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中田満帆 (mitzho nakata)

選出作品 (投稿日時順 / 全30作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


自己満足

  中田満帆




太った聖者 2007

 たんさんの夜を踏み
 救い上げるべきなにを探してゐた
 黒い点のあつまりとかさなりをよけ
 旧国道のしずまりをゆく

 なにかに奪われたくて
 なにかを奪いたくて
 やはらかいカーヴに乗り
 手のひらが足もとへ落ちる
 たやすく慰みが欲しくて
 小さな秋めがけて

  求めるものはあてつも
  信じるものはなく
  閉じた門口に立つては
  だれもいない庭にベールの女を見ようとした  
  こころのうちでひどく犯しながら

 救い上げるべきを見つけられない
 駅の裏道をたぐり寄せて
 ひとりだれかを欲したが
 降りてきたのはとても太つた聖者で
 薄暗い笑みのなか手のひらをさしだした
 なにももつてゐないから
 かれの過ぎるのをぢつと待つてゐた

  これだけを願う
  木のようなひと
  あるいは人のような木が見たいと


広告
  (平成22年11月2日「産経新聞」夕刊、第三文明および文芸社の広告より)


 つまらない室の
 まつたくつまらない夜
 ふたつの新聞広告を見ていて
 それもくだらない
 ことなのに眠れないあたま
 が長い時間を与えられたために
 考えさせられる
 たとえばこれ──


     人類にとって「善」とはなにか──鈴木光司


 少なくともそれは
 かれの小説ではないし
 おれのへたくそな詩でもないし
 第三文明でも
 非営利のあつまりでもない
 ましてやひとびとのふところから
 金銭を差しださせ
 考えることを忘れさせてしまう新興宗教
 では決してない
 信じるものをなにももたず
 うたぐることで生きすすめてきた
 おれにはまずもって
 じんるいも
 ぜんも
 えそらごと
 にすぎない
 つぎにこれ──


   成熟社会を生きる知恵と技術を学ぶ──藤原和博


 成熟そのものが遠く
 まぼろしのなかにあるというのに
 おそらくその知恵は地図にないところの
 森林でいまその果をひらいていることだろう
 そしてその技術は見なれない路上を夜風
 によって運ばれるゆきだおれのかばね
 があみだしているさなかだろう
 いつたいそんなものをかれは
 いつどこで学ぼうというのか
 おれには見当もつかない──


   報道の自由とメディアの倫理──なぜ今問われる?


 どこの覘き魔も
 どんな変態も
 あらゆる偏執狂も
 テレビとインターネットの見過ぎ
 でばかになってしまったしまりのないひとびとも
 金銭を舌で味わう政治屋さんや
 ふしぎな法人の餌にされ
 際限なく喰いもの
 にされていれば
 報道もその自由も
 とうの昔しにかれらの手のうち
 ささいな事故と事件を主食に決定され
 だれもかもが知らないうちに視覚や声帯を奪われる
 倫理というなまえの男たちは
 その食の量や質を整
 えるときだけ室からでてひとびと
 のうちへ侵入するのだ
 かれらがもっとも嫌うのは
 いくら魂しいを穢されても
 かおを醜く改変されても
 生きようとする非情なる幻視者だ
 窓の額縁をむこうにして
 まず犬がはじけ
 つぎに猫が切り裂かれ
 鳥たちが羽をもぎとられるとき
 幻視者たちはすばやく莨火を合図
 にしてだれもいなくなつた怒りの町へ
 警告の光りを熾す
 おれは深夜、
 その距離を確かめて
 はノートのうえに記録 
 しつづけてやめない
 つよい吐き気や
 揺れるような寒さ
 のなかで同行するものが
 だれひとりいなくとも
 決してやめない
 さてつづくは──


   期待に応える仕事を──エド・はるみ

 
 もはや喪われてしまった年月や
 欲しくてたまらなかった世界の
 そのちんぷさに気づかない
 かの女は即席の美談や消費期限の短すぎる自身
 によつて檻にされている哀しみの古壁だ
 無芸と芸をとりちがえ
 手遅れのひとびとのあまたが
 かの女のほかに何万人と控えている
 そんなひとを視界に確かめるとおれ
 はその視線をかならず絶つてしまう
 心あるだれかがいつかれらへバラッド
 を奏でるのか──おれは
 期待しすぎて朝を生きられない
 時間が速度をあげてゆく──


   ヨーロッパ統合の精神的源流──池田大作、S・ナポレオン


 あの大陸にいる白いひとびとが
 時間と金と益をかけて手を組んだだけなのに
 なぜだれもがさもすばらしいと拍手するのか
 おそらくこのふたりの山師たちがその
 解答欄を世界から隠しつづけているにちがいない
 ひとびとは同じような病衣を着せられて
 この生を均しい落差をもつて
 存在させられている
 だれかはだれかを殺させ
 だれかはだれかに眩むような
 灯りをあてているが
 あらゆるひとが本当に脱ぐべきは
 犯意でも悪意でも尿意でも
 ねたむでもうたぐりでもにくしみでもなく
 かれらのような連中が無料配布している
 あたらしく光沢のある病衣だ
 夜の幻視者たちはこの衣を検査
 して力づよい口笛をながく吹くだろう
 しかし山師たちも衣の改訂に砂粒ひとつの
 余念だつてなく蓄えた脂肪を抱いて
 すべてのものを統合しようと
 楽しそうに企んでいるところだ
 疲れたおれの窪みへ
 温く水分が伝ってくる
 だれかの涕が送信されてきたのか
 もうじき終わりが始まる──


   あなたも世界大統領──伊藤浩明
   「ヒトラーが悪なら戦争を止めろ!
   人類はそんなこともできないのか?」
   世界平和の鍵は卍にある


 たったひとりによって成立
 する歴史などはない
 だれもが抱いていた理想
 を協力しあいながらつくり
 あげたひとびとがいただけだ
 これは売りものにされてしまった物語
 のほんの、裏返しとほころび
 無知なおれにいわせるとあれは
 白を名乗るひとびうとのうちわもめ
 せかいはくず入れのようで
 だいとうりょうは病原体の一種
 へいわは呑んだくれのとても臭う息で
 まんぢはあなたの安物の首飾り
 とてもお似合いです──


   どんなことからも大好転──池田志柳
   今すぐ人生を好転させる秘訣とは?
   苦難から脱出できた事例も多数紹介

 
 だれも歩こうとしない路次
 をおれは通ってきたというのに
 遠い視界を過ぎていく群れ
 はどれもおなじく陽に晒された表通り
 をひとつの固体みせて過ぎてゆくばかりだ
 そこからあぶれまいと互いにさまたげあい
 ながらあくまで情が通っているように
 信じこまされているひとたち
 それを完全への近道
 と信じてうたぐりもしない
 ほんとうに好転を跳ぶもの
 は蠅群のなかのかばねのように
 入るところも出るところも
 わからない経路のうちにいる
 おれはもうそこを捨てて
 光りを喪わせることは
 したくない──


   妖精を探しに──さち よつは
   愛の悲劇的側面を象徴する魂の深淵からの、
   絶叫が聞こえる、第一詩集


 もはやなにをいっている
 のかもおれにはわからない
 ようせいもひげきもたましいの深淵
 もとうに消えてしまったものだ
 そこに遺されたのは骨組みですら
 ないのにこのひとは砂糖と着色料
 をぶちまけてきれいごとに酔うのか
 おそらくその酔いを強めようと
 著しているのだろう
 かの女の言の葉
 には見てくれのいい幽霊
 たちが漂っているのだろう
 おれだってそのたぐいなのだが──

 
   本と出合う幸福なひとときは文芸社から──


 たしかに出会いは幸福
 かも知れないがおれはどちらかといえば不幸
 を撰びだしたいのが本音だ
 本のなかに地獄や孤立があれば
 そこに浸って身を焦がしつつ眼 
 を研いでいたい
 書店や図書館の昏さにかおをうずめ
 血や脂の温さを紙のうえに滴らせること
 それにしても今夜も眠れないようだ
 朝をまぢかにひかえて夜
 は息づいてやまない──だから 
 光りつづけよ
 灯火よ
 月よ
 インキよ
 おれの戸口に立ったままの男よ、おやすみはいわない。


ぼくは小説家になろうかと思った 2010

 夜遅く
 窓づたいにネオンがやってくる
 とてもいやらしい色をして
 ぼくの蒲団をめくる
 女がいないやつは
 人間でないものに
 女を見出すしかない
 七色に羽ばたく鳥のつばさに
 魂しいを預けた

 翌朝
 だれもいない裏通り
 だれかのげろを鳥が啄ばんでいて
 裏町の物語、
 その仕組みについて
 鳥語で明かしていた
 ぼくはかげという通訳をつかい
 おぼろげながら意味をとる
 虚無の殺されたあたりを
 ゆっくりと歩き
 ぼくは小説家になろうかと思った
 灯りがついていたって人間の室とはかぎらない


即興詩 2011.11

  ふるい灰のような、
          埃りのようなものが光りのあいまに浮かぶ
  それらをからだにこりつけながら横たわり
  そうして立ちながらもいくばくかの聖さと
  なにがしかの技量を得て
  それらとともに終わりを待ったあと
  だれかといっしょに救貧院を放たれて手配師に連れられた
  どこか中部でみな食事代をもらうとばらばらになってとんこ
  だれもいないところを遁れ
  建物のまえを通りかかる
   そんなところでかつて
   配達夫だったことがあった
   あまり早くはない朝どき 
   老局員が機械から零れたものを手でよりわけ
   それを横目しながら発車口へでる
   たやすい区画を任されていたというのに遅くまでくばり終えなかった
   かくれてだれかの吸い殻を手にするあいまにロッカーに水が注がれれば
   就業になった
   どっかで桃の匂いがしてる

 通りで眠っているちにもちものを失う
 残ったやつでペンと履歴書を手にするも
 どのようなものにも受け入れられない 
 すべてに縁のないことをいまさらながら覚って
 ただなにもかもに遠ざかる
 すっかりあてもなくなっては家へ帰える
 職も探さずにねむりにつき 
 夜ふけては父とやりあい
 いつも負かされた

 しばらくしたら、
        ふたたび文なしのままでていく
  手に入れれるのはかげだ
  男のようなものや女のようなものや子供のようなものがどこへでも歩む
  それらはかげを通って
  かげのうちで失せ
  だれかがしゃべるのが聞える
   おれだってだれかに好かれたい 
   生きてるうち?
   死んだあと?
   ふたたびノートのまえに戻るまで
   それらを憶えておこうか
   おたわごとでもいいからな

      まだかげが火照ってる


小詩集

  中田満帆

放浪のはじめ(2005)

 孤独が夜更けてひとり歩きだした
 叱られていき場のない少年のように
 十五のころに帰ったように
 看板のなかの
 派手なべべを着た娘の
 その胸に手をあててみたり
 雨に溶けだした聖母像の肩や頬に
 顔をすり寄せてみたりして
 孤独にいっそう磨きをかける
 触れられるのはとまっているものだけ
 美しく見えるのはとまっているものだけだ
 動けないもののために美があり
 いき場のないもののために美があり
 触れさせる孤独がある 
 しかし触れたってなにもないのだけれど
 なにもないのことがなおさらに愛しく
 なにもないところに放浪ははじまる


海(2006)

 午前〇時も半ばを過ぎてヨット・ハーバーの周りには黒い潮風と引き揚げられた古ボートが眠っている 白くぼやりと浮かぶのは疲れきってなえた帆だ

 その白さに小指ほどの言葉を当てはめながら歩く ただ来てしまったから歩く なに一つ意向を持たず歩いていき 陰が歩行者を支え 時折突き崩しては数えきれない羞ぢらいへと胸をきつくよじらせてた

 あれはいったい誰だろうか 酒に酔ってふらつきながらも男は灯台の裏手にふかく沈んでいく ひとりでは帰れないのだ 夜風が足につつかかる

 たった今午前一時を過ぎ 港の前には黒い車が立ちどまった おそらくは朝を待って眠る また酒を呑んでしまったのだ 海のもっとも黒い部位 それはよく見える よく臭う いまのうちだ あそこへ飛び込めば心臓も止まるだろう


光りについての短詩篇(2007)

  *

  光が光りを失えば
  もう歩かなくとも済むだろう
  闇が闇を失えば
  しゃべらなくとも済むだろう

  光はいつも道を指し
  闇はことばを誘いだして
  孤りにしてしまう

  きょうまで光りから遁れ
  昏さからも遁れて来た
  けれどもうおもてに出てあの流れへ入る
  
  ほら、おまえのすぐそばを
  群れのたくさんが急ぐ
  ソーダ水を片手に青年がひとり立ってる
  だれからも遠く愛されない青年が
  壜を日にかざし光りを閉じ込めては
  一息に呑んでしまった

  声をかけようとしたけれど
  道の決まっているものはふりむかない
  ぼくもいかなくてはならないのだ
  おまえは石そっくりの陰部を砕き
  古いことばを捨てようとしてる


  *

 風が頬を撫ぜると 笛の子供らがいっせいに舌を出す ある正午ぼくは光りのない燈をもぎとりながら夜を待ってゐた 道を次第に町へ入る 高架路の足首 車たちの手術室 医者のための洋食屋 無人給油所の破れた管 そのなかに芽吹いたもの 六月の日のなかで不正は早くも凍死する 私鉄T駅からA警察署へ 知らないひとびとに挨拶をくれながら少年は取り残される おれはなにも知らないんだ 青と黄の世界しか ソーダ水を飲干してあなたは群れのなかへ消える ああ そろそろぼくもいかなくちゃ 藍色のテントハウスが空腹を告げる 国道を過ぎると目の前を大きな象! 臭気を放つステンレス製の和式便所 そのうらで休息する にせものの雷鳴を載せて長距離運輸トラックの走る ぼくが追求するのは不正ではない 色と輪郭の張り合わせ 百足の行進 異人が農夫を嘲り 笑って畑に唾をたれてる 病院通りの狭路 そこで連れ去れた少女たち ぼくはとうとう太陽に覆いをかけた

  *

 それらが内ちにとどまるよう
  願ってもみたけれど
   叶わないのだ
    水に溶けるのを見るのみで

  あなたは朽ちかけの壁に背を許し
  ゆうぐれを浴びてゐましたね
   腐った野苺と野犬の吼声のなかを
    ふたりだけで立ってゐた
 
  あなたは光と翳のゆくえを知りたい?
  ちょうど夕べが林のなかにあって
  赤いまなざしがこっちを向いたときだった
  あなたはかみ合わない視線で吐息して
  わたしはあなたの姉でも妹でもあるのよ
  つまりあなたの存在のひとつの紙片でもあるの
  そうささやいた

 ぼくには姉も妹もいなかったのに
  兄や弟がいたかも知れないのに
   ただうなずいて
  夜が来るのを待ってゐた
   いったいなにがいいたいのだ
    少しいらだち
     少し笑み
      夜の深みを待ってゐた
   
  ゆうぐれが終わったころ
 互いの沈黙のなかで死のおとが鳴った
 満たされない景色のうえで
 あなたはぼくを通し
  あなた自身に語りかける

   どんな日没もどんな日の出も
   きみの孤独を反映したりはしないだろう
   か細い光りが胸のあたりに
   ただ刺さるだけ

      そこで光りは落ちた

  *

 閉じられた戸口にかげはふかく
 行と行のあいだを伝い
 ことばに沁みてゆく夜半 
 かれらはその室にあって
 ひどく怯えてゐた
 消えた明かりのもとをさ迷い
 書かれたあとの
 読まれたあとの景色を見つめてる
 まあ かわいらしい児!
 あのひとは手をまっすぐ展ばしたけれど
 そのために死んでしまった
 どうしたことだろう
 この夜つよいれもんの匂いが目を醒まさせた
 まるで詩人のようだと
 ひとりごちて窓をみたが
 写ってゐたのはだれかの幽霊
 ああ言葉を憶えてしまっては逃げ場などないのさ
 なにをどう書いたって
 だれかを愛し傷つけてしまう
 白いノートのうえに鼻を撫ぜる匂い
 それはまぐそのかも知れないし
 苺のかも知れない
 雨季のとかげの
 あるいはインクのかも知れない 
 ぼくは死を書いた
 笛の子供らがいっせいに舌を出す
 かれらが追求するのは不正ではない 
 色と輪郭の張り合わせ
 ぼくはあなたを通してぼく自身に語りかける
 光が光りを失えば
 もう歩かなくとも済むだろう
 闇が闇を失えば
 しゃべらなくとも済むだろう
 だからおまえよ 眼も足も手放せと
 ぼくは聞こえないふりをして少しいらだち
 少し笑んで朝を待ってゐた
 そこへ戸はひらかれて
 だれかの言葉が
 だれかを殺し終えて立ってゐる
 あのひとのようにぼくも手を展ばした


不在の梯子(2008)

 不在の梯子を揺さぶりつづける
 永く
 ただながく 
 うえにはだれもいないのに 
 だれもいないからこそ
 おくびようとさみしさを
 佇んでゆさぶるのだ

 呼ぶもののないところ
 ふり返るひとのいないとき
 恥ずかしい身のうちを青い天板に語る
 知つていることも持つているものもなく
 午后のなかでひとりのみの悪態をつくだけ
 死んでいつたやつらへ
 遠ざかつていつたひとたちへ
 毒を吐く

 もうぼくが愛するのは止まつているものだけだ
 朽ちかけの家並みに草むらの遊技場
 忘れられたままのいつぴきに悲しいまでの一台
 それらを打ち毀しながら愛し
 よりよい位置を探すのだ
 さわがしく気のふれた連中を遠ざけて

 しかしきようの夕ぐれどき
 ぼくはとうとう梯子を引き倒した
 草むらに葬つて花を散らしてやれば
 どこからかざまあみろと声がする
 そこでかぎりない悪態も疲れはてて
 椅子もない室のなかぼくはひとり眠つていた


    それでも明日になれば梯子はふたたび青い天板へかかつてあるだろうか



ふたたび去つていくものは(2008)

 少しづつひらかれるまなこを
 ふたたび去つていくものは
 手のひらへ
 あるいは風のなかへ落ち
 現れてくるのは青と黄の格子
 二月のかもめがゆつくりとかすめ
 あらたな軌道を知らす

 これが朝なのか夜なのかもわからず
 きゆうにかれが立ち上がると
 見知らぬひとびとが火種を口に含み
 ただ歩いていくのが目撃された
 うそをふりまきながらかれは高原地帯を過ぎ
 なにかを振り向いてだれかを繰り返す
 まぐその匂いを寒さに嗅ぎ
 冬の街へ少しづつ病や酒とともにでていくのだろう
   
 いま閉じられたまなこを
 ふたたび去つていくもの
 あるいは風のなかへ落ち
 またしても都市へ密航を企てるもの
 青と黄の格子のまえでわたしは口笛を鳴らす
 なにもいわないで


荒野(2009)

 冬が到着
 したからみな乗車して
 いき余白さえ残されない
 ぼくは切符すらないのにただ
 生きているというだけで
 押しこめられていった
 隣人と隣人あるいは
 自分と隣人の吐く
 息のなかで
 たがいのからだを温くさせながら
 春への途中下車を待つばかり
 なにもできやしないのだ
 窓には轢きつぶされた
 荒涼天使たちがへば
 りついてはなれず
 景色はなくただ
 臭気だけがぼくの嗅覚をあたらしくしてやまない
 いつのまにやらポイントは切りかえられ
 一時停止をシグナルがくりだした
 そのときぼくは感じたのだ
 言語のうえに穴をうがち
 荒野を営む本物の
 気狂いの姿を
 しかし見知らぬ乗客たちは
 なにも感じないふりしてなまぬるい吐息に酔っている
 漢文も英文も仏文もかれら気狂いたちには道具であり
 遊具であり喰いもののようだ
 きがつくとぼくは天使ども
 を通勤者の口へねじこみ
 窓のそとへでていた
 狂人は意に介さず
 まるでぼくの到来を予感していたかのようだった
 冬ははじまったばかりだからぼくは裸体をむきだしにして
 日本語のうえに巣穴をうがちはじめている
 列車はもう見えない


一方通行(2009)

 おれはいろんなもの
 すがりついてきた
 青くただれたかかわりを
 むすびつけてはしがみつき
 はなそうとしない年月を過ぎた
 くらい路次を通ってきた酒や
 草の葉にふかれて運ばれる莨を
 犯罪小説のそのふるいおもてや
 あるはずのない甘い末路の夢におぼれた
 ながいあいだの空腹と放浪よ
 おまえはおれはただ下劣にしただけだ
 労働はいつだってうすのろなままで
 くびや逃亡にさらされている
 おれにはわかりあえるものが
 どの室にも戸棚にもみあたらない
 声はいつだって
 むこうから来るばかりで
 余白はいつも与えられることはない
 おれはとうに発話も発声も喪いかけている
 一方通行のおれの生活の窓と窓よ
 みずからの詩を起立させるにはとにかく
 孤立しきって手も唇ちも交わさないことだ
 ぬかるみを通っていけば言の葉は
 おのずとぶっついてくるだろう
 共有されるものはほかにまかせ
 窓をひらきそのなかへ去っていけばいい
 かぜのうえに片ひざをつき
 見えない狙撃手たちに
 身をあらわにする
 ひとのいうことを裏面で聞き
 ただからだを揺らしておけばいい
 病院のまえにあぶれものがふたり立つ
 からっぽのエレベータを眺めている
 いっぽうが口火をきった
 この三階に霊安室
 つまり死体おきばがある
 中年のみすぼらしい男だった
 そうですか。──でもどうして?
 青年がつまらなそうに答えて
 おれは冷めたふたつの背中を笑う
 はずれだよ、あんた
 霊安室は二階だ
 あんたの人生から六割をいただくよ
 しもつきの愁いがおれの上着をくすぐって
 そして冬を押し流していく
 見あげると空がその臀を降ろす
 なんという臭いのだろうか!
 まったく、
 はじまりの終わりだ
 すがることはたやすく
 はなれることはむずかしいが
 おれにはまた切りはなすものがある
 まったく終わりの始まりだぜ
 世界夫人のたくしあげられた黒いドレスよ
 それを脱がしてやれるのはおれだけだ


停留所(2009)

 精神病院をでて
 ながく勾配のある坂をくだる
 と小さく旧いバス停がある
 すすけてそのみすぼらしいなかに
 おれはなぜか不滅を見てとった
 むかいには養老苑、そこにはかって
 給油所が建つていた
 のを思いだしてみる

  あれはわが家のはす向かい
  に棲んでいたI氏が営んでいたんだ
  あのひととその家族はもう二十年近く
  まえに退いていまはどこにいるかわからない
  また逢いたいともおもわない

 引越しの朝
 玩具に本にレコードを頂いた
 おれの気に入りは子門真人のアナログ盤
 仮面ライダーはもちろん
 キカイダーゼロワンにイナズマン、
 ガッチャマンも収っていた
 あのどれもがおれの原初なるロック体験
 にちがいない──とても気にいっていたが
 同年のくそがきどもにたやすく
 毀されてしまつた

  人生などという大量消費
  されるだけの二文字は好かな
  いがそれはいつも救われない事実
  から出発しているよな?

