文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

「10月選評雑感パート1(優良作品)」 編集=浅井・織田

2010-11-22 (月) 23:50 by gfds

「10月選評雑感パート1(優良作品)」 
編集=浅井・織田

優良に選出された3作品から、発起人の寸評を拾っていきます。
※注記:寸評は、公開を「前提」として書かれたものではないことを前置きしておきます。

27.4752 : ふゆのうた  ひろかわ文緒 ('10/10/09 22:22:29)
URI: bungoku.jp/ebbs/20101009_706_4752p

『発起人の作品以外で、まともに読めたのはこの作品だけでした。 ただ、優良に推すには迷う点もあって、それは、ひらがなやですます調が、ひとつの作法のように、夢見がちな女の子の独白、という枠に作品を押し込めていないだろうか、ということです。思考が散漫なため、うまく書けませんが。 以下は余談ですが、ひろかわさんのblogで、リフレイン狂さんは別名での投稿だったというような記述があったと思います。だとすれば、反動もあったのかな、などと思います。』

『繊細な感覚と言葉遣いに、はっとする箇所がいくつもありました。 「生活のふりをして」という言葉が特に印象に残りました。 「ですます調」にする必要があったのかなと、少し疑問には思います。 柔らかすぎる手触りが、この詩の評価に少しマイナスに働くように思えたりもします。』

『とても静かに言葉が運ばれていく、美しい詩です。 比喩・暗喩もとても上手で、思わず唸ってしまう表現もあります。 才能あるなあと思える人ですね。』

『情感を風光に託してしっとりと。詩とはこういうものだったのだろう。』

『ひろかわさんの作品としてみると、決して出来は良い方ではないのだけれども、わかりやすさが一般向けの感覚をくすぐる。 一連で凡庸に流れそうなところをきちんと遊離させている。』

13.4738 : ベルゼバブ。  田中宏輔 ('10/10/01 20:48:34 *2)
URI: bungoku.jp/ebbs/20101001_598_4738p

『僕は、これは、詩における広義の間テクスト性の問題と、作者の意図しない、あるいは意図した神話の形成という二つの問題として捉えてみました。

間テクスト性においては、引用されたどのようなテクストも、懐疑を前提に受け止められており、テクストは、すべて、別のテクストに吸収、変形される、ものである」と文芸批評に大きな影響を与えた、ポスト構造主義者ジュリア・クリステヴァがいわれていますが、そのテクストの特性を上手に使って、田中さんは、斉藤茂吉の短歌を引用することにより、田中さんのテクストの中で、斉藤茂吉の短歌が、斉藤茂吉の短歌ではない別のテクストに変容させることに、成功していると思います。

僕は、斉藤茂吉には、ほとんど疎いのですが、僕が考えている正岡子規の後継者の、また「あららぎ派」の斉藤茂吉とは、まったく違う姿で、斉藤茂吉の名前の付した短歌が、ベルゼバブの口から、語られています。ある気持ち悪さを覚えます。その点では、狙いは見事にできていると思います。

田中さんは、斉藤茂吉を通して、人間の持つ、裏側の残忍さを暴き出そうと思ったのかもしれません。あるいは、ある意味、多くの当時のモダニストと同様斉藤茂吉が、戦争協力者であった事実、文学家であるにも関わらず、その安易さは、同時に残忍さの裏返しであると、言おうとしたのかも知れません。
そのために、前もって、斉藤茂吉の特異性を強調する意味で、その田中さんの考えの、ある正当性を作る、からくりの仕組みとして、『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』が作られていると思います。ボードレールの好んで使う「語彙」を引用して、「前半で、これらの語群をキーワードとして用い、斎藤茂吉の作品世界に、ボードレール的な美意識が表出されていることを示し、後半で「蠅」がモチーフとして用いられている茂吉の短歌作品を幾首か取り上げ、『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』を導き出し、その作品世界を新たに解読する手がかりを与えた。」
と言っているように、戦前のモダニストの歌人であった面を相当に際立たせて、尋常ではない美意識の持ち主であったと、言おうとしていますし、この詩(僕はこのテクストは詩ではないと思うので選考対象外としましたが)も、間テクスト性のもつテクスト自体の変形を利用して、効果的に見せていて、斉藤茂吉のある別の顔を描くことに、相当強引ではありますが、ある程度は成功していると思います。

この「ベルゼブル」という詩は、今まで述べた間テクスト性の引用の変容効果という特性に基づいた『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』が、原テクストになり、田中さんが、それの詩的試みとして「ベルゼブル」で、新たな斉藤茂吉像を、間テクスト性という詩的効果によって、再構築しているという二重構造になっているのではないでしょうか。
こうして、作者の目論見は、大胆な構想で成功しているように見えるのですが、唯、この詩が少しも良いと思えない理由が、よくわかりません。

