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宮永

選出作品 (投稿日時順 / 全19作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


右足の痛み

  宮永


道端で、小さな石につまずいた
それだけで
僕は前に進めない
なぜ他の誰でもない僕が
転がっているたくさんの石の中で今、
ここで、この小石に
つまずかなくてはならなかったのか
何気なく踏み出した右足、この右の足で

偶然という言葉に包んで
噛んでいたガムのように捨てられるべき疑問符が
靴の裏に貼り付いて
他の小石や枯れ草までひっからめ
ベタベタとべたべたと
僕は自己否定のかたまりとなり
生きる意味までわからなくなる
こんなとき
なめらかな低い声音で
君は生まれながらに罪深いのだと
罪は苦しみにより贖わねばならぬのだと
だから生きることは苦しいのだと
誰かが断じてくれたなら
僕は何もかも道端に放り出して、軽々と
軽々と彼について行こう
けれど誰かを待つ間にも
右足が病めるからと医者にかかる

青黒い沼に浮かべた白骨を光源にかざし
その白い光を背に僕の前に立ち
捻挫している、捻挫なのだ、と
ペテンにかける悪魔のように
医師が告げるから
なるほど、と
だから痛かったのだと納得し
包帯を厚く巻かれ
湿布と痛み止めの錠剤をたくさん処方され
土産をもらったみたいに嬉しくなって
嬉しくて、足ばかりでなく
全てが回復に向かっている気がしている

僕にだってわかっている
なぜをつきつめてはいけないと
不可知の海につま先を浸けてはいけないと
正解があると思えば安心できるから
歩くなら因果の轍を歩きたい
生きている意味がわからないのは
生きている意味が欲しいのに
どこにも見つからないからで
せめてどこかにあるんだと
嘘でも請け合ってくれないか

いつの間に時がたったのか、気がつくと
知っているようで知らない場所に立っていた
透明な水が寄せる波打ち際で
足の下だけ残して砂が引いて行くように
僕は立ち止まっている


あの木

  宮永


あの木がさらさらと風を濾しているから
今日も青く澄んだ空には風が吹いている

この木はあちこちに生え育っているから
手を伸ばしちぎりとってはプーと鳴らす
親指ほどの楕円形の葉をそっと唇にあて

甘い香りに見上げると、かぶさるように
滴るように、藤の花によく似た白い花房
葉を凌駕して、ゆたりゆたり揺れる初夏

この木に名前は必要なかった
気がつけば目の前にあったから
子供の頃、多くのものがそうであったように
そしていつの日か
僕はこの木の名前を知った





〈ニセアカシア〉

生まれたときから既に 君たちは
軽んじられている
差別されている
蔑まれている
ニセモノ
二番煎じ


でも君たちは気にしない
呼ばわる声に耳もかさず
のびのびと、どこ吹く風
甘い香りのする白い花房
これでもかとぶら下げて
 
ニセアカシア
それはただの呼称
名前は他から区別し
認識するための
僕らの道具

けれども 悲しいかな
僕は君たちに告げねばならぬ
深い意味を持たぬ「ニ・セ」という音も
何らかの風味を伴わないではいないのだ、と





甘い香りに誘われて見上げると
やはり、ニセアカシアの花盛りだった

たぶん、目に映る光景に大きな違いはない
けれど僕は見るたびに、思い起こすたびに
片隅に「ニセアカシア」と銘打ってしまう
しなやかで粗野な繁殖力に満ちたこの木が
何の紛い物でもないことを知ってはいても

すぐ前に、手を伸ばせばいつもあったのに
そして今も変わらずあるというのに
いつの間にかに距離ができ
その距離を測る
名前に
知に
囚われたのは、僕
頑なに隔たってゆくのは、僕
あの頃に戻れないなら、いっそ
 




ああ、僕の上だけ雨よ降れ
まとわりつく
このニセモノの花の香りを
洗い流してしまえ


舟渡り

  宮永



目が覚めて、夢をなぞっているうち別な夢に落ち、また目が覚めて、を繰り返していた明け方の湖。浮かぶボートを乗り換える。ゆらゆら、と揺れてはとぷん、沈みこみ、痺れるような手足に白い霧が降る。後にしたボートはもう、乗り込むボートはまだ、見えない。こつん、脇腹に別のボートが額を寄せた。



