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選出作品 (投稿日時順 / 全23作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


眼球を刳り貫き放り投げるバイト

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僕の右手はいつも深爪で
それはバイトの関係上しようがない事で
いつもクッキーの缶の口に貼られた
シールを剥がすのに苦労したり
痒いところに手を伸ばしても
いまいち、こう、快感がなく
ついつい手元にあるペーパーナイフで
ポリポリやるんだけど
たまに、力加減を誤って
痛い目を見たりするんだな。

そもそも僕のバイトってのは
ちょっと特殊で
言ったら、まぁ、夜の仕事なんだけど
僕も一応、学生ですから
昼は真面目に大学の授業受けて
放課後はそれなりにバイトでもして
クラスメイトに飲みに誘われでもしたら
ほどほどに付き合える程度のお金は
持ち合わせていたいなっていつも思ってるから
原付に乗って大久保の雑居ビルの地下にある
ハプニングバーって言って
おかまや露出狂、SMマニアなど
世間的には変態って呼ばれる人たち相手に
酒を出す店に行き
週に二回
多い日でも三回かな
そこの小さなステージの上で
眼球を刳り貫き放り投げるバイトをしています。

詳しく説明すると
そのハプニングバーは夜の十二時を回ると
一時間に一回、いろんな見世物をするわけ
その中の一つとしてあるのが
投げ眼球ショー。
ひとりの人間が舞台に上がり
眼球を一つ刳り貫き
壁に向かって放り投げては拾い
また放り投げる
ただそれだけの奇妙なショーなんだ。
そんな薄気味悪くて、とち狂った見世物を
だれが好き好んで見るのかって思うだろうけど
世の中には、なんでもかんでも
見れるものは見てやろうっていう
灰汁の強い性的嗜好を持つ人が
たくさんいるんです。

投げ眼球。って言う見世物に
歴史なんてあるはずもなく
人口も世界でおよそ十二人
って言われているぐらいのものだから
規則さえなく
そのショーの形態は人それぞれで
この店には僕のほかに
二人の眼球放りがいるんだけど
その内のひとりは昔、
脱サラして小さな劇団に入った末に
たまたま団員に誘われて飲みに来た
この小さなハプニングバーで見た
投げ眼球ショーに魅了されて
翌日の朝には劇団を辞めて
その夜には投げてたっていう
相当な変人で
彼はローマの貴族が着るような
金属製の鎧に森高千里とか
獅子舞にピンク・フロイドとか
衣装とBGMの不和と衝突にポリシーを持った
いちばん集客力のある中年親父なんだ。
噂によると彼の投げる右目は義眼で
いくつもステージ用の眼球を持っているらしい。

もう一人は僕とそれほど年の変わらない
学生の女の子で
彼女のスタイルってのがとても硬派で
音楽は鳴らさずに
その日着てきたTシャツやなんかのまま
ひたすら壁に刳り貫いた眼球を
投げては拾うっていう
スタンダードなもので
彼女の見た目を例えるなら
休み時間に教室の隅でひたすら
少女マンガを描いているような
ちょっと根暗っぽくて、髪に艶のない
垢ぬけない子なんだけど
放り投げた右目を追う左目の眼光の鋭さと
刳り貫かれた右目の空洞の深いコントラストに
妙に惹かれるものがあって
その子が出勤の日は
自分のステージが終わった後も舞台袖に残って
彼女の投げる姿だけは
必ず見てから帰るようにしている。
最近見たステージは二週間前の金曜日で
その日も彼女は
特別なパフォーマンスをすることもなく
いつもどおり数回投げた後
舞台を降りようとしたときに
外国人の客がブラボー!
とかなんとか言ってから
彼女に近寄ってチップにと
一万円札を渡そうとしたとき
何も言わず無表情のまま
眼球を握っていない方の手で
一万円を受け取っていたのを見たときは
ははっ、そこはしっかりしてるんだな。って
初めて彼女の素を見たような気がした。


今夜もあと少しで
僕の眼球投げの出番だ。
それまでの間バーカウンターに座り
爪をやすりで研ぎながら
指をアルコール消毒し
右目を蒸しタオルに包んで温める
こうしておくと少し眼球の弾力がアップして
刳り貫きやすく壁からの跳ね返りも良くなるので
いつも念入りに温めているのだ。
スキンヘッドのバーテンダーの男が僕に話しかける。
「今日は何投?」
僕は答える。
「十二。自己ベスト更新するよ。」
「そうか、がんばれよ。」
「うん。まかして
今日はすごいの見せたげるから。」

まばらな拍手の中、僕の名が呼ばれた。


冬にうまれて

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襟を立てて
子宮に還りたいと
手折られる関節
いつか窓から
来訪した譜を
爪弾いた
罪人を、外套に
収容する

風力発電所が
洋上に向ける
鋭い、まなざし
交差点に
突き刺さる人々
黒い装いを好み
うしろ髪の
波間に
共鳴する音叉

犬のように
歯牙を持つ鳥が
落葉樹をゆらし
季語をかじっている
綿いっぱいの
食べこぼしが
くちばしを持つ
犬の前足に
降り積もる

マッチ箱の村は
少女の
手の平の上で
焼き払われて
しまったのですね
オオカミの正体は
暖炉の
火影、でした

夜にかけて
寒さは強まるでしょう
輸入煙草に火を灯し
口元をおさえた指先
白い壁のむこう
冬の朝に
僕はうまれた
ふいに転げた
咳払いのように


キッチン

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炊飯器をけりとばし
ビー玉が釜からこぼれ落ちる
冷蔵庫の野菜室から
子どもが飛びだして
線路には気をつけなさいとだけ
忠告をする

