年間総称 まえがき
年間各賞をとられたみなさん、おめでとうございます。
浅井が総評を書くことになりましたが、総評の依頼とともに一言そえられていた言葉があります。
「投稿者にも敬意を以て接していただけたら幸いに思います。 」
敬意、もちろん持ってます。
そのうえで月間や年間で「優良」に選ばれたことと、「優良作品」=「いい詩」というのは、それぞれ違ったレベルにあるという自覚は持っていてください。
みなさんにも選ばれた作品に敬意は持ってほしいですが、自分のなかの基準を差し置いてまで、それを優良とみなすことはしなくてもいい、ということです。
みなさんが投稿された作品は、非常に公正に、優良かどうかを選出しております。
でもそれは、作品を選出するシステムが公正であり、選ばれた作品が質的に優良であるかを保証するか、ってのは意味が違ってくるリスクを内包しているのかもしれない、ということです
発起人になって以来、どうも「優良作品」の選出システムってのが、デリバティブのように感じていまして、毎月優良作品が選出されるたびに、自分が詐欺師にでもなったような気持ちになったものですが、それは正直、年間でも感じている事です(御気分を悪くさせたのならもうしわけありません)
デリバティブ、つまり、部分的なAAAの格付けをもつ債権(作品)に、AAAでない大多数の債権(作品)をひとまとまりにして成り立ち、信頼できる格付け会社(文極の選出システム)にお墨付きをもらって、公表されているということなんですが
なぜ、浅井からみて、AAAでない大多数の作品が、優良の中に含まれることになるのか、というのはまた今度にします。
とにもかくにも、「年間各賞」が、作品の格付けとして客観的にAAAの評価を得ているのか、という基準を、文極スタッフだけでなく、選出された側も、あるいは選出されなかった側も持って、振り返りを行うことで、より健全な環境を作っていく必要があります。
それは、選ばれた結果が大事というわけではありません。
選ばれて良かったという受け身的な態度をあなたがとるのではなく、選ばれたメリットを考えて文極をせいぜい利用し、文極に利用されるな、という意味です。
前置きが長くなりました。
次回からは、受賞した作者についてみていこうと思います。