文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

2018年12月 芦野月間選評

2019-01-25 (金) 21:02 by 文学極道スタッフ

芦野個人の選評となります。
前書き

  • 今月は投稿作品が比較的に少なかったので、バランスを考え優良作品は一作のみとさせていただいております。
  • フォーラムにも書きましたが、仕事の関係上どうしてもこれまでのような全作選評を書く時間がとれなくなり、優良+αという形での選評となっております。
  • 優良、落選、順不同です。
  • 優良作品以外に今月選評をかけた作品(+αの作品)が必ずしも選評を書けなかった作品に対して優れているというわけではありません。

10971 : 冬にむかう 三篇  山人 ('18/12/31 20:49:47)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181231_672_10971p

雪が降る
この小さな心臓の真ん中に
冷たい塊を落としに

素直にかっこいいと思った箇所です。なぜかっこいいと思ったのだろうか。比喩が巧みだから? いやそれはたぶん違っていて、この3行から浮かんでくる「背景」がとても染み込むようにすっと胸に入ってるからだと思う。言葉を変えるとこの場面、発話者の言葉が発話者の存在というものをくっきりと存在させることに成功しているのではないか、と。
もしかしたらピンと来ない方もいるだろう。少し具体的に話したいと思う。それまでの2篇のわりと渋めな詩がバックグラウンドでいい仕事をしていると同時に、僕の乏しい索引に「雪」でひっかかる昔の作品などが海底トンネルのように連絡し合い、この3行を彩ったのかもしれない。
例えばウォレススティーブンスの『スノーマン』だったり、或いはヘミングウェイの『キリマンジャロの雪』でもいい。若いころ持っていたはずの情熱というものが、自分でも知らないうちに、あっけなく消えていたことに気付いたとき、それを恨めしく思う気持ちもあるだろうが、むしろそうなる定めであった、とすこし晴れがましく丸めた背で寒空の道を一人の「前よりも」老いた男が去ってゆくとき、そこには必ず雪が降っていたのだろう。
もちろんこれは僕の妄想だし、作者の書きたかったこととは全然違うかもしれない。けれどどんなに細かく話者の存在のディティールを飾っても、最後にそれを生きた人間にするのはいつだって作者ではなく読者であると思う。「妄想」や「思い入れ」が作り物に息を吹き込むものだろう、と。そういう意味でこの詩はとても「吹き込み口」が易しい作りになっていて、軽く吹き込んだだけで、簡単に生命をもってくれる容易さが良い。
その良さは、前の2篇で打った布石と、文学における雪というもの象徴性によるものではないかと僕は思ったのだけれども、もちろん読み手の数だけ読み方はあるわけで、是非皆さまのうちにこの詩を紐解いてみてほしいと思いました。

10973 : ひとりであるく  いけだうし ('18/12/31 23:14:53)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181231_676_10973p

半分より少し欠けたぶんだけ、
それは太陽に照らされるしかない
そういうポルノを、僕を憎む

「を」の連続が一瞬読み手を躓かせているんですが、この場合いい具合に効いてるんじゃないかな、と思いました。んーと、誤解されかねないですが、わりと「あー!そう!」で済まされそうな語りなので、ここは是が非でも足を引っかけたいところですよね。
それで、一瞬立ち止まらせると、自然と解釈の歯車は回るもので、僕の場合、この場面でポルノと称される僕の在り様、憎いとおもってしまう在り様を、ひねくれた韜晦欲と、素直な感情との相克として読んでました。それをポルノと表すのがなんとも味がよいように思います。
そこから唐突に出てくる「オキシトシン」という言葉も、脳内物質を出すことで、抗えない人間的感情への拘泥たる思いをなんとなく感じ取れますね。
僕のなかでは話者のユニークな存在というものが立ち上がりつつありそうだったので、結びの一連が少し不足なのかな、という印象です。というよりも、もう少しその筋で走らせてほしいな、というものなのかもしれません。