 医者どもはそれを解せないで
 薬の正体すらあきらかにせず
 狂気のうちや段階をくそみそにする
 おれにはかれらと患者たちの見分けがつかない
 長椅子にかけておれは本を展く
 くだらないじぶんの複製品みたいなやつを

  いつになれば死は
  バスのかたちをして到着するのか
  ここには時刻表には記入できない
  黒い金曜日──の
  永遠の正午があるばかり


    ニーチェは殺され
    神はそこに放屁なされた
    そしておれはどうなる?
 

正午(2009)

  霜月も終わりを始めて
  死にそうなほど酒を呑みたくなったある日
  送られてきたレポート文におれは楽しみを見つけたよ
  きみは確かこう書いていたね

 〈空中を飛行する脳──それも人間のである──が目撃されている.先月末にイングランドはウェールズ地方にて当地の農夫Philip=Edinburghや売春婦Elizabeth Queen,大工Edward Heathらがまことに細なる証言を始めた.かれらは飲酒癖のあるものの、まったく正常と判断されている.われわれは一師団を組み,一路イングランドへ落下を試みたが,しかしここで事態は急変する.なんとここ日の本の国においても,羽をもった飛行する脳が目撃されたのである.英国調査をわたしはパート・タイムに任せ,現在国内を調査している.〉

  なんだ、これは?──おれは首をひねった
  ひねりすぎて首を痛めた
  きみは大学院で生物学及び
  生態学とやらを学びすぎて狂ったのか?
  答えは否だ
  おそらくきみの脳にも翼が生えてきてるのだ

 〈この飛行隊は通称flying brainと呼ばれ、さる十二月十三日(金曜日)大阪府西成区萩野茶屋にてその存在を現した。目撃者のひとりであるn.mという詩人によると,大きさはまさしく人間のそれで,両脇──脳に脇だって?──に天使か白鳥のような翼が生えていたという,そして眼をもっていなかったという.かれは細密なるペン画としてそれを再現してくれた(添付資料参照).fbは二羽おり,いっぽうは東へ,もういっぽうは北へ去っていったという.わたしは実地調査のために翌朝には〉

  うるさい
  うるさすぎる
  窓の向こうに郵便配達夫が赤いカブを蹴り上げている。
  うるさいし、あほうだし、まぬけだ。
  おれもかつて配達夫だったとき、同じことをした。
  どうやらガス欠を現実と認めたくないらしい。
  くそったれ、おぼえがあるぜ。
  やつはますます苛立ちをたかめ、蹴り上げる。
  そのときだった。
  ヘルメットがわずかにもちあがる。
  と思えば白い翼が両脇からあざやかな時代を伴ってひろがり、
  うかびあがっていく!
  一回転してヘルメットだけをやつにかえすと
  青空のなかへ融けるように消えていった
  やつは、配達員は気づくそぶりもない! 
  そらとぶのうみそだ!

 〈かれらはなにかの予調なのか.果たしてわたしはある男と知り合った.自分こそは幻視者と宣伝して恥ぢないドヤ街の老夫.──ここではa氏と呼ぼう.わたしはかれの部屋に入ることを許された."なにから話そうか",まずはあの脳の起源について〉

  答えはたやすかった。
  高度の欲望をもち、
  創造の可能性をもった人間が
  つよい抑圧に曝されつづけると、
  脳がある種の呼吸困難に陥り、
  翼を数ヶ月から数年かけて生やし、
  飛んでしまうというのだ。
  おれは正午をまえに中央公園に足を伸ばす。
  ちょうどパレードの演習のため、
  楽隊がどのベンチも占領し、
  それが揺るぎない正しさであると誇示していた。
  おれはそれとなくやつらを睨む。──そこへかれらがやってきた。
  かれらって? もちろん空飛ぶ脳だ。
  かれらはおれの右手からレポートを奪う。
  楽隊たちは幼稚な赤い衣装を大胆に濡らし、
  くそといばりのマーチを奏でる。
  すばらしい失禁の仕方だ。
  おれはやりたくないけどな。
  直立のままそれを聴き、fbたちを見つめる。
  そのなかにおれの脳を発見する。
  ああ、速く全世界がこの美しすぎる景色に眼を向けるべきだ。
  おれの正午はマーチを連れて羽を休めている。


自画像(2009)

 十一月
 猫がはるか
 地上に走つている
 暴きたてられてやまない
 ものが黒から到着と出発
 を同時刻に描きだす午后
 だつた──おれは救貧病院
 のあたまのうえに立ちながら
 みずからを曝すための自画像
 について見えない停車場
 から発想を待機していた
 それはあらゆる天語の
 ぷらすちつくに酔い痴れた──
 あるいは憧憬してやまないうすらばか
 どもを叩きのめして停まらない
 都市間鉄道の巨きくながいへび
 もうじき走り現れるころあいだろうな
 ふたつしかない手をおれは隠しにねじこみ
 哲とした自画像を創りはじめていた
 A4用紙に黒い言の葉の下絵
 を書きこみ、黒の岩彩でかげを光らせる
 そのうえに極彩色を暗い順ぐりにして輪郭を埋め
 接着液でその色々を保護してやる
 そのうえを油彩によつて立体にし
 細さ0.28の水性ボールペンで輪郭を確かにする
 あとはあらゆる穢れをこの都市から拾いあげ
 土に葉に知らないひとびとの死亡記事、
 虫の死に木の生をそしておれの手形
 などを正しくあやまつて額縁にする
 そのとき秋はまつたく
 そのものを保つて
 閉じられる
 これは絵画の
 かたちにみせた黒い
 金曜日の現代詩なのだ
 おれにふさわしいは
 決して印象派
 ではなく
 走りながら
 立ち止まる自画像
 そして古代のけものたち
 がひりだしたものの化石に
 天然の漆しで金箔を施した
 まつたくあたらしくなつかしい
 財宝にちがいない
 ねこは今るんぺんの
 ひざにのせられ
 刃を待つてい
 るところ


土曜日(2010)

 土曜日、
 それは灰がかった不発弾
 うずたかくされて長い年をおいたものごと
 借りた金
 くすねてきた黒い上着
 おれを仮虚にした女ども
 まやかしまみれの夢
 不滅へのあくがれ
 身をくるむ薄い外皮を滲るがままに
 する

 土曜日、
 あきらかな退廃を撰びだしたい
 ふみしだくかばねのような晩夏
 裏通りの犬たち
 なまえのついたかげ
 裸のままで走る公園の子供たち
 土埃を浴みている真昼のよっぱらい
 トイレットスターと呼ばれてる、
 色白の青年たち
 かれらが娘であったら
 よかったのに

 土曜日、
 救貧院のうえではためくものを見ながら
 あざやかな飛躍を描きたい
 つぎにゆくところも
 もはや
 もどってゆくところもないひとたちのなか
 歌ってやれる
 のはなにか
 そのときふいに砲声がぶちあがる
 それはもぐりのノミ屋からだ
 たてこもるやつらにおまわりども
 鉄壁をやぶって突っこむ
 しおれた花のように年寄りたち
 そこから偶然をとりあげて
 必然へ連れ戻していくのが
 土曜日

深夜(2011)

 亡霊は台所に現れる
 ぼくの双子のように
 冷たいれもんの色と香り
 だれもいなくなった室に立っている
 そこへ現れるぼくのかげはきっと
 なにも喋らないだろう
 穏やかな青い姿を見せて
 ときおり笑うのだ
 おそらく、
 ぼくらはまぼろしにすぎない
 小さな鼓動のなかをさ迷っているにすぎない
 古ぼけた電灯のもとにかたまって
 おたがいの目を合わす
 そのとき見えるのは
 たぶん緑の天使たち
 かれらはなにも示さない
 戯れているだけさ
 求めるようにそのうちへ入っていき、
 片方は右へ
 もう片方は左へ
 夜の神聖さに触れようとしては
 つまづく

即興

 とても日曜日らしいことに
 だれもが象がほしいというのでくれてやった
 なるたけおおきなのを裏庭に連れてきて
 かれの好きにさせておく
 でもひとびとといえば
 だれもがそれを自分用にしたがった
 隣家の老婦人はながい鼻を欲したし
 うえの階の女づれはどうしても左足がいるそうだ
 路次のルンペンは背中を毛布にしたいといいはり
 郵便屋の若い女は前足を一そろいで室に入れるとわめいた
 少年は耳をかたっぽうでもといい
 少女はしっぽが宝ものになると笑う
 運んできた男たちは笑わない
 配送車輛を箒にかけて
 なにも見ない
 そこにアパートの管理人がわってきた
 この裏庭にあるということはすべて
 あたしのものといった
 かの女はなんらかのやり口によって除かれた
 隣室の家族づれは象がわれわれの神とほたえる
 じきにしびれをきらした階下の学生どもが
 大工の老夫をつれてきた
 かれには本棚をつくってもらったことがあった
 老夫は墨でしるしをつけて切りはじめる
 しかし象はなんともしない
 とにかくけだるそうで声もあげない
 まっすぐにこちらを見てる
 でもなにもできなかった
 とにかくひとびとは象が欲しいのだから
 それのはかになにか理由はいらない
 室にもどって作業のおとだけを聞く
 きっとあと数時間で象はみんなものだ
 あくまでかつて象だったものが
 われわれをしあわせにする
 ほんものにはできない
 芸当だ
 わたしは電話をかける
 それでだれかにいう
 つぎは馬にしようとおもうんだ。どうかな?
 いいんじゃないか。でも──
 でも?
 首はおれにくれよな。娘が好きなんだ。
 さっそく檻を用意してくれな
 だれかはわからない
 でもこのようなことを話した
 おぼえてる
 それでいまわたしがその檻のなかにいるんだ
 わたしのどこが欲しい?

棒つきキャンディ(即興)

 冬のかぜによって
 ひとりの男が運ばれてた
 若くはないようだ
 そこらに溝のような皺をつくって運ばれる男
 それは新聞にも広告ビラにもよく似てる
 たずねびとたちの像にも似てた
 鋪道にかさかさとおとを発しながら
 食堂のまえをながれて
 駐輪場の手すりへひっかかる
 だれもかれを見ようとはないが
 その靴おとはいつもよりゆるい
 乾ききった手や上着や足がはばたきはじめてもかれはなにもいわない
 ふたたびあたらしいのがかれを運ぶ
 通りがけの女にかれは拾いあげられ
 新聞紙のように脇へ挟みこまれた
 でもそこをすりぬけて
 いよいよ飛ぼうとしてる
 隠しに手を突っ込んだままおれはかれを見てる
 でたったいま街燈にからまってしまった
 二本の足がしっかりと支柱を咬み
 からまったままかすかに口笛を吹く
 しかしそいつは音楽にはならない
 やがて背広のうしろがめくれあがって
 シャツが見えた
 手をひろげたまま支柱をのぼっていき
 そこへまたあたらしいかぜだ
 足をまっすぐにのばして
 かれはそこへ乗った
 羽ばたきはなかなかいいものだ
 立ちどまるおれを女の子が見つめる
 棒つきのキャンディをしゃぶり
 まるきりかれが見えてないようにしゃぶり
 つぎの楽しみが与えられるのをただ待ってる
 かれはもう飛びかたを憶えたみたいだった
 建物のうえを越えて
 港湾やポートアイランドのへんに飛ぶ
 そのさきはおそらく海だ
 キャンディーの女の子はさむさに肩を鳴らす
 おれも棒つきキャンディを買い
 包装をはがして
 口のなかへ突っ込む
 しゃぶりながらポールによじのぼってみた
 もうかぜはないらしい
 ひとびとがみる
 女の子も見る
 だれもなにもいわない
 上着をばたつかせ
 二時間が経った
 警官もなし
 夜はまもなくやってくる
 朝になったら飛べるだろうか
 ようやく警笛が聞えてきた
 するとやつが訪れた
 かぜだ
 どうやら             
 おれも飛べるらしい
 もちろんのこと、
 棒つきキャンディをもったまんまで 
                           

カプセルホテル神戸三宮(即興)

 ふれられるものはなにもない
 訪れるものにおもづらを曝すのみ
 光りのようなものを窓に見つけては
 そっと身を乗りだしてみる
 だがなにもない
 からからに乾いた汗
 すべてが黄ばんだままあって
 臭いと穢れだけがいつもあたらしい
 そんなことに充ちたりて
 ひまつぶしにシオランをめくってたら
 よびだしがかかる
 水を呑み
 階下へさがっていけば
 見も知らない男が立ってた
 殺し屋がやってきたのいかも知れないが
 あいにくコルト・ポケットがない
 かれは顔を喪ったようなかおで口を切った
 ちょっと話しできませんか?
 かれは詩誌とやらを見せびらかし
 だれだれと繋がっているとか
 知ってるとか欠点を見いだしたとかいう
 たわごととも飲みものをすすった
 おれの知らないなまえ
 おれの知らない確執
 おれの知らない詩人
 おれにはかかわりのないものごと
 かれ曰くおれは下品だった
 それは知ってる
 かれ曰く手帖はだめだという
 それも知ってる、だがどこもへぼだ
 かれ曰くこれからあたらしい場が生まれる
 それはどうだっていい
 だがそこになにを持ってくるのかをかれはいわない
 焼きうちでもしてかしてくれるのか
 それだって帰る家を喪うだけだ
 かれ曰くあんたのようなやつは黙るべきらしい
 まあしばらくそうしようかな
 かれ曰くあんたは詩に向いてない
 まったくその通りだ
 それでもかれはなまえを名乗らない
 大学名だけだ
 そこでなにが行われてるのかを知らない
 冊子をめくってみる
 どいつこいつも
 ふざけきった筆名
 観念のどぶ
 どうだっていいことにかれらがばかであっても
 おれがちがう類いのばかであるだけだった
 席を立ってホテルにもどる
 かれはミニコミへおれのことを書くといい
 そのまま二週間が経って
 なにもない
 こいつをおもいだしたあと
 オイル・サーディンを買ってきて
 手づかみのまま喰った
 なかなかいい


三匹の木登り猫

 冬だった
 三匹の
 のらねこと
 鳩ども
 が
 図書館まえで争ってるあいま
 おおくのひとが
 けむりを吐き
 遠い建築の
 おとを見てる

 涅槃はきっと植えこみのうち
 にあるだろう
 夜になればわかる
 そいつが温かいときには
 とくに

 おおくのことが手のうち
 はらわたのうち
 着古した外套のうちでくずれさる
 さしのべる手にはいつもくそをひりだしてしまう
 ばかがただひとりでいられるだろう納屋が欲しい
 またしても起こりもしないことを馳せ
 伏所とかいうのを探しまわる
 知らない男たちと
 知らない女たち

    それにしても、
   夢のしりぬぐいにはどれほどかかるものか
 なにかをつくりあげようとして
 そのためにおおく砕き
 おそれとうらみとふるえを育んだ
 すべてみずからの撰びとった札
 町へでてみれば星ですら質札はある
  
   葉巻をすましてから
   かの女のよこした手紙を読んでみた
   ふるい同級生はこうかいてた
   あなたにはもう書くことはできません
   どうかなにも書かないで
 
 本を返却し終えて
 おもてに戻る
 ねこはどれも木のうえで
 灯りにとまった鳩ども
 へちかよろうとする
 でもどうやってもとどきはしなかった
 かれらはなにもいわず
 順ぐりに木を降り
 管理小屋のしたにもぐりこみ
 それきり見えなくなった
 歩きだすよりほか
 はない


”38w”とそのほかの詩篇 

  中田満帆

38w(「Feelin'Bad Blues」改作)

  かつてのひところたのしかったものだ
  いまだっておそらく
  やまなすびや  
  けむりきのこが
  わたしのともだち
  にちがいない
  あるいはやっては来ないみどりのからすのようなもの

  いなくなったのはわたしのほうで
  どの路次をかよっていようが
  はらからもなく
  はらわただけが温い
  ただれるようなうめきのうち
  そこに起っているしかないのだ 

  あこがれてたいづれも手にできない
  たやすい職すらもたやすくかたづけられ
  わたしは夢のうちっかわでけたたましい自動車どもが身を這うのを聴く
  それはかつてすばらしかったはずのもののために奏でられる弔い唄
  つまるところなにも起こりはしない
  つかみとることやだきしめるなにもなく
  ただ窓からみえるのはかがやかしい宿たち
  Hotel TOM BOYやHotel juke box そしてHOTEL QUEEN
  それらの燈しだけがほんものの、光りだ

  だがわたしの手にできるのは38wの電球
  そいつはたなぞこにあって光りを失ってる
  昏らくなっていくちいさな室で
  ひとりそいつを握りしめ
  そいつが
  ばちん
  とくだけるまえに
  そっと戸棚のなかへしまった


    いったいこいつはなんなんだ?



当宿泊所の門限は午后11時までとなっており、(初投稿「さまよい」改作)

  がらすのうちかわにあるマネキンたち
  かの女らに情慾をおぼえるときがある
  それというのも
  そこに悪意も
  いぢのわるさもなく
  あぶれものを癩
  のようにすることもなければ
  いついつまでも責めたてるのも
  なかみのないうちできず
  をつくりだすこともない
  ましてどやや
  橋のたもとにいるけものへと
  ふきながしていくこともないだろうから
  たっぷりと眼をやっては過ぎ去る

  だがいまはそんなにたやすい光景ですらも
  とうに売り買いへだされてしまい
  あてを知らないもの
  失いのうちにいるもの
  隠しをからにしたものなんかがあたまにするのはみずからのみだ
  つまるところ手折れた茎にすべてがあるということ
  ほかを赦されないとき
  鉄柵を握る
  それはふるえとともにあってたなそこを焼く

   莨をくれないか、ねえ?
  ときおりなにかが声をかける
   すまない、もってないのです
   喫んでいそうなつらなのにか?
  そうやってつぎに語らいが求められても
  ゆずりわたすわけには決していかない
  ほんのすこしのあいだをあける
  なにかが話しはじめようとしたとき
  マネキンがひとのように倒れた
  ふたりしてみていたら
  店員の女が遅まきにあらわれ
  ひとでないかのようにかの女を起してはいなくなった  
   もうじき閉店だ


貼紙厳禁

  中田満帆



  古帽へかおを蔽して雨のうち抱かれながら歩む男が

  夏みせて犬のいっぴき垂れる尾のさきにとどまる蝶のかばねは

  閉じられれる像のまなこに光り見て群れと去りゆく真冬の伽藍

  マネキンの女の顔にあらわれてかれを過ぎ去るほほえみひとつ

  花、みどり、かぜのうちへとあらわれて吹き零されるような種子たち

  かぜ発てば翅をひらめて待つようにみせてひとりのさまよいがふるえて

  二十四時くろねこひとり訪れてけむりをみせて語る夜ある

  透きとおったあぶれものらの眠る椅子へしつらえられた銀のしきりが

  百万のレインコートが降りしきる二月の朝のぼくの恋歌

  ながれもの、青い路次へと歩むのち、ふと立ちどまる「立入禁止」

  くらがりが女をみせてくる真午、うなじのような排水管たち

  光る襞、少女のいくた過ぎ越してかげのうちへと帰る草木

  うつしよの通りを歩む群れむれにだれも知らないおれを追う鬼

  苦しいか?──だいじょぶですか?──問われては黙りこくるか、老木いっぽん

  待ちびとのないまま駅に立ちかれて飛ぶ夢をみる飛ばない男

  ふとみればおれのせなかにふれているはらのおおきな給水槽だよ

  呼ぶもののこえにむく顔またひとつたがいちがいを求めて歩む

  笑う門──知らないあいま通りすぎ福を知らないぼくの過古ども

  うごくもの、うごかないものにはさまれてきょうも飛べないみどりの男

  いちまいきりの黄葉の終わり見落として春を喪う少年の頃

  詩も歌も知らない子供いっぽつづつ奏でならすのは横断歩道

  おれの室にしつらえられた馬ひとり越える丘なく窓をやぶった!

  きみどりいろの天使のひとつ買いに来て堕天使とった婦人に注目!

