年間総評2
2013-06-25 (火) 11:57 by 文学極道スタッフ
焼き菓子に喩える?
紅月さん。
「ピエタ」や「matria」などの読後は、滅びゆくものや亡くなってゆくものに対する追悼のようにもおもえる。
その文章のひとつひとつが重なりあうさまは、焼けた層の上に生地をかけながら焼く事を繰り返し、薄い層を10〜20層程度かさねてつくる焼き菓子を、わたしに思いおこさせる。
焼きたてのバウムクウヘェンを切り分けないままに手でちぎりながら味わうような、印象。
ひとさらのバウムクウヘェンをまえにわたしは座り、何ひとつ装飾のない、黒のワンピースを着る。その服は、わたしを引き立てるのではなく、あくまでヴァニラの香りがすぅ、っと消えてゆくまでの時間を、甘く媚びたものにしないための。
焼き重ねられた幾層もの生地の年輪にそっと指をさし入れて、そのいちまいいちまいの手ざわりを目を閉じて感じとれるまでに、わたしは背中をしゃっきり伸ばしてこれらの作品を読んでいたいと思う。
るさん。
「刈りとりの歌」や「ビャクシンの木」、はじめはそっけなく感じられる。
極上の「サクランボのリカー漬け」をつくる上での条件が、完熟には至っていない良質のサクランボをつかうことであるように、
この作品の「完熟してなさ」具合が、わたしのなかでの「読む」という時間のいろいろな要素を試すアプローチを与えてくれて、「おもしろい」の感覚がひろがってゆく。
るさんの作品を、焼き菓子に喩えるのは難しい。
むかし、アンリ・シャルパンティエにあった「のの字ロール」。
雰囲気が、柔らかなジェノワーズに似ている。あと、「の」と「る」も。