな無謀な試みでしかないと、僕は物言うビスケットに倣っていうだろう。」……それは、皿に置かれていて、死体のように安置されている。物語は、ようやく佳境を迎え、すべての人に感謝の気持ちを持って、示すために、あらゆる言葉が震え始め、篩にかけられたように、落ち始める、零落する、あるいは、もしくは、マウロンのように死ぬ、そんなことがここには書かれているのか、それとも、書かれていないのか、あるいは、書かれていたとしても日本語なのか、英語なのか、フランス語なのかロシア語なのか中国語なのか判別がつかず、多分あらゆるC言語によって書かれているということが言えるようになるまで、もう数百年の時がかかるだろう。あるいは、ひょっとして最初から死ぬ予定だったのかもしれない。「僕は、零落した、零落する、零落しよう、零落すべき、零落すべし。この一連の文章で始まる文学は、奇妙な怪異を催す、催涙剤のように、多分機会があれば、奇怪ですよと言ってみる、果たしてこれは小説なのか、それとも語り物でさえないのか、ベキッと折れた織物のように、いや織物がそんな風に折れるわけがないと突っ込まれるだろうか、あるいはまた、怪異として片付けられるだろうか、もしくは、この雑文のようなものを、必死で芸術に仕立て上げようとする奇怪な勢力と戦うことになるのか、あるいはまた、僕は国にいるのか、それともその外側にいるのか、教えてくれ、そよ風」「そよ風として答えます。あなたは、今間違いなくドストエフスキアンです。ゲーテが書いたのはファンタスチカです。何故ならゲーテは科学者だったからです。あるいはまた、朗読すべきはそういった物語なのかもしれません。私は読み終わる前に死にます。私は読み始める前に気絶します。私はこの文章を死ぬまでに読むべき物語としては提示しません。」ということを言われたんだが君はどう思うか、と聞かれたので何も答えなかった、答える余裕がなかった。読み始めたら嘘八百を書き並べていることがわかるので、読まれない本があるかと思えば、逆に嘘だとわかっているからこそのものもある。

【僕は生まれてもいない子どもの名前を考える】

抱擁が、
ぱっくり破れる、

溢れ出す緑茶、
のイメジとともに、
噴霧されるリモネン、

ああ ああ ああ
美しいタイポグラフィーを見て!
発狂した烏の群れたちに
映るのは鏡、
そして時希(ときまれ)、

時という字を、
名前に入れようか、
希という字を、
名前に入れようか、
あるいは、オトカ、
という名前にしようか、
ないしはキタキ、
僕は名前を考えることをする、
そして、マイまで来たところで、
考えることをやめる、

森にも、海にも、
音はなく、
静めるのは、和歌山、
岡の上から、大の字になり、
ふふ、っと笑う、
自爆せよ、時の鼓動、
洞房結節の疼痛で。


やがてかなしき病かな

  芦野 夕狩

生きることは苦痛ですらなく
秒針のひとつひとつの歩みを数えることで
風はほとんど意味もなく透きとおってしまうのですよ

このアスファルトに雪が積もるためには
地熱で溶けてしまう雪よりも
新たに積もりゆく雪が多くなければならない
誰かがもう名づけたのかしら
雪が積もりだすそのとき
その瞬間の雪の深さを

肺の中に一秒一秒を感じるのです
その一粒一粒を吐き出すたびに
生気を失った時間が
きっと赤紫色をした病の水に
だんだんと浸されていく

だからそのひとつひとつが
ただ無抵抗に溶けていかないで
仮に意味として降り積もることができるのなら
その最小単位の生を
紙一重の深さでいいから
あなたに残ることができるのなら

夕べ
時計の止まる音を聞いた
壊れた、とか
落とした、とかじゃないから
誰も信じてくれないかもしれないけれど
確かに聞こえた


全て墜ちるだろう

  鷹枕可

戦禍と
悦びを
係争の終わり
絨緞爆撃に崩れ落ち
こぼれつづける墨染の薔薇、建築
それらを
私の鞦韆のために

市街地にて
私邸
焼跡に縋り歎く
その母の
日曜日の死骸
幾多、罰と謂う名前の
遺物-除籍手続
予め約束された貿易花の
今しも紐解かれようとする
運命の必然へ帰趨を棘とその遭遇たる孤絶へ擱き遣る、
諸諸の展ばされた両腕、慟声より、

