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芸術としての詩を発表する場、文学極道です。
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∧ ∨ 12136 : ワークス 自由美学 '20/10/01 07:13:26
親父のメッシュキャップには
きまって球団のロゴ刺繍か
「漁協組合」って文字が入っている
野球も観なけりゃ漁師でもない
なんでもないただの親父なのに
あのキャップの主張がなんなのかは
いまだによくわからない
いくつもの鋏ケースを腰からぶら下げ
親父は今日も庭いじり
公道に自慢のワークスをめいっぱい広げては
日がな一日チョキチョキやっている
そんな親父の横顔が
時々JISマークに見えてしかたない
庭の片隅でひん曲がっている親父を
せむしの懸崖五葉松が笑う
サビた一斗缶から垂れ下がる枝は
バカになったマジックテープのようだ
安全靴がゆらりと転がって
苔のうえにあっさり投げ出される親父
まばゆい日差しは
ありとあらゆる主張をひっぺがしていく
野良猫はすぐにのりしろをはみ出したがる
我が家の玄関マットにどっかり乗っかって
目には縦長の切り込みを入れ
胴は山折り
しっぽは谷折り
おでこをお腹にのりづけして
やがてはマットの毛になる
テンプレートでくりぬかれた宿命
そいつを俺にしっかりと貼っつける
瓶詰めにしたそれらを
会社と役所に
そして実家に送付したら完成だ
紙パッキンできっちりホールドされながら
俺は社会になる
なんでもないただの親父になるために
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201001_274_12136p
イロキセイゴ :
息子が親、父親を観察ている詩のように思えました。野良猫を描写した第4連目が印象的でした。まるで折り紙のような猫。 ('20/10/02 01:26:31)自由美学 :
☆イロキセイゴさん
コメントありがとうございます。
学研の紙工作キットをイメージしました^^ ('20/10/05 06:52:13)深尾貞一郎 :
重くなりがちなテーマを工作キットなどをモチーフにし、あえて軽く書こうとしている工夫があるように感じました。 ('20/10/07 09:59:19)自由美学 :
☆深尾貞一郎さん
コメントありがとうございます。
まだまだ工夫が足りないことは自覚してます。精進します! ('20/10/09 07:15:24)ネン :
正しい散文詩のあり方と言うか、自由な中に明らかな文型が読み取れる、楽しい詩でした。いつの間にか自分も親父になっていく所がとても好きです。一体、親父とは。 ('20/10/12 21:49:54)一輪車です :
現代詩フォーラムはむかしは通俗的なポエムばかりでダメだったが今や
かなりいい書き手がトップ10にならぶようになった。
中岡慎一郎、ななし、田中恭平etc.....山人もよくなっている。(各氏敬称略)
それにひきかえ、
ここは
かつてポエムサロンだった現代詩フォーラムにすら10周以上の周回遅れにみえる。
ビーレビならこれでも詩として受け入れられるかもしれないが、
ここは幼稚園じゃないんだから
東やいかいかがいうように、ほんとこのままじゃチンボツしてしまう。
場が残っても中味が、これじゃ悲惨を通り越して滑稽だ。
わたしも来月からは
本来の地を出したものを投稿しないといけないと反省しているが、ここは、
正直、あまりにも
現状ひどすぎる。なにが「正しい散文詩のあり方」を学びましただ、
神経、大丈夫かとしかいいようがない。
ひとつだけとりあえず指摘しておくなら、詩はなによりもまず
語り口なんだ。
それが翻訳調のワンパタ文体では、少しでもことばに敏感な人だったら
それだけで顔をそむけるレベルだ。
全部予測できる。次のフレーズが! そんなもの恥ずかしく思えない
連中、詩なんか書く資格があるのかと本気で首をひねる。
とにかく、いますぐアラガイさんを復帰させるべきだ。 ('20/10/13 00:30:56 *5)自由美学 :
☆ネンさん
コメントありがとうございます。
この度は私の自慢のワークスを掘り起こして頂き恐縮です。
なんともはやまったくもって非常にこそば嬉しさでほくそ痒いです(←表現が独特なのかヘタクソなのか微妙なやつ)
なんというか、もう、書き手としての自分には何が正しいのか、何がポエムなのか、親父って何なのか、そんなものさっぱりわからないのです。すべてが問い。
たぶん、読み手の中にしか正解はない。どのようなものであれ読み手の声は貴重ですね。
☆一輪車さん
あら。どうも^^コメントありがとうございます。
まあ、いろんな人間いますんで。ははっ
色々とお悩みがあるようですが、文極の一参加者に過ぎない私にどこだかの内輪事情を熱心に訴えられても応えようがありませんので、文極さんに直接相談されるか、該当する場所で処理してくださいな。うはっ☆ ('20/10/13 03:22:19)一輪車です :
いや、ついカッとして横柄な言葉使いになったことは反省し
みなさまえへもお詫びます。
しかしねえ、
アルフなにがしなど、この掲示板に思い入れがあるからこそ
一人の投稿者を排除したわけでしょう。
アラガイさんを排除したのは、ここを愛し、ここで書きたいからでしょう。
大事な投稿者の一人を排除したなら、なをさら責任を感じて
素晴らしい作品を投稿すべきなのが、
気にさわる投稿者を排除したら、あとは知らんふりしている。
いまどきは詩など書いているくせに
こんなやつばかりなのに腹が立つのですよ。
そもそも
ここで大賞などもらったら、少なくともそこで活躍すべきなのに、
大賞をとったら田中宏輔さんは別にして、どいつもこいつもその瞬間から
まったく知らんふりだ。
ここでの大賞なんてのは当人の活躍や成長を願ってのものだろうに、
少なくとも、すこしの期間くらいここに書けよ。
ここの大賞とったからといってどこにいっても相手にされないとしてもだ。
いくら詩書きなんてもともと外れ者だといっても、どいつも人間性がクソすぎる。
これでどんな詩が書けるというのか。
クソが集まってクソまみれになってクソのような幼稚で愚かな語りをして
クソを投げあってどこが愉しいのか、さっぱりわからないのですよ。
そんなことを思いますと、つい、カッとしましてね、
考えてみると
そんなことをわたしが心配したり他人に向かってどうのこうのいう立場でも
なんでもないのですわなあ。
いや、考えてみるとつまらない怒りを爆発させてしまった。
心からお詫び申し上げます。 ('20/10/13 03:44:39 *1)自由美学 :
☆一輪車さん
なるほど。なるほどです。あなたの熱さは好きです私(*´ω`*)
ちょっと語りますが、
文極ってこの世でいちばん誠実で温かい場所なんじゃないかと思うことがあるんですよ。
ここで何らかの賞を取った、優良作品に選ばれた、そのことを誇りにするのはもちろん良いことなんだけど、意識高めで参加するのは全然悪いことじゃないんだけど、
名前すらイカつめだけども文極は、ものすごく情け深く寛大。それは作品への評価にしてもそうで。非常に甘い。どこかの詩誌なんかと比べればぐんと敷居もハードルも低いはずだと私は思うんですね。
そのことを理解しておかないと、いつかどこかでポキンとあっけなく鼻を折られる悲劇が待っていることだろうと。そんなことを思いながら私の文極愛はとどまることを知らないのだった。うふ☆
文極はまず、場のクオリティ自体がすごい。
ここには生きた人間がいる。怒り、悩み、もがき、泣き、のたうち回って笑う人間がいる。投稿詩のなかにそれぞれのリアルな生きざまを見る。セックスやドラッグなんかじゃ味わえない喜びがここにはある。確かにある。
文極にしばらくログインのない人って、単純に、私生活で時間に余裕がなくなったというのが一番の理由だと思います。自分みたいな働き世代の一般庶民であれば、ほんとこんな貴族趣味に割いてる時間なんかほとんどありません!
そして、こんなユーザーも珍しくないんじゃないかなと思うんですが、ブランクこそありますが私も過去数回出入りしています。最後に出入り禁止処分を食らい(笑)、そこからしばらく遠のいてましたけどね。正確には10年弱か
なんか長々と変な話になりましたね。フォーラム行けっ!とか怒られちゃうかな(´д`|||) ('20/10/13 04:24:58)一輪車です :
ひとりで なにをよがってるのかしらないけど、
気持ち悪い。
まずは、
こんな愚劣な雑文を投稿しないことが肝心だとおもうが。
また、ここをよくしたいのなら、
こんなものを評価しないことが一番大事なことだと
おもうのだが。
恥ずかしいほどの定形であること、わかってるのだろうか? ('20/10/13 05:13:18 *1)自由美学 :
こらみんな出てくわ(´д`|||)
怖ぇぇ ('20/10/13 07:18:38)自由美学 :
一輪車は嫉妬と猜疑心のかたまりみたいな人間やなあ。たいした文才もなさそうなのになぜここで自分の存在意義を探ってるのか、それこそ滑稽だわ。
お前の悪意のこもったコメントこそ雑文やろ。まともな詩の一つすら書けないくせに定型とか笑わせんな。その定型すらお前には絶対書けないからやってみて一回ぜひ! ('20/10/13 08:25:04 *1)一輪車です :
わたしを嫉妬させるような詩が投稿されれば、どれほどうれしいか。
それと、
まともな詩が投稿されなくても、何度もいうように稚拙でも
下手でもいいから、
こんなワンパタ・モノマネの定形文体で書くことを批判すべきだし、
反省すべきだといってるんだ。
下手だから非難してるんではなく、
また、文才があろうとなかろうと詩のすばらしさとは何の関係もないのだ。
詩ってものを根本から勘違いしている。
いかいかと寸分かわらない
どうしょうもないその根性を叩き直して出直せ!
ありがとうだのコテだの耕だの玄こうだの、おまえだの
いかいかだの 完備だの
これではもはや
ここは巨大なクソ溜め以外のなにものでもないだろ。
自覚してる人はいないのか?笑
結局、運営が悪いわけでも、だれが悪いわけでもない。
しょせん、ネットの詩投稿者は、似たようなのが群れる。
ここがこういう人たちの巣窟になるのも自然といえば自然なのかもしれない。
文句をつけるだけ不毛だ。 ('20/10/13 11:24:30 *2)耕 :
余計なお世話かもしれませんが、一輪車です 様には、マインドフルネスという思考方法、考え方をお勧め致します。
今、この瞬間に意識を向け、嫌なこと上手くいかないことは受け止めるだけにし、そこからあれこれ想像することを止める。
どうやら、考え過ぎる方なようにお見受けしたので。
では、仕事へ行って来ます。 ('20/10/13 14:08:31)一輪車です :
耕くんに説明したところで一ミリも理解できないでしょうが、
いちおう、ここは文極なので
たとえ相手が中学生であるかもしれない滑稽さを承知のうえで
理路をとおして説明しておきますとね。
わたしがなぜ、この詩に怒りを覚えたか。こんなものを評価するきみたちのような
詩のことなど一ミリも真面目に考えたことのない人たちに怒りを覚えたか。
説明しておく必要があるでしょう。
これから述べることの理路を理解できないのを承知で。
まず、この詩は、
感性の定型、フォルムというものが先に信じられているわけです。
こういうものは、こういう書き方をすれば、こんな風に読むものに感じさせるという、
イメージの型枠がまず最初からある。
それはじぶんのものではなくて、広く世間一般に認められた実績のある通俗的なフォルムです。
この詩は、ことばがそこに向かってイメージを集中するように、フォルムがイメージであるように、
そのイメージに向かって言葉を集中させるようにつくられている。
といっても耕くんには理解できないでしょうから
わかりやすくいえば
天才は嘘をつかない
ということです。
そういう言い方でいえばこの詩は100%嘘なわけです。
まず作者が一ミリだってこの詩に書かれたことをやっているわけでも信じているわけでもなく
らち外にいるわけです。ぜんぶ嘘です。
しかし、世間にはすでに出来上がった感性の定形というものがあって、それにタクシーのように
乗っかれば、
アホな連中を感心させることができるわけです。
NHKの朝ドラなんかもそういう感性の定形のひとつです。
わたしはそういうものが詩であってはいけない。巧い下手は関係ないといってる。それより
そんな出来合いの定形に乗っかってじぶんを誤魔化してはいけないといってるんです。
それじゃビーレビの投稿詩と同じになる。
わたしの量見では、現代詩フォーラムの投稿の半分は嘘です。また、ビーレビの投稿の95%
は嘘です。それから田中宏輔さんの詩は嘘はゼロです。わたしの詩は30%がまだまだ嘘です。
わたしが怒っているのは
嫉妬からではなく、嘘に平気なその鈍感な感性をなんとかしろってことです。
文極はたしかに衰退して客足が遠のいているかもしれませんが、
少なくとも、いくら稚拙でも嘘だけはない場にしたいということです。
こんな詩をかくやつが横行したら、それだけでもうその場はコロナが蔓延したようなもので
おしまいですよ。
ま、きみにいったところで、まったく理解できないでしょうが。
こういう問題は詩の本質にかかわることで、あらゆる詩論や批評に先立つ問題だとおもっています。 ('20/10/14 04:31:20 *1)自由美学 :
一輪車さん、
一つでも面白い詩を書いてから物言えっつってんだよ
あほかこいつ ('20/10/14 05:17:20)一輪車です :
自由美学くんよ。笑
そういうのは、わたしの意見に正面から反論してからでしょう。
いかいかと同じで、
反論できないから、ステージの違うところで陰口叩くなんて
(いかいかの場合は「こいつ、どこでも相手にされてない」だったけ。)
どこでも相手にされてないと陰口叩けば、わたしの論に反駁したことになるなら
世話ない。
きみのように、きみの気に入る詩を書いてないからといってわたしの意見に
反論したことになるのなら、世話にゃーぞなもし。笑
こんなことは、
腐った女の......あ、これは差別か。笑 腐ったゴボウのすることです。
だから、ほれ。いかいかなんかに師事してるやつらは、いつまでたっても
ほれ、見栄えだけ派手だけど、中味ゼロの投稿つづけてるでしょうが。
なにをやっても
だめだねえ、あんたも。 ('20/10/14 07:50:22 *3)自由美学 :
これはこれはまたおいでくださいまして、ご苦労なこってす。一輪車様。
あっち行きこっち行きとキョロキョロ顔色をうかがってまあ大変やねえ。
こいつの目的はこれだ。裏切るゴはいねえがーとナマハゲ並みのおどろおどろしさで始終文極んなかを見回って、反抗的なゴを見つけては、凄みをきかせつつなかば脅迫的に承認させ、そうやってヤクザの手口で皆を懐柔していく。
こうやってパワハラまがいの洗脳でもって場を仕切ろうとするが、そこまでの人望も統率力もない。
こいつには、けしてこの場を、文極をより良いもの(質的にか?)にしようという頭などさらさらない。
それに引き換え、文極創始者のダーザインさんは違った。彼は人材育成を第一に考える人だった。彼が厳しかったのは投稿者にではなく常に作品に対してだった。
私は書き手としてはもうすべてやり尽くしたから、あとは後進に道を作ってやることぐらいしかできないと、そんなことを彼はいつか言っていた。ダーザインさんは当時40代で、その若さにして文極の将来を担う人材を育てようとしていた。
文極衰退って概念こそがそもそも相当ヤバい妄想だと思うんだけど、
揉め事が三度の飯よりも大好きで、人間の潰しあいに情熱を傾けるだけが生き甲斐のこんなジジイがはびこることこそが衰退のなによりの原因だ。
まあ、久々に文極を訪れて抱いた感想としてはそんなところですな。ぶほっ☆ ('20/10/14 08:01:46 *1)一輪車です :
そう考えるのは自由美学くんのかってだからわたしは反論しないが、
で?
わたしの意見には反論できないのですかねえ。笑
いかいかもそうだけど、
わたしに対する下世話な陰口を叩けば、じぶんが承認され、わたしの批判が
ホゴにされるとでも錯覚しているのでしょうか?
わたしはこれまで何度もここに投稿しているが、バカだの死ねだのいわれても
投稿に対する感想にだけは
低姿勢で拝聴してきた。ここもそういう基本すらできないやつばかりだ。
いかいかのような、あらゆる意味でもう終わっており、ここでしか優位を示せない
あわれなやつと同じになるなよ、
自由美学くん。 ('20/10/14 08:13:02 *2)自由美学 :
>本来の地を出したものを投稿しないといけない
>翻訳調のワンパタ文体
>ワンパタ・モノマネの定形文体
>この詩は100%嘘なわけです。
>嘘に平気なその鈍感な感性をなんとかしろ
>文極はたしかに衰退して客足が遠のいているかもしれませんが、
少なくとも、いくら稚拙でも嘘だけはない場にしたいということです。
一輪車さんのこの評に対してコメントを返させて頂きます。
「極道」と言えば家田荘子の『極道の妻たち』で、作者がヤクザと生活を共にし、体当たりでもってリアリティーある描写に挑んでます。
小説や映画でもノンフィクションものやドキュメンタリーなどは私自身もよく手にとってしまうジャンルなんですが、鑑賞する側のチョイスは自由なわけですよね。
詩に限っても、必ずしもそこに真実が必要というわけではないと私は思っています。
私は読み手を選ばない詩を書きたいと思っています。そのためになるべくエゴを排除し、フィクションと割り切って作ってます。私達は『獄中記』を書くワイルドやサドでもないわけで。環境やの主人公やのストーリーやのそんな設定は完全に自分と切り離して書いてます。
これを読むのは学生なのかお婆さんなのか外国人なのか私には知るよしもないので、どんな人にも確実に読んでもらえるようにするため、平たい言葉で、慣用句や常用漢字を使いつつ自分が望むような表現に迫らないといけないと常々思っています。
もちろんそこにも多少のリスクは伴います。脚色にこだわるほど、表現に走るほど、そこにまた個性を帯びさせるほど作りものっぽくなり、言葉だけが一人歩きし、どちみち独り善がりの語りを弄することになる。
それが成功するか失敗するかは経験で判断するしかないと、私はここでその経験を積みに来ているわけです。
これでレスになってますかねっ?長々と失礼しました(´o`; ('20/10/14 09:01:48)一輪車です :
"嘘"の意味がまったくわかってない。
詩だろうと小説だろうと虚構に決まってるわけだ。
そんなことをいってるんじゃないんです。
このはなしはもうこれで終わりです。
不毛な議論は時間のムダ。 ('20/10/14 12:18:15)耕 :
一輪車です 様
やはり、考え過ぎですね。一輪車です 様は、ペルソナをご存知ですか?人は顔を使い分けるもの。虚像だろうが演じる本人にとってはそれもまた本当である。
テキストとして割り切って書くというのであれば、作者の背景は関係なくなると言えるでしょう。一輪車です様もご自身で仰っていたでしょう?作者の意図なんぞ読者には関係がないと。
本物や、嘘などという思考そのものが経験や歴史に依存している。テキスト論は、そういった思考から離れたものである筈。
ただ、私は、この御作品好きになれませんが、好みとは別の話です。
御作品を本物か嘘で論じようとするなら、テキスト論の立ち位置は取れないのでは?
