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現行ログ検索結果 (投稿者)

  1. 9268 : [返信]  アラメルモ ('16/11/16 14:30:15 *4)


    詩とは斯くあるべきだ。
    詩情に対する生真面目で真摯な思いを、ねむのきさんの詩からは印象付けられます。
    きっとナイーブでおおらかな感受性をお持ちなのでしょうね。此方の代表でもある、みつとみさんの詩想などを思い浮かべたりもします。
    一瞥すれば揶揄や言葉遊びに頼る詩ではないのがわかります。
    それ故に、置かれた表現にも集中して入っていくこともできます。
    豊かな詩情性を意識して書かれている。しかし冒頭がいつも気になるのは何故でしょうか。
    清潔な剃刀の刃を、止まない雨にあてると、雨は血になり、~薔薇の花びらと詩に表現される、それが赤色ならば熱愛を意味する感情的な色。生き物に流れる血を意識してしまうのは比喩として通説です。では清潔ではない、汚された剃刀の刃をあてれば雨はどのように変化してしまうのでしょうか?
    その応えのようなものが終わりの方に白い服や上着と清潔さで表されている。
    血の味、赤い傘。薔薇の花とは赤い傘の喩えでしょう。ここに表された白さとは、電車からみつめる既視感に彩られた虚無のようなものでしょうか。
    その白さが意味する清潔なもの。
    では清潔な剃刀の刃ではないものとは何でしょう?白い色と表面で表されているだけでは、その内面までは捉えにくいですね。
    たとえばその応えにもなるキーワードがタイトルなどで表されていたならば、冒頭に置かれた必然性もより強く胸に響いてくるのではないか。
    そのように思うのです。

  2. 9268 : [返信]  アラメルモ ('16/11/17 01:57:17 *7)


    喩の結び付きに関連性がうすい。などと野暮なことは言いたくもない。
    もう一度読んでみたのですが、どうしてもニ聨と三聨の関連性が気になりますね。
    それで、色を中心に聨の結び付きを五感で受け止めてみました。
    視覚、臭覚、味覚、物の触覚と、気づけば聴覚に応えるものが表現されていないのがわかります。
    つまり僕が現在するという視覚から耳に受け止めるための音の情報。空間を意図した風景などの遠近的な描写が具体的な象として欠けているのがわかりますね。移動などが五線譜で活かされてないのです。
    この辺りがニ聨三聨に書き込まれていたならば、必然的な結び付きも強くなり、もっと詩は立ち上がるでしょう。
    たとえば薔薇の花びらを、花言葉のように感情に置き換えた言葉として喩えるのか、それともこの詩のように身体的な捉え方で探るのか、このままではタイトルの薔薇の花が浮いている気がします。
    読んでみてわたし自身にも勉強になりますね。喜ばしいことです。

  3. 9263 : [返信]  アラメルモ ('16/11/13 14:29:41 *9)


    倒置的な短い文章の繰り返しで書かれている。
    主観的にも客観的にも対象的に捉えた感情の起伏などは一切省かれている。
    なので作者が趣向するものは情緒的な意味作用など必要としない、帰着する認識の壁だけに囚われた記号的な形式が全てなのだろう。
    ひとつ考えられるおもしろい操作は、一見すればギャグのようなこの変態というキーワードを軸に、伝文を打ち続けてみれば対象的に文脈はどのように変化していくのだろうか、ということ。
    それは変態という奇怪な言葉が発っせられるとき、この多種多様にも受け取れる意味作用を、未来のコンピューターなどはどのように解釈し発展させるのだろうか。
    あるいは誤差動からまったく新しい感情的なシナプスの発生や知脈を構成させるかも知れない。
    もう少し続けてみてほしい。

  4. 9265 : [返信]  アラメルモ ('16/11/16 00:16:26 *7)


    たとえば街ですれ違う相手との挨拶。欧米人や大陸に暮らす人々などは気さくに声をかけやすい。我々の国などと比べればそのような印象を持ちます。コミュニケーションの大切さを日々の暮らしから会得している。多種多様な民族との接点も多く在り、言い替えてみればそれだけ危険を意識した危機管理能力も携えて暮らさなければならないのでしょう。