死後喝采を受く
蜜蜂の様に、
建築物の影たる静物像の様に
鈍重な柩が過っていた、
彼等は皆
翰墨を覆う絹を引いていて
解ることは霊柩車には火葬室の馨りすらひとつとして残らないということだけだ

そしてその臓腑を青く、血縁達の瓦礫統樹よりも蒼穹に似た加葬令の花總の様に、

廃棄物の時計に
夜と昼を隔て
翳翳たる凹レンズが遠近鏡のなかで
花粉階段を降り、
樹々の死骸を上る
それでも薄絹の梯子は静かな約物に揺れている
飢餓の薔薇を
程なくして紡績車に縺れせしめて

放擲された花束は暈み、
宛名書のない黄昏を指に押しながら
皺嗄れた房事と
十一週間以後に
堕胎された咽喉より
禍根は血婿浮く曇雲の部屋に

凡庸-劣等の結実でもあった筈の
機械趨勢、
優生学の統計部屋は収獲野に棘の花を踏み、
踏み拉かれた公海、公衆的領域への閾は
被覆樹脂-銅鋼線に巻かれつつ
存在の実象を離別してゆく
彼の婚約縁戚者達のように

命運と死
その夥多を
簡素柩の懸垂樹は開き
縫綴じられた鐘と、
闇陰境に欹てられた耳殻-籾殻
螺旋を撒く人物、
それら完膚球形の人体時計は
皆酪乳の疵であるかのように
流麗な海縁の門
その額縁に、
偶像盲紡錘婦「フォルトゥナ」が総てを涯てもなく見る、骨壺のなかのひとみを、


団栗

  田中恭平

 
溜息は
複雑を
シンプルにして
ひとつ吐かれる
ふたつ
吐かれたところで
聖なる


鳴る
栄光の
鍵を
聖なる
重たい
鐘に
刺し込む

きみは芽吹き
潮を吹き
よく
整頓された
このベッドルームは
初春である
わたくし

団栗を
弄っている
団栗は
陰茎の
比喩

ない
ただ
団栗を
手で
弄んで
いるだけだ
そして物になった
きみと
貝になった
きみと
語り合って
ついには互い
泣き出してしまう
ありがとう
ごめんね
高らかに
杯をあげようとすれば
きみは貝から人間に戻る
ひととき
おかしな
空気が
流れている
それは
換気扇、
の向こうから流れてきている
まるでミルクのような匂いで
まるで家庭的なので
ぞっとしてしまったが
きみは別段
鼻炎で気付かないのか
何か言っていたのは
俺だけだった
TELで

を押して
電話は
受付に繋がって
退出時刻を告げると
このベッドルームの出口に
入金の機械があるから、
そこに入金を済ませて出なさいという旨
告げられ
俺は「わかりました」と一言だけ告げて
気持ちいいものを
自然に戻して
集めた団栗を
木の下に返して
ふたり外へ出た
気持ちいいものを
自然に返すのは
なかなか難しいことに
外に出て気付いたが
きみは
慣れているようだった
ただ鼻炎が酷いらしく
何回も
ティッシュで
かいだ鼻は赤くなっていた
ゴーン
ゴーン

聖なる鐘は
俺の頭痛となって
しろい息は
益々多く出て
俺は路上に座り込み
少し嘔吐した
きみから
ティッシュを借りて
口を拭うと
握りしめていた
聖水で
口を濯ぎ
二回かけて吐いた
吐いたところには
聖水を
かけて、立ち去った
まるで烏になったような気分
だとして本当に烏が一羽
近くへ下りてくると
きみは
怖い
と言った
アイツくらい俺は醜い
と俺がいうと
きみは
大丈夫?
まだ調子悪い?
と訊いてきたので
一年で363日は調子が悪い
と応えて
懺悔した
烏に
どうか無事に
わたくしと
この娘を
帰して下さい
日が
まだ残っていたので
日にも
願った
どうか
僕を
救って下さい、
彼女は
なぜ僕が
笑ったように泣いているのか
知っているようで
それが怖かった
ぐんぐんぐんぐん
歩いて
マツモトキヨシで
タクシーを
呼んだ
待っている間
雨のように
団栗が落ちてくる
妄想に
うたれ
奥歯をガチガチ言わせていた
何より外は寒かった
彼女は着ぶくれしていた
団栗は
急速に芽吹き
木になり
マツモトキヨシの駐車場一帯が
森となり
野犬に怖れ
僕は
両耳を
手で塞いだ
森の中を
一台のタクシーが走ってきた
ふたり
タクシーに乗り込み
僕は
みっつめの
溜息をついた
T病院まで行って下さい、
と告げて
きみは寡黙なままで
窓の外の
町の灯り
そのころには
もうとても
外は薄暗くなっていたので
町の灯りを眺めながら
眼を
きらきらさせていた
その
きらきらした眼が
好きだった
T病院に着くと
お互い財布から
タクシードライバーに
千円ずつ出し
きみがお釣りは?
というから
いいよ、
というと
きみは
ありがとう
と言った
どういたしまして
と応えて
きみが去った後
僕は病院に
ズカズカと入っていき
トイレの洗面所の水で
頭をひたした
特別な罪、