では、一輪車です様は、実存主義なのかというとそうでもなさそうですし、批評でその辺がブレていると余計な摩擦を生みそうで大丈夫かなと、他人ごとながら心配ですが……。 ('20/10/14 12:28:28)深尾貞一郎 :
「もし実在(リアリティ)が感性や意識と直接に接触し得るものとしたら、芸術は無用であろう、いな、むしろ、われわれすべてが芸術家となるであろう。芸術家たちの見るこれらのものは、すべて、現にあるものである。だのに、われわれにはそれが見えない――というのは、だが、なぜだろう」
「何人も熟知している事実だが、常人は事物をそのあるがままには見ないで、ただ或る「固定した類型」を見るにすぎない。まず第一に、事実として、現にあるのは単に色彩の連続した濃淡の移り行きほかならないことを、百も承知していながら、われわれはそこに、明確な輪郭をそなえた別別の事物を見る」
「われわれの多くは、ものをそのあるがままに見ることなく、ただ、言語として具象化せられている有り合わせの諸類型を、見るのみである」
(T.E.ヒューム「ベルグソンの芸術論」『ヒューマニズムと芸術の哲学』[訳]長谷川鑛平:法政大学出版局)
僕たちは物事を観念において理解し思考しています。観念のみにおいてつくられた詩。それは実にぼやけた像しか結ばない。出来の悪い漫画みたいなものだ。
ですからせめて、詩を書くときは「観察」して書くことが実存にせまるひとつの手法だと思いますよ。 ('20/10/14 12:54:18)一輪車です :
耕くん、もうしわけないが、笑
そういうのは、きみの、その、中学校の詩のサークルとかで
子どもどうしてやってくれないか? ('20/10/14 13:40:06 *5)自由美学 :
ますます何を言ってるのか意味不明になってきましたね一輪車。いつもこうですね。引くに引けなくなって八方塞がり。笑
このオヤジは俗に言う「あるある」の事を言ってますか?>しかし、世間にはすでに出来上がった感性の定形というものがあって、それにタクシーのように
>乗っかれば、
>アホな連中を感心させることができるわけです。
読者が作品に入り込めるかどうかは、「あるある」感にかかってると私は思ってんですがね。
その「あるある」センスこそが作品の出来を左右するんじゃないかと。
アメリカのベストセラー推理作家は、謎解き難易度をあえて中学生IQ程度に設定するんだそうで。
それが一番読みやすいとされる文章だからで、もっと難解に複雑に書けても理由があってわざと書かないわけです。
誰もてめえの雑文読みに行かねえよわざわざ。一輪車こそあるあるセンス磨き直して出直せや ('20/10/14 14:23:39)耕 :
一輪車です 様
あら、光栄です。女子中学生っぽさが出ているのなら、私自身の詩のスタイルの賜物ですね。幼女っぽさを売りにしているスタイルですので、純な感じに見られているのなら嬉しいことです。JS辺りまで落として頂いて結構ですよ。
('20/10/14 14:33:33)自由美学 :
☆深尾貞一郎さん
なるほどです。芸術なぞは所詮自然の模倣に過ぎないと言いますが、深尾さんの言う観察力と、対象を忠実に描写するデッサン力は、確かに詩を作る上でも必須かもしれませんね。
何事も先入観を持って判断すれば、一輪車のナマハゲみたいに、気に食わない投稿者の何を読んでも粗探しにしかならんわけで。
観念的になりすぎて失敗することもあれば、逆に描写に囚われすぎて失敗することもなきにしもあらずですかねっ。バランスが大事なのかしらん ('20/10/14 15:15:05)一輪車です :
まず、ひとの話をちゃんと理解してからコメントしてはどうか?
耕くんも自由なんたらくんも。 ('20/10/14 15:31:23)自由美学 :
☆耕さん
私にはボロ一輪車のポンコツ走行がさっぱり読めませんので、解読して頂き本当に助かりました。
マインドフルネス流行ってますが、私も試みるべきかなと。そんな気になりました今回。
ありがとうございました! ('20/10/14 15:35:42)自由美学 :
一輪車は、中学生にも「読ませる」ことができないてめえの力量不足を嘆けと言いたい。
もう、それか、満帆さんが言ってたニーチェの名言やな「愛せないなら去れ」
夜から仕事やし寝るわ。おっさん遊んでくれてありがとう☆またな! ('20/10/14 15:47:12)一輪車です :
しょせんは己の撒いたタネか。
おれに人望がないから、知性もへったくれもない、
こんな低劣なのしか寄ってこない。
これは傲慢なおれへの、なにかの罰かもしれないな。 ('20/10/14 15:56:39)自由美学 :
おいおいおいおい、おっさんちょっとまてー
寄ってきたのはあなたの方ですよね?笑笑
私や玄こうみたいなわけわからんのはこれからは一切無視しますって言ってたのも、ついこないだの話ですよね。
あなたの記憶、大丈夫?笑
そんでまあ、なに一人でよがってんすか一輪車さん。こんなところで。自意識過剰にも程がありますね。
見下してる連中に散々からかわれて、全員ぶっころレベルに怒ってますか?
あほくっせー☆ ('20/10/14 18:17:03)自由美学 :
>いかいかのような、あらゆる意味でもう終わっており、ここでしか優位を示せない
あわれなやつと同じになるなよ、
これ、お前やん。お前はただの年食ったいかいかじゃ! ('20/10/14 18:49:09)ワタナベ :
印象的でした。
個人的にワークス、て題名に惹かれます。
野良猫の山折り、谷折りではずしているところも。
一連目以外の
それぞれの連、描写に説得力があれば
なお良かったように感じました。
失礼致します。 ('20/10/15 10:29:19)自由美学 :
☆ワタナベさん
ほーーう!なるほどなるほどです。めちゃくちゃ勉強になります。
どこが失敗してるのか、成功してるのかは、自分では少なくとも5年後に読み返さないと見つけられない気がする。
ハズシがいいのか、一連目はセーフなのか、と。うーん。大目に拾ってあげるならその辺だけっつーことかな(´o`;
描写に説得力を持たせるというのは、ダーザインさんがよく言ってた「身体性」みたいなやつですかね?
ざいやす ('20/10/15 23:18:13)耕 :
自由美学 様
初めまして。
解説……に、なっているのか知りませんが、……面白い現象ですよね。つついた途端に蜘蛛の子を散らすように、ぱらぱらぱら(比喩)って。
まあ、新参の自分にとってみれば、誰一人味方なんぞ存在しないので、どうでもよい。
テキスト論、難しすぎて合っているのか微妙ですが、齧っただけでも傲慢な理論だなと思うので、感覚的には、自分には合わないかなとは思っています。白人社会の正解が全てじゃないみたいな感覚が発端とか。黒人に身体能力も芸術性も圧倒されつつある中で流石奴隷として扱ってきただけあるなあと思います。
自分は今の気分はジャズで、Dave Brubeck のTake Fiveを聴きながらこの返信を書いていますが、音を聞くことそのものが好きなので、音楽自体に拘りは無く、よいと思ったら何でも聴きます。だから、こちらの場所でつまらない音楽とか音楽の好みを批判し合っている姿とか、全く共感出来ないので、お年を召した方々は、感性がJSでありたい私とは180度違うわ。と返って感動致しました。一周回って興味深いと思えなくもないです。
マインドフルネス、今流行っているのですか……流行に疎くて驚きました。心理学では結構前から言われていて、確かアメリカ。私自身目にしたのは覚えていないけれど大分前だと思います。東洋の瞑想(仏教)から由来していて、元は、臨床心理学にはなか
った方向のアプローチで……瞑想って、傲慢になる為にはうってつけだったりするのですよね。(個人的な偏見)でも、悩んで自分を縮めるよりはずっと健全なような気もします。身体に合う方が行えばよいのではないでしょうか。考え方が負担でストレスならしない方がよいのだと思いますし。
('20/10/16 02:13:42)一輪車です :
ウジ虫たちはクソに集まるというが、とうとう文極も
そんなふうになってしまったか。
感無量です。 ('20/10/16 02:29:53)耕 :
一輪車です 様
ダーザインがーとか、いかいかがーとか、自分の言葉は無いの?挙句の果てに3DCG?じゃあ、一輪車です様が何か作成したものはあるの?文学極道のやってきたことをさも自らの手柄のように述べているけれど、実際、一輪車です様って、ご自身の言動が滅茶苦茶だということをいくら周りから諭されても理解出来ない上に他人の言動を持ち上げたり下げたりしているだけの凡人でしょう?何かあるのなら、論を立ち上げてみればよいのだし、文学極道の作品や批評を非難するのなら、非難するだけの何か材料をご自身で持っているのですよね?何も提示しないで人を下げるだけって、ただの無能でしかないとJSの感性を持った私は思うのですが。3DCGをお仕事にしているおじいちゃんは、何か論を持っているのですか?
ここ、文学極道は、罵倒することを覚悟のように扉には書いているけれど、一輪車です様のようにただの無能だと、罵倒することを大前提に評を組み立てようとする。けれど、それってただの炙り出しだから。無能だと自らを晒すようなハイリスクさが罵倒には隠されていることを、ここで息を潜めているレッサーは、皆さん理解している。だから、罵倒を前提とした評をするレッサーが少ない。
罵倒してもリスクを被らない位の評を示せないとただの無能にしか見えないリスクを皆知っている。一輪車です様のように、罵倒を人を下げたり上げたりする前段階の道具として使っているだけの言葉を鏡にして自身で見つめてみればその無能さは明らかでしょうに。それすら出来ないのは、詩を書き言葉と向き合い続けているような人にはとても思えない。文学極道を非難する前に自分の言動を見つめることから始めてみたらいかがでしょうか?あまりにもみっともないですよ。
('20/10/16 03:11:50 *2)一輪車です :
とんでもないアホにからまれてしまったな。笑
どうでもいいけど、きみのいう、その、なんだっけ笑 えーと、
テ、テキスト論だか、こ、構造主義的な手法で詩を解読するっていう爆笑
そのつづきはどうなったの???>音素表記に直して
>※眠くなったので、下記の続きは、4:39分現在からみて、明日以降に書きます。
音素表記はいいけど、そのままほったらかしじゃないか。
それだけでテ、テキスト論的分析なの? こ、こここ、構造主義的な解読なの?
はああああああああああああ・・?????
笑
もうさあ、勘弁してよ。アホ丸出しで恥ずかしくないのかい?
とにかくもうおれを呼び出すなよ。おまえらのよなアホを相手にしているヒマないんだ。 ('20/10/16 03:25:35 *2)耕 :
一輪車です 様
一つの批評がそうすぐに完成するとでも?あなた少しおかしいんじゃないですか?時間がある時に少しずつ進めていく形であり、私の批評は、数週間掛かることもザラです。問いに答えずに人を責めるばかりする態度は、全く尊敬出来ませんね。
罵倒することを許されている場だから、人を馬鹿にし続けてもよいと許されている場だから、問いには答えず、人を馬鹿にすることだけに終始する。愚かな人の態度として、ご自身の言動に張り付けてもよいぐらいの滑稽さですね。
ご自分の為に言葉を書いていると書かれていましたが、観察していて全くそのような様子は見えない。挙句の果てに、自らより格下だと思えばそれを嘲る方向へシフトするのでしょうか?あなたのような人間性で、よく自分のことが哀れになりませんね。私があなたであれば、恥ずかしくて、自分を傷つける行為に走っていると思いますよ。あまりにも自分が恥ずかしくて。 ('20/10/16 03:34:43 *1)一輪車です :
いや、おまえ音素? に分解? してから、放りっぱなしじゃないか。笑
ローマ字にするくらいなら小学一年生にでもできるぞ。笑
はっきり言ってやろう。
おまえはテキスト論?も知らないし構造主義?も知らない。
ましてそんなもので詩の批評をする方法すら知らない。
知っていたらそもそも、これまでのようなタワゴトなどいうはずがない。
ったく、
いいかげんにしろ! てか、オレの前から失せろ! ('20/10/16 03:47:15)耕 :
一輪車です 様
>知っていたらそもそも、これまでのようなタワゴトなどいうはずがない。
なるほど!やっと興味深い発言が飛び出してきましたね。つまり、知っていたらそもそも、言わない筈のあなたが言うタワゴトとは何を指しますか?
具体的にどうぞ、仰って下さいませ。 ('20/10/16 03:52:19 *1)一輪車です :
もっと謙虚になれといってるんだ。
できないことを言うな、知らないのに知ったかぶりするな、
わからないのならわからないといえばいいのだ。
音素に分解?笑 の先は結局書けないのだろ?
なんでそんな幼稚なことを、この文極でやるのだ。
やるならビーレビでやれよ。 ('20/10/16 03:56:57 *1)耕 :
一輪車です 様
問いに答えられないのですか?
あなたは、答えられもしないのに私の発言をタワゴトと表現したことになりますが、あなたの人間性はそこまでひどいのですか?
人を貶めておいて、その理由を提示しない。自身の態度で示そうともしない。そのようなやり方で人が育つとでも思ってらっしゃるのなら、あなたは、人を育てられる方ではありませんよ。 ('20/10/16 04:00:52)クソ美学です :
マインドフルネスもいいけど、
菊西ギルマンサーカスに仲間入りして一輪車の横移動を習得してくると、華麗にするーっとスルーできるのかもしれない。
耕さん、ジャズとマインドフルネスの話はまた明日に☆
ここに来て酷評は、評の出来る人がするべきだなとあらためて感じる。
私は即答でできないと言える。何の能もない自分にはする資格がないと知ったので。
それは一輪車さんのように博識な方がすべきだと思うから。
一輪車さん、鷹枕可さんにどっかでガス抜きしてこいとか病んだ庭がどうたらとか言ってたけど、全部自分のことでしょあれ。
他人に向けた刃は絶対自分に返ってくる。私もやけどね ('20/10/16 04:01:57)一輪車です :
おれが一生懸命に理路をつくして説明してやったことを
1ミリも理解しようともせず(つまり読んでないのだ)すぐに反発だけするやつが
なにが問に答えろだ。どこをどう読んでるんだ。
人を育てられないという人格批判はあえて受け止めるとして、
結局、テ、テテテテ、テキスト論やこ、こここ構造主義(笑)的手法での解読なんか
できないということでいいのだね。笑
できるのか、できないのか、どっちなんだよ。はっきりしろ!笑 ('20/10/16 04:05:54 *5)耕 :
一輪車です 様
?何を喜んで仰っているのか解りかねます。イメージも出来ないものをしてみますとは人は言わないものでしょう?私は、『独自のやり方ですがやります。その上で罵倒なさって下さい』と、自身の言葉で申しました。私はすると自分で言ったことは『必ず』行います。今は、仕事を二つも掛け持ちしていて、睡眠時間が数時間しか取れないので、頭を使う批評は御作品と作者様に失礼だと判断し、行えていない私自身の事情があります。一輪車です様があまりにも私自身の感情を刺激する発言ばかり行われるので、つい、あなたに『少ない睡眠時間を削ってまで』レスをし、あなたにレスをしたのだからと、他のご返信を頂いた方にもレスをし、という究極の自己矛盾に陥っていたので、もう今後は、時間が出来るまで睡眠時間に充てます。あなたにレスをしたから、睡眠時間が本当に僅かしかないのですよ。
いいですか?いい加減、一輪車です様は、よく解らない発言で人を馬鹿にする態度はやめられた方がよいですよ。あなたの為になりません。
失礼致します。
寝ます。 ('20/10/16 04:17:32)一輪車です :
返事がないようだから、じゃあ、別の言い方をしよう、
きみはどうしてテキスト論や構造主義(といってもいろいろあるが)を
用いたら、詩が解読できる、批評ができると思ったのかい?
ああそうか、
ガッコーの先生が、出来るといってるから、あるいは偉いひょうろん家ががそういうのなら
出来ると思ってるのか。笑
それとも、きみが出来ると思っている根拠があるならそれをまずは聞かせて
もらいたいものだ。
いや、もちろん、ナニも出来ないのだから、そんな殊勝な心構えなどあるはずも
ないが。
追記
あらら、コメントが交差してしまいましたね。
返事にならない、ふて寝宣言の返事がありましたが。
そもそも、テ、テキスト論だのこ、構造主義だのを持ち出して、大風呂敷を広げたのはきみなんだよ?笑
しかし、そんなに忙しいのなら、どうしてそんなことをいったの?
わけがわからないのはこっちだがね。
きみたちのそういうデタラメな態度がここではなくビーレビあたりにぴったりだとおもうから、いい加減にしろといったのだが。 ('20/10/16 04:18:25 *2)自由美学 :
文極は今も昔もなごやかで温もりのある場所です。けして排他的で高飛車なエラソ系掲示板じゃない。
まだ可能性のある芽をわざわざ摘むことに、私自身もどれだけのムダなエネルギー費やしたかしれない。
私もいい年だし、参加者達と自分の得意分野、持ち味を生かし合いながら、また伸ばしていけるように考え、この場に参加することができればと思う。
耕さん、こんなところで敵も味方もないです。みんな仲間です。一輪車もおやすみなさい☆ ('20/10/16 04:26:49)一輪車です :
わたしの考えではテキスト論も構造主義(といってもいろいろあるが)的な
手法でも 詩の解読なんかできるわけがないと考えている。
構造主義的な思想にもとづくテキスト論は言語学的な思想であって
"作者の死"といおうがなんといおうが、そんなものは表現論じゃない!
中学生にもわかることだ。
そんなことはソシュールが痛いほど自覚していたことであって、本人が一番
強くその欠点がわかっていた。
だから晩年、悶々としてドイツの詩人に手紙を書き、共作でいいから言語論を書き直したいと頼んだものの断られている。
テキスト論で文学作品の批評などありえないのだよ。
どうやって詩を解読できるんだよ、ばからしい。
ところが日本のバカで愚かな学者どもは詩のひとつ、小説のひとつも書けない
くせに西洋の偉い思想だからといって
そんなものを振り回して強引に文学の解読をはじめた。
わたしも東大のなんたらとかいうアホな学者が漱石の『坑夫』というすばらしい
小説をテキスト論で解読しようとした小冊子を読んだが、アホとしかいいようがなかった。
1ミリだって、『坑夫』という小説の内実に迫ることができていない。
言葉のアヤをいじくりまわしているだけだった。
とくに詩の場合は、言葉と言葉が互いに干渉しあってまったく別のイメージを
産み出したり、また、それらが全体の構成のなかで反応を起こして変質するところに
価値や意味がある。
これを言語学であるテキスト論なんかで解読できるわけがないのだ。
言語学と 表現という行為とは、まったく別の話だ。
こんな常識がアホな学者には(たぶん表現に打ち込んだことはなく、哲学思想という
知の操作が好きなのだろうが)わからないだけでなく、
そのアホの言い分をそのまま真に受けて育ったアホ学生やアホ作家どももわからない。
言語学と表現論をごっちゃにしているのだ。
すぐにデリダがどうのと振り回すいかいかとかいうアホも同じ。
だから興味津々、この耕くんがどんな「解読」をしてみせるのか待っていたら、
音素に分解? しただけで放りっぱなしだ。明日以降にといいながらだ。
こんな茶番というかマンガみたいなことをこの文極というきびしい修練の場で
やらかしていいのか。笑
そんなことをふと思ったものですがね。 ('20/10/16 04:47:36 *8)自由美学 :
☆耕さん
ジャズは脳に良さそうなイメージ。またオススメあったら教えてくださいな^^
お年を召した方々とのジェネレーションギャップ、これもジャズですかなっ。何事も楽しんでしまえばこっちのもんですね☆
一周回って「くる」のって、ファッションの流行サイクルもそうだけど、自分の昔の詩を読んだ時にもそれに近いものがない?