  冬の死後墓守娘買うひとの両の眼を射る春のまなざし

  ひとつ去るもののうしろに熾き火発ち照らしだされる路のあまたが

  空腹の男の足に運ばれてつれされゆくかげの深部が

  棒つきのキャンディーいっこなめながら飛べる男をみない少女ら

  詩をひとつ書けばひとつを葬れる──たとえばきのう、きみの足音

  墓石の昏さを抱えねむるひと──ひとの姿を借りた墓石

  夢は納屋──燃えながら建ち夜の原、午の原にもおれを温め

  かりものの、かげのひとつをたずさえて踊りつづける広場の彫像

  月の熱、持たざるものら燃やしては窓のいくたを戸口へ降ろす

  もの乞いらみえない戸口へ唇ちつけて貧しさゆえのみずみずしい不在

  春に似た女のかいな掴むのはうごけないふりするマネキンの群れ

  さまよいのものらみあげる窓はみなひとでないものにこそふさわしい燈しがある

  永訣のひとつは午后の高架下陸ひく老夫いなくなってる

  さらば友、隠しのうちに残されたいっぽんきりのマッチを放つ

  忠誠をみせて待つ像──むきだしのみぎの乳房に滴るぶろんず

  肥桶をおきざりにして来る町に馬がひりだすような、さむけ

  あらぶれるもののふりして聴くジャズはからかわれてる、冷めた扉に

  空腹の長い午后にて牛脂嘗め、きずぐちのない傷みを癒す

  莨火にさえぎられてる街娼の落ちた手袋、眼には愛しく

  蹴りあげて砕けちらばる空壜のうえを浮かべる月のあまたは

  灰をみせ、塵をみせてる、浮遊物。光りをうけておれに降る朝

  さっきまで眠りうちにあるひとのかげのこもったベンチの仕切り

  伏してなお路次のあいまに夜ぴっておみ足ふたつふるえとまらず  

  旅びとをおもわせ足場解くのちに喪われてまたちまたのくうらん

  拾われて手帖の頁くればただかすみかすかなインキで──「絶つ」 

  中古るの斧にて真午、断つものの切りくちにうっすらと日暮れのぞく    

  鳩の死後飛び立つもののかげのみが地表を深く、ふかくうがって、──

  ひとりのみかぜにまぎれて撮るもののかげの甘さよ午后の反芻

  天使をみせて飛べる男の落ちてなおなにもなかったこちらがわには

  ふるびた靴抱える女、高架下ふるえるようにみせるまなざし

  すっぱりときれいな地獄ひとり抜け開け放ちたい天国の、古便所

  それはふかいまなざしをしてぼくをみているいっぴきの猫のようなひとのようなの

  秒針に口ごもりいる男らの、銃弾やがて鳥のはばたき

  ゆうぐれは烈しいまなこおもざしをふさぶるだれもいないぶらんこ
 
  見失われた子供のかげに匂いたつ蝶のかばねの青い悔しさ

  みどりいろ義眼の犬のねむるうちのびていくのか裏階段よ

  解かれるサーカステント夜のうち飛びたつために裾をひらめく

  水平線は黒い。飛び降りるためのしずまりを愉しむ子供たち去って

  馬かげにひとりの男たちており撫でてふと消ゆ草競馬かな

  眠りなき夜のほどろにたちながらあまねく願いくず入れに断ち

  立っていることのほかにやり場なく赤い雀のくちばしを待つ

  古帽へ花をゆわえて旅だてるひとりの男きょうもまだ見ず

  手をまるめ照準鏡に見たててはみえないままのかわらけを撃つ

  立春へ若白髪を透かしは晩年をみるたれゆれ草

  氷菓のごと握手して去り知るときのもろさを

  さむぞらに売られる時計とどまる針にしばしとどまる

  過古という国よたそがれ密航し少年のまま老いは来たりぬ

  いっぽんの花をくわえるときおれはおのれの深き茎の色識る


不在の梯子

  中田満帆


 不在の梯子を揺さぶりつづける
 永く
 ただながく 
 うえにはだれもいないのに 
 だれもいないからこそ
 おくびようとさみしさを
 佇んでゆさぶるのだ

 呼ぶもののないところ
 ふり返るひとのいないとき
 恥ずかしい身のうちを青い天板に語る
 知つていることも持つているものもなく
 午后のなかでひとりのみの悪態をつくだけ
 死んでいつたやつらへ
 遠ざかつていつたひとたちへ
 ただ毒を吐く

 もうぼくが愛するのは止まつているものだけだ
 朽ちかけの家並みに草むらの遊技場
 忘れられたままのいつぴきに悲しいまでの一台
 それらを打ち毀しながら愛し
 よりよい位置を探すのだ
 さわがしく気のふれた連中を遠ざけて

 しかしきようの夕ぐれどき
 ぼくはとうとう梯子を引き倒した
 草むらに葬つて花を散らしてやれば
 どこからかざまあみろと声がする
 そこでかぎりない悪態も疲れはてて
 椅子もない室のなかぼくはひとり眠つていた


    それでも明日になれば梯子はふたたび青い天板へかかつてあるだろうか


ハタネズミと一時解雇

  中田満帆

    すべてはおもっつらだけ、外見以上の本質などない──(他意はない)


 夜のうちでもっとも
 好きなものだ
 だれもいなくなった中古車売り場
 車たちをみつめる
 首をたれた広告塔の燈り
 やつはいつまでうつむけたまんまなのか?

  *

 やがて犬たちが来た
 またしても朝というやつ
 手配師どもが笑い
 おれの外套のうちで鳥籠がゆれる
 立ってたらだれかが降ってきた
 これはまた
 ごくろうなこと

  *

 闇市で売られてた、
 ストリッパーたちのポラロイド写真
 踊りすぎてけつのたれてきた女たち
 それでもそれらがかの女らにとっての黄金時代
 喪われたものはなにもない
 けれど発見したもの
 だってなに
 もない

  *

 バスはやっては来ない
 夜の三時で
 その時間はたぶん運行されてない
 でもかれにはなぜだかわからないのだ
 それにあっこは停留所
 なんかじゃない
 どうしてこうなるのか?
 おそらくただ待ってるのがよくなかったのだ

  *

 立ちあがれない空腹で、
 おもいだすのは「空腹の技法」、そしてその著者
 ポール・オースター、
 でも読んじゃない
 立ちあがれないほどの空腹
 なのに勃ちあがってくる
 わが逸品
 種の保存なんざお呼び
 じゃない、なのになぜ?
 しかたない──五回目だ!

  *

 しらふのときだっていうのにおれ
 は李白のまねをやる
 みじかい詩篇
 不眠のうちによみがえってくる笑い
 不眠がばからしくなるくらいに愛おしい、
 ポルノ動画のお嬢さん
 かの女のなまえが知りたい
 かの女のことが知りたい
 下心?
 そんなものはない
 ただほんとうにやりたいだけだ
 それだけは純粋

 *

詩だって所詮嗜好品だ。
なくたって生きられる。
ただ失語症のような過古から遁れたかっただけだ。
いかしいまさら言葉をうまくあやつれるようになっても、
他人の、それも多くのまっとうで健全な男女とやらに辱められたことは、
なにひとつかわりはしない。
ここではないどこかなどない。
「われわれは、じぶんのつくりだした世界のなかでしか生きられない」という、
ルーマニアの狼狂による言辞はおれの頬を打ち、戒めてくれる。
まあ、それぞれがそれぞれのみてぐらをみつけて、
さてマスをかいて寝ようぜ、よお赤の他人どもよ!


追伸;(←ここでセミコロンを使うのはモチロン定時制卒の智慧遅れの分際できょーよー──なんて書くのかわかんあい──とやらがあるのを故事したいため岳で或)。

 きのう、近所のタワーレコーズにいったら「モンティパイソン」がばら売りされ、
 いっぽん千円だった。とりあえず「マネー・プログラム」の入ってるやつを買った。その夜笑いすぎて腹が痛かった。おすすめする。


失踪人

  中田満帆



  どうしてだれもドアをあけないのだろうかとおもう
  ひなびたアパートメントで寝てるのは?
  あるとき
  音があった
  睡りから醒め
  窓が薄緑になってるとき
  おもてはいつも静かだ
  愉しみでいっぱいというのにどうしておれは噤むのか
  歩くひとびとは搾りたての乳のような腥さ
  やぶれはててはたちどまり
  唇ちのなかにあるのは
  あらゆるものを見喪って
  好機の見いだせないとき啜るジンジャーエールの味
  ひとたびそれをおもってはあまり願いは抱けない
  納屋を燃やせ
  うちなる納屋を燃やせ
  おまえ燃やしてしまうがいい
  それならずっと草のように生きられる
  はやい話し夢の尽きたあとを追い求めて
  走っていくのがふさわしいのか
  このまえどこかの裏庭を濡らした雨はかわいかったよ
  いずれにせよ
  いかなくてはならない
  求めるものを決して数えないで
  求めるときには時計はずして
  自身をただ解きほぐすこと
  多くのものやひとが散っていく
  たったひとりと天界とをむすびつけようとしてだ
  それでも留まってるのはいや
  ながく滞在できないのを知ってる
  眼のまえでひとりの女が手袋を投げ棄ててった
  できるならかの女にとってふさわしいやつになりたい
  列車は市外へとまっしぐら
  隣にはオースターのインタビューを読みながら
  ふるい帽子についておもう男
  かれが降りていったのは北口で
  だからこっちは南口
  降りようとしたら
  気づいたよ
  これがもう終の行路だってこと
  鉢植えがいらなくなったのを
  かの女わかってる
  きっと抛りだして
  でも気にはとめない
  だってしあわせなんだもの
  知らない土地で身をよこたえるように
  知らない土地で半分その身を埋めるみたいに


港、ほか一篇

  中田満帆



 日はながくなりつつある
 おれの足に生えた影のさきっちょ
 知らない男らが倉庫のあたりで
 ゲームをしてた
 港がすぐそこまで近づき
 聞きとれない声でなにごとかをいってて
 やがて遊びつかれたかっこうの男らは作業着に抱かれて
 そのなかへと飛びこんでった
 たくさんの
 小銭と
 札が
 まきちらされ
 なにかしら病気か
 風船みたいに膨らんだ鳥どもがまっすぐに赤いクレーンを過ぐ
 おれもそこにむかって飛びだしてしまいたい
 そのとき
 外国船がだだをこねはじめた
 ──もうこっから動きだしたくないんだ
 ──ずっとここらで眠らせておくれよ
 夜はかれを絵葉書に包みこみ
 ながい路線のずっとさきのほうで
 かぜにまきこまれてかれはもう
 みえなくなってしまった


点描

     M・Yさんへ

 かつてあったらしいもろももろを求めてながら
 点をたどったところで
 なにもない
 かれはあたらしい雨を待つ
 やもめ暮らしの男だ
 ひと昔か
 それよりもっとまえのことにあたまのなかが充たされ
 とてもじゃないがそいつは追いだせない
 みじめったらしく
 とっても醜いやつ
 過ぎ去ってもはや掴まえることもできない過古と終わりなく話す
 だれかがかれを憶えてるかも知れない
 でもそれは気休め

 たしかに十三年まえの四月
 まだ十五歳
 駅ビルでかれはかの女から声をかけられた
 あかるい声と
 とても素敵な笑みで
 でもそのときかれはおもうままに応えられなかったみじめなやつだ
 すごくうれしくて
 すごくこわくなって
 逃げだしてしまった
 かつてあんなにも好きだったのにもかかわらず
 それっきり

 きょうもあたらしい雨はやってこなかった
 かの女への手紙をいくら書きあげても
 届けるあてはない
 通りを警笛が鳴りやまず
 五月の窓を閉じてかれは横たわる
 かの女の二十歳すらも知らず
 そんなことがとってもくやしい


e・e・カミングス

  中田満帆


  父方の祖父と会ったのは3度だけ
  いちばんめは産まれてすぐ
  つぎは小学生
  そしておしまいは20歳の夏
  かれは酒乱だった
  酔ってわたしも父を撲りつけ
  父はいったもの──おれの親父にそっくりだ!
  夜のハイウェイを山奥へといき
  さみしい田舎にきた
  なにもないところで朝を迎えた
  祖父の死体は暑さからか
  大口をひらき
  薄目をあけていたっけ
  わたしはロートレアモンとニーチェを読み
  眼のまえで女の子の絵がでかでかと載ったライトノヴェルを読むでぶの従兄を軽蔑してた
  しかしそれだっていまにすればどんぐりの背較べだ
  どちらにしたって誉められたものじゃない
  ──息子さん、よく本を読むのね、うちのも読書が好きで。
  伯母がいって母が返した
  ──ええ、じぶんでも書いてるんです。
  しかし母がわたしの書いたものに興味をもったことなど1度もなかった
  やがて出棺のときがきた
  祖父の製材所はもうなくなってて
  かれの後妻は人形みたいにうごかず
  なにも話さない
  表情もなく
  パイプ椅子に坐ってた
  祖父は昔し祖母を追いだした
  わたしが9つのときにかの女は死んだ
  葬式で泣いたのはあれがはじめてでおしまい
  腹違いの伯父がきれいな妻と
  そろいの服を着たふたりの娘とともにいた
  われわれのなかでいちばん清潔で幸福そうにみえた
  昔しかれにもらったプラモデルをおもいだし
  それからまたうつくしいかれの妻をみた
  店の1軒もない通りを歩き
  やがて燃え尽きる祖父の
  終の烟をコンクリートの長椅子から眺めた
  ひとりだけ煙突のみえるそとにいたんだ
  烟が午のなかに失せていくにまかせて
  犯罪小説をわたしは考えながら
  蓮の花托をみた
  無数の眼が
  わたしをみてた
  夜になってまたもハイウェイを走った
  父と母たちは悶着をやりあい
  べつの道をいった
  途上、コンビニエンス・ストアに寄った
  コーヒーを買ってでていこうとしたとき店員の女たちがいっせいに笑いだした
  わたしはいった──つまりあんたらはカミングスがお好きなわけですね!
  またも車に乗って
  父の憤慨に身をまかせた
  母と姉妹がどうなったのかは知らない
  ただわたしはカミングスが好きでもきらいでもなかった。


襟がゆれてる。

  襟を掴みながら手も足もそして顔も
  凍傷になりかけてた
  おなじ道をいきつ戻りつ
  たぶん躰を温めようとしたんだとおもう
  公園のベンチにたどり着くと
  ヘルメットをしたまんま横になった
  しばらくすると関節のすべてがぎしぎしと音を発て
  凍死の危機を報せてきた
  だから起きあがって
  また歩きだした
  眼を伏せ
  狙いを定め
  北インターへと
  そこにはかつてのアルバイト先があった

  鎖を越えて駐輪場まで来ると
  塵箱があった
  そいつをあけて
  ビニール袋をひっぱりあげる
  そしてそいつを公園まで運んだ
  なかみは野菜の切り屑と生肉の切り屑
  必死に唇ちに押し込みながら
  おもったものだ
  どこにも帰れないと
  まだ若い顔でうつろで──泣くようにして──喰った
  そして袋をもとのところへもどし
  また歩きだした
  あてどなく
  ガソリンも乏しいなかで
 
  やがて朝は来た
  なんとかなりそうとおもいながら
  襟を掴んで凍った手で怺えた
  もうじきなにものかが連れ去ってくるように感じながら
  光りがかれをつつみ
  ジョルノの坐席が少しづつ温かくなっていくのがわかった
  みんなはどうしてるだろうか──かれはおもいだした
  会いたいひとのいるのを
  しかしいまではすり切れた22歳の夢でしかない
  けっきょくは国道176号を宝塚のほうへむけて走り
  白旗みたく襟をゆらして
  字地の実家へと
  山を登った


  中田満帆



   かの女が何回飛んだなんて
   だれも知りはしないんだ
   けっきょくあのへんの空域がどうなってようと
   朝食のまずさには変わりないんだからね
   ほんといえばきみのことは好きじゃないし
   発動機みたいなからだもいやな感じがしてる
   だってこっちは生まれたての如雨露なんだもの
   水なんかでやしないさ
   きみが週にいくら飛んだってかの女にはなれやしないんだ
   いくらでも何度でも壁にぶつかるといいよ
   きみがこなごなになるころにはあのまずい朝食とはおさらばだから
   出会うことがいつだっていいとはかぎらない
   それはだれでも知ってることだろ?
   撲りつけられた子供たちが
   やがてだれかを撲りつけるんだってさ
   やっぱりおなじことの反復でしかないんだもの
   空飛ぶサーカスのように愉快になんかなれやしない
   どっかでねじまがったものがいまになってだれかを蝕む
   でもかの女は決してそうなりはしないんだ
   壁をいつも飛び越えていつか
   みんなのみえないところへ
   飛んでいくからだ
   ところで
   バスの時間はいつ
   それともここには来ない?


三階の窓からの紙片

  中田満帆


鯨と羊の夢

   灰を喰らいつづける油虫とともに
   わたしは深夜の莨を吸い
   ひたすら過古にふりまわされる
   かつてかわいらしかった少女たちはどんな男とどんなところでどんな所帯
   をもってるだろうかって
   わたしは喪い過ぎた
   酒精が衰え
   形式が立ち現れる
   もうよしてくれよ
   わたしをひっぱりまわすのは
   猛スピードでかの女たちが幻想のうちに去っていく
   ああ、これでいいのさ
   鯨と羊の夢をもとめてやがて雨季は終わる


有情群類

   目的も地理も見喪って
   枯れた花が憐れみ
   澱んだ水が泣き
   冷蔵倉庫の夜勤どもが時計に締めあげられてるあいだ
   ぼくはできるかぎり粗野なふるまいをし、
   ひとり芝居に酔ってる
   こいつは病気にちがいない
   タイプミスに苛立ってあらんかぎりの声々をタイプする
   ぼくは新しい国をめざす一匹の老いた青年だ
   アーチ状の詩形が夜の窓にかかって
   注意ぶかくぼくはその手を伸ばす
   有情群類よ、
   かつてあんなにもきらってたおまえを
   いまになって好こうとしてることをどうか赦して欲しい
   方角は色彩の一種だ
   もうじきそれはぼくの顔を照らすだろう


休息
  
   夜の果てを待って休息にでかけよう
   頬を打つ葉の、
   葉脈をポケットに集めよう
   けれども陽光をおれは決して諒解しないだろう
   消してしまいたくなっちまう
   ひとりぼっちの窓にそれはあまりにむごたらしいからだ
   更正センターの黒い陰
   "nada" のひびきがどこまでも路を匍い、
   おもわずおれは眼をそらしてしまってた
   ああ、そうともほんとうは怖いんだ
   夜のあいまも午のあいまもおんなじくらいに
   そのとき老人みたいなものがおれとかさなった
   そいつの声がこういうんだ、
   おまえは愛を知らないって
   人生を知らないってな   
   夜の果てを待って休息にでかけよう
   おれは愛を知らなくちゃいけない
   おれは人生を知らなくちゃいけない
   たとえそれがみすぼらしく、ちっぽけなものであろうとも
   苦しさの押し売りにさよならを告げて
   


Dust from an angel of the night's flame

  中田満帆

   

夜と午の歌


  夜は忘却を強いて
  午は憶えを強いてやまない
  うす昏い室のうちでおれは脅える
  どちらがわにも許容が利かない
  山麓バイパスを走り抜ける天使たち
  その群れに沿って歩き
  ふいのむなしさに
  泪ぐんでしまう
  忘却も憶えも
  叶わずに
  おれは夢見る、
  舞台まぎわの悪漢たちをだ
  あるいは神戸港くんだりで
  飢え死にすることやなんかを


鳥どもの祈り


  鳥どもの祈りが
  ゆっくりと寝台を濡らす
  まるで玉葱を剥いたときの泪みたいに
  しっとりとなめらかで
  激しい
  心性がだれとも通わなくなって、
  幾年もが経った
  しかしいまかれらが魂しいをあたらしいものにしてくれる
  それは渇き切った現実にやさしい
  鳥どもの祈りは次第に夜めいてくる
  そいつはネオンみたいに輝かしいけれども
  裸電球みたいにつつましくもある
  羽が揺れ、
  嘴が囁くときだった
  おれの心をちぎりとって、
  かれらは飛び立ってしまい、
  祈りもろとも、
  みえなくなったんだ。


なにかにむかって犬が吠えてる


        ブルース・ウィリアムズ写真集「死ぬにはいい日だ」によせて


  ラヂオで警察無線を聴きながら犬は車を走らせる
  浮浪者の凍死体や、
  行方不明者たち、
  事故や殺人、
  警官どもの暴虐の捧げを
  路上に眠るものたち
  ボール紙に書かれた救済を乞うメッセージども
  アメリカ──ホームレスのホーム!
  教会で眠る男たち
  少女は消防車の水を呑む
  Two white boy
  I black
  Stay away for the car
  My sister see you
  地下鉄が暴力を乗せて走り、
  犬はまたも車を走らせる
  つぎはなにが現れるのか
  「ニューヨークは最悪の街だ」と
  ぼやきながらもそれはやがて内なる悲鳴に変わり
  なにかにむかって犬は吠えてる
  なにかにむかって犬が吠えてる
  けれどもわたしはページ越しのニッポン人に過ぎない


二宮神社
    
  
  けれども枯れた木立ちはなにものも慰みはしないだろう
  ただ諒解もなしにぼくのうちに列んでるだけだ
  夏の盛りをまっすぐにゆく路
  むなしさは消えない
  対話もなく
  寂寥のうちを通り過ぎてったひとたちよ
  透き通った茎みたいにその断面は涼しい
  ちょうど終の出会い顔みせて
  ぼくは手水を唇ちにする
  けれども朝になってしまえばすべては失せ
  みえなくなったぼくがしたたかにかぜの殴打を受けるだろう
  どうぞご勝手に、だ。


poems for the sad ass

  中田満帆

阪神競馬場 



   馬はおもいどおりに走ってはくれない
   周囲の個体差というものを羞ぢながらぼくは
   ダートをやりくりし損なってしまい、
   またも鞭打たれた
   ぼくの騎手はほんとうにぼくなんだとろうかと訝ってしまえる
   いつか厩舎に火をつけて馬主を蹴り殺してやりたいんだ
   けれどもいったいそれでなんの片がつくというのか
   けっきょくはやっぱりおなじところへと帰っていくほかはないのか
   ぼくというぼくよ、
   醜いおまえのためにどれほどの犠牲があったかを知るがいいさ
   なんにもないふりで赤信号を横切ってくおまえよ、
   かれらからおれの言葉をとりもどすことはできやしない


秩序 


   夜のつらなりはきれいで
   夜行列車みたいにゆったりと
   流れいったけれども
   「笑いが消えてほほえみが消えた」
   ありあらゆる衰退の構図を聴きながら   
   ひとりひとりがそうつぶやきながら去ってしまう
   ぼくの路上を渇いた甲殻類みたいに車がひしゃげて
   街灯を薙ぎ倒してた
   なにかしらの合図でかれらは立ち上がり
   困惑のなかで知らないふりを決めこんでった
   でもだれかがかれらを追いかけるんだ
   すばやく灯りが明滅し、交差する
   でももはやここにはだれもない
   けっきょくはおそすぎた
   だれもが去っていった路上をたえまなく歩く
   だれかが呼んでくれるのを待ちながら
   迫りあがった恐怖感、
   もしも過古に戻れるならば
   まずかの女に伝えなくてはならない
   でもなにを伝えればいいのかをすっかり忘れてしまったんだ
   でもどうにかおもいだそうと努め、裏階段を登る
   でもそれは延びていき、果てを知らない
   でもぼくは登っていく
   過古と現在の構図
   ちぎれて読めなくなった地図と一緒にけっきょくは落ちてしまう  
   それでもすっかり衝撃を感じなくなってしまってた
   ぼくには弱点が必要なのにもうなにも感じない
   どんなひどい科白も吐けるようになってた
   虐められては泣いてた自身はどこへ?
   なにかから隠れてるような気がする
   それでもぼくは歩く、歩く、歩く
   そうしてようやくであった
   たった一本の老木を
   倒れそうなそいつ
   そっと
   ぼくは触れた
   温かい


不運

  
   おお、
   きれいなひとたちよ
   ぼくはまちがいをしでかした
   たったひとつのはずれっこのせいで
   すべてがだいなしに終わってしまったんだ
   おお、醜いぼくよ、
   その両の眼よ
   ゴールをめざして鳥が空を走る
   終わりはもう来たんだ
   不運がやさしい
   つらを決めこんで
   ぼくの胸を押す
   心はおろか躰さえも動かせず
   流れから取り残されて
   もうむかうとこもない
   不運よ、
   どうかやさしいささやきで
   ぼくを送ってくれ