店舗だった建物を改装したという、絵画教室を兼ねた彼のアトリエは通りに面し、窓の外には散りかけの街路樹と行き過ぎる車が見える。僕は赤茶色の表紙の洋書を手に取り、開き、また閉じて、本棚に並ぶ背表紙の列を眺め始める。最近はこんなの読んでるんだ、とつぶやくと、彼が口を開いた。「このノートが君の役に立つかもしれない」

絵の具が散った作業机の上に置かれた、傷んだ青いノート。ノートは短い交換日記のようでもあり、走り書きにまぎれて、彼の簡素な問いかけと、頼りない小さな文字の応答が繰り返されていた。浮かび上がるように目に入るのは、彼が呼びかける見知らぬ女の子の名前。「あの頃、彼女も今の君みたいに行き詰まっていてね、しばらく相談にのったりしていたんだ」

見知らぬ女の子じゃない。たぶん一度見かけている。僕はその時も今日のように意を決して、あなたを訪ねたんだ。そこは窓なんてあるのかどうかもわからない、狭い研究室だったけれど。ためらった挙げ句ノックして扉を開けると、机を挟んで少女とあなたが座っていた。少女はうつむいたまま、あなたは顔をあげて、意外そうな声で「どうした?」と僕に言った。その机の上にはこの青いノートが開かれていた、のかもしれない。

あのとき僕はすでに方向性を見失っていて、それであなたを訪ねたのだけれど、けれどあなたの目の前には……いや、ちょっと待て。僕が研究室にあなたを訪ねたのは……夢の中でだ。ずっと前に見た夢での話だった。そして、ああ、僕はまた、夢をみていたんだ。現実で、僕は夢と現実をごちゃ混ぜにしたりしないのだから。

あの夢でもこの夢でも、僕は行き悩み、不安と焦燥の只中にいた。それでもあの人と言葉を交わせるならばやはり幸福な夢であり、叶うなら、何度でもおちてゆきたい。



寄せてきたボートに乗り込み、揺れる舟底にからだを預ける。 痺れるように重くとぷん、沈みこみ、白い霧が降りる。ここは舟着き場。ただ渡る、浮かんでいる別のボートへ。 漕ぎ出すオールもないのだから。


雪望

  宮永

 

 この冬は寒さが厳しく雪も例年より積もるだろうと、秋口から何度も繰り返された予想に反し、今年はまだ根雪にならない。
 無数の大きな雪片が空からホトホトと落ち続ければ、一面のやわらかな毛布を頭までひき被り夢見るような心地になって、あごに触れるマフラーの温み、足先のじんじんとする疼きが私に血をかよわせる。けれども今はただ、縮こまる体を乾いた風になぶられている。
 雪降り積めば、家々や通りの雑多な凹凸を白く均らす。晴れた昼にはキラキラと陽を粒にする。夜、灯が点るとオレンジから灰のグラデーションで、柔らかな窪みに静けさを溜めこぼす。
 私は遅れている路線バスを待つように、真冬の到来を待っている。庭の裸木も家々の脇に重ねられたプラスチック製の植え木鉢も、晒され乾き続けて、今にも粉々になってしまいそうだ。


斑入り模様

  宮永



日射しの翳った庭
斑入り模様のアオキの葉っぱに
湿った土の団子をのせて
松葉を一組そえたなら
思い出して赤い実二つ
さあ、召し上がれ
とつぶやく前に
お昼だよと呼ぶ母の声
皿も団子もそのままに
台所へかけこむと
おむすびにしようと思ったけれど
ごめんね、ガス釜の調子悪くてね
ご飯うまく炊けないの
診てもらおうと思うけど
ふふ、いい加減、電気炊飯器に変えようか





一人炊き用に買った炊飯器は
講義に遅刻しそうな朝
コードに足、ひっかけて
棚の上からゴトンと落ちた
それっきり閉まらなくなった
蓋、グッと押さえてもパカン
重たいカバンのせてもパカン
まだ一年も使ってないと
すんなり往生できない私に
買ったほうが早いし安いと
冷やしサラダ中華が女子に人気の学食で
友人たちが口を揃えるから
わかったよ、で、何ゴミ?
燃えないゴミの日いつ?
電気屋さん引き取ってくれる?