何も
あしあとを
残しませんようにと
ポケットに入っていた
一粒の団栗を
ゴミ箱に捨てながら

 


Sacrifice

  atsuchan69

 ――知っていただろうが、

銀のフォークに刺したその柔らかな一切れが
まだ焼かれるまえには紅く鮮血が滴っていたのを
そして屠られるまえに荒く息をし、
「お願い、どうかやめて!」と叫んだのを

 ――知っているだろうが、

あなた自身がけして善人でないことを
悲しみのひとに席を譲ることよりも
奪うことによってしか私たちが生きられないのを、
その笑顔には、蔑みを隠していることを

 ――知っているだろうが、

今日までいくども見殺しをくりかえしてきた
TVや新聞で他人ごとの殺戮が五月蝿く報道され
あなたは疲れていたり忙しすぎるのを理由に
ただ、自分のために楽しい時間を作ろうとする、

 ――You know what I'm saying?

やがて酷く寒い冬が来てキリギリスは死んだ。
いつしか無秩序な生活破綻者たちの暴動を封じるために
ジェノサイドを目的とした収容所があちこちに出来、
彼らは骸を埋めるために深い穴を掘りつづける

 ――知っているだろうか?

遺伝学的に正しい者たちを残すために
新しい人々は人類の歴史さえも書きかえてしまった、
楽園の外にはまだ傷ついた人も残されていたが
輝ける未来に、もはや哀しみなどなかった

 ――知っていただろ、

銀のフォークに刺したその柔らかな一切れが
まだ焼かれるまえには紅く鮮血が滴っていたのを
そして屠られるまえに荒く息をし、
「お願い、どうかやめて!」と叫んだのを


明晰夢

  kale

書架が並んでいた。左手の指には栞が引っ掛かっていて誰に貰ったものなのかをうまく思い出せない。前後左右に延びる通路は狭く、奥には閉架へ続く階段が見える。行き交うには不適当な場所。支え合うようにして並ぶ背表紙には清潔さが滲んでいて、それは彼らの醸し出す犇とした安定感にあるのだとしばらくしてから気付く。同じ背丈になるよう左から順に揃えられた規則正しさが書架の構造を支えていた。空白の存在を憎みながら、書架の連は隙間なく積み上げられ、敷き詰められた図書は悼みを守る。寡黙な彼らの背表紙には文字はなく、色もない。夢だとわかる夢がある。夢の住人。ここは母校の敷地にあった図書館だ。閉ざされた空間の外には校舎はなく、小高い丘から仰ぎみた空もない。書架と壁の向こう側には自宅の部屋があり、壁の半分以上を占める窓が光に透過され、まだ起きるには少し早い、眩暈に似た光の散乱を過剰なほどに演出している頃だろう。そんな現実と対比されるのは窓一つない陰気な空間。忠実に再現され続ける薄暗さは図書の保管に欠かせない要素でもある。左右に視線を遣れば見知ったものばかり。人の気配のない通路。古い紙の匂い。わずかに混じる黴の、鼻の奥に届くかすかな刺激。感覚を忘れさせる静寂が清潔さとして満たされていて、衣擦れの音さえ存在できない。背表紙の襟元に指を掛け、手前に倒せば、音もなく手のひらに収まる。重さのない質感を儀式のような指の動きで擦っても、感覚は返らない。夢だとわかる夢があるように、知らない本の内容を知っている、癖を嫌ってやさしく繰れば、挿し込まれた幾つもの栞に導かれ、ウィーディングされたページもみつかるはずさ、とわかる夢があるように、規則正しい排列に寄り添うのは、と語る彼らは沈黙している、夢だとわかる夢があるように、色のない、文字だとわかる文字もあっていい、と彼らは云う、夢だとわかる、花に、夢があるように、いつも沈黙は寄り添っているさ、と彼らはそう云う。


