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∧ ∨ 9270 : 廴の彩_zero 若宮めぐみ '16/11/17 09:10:35
「光がZero に等しい、」と、兎。銀いろの耳をふりふり、「赤い時 計から 今,
迫りでた カオ ス、わたしが 七カマドの耀に くべる としよう。」
11月の、森の陽はちろちろ燃えイノチが一途に発色しています。
「まぎれもない 辛抱が コップリ,コップリ 貯 えられ、」と、栗鼠。飴いろの頬づえ
をつき、「まがいものなく命 の 水になるから、まちぼうけの赤い時 計から 昔,
毀れた コスモ ス、まちどうしくて逆もてぎに 七輪,挿して いったよ。」
勝手の、土つき男爵たちは、押し合いへし合い泥仕合いしています。
どうやら垢ぬけ、コンロのうえでおしゃべりを始めたようです。
「秋の、縫い目には」
「 だれもが、」
「 摂理のスリープ,ストレイシープって いってた。」
「紅い実 は眠らず、」
「あぁ、」
「私はちっとも 眠れない。」
「空は、」
「砂糖菓子が哀しくなって揮発した」
「Indigo」
「ブルー,ブルー,ブルー。」
「片時も!」
「忘れてなかった、私の 靴。」
ぐつぐつ ξもおイモも想いも、ごった煮込んでいます。
あい色の、秋の夜長…
ちいさな泉のそば、トチの大木はみんなの暖かなお家です。
黄いろい大きな葉は、虫たちの暮らしの夢床です。
「古今東西,なにせ医学書にもないこと、この命の 水を、ホーホー捧たる筆に縒り
合わせて秘鑰にし、だれにもホーホー分かる様 つづる としよう。」とは、梟の、
金いろの胸づもり。
頃合いも煮えて、宵あんばいです。
宴卓は、ナベとなべてサラの白い花がさいています。
いま、耳をくすぐった・・
あの扉のベルは、風のいつもの挨拶でしょうか。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161117_264_9270p
若宮めぐみ :
初投稿作品です。よろしくお願いします。 ('16/11/17 09:15:16)
∧ ∨ 9268 : 薔薇の花 ねむのき '16/11/16 04:26:23 *1
清潔な剃刀の刃を
止まない雨にあてると
雨は血になり
薔薇の花びらはさらに赤く
ひろがっていく
5月は
永遠に5月のまま
ソファのうえで溶ける檸檬の
匂いがした、無音の
テーブルに置かれた新聞にはいつも
なにも書かれていない
あるいは
五線譜のような電線
そのすきまを街並みが
海へむかって移動していく
動かない電車の
窓を、いつまでも眺めていた
ぼくの手は少しだけ腫れていて
つぎの駅を降りたとき
口のなかは血の味がしていた
雨の線
その両端を
そっと折りたたむように
赤い傘をひらいた
いま、
白い服のうえに
さらに白い上着をかさねている
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161116_210_9268p
山田太郎 :
おおむね音楽を視ているようなうつくしいイメージの現出と崩壊、
(まるで炭酸ソーダーのような)がみられるのだけど、
ラスト、
白い服のうえに
さらに白い上着をかさねている
発想はいいのだけど、ここが、すこし重く感じた。
あとこれだけ繊細な、季節をともなう言葉なのだから、
「永遠の5月のまま」とはいえども、時節を
考えて投稿して欲しい。朝の寒くなんったこの頃に
はどうもねえ。
− 表示切替 − ('16/11/16 04:46:27 *3)ヌヌ対 :
いま文極で一番レベルが高い書き手はねむのき氏ですねェ ('16/11/16 11:59:39)アラメルモ :
詩とは斯くあるべきだ。
詩情に対する生真面目で真摯な思いを、ねむのきさんの詩からは印象付けられます。
きっとナイーブでおおらかな感受性をお持ちなのでしょうね。此方の代表でもある、みつとみさんの詩想などを思い浮かべたりもします。
一瞥すれば揶揄や言葉遊びに頼る詩ではないのがわかります。
それ故に、置かれた表現にも集中して入っていくこともできます。
豊かな詩情性を意識して書かれている。しかし冒頭がいつも気になるのは何故でしょうか。
清潔な剃刀の刃を、止まない雨にあてると、雨は血になり、~薔薇の花びらと詩に表現される、それが赤色ならば熱愛を意味する感情的な色。生き物に流れる血を意識してしまうのは比喩として通説です。では清潔ではない、汚された剃刀の刃をあてれば雨はどのように変化してしまうのでしょうか?
その応えのようなものが終わりの方に白い服や上着と清潔さで表されている。
血の味、赤い傘。薔薇の花とは赤い傘の喩えでしょう。ここに表された白さとは、電車からみつめる既視感に彩られた虚無のようなものでしょうか。
その白さが意味する清潔なもの。
では清潔な剃刀の刃ではないものとは何でしょう?白い色と表面で表されているだけでは、その内面までは捉えにくいですね。
たとえばその応えにもなるキーワードがタイトルなどで表されていたならば、冒頭に置かれた必然性もより強く胸に響いてくるのではないか。
そのように思うのです。
− 表示切替 − ('16/11/16 14:30:15 *4)空転 :
色の重ね方、というか色を使った修辞に(作中話者ではなく)書き手の欲が見える。
それが透けて見える時、くどさを感じる。もったいない。
重複構造はもっと繊細に扱って欲しい。ねむのきさんだったら、出来ると思う。
剃刀を「鋭く」「薄く」「切るもの」として登場させるのも凡庸。最終連の初行から三行目までの被打撃の鈍さとの対比が上手く活かされていない気がする。
ツメが甘いけど、俺はきっとあなたの作品は嫌いじゃないんだろうな。 ('16/11/16 19:26:57)水城歩 :
とても面白く読ませていただきました。
色彩が鮮やかでいいですね。
「薔薇の花びらはさらに赤く/ひろがっていく」
「白い服のうえに/さらに白い上着をかさねている」
赤に対してより赤い赤を、赤に対して白を、白に対してより白い白をぶつけて際立たせているところなど唸りました。赤の強度、白の強度。
あとは、転換に使われている第三連はじめの「あるいは」とか地味にすごいと思いました。ちょっとした力技だと思うのですが、自然な感じがしますね。
− 表示切替 − ('16/11/17 00:27:15)アラメルモ :
喩の結び付きに関連性がうすい。などと野暮なことは言いたくもない。
もう一度読んでみたのですが、どうしてもニ聨と三聨の関連性が気になりますね。
それで、色を中心に聨の結び付きを五感で受け止めてみました。
視覚、臭覚、味覚、物の触覚と、気づけば聴覚に応えるものが表現されていないのがわかります。
つまり僕が現在するという視覚から耳に受け止めるための音の情報。空間を意図した風景などの遠近的な描写が具体的な象として欠けているのがわかりますね。移動などが五線譜で活かされてないのです。
この辺りがニ聨三聨に書き込まれていたならば、必然的な結び付きも強くなり、もっと詩は立ち上がるでしょう。
たとえば薔薇の花びらを、花言葉のように感情に置き換えた言葉として喩えるのか、それともこの詩のように身体的な捉え方で探るのか、このままではタイトルの薔薇の花が浮いている気がします。
読んでみてわたし自身にも勉強になりますね。喜ばしいことです。
− 表示切替 − ('16/11/17 01:57:17 *7)こざかな :
上手いんだけど無駄が無さすぎて全然面白くない。
テレビでさ、なんかTOKIOが作ったオリジナル米をさ、
確か米ソムリエだとかいう、霊媒師みたいなおばちゃんに食べて貰ってたんだけど。
「美味しいけど旨味がすっと抜けてしまい、後に残らない」
的なこと言ってて、まあ、ねむのきさんTOKIOじゃないし、その詩も米じゃないし、
僕も霊媒師みたいな米ソムリエじゃあないんだけど、
ほんとまさに、そんな感じ。
僕的には、この手の抒情詩ってあまりにも綺麗に削ってしまうと、
その人のサインみたいなものすら見えなくなってしまい、
誰が書いたのか区別が付かなくなる。のがよかないなと思う。
− 表示切替 − ('16/11/17 04:28:09)若宮めぐみ :
「清潔な」裁ち上がりが「白い」服になったので、その工程に
パターン裁断をする人の手の、美しい動きをイメージしました。 ('16/11/17 07:55:38)
∧ ∨ 9267 : はビールと戸締り コテ '16/11/15 20:04:19 *2
好きで、私は、君の向かいに。君の向かいに…。
起きて。
−−−
空をみるとほっとする。
生きてよいのだ。と、一歩。
気の大きくなる 地を
もう一歩。
景色を見よう。
田は黄金かい?
畑はキラキラ
池に入ったら
街への道があって
暗闇には夢やひかりが流れている宝石の付いた鍵や
六角形の水晶 アンドロメダ星の帽子
好きだった人のキャスケットから川の音
−−−
街は雑多で、中国製のものが多
大抵の人はごつごつ偉そうにしている
すみっこに銀杏がある
☆☆☆☆夜☆☆☆☆
裏に福なり風俗店が沢山沢山生えていて、その草の中に花を見つける。肌はしっとり咲くや、男達も色になり、後に互いいじり合ってけらけらと笑う。
それを見てまた女染まり、花の乳房の豊かなと、朦朧、乳房あたえにこの胸高く
手先 口から
すきよ すきよ をこぼし 落つ
ハプニングバーでは想い思いに
肉体美に悩ましい
内緒にまた ないないの
世間が悪いわけでもない 人間にとっては最も理知的ね本能的に嫌い なの
内内の この金 ふふ ふふふふ
それならば命とは、一つの毒。
あなたのために(食用)とでも書いてもうたら死んでしまう。おじゃん。
波羅蜜多も顔ないわ。
はらいったー って泣き泣き。
ちゃうちゃうそんな話ちゃう。
傷が痛いので、医者も儲け。
波羅蜜波羅蜜、飽くまで抱きたい、この浄土。
掛詞わかりますかー。このっ、お調子者!
ここで実践哲学。
それについて悪さをしたか?
いや、我が儘をしたか?
いんや、してない。私が日本人、ということで分け分けしてくんな、どうか、どうぞ夢のまま。
びかく?よくわからない。
ハードボイルド。帽子みたいで素敵やね。
平成、平成。素直が大事やと、えっらい美学。
どや洗えるか。夢子さん、解は出るだろうか。
店
プリントスウェット。ハラチ。ジャックパーセル。まどかマギカ。。プリント塗料が割れてるのがよく。
日本酒と魚というだけで詩である。
あとは新幹線で帰ればよろしい
日本酒と魚というだけで詩である。
家
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161115_196_9267p
こざかな :
>日本酒と魚というだけで詩である。
なにとなにだけで詩である。って言ったら大抵なんでもそうじゃないかな。
詩情を捉えられるようになると詩が楽しめるようになる。
どこでだって「僕には見える」という喜びは感じるけど、
そもそも、詩を書く人なんて大体みんなそうだから書いてるんだし。
そして自らの手で作り出すならやっぱりその何歩も先を行かなきゃいけないと思う。
「なんとなく良い」と思って貰うためには「なんとなく良い」と書けばいいわけじゃない。
書かれている内容は日常を変わった文体と修辞で軽く覆っただけのもの。
軽いのがダメなんて言わない。でも"その先が見えているうえ"で書く軽いものとは、
やっぱ切り取り方が違うんだよなあ。
この1日とした意味は? なぜ1日? 瞬間でなく。数日でなく。なぜそうなのか。
これでいいという人が居たならそいつにとっちゃそれこそなんでもいいようなってそう思う。
− 表示切替 − ('16/11/16 13:08:28)コテ :
これでいいという人が居たならそいつにとっちゃそれこそなんでもいいようなってそう思う。
確かにそうですがあんまり気にしてはいません。
舞城王太郎の「文楽しろ!」にシンパシーを受けた所があります。詩は書けません。
犬である私はシャレにたどり着かないからです。
この問題を思って詩作にかかろうと思えました。
先が分からないから楽しみでもあります。
でもコメントを頂いてその原因が己の欠点にあること…助かりました。
そうか先って、そうかそうか。
絞りを利かすのは時間がかかります。楽しみです!
ほんとにコメントがほしかったので、嬉しいです。ありがとうございます。
− 表示切替 − ('16/11/16 18:03:23)コテ :
不快はそのもので、自分の知を楽しませる限りは存在するんだと思います。
受けたい心や雑多な所に学ぶのなら故であるあるあーる。いつまでも実際の蝶に憧れていたいというほんの答えです。
これは世尊の只の教えです。新しい問題だからこそ。 ('16/11/16 22:34:52)コテ :
また実際とは何か?
という問いが救ってくれます。
だから詩よりも文のほうが合っていますが書きたいのは詩だと思います。 ('16/11/16 23:07:04)花緒 :
支離滅裂な感も強く、わたしにはうまく読めませんでした。しかし、ラブポエム風→官能的な叙述→中高年男性風?と、交じり合いながら、テイストが変遷していく綴り方には魅力を感じました。 ('16/11/16 23:38:19)コテ :
>不快そのもの〜詩だと思います
は返信ではなくさくひんの補足です。
花緒さん
返信ありがとうございます。
山田さん
イタイとこいってくれて返って気楽です。
返信ありがとうございます。
− 表示切替 − ('16/11/17 05:39:12)
∧ ∨ 9263 : 全国の女子高校生のみなさん 泥棒 '16/11/12 21:04:09
こんにちは
全国の女子高校生のみなさん
僕は変態です
みなさんは文学というものに興味はありますか
僕はありません
正直まったくありません
がっ、
どうやら文学というものは
日常にあるそうです
そう
例えばコンビニ前とか
線路の向こう側とか
普通にあるそうです
みなさんも学校帰りや部活帰り
遊びへ行く途中など
コンビニへ寄ることがありますよね
そこにあるんですって
文学がっ。
店内ではありません
店の前です
そこから見えるいつもの風景の中に
あるんですって
すでに
もうあるんですって
なので
全国の女子高校生のみなさん
もう図書館などへ行く必要はありません
勉強もしないでよろしい
街へ出ればいいのです
本当です
変態の僕が言うことに間違いはありません
そう
僕はたくさんの本を読んできました
いわゆる文学作品です
そこには胸に刺さるたくさんの文学がありました
読めば読むほど
僕は変態になりました
ある日
いつものように本を読み
ますます変態になった僕は泣きながら家を出て
コンビニへ行きました
春でした
さっきまで読んでいた本の中は冬でした
街は春でした
本の中では
コートを着た主人公が自殺しておりました
つらかったろうに
寒かったろうに
雪の上でした
僕はコンビニ前から見えるその風景の中に
花をみつけました
手にとって
そのまま家へ帰って
死んでしまった主人公のページに
その胸に
花を刺しました
冬でした
本を閉じました
閉じても本の中は冬でした
僕は変態です
全国の女子高校生のみなさん
みなさんは生きてください
生きて
たくさんの本を読んで
勉強して
いつかたくさんの花にかこまれて
死んでください
文学はみなさんのそばにあります
全国の女子高校生のみなさん
みなさんの孤独は
ひとつとして同じものはありません
孤独とは秋の空です
きれいです
共感とは夜の細道です
きけんです
全国の女子高校生のみなさん
僕は変態です
線路の向こう側で
いつかお会いしましょう
全国の女子高校生のみなさん
安心してください
みなさんにお会いする頃には
僕はもう変態ではありません
文学です
文学そのものです
ほら
線路の向こう側は夏です
もう夏なのです
まぶしい
きっとたくさんの花が咲いているでしょう
− 表示切替 −
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161112_981_9263p
こざかな :
日常の些細な風景に詩情を見つけることのできる主人公は
そんな自分の目線を、シニカルにコミカルに、『変態』だと称している。
事実、このよう奇異な視点を持たないもの達から見れば、
僕らはまったくわけのわかんないタイミングに、
笑い、泣き、怒り、
その姿はキチキチマシーンであり、
マジもんの変態となんら一切区別がつかないのだ。
全国の女子高生のみなさんが、そんな僕たち変態の視点を、
少しづつ少しづつ、理解できたなら、そこでやっと、
"僕たち"と"マジもん変態"を、区別して見られるようになるだろう。
だ、ダメだ。これはちょっと、共感線にあまりにも響きすぎて。
だって何が辛いってこれを女子高生に読んでもらったとしても、
僕ら変態のままだから。これ、変態にしか伝わらないから。つらい。
女子高生のみなさん、いや、みなさんなんて贅沢は言わないから、
ほんのさきっちょだけでもいいから、どうか。。。
− 表示切替 − ('16/11/12 21:41:58)西木修 :
泥棒さん。こんばんは。
3回ほど、続けて読み返しました。
理解できなくて、読み返したというよりは素晴らしくて、
3回読み返したという感じです。
僕は指摘をされると、悔しくて認めることができない(誰だってそういった一面があると思うのですがどうでしょう?)のですが、山田太郎さんの言う通り僕は「噴飯物の文学青年」といった感じなのです(全面的には認めないでおきます)。だからこそ、「文学」そのものに成ろうと、内に倒錯したものを抱えながら女子高生に語りかける、この「変態」の気持ちが痛いほどわかってしまいました。刺さって、きました。
素晴らしい詩をありがとうございます。
批評とも感想とも言えぬ、駄文をお許しください。時間を経て、もし整理することができれば、また書き込ませて頂きます。
− 表示切替 − ('16/11/12 22:22:29)山田太郎 :
うざい。
何度もいうが、
こんなことろの大賞といっても子供におもちゃの勲章もらったような
ものなのだが。
なにか舞い上がっているのか、うわのそらなのか、
思い上がって、わけのわからない腐った雑文を連発しているけど、
ただのアホとしかいいようがない。
それから西木修氏、ここにどうしておれの名前出て来るの?笑
泥棒氏も西木氏も自意識過剰だよ。文学がどうであるかなんて
どうでもいいものでしょう。文学がどうであるよりも、文学を
やればいいのじゃないかな。違いますか?
− 表示切替 − ('16/11/13 05:37:38 *4)青山 :
詩人=変態
まあ変態なんだろうな。笑
なるほど、この掲示板で朝の5時から証明されてるものなあ。笑 ('16/11/13 06:58:42 *1)コクヨノート :
言葉が隅々までよくコントロールされていて、読後爽快感がありますね。 ('16/11/13 07:02:06)山田太郎 :
青山 :
詩人=変態
まあ変態なんだろうな。笑
なるほど、この掲示板で朝の5時から実証されてるなあ。笑 ('16/11/13 06:58:42)
↑
青(アホ)山くん、
早起きの人に対して、そういう侮蔑発言はよくないだろう。
午前一時ごろまでコメントしている人はじゃあ変態じゃないのか?
どんな時間にコメントしようと、時間なんか関係ないだろ。
それに、陰湿なストーカーはやめて、そろそろ投稿してはどうか?
− 表示切替 − ('16/11/13 07:02:50 *3)蛾兆ボルカ :
おはようございます。
これは良い詩ですね。しみじみとして、しかもサッパリ風味。
食べ物でも、塩とか味の素とかを大量に入れた濃厚ラーメンとかも僕は好きなのですが、やはり、素材のもともとの味わいを活かし、しかも包丁も完璧に良い仕事をしているお料理の美味しさには勝てません。
今朝僕は布団の中で、童話屋から2008年に出た、谷川俊太郎の詩華集を読んでいたのですが、『やっぱイイナア』と思って本を閉じたあと、突然、泥棒さんの詩を読みたくなりました。
この詩が素敵な詩で、嬉しいです。
泥棒さんの詩のテイストを構成するもののひとつとして、題材が悲しみや孤独であっても、あるいは少しのユーモアであっても、どれにも『幸福のようなものの光』が行間から零れてくる、ということがあると僕は思います。
童話屋の編集者は、谷川俊太郎の詩華集のあとがきに、こう書いてます。
「『二十一歳のとき、『二十億年の孤独』でデビューした谷川さんは、すでに十八歳にして(詩華集には投稿時代の作品からも収録されてます)、およそいのちは、幸せに生まれて、幸せに生き、やがて幸せに還る、というこの宇宙の摂理に気づいてしまって、以来そこからぶれたことがありません。ひとりというのもいのちの姿です。」
確かに谷川はそうでした。「何でもおまんこ」でも、「じゃあね」でも、「うつむく青年」でも、「河童」でも、谷川の孤独は光とともにあります。
僕は泥棒さんの詩の流れの底に、それに通じる魅力を感じていたことを思い出して、この詩を読みに来たのですが、拝読して、そうか、と思いました。
それは若さと強さですね。しなやかさとかね。
あと、素材ですが、大江の名作『性的人間』にコートで泣かせるシーンがあります。
あと斉藤優の一部で有名な傑作『改造と隷ぞくの日々』を思いました。大江は読んでるでしょうけど、斉藤、おすすめ。
− 表示切替 − ('16/11/13 08:11:00)5or6 :
変態でもあり、ジャンキーでもありますな。
しかしスタイルは前期の田中さんのような雰囲気にも思える。
わざと寄っているのか、憧れているのか、バカにしているのか、
わかりませんが、読みやすいのは共通してますね。
ボヤッキー風に読んでしまいました。 ('16/11/13 09:23:59)山田太郎 :
この、対外的にはなんの評価もない板でこの程度の詩を書く人たちが、
どうころんでも変態とかジャンキーであるわけないだろが。
どこまでじぶんを高く評価しているのだよ。笑
ふつうのひとにほんの少し毛が生えた程度の詩しか書けないのに、
変態? ジャンキー?
ばかばかしくて屁がでるわい。
− 表示切替 − ('16/11/13 10:29:26 *1)蛾兆ボルカ :
5or6さん
オリジナリティは、読者にとって評価のためにとても大事だし、作者にとっても製作行為の価値に関わります。
文明もトレンドもみんなで創るものだから、空前絶後のオリジナリティなど、めったに話題にできないにしても、誰の影響を受けたかは、誰に敬意を捧げるかということと同じですから、ないがしろにすべきではありません。
私は田中さんの詩集は一冊しか読んでないし、このサイトでは読まないからわからないけど、この作品が田中作品に影響を受けたと述べるのでしたら、最低限、どの作品のどんなところのことをいうのか、指摘するのが礼儀ではないか。と、思います。
− 表示切替 − ('16/11/13 11:13:50)5or6 :
ボルカさん。>この作品が田中作品に影響を受けた
とは一言も書いていませんが?
何を読んでこのようなレスをするのか?少し心配になりました。
もう少し休まれてから復帰されてはいかがでしょうか?
なんて、誰かさんみたいな煽りなんて書きませんからね。
そんな性格悪い奴、ネット詩界で嫌われて当然ですよ、
はっはっは〜
って、書いてるじゃん!(ビックリドンキー。)
という事で、えーと、何何、山田太郎はジャンキーで変態野郎だって?
あ、これは違うか、
オリ、何?オリラジ?パーフェクトフューマン?それは中田のアッちゃんか。
田中さんの影響が?ふむ、ちゃんと教えろ?
なるほど、メンドクセー!
なんだ!この人、
メンドクセー!
でも、ポエケットで見たけどいい人そうだったからな。お答えしなくちゃ。
前期の田中さんのような雰囲気=2009年頃に文極で投稿していた作品の雰囲気。
でよろしいでしょうか?
あくまで、個人の感想ですからね。
いちいち違うよ馬鹿野郎なんて噛み付かんといてね。
山田。精進しろよ。
(関係ねーし!)