お盆前、渋滞気味の高速道路をようやく降りて
人家もまばらな道を実家へと車を走らせる
後部座席では子供たちが眠っている

道路の脇には廃棄物の処理工場
金属類が集められて潰されて
それぞれのモノをとどめたままに
錆びている
ゆるく圧縮されたこの四角い集合体は
いつ、再生されるのだろう
雨ざらしの処理工場にはいつもヒトケがない

降りだした雨はフロントガラスににじみ
支流から本流へ流れ込んだり溢れたり
どこか知らないどこかを指して
ぶんめいは進歩をとげて発展し
近県の福島やチェルノブイリまでさ迷って
家に着く頃には
すっかり本降りになっていた
雨音に
耳をすませて

駐車する車の音に呼ばれた母が
傘をさして迎え出た、庭先の
アオキの葉はつやつやと濡れて
根元では小さな泥のお団子が
もうとっくにほどけて
かえっている


暖かい場所

  宮永



刻々と退色してゆく視野を割りながら走る
信号待ちで
ハンドルを抱え
陽のなごりを探して左を見やると
流れていた

二列に背を向けて並ぶ
家々の間に用水路
秋も終わりだというのに草が生い
西洋朝顔が大輪に青をひらく
水か
日差しか
そこは暖かい場所なのだ

背に小さな園(その)を従えて
家々に
住む人どもは幸せだ
そこにはたぶん薔薇の茂みもあって何よりも
緑の下草が
音もなく
萌え続けている


変成

  宮永



あまりに大きすぎるカラダは私の視界に余
りました。竜がその巨大な肉をくねらせる
たび、鱗が立ち上がります。私は狂喜しま
した。山だ!山肌だ!岩々は柔らかに連な
りながらササクレ立ち、その元には黒々と
した影が差し、私はその暗い陰に深くツメ
をさしこんで、ゆっくりともちあげるのを
想像するのでありました。庭先の石をはぐ
ればハサミやワラジ虫たちが慌てて転がり
出ます。そんな嬉しさを思い起こしはした
ものの、この暗がりの奥底に温い肌があり、
熱い血が流れていることを、やけつくよう
な痛みが生ずることを、愚かにも、我が鼻
の穴から生えた毛ほどにも思ってみなかっ
たのでありました。私はひび割れた、声を
あげました。


剥がされ、晒された痛みはまるで、焼きゴ
テをあてられたようでした。おかげで空気
がカラではないことを、私をぐりと囲い込
み、動けば擦れるということを、大気か、
私かたえず蠢いていることを思い知らされ
ることになりました。私は息を殺しました。
地上において、私はコップの中に酌まれた
ようでありました。トン トン と、滴が
私をたたくたび、何とか呑み込んできたの
です。なみなみと注がれた私は、すでにふ
るふると揺れています。でもまだまだこの
まま、丸く盛られた表面に虹をうつして、
微睡んだふりをしていられるはずでした。
いつ、どこで落ちてきた、どんな滴かはわ
かりません。たぶんそれはいつもと何ら変
わらない一滴であったのでしょう。けれど
も私は流れ去ったのです。


雪曜日

  宮永



小判みたいな雪片が
ぼとぼとと落ち続けて
すべてを埋めてしまったから
歩道は歩くところではなくなって
とりあえずは車道を歩く

交通機関が麻痺しても
仕事は休みにはならないから
歩いて職場に向かうのだけれど
時計はしばし動きをゆるめた

ときおりやって来る自動車は
歩くより少し速いスピードで
のろのろと私を追い越せばいい

ここはスケートリンク
みな似たようなスケート靴はいて
輪を描いたり
すべり抜けたり
思い思いに

たまにはこんな日があってよい



月曜が来て
火曜日を過ごし
ようやく水曜日になる
木曜日にはホッと息をついて
溜まった用事は土曜にこなし
待ち望んでいた日曜日
私、何してた?



それでも
階段に踊り場があるように
私には日曜日が必要だ
登りゆく先の先は見えなくて
辿ってきた道のりはおぼろ
でも踊り場ではステップ踏んで

タタン
 トトン
  タタン
   トトン
        タン

ほら、また、ばかみたいに
大きな雪が降ってきた


深まりゆく春の日に

  宮永




この春は、本当によくジュリアンを見かけた。
窓枠に腰かけているジュリアン。
スーパーの前で自転車に乗っかっているジュリアン。
昨日は玄関先で天気をうかがっていた。
見かける度に違う色や背丈をしていたけれども、あれは紛れもなくジュリアンだった。