みらい

  泥棒

思わせぶりな詩が好きだ
窓の向こうに
基地が見えるラブホテルで
不意に
君がそんなこと言うから
いや、
言った気がしたから
もう何も
返す言葉はない
今までおぼえた言葉では
君に伝えることができないなんて
なんだか
誇らしい気がするよ
まだ出会っていない言葉たち
未来に吠える
私は
思わせぶりな詩が嫌いだ
思えば
この部屋に
窓なんてなかった
冷蔵庫に君の頭蓋骨を入れて
目を閉じる
不意に
戦闘機の音がする


夢の人

  

世界が
存在のスープである以上
すべては
無の見ている夢にすぎないのです
青臭いですか?
その嗅覚は老いの証です
人は宇宙の膨張に合わせて
急速に真実から遠ざかっています
たとえば
忘れられない人は
今でも雨の中に立っています
明け方の夢で
それを見る私は
懐かしさに侵食されて
死体のように眠ります
あるいは私自身が
生きているという夢を見ている
青臭い死体なのかもしれません
教会の屋根の十字架は
高性能のアンテナです
だけど
誰も受信機を持っていません
大切なメッセージを
とらえることはできるのに
それを検波し
増幅する手段がないのです
ただ時折
午後の微睡みの中で
わずかに伝わってくる
哀しげな気配を
感じることがあります
それは降り続ける
雨の匂いに似ているけれど
わずかな違いがあるのです
そんなことを考えている間にも
今も降り続ける雨の中で
立ちつくしている人は
夢ですら届かない場所へと
遠ざかり続けているのです


シャンメリ

  田中恭平

 
気がついたら
死んでいた
にならないように
いいえ
気がついたら
死んでいた
でも
良いような気がする、
言葉の
波を
見つめていたら
ふと
そう想う
もうひとりの
自分もいて
自転車にのって
海岸線を走って
どこまでも
どこまでも
僕、
から
遠のいていく
わたくし、

見ていたら
目が
苦しくなって
目の
渇きを越えて
苦しくなって
奥歯を
ガチッ、
と噛んで
ずうっと
ずうっと
綿あめのような
しかし少し翳のある雲を
眺めて
ひとりで
年の瀬
歩くに
足は
一歩
一歩

痺れ
まるで
夢の世界、といおーか
全身が
痺れている
ベッドの上。
悪いものには酒をくれろ、
という詩句を
目を覚ました僕は
覚えていた。
やがて去りいく寝室も
きれいにしておかなければ
もしものときに
情けなくなる、
と思うと
病も
深さ
その負荷を
身体的には
変えないままに
精神的に
重たくなってゆくのです
見つけたのは、貝
見つけてくれたのは、火

となって
踊れば
ひとは喜んで
しばし佇んでくれるが
雨がふれば
相手にしてくれるものは
無用のひと
あなたしかいない。
私はもう怖れない。
咽喉が、
咽喉が、
全身を代表して乾くのは
くすりの副作用のせいだが

になった者には関係がない。
水を、
水を、
聖水以外の水を、
注いでくれるな!

薪ストーヴの前で
見つめていると
ちくま文庫の
教科書に載った詩のアンソロジーがあって
やけに宮沢賢治の詩が
長いことに興味を持って
やはりパッションといおうか
魂を削って
書いていると
言葉は長くなるのでしょう
おはようございます
ありがとうございます
も明確に発声できない
わたくしは
怖れていては
ひとり窟のなかで
詩を、
みなさまに
読んでいただきたい言葉を
書き、
落としているが
今日は
2017年12月25日の
クリスマス
潮の白さも雪のよう
いいえ、見ていないんですけどね
聞いて
わかっているだけなんですけどね
ちらちらと
詩は
ふりそそぎ
詩は
華となり
咲き
死ぬ
だけならば
丁寧書いてやろうとして
しかし素早く刈らねば萎んでしまう
その詩の熱さに驚きつつ
嗚呼、そうか
僕はもう火ではなくなったんだ
画面の中には
眠れないものしかいない
それが聖夜なんだな
とか
考えて
書き落とす
一枚
一枚
さらり
さらり