透明な硝子のなかに
天の川が流れたような
白い模様のあるビー玉がひとつ
テーブルの陰に転がりこみ
それを追いかけた子どもの
名を呼ぼうとしたが
どんな名だったか
思いだせない

それでも呼びとめなければ
いけない気がして
何かを叫ぼうとして
口を動かし
スリッパを脱ぎ捨てる
やかんの湯が沸騰して
警笛を鳴らす

子どもは立ちどまり
こちらを振り返ろうとしたが
列車が子どもの運動靴を
せわしく脱がせて
隠すようにどこかへ
投げ捨ててしまった

やかんの底はあかく
熱され続けている
裸足のわたしがよく冷える
つめたい台所の床で
鉄道模型が樹脂製の車輪を
こすり合わせている


針と糸

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雨傘のとても良い
鳴声を聴きながら
裁ち切られた
耳鳴りをさがしている
砂丘で失くした
二月の誕生石を
さがす女の
袖口からほつれた
生糸に視線を落とし
遠い目をする
仕草のように

路線図のそばで
バスを待つ小学生の
手から吊るされ
打ち鳴らされる
トライアングルの音は細く
しなやかな針金となり
革靴を履いた
標識のような足を縛り
冬の濃い空気もまた
軒下に暗雲を呼んで
乗車券に
黒い染みを付けて行く

未舗装の駐輪場
使い古されたオートバイの
鍵穴は梅色に錆びていて
力強くペダルに蹴りを入れた
白い住人が吐く息に
混ざったオイルの匂いが
部屋に流れて
内鍵をしめた指先は
交換されたばかりの
電球の灯りにさえ
丸みを帯びた
影を差し出す
天井の雨漏りが
うつわの縁に弧を描き
それで安心して
時計の秒針に
耳鳴りを、縫いつける


3月

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花瓶から
あふれた水の
殆どは書き記されて

干上がった
窓辺に立てられた
イーゼル

幼児に
水で手を
洗われるような

3月に画布を
はる


暗礁

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天井から集まる
星屑のめいめつが
頬からこぼれそびれて
睫毛にからまり
目を閉じると
角膜の表面に錨をおろし
浮標のように
ただ揺れている
覚束ない眩しさを
ひとつ摘んで
たやすくつぶし
ひしゃげたおとが
耳から鼻孔へ
すべりこむと
小匙ていどの
くしゃみが生まれ
さそわれるままに
あくびをしてしまった
ほの暗い口腔が開かれて
乳歯から順番に
明かりが点される
うわ唇がめくり上げられ
夜が頭巾のように
被せられる
赤裸々になった
のどちんこに
灯台が建設されて
置き去りにされたゆりかご
漫然と船を漕ぐ

アイロンをかける
母のそばにはいつも
天使がいて
幽霊が描く漫画の線のように
頼りない輪を描いていた
湿った繊維から
蒸気があがるたびに
軌道をそらし
畳に落ちそうで心配だった
また見てしまった
おそろしい夢 
回転木馬を模し
貴金属を装飾した
拷問器具に拘束され
あかくらげに触診される
けさ、起きると
乾燥した白い肌に
爪痕があかく
火傷のようにうかんでいて
毛布に身体を埋めても
土踏まずの下みたいに冷たい
母のくすりゆびに
嵌められた指輪は
あの拷問器具の
部品のひとつに似ている
だから手をつないで
海岸を歩いたとき
右手をつかむようにしていた
ふたりで灯台にのぼり
真昼の星座をつないだ
解体された、母の手が
星を真似て
さよなら、していた


空白

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筆先を紙上に置く
まだ、なにも見たことのない
目のことを思う。
インクがにじみ
黒点が生まれる。

筆先を右に移動させる
まだ、なにも聞いたことのない
耳のことを思う。
ふたつの黒点を繋ぐ
線が引かれている。

筆先を下方へ移動する
まだ、痛みを知らない
腹のことを思う。
垂直に線が引かれ
三つめの黒点が生まれている。

筆先を左に移動させる
まだ、冷たさを知らない
手のことを思う。
線と線が対置し
四つめの点が生まれている。

筆先を基点へ重ねる
まだ、うそぶいたことのない
口のことを思う。
四つの点が結ばれ
形が生まれている。

四角、である
口と呼んでも良い
カタカナの「ろ」でもあり
人は窓だと言うだろう。

筆先を四角へ閉じ込め
空白をでたらめに走らせる
まだ、逃走を知らない
足のことを思う。
黒い固まりが描かれている。
光の角度によって紫色に見える。
暗い洞穴のようでもある。

筆先に思い切り力を込め
右斜め上方へ払う
まだ、飛ぶことを知らない
鳥のことを思う。
濃く鋭い筆跡と
ひき裂かれた紙に
空隙が生まれている。

筆を置く
まだ、何も書かれていない
白紙のことを思う。
わたしがいる。
机と、万年筆と。


郷愁

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春へ
迷いこんだ赤とんぼに
音信を宛てる
なんとなく
くち淋しくて
見知らぬ子どもの
懐かしい
薄荷の味する
はなうたをぬすむ
ぐらつく
奥歯のように
母音を舌で
ころがしていると
しっぺ返しに
ひどく疼いた口内炎
頬をおさえて
手放した、はなうたは
母親の手に、拾われて
抱き上げた
子どもに恵む
子守唄へと
移ろいで行った

送電線に
からまった西日
明るいうちに
割愛された句読点が
砂場で灰になり
夜泣きしている
木陰はえんぴつのように
とがりつづけて
突端が軌条に
現在時刻を書き連ねる
北上する、夜行列車
車窓から
火の、手に
包まれた鳥たちが逃亡し
越境をあきらめた
羽根を焦がして
運河へ身を、投じて行く

