降り積もる雪の重みに
夜が
耐えきれず落ちていく
そうして彼女らは埋もれていくのだ
ひるがえった真夏の
影を踏んだあなたと
鳴くこともなく
死んでいった虫たち
絶えず
流れていくものに
足首まで浸して
スカートをたくしあげて叫んでいた
首筋を
太陽が焼く
かつて
わたしたちは自由だった しかし
その陰で
すべてはすでに失われ続けていた
、失われたのだ
柔らかい肌の少女が
刺を踏みながら歩いていく
その跡を
血が流れない
わたしたちは
見て見ぬふりをする
こころの弱いわたしたちはあなたを知らない
知ろうともしない
そして
雪のなか傘を点す
夜の底を
掃き
清める彼女らの
いのちの影が
揺れて
ろうそくは消え
ただ
うだるような暑さが
ひとびとを圧し
広大なビル郡は
光を
反射し続けている
地中を
水が流れ
小さな
小さなわたしたちは
しめやかに
根を張り
その上に雪が積もる
最新情報
yuko
選出作品 (投稿日時順 / 全25作)
- [佳] G (2010-05)
- [優] Ending (2010-05)
- [佳] 式日 (2010-06)
- [佳] 散華 (2010-06)
- [優] a piece of (2010-07)
- [佳] まいそう (2010-07)
- [佳] 動物園にて (2010-08)
- [佳] 夜 (2010-09)
- [佳] 系統学 (2010-09)
- [佳] インテリジェント・デザイン (2010-10)
- [佳] ひかり (2010-10)
- [佳] 風切羽 (2010-11)
- [佳] あなたへ (2010-11)
- [佳] spring (2010-12)
- [佳] 花々 (2010-12)
- [優] 着床痛 (2011-04)
- [優] 春と双子 (2011-04)
- [佳] どこにも行かないと答えた (2011-06)
- [佳] ギロチン (2011-07)
- [佳] 旅路 (2011-08)
- [優] 風切羽 (2011-09)
- [優] Detritus (2011-10)
- [優] 石榴 (2012-02)
- [佳] 水晶 (2012-04)
- [佳] 冬の虹 (2012-11)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
G
Ending
紺青にけぶる空を薙ぐようによぎる、小型の戦闘機は燈色に燃える閃光をつれて。ゆっくりと浮き上がりはじめた海面に、硝煙にむせた妊婦たちが次々に溺れていく。あなたはやわらかな耳朶をふるわせて魚道を探す。冷たい海のそこを、天色の目をしたこどもたちがパレードのようにつらなって、透明なからだに透ける無数の静脈がふつふつと、沸騰しているよ。きみたちの削ぎ切れた甘皮がビルとビルのすきまをやさしく埋めていく。
*
白い鳥たちが残した羽を、ひとつひとつ空に、縫い付けていく配達夫たちの横を、僕はパラボラアンテナを背負って、そうだね、今世界は一番綺麗だと、つぶやきながら階段を昇っていく。平らかな海にぶつかって、つぶれる骨の音は新しい光のために。ねえ、そこでここで、高い建物から順に、倒壊していくのが見えるよ。海面は上昇をつづけ、境界がほろほろと崩れていくせかいで、ぼくの輪郭もまた螺旋状に崩れていき、行き場のない悲鳴がそこここに反響している。
*
弱いピストルが銃声を鳴らして。無数のあなたが空へ、飛び立っていく。乱立するビル群がうす青く発光するので、たまらなく飛び降りていく生き物たちの、鼓動が僕を抱いて、もつれた足を甘く噛む。耳の奥底を水が流れる音が聞こえるかい。海面の暗さがあなたの瞳に似て、反射する赤い光に僕は誘い込まれてしまいそうで足をはやめて僕は、海の深度をはかる正確な計器になる。
*
空を切り裂いていく、あなたがよく左耳につけていたピアスのような形の舟までもが飲み込まれていく海に空に朝に夜に。こどもたちの隊列はよりいっそう長くうねり、その熱が海をぼこぼこと唸らせる。浮かんだ妊婦たちの放射状にのびた髪は色がぬけてまるで花のようで、僕の背中のアンテナは狂った電波ばかり受信してもう使い物になるのかもわからない。瓦解するせかいの音がこだまする、僕たちの終焉を抱いて。
*
あなたを越えて僕はここでさいごの生き物でありたかった。戦いを終えて着床したばかりの精子たちまでもがみな死んで、あらゆるが破水して羊水がせかいを埋めていく。そうだ、僕たちははじめからだれもゆるされてなどいない。そんなことははじめからわかっていたんだよ。目の端を彗星がよぎる。すべてが壊れて今、あなたの鼓動だけが耳に遠い。
式日
古ぼけた
街並みは静かで
ここでは
失われたものばかりが
とても美しい
夜のほとりを歩く
わたしは白い服を着て
広場には
踊るひとがいて
その中央には
赤々と火が燃える
わたしは
髪を切り
投げ込む
それが燃えるのを眺めている
ここには
昼がなく
炎のリズムが
いわば時間であった
広場を越え
どこまでも続く街灯が
通り過ぎるたび
消えていく
そして失われたものたちが
ふたたび失われ
それはいつまでも美しかったと
白い髪のわたしは
言うのだろう
散華