孤立


   なにもかもに明晰でありたい
   ありがとうでもいいあって
   すれちがうかたわれが欲しいもの
   かたちはちがっても通じあうものこそ
   ほんとうの慈愛ではないのか
   救急車輌が通過していく
   ガス・スタンドで人心を喪った患者たちがもうろうと立ってた
   それはぼくのうちがわにそそり立ってきてとても明るい
   こんな光景をもうしばらくも期待してたのだろか
   けれどもこうしたものも色がすぐに抜けてしまって
   午には用を充たさなくなる
   きみはどこでどうしてる
   ぼくはここでじっと待ってる
   攻撃するべき神を求めて
   愛?──そうひまつぶしにはいいかもしれない
   きみのためにできるならそうもわるくないかも、だ
   けれどもこうしたものもやはり色が抜けてしまって
   いつのまにやら慈愛でもなく期待でもなくなる
   あらかじめ正常さを喪ったつけを払いながら
   きょうも列にならび今度こそ自身のなまえが呼ばれるのを待ちながら
   きみたちみんなから孤立してる
  

アニス


   たぶん高尿酸血症だ
   関節液の尿酸結晶がうちがわから足を突き刺してる
   歩けないんだ
   躄りみたいに足を地面に擦りつけながら
   ラブホテルを抜け
   コンビニエンスへとむかう
   これがほんの風穴であったらいいとおもう
   しかし手遅れだ
   生は藁を咥えた犬なんだ
   地上の塵を日が輝かせ
   遠くの角を曖昧なものにみせたがる
   自身の性質にようって放逐されたもののための幻し
   だれとも仲良くはなってはならないとはじめから決められたてたかのよう
   酒をひとりで呷り、呷ってはタイピングをつづける
   この世には少なくとも四つの救いがあった
   絵を描くこと
   ものを書くこと
   音楽を鳴らすこと
   そして手淫すること 
   公園は猫たちでいっぱい
   アニスを喫う
   イタリア国旗を模した箱の、
   かの国の莨を


場所

  中田満帆

かの女たちへ



   そうして悲しむことをやめ
   ふたたび葉につつまれた片手で
   ぼくは帰っては来ないもののために祈る
   いくつものかげたちはいつもみたいに廊下を過ぎる
   なにをそれほど脅えてたのかはもうわからなくなって
   噛み砕かれた胡桃の実がぼくの咽を通る
   いつだったかおぼえてないけれど
   あなたたちがぼくに笑みをむけてくれたとき
   ぼくはなんだか怖かったんだ
   あの駅ビルや教室のなか
   ぼくを笑ってた
   いつかまたあの笑みをみたいといまだおもってる
   それがどんなにも空虚なことと知りながらも
   ああいっぽんの老木を小脇にたずさえて
   あなたたちの望むほうへと消え去ってしまいたい
   もちろんこうしてるいまでもね
   だからぼくにことばを
   ことばを


暮れの点景


   やがておれのうちがわから零れ落ちる水よ
   おまえはまたしても女の仕方で去っていくもの
   街路樹のならぶ心象を急いで去ってしまうもの
   こんな光景のために幾たびうろたえてきただろうか
   暮れの点景、
   そこに現れた車道が深く胸をえぐる
   つよいまなざしを期待しながら
   またしても惨敗するおれよ、
   水は対向するひとびとを抜けてしまい、
   もはや見えなくなる
   濃くなっていくかげのうちでなにもかもわからなくなる
   やがておれのそとがわから展がる地下道よ
   どこまでも明るいうちを往来がゆるい
   暮れの点景、
   ふたたび惨敗してしまったおれの愁いにいま応えよ


不実


   不実さよ、そのみのりをぼくにおくれよ
   どうか信じて欲しいんだ
   列車に乗り遅れたこのぼくが必ずさきにたどり着くことを
   お呼びでないのはわかってるつもり
   けれど忙しいひとのなかを縫って
   ぼくは死に急いでやる
   これだけがぼくの復讐だ
   遙かさきのシグナルよ、気をつけろ
   遙かさきの駅舎よ、気をつけろ
   必ずや不実の輝きをもってしてそいつらを倒してやるんだ
   不実さよ、
   そのみのりをぼくにおくれよ
   どうか信じて欲しいんだ   
   列車に乗り遅れたこのぼくが必ずさきにたどり着くことを    



ひざかり


   このぼくの敵どもよ、
   どうか安らかなれ、だ
   この季節はだれもが顔をしかめて去っていく
   夕暮れをおもわす足通りでなにもかもが片づいてしまうもの
   あたらしい夜を待ちに待ってどこかへとぼくも消えたい
   けれども辛辣な街灯はぼくを閉じ込めたまんまでどっかうちがわに立ってる
   そうともあれらがぼくにとっての知覚の扉なのさ
   美しいふりをして遠ざかるかのひとよ、
   きみはきみのまんまでいればいい
   もう出会うことのないように
   ぶざまにとどまりつづけるぼくの魂しいよ、
   慈しむ
   このひざかりに咲いた太陽の一輪を差して
   そいつの色が抜けるまでに描写していくんだ、すべてを
   みおぼえのない自叙伝、
   そのうちにぼくはいずれ居場所を見つけるだろうから、だ。


場所


   きょうはヴィム・ヴェンダースの写真集をみて過ごそう
   "Places, strange and quiet"
   静かで見も知らない場所を求めながら、さ
   きみはかつていったね
   ぼくのことがきらいだと
   あのとき一〇歳だったぼくらも三十となった
   ふるえる稜線をたどって厭きなかったあのころ
   ぼくはすでに知ってたんだ
   自身が望まれてその場所にいるのでないことを
   ありがとう、さようなら
   そうしてさらにありがとう、さようなら 
   ぼくの知らないとこできみは大人になった
   きみの知らないとこでぼくはできそないの人間になった
   ありがとう、
   そしてさようなら


怖れる子供


   ぼくの詩神は閉塞と解放を行きつ戻りつ
   太陽のなかに青い種子をみつけようとする
   幼い顔したまんま追いつめにやって来る
   
   きみの詩神はどこでどうしてる?
   ぼくのはハンバーガー・ショップに入り浸って
   角の席でいつもコーヒーを啜ってるやつさ

   きみとはいつも会いたかったけれども
   きみはぼくに会いたくはなかった
   送った詩集が返送されるまで
   ぼくはどれほど待てばいいだろう

   ひとはだれでも詩人であるときがある
   寺山修司はそういってた
   そして詩を棄て損なったものだけが
   詩人として老いるとも
   ぼくは老いてしまったよ 
   すべてを怖れる子供のまんま


空白みたいなもの


   充たされない愛に渇き
   餓えた犬みたいに通りをさまよっていく景色
   すべての風景はぼくにはあまりにも美しすぎたんだ
   左右の確認を怠って死んでいくものたち
   交通はささやかなる墓標
   そのまんなかに立ってまたしてもぼくは夢想する
   気づけないあまたのきみに分散していくかたわらで
   おもいもかけず塵となり、くずとなるんだ
   さあ、おいでぼくのうちなる犬たち
   さあ、おいでぼくのうちなる猫たちよ
   いまや過ぎ去った内的歴史とともに
   うち負かされていく魂しいよ、
   せいぜい永遠にでもなるがいいさ


共鳴


   それはまやかしにちがいない
   どうとでもいいあって勝手に沈んでいくがいいさ
   もうどうでもよくなった
   なにもかもに感じない心が育ってしまい
   なにもかもに手がつかなくなる
   攻撃性を炙りだされ
   足もうごせないときよ
   ペニー・アーケイドのどよもしだけが
   おまえを癒やすだろうよ
   替えの利かないなにものかを求めて
   手を展ばすときだけ
   ぼくはなにものかになれる
   わずか十分間の遊び
   だれかさんはそういったぼくを笑うだろうか 
   果てのないところにたったひとりで立ち向かってるおまえよ  
   ともに感じあうことのない、その両手のなかにいっぱいの花を奪い取れ


夏祭

  中田満帆



   赦して欲しい
   たとえぼくが生きる側からいなくなっても、
   それは生田川みたいに浅い流れに過ぎないのだから
   空気が熱に膨らんでって
   たしかに過古を甦らせてる
   どうか連れ去ってくれ
縁日の世界へと
もういちど
夏祭のかのひとを眺め
うっとりとしてたいんだ
ぼくの小さな港よ
船は帰航を拒むばかりだ
赦して欲しい
たとえぼくが生きる側からいなくなっても、
うっとりとしながらかのひとを眺めてるからだ
どうか連れ去ってくれ
     


ロードムービー、ロックンロール、アメリカ、天使

  中田満帆

 *ロードムービー

 かれらはたがいになにものかを識らない
 むしろ識るためにともに歩き、または走る必要があるということだろう
 わたしがおもうに自動車や道は、自動車や道のように見えるだけの装置であって、
 それらそのものではない道標なのだ
 映画はそこに介入するものの、かれらの関係を解釈しようとはしない
 それはしてはならないことなのだ
 だからこそ映画は映画でいられる
 映画は決してかれらに介入しはしない
 やがてかれらがわかれようが──かれらはわかれることになっている──映画はなにもしない
 それが映画を映画たらしめてるのだ
 では観客であるわたしはいったいなにをしてるのだ?
 それはおそらくかれらを追うことだ
 わたしはかれらなしではいられない
 かれらこそわたしを奮い立たせてくれる存在だから
 遠く、遠くのほうまで追いかける
 やがてすべてが暗転してなんにも見えなくなるまでロードムービーはつづく

 
 *ロックンロール

 チャック・ベリーを識ったのはマーティ・マクフライを通してだった
 深海のダンスパーティーでかれはギターをかき鳴らした
 タッピングをした、背中で弾いた、アンプからジャンプした
 そして舞台のうえをもだえるように、蛇となって動いた
 わたしはまだ二歳だった
 それ以来わたしはロックを飽きもせず聴いている
 十四歳のころ、わたしは幼馴染みにいわれた
 おまえがロックを聴くなんてヘンだだって
 だけれどロックンロールは誕生以来、
 あまねくひとびとに契機を与えつづけてる
 わたしも与えられたひとりなのだ
 だからきょうもロックとともに
 おもい描いてる
 教科書に立っていた同級生の女の子たちのことや、
 広告のなかの素敵な女の子たちのこと、
 音楽雑誌の批評文のあの皮肉めいた文明を、
 すれ違いざまにぶつかってきたあらゆるおかしなできごとなんかをだ
 やがてすべては物語にかわってしまうから、
 わたしは作品以前のひとびとやものたちをできるだけ抱きしめたい
 抱きしめたいのだ
 放したくはないのだ
 ロックンロール、
 きょうもありがとう
 そしてあしたこそさようなら、だ
 「ロックンロールはひとを苦悩から解放させない。苦悩を抱え込んだまま踊らせる」
 これはピートの科白、でもザ・フーには興味がない
 わたしは「おまえはおともだちじゃねえんだよ」といったときの宮本が好きだ
 「願いによって神に祈ることなどできるものか」と叫んだジムが好きだ
 ロックンロール、それは神が遣わした、
 男のための苦汁である

 *アメリカ

 幼年期から棲むわたしの幻影のアメリカ大陸
 なまえのない通り
 あるいはその場かぎりのなまえを与えられた通りや町やビルディング、アパートメント
 プードルスプリングは存在する
 ベイ・シティも存在してる
 チャンドラーのハリウッドから
 グーディスのフィラデルフィアへ
 ブコウスキーは「涅槃」というなまえの詩でこう書いていた
  目的を
  すっかり見失っては
  あまりチャンスは
  望めない、
  かれは、バスに乗って
  ノースカロライナ州をぬけ
  どこかへ行く途中の
  若い男だった(訳=原成吉/「ユリイカ」95年5月)
 いっぽうトラビスは、テキサス州パリスで仆れ、
 息子ハンターともにヒューストンへ妻ジェーンを追いかける
 それは一九八四年のピープ・ショウだ
 男も女もやがて穢れていく子供たちもみんな悪夢をアメリカン・ドリームへと欺こうとして詩を書く、小説を書く、絵を描く、マスを掻く
 いちど失った友愛は決して二度とは帰って来ないというのに
 ビッグ・ガバメントの垂れ流すまやかしにやられて
 どこにも行き場を見失ってしまうのだ
 好機はそのものにはちがいないけれど、まるで紙切れのようで、
 いちど握ったらもう使いものにはなりはしないのだ
 さてサンアントニオを振り切ったトラビスはハンターに伝える
 「じぶんが触れようとするものが怖い」と
 そうしてジェーンとハンターを結びつけて消失する
 いっぽう一九六六年ニューヨーク州バッファッロー生まれのビリーは、
 誘拐した女の子レイラとモーテルで九八年に結ばれた
 わたしはそんなアメリカが愛おしくてたまらない
 「戦争に勝った国の映画なんか観ない」と清順はいったけれど
 わたしにはどうしても必要な毒物がアメリカなのだ
 一九八四年ジャームッシュは"Stranger than paradise"を完成させ、
 アメリカのぶ厚い皮をひったっくってしまった
 あの三人、かれらはニューヨークの片隅からフロリダへむかい、
 トム・ウェイツは臆病者の実験音楽、
 リッキー・リーが"マガジン"をだし、
 西脇市民病院でこのわたしが七月三日に産まれた
 でもそんなことはどうだっていい
 ラブホテルの看板"TOM BOY"の燦めきを感じながら、
 わたしはアメリカを記述している
 東海岸よりも西海岸が好きだ
 ブローティガンは、
 銃でみずからの頭をふっ飛ばした
 ああ時が流れ、
 草の葉が夏色に染まる
 子供のころずっと夢だった、
 デロリアンにまだわたしは乗ったことがない
 もし手に入れたらば、
 さてどの時代にいくべきだろうか?
 
 *天使

 きみの電話を教えて欲しい
 いつでも声が聞えるようにだ
 きみにはいつも世話になっているから
 どうしたってお返しがしたいのだ
 きみにとってなにが喜びだろうかしら
 わたしはわたしでなかったころの記憶を憶えてる
 わたしは木の畝にうずくまる哺乳動物で、
 麓のホテルから漏れる灯りをいつも物欲しそうに眺めていたのだ
 これはいつかきみが教えてくれたこと
 まだ憶えているだろうかしら
 これまでに何度も病院の寝台のわきできみと一緒に過ごしてきた
 二十九歳の六月がとびきり印象深くおもいだせる
 眠れないで朝を迎えたとき、
 突然温かいものがわたしを包んだのだ
 おかしな気分だったけれど気持ちがよかった
 胸のうえを大きな手が撫でてるような触りだった
 それはたしかにきみの羽の感触だった
 わたしはきみに気づいた
 そして太陽を見た
 永遠そのものが唇ちをあけて笑ってる
 いつかまたふたたび会おう
 今度は病院のそとで
 わたしにとっての疫病神であるアルコールをやりながら、
 犬のラベルのシェリル酒をやりながら、
 今度はきみの告白が聴きたい
 産まれたばかりのような、
 物語でも
 小説なんかでも
 ない、
 作品以前の作品を
 一緒になって回転木馬にゆすぶられながら、
 さ、  
 どうか、
 叶いますように、
 さ、


青い鳥

  mitzho nakata


  夜
  かぞえきれない、
  旅
  高架下で眠るルンペンたち
  失踪人たち
  密入国者、
  あるいは逃亡犯
  だれもわれわれのために祈りを捧げはしない
  わたしはだれの友人?
  きみはかれの友人?  
  ずっと西部の町で氷点下を記録した一月、
  荒れ野の渡りものは南へ
  ずいぶんまえに忘れたはずのものを夢のなかに再現する
  それはとても滑稽であり、あるいはやさしいまぼろしだった
  わたしはわたしの内なる友人たちへ手紙を書く
  停留所で、避難所で、留置場で、
  どやで、サービスエリアで、
  発着場で、待合で、
  映画館の坐席で、
  マーケットで、
  飯場で、
  かれらはわたしの友人
  わたしはきみの友人
  世界の果ての駅舎にて毎朝悲鳴が鳴りひびくころ
  男たちの内部をいっせいに青い鳥が飛ぶ


大聖堂

  mitzho nakata




両親へ捧ぐ

ウォーホルとカポーティはともに父を知らず
母性のつよい影響下で育ったという
そのいっぽうでブコウスキーは母の存在が薄く
父の打擲と恫喝に苛まれてたという
わたしも母をほとんど
知らないと来る
かの女はつねに父のうしろにいてみえなかった
十歳下の妹できてからはパートタイム労働者になり
さらにみることがなくなった
深夜を弁当屋で過ごし
午はゴルフ場へと
赴く
やがてかの女は自己啓発本や
安手の幸福志向にそまってった
わたしをいちばんむかむかさせたのは
幸運の絵や写真──ブロック・ノイズまるだしの紙頽
そんなものを額に入れて玄関やくそ狭い便所に飾ってた
そのいっぽうでわたしはちゃちなビクトリア幻想の、
父による解体と増築のレッスンがあった
アントンの大聖堂じゃないけれど
幼い時分からその建築
は始まってた
離れは母屋を侵食し
妄想は現実化してしまう
あるときは数字についてのことで
あるときは角材の長さのまちがいで
全人格──存在そのものを否定された
やつのお気に入りの文句はこうだ、──ばかもちょんでもできることもできてない!
長い恫喝ぢみた説教がいやで逃げようとすれば金槌の柄で撲られた
おれにはなんでこんなことばかりなんだろうっておもってた
十六歳の夏、父は母屋の屋根を解体して平屋に二階をつくってた
しかし自身との自己同化を拒絶したわたしにぶち切れた父は
わたしの髪をめちゃめちゃに剪り落としてしまった
それでもわたしは抵抗することができなかった
生野高原というくそったれな田舎には、
逃げ込む場も仲間もなかったんだ
やがて母が帰ってきた
いつものようになんの変わりもなくて
わたしの頭をみてもなんにもなかったかのように
通り過ぎていくだけのことだった
そのさわり、ふとおもいだしたのは
生瀬にあるバレエ教室だった
ひとつうえの姉がそこで
習ってるのを
母は見学し
わたしはおもての
螺旋階段のまえへと
退屈むきだしで抛りされ
まったく見棄てられてしまってた
わが家の王妃たる姉は理知にも容貌にも立場にも恵まれてたけれど、
わたしと来たらなにもかもがでたらめでことばすら満足でなかった
──いまも書いてるからこそ言語を発することができる
ともかく母はいつも半分いて半分いないようだった
日雇い仕事がうまくいかなくなったとき
わたしは次第に母を攻撃する喜びを
アルコール漬けの脳のうちで
知った
金をせびり
料理を床にぶちまけ
おまえと呼ぶ
なんという愉しい虚無なんだろうか!
このために母は存在してたのか!
放埒が去ったいまも
わたしは夢想する
かの女を罵ることをだ
いまも惨めに働きつづけるあいま
父はじぶんだけでスペインやイタリアへと旅をする
神さま、どうかかれの飛行機が消息不明になりますように、だ
角の"Academy Bar"で一杯千円のギムレットでもやりながら
あのくそったれな大聖堂の没落を静かに心地よく聴きたいもんだよ


mudai

  mitzho nakata

  
 かろうじて二十代だったころ
 赤十字病院にいた
 なじみとなったアルコール性の膵臓炎
 好きだった女の子をおもいだしながら
 やがて来るだろう
 使者たちに願ったもの
 けれどかれらは来なかった
 天は鳥の羽根
 あるいは猫の唇
 退院してすぐにかの女の手がかりを探した
 それくらいどうしても会いたかった
 幸いにも見つかって
 託けを送った
 けれどかの女はあまりに冷たく
 あっけなく返事を返して来なくなった
 またわるい酒に呑まれて
 かの女が沈黙した一年ものあいだ
 かつてのいじめっ子たちに罵声を浴びせてまわった

 きみはいった
 ぼくがひとを傷つけたと
 けれどきみはかれらがぼくにやった仕打ちを知ろうともしなかった
 あれから一年と三ヶ月
 夜の台所でひとり鱈を捌くとき
 よくきみの科白をおもいだす
 「ひとを傷つけるひとはきらい!」
 ぼくだってそんなやつはきらいだし、
 きみのことももう好きじゃない 
 ひとを愛することはきびしく
 それに美しいことではない

 かの女にきらわれてとびきり悲しいのは
 かの女にきらわれてもなんともなくなったことだ
 かの女に逢えないままぼくは歳をとった
 ぼくはわるくない
 ぼくはなにもわるくない
 だれもいないところで
 午も夜も繰り返す

 かつて愛しかったもののためにできることはたったひとつ
 ぼくのなかで死んでしまったあらゆるものたちと
 かの女の墓を見下ろして 
 A Dream Are What You Wake Up From
 ひとごとみたいにつぶやきながら
 だれもぼくを好きになってくれないのを祝福する


a mad broom

  mitzho nakata


 かつてぼくは三流誌人として名を成した。けれど詩に倦いてしまった。ぼくはランボーではない。けれどみずからの詩情と、みずからの行いとの乖離が激しいので詩をやめる。もうなにも語る資格を持ってない。いまは知人たちに作品を送るだけだ。
 ものすごい速さで猫たちが走る。ハイウェイはもろい。かれらの声によって、いつかすべてが消えてしまうのを待つ。



二宮神社



けれども枯れた木立ちはなにものも慰みはしないだろう
ただ諒解もなしにぼくのうちに列んでるだけだ
夏の盛りをまっすぐにゆく路
むなしさは消えない
対話もなく
寂寥のうちを通り過ぎてったひとたちよ
透き通った茎みたいにその断面は涼しい
ちょうど終の出会い顔みせて
ぼくは手水を唇ちにする
けれども朝になってしまえばすべては失せ
みえなくなったぼくがしたたかにかぜの殴打を受けるだろう
どうぞご勝手に、だ。