− 表示切替 − ('16/11/13 11:59:06 *1)玄こう :
すまないが率直に、なにこの標語?、と感じた。
公務的な役人の、あるいは、ブンゴク塾生募集の下書き、メディア内の、若手の読者アクセス率UPに向けた……の広報、営業、といった意味に近い感覚です。
外向けに気が行き、迎合するような、ワザトラシさやイヤラシさ(外連味・ケレンミ)。詩作品にはそうしたものは殆ど不必要だと感じています。私は、
ヘンにツクり、甘い香りを放ち、寄ってくるような若手の書き手を、【勝手に妄想しているようなところ。】ありはしないか。と
しばし 感じ、受けることがあります。
また、よくいろんな方が作品の狙いで、十代20の読者年齢の感性に、そんな年齢でもない者まで、近づけていこうと、無理に見せる。投稿する。(なぜだかわかりませんが、)投稿される方がそんな風に作品に励んでいるなら、非常に打算的で不自然に私は感じます。
と、思うことがたびたびあります。この作もそんな感触を受けました。また、なんかいつも感じるのは、習作のように感じて読みます。………私は、ね。
批判的なコメントになり失礼しました。
− 表示切替 − ('16/11/13 13:41:18 *1)山田太郎 :
>5or6
>山田太郎はジャンキーで変態野郎
こら、もとパシリのチンピラ。ゴミ野郎。
こんどこんな誹謗中傷をしたら、お尻、ペンペンだぞ?
おまえは詩も下手だし、詩を読めないのだから、
うろちょろしてるんじゃない。
− 表示切替 − ('16/11/13 14:10:00 *1)泥棒 :
みなさん
お読みいただきありがとうございます。
田中あつすけさんの作品に雰囲気が似ているとのこと。
そして影響受けているとのこと。
そうかなあ?と思い
文極にある田中あつすけさんの2009年頃の作品
今ちょいと読んできましたが
ま、
確かに
雰囲気似てますね。
しかし
もちろん
そんな理由で
今作を消す気はないし
それはそれ
これはこれ
誤字脱字以外は改稿もしません。
玄こうさん
題名に関しましては
わざとらしさ
あざとさ
いつも狙って考えてます。
とりあえず
読んでもらいたいからね。
− 表示切替 − ('16/11/13 14:29:39)アラメルモ :
倒置的な短い文章の繰り返しで書かれている。
主観的にも客観的にも対象的に捉えた感情の起伏などは一切省かれている。
なので作者が趣向するものは情緒的な意味作用など必要としない、帰着する認識の壁だけに囚われた記号的な形式が全てなのだろう。
ひとつ考えられるおもしろい操作は、一見すればギャグのようなこの変態というキーワードを軸に、伝文を打ち続けてみれば対象的に文脈はどのように変化していくのだろうか、ということ。
それは変態という奇怪な言葉が発っせられるとき、この多種多様にも受け取れる意味作用を、未来のコンピューターなどはどのように解釈し発展させるのだろうか。
あるいは誤差動からまったく新しい感情的なシナプスの発生や知脈を構成させるかも知れない。
もう少し続けてみてほしい。
− 表示切替 − ('16/11/13 14:29:41 *9)蛾兆ボルカ :
5or6さん
確かに正確にはそうだが、テキトウなこといってるやつが、ひとにキッチリ求めんじゃないよ。
引用・・・・・・・
5or6
変態でもあり、ジャンキーでもありますな。
しかしスタイルは前期の田中さんのような雰囲気にも思える。
わざと寄っているのか、憧れているのか、バカにしているのか、
わかりませんが、読みやすいのは共通してますね。
・・・・・・・
(1)スタイルは前期の田中さんのような雰囲気にも思える。
↓
この文は主張を曖昧にぼかして逃げてるだけで、結局、似てると主張している。
(2)わざと寄っているのか、憧れているのか、バカにしているのか、
↓
2009年には田中さんの入選作は少なかった。
『作品 - 20091211_141_4019p CHANT OF THE EVER CIRCLING SKELETAL FAMILY。』を眺めてみたが、まったく共通点がないし、印象に残りにくいマイナー作だ。
これに『憧れ』など意味がわからんが、『バカにしてる』とは、何を馬鹿げた憶測してるんだとしか言いようがない。
(3)めんどくさい。逃げるなら、最初から書くな。
− 表示切替 − ('16/11/13 16:41:37)田中宏輔 :
ぼくには、ぼくの作品に似ているとはまったく思えないのですが。語の選択に関しても雰囲気に関しても。 ('16/11/13 16:53:12 *1)5or6 :
ボルカ氏。
まあ、怒るなら噛み付くな。
山田氏。
下手の物好きはお互い様だ。
田中氏。
感想ですから、本人が違うと思うならそうでしょう。
− 表示切替 − ('16/11/13 17:09:38)青山 :
>下手の物好きはお互い様だ。
ま、山田は「わたしは下手の横好き」と謙遜しているが、
実際は、
下手の横綱
だな。笑
− 表示切替 − ('16/11/13 18:15:08 *1)田中宏輔 :
5or6さんへ
5or6さんが似ていると思われれば似ているのですよ。ぼくが似ていないと思えば似ていないし。けっきょく、読者の数だけ、読み方、受け取り方、感じ方があるのですし、それって、とても基本的なことであり、健全なことだと思っています。 ('16/11/14 00:11:21 *1)5or6 :
田中氏
私もそう思います。お疲れ様でした。 ('16/11/14 00:36:54)ねむのき :
初読、>こんにちは
>全国の女子高校生のみなさん
>僕は変態です
これ言いたかっただけだろってちょっと思ったけど、>僕はコンビニ前から見えるその風景の中に
>花をみつけました
>手にとって
>そのまま家へ帰って
>死んでしまった主人公のページに
>その胸に
>花を刺しました
ひとえに「僕」が「変態」だからこそ
この詩句が美しく活きているんだなと思いました
− 表示切替 − ('16/11/16 04:46:27 *1)花緒 :
センス抜群だと思うけれど、良センス&キャッチーなコンセプトとその説明文というカンジで、作品世界に今一歩深みがないようにも思いました。良作品だと思いますが、欲を言えば、という感じ。 ('16/11/17 00:16:15)
∧ ∨ 9265 : CREATIVE WRITING 101A 花緒 '16/11/14 19:56:41
あなたと別れてから、もう7ヶ月くらい経つのでしょうか。こちらは冬学期がはじまって、ちょうど1ヶ月が経過したところです。秋学期は同じアジア系の留学生の輪に埋もれながら、ひたすら図書館にこもって勉強して、何とか単位をとるって感じだったけど、今学期に入ってから、少しゆとりも出てきたのか、欧米人との交流が増えてきました。これまでは、さすがにネイティブスピーカーと友達になるのは難しいなと思って、自分の方から避けてしまったりなんかしていて、これなら何のためにわたしはアメリカに来たんだろう、って自分が情けなくなってしまうこともあったけど、今学期に入ってから急速にアメリカ人と仲良く話せるようになってきていて、ちょっと自信をつけているところです。
わたしの英語力を考えると、わたしに興味を持ってくれて、ハウスパーティーに呼んでくれたり、一緒に定期的に勉強しようって誘ってくれたりする友達が欧米人の中からも現れはじめているのは、ちょっと奇跡的なことのような気がします。ただ、わたしはどこまで期待に応えられてるんだろうとか、英語をもっと勉強しておけば、もっといろんな話ができたはずなのになとか、もしかしたら英語力の問題だけでもないのかもしれないけど、自分を表現する術を身につけないと、せっかく興味を持ってくれる人が現れても、関係を深めていくことは難しいかもしれないって思ったりなんかします。
日本で暮らしていたときは、人間関係を維持したり深めたりするために、表現力を磨かなきゃって思う機会なんてほとんど無くて、むしろ、うまくやりたいから、表現しない自分でいようって感じで、だから振り返ってみると、あなたにも、わたしはほとんど何の話もしていなかったし、あなたはあなたで、ほとんど何の話もできていなかった。わたしたちなりに、対話のきっかけを探ろうとはしていたのかもしれないね。だけど、話すということは何故だかお互いを侵食し合うことでしかなくて、話すとなれば、わたしたちはいつも諍いあったし、わたしが留学行った後のことも、直前まで話せなかった。大切なことはけっきょく最後まで何も話せてなかったような気がします。
わたしは自分語りをしたがるような人間は好きじゃないし、話し合ったらお互い理解できるっていう幻想に縛られてるわけでもない。それでも、話さないままでいいっていうのは嫌なんだって、はっきりそう思ったんです。わたしはアメリカに来て、自己主張することが尊重される国で生活してみて、わたし自身、どこまで話すことに対して開かれているんだろうって疑問に思う機会も多くて、今学期はクリエイティブライティングの授業を履修したりしながら、わたしなりに、自分を表現するっていうことを学ぼうとしています。
それで、
毎週、
クリエイティブライティングの宿題をやるんだけど、
わたしが書くものは、
長いばっかりで、
とりとめもなくて、
主張がよく分からないとか、
中身がないとか、
そういう風によく言われます。
アメリカに来て、
いろんな人に出会って、
自己主張することを是とする人たちに囲まれて、
そういう人たちから
興味を持ってもらえるようになって、
話してみたい、
話さなきゃいけないって思うようになって、
話せない自分が歯がゆくて、
どれだけ歯がゆくても、
うまく言葉が見つからなくて、
書けば書くほど、
わたしは何が言いたいんだろう、
わたしは何が書きたかったんだろうって思うようになって、
わたしに話すことなんて何があるんだろうって、
仲良くなりたいだけなのに、
楽しく生きていきたいだけなのに、
どうして話さなきゃいけないんだろう、
ハグして、
手をつないで、
どうしてそれだけじゃだめなんだろう、
わたしは、
話さないんじゃなくて、
話せないんでもなくて、
話したいことがそもそもないんじゃないか、
どうしてそれなのに、
話そうとしないあなたを、
今でも許せないんだろう、
あなたがあなたの何を話せば、
わたしはあなたに納得できたのだろう、
わたしがわたしの何を話せば、
わたしはわたしを許せるのだろう、
わたしはわたしについて話したいことなんて何もありません、
それは、
わたしが空疎だとか、
空っぽだとか、
そういうことじゃなくて、
ただ、わたしには話したいことがないだけなんです、
わたしはここに来て、
わたしの話を聞きたいっていう人とたくさん出会って、
それで決めたんです、
わたしは、
いつまでも、
話そうとし続けます、
話すことがなくても、
話したいことがみつからなくても、
話そうとすることだけは、
自分の言葉を探すことだけは、
あきらめずに続けようと思ったんです、
いつまでもみつからなかったとしても、
許されるまで
CREATIVE WRITING 101A MIDTERM:
EVALUATION: Cー
COMMENTS: I REALLY ENJOY YOUR PARTICIPATION BUT I CAN'T UNDERSTAND WHAT YOU WANT TO SAY.
YOU CAN COME TO MY OFFICE HOURS. WE CAN TALK.
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161114_125_9265p
5or6 :
最後のオチ、何言いたいのかさっぱりわからんが俺のオフィスでとりあえず話すか。みたいな。
このサイトの皮肉としてみたら面白かったです。 ('16/11/14 20:26:11)生活 :
読まれる事に耐えれるレベルじゃない ('16/11/14 22:31:26)山田太郎 :
一種の自己弁明だけど、ありきたりなパターン。 ('16/11/15 10:49:26 *1)こざかな :
ついこの前投稿された熊谷さんのメリークリスマスと、
心情描写の仕方は同じ、というかアンサー的に書いたんじゃないのって思うくらい。
ただ向こうは言うならば"線香花火の落ちる直前をぐーっと引き伸ばし"たような感じで、
その流れ方までも描写されていたのだが、こちらにはその流れがない。
向こうに比べて読みの視点が一歩二歩遠巻きだからだと思う。
"ああいう感じ"を客観的に描写したような
なので"ああいう感じ"が起こすであろう結果的なものを
シニカルなオチとしたのが終連だと思う。
まあ僕、英語ダメからちょっと自信ないけど。
− 表示切替 − ('16/11/15 17:07:17)コテ :
すてき!魂に響きます。どうしたらそれを得れるかとか聞いてしまったら時間が勿体無いです。私も私で重い腰をあげたのです。魂が笑えばそこにあるのは理ですよね。理ばかりじゃないのが旅路です。脱線しないように想っているのですが不器用で。 ('16/11/15 23:34:44)アラメルモ :
たとえば街ですれ違う相手との挨拶。欧米人や大陸に暮らす人々などは気さくに声をかけやすい。我々の国などと比べればそのような印象を持ちます。コミュニケーションの大切さを日々の暮らしから会得している。多種多様な民族との接点も多く在り、言い替えてみればそれだけ危険を意識した危機管理能力も携えて暮らさなければならないのでしょう。
語りかけるという行為を敢えて否定しながらも、あなたという対象を軸に、中身のない会話の重要性をただひたすら自分語りで綴り終えています。
おそらく試作的な意図からでしょうが、英文で末に置かれた作者のオフィスに救われますね。作者との接点。あれが書き込みされていなければ詩としては意味を成さなかったでしょう。
批評ならば対話、詩で表すならば言葉。発語させる目的。
会話の中身そのものよりも、語りかける会話するというコミュニケーションの大切さを意識して書かれている気がします。
※
改訂。終わりの対話と会話を入れ替えました。
− 表示切替 − ('16/11/16 00:16:26 *7)花緒 :
>5or6様
お読みいただきまして有難うございます。オチは、はい、オフィスで話しましょうみたいなカンジです。 ('16/11/16 23:23:38)花緒 :
>こざかな様
コメントありがとうございます。メリークリスマスと心情描写の仕方は同じですかね?あまり、私にはよく分からないですが。いやしかし、興味深いレスを頂きまして、嬉しく思います。 ('16/11/16 23:25:10)花緒 :
>コテ様
初めまして。お楽しみ頂けたみたいで嬉しく思います。 ('16/11/16 23:33:35)花緒 :
>アラメルモ様
ご講評頂きまして、有難うございます。作者の意図を汲んで、読んでくださっているようで・・・。しばらくお姿をお見かけしなかったので、寂しく思っておりました。WELCOME BACK!!! ('16/11/16 23:35:45 *1)
∧ ∨ 9269 : 子山羊 黒髪 '16/11/16 21:52:52
子山羊さん
山羊さん
白くて素直だ
礼を言う
あなたに
風土がどうとか言いたくなるけど
ここは一番だ
一緒にいられるのが
吹かれ揺れる草の向こうの
彼方のおぼろな光
現在の心の色は白
そして黒の輪郭
あ、そう蝙蝠の
飛ぶのに似て
私の心も夜を迎える
これから目を閉じ
心隠し
洗面台にたまった水に映る月を散らす
きっとどこかへ向かっている
戻らない時が増えていくほど厚い祝福を求めるものだ
覚えたものが有効になるには
時が揺れ、空が鳴ることが必要だ
一人ずつ生きている人間は
もう一人を自分と同じだと数えたときに一人でなくなる
怒る時また一人になる
共に怒る時には何人になるのか
それは怪しい遊戯のように複雑な係りなんだ
暗闇を怒るのは得策でない
怒りによらない鼓動の感覚を満たしてくれた人よ
心のメモリは再び満ちて
怒りが崩した遺物を拾い上げ
この二三歩を寄って花は香る
涙が乾くのを待とう
鳳仙花の夜
おお噎ぶのは
生者の声と死者の声
話したのは
生への意志と夢を語り継ぐことだった
怖くもない
暗くても命の色は
消えても残る自画像の形
消えない軌道
あまりにも無駄な生を生きて来た、というのも
暗闇の迷路の中に閉じ込められていた
壊れた未来があまりにも苦しい
光が閉ざされた頭の中には
甘えるなというハードルがいくつも置かれていて
転んでしまう
一生懸命生きた
楽しんで生きた
暗くなると
侮辱も不機嫌ももう見えない
何もできないこと
何もなくなることは
個人的な消耗だ
それを感じているのだから
生の力を求めよう
白さには汚れた心が映る
多くの光を目に入れた
醜いと思うのは自分の心の反映だったのだ
責任を人に負わせるほどの理路を持っていないから
私はぐずぐずと生きるような日本人だ
要素に解体してみてもいいけれど
新しいものを作り出すときは
現実に学んでから頭を巡らせなけりゃならない
人を助ける時のように自分を助ける力を出して
自分で道を歩いて行こう
道が通っているから
自分の行くべきところがある
包丁に軽く触れ
愛に傷をつける
そのまま立って
過去を振り返ってみると
もうそこには何もない
心がいっぱいになり
私は空漠と充実を密接な位置に置く
まやかしにやられてしまった犠牲者の一人である
私は突き詰められた真実を望むのである
− 表示切替 −
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161116_249_9269p
∧ ∨ 9219 : 全行引用による自伝詩。 田中宏輔 '16/11/01 00:00:11
(…)物哀しげな空には雲一つなく、大地はまさにわれらが主イエス・キリストに倣って吐息をついているかに見えた。そのような陽光のみちあふれる、物哀しい朝には、わたしはいつも予感するのである。つまり自分が天国から締め出されてはいないという見込みがまだ存在し、わが心のうちの凍てついた泥や恐怖にもかかわらず、自分には救いが授けられるのかもしれないということを。頭を垂れたまま貧相なわが借家に向って砂利道を登っているとき、わたしは、あたかも詩人がわたしの肩辺に立って、少々耳の遠い人に対して声?發妨世Δ澆燭い法▲轡Дぅ匹寮爾?「今夜おいでなさい、チャーリー」と言うのを、至極はっきりと聞いたのである。わたしは畏怖と驚異に駆られて自分の周囲を見まわした。まったく一人きりだった。すぐさま電話してみた。シェイド夫妻は外出中ですと、小生意気な小間使(アンキルーラ)、つまり日曜日ごとに料理をしにやって来る、そして細君の留守中に自分を老詩人に抱かせることを明らかに夢想している、不愉快な女性ファンが言った。(…)
(ナボコフ『青白い炎』註釈、富士川義之訳)
(…)シュタイナーによれば、われわれは生まれる前に自分で運命を選びとったのであるから、それを嘆くのは見当ちがいだという。
それでは、どうして人は美男子で金持ちで成功者であることを選びとろうとしないのだろうか。それは、霊の目的は自らの進化であり、幸運や成功はそれを阻む作用をするからなのである。霊的な進歩は、霊界においてではなく、地上においてのみ行われるのである。
『神智学』には「認識の小道」という最終章がある。ここでは、人間はどうしたら超感覚的認識を獲得することができるようになるかが説明されている。数学は、認識の小道のためのすぐれた準備段階であるが、それは論理、離脱、非物質的実在への集中を教えるからだとシュタイナーは言う。換言すれば、「見者」にとってまず必要なのは科学的態度であり、心は混沌から秩序を創り出すことができるという確信である。外的な力がどんなに強力で人をまごつかせるものであろうとも、人間はそうした力にもてあそばれるよるべない存在なのではない。最初の段階は、人間は利害などから離脱することができ、自分の心を、混乱の中を進むための羅針盤として使うことができる、という事実を認識することである。
(コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』7、中村保男・中村正明訳)
楽しみがほしければ、〈灯心草〉がいた。シロが草を食(は)み、ブロムが狩りか昼寝をしているあいだ、ぼくは、あのときブーツが教えてくれた〈灯心草〉の径を歩いて過ごした。ぼくは彼のことが好きだった。彼にははてしない数の内部があるみたいだった。そうした暗い隅や奇妙な場所で、〈灯心草〉は世界と、言葉と、ほかの人々と、知っているもの好きなもの嫌いなものと結びついていた。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)
「それに、そういう手袋にまつわる物語も知っている。たぶん、その手袋の話じゃないかな」ある場所──たったひとつの小さな場所、点とさえいえそうな場所──があって、そこで、ぼくの人生にあるものすべてが交錯した。
(ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』大森 望訳)
(…)駆け降りる前に、丘の上から僕に手を振るが、そんな彼女を音楽が包みこんでいる、そう、僕の目が生み出す音楽、ぼくの嗅覚が生み出す絵画、僕の聴覚が生み出す味覚、ぼくの触覚が生み出す匂い……僕の幻覚……(…)
(フエンテス『女王人形』木村榮一訳)
彼らの運命は耐えて進みつづけることであり、しかも最終的には人間的な、あらゆる事物への敬意のしるしとして、それを忘れないことだった。
(グレゴリイ・ベンフォード『大いなる天上の河』上巻・第二部・4、山高 昭訳)
人間の魂の中の何かが、ためらいを感じるのだった。
(グレゴリイ・ベンフォード『大いなる天上の河』上巻・第二部・2、山高 昭訳)
痛みには、痛みの記憶以上のものがある。
(グレッグ・イーガン『順列都市』第一部・3、山岸 真訳)
ポールは一瞬、相手に共感して心を痛めた。だが、共感から同一視まではあと一歩。ポールはその感情を押し殺した。
(グレッグ・イーガン『順列都市』第一部・6、山岸 真訳)