燃えのこりが
舞い散る川端
水をなめる老犬は
落命を嗅ぎつける
緑青する、前肢
追憶に敷きつめられた
楓の葉を掻く、後肢
(すでに、私の尾は
 軸の折れた、筆、でしかない、のか。)
老犬は
焼けつくような爪の渇きに
牙を剥き、鉄橋を駆ける
鼻の位置を
一等、高くして
嗅覚の奥、微かに残る
薄荷の匂いと
幼い声紋を、頼りに

水面の
熟れた光が射し
老犬の目に
桑の実が赤く、色づく
心音が
ひとつ鳴るたびに
投函される
一通の、手紙
明白になる
あの、はなうた


釣れないな

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なないろの架け橋から
ダムが嘔吐している
あじさいが
潤んだ目を擦り合わせ
ねむたげな林道
葉うらで演奏される口琴
耳をすます野池
水面の波紋に
意識が吸い込まれ
蛙の呼吸に同調したら
靴ひもの結び方は、もう
忘れてしまった

遠い海に住む
漁夫の塩辛い
手の平の上に似た桟橋は
老いてもなお
あたたかく逞しい
木目につまった砂粒が
汗を握っているかのように
朝日に煌めいている
釣り針に糸をとおし
きつく結ぶとき
僕の手は
求愛する鵜になる

竿を振りあげ
耳のそばで指先をはじく
着水し、青に溶けるライン
蓮の下の魚眼を
だまし抜くため
理想の身長に近い竿先に
なんども、なんども
女たらしの嘘をつかせる
けれども
疑問符みたいな
害魚が針にぶら下がっては
口の形のかたちを
Qにしたり、Aにしたり
するばかりだ

そうこうしてるあいだに
お日様にはゆったりとした
たも網がかけられてしまい
雨を降らせると
水面が鳥肌を立てて
足並みを乱す
僕は、今日の釣り人をあきらめて
レインコートを羽織る
フルフェイスのメットをかぶり
国道をまっすぐ進み
二段階右折と、信号待ち
黄色い傘をさし、孫と散歩していた
おばあちゃんの影と
集団下校する、小学生の影
自転車にまたがり
スカートを湿気た空気でふくらませた
女学生たちの影が交わって
横断歩道をわたる
ひとつの大きな影になり
また、はなればなれになって

玄関のドアを開けて
なまぐさい手を
洗っていると
エプロンを
ゆるく結んだ妻から
日がな一日
どこへ出掛けていたの、と
問い質されて
僕は一体、
どんな口をすればいいのか
わからないでいた
視線をそらした先には
物干し竿と
ぶらさがった洗濯ばさみ
町は半分
まっかな舌を出している


君に伝えたい

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 ぼくは会社を休んだ。株式の建築会社だ。今朝、目を覚まし、まだ眠りたらないモグラのように目頭をこすると木魚を叩きながらこっくりこっくりと居眠りをするつやつやなお坊さんが一瞬あたまをよぎり、その幸福そうにふくらんだ鼻ちょうちんが儚くぺちんっと割れた瞬間「いけない、これは寝坊だぞ!」と飛びあがろうとしたのだけれど、ぼくのあたまのちょうどいつもならウェットティッシュやプロパンガスのことを考えている部分が赤やら黄色やら桃色やらを撹乱させて頭蓋のへりを擦り上げるたびにバチバチとトラッキング現象を起こしている。サーモンピンクの火花を散らし、悪意をもった痛みを両手いっぱいの花束のように抱えた白ありがぼくのあたまの中で何千という隊列を成し徘徊している。ぼくは青色吐息で暗くてせまい前頭葉の階段の踊り場にあるブレーカーを落とす。今日は夜まで、くすぶり続けるひとりぼっちのキャンドルナイト気分で貧乏臭い省エネ運転の不快極まりないスローライフをおくることになるだろう。ぼくは右手で受話器をにぎり、いつも無口で蜘蛛の巣みたいな口ひげを生やした部長の金子に「すみません、頭痛が痛いので休みます。」と霞みかかったソプラノでこの惨憺たる有様を告げる。そして、その二分後に「先程の件ですが決して重複表現ではございません。デリカシーの欠片もなく理不尽で非常識な頭のイタさ、であることを強調したまでであります云々。」と弁明の電話をしようとしたが弁明の余地にはすでに青々とした雑草が生い茂りその真ん中には「くだらない」とだけ書かれた野立て看板がななめに突き刺さっていたのでやめにした。欠陥だらけのぼくのあたまと体は悲鳴をあげている。きっと、ぐつぐつ煮だった寸胴鍋にあたまからつっ込まれるロブスターの悲鳴もこんな感じだろう。引き千切れるギリギリまでテンションが強められたガットギターの弦みたいにキーキー言って見る見るうちに錆止めの塗料がペイントされた鉄骨さながら真っ赤に染め上げられてしまう。ひどいもんだ。ところでさ、正月の飾りに伊勢えびが良く使用されるけど、あれってどうしてか知ってる?あれはね、えびみたいに腰が曲がるまで長生きできますようにって言う長寿祈願の意味が込められているんだってね。まったくバカバカしいよ。どうして腰が曲がってまで長生きしなくちゃならないって言うんだ。ぼくは年寄りはきらいだよ。それに最近の年寄り、あれドーピングしてるだろ。腰なんてバネでも仕込んでいるみたいにピーンとしてるしさ、彼らは話が長いんだ。ほんの小さな話の火種から導火線に火が点くと月までえんえんとつづく線香みたいに煙ったい話を息継ぐ間もなくしゃべりつづける。話を聞き終えるころには疲れ果てて東京タワーも大展望台付近からくねっとへし折れるんじゃないかってくらいだ。それでさいごに彼らは自慢げにこう言うよ。「いやぁ、わたしも今年で八十歳だよ、嫌だねぇ!」ぼくはそんなとき「お若いですねぇ。」なんて口が裂けても言わないし驚く仕草も見せない。そんなことを口走ってしまえば目の色を変えてまたおんなじ話をあたまから、怒鳴るように、大きな声で。まるで怪獣だよ。ゴジラだ。東京タワーと国会議事堂を破壊する怪獣王だ。ああ、どうせならやっぱり年寄りはえびのように腰でも曲がっていた方がかわいげがあるのかもしれないな。なんだかおしゃべりしているあいだに少しあたまの痛みが和らいできたようだ。あたまのなかで錆びついていた歯車が少しずつ動きはじめている感覚。けれどぼくは忘れかけていた余計な痛みを感じ始めていて、ちょっとイライラしている。どうやら革靴が足に合っていないらしく、株式の会社へ初出勤の前日に新調した革靴だっていうのにすでにぼくのくるぶしは木こりが斧をいれた切り株の断面みたいに皮がめくれて、てらてら光りいやらしい痛みを醸し出している。それに、もしかしたらあの会社自体ぼくには合っていないのかもしれない。カブシキ、カブシキってみんな言うけれどぼくにはなんのことだかさっぱりなんだ。ぼくはもうじきあの会社に辞表を出すつもりだ。いつも仏頂面でろくに口もきいたことのない金子だったがいったいどんなことを言うのだろうか。それとも余りの無口のためか本当にあの口ひげは彼の顔にへばりついた蜘蛛の巣で、もう何年も開かずの扉なのかもしれない。珍しい年寄りだ。ぼくは若い木こりが骨を休めているあいだに辞表を提出し、その帰り、あの「くだらない」とだけ書かれた野立て看板を蹴り飛ばしに行こうと思っている。でも、ぼくはまだ好きだよ。建築とか、北欧とか。ぼくには夢があってね、それはフィンランドの小高い丘に小さな家を建てて、子どもたちのためにドールハウスと世界一かわいい長靴をつくることなんだ。ぼくは建築家くずれの駆け出しくずれのモルタルだけど、さいごに君に伝えたい。ぼくと結婚しよう。