Chikatetz No Yotamonotachi



買ったばかりのバスキア画集を手に、死んでしまった姉の墓参りをしようとしたら、母にとめられてしまった。バスキアが縁起でもないというんだ。たしかにかれも若死にだった。猛スピードで現れて消えてしまったものたち。わたしは悪しくもそんなものたちが好きだ。それというのに母にはそれがわからないという。たしかにかれらはいいやつではなかった。ジム・モリソンも、イアン・カーティスも。しかたくわたしは地下鉄に乗っては駅の便所に花束をうち棄ててきてしまった。やがて腐りきった花々が駅員によって処分されるのを承知のうえでだ。わたしは気が狂ってるにちがいない。姉は二十九になるまえに死んだから、わたしよりも年下ということになる。葬儀には呼ばれなかったから、かの女の夫の顔さえ知らない。物理と数学に長けた姉、いっぽう藝術にはいっさい関知しなかった姉、もう幾年も会ってなかった。おぼろげなかの女のふるいまいと顔よ、そうかあなたは墓にまでわたしを拒むのか。砂を噛み、臍を啜っていきてる汚辱の弟よ、おまえ、どうする? おまえ、どうなる? かつて父はルンペンを指さしていった、──おまえはいずれそうなると。けれどそうにはならなかった。ただ恥辱のうちに沈んでっただけだ。地下鉄の階段はいずれ暗がりに降りていく、そこへ四人の青年が立ち現れた。やがてつまらない死に方をするおれ──という韜晦。かれらは若く細かった。まるでアントン・コービンの写真みたいにモノクロームに映り、ひとりだけがわたしに眼をむける。かれもバスキアが好きなんだ、おそらくは。そうおもいながら阪神線の改札をぬけ、大通りはむこうの墓場へと長い坂をのぼる。バスキアをひろげながら、だ。ただ四人の青年の物語はまたいずれ、ということで失敬する。





新神戸駅



赤毛のあの子がみつめる
マッド感のある駅舎
そいつは建ってるだけで美しい
積年の汚れが魔法をかけてくれてる
愛は雨にとけ、あらゆる側溝に光りを打つ
もうじきおれはあの子に道を尋ねるだろう
でたらめな番地を語り、
それが物語となる
いくらぶちのめされても
魂しいのほとりは崩れやしない
さよならを決めて雨に歩きだすんだ
そうきみらがうまくやりおおせたようにね
ああ、
おれのかたわらをひとびとが遠ざかっていく






アニス



たぶん高尿酸血症だ
関節液の尿酸結晶がうちがわから足を突き刺してる
歩けないんだ
躄りみたいに足を地面に擦りつけながら
ラブホテルを抜け
コンビニエンスへとむかう
これがほんの風穴であったらいいとおもう
しかし手遅れだ
生は藁を咥えた犬
地上の塵を日が輝かせ
遠くの角を曖昧なものにみせたがる
自身の性質によって放逐されたもののための幻し
だれとも仲良くはなってはならないとはじめから決められたてたかのよう
酒をひとりで呷り、呷ってはタイピングをつづける
この世には少なくとも四つの救いがあった
絵を描くこと
ものを書くこと
音楽を鳴らすこと
そして手淫すること 
公園は猫たちでいっぱい
アニスを喫う
イタリア国旗を模した箱の、
かの国の莨を






月曜日



たえがたいところからきて
そしてたえがたいところにたどり着く
ひとのない発着場で雨に流されながらおもったもの
最初にはみだしてしまったものはなおもはみだしつづけると
家には帰りたくはない
けれどもだれも連れてってはくれない
──こういった無意味な哀傷をなでまわすおれも
──とんだおかまやろうだろうか
けっきょく湿度が高すぎるんだ
バスはバスのまんまだし
通りは通りのまんまだ
けれどもこうした感情は感情ではない
ひとりでいつまでも歩くがいい
かたわらにはだれも?
ああ、そうとも。





平原の火



麦秋はもうじき終わる
そうしてぼくは列車に乗り
窓際の席に着くのに詩論はいらない
群小詩人にとっての車窓は平原のかすかなる火
手のひらや顔をそこへ押しやって熱さや傷みをもってして
次の一行へと乗り換えてしまうんだ
さあいくんだ、
摂氏四〇度の地獄へ
あのムンクが素裸になった自画像の地獄へと
もうみえなくなった連中なんてうっちゃれさ
洗濯屋の伝票みたいなちっぽけでどうしようもない愛惜に背をむけて
走りだすんだ、
青電のアナウンスがいくら愛しかったものたちを炙りだそうとも
ひとりでいけ
ひとりでいけ
ひとりでいい
蔦の帽をかむり、あとの祭りだってかまやしない、
詩なんぞ書かなくたってもういいんだ
平原の火にその身を横たえてろ!





知らない土地から訪ねてきて
知らない土地に帰っていくもの
あるいは留まりつづけるもののために
寝台を仕立てようじゃないか
もし暗い寝床のなかで自身に目醒めることがあったなら
これ幸いという気分でかれらを綿で締め殺すんだ
この人間動物園のうちがわでぼくの学んだこと
それはほんとうの敵を探すこと
でもそれはいまだ姿をみせたことがない
ぶ厚い壁に押し込められ
帰っていくところもない
ほんのちょっとの気まぐれで
きみに会えることができたなら
もうこの壁は無用になる
どうか信じて欲しい
ぼくというぼくが
新しい事実のための
かげだということをだ
きみのための事実
ぼくのためのうそ
そして知らない土地から訪ねてきた、
男たち、女たち、子供たち、老人たちよ
檻に入り給え






不実


不実さよ、そのみのりをぼくにおくれよ
どうか信じて欲しいんだ
列車に乗り遅れたこのぼくが必ずさきにたどり着くことを
お呼びでないのはわかってるつもり
けれど忙しいひとのなかを縫って
ぼくは死に急いでやる
これだけがぼくの復讐だ
遙かさきのシグナルよ、気をつけろ
遙かさきの駅舎よ、気をつけろ
必ずや不実の輝きをもってしてそいつらを倒してやるんだ
不実さよ、
そのみのりをぼくにおくれよ
どうか信じて欲しいんだ   
列車に乗り遅れたこのぼくが必ずさきにたどり着くことを    






移民局



さみしい季節がやってきて
窓のなかを涙ぐませた
大きな鳥とともに
かれらはやってきて
茫漠の移民どもを
連れ去ってしまうんだ
もうなにをいっていいのかもわからない
ぼくらはかつて善性のために戦ったのに
それは果たしてぼくらの妄想だったなんて
監視委は通知一枚も寄越さなかった
悲しさでいっぱいなった室でおきざりにされた人形
片手がもぎとられ、それでも笑顔を崩さない
まるきっりぼくらそのものじゃないか
移民局の壁のなかでふるえながら待ってるもの
それらも人形とおんなじだった
ぼくらはまたしても知らない土地に帰される
またしても知らない土地の住人にかわる


武装



もってるものが手折れた茎ならば
それがきみの最良の武装だ
たとえきみが素裸であろうとも
そいつがきみの標べ
わらべ唄をうたい
プールサイドに立つきみが羨ましい
きみはいま最良の存在だ
(たとえここに言の葉がなくとも)


七月


またしても雨は降らなくなったし、
またしても夢をみなくなった
あらゆる遊びは赤信号を越え
つぎつぎと死んでしまうもの
放水が高くあがって
なしくずしにこの月も終わりをみせはじめる
ああ七月よ、
ぼくの産まれた月
いったいどうすれば
なにを成し遂げたら
みんなに赦されるだろうか
聴いたことのない訓戒を求めて
燃えあがった道路を歩く
あるところまでいったときだ
光りに射抜かれたもうひとりのぼくが
野良をつれてしずかに川のほとりへと消えてった




訣別



べつにどうってことないってきみたちはいうだろう
でもおれには出会いがないんだ
きみらに会ったのも遠い昔のこと
みずらからを嘖むにはちょうどいい年ごろ
給油所を襲いたいんだ
だれか手伝ってくれ
でもだれもここにはいないんだ
大人になってなにが得になったというんだい?
酒も莨もポルノもすっかり色褪せて
なんでもないというみたいな顔を仕向けてくる
きみらは二枚目だ
だからそうってことないだろ?
おれみたいに醜いやつを
おれは観たことがない
だれか高速の路電にのせくれよ
流線型のすべて
流線型の髪型ですべてを吹っ飛ばせるやつに
手紙なんかもう書かない
黙殺のなかで耐えることはもうできない
だからぼくは自身を葬るよ
もしもきみらが笑ってくれるのならば



拳闘士の休息



試合開始はいつも午前3時だった
父にアメリカ産の安ウォトカを奪われたそのとき
無職のおれはやつを罵りながら
追いまわし
眼鏡をしたつらの左側をぶん撲った
おれの拳で眼鏡が毀れ
おれの拳は眼鏡の縁で切れ、血がシャーツに滴り、
おれはまた親父を罵った
返せ!
酒を返せ!
おまえが勝手に棄てたおれの絵を、おれの本を、おれのギターを!
凋れた草のような母たちが、姉と妹たちがやって来て、
アル中のおれをぢっと眺めてる
おれはかの女らにも叫ぶ
おまえらはおれを助けなかったと
おれが親父になにをされようがやらされようが助けなかった!
だれがおまえらの冷房機を、室外機をと叫んだ
おれは姉にいった、──おれはおまえのタイヤ交換をしたよな?
じぶんの仕事を遅刻させてやったのにありがとうもなかったよな?
照明器具の倉庫をおれは首になってた
おれは姉のつらを撲った
おれの拳がなんとも華麗に決まったその瞬間
いちばんめの妹から階段のしたに突き落とされた
おれの裂傷した後頭部からまたしてもくそいまいましい血が飛び散った
不条理にもおれには血がおれを嗤ってるみたいにみえてならなかった
気がつくとおれは暗がりに立ってて警官ふたりとむかいあってた
おれは──といった、ポリ公はきらいだと
かれらはじぶんたちの仕事を刺激されて少しばかし悦んだ
しかしおれはそれ以上かれらを悦ばす気にならなかった
だから、さっさと寝るふりを決め込んだんだ
そして明くる日おれは町へと流れてった



労働


かの女もおれも労働なんか信じちゃなかった
報われること
贖われることのないのを知ってた
売店でたやすく売り買いされてしまう生活
美しい仕方の勘定をされてしまう生活
週ふつかは仕事をさぼり遊んでた
蝋石でかかれたつたない線の世界でだ
発送伝票の、黒い一点に躓いて
ハンド・リフトの手を放してしまう
おれたちはまだ二十三歳だった
おなじ道場町の落伍者だった
やがてかの女のために仕事を
もっと憶えようともしたりした
なんとか話しをしようとしたりもしたっけ
なんでもないことがどれほど至上かとおもいながら
あるときかの女の退職を知った
おれはかの女にいった
──本をだすんだ、これがゲラさ、あげるよ
そして永遠の別れをみつけたというわけだ
その翌日おれは福知山線を無人駅をめざして乗った
そして解雇された
追い放たれて
潰れたスーパー・マーケットの頽箱で暮らした
何週間も凍えながら
幾度も量販店で盗みをしながら
そこが封鎖されると放浪にでかけた
四年を経てこの室にたどり着くあいま



冷蔵庫の背面パネル



おれは部品配送の運転のために採用されたはずだった
わざわざこんな田舎町へやってきたのは
そういった楽な仕事を望んでたから
そうともおれは世間知らずで
おまけに恥知らず
だのにひと晩あけて寮をでると
流れ作業のおでましだ
歳を喰った男がいった、──だれだ、こんなできそこないを連れてきたのは?
おれはおもった、──こいつは従順な相手にしかそんな口は叩かないと
そうともおれは従順な屠場の羊に過ぎなかった
だから罠を求め、罠にかかるんだ
背面パネルに次々と妙なものを
貼っていって終わりはない
おれはまたしても倒れてしまいたくなる
だってそうだろう?
話しがまるでちがうんだからな!
ようやく昼食がやってきたとき
おれはやめることにした
たった一日で
その通り、寮に帰ってくると
話しがちがうと噛みついて
その日の給料とともに
町へと舞い戻った
けれどもどこにもいきばはなかった
無賃乗車で海を渡ってトルコ風呂の配車係になった
自動車恐怖症のおれにはいったいどうすればぶつけずに済む方法がわからない
夜の休憩時間になっておれは社長からもらった金を握りしめて逃げだした
かれから貰ったネクタイを路上へおきざりにしてだ
そうしてまたしてもからっぽになったおれは、
おれ自身の性質によってまたも放逐される蝗だった
つぎの虫籠はいったいどこに?













ことの終わり



おもってたよりも終わりは早いもの
三十年かかって手にしたぼくの事実
おもいのほか温かくうちがわにそそり立つ
死地というものは花に充ち
あらゆる科白を断ち切ってくれる
どうかためらわないで
頼む
踏みつけにして
ぼくの墓に唾を吐いて欲しいんだ
遠くで鳴ってる警笛
近くでひびいてる信号
だれともかわせなくなった合図がぼくときみたちのあいまを走る
どうかためらわないでいらだちよ、それを蹴れ
ことの終わりはおもったよりも早いもの
黄色で下地を
赤で輪郭を
そして青で中身を塗り込めてしまえ
きみたちにならできるはず
だってきみらはぼくがきらいだもの
なんにもいえなくなるまえにこれだけはいおう
すべてのぼく、ぼくというぼくはうそであるとだ。























隣人

祖母を殺した北海道の少女へ


ある男がいった、──飛びだしてきたかの女をだれも責めることはできないと
着古した上着を裏返してかれは床屋へと去っていく
たしかにおれもかの女を責めることはできない
けれども情けなど感じないし、
また憐れんでもない
そういったことが繰り返されるという、
ありきたりなことに気づかされるだけだった
次第に秋は不覚にも冬に変わって
緑色の研究も枯れ色に発色変化を起こす
性のとぼしさに苛まれながらも
立ちあがる青年たち
手遅れになるまえにみずからを汚し給え、だ
おれは無風の正午を北にむかって歩く
ビールとチーズとナッツのために
まだひと気のない酒場通りで
またしてもおれはかの女についておもう
いったいだれが救ってやれたというのか
うろめたいのか隣人ども
手を触れるのはおまえたちには赦されないんだ
けれどもおれだっておなじようにしただろう
けっきょくはおれも冷たい隣人のひとりなんだからな
やがて夜が来てひとびとが集まり始めた
あまりのどよもしに嫌気が差し
またしてもひとのないところを歩く
しだれ柳の傘が立ってた
ゆっくりと歩み寄り
その樹皮に手を触れる
かつてアルコール専門病院でおれはこんな話しを聞かされたっけ
──あそこに三つの木があるだろう?
──ええ。
──そこで三人が首をくくったんだ
やつは薄笑いでいい放ち、
蒲団に潜りこんだ
くそ、
だれも救われない
飛びだしてったかの女の  
星かげのまなざしよ、
どうかおれをおもいきりに
さげすんでおくれ




ラヴ・ソング



おもうにどの女も売春宿からやってきたんだ
けれどもかの女たちに金を払っても
触れさせてもくれない
かつて熱をあげた少女たち
いまは世帯持ちで 
男たちから給料を吸いあげて暮らす
どっか東部の町で平凡さを謳歌しながら
ある女は亭主をおっぽりだして同級生だった男らと遊ぶ
けれどそのなかにおれはいない
遊ぶ相手なんかいやしない
だれもない世界の、
その待合室に坐ってひとり遊びに興じるだけ
おれはおもいだしてる
かつて熱をあげた少女たち
好きだということで迫害された過古
自身がすっかり手に負えない代物になった挙げ句
愛し合おうとおれはいう
愛し合おう、
やがて獣性のなかへと
引き込まれてしまおう、ってさ

主題歌



 「広告募集」の看板がつづく田舎道
 起伏の激しさに咽を焦がしながら
 かつて父の自動車で走り回った
 いまでもあのあたりを歩けばおもいだす
 いとしいひとたち、
 あるいはいとしかったものたちをおもいだす
 
   それは一九八四年のピープ・ショウ
   あるいは二〇一五年のわるい夢

 喪ってしまうだけの暮らしなら
 もうとっくにうち棄ててる
 懐かしいなどというおもいもなく
 葬ってしまうだろう
 けれどもそれは望みではなく
 抗いですらない

   かつて美しかったもののために歌をくれ
   あるいはかつて慈しみをくれたものたちに歌を

 おもいはぐれてかの地へたどり着く
 バスの発着場にひとり立っては
 迎えてはくれないもののなまえを叫ぶ
 かれらかの女らはなにももっちゃいねえ
 ただもうこっから放たれてくんだ
 急ぎ走りでも掴まえられない
 きっどどっか遠くで歩いてるにちがいねえ
 さっきまでとちがうやり方でその身を焼く
 「広告募集」の看板がつづく田舎道
 起伏の激しさに咽を焦がしながら
 もはやおれをいたぶってくれないきみをおもう
 両の手の箒がおれを撃つまで待ってやろうなどとはおもいはしない

   それは一九八四年のピープ・ショウ
   あるいは二〇〇〇年の別れのとき

 たくさんの主題歌を憶えた
 けれどもそんなことを忘れてぼくこっぴどい幽霊たちから
 いっつもどやしつけられてる
 ただそれだけだ


成人通知



 成人式の日は
 薪わりをしてた
 父とふたりきりで靄のなか
 斧をふっていちにちを過ごした
 あたまのなかじゃ
 かつての同級生やら好きだった女の子たちが着飾って歩き
 やがてはそれぞれのつがいを見つけてしまうだろうのをなるたけ考えないようにしてた
 いっぽん、
 またいっぽんと
 薪をわるたびにおもった
 いまごろかれらはおれのことなど忘れて
 かの女らはおれから遠くはなれて
 歩いてる
 笑ってる
 愉しんでる
 わたしはひとつの木をふたつにしては父のほうへ投げ
 早く同窓会の報せが来ないものかとおもった
 かの女らの顔、
  声、
   髪、
    うしろ姿が分散する
 夜更けてからひとりテレビを眺めてると
 それぞれの土地でおなじ歳のやつらが愉しそうにしてた
 わたしもそっちへいければよかったのに
 けれどもわたしには連れ合うものがない以上、
 ひとりで手斧のおもさを感じてるほかはなかった
 いまごろ、
 どこかの町ではかれらが、
 かの女たちが愉しんでるだろうこと
 そしてわたしには声をかけてくれるだれもないのをおもった
 やがて手斧はおもみを増して
 薪をわるだけではすまなくなった
 だけれどそんなことはわたしにとってあずかり知らぬもの
 好きにしてくれ
 わたしは手斧にそう告げた
 物置の汚れた寝台にかけていつかはと願った
 いつかはタイムカプセルをあける日が来る
 さもなければかの女に逢える日は訪れはしない
 けれども列をはぐれ、
 ひとりになったものにはなにもありはしない
 そいつを識るのに一〇年もの歳月をかけた
 
    
無意味



 きのうの夜
 酔っ払ってかつての女友達を罵った
 くたばれ
 ちび女
 と

 だって
 かの女がおれのことを黙殺したからだ
 おれはおなじように何人かを傷つけ
 それからマスを掻いて
 眠りについた

 翌る日
 かの女は怒ってた
 おれはただただ疲れきってて
 手短にあやまった

 由美子はいった
 あなたの発言に驚きと不快を感じます
 あやまってもらわなくともけっこうです
 どうせ本心なのでしょう
 わたしはあなたの友達になる気はありません
 あなたの考えはわたしにはあわない
 似たもの同士とつきあうべきです

 スベタめ
 そうおれはいって
 かの女のことをどぶに叩き込んだ

 もちろんそんなことは無意味であったし
 多くの女たちが消えて去っていくのを
 おれは見てるだけでしかなかった


使用人たちの幼年期


 つめたい夜にはふるいものごとをおもいだす
 さまざまな場所でおなじことがあった
 さまざまなことがおなじ場所であった
 時代が、
 あるいは立場がかたむくにつれ、
 大人たちは臆病になり、
 それを見せまいと
 拳にものをいわせた
 父は母を罵り
 マグカップを投げつけ
 母は隠れたところで父の悪口を
 子供にいいふくめた
 いやしい女と
 いやしい男
 
 だれが生け贄になるかをいつも政治が決める
 ひとのかたちをしたひとでないものたちが
 知らないうちにみんなを呑みこんで
 友だちだったはずのものたちが
 友だちだったはずのものへ
 石を投げる

 子供たちは知らないうちに親のふるまいを身につけ、それぞれの大人を演じる
 みんなはみんなの瑕疵を探りあった
 棲んでる家が中古といっては嗤い、
 身なりが貧しいといって撲った
 うわさ噺やかげぐちをいって
 たがいの結束を高め、
 そのつらなりを友情と呼ぶ