少し前のは恥ずかしいけど、結構前のだと面白い。ずっとずっと前のだと、もう他人の目で読めるようになり斬新。
マインドフルネス、これが今「きてる」と察したのは、EXIT並みにチャラい職場の同僚がこのマインドフルネスにハマってて。こいつがやってんだからそこそこ流行ってんだろなと。そんだけの理由で。笑
耕さんよく知ってますね!教えてくれてありがとうございます^^
☆一輪車さん
ジャズの起源の話、あれめちゃくちゃ面白かったですっ! ('20/10/16 18:45:42)一輪車です :
今の新宿歌舞伎町といえば風俗店ばかりになってしまったけど
わたしらが跋扈していたころの歌舞伎町はジャズ喫茶ばかりでした。
しかも深夜には生バンドが入ってセッションをすることがしょっちゅうで、
ジョージ大塚なんていっても知らない人が多いだろうけど
そういう人たちを目の前にしてモダンジャズを聞く。しかもコーヒーいっぱいの値段でね。
そういうしあわせな時代に生きた。
それでわたしは毎晩、歌舞伎町のあちこちのジャズ喫茶を
さまよい、徹夜して生バンドを聞いた。
ジャズの場合はまったく自由なんですよ。たいていは、
ベースを中心に展開していくのだけど、出せない音があると、ベース弾きが
苦しまぎれに
声に出して「うー」とか「あー」とか呻く。
こんなことクラシックなどでやれば即刻、クビでしょう。でもジャズの
セッションでは違和感のないあたりまえのことでした。
既存の音楽の知識や形式や思想や態度から自由なモダンジャズ。
そういう経験から書いたものです。
いちいちそんなジャズの趣味遍歴や経験を吹聴したりしませんが、
「音楽のド素人が、なにも知らないせに」と玄こうとかいうアホが罵倒していました。
いかいかと同じで正面から論破できないから陰口を叩く。
わたしが音楽について語ったことがないからそう思ったのでしょう。
音楽でも文学でも思想哲学でも、その遍歴や知識をわたしは玄こうのように必要もないのに見せびらかしたりしません。笑
だいたい、トウシロウってのは玄こうみたいに音楽や文学の知識をみせびらかして
鼻の穴をふくらましているやつが多い。笑
恥ずかしいことです。 ('20/10/17 03:27:10 *7)自由美学 :
ベースで出せない音が人間の「うー」で通用する。自由すぎて笑えますね。
なんとええ時代なのか。その当時の東京ならまだ、ツッカケでお隣さんチにしょう油借りに行けたのかしら。
一輪車さんのコメントが、その辺の新聞のコラムやなんかより、ずっとずっと面白い読み物となっている今日この頃。
こういう、時代を生きた人にしか語れないエピソードは、耳をかっぽじって聞いておくべきだと思う。
そして、これもやっぱ迫力が違う。もう、音やの人の息づかいやのがすぐそばから聞こえてくるようで、その場にいたわけでもないのに鮮明な映像が見える。
一輪車さんの語りがまた上手い。話の中でありながら、コーヒーは香り、あらゆる音が飛び交う。人は動き、深夜の湿りけにジャズが揺らぐ。私達に生きた感覚を呼び起こさせ、しっかりと「見せる」語り。このような読み物を書けと一輪車さんは、まさにその手本を見せているようだった。
一輪車さんがこんな風にストーリーテリングモードになるとき、ひとつの絵が見える。
紙芝居屋がやってきたみたいに、あっちからもこっちからも子供達がワッと押し寄せて、体育座りの格好でぎゅうぎゅうと身を寄せ合い一輪車さんを取り囲む。どの子も目を輝かせながら今か今かとお話が始まるのを待ってる。万華鏡をのぞく目で。いっちゃん先頭で、いっちゃんマヌケ面で、ぱかっと口を開けたまま世界入っちゃってる子は私。
こうやってみんな、詩を書く上でのヒントを盗んでいくんじゃないかなって思う。先人の経験や知識を、やがては自分の糧とし受け継いでいく。
見識が広く、いろんな事をみんなに語り聞かせることのできる、そんな人の存在は、この場においても貴重だなと。今回もあらためて感じたのでした。
いつも、本当に素敵なお話をありがとうございます一輪車さん。 ('20/10/17 06:08:42)耕 :
自由美学 様
えっ……お勧め、ですか……。俺が知っているの、皆さんが知っているものばかりだと思いますが……。
えっと……どんな系統がお好きなのかわからないのですが……、……取り合えず、好みがあると思うので、数個出しときますね。そのまま好みで枝分かれして行ってくださいな。
『Alice Coltrane - Turiya And Ramakrishna』
『Bill Evans - Never Let Me Go』
『Ryo Fukui - A letter from slowboat』
『Takuya Kuroda - Rising Son』
『Kenny Burrell Moon And Sand 』
『Swingmatism - Junior Mance』
……出来れば、俺も今、『あはがり』と同じような雰囲気の音を探していて……東洋系にあるような気がするのですが、もしお解りでしたら教えて頂けると幸いです。
('20/10/17 19:33:17 *2)中田満帆 :
詩というかたちに拘る必要がない内容におもう。むしろ、これをそのまま散文に落とし込んだほうが、わたしには自然におもえる。散文であれば、この内容を活かすことができるだろう。 ('20/10/17 19:49:17)深尾貞一郎 :
ジャズみたいな感じで詩を書けたらいいな。
https://www.youtube.com/watch?v=V7uKxG2BANc
浅川マキ/夜が明けたら ('20/10/17 22:46:57)李 明子 :
>一輪車さんのコメントが、その辺の新聞のコラムやなんかより、ずっとずっと面白い読み物
>やっぱ迫力が違う
自由美学さんに同意。
喧嘩まみれに見えながら、(血肉汗プラス)知性が躍動している。
さっき、天才論、というより、素晴らしき凡才論をどこかで読ませていただいたのですが、消えてますね。残念!
いつかの「死角」と「私角」論も、名作でした。
(このコメントは削除対象かもですネ。) ('20/10/17 23:00:37)北 :
もっと五葉松をリスペクトすれば、
親父さんも引き立って、もっとよかったと思いました。 ('20/10/18 01:27:35)火柱 :
一輪車がいう、ジャズの起源は嘘。簡単に調べられるのにその手間さえ惜しんでクソみたいなこと言ってる。ジャズが自由な音楽というのも嘘。リズムとコードとノートに支配されている。ジャズをやっている人間なら周知の事実。フレーズ(メロディ)の選択権はあるがそれは詩と同じ「枠」に嵌められている。
構造学うんぬんを表現学と同列に語るのは痴呆がひどいからか?ソシュールの書簡はなぜ出されたのか、ソシュールの言語学において足りなかったものはなんなのか。確かに痴呆老人が読むには難解だが、そんな事すら知らず構造主義やデリダをあざ笑うのは笑止。ていうかWiki程度の知識で知ったかぶってんじゃねえや。だせえ。
ソシュールの論点に足りなかったものに関しては日本語詩(長歌、和歌、旋頭歌から連綿と続く歴史ね。調べりゃ痴呆でも分かる)の歴史を知ればなぜ日本語においてポスト構造主義的分析が必要か分かる。ソシュールが求めて足りなかった要素が日本語にはあるからだ。分かるよね?日本語の成り立ちにも関係するし、理路を尽くして話してんだろ?矛盾だらけの浅い知識だけの老人じゃない事を見せてみろ。
単に「おでんには大根が入ってなきゃおでんと言わない」とトチ狂った事を書いているのと同義だよな。「これは詩じゃない」とかみっともないわ、一輪車の言論って。てめーの浅い了見と誤った知識と恫喝にも近い文体だけで誤魔化してる言葉は、まさに一輪車の薄っぺらな人生を表しているようだわ(これ直喩っていうんだよ、わかる?)
西成で100円のお好み焼きでも食って隣席のやつに愚痴ってろ。一輪車、お前が多様性を認知し許容出来るようになるまでここで詩を語る資格はない。
詩とは何か。詩情とはなにか。構造主義やポスト構造主義でなぜ語れないか。
韻律(笑)とはなにか。韻律が秘められている事がどうして詩になるのか。
バックボーンを含めて全部説明しろよ。
お前が言い出した事なんだからきちんとした理路を踏まえてな。
痴呆だから出来ませんってケツまくるなら、二度と現れるな。現代詩フォーラムでクソみたいな散文書いてケツの穴舐めあってればいいさ、一輪車にはそれがお似合い。
出来るだろ?出来るさ、一輪車なら。さあ、Wikiのページへレッツゴーだ。
都合悪くなると質問に答えない阿保ジジイもここまで罵られればやるだろう。
やらないって言ったらみんなであざ笑ってやろう。
人の事は言えるけど、自分が挑戦されたら出来ねえんだって笑笑
李とか自由美学も現代詩フォーラム行けば一輪車のクソみたいな浅い考察の散文読めるぜ。行ってこいよ。 ('20/10/18 02:23:16)
∧ ∨ 12162 : 絵夢 玄こう '20/10/14 21:17:10
、
朝に夕、夢うつつが醒め
控えめな気持ちで
今日見た夢のこと
わたしを見つけたこと
それに昨日、
財布を無くしたこと
何度も振り返り
手足をぶらぶらさせて
人さし指の先からのびる道
視界の奥に見え隠れする穴
呼吸する、足裏が
↑↓ 開いたり、
閉じたり、開いたり、している
それに今日、
また同じ夢をみた
朝(あした)も
また同じ夢をみる
絵・詠・花歌しながら
落ち葉をカラコロ鳴らして
同じ夢が何度も
わたしを、見つけた
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201014_734_12162p
ありがとう :
ご批評を頂いておきながら無視をするのは大変申し訳ないと思いまして、御作に拙評を失礼させていただきます。夢と現実を行ったり来たり、足裏が開いたり閉じたり、そして落ち葉が「カラコロ」と非常に流動性があって、しかし詩全体がある種の閉鎖感を持っていて、不思議な感覚になりました。初めの「、」は詩が半永久的に繰り返されることを暗示しているようです。繰り返されるのになぜ閉鎖的なのか、それは未来の可能性が限定されてしまうからなのでしょうか...。 ('20/10/15 12:29:13)一輪車です :
ほんとにひどい。絶句とはこのことだ。ほんとにひどい。
こんなものが詩だといってまかり通るのなら自殺したい。 ('20/10/16 01:56:38)コテ :
コロナ自粛ですよ。
前の返信書きますね、是非絵の感想をいつか書いて頂きたいです、だいぶ前、玄こう様の満月と云われる詩を読んだのですが、「私は虚無」大変美しく、こないだも思い出していました。 ('20/10/16 02:07:34 *1)自由美学 :
一輪車DEATH! ('20/10/16 03:46:59)玄こう :
ありがとう、さん。 レスくださり感謝致します。
「詩全体がある種の閉鎖感を持っていて、不思議な感覚になりました。 、未来の可能性が限定されてしまうからなのでしょうか...。 」
ですね、「同じ夢を何度もみる」、という内容がそうした印象を与えたかと思います。 (眠りの)夢というニュアンスに留まらず、?狢慎舛忙廚っ擇鮫? けっして画一的にとらえきれないニュアンスを込めて?狷韻弧喚瓩箸靴泙靴拭? (眠りの)夢という語義だけではなく、複製不可能な一枚の絵、あらゆる創出を可能にするひとつのビジョン、オリジナル、核、原型、、といったニュアンス、かなり拡張したニュアンスで、書いたものの、上手く詩で伝えられず、自分の詩の至らなさを痛感した次第です。
ある個人的な眠りの夢体験 ── 投稿したこの作者、自身の姿、外観を、外からうつして見せる夢 ── ある時見て、衝撃され、発想を転換してこうした作になったというのも、あります。
「同じ夢」、その対象、その具体的なストーリー、その真意を明瞭に指し示すことは出来ませんが、 眠りから醒め、そこで思い悟ったことは「 わたしが夢をみるというより夢がわたしをみている」 「わたしの持つ同じ夢、そこから、わたしという存在をいくつも見つけられる 」 そうした確信というか、核心というか、そんな予見を抱き、詩に至ったというのもあります。 まぁうつつの妄想です、そうしたことを現実の言葉にしてしまうと、どうしても錯覚や妄想でしかないですね。 シュール・レアリズム(超現実主義・現実を越えた現実)、という詩や文学や絵画がいかばかりか?、と考えさせられもします。 とにもかくにも、詩として、 閉鎖的、閉塞感という印象を与えてしまい、、至らずでした。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
. ('20/10/17 19:40:27 *4)玄こう :
一輪車です、さん、
ひどい、ひどすぎる、絶句とはこのことだ。こんなものが詩だとかいってまかり通るなら自殺したい。
身に詰まったお褒めの言葉、恐縮です。
水を張った水瓶を覗き、文面から映しとられたご自身の顔、読者の心の根を覗かせてしまうというもの。 たいへん正直であるな、とレスを読み改めて実感しました。
だがその真贋はいかばかりか?、、この詩を客観的にみても、主観的にみても、たいへんおぞましいものと判断されたのなら、きちんと客観的に論化し、主観的であるならきちんと物語ってくださらないと、上記のようなただの勝手なご自身の妄想。 もしくはこの作者(玄こう)が(貴方にとって)相当に邪魔な存在、忌まわしい存在であるから、こうして酷評しているのだ、 他の作品にも名指しでレスに入れ、少しずつこいつをこのサイトから少しずつ、追いやりたい、それの為の酷評やレス、そう読まざる得ない。 もしそうでないなら、この詩の何がいけないのか、お示しください。 ついでに申し上げますが、ここにレスなり作品を投稿するのは、他人読者にどう評価されようが、文筆の向上、詩がよく書けるようになる、芸術や文学のものの見方や考えを養う、身近な人とそうしたコミュニケーションはかるためのネタ、或いはあらゆる本の読書を促進させるため、もしくは仕事でのディベート術、折衝交渉、レクチャー、様々なヴィジョンをいくつも目標設定して、ここに参加していますので、どんなに酷評されようが評価などされまいとしても、続けていけるのですね。 以下個人的余談になってしまいましたが、もし宜しければ誠実にこの詩の酷評を追記くだされば、わたしとしても、今後の糧となります故に、ご教示いただけたら、、とも思います。 だいぶ長くなりました、以上です。
. ('20/10/18 02:21:06)
∧ ∨ 12154 : ランドスケープ GROWW '20/10/09 20:18:43
河の水底を擦る黒い藻、黒い魚
水面に飛び込むアマサギ
暗い夜のひとときに
目覚めと痛みがひとつになったのを感じる
風は高木の枝を鳴らし
洞窟の天井を磨り減らす
そのあいだも塔はガスの灯りとともに
北極星へと伸びつづけ
頂の工匠たちは鐘を鋳出し、壊し、それを繰り返している
枯れ枝を敷いた寝床からは、そう見える
がらくたみたいな葦舟で
向こう側の河岸へと渡り
紫の朝靄や
木の葉の露を売る市を通りすぎ
緑に濁る沼の、きらめく光の網に
囚われているアオサギの死骸を
願いをこめて両手で掬う
山を焼く音の後に、
あらゆる真水が遠のいて、
見える限りの沃野が海と砂漠に覆われるように、と
儚い願いは泥炭のうえに積もり
石灰岩の露頭が照り返す静謐に
ありふれた和声を見いだしてしまう
そうして世界は奥行きと色彩のない紙版画になる
秋の空に名詞と動詞を撒き散らしては
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201009_553_12154p
コテ :
美しいデッサンを観て、後、気持ちの説明、
幸せな気分になりました。 ('20/10/10 03:46:57 *2)なまえをたべたなまえ :
山を焼く音の後に、
あらゆる真水が遠のいて、
以外の描写は一切いらないな ('20/10/11 08:06:02)GROWW :
コテさん
レスありがとうございます.