    語りかけるという行為を敢えて否定しながらも、あなたという対象を軸に、中身のない会話の重要性をただひたすら自分語りで綴り終えています。
    おそらく試作的な意図からでしょうが、英文で末に置かれた作者のオフィスに救われますね。作者との接点。あれが書き込みされていなければ詩としては意味を成さなかったでしょう。
    批評ならば対話、詩で表すならば言葉。発語させる目的。
    会話の中身そのものよりも、語りかける会話するというコミュニケーションの大切さを意識して書かれている気がします。

    改訂。終わりの対話と会話を入れ替えました。

  5. 9219 : [返信]  アラメルモ ('16/11/15 23:18:19 *4)


    上記より会話の途中で申し訳ないです。
    毎月長い引用文などは少しづつ読ませてもらっています。
    わたしには得られるものも多く、何れにしても素晴らしい表現と置かれた言葉たちばかりだからです。

    できれば11月の終わり、本格的な寒さが京都の町並みを囲う前に是非訪れてみたかったのですが、ここ数ヵ月ほど体調があまり芳しくないようです。
    朝晩の急激な動きには胸が苦しい。血管の詰まりもかなり進行している様子で、自覚症状でもわかるようになってきました。
    改善もしない日々の不摂生、また経済的な理由などもあり病院へ向かわせる足を拒んできました。どうやらその報復が訪れてきたようです。
    三度目になるので、今度手術をするとなれば大きな手術になることでしょう。
    何れにしても近いうち検査をしなければならないでしょう。いつ倒れてしまうことになるのだろか、と不安な毎日を送っています。

    京都なんて今では近いものです。度々行くと書き込みしながら嘘になってしまいますね。
    日差しも徐々に和らぐ季節、もしも来年の春先までに少しは回復する様子であるならば、筍の背伸びと供に日庵を訪れてみたい。
    詩の華芽と酒を酌み交わしましょう。必ず訪ねます。
    どうぞその日まで田中様もお身体をご自愛ください。

  6. 9264 : [返信]  アラメルモ ('16/11/14 01:24:24 *8)


    Kazさん、アート的に面白い試み表現だとは思いますが、白い画面には眩しすぎて読めない。画面を少し暗くすればなんとか読めるのでしょうが、面倒だな。。
    読めないのならばせめてダークなゾーンを意識してほしいかな。黒い文字で暗黒の空間か何かをね。
    ダークな力は宇宙空間でも強いらしいからね。
    どういう意図からグラフィックに交換させているのかはわからない。
    わからないけれど活字を外す目的ならば、もう少し引き付ける波動を脳内で降臨させて見せて欲しいよ。
    読めなくてもいいような確固たる意義を感じさせてほしい。
    このような表現があってもいい。だけれど惜しいと思うね。

  7. 9264 : [返信]  アラメルモ ('16/11/14 01:54:53)


    反転?
    こざかなさん、どう処理したら読めるの?教えてたもれ。
    機械処理に弱いから。笑。

  8. 9264 : [返信]  アラメルモ ('16/11/14 01:58:52 *3)


    拡大したらなんとか読めますね。でもなあ、読む気がしない。これでは不味いね。
    一工夫ほしいよね。造り話でもいいから読まれたくないようなシークレットな内容とかね。
    そういうのが指示されてあれば、逆になんとかしても読みたくなるような。

  9. 9264 : [返信]  アラメルモ ('16/11/14 02:09:51)


    こざかなさん、ありがとう。
    ならタブレットじゃ駄目だね。拡大でもなんとか読めるけど記憶的にワケわからん。笑。

  10. 9264 : [返信]  アラメルモ ('16/11/14 03:12:03)


    黄色の文字化。意図するものはわからないけれど、黄色にした意味をとことん追求してほしいよね。
    そうでなければただ眩しくて読み難いだけに終わってしまう。
    常識を超えた、読者の推考では及ばない作者独自の思考が表されるべきだと思う。

  11. 9264 : [返信]  アラメルモ ('16/11/15 12:47:35)