夜を解体するあなたの腕が、こまやかに分たれて腐食していく、長い髪が放射状に散らばった水面に、月がぬらぬらと白く光っている、その胸に穴があいて、ぽこりぽこりと音がする、潮が満ち、その陰でひそやかに花がこぼれだす、ひとつふたつみっつよっつ、とお、
わたしはそこに横たわったまま
浅く目を閉じてそらをみている
死んだ生物が群れて、あなたの下腹部を泳ぎまわり、どうしようもないのに腐臭がする、海は荒くなにかを隠すようで、泳ぐ指さきが熱をもち、震える、壊れはじめた夜の破片が、音もなく沈み、消え、そしてまた花がこぼれる、ふたつみっつよっついつつ、とお、
ほしが墜ちるその
おとをわたしほんとうは聞きたくなんてなかった
銃声のかげで不完全なひとが泣きながら笑っている
べとべとになったわたしの首をそのよごれた手で絞めて
そのまま海に沈めてください、夜は
解体されつづけている、花が咲きそしてこぼれみっつよっついつつむっつ、とお、
わたしの呼吸がとまる
そのときまで眠りにつかないでいて
水面がぼこぼこと沸きあがり、弾ける泡が悲鳴のようだ、あなたの両足はしだいに感覚を失い、もう境目がわからない、その腹は大きくふくれ、空間を時間を圧迫する、欠けた夜はもう夜ではなく、そしてまた花がよっついつつむっつななつやっつ、とお、
息ぐるしさをかかえ
ながら強く祈り続けていたのは
妊娠線がはりめぐらされたからだを、解体された夜が解放する、こぼれつづける花に、ゆっくりと水面が閉じていく、その中心でわたしたちは、つぎつぎにほしを孕む、むっつななつやっつここのつ、花を手向け、とお。
a piece of
雨の廊下/
翻ったスカートの端が、窓ぎわに咲いた紫陽花の憂鬱を掠めとっていく。放課後の学校。トランペットの練習の音や、野球部が階段を登る掛け声が、校舎を生温く満たしている。誰もいない教室はひどく静かで、昼間の喧騒を吸い込んだ黒板は、すこしだけ汚れたまま。雨の音に紛れて、袖口のホックがせわしなく瞬きを繰り返す。
―いやだよ。
どうして?
―だって、。
どうして?
―だけど、
/その日は雨が降っていたから、渡り廊下は封鎖されていた。いつもなら通らない階段の踊り場に、俯いた背中が残った。水浸しのグラウンドを、雨粒が激しく打ち続けている。いくつもの歪みが、あらたな歪みにかきけされて、側溝はいまにも溢れてしまいそうだった。
―違うよ。
そうだよ。
―どうして、
あなたは
嘘ばかりつく。
―信じてくれないの。
黙れよ。
あなたは
どうして
そうやって僕を苦しめるんだ
/また、何もいえなくなる。いつもそうだ。本当に大切なことは、言えない。誰もいない階段に、足音がやたらと響いて、足取りを重くさせる。しらない女の子たちのかばんで、色とりどりのマスコットが揺れている。角においてある観葉植物には、白い斑点ができてしまっていたから、うなだれた葉に、霧吹きをひとかけする。
階段を、 (いったいそれは
一段 (なんのために
一段 (必要な
昇る (プロセス
―足が震える (であったのか
一段 (わたしはあなたの
一段 (なんで
―繰り返す (あったのか
/プロセス ― すんだ湖のなかから、丁寧に、ひとつひとつさらっていくそれを、うすく広げて、太陽にかざして、幾重にも膜を、張って、わたし/あなた、は、生まれることができない、よるに、からだの先からすけていく、もう、区別がつかない、わたし/あなた、と、その癒着した、部位とが、透けてみえる、対岸に手を振る、けれどだれもこたえてはくれない、だれも、だれも、だれも、/
後ろ手にドアを閉めるわたしをみて、あなたはいつも嘲るように笑う。その瞬間にこわばったわたしの体を、あなたは壊すように、触れて、熱い
/のです。あなたは、いつも熱くて、わたしは頭から爪先まで透けていたはずなのに、いつの間にかからだじゅうが熱を帯びて、火をふく。そしてあなたはまた冷たい目でわたしに触れて、わたしはどうしようもなく謝りたくなるのです。泣きながら謝るのです。そしてあなたは、再び微笑を浮かべながら、わたしを抱いていなくなってしまう。
―あなたは何もわかってないんだよ。
―あなただけわかってくれればいいんだ。
―あなたは何を考えてるの。
―あなたは、
―あなたは、
、
わたしは、/
廊下を通り過ぎていく、幾人かの足音と、笑い声。学校の風景。ねじれた腕が空中で切り抜かれてそとへと開けていく。教室の真ん中でわたしはひざをついてぽつんと座っている。教室の出口が、遠い。あなたはもうどこにもいない。どこにもいない。どこにも、いない。/
まいそう
よるの砂浜に。わたしははだしで、かいがらをあつめている。しろいゆびさきがかさついて、ひびわれに砂がまじる。爪さきにも砂がはいりこんで、こするとぽろぽろとけずれていった。かいがらをみつけるたびに、冷たいみずで洗う。それからそっと壜につめて。ふたはしない。あしくびのアンクレットがしゃらしゃらとなって、そのたびにほしくずがおちてくるような気がする。そらをささえる無数のあおじろい手首が、そこかしこで松明をかかげ、星ぼしを繋ぐあわい糸が夜空にうかびあがる。
***
手すりのない螺旋階段を、かれらはのぼっていく。うみのそこから、そらのかなたへ、夜に紛れ。アルビノのうさぎが、かれらを先導していく。その赤いまなざしが、雲間を照らしている。潜水艦のサーチライトみたいに。かれらには、ゆびがなく、あるいは、むねがえぐれ、あるいは、みみがふさがれ、あるいは、めがつぶれ。それは、生まれたときからのものかもしれないし、しだいに失われたものかもしれない。そうしつによって、完成されたこどもたち。夜明けにかれらは、いっせいに身を投げる。欠けたつきに祈るように。うみはゆっくりと満ちていく。色素のうすい髪がみなもにひかる。