この春は、ジュリアンばかりでなく、マラコイデスやオブコニカさえ頻繁に見かけた。
そして僕はきまって熱に浮かされたようになる。
…ジュリアン…マラコイデス…オブコニカ
ジュリアン、マラコイデス、オブコニカ
ジュリアンマラコイデス…

帰るなり本棚を探す。
古い手帳を出してめくる。
あるいは手っ取り早くスマホで検索。
そう。そう、「プリムラ」
プリムラ・ジュリアン。
プリムラ・マラコイデスだ。
プリムラ、だ。
と繰り返し、繰り返す忘却。
どういう訳か、「プリムラ」の名は、僕の記憶から消えてしまう。





春も深まったある日、
僕は意を決して暗い階段を降りてゆく。
たどり着いた足が踏んだ、乾いた土の底…



          そこにはまだ冬枯れた庭があり、

          レンガで囲まれた花壇があって、

          少年が1人しゃがんで、手には

          銀のスコップと苗を持っている。

          緑の葉に包まれた、小さな赤い、

          プリムラ



それは温室育ちの鉢植えの花。
地に植えて、晴れた数日保てはするが、
春先の、冷たい雨風に耐えられない。
薄い花弁は雨に破られへばりつき
葉は茶色くまるまって落ちる。
待ち受けるそんな未来も、
また、この花に、
どれだけの明かりを託しているのかも、
彼は知らない。

知らないんだ。


なめらかな縞

  宮永



庭のすみに
茶と白の羽が一掴み
吹き寄せられている

首をかしげて立ち止まり
甘えた声をあげてすり寄ってくる
あいつの仕業だ

あごの下を人差し指でさすると
目を細くして首を平らに伸ばしてくる
その先にある柔らかな口を
耳まで裂かせ
尖った歯を剥き出して 
まだ温かい小鳥を噛んだのだ

私の庭で
茶や白の羽毛が
風に吹き散らされている

垣根をくぐって今日も姿を見せた猫は
立ち止まり
鼻を持ち上げ
ふんふんと風を嗅ぐと
こちらを見ないふりして去った

私は猫を呼び止めず
垣根に消えるなめらかな縞を
目の端で見定めた


Living

  宮永


撒かれた砂の上
ぽつりぽつり散り居り
おのおの の
輪郭をおぼろに照らす
水鏡の方を向いて
いる


縁取られ
濃縮された瞬きに濡れた
はんぶんの
かおとからだは
どこか似て
いる


やがて
ひとりずつ
巻き貝の
なかへ
奥へと
吸い込まれてゆく


降りしきる

  宮永




雨粒が
こめかみをはじく
雨だれが
肩をたたく
雨水が
頭頂からうなじをつたい
背中に流れ込むから
つくえのひきだしをあける指先が
中にある
削りたてのえんぴつを
濡らす

ひきだしから出てきたわたしが
洋服だんすの扉をあける
洋服だんすから出てきたわたしは
あの時の服を着ている
あの時どんな服を着ていたかなんて
覚えていなかったはずなのに

あの日と同じ服を着たわたしは
同じ場所に行き
同じ目線を浴びる
憐れみに満ちた
その源泉を
削りたてのえんぴつで
突いてやりたい
けれども
えんぴつはなぞるだけだ

なぞりながら
わずかずつ
記憶を捏造してしまえばよいのに
そうしようとするわたしに
わたしは気づいてしまっているから
流れ去る水が
岸壁を
侵食するような歪曲でなければ

降りしきる雨の中では
色彩を欠いたものたちの
かたちと影とが重なりあって
わたしは淡く変幻する
影のかたちを黒くなぞっている

通りを行き交う人たちの
乾いた話し声が響いてくるから
もう雨はやんでいるのだ、と
カーテンをひいて窓を開ければ、と
わたしは雨の降りつづく
わたしの部屋をノックする


きらきら

  宮永



七夕飾りの切れ端みたいな紫の、こまかな花弁が散っている。何という名だか忘れたけれど、きらきらと。

あの日亡くなった子どもの名前は、いわゆる、キラキラネームだった。身籠った嬉しさに、まだまっさらな可能性を思って名付けたんだろう。日々検索される我らのインデックスは明るいほうがよい。ときに虚しく響こうとも。

私の子どもの名前も若干、キラキラネームかもしれない。私は男だからカラダは与えられないけれど、生まれてから渡す一番最初のプレゼントだからと、妻にダメ出しされながらも真剣に考えたんだ。