10969 : 鳴動  トビラ ('18/12/31 17:20:00)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181231_668_10969p
少ない言葉で多くのことを語ろうとしているのにはとても好感を持ったのですが、どうしても、作中の話者が作者のなかで閉じてしまっているような印象を持ちました。

いくら、哀しみをオーバードーズしたって、
答えは得られない
それが答えだった、あの日

具体的にはここなんですが、続く詩行は、読者の「妄想」でいくらでも補完できる良さがあったように思います。なんというか、読み手の思い入れに呼応して色合いが鮮やかになる詩があると同時に、ある程度の容が作品のほうに用意されていないと、暖簾に腕押しのような感覚を覚えてしまうように思いました。要するに、いろんなパターンに当てはまりすぎて個別性が失われた結果、読み手に透明な存在のような感じに映ってしまう弱さなのかな、と。

10943 : 揺蕩う  氷魚 ('18/12/08 16:25:01)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181208_139_10943p
すごく失礼な言い方になってしまうのですが、詩っぽいものを書こうとして作者のなかで根のはった言葉ではなく、それっぽい言葉の連打に終始してしまっているように感じました。言い換えるなら、すらーっとよんでそれでおしまいとなりかねない描写であると思います。
ただ僕の言ってるやり方って、言葉の背景に話者という存在を浮かび上がらせる方法なのですが、決してそれだけが詩であるとは思っていなくて、いわゆるキラーフレーズとして、やたらでかいダイアモンドに光が乱反射するような、輝かしいフレーズの連打みたいな方法もあるとは思うのですが。この詩に関しては巧く行っていないという印象を受けました。

所在なく一声鳴いた牛の瞼に泥がこびりついている。

ただこの一行ってそれまでの詩文とは全く違って、ものすごく情感を刺激するような趣があるのですよね。僕はこの一行がとてもよかっただけに作者はどちらかというと、ある「存在」というものに寄り添った書き方のほうが巧く書けるのではないかと思ったんですよね。

10964 : 小品21(から14へ)  空丸ゆらぎ ('18/12/24 22:16:47 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181224_573_10964p
こういう作品に、その裏側にいる存在を浮かび上がらせる背景だの、そういうことをあまり言うつもりはなくて、なんというか、いい気持ちにさせてくれればそれだけ何か読み手の内に残せそうな体裁だと思います。それで、いい気持にさせる、というのがめちゃくちゃ難しいんですよね、もうこれはセンスだけでの勝負みたいなもので、僕がその「方法」についてとやかく言えることではないと思っています

冬眠することにした 雪も気兼ねなく積もれる 眠い
世界は眠い 土いじり

初読、積もれる、ってどこから目線? という引っ掛け方がなんだかとても効いているように思いました。雪ってもしかして誰かに気兼ねして降るのをためらったりしているのだろうか、とかそういう楽し気な空想を呼び起こす「遊び」がありますよね。

ドローンと天使を見間違えるなんて、
兵隊さんたちはそわそわし始めた。

これも同様で、そんな状況を頭の中で想定させることで、書かれている文章に深みを持たせるというよりも、勝手に深みを想像させる、という燃費のいいやり方だなあ、と思います。(どっちも同じことかもしれませんが)
一方で、平べったい、どこかで聞いたことがあるような詩文もあり、推しきれないなという印象はありました。もちろん僕のほうに、どうすればいいか、なんて提案はなくて、もっと研ぎ澄まされた言葉で突き刺してほしいな、とただそれだけしか申し上げることができないのが残念なのですが。

10968 : アンタなんかしなない  ゼンメツ ('18/12/29 01:22:07)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181229_611_10968p

あくびをしている恋人の口へ指をつっこむみたいに、拳銃を突きつけ、そして同時に引き金をひいた。そのどこまでが比喩だったのか。

いきなり躓かされるフレーズに出合いドキッとした方も多いのかもしれない。なんとなしに読むと、拳銃を突きつける行為を比喩として、頭が勝手に処理しようとするのだけど、「あくびをしている恋人の口へ指をつっこむ『みたいに』」という言葉をもう一度読み返すと、「そっちが比喩かよ」という驚きがある。
どうやら巷はゾンビで満ちているらしい。恋人もそうだし「僕」もどうやらそうらしい、その「事実」をそれっぽい比喩で覆い隠すように、感傷的な描写が重ねられている。
その倒錯感と、「でもキミらゾンビだよね」というツッコミ欲と、それでもなぜか突き刺さってくる言葉がなんだかとても切ない。
「僕たち空っぽだね」という、詩に書くと限りなく陳腐な言葉をどうやったら読まれうるものにできるか、という試みに感じました。