    公害かあ、社会的な言い方だな。
    文学に於ける山田太郎と似たようなものか。おっと口が、ゴメンゴメン。笑。

  12. 9250 : [返信]  アラメルモ ('16/11/09 13:23:35)


    ずいぶんと悲観的に生活を眺めている作者がいる。
    冷たさと温かさ。苦しみから微笑み。対峙させるような視線は、祈りを中心に言葉は対象的に置かれている。
    作者が誰であろうとこれを問わない。
    表現には無駄もなく置かれた言葉からは切れ味を感じる。
    ただこれを主観的に眺めても客観的に受け止めたものとしても、内面を覆う表層から深部へと潜り込もうとする意思は感じられない。
    力量を感じるが故に、手癖のように言葉を上手く操る操作だけに留まって読めるのは否めない。

  13. 9240 : [返信]  アラメルモ ('16/11/10 02:13:15 *4)


    「パウル、ツェラン」本名「パウル、アンチェル」ご存じのようにセーヌ川に投身自殺したこの偉大な詩人は、ドイツ系ユダヤ人であったためにアナログ化された名前で身を隠した。
    それでも家族共々強制収容所生活を余儀なくされるわけですが、あなた独自の隠喩とアナログ化との相互作用にも何らかの因果関係を含ませているのでしょうか。
    右手と左手に分けてモチーフからイメージさせていますね。
    右手から左手のイメージをユダヤ人に結びつければ旧約聖書に出てくる大天使ミカエルの図像を思い浮かべます。右手には剣、左手には秤を携えたこのイスラエルの守護者も、カトリックの時代になればキリスト教の守護者にされる。
    この詩に目を通せば、それら宗教観から人種問題を絡めた争いにも読めてくるので、やはり根底には国家の成り立ちというものがあるのでしょうか。
    そういえばホッブスの「リヴァイアサン」の初版の口絵にも王冠を被った巨人が剣と司教杖を持って描かれている。
    海獣は政治権力と教会権力の象徴として眼下を見据えている。
    争いの絶えなかった時代、絶対的な権力が支配する平和な国家の統一を理想に掲げホッブスはこれを描いたのでしょう。
    だが矛盾に彩られた不条理な社会から人類は一向に抜け出せず今もこうして悩んでいます。
    ゲットーに苦しむ人々を助けるため敵に起ち向かう一人の若者。しかしその行為が逆に肝心な敵を益々富ませてしまうという現実の矛盾。
    格差、不平等、今の社会を眺めてもあてはまる。誰かがその不正に立ち上がれば本来の目的や敵からは逸れ、逆にその不正に苦しむ者まで巻き込まれてしまう。
    わたしはこのような不条理を眼にすると天秤のように両手から離れないサルトルの著作「神と悪魔」をいつも思い出してしまいます。

  14. 9240 : [返信]  アラメルモ ('16/11/10 13:15:29 *4)


    黒いミルク、この表現には非常に身体的な戦慄を覚える。
    客観視されたような絶望的な夢というより、わたしには直接的な不安としての死のイメージが漂い切迫され読めてきます。
    背景にはナチスによるユダヤ人狩りかゲットーでの凄惨な体験があるのでしょう。
    それらをフーガと音楽形式に命名させ表現しているのがこの詩の秀逸なところで、周囲からわきあがる叫び声、悲惨な思いは悪夢と繰り返され消え去ることはない。当時の緊迫感が伝わります。

  15. 9240 : [返信]  アラメルモ ('16/11/11 02:04:56 *20)


    背が高く桃色に染まる顔立ちは芯も深い。まるで湖に森林を映し出すかのような透き通る緑青の瞳。そして細くしなやかな金髪が何よりも美しく輝いていました。
    周りの女性たちは憧れのような眼差しでそのハンサムな青年をみつめている。もう胸も踊り出すとばかりに演奏が終わると彼の近くへ殺到した日本人女性たち。にこやかに挨拶をし、寡黙に演奏を始めたその姿を一目見た瞬間、僕は嫉妬した。しばらくすると嫉妬も諦めに変わり、これは勝てないな、と思いましたね。プロとしてはまだ駆け出しの演奏者でしたが、知り合いの招待で日本にやってきたドイツ人の若いクラシックギタリストの印象です。