***
わたしは、かれらを知らず、かれらも、わたしを知らない。わたしも階段をのぼって、砂浜を離れる。それからひらべったい岩のうえで、かいがらを細かくくだくのだ。それをまた、壜につめて。かえりみちはいつも足のうらが冷たい。そっとへやへもどると、かいがらたちを、いちまいいちまい、棺のうちがわにはりつけていく。なにがここに葬られるのかは、まだ知らないけれど。いつのひかこの棺は、かいがらに埋もれてしまうだろう。気がつけば、アンクレットは塩水にすっかり錆びれてしまっていた。奇形児たちの身投げにわたしは声をもたなかった。かれらが名前をもたないように。まいばん、棺にかいがらをはりつけていくこと、きっとそれが、わたしの祈りだった。
***
幾千もの舌が夜を白く磨きあげていき、せかいはあさをむかえる仕度をする。砂浜では、あおいはねの蝶が鱗粉をまき散らして、夜のふちを滑っていく。螺鈿の棺はそのふたを閉じ、わたしもまた名前をもたず、祈るすべさえあいまいなまま。うみに面した出窓をあけたら、あさやけはわたしたちの影をふたたびつよく焼くだろう。わたしたちは、どうしようもなくゆるされているから。いつかえいえんまで、舟をこいでいこう。せかいじゅうのわたしたちにひとつの名前と、ねがわくば一輪の花をそえて。
動物園にて
それにしてもここは人が多すぎるかとおもうの、なんていいながらきみは象のおしりを眺めている。日曜日の昼下がり。やわらかい干し草が消えるだけあくびをして、スニーカーのかかとがきれいなきみは、まるで今ここで生まれたみたいに見えるよ。九月の動物園はまだむっと夏のにおいがして、順路を示すたて看板は現在地が剥げていた。揺れるしっぽの先は、たぶん懐かしい匂いがする。気難し屋の女の子、ねえきみがいつだって少しばかり足りない。
夜の果てるところに向かって旅立って行った友達が
知らない人に混じって僕の肩をたたく
こうやって生きてるのもそんなに悪くないよって
どこかで聞いたようなことをいって笑う
はじめてきみと動物園に来たけれど、好きな動物しか見ないなんてことは今までまるで知らなかった。「世界の猿たち」も、「鳥の楽園」もきみは横目に見ただけで、立ち止まるひとたちを尻目に、僕の手を掴んでぐいぐいと歩いていく。ペンギンのケージの前で、ようやく足を止めると、あの皇帝ペンギン卵を抱えてるよ、と歓声を上げた。どうして彼らは飛び降りるのを躊躇するんだろうと、ぼくは思ったけれど、考えてみればぼくたちも、そんなに変わりはなかった。彼らは水槽のなかで自由だ。
少しずつ骨がずれていく感じがするんだって
周りのひとたちがみんな同じ顔に見えて
交差点で信号が明滅すると死にたくなるんだって
そういえば煙草を吸っていない友達を見たことがなかった
順路に沿って坂を下りていくと、そこは開けた平原で、いくつかの動物たちが優雅に木陰で休んでいる。ここにいる全部の動物の名前を、僕はたぶん言えない。焼けたアスファルトの上を、ベビーカーが転げるように走っていく。その後を慌てて追いかける女は、たぶん彼女の母で(ベビーカーはピンクだった)、アイスクリームを持って呆然と眺めているのが、ぼくだ。きみはただキリンの首筋を眺めている。人間の首骨の数と、キリンの首骨の数は一緒だって、ねえきみ知ってた?双眼鏡で見たいの、ときみは一言呟いて、財布の中のコインを探す。
動物園に行こうときみが言って
その足でぼくたちはここへ来た
靴ずれしたかかとを持て余して
それでもどこへでも行けそうな気がする
夜
真夜中に電話が二度、三度鳴って
受話器を投げたわたしの
背中ごしに
夜が羽化されてゆく
ひとり部屋の片隅の
白いとかげは音もなく消えて
そこには彼の
からっぽのからだだけが残った
なんだかとても虚しいのだと
つぶやいてあのひとは
ゆう暮れに影を折っては
風の隙間を飛ばしていった
そのたびに
そらはいたずらに赤さを増して
わたしはただ押し黙ったまま
几帳面な指先を見つめていた
心臓が離陸する
そのときまで
日捲りのカレンダーを
気まぐれにめくり数をかぞえ
夢のなかをとかげが横切っていった
まどろみの境目で
彼のしっぽをちぎって
透明な壜に詰めた
変われないのは変わりたくないからだと
言ってあなたは
清潔な衣服に
きちんとアイロンをかける
わたしは台所で
割れたガラスを齧りながら
エプロンの紐を解いて
毀れだしたことばたちが
壜の中でからからに乾く
すこしずつからだが
かたむいて平衡化している
朝焼けに
電話線の隙間を
さかなたちが泳いでいくので
流れていく血脈に
利き腕から死んでいく
そして夜の底が
音もなく流れていく
夢を見る
系統学
月のない夜に
忍び込んで
心臓を手繰りよせる
手紙に宛先はなく
靴はきちんと揃えて脱いだ
扉には
呼び鈴がついていて
ひたひたと影が付き纏う
開け放たれた窓と
俯いて針を刺す母親
父親ははじめからいない
食卓で
夕飯が湯気をたてる
だれか蚊取り線香をつけて
明日は雨
間違えないで
私には君がわかる
だからお食べなさい
霧が立つのは
