文学極道 blog

文学極道の発起人・スタッフによるブログ

コンテクストと強度について、あとコラムの補足の意味も

2007-11-14 (水) 23:21 by kemuri

billigen Rock

とても安っぽいことだ
とても簡単なこと、いつだって脱ぎ捨てられる
俺は、俺をいつだって脱ぎ捨てて
新しい世界に着替えて、ほら一つお辞儀を

10ダラーズ、1000円、10ユーロ
まぁ、なんだっていいさ
Billigen Rockだよ、それ一つでいい
薄っぺらなそいつで、何もかも変われる

今、おまえが立っている地面が
今、見ている窓と空と電線の重なりが
ママとパパと歴史の授業が
くるくる回って叫んでやれよ Billigen Rockで

くだらない詩ですよね。文学極道にこんなの投稿したら、ボッコボコ間違いなしです。今、40秒くらいで書き上げました。ええ、ひどいですよね。でも、この作品には一つだけ、劇薬的な効能があるんです、リトマス試薬的なといってもいい。真面目に勉強してる大学生とそうじゃない大学生を見分けるっていう。
 はい、皆さんこの作品の主題、なんだと思いましたか?ドイツ語の授業に真面目に出た人だけが気づいたと思うんですが、「ジェンダー」もしくは「クィア」です。billigen Rockはドイツ語で「安いスカート」ですね。一昔前に流行ったような作品です。ドイツ語を履修しているお子様を持つお母様、学費が生きているかどうか試すチャンスですよ。
 はーい、正直に「ROCK」に引っ張られて、まぁなんかわからんけどブレイクとかその辺の仲間の形容詞プラス「ロック」だと思って読んだ人挙手。いや、俺としてもドイツ語のひっかけに気づかなかったことはどうでもいいんですよ。大体、文法的というか形容詞の使い方的に怪しいし、フランス語でやられたら俺も引っかかるわけでね。こんな引っ掛け、幾らでも作れるし、引っ掛けてニヤニヤするくらいしか使い道ありません。この程度のことやって「こんなことにも気づかないのかよ」って批評から逃れようとする糞への牽制でもある。未だにいますよねぇ、こういう人。もっと抽象的な内容で「おまえの読みはその程度か」とか、アホちゃうか、と。読ませられないおまえの実力が無いんだよ、と。ちなみに、この作品に関しては、ドイツ語の意味と「ロック」の文脈の両方を読めることを前提に書いてます。既存社会への反抗、っていうロックの文脈と意味と音の重ね合わせ。まぁ、一応ね。作品と最低限呼べる「構造」はある。くだらないけど。
 まぁ、そんなこたーいいんですよ。今日、俺が問題にしたいのはそういうことではなく(ついでに、そういうアホは文学極道にはお呼びでないとアピールしたりしつつも)このコラムで問題にするのは「文脈」(コンテクスト)についてです。
 まず、コンテクストってなに?ってところから。
一般に、コンテクスト(あるいはコンテキスト)は、日本語では「文脈」と訳されることが多いが、他にも「前後関係」、「背景」などと訳される。コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であればお店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。
                             ――ウィキペディアより
 ま、こういうもんなんですね。便利な時代です。これと類似した概念で、「コード」ってのがあります。上記の作品とこのコラムにおける「ドイツ語」みたいなもんですね、両者が知っていないと話が通じなくなる暗黙の知識。文化のコード、慣習のコード、知識のコード、立場のコード、まぁこれはここまで。
 んで、俺が何故「文脈」って書かずに「コンテクスト」って言葉を多用するかっていうと、「文脈」って訳語には、上の引用を見て貰えば判る通り限界があるんです。かなりの意味がそぎ落とされる。意味もなくヨコモジを使う人間は(笑)をつけて嘲ってやるのが俺の趣味ですが、こればっかりは使わざるを得ない。ハイデガーとか読んだ人にはわかると思うんだ。「変に和訳すんなボケが!脚注つけろ、意味わかんねーわ!」みたいなね。仏教用語とかマジ無理、しかもその用語本来の意味を調べても出て来ないイジメ。ああ、また話がぶっ飛んだ。戻ります。
 詩を書くときには、様々なことを意識しなければならない。例えば、単語の一つ。例えば、上に出した「ロック」なんて単語には、付随するものがたくさんあります。ロックと言う言葉には、カートコベイン、社会への反抗、ギターのFが抑えられた喜び…無限に近い「コンテクスト」がついてくる。他の単語も同様です。例えば「愛」なんて考えてみてください、愛の観念は個人的なものから「隣人愛」みたいな超メジャー級まで、非常に多様なコンテクストが芋づる式にくっついてくる。そういう言葉、例えば「悪魔」とか「夢」とか「血」とかもそうですけれど、こういうものを作品に無造作に放り込むとひどいことになるのは、ある程度書き慣れた書き手なら言わずと知れたことでしょう。