    多くが解説するように、黒いミルクとは小さな窓口から眺めた連日のようにガス室から立ち上がる黒い煙、その降りかかる死の灰のイメージを不安と恐怖に喩えて詠んでいるのかも知れない。
    金色の髪マルガレーテ、灰色の髪ズラミート。あなたは国家としてのアメリカに喩えて表現されていますが、これを文学的な捉え方で解釈してみれば、あのゲーテの「ファウスト」や聖書「雅歌」にも出てくるドイツ人女性やユダヤ人を、象徴的な意味で置き換えているように読めます。
    この辺りの象徴的な解釈は、もう少し西欧的な歴史認識を深めなければやはり難しいところですが、あなたがひとつの推考として罌粟に無花果、右手と左手を対照的に取り上げたのは真に正解で、作者のツェラン自身、収容所で悪魔のように絶対的な権力を行使しながら振る舞うナチスの青年の姿にも、まるで両性具でも備えているかのような醜さと美しさを認めた。それは去勢された天使のように。
    惨めな自身の姿を思い浮かべながら、ツェランは何故か心の奥底では気高く神聖に映る青年の姿として、眺めていた自分を意識したのではないだろうか。
    このような絶望的な状況の最中にありながらも、受難をひとつの神話のように捉えることもできる人間の儚い欲望と希望。
    この矛盾と不可解に充ちた人間心理の表現にも結びついているようにわたしには思えてきます。

  16. 9240 : [返信]  アラメルモ ('16/11/11 22:48:48 *4)


    むしろ過酷であればあるほど、信じられないほど懐かしい体験としても蘇る。

    ありゃりゃ、強制収容所や戦争の体験もないくせに、子供の頃のいじめ体験や運動部のキツい練習、労務の修行時代と勘違いして読んでる馬鹿がいるのね。
    そりゃ誰かが手を差し出してくれる孤児院生活だとか難民キャンプでの辛い体験ならば、そういった甘美な思い出も少しは残るかも知れない。
    現実にシリアやアフガニスタンでは奴隷のように強制的に捕らえられ、家畜のように虐げられた生活を余儀なくされている人々が存在するという事実。
    解放されたときの怒りと虚無感はいかほどのものだろうか。いつ相手の気まぐれで殺されるかもわからない日々の恐怖と不安。そのような悲惨な体験を経た個人の思いなど、我々のような第三者は推察することさえ憚られる。
    甘美やら懐かしいだのと他人事だから言える戯けた思考。
    顔に唾を吐いてやりたいね。

  17. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/07 15:11:13 *3)


    虐げられた人々を慰め、励まし、勇気づける。純粋で愛に溢れたネットポエマーの老人。
    理想も高いが人々には厳しい。馴れ合いには容赦なく罵倒の限りを尽くす。なんて主人公が居たら主観的にみてもそのような人物の思考は支離滅裂で滑稽だ。それも年を喰った老人ならばまさに可哀想で痛い、矛盾に充ちた存在だろう。
    そもそもネットポエマーなんて呼び方は馴れ合うことを容認する意味を含んでいる。
    ギャグとして漫画の主人公にでもされればそれなりに受けるかも知れない。
    しかし誰をパロディに書かれているにせよ、このような矛盾に充ちた人物を創作の糧とするにしては、書かれた人物描写には魅力が欠けている。内々でしか受けない内容のパロディに終わっている。
    これを描いた作者本人も、主人公としてパロディに書かれた人物も、結局創作の糧を身の回りに追い求めることでしか眺めることのできない、狭い視野の持ち主だと窺える。
    そのように考えてみれば表裏一体、両者とも痛いポエマーな書き手だと推察されて読めてくる。

  18. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/07 22:00:22 *1)


    主人公、ジャマ田タロー。山田さんをとりあげたつもりはありません。
    それを言うならば抗弁は達者だが振り返れればいい加減で間の抜けた、文極をちょろちょろと泳ぎ廻る老魚山田太郎というキャラを取り上げたつもりです。だろ?