 いずれだれかに雇われること
 だれかに使われることを
 撰びとり、
 わたしたちはかれらかの女らの世界から永久に追い放たれる 

 かつての雨よ
 茨は墓を抱いて
 おまえをずっと待ってる



さよなら文鳥



   永久のこと



 甘酸っぱきおもいでもなく過ぎ去りぬ青電車のごと少年期かな

 陽ざかりにシロツメ草を摘めばただ少女のような偽りを為す

 ぬかるみに棲むごと手足汚してはきみの背中を眼で追うばかり 

 かのひとのおもざし冬の駅にみて見知らぬ背中ホームへ送る

 いくばくを生きんかひとり抗いて風の壁蹴るかもめの質問

 われを拒む少女憾みし少年期たとえば塵のむこうに呼びぬ

 列をなすひとより遁れひとりのみかいなのうちに枯れ色を抱く

 引用せるかの女の科白吟じては落日をみる胸の高さに

 みずからに科す戒めよあたらしくゆうぐれひとつふみはずすたび

 夕なぎに身を解きつつむなしさを蹴りあげ語る永久のこと



   青年記よ



 長き夢もらせんの果てに終わりたる階段ひとつ遅れあがれば

 けだものとなりしわが身よひとりのみ夫にあらず父にあらずや

 童貞のままにさみしく老いたれて草叢のみずみずしき不信

 給水塔のかげ窓辺にて抱きしめし囚人の日の陽光淋し

 愛を語る唇ちをもたないゆえにいま夾竹桃も暗くなりたり

 理れなく追い放たれて群れむれにまぎれゆくのみ幼友だちよ

 わかれにて告げそびれたる科白なども老いて薄れん回想に記す

 かのひとのうちなる野火に焼かれたき手紙のあまた夜へ棄て来て

 三階の窓より小雨眺めつつ世界にひとり尿まりており

 中年になりたるわれよ地平にて愛語のすべてふと見喪う



   草色のわるあがき



 きみのないプールサイドに凭れいるぼくともつかずわたしともつかず

 少女らしき非情をうちに育てんとするに両の手淋し

 夜ともなればきみのまなこに入りたき不定形なる鰥夫の猫よ

 妹らの責めるまなじり背けつつわれは示さん花の不在を

 馬を奪え夜半の眼にて燃え尽きぬ納屋の火影よわれはほぐれて

 きまぐれにかの女のなまえ忘れいるたやすいまでの過古への冒涜

 失いし友のだれかを求めどもすでに遠かりきいずれの姿も

 ぼくという一人称をきらうゆえ伐られし枇杷とともに倒れて

 だれも救えないだろうふたたびひとを病めみずからに病む

 つぐなえることもなきまま生ることを恥ぢ草色の列へ赴く


   れいなの歌


 野苺の枯れ葉に残る少年期れいなのことをしばし妬まん

 うつろなるまなこをなせり馬のごと見棄てられいし少年の日よ

 背けつつれいなのうしろゆきしときもはや愛なるものぞなかりき

 うちなる野を駈けて帰らん夏の陽に照らされしただ恋しいものら

 われをさげすむれいなのまなこ透きとおり射抜かれている羊一匹 

 拒まれていしやとおもい妬ましき少年の日の野苺を踏む

 触れるなかれ虐げられし少年期はげしいまなこして見るがいい

 曝されて脅えしわれよ九つの齢は砂をみせて消え失せ

 拒絶せしきみのおもざしはげしくて戦くばかし十二の頃は

 素裸のれいなおもいし少年のわれは両手に布ひるがえし


  さよなら文鳥


 けものらの滴り屠夫ら立つかげに喪うきみのための叙情を

 車窓より過ぎたる姿マネキンの憤懣充る夜の田園

 六月と列車のあいま暮れてゆく喃語ごときかれらの地平

 握る手もなくてひとりの遊びのみ世界と云いしいじましいおもい

 手のひらに掻く汗われを焦らしつつ自涜のごとく恋は濁れり

 さよならだ花粉に抱かれふいに去るひとりのまなこはげしいばかり

 茜差すよこがおきょうはだれよりも遅れて帰路をたどり着くかな

 ひとよりも遅れて跳びぬ縄跳びの少年みずからのかげを喪う 

 かみそりの匂いにひとり紛れんと午后訪れぬ床屋の光り

 かつてわがものたりし詩などはいずこに帰さんさよなら文鳥



経験



 わがうちを去るものかつて分かちえし光りのいくたすでになかりき


 指伝うしずくよもはや昔しなる出会いのときを忘れたましめ


 過古のひとばかりを追いしわれはいま忘れられゆくひととなりたし


 かのひとにうずきはやまずひとひらの手紙の一語かきそんじたり


 救いへはむかわぬ歌の一連を示すゆうぐれまたもゆうぐれ


 夜をゆけテールランプのかがやきを受け入れてるただの感傷


 やさしさはなくてひとりのときにのみ悔やめるものぞ日に戯れる


 帰らねばならぬところを喪って遠く御空を剪り墜とすのみ


 くやしさを飼い殺すなり灯火のもっとも昏いところみあぐる


 決して救われぬわれもて歌う風景のひときれきみのために残さん


 ことのはの淡くたなびく唇をして孤立するわれはどろぼう


 たかみより種子蒔くひとよ地平にてあわれみなきものすべて滅びよ


 たそがれにうつむくひとよ美しき惑いに復讐されてしまえよ


 茎を伐るいっぽんの青きささやきよすでに非情なる眼に焼かれき


 ひとの世を去ることついにできずただ口吟さめるのはただの麦畑


 いっぽんの地平のなかに埋もれたき愛すものなきやもめのものは


 友情を知らぬひとりの顔さえもとっぷり暮れる洗面器かな


 拒まれて果ての愁いはだれひとり告げずひとりのつらに帰すのみ


 中空に立つ石われら頭上にてひかりのごとくあふれだしたり


 成熟も病いのひとつ青年の茎はかならず癒やすべからず


 花くわえだれを追いしか少年のあやまちいつも知れるところに


 耳すすぐ悲鳴を夜のふかぶかにきょうも戯むるぼくのすきまよ


 夜ごとすぐバス一台のかなしみを背負いてはきょうの月を浴びるか



地獄のロッカー



 いつの日もひとりのときをなごすのみはつなつのわが夜ぞありぬる


 昏きわがほほえみありぬぬばたまの夜を過ぎゆく貨車はただ失せ


 レコードのノイズは室を充たしつつひとりのものをあざ笑いたり


 はらいそを識らずに落ちる御身あり視あぐるのみの劇の中絶


 花かんざし落ちていちめん花ばかりどうしてなのかぼくに尋ねる?  


 吹きあぐる地の塵われの蘆を越えみかどのうえのカミへゆき給もう


 うすわらうひとらの若きかげなるを唾棄してなんぞ復讐足りえず


 戦いの装いほどく指とゆびわれらの契りもはや枯れ果て


 聞きはべりし少女の憂い吊されて血をぬかれゐる兎へのせんちゃく


 磔刑の姿に擬せてつくられし洋品店のひとがた発光す


 HAPPY END叫びつつあり海邊にてもっとも黒い波を求むる


 あまねくを荒れ野に譬え歩みゆくもはやかのひとを呼ぶ声もなし


 十五歳──コンビニエンス更けゆかん性よ艶本買いに歩きさまよう


 吹かれつつ地下のくらがりさ迷いて拳闘士のような男われ視る


 残りなく降る夕立よかえらぬか遺失物なるわれの足址


 屠殺女の乳のふさ薄々とくらがりにきょうも牛の唇ちは吸う


 教科書のなかに立つてる昔日のきみよもうすでにぼくは穢れた


 もはや手遅れといいながら莨をふかす最后のバサラよ


 あえかなる地獄のロッカーうきわれをさびしがらせて歩み給えり


インターネットと詩人についての断片(再編集版)


  いわば情報社会における人間相互間のスパイである
寺山修司/地平線の起源について(「ぼくが戦争に行くとき」1969)




 小雨のおおい頃日、わたしはわたし自身を哀れんでいる。あまりにもそこの浅い、この二十七年の妄執と悪夢。なにもできないうちにすべてがすりきれてしまって、もはや身うごきのとれないところまで来ている。あとすこしで三十になるというのにまともなからだもあたまもなく、職までもないときている。そのうえ、この土地──神戸市中央区にはだれも知り合いすらいない。もっとも故郷である北区にだってつながりのある人物はほとんどない。
 わたしが正常だったためしはいちどもないが、日雇い、飯場、病院、どや、救貧院、野宿、避難所──そんなところをうろついているあいまにすっかり人間としての最低限のものすら喪ってしまい、もうなにも残ってはいないような触りだ。ようやくアパートメントに居場所を手にしたが、ここまできて正直をいえばつかれてしまった。回復への路次を探そう。
 考えるにインターネットは人間の可能性への刺客──同時に人間関係への挑戦状であって、その接続の安易さによっておおくの創作者をだめにしている。しかも偶然性に乏しいく、なにか出会うとか、現実に反映させることはむずかしい。広告としての機能はすぐれているが、単純に作品を見せるにはあまりにも余剰にすぎるのだ。
 無論、巧く立ち回っているものもいるし、もちろん、これは社会生活から、普遍から脱落してしまったわたしの私見に過ぎないのだが、この際限のないまっしろい暗がりのうちでは、なにもかもが無益に成り果てる。作品のあまたがあまりにも安易にひりだされ、推敲はおろそかになり、他人への無関心と過度な自己愛を、悪意をあぶりだされ、あらわにさせる。せいぜいがおあつらえの獲物を探しだし、諜報するぐらいではないのか。創作者のなかには好事家もおおく、無署名でだれそれの噂話しをしているのをみかけた。
 そのようなありさまで現実でのあぶれものは、やはり記号のなかでもあぶれるしかないのである。身をよじるような、顎を砕くようなおもいのうちで意識だけが過敏になっていき、あるものはその果てにおのれをさいなむか、他者に鉈をふるうしか余地がなくなってしまうのだ。やはり現実の定まりをいくらか高めたうえで、少しばかり接するほどがいいらしい。
 寺山修司は映画「先生」について述べている。曰く《先生という職業は、いわば情報社会における人間相互間のスパイである》と。先生をインターネットにおきかえても、この一言は成り立つだろう。おなじくそれは《さまざまな知識を報道してくれる〈過去(エクスペリエンス)〉の番人であるのに過ぎないのである》。ほんとうはもっとインターネットそのものに敵意を抱くべきなのだ。それは生活から偶然を放逐し、あらゆる伝説やまじないを記録と訂正に変えてしまった。しかし、《実際に起こらなかったことも歴史のうちであり》、記録だけではものごとを解き明かすことできないのである。〈過去(ストーリー)〉のない、この記号と記録の世界にあって真に詩情するというのは、現実と交差するというのはいかなることなのか、これに答えをださないかぎり、ほんとうのインターネット詩人というのものは存在し得ないし、ネット上に──詩壇──くたばれ!──は興り得ないだろう。俗臭の発ちこめる室でしかない。
 わたしはあまりにもながいあいまにこの記号的空間にゐすわりつづけた。そのうちで得たものよりは喪ったもののほうがおおい。現実の充足をおろそかにし、生活における人間疎外を増長させたのだ。詩人としての成果といえば、中身の乏しい検索結果のみである。あとは去年いちどきり投稿した作品が三流詩誌に載ったくらいだ。原稿料はなし。
 わたしはいやしくとも売文屋や絵売りや音楽屋や映像屋になりたかったのであって、無意味な奉仕に仕えたいわけではなかった。
 しかしこの敗因はインターネットだけでなく、わたし自身の現実に対峙する想像力と行動力の欠如にあったとみていいだろう。けっきょくは踊らされていたといわけだ。このむなしさを克服するにはやはり実際との対決、実感の復古が必要だ。想像力を鍛えなおし、歩き、ひとやものにぶっつくことなのだ。そうでなければわたしは起こらなかった過古によってなぶられつづけるだろう。 
 不在のひびきが聞えてくる。いったいなにが室をあけているのかを考えなければならない。対象の見えないうちでものをつづるのはなんともさむざむしい営為だ。創作者たらんとするものは、すべからく対象を見抜くべきだ。見える場所をみつけるべきなのだ。
 わたしのような無学歴のあぶれものにとっては技術よりも手ざわりを、知性よりは野性をもってして作品をうちだしていきたい。というわけでいまはわたし自身による絵葉書を売り歩いているところである。そのつぎは手製の詩集だ。顔となまえのある世界へでていこう。
 それははからずもインターネット時代の、都市におけるロビンソン・クルーソーになることだ。──小雨のうち、いま二杯目の珈琲を啜る。午前十時と十三分。ハウリン・ウルフのだみ声を聴きながら。詩人を殺すのはわけないことだ。つまりそのひとのまわりから風景や顔や声を運び去ってしまえばいいのである。そしてすべてを記録=過去(エクスペリエンス)に変えてしまえばいいのだ。文学はつねにもうひとつの体験であり、現在でなければ読み手にとっても書き手にとってもほんものの栄養にはなりえないだろうとわたしは考えているところだ。
  夏の怒濤桶に汲まれてしづかなる──という一句があるようにインターネットはあくまでも海という過古をもった桶水の際限なき集合であり、現実や人間の変転への可能性はごくごく乏しいものなのである。


  ひらけ、ゴマ!──わたしはでていきたい(スタニラス・ジェジー講師)。


 わたしの気分はこれそのものにいえるだろう。まずはネットを半分殺すとして、ぶつぶつとひとのうわさにせわしない、好事家よりもましなものをあみだす必要があるだろう。また紙媒体の急所を突くすべをあみだすことだ。ともかくこれからなにかが始まろうというのだ。最後にもしもインターネットになんらかの曙光があるとすれば、そこにどれだけの野性を持ち込めるかということだろう。
 集団や企業によってほぼ直かにいてこまされることが前提となっている、あるいはだれにも読まれないことが決まってる、記号的空間のうちにどれだけ、もうひとつの現実を掴むことが重要な段差として展びていく。──けれどそいつはほかのやろうがひりだしておくれよ。
おれはいま、しがない絵葉書売りに過ぎない。ふるいアパートメントの階段がしっとりのびていき、その半ばへ腰をおろすとき、はじめに見るのはおれの足先だろうか、それとも鉄柵よりながれこむ光りだろうか。


詩人どもに唾をかけろ


  ヴィンセント:で、いつまで大地をさすらうつもりだ?
   ジュールス:神がここに棲めっていうまでだ。
  映画「パルプ・フィクション」



 ようやくラブホテルの燈しが消えた。そうして猫どもが眼を醒まし、牛は河を流れて、うちなる納屋がふたたび燃えながら建つというわけだ。
 ここ数年は言語表現にばかり眼がいき、ほかの方法を見喪ってきたようにおもう。先日写真集に画集、映画ソフトに漫画を買ってきた。そのなかでも特に高橋恭司「THE MAD BLOOM OF LIFE」と映画「Paris, Texas」はよかった。その監督である、ヴィム・ヴェンダースによる写真集「Places, strange and quiet」もまちがいなくいい。おれはさびれたもの、ひなびたところ、静かで気だるいものが好きだ。原風景とまではいかないまでも、いくつかおもいだされるものがある。見棄てられた貯水タンク、草叢のなかの荒れ果てた市民プール、使用中止になったダムやなんかが。とくべつに愉快というわけでもない、呑みかけのラム酒とか、女ものの、あれとかそれとか、──あとなんだっけ。
 けっきょくながいあいだの発語不在を埋めようとする、奪還行為だったのだろう。おれは視ることと、語ることをすりかえて過ごしてきてた。すべてがむだであったとはおもわない。しかし言語によって喪われる領域があるのも、たしかであるようにおもうのだ。ほかのアマチュアが書いたものを読んでみてまずおもうのは、かれらが字面の見栄えに鈍いということ。文、そのものをデザインするということに欠けてる。あるいは整ってるだけで、内容とくれば肉なしのスペアリブ。骨しかない。なんの情景も感情も喚起させないのが、だらだらとつづく。これがかれらにとっての芸術なのだ。
 どこへいっても裸の王さまよろしくやってんのがうじゃうじゃいやがって、おもわず眼を伏せて祈りたくなる始末だ、まったく。俗物どもの群れ。「現代詩フォーラム」にしろ、「メビウスリング」にしろ、「文学極道」にしろ、やってることはみなおなじだ。さえない文学の玉袋から生成された薄汚いしろものをまきちらすだけのこと。馴れあいと貶しあい、じつはどっちもたいしてかわらない。──こんなふうに書いていればふたたび石が飛んで来るだろうがかまやしない。ふるい音楽コラムがこんなことをいってた。曰く「同意は出来なくても、好悪の感情だけは万人の共通コードである。(中略)言葉を発する前の余分なコードが多過ぎる。とりあえず不快は不快なのだ(岩見吉朗、一九八九年一月「ロッキング・オン」)」と。つくりかけの音源を聴きながら、徹夜明けの午后にこいつを書いてる。おれはこれまでもさんざ記名とスタイルと作家性について書いてきた。それらがまるで通用しないのは、そもそも言語表現への起点がまるであべこべだからなのだ。話せず、書けず、読めず、伝わらずで長いあいだを生きたじぶんにとって言語行為とは、ぜったいに手に入れられないものだった。そのはずだった。でもいまではこうやってばかばかしいものを幾許と連ねたところでなんの痛みもない、苦しみもない。しかしだ、そのいっぽうで他者へなにも伝えられずに敗れもののときを過ごし、いまや二〇代がおわろうとしてるのも事実だ。そういった道程のなかにいるものにとっては記名すなわち存在、スタイルすなわち書き手としての肉声であり、作家性とは生きかたとその体臭だ。
 おれが「文学極道」に出入りしはじめたのはおととしの暮れ。十一年の十一月からだったが、まずおれがはじめたのは文字通りの罵倒だった。そこにいるやつらを全員ひっぱたくみたいなまねをした。そっから少しずつ大人しくなって場馴れしちまったんだが、しかし自身の現実がそうであるようにそこでもけっきょくはよそものでしかない。どこへいったところでじぶんが異物であるという触りから抜けることはできない。ルーマニア出身の狼狂がいったように「ひとは自身のつくりだすもののなかでしか生きられない」。
 一月に文藝サイトに作品を投げこむのをやめたのは、十年もインターネット上で書くものや書きかたをだめにしてきたことや、不毛なやりあいに染まってきたこと、そしてじぶんが他者の思考や眼によってものごとをやり過ごしてるのに気づき、みえない群れのなかで「ここよりほかの」場所やひとびとを求めたところでそんなものはどこにもないということへ眼をむけはじめたからだ。もういいかげん、じぶんの居場所くらい、じぶんでつくらなければやってけない。この齢で倉庫の半端仕事しかやれない男にとって、いついつまでも記号と現実とのあいだで板ばさみでは生きてはいけない。
去年になってようやく作品を売りにだすようになった。ちょっとした小遣いほどのものだが、金にはちがいない。表現といったところで賭博みたいなものだ。ちょいと対価というものを考えればいかにインターネット上で完結されていくもろもろがむなしいかがみえてくる。賭けるだけ、賭けてなにもかえってこないのはやりきれない。路上や飯場、病院暮、救貧院ぐらしがあったとはいえ、いつも金がなかったわけじゃない。紙面に載る機会はいくらでもあったというのに、それをおれは呑むことに費やしてきたんだ。膵臓と脳神経を半殺しにしてまで酒にすがってた。酒神は詩神をやっつけた。
 おれはおととしの夏、救貧院を追放された。アル中の烙印があるのにもかかわらず、酒を呑んでしまったからだ。居宅生活訓練のさなかだった。おれはいちど実家に帰され、それからまたべつの町へでていった。気がつけば秋、更正センターは午后五時から翌八時まで泊めてくれる。金がなくなるまでそこにいた。呑み喰いですぐにからっぽ。おれは役所にいった。カソリックの教会を紹介されたのは、救済支援というやつで住所や仕事が決まるまで金を貸してくれた。おれは「カプセルホテル神戸三宮」でしばらく過ごしながら──といっても午前中はそとにでなければならない──そなえつけのコンピュータで「文学極道」に書き込み、楽曲をひとつ拵えた、題して「夢は失せ、納屋は燃え、馬はくそをひりだす」、正味三十二分(いま制作してるアルバム内では三十七分に増量)。昼は神経科に通った。もちろん、アル中専門。そこにいる連中の、全員が気にいらなかった。長い時間をかけてくだらない薬や注射のためにわいわい、がやがやしてるのが堪らなかった。おれはよそもの、どこへいっても。そんな昔し噺はどうだっていい。
 ただおもうに「文学極道」はその長であるケムリを筆頭に数理な思考のものが多いようにおもう。高等教育によって手に入れた思考にものごとのすべてをなりふりかまわず、投げこんでるというのが、端からみてるおれの感想だ。特にケムリは五感だとか、肉体、肉声、感覚といった語をばかに厭う。どうにもやっこさんは数理や論理で解き明かせないもの、当てはまらないものは棄ててしまうのだ。だからあそこでマスを掻いてる連中、さらに排泄物を評価されてる連中の詩にはちっとも動かされるものがない。せめて葉っぱのフレディーくらい叩き落としてみせろよ!
 これではチャールズ・ブコウスキーがいったように「もし諸君に意味がわからなかったら、それは諸君には魂がないとか、感受性が貧しいとか、そういうことになる。だからわかったほうがいい。じゃなかったら諸君はそこに属していない。そしてわからなかったら黙っていること(「空のような目」)」しかできないじゃないか。あまりにもつまらない。頭脳派万歳! 失せろ肉体派!──ではいったいなんのために現代詩手帖を手コキおろしたんだ?
 「文学極道」の突起人、ダーザインこと武田聡人はコラムで書いてる、曰く「文学極道は、腐りきって再生の余地のない既成の文壇に作品を投じる気にならないネットの実力者たちが分離派として立ち上げ、発起4年で瞬く間に文学の最高峰といえるメディアへと成長した」。けれどもだ、やってることは矮小化された手帖のそれでしかない。撰考の根拠がみえない優良作、文学の話題しかできないひとびと。おれは詩誌を買わないように、たとえ「文学極道」が紙になっても決して買わない。かれらはなぜ詩が孤立しているのか、その理由がみえてない。おれがおもうに詩人どもが同類どもでしか動こうしないこと、詩や文学のおたわごとしか話せない、書けないこと。ひとえに雑食性が欠けてるんだ。サイトや「月刊──」の表紙をみてみろよ、あいつら視覚表現にまるで触れたことがないんだぜ。詩は退屈、へんちくりんななまえのが文学だのなんだのと、自己賛美をふりかけまわってるのをみてしまうのは、あたまのうえに鳥のくそが落ちてくるよりもつらく、わびしい。そもそも文学極道という名札がかっこつかない。おれなら却下するね。能弁に文学について語ってるやつらを傍目でみてると息がつまってくる。ほんとだ。「えいえんなんてなかった」といってるうちにけつを死に突かれるんだ。ばからしくて屁もでねえ。けっきょく趣きがややちがってるだけというお話し。ならべられてるのはちゃちなガラス細工で、きれいでもなければおもしろくもない。まして引力などというものもないから、一秒で忘れられる、利点といえばそれだけ。
 つい先日ひまつぶしにくだらない詩どもにコメントした。すると運営人であるケムリ(名は体を表すっていうよな、でも残念ながら臭いってのはネットワークに乗らないんだぜ)がこうのたまってた。曰く「独善的な言い切りと批評における論理構成が全くのゼロ、という点を差し引けば(とはいえこれを差し引いて批評が存在するか?という疑問はあるが)中田さんの評は割と正しいところを突いてることが多い気がする。こいつに同調するの割とイヤだけど、同調せざるを得ないみたいなこと結構あるわ。もーちょい論理を構築すること覚えろよあんたは。有能なんだからさ、そんだけ文章書けていい感覚してて出来ないなんてないだろ。人の怠慢を批判出来たギリじゃねーけど、もうちょいやれや中田この野郎」とのこと。おれとしてはいいかげんインターネットという桶のなかの海で、理論だのなんだのを唇ちにするのはもうたくさんなんだ。もうよせよ、そのひとを担ぐような半端で腥い言辞をよ。他人の書いたものにあれこれ、長ったらしく書き散らしたところで時間のむだというものだぜ。てめえのヤることであたまがおっぱいだってのに、金にも栄養にもならしねえ与太をやんなきゃねらねえんだ。だからけっきょくひまつぶしにしかならない。鍛錬というのならじぶんひとりで充分できるんだ。けっきょくかれとおれとでは考えがまるでちがってるという、たやすい事実が横たわってるだけだ。おれはじぶんの触覚を頼るほうがいい。時間もかからず、手も汚れない。汚物を素手で掻きまわすなんておれ、やんねえよ。だいたい、じぶんにとってよいものか、わるいものかの区別くらいはかるく眺めるだけで充分じゃないかね。
 「感覚や感情や肉体があることが詩の必要条件だとは思わないし、そんなもんゼロでも良い作品は書けると思うけれど」とか「論理構成が全くのゼロ」──そうやつはいうが、しかし疑わしいのはそういった論理や数理的思考からどうやっても洩れだしてしまうものを描くのが文学ではないのかということだ。人間性? まあ人間性などという語は今日日、年中看板磨きにいそがしい人権屋というテキヤどもの挨拶にしか聞えないが、いくらそれがくさりきったしろものにしろ、どこかでそれを露出させなければ、ただの文字列でしかないだろう。独創的かどうかなんてことはおれには興味がない。
 右肩の「悲さんノ極み」なんか、それのもっともたるものだ。あれにはなにもない。論理とやらがまだ息をしてるなら、その優れたところを教えて欲しいものだ。──いや、聞きたくもない。どうせまた屁理屈をぶつけられておわり。似たり寄ったりのあたらしい詩とやらには近寄らないことだ。かれらに認められるくらいなら、いくらでも時代遅れになってやるとしよう。
 貧しさや痛いめに遭うのを神聖視するつもりはないが、なにをどう表現するにもその表現とそれまでの生とのむすびつきと意味づけ、裏づけをしないのならそれまでだ。高等教育によって文学に目醒めました、なんていうやつをまず信用しない。してはならない。かれらのやりたいのは他人の魂しいカマを掘ることぐらいだ。だからおれとしては文学オタクのためにはいっさいなにも書かないし、かれらを愉しませたいなどとはちっともおもわない。その反対にじぶんの書くもの、読むものは、声があって、音があって、匂いや、手触りがあって、偶然と突発充ち、なんどしゃぶり尽くしても飽きないものを求める。おれがもっとも避けたいのは論理、数理、歴史、思想、流派などといったものでたやすく解説されてしまうもの。おれは自身のやりかたというものがある。それは批評性に頼って書かない、読まないことだ。
 「フォルムを重層化させ匿名化した音楽は、日常の雑音と何ら変わらなく聞える。そんなものをわざわざ金を出して、時間を潰して聞く位なら私は静寂を好む(岩見、同)」。詩についていうならば紙にしろ、インターネットにしろ、眼につくのは、すべてにおいて記名を喪った文字列、存在するかしないかのけむりでしかない。だれもかれも書いてるはけっきょくバケツのなかの海水であって海ではない。そとへとでていく詩ではなく、個室にこもるか、さもなくば閂をかけるようなものしかない。「おかのひとみ」というひとの詩がえらくよかったことのほかはなにもない。かの女はたった一篇で姿を消した。それがたったひとつのさえたやりかたかも知れない。
 いまおれが欲しいのは増幅装置──他者の眼に頼らず、まったくの独善でありながら伝達するための、むこうがわへ突き抜けるためのものが必要だな。

 まったく、ケム公のやろうめ。あんなくだらん、くさった詩人どもの巣窟についての、こんな便所紙の皺みてえな文章にまる一日潰させやがって! 今度からは用心しやがれ、火災報知機を仕掛けておくからな!──この中古PCに!

