文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

年間各賞・総評5(織田和彦)2009文学極道

2010-04-24 (土) 21:57 by 文学極道スタッフ

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最優秀レッサー賞 、エンターテインメント賞 。この2つの賞の創設は、文学極道というサイトが、他のコンテンツを有する文芸系webサイトと差別化をはかり、その性格が特徴付けられる大きな要素となっているのではないでしょうか。ここでは掲示板にアップされたテキストをめぐり、ライブで自由な討議が行われ、時には白熱するあまり、過去には”交通事故”の絶えない 「怖〜いサイト」として知られる向きもあったのではないでしょうか。かく言うぼくも、ここに投稿し始めたときには、詩友からは「あそこに投稿するのは止めといた方が良いよ」「批評のすごいサイトでしょ」等の忠言をもらったものですが、ある意味では、web空間に於ける特有のコミュニケーションスキルを試される、テキス トだけに捉われない、面白いスキームがあると言えるでしょう。

電脳詩壇のキングメーカー(ホンマか!?)いとう氏のコラムから引用しておきたい思います。

「文学極道では過激な言文が目立つと思うが、
内実は過激でも何でもない。
真摯なのだ。それぞれが、それぞれの魂を懸けて、詩に挑んでいる。」

また不世出の詩人(出不精の間違いかも!?)榊蔡氏もそのコラムでこう語っております。

「私が文学極道に求めているのは、簡単な言葉で述べてしまえば、読み手が得をする作品、なのです。私自身、自分の書いたものが読み手になんらかの利を与えているかと問われると返答を濁したくなりますが、最も大切なことは、そういった作を書き上げようという意識、願い、足掻き、のようなものだと思います。」

そして昭和のスベり王(・・・文字通り)の光冨氏のコラムでは。

「文学極道には有名なかたから無名のかたまで参加しています。活字媒体の著名人のかたや、ネット詩で天才といわれるかたまで。十代、二十代の若いかたから、三十、四十代の働き盛りのかたから、ときにはそれ以上のベテラン陣まで顔出しするかもしれません。(もちろんビジュアル面も強化されています。ブレザー姿 の美少年も制服姿の美少女もコートを羽織る伊達男もドレス姿の美女もスーツ姿のシルバーグレーの紳士も和服姿の熟れた美女も参加しています。はい、どんなに陳腐なイメクラ仕様も、容姿は見れないようになっていますので、システム上問題ありません) 」

さて・・・。

本賞・受賞者の話にうつりたいと思います。

【エンターテインメント賞】  受賞者
はなび

昨年の彼女は20作品が(優良・佳作を含め)月間賞に選出されるという安定した評価を受けています。過去に丘 光平氏が30作品選出された例もありますが、これは月2回までという投稿制限ができる以前の話ですから、これに匹敵するか凌ぐ数字と言えるでしょう。しかも、はなび氏は人妻であるというハンディキャップがある上、しかも年増で、身重だった(このたびは、ご出産おめでとうございます!)という裏話を知れば、さらに驚 かれることでしょう。今年は育児に専念されるということで、投稿回数も、ダンナさんとの回数も減ることでしょうが、みんなが君を待ってるよ!

では、ここで2009年の「はなび語録」にツッコミを入れておきたいと思います。

「わたしは、芸術というのは、人間のしごと、人間の表現、だと思っています」(←つまらん話ですナ)

「20年来の友達がですね、恵比寿在住の京都出身のますらおに、たぶらかされておりまして、わたしはどーかとおもうんですけど、なんだかね。わたしはミドリンなんて、ミヤコの殿方として、気分屋さんなとことかも愛してますけど、もしかして天秤座?とかおもったりおもわなかったり。」

京都出身でも色々おるちゅーねん!(*><)/

【エンターテインメント賞】 次点
ゼッケン

ゼッケン氏に関して、選考の際、稲村氏からこういった発言がありました。

「ゼッケン氏は質の高い、面白い読み物を書ける人」

稲村氏が言及している事柄は、文学的にも優れ、エンターテイメントとしても楽しめる作品を書き上げる能力を秘めている、ということだと思います。だとしても、まだ多くの選者が彼を推せないと判断しているのは、彼自身の内省的な側面が、まだ十分な他者性や世界性(つまり文学として提示される構造化された社 会解釈)を獲得するに至っていない。この危うさにあるのではないかと思います。

2009年4月の月間優良選出作品「公共交通機関」から一部を引用します。

「ぼくを乗せるためにバスは止まった、しかし
ぼくはその期待を裏切ってみせる
巨大な鉄の期待を、だ
ぼくは他人を傷つけたいくせに
報復を恐れている」

ゼッケン氏の作品が語っている主題は、個と社会の間に生まれるストレスや軋轢といったようなものです。「バス」や「巨大な鉄」は、ぼくらの暮らしを取り巻く文明やシステムの喩えとしてここでは登場します。話者である「ぼく」はこの作品の中で「その期待を裏切ってみせる」と語ります。陳腐で幼稚な主題であ るといえばそれまでですが、ではここで語られている「期待」とは何の事でしょう?ここで「ぼく」が背負っている期待とはいったい何のことを指すのでしょう?

「ぼくは他人を傷つけたいくせに
報復を恐れている」

「復讐心は
 冬のバス停に立ったぼくを不安定にしている」

周囲の環境に対する関わりが希薄なまま、感情だけを抱える個の孤独な姿と、その結末しかないことがここでは問題とされているのです。

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