10938 : 2:12 AM  アルフ・O ('18/12/05 23:06:02 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181205_066_10938p
レスも読んだんですが、どこらへんにレズとか百合要素があるのかわかりませんでしたので、あんまり理解できていないかもしれないです。
むしろナンセンスギャグのように読みました
「節子、それは夢ちゃう」
って感じですよね、ちょっと不謹慎ですが。そこらへんの可笑しさでどこまで読ませられるかって感じです。タイトルを見ると『2:12 AM』とあるので、「迷惑な奴だな感」がましましで、むしろそんな時間に「貴女」を抱きとめるために起きているもう一人の方へのツッコミ欲も高まってきます。
と、ここまで読んで、そのツッコミ不在具合、回りくどさが、様式美としての同性愛ものというものと繋がるのかな、と少しだけ感じました(どちらかというとBLっぽさを)。萩尾望都くらいしか知りませんが、特有の回りくどさがありますよね。
そういうツッコミ不在ゆえの「不可侵さ」の演出としては僕は過不足なく良かったなと感じました。こういう作品に、作中主体独自の人生観云々とか言い出したらそれこそナンセンスギャグなので。

10953 : or  完備 ('18/12/15 13:24:55 *1)  優良
URI: bungoku.jp/ebbs/20181215_278_10953p
傑作だと思います。たぶん僕がこれまでの選評で書いてきた「なんちゃって良い詩を書く方法」諸々とは全く異なる技法によって支えられているこの作品の評を書くにあたって少しばかりの興奮を抑えられないことをどうかお許しください。
一読して、ほとんど意味なんてわからなかったけど、どうしたことか、散りばめられた言葉一つ一つに必然性すら感じてしまったのは、おそらくその言葉らが作中主体にとって何かしら親密な関係を結んでいる、或いは結んでいたと予感されるようにこの詩文が書かれているからだと思う。
それは例えば

本棚、ボロボロの
擬微分作用素
それは抒情、あるいは
信仰告白、
重曹を溶かした足湯
これは祈り

「擬微分作用素」なんてよく分からない数学用語が「抒情」あるいは「信仰告白」という言葉に接続されることによって、立ち現れてくる背景によって為されているように思う。僕がここで受け取ったものは、昔「擬微分作用素」なる本を買って、数学という最もロジカルな世界で何かを為そうとした「かつて」の話者と、それをそのロジカルな世界から最も遠いもののように思われる「抒情」や「信仰告白」と呼ばざるを得なくなった「今」の話者との関係性というどうしようもなく感傷的な余韻だった。
と同時に、「重曹を溶かした足湯」というのは詳しく知らないのだけど、なんだかとても踵のカサカサが取れそうな感じがして、それを「祈り」とするユーモアももちろんあるが、むしろそれが「擬微分作用素」に並置されていることで、人間臭さというものが滲み出ているように思った。学問に勤しむ人だって踵のカサカサは気になるのだ。
ここからは僕の独りよがりな読解になるのだけど、『or』と題されたこの作品を一読したときに、キルケゴールの『あれや、これや』を思い出していた。内容なんてほとんど覚えていないし、そもそもそんな哲学めいた話をするつもりもない。でも生きていると、ふとしたときに「あれも、これも」というandの生き方に疲れを感じるときって必ず訪れると思っていて、そういう贅肉となった経験や思想は