ギフト

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 リボンを解き箱を開く。赤い花束の一部が見えた瞬間、混入されていた爆発物が発火した。鋭い閃光が放たれて視界の全ては真っ白になる。頭を貫く耳鳴りが徐々に遠ざかる、遠ざかる道程には乱れた鼓動が穿たれる。穿たれた穴にか細い風が吹き込んで耳障りな音を立てている。風は乾ききっていて音は今にも壊れそうだ。耳をくすぐるその感触がやたらに生々しい。まるで誰かが息を潜めて小声でなにかを早口に呟いているのをヘッドフォンごしに目隠しされたまま聞いているかのようだ。鼓動が鎮まると次に騒々しい足音が流れ込んでくる。視界の濃淡が鮮明になり焦点が合わされると景色の右半分にはザラザラしていて堅い質感の壁があり、その左半分は様々な色と形を持った靴が上下へと飛び交っている。乳母車の中にいた彼は、爆発の衝撃によって路上へ投げ出され倒れ込んでいた。まだ、火薬の匂いがシャツに残っている。

 上体を起こし、景色の上下左右を正常な位置に立て直す。見上げると人の顔、顔、顔。顔はどれも似たような表情で真夏の空の下、一定の速度で左右へ流れている。そのさらに上方、高層ビルが空を占有し巨大ヴィジョンが映像を流している。エコー映像だ。頭部がやけに大きく感じる胎児が交差点の背景で大写しにされている。彼は無意識に口を開け、親指を銜えようとしていた。しかし、しゃぶる親指はどこかへ吹き飛んでしまっていて、こぶしから突き出た骨がただ鼻の先を引っ掻くだけだった。彼は仕方なく乳母車を乗り捨てて、雑踏へと歩き出す。不在となった乳母車。造花の花びら。その傍らには彼の背中を見失ってしまい立ちすくんでいる母親がいた。

 母親は静かに花びらを拾いあげ、拾いあげるたびに風が吹き手の中に集められた花びらは散ってしまう。それを何度も繰り返しているとどこからか懐かしい声が聞こえた気がした。振り返る、が誰もいない。見上げた先には子宮の中で安らかに呼吸をする胎児の映像。弛んだ手の平から花びらが舞う。視線を乳母車へと落とし、かごの中へ残っていた花びらを手で払い落とす。母親はそこへ自ら腰を掛けると膝の上で重ねた皺だらけの手の甲に、故郷と、町と、酒場と、スケートリンクとかつての恋人と、それらにまつわる全てへ影を落とす薄汚れたシーツのような雨雲を映しながら、背後からやさしく誰かが乳母車に手を掛けてくれるのを待ち侘びていた。ヘリコプターが、八月の空を手を上げ横断している。

 雑踏へ消えた彼は人混みを押し分け走っていた。飛び交う罵声の全てが彼の耳には祝福の声に聞こえた。人や車の間を縫い、駆け抜けたその背後で次々にパーティーグッツが軽やかに破裂音を鳴らし紙テープが撒き散らされる。その内、彼の腕は掴まれ、もつれた足が空を切り、頭から転倒しそのまま背中を壁に強く打ち付けられてしまう。掃き溜めのねずみが口々に彼の名を叫びシュプレヒコールを上げる。人々が足を止め、彼を見下ろし何かを耳打ちしている。背を預けてしまった壁には古びた排水管が延びている。そこから白濁した水が滴り落ち、欠損した指の付け根にある傷口を洗った。人々の抑えられた口の動きを見つめながら彼は呟く。声を上げてくれ、もっと声を、もっと口を開くんだ、産まれたばかりのように、声を。

