文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

●2018年12月分・月間選考雑感(Staff)

2019-02-04 (月) 16:39 by 文学極道スタッフ

10970 : 風の谷の崖の上の右の横の丘の下の変なおばさん  泥棒 ('18/12/31 18:21:45)
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(一)変わった方を誇張して書いている。寂しさを感じるエンタメ作品。
(一)鋭い人間観察とユーモラスだが毒のある筆致。リアルでもネットでも確かにこういう人っているなと思わせると同時に、自分もそうではないかと考えさせられる。ただ余白の使い方が大雑把に思える。ここまで空ける必要があるか疑問。

10975 : 小品 続き 15〜19  空丸ゆらぎ ('18/12/31 23:42:28)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181231_680_10975p
(一)始まり方が勿体ない。作品として良質なものと、そうではないものの差がある。

10971 : 冬にむかう 三篇  山人 ('18/12/31 20:49:47)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181231_672_10971p
(一)この作風として領域の高い場所にいると思う。非常に上手く巧みである。人間性を感じる。
(一)情景を描くことで自らの心情を表現しようとする手法は成功しているが、初連が少しくどく感じる。もう少し整えられるのではないだろうか。

10973 : ひとりであるく  いけだうし ('18/12/31 23:14:53)
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(一)最終連などが丁寧さに欠けている。ただし作者は、どんどん上手くなっている。

10972 : セロファンの月  ゼンメツ ('18/12/31 23:07:10)
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(一)一連目が非常に上質である。最終連が、もっと上向きになっていくと傑作になったと思う。
(一)非常に繊細な世界を、読むときに思わず息を止めてしまうような緊張感の中で描いている。セロファンの薄さで分解された情景は泥と月といった極端な存在によって、それぞれを互いに際立たせていると感じる。
(一)磨き抜かれたセンテンスがキラキラと輝いている。
平仮名と漢字のバランスのとり方が視覚的な美しさと柔らかさを生み出している。

10969 : 鳴動  トビラ ('18/12/31 17:20:00)
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(一)構成など上手くなっている。

10943 : 揺蕩う  氷魚 ('18/12/08 16:25:01)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181208_139_10943p
(一)言葉が凝集性を持っている。更なる飛躍がありそう。

10964 : 小品21(から14へ)  空丸ゆらぎ ('18/12/24 22:16:47 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181224_573_10964p
(一)良い作品と、そうでもない作品の混交が目立つ。
(一)はっとするフレーズもいくつかあるのだが、全体を通してみるとムラが多すぎる。鋭い視点のものもある一方で、平板な表現に終わっているパートも少なくない。
(一)余白に詰め込むように言語が散らばっている。美しい作品。

10968 : アンタなんかしなない  ゼンメツ ('18/12/29 01:22:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181229_611_10968p
(一)平面さと薄さを活用した詩作品。現代性を編みながら、きちんと丁寧に作り上げている。
(一)四畳半フォークの世界を無理なく現代に置き換えたような印象。それが成立するのは、時代が変わっても愛し合うことで感じる孤独というものは変わらないからかも知れない。最後の自らを突き放したような一行が良い。
(一)現代口語体を主軸にすることは非常に危険な側面を持つと思うのだが、筆者の鮮やかな切り口が帰って爽やかさすら感じる。主張にも共感しか感じえない。
(一) 
今月の選考で一番時間がかかったのはこのゼンメツさんの作品でした。
最後の最後まで優良か佳作か迷って、最終的に佳作推挙にしたんですが。

この「アンタなんかしなない」はとてもよく出来た作品だと思う。何だったら、技術的には完備さんと同じくらいすごいことをやってのけてると思うし、今の文学極道でここまでロジックをコネコネして文章と真面目に対峙している人はいないと思う。というか、真面目すぎるぐらいだなと感じるくらい。そういうのってどうしてもバレるし、作品にところどころ登場する「チメー的」「トーゼン」みたいな人工的な天然っぽさは、書き手の真面目さをぼやかしたいためのカモフラージュ、いわば照れ隠しに見えてしまうのはわたしだけでしょうか。
 