荒れ地、眠れないまま
ゆるむ瞳孔へ
駄々洩れるイメージ

として、頭の中を去来する。そんななか、「あれや、これや」の選択を迫られるとき、僕の知る限り、そんなものを即座に決めることが出来る人なんてまあおらず、ただただ選び取ることのできないイメージが氾濫して、自分にとって何が真実なのかという揺らぎの中で生きざるを得ない、とても人間臭い誰かがこの作品の背景にしっかり存在している。

あるいはきみと
作られた寂しさ、もう
いい、
もう、これ以上
繰り返さなくても、

或いは、ある喪失のなかで、あらゆる選択を無に帰するようなかつての絶望の影におびえているのかもしれない。かつて価値のあったものが無価値になり、それがorという接続詞によって延々と並べられ、延々と無価値であると信じてしまうこと。その揺らぎの中でもがく、どうしようもなく人間臭い誰かによって絞り出された途切れ途切れの言葉が僕の胸を打ったのだと思う。

10956 : 貧乳が添えられている  渡辺八畳@祝儀敷 ('18/12/17 02:23:44)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181217_365_10956p
多くの方が触れられていますが、この作者にとって「反感」がフックなのですよね。それで、これまでの作品って、わりと(少し言葉は悪いですが)「稚拙」な形で反感を誘っていたから、端から「そういう年ごろなのね」と歯牙にかからなかったところは少なからずあったと思うんですよ。ただこの作品に関していえば、レス欄を見ればわかる通り、ちゃんと「反感」を買えているんですよね。アルフ・Oさんがかなり良いレスしてくださっているので、僕はそれ以上のことを付け加えることはできないのですが、謎の設定を背景にして、それでも現実感を装うようにディティールへの言及がなされているので、「ああ、反感売ってるや」と一瞥されて通りすぎてしまった読み手を引き留めて、あわよくば「これは差別なんじゃないか」という言葉を引き出すことに成功していると思いました。
ちなみにレスつく前にもこの作品は読んでいたのですが、これまでのワンアイディア勝負から脱していて、反感、というものを入り口にして、それでもテンションを保とうとしていることに好感はありました。
そう、この作者の作品って「ちょっとこれに関しては、言いたいことがあります」と参加させてしまえばもう作者の土俵なので、そこはかなりうまくいったんじゃないかな、と思っています。

そこから先の読みに関しては、もうすでにるるりらさんがかなり忠実に作者の仕掛けに、引っかかったうえで本質を見抜いているよう思われるのでそちらを参照していただきたいです。というかこの作品はるるりらさんの読解で何倍も良い作品になっているとさえ思います。本質は「不幸でしかありえない関係」ということになると思ったのですが、フックも効いてて、その落差を利用した展開の仕方も良いと思います。欲を言えば、その関係性のなかからでしか語られるすべのない詩の言葉というものをもっと読みたかったのですが、そこは作者の望むところとは違うかもしれません。あくまで僕の個人的な欲求です。

10949 : 干し芋  松本義明 ('18/12/13 21:10:20)
URI: bungoku.jp/ebbs/20181213_243_10949p

これみよがしに私は唐揚げ私はおでん私は肉まん私はマロングラッセ私はアイスクリーム

巧いと思いました。切実さと遊びのバランスが良いので、緊張と緩和が効いていて、すっと胸に落ちてくるものがあります。
途中から干し芋が貴女という言葉に置き換わっていくのですが、そこをどう読ませるか、で読後感が変わってきそうだと思いました。亡き妻、亡き母、亡き女兄弟、或いはそんな言葉を思い浮かべることも可能かもしれない。そうするとこの詩文全体が迷彩としてあやふやになり、はっ、と気づいた時、この詩文にあふれるより多くの情感というものに触れることも可能なのかもしれない、と。

小さな甘みが涙の中でなんどもなんども爆発しているから思い出しているけれどもう貴女に出逢えない

思い出という感傷は、思い出のただなかにいたころと、それに対して現在の自分が不可逆的に変わってしまったことをいつだって眼前に突きつけてくる。
ただ僕はこの詩、かなり入れ込んで読んでしまっている自信があって、そうではない読み手に対して、そういう導線が引かれているか、といわれるといささか疑問に思うところもありました。

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