 街の血液が一挙に流し込まれ、膨張し、突き破って顔を出した性器のようにこの夕空の下では比肩するものがない高層ビル。避難用階段。彼は屋上を目指していた。靴底が床を叩くたびに低い金属音が辺りに反響する。近隣のビルをほぼ全て見下ろせる高さにまで上りつめたとき、彼は足を止め舌打ちをした。しくじった。千を越える段数をひとつずつ上って来たというのにどこかで一段抜かしたままここまで来てしまったかもしれない。大したことではないと思いながらも心の隅では気がかりでならなかった。その一段に足を掛けなかったことで、今向かっている目的地がまるで撮影を終えて演者のいなくなった映画のセットのように、迷いなく解体され全く違う景色にすり替えられてしまっているような気がした。引き戻そうかと足りない指で階数を数えているうちに、その手は屋上の重い扉を押し開いていた。

 屋上には一台のヘリがとまっていた。近づいてゆくと彼の到着を待っていたかのようにドアが開いた。コックピットの後方に乗り込むと中には航空ヘルメットを被った操縦士がいた。それを見たとき、まるで蠅だと思った。翅の無い、大きな蠅だと思った。操縦桿が握られ機体が震えだす。その震えは一瞬で体の先にまで伝達され安定した浮力を感じると機体がゆっくりと上昇した。操縦士は何故だかとても嬉しそうにおしゃべりしていた。しかし回転翼の音がうるさくて、その殆どは聞き取れなかった。操縦士には彼と同じように親指が無かった。外を見るように促され、窓に顔を近づけると街には光の粒が溢れていた。蛆の群れ。そう思った。ぬらぬらと輝く蛆の群れに首都高速都心環状線は骨までしゃぶられて、なお渋滞が続いているのだ。

 夜空を周遊し、ヘリはあの巨大ヴィジョンが設置されたビルに近づいていた。母はまだ、そこにいるだろうか。少しずつ高度が下げられ交差点へ近づくごとに、自分の体が少しずつ小さくなってミニチュア模型の世界に入り込んで行くような気分になった。人々が空を見上げている。交差点の真上でホバリングを続けていると目の前で眠っている巨大な胎児が体を震わせ始めた。そして今にもこのまま機体ごと飲み込んでしまうかのように大きな口が開かれたとき、操縦士は彼に向かって叫んだ。だが、やはり翼の音に掻き消されて上手く声を拾うことが出来なかった。彼はもう一度聞きなおそうとした。しかし、それは必要ないことだと分かった。都会の夜はとてもきれいだ。母がこちらへ手を振っている。お誕生日おめでとう。たしかにそう言っていた。いちばんの友人みたいに、盛大な祝福と共に。


カフェイン

  sample

 殴打する中空に指を二本立てたら銀河の果てまですべてはピースだから、水中眼鏡かけて、太陽の目を潰して、苦くて冷めきったブラックコーヒーで夜を水没させる肉体労働をしようよ。喫水線がシンデレラの膝下にとどいてしまったら、かぼちゃの馬車は砂糖で煮詰められ、鍋からロバが逃げ出すとファンファーレが鳴り響く。万馬券を握りしめた僕らのこぶしがささやかに解かれたとき、ガラスの靴を履く夢を見た少女のベッドの下には、口の中のビスケットみたいに、朝が溶けだしている。少女が寝返りをうった寝具は昨夜まで争いなんて知らない地形のように整えられていたはずなのに、いまではすっかり焼け野原で、カーテンの隙間から射しこまれる異国のスラングが、少女のおはよう、になりすまし、こんにちは、で接吻し、おやすみ、で婚約している。そして、くすくす笑いあう六月に招待状がとどいたら、僕らそれを見て争いを猿と蟹だけに任せたことを後悔し、嘆きながら、いちばんの正装に着替えて文鳥のように仄かに赤い唇を尖らせ、おぼえたての祝婚歌を精一杯にさえずるんだ。

 ひと粒のこらず古米を啄ばみながら歩いていった公園。町の隅っこに留められたホッチキスみたいな鉄棒。僕はそれを思いきりつかんで日暮れまで逆上がりをした。鳥かごの中で狂った文鳥みたいだ。って笑われても、何度も地面を蹴って何度もひっくり返ってた。お箸もつかめないほど弱ってしまった手の平をゆっくり開くと、そこには世界地図が広がっていて、いくら眺めても歩けない街や、泳げない海の美しい名前が書かれているばかりで、誰ひとり握手を求める人なんていなかった。僕は豆腐の角が崩れるときの音を聞いた。近くのベンチには髪とひげを伸ばした空腹のグルメ家が夜空を見上げながら顎まで伸ばして「夜中に食べる銀河は驚くほどうまい。」そう言って、口の周りを光であふれさせながら笑っていた。僕は、本当はすぐにでも肉刺だらけの手の平は新しい大陸ができたみたいだって誰かに伝えたかったけれど、痛みを見せることはじゃんけんみたいにこぶしを振り上げることと一緒なんだって、まだ少女だった頃の君が教えてくれたから、今夜もありったけのお湯を沸かそうと思うんだ。飼い犬の背中を撫でながら、僕は今夜、濾過されてゆく。カフェインの成分も知らずに。今夜、僕は。


ボタンホール

  sample

プラットホームを歩いていたら
数歩先で人と人とが
すれ違いざまに接触した。
体と体の打ち合う音がして
ボタンがひとつ
床に落ち、私の足もとに転がった。
思わずそれを拾い上げ
視線を元の場所へと戻したが
どちらが失くしたものかは分からず
落としましたよ、
と言う声は喉の奥で綻んだまま
ふたつのうしろ姿は
うしろ姿の中に紛れてしまい
私の手の中に、ボタンは留まった。