  19. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/07 22:38:40 *1)


    もちろん実在する本人は違うのでしょう。会ったこともないのだからわからない。
    しかし文極というこの潮の流れの中で、普段小魚など口にすることもない鮫がそれを追い回しては貪り漁る、などという。まさに己が偏屈で小さな雑魚のごとき山田太郎というキャラを取り上げていることに違いはないでしょう?小魚は何にでも食らいつくから小魚なんだ。

  20. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/09 03:39:31 *5)


    同じようにあからさまな揶揄を書かれても作者は平気なのかも知れない。
    人によって忍耐度は違う。
    しかしその書かれた内容に悪意は感じられないが、あくまでも皮肉を意味した揶揄ならば、書かれた本人にとって不快な事には違いない。
    わたしも某サイトで特定の人物から誹謗中傷を意味する内容の揶揄を書き込みされたことがあります。
    しかも実名で名指しされているだけに非常に不愉快な気持ちになり腹が立って仕方なかった。
    代表のみつとみさんも書き込みされておられるが、問題はその内容だと思いますね。
    何人かのレッサーの方もおっしゃっているが、書かれた内容があからさまに特定の人物だと認識できるならば、作者は何を理屈に弁解しようが理由にはならない。
    書かれた本人が不快感を表明し削除を要求するのならば作者は応じるのが妥当だと思います。
    しかし今のところ当の本人からそのような要求はないようですね。
    もっともここでパロディにされている山田太郎氏本人も、今まで直接実名を載せては作品として揶揄化された詩を投稿されている。
    それを妥当な権利だとも解釈されている。
    本人にとっても痛し痒しだろうが、第三者的な立場から言わせてもらえば、これは作者と書かれた本人の判断に任せるのが良いと思われますね。
    もちろんそのような要求が山田太郎氏から申し出されたのであれば、作者ヌンチャク氏は対応しなければならない。
    わたし個人としては、削除要求を含めて何らかの申し出が運営側に直接出されたのであるならば素直に応じるべきだと思う。
    批判や皮肉を目的に言葉を仕様する。また個人を茶化し揶揄するのであるならば他に相手は幾らでもいるではないか。直接対話で掛け合うこともない大きな相手が。
    意志目的は違えど同じ投稿仲間でこのような行為に及ぶのは、物書きとして詩書きとしても許容範囲を逸脱する。卑屈な行為だと思われても仕方ない。

  21. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/09 04:08:49)


    岩満くん、誰を褒め讃えるのは自由だが、限度も知らないあからさまな差別用語で投稿者を侮蔑する中田滿帆などの才能は、芸術を本意に根差す才能などと口が裂けても言えるものではない。文字を背負うただのテロリストだ。改心から始めなければ、いくら個性に秀でているとしてもたとえ文芸の世界だろうが通用はしない

  22. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/09 12:49:40)


    堂々と実名で批判している。

    何を勘違いしているのかね、山田太郎という御仁は。
    実名だからこそ相手に誹謗中傷と受け取られても仕方ないのが一方的な批判だよ。
    第三者からみれば名前を弄られてパロディにされているだけなんだから作者の認識を知れば許容はできる。 湧水のように解釈を詮索すればキリもなくなる。
    直接本人に向けて作者は謝罪しているのだから後はお二人の問題だ。

  23. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/09 23:39:16 *4)


    山田太郎という御仁は場が吹き荒れることを逆手にとって面白がるだけの痛い系の漫才氏だね。持ち上げたと思えばそれをネタに相手をまたコケ落とす。その点に関して作者はよく見抜いている。きまって苛立ちを第三者にぶつけようとする。運営にその責任をすり替えたいが為に自分から進んで削除を要求しようなどはしないのが、そのひねくれた本心の表れなのだ。人々の不満を逆手にとって大統領に当選した御仁によく似ている。人々が理解しあい手を繋ぎ合おうとすれば早速嫌悪感を覚えてくる。平穏が我慢ならないので誰かをやり玉に挙げないと気も済まなくなる。なので誰も該当者が居なくなれば自らが進んで口火をきってしまう。
    このような懲りない馬鹿者は放って措けばよい。スケボ以外他にやることもないので詩を楽しんでいるのは事実だとしても、その楽しみ方の目的は人を貶すことから始まる。至ってその取り組み方の根底にあるものは懐疑にまみれ否応なく浅ましいのだ。これは一種の病気のようなものなので何を言っても無駄だ。誠心誠意などという言葉はこの御仁からしてみれば懐疑的なもの、燻る反動精神に火種を投げかける以外のなにものでもない。なので本気で相手をするのは無駄である。一人で遊ばしてやればいい。