まだ少し先のこと
封を切る鋏
がしゃがしゃと
乱暴な音
目の上に傷
溜まる影
「ただいま留守にしております」
いいですか
ここにあるのは
比喩ではありません
対話でもありません
順番に
床板が傾いで
夜鷹の目が洗われる
書きつけられた文字が
読めずにいる
明け方
隣の家で
両親の首が落ちる
割れた爪先で
だれかが心臓を毟り取る
でもそれも
まだ少し先のこと
まじないが
飲み下される間
インテリジェント・デザイン
紅海が干上がって
分岐するわたしたちの
背骨をなぞる
あなたの細い指が
たとえば追われて
歩いていくひとたちの
足取りのたしかさに
罅割れていくのだとして
あなたは誰でもなく
緯度の勾配に沿って
流れていく
血潮を速くして
あなたは
誰のものでもなく
誰でもなく
おかあさん、
あなただけがしるしでした
そこは暖かな海で
わたしたち手をつないで
毒を飲み込んで生まれました
甘やかな隊列で
夜を越え朝を越え
氷河期のこどもたちは
石を打ちつけて頭を割った
たとえば追われて
歩いていくひとたちの
足取りのたしかさに
失われた色覚細胞が
瞬くことはなくても
わたしたちは誰でもなく
緯度の勾配に沿って
流れていく
血潮を速くして
骨盤の関節が
すこしずつほどけていく
夜明けに
罅割れた大陸を
舟で渡る
ひかり
水銀灯に群がる虫たちの祈りが、浅い眠りを引き延ばしていく。夜の有効速度をとらえた複眼の瞳と、加速していく世界とが擦れあって、白い花びらが舞い散る。萌黄色でふちどられた半透明の羽が、ざわざわとあたりをしならせていく。同心円状にひろがっていく光の波に世界が色を変えて、ゆらゆら揺れる。
***
世界をつつむ、やわらかな光。舞い降りていく、花びらと世界の狭間を、私は歩いている。夜の冷気が、喉元を優しくひっかいて、通り抜けていく。道端の水銀灯を曲がると、小さな公園があって。塗装のはげかかった黄色いアーチを、少しだけ屈んで通りぬける。息をとめたまま進んだ。公園の一番隅っこのブランコに、遠慮がちに腰掛ける。ここにはもう、水銀灯の明かりは届かなかった。小さく体を揺らすと、ゆらゆら、ゆらゆらと、白い吐息が夜の羽ばたきに紛れていく。ブランコの揺れにあわせて、夜の住宅街が揺れる。ぽつぽつと明かりのともる家々と、工事中のマンション。このまま、どこかへ突き抜けてしまいたいような。そんな気持ちで、ブランコをこぎ続けた。一番高いところで、手をかざす。白い花びらをひとつひとつ、受け止めていく。
***
「簡単な、ことだよ。」
あなたはそういって駆け抜けていった。簡単な、ことだった。あなたにとっては、簡単な、ことだった。幾度となく繰り返してみる。簡単なことなのだと。
***
心臓をすり抜けていく無数の視線に、闇が増幅されていく。ポケットのゴミを投げ捨てて、ライターに火をつける。少しだけ滲んだ夜に、ブランコからふわりと降り立ったあなたの顔が一瞬、膨らんだスカートがうつしだした風のかたちみたいにうかびあがって、消えた。小指の爪にだけ塗られた赤いマニキュアを弄りながら、あなたは千切れた色紙みたいに笑っていた。震える指先からなにかが飛び立って、取り残されたブランコだけが世界をくゆらせていたあの日に。あなたは、あのマンションに登って、どんな顔をしていたのだろう。律儀に靴をそろえて、指先さえもみえないほどの闇をいったいどんな気持ちで、突き抜けていったのだろう。あの日から、マンションの建設作業はストップした。ふいに鳴り響いた救急車のサイレンを、私はまだ覚えている。サイレンの光は、ライターの光なんかよりもずっと強く、夜を滲ませただろう。熱を孕んでとけて、こぼれおちた世界の輪郭はもう、元には戻らない。
***
まどろみの底で、
鳴り続ける、
音に、
耳を塞いで、
許しあった指先を、
虫が這う、
散り続ける、
花が、花が、
季節が、
巡り。
あなたを
忘れない
ことは、
出来ないかもしれない、
***
小さなころ好きだったメロディーを口ずさむたびにあなたは日常の色彩にまぎれていくから、そのたびに慌てて息継ぎをして、そのたびに私はどこまでも空に、投げ込まれていく。眠れる夜の淵から、もつれた足先がゆっくりと沈んでいくのを、点を重ねるたびに、ゆっくりと小さくなっていくのを、わたしはただ見つめ続けている。わたしたちの眠りの果ての果てで、あなたが振り返ったような気がした。かすかに、頭をさげたようにも見えた、胸元のファスナーをつかむ。左ポケットをまさぐる。自転車の鍵がジャラジャラと音を立てる。どこにも、どこにも。ひとりでは繋がれないんだよ。ブランコから飛び降りた瞬間に見えた、小さな隙間。振動する世界の裏側で、あなたは、
今。
一歩を踏み出した瞬間から、指先の熱が奪われていく、耳の奥で鳴り続けるサイレン。近づいたり、遠ざかったりしながら、少しずつ皮膚を傷つけていく、ブレーキの音。どこか遠くで、消失しゆく光と、ふたたび生まれゆく光とがかさなりあって、色をかえながらゆらゆらと流れていく。いつだって世界はおなじように生まれて、死んで、あなたの横でわたしは小さなこどものようだった。わたしたちのてのひらが、広げられることで、わたしたちははじめて、世界と、交わった。交わることが、できる。舞い散った花びらが、深海をおよぐ小さな魚の群れみたいな、ひかりが、
みえる。
花びらを噛む!