素直にうれしいです。 ('20/10/11 12:10:56)GROWW :
なまえをたべたなまえさん
レスありがとうございます。
それはいくらなんでも短すぎませんかね笑
でも、その部分に光るものがあったということだと受け取りますね。サンクス。 ('20/10/11 12:27:53)なまえをたべたなまえ :
逆に、余分なものが多いと思わない?過剰な装飾は、その過剰さゆえに凡庸になっちゃうんだよね。貴方は、もっと削るほうがいいし、あえてしない、あえてここは描写しない、という選別が必要かもね。小説ではないんだから、というのをもっと意識したほうがいいよ。
山を焼く音の後に、
あらゆる真水が遠のいて、
これだけで十分な詩だと思わない?あなたの作品の全体より、この二行の方が詩情あるよ。 ('20/10/11 18:01:41)玄こう :
なまえをたべたまえ、に先をこされたが、レスします。
├───────────────────────
こんばんは、はじめまして。
書かれた詩に、語彙が過剰に詰め込まれてしまっていて、だいぶ散漫であるという気がしました。 たくさんの語から詩の統一性を保つべく、ここでの作で、特にメインにおきたい想や景が、意識的にも、無意識的にも、それが自然と繋がっていく。 縁語などもそうした修辞法に似たものに思いますが、唐突に発せられた語に一件見えても、ひとつの網のなかで結び目のように働く。 書かれたあらゆる単語、単語がひとつの詩の全体の枠においてその役割を充分果たせる、、そうした書きをもう少し、わたし読者としては望みたいところでした。
語彙(名詞)は豊かですが、それを支える述語(動詞)が貧弱といったら、、失礼ですが、後者の魅力をもう少し文面の表に出しても良かったか、と思いました。
忙しく文を切り貼りして、次々と場面を切り換えると、どうしても風景の持つ壮大なパノラマが消え失せ、等身大スケールへと部分部分に接近してしまいがちで、もう少しゆったりとした面持ちで、長回しで描いて、書いてもいいのかな、とも感じました。
だいぶ辛辣なレスになってしまいましたが、どことなく宗元画や山水画、墨象の、「ちらしがき 」 など、おもわせてくれました。 そうしたエッセンスが詩で生かせれば、凄いだろうな、とも思いました。
手厳しいレスになってしまい、m(_ _)m、ですが、上記のようなことをいろいろ思い、興味深く読ませてもらいました。
以上です、では、また。 ('20/10/11 19:16:08 *1)耕 :
単色。 ('20/10/11 19:58:25)GROWW :
玄こうさん
詳細で的確な評、ありがとうございます。読み返してみるとたしかに統一性がありませんね。
これからの詩作に生かしたいです。 ('20/10/12 18:49:30)ワタナベ :
こんにちは。
最後の二行>そうして世界は奥行きと色彩のない紙版画になる
>秋の空に名詞と動詞を撒き散らしては
ランドスケープを描こうとされているとしたら。
作者の中のランドスケープがどのようなものか
もっと知りたくなりました、見たくなりました。
失礼します。 ('20/10/15 10:07:35)GROWW :
なまえをたべたなまえさん
再レスありがとうございます
一つの創作の方法論として、参考にしときますね。 ('20/10/16 23:11:23)GROWW :
耕さん
レスありがとうございます。
二文字だけでは「???」なんですが… ('20/10/16 23:28:30)耕 :
GROWW 様
ご返信有難う御座います。
単純に単色が持ち味でもあり、異質さを消している位置でもあるなと思っただけです。よい、悪い抜きで、……そここそが異とも言えると思いますし、持ち味であるとも思えた為、敢えて、単色だと述べるに留めました。作者様がその意図をもってこの御作品を試みられたのなら、お話してみたいと思ったからです。
色を敢えて落とすことで、違うものを人は見るでしょうし、違うものを隠しもする。俺は個人的にそれが単色の味であると思っています。
ただ、作者様がそのような意図もなくこの御作品を書かれたとするなら、少し解らなくなりました。ただのっぺりとした絵画を描きたい訳では無いのであれば、他の方が仰るように語りすぎなように思います。 ('20/10/17 19:48:18 *1)
∧ ∨ 12155 : (平屋に住んでいると) 田中恭平 '20/10/10 17:02:44
平屋に住んでいると
背が縮みます
秋雨が身に染みる、とは
このことなのですね
安心を得る為に骨を捨てました、
しかし法悦には満足しております
ぜんしん、が脱臼して
髪は煙草の灰のように白いです
満ち欠け、と
いえば月 けして年齢によりませんが
一度、礼に向かいますので
そのときに その不思議なお尻をお見せください 敬具
味のしないガムのような念仏、
法悦はもう無い、くすりの服用によるさっかくか
副作用は日々強くなる
さいきん 嚥下ができなくなった
ペヤング ペヤング ペヤング 週五
胃袋から全身へペヤングソース焼きそばが送られ
わたしはもう人間ではない
かといってダイナマイトにはなれない
平屋に住んでいると
背が縮みます
秋雨が身に染みる、とは
このことなのですね
また 手紙を書き直している。自然法爾に、放流、
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201010_578_12155p
ありがとう :
拙評を失礼致します。コロナ禍、そして憂鬱な長雨と、現代の精神的にまいってしまう状況がありありと伝わってきます。しかし「平屋」からは、如何にも前時代的な懐古趣味に浸ってしまうせいか、あまり現状の圧迫感を感じませんでした。しかし、「秋雨」や「月」といった自然物が逃避先の一例として挙げられていて、圧迫感からの解放を謳っている、という解釈も可能だと気づきました。 ('20/10/10 21:51:47)なまえをたべたなまえ :
とても良い ('20/10/11 07:40:22)なまえをたべたなまえ :
二階に上がる階段はもはやなく、あるのは浄土への希求とそれが失われつつある不安。二階へ上がる、つまり、階段がない、平屋は自己がすでに悟りへ到達不可能な状況にあるのを語っている。ゆえに、強く浄土は希求され、それは、自己の力ではもうどうにもならないという―他者に頼るしかない。自然法爾に至る。そのものどかしさが、ダイナマイトにように爆発してしまいという、という感情の爆発、いら立ちへと向かう。
安心しろ。仏教は、否定の先に、キリスト教的な上(神への突破)では、下へ下へ、自己を掘り下げて、自己すら消失する先へ突破していく宗教だ。親鸞には深い挫折がある。釈迦にも深い挫折がある。何より、釈迦は血便たらしながら食あたり死んだ。まさに、
ペヤング ペヤング ペヤング 週五
胃袋から全身へペヤングソース焼きそばが送られ
わたしはもう人間ではない
かといってダイナマイトにはなれない
だ。宗教的な作法が習慣化される―念仏―とそれが、意識しなくても作品に書き込まれてくる。こういう作品は少ない。馬鹿みたいに、自己の心理を薄っぺらく描写するだけの作品にはうんざりで、そういうのは書けない人やできない人がやればいい。 ('20/10/11 07:57:20)一輪車です :
平屋に住んでいると
背が縮みます
ではじまる冒頭の一連4行
でこの詩は決まりでしょうね。 ('20/10/11 09:48:48 *7)无 :
田中さんの作品は現代詩フォーラムを含めてけっこう読ませてもらっているけど、この詩は現時点で最高傑作じゃないかな。初連の掴みも見事だし、その後も息切れしていない。
個人的に心の病や宗教って、詩に限らず創作にとってプラスになることがあまりないと思っています。キリスト教に傾倒してた時期のボブ・ディランとか、宗教が創作者をダメにする典型的な例だと考えています。文学極道だけでなくネット詩では心の病を前面に出す形で詩を書く人がけっこういるけど、そういう作風での成功例をあまり知りません。コメント欄できちんとした対応ができない状態で書かれた詩が名作とか、それこそマンガの世界です。
しかし今回の田中さんの作品では、その病気や宗教といった要素が絶妙なバランスで配合されて作品に強度を与えている。森見登美彦的なユーモアと悲惨さが感じられるペヤングの連が特に分かりやすいけど、一般人が抱く詩というもののイメージとはほど遠い単語を使ってここまで仕上げるとは本当に見事です。
この完成度が一時的なものなのか、それとも田中さんの達したいとつの境地なのかは次の作品を読まないと判断できないけれど、少なくともこの詩が高く評価されるべきなのは間違いありません。 ('20/10/11 16:36:14)なまえをたべたなまえ :
宮沢賢治は神智学の影響を受けていたし、ボブディランやジョンレノンのイメージは本人が語らずとも宗教的伝統のイメージだしねぇ。そもそも、宗教が社会の根底に強くあった欧米で、宗教的でない、と語れるものはある意味でない。マルクスが宗教はアヘンだといったけど、そのマルクスの経済学も宗教的なキリスト教的なイメージが根底にあるともいわれてるしねぇ。本当に、この元運営は、知識がないんだな。漫画とJPOPしか知らないんだろうね。
社会には、本人が意識せずとも宗教でなくても宗教的なことは多々あり、またそれらの影響を常に受けているわけ。宗教画良い影響、悪い影響以前に、宗教の影響を受けてない、ないものはないよ。本当に馬鹿なんだな。そもそも、詩が宗教的なもので、その根幹だったのにそれすら知らないんだね。
poemの語源って何か知ってる?年齢だけあって頭悪い人は本当にかわいそう。
('20/10/11 16:45:10)一輪車です :
ただ、自然法爾(じねんほうに)なんていう言葉を
不用意に使ってはいけないとわたしは個人的には思います。
せっかく哲学思想まみれの仏教学的理知の世界から
信仰という、人間の生身の身体性が直結した世界に詩のことばを
とおして入って行けているのに、これで興ざめになります。
ほれ、
さっそく一知半解の御仁が賢しらに親鸞があーだ、こうだといいだした
でしょ? そうするとせっかくのすばらしい詩の余韻も台無しです。
こういう言葉を
ぽろっと書いてしまうところがこの作者のもっともダメなところだと
わたしはおもっています。
ただ、他の方もいうように、この投稿者さんが新しい境地をみせてくれた
ことはとてもうれしいですし、
よく仕上がっているとおもいます。
独り言。(それにしても"なまえをたべたなまえ"という心的変質者、なんとか
ならんのかな。笑 こいつひとりでここを腐らせている。また、こんな
心的変質者にぶらさがっている女流の投稿者も大勢いる。とんでもない世界だ。) ('20/10/11 16:52:08 *5)なまえをたべたなまえ :
自分が書いている、詩、というジャンルの成り立ちや語源、すら知らなくてどうやって他人の作品を評価できるんだろう。詩は形式だから、その形式には限界があるし、その形式から零れ落ちるものは絶対にある。それをデリダは残余とかいろいろいったけど、そういうものを読んで、また創造するのがまさに批評的行為なんだよね。俺はこの作品において、平屋、の象徴的意味が本当に良い、と思っている。それは、作者の宗教的な習慣の中から生まれ出たものだと思っている。生活や思想や精神とレトリックがどこかで、同化する地点があるんだけど、まさに、この作品では平屋がそうだと思うな。これは強度のある、といえる。ただ、これは、書けなる人じゃないとわからないし、その地点を経験した人または、読むことをとおして理解してる人でないと無理。対して本も読んでない、たいして技術もない人には無理だよ。
そして、他者を評価する行為をとおして、読む側、評価する側も同時に読まれてるわけで、最近は読めない奴ばっかだよな本当に。そういう奴ほど、自分が読めなくて書けなくて馬鹿だという自覚がないんだよね。かわいそうに。 ('20/10/11 17:05:25 *1)一輪車です :
>自分が書いている、詩、というジャンルの成り立ちや語源、すら知らなくて
>どうやって他人の作品を評価できるんだろう。
↑
じゃあ、聞くがジャズはどうやって発生し、発展していったのだ?
おまえ、ジャズのような新しい音楽の分野が創造された根拠が
どこにあったのかわかってものいってるのか?
南北戦争が終わって奴隷から解放された黒人たちが、軍楽隊が戦場に
放棄した楽器を拾ってきて、(とうぜん、統制のとれてないばらばらな楽器だわな
トランペットばっかりだったり、太鼓ばっかりといったこともあっただろう)
その上、かれらは音符も読めなければ、クラシックを聴いたことすらなかった。
だからかれらは、なにもわからないところから自由に音を鳴らしはじめたのだ。
詩でいえば詩論も知らない、現代詩も読んだこともない、まして
デリダなどクソ喰らえだ。寝ぼけたこと言ってるんじゃねえ。
それがあの自由で即興性に満ちた音楽が生まれた根拠だ。
かれらが無知でなければあのとてつもなく自由な音は生まれなかった。
しかし
かれらがおまえのように一知半解の賢しらなやつらだったら理論にこだわり、
クラシックにこだわり、おそらく自由なセッションは生まれなかっただろう。
なにが詩の語源を知らなければ他人の作品が評価できないだ。
こういう頭の硬直したやつが詩なんかやってるんだから、もはや
いまどきのネット詩もとことん堕ちてとうぜんだわな。笑
デリダなんか出てくるはなしじゃないんだよ。>俺はこの作品において、平屋、の象徴的意味が本当に良い、と思っている。
〈平屋〉なんてものについて、なーーーーーーーんにも知らねえくせに
一知半解の寝ぼけたことをよくいえるよ。笑
おまえ、〈平屋〉の何がわかってるんだ。聴いてやるから、いってみろ!
日本の〈平屋〉にどんな象徴的意味があるのか、わかりもしないくせに。
いってみろ。ちゃんといえたら飴玉のひとつもくれてやる。
そういうことを踏まえてなければ詩のなかにでてくる平屋という概念ひとつ
ちゃんと味読できるのかよ。
ひとつだけヒントをくれてやる。
日本の〈平屋〉てのはな、西洋建築とは違って、天空から俯瞰してその規模が
測れるように成っているんだ。
西洋の建築がどこまでも立体化して上に伸びるに比べて、日本の平屋なるものは
どこまでも平面にのび、
それを空からふかんして、居間の位置、寝所の位置がわかるようになっているんだ。
つまり西洋建築の顔が玄関なら、日本の平屋の顔は屋根なんだよ。
そういう基本的なことをふまえなければ
〈平屋〉なんてものについてなにもいえないんだよ。
これはあくまでもたったひとつのヒントだ。さあ、おまえのいう平屋の
象徴的意味なるものをいえるものならいってみろ。ったく、なにも知らねえくせに
能書きばっかりだ。こいつは。 ('20/10/11 17:19:56 *6)一輪車です :
ああ、またやっちまった。笑
こんな愚かなやつを相手にしても不毛だとわかってるんだが。 ('20/10/11 17:43:35)无 :
>なまえをたべたなまえ
>宮沢賢治は神智学の影響を受けていたし、ボブディランやジョンレノンのイメージは本人が語らずとも宗教的伝統のイメージだしねぇ。そもそも、宗教が社会の根底に強くあった欧米で、宗教的でない、と語れるものはある意味でない。マルクスが宗教はアヘンだといったけど、そのマルクスの経済学も宗教的なキリスト教的なイメージが根底にあるともいわれてるしねぇ。本当に、この元運営は、知識がないんだな。漫画とJPOPしか知らないんだろうね。
>社会には、本人が意識せずとも宗教でなくても宗教的なことは多々あり、またそれらの影響を常に受けているわけ。宗教画良い影響、悪い影響以前に、宗教の影響を受けてない、ないものはないよ。本当に馬鹿なんだな。そもそも、詩が宗教的なもので、その根幹だったのにそれすら知らないんだね。
>poemの語源って何か知ってる?年齢だけあって頭悪い人は本当にかわいそう。
この人、本当に私のことが大好きなんだな。「終わっている場」や「かわいそうな人」に延々と執着して時間とエネルギーを使うのって、良く理解できない心理だけどね。
他人を必死に読めない書けないと言っている割りに、あんな短文コメントも理解できないとかコントみたいだな。面倒くさいけど私が書いたことを曲解されて広められると困るから、その点は書いておくわ。要はバランスが大切だって話。ボブ・ディランが宗教色を前面に出した時期のアルバムはどれもファンから酷評されたし、その評価は今も変わっていない。その一方で、アルバムの曲を変化させてライブで演奏したバージョンは一定の評価を得ている。マンガ家でも宗教色が前面に出てきてダメになった人がたくさんいる。宗教なんて根っこの部分にあれば良いんだよ。今回の田中さんの詩は、そのバランスがすごく良いって話なんだけど理解できたかな? いやできなくても知ったことではないけど。
あとアク禁になった某氏もそうだったけど、この人もマンガとアニメの区別すらつかないタイプじゃないの? 誰がJPOPしか知らないって? そもそもJ-POPなんて私が一番聴かないジャンルなんだけどね。この人にとっては自分がくだらないものは何でもマンガとJ-POPなのかな?
もうさ、「いい歳して詩が書けない読めない可哀想なクズ」だと思うなら、いい加減スルーしておけば良いのに。私のどこにそこまでこの人を惹きつける魅力があるの知らないけど、ここまで粘着されると正直すごく気持ち悪い。まあ死ぬまでワンパターンな罵倒を続けるのは本人の自由だけど私の詩はこれまで複数の詩誌に掲載されてきたし、きちんとした実績のある詩人たちから賞をもらったり数十万単位の掲載料や賞金も受け取ってきた。どちらの言葉を重んじるかなんてわかりきっている話だからね。何の実績もない上に本人が言うほど良いものを書いているとも思えない人の批判なんて、今までもこれからも聞く気はないですわ。これからも鏡を見ながら「俺の詩かっけー、時代を先取りした曲を評価できる俺かっけー」って言っていれば良いんじゃないかな。
まあ一輪車氏が言うようにこの人の相手は不毛だから、これくらいにしておきます。 ('20/10/11 18:07:36 *2)なまえをたべたなまえ :
個人的に心の病や宗教って、詩に限らず創作にとってプラスになることがあまりないと思っています。キリスト教に傾倒してた時期のボブ・ディランとか、宗教が創作者をダメにする典型的な例だと考えています。文学極道だけでなくネット詩では心の病を前面に出す形で詩を書く人がけっこういるけど、そういう作風での成功例をあまり知りません。
バランスどころか。成功例は少なく、プラスにならないと言い切ってるけど?。
アメリカではそれこそ世界トップクラスのアーティスト
10月25日、カニエはクリスチャンヒップホップアルバム『ジーザス・イズ・キング(Jesus Is King)』をリリースする[32]。アルバムはビルボードのクリスチャンアルバムチャートやゴスペルチャートでも全米1位を記録する[33]。12月25日にはカニエが総合プロデュースを務めたSunday Service Choir名義でのゴスペルアルバム『Jesus Is Born』をリリースした[34]。
なんてあるけど、バカ売れアイドルのジャスティンはキリスト教に救われたとか言いまくってるし、お前本当に馬鹿なんじゃない?アメリカじゃ、キリスト教全面に出した音楽を、クリスチャンメタルやクリスチャンラップ、ゴスペルラップなど言って、ちゃんと成立してそこから売れてるやつも出てるんだわ。お前の視座ってすげけ狭い日本の視座でさらにその中でも何も知らない馬鹿の視座だよね。かわいそうに。何も知らないかわいそうなおじちゃんなんだね。そら、年下の俺に馬鹿にされるわな。作品もかけない、詩も読めない、頭も悪い、知識もない、そいで、たぶん仕事もできないだろ?。リアルで人を管理する側にいたから見ててわかるよ。リスクヘッジできねーもんなお前。 ('20/10/11 18:25:19)なまえをたべたなまえ :
一輪車ってさぁ、たしかアクセス禁止食らってたよね?または、食らう予定でいたよね。それでも、しつこく書き込んでさ、そいつと元運営がつるんでるって最高に笑える。あのさ、一輪車なんて誰からも相手にされてないし、こいつがまさに不毛だし、都合の悪い質問には答えないし、お前も同じだよね?都合の悪い質問には答えないのか、または頭が悪すぎてまともに読むことすらできないのかわからないけど情けなさ過ぎて可哀そうだわな。年下の俺にこんな風に徹底的にいつも馬鹿にされてね。 ('20/10/11 18:33:36)ネン :
何を表現したいか作者さえも意図しない(恐らく)混沌とした投稿の中で、穏やかな詩情を感じ取ることが出来ました。平屋って空から見るのですね。 ('20/10/11 20:15:40)无 :
仕方ないなあ。相変わらず都合良く曲解してしているから、訂正するしかないな。>なまえをたべたなまえ
>>個人的に心の病や宗教って、詩に限らず創作にとってプラスになることがあまりないと思っています。キリスト教に傾倒してた時期のボブ・ディランとか、宗教が創作者をダメにする典型的な例だと考えています。文学極道だけでなくネット詩では心の病を前面に出す形で詩を書く人がけっこういるけど、そういう作風での成功例をあまり知りません。
>
>バランスどころか。成功例は少なく、プラスにならないと言い切ってるけど?。
その後に「この作品ではちゃんとバランス取れてプラスになってる」と言う意味のこと書いてるけど?>アメリカではそれこそ世界トップクラスのアーティスト
>
>10月25日、カニエはクリスチャンヒップホップアルバム『ジーザス・イズ・キング(Jesus Is King)』をリリースする[32]。アルバムはビルボードのクリスチャンアルバムチャートやゴスペルチャートでも全米1位を記録する[33]。12月25日にはカニエが総合プロデュースを務めたSunday Service Choir名義でのゴスペルアルバム『Jesus Is Born』をリリースした[34]。
>
>なんてあるけど、バカ売れアイドルのジャスティンはキリスト教に救われたとか言いまくってるし、お前本当に馬鹿なんじゃない?アメリカじゃ、キリスト教全面に出した音楽を、クリスチャンメタルやクリスチャンラップ、ゴスペルラップなど言って、ちゃんと成立してそこから売れてるやつも出てるんだわ。お前の視座ってすげけ狭い日本の視座でさらにその中でも何も知らない馬鹿の視座だよね。かわいそうに。何も知らないかわいそうなおじちゃんなんだね。そら、年下の俺に馬鹿にされるわな。作品もかけない、詩も読めない、頭も悪い、知識もない、そいで、たぶん仕事もできないだろ?。リアルで人を管理する側にいたから見ててわかるよ。リスクヘッジできねーもんなお前。
そんなこと言ったらバッハやヘンデルの時代からキリスト教に関する優れた音楽とか絵画とか芸術とかは存在するけれど、そういった光の裏でキリスト教がどれだけの人間を殺してきたか、ご本をたくさん読んでいるなら知らないわけないよね? 宗教というドラッグは使い方を間違えると、とんでもなく悲惨でグロテスクなものになる。エヴァンゲリオンにおけるミサ曲の使い方とか、まさにそういう解釈でしょ。神様バンザイと歓喜の歌声を響かせる一方で、大統領が神のご加護をと言いながら戦争してきたのがアメリカという国ですよ。あなたが大好きらしいカニエ・ウェストも、ゴスペルのアルバムを出す前に過去のキャリアやラップそのものを否定する発言をしていたと思うけどな。その変化を進化と見るか堕落と見るかは、一人ひとりのファンが判断することだけどね。
あなたが宗教というものを評価するのは自由だけど、例えばキリスト教会はアフリカから黒人を奴隷として連れてくる行為を容認していたし、聖書を引き合いにして奴隷制度の正当化すらしていた。まあ黒人奴隷の多くがキリスト教に救いを求めたけど、アメリカ人は黒人教会系に関しては徹底的に迫害していた。一方、イスラム教を信じることでキリスト教とそれを信じるアメリカ人への敵意を剥き出しにした黒人たちもいた。こちらも基盤は宗教ですよ。結局、イスラム教派で過激なマルコムXも、平和的だと言われたキリスト教側のキング牧師もああいう結末で人生を終えている。それにキングに関してはキリスト教的な平和主義的な顔の裏で私生活はああいうものだったし。
別に今さら共産主義とか支持しようとは思わないけど、宗教に依存しすぎた創作を私は信用しないよ。その上で、田中さんの作品は宗教とか心の病の問題をうまく作品に取り込んでいる。宗教とか思想信条というのは、これくらいの配分で良いんですよ。 ('20/10/11 20:30:17 *2)耕 :
……札(ふだ)ではなく、礼(れい)が、イメージ的にも美しい……のに。 ('20/10/11 20:33:09)玄こう :
“敬具” “手紙を” という語は、書かれていないほうが良かったかなと思いました。 誰かに宛てて手紙にしたためるような綴りや文体ではない気がしました。 むしろ、“独白”。 そちらのほうが近い詩に思いました。 細かいことですけれども。
(余談)
わたしも平屋に住んでいるためか、読んでてなしか親近感もわきましたけどね。
以上です。 ('20/10/11 20:45:31 *1)なまえをたべたなまえ :
くそ笑った。
俺は、この作品について語っているわけじゃないってわかる?だから、詩の語源から、宗教の影響について語ってるわけ。心の病や宗教が作品に悪い影響を与える、とか、それが強いと良い作品が生まれにくい、というお前のクソみたいな認識を批判してるって文脈で読めない?だから、賢治を出したり、宗教的または宗教が全面に出てなくても、宗教の影響化(本人が否定しても)があるよね、だから、簡単に、お前が言うみたいに、お前の狭い知識と頭の悪さで決めるの間違いじゃないと言ってるわけ。お前、本当に文脈読めないよな。それでよく他人の作品評価できるね?近代文学を作り上げた一人の漱石は精神疾患の回復の意図で子規にすすめられて小説を書き始めたしね。
それだったら、科学がどれだけ人を殺してきたか知ってるよね?って話で、なんでもそういえるのよ。あのさ、お前本当に馬鹿だろ?何の教養も知識もないだろ。だれもそんなこといってねぇしな。
科学も宗教も、それ自体が悪いわけじゃないし、事実お前のくそみたいな作品よりも多くの人を救ってるよ。お前のあの誰でもかけそうなごみみたいな作品ね。つーかさ、科学が何で発展してか知ってる?インターネットはもとは軍事目的で作られたし、人体実験の果てに今があるわけだしね、お前もその恩恵受けてるじゃん。
お前が批判しようがしまいが、俺達は、俺たちの社会は、世界は、あらゆる悪を飲み込んだ上で成立してるの。宗教が信用できなくても、俺たちはその宗教の影響下にあるし、人を殺しまくってる科学のおかげで楽しく生活できてるし、お前が単に無知なだけだろ?