 さて、作品の良いところから。
 
まず、番号を振ってあるのに物語性が薄いところ。これ、きっと番号ないほうが書きやすいですよね。こういう風に番号を振る(=場面転換をする、区切りをつける)という行為をすると、それぞれの連の繋がりがどうしても薄くなってしまう。そうなると、ある程度の反復性や物語性をもってそれぞれを繋げる必要がでてくるんですが、この作品はそのどちらもしないで、それぞれの連を繋いでる。それってかなり大変なことだと思うんですが、サラッとやってのけてしまってるあたり、筆力がないと無理ですよね。 

次に、記号の使い方がうまい。「」って普通はセリフとか、固有名詞が入るものだと思うのですが、
>今日も最愛のキミが、瞳や鼻の周りをぐじゅぐじゅにしながら「なにか」唸っている。
とかぼんやりした不明なものを囲ってみたり
>自分はこの「寒空の発生源」だ、とでも言わんばかりな、あかるい薄藍色のダッフルコートの、
とか色彩豊かな象徴的な何かを囲ってみたり
>僕はほんの少しだけ考えてから「エキチカ」とだけ名乗り
と最後の方はセリフとして「」を活用している。
こういうの、パズルみたいだなというか、手品を見てるみたいというか、こういうのやっちゃうんだ、すごいなあという素直な気持ち。言葉に対して器用なんですね。

 あと、あえて繰り返し言葉を使って、それでも読み手に読ませるところ。
>様々をぶっ倒してぶっ倒したやつらからぶっ倒した分だけ奪って、そいつを腕から惜しげもなくぶっ放しながらいつまでもどこまでも突っ走っていきたかった。
こんなことしたら、普通はもっと読めない文になって、面白くない文章になっちゃうから、凡人は絶対こんなことしないと思う。それでもあえてやってみて、なんかいい感じの文章に仕上げちゃうんだから、普通に悔しい。ここはかなり攻めましたよね。
 
最後に、ハッピーエンドに仕上げないところ。
読み手は結局、救われたいんですよね。明治安田生命のCMみたいな作品ばっかり書いてきたわたしにとって、こういうラストは正直、わたしの小さな力量では本当に無理で、なぜなら、みんな救われたいと思っているのを知っているから、みんなが言われたい言葉を言ってあげるのが一番楽だし愛されるじゃないですか。こういう、マイノリティ側で勝負してる人ってめちゃくちゃカッコいいと思うし、わたしにはできないなって思ってしまう。
 
ここまでベタ褒めしてきて、最後にダメ出しするのかよって、そういうはなしの展開の仕方ってどうなのかな、と思うんですが、こういう良いところを踏まえて、わたしはこの作品を優良ではなく佳作に推した理由をお伝えします。
 
上の通り、ゼンメツさんってめちゃくちゃ書ける人で、本当にすごい人で、今の文学極道の中でも最高にクールな書き手だっていうことが、この作品では分かりづらいんですよね。コメントでオオサカダニケさんが「3連目まででいいやろこれ」とおっしゃっていて、わたしも一読した時は同じような感想でした。でも、何回か読んでるうちに、これ、実はすごいことしてるんじゃない?という気持ちになってきて、その「すごいこと」の全貌がわたしにはきっと把握しきれてないと思うんだけれど、やっぱりそのすごさっていうのが分かりづらい。
例えば、安直に共感ばかりを求める人がゼンメツさんの作品を同じように好きかどうかとなると、自信を持って好きだとは言い切れない。詩をたくさん読む人なら好きかもしれないけど、世の中の読み手ってみんな時間がなくて、意外とみんな細かくなんて読んでくれない。ゼンメツさんは多分頭が良いから、読み手の賢さレベルを見誤ってるのかもしれない、とさえ思う。
ゼンメツさんに似たような書き手として思い浮かぶのは、いかいかさんや芦野くんなのだけれど、彼らは自分の技術を客観的に自覚していて、その力量を分かりやすく他人に見せるのがうまいと思う。わたしはこういう技術的なところで文章を魅了するということを全くしない人間だし、そういうのには興味がないけれど、もしゼンメツさんがそういう立ち位置にいるんだとしたら、分かりやすく自分のやってることを提示するというのはどうしてもやっていかなきゃいけないことなのかなと思う。
「別に、俺のすごさなんて別にわかってもらわなくてもいいし」みたいな感じだったら申し訳ないのだけれど、でもわたしとしてはみんなに、ゼンメツさんて本当にすごい人なんだよ、みんな読んで、絶対読んでって言いたいし、みんなにもゼンメツ作品を好きになってもらいたい。
 