(…)投げられたあらゆる爆弾、あらゆる銃弾や矢や石はいまだに悲鳴をあげる標的をさがしているのか──(…)
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『けむりは永遠(とわ)に』小尾芙佐訳)
彼女たちはすべてをさらけ出しているが、何も明かしてはくれない。
(J・G・バラード『覗き見の視線』木原善彦訳)
(…)これらの作品は一体として見ると、第二次世界大戦の強力かつ感動的な記録であるのみならず、戦争がその場にいた芸術家たちに及ぼした影響をも同じように記録しているのである。
(J・G・バラード『戦場の画家』木原善彦訳)
今日、生まれ故郷の町にそのまま住んでいる人がどれくらいいるものか、わたしはよく知らない。だが、わたしがそうであるせいか知らないが、そうした町や市がしだいに衰退してゆく姿は、いうにいわれぬ悲しみを人の心に感じさせるものだ。それは友人の死よりもはるかに辛い。友人はほかにもいるし、他の友人に心を移すこともできるが、生まれ故郷はかけがえのないものだからだろうか。
(ジャック・フィニイ『盗まれた街』12、福島正実訳)
暖かい楽しい気分になってきた。人々と交って、いつもの考えごとを忘れてしゃべるというのはたしかに楽しいことだ。わたしは今、いったい何をしようとしているのだろう。
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』3、井上一夫訳)
わたしは五番街に行った。わたしの歩きたい街だ。若さと希望にあふれて、それはわたしの世界、わたしの町、わたしのものというような気がした。歓喜の味を味わい、心は喜びに充ちて、順風に帆を上げたような気持だった。風の吹きぬける高いビルの間の道は色とりどりの美しい飾り窓がつらなり、女の人の美しいすました顔があり、すべての上に太陽が輝き、その太陽と風が……。
(ロバート・ネイサン『ジェニーの肖像』5、井上一夫訳)
小鳥が雨樋のなかで夜明けを奪いあっていた。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)
(…)大儀そうに、彼女は各種の壜やチューブから、じっさいにはもはや二度と所有することはないと思われる生命と暖かみを、おのれの顔の上につくりだそうと骨折った。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)
(…)どこかで銃声が聞こえた。カウリー街、むかしのオクスフォードの中心を指してのびているこの長い、雑然とした商店街では、正面を板で囲ったり、破壊されたりしている建物がしばしば眼についた。舗道にはごみが堆(うずたか)く積もっていた。一、二の商店の店先には、買物の老婆たちが列をつくっていた。だれもみな無言で、てんでんばらばらで、上昇する気温にもかかわらず、スカーフで口もとをおおっていた。ウィンドラッシュの巻きあげた旋風が、彼女らの破れた靴のまわりで渦を巻いたが、女たちはまったく無関心だった。その姿には、零落のもたらす一種の威厳に似たものがあった。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』2、深町真理子訳)
(…)一同は坐って食事にとりかかった。徐々に霧がうすれ、周囲の風物がしだいにはっきりしてきた。果てしない大空と、その大空の影を映して、世界は拡大していった。
(ブライアン・オールディス『子供の消えた惑星』7、深町真理子訳)
(…)そのうち徐々に、教室の雰囲気が変わってきていることがわかった。あの耐えがたい緊張は去り、あの無意識の抑圧、警戒心、油断のなさ、禁じられているものをほしがることへのうしろめたさ、などは消えていった。
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』ヤコブのあつもの、深町真理子訳)
彼女が、あまりにもせつなげな身ぶりをするので、かえって彼のほうがせつなくなった。彼は自分で思っている以上に、彼女を愛していた。なぜかというに、彼はこのときすでに自分のことは忘れていたほどだから。
(ケッセル『昼顔』九、堀口大學訳)
「でも、どうして子供たちが彼女をからかうのをほうっておおきになりますの?」わたしは発作的な憤怒がこみあげてくるのを感じた。
彼女はけわしい目でわたしを見た。「?爐曚Δ辰騰瓩?くわけじゃありません。子どもというのは、いつの場合も、毛色の変わっている人間にたいして残酷なものですよ。あなたはまだそんなことにも気づいていないの?」
「いいえ、気づいていますわ。ようくわかっていますとも!」わたしはかすれた声で言い、ふたたびあの、じわじわとした冷たい氷のような記憶にたいして、身をちぢこめた。
「感心したことじゃないけれど、世間にはありがちなことなのよ。すべてに正しいことが通用するわけじゃありませんからね。ときには、慣れて感じなくなることも必要だわ」
(ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』荒野、深町真理子訳)
「いやよ、マーク!! いや! いや! いや!」とメァリーは悲鳴をあげ、壇のほうへ引きずられながら恐怖のあまりに大小便をもらす。マークは使い捨てたコンドームの山の中の壇の上に、縛り上げたメァリーをほうり出したまま、部屋の向う側へ行ってロープの用意をする…… やがて輪なわを銀の盆にのせてもどってくる。彼は手荒くメァリーを引き起こし、輪なわを首にかけて締める。そして彼女を突き刺し、ワルツを踊るように壇上をまわってから、ロープにぶら下がって空中に飛び出し、大きなアーチを描く…… 「ひい━━」と彼は絶叫しながらジョニーに変身する。メァリーの首はぽきっと折れる。大きな波のうねりが彼女の全身を通り抜ける。ジョニーは四つんばいになって、若いけもののように柔軟な身のこなしで機敏に身がまえる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)
ナツメヤシは水不足で枯れた。井戸は乾いたうんこと何千もの新聞紙のモザイクであふれている。「ソ連は否定……国務大臣は悲痛に訴える……落とし板は十二時に落とされた。十二時三十分、医師は牡蠣(かき)を食べに外出し、二時に戻って絞首刑になった男の背中を陽気にたたく。『なんと! まだ死んどらんのかね? こりゃ脚をひっぱってやらんといかんようだな。ふぉっふぉっふぉっ。こんなふうにだらだらと窒息してもらうわけにはいかん。大統領に叱られてしまうわい。それに死体運搬車に、生きたままのきみを運び出させるなんてみっともないからね。恥ずかしくて睾丸が落ちてしまうよ。それにわしは経験豊かな牛のところで訓練を積んでおる。一、二の、三、それ引け!』」
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』A・Jの例年のパーティ、鮎川信夫訳)
目の前に銀の粒が湧き出る。今から何百年もたったあとの廃墟と化した中庭に私は立っている。何物の、何人の匂いも嗅げない死の都を訪れる悲しい亡霊のようなものだ。
少年達は記憶の中で揺れ動いている影で、遙か昔に塵となった肉体を喚起している。使うべき喉もなく舌もなく私は呼ぶ、幾世期をも越えた彼方へ向かって呼び続けるのだ、「パーコ……ジョセリート……エンリケ」と。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第二部、飯田隆昭訳)
私は丸い小さな箱をもっている。中には羊皮紙に似た紙に数多くの光景が描かれ、折りこまれている。紙をめくるとそれが生き生きと動きだす。前髪のところまでコンクリートの中にはまりこんでいる雄牛が数頭いる。今度は十八世紀の衣装をまとった二人の少年と二人の少女が金色の馬車からおりてきて裸になり、オルゴールの調べに合せて踊り、つま先でくるっと回転する。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第三部、飯田隆昭訳)
私は傾斜の険しい木の段々を昇り、かつての玄関ポーチへ行く。金網はすっかりさびていて、網戸の蝶番ははずれている。南京錠をはずし、玄関のドアを押し開ける。廃屋のかび臭さが鼻を打ち、冷気が肌に感じられる。熱い空気が私の後ろから中へ入りこむ。外の空気と中の空気が混じり合う空間に熱波らしき霧状のものが目に映る。
(ウィリアム・S・バロウズ『シティーズ・オブ・ザ・レッド・ナイト』第三部、飯田隆昭訳)
よく考えてみると、こういう羨望混じりの感嘆の念は前にも味わったことがある。だが、あれは気が弱くなっている時に、異性愛者に対して抱いた感情だった。そうだ、おれはある時期、異性愛者が自分の生まれた社会と見事に適合しているのに感動したことがあった。異性愛社会には、まるで揺り籠の足元に置いてあるおもちゃのように、いろんな物が揃っている。まずは性教育、感情教育をしてくれる絵本に始まって、童貞を捨てに行く売春宿の住所、初めての情婦の写真、それから結婚式の日取りが書かれた未来の婚約者の写真、夫婦の財産契約書に、結婚式の歌の歌詞……。異性愛者はただこれらの既製服を次々に着換えていればよいのだ。それは彼によく似合うが、なぜかと言うと、それが彼個人のために作られているというよりは、「彼ら」のために作られているからだ。それに比べて、若い同性愛者は棘だらけの植物に覆われた砂漠の中で目覚める……。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第七章、榊原晃三・南條郁子訳)
(…)どこへ行くのやら見当がつかない。だが状況は常に自ら新しい状況を作り出す。
(ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』第七章、榊原晃三・南條郁子訳)
初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言葉について──このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現われたものである──(…)
(ヨハネの第一の手紙一・一─二)
わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
(ヨハネの第一の手紙一・五─七)
(…)シュタイナーが書いたり語ったりしたことで、彼を二十世紀の他のあらゆる思想家と区別していることは何であるのか。
これへの答えは、本書の第1章でかなり詳しく論じたあの認識のうちにひそんでいる。あの認識とは、「霊界」というものは実は人間の内面世界にほかならぬ、という認識である。シュタイナーは事実上こう言っていたにひとしい。鳥は空の生き物であり、魚は水の生き物、蚯蚓(みみず)は地の生き物だが、人間は本質的に心の生き物であり、人間の真の故郷は自分の内部にある世界なのだ。なるほど、人間でも外面世界に生きなくてはならぬというのは事実だが、第1章で見たごとく、この外面世界を把握するには私たちは自分自身の内部に退く必要があるのだ。
この内面世界の奥深くまで「退く」ことは、私たちのほとんどにとって難しいことであり、外面世界とそれがつきつけるさまざまな問題がうしろから私たちを引っぱって内面世界に入ろうとするのを妨げる。シュタイナーはどうやら、自分の内面世界に降りて行く非凡な能力を有していたらしい。さらにシュタイナー哲学の中心的な主張は、この内面の領域こそ「霊界」にほかならず、ひとたびこの領域に入ることをおぼえれば、この内域が外面世界の単なる想像的反映ではなく、それ自体独立した実在性を有している世界であることを人間は実感する、という考え方なのである。
(コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』9、中村保男・中村正明訳)
男の眼差しはすでに、よく描かれてきた。この眼差しは、まるで女の背丈を測り、体重を量り、値打ちを定め、女を選ぶ、言い換えればまるで女を物に変えるように、冷たく女のうえに止まるものらしい。
あまり知られていなのは、女がその眼差しにたいしてまったく無防備だというわけではないということだ。もし女が物に変えられるなら、それは女が物の眼で男を見るということにほかならない。それはまるで金槌(かなづち)が突然眼をもち、自分を使って釘を打ち込んでいる石工をじっと見つめるようなものだ。石工には金槌の不愉快な眼差しが見えて自信を失い、自分の親指を一撃してしまう。
(ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』第七部・8、西永良成訳)
小説の精神は連続性の精神です。つまり、それぞれの作品は、先行する作品への回答であり、それぞれの作品には、小説の過去の経験がすでに含まれているということです。しかし、私たちの時代精神は今日性(アクチユアリテ)の上に固定されています。今日性は、あまりに拡散的で広いひろがりをもつものですから、それは私たちの地平の過去を拒否し、そして時間をもっぱら現在の瞬間に還元するものです。このような体系のなかに封じ込められた小説は、もはや作品(持続を、過去を未来に継ぐことを運命づけられたもの)ではなく、他の事件とかわらぬ現在(アクチユアリテ)の事件であり、はかない行為です。
(ミラン・クンデラ『小説の精神』第一部・9、金井 裕・浅野敏夫訳)
(…)すると不満を抱く者たち、いくぶん盲目的で、どこか狂っているような者たちが神秘と血を通して、あの失われた調和をしゃにむに取り戻そうとして、自分たちを取りまく現実とは違う現実を、たいていの場合幻想的であり狂的である現実を描いたり書いたりするが、奇妙なことにその現実こそ結局は日常的な現実より深遠なもの、真実なものであることになる。そうして、こうした傷つきやすい存在はある意味であらゆる者たちのために夢を見つつ、自らの個人的な不幸の上に立ちうるようになる、また集団の運命の解説者に、そして、(苦しめを受ける)救済者にさえなる。
(サバト『英雄たちと墓』第?孤堯Γ魁?安藤哲行訳)
しかし、わたしの不幸は常に二重のものだった、というのも、わたしの弱さ、傍観的な精神、優柔不断さ、無気力、こういったものがいつもあの新しい規律を、芸術作品という新しい宇宙を獲得する妨げとなり、わたしを救ってくれそうなあの思いこがれた建造物の足場からいつも足を踏みはぜさせる。そして落ちるたびに傷つき、二重に哀しくなり急いで単純な人間を探し求めることになる。
(サバト『英雄たちと墓』第?孤堯Γ魁?安藤哲行訳)
子供の頃、就寝前にときおりある声が、眠りの中へ誘うようにお話を聞かせてくれて、夜になるとこの世界がどんなに宏大に伸び拡がるか、教えてくれたものである。「昔々あるところに」の文句で始まることもあった。こうして目覚めたまま寝そべっていて眠ることができないなんて、私一人が、過ぎ去ることを知らない時そのものなのだ。
四方の壁も、ベッドや床も、箪笥だって、鏡や絵だって眠る。寝具や絨毯、椅子や机や窓、カーテンに、衣服に、その他まわりを取り巻くありとあらゆるものが、外の霧だって、雪片だって、樹木も地面も水中の魚も、霧のかげや雪の彼方にいる人々も、それどころか鳩の巣でさえ眠るのだ。同じように、凍えている人も独りぼっちでだれも友達のいない人も、希望を求めて思い煩っている人や、恋という名のもとに屋根裏部屋や連れこみ宿で徐々に憔悴してゆく人も眠る。子供たちも、願いごとを唱えながら眠りにつく。黄泉(よみ)のヴェールにおおわれた死人の開かれた眼も眠る。盲人の光を失った顔も、蒼ざめた産婦も、涙さえも眠る。じゃじゃ馬娘の髪の毛にさした櫛やその髪に吹き込む風も眠る。テーブルの酒瓶も、その脇にある飲み残しのグラスも、錠前に差し込まれた鍵も、時計やランプも眠る。配膳台の上の散らしや新聞、部屋履きやソックス、ズボン、ワイシャツ、チョッキ、暖炉の火、窓の鎧板にかかった雪、家や庭、茂み、小経や舗石、垣根や杭、大小の町、列車や河川や港の小舟にいたるまで。空高く飛ぶ飛行機も、渡り鳥のように大陸をまたにかけて眠る。薬剤師の天秤も眠る。露店のひさしも、犬や猫も眠る。そして、人里離れた森の奥では(…)
ただ私、この私だけが眠れない。(…)
(ゲルハルト・ケップフ『ふくろうの眼』第二章、園田みどり訳)
(…)目的もなくブエノスアイレスの町を歩きまわり、人々を眺め、コンスティトゥシオン広場のベンチに腰をおろして考えた。そのあと部屋に戻ったが、いつになく孤独感を味わっていた。本に没頭しているときだけはふたたび現実を見出すようだった、逆に、通りにいる人々はまるで催眠術にかかった人間たちの大きな夢に思えた。多くの歳月が流れて分ったことは、ブエノスアイレスの通り、広場、そして商店、事務所にはそのときわたしが感じたことと同じようなことを感じ、考えている人間が無数にいるということだ、孤独で苦しんでいる人々、人生の意味、無意味を考えている人々、自分のまわりで眠った世界、催眠術をかけられたりロボットになってしまった人間の世界を見ているような気がしている人々がいるのだ。
その孤立した角面堡の中でわたしは短篇を書きはじめた。いま思うと、不幸になるたびに、一人ぽっちだ、生を与えてくれた世界としっくりいかない、そう感じるたびに書いてきたみたいだ。それが普通ではないだろうか、現代の芸術、引き裂かれた緊張した芸術は常にわたしたちの不調和、苦悩、不満から生まれてくるものではないか。人間という傷つきやすい、落ちつかない、欲深な生き物の種族が世界と和解する試みのようなものではないだろうか。なぜなら、動物は芸術を必要としない、彼らは生きるだけだ。彼らの生は本能の必要性と調和を保ちながら滑っていくからだ。鳥には少しの種か虫、巣をかけるための樹、飛びまわるための広い空間があればいい、そして、その一生は生まれてから死ぬまで、形而上的な絶望感や狂気に引き裂かれることのない幸福なリズムの中で流れていく。ところが人間は(…)
(サバト『英雄たちと墓』第?孤堯Γ魁?安藤哲行訳)
そして、一つを除くほかのあらゆる思い出が彼女の心に浮かびはじめたのも、やはりそのときのことだった。すべての思い出が押し寄せたが、彼女は、なぜかわからないながらも、ただ何かあることだけによって、ある思い出がまだ欠けており、ほかのすべての思い出が起きたのも、もっぱらこの一つの思い出のせいにほかならないと感じたのだ。そこで彼女の心に、そのためにはヨハネスが自分の役に立ってくれるかもしれないし、また自分の全生活は、この一つの思い出を手に入れるかいなかにかかっている、という観念がつくりあげられた。さらにまた彼女は、自分がそのように感じているものは、力ではなくて、彼の静けさ、つまり彼の弱さであることも知っていた。この静かで不死身の弱さは、広々とした場所のように彼の後ろにひろがっていて、そのなかで彼は、自分の身に起きたあらゆることと、ひとりで向かいあっているのだ。しかし彼女はそれを、もっとそれ以上に探り出すことができなかったので、不安な気がした。そして、自分がすでにその近くにいると思ったときにはいつも、またまえもって動物を思い浮かべるので、彼女は苦しかった。
(ムージル『ヴェロニカ』吉田正巳訳)
これは愛だろうか?
(ムージル『ヴェロニカ』吉田正巳訳)
家造りらの捨てた石は
隅のかしら石となった。
これは主のなされた事で
われらの目には驚くべき事である。
(詩篇一一八・二二─二三)
愛のおのずから起こるときまでは、
ことさらに呼び起すことも、
さますこともしないように。
(雅歌三・五)
声に出して考えていた。
(エドモンド・ハミルトン『審判のあとで』中村 融訳)
どうしてそのことを書かないの?
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
悲しみはまず無言でなければならない、あんたはそう思っている。痛みを感じたあとで、初めてその痛みについて語ることができる……たとえそれが、偶然見つけた死体のように、小さな痛みであっても、癌に当たったような、大きな痛みでも……
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
「あなたはあたしの手を握りしめたわ。そして、その死んだ男は、究極的に、生きているのだと言った。死者たちはみんな生きているんだって」
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
だれも話しかけてくれなかったわ。あたしのことをだれも知らなかった。
(フエンテス『脱皮』第二部、内田吉彦訳)
いったいどこから来る? どこからでもなく、虚無からやってくる──だれの声でもない声
(バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』11、大森 望訳)
声には実体があるとでもいうのか?
(バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』11、大森 望訳)
それだけで独立の実体を持っている。
(モンテーニュ『エセー』第?挟?・第10章、荒木昭太郎訳)
見る主体を見ることはできないし、心が考える主体を把握することもできない。見る主体、考える主体が〈わたし〉──すなわち、魂なのだ。
(バリントン・J・ベイリー『ロボットの魂』13、大森 望訳)
かれらがそうなりえたかもしれないものが永久に失われたことを、ウルフは悲しんでいるのであった。
(フィリップ・ホセ・ファーマー『異世界の門』16、浅倉久志訳)
目を開くと、頭上に薄青い空が広がり、ちらほら雲が見えた。周囲は牧草地だった。みつばちたちが、いや多少ともみつばちのように見える昆虫の群れが、茎が長く皿ほどもある白い花のあいだをぶんぶん飛びまわっていた。空気には甘い香りがただよっていた。さながら無数の花々が大気そのものを妊娠させているかのように。
(フィリップ・K・ディック『カンタータ百四十番』4、冬川 亘訳)
精子も自分をひとかどのものと思うだろうか?