  24. 9245 : [返信]  アラメルモ ('16/11/10 12:05:50 *1)


    ↑だったら後になって運営の意見など要請しなければいい。
    フォーラムの書き込みはなんだ?意見を求めること自体介入を要請しているのと同じだよ。
    いちいちアホなことを書き込むんじゃないよ、タコ。揶揄とは認められても形式的にはパロディだ。当事者どおしで解決しろ。

  25. 9242 : [返信]  アラメルモ ('16/11/07 21:37:40 *3)


    箱書きのようにそっけない形式で書かれているのが逆に佳いですね。泥棒さんが前でコメントしているオフビート感覚かな。

    やれやれと喫煙者が内に溜め込んだものはニコチンとタールだけだろうか。喫煙か禁煙か、タバコが身体に悪いのは充分承知している。にもまして、一箱400円以上もするタバコを吸い続ける喫煙者の行為は確かに愚かだと言える。止めようにも止めやられない意志の弱さ。中毒症状。また端から止めようなどとは思わない喫煙者もいる。その判断には苦慮しながらも実際目の前で売られているのだ。
    身体に悪いなどと御触書を明示させ、事実そのおこぼれで儲けているのはどこのどいつだ。
    もっと大局的に突っ込んで怒りを表現させてもいいのではないだろうか。
    誰に対しても直接吐き出せない溜め込んだもの。
    この詩には少なからずその抵抗のようなものを感じます。

  26. 9221 : [返信]  アラメルモ ('16/11/08 04:58:59 *6)


    グラフィックな部分では入沢康夫の影響も受けてはいるのだろう。
    アップにすればするほど範囲も狭まるレンズ。
    腰を曲げ股ぐらから眺めるように、焦点を逆さまにして世界を矮小化させて表現している。
    たった10センチしか見えない両目の空にオモチャの川が流れるということは、海も山もすべてオモチャの造形だろう。
    これは範疇の狭いものの見方を憐れんでいるのか、もしくはそのような捉え方で詩作する詩書きたちを揶揄しているのか。
    内容は物語る客観的な姿勢から写し出されているが、何れにしてもこれをメッセージとして受け取るならば、作者の主観的な強さが浮き彫りにされた俯瞰的でもあるものの見方だろう。主張には威圧感もあり快い捉え方はできない作品である。

  27. 9221 : [返信]  アラメルモ ('16/11/08 05:48:39)


    快よくないとは言っても佳くない作品だとは言えない。
    芸術ならば当然有り得る。そのことだけは付け加えておく。

  28. 9221 : [返信]  アラメルモ ('16/11/08 12:23:18 *1)


    もう少しおもしろい写真はなかったのか。
    貼られているので期待してクリックしたがそのまま普通につまんなかったよ。
    これなら街を歩くオネエちゃんの立ち姿10センチのほうがいい。
    こんなところにも作者は趣向を凝らすのが芸術だら。

  29. 9224 : [返信]  アラメルモ ('16/11/04 13:02:11)


    冒頭から、カミュへの手紙を書いている。と続く語り手としての認識。
    青い、空、或いは赤い、空~。このような認識はもう通用しないのではないかと思えたりもします。
    どこを見渡しても、青い空なんて遠い過去か何も知らない子供たちが描く絵空事でしかないように思えるからです。
    それくらい人類は自然を蔑ろに操り、振り返れば敵わない、ただ畏れ戦く存在として眺めている自分がいる。

    辛辣な批評が眼に着きますが、表現自体は上手く機能はしています。
    ただ、やはり詩的にはありふれた感興ですね。
    詩的な表現を意識するあまりに手癖のような上手さばかりが目立ってしまう。
    必然的な力強さに欠けているように読み取れてきます。

  30. 9237 : [返信]  アラメルモ ('16/11/08 01:11:54 *3)