というところで、わたしみたいなチープな書き手が、優良よりも佳作推挙にするという方が、今後のゼンメツさんにとって良い選択なのではないか、という気持ちがあって、そのような結果になりました。なんていうか、こんなチンチクリンに佳作にされたくねーわってきっと思っているんだろうなあ。すみません。
  
 最後にこれからの話として、ゼンメツさんとわたしに共通してるのは「自信のなさ」みたいなものがお互いのベースとしてあるなと勝手に思っていて、わたしたちはそういう「自信のなさ」を原動力にして、こうじゃない、とか、そうじゃない、とか、やっぱりこうかも、なんて言いながら「駅近のうろうろ」に成り果てて、作品の強度を高めていっているのかなとも思っていて。わたしはずっと自信をなくしたまま生きていきたいし、ゼンメツさんも自信を持たない(持てない、じゃなくてね)まま生きていくんだろうな、と思う。
でもそれってやっぱりちょっと辛いから、こうやってゼンメツさんが作品を文学極道に投稿するたびに、わたしは真摯に読み続けたいと思う。大した批評ができないのが本当に申し訳ないのだけれど、それがわたしにできる精一杯の応援のかたち、ということで。これに懲りずに、また作品、投稿してください。お待ちしてます。

10938 : 2:12 AM  アルフ・O ('18/12/05 23:06:02 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181205_066_10938p
(一)短い詩作品としてエッジが効いている。巧い。
(一)作者の作品世界を試聴するのに最適だと考える。詩を書く人なら短詩の難しさは理解していると思うが、この詩はギリギリの部分まで削ぎ落とされた美しさがある。
(一)ア・フォーリズム。省き切った蛇足。核心中の核心。詩で個展をすることがあるなら、入り口に大きく飾りたくなるような詩のコピー。

10957 : 貸出カード  愛々 ('18/12/17 07:16:03)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181217_372_10957p
(一)全くもって悪くない。では取り分け優れているかというと替えが効くものがある気がする。
抒情的であり恋愛の表層的な部位が美しく書かれていると思う。

10922 : それは素粒子よりも細やかそれはあやとりそれは贈り物  つきみ ('18/12/01 00:03:11 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181201_924_10922p
(一)「つきみ」という語が最後出てくるところが気になった。だけれども、それを引いても良いと思う。
(一)最終連を追加しなければ躊躇いなく優良に推していた。どうしてこれを追加したのか理解できない。これを言語化してしまうことで、それまでの圧倒的に豊かなイメージの洪水がまったく正反対のカルト宗教的な胡散臭さへと変貌してしまった。

10956 : 貧乳が添えられている  渡辺八畳@祝儀敷 ('18/12/17 02:23:44)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181217_365_10956p
(一)改行に関して、もう一歩進むことが出来た気もする。作品は惹きこまれた。
(一)一読して佐伯俊男のエロティックなイラスト(セーラー服の女子高生が舌の長い男の生首が入った箱を持ち帰るやつ)を連想したのだが、内容はそれぞれが欠けている男女の哀しく残酷な物語。これを何の喩えと解釈するかによって評価は大きく分かれるかも知れないが、自分のことのように受け取ってしまう人もいるのではないだろうか。 相変わらず読み手を挑発して語らせるのが上手い。

10959 : いちにのさんすう  白紙 ('18/12/18 06:02:07 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181218_400_10959p
(一)数式と作品のサンドウィッチが興味深く伸びている。
(一)数字に弱い人でも入り混じる偶然と必然に思わずニヤリとしてしまうことだろう。特にジム・モリソンの誕生日とジョン・レノンの命日の部分は、良く気がついたと感心してしまった。単なる知識の披露に終わらず、詩としてもきちんと成立している。
(一)リズムよく組み込まれる数列が視覚を楽しませてくれる作品。

10952 : ドラキュラ  泥棒 ('18/12/15 09:01:05)
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(一)途中まで傑作だと思った。最終連が更なる飛躍を持てそう。