そこで、おかしなところを考えてみますと、この詩は、なぜか斉藤茂吉とベルゼブルが描かれているのですが、それをつなぐ他者としての田中さんの眼差しが、ベルゼブル=斉藤茂吉という断定した目線でしか、見えないです。限りなく詩の一回性の特質を否定した他者として、絶対者のように透明な壁の向こうでみているような感じでしょうか。

田中さんは、そう、丁度、詩人の眼ではなく、このテーマの研究者のような視線で、見ているか、あるいは、自分の手の中で、いわゆる『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』で既成事実化された、ベルゼブル=斉藤茂吉という駒を、自由に転がして楽しんでいるかのようです。詩人としての作者(田中さん)ではなく、まるで作者が作った『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』が、「ベルゼブル」という詩を書いたようにです。
すなわち、この詩は、私的な『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』という思想を、コピーして書いている様に思えるのです。端的にいえば、『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』で、作者の目論見で、意図したかはわかりませんが、詩とは、まったく対局をなす神話を構成してしまっているのです。

『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』という神話をつくり、その絶対性にもとづいて、それを反復することにより、詩の持つ一回性という独自性を消し去っているのではないでしょうか。だから、この詩「ベルゼブル」には新たな詩的創造性も、発見もないのです。
だから、この詩は、最初から、構造的に無理があり、なおさら、やはり、田中さん自らが、ベルゼブル=斉藤茂吉=作者(田中さん)、またはベルゼブル=作者(田中さん)という並列的な位置に、たたなければ、すなわち、自ら作った神話を壊さなければ(ひどい自己矛盾ですが)、この二重構造を壊さなければ、詩に普遍性と広がりを持つことができないと思います。
アリバイを作ったうえで詩を書くという、本来、詩人の姿ではない方法論を用いたことが、僕には、まずかったのだと思えるのです。
この詩を読んでいると、人工的な臭いの濃い物語で既成化された空言を書いているように思えてしまうのです。
唯、この、詩としては常識はずれの構想が、詩人田中さんの、真骨頂と言われれば、僕には、そうですかとしか言うことができませんが、あくまで、僕の拙い私的な考えで、書いたので、僕の間違いかもしれませんし、僕の読みが悪いからかもしれません。』

『斉藤茂吉の短歌を多用していて、ユニークな作りであるのですが、 ベゼレバブ=斉藤茂吉(歌人で医者)に対する、ブラックユーモアとしか、 受け取れない気がする。いわゆる少し前、精神を病んだ者の虐待が問題になったが、 そのことが脳裏に浮かび、きぶんよく読めなかった。 題材の工夫は、評価するが、斉藤茂吉の正しい評価をしているのか、疑わしい、 良いものとは、僕は思えません。』

25.4758 : とうめいの夏  イモコ ('10/10/13 00:12:33 *1)
URI: bungoku.jp/ebbs/20101013_736_4758p

『ぼく的には極道に寄せられる10代の書き手たちの中で今一番可能性を持った一人だと思います。

>いかないで、なんて
>あなたに言うための価値を私は持っていないのでした(作品から引用)

自分の価値を計りにかける行為というのは恋愛に限らず始終やっていることです。ぼくのかつての上司に仕事と恋愛は一緒だといっていたのがいましたが、仕事論と恋愛論を一緒にする気にはぼくにはなれません。ただ、この自分の”価値”という点では一脈通じるところがあるように思います。

>私を透明にします(同引用)

一時期、去る事件を契機に「透明な私」というキーワードが巷で語られた経緯があります。
<透明であること=価値のないこと>
人間の成長段階では、十分な愛情を受け、自分の価値を”承認”されることで、次のステップを踏んでゆけます。つまり、相手の価値を認められる人間になるのです。相手のために「価値」を譲れるということです。ところでこの作品で比喩化されている「透明」とは何でしょうか?それは論理的に説明することができない、感じることでしか知ることのできない世界、つまり、詩に依るしか表現され得ない事柄が描かれているのです。』

『自覚的ではない書き手だと思います。この作品は明らかに冗長で 無駄が多いのに、カタツムの詩は端的で鮮烈。審美眼で描いているのではなく、感覚に任せて 書いているようです。その危うさが魅力でもあり、未熟でもありこの人の味なのでしょう。 』

『短編小説風メロドラマというところです。 まあ、どうでもよいことを長々と書いています。つまらない詩です。』

『話者のいる世界が描けている。ずいぶん上手くなった、嬉しい。』

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