ゆっくりと今、ほどけはじめた夜にいくつもの光が縒りあわされて、空をささえるひとびとの呼吸のほつれへとあみこまれていく。無数の虫たちの祈りに螺旋をえがいてまきこまれはじめた花びら。そのきしみに、小指の爪が割れる。虫たちは一斉に水銀灯から飛び立ちはじめた。虫たちの羽音がはじまりのうたになる。きっと、誰もひとりなんかじゃなかったんだよ。わたしは、はじめて泣いた。簡単なことだ。あなたは、ここに、いる。わたしは、生き続ける。
***
白い花びらを手向ける。太陽のしずくに溶けはじめた世界を、踏みしめるごとにあたらしいひかりが生まれていく。ゆっくりとわたしは走り始めていた。ポケットのちっぽけなライターを握りしめて。
風切羽
そう、
散らかった部屋
断片ばかりが積み重なり
ふいに背中
ぱっくりと、裂けて
僕の半身が
生まれる
夜に
羽ばたきの音が聞こえるか
暗がりで数を数えている
だれかの
指がたえまなく
折られ、
開かれ。
背中に
子午線が引かれ
地図上を
広げられ痛む羽で
教えてあげる
僕たちは二人ではない、
一人にもなれない、
腱と紐が
断たれ
崩れていく線形
はずされた意味のくびき
きみが生まれた日に
両親は雪像になった。
流れ出した血が
氷片を溶かして
飛び立とうとする運動の
間隙を
混じり合って流れていく
ぬらぬらとへばりつく
痕跡に
まなじりを決して
暗がりで数を数えている
だれかの
指がたえまなく
折られ、
開かれ。
質量だけ
くぼんだ部屋
流れこむ密度
断片を軸索にして
点滅する
血しぶき、
羽ばたきの影を裂いて
きみよ、
両腕を重ね
その骨を折る
視蓋にぶらさがった
嘘のような生き物の
生まれ
落ちていけ
あなたへ
拝啓
これは、私があなたに宛てた最初で最後の手紙になるでしょう。こちらはもう随分と日が短くなって、丁度今、夕暮れ時です。秋の冷たい風が銀杏の葉を染めて、歩道では銀杏がずいぶん潰れてしまっています。
窓の外に目を向けてください。アパートの正面にあたる道路では、バスから降りる人が列をつくって、ぞろぞろと行進しているのが見えるでしょう。列が列を作り、途切れることなくいつまで続くのでしょうね。其れを数えるのを生業にするだれかが、いると聞いたような気もします。
道のあちこちで動物が死んでいて、彼らの眼はことごとく白濁して、なにも見えないようです。あなたがたは彼らの腕を、足を、折り重ねて焼却場へ運んでいくのでしょうね。ただ生まれたというだけで、ただ死んだというだけで。
私は彼らの灰を、町中を流れていく川に撒いてあげたい。上流から次第に分岐して、網目状に張り巡らされた、約束のような川。舞いあがる灰は風に乗って、誰かの涙を取り戻すかもしれない。そうすれば彼らの眸は少しずつ透明になり、燃える炎の赤は血と同じ色だと、知ることができるでしょう。四角い建物から出る煙の行き先を、追うこともできるでしょう。同情はいつだって優しいから、私はそれが悲しいのでした。
燃えていく
骨は光
血は種
からだじゅうを風が
通過して
燃えていく
今この机には強い西日が射して、窓の外を直視することができずにいます。こちらはといえば、肺を悪くしてから、呼吸をするたびにひゅうひゅうと煩いので、先日、母が耳を落としてくれました。わたしたちはたがいの声帯を触り合って会話をします。首の据わらない母の口元を、きれいなハンカチで拭ってあげるのが好きです。彼女の視線はいつもすこしだけ右上にはずれていて、私は川の話をする。だくだくと流れていくものの話を。私にとっての母は、たぶん窓枠なのでしょう。
そして窓の外はすべてあなたです。なんて言ったら、あなたは驚くでしょうか。然し私は、これ以上のことばを持ちません。窓の外はすべてあなたですから、私は鍵に手をかけることができない。すべての穴という穴が塞がれて、ここはいわば結石なのでした。それがあなたのすべてを塞いでしまったらいいと、思いさえするのに、これを読んだあなたはきっとただ困ったように目を伏せるのでしょう。
私はこの町に生まれ、育ち、私の両親も、そのまた両親も、そのまた両親も、この町に生まれ、育ち。列のどこかに並んでいるのでしょう。川は道筋を変えながら、いつまでも下流へと流れ続けている。あなたの頬骨に触れたい、ですが其れは強すぎて、私の指先を焼いてしまうから。さようなら、この町には海がないので、私は流れつくことができませんが、ただ生まれ、育ち、流れ流れ、この小さな部屋でまた新しい命が生まれようとしている、
のです。突然お手紙を差し上げた理由は、これが全てです。
燃えていく
重ねられた
わたしたちの
空洞の
容れ物の
空洞の
身体
が
轍にばらまかれて
spring
電話線の意味を
問いただして
夜半、ここから
飛び降りていったひとの
春の
やわらかい風に
持ち上がった襟
かるく微笑んで
エスパドリーユの
網目をほどいた
彼女の爪は
とても
清潔な色をしている
街のあかりが
ひとつずつ消えていく
ねがわくば
いっとき