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『一瞬(ひととき)のいのちの味わい』4、友枝康子訳)
彼の目は、少女の白いシャツからのぞく喉もとを楽しんでいる。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『煙は永遠にたちのぼって』友枝康子訳)
「でもね、どこか気味がわるいの」彼女は満身の力をこめて箱を河に投げる。箱は二十フィート飛ぶ。「すごい! でもね、あなたの一部分があなたの愛したものに執着して永久についてまわる、そんなことを想像してみて!」彼女は柳の木によりかかり、流れていく箱を眺める。
(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア『煙は永遠にたちのぼって』友枝康子訳)
少年の生活というのは同じようなもので、彼の場合も例外ではない。違うと言えば、ブロンドの女がしきりに話しかけていることだが、そのせいで少年は今ひとりぼっちの人間になっている(雲の話はもううんざりだが、今ふわふわした細長い雲が通り過ぎていった。あの日の朝は、一度も見上げなかったはずだ。二人に何か起こりそうな予感がしたので、これからどうなるのか様子を見ることにした……)。不安そうな少年を見れば、少し前、せいぜい三十分前に何があったか容易に想像がつく。つまり、少年は先ほど島の端(はな)にやってきて、そこですてきな女を見かけたのだ。女は最初からそのつもりで網を張っていた。ひょっとすると、バルコニーか車の中から少年を見かけたのかもしれない。そこで、少年のそばへ行くと、話しかける。少年は不安に駆られたものの、逃げ出すきっかけがつかめずそのまま居残る。
(コルタサル『悪魔の涎』木村榮一訳)
(…)画家の中には好んで椅子を描く人がいるが、やっとぼくにもその理由がのみこめた。急に、フロールの椅子がどれもこれも花や香水のようにすばらしいものに思えはじめた。あれはこの町に住む人たちの秩序と誠実さを表わす申し分のない道具なのだ。
(コルタサル『追い求める男』木村榮一訳)
民衆はしあわせだ。しあわせでなければならないのだ。もし悲しんでいるところを見つかれば、なだめられ、薬をあてがわれ、しあわせな人間に改造されるのだから。
(コードウェイナー・スミス『老いた大地の底で』1、伊藤典夫訳)
とつぜん大立て者は少年の体を宙に突き飛ばして自分のコックから解放する。そして両手を少年の座骨に当てて揺れないように押さえ、象形文字のような動きをする手を首に当て、首の骨を折る。戦慄が少年の全身を駆け抜ける。彼のコックは骨盤を上に向けて、大きく三度ぴくぴくとはね上がり、たちまち射出する。
彼の目の奥で緑色の火花が散る。甘美な歯痛が首筋を矢のように流れて背骨から鼠(そ)蹊(けい)部まで達し、歓喜の発作で身体を収縮させる。彼の全身はコックによって締めつけられる。最後の発作が起こり、多量の精液が赤いスクリーンの向う側まで流星のように噴出する。
少年はやわらかく吸い込まれるように、ゲームセンターとエロ写真の迷路を抜けて落下する。
堅いくそが勢いよくすぽんと尻からとび出す。放屁がきゃしゃな身体を震わせる。大きな川の向うの緑の茂みの中からのろしが上がる。薄暗いジャングルの中にモーターボートの音がかすかに聞える…… マラリア蚊の沈黙の羽の下で。
大立て者は少年を自分のコックの上に引きもどす。少年はやすに突き刺された魚のように身もだえする。大立て者は少年の背中で身体をゆすり、少年の身体はくねくねと波を打ってちぢこまる。少年の死の色に包まれて愛らしくすねたような感じの半分開いた口からあごを伝わって血が流れ落ちる。大立て者はすっかり満足してぱたっと倒れる。
(ウィリアム・バロウズ『裸のランチ』ハッサンの娯楽室、鮎川信夫訳)
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空転 :
いや、あほみたいに面白いんだけどさ。
田中さんが昔やってた、短行引用の方が胸にくるのはなんでだろう。
一作品からの(文章の)引用量が多いと、田中さんの作品の美しさがぶれる気がする。
詩の日めくりの方が、楽しい。
読者の勝手な意見だけど。 ('16/11/01 03:05:10)田中宏輔 :
空転さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。 ('16/11/01 07:35:43)山田太郎 :
"知恵遅れ"としての〈貼り絵〉詩。
田中さんはもちろん、頭、いいのでしょうけど、芸術的感性としては
"知恵遅れ"じゃないかと、これをみていて、ふとおもった。
山下清という"知恵遅れ"の天才画家がいたけど、油絵を書かせるとどうもダメだったみたい。
色彩と形象の細片を、時間をかけて精密に張っていくような画法だと、すばらしい感性がそこに爆発する。
どうしてそうなるのか? ということですよね。
たとえば田中宏輔氏のファンである「こひもともひこ」も本格的なのを書かせても下手な詩しか書けないけど、
言葉の断片を並列的にならべていくような詩をつくらせると、けっこう、面白い。
もともと半分、知恵遅れのようなところがあるやつだが。笑
どうしてこうなるのかということ、
これは一考の価値があるのかもしれない。
ちなみに、ひとつひとつの引用文を読んで、「面白かった」というのは一種の錯覚、めくらましであって、
この引用詩はそういうところで評価するものじゃないとおもう。
そういえば村瀬学が「知恵遅れとしての吉本隆明」という吉本論を書きたいとか
呟いていたことを思い出した。もちろん吉本は頭良いのだけど、あの論理の
独特な掘り下げ方は、"知恵遅れ"的だとわたしも思う。
− 表示切替 − ('16/11/05 09:42:18 *6)田中宏輔 :
山田太郎さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。 ('16/11/05 11:54:40)こひもともひこ :
ごちそうさまでした。
うーむ、と唸るしかないすごい作品です。
私が田中宏輔さんを直接知っているからかもしれませんが、前回までの「全行引用による自伝詩。」からさらに一歩、田中さん本人の懐に踏み込んだ内容に思えました。
特に、ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』「「でも、どうして子供たちが彼女をからかうのをほうっておおきになりますの?」〜」からバロウズの引用群へと続く箇所は秀逸で、このようなつなぎ方をよく思いつくものだと驚かされます。ここから、ミシェル・トゥルニエ『メテオール(気象)』の「よく考えてみると、こういう羨望混じりの感嘆の念は前にも味わったことがある〜」までが、セクシャリティーや差別に踏み込んだ箇所に感じました。
ここまででも充分すごいのですが、更に、ミラン・クンデラ『小説の精神』の「小説の精神は連続性の精神です。つまり〜」からは、実体験と読書などの経験による混交をテーマとした話へと踏み込んでいく。
前回作品にも感じたことですが、これまでの引用詩に使われていた詩句・文章よりかは長い文を使われていて、なおかつその引用文には田中さんとは関係のない人物名や地名が出てくるのですが、それらをまったく気にすることなく、物語を読むかのように、ひとつに連なった作品として読まされることに驚きます。
コリン・ウィルソン『ルドルフ・シュタイナー』の「これへの答えは、本書の第1章でかなり詳しく論じた〜」を読んで、「おりょ? 『全行引用による自伝詩。』の最初を読み直さなければ!」とすっかりしてやられています。
いやー、すごいっす。
− 表示切替 − ('16/11/09 21:18:32 *3)田中宏輔 :
こひもともひこさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。なぜ、こういった「全行引用詩」を『全行引用による自伝詩。』と名付けているのか、こひもともひこさんになら、わかっていただけると思っていました。あと何年、あるいは、十何年書きつづけるかわかりませんが、ライフワークになりそうです。 ('16/11/09 21:40:35)祝儀敷 :
田中さんの引用系作品を見るといつも思うのは、横文字の作者名が圧倒的に多いなということ
自伝だし、琴線に触れるものが悉くそうだということなのだろう
個人的には寺山修司の『ポケットに名言を』みたいに色々な方面からの引用があったほうが興味をそそられる
自伝だから、ってことで何言っても効果を成さないが、引用される作品をざっと見て私は「うーんこの詩は俺は客層でないな」と思ってしまう
自伝だから田中さんのそのままを書くものだから別にそれで悪いということは全く無いのだが、あからさまな引用の偏りが読む人を減らしている節はあると思う ('16/11/09 23:41:58)田中宏輔 :
祝儀敷さんへ
お読みくださり、ありがとうございました。 ('16/11/09 23:46:14)山田太郎 :
>こひもともひこ
>特に、ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』「「でも、どうして子供たちが彼女をからかうのをほうっておおきになりますの?」〜」から
>バロウズの引用群へと続く箇所は秀逸で、このようなつなぎ方をよく思いつくものだと驚かされます。
うけた!笑
最高にウケたわ、この感想。
この言葉に対する田中大先生様のご返事。>こひもともひこさんになら、わかっていただけると思っていました。
この二つ込みで、最高にウケました。笑
こひもともひこじゃないけど、「このようなことばをよく思いつくものだ」
− 表示切替 − ('16/11/10 06:24:42 *1)こひもともひこ :
祝儀敷さんへ
田中宏輔さんのやられている引用詩は『ポケットに名言を』とは全く違うものです。
『ポケットに名言を』と同型のもの(名言や格言として使える引用文を集めて並べた本)を知りたいのであれば、岩波文庫の『ことばの花束』『ことばの贈物』を読めばいいと思います。
引用文を並べただけのものと、田中さんのやられている引用詩との違いが分かりやすい作品は例えばこれなどでしょうか。
・THE GATES OF DELIRIUM。──万の川より一つの川へ、一つの川より万の川へと
http://bungoku.jp/monthly/?name=%93c%92%86%8dG%95%e3#a62
− 表示切替 − ('16/11/10 10:18:47)山田太郎 :
>こひもともひこ :
>田中宏輔さんのやられている引用詩は『ポケットに名言を』とは全く違うものです。
いや、主観的にはそうかもしれないが、客観的な形式としては同じものだよ。
田中宏輔さんの引用詩を詩として読めるなら、『ポケットに名言を』も詩として
読めなければおかしい。
『ポケットに名言を』の編者は詩を意識していなくとも、構成編集の段階ですでにして
選択という詩的要素が介入している。
だからそれは本人が意識しようとしまいと詩として読めるはず。
こひもともひこ君は、ほんとうはすこしも田中宏輔さんの引用詩が読めていない!笑
だから、こんなデタラメをいえるのだとおもう。
読めているのなら、
ゼナ・ヘンダースン『果しなき旅路』「「でも、どうして子供たちが彼女をからかうのをほうっておおきになりますの?」〜」から
バロウズの引用群へと続く箇所は秀逸で、このようなつなぎ方をよく思いつくものだと驚かされます。
この発言、説明できるものならしてもらいたい。
1.どこが、2.どうだから、秀逸だと言えるのか? つまり「つなぎ方」ということはフレーズとフレーズの〈関係性〉が生み出すイメージが、
秀逸だということに他ならない。これらのフレーズが関係し合ってどのような効果を産んでいるのか? それがどうして自伝に繋がるのか、
出来るものなら説明してもらいたい。
引用詩は、本人が詩だというから詩として読む姿勢を読者がとるのであって、そうでなければこれは文学フレーズ集とまったく同じです。
田中宏輔さんがこれは詩集だというのだから主観的なその気持を否定はしないが、これは客観的にはただの「文学フレーズ集」です。
客観的にはただの妄想です。
− 表示切替 − ('16/11/10 11:25:01 *3)こひもともひこ :
ゴマメがなんか言ってるけど、この作品が上がるからよしとする。 ('16/11/10 11:32:02)山田太郎 :
こひもともひこは、すこしもこの詩が読めていないのに、大口を叩いているだけ
ということでオーケー?
そう言われて悔しければ、あるいは真面目に詩と関わっているのなら、再掲するから
堂々と正面から次の問いに答えてもらいたい。
1.どこが、2.どうだから、秀逸だと言えるのか? つまり「つなぎ方」ということはフレーズとフレーズの〈関係性〉が生み出すイメージが、
秀逸だということに他ならない。これらのフレーズが関係し合ってどのような効果を産んでいるのか? それがどうして〈自伝〉に繋がるのか、
出来るものなら説明してもらいたい。
ここはきみのようなシロウトが大口を叩けるほど甘くないよ。
さっさとホームに退散することです。
− 表示切替 − ('16/11/10 11:37:16 *1)祝儀敷 :
こひもともひこさん
んー、なんだか私への指摘があまりに方向はずれ過ぎて意味を読み取れない私の読解力が不足しているのかなと何度も読み返してしまいました
別に私は作品の性質(引用文の収集物ということ)としてこの詩と『ポケットに名言を』が同じだとも、前者は後者に劣るとも言ってませんが
ただこの詩の引用元より『ポケット〜』の引用元のほうが興味をそそられるというだけでして。んだかって引用集を読みたいってわけでもないし
こひもともひこさんは田中さんを直接知っていて、だからか田中さん自体への興味も持っていて、その興味持つ対象が書いた自伝詩は無条件で読みたくなるのでしょう
しかし私は田中さんに会ったことなんて無くて、ぶっちゃけ田中さん自体に興味もない
詩が読まれる際に有利に働く先行条件が無い時に、田中さんの引用元の偏りはそういったまっさらな人がはじめて田中さんの詩に触れるときの妨げとなってしまうこともあるだろう、ということです
ただ結局、これは自伝でありますからそれが悪いとはならないだけで
− 表示切替 − ('16/11/10 12:33:33)こひもともひこ :
祝儀敷さんへ
興味がないのならコメント書く必要ないじゃん。
私が提示したのは、『ポケットに名言を』と同型のものを知りたいのならこういうのがあるよという情報を教えただけ。
「引用元の偏り〜」は笑いました。これだけ沢山(その多くは長い年月を生き抜いている作品たち)の引用文を使って作品を書いてきた書き手にいうんだ。
祝儀敷さんはすさまじい読書家なんでしょうね。
− 表示切替 − ('16/11/10 13:01:28)山田太郎 :
>こひもともひこ
>興味がないのならコメント書く必要ないじゃん。
↑
こひもともひこ程度の知性しかこの詩のファンがいないというのは
この「文学フレーズ集」にとって不幸じゃないだろうか??? ('16/11/10 13:07:05 *2)祝儀敷 :
こひともひろさん
興味はありませんが、それでも何かの縁で読んだわけですからそういった者からの視点でものを書いたまでですが。んな全部が全部作者のファンによる言及じゃ歪でしょう。ファンにはできない見方を示したまでです
で、同型のものを〜、って全く文脈無しにそれを言われてもって感じなんですよ。私はそれについて別に何も言ってないし。寺山修司について語っていたら「短歌は俵万智を嫁」と言われたような気分。寺山修司ー短歌ー俵万智って連想だろうがいま関係ないし。情報を教えただけ、って親切心が故の行動ってことなのだろうか
そうなんですよ、田中さんの引用はどれもこれも格式の高いものからなのですよ。別にそれ自体が悪いとは言わないが、私としては歌謡曲歌詞からの引用とかもあれば面白いってだけで。こひともひろさんの言葉は、格式高いものからの引用だから詩自体も素晴らしい出来だ、と読み取れなくもないのですが。それって盲目な権威主義じゃないすか?
− 表示切替 − ('16/11/10 13:48:53)こひもともひこ :
祝儀敷さん
何を言いたいのか意味がわかりません。
もっとがんばれ! ('16/11/10 14:03:27)山田太郎 :
>祝儀敷
>田中さんの引用はどれもこれも格式の高いものからなのですよ。別にそれ自体が悪いとは言わないが、
>私としては歌謡曲歌詞からの引用とかもあれば面白いってだけで。こひともひろさんの言葉は、
>格式高いものからの引用だから詩自体も素晴らしい出来だ、と読み取れなくもないのですが。
>それって盲目な権威主義じゃないすか?
これ、まったく同感! 文学作品から抽出したフレーズばかり延々と読まされるって、うんざりだよね。
こひもともひこのような詩も読めないし書けないけど、図形の好きな子は、こういう権威にころっといかれてしまうんだろうね。
自分をしっかりもてよ、こひもともひこ!笑
− 表示切替 − ('16/11/10 14:27:12 *1)祝儀敷 :
山田太郎さん
全然関係ないことなんですが、他者コメントの引用ってどうやるんですか? ('16/11/10 14:40:41)こざかな :
コピペした文章の行の先頭に、半角の不等号>
をつけると投稿後引用になってます! ('16/11/10 15:31:46)こざかな :
日めくりは僕みたいなライト層が読んでても面白いんだけど
(それでも僕は頭の構造の問題で長文は厳しい。散文で一行が画面左から右いっぱい文字が伸びている状態を目で追うだけでも頭が疲れる。)
こっちの作品については、学の無い僕だと引用元詳細をすっと自然に楽しむことができない。
段落ごとにでっかくて乗り越えにくいのが設置されてる障害物競走のような感覚になる。
そんな感じなので読むだけでもどっと疲れてしまうんです。 ('16/11/10 15:40:46)祝儀敷 :
こざかなさん
ほえー、そういう仕組みだったんすね。ずっとの疑問がとけまして
ありがとうございます ('16/11/10 15:40:57)山田太郎 :
祝儀敷さん、
こざかなくんが代弁してくれたけど、
コピペして貼り付け、行数をそろえて(約四十字くらいが適当)
各行の先頭に「>」(英数文字がいい)を付けるとその行だけ色が変わります。
お礼の返事はいいです。 ('16/11/10 16:59:46 *2)ちょび :
こざかな君、ここは君の遊技場じゃねぇから帰れ。
山田太郎君、アベアベ・トランプ学習帳あげるから老人ホームに帰れ。
コメントする者が作者の創作、意図を離れ、我が儘な悪意でなぞらえたり、間接的な自己主張するのはまったく良くない。
こざかなはニートぽいし、山田太郎は不労の老人でどっちも二十四時間体制で詩板監視てかなりキモいで。
そーいうの良くないから止めときな。
− 表示切替 − ('16/11/11 01:26:11)山田太郎 :
>ちょび
>コメントする者が作者の創作、意図を離れ、我が儘な悪意でなぞらえたり、間接的な自己主張するのはまったく良くない。
ちょび、すごい。じぶんのことを全部、言い当ててる。笑 ('16/11/12 11:12:32 *1)田中宏輔 :
そんなに売れていないこともないみたいです。せまい範囲かもしれませんが、売り上げの1位と2位に、ぼくの詩集がなっています。→http://www.ailight.jp/Amazon/Search/All/%E6%80%9D%E6%BD%AE%E7%A4%BE%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%89 ('16/11/13 01:25:52)田中宏輔 :
amazon でも、そこそこ、『詩の日めくり』は売れているようです。→https://www.amazon.co.jp/%E7%94%B0%E4%B8%AD-%E5%AE%8F%E8%BC%94/e/B004LA45K6/ref=dp_byline_cont_book_1 ('16/11/13 01:42:37)田中宏輔 :
うえのアドレスを辿られて、順位が違ってたら、ごめんなさいね。ころころ変わるから。 ('16/11/13 01:48:35)田中宏輔 :
ちなみに、『全行引用詩』は10位ですが、きのう、おとといは、もうちょっと上でした。 ('16/11/13 02:06:01)田中宏輔 :
祝儀敷さんの「あからさまな引用の偏りが読む人を減らしている節はあると思う」という言説に対してうえのコメントをしたのでした。そうかなあ。そんなことないんじゃないかなあと思って。偏りはあっても、読んでくださる方はいらっしゃるし、詩集まで買ってくださる方はいらっしゃるのだけれど、と思って。 ('16/11/13 02:33:43)ちょび :
あー、へいへい、売れてんなら葉巻でも吸ってりゃいいだろが。
『全行引用詩』てそれ、まとめサイトだろが。
ホント、痴呆なのかこの人、売れるとか人気とか、もうちょい上とかじゃねぇだろが。
詩だよ。詩は文学以上に上等だってとこ、魅せるくらいの詩だよ。
まぁ、イマイチ頭悪そうて思ってたけど、やっぱ駄目なんだな。
そりゃハゲるわな。
文下手だから引用に逃げて、そりゃハゲるわ。
− 表示切替 − ('16/11/13 02:48:11)山田太郎 :
ちょび氏はいったいこの詩のなにが不満なのか?
それと、>山田太郎君、アベアベ・トランプ学習帳あげるから老人ホームに帰れ。
いつになったらこんな面白そうなものをくれるのか? ('16/11/13 06:09:08 *1)ちょび :
ちょび氏が面白そうなのくれてやったから黙れ。 ('16/11/13 06:18:41)山田太郎 :
こひもともひこ氏、回答はまだですか?
↓
1.どこが、2.どうだから、秀逸だと言えるのか? つまり「つなぎ方」ということはフレーズとフレーズの〈関係性〉が生み出すイメージが、
秀逸だということに他ならない。これらのフレーズが関係し合ってどのような効果を産んでいるのか? それがどうして自伝に繋がるのか、
出来るものなら説明してもらいたい。
おそらく一ミリもわかっていないで賞賛しているのだろうが。笑
− 表示切替 − ('16/11/13 09:23:07)青山 :
日時: 2016.10.31 (Mon) 19:20
http://bungoku.jp/fbbs/viewtopic.php?t=1002
みつとみ wrote:
別件ですが、性的な事柄に対しては、センシティブな部分があるので、
発言にお気をつけてくださいね。
よろしくお願いします。
山田太郎
汗顔の至りです。
ホモが差別用語だとはちっとも知りませんでした。
ネットで調べて、ゲイは肯定的だけどホモは差別的であると
初めて知りました。ほんとうに世間知らずです。
そっちのほうにはまったく関心がないものですから、軽くみていました。
以後、気をつけたいとおもいます。
↓
↓
11月13日
山田太郎
わたしはわたしのこころが自主的に差別を認めない限り、
わたしは外部から強制的に
じぶんのこころを捻じ曲げられることを断固、拒否するよ。
運営代表には面従腹背。
投稿者には悪態の限り。
みつとみさんも今回ばかりは、判断と決断をされるでしょうね。
− 表示切替 − ('16/11/13 19:04:26 *5)こひもともひこ :
ゴマメがまたなんか言うてるけど、この作品が上るのでよしとする。 ('16/11/13 20:37:02)田中宏輔 :
たしかにハゲてるけどね。 ('16/11/13 23:36:29)山田太郎 :
こひもともひこ、田中宏輔、両君は、わたしが睨んだ通り精神的には
幼稚なんだね。知能がふつうでも「知恵遅れ的な精神」というのはある。
こひもともひこの今回の幼稚な投稿作品と、田中氏の本質的にはただのパクリ詩である
この自称「引用詩」。
ともに、「知恵遅れ的」作品だとおもう。
お二人が認め合うのは、精神が共鳴しあったと見ることができますね。
両者とも、もう少し人間的に成長してはどうでしょう?
− 表示切替 − ('16/11/14 04:50:25 *6)こひもともひこ :
ヤマダごまめtaroへ:
ほらほら、もっとしっかり上げないと! ('16/11/14 09:35:40)田中宏輔 :
自称ではなくて、もう「引用詩」として詩壇の詩人たちの何人からかは呼ばれています。
自称って、どっからなの、情報源?
山田太郎って、そんなに情報源が狭いの?
あ、詩壇とは付き合いがないか。
− 表示切替 − ('16/11/14 14:58:38)山田太郎 :
わたしは田中宏輔さんの努力とか文学的姿勢を否定するつもりもないし、
そんなことをしてわたしが一文のとくになるわけでもない。
むしろ、その一心に打ち込む態度には尊敬の念を抱いている。
なかなかできるものではない。
だから、田中さんに対する批評もなあなあでやっていればいいのでしょうが、
わたしはこの投稿板を尊重しているから、なあなあはしたくないのです。
引用詩には、どうみても落とし穴がある。
この詩に引用された文豪や俊英のすばらしい文学的フレーズを読んだ人が、
それが優れた作家たちの文章だということがわかっているのに、
田中さんが書いたような錯覚を覚えている。これはわかっていても直せない人間の
不思議な習性なんです。
どんな文学的大家がこのフレーズ集を読んでも、そういう錯覚のまま読み終える。
じつは、ここにあるのは、つなぎの「糊」(のり)だけなのに、
それが理解できない。そういう落とし穴のあるものです。
だから、これは、ほんとうは詩としては非常に問題のあるものだといいたのです。
田中宏輔さんが物事をひとつひとつ真剣に考えて出来上がったものじゃない。
「わたしはこんな本を読んできました」という、よくある有名作家や評論家の
読書自慢なんです。だからそこには世界に根ざした田中さんの洞察はない。
それは田中さんの本質がじつは精神的な「知恵遅れ」だからなんです。
こころの構造は幼児と同じだとみています。
差別についてあなたと議論してわかりました。
ちっとも人間についても世界についてもこころについても何もわかってないと
いうことが。
そういう人が、引用詩や日記詩しか書けないのはある意味、とうぜんといえば
とうぜんなのかもしれません。
− 表示切替 − ('16/11/14 18:22:24 *5)こひもともひこ :
ははは、やったことねーやつがなんかいってる。
まあ、ごまめだからいいけどね。 ('16/11/14 18:25:14)こひもともひこ :
なあなあで数百万円をかけて本出せるかっちゅうねん。
マア、ゴマメダカライイケドネ。 ('16/11/14 18:26:48)こひもともひこ :
あと、引用詩と日記詩だけじゃないんだけどね。
どんだけ読んでないねん、さすがはごまめ。 ('16/11/14 18:48:35)田中宏輔 :
山田太郎さんへ
ぼくが引用詩や日記詩以外にも書いているのは、山田太郎さんもご存じでしょうに、なぜ「しか書けない」という表現になるのか。
それと、この一連の引用詩は、ぼくの文学的表現のもとになったものとして、いわゆる栄養源として、こういうのがあったと書いている記録文学としての意味と、その栄養源をどう消化したのかを、引用の糊付けで示したものなのですよ。
糊付けが大事なのですよ。
もう少し精緻にお読みください。
− 表示切替 − ('16/11/14 18:55:03)田中宏輔 :
こひもともひこさんへ
おっしゃる通り、引用詩も日記詩も、ぼくの作品群のなかでは少ない方ですが、それを山田太郎さんは、ご記憶じゃないのかもしれません。そういうと、逆に、それくらい、ぼくの引用詩や日記詩の印象が強いということになるのかもしれませんね。 ('16/11/14 18:58:25)山田太郎 :
わたしはわたしがこの掲示板上で見聞きした範囲でしか
考えを述べていないのは事実です。
でも、それでじゅうぶんだとおもっています。
あなたの詩は技術や感性はともかく〈幼稚〉です。
いったいその〈幼稚〉さをなんと言えばいいのか、むつかしい
ので、これからの課題ではありますが。
それからあなたは「糊」の部分をみてくれというけど、
そんなものどうやって見れるのですか?
引用された全文学をすべて読まないと無理ですよ。
ほとんど不可能。すべての人はフレーズを作者のものと
錯覚して読み、かってに満足してわかった気になっているだけだ
とおもいます。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:06:04 *1)野良猫ニャンコ :
この詩には気持ち悪さしか感じない。
私はテキスト主義ではあるが、それは作者の人物像に迫る唯一の手段だからだ。
作品を通して、作者の性格、生き方、考え方を通して、別人を知るということ。
この作品がなにゆえに気持ち悪いのか。
裸のランチの引用があるからではない。
これは自伝詩であると作者が言うのは、作者自身も言うように、これ等の著作が作者の心情を創作したことであるのは当然予想されることである。
つまりは作者を作者足らしめてくれた作品郡である。
しかしながら、作品からは当の作者がそれらの作品を世に【排出してくれた】著者、翻訳者、出版社に対してなんらかの許可をとった形跡が見られない。
このことから、作者の散漫な態度が見受けられる。
また、それだけならまだしも、前作でも「許可をとれ」と
同じことを指摘したが、それを行っていないことから、この作者は作品郡を自作に使うことそのもの自体を何処かで崇高なことを行っていると勘違いしている節も感じられる。
つまりは傲慢であるということ。
こういう部分が作品のテキストよりも強く感じられることにより、気持ち悪さを覚えてしまう。
そういう意味で「自伝」として成功はしているのだろう。
本人の性格がまさしくその通りであるならば。
しかし、私はだからこそ、使われた作品と、それらを世に送り出すことに尽力した者達が不憫でならない。
このような人物に、このような使われ方をされてしまった。
私は、文学をする者の端くれも端くれとして、このような作品を文学として認めることはできないし、ましてや詩として認めることは、作品郡の関係者達に失礼極まりないこととして、認めることは到底できない。
余談として。
世間では、世間では、というなら、世間一般的な礼儀は最低限守れ。
と言いたい。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:22:33)田中宏輔 :
山田太郎さんへ
「じつは、ここにあるのは、つなぎの「糊」(のり)だけなのに」
と、あなたは書いたばかりなのに、ご自分の言葉を記憶されていないのですか? ('16/11/14 19:25:48)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんに認められないのは残念ですが、仕方ないですね。 ('16/11/14 19:27:24)山田太郎 :
>田中宏輔
>山田太郎さんへ
>「じつは、ここにあるのは、つなぎの「糊」(のり)だけなのに」
>と、あなたは書いたばかりなのに、ご自分の言葉を記憶されていないのですか?