電車が到着する。手の平を握る。
コートのポケットに手首を差し込んで
降り口に近い座席に座る。
態々、急ぎ足を立ち止まらせて
渡してあげる程のものじゃない。
そもそも、拾い上げるものでもない。
そう思って、目の前の座席から
女性が立ち上がり、電車を降りて行った。
その空席には誰も座らないまま
電車が次の駅に向かったので
小さな緊張のたがが外れたのを感じつつ
対面する車窓のガラスに映る
自身と少しの間、目を合わせてから
窓の外へと、焦点をやさしく押し込んだ。

郊外の風景には、郊外の風景らしい
適切な距離と、適切な暗さを守るように
家々が夜に針穴を開け
最小限の光で塞いでいる。
そんな、つましい星間を
電車は光の束となり
開封された夜の切り口から
終点、とアナウンスされる場所まで
長い手を差し伸べて行く。
私はそこから、みっつほど前の駅で降りる。
駅舎から少し歩き、入り組んだ路地へ入る。
その奥にひとつだけ
煌々と点る、家の明かりがあった。

路地と人家を区画する為に
設けられたブロック塀には
大半の葉を落としてしまった
花水木の影が貼り付き
細く神経質な枝振りは
眼の端に浮かぶ静脈を思い起こさせるようだ。
二階の窓辺に置かれた観葉植物の鉢植えが
磨りガラス越しに映っている。
その奥に現れた人影。
カーテンが閉められ、長方形の光に
型枠通りの闇が嵌め込まれる。
木の影が消え去り、私の影も消え去って
不意に訪れた暗闇に一瞬、
目を開けているのが不思議に感じた。

私は数分後
いくつかの角を曲がり終え
使い古した眼鏡を外し
眉間を指で軽く揉んだ後
弛めた手の平からゆっくりと剥がれ落ちた
黒いボタンに目を留め
知らない街のどこかで
冬のコートの一部に
やり切れないボタンホールと
無用の重なりだけがあることを、思う。


音の城

  sample

子どもは揺りかごのなか、ぐっすり。と水になる。
笹船のように耳だけをうかべて、聴いているのは、さざ波の音。
僕は、耳を手のひらで掬いあげ、扉を押し、ひらく。
足下には砂、埋もれた階段、月明かり、が部屋の隅々にまでながれ
子どもの背中で水浴びをはじめる、鳥。

上空、なにもいない。砂丘に囲まれた立方体。その動かない影。
砂に足をつけ、指が、沈んで、離すと爪先から肌色の砂がこぼれ落ちる。
砂丘へとあるく。掬いあげた子どもの耳には
極小の水たまりができていて、そこへ映るのは、見下ろす顔。ふたつの目。
砂が吹きつけて、閉じる左目。見下ろす月。

砂丘の斜面には様々な管楽器が、小さいものから徐々に大きいものへと
円を描くように並べられている。僕はその中心で立ちどまる。
あしあとをたどる、小さな、人影。揺りかごの中、水であった子ども。
何かをさがすような足どりで、こちらへと、あるいてくる。
まだ、眠たいのだろうか。目を擦りながら僕の手から耳を拾い上げる。
あたまをそっと傾けて、耳に、重ねる。

少し目が覚めたような表情で、そのまま片足を折り曲げ、四回、跳ねる。
いち、に、さん、し。耳から数滴、水が落ちる。
子どもがとてもおどろいた顔をしたので、空を見上げる。
飛び立つ群鳥のようだった。この砂丘をつくる、砂とおなじ数だけ
色と形が、楽器から、あふれはじめていた。


森を読む人

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草を踏む
表紙をひらく
頁をめくる

一行目に木洩れ日
天使が羽を
休めている

睫毛が落ちる
ふっ、と息を
ふきかける

濡れたたてがみ
あたたかい
蹄の音
まだ、息は白い


泥濘

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弟が、壁に短い線を引いている。
それをくりかえしている。
何を書いているの、と訊ねる。
雨、と答える。
わたしは傘をさす。

テレビは激しい雨音。
大雨、洪水、注意報。
誰かが言った。
チャンネルを変える。
人が大口を開け、笑っている。

壁に向かう弟の手が、止まっている。
雨は止んだの?と訊ねる。
まだ、止んでいないよ。
傘の下で
弟の、冷たい足を撫でる。

映りの悪いテレビ。
電源を落とす。
弟の、鼻をすする音と
衣服の擦れ合う音だけが聞こえる。
もう、夕食は済ませている。

飼いならした天人鳥。
黒く、細長い尾を立てて
朱色のくちばしを水に付ける。
水浴びがはじまり
小さな体を震わせる。

水しぶきが、弟の顔にかかる。
手の平で拭い、弟は言った。
雨も、こんなふうに冷たいのだろうか
そうして少しだけ皮膚の上にとどまったら
いつのまにか、消えてしまうのかな。

わたしは傘を閉じ
少量の水を飲んだ。
カーテンを半分開けて
濃い雲を探した。弟は眠っていた。
壁に描かれた雨。
胃の底に
水が溜まってゆくのを感じた。


ぼくらの七日間幻想

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ファミリーレストランで、家族が蟹を、食べていた。母が、父が、姉
が、蟹を。脚を砕き、殻を剥き、みそを啜り。時折、ウェイターが空
いた皿を下げにやってきたが、それに目もくれず、蟹を、食べていた
。それを、僕は国道からずっと見ていた。携帯が鳴った。とても誰か
と話す気分になんてなれなかった。

夕暮れに、吠えない動物を買いにゆく。からだは石鹸できれいに洗い
、爪はみじかく切りそろえる。水色のサンダルを履いて、商店街をあ
るく。卑猥な風が、人の首の数をかぞえてゆく。猫背になりながら、
走る子どもの影を目で追う。手の甲に鼻を近づける。石鹸の匂い。吠
えない動物を買いにゆく。