やさしくしたかった
だけの
わたしを責めてください
雨に濡れて
ふきこぼれた蕾と
坂道を上がっていくサンダル
屋根に鳥の巣ができて
睫毛が揺れる
ひとり
泣く
+と
−とが
溝をつくって
反射しあう空間で
息を吐く
わたしの肺には
ちいさく
穴が開いている
花々
森を抜けると、
あたりは一面の
花、が、光のようで。
手折る指先を責める
細胞が赤く染まっていく
ねえきみ、
馬鹿げているだろう
こんなにたくさんの花を抱いて
足を引きずって歩くのは
いいか
誰もゆるさなくていい
骨のない傘を
刺すことも
掲げることもない
透明化した組織に
骨が青く透けて
蝶の羽ばたきが
止まることはない
左手が裁断する
右手は縦断する
溶けていく箱舟を
祈ることはない
眠らない
土壁が崩れていく
呼吸のように
音が漏れる
ねえきみ、
馬鹿げているだろう
こんなにたくさんの花を抱いて
それがきみには見えなくて
森を抜けると
あたりは一面の
花、が、光のようで。
手折る指先を責める
のは、誰なのか
きみの森に火をかける
そして焼け跡で
金属を拾って
溶け残った骨を
植えたなら
ぼくはきっとすべてではない
たましいよ
漱がれていけ
光あれ、
花は生まれない
着床痛
とても遠い丘で
横たわったわたしは
したばらに針を刺し
水を抜いていきます
草原の羊たちの
やわらかい角は
生まれたての
うつくしいままでしょう
まだ生まれていないあなたのために
月かげさやく
目をとじ
耳をすませると
羊飼いの笛が
辺りを
振るわせるのがわかります
そして星ぼしが
ささやく宙のしたで
生んだはしから忘れてしまう
ことばの
えいえんを抜き差しする
指先にかびが生えて
幼子は
いつだってかんたんに負けてしまうことを
そしてわたしたち、
ほとんどがみずで
それがなければ生きてはいけないのだと
知っていました
から
だれか
足を(角を)
折ってください
まなざすとぶよぶよと
揺れる天球は
粛粛とまぶたを落とし
熱を帯びた
わたしのからだは
溢れんばかりの
水を抱いた草原です
すべてのきざはしに
耳を空向けながら
よわい角が脱皮して
赤い伽藍を
破る
日が
昇るその前に
笛の音とともに去ってゆく
羊飼いはさようです
わたしはここで
手を振り
すべての海が
今ここに
集う
遠心される
呼び声を軸索にして
まだ生まれていないあなたと
わたしだけが残る
頬をみずが伝う
春と双子
雪解け
の真みずを飲みほす母は
耳もとに咲いた
花をついばむ嘴で
ちいさな足に
生年月日を刻印する
とんとんと、
角灯を倒していく
降り立った
ベランダで冷たくなった
少女たち
網膜の欠損した
わたしたちの眸
閉ざされた境界に
集約された嘔吐の
王国
ごくごくとのどを鳴らして
雪がれていく
残照
わたしたちは、
花の名前を知らないまま
春が来ます
しあわせの羽を落として
どこにも行かないと答えた
あなたの暗がりから流れ出した
川が
ひたひたと
部屋を出て広がっていく
酸素呼吸をつづける
さかなたちの鰓が
開いた
やわらかさを知らないままに
まなざしと真みずの
接合面
に、ふれて。
聞こえてくる芽吹きの音を
吸い上げるまるい
おなか
(こぼれる、
撫でていく手のひらの
数をわたしだけ覚えている
排水溝から溢れだした
ひかりを
瞼ごと捨ててしまって
ベランダでたばこをすう
たなびく粒子たちに
手首の青みをあげる
真夜中の台所
包丁の刃線に
感光するフィルム
露出度をあげた
のは、
(わたしではない、)
わたしで。
気がつけば
足の爪さえひとりで切れない
アイラインを細く引いて
まなざしから生まれてくる
はだは鱗に覆われていて
どこにも行かないと答えた
春を踏んで歩いていく
ここは一面みどりです
あなたの
水脈を吸って
ギロチン
ここはとても静かで
足先をつたが這う
ふいに
吹く風に
あなたの
くるぶしが露わになり
血管が脈打つ
その
とき、
音
にならない文字が
空間を壊して
耳元に咲く花に
口吻を差し入れた虫たち
風にこぼれていくスカート
せわしない羽音と
振動が重なり合って、
速まっていく
予感、
ひかりを、
反射する水面は
氷壁に覆われていく
ざくざくと
歩いては
爆弾を埋めた
足に
絡まりあうつたのような
足
からだじゅうを
流れていく冷たい
血液
が泡立って
わたしは
地平線よりも低い
眠りにつく
音
などしないのだ
よ、きみ
に弾け飛ばされた眼球が
ぐるりとあたりを見回し
て、
いる(切れた血管と
はだかの真昼
)壊れて、
倍音の夢をみる
夜明け
に
もげた両足を
結わえ
きっと誰も悪くないのだと
死ぬ
ごとにわたしの
水位が下がり
あなたには
もう瞼すらなくて
なにもかもが明るい、
夜を、
待ち望んでいる
ここはとても静かで
足先をつたが這う
あなたの
スカートをまくりあげた、
爆風
を、掴んで
飛んでいく虫たちは
きっと
春の身振りで
氷壁を溶かす
艶やかな髪先を落としていく
旅路
予め