 だからこそ、作品を一個作るときには言葉を選び、文脈を「絞り込む」。言葉の回りにあるもの、付随するものを内容の上で絞込み、見せたい箇所を提示する。そういう努力が常に必要になるわけです。
 ここで、便宜的に名前をつけることにしましょう。「明示されたコンテクスト」「暗示されたコンテクスト」とでも。明示されたコンテクストは字義通りの内容、辞書に記載されたもの、暗示されたコンテクストは前述したようなものです。そして、詩を書くときはこの両方に常に意識を払わねばならない。まぁ、こんなもんは常識です。「考えたこともねーよ」って人は反省してください、意識的・無意識的は人にもよりますが、普通はこの程度のこと考えて書いてます。言われてみて「まぁ、そうだよな、やってるわ」って人も多いでしょう。
明示されたコンテクストのみで構成された作品は、おそらく「法律」のような無味乾燥なものだし、その逆は「全く以って意味がわからない」「どうとでも解釈できる」代物に成り果てることでしょう。暗示されたものと明示されたもの、この二つのサジ加減は、作品構築の一つの要です。もちろん、一番大事な要素というわけではないですがね。ちなみに、法ってのは全て「明示」されてないとまずいんです。だから、法学ってのは言葉の定義に必死になる。明示されていないものは定義し、整理して明示しないと機能しないわけですね。でも、詩や文学に関してはその限りではない。
さて、当然の話はここまでとして。では、ここで少し話を戻します。
「スイーツ(笑)」って、言葉の使い方を皆さんご存知でしょうか。これ、女性誌の通俗的…というかなんというか、薄っぺらさというか、そういうのを笑い飛ばすために、名も無き2ちゃんネラーが開発した手法なんですが、これモダニズム的に分析すると、結構面白いんです。風刺やパロディ、脱構築なんて言葉で語りたい人もいるかもしれない。俺自身も、批評方法として即物的に使いましたが、面白く使えました。さて、まず何故甘いもの、ケーキやシュークリーム、はたまたプリン、そういうものを「スイーツ」と呼ぶか、ここから解説は始まります。まぁ、端的に言えば「格好いい」わけですよね、ヨコモジで。デザートなんていうありふれた言葉でなく、また意味の上でも「甘いもの」なわけですから、「食後の」って意味を内包する「デザート」よりは使い勝手が良い。実際、バカにされつつも便利な言葉だと思います。しかし、そこに含まれる「こう呼べばカッコいいだろ?」っていう気配を、(笑)は嘲笑する。
 この用法、少しでも「かっこつけ」の気配のする外来語、あるいは単語もしくはセンテンスの全てを笑い飛ばすだけのパワーを持ってます。「差異と反復(笑)」「零度のエクリチュール(笑)」「傷だらけの天使(笑)」いや、別にドゥルースやバルトに恨みはないですけれど。さて、何故こういうことが起きるんでしょうか?
 もちろん、皆さん感覚的にはわかると思います。しかし、何故起きるのだろうか。実際、「スイーツ」って言葉は「ダサい」のか?それは、元からダサかったのか?そうでもないと思うんですよ。元々はそれなりに「格好良かった」んだと思います。羽根の折れたえーんじぇー!って叫ぶのが格好良かったことも、あったんでしょう。
 「詩は歴史性に対して垂直に立つ」という言葉があります。まぁ、有名ですよね。解釈も色々あると思うんですが。この際、「意図主義」的な解釈論争は抜きにしましょう、稲垣足穂が何を考えてこの言葉を書いたのか、という方向ではなく「どう解釈すると意味が通るか」という視点でこれを語っていく。すると、議論の基本は「単語の整理」ということになる。「詩」は、詩作品という全体としてひとまず置いておいて(めんどくさすぎるから)、「歴史性」と言う言葉について考えてみる。さて、これどっちだと思う?新しいほう?それとも、古い方?旧来の「歴史」というコンテクストか、「新歴史主義」(ニューヒストリズム)の方か。もちろん、発言の年代を調べると答えは出そうな気がしますが、それはちょっと置いておく。つまり、どちらを「挿入すると」より「使える」言葉になるか。プラグマティックな観点で考えてみましょう。新歴史主義、というのは…あー、説明すんのめんどくせ、でも適当な解説がネットにねえなぁ…。えーとまぁ、てきとーに言うと、歴史というのは「それが在り解釈される」ものではなく「解釈されたもの」である、つまりね、日本軍が攻め込んだぜおういえ、日本最悪さぁ、っていう風に「意味づけされた作品」が歴史だっていう考え方です。純粋な記述としての歴史なんてありえない、恣意的に解釈されたものでしかない、という立場。つまりね、テクストに外部無しで権力構造、規律=訓練的な…、あーもういいや。みんな買ってくれ「文学批評用語辞典」。便利だから。実は、このコラム二つ目でね、一つ書いて用語全部に脚注つけたら本文よりそっちが長くなったってコンテクストがあるのよ。(必然性のないヨコモジの例)