('20/10/11 20:55:59)なまえをたべたなまえ :
これで、一人の人間の父親なんだな。ぞっとするわ。
カニエは好きじゃないねぇ。彼こそ精神疾患持ってるし、それが原動力で作品作ってるしね。宗教よりも、お前みたいなやつのほうが信用できないね。例えば、初期のユダヤ人の幹部は自分たちが隔離されて移動することをナチの幹部と話し合って決めていたしね。その後、過激になっていくわけだ、キリスト教は裏で奴隷が、とか、そんなの言い始めたら本当に全部そうだしね。お前が生きて、ごみみたいな作品書いてるのも、どこかで誰かが経済的な格差の中でひどい目に合ってるからだしな。
俺が言ってるのは簡単じゃん。宗教、心の病、は全く作品の質に影響しない、むしろ、それがあるからアウトサイダーなアートや音源は生まれたし、多くの文学者は精神疾患持ちだったし、過去の文学者なんて経験な宗教信者腐るほどいる。お前の狭い視点で、成功例が〜、とか、プラスが〜、とか、それこそまさに、日本人特有の国家に訓練された共産主義や宗教アレルギーそのものだよね。本当によく国家権力に訓練されてるねぇ。だから、脳みそも馬鹿なのかな。 ('20/10/11 21:03:23)なまえをたべたなまえ :
マジで、一輪車と同じレベルだな。文脈がガチで読めないのか、意図的に都合よく解釈してるのか、そして、それが俺よりもだいぶ年上だという。こんなんばっかだよな詩の世界って。書けない読めない、その上、頭も死ぬほど悪い。こいつらって本当に可哀そうだよな。 ('20/10/11 21:06:20)なまえをたべたなまえ :
やっぱ萎えるばかりだな。馬鹿の相手も仕方ないな。もういいや。 ('20/10/11 21:22:18)无 :
>なまえをたべたなまえ
はいはい気が済んだかな? 済まないよね? あなた、どれだけ私が好きなの? そろそろ自分のやってること冷静になって見返した方が良いよ。あなたは作品も罵倒もワンパターンで面白くないんだわ。屁理屈と揚げ足取りとクネクネ逃げ回る芸風自体、もう昔からインターネットでは似たようなのいくらでもいたから。
最後にもう一度だけ言うけどさ「頭の悪い馬鹿で死ぬほど可哀想で詩を読めないし書けないごみ」に、いつまで執着するつもりなの? そんなくだらない存在さっさと見限って無視して、先に進めば良いじゃん。でもあなたは劣等感と不満を抱えて同じ所をグルグルグルグル回ってるだけだよね? その虚しさと滑稽さにそろそろ気付きなよ。悪いけど、こっちはあなたみたいな人間を相手にするほど暇じゃないんだわ。少ない残り時間を大切にしたいんでね。これ以上、付き纏わないでくれないかな。
「俺は、この作品について語っているわけじゃないってわかる?」とか言うんなら、さっさとフォーラムに移動して好きなだけ罵倒していれば良いじゃん。私は付き合うつもりはないけどね。田中さんに迷惑だから、これで本当に終わり。もう餌は出ないよ。 ('20/10/11 21:29:23 *1)なまえをたべたなまえ :
一輪車と同じ。最後は、内容のない批判。本当にくだらない。劣等感と不満、だって笑ってしまう。リアル充実してるよ?やること毎日たくさんあるよ?はは。そうなるわな。ここまで言われたら、俺を劣等感や不満ある人間として理解するしか、貴方自身の中での落としどころがないもんね。付き纏わないでくれるかな、以前に、俺くらい簡単に黙らせるような脳みそと作品みたいねぇ。貴方が、まともな人間性とまともな脳みそと作品書いてればこうはなってないと思うよ。ただそれだけの話なんだよね。かわいそうにね。 ('20/10/11 21:34:09)一輪車です :
なまえをころころかえるなまえ君。
きみの弁解、必死すぎてみてられないレベルだが。
とにかく〈平屋〉について何も知らないのだけはよーーーーくわかった。笑>二階に上がる階段はもはやなく、あるのは浄土への希求とそれが失われつつある不安。
>二階へ上がる、つまり、階段がない、平屋は自己がすでに悟りへ到達不可能な状況にあるのを語っている。
日本の平屋というか、日本の和風建築てのはもともと二階なんてないんだよ。笑
二階なんかが出来たのは明治以後だ。
時代劇を見てみな? 武家屋敷に二階があるか。町人長屋に二階があるか?
ただし吉原遊郭や五重塔など、ある種の建築物には二階があった。
吉原でも五重塔でもそうだが、二階から上は住居ではなく「あの世」、世俗とは
切り離された冥界として措定されていたんだ。
いや、
そもそも、この詩の書き手は「自然法爾」ということばを使っているから
真宗の信徒であるか、親鸞の教えに共鳴している者と考えられる。
とすれば真宗がどうして「悟り」などひらく必要があるのだ。ばかたれ。笑
親鸞の教義も知らないくせに、なにを寝ぼけたこといってるんだ。
他力なんだから、自力による「悟り」を否定していることくらいわからんのか。
もちろん、真宗は仏像も寺院も修行も否定して、ただ南無阿弥陀仏の称名を唱えること
だけを教義の中心にそえた。
それが浄土真宗。親鸞の教えだ。
これをすべて覆したのはのちにあらわれた中興の祖、蓮如だよ。
蓮如があらわれなければ親鸞の教えなどこの世から消えていた。それが、親鸞の
究極の目的だったのだ。
なにが「平屋は悟りが不可能なことを語っている」だ。笑
自然法爾といってるのだから、書き手はむしろ他力による救済を願っていると
読むのが自然だろう。
何から何までトンチンカンな解釈だが、なに詩だからいかいかの解釈もいいだろ。
しかし他人をバカ扱いしているひまがあったらてめえの顔を鏡に映して、
その愚かな寝ぼけ顔をみることだな。 ('20/10/11 22:19:21 *6)コテ :
考えるとすれば、何を考えないかと言うことで、宗教から民族を守るのかも知れない。そういうのって生きてる間、足の付く間に身につくことだからあんまり語られないです。
インターネットがメール用だとは初めて知った。
人間が宗教をつくっているんだから宗教は嘘だ…いヤ、本当に人間が作るのやろうか?
玄こう様の認識は固いのだなと考えたりしてるわけですが、これって、想像力が書くとしたら答えたい気持ちです。関東の方はゼロ歳の時住んでましたが気が短いと言われてますが関西と比べるととても長いと思いますし、その分温かいと思います。裏で動ける気風と清貧のようなものがあるけどあつかましさがないです。
馬鹿者は本当に居て心強いです、それが男女だと仲を決め込んで「私」を全て話したくなる。
「人間何かを感じてるだけで良い」という躾が自分にはあって、大分悠長をこうして例えばしているのですが、何を考えないでいるかを大事に思ってます。人体実験などは、お前よ悪を抱えるのであれば今だ行け!って昔の人は思ったかも知れません、真っ暗ですがまだ希望が若し有ります。そう思うと今の方が絶望ですよね、や、怒っていて良いんですよ、絶望ってでも少なからず惹かれていて、悲しみとかの悪い状況じゃない。
宗教と思想を混同した私は立ち眩みました。
逆に何もないことってありがたいですよね、でも、何もないことは何もないんじゃなくて、何らか今だ形(つく)られていない、精神上、今だ哲学がみえない、花はそんな「無」の感覚です。 ('20/10/11 22:38:39 *3)耕 :
……読み違えた。礼(れい)で合っているなら尚更……。
〉一度、礼に向かいますので
〉そのときに その不思議なお尻をお見せください
何故、……ここまで軽薄?
ここにいらっしゃるレッサーが、この御作品にここまで肯定的な意味が解らない。
どなたでもよい。何故、この御作品をここまで手放しで褒めるのか、馬鹿な私にご教授下さい。お願いします。 ('20/10/11 22:51:02)玄こう :
ジャズに纏わるレスがありましたが、昨日ラジオで聞いていた番組。
https://nhk.jp/radio/?p=0167_01
64分〜、
ジャズの音楽について、専門的理論、譜面が読めなくとも、聞きつづけること、なんだか話し聞いてて、なんかわかった気になってしまうが、聞いてて凄かった。
音楽を演れん、演ってもないど素人が、わかってる気でジャズなんぞ語られてもね、 詩だってここで語られるくらい追求されてるはず。詩学として 音楽の理論も。 それは今の時代にあって当然、さもないと、これからの詩も音楽も出てこないでしょうね。
詩学から詩をレスされているレッサーが、誰もいませんね。 ('20/10/11 23:07:31)一輪車です :
詩学から......???
そんな愚かな人はどこにもいないでしょ。
いくらなんでも詩学からだって。
噴き出すようなこというものじゃないよ、
いくら、サロンでパイプふかして文人を気取ってるからと
いって、
いくらんなんでも、し、詩学からレスって、あー、
背中が痒くなってきた。ああ、恥ずかし。
「詩学からレス」したければご自分がやられては?笑
きっと見ものだと思いますよ。
しかしまあ、こんなのをみていると「なんでこんなバカばっかりなの」
って連呼しているいかいかの気持ちも少しはわかるよ。 ('20/10/11 23:23:26 *5)一輪車です :
おそらく詩の理論を用いてレスしろということだとおもうが、
膨大な領域、あらゆる偶然性や思想や体験や観念や感情などの集積集合である詩が
もし、
詩の理論で包括できるとすれば、現存する文学理論や中途半端で独りよがりな
詩論ごときでとてもおいつくものじゃない。
そんなものでなにか偉ぶりたいのならそれもいいが、真摯に詩の鑑賞や感想を述べたければ
むしろ一人一人の読者の体験や思想からくる生の声のほうがどれほど豊穣であるか。勉強になるか。
「詩学で詩を」なんていってるのは、まともな詩の理論を学んだことのないあほうのいうことだと思うね。
なぜなら、そもそもすべての人はその人の「詩学」で詩の感想を述べたり鑑賞をたのしんでいるんだから。
そんなこともわからないこと自体、
ほんと恥ずかしいやつだ。出てくるたびに、いつも思うんだが。笑 ('20/10/11 23:47:08 *4)耕 :
詩学からとは、アリストテレスが述べた詩の始まりから……辿って、論を作り上げるという意味だと私は、思いました。詩の起源が、古代ギリシャだとするなら、詩の起源は、哲学の始まりでもあります。
……つまり、詩は、心を哲学しようと人が試みてから始まったと私は、思考致します。古代ギリシャよりも前の文明から詩が存在したのなら、音楽が先か、言葉が先かとそういった話になるのではと私は、馬鹿ですが、想像致します。人が本能的な行動しか取れない存在から理性や知性を手に入れた時、そこに言語が存在したのだとしたら、それは、音楽が先ですか?言語が先ですか?心の起源とは、声(音)なのか
文字(記号)なのか?そういった話に繋がり、答えは出ない問いだ。でも、詩を書かれる方ならば、問い続けてもよい問いだと私は、思考致します。 ('20/10/12 00:05:13)一輪車です :
あと、タイトルが()で囲まれているというのもおもしろくおもえました。
つまり本文全体がきわめて内在的な極私的なつぶやきですよと言っているよう
でもあるし
いっぽうで、同時に、おれはカンケーねえからねといってるようでもある。
こういう二重構造を立てたというところがおもしろく感じられた。
もちろん、作者の意図なんか鑑賞者にはどうでもよくて、
投稿された作品が読者におもしろく味わえればそれでいいことなんです。
この投稿者の方はおれの意図を察してくれという気持ちが強いようですが、そんなことは
読む方にはカンケーねえんです。笑
詩の意図を察してもらいたい投稿者がいて、その意図を解説する感想者がいる構図なんて
そんな構図が詩の成り立ちとしてあるなら、もう詩なんか現代に意味ないと思っています。
そんなものはインテリのただの自己満足にすぎない。 ('20/10/12 05:00:53 *5)コテ :
え、人間ってそんな悪かったの。って言うのが、この詩にも伺えて、白い月がどこにあるのか中に探したりします。煙と添えてあって非常に美しい。その元で絶望だっいう噂をする。ペヤング ペヤング ペヤングと云って帰って行く「無常」の。その方向にいつもの常の、周りのおろおろしさを読みます。
親を思って胸がきゅんとじわっと痛くなったりする暇がなかった。親を忘れるとそこに魔が入って来て、
人の神は、佛が親だったり、母が親だったり、
詩が親だったりするわけで、
(人間は)少なからず夢を見るものです。親から一度捨てられる事はあっても、こちらには親を捨てる権利が無くて、自由はそんなに自由じゃない。なまえをたべたなまえ様には年上ながらに色々考え(感じ)て欲しいと思いました。
私は音があるところ言語だと理解し思った、恋が始まりで、ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカと云うのは、タラークで、何て言うか、言語に意味があるのではなく、意味に愛があってニュアンスで言語が伝えられたのが、音があるところ言語だと理解し思ったのが言語如来の空の起源。これが中々続かなくて。ソワカという、「です」は、古ではなく、古来の品を伺え美しいと思います。菩提を離れてペラペラ喋ると、
「おお、坊や強なれや!わたしキャラもんや、…道頓堀にて。」でも密教って言っちゃいかんのですよね。真言は詩ではないけど、骨格ではある。何故なら、乳がどこから来たのかを私は思う、考えると云う事を単に思考ではなく、感受と云うのなら大した事だと思う。マントラが詩を超えて居て、我らを叩き落とすために「真言」の梵字(詩)が光る。故に周りの人がどうあれ愛(恋)の向こうに行けるんじゃないかと思う。学ぶことが一杯ある。 ('20/10/12 06:39:39 *4)耕 :
一輪車です 様
初めまして。>もちろん、作者の意図なんか鑑賞者にはどうでもよくて、
>そんなものはインテリのただの自己満足にすぎない。←? ('20/10/12 05:00:53 *5)
例えば、俳句は、筆者本人の意図も大事になってくるが、詩の場合、構造主義や、実存主義、記号論、シュルレアリスムなど多様な解釈が存在する為、テキストを重要視するというのならば、テキスト主義だが……(他にテキスト主義以外のよりぴったりとした主義が存在するのならご指摘して頂きたい)猶更、『テキスト主義として』『記号的に』『どう読まれるか』という視点は必要なように思えるが、テキスト主義の中で、バルトも自律している作品上での『作者の死』を述べたが、それは作者の背景とは切り離したテキストとしての自律を指していたと理解していた。つまり、『記号的な』『テキストの自律』自体は否定しておらず、テキスト主義の立ち位置をレッサーが取るのであれば、猶更、『テキストとしてこの作品はどのように読まれるか』という研究は必要だろうと思考していたのだが、一輪車です 様の仰っていることは、(私自身が理解していると思っていた)完全なテキスト主義者でも無いように見受けられて、端的に言って、意味が解らない。
※テキスト論は、馬鹿な私には手に余る程に難しい為、私自身の理解が誤っているのならば、それも合わせてご指摘頂き、徹底的に馬鹿にして頂いて構わない。寧ろ、私の認識が勉強不足により誤っているのなら罵倒して頂きたい。私自身は、テキスト論に対しての正しい理解を深めたい気持ちがとても強い。
レッサーとして、一輪車です 様は、どのような立ち位置から論を展開なさっているのか馬鹿な私にご教授願いたい。
お願い致します。
他のレッサーの皆様へ
言葉の使い方は、文字だけ見れば記号のようなもの。……こちらは、テキスト主義だと思っていたのだが、そうではないのか?レッサーの方々の批評する立ち位置はどのような所にあるのか伺いたい。そうでなければ、滅茶苦茶な主張が飛び交うような場でのテキストなんぞ怖くて投稿出来ない。 ('20/10/12 10:30:51 *7)コテ :
耕様
何かと遮られた私たちです。
危ない川に顔を突っ込むのはあなたで、水はもともと流動してます。 ('20/10/12 11:00:03)耕 :
コテ様
初めまして。
私は、荘子の逍遥遊の思想は好きですが、私は凡な為、流動しているその様が、常とは思えず度々疑問を感じ、問いを発します。
……私にとっては、その危ない状態の川ですら、知の集合に見えてしまう為です。凡であり、無学故、無様に見えるかもしれませんが、それが私自身の自然です。
……出来れば、また話しかけてくださると有難いです。 ('20/10/12 11:37:55)一輪車です :
耕さん
申し訳ないですが
わたしは「構造主義」だの「テキスト」だのという言葉を聴いただけで
尻の穴がこそばゆくなって悪寒がするので、
そういう"宗教"が好きで、そういう"宗教"を信じている方とお話なさって
ください。
まことに申し訳ない。わたしがここで作品にレスするときは、じつは
わたし自身の考えを確認するために書いているのであって、
いかいかや玄こうのように、
知を自慢するためでも、承認を得るためでもないのです。ですから、
あなたがわたしのコメントに疑問を生じても、
わたしの関心や興味を引くものでない場合は、申し訳ないですが、逐一、
それに返事することはありません。
いちおう一般的な構造主義も、一般的なテキスト論も勉強はしてきましたが、
まったくのタワゴトだと思っています。また、どこがタワゴトであるかは
わたしの問題であって、この場で人さまと議論する気はありません。
もし、わたしの関心を引くことをあなたが語ったときは、お誘いがなくとも
わたしの意見や感想を述べますが、
以上、ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。 ('20/10/12 12:56:30 *2)深尾貞一郎 :
耕さんへ
ためしにこの詩を構造主義の批判手法で解説してみたらどうですか? ('20/10/12 14:23:40)ウトイ :
いい詩だと思います。
システムのようなものを感じさせつつ、そこを逸脱していくような仕草をとても好意的に思いました。 ('20/10/13 01:33:19)耕 :
深尾貞一郎 様
初めまして。
ここ一週間程は、この時間帯に仕事が終わる為、今、お言葉に気づきました。私の中で最優先の返信に思えたので、先にレスします。
※統一したいので、様呼びで失礼致します。
>ためしにこの詩を構造主義の批判手法で解説してみたらどうですか? ('20/10/12 14:23:40)
そのようなことが望まれるのであれば、他の方にレスをした後、私が思う構造主義の批判手法で解説を試みてみます。独自なやり方になるので、確認された後、罵倒なさるのであればされて下さいませ。では、暫くお待ち下さい。
**
(※下記は、まだ途中です)
? 硫餐任隆囘世?ら]
ローマ字表記
hiraonisunndeiruto
segatijimimasu
akisamegainisimiru,toha
konokotonanodesune
annsinwoerutamenihonewosutemiasita,
sikasihouetunihamannzokusiteorimasu
zennsinn,gadaltukilyuusite
kamihatabakonohainoyounisiroidesu
mitikake,to
iebatuki kesitenennreiniyorimasennga
itidoreinimukaimasunode
sonotokini sonohusginaosiriwoomisekudsai keigu
ajinosinaigmunoyounanennbutu,
houetuhamadanai,kusurinohukuyouniyorusaltukakuka
hukusayouhahibituyokunaru
saikinnenngegadekinakunaltuta
peyanngu peyangu peyanngu silyuugo
ibukurokarazennsinnhepeyannguyakisobaso-sugaokurare
watasihamouninngenndehanai
katoiltutedaiyamaitonihanarenai
hirayanisunndeiruto
segtijimimasu
akisamegaminisimiru,toha
konokotonanodesune
mata tegamiwokakinaositeiru.jinennhouni,hourilyuu,
**
hirayanisunndeiruto segatijimimasu aksamegaminisimirutoha konokotonanodesune
→例えば、平屋→特異な意味。
平屋に住むこと≠背が縮む→関連性がない。異質。
寧ろ→秋雨が身に染みる≒背が縮む。→心の関連性。
心の関連性から→平屋の特異性。
※悔しいが、何度試みても、平屋という言葉そのものには特異性がない。それにも関わらず、ここでは特異な意味合いとして存在している。音の流れも灘らでとがったところがまるでない。秋雨がまるで降っているかのような穏やかさ。
平屋を記号で見ようとしても、平屋は平屋であるという意味合いしか持たせていない。作者の背景は、平屋という言葉からは見えない筈。にも関わらず、効果が生まれている。つまり、作者は背を縮めるほどに困窮している。心か身体かは解らないが。そういった背景を想像出来てしまう。言葉そのものに全くの関連性が無いのにも関わらず。
→音素表記に直して
※眠くなったので、下記の続きは、4:39分現在からみて、明日以降に書きます。
※今日、少し進められそうです。イメージの真ん中辺りまでいけたらよいなと思っています。
??