蕾は刈り取られていた
頭上を
越えていった
鳥の名前を知らない、
車輪のあとに立ち尽くす
わたしの肩を抱いて
そっと
目を伏せたあなたの
手と、
手を
重ねると
波の音がするね
ほら、
あなたのうなじから
流れ出した川が
ゆるやかに大陸を二分していく
わたしを
蝕んでいったものたちを
みんな同じだけゆるしたい、
いつわりの
切符を切る
たび
サファイアの花に
指先がきれてしまうけれど、
真夜中の台所で
針を刺し
縫いつけた子宮で
夜明けに
開く花を捨てた
先は
果てのない海で、
わたしは
人間の
空どうに根を
はり
空をおよぐさかなでした、
足元の
泥が
やわらかく
あたたかく
湯気のなかをほどけていく
わたしたちの瞼に
そっと
ひかりが落ちる
蕾を
刈り取る指先の
止まる
たび
おかあさん、
それでいいのだと
扉をあけるしぐさで
何度でも呼びかけたい
耳元の窪みに
ぴたり
張りついた
水脈はゆたかで
初夏のみどりが
またたいて
揺れる
遠い夏がかおる、
風切羽
そう、散らかった部屋。僕の体重に沈むクッション。回転する夜の底から、聞こえてくる羽ばたきの音。反響するサイレンと、赤い光に祀られた地球儀。骨の浮きそうな、肩。世界をデッサンする指先が、背中に子午線を引いて。ねえきみ?こんな夜に生まれてくる、僕の半身。
暗がりで数を数えているだれかの指が、絶えまなく折られ、開かれ、瞳の奥底を流れていく赤い河が擦り切れたフィルムを焼いた。記憶され、失われ続ける思考が、自らの尾羽を引き抜いていく。川面には、数えられるものだけが浮かび上がって見える。湿った堤防をずり落ちていく足跡。あらゆる名前と、その内包する断層が、象徴を結実していく夜。ベランダで星を弾いて遊ぶ、足元が見えない。
暗闇に溶け込んだグラス。机の上に投げ出されたコンパス。地図上を広げられ痛む羽は、僕のものではない。彼のものでもない。腱と紐が断たれ、崩れていく線形。はずされた意味のくびき。
計量線が揺れて。増殖していく、影に境目はなく、一人ではない、二人でもない、細胞のかたまり。動的な平衡に抱かれ、柔かな心臓を握り潰した、両親は雪像になっていく。触れた指先の熱い、溶けだした水を飲み込むこれは、僕か。流れる体液の甘みは、誰のものだったか。名前が僕たちを裁断して、排泄された永遠。雹が窓を叩く、その音が神経を焼き切っていく。だれでもいいからはやく!僕たちの名を呼んで?ください!
暗がりで数を数えているだれかの指が、絶えまなく折られ、開かれ、回り続ける映写機はだくだくと流れていく。焦点が浅い写真と、欠損した完成図。粉々になったガラス。冷えた惑星の記憶を、辿る指先。地図に方角は記されておらず、これは僕か、君か、人間のレプリカがふたつ、涙を模して並んでいる、窓辺。飛び立つものだけが生きている。
羽ばたきの影が裂けて!さかしまの傷口を、象った護岸。質量だけ窪んだ部屋に、流れこむ密度。点滅する血飛沫の音。両腕を重ね、その骨を折り、朝が来るたび祈りの形を真似た。冷たい対称から、たなびく甘い煙。鬣の白い馬が、音もなく翔け上がっていく。雪解けを待たずに産まれ、死んでいった、僕。
Detritus
帰り道を失くした
舳先が
おびき出される
夕暮れに
糖蜜色に光る髪
ひとさじの嘘を垂らして
とろとろと
煮詰められた瞼
擦り切れた文字を
めくる指先
かつて、
翼のない鳥たちが
打ち上げられた浜辺を
洗いあげるために
花は捨てられる
足首に
浮かび上がる痣の
かたちを
地図と呼んで
折りたたまれた襞の
ひとつひとつを
ほどいては
やわらかなたましいの
所在を探した
韻を踏み
しだく足元に
揺れたくさり
沈められた心臓を
覗きこむ
舟上で
喉元を引っ掻いていく
やさしい風に
胸がすく
水面に
閉じ込められたひかりで、
反射された夜、
岩上から
飛び去った白い鳥たちの
長い長い尾羽が
波間に消えていく、
紅い花弁の
ひとひらひとひらを
数えては千切って、
折り重なった
死骸が
海岸線を滅ぼしていく
波打ち際を
歩いていく影を
踏んだ
なにもかもを愛したかった
海底に沈む
錨の夢
死んだ秘密を孕んで
涙の
透明度が失われていく
石榴
真夜中の底に座ったまま、やわらかい悲鳴が澱になって、沈ん
でくるのを見ていた。張られて赤く染まった頬を覆っていた長い
髪が、絡まり合いながら水面に浮かぼうとしている。「あなたが
思うより傷つきやすいんですわたしの、肌は」午前零時、壁掛け
時計の人形たちが一斉に踊りだして、わたしは電子レンジのダイ
ヤルを回し、眠りにつく。あなたは、時間通りに帰ってきたこと
がない。
真四角な部屋の隅で、ゆっくりと服を脱いで。すかすかのクロ
ーゼットに、ふたつ並んだ外套。降り続ける雨の音。「人間と人
間が交わって人間が生まれます」あなたが吊り下げた、糸はまな
ざしに変わり、わたしと、わたしの境目が、くっきりと切り分け
られて。細胞のひとつひとつが名付けなおされるとき、わたしは