   説教者にはご用心
   物知りには要注意。

     ご用心
     いつも
     本を
     読んでいる
     者には

             チャールズ・ブコウスキー「群衆の天賦の才」



からっぽの札入れとからっぽのおしゃべり


 雑役仕事と金が尽きて、もうしばらくになる。おかしなもので足りないときほどしたくなるものだ。創作や自涜、どちらも空想と実感を一致させてゆくという点でよく似ている。台所には甘味料、香辛料、油、肉などなし。あるのはしなびた野菜のいくつかと、わずかな麺類。そしてとうとうあいてしまった靴の孔──そこへ公園のベンチがこちらに近寄ってくる。
 おかしなものであまっているときはこういった苦痛について、おそろしく鈍感で、まえにも遭った、経験済みの苦痛をまたしてもやらかしてしまう。反復また反復、おそらく精神医学じゃあとっく名札のついた動きなのだろうが、こちらとしてはどうにもならない。それを知ったところで日雇い事務所から電話がかかってくるだとか、自作の絵葉書が売れるわけでも詩が売れるわけでもなかった。
それもやがてはいまはむかし。遠近法にしたがって痛みは小さくなり、ちがった現在がふくれあがってゆく。そのひびきを待ちながら、わたしはこれを書く。
 なにものかになろうとするものの、魂しいの餓えは、現在のじぶんと自己実現を達したじぶんとのあいだに接点を見つけられないことによるものだ。それはつまり、おのれの生涯をあまりに連続したもの、巻物のようなものをたどっていっている、あるいは展げられていくように捉えてしまい、つねに現実でも夢想のなかでも「劇的」なるものを見逃してしまっているからではないだろうか。
 だからこそ書かれる作品もおのずとそれにしたがって、巻物のようなものになる。たとえば実現実の描写に終始してしまうことや、風景を喪った観念と情報の記述にかたまってしまう。こんなことをいうのもわけがある。わたし自身がつねに過古に囚われ、それを連続したものとして捉えていたために不足──なにも為せなかった年月と余剰──した慾望とにふりまわされ、飲酒癖に落ちこみ、可能性を狭めていたからである。さらに痛苦や屈辱の復讐を記号的体験のなかで晴らそうと躍起になっていたからだ。
 ほんとうに「人のサイクルは、いくつかの劇的エポックを核として生まれかわってゆく、不連続の複数の人生の集積である(寺山修司「アメリカ地獄めぐり」1971)」ならば、かつて教室で味わった疎外も、社会での孤立も飯場や病院や旅役者などを介した放浪も、すべてはまたべつの人生たちである。「去りゆく一切」がほんとうに「比喩」であるなら、過古という他国には今後いっさい、渡航しなければよいのだ。それをわたしは反省という名札にすりかえて密航したうえ、おのれを苛み、他人をうらんできてしまっていた。だから森忠明の指摘するように書くものにもおこないにも品性が失われたのである。──話しをすこし戻そう、「だから書かれる作品もおのずとしたがって巻物のようなものになる。たとえば実現実の描写に終始してしまうことや、風景を喪った観念と情報の記述にかたまってしまう」。 
インターネット上の詩人きどりの作品と、詩誌における詩人きどりの作品を比較してみるとよくわかるかも知れない。前者の多くは、過古と心情という情報によって書かれ、後者は観念と知識という情報によって書かれているようにわたしにはみえる。かれらはおもうに孤立した密告者たちの横一列の集まりだ。だがそのネタを引き受けるものはほとんどいないのだ。そのなかでやってる、小さな旗振り合戦ときたら、なんとむなしいことか。
 生前吉本隆明の発言でたったひとつうなづけるのは「最近の詩人の作品には風景がない」ということばだ。しかし最近とはいわず、ここ数十年はそれでまわしているようなさわりがある。
青森県六ヶ所村について歌いあげる長谷川龍生もアメリカ人夫妻と夕食をともにしたという中上哲夫も、完全にあちらがわをいってる吉増剛造にしろ、ブログで充足ぶりを語ってる城戸朱理にしたってあるのは密告だけだ。
 おなじように若いやつらも、久谷(「ほのかに明るくなるほかに」はわるくはないとおもう)、最果、文月、三角──あとは知らない──と密告者ぞろいだ。かれらはそろってあたまがよすぎる。なにもかれら個人のことをわたしはいっているのではない。
かれらのものをみるにつけ、文章技法に問題がないということのほかに誉めようがないし、憶えてもいられず、ましてや強く揺さぶりを起したり、ひっぱたいたり、撲りつけてもこなければ、なにものかを焚きつけもせず、やさしくささやいてもくれない。糞づまってるんだ。つまることは。
おなじことは政治についても社会問題についてもいえる。ひとの見える場所で鼻をほじってるわたしにもひどく露骨に映る。なににおいてもつねに必要なのは想像力だ。しかしそれにしろ、喰わしていくのは容易ではないから、大多数のひとびとは想像力を他人に預けることで日日のわずらわしさをすこしばかり、小銭ほどにやわらげているが、その結果がどこに向かうかについてとても無関心におもえる。べつにだれかをばかにしようってわけではない。じぶんだってそのなかのひとりに過ぎないという話しだ。
 そのいっぽうで現実はつねに現実だ。世を忍ぶ仮の──などいうものはない。あたらしい仕事をまわしてもらえないのも、いまポケットに数円しかないのも、作品が売れないのも、世間では底辺にいることも見過ごしてはならない。わたしの現実だからだ。現実にばかり縛られるのは苦痛を伴う。しかし夢想や観念のうちにいれば、いずれはそれに踏みつけにされるだけにほかならない。
すれちがう他人、遠ざかる風景、近づいてくる物体、それらをも含めて現実は、そこに生きる人物は構成されている。だから詩のなかでは本来「他人事」などあってはならない。すべてがじぶんをつくりあげているとおもいこむに至らなければ、ほんとうに詩情することはできないだろう。
 どこぞのだれかが書いていたが、その通り、わたしはふるい型の書き手である。いまだにポストモダンなるものがわからないうえに、読む本のほとんども四〇年はふるい。しかしわたしの狙いは時代遅れでいるということではなく、均一なるものに抗いたいということだ。インテリ諸君にいいたいのは、だれもがポストモダン以後を生きているわけではないということである。そんなものは一部の階層のやつらにしか通用しない。きみたちはみずからの内的思想地図とそとから吸った体系をあちらこちらでひりだしているだけだ。塵紙すら使わないまんまでだ。わたしは正直くそを喰わされるのはもうたくさんである。
ますます狭まる世界観、情が失せて詩だけが残った塵塚、そのなかにいて現れて来る、あたらしい詩人はどんなやろうだろう。
 少なくともジョン・ウィリアム・コリントンの、「ある意味で、詩は芸術のなかでも野蛮さを持ち合わせた存在でありつづけるだろう。──いや、そうあるべきだ。感動を与えず、美的センスもない詩は、もはや詩とはいえない('Charles Bukowski and the Savage Surfaces' in Northwest Review, 1963)」ということばに適ったやつを望む。ついでに映像を喚起しない、五感を刺激しない詩というのもごめんだ。 
余剰と不足が悪であれば、詩はますますたちのわるいごみくずで、悪臭を放ちつづけるだろう。詩人そのひとが、まがいものか、ほんものかの区別をつけるのはだれなのだろうか。それはいまのところ詩人本人以外にはいない。 
 わたしはなりたいものだ。死んだ詩人のなかで最高の部類に、──息をしたままで。実のところ、ふるくさい書き手といわれるのがことのほかよろこばしい。最新のぴかぴかしたものは苦手で、居心地がわるいから。 


   カレンダーが
   ひびわれの壁で
   笑いながらぼくを見る
   はがしてしまえばどんなに楽なことか──モップス「夕暮れ」1972


 時間と日日は間断なく、わたしを含めひとびとを嘲弄しつづけるだろう。そのおもざしにむかってどれだけの裏切りをやりとおし、既存とはちがう、わたし自身の時間軸によって生き、創作するのかが現在の課題である。情熱と方針のしっかりもつことだ。しっかりと。あとは運をつけること。──そろそろこいつを冷ましに冷蔵庫をあけるとしよう。あともうすこしはたえられるはずだから。
それではsayonara
 


19歳の紙片

  mitzho nakata

ぼくは退屈しない


 ぼくは退屈しない
 朝 目を覚ました とたんに窓のむこうから
 石がとんで来てガラスをやぶってぼくにとどいた
 石には 
 
 ── Bonjour! Ca va ? (こんにちは! 調子はどう?) ── 
 
 と書いてあった
 
 畑から飛んできたようで
 星型(hoshi-gta)のがらすのやぶれをのぞくと
 稲穂(ina-ho)のなかでかかしが笑っているのでぼくはたいくつしない
 いっぽんきりの安いシガレットを筆入れにかくして
 ぼくは昼の町へ出た
 
 町には いろんなごみがころがっていて面白い
 バケツを見つけたので蹴とばすと
 なかからカエルが出てきて
 唄を唄ってくれるので退屈しない
 映画館へ入れば ぼくのかわりに スクリーンで
 ぼくのにくい人を (にくくない人も) 殺してくれるので
 ぼくはいっこうに退屈できない
 
 しばらくたつと
 なつかしく
 スーパーマーケットの野菜がひかりだし
 
 もう夜か 
 
 と金色のバスにのって帰ると
 門の前にぼくの猫がぐったりしていた
 
 へんだなと思いつつ ドアをあけると
 真っ白い男が立っていた
 真っ白いサングラスでぼくを見る
 へんだなと思いつつ 書斎へ行こうとしたら
 
 「こんにちは! 調子はどう?」
 
 と どなって来たので
 
 「さようなら」
 
 と 返事したとき 
 
 ぼくは思い出した
 きのうのニュースにのっていた「白い無頼(bu-rai)」のはなしを
 
 まずいぞ どうにかして・・・・・
 
 考えるひまもなく
 ぼくはピストルをつきつけられて 
 いきなりに ズンッ と撃たれた
 ぼくは倒れ 白い無頼の男は 星型のやぶれから
 とんでった ぼくは倒れけど 
 香水のいい香りと少年らしい歌声(uta-goe)が どこからともなくするので
 どうやら ぼく は さいごまで退屈しないようだ
 そこへ また石がとんできた
 
 その石には ──Adieu (さようなら)── と書かれてある
 
 
 やっぱり ぼくは さいごまで退屈しないようだ


好きなもの

 昼より
 夜が
 愛するより
 恋することが
 なめるよりかみ砕くことが
 カタカナよりひらがなが
 降りる駅よりずっと先にある降りない駅の方が
 関西弁より東北弁が
 太宰治より織田作之助が
 文芸よりもアクション映画が
 渡哲也より小林旭が
 小林旭より宍戸錠が
 吉永小百合よりも
 松原智恵子が好きだ
 石原裕次郎なんてきらいだ
 ロックより
 昭和の歌謡曲が
 甘えられるから好きだ
 さすらいが
 アカシアの雨がやむときが
 黒い花びらが
 話しかけてくれる唄が
 くさくてキザなセリフが
 だれよりも飛びぬけた感情が好きだ
 つまり愛するってことをまだ知らないし
 やさしさはぜんぶ
 自己愛にとどまって
 どんどんどんどん淀んでいく
 たりないのは愛だとさ 
 あのツラで愛だとよ 
 恥ずかしくないのか 
 いちばん受け取りたいのは愛だってよ
 どうしろというのだ
 どこへいけというのか
 いくら困っても
 おまえらのところにはぜったいに
 いかないいけない
 いきたくない
 いくら一人一人を信じられても
 あつまりはきらいだ
 隣人と隣人とがとけ合うなんて信じられない
 なにもかもに孤立したい
 なにもかもを敵にしてやりたい
 サイクロン号でぶっ走りたい
 ばか高い詩集をぶらさげた詩人さんよ
 あんたたちの本なんて一冊も読みたくない
 きらいだ
 えらそうな子宮を持った女らよ、
 おれは同時にいろんなものを愛することができるのだ
 読者よ 
 天使とはきみたちのことだ
 おれはきみたちが好きだ
 うそだ
 ほんとうはどうだっていい
 ただ少しばかりほめられたいだけなのだ
 見えない夜明けに向かって
 おれのゆめが泣いてる 
 おれはなによりも
 ぶざまでなけれならないのだ
 しかしぼくは
 ぶざまなぼくよりも
 ぶざまなきみが好きだ!
 


詩へのリハビリテーション#01

  中田満帆

かつての愛のために


 去る年の一月
 吉原幸子を知った
 葺合警察の
 留置場にて
 かつての愛のために拒絶されて
 たったひとりで歳を迎えた
 かの女はこう書いてた

  傷つくことでしか確かめられないひとと
  傷つけることでしか確かめられないひとと──「鞭」

 いっぽうでアイリーン・ウェイドは、
 「いちばん悲しいのは
  若いうちに命脈が絶たれることでなく、
  醜く年老いてしまうことです」と書き残して自裁し、
 ポール・マーストンは、
 「なにもかもが演技だ、からっぽなんだ」といった
 ぼくがだれかを愛するのは傷つくため
 拒まれ、
 黙殺されることでしか、
 愛を確かめ、
 からっぽを埋めることができない
 ありふれたものがなにも手にできず、
 ぼくはぼくに執行猶予を科す
 それもみな
 かつての愛のためにってやつ 


カツカワさんからの葉書


 ぼくはカツカワさんの「ガラスの少女」や「猫の国」が好きだ
 ぼくは「まぼろしまぼちゃん」でかれを知った
 1992年
 まだ八歳で
 みずいろのはなみずと
 くさいろの冒険譚
 放課後はしょっちゅう近所の小惑星を旅して
 なんどもお母ちゃんを泣かせたっけ
 カツカワさんは
 ぼくの詩を「破壊や怒りを感じます」といった
 けれどあの詩はぼく自身のガラスの少女にむけたものだ
 ぼくが幻想分離装置を組み立てながら
 あの子のことをおもうとき
 鍵をかけたはずの抽斗からゆっくりと
 ミミ子さんや
 第七惑星清掃係が
 顔をだす


さよなら文鳥(2015)

  中田満帆

   永久のこと


 甘酸っぱきおもいでもなく過ぎ去りぬ青電車のごと少年期かな

 陽ざかりにシロツメ草を摘めばただ少女のような偽りを為す

 ぬかるみに棲むごと手足汚してはきみの背中を眼で追うばかり 

 かのひとのおもざし冬の駅にみて見知らぬ背中ホームへ送る

 いくばくを生きんかひとり抗いて風の壁蹴るかもめの質問

 われを拒む少女憾みし少年期たとえば塵のむこうに呼びぬ

 列をなすひとより遁れひとりのみかいなのうちに枯れ色を抱く

 引用せるかの女の科白吟じては落日をみる胸の高さに

 みずからに科す戒めよあたらしくゆうぐれひとつふみはずすたび

 夕なぎに身を解きつつむなしさを蹴りあげ語る永久のこと


   暮れる地平


 長き夢もらせんの果てに終わりたる階段ひとつ遅れあがれば

 けだものとなりしわが身よひとりのみ夫にあらず父にあらずや

 童貞のままにさみしく老いたれて草叢のみずみずしき不信

 給水塔のかげ窓辺にて抱きしめし囚人の日の陽光淋し

 愛を語る唇ちをもたないゆえにいま夾竹桃も暗くなりたり

 理れなく追い放たれて群れむれにまぎれゆくのみ幼友だちよ

 わかれにて告げそびれたる科白なども老いて薄れん回想に記す

 かのひとのうちなる野火に焼かれたき手紙のあまた夜へ棄て来て

 三階の窓より小雨眺めつつ世界にひとり尿まりており

 中年になりたるわれよ地平にて愛語のすべてふと見喪う


   草色のわるあがき


 きみのないプールサイドに凭れいるぼくともつかずわたしともつかず

 少女らしき非情をうちに育てんとするに両の手淋し

 夜ともなればきみのまなこに入りたき不定形なる鰥夫の猫よ

 妹らの責めるまなじり背けつつわれは示さん花の不在を

 馬を奪え夜半の眼にて燃え尽きぬ納屋の火影よわれはほぐれて

 きまぐれにかの女のなまえ忘れいるたやすいまでの過古への冒涜

 失いし友のだれかを求めどもすでに遠かりきいずれの姿も

 ぼくという一人称をきらうゆえ伐られし枇杷とともに倒れぬ

 だれも救えないだろうふたたびひとを病めみずからに病む

 つぐなえることもなきまま生ることを恥ぢ草色の列へ赴く


   れいなの歌


 野苺の枯れ葉に残る少年期れいなのことをしばし妬まん

 うつろなるまなこをなせり馬のごと見棄てられいし少年の日よ

 背けつつれいなのうしろゆきしときもはや愛なるものぞなかりき

 うちなる野を駈けて帰らん夏の陽に照らされしただ恋しいものら

 われをさげすむれいなのまなこ透きとおり射抜かれている羊一匹 

 拒まれていしやとおもい妬ましき少年の日の野苺を踏む

 触るるなかれ虐げられし少年期はげしいまなこして見るがいい

 曝されて脅えしわれよ九つの齢は砂をみせて消え失せ

 拒絶せしきみのおもざしはげしくて戦くばかり十二の頃は

 素裸のれいなおもいし少年のわれは両手に布ひるがえす


   さよなら文鳥


 けものらの滴り屠夫ら立つかげに喪うきみのための叙情を

 車窓より過ぎたる姿マネキンの憤懣充る夜の田園

 六月と列車のあいま暮れてゆく喃語ごときかれらの地平

 握る手もなくてひとりの遊びのみ世界と云いしいじましいおもい

 手のひらに掻く汗われを焦らしつつ自涜のごとく恋は濁れり

 さよならだ花粉に抱かれふいに去るひとりのまなこはげしいばかり

 茜差すよこがおきょうはだれよりも遅れて帰路をたどり着くかな

 ひとよりも遅れて跳びぬ縄跳びの少年みずからのかげを喪う 

 かみそりの匂いにひとり紛れんと午后訪れぬ床屋の光り

 かつてわがものたりし詩などはいずこに帰さんさよなら文鳥


枯槁

  中田満帆

 頬を打って、
 小径から冷めた霧が、
 遠ざかる、
 みそひともじの歌声は、倫理の、
 呼びかけと
 はらからのうらぎり
 うつくしい児や、
 《まなざしの》 
 うらめしい児や、
 《まなざしも》
 みてぐらとともにおまえの日の戯れも、
 火のなかへ焚べてしまえ、
 藤袴。
 石はかの女を見てる
 嵯峨野の官吏から
 安積の沼地。

 ひとの燃える温度
 薪をわる手斧は
 もはや薪をわるだけでは済まされない
 古帽のなかへ顔を匿い、
 地唄で土を這う
 雨だ、
 ふるき吉野の苜蓿
 またしても経験へと降りしきる、
 雨だ、
 きみはきみを殺す
 どうしてそんなことに
 《まなざしの》
 どうしてそんなことで
 《まなざしを》
 あなたは海を見てる
 サハラの兎唇も
 芦鶴の逢坂も
 それからずっと枯槁
 それからずっと枯槁


遺稿集’03-’17

  中田満帆

ブロスの下着


  だれかおれを連れ去って欲しい
  たとえそのだれかが
  きみであっても
  それはとても素敵なことで
  長い孤立からきっと
  救ってくれる 

  おれの人生に勝ちめなんかないのは知ってるとも
  まちがってることが多く
  ただしいものはあまりなくとも
  語りかけてみたい
  すべてを

  女を知らないやつがこんなものを書いてるんだ
  嗤いたければそうするがいいさ 
  平日のマーケットで
  金色の星を浴み 
  ブラームスのピアノ作品を聴きながら
  ブロスの下着を撰びたい

