文学極道代表就任記念コラム
「文学極道代表就任記念コラム」
ポエジーの周辺 ミドリ
詩を理解できると人の心もより深く理解できる。なぜなら愛と詩は双子の兄弟のようなものだからだ。言葉(詩)を持つということは考え方や感じ方を手に入れることだ。それは同時に世界を変えるということだ。ぼくらは本能的により良い世界を手入れたいと願う。それが詩を書いたり読んだりすることの道理だ。
インターネットの普及によって詩が読まれ書かれる環境がより広がった。ぼくもその一人だ。この道具が無ければぼくの人生に詩が入り込む余地はなかっただろう。ストリートでも詩は書かれる。それも随分見てきた。自分で書いたりもした。世の中は詩で溢れかえっている。
車のタイヤがアスファルトに擦れる音、クラクション。マナーの悪い歩行者を怒鳴りつける自転車のおじさん。ものの見方一つで不愉快にもユーモラスにも見える世界。詩を理解することでぼくらはそれらを豊かに表現する術を身に付けることができる。それは言葉と人間と、人間と人間の生きる世界を洞察する術だ。
だから詩書きになろうと思ったら、たくさん色んな経験をしなくちゃならない。たくさん辛い思いをしなければならない。たくさん楽しい思いをしなければならない。それを一番良い方法で伝える努力をしなければならない。「文学極道」はそういう詩書き達のための場所だ。
ところでどういう風の吹き回しで発案者にして代表発起人であるダーザイン氏が、よりによってこのぼくに「代表」のバトンを渡したのか?もっと他にこの「ラブレター」を渡すべきふさわしい人間が居たのではないか?疑わしげな声も聴こえてきそうだ。
ぼくが言えるのは次の2点。組織に新陳代謝があるというのは健全である証拠だ。そしてそれを言い出したのだダーザイン氏本人だということ。次にこのサイトがやらなければならないことは、この詩書き達の“ヤドリギ”をもっと魅力的な場所へと変えていくことだろう。それを中心的な役割で引き受けていくことが発起人に課せられた役割だ。
ぼくはらはまた明日ここでひょっこりと現れた才能に出会うことを期待して、眠りに就くことにしよう。
2010年9月28日
PM 10:15