 んでまぁ、そういう風に「詩は歴史性に対して垂直に立つ」を解釈していく。まずは「歴史」の方から。歴史っていうのを、「実際にあったことの連続」として捉えて。するとまぁ、歴史っていうのは「直線」の概念になるよね。過去から未来へと流れて行く時間、そこから詩は「垂直」に立つ。飛躍する作品、「歴史」は常に土台に存在するが、それと同じ方向、過去でも未来でもない、そのどちらからも等しく最も遠い方向(垂直)へと、「歴史を土台に」、詩は構築され、志向する。これ、面白い考え方で、見ようによってはヒューマニズムっぽかったりもするね。人の織り成した時間の流れが詩の根底である、と。
 じゃあ、別の方。歴史というのは、イデオロギーであるという考え方から。歴史が恣意的な構築物であり、常になんらかの政治的主張をまとっているならば、これは全く意味が変わってくる。となると、「歴史性」は時間軸ではなく「構造」という解釈が妥当になってくるかな。構造、というのは今ある世界の全てです。一番わかりやすいのが「言語」ですね。ソシュール(構造主義の親玉です)の見解に立って、言葉というのはシステムであり、それ自体、例えば「あ」という音自体に意味は含有されず、それらの「システムとしての構造」の上で意味が生まれるわけですから、詩というのが常に言語で表現される以上、歴史性の上に立つのは間違いがありません。そして、この考え方に依存すると、我々の思考、例えば「日本軍は悪い奴」とか「先祖は大事」とかそういうのも、「日本」というシステムの上で、主体(俺とかあんたのことね)の外部からの影響の上で構築された思考方法なわけですから(こっちも構造主義の親玉、レヴィ・ストロースさん(存命してます)の考え方)そんな我々が書く詩は「歴史性」に立つに決まってます。そんで、文学は例えば、シュールレアリスムなんかそうですけれど、言語構造の枠組みすら解体していくし、イデオロギーも解体しようとするわけですから、これもまた「垂直」で正しいことになる。うん、稲垣さんすごいねぇ、という結論が残る。色んな読みに耐えて意味を通してしまう。これ、歴史を越えていく言葉の一つの特徴でもあります、時代が変わり思考の枠組みが変わっても淘汰されない言葉。もちろん、抽象的な言葉であればあるほど色んな読みに耐える傾向がありますが、逆に言えばそれは「意味がとりにくい」「解釈しにくい」ということに他ならず、この絶妙なサジ加減が大事なわけです。ただ、この「詩は歴史性…」の言葉に難癖をつけるとしたら、これは詩の持つ一面を端的に(しかも多様な読みに耐える仕方で)示したものに過ぎず、詩の全体像、詩の「本質」みたいなものを示した言葉ではない。まぁ、もちろん言うまでもないんですが、んなこと不可能ですよね。ズバリ本質、本質主義、詩とは何か、そんなもん示せたら苦労ねえよボケが。というのが俺の見解。
 結局オマエは何がいいてえのよ?と言いたい気持ちはわかります、でももうちょい読んで。詩に本質なんか無い、ってことですよ。日本人に限らず、何かには本質がありそれを捉えようとすることが大事だ、みたいな考え方は根強くありますが、こと「詩」に関してそれはあまり「便利な」考え方ではない。むしろ、上で示した(笑)のような、変化していく、変化させていく、昔格好良かったものがちょっと時間が経つと格好悪くなる、そういう変化に対して機敏に反応し、常に時代のベストを狙っていく、あるいはどんな読みにも消尽しない「普遍に近い」方法を探っていく、これこそが「詩作の方法論」だと思うんですね。両方の意味で「歴史性」を意識すること。垂直に屹立する作品であるために。
 ダーザインがよく使う「強度」という言葉。俺は、これを「時代や思考の変化、あるいは読みの多様性によってもかき消せない良さ」と定義します。そういう意味で、稲垣足穂の言葉は非常に「強度」があると言える。あるいは、時代によって変化しにくいものに力点を置く。例えば「文体の美しさ」とかです。もちろん、時代時代で人々の文体は変化しますが、それでも美しい文体は美しいわけですよ。あるいは「作品の構造」や「絵的なイメージ」なんかも比較的やられにくい。「カラマーゾフの兄弟」読みましたか?あの人間描写と作品構造、あれがそう簡単に消えると思いますか?あるいは、宮沢賢治の描いたイメージ、あれだってそうそうは消えない。もちろん、永遠ではないと思いますけどね。人類が滅びるのとどっちが先かなー、ってレベルで。