  そしてアパートに帰って
  シュトラウスのドン・キホーテをかけながら
  かの女がくそをしたあとの、
  便所の水のながれをずっと聴いてたい
  ずっと聴いてたいんだ
  それはきっと
  美しいにちがいない


清順が死んだ夜

 
 一期の夢やまぼろしのなか
 映画音楽というものはおそらく
 残り香に過ぎない
 フィルムにしたっていつかは滅びて
 棄てられる
 多くのひとの夢は
 おれ自身の夢と拮抗し、
 またちがった現実と入れ替わって、
 まざりあうだろう
 だからなにも悔やむ必要はないんだ
 いっときの愉楽のためにこの世界に映画はあるんだから
 わるいやつらはみな殺しすればいい
 車には火を放てばいい
 かわいい女の子たちには悪女としての余生を与えてあげればいい
 だれだってほんとうはいいひとにはあきあきなんだから
 清順が死んだ夜になって
 おれは働いてた酒場で
 「殺しの烙印」の音楽をかけた
 もしかすれば「くたばれ悪党ども」のほうが
 よかったかも知れない
 おれだって
 できることなら
 星ナオミと
 チャールストンを踊りたいから
 あるいは禰津良子と
 死んでしまいたいから
 映画には見せ場が必要だ
 小津は退屈だ
 熊井は社会派という迷妄に終わった
 中平は黒い羊だった
 蔵原はヌーベル・バーグをプログラム・ピクチャアに灼きつけた
 そして清順は「映画なんか娯楽だ、滅びてなくなってしまえばいい」とかぼやき、
 倒れた壁のむこうにある、
 純白のホリゾントは血の色になって、
 なにもかもが伝説として
 嘲笑されるのである
 清順師、
 あなたにいえることはなにもありません
 ただ天国などというものはさっさと爆破してしまってくださいませ
 調布の撮影所よりもたちのわるい代物を
 売れ残った復讐天使たちとともに

  いつか
  お会いしたいです
  では
  お元気で


かろうじて


 じぶんだらけの身勝手な愛のなかで
 クローゼットが倒れ
 机が逆さになる
 冷たすぎるんだ、
 なにもかもがっておれがいった
 ぼくはなにもいえなかった
 かれはすべて室をめちゃくちゃくに
 室のすべてをめちゃくしたにしてった
 おれはさもしい
 それはぼくだっておなじ
 かろうじて掴みとったのはおれのなかの月の光り
 月の光りのなかで立ち止まってるぼくの姿だ


トイレット・ペイパーに書かれた最後のラヴポエム


 鳥が
 落ちる
 季節のなかへ落ちる
 真昼のスタンドバーでレインコートを脱ぐみたいに
 
 もちろんのこと
 かの女らの人生にぼくはなんらかかわりはなく
 ぼくの人生にかの女らはなんのかかわりもない
 いくつかの断章とともに
 燈しを消すだけ


ぼくの雑記帖(03/06/17)──詩の処女作


 テレビのなかに新聞記事の荒野が見えた
 するとぼくの雑記帖のなかにも
 再現された路地裏が貫通した

 ぼくの右の耳がぴくぴくと動いてラジオを差したとき
 新聞記事の荒野には
 ラジオ欄の畑ができて
 さらに番組の実がなった

 そしてぼくの雑記帖のなかには
 ラジオでかかった歌のなまえや
 テレビに映ったぼくとおんなじ名前の女の子のことが
 下手な字になってざわざわとなびいていました。


12月の旅
 

  どうしてそんなところで
  わたしの声がするの?
  どこまでいっても
  声がするの?  

  12月たち
  ひと知れず死なば真砂の
  光りなき峪
  ひらいた手のひらで
  おまえの、
  なかの
  もの
  に
  気づく

  旅のおもざしは
  冬
  しがらみのないからだを解いて
  どうしてそんなところで
  わたしの声がするの?
  どこまでいっても
  声がするの?

  
ハイク・イン・ザ・スロウ


 六の花融けてなお見つむる猫

 はつゆきや聖人どもは役立たず

 きみとまだファックしてない冬ごもり

 死ぬときはひとりぼっちだ寒煙

 桃の句や口寂しかれひとりみち

 弁天の絃切られをる杜の霜

 放埒をわびる術なし花曇り

 麦秋を待ちてもゆかこ姿なく

 走る河亡き妹の冬を充ち

 春は死地さくらの国の墓地を見て

 死ぬことも思し召しかと若き葉桜

 未明聞く狂女の声や雨季近き

 花曇り鰥夫暮らしの果てぬまま

 だれに打ち明けん桜の幹に棲まう小人を

 桜昏し男のくせにパフェを喰う

 沖仲師うしろしぐれる波止場かな

 春雨の夜や徒寝は寂しかれ

 失童の夢見る春の草枕

 欠伸して死ぬる天使よ土瀝青




 ある夜、おれは夢のなかを歩く
 たとえば岡山県美作市下町
 祖父の製材屋があったあたりをずっと歩く
 かれは養豚場もやってて
 どの道もかれの使用人たちが
 豚のくそを積んだ荷車で
 村道を進んでた

 そいつは3歳のおもいでだった
 おれはモーテルで、
 半分に切り取られた車に乗って
 鰯のステアリングを握る
 脂が心地よく、
 おれの手に馴染む
 あるいは、──とおもう、
 飜えるかぜのなか

 かれらの人間性?
 かの女らの人間性?
 あるいはおれの人間性がベーコンみたいにわるい臭いを放つ


夜[2004]

  中田満帆





 おもてに広がっていく夜
 たった二つ三つ文字盤を擦っただけで
 もう、そとは黒
 ひとはマッチをたずさえ
 夜というものにそなえる
 黒のなかに姿が消えてしまわないよう
 ロウソクに火を点し
 音が消えてしまわないように
 楽隊を呼ぶ
 そうしてみなは呼ぶのだけれど
 おれの楽隊は皿の料理から生まれ
 食卓のなかでいつもゆがんでいる
 ほら、
 フォークを掴んだら
 演奏が始まった
 この音がそちらにも聞えるだろう
 この姿が近眼のあなたにもおわかりだろう
 もっと近づいて
 よくごらんください
 あいつのトロンボーンの舳先へ
 ゆっくりと流れていくやつの唾液を
 あいつのギターの弦から染み出した肉汁を
 ドラムのヘッドで踊るコンソメスープと具の玉葱を
 もっと近づいて
 よくごらんなさい
 お気に召しましたか
 この気持ちのよい演奏を
 しかし食べ終わると同時に崩れてしまうのです
 もっと近づいてよくごらんなさい
 トランペットとトロンボーンが
 仲良くハンバーグに融けましたね
 サックスはライスをギターに吐きかけて消え
 ベースは声をあげてドレッシングの壜に倒れた
 最期にピアノが余韻を残しながら
 残ったスープに沈んでいく
 おれの楽隊はいつもこうして崩れてしまう
 もはやロウソクの火も消え
 黒に染まりながら
 悲しみに堪えきれなくなったおれは
 やけになって皿に顔をうずめる
 そして心にもないことをいうのだ
 やめてくれという胃のなかの悲鳴を聴きながら
 おれのからだは
 半分、黒
 ああ、もうすっかり不良少女になってしまったYよ
 染まりきらないうちに結婚してくれ
 いま、おまえが欲しいのだ
 おれの楽隊は消えて
 もうなにも残らない
 ただ夜があるばかりで
 もうおれもいない


詩集「ぼくの雑記帖」無料配布記念 


鉛の塊り

  中田満帆




   *

 死んでいったもののためにできることはない
 去っていったものたちのためにできることもない
 だからか、
 おれはおれの断片を刻み、
 それは麦となり、
 荒野なり、
 驟雨となる
 ぬかるみのなかの眼
 おまえはきっと幸せになるだろう
 なぜって?
 それはおれからはなれていくからだ
 麦をしながら
 おれは読み、
 荒れ野しながら
 おれは書く

    *

 あらゆる天体はおれ自身がうつろであることを告ぐ
 あらゆる地層はおれがつかのまでしかないことを捧ぐ
 あらゆる生物はみな淘汰されながら生きながらえ
 姿を変えることで時代をいなおる
 魚が魚であることによって海は青く
 狐が狐であることによって森は繁るけれども
 ひとがひとであることによって町はぬかるんでる
 もはや赦されることなどひとつもなく
 おれはきみのかげを踏んづけて遊ぶ
 
    *

 死んでいったもののためにできることはない
 去っていったものたちのためにできることもない
 だからか、
 夜更けた通りを中心地まで歩き、
 かげで遊びながらずっと、
 ずっと遠くにいる、
 きみのなまえを
 いま呼んでる


ざくろ/きらきら

  中田満帆

ざくろ


 その男はいった、
 息子が死んだよりも柘榴が折れてしまったのが
 なによりもかなしいと
 その木は根元から大きな嵐と抱き合って 
 そのまま死んでいた
 その男は柘榴を燃やし、
 その灰を柩にした
 そして黄昏の光りのような女と暮らし、
 やがて死を迎えた

 その妻はいった、
 あなたが死ぬよりも
 あなたのかつての息子が死んだのがかなしいと
 かれは咽に林檎をつまらせて死んだ
 かれはいまも墓に葬られず、
 埃をかむった闇のなかで眠る


きらきら


 すべての訓示をやぶり棄てたときから、 
 そうしてふたたび滝のおとが失せた
 あまりにねぐるしい、
 にんげんの家で
 だれもが耳を
 欹てる
 たったひとりぼくは廚で麺麭を焼いてる
 だれかが庭で黄葉を踏む
 たしかに滝は枯れてしまったんだ。 

   *

 斑鳩の空にいまだ、
 たどり着いてないというのに
 もうきみは眠くなって、
 ぼくにだだをいう
 それでも、
 決してはなれないでいる
 それはやさしさのためでなく、
 最愛を滅ぼすため、
 見なよ、
 柘榴の木が燃えてる。

   *

 鶺鴒の森は焼かれ、
 打たれるがまま、
 欲しいままにされて、
 うつくしく濁る、
 水よ、
 水よ、
 石の柩にきみは跨がって、
 黄金水を放てばいい
 報いをくれてやれ、
 塔の主に、
 城の主たちに、 
 かれらは遁れ、けものがれ、
 われらは両目をつりあげて、
 やがて狐となりました。

   *
  
 きらきらっ、
 光りがまぶしいね
 きらきら、
 光りがきれいだね
 きらきらっ、
 みんなと一緒だから怖くないって、
 きらきら、
 ないにも見えない、もう聞えない
 きらきらっ、
 きみはもういない
 きらきら、
 斑鳩の果て、
 雲路に、
 毒が、
 混ざっております、 
 あれが鰯雲です。
 


好きなもの(2004)

  中田満帆

好きなもの(2004)


 昼より
 夜が
 愛するより
 恋することが
 なめるよりかみ砕くことが
 カタカナよりひらがなが
 降りる駅よりずっと先にある降りない駅の方が
 関西弁より東北弁が
 太宰治より織田作之助が
 文芸よりもアクション映画が
 渡哲也より小林旭が
 小林旭よりが宍戸錠が
 吉永小百合よりも
 松原智恵子が好きだ
 石原裕次郎なんかきらいだ
 ロックより
 昭和の歌謡曲が
 甘えられるから好きだ
 さすらいが
 アカシアの雨がやむときが
 黒い花びらが
 話しかけてくれる唄が
 くさくてキザなセリフが
 だれよりも飛びぬけた感情が好きだ
 つまり愛するってことをまだ知らないし
 やさしさはぜんぶ
 自己愛にとどまって
 どんどんどんどん淀んでいく
 たりないのは愛だとさ 
 あのツラで愛だとよ 
 恥ずかしくないのか 
 いちばん受け取りたいのは愛だってよ
 どうしろというのだ
 どこへいけというのか
 いくら困っても
 おまえらのところにはぜったいに
 いかないいけない
 いきたくない
 いくら一人一人を信じられても
 あつまりはきらいだ
 隣人と隣人とがとけ合うなんて信じられない
 なにもかもに孤立したい
 なにもかもを敵にしてやりたい
 サイクロン号でぶっ走りたい
 ばか高い詩集をぶらさげた詩人さんよ
 あんたたちの本なんて一冊も読みたくない
 きらいだ
 えらそうな子宮を持った女らよ、
 おれは同時にいろんなものを愛することができるのだ
 読者よ 
 天使とはきみたちのことだ
 おれはきみたちが好きだ
 うそだ
 ほんとうはどうだっていい
 ただ少しばかりほめられたいだけなのだ
 見えない夜明けに向かって
 おれのゆめが泣いてる 
 おれはなによりも
 ぶざまでなけれならないのだ
 しかしぼくは
 ぶざまなぼくよりも
 ぶざまなきみが好きだ



新年の手紙(2019)


 セイコさんから本の返しにとクッキーを戴く
 ぼくはかの女に瀬沼孝彰を貸したんだ
 かの女とはあそこ──文藝投稿サイトで知り合って8年になる
 そしてオノウエからは年賀状
 曰く自転車事故で頭を撲ってしまったという
 かの女がかつての同級生で、
 いまは雅楽師──クラス会で耳にした──というほか、
 ぼくはかの女のことをなにも知らない
 なまえ以外のものを得るにはあまりにへだたりがあるということ
 禁酒して3ヶ月というのにぼくの腕はまだひきつってる
 陸のうえで愉しくやってるmalingererたちみたいに過ごしたいのに
 いつまでぽくはふるえていればいいのだろうか
 とりあえずセイコさん、ありがとう
 オノウエ、どうもありがとう
 ぼくらみたいな関係をうまく表せる辞を知ってる?
 ただの知人?
 それとも古なじみ?
 いずれにせよ、ぼくはあたらしい詩を書くつもりだ
 そいつが手紙と呼ばれようが、
 写真と呼ばれようが、
 ぼくにとってはすべてが詩だ
 きのう凍てついた看板を工夫が地上へ降ろすとき、
 ぼくにはあいにくカメラがなかった
 いまでも惜しくおもえてならない
 だからぼくはこいつのことを写真と呼ぶことにする
 おもわず、みずから反省させてくれるあなたがたのようなひとがいて
 ぼくはうれしい、とおもう
 安い紅茶でシアナマイドを呑みくだし、
 またしても宛名のない手紙をばら蒔いて歩く
 あなたがたのように少数のひとびとのために歩く
 


小詩集〓

  中田満帆

裸足になりきれなかった恋歌


 とにかくぼくがいこうとしてるのはきみのいない場所
 トム・ヴァーレインにあこがれる女の子のいる場所
 リアルさがぼくをすっかり変えてしまった
 現実の鋭利さ、あるいは極度の譫妄、
 それらの果てで、いままでのあこがれがぜんぶ砕かれたんだ
 きみのことだってもはや小さななにかさ
 終夜営業のガス・スタンド、
 その窓に残された指紋や伝言みたいなものさ
 きみがいる世界、
 あるいは場所、
 それはもうぼくとは関係がない
 繋がってしまうことなんかできないのをわかってる、識ってる
 溶接工が季節のなかでアークを操る
 なにもかもが繋がれてしまうなかでぼくはいつも取り残されてきた
 でもぼくはそんな場所からでていこうとしてるんだ
 なにが将来か、
 なにがアカシアか、
 けっきょくぼくはきみらの世界にはいらないんだ
 けっきょくぼくはこっから去るほかにできることはない
 きみの胸に、どうか朝露を、
 っていうのは感傷?
 それともなりゆきでしかない?
 ぼくには唱える神もなく、
 火のなかで飛ぶ夢を見て、
 はるか胸の奥で、ひとりうなづく
 ハロー、
 ハロー、
 ぼくがもはや、きみに応えないことを信じながら、
 きみがもはや、ぼくに応えないことをおもいながら、
 アデュー、
 アデュー、
 もうじき長距離バスの時刻だ
 荒野がぼくに展がる
 地獄がぼくの手綱を引く
 普遍性よ、
 それがきみのなまえだったっけ?
 初恋よ、
 それもきみのことだったっけ?
 ぼくはもう大丈夫だから、
 ゆっくりと杭を抜いて、
 ふたりしてなにひとつ分かち得るもののなかったことをゆっくりと曝して、
 そしてぼくの月のようにうしろをむいたままで、
 ぼくを罵って、
 ぼくを解き放って、
 欲しい。


それはまるで毛布のなかの両手みたいで


 いまでもこの場面を路上で叫ぶものがいる
 幾晩も眠れない夜を送った
 夜のほどろにはそんな人間ばかりががらくたみたいにいる
 いまのわたしがどうなっていくのかを観察しながら
 燃えあがるスカートを眺める
 水鳥が死んでる
 片手には斧、
 もう片手には愛が咲く
 それはまるで毛布のなかの両手みたいで
 あったかいんだよ、アグネス
 でも追いつめられるんだよ、アグネス
 みんながそれぞれの通信のなかで、
 蛸壺に落ちただけなら、
 技術なんておとぎばなしだ
 光りが歩く
 警笛がたちどまる
 かれらかの女たちは始めたんだよ、アグネス
 けれでも放送が突然に切られて、
 信号が変わる
 表通りで自転車が発狂し始めたのを皮切りにして、
 町のひとびとが凶器に変わった
 いや、それを撰んだといっていい
 エリンは燃えながらワンピースをゆらして踊った
 ケンゾウは新聞記事で家を建て、
 スティーヴンは星狩りの舟に乗り、
 それぞれのちがったおもざしを光らせて、
 第7惑星の空にちらばっていった
 わたしが聴いたのは
 最後の2小節、
 警告と発展だけだった
 ジェーンがキヨコの手を握って、
 なにも形成されないところで起きた、
 現在が発生する磁場の衝撃波がした
 そしていまはもうだれも残っていない
 だけどアグネス、きみは受け入れることができるんだよ


roadman


  映画「ホーリー・モーターズ」に寄せて

 
 横たわってしまいたい
 たとえば毀れたラジオのように
 死を恥じることのない終焉を描きたいとおもう
 自動車がゆっくりと通過してゆくなかで
 なにもかもが意味をなさず、
 だからといって、
 貶められもせずにいる、
 そんな風景を見たい
 かつてわたしは
 入り口のない町にいた
 片足の男がモップを片手に歩いて去る
 濡れたモップの、毛先の痕が通路を光らせる
 やがてなにかが訪れそうで、決して訪れない
 問いかけた貌はやがて漂白されて立ち止まる
 ふたたび夢を建築するためか、
 男たち女たちが倉庫のなかに都市を再現する
 じぶんの人生を再現する
 なにがまちがいで、
 なにが正しいかは役者次第
 きみを演じる他者のためにいったい、
 どんな柩を用意するのか
 ゆっくりと明けてゆく通り
 だれかのおもいを曳航しながら、
 不滅という二字に敗北するだけの生活
 ロードマンはいつ眠る?
 
 もしここにきみがいたなら
 ぜったいに赦しはしないだろう
 きみの代役を射殺すべく、
 狙いを定めるだけだ
 おれは車のなかで衣装に着替える
 だれかの人生を確かめるため
 再現するために着替える
 だれともわかちえず、
 さらに誤解されるための人生
 たとえば腐った果実のように
 死を曝すことに脅えず、
 またこれを善しと見るとき、
 かならずだれかがおれの手を使って、
 舞台をばらまいてゆく
 緞子がかぜにゆれ、
 したたかにいま、
 頬を打つ
 迷いそこねたあまたの男女が
 列をつくって発送窓口にならぶ
 左手の指が3つない男とむかい合い、
 書類に記入する情動
 午から夜にむかって走る馬のようなひと
 夜から朝にむかって眠る草のようなひと
 だれかのおもいが憎たらしくなる
 声のとどかない帯域に沿って、
 ロードマンはいつ眠る?


夢の定着液


 蟻塚によじ登る夢を見た
 じぶんがアリクイになった夢
 過古からやってきてはやがて現在へと定着する夢
 落ちてきた不運をみなスクリプトしつづける夢
 ぜんぶがじぶんの不始末からはじまってる
 それが夢のなかの、
 あらゆる穴に符号する、
 ゆるい神経痛だ

 「ダニエラの日記」をだれか買っておいてくれ
 いつでも悪夢を見られるような、
 仕組みが欲しい、
 つまりはいつでも、
 眼を醒ましてゆっくりと、
 現実を定着できる液体が欲しい

 旧十和田駅、
 製材所があったあたりで泣き声がする
 そうさ、まさしく人間が泣いてる声だった
 しかしその駅すら、もう2年まえのまぼろしだ
 果たしてそれはほんとうに人間だったのか

 アリクイの鼻が鳴る
 定着液が誤って零れたんだ
 ぼくはもう人間には帰れない
 どうか人語で話しかけないでくれ


植物図鑑/最期の戦い


 雨あがりのビル街で待ちくたびれた動画とともにして、
 黄色い茜が
 楠木のもとで啼く
 首に搦むは絞首用の縄
 くるぶしに罠を〆めて
 逆さにされた聖母が証言する、
 嘘だ、
 判事は賽を流れ、雪のなかで蘇る蛙
 しだれ柳が断線した
 傍受された野菊が
 ひとりずつ自裁するのはたぶん、
 過古からやってきた男の断面図のせい
 ひとが詩に、辞が屹立する
 おまえはことばなのか、
 おまえはことばなのか、
 棕櫚の枝で左手が泣いてる
 オープンリールの建築家が愛撫を玄関するようになって、
 もはやだれがことばのかがわからない
 容疑者は3丁名の夕日、
 背丈は6フィート、2インチ、
 仕様はカラーで、ステレオを内蔵とのこと、
 目下、極秘裏にて追跡調査を怠るな
 そしてぼくがまちがって追われる
 最期の、水禽の過ちが、
 桶のなかで融けて、
 乳飲み子たちの、
 箒を切欠に、
 どうしたものか、
 声がいう
 死に絶えたものに声を与えることはできない
 他者におのれの声を語れといってもそれは期待できない
 ただ戦くものらとともにして、繰り返すがいい
 舟に乗った青い山賊とともにしてぼくらは麦を吹く

  枝を洗え
  うろを洗え
  そして畝を洗え

  枝を洗え
  うろを洗え
  そして畝を洗え 

  枝を洗え
  うろを洗え
  そして畝を洗え(*repeat) 

文学極道

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