平屋に住んでいると
背が縮みます
秋雨が身に染みる、とは
このことなのですね
安心を得る為に骨を捨てました、
しかし法悦には満足しております
ぜんしん、が脱臼して
髪は煙草の灰のように白いです
満ち欠け、と
いえば月 けして年齢によりませんが
一度、礼に向かいますので
そのときに その不思議なお尻をお見せください 敬具
味のしないガムのような念仏、
法悦はもう無い、くすりの服用によるさっかくか
副作用は日々強くなる
さいきん 嚥下ができなくなった
ペヤング ペヤング ペヤング 週五
胃袋から全身へペヤングソース焼きそばが送られ
わたしはもう人間ではない
かといってダイナマイトにはなれない
平屋に住んでいると
背が縮みます
秋雨が身に染みる、とは
このことなのですね
また 手紙を書き直している。自然法爾に、放流、
('20/10/13 02:54:12 *7)耕 :
一輪車です 様
ご返信、有難う御座います。
>わたしがここで作品にレスするときは、じつは
わたし自身の考えを確認するために書いているのであって、
>逐一、
それに返事することはありません。
>どこがタワゴトであるかは
わたしの問題であって、この場で人さまと議論する気はありません。
一輪車です 様のレッサーとしてのスタンス理解致しました。創作は、自身の為にしている私自身の向き合い方もあり、他人様のそれを批判する気はありません。不躾な質問申し訳御座いません。お答え頂き感謝致します。
私側への罵倒、批判、非難、ご助言、ご指摘、他、どのようなお言葉も全て、歓迎致します。
('20/10/13 03:09:11)深尾貞一郎 :
田中恭平さんがこのような詩を書くようになっていたことに衝撃を受けました。
現代詩フォーラムも数作を確認しました。
初読したとき、町田康の作品を思い浮かべ、これも書き方のひとつだろうと思ったのですが、考え違いのようです。生き様が描かれているようです。
大正期の文人のような生き様を田中恭平さんはされているのでしょうか。そのくらいの迫力に満ちた文章です。
佛教への帰依も決して冗談ではないようです。また、真に体調の不安もあるのでしょう。
詩としては、実存を表すものだと思います。
そしてこの詩は、上流階級の人たちが仕切っている詩壇が、いかに空々しいかを僕に暗示してくれました。 ('20/10/13 21:39:47)田中恭平 :
皆さま
コメント沢山ありがとうございました。
筆者としても、口を挟むことがないほどに、批評、解体していただき
誠にありがとうございました。
信じよう、と考えている間には、実は信じていない、という言があります。
私は阿弥陀如来に帰依していますが、煩悩のなせるわざ、真の信心を
持っているのか、他力はわたされているのか、悩んでいてこんな詩が書けました。
なまえをたべたなまえ様の「安心しろ」には励まされましたし
一輪車様の読者がどう読むか、を優先する論なども頷くこと多々でした。
无様の宗教を扱うことに対するバランス、ですか、正直、もうこんな詩を
書くのはやめよう、と一瞬思いました。深尾貞一郎様、わたしは書き方の一つと
いった詩作はできないのです。今がすべて、あるがままに、の日記詩しか
書けなくなりました。
名前の漏れた方、すいません。すべてに目を通しています。
とても疲れたので、くすりを服して静かにしています。
土曜日なのに雨、って最悪ですね。ありがとう、ありがとう。 ('20/10/17 10:29:11)一輪車です :
もうしわけない。
そりゃあ、疲れますよね。
飛んでくるなり、主観的に良いかダメでしか作品を判断しない
いかいか=なまえをたべたのようなのがいては。
最初から詩の鑑賞が毒々しいものでしかなくなる。
どこまでも唯一者としてふるまいたがる阿呆。
わたしもそれに反発して田中恭平さんの感想欄をいかいかへの怒りで
埋めてしまったが、
またしても反省だ。
しかし、詩を書く人たちには受け身の人が多いのだけど、それは
マゾヒズムにつながるのか、いかいかを承認してはダメだよ。
けなされて悦んでいるおかしなのばかりだが、それはこのサイトの自滅に
つながる。
ビーレビはひじょうに賢い。いかいかをアク禁にしたのは正解だ。
これまでビーレビがやったことで唯一正しいことだ。笑
ここも
いかいかをアク禁にしていればもっと軌道修正できたはずだ。
アラガイをアク禁にしていいことなんかちっともなかったじゃないか。
アラガイさんのアク禁が運営と投稿者の甘ったれた総意だったのなら、
.......これは自滅ということばがふさわしい。おれに責任押し付けられても
困るぜ。笑 ('20/10/17 13:40:46 *3)耕 :
一輪車です様が誰かを排除しようとするポーズ→話題が無くなった表れなのでしょう。つまり、一輪車です様の本意は、『もうそろそろここやばいよーいかいか様来て助けてー』という召喚の合図です。
いかいか様がいらっしゃったらビーレビ行っていたし、ここからも居なくなるなら、ここに来る意味は無いな。ダーザイン様といかいか様がもう来ないならここに来る意味は無いな。(大事なことなので、二度言いました)一輪車おじいちゃんは、表現の引き出しが少なくて可哀想。 ('20/10/17 15:00:17)
∧ ∨ 12164 : LEMON BEACH GROWW '20/10/17 11:54:52
展望台の銀の手すりに、街中の花々を円筒形に閉じ込める。冷気と霧のなかに点在する欠陥高層集合住宅を互いに繋ぐ、距離という距離を冬の空に張る弦に作りかえる。ラブホテルと高架橋が重なって見える横断歩道の真ん中に立ち止まり、遠景の山脈に在るはずのない氷河を見つけ出す。老いも若きも集団で死にゆく天体へとジョギングするついでに、電波塔のふもとで風を選び取る。そうすれば百貨店のアドバルーンは焼け跡の立木のように動かず、時の流れもそれに倣うだろうから。結果の総和として凪ぐ海岸、レモン・ビーチ(skrt skrt)
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201017_790_12164p
∧ ∨ 12124 : 19歳 小西 '20/09/24 01:13:31
僕の体のどこかに東京と同じ大きさの穴が開いている気がする
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20200924_191_12124p
田中宏輔 :
いい。 ('20/09/24 02:07:54)東 :
小説の、物語の、冒頭の一行として置いて読みました。
2行目を、3行目を、すべての行をを読んでみたくなる一行ですね。 ('20/09/24 06:10:47)一輪車です :
東とかいう ストーカーで自称京大卒くん、笑
これは一行だからいいんであって、
つまり詩独特の含みがあるんであって、
2行目、3行目......があったらこの詩のよさは
台無しになるだろうが。ぷっ。
たとえば三好達治の有名な詩、雪。
太郎をねむらせ、太郎の屋根に雪ふりつむ。
二郎をねむらせ、二郎の屋根に雪ふりつむ。
これに3行目や、すべての行があったら
どないすんねん、自称京大卒さん。
この詩は19歳の初恋と失恋をひとことで言い切ってるんだ。
それくらわかってやれよ。
ま、ある意味、同じことをいってるのだけど、笑
しかし東のようにいってしまえば、詩の味わいはすべて
ご破産になる。 ('20/09/24 09:49:22 *9)なまえをたべたなまえ :
もうこういうのはいいや 自分の中にすでにある ('20/09/24 18:39:28)東 :
あの〜これ、詩とはひとことも言ってないんですが・・・。 ('20/09/24 22:23:44)東 :
それに、二郎って、誰? ('20/09/24 22:26:31)田中宏輔 :
これは、いわゆる、一行詩。
詩の歴史に残るくらいによくできている作品だと思う。 ('20/09/24 22:36:14)完備 :
クソ良い ('20/09/25 17:33:47)なまえをたべたなまえ :
完備お前もこれ出来るだろ ただこういうのはもう卒業したいな こういう抒情はもういいや 単純な抒情はもうしんどい 次が見たいんだよな ('20/09/25 18:41:05)完備 :
似たことはできるが,これほど瑞々しいものは書けない.「作者は本当に19歳なのかもしれない」と思わされた.そこを評価した.勿論,こういうサブカル的なインスタント抒情詩を卒業したいことには全く同意する. ('20/09/25 22:17:50)なまえをたべたなまえ :
卒業できない奴が多すぎるし、それに気づけない奴が多すぎる 本当に退屈だな こういう話をできる相手も本当にいない ('20/09/25 22:49:16)自由美学 :
その単純な抒情すらまともに書けてない奴らが笑わせんな^^
「穴」の解釈はいくらでも広がる。
また、完成しきってない19歳。
先が見通せる穴、将来が見えつつある自我の目覚め。個から公へ、やがて自分も社会人となり、東京と重なって、あけすけな公の存在とならねばならない。
自由ある可能性の穴でもあり、プライバシーを保てない不自由の穴でもあり
ある意味、一行詩は、解釈のバリエーションを楽しむ詩でしょうか。
その辺の中学生でもまぐれ当たりでできるやつかとも思いますが、これがテクとか言われたら私には微妙ですね。 ('20/09/26 03:52:24)灰草露 :
どこかに、と言われると少し引っかかりました。意図的なら納得ですが…力のある詩だと思います。 ('20/09/26 19:26:46)イロキセイゴ :
19歳と言うタイトルが詩内容と関連があるのだろうかと思いました。「体のどこかに」は大胆に足裏ではないかと空想してみました。 ('20/09/26 22:33:28)一輪車です :
>こういう抒情はもういいや 単純な抒情はもうしんどい
>こういうサブカル的なインスタント抒情詩を卒業したいことには全く同意する.
詩が書けない読めないお二方(笑)のマンザイはともかく、
これは抒情や抒情詩じゃないだろ。ぷっ。
ほんと情けないお二方だ。
この勘違いしたお二方に向かってわたしの感じたものを語ろうか。
ストーカー東がいったように、
物語が凝縮しているのだが、この詩がいいところのひとつは
万人を照らす構成になっているということ。
ほれ、太陽でも月でも自分だけが一直線に向かい合って見ているように見えるだろ。
小説でも詩でもじぶんだけにわかるように書いてあると、
読む人すべてに思わせる、そのような詩や文学が「いい」条件の
ひとつなんだ。
僕の体のどこかに
この「どこかに」というのは、僕の体の「どこか」ではなく、
読む人、ひとりひとりの「どこかに」といっているように
読む人のこころに返してくる。
だからこの「どこかに」は読む人の数だけある。
次に、
穴が開いている気がする
この「気がする」というのは、
もちろん、通俗的なことばでいうならいまの社会の掴みようの
ない不確定で、複雑な構造の不安と不条理を示している、
と読むこともできる。
つまり「どこかに」「気がする」という漠然としたこころの不確実な
感じがいまの社会に生きている読者のこころに反射している。
しかし、ただひとつ「僕」にはっきりしていることは
東京と同じ大きさ
という、こころの空洞の規模だ。
この「東京」という大きさは日本の中枢にある大都会のように大きくて、
同時にじぶんの身体に収まるくらい小さい。
つまり「僕」はこの巨大な「東京」を、
いまではもう心理的にずいぶん遠くからみている。
それが19歳といまの「僕」のあいだにできあがった
ひとつの空虚な光景というわけだ。
わたしは最初、失恋といったけどそれは読む人それぞれが
それぞれの物語を選択できるようになっている。
これは抒情とか抒情詩なんてものではなく
もっと批評性のある、しかも、
たっぷりと果実をたくわえた一房の葡萄のように
芳醇なものだ。
ほかに山ほど語りたいことがあるのだけど、眠いのでひとつだけ。
以前は誤解していたのだけど田中宏輔さんのある部類の詩は
一行詩の集積とみなして読んでもいいような気がしている。
この投稿作はいろいろなことを考えたり感じさせてくれるので
勉強になった。 ('20/09/27 06:07:17 *7)東 :
私がこの一行を物語の冒頭として読んだのは、
ポール・ニザンの『アデン・アラビア』の冒頭の一行が念頭にあったからなんだが、
(その冒頭はもういまは気恥ずかしくてここには記さない)
小西氏のこの示唆に富む一行をポール・ニザン同様「青春の物語」の入り口に置いて読んだわけだ。
この一行が示す欠落感(喪失感=自分が失ったわけではなく、すでに失われたあとに自分が立たされている)を埋めるのは
物語で追究するしかないだろうと。それをぜひ読んでみたいと。
これをよくできた「一行詩」として賞賛するのも結構だが、私のような読者もいるということ。 ('20/09/27 08:14:16)田中宏輔 :
「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。」
ですね。東さん。ネットでググりました。翻訳者の名前は知りませんが
ぼくもポール・ニザンのこの言葉を知っていましたが、この作品とは結び付かなかったですね。 ('20/09/27 19:07:38)田中宏輔 :
東さんのこころのなかでは結びついたということでしょう。
すぐれた作品は万人に万人の異なる感慨を与えるものだと思います。
この作品は、そういった意味でもすぐれた作品だと思います。 ('20/09/27 19:13:39)田中宏輔 :
ぼくは、ぼくの『マールボロ。』という作品を思い出していました。
友人の中卒の青年が中学を卒業して東京に出て7年間を暮らしていたのですが、その7年間のことを書いてもらって
ぼくがその言葉をコラージュした作品でした。ぼくの代表作品だと思っています。
近々出る、ぼくの詩論集の中核にあたる論考をいくつか『マールボロ。』の解説にあてています。
ちなみに、『マールボロ。』がここで優良作品に選ばれていますので、アドレスを貼っておきますね。
http://bungoku.jp/monthly/?name=%93c%92%86%8dG%95%e3#b43 ('20/09/27 19:19:11 *5)土曜日の午後 :
とても素敵でした。本当に19なのかどうかは知りませんが、そこもまたいいですね。 ('20/09/29 23:59:46)小西 :
投稿したこと忘れてた。こんなに伸びてるとは。コメントしてくれた人ありがとう ('20/10/08 15:55:10)耕 :
新しいと思った。 ('20/10/11 12:12:18)GROWW :
別に新しくはないけど、短詩の作り方が上手いなと思った。言葉が閉じていないので、多様な解釈が可能、なのが短詩のうまさだと思うので ('20/10/17 11:50:40)
∧ ∨ 12159 : 凡庸と鬱が飽和するミッド・ナイトに俺は 澤々 '20/10/13 17:48:22 [Mail]
魔法使いとなった夢の中でさえ
消費税を払うような所業を忘却したくて
いつもより深く舌を入れる
節足動物と化した指が柔肌に蠢いて
秋なのに熱帯夜のワンルームで
地獄のような天国のような暗渠の中を
盲目の二人は殺しあうように愛し合う
生首が踊るベランダをバックに
開けっ放しのトマトの缶詰が震える
意思を司るパドルが濁流に飲まれて
脳を食われたバッタが狂気飛行の電波塔
受信せよ! 菱形の惑星から飛来する者
手のひらに「ゐ」の焼印の入った蛙の子
心肺停止のアラームと産婦人科の産声が
飽和するガイアは生きたまま凍結されて
若狭のラブホテルの受付に飾られているから
コンドームの中で踊るシルエットクイズに
答えなくても別にいいよ
友達の友達の友達の友達のバイト先の先輩の大学の後輩の妹の部活の顧問の前勤めてた高校のとある生徒の親のいとこの二番目の子どもが最近性的暴行の罪で捕まった慶応大の元ミスターだったと知ってもカラオケオールに行かない理由にはならないし録画したドラマが映ってないとちゃんとキレるし俺はお前が嫌いです@hayakushindekure.svg
「あっ、イク…!」
暑くもなく寒くもない秋夜の風俗街を
縦横無尽に走り抜けるのがタクシーなら
路肩に停車してるのもタクシーで
今まさに俺が乗り込むのもタクシーだ
後部座席のドアが開いて
誘われるがままそれに乗り込む
どこまで? と問われる前に
月まで、と答えて
え? とタクシーの運ちゃんがバックミラー越しに俺を怪訝な目つきで見ている気がする
俺はもう一度「月まで」と小さく呟いた後
「宜野湾市我如古」と返事した
がなるエンジン音が月に溶けて
凡庸な夜は凡庸に暮れゆく
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201013_696_12159p
北 :
地域や生活、自然現象、等々、民放のテレビ番組が取り上げそうな、身近な事柄に密着した匂いのする言葉を使い、直喩の対象と対象、(〜のような)が、徐々に距離(意味)の間を広げてゆき、(異国の存在を認知しているような現実を離れていない)現実離れしてゆくのを感じます。
その距離(意味)の間の中に、暗喩されている詩情の表面に映っているのは、夜の営みなんだけど、その営みに没頭させない、女性の特有の現実的な目線が、時折、眩しい視線の光として、底なしの闇を、ピカッと照らしているように感じます。その効果は、夢と現実を対比させ、読者を、更に夢の深みへ誘おうとする意図なのか、いやはや夢の奥の底の表は現実なのか、、作品に使用された、様々なモチーフから、その筆跡を感じました。
冒頭の三行が、「これは夢の話でございます。」と、この作品の宣言になっているので、その三行が月の営みに、さらっと不時着した読後感でした。
追記です。
1、友達の友達の友達の友達の〜から「の」のnoのoの音がテンポを作っているのに気がつきました。あと、句読点が少ないのに、見えないブレス記号が、入ってるように感じること。(普段使っている方言よって、人それぞれ異なる。)僕も、ちょっと前に、そういうのを試していたので、たまたま気になったのかも知れません。作者さんが意図的にやってるのかどうかは解りません。
母音と子音について
http://bungoku.jp/ebbs/log.cgi?file=666;uniqid=20200807_050_12045p#20200807_050_12045p
句読点を使わないで
http://bungoku.jp/ebbs/pastlog/661.html#20200608_846_11944p
2.ゐの焼印って、昔、流刑かなんかになった人が、押されてたような話が、あったような、なかったような...? 聞いたことがあるような?ないような?です。
そのような読み方をしていくと、百科事典のページを、目を瞑って、パッと開くみたいな、遊びになってるようにも思えてきて、ちょっとわくわくしてきました。 ('20/10/13 19:58:27 *9)一輪車です :
これまでずっと
詩を掴もうとして掴めきれないこの作者の焦りといらだちが如実に浮き上がっている
ような気がしました。
一連目は、ワンルームでだれかが愛し合っている、ただそれだけのことが書かれている。
二連目は、タクシーに乗って行き先を告げる、ただそれだけのことが書かれている。
たぶんまあ、愛し合った後、だれかがタクシーで帰ったのかもしれませんね。
この詩はそれ以上も以下もない、ただそれだけのことなんですが、笑
まさに凡庸と鬱が交差する真夜中に書かれた心境ということになるのでしょうか?
