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9月選考雑感 選評 パート1

2010-10-23 (土) 10:42 by gfds

「9月選考雑感 選評 パート1」 文責 泉ムジ

※9月投稿作の選評雑感担当は泉ムジさんです。9月は総体的にレベルが低いと感じましたが、5作品を優良作としました。詩や文学の世界に絶対評価など存在しません。それでも稀に誰もが欲するような作品に出会うことがあります。言語芸術の世界にも、どこかに見えないピークがあるようです。作品を篩いにかけるということは、つまりそれを探す行為なのだと最近感じています。選評はパート2へと続きます。
(by織田和彦)

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4688 : Pooh on the Hill。  田中宏輔 ('10/09/06 00:12:57)
URI: bungoku.jp/ebbs/20100906_201_4688p

引用とは、原文の”核”を抜き、新しいコンテクストで引用を再生させる、いわば”臓器移植”のようなものではないだろうか。
このような作品のおもしろさの一つは、全文に引用元(臓器提供者)を明記することによって、 核を再形成し、バラバラだった引用文の重要性が等価であると思わせるところである。原文にとっての重要性、また、引用文にとっての重要性が等価値のものとしてつり合うのである。

本作品では、「クマのプーさん」や泉鏡花の引用が前文の引用に対して、
 >「こりゃまた、なんのこっちゃい。」と、イーヨーがいいました。
 >何を言ってるんだか分からないわねえ。
のように、対応することによって、ユーモラスな軽さを出している。しかしそのことは、読みやすさの反面、コンテクストの欠損が流し読みされる原因となるだろうなと思う。
意図された引用詩は、意外な文章のつなげ方を容易にしている、という利点もある。
 >饂飩(うどん)の祟(たた)りである。
 >ラザロはすでに四日も墓の中に置かれていた。
などは、あるいは、「花」によって結ばれるのかもしれないが、急な話題の転換であり、その飛躍が、読み手の興味を誘う。
他に、本作品で興味を引くのは、
 >これらはことばである。
 >「きみ、気にいった?」
という、本文自体に言及するメタ視点とも読める箇所だろうか。後者が最後に置かれることにより、本作品がひとつのエンターテインメント(プーさんのハニーハント)だった、と明かされているようで、少し爽快だ。 

他の発起人の意見では、
前回の作品より、やりたいことが分かりやすい。や
文学極道の理念の対極にある。まっとうな作文をなす気が無い、言語遊戯であり、
本作品を優良作品とするなら、文学極道の看板を下ろすべき。や 
引用による詩について、独創的で、入沢康夫の「わが出雲、わが鎮魂」に見た、新しい詩を書く、などとという詩人の思い上がりに対する謙虚さを本作品からも感じて評価した。や、田中さんの詩の中にある、ある種の明るさ、ユーモアは、何かとても磨かれたものであるような気がする。読んでいて心地良い。などがありました。
割愛するが、発起人の間で、評価に対する議論がなされました。
以上です。

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4700 : ふゆのてがみ  リフレイン狂 ('10/09/13 05:31:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20100913_291_4700p

本作品の特徴の一つに、まさに首「だけ」がある、という点があげられる。それは、胴体だけでなく、「きちんと」頭まで失われている。匿名の、千の首の中から、ほくろを頼りに、母の首を見つけ、また自らも、千の首の中で、同じ、くさいにおいを放ちながら「お話」できる「トモダチ」に、見つけられることを祈る。

その「トモダチ」は、「ヒト」ではなく、(「ヒト」に対しては、積極的に干渉せず、見ることに終始している。)「オヤコヅレ」の会話に登場した、かたちもわからない「あなた」、である、と私は読みました。

首だけにする、ということが、いったいどのような意味を持つのか。

例えば、「首にする」とかいった慣用句を手がかりにしてみるか、「先祖代々の首」という本作品に寄せられたコメントを手がかりにしてみるとか、どうも、遠回りしていくように思える。

とは言え、千の首。父親が変わった嗜好の犯罪者だと考えても、無理がある。本作品は、秋、冬を「どんぐり」、「ジャノメエリカ」であらわし、夏が腐敗臭、秋が軒を鳴らす音、冬が花のきれいさ、と、感覚を使い分けていたりして、単調さを回避しようとしている。しかし、起承転結がすっぽり四季にあてはめられ、そう考えると、においに重点を置きたかったのだろうが、後半は力尽きたのかな、と思わないでもない。他に少し気になった点は、カップラーメンをつくるために、どうやってお湯を沸かしているのかな(笑)、など。

他の発起人の意見では、
着想がおもしろい。異様な気持の悪さというものもあるが、ある種の詩的センスがあり、こういうものを詩にしてしまうのはある種の詩的力量が必要なのでしょう。
や、最終行が不要に思える。ただ、あまり巧くはない綴りと流れが素材の異化を増幅させて均しながら馴染ませているように思える。細部が雑なのが気になります。
もっと十分に着想を温めてから書き出して欲しい。潜在能力はまだまだあると感じます。や、この詩は、読みすすめていくうちに、これはいわゆる、社会批判というより、社会から、はみ出した異邦人、今は死語となった、部落民、あるいは、ホームレス、社会の一般生活者から、完全に差別された(精神的に、物質的に)人の、矛盾や、悲哀、かなしみを描いているように思えてくる。世界的にみれば、アラブとユダヤの問題などにも通じる。
また、現在の閉塞した社会にいる、底辺にいる人たちを描いていると思える。などがありました。

個人的に、今後の作品が楽しみです。
以上です。

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