雨の日に喫茶店を拾った。よく効いた冷房が完備され、よく冷えたウ
ェイトレスが働いていた。傘立てへ無理やり突っ込まれた傘とそれに
よく似た花瓶の花。アイスコーヒーをひとつ注文したが、ウェイトレ
スは午後四時ぴったりにタイムカードを切って帰ってしまった。ひと
りになった。やがて、雷がなった。

理髪店のハサミは夢見る。うまれたての赤ん坊の小指を切り落とした
いと。けれど、そんな爪切りみたいな妄想はわすれて、今日十四才の
誕生日を迎えた、弓道部の男の子の後頭部を刈りあげている。前髪は
どうしますか?「長めで。」少年のひだり眉の上には小さな傷があっ
た。きっと、それを隠したいのだ。

二段ベッドを買い、一階はどうぶつ園、二階は空港に改築した。夜中
にもかかわらず旅客機はたくさんの人と荷物を乗せて、蛍光灯の光の
下、飛び立って行った。それを柵の間からニホンオオカミがまっすぐ
な目で見つめていた。僕は床にふとんを敷いて、ながい眠りにつこう
と思う。どこにも行きたくない。

ファミリーレストランで、蟹が家族を、食べていた。母を、父を、姉
を、蟹が。脚を砕き、殻を剥き、みそを啜り。時折、ウェイターが空
いた皿を下げにやってきたが、一瞥して、また家族を、食べていた。
それを、僕は国道からずっと見ていた。携帯が鳴った。とても誰かと
話す気分になんてなれなかった。

僕は今とても憂鬱だからサキソフォンを吹いても土から掘り返された
ばかりの手首を抱えている気分です。指使いは絡まった縄跳びの紐を
解いている仕草に酷似していて肺を患った犬の咳払いみたいな演奏し
か出来ません。近所の園芸愛好家が花を届けに来ました。その腐った
土の匂いを手向けないでください。

霊柩車と救急車のあいだに子どもが産まれた。射手座のかわいい女の
子だった。名前は天使といった。天使にするか悪魔にするか大変悩ん
だが、よく笑う子どもだったので天使と名付けた。しかし大人になる
と多感な季節にさかんに泣くこともあった。黒猫を見るだけで遠い父
のことを思い出す日もあった。

とても面白いことがあったので腹がよじれて耳がただれそうなほど笑
い転げた。白い歯をこぼしすぎてあごの噛み合わせが悪くなったので
病院へ行った。余命はあと一年から百年だと宣告された。医師は「余
生は好きなだけ笑い、天寿を全うしなさい。」そう言って手から鳩を
出す手品をして見せてくれた。

歯が生えたお祝いに友人を招いてパーティーを開いた。風船ガムをみ
んなで膨らますだけのささやかなパーティーだった。ガム風船がなん
ども音を立てて割れた。みんなのガムの味がなくなったのを確認した
あと虫歯にならないことを祈って解散した。でも本当は僕のガムだけ
ずっと甘かった。言えなかった。


ぬけがら

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ふるさとが肺を患い
転移する酩酊は
葉桜の色をねぶり
胃壁を食む、蛇が
赤い絵の具を射精する
その、ぬけがら、父の唾液
残滓に海の香り
帆を張る空に
幼い、空腹を晒す

鉄橋、どこまでも
灰と星くずを敷きつめて
寝返る背中に、光を配管する
中庭の芝生は水を舐め
半熟の色彩を投棄する
ビニール袋が風に殴られ
吐き出すものは何もない
すべて消費されてしまった
下書きのような午前

寒色を重ねる廊下に
人の足音が滴ってゆく濃淡
うわずみを掬う手
繁茂する祈りとさざなみ
堅牢な窓に
街並みは歯をたてて
白く、晴れわたる空の下
裸足で日没を待つ

沈黙を均等に切り分け
精緻に並べては光をあてる
沈黙の未熟児が
明日に運ばれる
渇いた草の上で口を開け
水が、汲みあげられるのを
待っている、午後
帰る場所を忘れて


コインランドリー

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天国のコインランドリーで
布団を洗っている

乾燥機を回しているあいだ
少年紙を読んでいた

しかし、ふきだしはすべて空白で
内容がうまく飲み込めない

明日は傘を買いに行こう
雨の日が楽しみになるような

それにしても
人がどこにもいないや

本当にここ
天国なんだろうか


星座的布置

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海のない手のひらの庭
土を踏む三脚の椅子
雪、重なる雪、そのあいだに
燃えるものがあるなら

空白を焚きつける
指先の罪悪を冷たい鍵にする
小さな灯りに目を細める
たったふたつの隠微な痙攣

光、降りる朝に遺された爪痕
重なっては崩れる雪片
堆積する間もなく滅びてゆく
か細い陰影だけを残して

いつか肘掛けに置かれていた
精悍で滑稽ですらあった腕
健全な重み、溢れていた緑
その陰で交わされた対話

舌先に遺された発音
繋がらなかった対話の描線
回遊する雪虫が
白い風景に溶け込んでゆく

人の形象が夜を演じる
星の口唇術が指先を誘う
窓の向こうから
手のひらを見せながら

網膜にひろがる街
あたらしい椅子の匂い
まだ雪は、届けられたばかり
声は失ったばかり


害虫

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夜の蜘蛛を生かして
償われた指腹のよどみに
吹き溜まる星々は研削され
なめらかな肩口を晒し合いながら
目まぐるしい渦中からの
放逐を同意してゆく