    バタラの教えとはバタラーのことでしょうか?
    なまじ知った被りでお説など唱えている鯰坊主が繰り広げる宴もいつのまにやら酒池肉林。
    竜宮城の前では海老に蟹、鯛や鮃も交尾の真っ最中。こんな行為が繰り返されるのも仕舞いには血を見るぞっ、て中国産の缶詰めから教えを授かる夢をみた。

    国境に壁を築こう!って閉鎖的な思考が徐々に拡がりそうな風潮ですが、
    余所事だよ、などと構えて平然としている島国の私らにとっても、災難はいつ降りかかって来るかわからない。
    いまでこそ経済大国でもあるお隣の中国が経済的に立ち行かなくなり、内部崩壊の兆しでも見えてくるならば難民としてどっと流れ込んでくるかも知れない。なんてたって14億の数です。人口減少の続く我が国など目的地としては最適なのです。

  31. 9230 : [返信]  アラメルモ ('16/11/04 03:59:41 *1)


    雲間を抜けつつ私たちのジープは下山していた。かな。
    文章自体はそれほどおかしくもないです。個性は魅力でもあるので好きに言わせて措けばいい。
    それよりもどうしてこのタイトルで落ち着くのかわからない。そちらの方が可笑しい。

  32. 9249 : you know my name .  アラメルモ ('16/11/08 02:29:12 *12)


    なるがままに
    わたしはペンを持っている(実際は指で打っている)

    赤い林檎を持っている(事実はそれと異なる)

    なのでわたしは何も持ってはいない。( これは真実としても可笑しい。実際わたしはわたしという主体を持っている )

    you know my name . ウフ、わたしを知ってるだろう。有名人のわたしを。

    国境に塗り壁を築けよ。さもなくば…………

    ある朝目が覚めたらゴラン高原の丘の上
    聞こえてくるよ、、
    、B面であることが相応しかったチョークな言葉を
    わたしは知っている。
    洗濯物がゆれ物干し竿の向こうで旗をふるわたしが立っていたこと
    それは白く青い空の頂き、不精に盛り上がる砂丘のど真ん中で、
    砲台を撃ち鳴らす音に戦く鳩の群れ
    西も東も行き交う国籍不明の貨物船
    闇市の宝石商が言葉を託したのは、これを金や銀に替える半透明を探し出せ
    少年は思わず叫び声を上げた
    誰に?僕の名前は美優蓮だよ。国籍の無い青い薄いミュウレンだよ。
    わたしは持っている。何度も何度でも繰り返す。
    無作為に与えられた神の地で
    、でもわたしは何も持っていない。
    歓声と砕ける花火の坩堝に印刷の紙吹雪が舞い散った。

    時は明治の夜明けから昭和の残像
    クリスタルはウィズ遠い虹色のダイヤモンド
    少年は馬車に轢かれ叫び声は消えた
    復活する闇市の宝石箱
    街を巣食うのはニーチェの子供たち
    雛菊は萎れ皺だらけ、なのでカタい門がこじ開けられた
    わたしはペンを持っている(英語で)
    わたしは林檎を持っている(英語で)
    あなたは何を持っているのか?ヘルプ、ギブミーチョコレート!清王朝時代の翡翠では如何かな?
    ヘルメットはしつこく問う、何と交換したいのですか?
    You know my name . フフン、わたしが誰かわかるだろうに
    壁は崩れるがまた作り直さなければならない
    国籍不明者の群れ、歌麿、北斎、春信、
    アラ、都鳥のお師匠さん呑気なお通じだわね
    わたくしお金なら沢山あります。
    外国語の表紙の中に隠しています。
    ほらほら、知ってるだろう?為替レートならいくら損をするのか
    なるがままさ
    不道徳もチャンスならばチェンジできる
    詩人の数ほど世界にはお金持ちがいる
    みんな嘘をついて大きくなった

    my,name,is,わたしとは一体誰なんだ。

  33. 9249 : [返信]  アラメルモ ('16/11/09 04:27:21 *4)