だぁからあ、笑
その「つなぎの糊」を理解するには、引用された
当該フレーズだけじゃなく、そのフレーズがその小説全体のなかで
どのような関係性をもっているか理解するために、全部一から
読まないといけないといってるんです。
でもそんなこと不可能でしょう? だったら、結局、目の前にある
フレーズだけを、さも田中氏が書いたように錯覚して読むことしか
できない。でもそれではほんとうに「糊」を理解したことにならない。
なぜなら、すべての小説を読んでいるのは田中氏ただひとりだからです。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:30:06 *3)野良猫ニャンコ :
耳を落とした天使はよかった。
全部を全部認めないわけではない。
自己の構成に助力を尽くしてくれた本、その作者達に礼を尽くすのは当たり前のことではないのか。
それが抜けてるから、私はこの作品が好きになれない。
ただそれだけですよ。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:31:29)田中宏輔 :
著作権をクリアできるための配慮はしてあります。 ('16/11/14 19:32:53)こざかな :
切り取られた文章が、引用元の作品中で持っていた意味や意図と完全に切り離されて、
まったく別の作者、つまり田中さんの手によって繋がれ、並べられ、
新しく別の『行間』が創造されていることが面白いんだと思う。
そりゃー元作品を知ってたら、その比較ができてもっともっと面白いんだろうけど、
ただまったく知らなかったとしても、
僕みたいに脳みその構造が変で引っかかる、とかなく読み進められるなら
ぜんぜん、知らないままで、ベツにいいんじゃないの? と思うよ?
− 表示切替 − ('16/11/14 19:34:34 *1)田中宏輔 :
山田太郎さんへ
引用元が書いてあるのだから、だれも、ぼくが書いたものと思わないでしょう? タイトルもタイトルだしね。
でも、山田太郎さんは錯覚したんだ。 ('16/11/14 19:35:23)田中宏輔 :
こざかなさんへ
ごらんくださり、ありがとうございました。きょう、一日、パソコンをまえにして、来月、投稿する予定の新しい『全行引用による自伝詩。』の打ち込みをしていました。休日、ゆっくり打ち込んで、だいたい2、3日かかります。きょうは、本来は休日ではないのですが、たまたま仕事がなくなって休日になりました。 ('16/11/14 19:39:45)野良猫ニャンコ :
馬鹿か、まだ著者権とか言ってるのか。
世間のルール云々ではない。
作者個人が、作品郡の作者達に示す礼儀であり、個人の気持ちの問題だ。
私が問題にしているのはここ。
それから、山田さんの指摘もかなり大きい。
読み手が作品を完全に近いまでに知るには、あげられた全ての本を精読しなければならない。
貴方以上にね。
引用された文章の前後、この文章がなにを表してるかを知らなければならないからだ。
この作品を「詩」として認めた者達は果たしてそれをしたのか甚だ疑問でしかない。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:40:00)カルフォルニア・ブルー :
コーヒーブレイク。ツイキャスで『窮地の少年』検索。 ('16/11/14 19:43:11)田中宏輔 :
ルールは大事でしょう。気持ちの問題といえば、ぼくは、ぼくに影響を与えてくれた作品をひじょうに愛しているし、その愛情が、この作品にもあふれていると思っていますよ。もちろん、作者や翻訳者に感謝しています。ぼくのいまの感性を培ってくださったんですからね。 ('16/11/14 19:44:20)山田太郎 :
>田中宏輔 :
>山田太郎さんへ
>引用元が書いてあるのだから、だれも、ぼくが書いたものと思わないでしょう? タイトルもタイトルだしね。
それが人間の知覚の不思議なところで、わかっていても読書に没入すればそんなことを忘れてしまうんです。
わかっているくせに、なぜか田中さんの書いたフレーズの重なりのように読む。そしてトンチンカンな感想を述べている。
そうおもいますね。
いっておきますがわたしは「こざかな」くんのような読み方がいけないといってるのじゃないです。
読者はそれでいいです。でも批評と読書とは違う。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:45:26 *1)田中宏輔 :
山田太郎さん以外の方から、そんなことを言われたことがありません。 ('16/11/14 19:47:19)山田太郎 :
>田中宏輔
>山田太郎さん以外の方から、そんなことを言われたことがありません。
それは困ったな。 ('16/11/14 19:50:11)野良猫ニャンコ :
ルールが何故に大事か述べなさい。
そして、著者権はなんのためにあるのか述べなさい。
てか、考えろよな。
ルールとかに頼る前に。 ('16/11/14 19:51:05)田中宏輔 :
困る必要はないでしょう。感性は、ひとりひとり異なるものですから。 ('16/11/14 19:51:27)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
ご自分で考えてください。ぼくは大事だと「思っています」。 ('16/11/14 19:52:59)山田太郎 :
>田中宏輔
>困る必要はないでしょう。感性は、ひとりひとり異なるものですから。
いやね、「異なる」批評が出来る人が、
そんなにいないのかと愕然としちゃいましてね。
困った世の中だと。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:56:11)野良猫ニャンコ :
口ばっかで、行為がない。
だから、気持ち悪いんだわ。
この作品は。
問うてることは、「大事かどうか」ではなく「何故に大事なのか?」だ。
人がルール作る以前に人は存在するもんだ。
− 表示切替 − ('16/11/14 19:57:24)田中宏輔 :
山田太郎さんへ
ぼくは「全行引用詩」を30年近く書いてきましたし、そのあいだに、何度も雑誌で批評されていますが、山田太郎さんのような見解を目にしたのは、はじめてです。 ('16/11/14 19:59:50)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんにとって、この作品は気持ち悪いのですね。 ('16/11/14 20:01:43)野良猫ニャンコ :
> 5or6さんが似ていると思われれば似て
いるのですよ。ぼくが似ていないと思
えば似ていないし。けっきょく、読者
の数だけ、読み方、受け取り方、感じ
方があるのですし、それって、とても
基本的なことであり、健全なことだと
思っています。
作品が気持ち悪いんじゃない。
作品を通して見える作者の姿が気持ち悪い。
自伝詩と銘打つ以上、それは逃れられない。
もし、きちんと許可を得ていて、さらに題名が、「源詩の華束」とかなら、むしろ好感を得ただろうね。
だからこそ、使われた作品郡と造られた作品が可哀想。
− 表示切替 − ('16/11/14 20:06:03)こひもともひこ :
バカとごまめがなんか言ってる。
>読み手が作品を完全に近いまでに知るには、あげられた全ての本を精読しなければならない。
とか、かってに思い込んでやがる。
ははは、どんだけ他人に教えを乞うてんねん。
それぐらい自分で学べや。
− 表示切替 − ('16/11/14 20:06:12 *2)野良猫ニャンコ :
一部だけ見て作品をヒヒョーできると思ってるホモのヒモヤローがなんかいってらwww ('16/11/14 20:09:01)こひもともひこ :
野良猫ごまめさんへ:ほれ
「田中宏輔はクマのプーさんのミツをなめたか?」こひもともひこ
→http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=267581
もっと、学べ。 ('16/11/14 20:09:29)こざかな :
作品として見るなら『創造しなおされた』とさえ分かればそれでいいような。
引用元をなんも知らないで読んだ人にとっては
それが引用だと書かれていなかったら判別できずどっちでもいいわけで、
それを自分の言葉とせずあえて全て元の文のまま紡ぐってことは、
自分という人間が"これまでこのようなものたち"によって創り上げられたと曝け出す行為で、
作品を読んだ人たちの"黙っていりゃ田中さんに対して向けられる"興味、好奇心、称賛等を、
"創造しなおされるその前"に向けさせるだなんて、
引用元の作者に対する最大限の敬意じゃん。って僕は思うけど。
− 表示切替 − ('16/11/14 20:10:38)こひもともひこ :
もっともっと学べ:ほれ
「数式の庭」田中宏輔
→http://plaza.rakuten.co.jp/tanayann/diary/201107050003/ ('16/11/14 20:11:09)野良猫ニャンコ :
はい、またパクリ作品の紹介か(笑)
パクリ好きねぇ(笑)
こけおどしは効かないよ。
パクリはパクリでしかないもの。
「せめて自分で訳せばよかったんだ」って前の作品でも言ったな。
山田さんはこれで気付いたようだけど、お前はわからなかったんだな。
ダセェ。
− 表示切替 − ('16/11/14 20:13:33)野良猫ニャンコ :
自称、引用詩の話をしてんのにこいつ馬鹿なの? ('16/11/14 20:15:46)こひもともひこ :
もっともっともっと学べ:ほれ
「レズビアンとゲイとバイセクシュアルとトランスジェンダートインターセックスとクィアとクエスチョニングの詩人たちの英詩翻訳 連載 第三回」田中宏輔
→https://docs.google.com/viewer?a=v&pid=sites&srcid=ZGVmYXVsdGRvbWFpbnxzaGlzaGlvcmFjbGV8Z3g6N2U4ZDZjNWU2NmZjNDRjNg ('16/11/14 20:15:59 *3)田中宏輔 :
こざかなさんへ
「引用元の作者に対する最大限の敬意じゃん」
ぼくも、まったくその通りだと思うのですが、そう思っていただけないひともいるようです。 ('16/11/14 20:17:06)こひもともひこ :
野良猫ごまめへ:
大丈夫やでえ、おまえもゴマメやから、何言うても鬼にはなられへんから。 ('16/11/14 20:17:50)野良猫ニャンコ :
アホが人の著作物を許可もなしにリンク貼りまくりwww
しかも、話の流れに大きく関係ないし。
だからなに?
としかいいようがない。
田中氏の別な作品をのせたところで、この作品とそれに類する作品に対する批評は変わらんよ。
− 表示切替 − ('16/11/14 20:20:17)こひもともひこ :
自作・引用・引用混ざりの詩論詩・翻訳・順列並べ替え詩・あとなんやろね、野良ゴマメと本ごまめって、これのどれか一つでもちゃんと書けた試しがあるのかしらね。
まあ、ごまめだからいいけど。 ('16/11/14 20:21:32)田中宏輔 :
引用だけで作品をつくることに、これほど強い反発をされるとは思ってもいませんでした。これからも書きつづけます。 ('16/11/14 20:22:36)野良猫ニャンコ :
最大限の敬意が引用元を明らかにするだけで足りるなら、著作権とか要らねぇだろJK。 ('16/11/14 20:23:04)こひもともひこ :
ははははは!
めちゃくちゃなアホがおる!
なんで、ネット上に出してる作品のURLを貼り付けるのが著作権に関係するねん!
おまえ、法律ってなにか知らんのか?
さすがはゴマメやわ。お前のほうが本ゴマメかもね。 ('16/11/14 20:23:09)こひもともひこ :
ああ、やだやだ。ゴマメはやっぱりゴマメですね。
話を変えて、田中宏輔さんへ。
こんなアホは相手にせずに、これからもすばらしい作品を書き続けてください。 ('16/11/14 20:24:46)野良猫ニャンコ :
はっ?
リンクについては著作権の話はしてないが?
著作物の話だが?
ほんとに馬鹿なの?
文字も読めないの? ('16/11/14 20:26:55)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんには、ゆるせない作風なんだろうなあ。でも、ぼくはこれからも書きつづけるけれど。『詩の日めくり』とともに、ぼくのライフワークになると思う。 ('16/11/14 20:27:08)野良猫ニャンコ :
無断で自分が一生懸命創った作品を使われて喜ぶマゾの多いこと。 ('16/11/14 20:28:33)こひもともひこ :
文字も読めないのよ。
ゴマメの書いたものは。 ('16/11/14 20:30:44)野良猫ニャンコ :
ゆるせないのは貴方の態度。
作品にではない。
引用するなら引用するで、きちんと手続きを取りなさいってだけ。
ルールがどうのこうのじゃないの。
作者が作者に対してとる礼儀。
わかった?
− 表示切替 − ('16/11/14 20:30:57)田中宏輔 :
こひもともひこさんへ
ぼくの『全行引用による自伝詩。』は、このように多難な道を歩んでいるようですけれど、それでもよいと思っています。たとえ数少ない読み手でも、楽しんでもらえるのならば。これからも、生きて、書くことができるかぎり、書きつづけていくつもりです。 ('16/11/14 20:31:58)こひもともひこ :
まあ、このへんにしとこうか。
ちゃんとした作品の書けないかまってチャンをかまっちゃった。てへ! ('16/11/14 20:32:36)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
あなたが書いてらっしゃること、ぼくにはまったくわからないのですが。 ('16/11/14 20:34:28)野良猫ニャンコ :
ほんとマッチポンプだなぁ。
自分の創作態度に問題があるとは考えないらしい。
文意も読み取れない人達になにいっても無駄なんだろうね。 ('16/11/14 20:35:45)こひもともひこ :
田中宏輔さんへ:
『The Westeless Land.」が出たのが1999年なのですが、それ以来変ってないヤツらもいるんですね。進歩のないゴマメたちです。
こんなしょーもない勢力に負けずに、田中さんはこれからも頑張ってください。 ('16/11/14 20:36:02)野良猫ニャンコ :
わからないでいいですよ。
貴方はずっとケツ掘られとけばいいんでないですか?
ケツ掘られながら詩を書けばいいと思います。
痔に気を付けてくださいね。
偉大なるゲイ術家の田中宏輔さま。
− 表示切替 − ('16/11/14 20:37:33)田中宏輔 :
1999年でしたね。『The Westeless Land.』の初版が出たのは。ことし復刻版を出しましたが、そこそこ売れたようです。年末に出る詩の雑誌にも全行引用詩を掲載していただく予定ですが、これだけ強い反発があるのですから、いまから反応が楽しみです。 ('16/11/14 20:42:06)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
「ケツ掘られながら詩を書けばいいと思います。」
両方同時には、むずかしいと思います。 ('16/11/14 20:44:33)山田太郎 :
おれは、こひもともひこがこの引用詩をちゃんと理解しているとは
思えないのだけどね?
しょせんブランドに弱いやつだから(権威を盲信するやつだから)
文学的達成者たちの文学的フレーズが集まっているだけで、
手放しで礼賛しているにすぎないとみている。
でないのなら、ちょっと質問しただけで、ここまでギャーギャー、
わめくはずがないし、そもそも、ちゃんとわしの質問に応えられるはず。
それから、こひもとが挙げた「数式の庭」、つまらんよ。
田中宏輔さん自身、満足している詩じゃないでしょ。
読む方も、妙に気取った体裁のものを読まされた気分。なにひとつ、
地に根ざしたものがなく、一種の観念の花、造花を鑑賞させられたような
まずい気分になる。
田中宏輔の面白いところはこのような詩でもなければパクリ詩でもない。
日めくりのなかで「うひゃひゃひゃ」と笑う田中宏輔の部分だろ。
でも本人はそれじゃかっこ悪いと思っている。詩人らしくないと。
でも、もし将来、ことばとして残る詩を書きたいのなら、
田中宏輔氏はこんなもの(「数式の庭」)書いていてもだめだ。
じぶんに合った、もっと生き生きしたものが書けるはずだよ。
− 表示切替 − ('16/11/15 04:40:41 *4)山田太郎 :
>こざかな
>作品として見るなら『創造しなおされた』とさえ分かればそれでいいような。
>引用元をなんも知らないで読んだ人にとっては
>それが引用だと書かれていなかったら判別できずどっちでもいいわけで、
>それを自分の言葉とせずあえて全て元の文のまま紡ぐってことは、
これがもし引用元を記さないで並べられていたら、効果は半滅するね。
このパクリ詩の二番目に大事なところは作家名と翻訳者名のところなんだろうね。
そのあたりの不思議をちゃんと解明しないとね。それが批評だ。>自分という人間が"これまでこのようなものたち"によって創り上げられたと曝け出す行為で、
>作品を読んだ人たちの"黙っていりゃ田中さんに対して向けられる"興味、好奇心、称賛等を、
>"創造しなおされるその前"に向けさせるだなんて、
>引用元の作者に対する最大限の敬意じゃん。って僕は思うけど。
以上、こざかなくんの感想は、要するに「詩歌集」や「フレーズ集」に寄せられる感想や
意見が内に含んでいるものとまったく同じもので、こざかなくんもやはりこの引用詩を
「詩歌集」や「フレーズ集」のようにしか読んでいないことを自ら吐露しているにすぎませんね。ψ( ̄▽ ̄)ψ
− 表示切替 − ('16/11/15 05:23:03 *9)田中宏輔 :
数式の庭は、いい作品だと自分でも思っています。 ('16/11/15 06:40:05)田中宏輔 :
数式の庭は、他の詩人からの評価も高かったと記憶しているんだけどね。 ('16/11/15 06:45:31)田中宏輔 :
引用詩はお気に召さないのは、わかっているから、なにも書かないけれどね。 ('16/11/15 06:50:53)田中宏輔 :
ただ、パクリ詩というのは不適切な言葉だよね。パクるって、だまって自分のものにしちゃうことでしょ。ぼくのは歴然とした「引用」なんだから、「引用詩」がもっとも適切な名称だと思うよ。間違った言葉遣いをわざとしなくてもいいんじゃないかな。 ('16/11/15 07:16:07)野良猫ニャンコ :
無許可でしょ?
しかも主文なし。
パクリでしかない。
引用の形体を成してないのだから、これは引用とする方がおかしい。
てか、世間ではこんな詩は求めらていませんよ(笑)
− 表示切替 − ('16/11/15 07:17:22)山田太郎 :
詩や評論や散文に一部を引用するなら引用だが、
全部引用でしかも著者や出版社の了解も得ていないのだから
法的なことはともかく、パクリ詩であることは明らかだ。
なにも必死で反論することもないだろうとおもうが。 ('16/11/15 09:55:01 *2)田中宏輔 :
べつに、どうぞご勝手にお呼びくだされ。 ('16/11/15 16:49:18)田中宏輔 :
この「全行引用による自伝詩。」は、これからも、毎月、投稿していくつもりなので、毎月、これくらい反響があればいいかな。 ('16/11/15 17:03:56)野良猫ニャンコ :
全行パクリによる自伝詩の間違いでは? ('16/11/15 19:37:23)野良猫ニャンコ :
たんなるパクリを「引用」と称して読者を騙す表現はよろしくありませんな。 ('16/11/15 19:48:16)山田太郎 :
>毎月、これくらい反響があればいいかな。
田中宏輔氏の腰巾着、こひもともひこ、君のおかげでしょう。(・o・)
こひもと、はハンドルを田中氏の腰元(こしもと)もしこ、に
変えてはどうでしょうか。_(*_ _)ノ彡☆ ('16/11/15 20:21:49)こひもともひこ :
はーい、じゃんじゃんあげてねー。Wごまめちゃん。 ('16/11/15 20:42:06 *1)田中宏輔 :
きのう、12月に投稿する『全行引用による自伝詩。』の打ち込みをしていて、この掲示板の書き込みと同時並行してつくっていたのですが、たくさん書き込んでくださっておられるので、貴重な時間を割いて、ぼくの作品のためにコメントくださっているのだなあと思って、きのうから元気が出ました。ここ一年くらい体調が悪かったのですが、貴重な時間をいただいていると思うと、もっとよい作品を書けと励まされていると思って、きょうも元気でした。昼の授業時間の空き時間にも読書がすいすいできて気分がよかったです。この調子で、1月に投稿する『全行引用による自伝詩。』の構想を練りますね。楽しみにしていてください。12月に投稿するほうのものは、もう出来上がっています。きのう書き上げて、引用したものの打ち込み間違いがないか、印刷してチェックもすませました。 ('16/11/15 22:01:23)カルフォルニア・ブルー :
ティータイム。http://es.twitcasting.tv/yf_86e/movie/322730623 ('16/11/15 22:12:53)田中宏輔 :
カルフォルニア・ブルーさんへ
ぼくのこの作品は、読んでくださっているの? ('16/11/15 22:23:36)アラメルモ :
上記より会話の途中で申し訳ないです。
毎月長い引用文などは少しづつ読ませてもらっています。
わたしには得られるものも多く、何れにしても素晴らしい表現と置かれた言葉たちばかりだからです。
できれば11月の終わり、本格的な寒さが京都の町並みを囲う前に是非訪れてみたかったのですが、ここ数ヵ月ほど体調があまり芳しくないようです。
朝晩の急激な動きには胸が苦しい。血管の詰まりもかなり進行している様子で、自覚症状でもわかるようになってきました。
改善もしない日々の不摂生、また経済的な理由などもあり病院へ向かわせる足を拒んできました。どうやらその報復が訪れてきたようです。
三度目になるので、今度手術をするとなれば大きな手術になることでしょう。
何れにしても近いうち検査をしなければならないでしょう。いつ倒れてしまうことになるのだろか、と不安な毎日を送っています。
京都なんて今では近いものです。度々行くと書き込みしながら嘘になってしまいますね。
日差しも徐々に和らぐ季節、もしも来年の春先までに少しは回復する様子であるならば、筍の背伸びと供に日庵を訪れてみたい。
詩の華芽と酒を酌み交わしましょう。必ず訪ねます。
どうぞその日まで田中様もお身体をご自愛ください。
− 表示切替 − ('16/11/15 23:18:19 *4)田中宏輔 :
アラメルモさんへ
お読みくださり、ありがとうございます。ぼくはここ数日で、一年くらいつづいた不調から回復しました。アラメルモさんも、きっとご回復なさると思います。くれぐれもご自愛くださいませ。 ('16/11/15 23:25:50)コテ :
興味ないです。でもなんか読むと面白いです。 ('16/11/15 23:51:53)田中宏輔 :
コテさんへ
お読みくださり、ありがとうございました。 ('16/11/16 00:06:13)田中宏輔 :
きのうは、一睡もできなかった。暗い部屋でずっと横になって起きていた。脳機能が覚醒したのだと思う。非難の言葉を励ましの言葉、あるいは、賛辞として受けとめるという意識改革を脳機能が果たしたからであると思われる。詩人として、これはうれしいことである。これからも非難されるだろうけれども、それを非難と思わないで励ましの言葉、あるいは讃辞として受けとめるということだもの。人間として強くなったとも言えるわけで、一歩、成長したのかなと思われるのである。それが無意識の意識改革だったので、なおさら心強いのである。ほんものだろうからである。人間、長いあいだ生きていると、こういうこともあるのだなと思った。すばらしいことだ。一睡もしていないのに、気力が充実している。 ('16/11/16 06:35:12)山田太郎 :
エートォ (・o・) エートォ 非難はしておりません。
少なくとも非難ではなくて、「引用詩とは何か?」という問いです。
それと、もし田中さんが「非難」と捉えたのだとすれば
それは「こひもともひこ」というアホウに対するわたしの批判が
勘違いされて伝わったのでしょう。
いずれにせよ、コメがこれだけ伸びたのはわたしのせいではなく
こひもともひこのせいです。
これからも、こひもともひこ、あるいは「腰元もひこ」にコメをさせれば
この掲示板ではいつもトップの好位置をキープできるでしょう。
− 表示切替 − ('16/11/16 12:12:18 *1)野良猫ニャンコ :
じゃ、来月もこの作品みたいに励ましの言葉を送りまくりますね。
この詩は自伝詩だからなぁ。
どうしても作者の人物像に対する批判になってしまうんですよね。
自伝詩だからしょうがないですよ。 ('16/11/16 13:51:24)野良猫ニャンコ :
てかさ、来月も書くってのは結局この自伝詩は未完ってことでしょ。
未完成の作品を提出するってどういうこと? ('16/11/16 14:00:36)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
続篇だよ。ぼくの『詩の日めくり』と同様に、一篇一篇が独立しつつ、連携し合っているという見事な仕掛けなのである。映画と同じだよ。 ('16/11/16 14:06:58)野良猫ニャンコ :
>私は五番街に行った。~それは私の世界。
いや、違うだろ。
作者の世界は新宿二丁目だろ。
嘘つくなよ。 ('16/11/16 14:09:40)野良猫ニャンコ :
続編って。
月刊詩か!