      遥か翔(かけ)る 
          希望の未来 
   陽に萌えて 

 蓮の咲く、水面(みなも)をわたる風蒼く

              颯颯と

    楓や葵、ゆらして結ぶ 
          
        凛と凜


キラキラネームの反対は、シワシワネームと言うんだって。何か笑える。光り輝く種子たちにトクトクと養分を流し与えて干カラビちまった私らも、生まれて名付けられたそのときは、時代の期待を負っていた、そう、きらきらと。


死体がみつかる

  宮永



そこに近づかないで
何も 隠してない よ
なのに、迷うことなく
やってくるの ね
その場所に

掴んだ手首をぐいとひかれる
腰を低くして後ずさる
理由なんかない
ただ 私は
そこに、行きたくない

分け入ってゆくしろい横顔
立ち尽くす顔はあおい
吸う息浅く
冷える指先
雨傘もなく
曇天に霹靂
裁かれるよりも
暴かれるまえに
ブルーシート広げて
身を投げ出してしまいたい

幾つもそこに埋めてきた
手つかずの教材や
水銀の、壊してしまった体温計
買い食いしたお菓子のカラ
拾ってきたクロネコ
みんな晒されてその度に
ダメな人間だと刻された

ときどき
死体がみつかる夢をみるんだ


わたしらの軌跡(17‐22の頃)

  宮永



紅茶にミルク注ぎ足すように
アッちゅうま濁っていった透明
先が見えないってことが
どれほどわたしらをかき乱すことか
てさぐりでさぐれば
いずれ治る傷も致命傷
大袈裟に血がつたう頭抱え
たどり着かなくてはならないどこか
読めない地図片手に



癒えてきた傷が瘡になりはじめたら
嬉々としてはがし
左手のひらに載せて眺める
これが、わたしらの果実
掘り起こされた傷がいたみを発し
また次の瘡を用意するまで
じくじくと赤を浮かべて傷に
加担したすべてのものたちを憎悪する
その誰よりも自分が嫌い



波打ち際に立てば
足裏の砂が引いていくように
年月はするすると巻き取られ
そこに含まれた
ちょっとかわった化石を眺める
輪郭もおぼろなたよりない生き物が
ぼろぼろの毛布握りしめ
口ぽかりあけた物欲しげな顔のまま
写し取られたかのように見えて
わたしらはさざめく波のようにわらう


消しゴムと靴下

  宮永


靴下であるいている
のを、担任の先生にばったり会って
危ないから靴を履くように諭された。
靴、履くことができないんです
きっとこれは私が私に課した罰だから
どうしても、履けなかった。
ちゃんと家へ帰るから、
明日、説明しますから、
必死な私を
黙って行かせてくれた
担任の先生は信頼できる人です。
今日は朝から早退しちゃったけれど
明日はきちんと学校に行って
長い話を聞いてもらう
話すことは私を楽にするだろうし
そうしたら先生も安心できる
今はただ早く家に帰って
眠りたい

T君の家にクラスの大勢で集まって
T君は私にゲームで負けて
大事にしていた(父親からもらった)筋肉マン消しゴムを
しぶしぶ、でも、笑いながら、
私に差し出さなければならなかった
ただの遊び
次の日、そう、私が早退した朝、
カバンに入ったままになっていたその消しゴムを
教室の後ろのゴミ箱へ放り込んだのを
見ていたN子が非難顔して言った
「T君の大切なものだったのに、
捨てるなんて酷くない?」

きつい言葉を放つとN子はそっぽを向いたけれど
私の怒りはだんだん積って
爆発寸前まで膨れ上がって
N子の頬を何度もなぐりつけるとか
階段から机を投げ落とすとか
そんなことをしないと収まらなくなりそうで
そうなるよりは逃げ出すことにした。
人気のない玄関で内履きを脱いで
スニーカーを履こうとしたら、どうしても
足を入れられないことに気がついて
スニーカーを右手にぶら下げて
靴下のまま歩き出した
きっとこれは罪悪感の
せいだから
靴下のまま
帰っても
仕方ない

思うでしょう?
先生


雨降り

  宮永



庭に雨がふってます。
昨日も今日も降ってます。
最近雨ばっかりな気がする。
ランドセルが重いのに、
プラス長靴と傘。
しょうがないよね、梅雨だから。
青い空と入道雲の夏休みはもうすぐ。
そう思えば何てことないよね。