    ヌヌ対さん。
    発想はしばらく貯めて置いたのですが、なかなか詩にならなくてね。構想から付け足すようにアソコは書きながらの即効でして、やはり自明に酷いのでしょうか。感化もされないものを書いちゃってごめんなさいね。風刺しか描いてないけど、自明だなんて表現をもらえただけでもうれしい。かな。コメントありがとう。


    5or6さん。コメントありがとう。
    書きながらどうしても理由をくっ付けてしまいますからね。大統領選挙始まったし。
    結果ヒラリの勝利かな。そろそろトランプ大統領でアメリカも本気で分裂してください、なんて期待感を持ってる。嫌だね、後々こちとらにも関係してくるのはわかってるのに。
    あだち充って聞いたことはあるような、、よく知らない、後でググってみますわ。
    ピコ太郎ね、あれ、初めに聴いたときすぐに浮かんできたのがレットイットビーのB面、知ってるでしょ?
    うふ~ん、気持ちわるさ同じね。

  34. 9249 : [返信]  アラメルモ ('16/11/16 03:45:22)


    こざかなさん、ふざけた詩ですよね。
    お礼が遅くなって、、見過してました。
    コメントありがとうございます。

  35. 9231 : [返信]  アラメルモ ('16/11/04 04:14:59 *1)


    おもしろい表現ですね。
    でも被さるタイトルで損をしている気はします。
    一見何も無いように読めて伝わるものはあります。
    なかなか思うようにならない可能性に対しての忸怩たる思いがこの詩から窺えてくるからです。
    つるつると滑り落ちる大理石ですか。
    哲学的な視点からも読めてくるので、可逆的にそのような思考を意識したタイトルの方がよいかも知れない。

  36. 9194 : [返信]  アラメルモ ('16/10/23 16:44:42 *1)


    以前は胸に憧れを秘めた詩を得意にされていた印象がありますが、この詩では日常生活に込められた思いが語られています。
    方向性を考えれば、このことが作者にとって佳い結果をもたらすのかどうか、もちろん私にはわかりません。
    やはり年輪の皺を感じさせられてしまいます。
    人々の内に灯り続ける火、炎といえば宮島の弥山本堂にある弘法大師が焚いたとされる護摩の火。またはヘーラーの神殿跡より太陽光線から点火される五輪の聖火を思い浮かべます。
    何れにしても護国豊穣を願い、平和な人々の暮らしが受け継がれていくことを炎に託しているのでしょう。

    この詩では日常生活の火が暗喩と語られています。
    しかも災いから絶えることのない火種として書かれています。
    まったくいまの私の心情にも被さり読めてくるのですが、
    、宿り。この内に込められた炎は直接眼に見える火ではないのです。
    どうすべくもない、逃れられない魂の、血と赤く燃える炎のことなのでしょう。
    かやつりぐさを逆さまに持ち~日常を客観的な喩に託す、ありふれたテーマではある。
    しかし凝縮され作者独自の装いから書き込まれているのはさすがで、小品としては佳作だと思います。

  37. 9215 : [返信]  アラメルモ ('16/11/04 05:04:51 *3)


    タイトルが秀逸ですね。とても時代感覚とマッチングしている。
    お話は無意味に馬鹿馬鹿しくナンセンスな作りですが、現実と照らし合わせてみれば何故か世界が二極化されて読めてきますね。
    オモチャのピストルで撃ちあう男の子たち。その一方では本物の銃弾が飛び交っている世界もある。
    関われない世界を超越的な楽観視点から眺めるのもわるくない。ゲーム感覚で生きるわたしたち。
    でもずっと無関心で居られるはずもない。暮らしの幸不幸は確実に生き馬の眼を選び抜いていく。
    ファーストフードに染まってしまった我々の生活感覚は何もかもがインスタント。
    ひょっとして本当に殺しあう結果になったとしてもゲーム感覚に頼るのではないか。
    そのような無意識な感覚としての不気味さが魑魅魍魎と働いている。
    一見すれば軽装の中にも何が潜んでいるのかまったくわからない。どう展開されるのか、何となくみんなが嫌な方向へ誘われていく、先の読めない現代社会。
    一体何を目的に誰を信用すればいいのだろうか。
    いまの時代をよく写し出していると思いますよ。


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