霧散する、フラグメント
融点の狭間で点、を穿つ
蠕動する点、は凝集し、繋がり
硬い皮膜に拘留された
やわらかな部位を露出する
開示された身体は隠逸のために

腕を束ねた偏平足たち
暗い池沼にひたされた足おと
泡沫の潰えた水面に
なだらかな額を投影する
月はゆらいで扇状に煌めき
分岐する白糸が露に濡れている

封じられた羽虫の触角が微動する
断たれたばかりの
白目が反照して眩しい
しずかに湾曲される関節
後ろ手に粒立った呼吸が
ひとつずつ壊死してゆく

不純な渦、体液の流れるおと
/雑/踏/。/朝/が/来る
外殻の街、中空、網状の導線が
絶縁されてゆく幻視の中で
おなじ空を見上げて
佇む、人がいる


ばらの花

  sample

言葉と子どもが走り抜ける橋の下で
焚いた火は明るく
配達され続ける魚を燃やして
皿の上に描かれた
細密な骨の水路は
若い母の背中にあった
痣のような海の記憶を圧し流して
排泄して
こぼれ落ちた情緒は骨を溶かし
なにもない皿へと
空腹だった子どものまま
きれいな手が伸びる

意味も解らず嘔吐した
溶けかけた宝石を拭ってくれた
考えるだけで泣いていた
眠り続けていたい
天井を蹴破ってみたい
一生のお願い
を、たくさん抱えている
朝はいつも怪物が訪問する
冷たい空気を吸い込むと
肺に魚の骨が突き刺さる
咳と痛みを創造する
幼児の悲しい魔法

なわとびをしていた
もう、どれほど飛んでいるのだろうか
握った手のひらに汗をかき
ロープが滑って抜け落ちていった
コンクリートの地面に
プラスチックの部分が叩きつけられて
響きのない、乾いた音が鳴った
片方の手から足下に垂れさがる
ロープの曲線を何度も目で往復させながら
今日はこれでおしまい
ロープを手繰りよせて結んだ
もう解けないくらい
きつく結んだ

窓から遠くの緑をながめる
もっと目が良くなりたいから
燃え続ける星を見上げる
剥落する光、口、あけたまま点眼する
目をつむると
清潔で真っ白な布が瞼に裏打ちされて
黄色い染みが小さく浮かぶ
それは波紋のように広がってゆき
耳のうしろへ、背筋のくぼみへ
やがて一枚の画用紙の上
尾ひれを生やした子どもになって
水色からいちばん遠い色ばかり
すり減らしていた

嘘だと知っていたから
一瞬、笑いかけた
あなたは、
橋の下から拾ってきたのよ。
そんなはずはないけれど
息継ぎを忘れるほど泣いた
お風呂にしようね。
息を大きく吸い込んで
浴槽に頭を沈めた
髪の毛の間に気泡が留まるのを感じた
目をひらいた、なにも見えないな
手のひらをひらいてみる、閉じてみる
苦しい、浴槽から顔をだす
排水口にお湯が逃げてゆく
流れる音は徐々に高くなり、細くなり
消えてゆく

並んだ隣の布団から
母の寝息が聞こえる、規則的な
息を吸う、止まる、息を吐く
繰り返す、母のそれに合わせて
呼吸をしてみる
けれど、それだとなぜか
息が苦しいような気がして
いつもどおり、呼吸する
息を吸う、息を吐く、ただそれだけなのに
同じではいけないんだ
真っ暗な天井を見つめる
かすかに、耳鳴りがする

橋の上から川をながめている
流れのない安らかな水面
遠い町の、名前の知らない川
両岸から木々の枝葉がせりだして
濃い影をつくっている
呼吸をする、その音だけが聞こえる
とても静かな時間
子どもが僕のうしろを駈け抜けていった
二羽のすずめが水面に触れて
そのまま林の奥へ消えていった
つぎに向かう駅の名前
それを確認するように
小さく声にだしてみる


初夢

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大晦日の夜は
てきとうなテレビを観ながら
うどんを食べよう
おもち何個入れる?
と、あなたが尋ねれば
二個、と答える
おなかがふくれたら
こたつでうとうととする
そのままうっかり
年を越す
夜中に目をさましたら
冷めたうどんの汁をすする
こたつが暑いから
電源を切る
つけっぱなしのテレビを消そう
と思ったそのまえに
品性を欠いた
テレビを見る
お笑いやお色気を楽しんでいるとき
あなたも目をさます
あなたが好きな討論番組を
ふたりしてなんにも考えずに見る
あなたは前触れもなく上を見る
いま、ゆれた?
と、あなたが見上げて固まる
僕も釣られて固まる
よく、わからないまま
しばらくふたりで
照明器具を見つめる
テレビではインスタントカメラの
コマーシャルがながれている
立ち上がって僕は
台所の三角コーナーに
うどんの汁を捨てに行く
蛇口をすこしだけ捻って
かるく手を洗う
口を漱ぐ
消防車のサイレンが聞こえる
手を拭ってから
正面の窓を半分開ける
かおをだしてみる
風が冷たくて
消防車はどこにも見あたらなくて
音はだんだん遠退いて
聞こえなくなっても
あたまの中では
サイレンの雰囲気が消えなくて
いちど
あなたがいる部屋のあかりを確認してから
もういちど
だれも歩いていない外をながめる
そうして息の白さを確かめて
遠くの国道を
車が走り去ってゆく音に
耳をすます
窓を閉めて
部屋にもどったら
あなたが目を瞑っているから
テレビを消す
僕もこたつに入る
こたつ布団を肩までかけて
あなたの足裏をのぞく
さむい、こたつの電気つけて。
と、あなたは言う
あしたどうする?
と、あなたに問う
うん。
と、あなたは生返事する
あした、御参り行こうか。
うん。
じゃあ、六時に起こすね。
うん。
そう言って
僕も寝ころがる
そうやって
昼まで寝過ごす
僕は
にぎやかなテレビの音に目をさまし
消えている、こたつの電源を入れ直す
台所ではあなたが
うどんの汁を
あたため直している

文学極道

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