 詩っていうのは、そのほとんどが「相対的」なものだと俺は思うんですよ。いや、わかる、「はいはいモダニズムモダニズム」みたいなのはよーわかる。でもさ、そうじゃないかね?逆に言えば、我々が「ひどい」と認識する作品があるからこそ、「良い」作品もある、と言い切ってしまおうか。我々が格好悪いと思う言語の使い方があるからこそ、その逆もある。そういうことです。そして、それらは固定されたものではない。
 ちょっと話を変えて、文学極道が「革新」のメディアか「保守」のメディアか、皆さんどっちだと思いますか?ちょっと混乱しませんか(笑)「基本的な文章力」「読者への作品」「難解な現代詩への敵対」、あれ…保守やん。と思った人もいるんじゃないかと思う。それは、間違いではないです。しかし、文学極道はそれでも「革新」のメディアなんです。それというのも、革新というのは「現在支配的なイデオロギーの転覆」ですからね。まぁ、正直「現代詩」が支配的かどうか、っていうかそもそも存在しないも同然じゃねーか、みたいなのもよくわかる。でもまぁ、我々は優しいんです。現代詩と我々は、断絶と言う形で接続されている、ということにしてやる。現代詩の逆を張る、ということは現代詩あっての我々ということで、考えようによっては俺たちは世界一現代詩を大事に扱ってるんだよ、わかれよマジで。そんで、その結果が保守っぽい主張になってしまった、ということなんですね。他に、揶揄的な意味で「ライトノベル」や「ケータイ小説」(もちろん、それらの中にも端的で不足のない描写や感嘆する作品構造を持つものもきっとあるだろう、ってのは「現代詩」と同じです)にも「逆張り」をしてるわけですね、そういう意味での反逆のメディアです。まぁ、主張は保守的ですが。どこのタームに対して反旗を翻すかだけの問題なんですよ、保守と革新なんて。
 俺は、文学極道の主張は、そういう形で意味があると思っている。文学ってものは、常に新しい手法の台頭や、過去作品への否定、あるいは死に掛けていた方法論の復活、そういう新陳代謝こそ、変化していく一つ一つや「本質」ではなく、変化し続けるその力、ああ、結局ここにもニーチェが顔を出すけれども、ぶつかりあい、常に動いていく。それこそが大事なことだと思ってるんです。だから、誰かが旗を振り、そしてその旗はいずれ踏みつけられて焼かれなければならない。変化していくこと、変化し続けること。
 そういうわけで、何か非常に散漫なコラムになりましたが。結局何を言いたいかと言うと、色々考えて書け、と。無造作に書くな、と。「コンテクスト」を意識しろ、ということです。コンテクストを意識して書かれた作品には必然的に、構造も生まれて来るし、それを意識している限りイヤでも自分のアラは目につくでしょう。他にも意識すべきは無限にありますが、コンテクストって言葉の広い意味を考えれば、これについて考えるだけでもかなりウンザリ出来ると思います。自分なりに色んなものを読み、他人の作品を読み、評を読み、方法論を模索しろと。酷い作品だ、と思ったら何故酷いのか考え、それに対して超克する方法論を考えろと。今何が格好いいのか、過去何が格好良かったのか、人は今何を好むのか。複眼的な視点を獲得すること。ファッション業界を少し見習うべきですよ、我々は。彼らなんて、常にそれを意識し、むしろ人を先導し扇動している。意識して、意識させている。迎合しているのではなく、むしろ引きずっている。文学だって、本来はそういうものだったはずです。ファッションに出来て文学にできねーわけねーだろうが!少なくとも、おまえら好きで書いてんだろ?やってのけろよ!
 くだらない「本質」に囚われるな。それは単なる信仰だ。今目の前に読者と、評者を見ろ。自分の作品と、他人の作品を見ろ。過去の名作を読め、同時代の有象無象を見ろ。あらゆる方法を模索しろ。そして、常に思考しろ。良いものを書こうとするんだ、そういうことじゃないか。
レーモン・クノーと二葉亭四迷。この二人の精神に近いものがあります。(正確に言えば、クノーはセリーヌの方法論を発展させた人ですが)方法の問題について意識すること。本質主義的、あるいは信仰的創作態度が必ずしも悪しき、とは言いませんが。なんかこうね、色々考えて書いてください。その工夫を、俺は評価しようとしています。無思考に書かれた作品は、ごく一部の例外を除いて(確かに、例外はある)総じてつまらないんです。そして、多分あなたも俺も天才ではないです。だから、工夫してください。新しい、そして「善い」作品を、書こうとしましょう、書きましょう。

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