10947 : 酩酊  山人 ('18/12/13 18:37:32)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181213_240_10947p
(一)二連目が、もう少し進めたのではないか。
(一)タイトルの通り少しずつ酔いに支配されていく語り手の、人間観察の鋭さが読み手に生きていくことの厳しさを突き付けている。母親という立場の女性にとって、彼女に同情的な語り手は単なる不審者でしかない。その現実が哀しく、痛い。

10962 : わたしに咲く薔薇  帆場 蔵人 ('18/12/22 02:37:26)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181222_521_10962p
(一)題材への接近は素晴らしい。あと、もう一歩。
(一)モチーフが古いが近代詩の詩情を十分に編み込めていると思う。

10948 : Clockwork screaming kiss her kiss her  アルフ・O ('18/12/13 21:01:14 *3)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181213_241_10948p
(一)これまでと違った技法で描かれていることが分かる。新たな世界を創造していっている良作。
(一)タイトルや作中のフレーズなど、この作者の作品の中では元ネタがとてもわかりやすい。プリプリを知っていれば感動が5割増しくらいにはなるだろうが、知らなくても詩作品としていわゆる蔑称としての「ポエム」と一線を画している。

10961 : best , heart beat  白犬 ('18/12/19 20:52:55)
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(一)作品世界が、どんどんと前に進んで行きます。だんだんと自作品への色が結実していっています。
(一)あと一歩の感覚がぬぐえずにある。それは、しかし詩としての大切なものが確実にあるという証拠でもある。これからも読み続けていきたい。
(一)この作者も独特の世界を構築しているが、優良にするにはあと少しという状態が続いている。今回は「ぱた ぱた」や「うぅ」がマイナスポイントとなった。

10960 : 人形(ドール)  アラメルモ ('18/12/19 02:00:46)
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(一)せっかく「誰もいない。ここにはもう、誰もいないんだよ。」という素晴らしい最終行があるのだから、括弧を使うなどの凝った表現は不要ではないか。最初の3行における人形の描写ももたついているのが残念。
(一)古びた人形という沈黙のモチーフが、沈黙をもって語りだしたように感じられました。
男は語らされているのかもしれない。

10935 : 顔の良い白人女   イスラム国(Staff代理投稿) ('18/12/05 02:48:50)
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(一)表現において「差別用語」を使用することの是非について、敢えて挑発的な内容で意見を求められた気がした。そういう意図があるがゆえに「差別用語」を使わなければ成立しないという皮肉な結果になっているが、そうした実験作でなければ特に使う必要があるとは思えない。

10953 : or  完備 ('18/12/15 13:24:55 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181215_278_10953p
(一)中途半端に仕上がっている。
(一)非の打ち所がない。生まれたままの姿で立つ人間の肉体を包み込む虚無をつかんでいるような作品。

10951 : 垂乳根の月、Milky Moon Christmas 二編  本田憲嵩 ('18/12/14 01:02:06)
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(一)「Milky Moon Christmas」が「垂乳根の月」のレベルの高さに達していないと思う。

10933 : 六年間  朝資 ('18/12/04 12:55:57)
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(一)言葉は上手い。詩として更なる成長が期待できそう。

10949 : 干し芋  松本義明 ('18/12/13 21:10:20)
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(一)幼少期の味覚などを交えながら編み上げていく。一段階上の作品となっている。

10932 : Soap bubble miss space.  つきみ ('18/12/04 12:04:46 *2)
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(一)荒々しい部分が光るが作品として成り立っている。もう少しだけ伸びていけそう。

10944 : 画の制作における言葉メモ  玄こう ('18/12/10 01:36:31 *1)
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(一)タイトルが、そのままなので勿体ない。中身は良い。

10940 : 花受と錫  鷹枕可 ('18/12/07 15:00:57)
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(一)美しい自然のヴィジョンが広がるが、少し人工的に整いすぎている感が否めない。 土を耕すことは、よいことです。

10939 : 僕にとっては流線形  松本義明 ('18/12/06 09:55:18)
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(一)形態が美麗であり詩的構築が際立っている。

10934 : 今うつろに  は ('18/12/05 00:54:37)
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(一)詩の上質さは置いておいて、こういう作品はありだと思う。優良とか関係なく書いていって欲しい。

10926 : これで終わり  いかいか ('18/12/01 12:26:04)
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(一)圧倒的な筆力を持って描き切った傑作。
(一)こういった作品を読むと、「この方はやはり上手いんだよなあ」としみじみ感じる。 序盤はシンプルな情景だが、後半が語りすぎている感じが少し惜しいと感じた。
(一)
冒頭の部分は、以下の言葉たちで繋がれながら物語に引き込まれていく。

>嵐。
>水。
>そう。
>もしくは?