(さっぱりわやですわ)
類型的なイメージを多用しながら
類型的なイメージに堕していないというてんでは評価できますが
しかし、一種のめくらましという手法ではそれが目一杯ぎりぎりのところ
ではないでしょうか。
余談
北さんの解説がわたしには非常にウケました。
久しぶりに愉快に笑いながら読みました。これでぐっすり眠れそうです。
おやすみなさい。 ('20/10/14 03:27:36 *12)コテ :
「イク…!」生きてる人間っていうの仏にはなれない。女性の方が想像的精神が高く、何でも経験している。男性は自分がどうしてほしいかを女に伝える、言う。
「月まで」というのが、人のきざな態度を(さらに)ニヒルってて可笑しい、人を笑顔にします。
澤々さんが何を感じられたのか、誤解を残しつつ、完璧に解く試みも素晴らしいと思います。
人を驚かせよう、びっくりさせようという意識が高い、舌を入れる…周りの目を気にし管すぎ。
ここに書きますが、神秘的な無秩序さっていう発見がすごい。
自惚れのようなコメントですが、確かな作者(佛)で、植物学者(南方熊楠)みたい。
どこにも行きたくない、でもこれからどこかに行かなくてはならない、人と同じようにではなく、人と並ぶことは、人が人とか関わるという意味として、対比して凡庸というのが、腹立だしい。
亜熱帯の夢を見ました十数年前ですが、女の子が本を、「自分で行動して渡してくれた」約束と夢と啓示がいくらあっても自分の行為で流動するから、今そしてそれがここにあってこの掲示板に
何度でも試させてあげよう
何度でも聞いてあげよう
今回はそういう言葉を口に出すことが出来た「作品…」。 ('20/10/14 06:31:16 *13)GROWW :
「凡庸」がモチーフかと思いますが、センテンスは凡庸さを脱しようとしているところには好感が持てます(それが詩作の基本かと思いますが……)。天国と地獄、心停止と産声など相反するイメージのコントラストも、やがて凡庸さに回収されていく。性愛さえも、どんなに言葉を重ねても紋切型にしかならない。その苛立ちと諦めが、第2連の抒情に表れているのかな、と
粗く見えるようで作りこまれている作品だと思いました。 ('20/10/17 11:40:14)
∧ ∨ 12127 : 横目でチェックインのギルマン・ハウス 菊西夕座 '20/09/28 23:30:13
読みすてるまえにあと三行だけまってくれてという肺炎のねずみ
正面のいきづまった世界にナイフでぬけ穴をこじ開けているときでさえ、
かたわらの楡の街路樹は灰色にふるえ、葉をこぼしつづけてやせほそる
青じろい月あかりは手元までとどかず、ばらまかれた落ち葉とかすれあう
三行だけ書いてまってみれば、足元にぬぎすてられたねずみの着ぐるみ
横目で見やれば、左手の暗がりのおくにはいつだって祭囃子がさんざめき、
右手の隘路のおくには、安ホテルのギルマン・ハウスが建っている
どんな地図からもこぼれおちて、横目でしかたずねられない宿泊所
きばんだ石造りの5階建てが湖上にうかぶ朝靄のようにゆらめき
くろい雨がおちた原爆ドームとおなじ円屋根に、幌の王冠をいただいている
扉のかわりに長身のドアマンがたって口をしっかりむすんでいるが
口蓋のうらとうえの歯のあいだに舌をおしあて、チンパンジー面をしている
なにか言いたげに口蓋をもりあげていてもニンゲンの言葉がでてこない
言えるものなら言ってみろと顎をつきだしてやれば目をひんむくばかり
小さな着ぐるみの皮を放り投げると、あとを追いかけて入口をあけてくれた
受けつけのカウンターには、青あざがのこる皮膚を瓶詰にしてならべている
生ける肉体からきりはなされてなおも、色あせないあざが悲哀を物語る
フロントマンから428号室の瓶詰を手わたされてきしむ階段をあがる
にぶい電灯のひかりに瓶をかざすと、あざからほこりのように気泡がうかぶ
まだなにか言いたそうなドアマンに瓶をかえし、しめった着ぐるみの部屋にはいる
ギルマン・ハウスが泊めている客たちは夜空にはみえない星々だった
部屋のなかでは小さくなって正体のつかめない色で発光している
窓から目をのぞかせると、正面のほうきでたたかれ隅へとおいやられる
ちっぽけなギルマン・マウスというレッテルを貼られて瓶にとじこめられても
横目ですぐに逃げだし、闇にかざ穴をあけて祭囃子の管楽にひげを供す
ギルマン・ハウスでひげをつま弾けば、階下から異形の雲がたちのぼり、
いびつなからだをもった肉の塊となって着ぐるみをもとめ殺到する
星々はあわてふためいてジッパーをおろし、あと七行もちこたえろとドアマンに言う
正面のいきづまった世界にぶちあたり青あざを抱えこんでいるときでさえ、
かたわらの夢の街路樹はうたいつづけ、一歩もうごくことなく悲哀をぬぎすてる
「ここではないどこか」を遠くへもとめずとも、横目でさぐれば穴をとおって隣にいける
シニヤしません、そういってフロントマンから瓶詰を手わたされてきしむ階段をあがる
にぶい電灯のひかりに瓶をかざすと、ぎっしり詰まった肉塊が鬱血している
口をつぐむドアマンに瓶をわたすと、蓋をあけて「そら」、いちめんに彗星をちりばめた
夜空にすぐ目をはしらせても、視界のはしにしか尾をとらえることはできなかった
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20200928_243_12127p
自由美学 :
私が文極を見て回わるのも、実に十数年ぶりなんですが、こんなすごい詩人がいたのかとあらためてびっくりしました。
菊西さんの作品の味わいが昔の私にはわからなかった。ちょっと年齢を重ねて、ようやく私にも読めるようになってきたのかなと。そんな気がして誇らしいです^^
そして、この作品を読んで思ったこと。
まず、面白い。読んでいてまったくつっかえない。ストレスがない。一語たりと配慮に抜かりが見えない。
仕掛けが濃い。菊西ワールドにぐいぐい引きずり込むこのテクニック。そのマニアックさも不思議としつこくなく軽い。めちゃくちゃ勉強になります。
ユーモアの利かせ方なり作り込み加減なり、なんていうかこだわったり流したり、押したり引いたり、そういった緩急の調整、バランス感覚やセンスが抜きん出てる。と、私は思う。
読み進めるうちに顔がにやけてくるのは許してください。期待しちゃうのは文章の安定感がずば抜けてるせいです。
いろいろ裏切られる揺さぶりが最高でした。
入念に施された細部への仕掛け、それが作動するごとキャッキャと喜んでいました私。子供みたいに。
「またやらかしてくれるぞ。くるぞ。くるぞ。きたー」って感じ。タイトルでもう私はやられました。これくるぞって思った。
また、あらためて質問などさせて頂くかもしれません。読み返すと、違う発見がわんさかありそうです。
ええわあ ('20/09/29 11:06:16)イロキセイゴ :
肺炎のネズミがいきなり衝撃的だと思いました。ねずみの着ぐるみだったのだと言う第1連の最後。詩の中のねずみが形骸化して脱ぎ捨てられたような印象です。その後のホテルギルマンハウス。夜空には見えない星々イコール客たちと言う発想や、第6連目で再び出て来る着ぐるみ。この着ぐるみは初連と同じねずみの着ぐるみなのだろうかと思いました。 ('20/09/29 23:36:29)屑張 :
ぬめるような感触の読み味だけ残った。「読みすてるまえにあと三行だけまってくれ」と言われて仕方なくよみ「後、七行持ちこたえろ」と言われたので最後までなんとなく眺めた。つまり、横目で本作を読み終えてしまったという事になる。
平仮名と漢字のバランスばかり目が行ってしまう。書かれている内容、もしくはイメージについてはどこまでも平坦な泥の道という感触のみ残った。正直よくも悪くも舐めて読んだ印象として、深読みしたくなる感慨がでてこなかった。だからなんだという話ではあるがそうとしかいえない。 ('20/09/30 00:27:41 *1)田中宏輔 :
クトゥルー神話の一篇を思い出しました。
妙なる調べを奏でる
一老人の話です。 ('20/09/30 05:22:58)田中宏輔 :
いや、そっちじゃない。
夜空に星が出てくる
クトゥルー神話ものの一篇を。 ('20/09/30 05:25:18)菊西夕座 :
自由美学さん。
ゴー・トゥー・リベラルということで、今さかんに自由が盛り返しておりますけれども、こんなギルマン・ハウスという歴史に埋もれたフリー(古い)ところまでお越しいただき、ありがとうございます。
実に十数年ぶりに文極を見てまわっていらっしゃるということで、ずいぶん古参のフリー方なんですね。
そんなフリー方に「面白い」なんていっていただけるとは、名誉なことです。歴史を振り返れば、巨星たちのすばらしい作品がたくさんあるわけで、そういう豪華な陳列台を丹念に眺めながら時間をかけて美的感覚を磨いてこられた美学さんに、「こんなすごい詩人がいたのか」なんていっていただけることは、苦節十数年、わたしもようやく文極で認められるようになったのかと、鼻高々に勘違いしてもしかたがないかと思います。
ちょっと年齢を重ねて、ようやく私にも書けるようになってきたのかなと。そんな気がして誇らしいです^^(なんちゃって)
もし仮にそうだとすれば、自由美学さんが大きな影響を受けられたという、りすさんをはじめ、文極の方々に学ばせていただいた成果なのかもしれません。誰かの真似をするのはあまり好みません(これは不幸なことだろうな)が、まちがいなく文極を通らなければこの『横目でチェックインのギルマン・ハウス』は生まれなかったわけで、自由美学さんのお気に召す作品になれたことは、まさしく文極の歴史のおかげであるといえますね。
とにかく、「読んでいてまったくつっかえない」というのが、まずよかったです。というのも、ちょっと行き詰ったときに、軽く読んでいただきたい、そういう思いで筆を起こしたものですから。ですので、なるべく短めに、端的に、重い腰をあげなくたって手の届くところにもっとfreeな別の世界があるよ、ということをわかりやすく示したかった、ものですから。つっかえて読む気が失せてしまったら、もともこもないですもの。
それに加えて、「菊西ワールドにぐいぐい引きずり込むこのテクニック」「バランス感覚やセンスが抜きん出てる」「文章の安定感がずば抜けてる」という賛辞の嵐。こんな賛辞の嵐に見舞われたことはなかったな。ギルマン・ハウスのくたびれた窓から、ずっとこの嵐に見惚れていたい、そんな幸せな思いにさせていただきました。
ありがとうございます。
でも、見惚れている目の端をもまた意識しなければいけない、そこに見落としている埋もれた惨事もまたあるのだから、それをこそ掬い上げなければいけない、というのが菊西のスタンスであり続けられればいい、そんなふうにひねくれているのも事実なんです。ですので、よくもわるくも「裏切りの連続」、これに尽きてしまうかもしれません。 ('20/10/03 12:08:59)菊西夕座 :
イロキセイゴさん。
ねずみというのは、ホテルのパジャマ、旅館の浴衣のことなんです。
寝て用済みで「寝済み」です。それが部屋の隅に落っこちているんです。
これを洗って、次の客が着る。その客が起きると、また「寝済み」です。
この繰り返しなんですよ、安ホテルなんてのは。
だが客が浴衣を着流して上野の西郷さんのようにリラックスしているときは、「済み」でもなければ「隅」でもないんです。寝間着の真っ最中なんです。これをマウス最中というのです。私はこのマウス最中にあっても、どこかで常に隅を見ていたい、そんな思いがこの詩を書かせたような気がします。
寝間着西郷さん、じゃなくてイロキセイゴさん、ありがとうございました。 ('20/10/03 12:59:11)北 :
現代風の和歌に見えてきてきます。 ('20/10/03 14:49:41 *1)自由美学 :
菊西巡業サーカス夕座さんへ
こりゃまたふりぃ人間ときて、締めは「賛辞」と「惨事」をかけて落とす。このサービス精神溢れた人柄が、文章にも反映されているんでしょうか。
レスを見ていても、閲覧者を楽しませようという気概が半端ないなと。「楽しんで帰ってねっ♪」という作者の心の声が、文章からひしと伝わる。
もう、しゃべりが詩人というより落語家やし、ギルマン・ハウスというよりからくり屋敷やし、この作品も、文極の投稿詩というよりUSJのアトラクションに近い感覚でしたね。私には。
大胆なひらがな使いは、文章の質感やリズムを整えるためのものかしら。惰性で読ませない工夫をしているように思えた。
一つの記事を読むために、人が集中力を持続させられる時間は平均3〜5分だと。そんな説もあり。その辺も考慮した上の表記かなと。単純にビジュアル面の配慮もあったのかな。絵的に重くならないように。
第一連>楡の街路樹
が、第六連の>夢の街路樹
にかかり、
第五連では>ギルマン・ハウス
が>ギルマン・マウス
にかかって
こんな感じの遊びが、ギルマン・ハウスの随所に仕込まれている。
詩を読んでくださいって作品ではなく、ゲームをしてくださいって感じの作品に思える。点つなぎゲーム。
北さんの言う「現代風の和歌」、そういう角度から読んでみるのも面白そうですね^^
そして、最後んとこ、なんで「そら」なんやろう。
この作者なら、すべて計算ずくでやってると思うんです。意味のない表記をしない信頼感が深読みさせるんですけど、謎ときの要素が驚異的に濃い。
そんでも、点と点をしっかりと結んでくれてるんで、それが自分の中でカチッとハマれば気持ちいいかな。
私は15年前、文極を頻繁にうろついてました。
夕座さんは、とにかく「赤い文字の個性的な人」って印象でした。やたら存在感あった。
当時私は20代で、夕座さんの書く難しめの作品は、私にはとても読めなかった。
いかいかはそん時からちょっととんがってたな。笑
寝済みエピソード、めっちゃ面白かったです! ('20/10/04 01:07:15)菊西夕座 :
屑張さん。
「仕方なくよみ」とおっしゃられても、最後までお読みになった、その労力に報いられなかったようで、なんとも残念ではあるのですが、印象論までくださりありがとうございました。
おそらく、仕事でやむなくギルマン・ハウスに張り込みに来られたのでしょう。ここには後ろめたい過去を秘めた、いわくつきの星屑がたくさん寝泊まりしていますから、そういういかがわしい輩をひっとらえようと、屑張りしてるんですね。いや何もおっしゃらなくても結構です。宇宙警部さんだなんて客にはしゃべりませんよ。平坦な泥の廊下しかありませんけれど、どうか横目でしばらくがまんして張り込みをつづけ、不逞な星屑がネズミのようにすり抜けたら逮捕一発リポビタン泥ということで、泥をぶつけて一網打尽にしてくだされば、薄汚いホテルもかえってすっきりするかもしれません。
ところで本題に入りますが、「横目で本作を読み終えてしまった」というコメントは、なんとも皮肉が効いていて、あまり目を引くようなものはなかったというようなことなんでしょうけれど、裏側では通じ合えているような、うれしい気もいたしますね。
そして、「イメージについてはどこまでも平坦な泥の道という感触のみ残った」という印象。これは、あながち間違ってはいないというか、ある一定のイメージに固まりたくないという欲望がありまして、そこを的確に衝かれた気がするのです。
ここではないどこか、それではないなにか、想像を裏切ってくるイメージ、次の部屋の次の部屋のまた次の部屋のというか、そういう掴まえきれない存在を描きたい思いもありまして、それが泥という形の崩れた存在とも重なってくるというのは自然な流れであり、泥というご指摘には「なるほど」と思った次第であります。
もっとも、「深読みしたくなる感慨」を湧かさないような泥であったなら、それは悪い意味での泥に終始してしまったということであり、工夫が足りなかったのだと思い至らざるをえません。
同じ泥でも深みに引きずり込むような泥をですね、ギルマンへと至る道に敷き詰めて、また屑張警部をお迎えできればなと、そんなふうに考えております。 ('20/10/04 14:02:01)コテ :
あまり色んな事を感じません、よい詩文ですが
それが良いのかわるいのかは知れませんが。互いに形の違うものはなれると思い、コメントを迷いました。 ('20/10/04 14:26:33 *1)菊西夕座 :
田中宏輔さん。
「クトゥルー神話」。おっしゃる通りです。
「クトゥルー神話」といえば、H・P・ラヴクラフトの神話体系なんでしょうけれど、「ギルマン・ハウス」もラブクラフトの『インスマウスの影』という小説に登場する怪しいホテルなんです。そこから着想を得ているわけですが、さすがに読書家の田中さんだけあって、ネタ元をずばりと掘り当ててきますね。
田中さんが『幻想と怪奇』を読み返しているということを他の方のコメント欄でおっしゃられていたとき、わたしも『幻想と怪奇』を読んでいたところでして、奇遇を感じていたものです。もっとも私のは復刻版の傑作選でして、初版の発行当時に読まれていたであろう田中さんとは周回遅れで読んでいるという感じですね。
田中さんがアツスーケー、じゃなくて、あと数回回ればよいところを、わたしは少なくともクトゥルー回くらいは回らないとだめでしょうね。それが何界に属するのかは、誰も知りえないところにクトゥルー系の神秘があるのですが。 ('20/10/04 14:47:48 *1)菊西夕座 :
北さん。
「現代風な和歌に見えてきてきます」だなんて言っていただけると、ワカり合えてますねと返したいところなんですが、和歌には苦い思い出がありまして、ワカっているか自信がないんです。
というのも、アンダンテさんの投稿された『源氏物語』私語〜夕顔という作品に、和歌でもないものを和歌の間に挟み込んでワカったような気になってコメントしたら、「ハズレ。これは、歌ではありません」なんていうギロチンを落とされましてですね、見事にニワカっぷりを見破られ、首が転がったものですから。百人一首で一人だけ本物の首をさしだしたであろう愚か者は、きっとわたしの祖先なんでしょうね。『源氏物語』死後〜夕顔と、立札を立てられて河原にさらされた憐れな夕座の顔は、見事に「ハズレ」の烙印を押されたもんですから、こうして視界のハズレに追いやられて、ギルマン・ハウスなるに隅っこに引きこもってしまったという顛末です。
それでも北さんはあのとき、アンダンテさんとかなり長いこと言葉を交わされ、源氏物語や和歌を熱心に勉強されておられましたから、そんな教養を積まれた北さんからバカっぽい、どころか和歌っぽいなんていっていただけるということは、菊西もようやくニワカ源氏の重い荷が取れて、若源氏に許してもらえるだろうという、そんな淡い期待が持ててきました。
どうぞ北さん、私のあやまちが許されたなら、夕顔の首を河原からこのギルマン・マウスまで持ってきていただけませんでしょうか? そしたら、「ギルマン・和歌ッス」という看板に掛け替え、北さんを丁重におもてなしいたしたく思います。
ありがとうございました。 ('20/10/04 18:20:12 *1)常時 :
舌の位置についての描写でウフフと笑い、あざからほこりのように気泡が、のところでハッとしました。映画のようだった。また楽しみにしています。 ('20/10/04 21:33:46)完備 :
退屈な描写が続いているだけ. ('20/10/04 21:53:45)一輪車です :
こんばんわ。
横目という比ゆの使い方がべんきょうになりました。 ('20/10/05 04:45:48)北 :
こんにちわ。古典に興味が無かったのですが、アンダンテさんの作品の影響で、源氏物語を、読むようになりました。と言っても、今のところ、古典の文法を学ぶつもりはありませんが、でも、サラサラっと和歌を詠んでみたいなとは思っています。源氏物語の読書は、予習の予習が終わり、いまは予習の段階にあります。先日、夕顔町に行って、追想体験してきました。かなりはまってるかも知れません。 ('20/10/05 18:17:34 *1)ワタナベ :
洒脱 という 単語の意味を Wikiで色々調べてみました。
ありがとうございます。 ('20/10/06 08:28:24)菊西夕座 :
自由美学さん。
またお越しくださって、ありがとうございます。
ゴートゥートラベルの対象ホテルにはなっておりませんが、ウィルスならぬフリーレスも大歓迎ということで、レスポンスし放題、というのがマニアックなお客さんにはなかなか好評でして、自由美学さんのような感性豊かな客人に支えられ細々と営業をつづけていられる、そんな状況です。
自由美学さんがギルマン中を楽しげに走り回って快走してくださったものですから、すっかりギルマンも改装されましてですね、いまでは「ギルマン・サーカス」という看板を掲げることができるようになりました。痛々しい空振り屋敷だったものが、立派なからくり屋敷に生まれかわることができたのも、自由美学さんの快走のおかげあります。>私は15年前、文極を頻繁にうろついてました。
>いかいかはそん時からちょっととんがってたな。笑
まったくイカした回想です!