うん?
それだと単独だと批判ってか評価はできない。
連携しているのだから、やはりこれだけだと、作品の一部にしかならない。 ('16/11/16 14:12:37)田中宏輔 :
山田太郎さんへ
あ、前後しちゃった。ごめんなさい。ぼくの『引用詩』は、たとえば、ここ、文学極道にも数多く投稿して、優良作品に選ばれているから見ていただきたいのだけれど、一篇一篇、構造が違うのです。ぼく自身が飽き性だからか、同じものは一つとしてつくっていないのです。それはたとえば、書肆山田から出した『The Wasteless Land.VII』(引用詩集という副題をつけてます)や、2015年の11月に思潮社オンデマンドから出した『全行引用詩・五部作』の上下巻を見ていただいたら明らかに、一作一作が違う構造をしているのが、おわかりいただけるかと思うのですが、まあ、ぼくの「引用詩」も進化の途上にあるもので、これこれとまだ説明できるものではないですね。そもそも、ぼくは、自分の作品を書くことはできても、自分の作品を説明することはできないというタイプの書き手のようです。実物をごらんになった方が考えてくださるほうがよいでしょうね。 ('16/11/16 14:15:00)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
ぼくは東京に行くことはあっても、新宿二丁目に行くことはないのですよ。といっても、行ったことは2度ほどありますが。わかいころのことです。20代か30代のことだったかな。もう2、30年ほどもむかしのことです。 ('16/11/16 14:20:14)田中宏輔 :
野良猫ニャンコさんへ
映画の続篇のように捉えられたらいいのではないでしょうか。じっさい、ぼくは詩集をつくるときも、続けて同じタイトルにして、?供↓掘↓検◆帖弔箸垢襪海箸?ありますが、作品単位でも、同じタイトルで、いくつも作品をつくって、重層的な構造になるようにしています。たとえば、ぼくの代表作として、その筆頭に、『陽の埋葬』シリーズがありますね。あれもまた50作品くらいつくっていますが、1作1作、まったく異なる構造をもたせています。文学極道に、いくつか優良作品としても選んでいただいてると思うのですが。 ('16/11/16 14:28:04)コテ :
肯定するのは何かを否定することと同じなら否定の中の肯定を求める者にとってはすごくすごく面白いです。
とっつきにくい洒落た文脈ですね。夢の帝王です。
非難してごめんなさい。 ('16/11/16 14:30:04)田中宏輔 :
コテさんへ
だいじょうぶですよ。何日かまえに、見えるようになったのです。いままで見えてこなかったことが。ここになされた、すべてのコメントは、ぼくのためにご自分の貴重な時間を使われてなされたものですから、ぼくもそれを栄養というか、糧として、自分のものにしなければならないし、じっさい、栄養として、糧としているなあと思ったのでした。 ('16/11/16 14:35:44)野良猫ニャンコ :
前回の作品でしたっけ。
バラバラにしたモナリザの絵、その中の一枚を見てもモナリザだとは判断できない。
そういうことです。 ('16/11/16 14:46:24)コテ :
言い飛ばしましたが、
夢の向こうまで行っちゃってるから
若干ごつごつしています。 ('16/11/16 14:47:53)田中宏輔 :
モナリザである必要はないのですよ。 ('16/11/16 14:48:57)田中宏輔 :
コテさんへ
それもまた作品の味わいのひとつなのだろうかなあと思います。違ったあじわいのものも、ぜひおためしください。 ('16/11/16 14:51:57)田中宏輔 :
さっき学校から帰ったばかりなのですが、これから食事をして塾に行きますので、返信は夜9時過ぎになります。 ('16/11/16 15:12:49)カルフォルニア・ブルー :
田中さん。
ブラウズはしました。アイディアはとてもスバラシク感じました。ただそれだけです。とても読む気にはなれません。そもそも、他人の詩にも自分の詩にも、あまり関心が湧かないのです。 ('16/11/16 19:07:28)田中宏輔 :
ありゃ。 ('16/11/16 20:59:01)
∧ ∨ 9266 : (無題) 生活 '16/11/14 22:56:42
台所は、
椿で、
軒下は、
雉、
の子供達が、
飛べない羽を
しまったまま
走り回る、
生活に、
人を、鳥を、
花を、
呼び戻す、
悲しいできごとは
新しいいのちで
こころから
いのる、
と、雨が降る
わたしはとけて
じゃぶしゃぶの
ゆきにもなれない
なまあたたかい
雨となって
降るでしょう
地面にとけて
地下に潜るとき
母や父、
家族や友達のこと
すらも忘れて
暗く流れて行くでしょう
こころから
いのる、と、
私のような
なまあたたかい雨が
そこらじゅうにふり
ここでわざと切る
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161114_163_9266p
生活 :
またなお前ら ('16/11/14 22:59:20)kaz. :
以前、「俺の作品なんか下手くそだ」と言ってくれる人が現れるように願っているというようなことを言っていましたよね、イカイカさん。私から言っておきますが、はっきり言ってあなたの今の作品は下手くそです。あなたは「千の滅びの歌」「便所の落書きが泣く頃に」「詩」あたりが最絶頂期で、それ以降はカスです。あなたと話せた時間はとても楽しかった。あなたに捧げる詩も、そのうち詩集に出す予定です。あなたは買わないと思いますが。あなたと過ごせた時間を忘れることはないでしょう。私は私で細々とやっていきますのでよろしく。流れて忘れられるのが運命なら、世界が忘れ去ろうとも私だけは忘れない、そういう風に生きようと思うよ。 ('16/11/14 23:49:47 *3)5or6 :
詩が上手い、下手、の定義とは何だろう。
詩が伝わる、伝わらない、なのか?
詩が理解できる、出来ない、なのか?
胸にこみあげる、こみあげない、なのか?
SNSが発達し、様々な自意識と接続出来るようになった昨今。
詩として作り上げる行為の無駄さに気づいてしまった男の生活が滲み出た文ですね。
つまり、詩というより、シミ、です。
いかいか、として書いてないのは、いかいか、としての生活をやめたのか、みせないのか、
それは他人にはわからない家庭の事情なのでしょう。
そのプライベートを見せるか見せないかが、作家のやる気なんでしょうね。
もう詩に対してなんの感慨も無いし、書いている人にも興味ないのでしょう。
羨ましい限りです。
− 表示切替 − ('16/11/15 01:58:37)生活 :
過去の作風や作品はいまでも似たようなものは書ける が、あえてそれをしないのはつまらないからその時その時で自分の状況や自分の感性に合う語彙やスタイルも違う 詩に対する考えや態度や理想も違う あえてしないじゃなくてする必要性や意味がない ('16/11/15 04:41:19)生活 :
つーか評価がほしいわけじゃないんだよね 評価がほしいなから対策した作風や評価されるスタイルに変えていくけどいらない いま書いている作風やスタイルが周りにどう反応されるか見てみたいと言う興味があるだけ 後kazってはかいしくんだったのそれすら忘れるくらい周りのことはどうでも良いしレスした自分に後悔してるわ ('16/11/15 04:44:56)生活 :
詩を書くと意識して書く より 生活の中で生まれる言葉や詩を書いている から 生活 にしただけ 自分の中での作品や書くと言う行為や理解などが昔と変わったからそれを表してるだけ もっと簡素にシンプルにしていきたいね まぁまたとうぶんこないけどね ('16/11/15 04:51:46)山田太郎 :
たしかイカイカは還暦だろ。
いい加減、ふつうの写実的な詩を書いてはどうだ。
こんなもの、もう、猫も跨いでいくぞ。 ('16/11/15 05:09:25 *1)5or6 :
生活氏
その考えはよくわかります。その生活を描写すればするほど他者の生活から離れていくのでしょう。
そしてそれは日常として他者からは目をむけられる必要のない、普遍的なこととして時に埋没していくのでしょう。これはむしろ幸福な事です。 ('16/11/15 08:16:29)生活 :
好きに言えばいいよ ただ決定的なのはお前らと俺では才能が段違いだから俺はお前らに出来ない事ができるだけって話だよ ('16/11/15 08:56:54)空転 :
俺の大切な詩友が神みたいに崇めてる「人」がこんな駄作を書く訳がない。
劣化コピーの模倣犯だろ、きっと。
彼の詩の模倣は簡単だからね。構造が。俺も書いた事がある。
けれど彼の抒情と索敵の精度は真似できるものではない。
けれど生活さんの詩のアンチテーゼとして、彼の詩が再読され得るなら、それはそれでもいいかって思う。
………帰って来てくれないかな、いかいかさん。。。
− 表示切替 − ('16/11/16 19:36:35)生活 :
馬鹿どもめ 今俺が書きたいものは 仏間にいけてある一輪挿しの花 みたいな作品なんだよ 簡素な言葉でシンプルな構成そして抒情は抑えて 昔はここまで到達出来なかった 一輪挿しがたたずんでいる空間全体=間 みたいな余白や抑制の聞いた余韻そして何よりも静かさ 昔出来なかった事が今出来るようになった もっと削りたいしもっと静寂さを浮き立たせる詩を書きたいだけ ('16/11/16 20:58:18)
∧ ∨ 9238 : 10階 三浦果実 '16/11/05 09:05:43 [Mail]
ジーザス:2008年06月23日03:03
落ちたら死ぬ。
マーク:2008年06月23日 03:53
落ちないように気をつけてください
カート:2008年06月24日 03:22
今日1日、人に心配かけて、どうなんだろうか?
ジーザスさんは、平気なんだろうか。
ブライアン:2008年06月28日 03:09
ジーザスさん。 どうして。
イアン:2008年06月29日 03:29
ご冥福をお祈りします。
ジミー:2008年06月30日 03:39
もう少し何か出来ることがあったと思う。
力になれなくてごめんなさい。
ご冥福をお祈りします。
ジム:2008年07月08日 03:21
やっと自分の動揺を押さえることが出来たので書き込みます。
ジーザスさんも悩んで、悩んだ上での「判断」だったのだと思います。
(私は、もっと力になることが出来たのではないか、悔しく思っています。)
私も「うつ病からくる希死願念」に悩まされることがあります。よくあります。
でも、やっぱり、その「希死願念」を乗り越えて、乗り越えて
「ジーザスさんの分も頑張って生きて」みる。いまはそう考えています。
改めまして、ご冥福をお祈りします。 「ジム」こと豊
ジャニス:2008年07月14日 03:42
ジーザスさんとは電話で会話したことしかなく、最後の電話で言葉の裏に気付くことができたらと、後悔してやみません。
私も常に死にたいと生きたいを交互に考え、リストカットを繰り返しています。これからは自分の命を大切に生きていきたいと思います。
ご冥福をお祈りします。ジャニスこと有希子
カレン:2008年08月14日 03:03
ジーザスさん、はじめまして。
そしてすみません。
貴方のことは耳にしてはいたのですが、
直接やり取りをする機会を作る前にそれは永遠に失われてしまいました。
貴方が好きなもの興味のあるものとして書かれていた、
第二次世界大戦の兵器など、ウチとなら何日でも話が尽きることなく話せたジャンルです。
あれだけ好きなものを列挙しているのは、それだけ人との接点を求めていた証。
ウチと話をする機会があったとして、今回の行動を止めれたなどと言うつもりはありません。
しかし、その境界に立つひとが向こうに倒れるきっかけは、思いのほか小さな事から始まる場合が多いと聞きました。
この例えは適切ではないかも知れませんが、
向こうに倒れない理由がゲームで遊びたい。たったそれだけの理由だとしても、こちら側に居続けることが出来るはずです。
ジーザスさんが大好きなビートルズ。
こちら側に居続ける理由になったはずです。
例え小さくとも、明日、来週、来月、来年に残しているものがあれば、向こうに倒れずに済んだのではないのか?と自問自答しております。
叶わぬ事とはいえ、話す機会がもしあれば、それはどのような会話になっていたのか。そして、その会話が次回に続いていたのではないのか?
人を向こうに追いやる一言もあれば、こちらに引き留める一言というものも、存在するはずです。
ウチに何が出来たのかはわかりません、ただ、ジーザスさんと友人には、なれたのではないかと惜しまれてなりません。
ジーザスさん、すみません。貴方の話を聞けなくて。どれだけ話をする機会を待ち望んでいたのか、ウチには想像すらおよびません。
慎んでご冥福をお祈りいたします。
ジョン・レノン:2016年08月31日 03:51
あのさ、誰も、自分の存在なんて知らないと、そう思ってたんだろう?
なぜ、40歳を目前に死んだのか、当ててあげるよ。
今更、なに言ってんだって話なんだけど。
まあ、いいや。やめとく。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161105_427_9238p
こざかな :
書き手本人がアイディアで満足してしまってる感じ。
現れるキャラクターが全て、
同じ人の同じ想像の中で形式的に必要の範疇で変化させられただけだろうなって。
僕は誰に対してもまず基礎から書いたほうがいいと言う人は良くないと思っているけど。
キミみたいなタイプはまず普通の文章を練習したほうがぜったいぜったい良くなるんじゃないかなーと。 ('16/11/05 14:53:51 *1)ヌンチャク :
お、ちょっとは面白いもの書く気になったのかな、
と思いきや、
ビックリするほどつまらなかったので、
本当にビックリしています。
ここまでつまらないと、
何を罵倒すればいいのかもわからないほどです。
なぜこんなにつまらないものが書けるのですか。
− 表示切替 − ('16/11/05 19:11:35)山田太郎 :
ツイッターかなにかの交信なんだろうけど、
よくわからなかった。
いや、返事や説明はいらないです。
なんちゅうのか、........やっぱり、さっぱりわからない。 ('16/11/05 19:25:47 *4)三浦果実 :
こざかなさん ヌンチャクさん 山田さん
コメント有難う御座います。というべきか、読んでいただけて有難うございます。なんと言いますか、あの、私、根本的に何かを間違ってしまっているというか、本気で決意して書いたんですが、すこし考えます。 ('16/11/05 19:31:29)野良猫ニャンコ :
人の死を通して、やり取りされる周囲、あるいはネットの人間の会話なんだろうけど。
この形式って誰に自分を投影したらいいのかわかりません。
つまりは、感情移入が出来ない。
一人の視点から書いた方がいいと思います。
てか、自分の考えをきちんとまとめて、伝えたいことを伝わりやすい形式で書いた方がいいですよ。 ('16/11/05 19:45:09)カルフォルニア・ブルー :
回収箱。牛乳パックは濯いでから棄てろ。 ('16/11/05 19:58:25)ヌンチャク :
匿名さんの作品と一緒で、
http://bungoku.jp/ebbs/20161103_341_9233p
要は「死ぬな」ってことを言いたいのでしょうが、
単純につまらないし、
この作品を読んで「よし、生きよう!」とは思えないですよね。
自殺した有名人によるあの世からの覆面座談会、
『ここがヘンだよ、極楽浄土!』
として書き直したほうがよほど面白くなると思います。
− 表示切替 − ('16/11/05 20:02:46)三浦果実 :
野良猫ニャンコさん カリフォルニア・ブルーさん ヌンチャクさん
あの本当にごめんなさい。これ削除したいのですが、それも人間らしくないのでこれを踏み台にもう一回頑張りますので、もう一回リベンジさせてください!
ヌンチャクさんの『ここがヘンだよ、極楽浄土』のコメントに救われました。有難う御座います。※晒し首みたいにトップにしないでください!(本当です) ('16/11/05 20:07:09)北 :
とりあえず、カレンはブス。超不細工。話は長い、しかも饒舌で狡猾気取り。こいつの方が他人に責任を押し付けて自殺しよるで。ネバっこい死に方しよるわ。葬式はなっとう葬や、ネバネバネバーエンディングストーリーや。 ('16/11/05 20:09:32)ヌンチャク :
ま、まさか、
『10階』と『十戒』をかけてるんとちゃうやろな?
な?
ほんでこのつまらなさ?
マジで?
と言いたいくらいです。
− 表示切替 − ('16/11/05 20:11:46)三浦果実 :
北さん
もう、ホントにもう、勘弁してください。もうやめてください。初コメント有難う御座います! ('16/11/05 20:12:31)玄こう :
現代詩手帳連中の平居謙や、和合亮一みたいなメディア,Twitterの寄せ書き、ポエ とか?。そういうウチウチの名の知れた者が、似たようなスタイルを投稿すれば、評価の様相も一変するのかもしれませんね。
若くして死なれた様々なロックの歌唄いさんなんかが思い浮かびましたが、とにかく、語られる呟きの内容中身があんまりにクダラナいから、もう、どうしょもないですよ。
レス応対からしてこうしたスタイルについての考究もなんにもしていないことがあからさまにバレバレである。
あっちのほう(どこだか云わないが)そっちでこうした寝言でもムニャムニャパソコンやスマホで打っててください、そこでずっと寝ていたらどうか。
こちらに投稿するのも、こんな詩作品も創作の確信の基いもないまま、行き当たりバッタリなもう、、そういう詩に向かう体勢や風潮。どうか止めたらどうかと思う。
− 表示切替 − ('16/11/05 20:43:30 *1)こざかな :
ジーザスに対してのレスがああだからこそ、キミに対してのレスがこれで凄く面白い対比作品になってるじゃん! やるぅ!! ('16/11/05 20:51:07)熊谷 :
三浦さん、こんばんは。
最初に三浦さんにコメントをした時に、「文章なめるな」的な、わたしとしてはずいぶん思い切った罵倒をした記憶があるですが、(滅多に罵倒なんかしないのですよ、嫌われるの嫌ですし、他人と深い関係を持ちたくありませんからね)それ以降、作品を投稿してくださっているようで、良かったと思いました。また文学極道レビューなど(ごめんなさい、あまり詳しくないのだけれど)でも色々活動なさっているようですね。わたしはそういうの面倒くさくてやりたくないダメな人間なので、これからもそういう活動は続けていってくださいね。
さて、作品についてですが、これはダメですね。笑
わたしも文章を書く上のテーマとして、
社会的に弱い立場の人間、それも病気の人を主人公にするという主軸がありました。
なので、こういうテーマで作品を書かれることに関してはどんどん書いていってほしい気持ちがあります。
なぜ、と言われると説明するのがアレなのですが、
やっぱり病気と戦っている人を応援したいっていう、何て言うんだろうな、
おせっかいにも似たような、優しいって自分でも言うのも変なんですけど、
つまりはそういう気持ちがあるわけです。
何か他の方はつまんねえだの何だの酷評が続いていますが、
これにくじけずに、このテーマで何度もトライしてもらいたいなあと思います。
人が死ぬこと、そういうことテーマにしたことあったかな、
何かすごく重いし、書くのしんどそうだし、書けるかわかりませんが
わたしも、いつかやってみます。
人はみんな死にますもんね、それをテーマにしない理由こそ無いかもしれません。
文章は書いていけば、というかそんなに書かなくても上手くなります。
(わたしなんか、何にも努力してないし。というか努力していないからこの様なのかもしれませんが。。。)
あとは、誰にどれだけ何を伝えたいか、それだけだと思うんですよね。
思い切ってジーザズさんへの手紙みたいにしても良かったかもしれませんね。
わたしのとも君のことみたいな悲劇にならないことをお祈りしますが。。。
− 表示切替 − ('16/11/05 20:58:56)玄こう :
文学としてまっとうに通用する文章を読者にしっかり読ませることをなんら身につけてない人らが、詩だとかぬかす人らがメディア広告のような詩ばかり披露目ているこうした事態。こんなん誰もバレないからこうして参加すれば俺だけで楽しいのだから、それでいい。
みたいな、そんな糞学な詩環境にゲンナリする。
この詩について、作者は読者に向け、魅力を持たせるように自説してみてください。嘘でもへったくりでもかまいません。そのアナウンスをじっくり読み、この作がいっぱしの詩として本物に比するか、ダメか精査します。
こういう奴らが詩も文学も舐め腐らせているんだ。たわけ文やたわけ者ばかりだ。
− 表示切替 − ('16/11/05 21:15:45)ヌンチャク :
作品がつまらないのにレス欄が賑わうというのは、
僕がもっとも得意とするところではないですか。
これをされると、
なんだかつまらなかった作品までちょっと面白く思えてきてしまうという、
不思議なイリュージョンが起こるんですよ。
炎上商法だけで年間賞まで成り上がった僕としては、
こういう出る杭は早め早めに打たねばならん。
なんだか同じ匂いがする。
ゴルゴタの丘へようこそ。
こういう痛ポエムは、
晒し首ならぬ、トップに磔の刑にしてやろう。
b-reviewのクズどもよ、
本家ブンゴクの敷居の高さを思い知れっ!!
− 表示切替 − ('16/11/05 21:45:04)花緒 :
惜しい作品。現状では、中身のない話を形式を作って仄めかしているだけの作品、という印象に止まってしまっているが、あともう一捻り加えることが出来ていれば、鮮烈な印象の作品になった気がする。
しかし、これはひと昔前のネット掲示板風のコミュニケーションへの批判が込められているのだろうか。匿名掲示板でふと皆が我に返れる瞬間があるとしたら、「誰かが死んだ時」だけかもしれない。そして、そうなった場合でも交わされる言葉は、本作にあるような、表層的なものばかりに止まるのかもしれない。もう一段突っ込んで書かれた部分があれば、本作はいろんな読まれ方があり得た気がする。 ('16/11/05 22:00:08 *1)北 :
そういう図式やったんや!本家vs分家みたいなもんか?
これは面白そうだわさ。 ('16/11/05 22:06:11)ヌンチャク :
こんなつまらない作品しか書けない人間が発起人、
てどういうことや、b-review。
この程度の発起人に審査されるて、
なんの冗談や、b-review。
そういうわけで、
次回の覆面座談会は、
『それでいいのか? b-review!』です。
− 表示切替 − ('16/11/05 22:06:27)北 :
覆面座談会て、裏ボスとかシナリオライターとか、まだいらんわ。それよりも、任侠もんみたいなんが観たい。 ('16/11/05 22:09:56)ヌンチャク :
>最終通告しとくわ。
>山田太郎、アラメルモ、あとなんだ、玄こう?ヌンチャク?
>おまえらは、ただの記号。おめーらがバカにしたメンヘラ25歳女子以下だ。放送に出てこいよ。くやしかったらやってみろ。
これ、三浦さんのTwitterから引っ張ってきました。
さて、
ここで問題ですが、
この『ヌンチャク』というのは、
僕のことですか?