普通の人なら、嵐、水、と来たら同じような名詞で続けてしまいそうなところに感動詞をポンと入れ、最後は疑問で締めているところなんかは特に、読み手を飽きさせないというか、読んでいて単純に楽しい。
 
一番好きな一文はこれ。
>そして、言葉の後の母の横顔が春先に吹く、まだ冬の冷たさをまとった風の様で、これから訪れるであろう春の生命の躍動にも一切の興味がなくそれとは無関係に、吹き抜けていく清々しさを感じさせた事を、今でも憶えている。そして、母は遠くを見ていた。

この作品の世界観は、芝居のような生活、愛情という名の契約、そして製品のように作られた自分で構成されている。その上で、浮世離れした空間から読み手を離れさせないように、いくつかの常識的な疑問を父と母にぶつけたり、その異常さを気持ち悪がったりするのだけれど、それでもこの世界観が覆されることはない。そこに象徴的に出てくる「横顔」は、憎しみでもなく、悲しみでもなく、清々しささえも感じる美しさとして描かれる。感情的に語られることの多い家族というものに対して、その全ての結末を横顔という刹那的な側面に収斂させるその筆力はもう流石だなと思う。
またここの一文で横顔を描くことで視線のあり方も同時に描いているのだけれど、視線という目に見えないそれを効果的に文章に使いたいと思うことはあっても、ここまで印象的に美しく仕上げることは普通の人には難しいと思う。遠くを見ているというその視線の送り方で、自分に対する母の気持ちを語り、作品の詩情をここまで的確に表現してあると、読み終わったあとにスタンディングオベーションする勢いでした。文章全体の広がりや深さに完全に酔えたし、正直言うと、その世界観からしばらくの間、覚めたくなかった。もっと続きが読みたかったな、と素直に思う。また未来というものを、未知のものとして扱うのではなく、あらかじめ決まっていることとして扱っているところも、知的さを感じてとても良かった。
 

10929 : 陽の埋葬  田中宏輔 ('18/12/03 00:29:21)
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(一)このシリーズがどのような順番で構成されているのか不明なのだが、個人的には前作と共に起承転結の「転」のような印象を受けた。
(一)圧倒的な美を芸術として昇華している。
(一)あまりの美味しさに腰が砕ける思いである。

10930 : 落葉と人  黒髪 ('18/12/03 00:44:06 *1)
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(一)活字として読むより、朗読のテンポに非常にあっている。声に出して読むと非常に味わい深い。「生の強度」に対する「生の作法」という言葉が身じろぎできないような息苦しさに満ちている。

10927 : dotakyan  完備 ('18/12/01 20:59:54)
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(一)春と秋を持たない語り手は夢を見てから目を覚ますのだが、それは本当の目覚めだったのだろうか。最初から最後まですべてが明晰夢のようでもある。あるいは人生という現実感の喪失。
(一)漂う青臭さと甘え切っている情感が詩を立てている。

10923 : 陽の埋葬  田中宏輔 ('18/12/01 01:21:48 *1)
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(一)「リゲル星人」という言葉が出てきたが「電撃戦隊チェンジマン」のネタとも思えないので、これがSFやファンタジー系の物語なのかスピリチュアル系の産物なのかなどと考えた。作中に引用詩が登場するというメタな構成を含めてシリーズの中でも異色作と言えるだろう。
(一)もう一作品と比較して全く作風が異なり、差異を持ちつつ圧倒的な美を提示していることに震えてしまった。

10924 : 砂塵の母  本田憲嵩 ('18/12/01 01:42:44)
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(一)始まりの方から作品の出来が良い。最後の一行が果たして成功しているか、どうかだが新たな一歩として良いと思った。

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