ところで、大胆な「ひらがな使い」に関しましては、これは単に軽谷佑子さんなんかの得意な、いわゆる軽谷式を意識しておりましてですね、読者の足取りが重くならないようギルマン屋敷が少しでも軽くなればいい、そんな軽屋敷を目指したにすぎません。
最後の「そら」についてはですね、ここはいろいろ迷ったところでありまして、どこに彗星をちりばめるべきか。部屋か、闇か、空か、等々あったのですが、結局は落としどころが見つからず、「そらッ、飛んでけっ」という掛け声だけの勢いにまかせて投げ出してしまった、というのが正直なところです。もはや博打ですね。ですからあえて計算が働いているとすれば、「賭けじゃん」(掛け算)でしょうか。 ('20/10/10 16:57:29)菊西夕座 :
コテさん。>あまり色んな事を感じません、
>互いに形の違うものはなれると思い、
ということでありまして、コテさんにはあまり響かなかったのかなと思いました。
コテさんはわりと天真爛漫な自然児なところがおありかと思うのですが、そうするとインドアなギルマン・ハウスよりも、アウトドアなコテージの方がお気に召すのかなとも思うのですね。
おなじ宿泊施設でも、ギルマンとコテさんではやはり性質がちがう、それが「互いに形の違うものはなれる」という別の道をたどる結果へと歩ませてしまったのかなと感じております。
それでも「よい詩文」といっていただいて、よかったですし励みになります。 ('20/10/10 17:18:17)菊西夕座 :
常時さん。
「映画のようだった。」と言っていただけて、とてもうれしいです。文章で映像を灯すことができたのであれば、架空のホテルに案内できたも同じですから、存在感を生むことができたことに喜びを感じております。特に横目でしか入れないようなおぼつかない存在でしたので、それが映画のように映ったのであれば、一瞬であれなんであれ、視覚的に目撃されたわけであり、その錯覚がそれがなによりも光栄ですね。
まさに、「あるかないか」。このきわどいところでこそ営業をしているホテルであれば、「錯覚」こそが本当の宿しともいえるわけでして、そんなこんなも含めて、常時さん、この『ギルマン・ハウス』>また楽しみにしています。
常時お使いください。 ('20/10/10 17:34:24)菊西夕座 :
完備さん。>退屈な描写が続いているだけ.
このキラーフレーズになんて答えればよいのか、ずっと答えがでないんですね。そうなると、このキラーフレーズが頭の中で止まらないのです。『ギルマン・ハウス』を開けば、このキラーフレーズが作動し、止まらない。
とめて(泊めて)いるのに、とまら(止まら)ない。
こう誤魔化すことで、どうにかこうにか怪奇ホテルの面目を保つことができる。そんなところが精一杯でしょうか。
価値ある真の描写にふさわしいのは、宿舎じゃなく病舎だったかもしれません
ありがとうございます。 ('20/10/10 18:01:58)菊西夕座 :
一輪車ですさん。>横目という比ゆの使い方がべんきょうになりました。
横目の使い方を誉めてくださったようにも感じられて、うれしかったです。
特に一輪車ですさんは、いろんなことをたくさん吸収して経験を積まれた方のように見受けられ、そうした厚味のある方にまだべんきょうになるような新鮮なネタを提供できたことを、ひそかに自慢したい気分です。
ところで「一輪車」に思いを馳せますと、前後の動きは小気味よくこなせそうだが、左右への動きはずいぶん苦手なのではないか、という思いがしてきます。車輪がキュッと90度回転して横に向けば別ですけれど。そういう意味でいえば、「横」が弱点なのかなとも思いがちですが、すぐに車輪をひねって横を向くことは可能なわけであり、単に横移動ができないにすぎず、横へ向かっていくことはできるわけですね。しかし、横目は純粋に横移動ですから、そこはやはりさすがの一輪車ですさんも「われにできざる動き」として認めないわけにはいかなかったのかなと思います。しかし今や、横移動できる一輪車ロボットを開発中という動きもあるようで、その進化の行方には目を向けざるをえません。 ('20/10/10 18:44:57)菊西夕座 :
北さん。
夕顔町にもわざわざいったんですか? ずいぶん熱心ですね。北さんて行動力がありますよね。
ところでそうなると夕座の夕顔は、晒し首のまま待ちぼうけですね。夕顔待ちのまま、北さんに流し目をおくることにします。 ('20/10/10 18:51:05)菊西夕座 :
ワタナベさん。
あの『つづら坂』をお書きになった最古参のワタナベさんでしょうか?
ありがとうございます。
「洒脱」といわれて、私もいろいろ調べてしまいました。
簡単にいうと、「イケてる」という意味らしいですね。
『つづら坂』の「煙草屋の軒先にうずくまった影」を宿せるようになったら、ギルマン・ハウスもようやくイケてるでしょうね。シャドーに通じる秘密の宿場。洒脱、ならる「シャドー通」を目指したいと思います。 ('20/10/10 19:04:01)北 :
おお、夕座さんの流し目、葵祭の光源氏みたいです。
行動力というか、僕はハマると前しか見えなくなるところあります。
次は、夕顔がお亡くなりになられた後、光源氏が体調を崩して、祈祷してもらったであろうモデルの寺に、
紫の上の幻影を探しに行ってきます。それは通説の鞍馬寺はないそうなので楽しみです。 ('20/10/10 20:15:54)一輪車です :
菊西夕座さん
横目で.....という表現だけでこんなに詩のことばに味がでるのかと
びっくりしたということです。
全体に、感心するほど一種の個性がありました。
おっしゃるとおり、わたしには"左右"への移動はなかなか
むつかしいですね。
おそらく詩のなかの比ゆの解釈や作者の意図を掴むのが苦手だろうと
いうことかもしれませんが
それはまあ、これまでの日本の詩のセカイ標準でいえば
詩が読めないということになるかとおもいます。
でも
なんであれ詩を書く者がなにを臆することなどないのです。 ('20/10/10 20:22:38 *6)自由美学 :
シニヤしません428号室は、やっぱり高齢者向けのシニヤルームでしょ?
なるほど、軽谷みつとみ式とな。なるほどです。
ギルマンはわりとグロ要素濃いから、漢字ばかりだとなおさら変態さが際立っちゃうのかも。
そして、今なら読めるんじゃないかと、夕座さんの優良作品入りした過去の作品をちびちびと読んでいってる私です。
フィーバーすげえな!あんなアバンギャルドなポエム書いてた人だとはとんと知りませんで。「こら大人の詩やな!」という印象でした。
しっかり毒も効かせつつのコメディタッチで、際どいテーマもユーモアで押しきる。これぞ夕座流ですかな。
りすさん辺りも似通った匂いを持っていた気もして。アメリカンジョーク的な笑いというのかな。
それにしても、ギルマンハウス繁盛してますなっ☆
このコメントにたいしてのレスはしなくてOKです。たぶんまた返しちゃうから。。(*´Д`*)
夕座さんありがとー!! ('20/10/10 21:40:15 *1)なまえをたべたなまえ :
読みすてるまえにあと三行だけまってくれてという
ねずみの、
肺炎、
正面の
いきづまった世界
に、ナイフで
ぬけ穴をこじ開けているとき、
でさえ、
かたわらの楡の
街路樹は灰色にふるえ、
葉をこぼしつづけてやせほそる
青じろい月
あかりは、
手元までとどかず、
ばらまかれた落ち葉とかすれあう
三行だけ書いてまってみれば、
足元にぬぎすてられた
ねずみの着ぐるみ
肺炎、 ('20/10/11 08:01:55)GROWW :
圧巻の技術ですね。ゴアだけどもポップな世界観に惹かれました。 ('20/10/17 11:26:37)
∧ ∨ 12163 : スイミングスクール 小西 '20/10/16 23:37:34
俺は体も硬くて泳ぐのが下手だった
エミリは上手かったよな
スイミングスクールの帰りによくふざけて君は俺のパーカーのフードに物を入れて、
俺は背中に手が届かないからそれを見て笑ってたな
俺もやり返したりして楽しかったよ
なあエミリ、
君が最後に俺のフードに入れた手紙に最近やっと手が届いたよ
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201016_779_12163p
yasu.na :
この作品の体が硬い感じがしますね。
そして少し言葉と言葉との間に隙間があるように感じました。
同じ作者さんの『初恋』『19歳』がしなやかで濃密であったのに比較すると。
あと、>なあエミリ、
の前に一行の空白行を入れるといいような気がしました。
ひと息おいて、最後の二行を読ませるといいのではないかと。 ('20/10/17 03:43:50)一輪車です :
40インチ以上もあるわたしのディスプレーでは、最後の行は
一行だが、
スマホだと二行にみえるのだろうか。
さて、この最後の一行だが、これだけ独立してあると、まえのように
(一種の錯覚でしかないのだけど、)
なにか詩的乾坤が書かれているように読まれることがある。
しかし全体としてみると、逆にこの一行があることで
とてつもなくこの詩がダサくなっているのかもしれない。 ('20/10/17 04:01:58 *10)東 :
タイトルが『初恋』『19歳』とつづいたら、ここは『手紙』でしょうね。
タイトルを『手紙』と置いて読むと、
「君からさまざまな物(メッセージ)をもらったけれど、
一番大切だった君からの「告白」に気づかずにいたよ」と。
若さゆえ、鈍感ゆえ、という初々しいうぶな男の子像が浮かびました。
青春は忘れもの 過ぎてから気がつく(阿久悠『思秋期』)
失ったあとで 真実に気づくのはなぜ(竹内まりあ『告白』)
歌謡曲でもそう嘆いています。 ('20/10/17 06:18:59)
∧ ∨ 12128 : しずむ 土曜日の午後 '20/09/30 00:01:18
あなたの頬のそのくぼみに
しずむ
しずむ
しずむ
あなたの褐色光るその肉感の脚に
しずむ
しずむ
しずむ
こころは鳴き、頭は雲がかかる
しずめど、しずめど、計り知れない奥行きに
落ちる
落ちる
落ちる
体は反転し、止まる場所もない
落ちて
落ちて
落ちて
落ち着く底はどこにもない
私を拾い上げて
私を照らして
私を温めて
私は沈みます。
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20200930_252_12128p
田中宏輔 :
恋の詩なのでしょうか。
えらい受け身の恋愛感情なのだなと思いました。 ('20/10/03 23:33:16)ネン :
改行やブランクを使って全体をデザインする、絵のような書き方をする作品ですね。目に留まりました。内容と合致するシンプルさに好感が持てると同時に、コメントをする取っ掛かりというか、それ以上も求めたくなります。 ('20/10/04 17:53:22)土曜日の午後 :
田中宏輔さん、コメントありがとうございます。自分の年代特有の思春期のモヤっとした恋を描きました。 ('20/10/15 19:40:26)土曜日の午後 :
ネンさん、コメントありがとうございます。絵のような書き方意識しました。感じ取ってもらえてすごく嬉しいです。実際は縦書きで書きましたので、しずむという言葉の重さなども表現したつもりです。 ('20/10/15 19:42:03)一輪車です :
ある程度成人した者の詩の感性が、
こんなところに留まっているのならもうゲンダイ詩なんかなくていいと
本気でおもう。
これはビーレビにも投稿されていたのだろうけど、
文学極道はSNSなのか
看板通りの場所なのかはっきりしないといけないでしょう。
信条
─褒めるときは身を切るよりつらい思いで
酷評するときは嬉々として─
by 一輪車 ('20/10/16 01:48:36 *2)アンダンテ :
土曜日の午後さま。
「その」この指示語は、十分に位置を指定しているかに見えるがそうではない。頬は左右ふたつあり、どちらの頬のくぼみかわからない。どち
らでもいいようなものだが、それだとわざわざ「その」という指示語を用いた意味がない。後に、<私たち>ではなく「私」といいう単数代名
詞が出てくるので、どうやら両頬ではなさそうだ。「その肉感の脚」も然り。これでは表現どころか現状の説明もままならない。
「しずむ」まんまなのがいけないという訳でもない。だが、いつまでも溶けない角砂糖のように身動きがとれないのはどうかと思う。 ('20/10/17 04:05:38)
∧ ∨ 12158 : 弔い ネン '20/10/13 16:20:37
改めた所で
夜は生き返らないと
分かってるけど
思い出の中に蘇る夢を
抱き締めては
永遠について考えた
悲しみが打ち寄せて
涙が止まらない
悼んでいる
故知らず決別した
私と羊達との弔いを
世界は肯定した
死に思いを馳せた
先人の道のり
人差し指で100光年
辿って笑うから
子を捨てる底無し沼
お腹が空かなくなった
むやみに強い愛を
再びの旅路と迎えて
荒天をことほぐ神様の歌
また生きてしまう
新しい昨日の繰り返し
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201013_693_12158p
玄こう :
こんばんは、
「良い夢を」「昼下がり」そしてこちらの「弔い」、それぞれの三作を続けて読ませてもらいました。 書かれているテーマが(おおよそ)一貫していて、通して読めば、なにか、みえてきそうな気がして。
個人的には、「良い夢を」(ポップな語り口ではじめは うたい、終盤ではだんだんと静かな哀しみが連や行から感じとれた ) 「昼下がり」(二行連で纏め、冷蔵庫の扉に張った遺書、二人の若いツーショット、 生き別れた人との遺物や現物を詩に織り交ぜている。 非常にベタな書きかもしれないですけれど、読者の知らないこの書き手も、その相手も、そうした点でコミットできる ) 「弔い」(死別した相手への直情の詠嘆がもっと書かれてあれば弔詩として読んでみたくなる。 非常に観念的で、雑多な書きに感じた。 四連で丁寧に纏められているが、起承転結として読んだとき、流れがこれで良かったのかどうか些か迷った。 三連の末文〜四連の冒頭文、この二文の行間 距離感は個人的に読んで、ここは少しく面白く思い、共鳴した )
以上です。 またいつか、レス感想送りますね。 ('20/10/14 20:19:12 *15)ネン :
玄こうさん
こんばんは。流れていった過去作品にまで感想頂いて、何か申し訳ない気持ちです。いいんですよ、コメントがなくても(泣)
作者の中に、家族や友人や恋人と呼べる仲良しが余り居ないので、結局その数少ない彼等との日常を書くことが多いです。一貫した思いが表れているのだとしたら、そのせいですね。まだ客観的に見られるだけの観察は出来ていないので、あったとしても雰囲気程度のような気もしますし、もっと確かな言葉を綴りたいです。
有り難うございます。励みになります。 ('20/10/16 22:49:48)
∧ ∨ 12160 : せんたんが欠けていく アンダンテ '20/10/14 11:59:40
かなしいほど
お天気なのは
ユーミンだけ
じゃないから
かんじょうは
ちりぢりにも
一線をこえる
よそものたち
おらだけれど
おらでない
おらでないけれど
おまえでもない
あしたの午後はあるのだけれど
おらはいない
あたいをゆらして
あしたにどんどんやせてくる
方法よ
>> permanent URI: http://bungoku.jp/ebbs/20201014_709_12160p
コテ :
かなしいほど
憎しみは相手じゃなくて、原因がかなしいとか怒りで、
かんじょうは
「あ、私ってこんな感情あるんや」ノートに、かなしみやいかりの中で、ペンを刺し
真っ直ぐな気持ちを書くためにも
炎の中で書き記す
何かを憎しむ事かなしんだり怒り狂ったりする事が一番苦しい
内面を磨くと言うけど、苦しみを表現するには苦しみの事をわかってないと、自分にはねかえる。原因を自分の内面(お腹)に入れる。
すなわち、魂をクリアに、透明にする。火も涼しくなる。その嫌悪から始めるレベルでほんまに仲良い人がいると、
感情や何かと向き合う事が出来ればお腹が無駄に減らなくなる。 ('20/10/14 13:09:12 *1)なまえをたべたなまえ :
ありえないほどしょうもないから、すぐ削除したほうがいいレベルだと思うよ ('20/10/14 18:52:34)アンダンテ :
コテ様、おはようございます。
ご意見、うけたまわりました。 ('20/10/15 07:32:11)アンダンテ :
さまなまえをたべたなまえさま。
そうです、信じられないほど方法がないのです。 ('20/10/15 07:34:21)自由美学 :
あかん。二連から完全にIKZO×ユーミンになった。
「こんな村いやだ〜」のリズムがピタッとハマってしまった。
オラだけれど
村でない
村でないけれど
出るだでもない
出るだでもないけれど
テレビもねえ
になってく。
そして、東京という先端を駆けてく赤ベコが見えた。>一線をこえる
>よそものたち
これは、まさに、村を脱した田舎者たちだ。
すみません。イジりました(*´Д`*)
この作品の雰囲気、好きです。
ありえないほど気だるげで、信じられないほど方法がないというこのラフスケッチ感!
ユーミンってよりクレモンティーヌみたいな感じだった。ボサノヴァっぽい☆ ('20/10/15 23:05:43)アンダンテ :
自由美学さま。
ばればれでしたね。
ユーミンの『悲しいほどお天気』は40年前の作。私はまだうまれていませんでした。 ZUZUといいユーミンといい素敵なおなごがいた時代。川端康成の『雪国』に「悲しいほど美しい声であった」が出てきますが、これに拠ったのかな。
「おれはしんじまっただぁ」で行こう思ったのですが、よしいくぞうで行くことになりました。
('20/10/16 01:30:38)
- ealis 3.0.10 + BUNGAKU GOKUDOU -