街に雨が降っています。
今日もまだ降っています。
洗濯物もなかなか乾きません。
妻にねだられて
乾燥機能つき洗濯機と除湿機を買いました。
仕事が休みの日には夫婦で
大自然が舞台の映画や
お笑い番組を見ています。
夜はベッドに寝転んで
毎晩同じような会話を交わします。
「いつやむのかなぁ」
「まさか、ずっとなんてことないわよね」
「そりゃ、ないでしょ……たぶん」


昨日も今日もその前も、
ずっと、ずっと、雨が降っています。
除湿機をかけているけれど
ちょっと油断すると黒い黴が生え始めます。
スーパーでは新鮮な野菜が手に入らなくなりました。
野菜どころではなく、食材は何もかも品薄です。
お昼のニュースで言っていました。
薬剤耐性のある菌が新たに出現し、
たくさんの人が肺炎で亡くなっているそうです。
絶えず耳にする雨音と悪いニュースに
気持ちが沈みがちになります。
そんなときには目を閉じて、
抜けるような青空や浮かぶ雲を想います。
晴れた空を覚えているから、耐えられます。
あとで実家の父や母に電話してみます。


雨が降っています。
降らなかった日なんてあるかしら。
令和生まれの祖母は
晴れた空を見た記憶があるといいます。
雨が止まなくなったときには大変だったと
教科書にも載っています。
私は本物の晴れた空を見たことがないので
毎日雨でもぜんぜん気になりません。
外にはあまり出ませんが
迷路のようなショッピングモールや
サンルームに通うのは楽しいです。
屋内栽培の作物だって清潔で美味しいし。
建物の下に張り巡らされた雨水路を
連なった船で移動することもできます。
病院に行くときおばあちゃんは
「イッツァスモールワールドみたいだ」
と言います。
毎回言います。
なんだそりゃ、と思います。


けものみち

  宮永



開発された住宅地の中、取り残された島のような空き地には、低木やススキの株やら草々が根を絡ませ、みっしりと葉を繁らせている。
ネズミやヘビや野良猫が草むらにかすかな筋をこしらえて、それを人の子らがなぞる。曲がり角を大きくショートカットするために大人たちも通り抜け、人も通るけものみちができあがる。
近道を知らぬものたちを尻目に、藪の中に姿を消す。ススキの株を半周まわる。木の根がこしらえた段々を一歩一歩踏みしめて登りひょっこりと、草むらの上に顔を出したら、てろり、キツネのようにとび跳ねたい、心踊るけものみち。
野良猫の後を追う。カエルと出くわす。共犯者を互いの草分ける音で知り、譲りながらすれ違う。
日が暮れたなら怖くなる。おぼつかぬ足元を木の根が捉え、ヘビたちが横切り、目に見えぬバケモノが怯える頭にみち満ちてついて来る、来る、ケモノミチ。息を止めて駆け抜けろ。
空き地がとうとう均されて、新品の家が建つ頃には、通るけものも姿を消して、それでも楽しく懐かしい、あそこにけものみちがあった。


大樹の陰

  宮永



午後になり、台風は温帯低気圧に変わった。
夕方、雨の合間を縫って急いで家に帰ろうと、会社の敷地にある広場を斜めに横切る。
暗い雲がミュートで流れ、その上にある濁った空がのぞいては隠れる。鳴り続けているのは黒いシルエットを揺らす松の枝葉。
髪を乱して進む背後から、ひときわ激しい音が被さってきて、はっと首を振り向ける。
ああ、ポプラだ。

広場の隅にある一本のポプラ。会社ができたときに植えられたとしたら樹齢は九十年近いのかもしれない。晴れた日には円柱のような幹が、細かな葉が繁る枝を奔放に、広く高く投げた。
ひときわ背の高いポプラだけが上空の風を拾うのか、松や欅が凪いでいるときも、小さく硬質な葉を震わせた。青空をバックにプラスチックに似た乾いた音を、さざ波のように流した。

今ポプラは、枝も葉も幹も一体となって前後に振れている。間欠的に高波のような咆哮を発して。しゃがみこんで耳を塞いでしまいたくなる。
ポプラは灰色に歪みながらガラガラと笑った。こんな嵐は何度もあった。嵐だけじゃあない。ずっと酷いことも見てきた、と。
ポプラの周りの地面には、人の背丈ほどもある枝が葉ごと折れ落ちていた。これしきの嵐に耐えきれず、幾つも、幾つも。

また大きな枝が、剥がれるように落ちた。

文学極道

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