ひどくあやふやな生き物でした。流れ出る血の沈黙を呑み込んで、
平板化する部屋のなか、つくりものの心臓が分裂し、肥大してい
く。幾重にも織り上げられたまなざしと、太い血管に突き抜かれ
た位相。
与えられた名前を胸に貼り付けて、右手も左手も差し出したの
は、あなたが好きだったからではなくて、わたしを否定するあな
たが嫌いだったから。金属の嵌めこまれた指の関節が、やわらか
く腐っていくのを、ただじっと見ていた。「あなたは弱いからな
にも聞かなくていい」背中の曲線に沿って、走る電流。リビング
に散乱する硝子の欠片を、ひとつひとつ摘まんで、子宮の壁に埋
め込んでいく。星が降ってくるみたいな、真夜中。最果てから打
ち寄せる暗やみの音が、首筋まで浸していく。
「ねえ、」妊娠したんですと、言わなければ良かった?衛星に
はこうふくが淀んでいて、だからあんなふうに霞がかって見える
んだ。手を繋いで歩いた、ぬかるんだ道の片隅で、頭上から降っ
てくるあなたの声は、まるでひかりみたいで逃げられない。唇を
固く結んで、黙って小さく頭を振ったわたしは、「ひとりきりで
守ればよかった!」「だれを?」まるで嘘みたいな!「わたしを
?」「生まれたかった、」わたしの、腹には石が詰まって
居て
ずっしりと重い
のです。ぱっくりと開ききって、平面化したわたしの躰を、通り
すぎていく人の群れ。目の前の世界が泡でいっぱいになっていく
ので、(見えない!)必死に洗うあなたに「生まれてほしかった
?」だれも望まないだれにも望まれない未分化のせいめいの美し
い瞳を、わたしは舐めとって(赤く錆びついて、)酸性雨に打た
れている。「ねえ、」「生まれなかった、」わたしは(あなたは
、)どこから生まれてきたのだろう。なにもかもがやさしい真夜
中の底辺で、金色に光る砂を浚った。
桜の芽吹く音を背に、山の中へ降りて行ったあなたの斜め後ろ
を連いていったわたしの足音はすこしずつ薄くなり、滝壺に落ち
て死んでしまった携帯電話の目がこちらを向いて震えたのを、覚
えています。ぷちぷちと音をたてて弾けながら虹彩みたいに広が
っていった世界の揺らぎを毒殺する(あなたの汚れた口元を拭う
)そうして何も生まれないわたしのなかはひどく静かでした、ま
るで光の届かない深い海みたいに。
水晶
さて、正面には
丸い机
中央の
銀皿にもられた
艶やかな葡萄と
止まったままの砂時計
どこからか
聞こえてくる通奏低音が
生きものたちの
瞼に影を落として、
りりり、と
電話がなって
振り返る
ここは人形の家で
(影のない、)
電話線の向こう側から
話しかけてくる誰か?(知らない)
誰もいない
食卓で音をたてる金属
うす暗い、
玄関から
蛇が入ってくる、
(床が落ちる、)
「父親と母親は双子で、
「地球儀を模る番い
「虹色の鱗粉を撒き散らす毒蛾
「産卵する、
「定点観測隊
「なにひとつ微分なんてしない、
歌う
唇を連れ去ったのは
ある
ひとりの幽霊
赤い
夕暮れを啜って
死んだ青魚、
テーブルクロスを引き抜いて、
君は
世界の
球形をけして
許さないといって
、消えた
屹立する電波塔
都市の抜け殻を
支える
平面
(ほどけて、)
しゅるしゅると
伸びていく尾を
呑み込む!
「生まれたときの記憶がない、
「転移した眼は見えない
「吃音
「色相環を指して、
「水面に飛び込んでいく
「離陸した心臓
窓際に
垂直に射しこむ影
泡立つ檸檬の午睡
視界の外れ
円卓が
ふくらんで
くらく、
同調していく旋律
(揺らいだ、)
休符
を求めては
絡まり合う足、
(電波!)
手を伸ばし
皮ごと
口に放り込んだ葡萄が
ぷちん
とはじけて、
食卓に並んだ
人形たちはみな
ぽかんと口を開けている
(逃げ出した、
(色とりどりの、
(たましい。
ひかりを追いかけて
伸びる蔦が
(帰って、
いつしか脊髄まで覆っていく
(おいで!
目の端を通りすぎる
彗星を追いかけて
気が
付けば葡萄畑の真ん中で
(燃えてる?
その
ひと粒ひと粒が
浮遊する
(ゆうれい、)
君のなみだで、
見えない、
なにもかもが
見えない
眼球に舌を這わせ
(しょっぱい、)
広がり続ける
きみの暗闇を舐めとって、
(だれ?)
(ぼくは、)
球体のなかに閉じ込められた。
(ゆうれい、)
なにもない!
朝、
(ぼくたちは、)
世界を
つつむやわらかな
眸
どこにもたどりつかない光
(さよなら、)
冬の虹
海沿いを走っていく列車、
やわらかい
頬骨をこすりつけて
栗鼠たちは火花の散る
なだらかな
夕暮れの背骨を齧ってしまう
今、とっぷりと
沈んでいくんだよ
あたたかなものたちが、
人差し指の先に
浮かぶ列島のみどりが、
虹彩に定着して
迷い子のちきゅうは
冬の軌道から逸れていく
降りしきる雪のつばさは
春の拍動をやさしむために。
あるいは、
軋むレールの冷たさで
水底に
骨の王国が建てられるように
また、
生まれてくるんだね
かるい水茎を
束ねて
あなたの背より高い
チェロの音が流れ出してる