− 表示切替 − ('16/11/05 22:16:02)北 :
そりゃ、ヌンチャクさんのことだろ。そんな変なハンドル他に見たことないわ。てか、こんなソースをのっけから出したら、またフォーラムへってなるやん。そんな茶番劇は見飽きたわ。三浦さん、真面目そうな声してる癖に結構いうわね。その毒、もっと他に使って〜ん。(*゜▽゜)ノとかさ、いきなりごまダレでしゃぶしゃぶ食べるのやめて。 ('16/11/05 22:32:07)三浦果実 :
玄こうさん
今作のコメント内にて失敗作だと自認してしまう程度の覚悟で投稿しましたことは、
当サイトの投稿ルールから逸脱しております。申し開きする余地がありません。
私は、自身が投稿しました作品の説明・解説は一切しないことを信条としております。
しかし、玄こうさんが御指摘求められる「説明せよ」との叱責は重く受け止めました。
御察しの通り、文作の力量は低劣を極めるものと認識はありますが、
玄こうさんへの礼儀として自分の拙き釈ではありますが、詩論を述べさせていただきます。
今作『10階』は私の体験した事実であります。ジーザスとは私が小学校一年生の時に
同じクラスメートだった友人です。小学校1年当時、私には友人と呼べるものはジーザスひとりでした。
ただ、私もジーザスも内向的なもの同士だったので、お互いの親の仲に乗じて
2・3度プラモデルを一緒に作った、その程度の関係でした。小学校というものに馴染んだ私は、
仲良しな友達にも恵まれ、日々、野球やゲームなどにも楽しく参加することが「出来る」少年となっていきました。
ジーザスが私と遊ばなくなったその後、どのように過ごしていたのかはまったく知りません。
小学校6年生の夏休み明け、事情により私は、他の小学校へ転校することになりました。
転校先での馴染まない生活。その翌年の正月、一枚だけ私宛ての年賀状がありました。ジーザスでした。
友達がいない私にとっては、とても嬉しい年賀状でした。しかし、その黒字で乱筆に書かれた文に私は不快になり、返事は出しませんでした。
その後、ジーザスからは連絡もなく。
2008年に私は、彼を見つけました。あるSNSで。HNの表記であってもアイコンの顔写真で彼だと気付きました。
しかし私は、メッセージを送りませんでした。彼が悲惨だったからです。約20年間に及ぶ糖尿病と精神疾患。
彼が時々発信するページは気にして、いつも閲覧しておりました。自殺した2008年6月23日。それが今作の題材です。
内容は当然ながら私の創作です。しかし、最後の書き込みは私が今年の8月にした事実です。それまでにも何度も何度も
現実世界では死んでいる彼のページを私は訪れては自分の愚痴やらを書き込み、彼に話かけておりました。
このように長々と、何が言いたいのか。それは、私の詩の創作の信条として
自分が体験していること、特定した個人宛てにしか作品を書かないと決めていることを開示したかったからです。
今作は亡くなったジーザス宛ての作品であり、前作は村上春樹さん宛ての自分の体験を基にした作品であり、
前々作もそうです。バカモノ論も愚かな自問自答だと唾棄された作品ですが、私の友人へ宛てた作品です。
初作も私が恋した相手とその関係者へ宛てたものです。
では、なぜ、個人宛ての詩作を信条とし、何故、個人宛ての作品を文学極道へ投稿し多数の読者へ読んで欲しいと願うのか。
私は、「言葉」は他者と自らを接着するツールと捉えております。誤解無きように申し上げますが、「伝える」ツールでもなく、
コミュニケーションのツールでもなく。折り合いが着かない者同士が、言葉を使い縁を保つ。敢えて言えば、落着するのであれば、
虚偽の言葉も価値があり、真実やら正義やらであっても着地・成立を為さないのであれば道具としては意味がないことを信条として持っております。
その道具としての言葉が、詩という藝術に仕立てられ、成れの果て、それが「悪しきネット詩」(判別の定義はともかく)ではないのかと。
そのアンチテーゼに私は思えたのです。否、思えたどころではありません。鳥肌が立ちました。「人様へ捧げる言葉の花束」というダーザィン氏の箴言に。
ツールとしての言葉の復興、その復興の願いを込めて私は投稿して参りました。
長々となりましたが、一生懸命書きました。玄こうさんに納得いただければ幸いです。
− 表示切替 − ('16/11/05 22:46:23)三浦果実 :
皆さん、
すみません、今、玄こうさんへの返信を書いておりました。それで、書き込み終わりましたところ、何か違う話が展開しており。その件については、そうですね、ヌンチャクさんの上げておられるtwitterの件は事実です。これは酔った勢いで書いており、正気ではなく。大変失礼しました。こちらは削除し御詫び申し上げます。 ('16/11/05 22:50:32)三浦果実 :
皆さん
あと一言付記します。私は、出資を約束しておるだけの発起人でして。皆さんが懸念されるようなことは考えておらず。更に言えば、文学極道サイトとは対立はしていないと思っているのですが。(すみません、先のtwitterの件はなんとも御詫びしようがないのですが) ('16/11/05 23:01:38)北 :
えええええ、そんな謝罪文も削除も要らんでしょ。ぜんぜん悪くないと思うわ。これが悪いと云うなら、何も呟けなくなる。陰口なんか叩かれ得だよ。噂の的ですよ。僕は本家か分家か、どっちのオッパイがオッパイしてるかを楽しんでるので、もう謝っちゃったらオッパイじゃないじゃん! ('16/11/05 23:06:27)カルフォルニア・ブルー :
沈没船。あえてサルベージするな。 ('16/11/05 23:51:55)寒月 :
これ初読した折の印象は、田中さんが試みていることの断面を、解読のヒントを内包しているかもということでした。これといったのは詩作品なのか、メモなのかどう呼んでいいか分からないものだったからです。「接点を求めて」ということの方法、手段、スタイル、ねじれ方。レスどうしようかを考えている間に作者の解説が付きましたが、僕の中で一筋の流れが出来ました。三浦さん、玄こうさん、面白い経験でした。 ('16/11/06 00:03:48)カルフォルニア・ブルー :
漂流船。タグボートの必要なし。 ('16/11/06 00:20:12)こざかな :
説明文のほうは読ませるなー。それなら原因は恋は盲目って感じなのかなー。
思い入れのないものを無理やり、面白く思い入れがあるかのように、書きあげてみるとか。
ポリシーに反するなら作品じゃなく、練習文ってことにして。 ('16/11/06 01:11:50)北 :
沈没、漂流してたら助ける。僕は人道を重んじ優先する人間なのさ〜。
でも救助しないときもあるよ。その理由は、つまんないと思ったときだよ。 ('16/11/06 01:41:55)玄こう :
一連のレス並びに作者さんのご返事、読ませていただきました。 まさに詩や文学を舐め、腐らせてくメディアの功罪を目の当たりにした。いかにしてそうなるかを、その実例を、一連の応対から垣間見た気が致します。
ソーシャルネットメディアというなかで、『一生』おやりになっていってください。
記号?、こちらは実名です。貴方なら、囚人番号3583#なんかでもかまわないんでしょうけど、ね。『たかだかネットですから……』と、私宛てにコメントされたのを記憶していますが。
しかし、こちらは、ネットメディアなんかがこの世になくても、私は実名で、詩をやっています。
/作品の背景はわかりました。しっかりした基台があるだけに、こんなやり方で、いいのか?。ご自身がそんなんでゆるせるのか?。内容は自前だからまだゆるせるが、友の死を悼むというより『利用』していやしないか?。そのように自らをなぜ疑えないのか。
どうしてこんな切実な出来事をこんな仕方で披露できるのか?、私はそうした神経を疑います。
反れますが、前に、記事の上がらなくなった亡くなられた方のSNS。命日にたくさんの方からの手向けの言葉が載せられていて、ギョッとしたことがありました。身につまされるメッセージなのですが、これって本当、なんなんだろか。そんな時代が当たり前なんだろうか、なんと考えていいのだろか…。不審な気持ちになったことがあります。
ツィター。少なくとも、人を影で誹謗中傷したことは一度もない。私は厳しい批判を相手に付します。確かにします。甘くはないです。それは作品に対してからであり、作品に向かう態度や姿勢も辛辣にレスします。だが、相手を主語にし人の生まれ持った性(サガ)までを、その人の生や人格そのものまでを、直接に貶めることはしないですね。
『王さまの耳はロバの耳』ってどうしても人に言いたいのでしょう。土に穴掘って呟きましょう。って、
まぁ、そんな2ちゃんねるの延長で、擁護している方もいらっしゃるようですから。
そうした環境のなかで、ずっと、何年も何年も、一生涯やっていったらよろしいのではないか?。どうぞ、そうした人たちと一緒に『仲間世界』を、つくってってください。
/以上です。
※ どうせ、↓では同じようなことが繰り返しコメントされるのだろう。繰り返し、繰り返し、何年も何十回も何百回も同じように繰り返されるのだろう。コメント内容が作品批評と逸脱し、ほんとう言って削除したいが…、
ネットメディア内で作られる詩や文学が、その作者と読者が、粋に詩や文学をほんとうに私たちは求めているのか?、なにか余分なことにばかり頭が行ってないか?、ネット仮想集団を実社会と同じように人間関係をつくり、そういうなかで、つまりネットメディア内でつくられ、そうした詩や文学がどこに帰するのか?。詩や文学がユーザー内の回覧板か?。そうではない。ちゃんと個々の実地制作が他者からの批評を受け、生かしていけているのか?。個々の実地での制作が変わっていけているのか?。そうした意識をほんとうに持って臨んでいるのか、何のために投稿し批評しているのか?、読者を楽しませるため、自分が楽しいため、それだけじゃない筈です。もっと違うだろうに、ほんとうに危機感を抱かずにはおれない。)
そんなメッセージも文章に含めているため、読んだ方がたに考えていただきたい内容もあるため、削除しないで残しておきます。
以上、追記( 朝4時 )しました。
− 表示切替 − ('16/11/06 01:42:36 *2)北 :
なんのメリットもないのに擁護するわけないじゃん。 ('16/11/06 02:10:35)ちょび :
はじめまして、ちょびと申します。
かなり高度なギャグですね。
「ジーザスクライシス、落ちたら死ぬやん!」て。
でも作者は真剣ぽいし、ジーザス断末魔さん、落ちたら死ぬらしいしなぁ。
てかこの人、何を評価してほしいんだ?
小説らしきといえばそうだが、構成は起承、結結結結結!みたいな、
ジーザス断末魔さんの代理の人が結結結結結!だし。
「私」のいないカラスが掻っさらった月曜日のゴミ捨て場みたいな文章だしな。
巧い下手、以前の問題なんだから、そりゃ荒れますぜ、旦那。
− 表示切替 − ('16/11/06 02:31:58)ヌンチャク :
作者の自己解説があまりに真剣なので、
再度ビックリしました。
亡くなられた方のblogのコメント欄に書き込まれたコメントの数々で作品を構成するという、
アイデアはけして悪くないと思うんですよ。
ただ、これでは内容があまりに物足りないと思います。
弔いの言葉だけでなく、
たくさんのコメントから、
ジーザスがどんな人物で、
何を悩み、
何に苦しんでいたのか、
ドラマやストーリーが浮かび上がってくるようにしないと、
読み物としてはちょっと厳しいと感じます。
個人的な手紙のつもりでしたら、
作者と相手だけがわかればそれでいいのでしょうが、
まったく事情やいきさつのわからない読者に、
興味を持って読んでもらう、
読者を作品に引き込むためには、
それだけの仕掛けや情報量がいると思うんですよね。
blogのコメントという『仕掛け』は悪くない。
少なくとも僕は、
興味をひかれました。
後は中身の問題だと思います。
もっとこれの5倍10倍の長さになってもいいから、
読者を意識してストーリーを持たせる必用があると思います。
あと、
作者のその真剣さに対して、
カートとか豊とか有名人の名前を並べられると、
むしろ逆効果だと感じました。
てっきり中途半端にふざけているのかと思ってました。
とりあえずこの作品、
やり方によっては、
僕は文学になると思います。
相当難しいでしょうが、
挑む価値はあるはずです。
− 表示切替 − ('16/11/06 04:24:38)山田太郎 :
いろいろ三浦氏にコメントしたいことがあるのだけど、
一旦、書いて、やっぱりすべて消しました。
三浦さんの人間的なやさしさ、明るさ、磊落さはじゅうぶん周知されたと
ころのもので、
人間的にはだれもあなたを否定する人はいないだろう。
でも人間的なやさしさと詩的なやさしさは違う。
殺人鬼だってやさしい、ひとを感動させる詩が書ける。そこが詩の凄いところ
であり怖いところだ。
− 表示切替 − ('16/11/06 05:50:23 *4)Kolya :
ジーザス:2008年06月23日03:03
落ちたら死ぬ。
マーク:2008年06月23日 03:53
落ちないように気をつけてください
カート:2008年06月24日 03:22
今日1日、人に心配かけて、どうなんだろうか?
ジーザスさんは、平気なんだろうか。
ブライアン:2008年06月28日 03:09
ジーザスさん。 どうして。
イアン:2008年06月29日 03:29
ご冥福をお祈りします。
ジミー:2008年06月30日 03:39
もう少し何か出来ることがあったと思う。
力になれなくてごめんなさい。
ご冥福をお祈りします。
ジム:2008年07月08日 03:21
やっと自分の動揺を押さえることが出来たので書き込みます。
ジーザスさんも悩んで、悩み抜いた上での「判断」だったのだと思います。
(私は、もっと力になることが出来たのではないか、悔しく思っています。)
私も「うつ病からくる希死願念」に悩まされることがあります、よくあります。
でも、やっぱり、その「希死願念」を乗り越えて、乗り越えながら「ジーザスさんの分も頑張って生きて」みる。いまはそう考えています。
改めまして、ご冥福をお祈りします。 「ジム」こと豊
ジャニス:2008年07月14日 03:42
ジーザスさんとは電話でしか会話したことがなく、最後の電話での沈黙の裏に気付くことができたらと、後悔してやみません。
私も常に死にたいと生きたいを交互に考え、リストカットを繰り返しています。これからは自分の命を大切にリストカットを繰り返していきたいと思います。
ご冥福をお祈りします。ジャニスこと有希子
カレン:2008年08月14日 03:03
ジーザスさん、はじめまして。
そしてすみません。
貴方のことは耳にしてはいたのですが、
直接やり取りをする機会を作る前にそれは永遠に失われてしまいました。
貴方が好きなもの興味のあるものとして書かれていた、
第二次世界大戦の兵器など、ウチとなら何日でも話が尽きることなく話せたジャンルです。
あれだけ好きなものを列挙しているのは、それだけ人との接点を求めていた証。
ウチと話をする機会があったとして、今回の行動を止めれたなどと言うつもりはありません。
しかし、その境界に立つひとが向こうに倒れるきっかけは、思いのほか小さな事から始まる場合が多いと聞きました。
この例えは適切ではないかも知れませんが、
向こうに倒れない理由が、ゲームで遊びたい。たったそれだけの理由だとしても、こちら側に居続けることが出来るはずです。
ジーザスさんが大好きなビートルズ。
こちら側に居続ける理由になったはずです。
例え小さくとも、明日、来週、来月、来年に残しているものがあれば、向こうに倒れずに済んだのではないのか?と自問自答しております。
叶わぬ事とはいえ、話す機会がもしあれば、それはどのような会話になっていたのか。そして、その会話が次回に続いていたのではないのか?
人を向こうに追いやる一言もあれば、こちらに引き留める一言というものも、存在するはずです。
ウチに何が出来たのかはわかりません、ただ、ジーザスさんと友人には、なれたのではないかと惜しまれてなりません。
ジーザスさん、すみません。貴方の話を聞けなくて。どれだけ話をする機会を待ち望んでいたのか、ウチには想像すらおよびません。
慎んでご冥福をお祈りいたします。
ジョン・レノン:2016年08月31日 03:51
あのさ、誰も、自分の存在なんて知らないと、そう思ってたんだろう?
なぜ、40歳を目前に死んだのか、当ててあげるよ。
今更、なに言ってんだって話なんだけど。
まあ、いいや。やめとく。>−−−−リライト終わり−−−−
ちょっと最近流行り(?)のリライトしてみました。ほんのちょっとですけど。読みやすさという点だけにおいてちょっと修正してみました。というのもコンセプトはとても良いなと思ったんです。ハッキリ言って文章はヘタです。でもそんなの当たり前だし、些末なことです。ベートーベンだって最初はピアノがヘタだったでしょう、松井だって空振りしたでしょう。ある意味では、練習というか、慣れが重要なんです。独りで鍵盤を叩くことが、素振りがやっぱりなんにでも「質」のファウンデーションなんですね。
月に吠えるの序文読んだことありますか?まだならぜひ。ちょうかっこいい散文ですよ。朔太郎はですね。詩なんか勉強できるわけねーだろ。上達なんかしねー。って言ってます。僕もそう思うんです。僕達が上達できるのは、ただ技術だけなんです。用意ができるだけなんです。いつひとりの人間がほんとうの詩を書くか。これは本当に難しい問題です。でもそれはコンセプトの問題だし、心構えや、どういうふうに生きていくかのナマの実感、世界とどういう風にこころがコミットしているかの問題だろうと僕は思うわけです。
− 表示切替 − ('16/11/06 07:35:08)三浦果実 :
皆さん
多数のコメント有難う御座いました。玄こうさん、朝方まで、有難う御座いました。
この8月31日の書き込みをした翌日に、彼の自宅を40年ぶりに訪れました。
葬儀は近親者だけで、友人・知人の参列は無かったようです。
計らずも、この板が賑わったことは、彼は喜んでいると思います。
彼は現実世界での最後の言葉を残す場所として、ネットを選んだ。
寒月さんの「田中さんのことについて」一言だけ触れさせてください。
私の今作にも関することですので。
過去から未来への時間軸は現実世界にはある。
しかし、このワイヤードと我々が呼ぶ
このネットの世界には実は存在しないのだ。
存在するのはレイヤーである。階層。
情報の時間軸はパラレルであるという認識を、
我々は持たなければならないのだ。
それは、私が、ジーザスが存在するワイヤードの世界へ
書き込みを続けた理由である。
少し頭がおかしいと、思われることでしょう。
しかし、少しだけ視点をワイドにして電子画面を視ればわかることです。
電子画面の向こうに存在する世界の軸はレイヤーです。
我々はそろそろ、この錯覚に気付かなければならない。
田中さんの『全行引用による自伝詩』
この作品は時間軸をレイヤーへ落とし込む作業であり、その労作業に詩の価値がある。
落とし込まれた言葉の引用は、情報として永遠に存在するのである。
紙媒体でも有り得ることかもしれない。しかし、時間軸がルールとなる現実世界では
「過去のもの」というバイアスが大きく存在する。
ワイヤードは、死んだ人間でさえも、情報のレイヤーのなかで存在し続けるのだ。
私は、言葉は道具であり、芸術の価値はないという立場をとることにした。
「詩は暴力にもなる」この言葉は実は、言葉・詩に価値を決める依拠が無きことを言っていることに等しい。
なぜならば、言葉は道具であるのだから、そこに善悪は無く、善悪は使う「人間」にあるということ。
もう一度言いたい。詩の価値は言葉が決定するのではない。
言葉を使う人間が問われるのではないでしょうか。
− 表示切替 − ('16/11/10 15:06:34 *3)ちょび :
さて、
成る程ですけど、それは一方で、「自分に当てこする言葉が気に食わない」とも聞こえますね。
「もう一度言いたい。詩の価値は言葉が決定するのではない。」
いいえ。僕は逆の答えを持っています。
てか「情報のレイヤー」て言葉、変ですよ? バイアスもな。
「情報のレイヤー」とは「情報の層序」であり、この前段階を無視して成立し得ない構造でもあります。
そこを一足飛びに人肉の関係に落とし込むというのは、乱暴ですね。
「もう一度言いたい。」だと?
こっちが聞きたいね。
「ジーザスクライシス」程度の英語を習ってお披露目したところで、それが全うな詩になるのかってことをな。
「もう一度言いたい。」だと?
こっちが「もう一度聞きたい」ね。
− 表示切替 − ('16/11/13 04:45:00)ちょび :
ちっ。この人は自分が下手文家だと分かっちゃいなくて、ただ詩人を自称してるだけの人だから可哀想でもあるけれど、「皆さん」だと?
ジーザス。
私を殺して。
私は死ぬの。
――どうして?
皆が私を殺そうとしてるの。
―――どうして?
私が死ねば、救いがあるの。
――――それは何故?
きっと私が罪だから。罪を炒って、捧げたいの。
―――――だから何故?
思い通りにはいかないことがあって、袋小路に立たされているから
――だからどうして?