近くの
電話ボックスでは
遠距離恋愛の女の子が
坐りこんで話こんでいるけれど
時代が違うのか
僕が嘘を書いているのか
嗚呼
もうどうなったってかまわない
僕は
完璧に
ごちゃまぜの混乱を
体現していて
両指の爪は剥がれ
キーボードの上は
血で汚れているから
それにしたって許せない
ダメヤンの奴が
どうしたって許せない
まだまだいけると
言ってくれたのに
したら
やきがまわったな
って見捨てた
恨んでいるとき
あいつの
ダメヤンの眼は
潤んでいた
全く俺の焼け爛れた腹の底から
ダメヤン太郎君のことを否定したい
しかし太郎はいつもやさしくしてくれる
でもそのやさしさの根底がうつくしすぎるから
逆に腹が立つ
俺の焼け爛れた腹の底が立つと
痛い
痛い、
痛い!
めっさむかつく
といって
窟に籠っているんですけれど
寧ろ抱きしめてやるべきかな
とか
考えつつ
蝋燭の
火を
消す、
誕生日おめでとう
イエス・キリスト
ダメヤンは
天国に逝けますよね?
それが知れたら
まっさきにぶんなぐって
「良かったなー」
って告げてあげるのに。

貝を
食べました。
CLASSICに
生で
そのまま食べました。
メリークリスマス!
ネットで買った白ワインが
今夜は届く筈なのに。


 


How high the moon tonight.

  元ヤマサキ深ふゆ

今日も煌々と灯るプラットフォーム
実家なら帰れる 駅 停車
2本 3本 見送って

淡々と潜る 改札まで
あの頃から使っているパスケースをかざして
開かれるゲート
それにも慣れ切った

建物だらけで遮られる
そうじゃなくても見付からない
私の帰る場所

街路樹から落ちる舗道の枯葉
なまえがきっとあるはずなのに

冬には冬の詩しか書けない
無能が私ならば それでもいい

見えない きっと 満月は
建物だけのせいじゃない

行きかう雑踏
何もかもから逃げ出したくて
愛しているかも分からなかった
煙草の香りに抱(いだ)かれて
ヘッドライトの波 見送っていた
渋谷
街頭モニター
スクランブル交差点
午後9時半

変わらないように見える景色も確かに変わって

私だけが浚われていく

あの頃は地上にそびえていた駅舎
好きだった風景
今は深く深い地下の果て
明るく輝く月光なんか
届くはずも
なくて

車窓に映る 赤みを帯びた私の顔
疲れ果てていたあの頃とも違って
ほんの少し 吐(つ)き続けてきた嘘にも慣れ切って

大人なんかじゃない癖に
精一杯
ヒールを履いてフルメイク
定刻通りにならない満員電車
毎日 同じ時間に揺られていく
乗車率130%
時にまさぐられるスカートの中
抗わず荒げず何事もなく
定刻通りに切るタイムカード
満面の笑みを浮かべた
「おはようございます」
その生活に麻痺し切る事が大人になる事だと信じていた
あの頃の私の一生懸命すら酷く愛しく思える
今宵
3年目が明けたからだろう

明日にはただの私になる

その間際
ほんの少しだけの

望月


届かない


私じゃない

私じゃないと
刻み込む歩幅に
鳴り響かせた靴音は置き去りで

危うく
乗り過ごすところだった下り最終列車
誰かの不幸に心の中で呟く感謝に気付く

間に合えば。

間に合ったから、それでいい

最寄り駅
唯一開いているコンビニで
少しだけ良いモンブランだけ
買い込んで帰る


じゃない
私が
わたしになる
好きではない わたしの部屋へ

月明かりよりも眩しい店内
お釣りを揃えて受け取って
一歩





嘘だ






月は、ちゃんと そこにいる





瑞祥




反射されただけの光に 
わたしだけが照らし出されていく

浮き上がっていく無能

今宵の月は
 こんなにも


通信中

  イロキセイゴ

牧場には首を痛がるコーギーの
前歯の一部を割る藤の木があった
藤の木は春夏秋と葉々を繁らせるが
冬には葉を落として
裸木となる
小学生二人がブランコに乗って居る
ゴジラが扉を破壊して来たので
避難して来たのであろう
ゴジラは原始人の様でも
藤の木は通信中なので
コーギーの前歯を鉄棒に当てたり
教師の不可抗力を誘ったり
チャレンジャー号を爆発させたり
チェルノブイリ原発事故を
引き起こすことも可能だ

コーギーの飼い主が結成した黒シャツ隊が
街を席巻してうざい
鳳凰のアゲハ蝶が
差を解消するどころか
差を拡大させて行く中
黒シャツ隊も通信中で
薄く薄く儚い
藤の木の事を思って
ミッキーマウスと独楽を供えて
イルカが蔓延る世の中を夢想する
黒シャツ隊と藤の木は
通信中であった

文学極道

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