私は死ぬの
ふふ、 三浦果実さんだっけ? この程度の人には書けない良い句だ。
「ジーザスさんが大好きなビートルズ。」
とか、ハハハ。こんな程度が詩人を自称して、ここであれこれ細工して、ハハハ。twitterとかで呼び掛けてたんだろ。ハハハ。
「もう一度言いたい。詩の価値は言葉が決定するのではない。」
ハハハ。
「選りすぐった言葉と感覚が詩と成る」のであって、お前では無いんだよ。
下手を詩の云々と履き違えるな。ボケが。
− 表示切替 − ('16/11/13 05:25:57)カルフォルニア・ブルー :
世界残酷物語。犬の世界。 ('16/11/13 16:00:59)カルフォルニア・ブルー :
そのまんまでスミマセン。 ('16/11/13 17:59:35)寒月 :
「レイヤー/落とし込む作業であり、その労作業に・・・」と田中さん本人の言う[糊/糊としての」で少し開けました。長生きして作業をつづけなくては。生きてる間。ただ墓標のことを少し考えました。ありがとう。借りました。 ('16/11/16 08:06:04)
∧ ∨ 9253 : 勝利乾杯 lalita '16/11/09 17:54:13
トランプ勝った。
悪しきフェミニズムが打倒されてうれしい。
ニーチェの引用
ここでついでに、わたしは女というものが何かをよく知っていると、あえて仮説的に主張してようだろうか? この知識は、ディオニュソスがわたしに持ってきてくれた財産の一端である。ことによったら、私は、「永遠の女性」の本質に通じた最初の心理学者なのかもしれない。女という女はわたしを愛するーーいまさらのことではない。もっとも、かたわになった女たち、子供を産む器官を失った例の「解放された女性群」は別だ。 ――幸いにしてわたしには、八つ裂きにされたいという気はない。完全な女は、愛する者を引き裂くのだ ……わたしは、そういう愛らしい狂乱女〔メナーデ〕たちを知っている ……ああ、なんという危険な、足音をたてない、地中にかくれ住む、小さな猛獣だろう! しかも実にかわいい! ……ひとりの小さな女であっても、復讐の一念に駆られると、運命そのものを突き倒しかねない。 ――女は男よりはるかに邪悪である、またはるかに利口だ。女に善意が認められるなら、それはすでに、女としての退化の現われの一つである ……すべての、いわゆる「美しき魂」の所有者には、生理的欠陥がその根底にあるーーこれ以上は言うまい。話が、医学的(半ば露骨)になってしまうから。男女同権のために戦うなどとは、病気の徴候でさえある。医者なら誰でもそれを知っている。 ――女は、ほんとうに女であればあるほど、権利などもちたくないと、あらがうものだ。両性間の自然の状態、すなわち、あの永遠の戦いは、女の方に断然優位を与えているのだから。 ――わたしがかつて愛にたいして下した定義を誰か聞いていた者があったろうか? それは、哲学者の名に恥じない唯一の定義である。すなわち、愛とはーー戦いを手段として行なわれるもの、そしてその根底において両性の命がけの憎悪なのだ。 ――いかにして女を治療すべきかーー「救済」すべきか、この問いに対するわたしの答えを読者は知っているだろうか? 子供を生ませることだ。「女は子供を必要とする、男はつねにその手段にすぎぬ。」こうツァラトゥストラは語った。 ――「女性解放」―― それは、一人前になれなかった女、すなわち出産の能力を失った女が、できのよい女にたいしていだく本能的憎悪だーー「男性」に戦いをいどむ、と言っているのは、つねに手段、口実、戦術にすぎぬ。彼女らは、自分たちを「女そのもの」、「高級な女」、女の中の「理想主義者」に引き上げることによって、女の一般的な位階を引き下げようとしている存在だ。それをなしうる最も確実な手段は、高等教育、男まがいのズボン、やじ馬的参政権である。つまるところ、解放された女性とは、「永遠の女性」の世界における無政府主義者、復讐の本能を心の奥底にひめている出来そこないにほかならない。 ……最も悪質な「理想主義」はーーもっともこれは男性にも現われる、たとえば、ヘンリック・イプセン、あの典型的老嬢におけるようにーーこの理想主義は、性愛における明朗さ、自然さに毒を盛ることを目的としている ……そして、この問題に関する正直で、かつ厳正なわたしの信念について、誤解をまねくなんらの余地も残さぬために、わたしはなおわたしの道徳法典の中から、悪徳排撃の一条をお伝えしておこう。「悪徳」という語でわたしが攻撃するのは、あらゆる種類の反自然、もしくは、美しい言葉がご所望なら理想主義のことなどだ。その一条というのはこうだ。「純潔をすすめる説教は、自然に反せよという公然のそそのかしである。性生活の軽蔑、『不純』という概念による性生活の不純化は、すべて、生そのものに対する犯罪であり、 ――生の聖霊に対する真の罪悪である。」
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161109_753_9253p
lalita :
真のフェミニスト ('16/11/10 20:21:05)湯煙 :
http://bungoku.jp/ebbs/20160319_331_8704p
Congratulation! 良かったですね ^^; ('16/11/11 00:41:39)lalita :
男女同権のための闘いは病気 byニーチェ ('16/11/11 14:33:57)小夜子 :
えっ、めっちゃ凄くない?
子供を産めない苦しみか、同性なら同情とかは気が引ける。それでも何故だか隣人と同じく苦しい日があるから<神ではない>人間同士が救われ、同時に自由を得ている言の葉により、その世に真の甘美が射すことを、理解するのは難しい事ではないよ。 ('16/11/11 19:20:02)小夜子 :
いや違う、誠の甘美だ。 ('16/11/11 19:23:31)こざかな :
で、でもこれ最初の三行以降は、引用コピペなんでしょ。
実際検索でも出てくるし。
感動したならニーチェ読めばいいじゃんなあ。って位しか。
さっすがにここまでくると文学作品の発表っていうより、
病的な布教活動としか受け取れないような。 ('16/11/11 19:41:47)小夜子 :
なんだ、コピペか。 ('16/11/11 22:52:56)lalita :
軽いジョークなんだが。ジョーカー トランプのジョーカー。笑 ('16/11/11 23:23:21)lalita :
直観とは勝利である。 ('16/11/11 23:25:50)傍観者 :
類は友を呼ぶ。コピペ ('16/11/12 16:14:06)lalita :
女性にとっては全面的な愛情が全てであり、それによって自ずから男性とのSEXがエクスタシーそのものを開示する。
だが男性にとっては、ただ愛情があるというだけではダメなのである。
そこには、さめた知性が必要なのだ。
愛情があればSEXにおいて女性は努力を全く必要としない。
だが男性はある種の努力が必要なのである。
この由に男性の至福への道は、死をかけた何物かを必要とするのである。
男性は一人の女性に対して全面的愛情を感じたとしても、それは一切の問題の解決とはなりえないであろう。
それ故、男性は自己の生命を捨ててもいいという風に生きなければ悟り、至福、エクスタシーに目覚めることはないのだ。
純粋なる坐禅冥想は勿論、全面的な死への道であり、全面的な至福への道であるが、それはごく限られた人々のものでしかない。
そこで男性は、職業、家庭、友情、使命などに生命をかけねばならないのである。
− 表示切替 − ('16/11/12 22:53:17)lalita :
地位・名声・権力―――
それらは、一種のオルガズムであり得た。
あるいは、知的探求・芸術的創作―――
少なくとも幾ばくかの陶酔を与えてくれた。
男の性的快楽なぞ淡いものだ。
だから男はいつの日か英雄になることを夢見た。
だが、自意識の頂点では、英雄の夢は破れる―――それは生物学的必然なのだ。
破れた夢は、一つの暴力と化す戦争はすぐまじかにある。
人間を大自然に憩わしめるのは、オルガムズ以外にない。
悟りは究極的なオルガムズなのだ。
今や文明は終わった。究極的オルガムズに帰るに最適の時だ。
女はと言うと、女は女でなくなった。
現代女性は自意識的に快楽を求めつつある。
だが、自意識のあるところに全身全霊的オルガムズのあったためしはない。
独立した女は、もう奴隷になることができない。奴隷になれなければ、本当の性的悦楽などありっこない。
性的欲求不満の女達は、自分の産んだ子供を愛することはできない。
おお、宇宙よ!女には性的オルガムズを、男には宇宙的オルガムズを与えたまえ!
− 表示切替 − ('16/11/13 22:05:19)lalita :
https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/vikrama 金の牡牛 ('16/11/15 18:41:36)lalita :
https://soundcloud.com/taishi-ohira-745737342/vikrama please listen 四行文書 ('16/11/15 23:05:56)
∧ ∨ 9264 : 文字の色は黄色 kaz. '16/11/14 00:55:23
もじのいろはきいよ、キリンの濃いほうの色、濃いっていうのは淡いの反対、淡いっていうのは泡の反対語だから、キリンが泡立っているような錯覚に陥ったまま、そのまま推敲していく、私は文体の鬼になる、ベッケット、ベッケット、別件でご相談、別荘でご相談、ご当地グルメにありついて、富士サファリパークに辿り着いた僕らは、新国誠一を朗読した、、反戦反戦反戦又戦又戦争、僕は彼をリスペクトしない、所詮はコンクリートポエトリーの一人だ、David Avidanやe.e.comingsやピエール・ガルニエの仲間に過ぎない、などと言ってみる、という文字の色は黄色でない、灰色の枠に囲まれて僕らは窮屈な時間を過ごしている、、句読点が余分に増えることによってシュルレアリスムを標榜することができるようになる抒情詩家がいる、まったくダメなやつさ、ヒューマニティー、アイラブユー、そして卒業を間近にして僕は僕は僕は、、三分割されふらはらひりへりほひ、ねびーんよねびーんよら、らが悲しくも語っていた、僕は僕は僕らは僕だった、フォロワーがどんどんと増えていった先にあるものは、ネビュラ賞なのです。
緑の焔に焼かれて
風が吹くときに舞い上がる火の粉を目に入れる
国家的主権
映像的卵巣
そのまま推敲するところもあるので5本もやっちまってさ
ピクサー映画のようなけぶる車の語彙に反動的になって
未来人社会人
いやそれよりも基本人という概念
青トマトの政治的論争
最後に豚肉
僕は美味しかったと言うだけでは
すべてを伝えることができない
マコモタケが殊更伝達の手段だから
ね
閉塞
腸を詰まらせる妻
言葉には嘶く音も震え
も何も
、、、、、、、、、、、、、
サリドマイドを毎度ばら撒く
アンダーグラウンド
那智の瀧に
「瀧くん……」
「ミツハ……」
が落とされて、音沙汰なしで、
痙攣する電子レンジの魔界競争殿
そしてソリューションらを引き連れて
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161114_070_9264p
アラメルモ :
Kazさん、アート的に面白い試み表現だとは思いますが、白い画面には眩しすぎて読めない。画面を少し暗くすればなんとか読めるのでしょうが、面倒だな。。
読めないのならばせめてダークなゾーンを意識してほしいかな。黒い文字で暗黒の空間か何かをね。
ダークな力は宇宙空間でも強いらしいからね。
どういう意図からグラフィックに交換させているのかはわからない。
わからないけれど活字を外す目的ならば、もう少し引き付ける波動を脳内で降臨させて見せて欲しいよ。
読めなくてもいいような確固たる意義を感じさせてほしい。
このような表現があってもいい。だけれど惜しいと思うね。
− 表示切替 − ('16/11/14 01:24:24 *8)こざかな :
内容自体は即興で綴ったフリースタイルラップのような印象。
反転すれば読めるけど、
そうすると黄色ではない文字が『黄色』だと主張してくる。
読んでほしいけど読んでほしくない。
理解して欲しいけど踏み入って欲しくはない。
そんな感じかなって、思いました。
ただ、批評書いてるあいだも、目が痛い。
何かを表現、主張するということは、
それなりに痛みを伴うのだろうか。
− 表示切替 − ('16/11/14 01:51:33)アラメルモ :
反転?
こざかなさん、どう処理したら読めるの?教えてたもれ。
機械処理に弱いから。笑。 ('16/11/14 01:54:53)アラメルモ :
拡大したらなんとか読めますね。でもなあ、読む気がしない。これでは不味いね。
一工夫ほしいよね。造り話でもいいから読まれたくないようなシークレットな内容とかね。
そういうのが指示されてあれば、逆になんとかしても読みたくなるような。 ('16/11/14 01:58:52 *3)こざかな :
スマホだと選択しても読めなかったんで、
パソコンで本文をドラッグして反転しました! ('16/11/14 02:07:11)アラメルモ :
こざかなさん、ありがとう。
ならタブレットじゃ駄目だね。拡大でもなんとか読めるけど記憶的にワケわからん。笑。 ('16/11/14 02:09:51)こざかな :
本文コピーしてメモ帳に貼り付けるとかですかね?
そういう工程を経ると、また黄色じゃなくなるところがみそなのだろうか。なんだろうか。 ('16/11/14 02:23:37)アラメルモ :
黄色の文字化。意図するものはわからないけれど、黄色にした意味をとことん追求してほしいよね。
そうでなければただ眩しくて読み難いだけに終わってしまう。
常識を超えた、読者の推考では及ばない作者独自の思考が表されるべきだと思う。 ('16/11/14 03:12:03)kaz. :
内容
文字の色は黄色(文学極道に投稿予定)
もじのいろはきいよ、キリンの濃いほうの色、濃いっていうのは淡いの反対、淡いっていうのは泡の反対語だから、キリンが泡立っているような錯覚に陥ったまま、そのまま推敲していく、私は文体の鬼になる、ベッケット、ベッケット、別件でご相談、別荘でご相談、ご当地グルメにありついて、富士サファリパークに辿り着いた僕らは、新国誠一を朗読した、、反戦反戦反戦又戦又戦争、僕は彼をリスペクトしない、所詮はコンクリートポエトリーの一人だ、David Avidanやe.e.comingsやピエール・ガルニエの仲間に過ぎない、などと言ってみる、という文字の色は黄色でない、灰色の枠に囲まれて僕らは窮屈な時間を過ごしている、、句読点が余分に増えることによってシュルレアリスムを標榜することができるようになる抒情詩家がいる、まったくダメなやつさ、ヒューマニティー、アイラブユー、そして卒業を間近にして僕は僕は僕は、、三分割されふらはらひりへりほひ、ねびーんよねびーんよら、らが悲しくも語っていた、僕は僕は僕らは僕だった、フォロワーがどんどんと増えていった先にあるものは、ネビュラ賞なのです。
緑の焔に焼かれて
風が吹くときに舞い上がる火の粉を目に入れる
国家的主権
映像的卵巣
そのまま推敲するところもあるので5本もやっちまってさ
ピクサー映画のようなけぶる車の語彙に反動的になって
未来人社会人
いやそれよりも基本人という概念
青トマトの政治的論争
最後に豚肉
僕は美味しかったと言うだけでは
すべてを伝えることができない
マコモタケが殊更伝達の手段だから
ね
閉塞
腸を詰まらせる妻
言葉には嘶く音も震え
も何も
、、、、、、、、、、、、、
サリドマイドを毎度ばら撒く
アンダーグラウンド
那智の瀧に
「瀧くん……」
「ミツハ……」
が落とされて、音沙汰なしで、
痙攣する電子レンジの魔界競争殿
そしてソリューションらを引き連れて
コメント。
最初から読まれることが前提にないのだ。あなた方は言うだろう。「好意的な解釈というものはありません。」ならば、私も返そう、そもそも読まれてなどいません。そもそも見えてなどいません、と。
今私の頭の中に流れているのは、例えば初音ミクの「銀河録」の「銀河みたいな」という歌詞であるわけで。それは、要するに「銀河みたいな」をリフレインすることによる、一種のノイズ、あるいはパルス性なんだと思う。この詩の中で一番大切なものは、見えないと言うこと、「灰色の枠に囲まれて僕らは窮屈な時間を過ごしている」ということ、それは文学極道という実に閉鎖的で窮屈な(アップロードできる言語も限定され、フォントも限定され、文字も限定され、ルビも振れない)空間の中で、できることを最大限やろうということ。
しかし、恐らくこれが優良に選ばれれば、作品としてはあの灰色の枠の中で黒文字で書かれ、その中に収まってしまい、白色のバックグラウンドに黄色の文字という装飾は剥がされ、骨董品収集家の手つきのように扱われるのだろう。昨日やっていたテレビで、カズレーザーがグルメリポーターの語彙力がよくわからないという趣旨のことを言っていたけど、あのカズレーザーほどの読書家でさえ結局はうまい(美味い)かどうかで落ち着くのだから、我々も単純にスタイルでうまいかで判断しているということを認識すべき。そういう問いかけを考えている。
以前作った問題形式のそれにしても、作品に対する回答、作品に対する問題作成、いってみればそれはリレーショナルアートなわけで、もちろん維摩経みたいに眠っているのか、考えているのかわからないときはあるけれども、そういう意味での芸術性を考えている。ある程度の成果は得られたように思うけれども。
− 表示切替 − ('16/11/14 06:19:48 *1)5or6 :
ネット詩というダサい空間でダサい罵り合いをながめる場所に警告する色としては話題になるのだから成功なんじゃないかと思います。
が、商業誌よりもサイバーでポップで先端を行くネット詩という芸術を追及している場所に発する色としては一時的なブームにしか過ぎないものとして失敗かと思います。
内容は今の文極にはウケなそうな詩でしたが俺は読みますね。
正直、赤色出してもおかしくない程の場所ですけど。
俺が気楽に書いている事が論よりの証拠です。 ('16/11/14 08:05:11)コテ :
額に入れたら安くなるし、ここでしか味わえない作品なら未完としては十分であり読み手がピースを埋めるとしたら、サイバーの存在意義を考えること読み手として嬉しく感じる。ただ罠があり、嵌らないようにするには本人の経験値だ、と言ったら希望になるだろうか。 ('16/11/14 15:30:45)生活 :
うん すごくつまらない 着想から言葉のセンスから何から何までもがつまらない 最後まで読むに耐えない ('16/11/14 22:34:47)山田太郎 :
これって眼によぐねえただの公害じゃないのかσ(・・?)>ただ、批評書いてるあいだも、目が痛い。
>何かを表現、主張するということは、
>それなりに痛みを伴うのだろうか。
こざかな、おまえ頭大丈夫か? ヽ(;´Д`)ノ
眼が痛ぐなるような文字、わざわざ読まんでもよかっぺ。
− 表示切替 − ('16/11/15 05:32:08 *9)アラメルモ :
公害かあ、社会的な言い方だな。
文学に於ける山田太郎と似たようなものか。おっと口が、ゴメンゴメン。笑。 ('16/11/15 12:47:35)
∧ ∨ 9257 : ごまめ こひもともひこ '16/11/10 10:06:45 *1
関西では「ごまめ」、関東では「おみそ」「みそっかす」という言葉は、子供時代に同年齢の友人同士で、たとえば鬼ごっこをしているときに、友人が2〜3才年下の弟・妹を連れてきたときに使われる言葉・システムだ。
小学低学年くらいまでの年齢では、2才以上の年齢差というのは、力も知力も段違いの差があるため、同じように鬼ごっこをすることができない。このときに少年たちが取れる選択肢は二つ。一つは年下の子に合わせた遊びをすること。5才以上年齢が離れたりすると、こちらを選択することが多い。けれど、子供たちはいつもやってる自分たちの遊びしたいものだ。そこで二つ目の選択肢として、自分たちの遊びに年下の子を加える。けれど、同じ条件で鬼ごっこをすると、年下の子が鬼になったとき、そこで遊びは停滞してしまう。これを避けるために、ゴマメ・システムが発動される。「ゴマメ」となった年下の子は、鬼にタッチされてもセーフになる。
大人からすると、これはあからさまな差別に思われるかもしれないが、それは間違っている。なぜなら、差をつけた扱いはしているものの、同じ中で遊んでいるからだ。もちろんこのゴマメ・システムは、年下の子が、鬼ごっこのルールをいまいち把握しておらず、お兄ちゃんたちときゃーきゃー走り回ることを楽しめるから適用できることではある。年齢差はあるものの、小学高学年生の中に低学年生が混ざった場合には、「ゴマメ扱いはいやだ」と本人が言う場合がある。けれど、実際の実力にあきらかな差がある場合にはその訴えは却下される。力の差がさほどない場合は、ゴマメの次のシステムである「ハンデ」が与えられるようになる。「ハンデ」は説明不要だろう。大人の世界でもあることだ。
あきらかな力の差があるがゆえのゴマメ・システム、力の差はあるけれどもハンデを与えれば同じように遊べるハンデ・システム。この二つはどちらも、集ったメンバーが同じ遊びをするために生まれたシステムという共通項がある。
けれど、そうではない「ゴマメ」という言葉を大人が使う場合がある。「力量の劣る人だから、あの人には関わるな」という場合だ。この場合に「ゴマメ」という言葉をあてるのは間違っている。子供時代にこの状態を表す言葉はちゃんとある。「はみご」「なかまはずれ」という言葉だ。この言葉をあてたられ対象者は、無視・シカトされる。なので「ゴマメ」とはあきらかな違いがある。
差別というのは、差をつけた対象者を別所に行かせようとする・閉じ込めようとすることに問題の多くがある。ところが、差をつけることを問題視してしまい、「みんなで手をつないで一緒にゴール」というようなことが学校で行われるようになったりした。それは優しさでもなんでもない。単なる誤魔化しだ。
「ゴマメ」は、鬼ごっこのルールの適用外に置かれた「鬼にならない・なれない」存在ではある。けれど、そのことを「みんなで手をつないで一緒にゴール」のように誤魔化しているのではない。なぜなら、ゴマメだった者がやがて成長し同じように同年齢での遊びに年下の子が現れたときには、かつての自分がなぜゴマメだったのかに気づくからだ。そして同じように、年下の子を混ぜて自分たちの遊びをする場合には、ゴマメ・システムを使ったり、ハンデ・システムを使ったりするようになる。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20161110_839_9257p
こひもともひこ :
ゴマメ太郎は相変わらずゴマメなのね。進歩のないことです。 ('16/11/10 10:08:21)こひもともひこ :
happyさんへ
コメントおおきに! ('16/11/11 00:05:16)こひもともひこ :
あれまあ、なんだかよく分からないけど、ひとのことを「低脳」だの「智恵おくれ」だの言う人は削除対象にはならないけど、そうじゃないない人は削除対象になるんだね。さすがは文学極道! さすがは腰抜けの集まり! ('16/11/11 23:23:06)こひもともひこ :
ちなみに、ここに書いた文章は昔メビウスリングに書いたものであり、http://mb2.jp/_poem/201.html-1357
そのときも、「ごまめ」こと「もうすぐ一年生」=「やっと一年生」だとかいったハンドルネームなのか、「ようやく一年生」なのか、「たどりついた一年生」なのか、「いや、でもやっぱりなれない一年生」だとかいったハンドルネームなのか、「裏階段に腰掛けて」だとか「山田太郎」だとか「紙飛行機」だとかいったハンドルネームなのかよく分からない頭のおかしな奴がいたんだっけね。
だから、おまえは、【ごまめ】なのよ。 ('16/11/11 23:46:50 *2)ごまめ :
色々不適切な発言をしました。ごめんなさい。これで眠れなかったら申し訳ないです。 ('16/11/12 00:09:39)こひもともひこ :
ごまめさんへ:コメントありがとう。
おまえ、だれ? ('16/11/12 00:11:06)こひもともひこ :
ああ、そんでね、今日は兄夫婦に蟹をご馳走になって酔っ払って今から寝るから、ここから先のやり取りはでけへんねん。ぐっすり眠るねん。ごめんなー、 ('16/11/12 00:12:58 *1)こひもともひこ :
ごまめ太郎語録:メビウスリングより
・http://mb2.jp/_poem/201.html-1358#RES
やっと一年生 ★7Ulq9JiHyp_Wsk
こひもともひこ君
相手が嫌がるのを無視して無理にその相手が嫌がることばを使うこと、その行為自体が「差別」「罵倒」なんです。
相手を傷つけること、それが「差別」「罵倒」「誹謗中傷」がもたらすものです。
まだわかりませんか? つまらないことをやっている
・http://mb2.jp/_poem/201.html-1360#RES
やっと一年生 ★7Ulq9JiHyp_Wsk
こひもともひこ君>わかりませんよ。
ということは、
相手が嫌がるのを無視して無理にその相手が嫌がることばを使うこと
これを今後も続けるということですね?
− 表示切替 − ('16/11/12 17:41:54)こひもともひこ :
山田ごまめ語録:メビウスリングより
・http://mb2.jp/_poem/201.html-1319#a
もうすぐ一年生 ★7Ulq9JiHyp_Eca
こひもともひこさん
突然、登場してわずか三時間のあいだに十三点の投稿作へコメントですか。
すごいですね。
わたしは一作品に最低でも半日はかけます。
赤黄青さんの「Within sound of sunset in the early-morning」は、まる五日かかりました。
こひもともひこさん、みなさん真剣に書いて時間も労力も使っています。
これは、一投稿者としてのわたしの個人的なお願いですが、もうすこし手間ひまかけた、
真剣なコメントをお願いできないでしょうか。
もちろん、あなたの批評がすばらしければいいのですが、
数行で「いいと思います」的発言が多いですから、なにやら読み飛ばして、薄い感想批評を書き付けているようにうかがえるんです。
もちろん、これは投稿者としてのお願いであって、非難しているわけでも、
強制しているわけでもありません。
しかし、あまりにもあまりなので、一言申し伝えておきます。
お気にさわりましたら、ご容赦ください。
− 表示切替 − ('16/11/12 18:25:44)こひもともひこ :
ゴマメごまめへ:
はーい、じゃんじゃんさらしてちょー ('16/11/14 09:34:01)
- ealis 3.0.10 + BUNGAKU GOKUDOU -