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本田憲嵩

選出作品 (投稿日時順 / 全20作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  本田憲嵩




赤トンボたちが
飛行機のルーツのように飛行している
一日ごとに冷たくなる風が
透明に流れている青空の清れつさと
黄いろい木々の退廃を同時に包含している
秋の午後
パズルのピースのようにばらばらにちぎれた
みじかい溜め息と秘めた言葉の切れはしが
そのままに流されてゆく
うろこ雲がほそく連なっている
ぽろぽろと剥がれ落ちそうに
なりながら
やがて尾花のように垂れ落ちてきて
あからさまな諦めとなって
そうして、また、
ふたたびに円環する



この街の橋から見える海は
とても青く澄んでいて
この街の橋から見えるあかい夕映えはどうやら
世界でも三番目ぐらいのうつくしさ(らしくて)
橋をわたれば
かつて半年間だけ働いていた
あのホテルがリニューアルした装いで見えくる
さらに歩いて駅が見えてくると
いつも駅とオレは混交する

(古ぼけた駅は オレそのものだ
目の前にひろがる大通りの店さきどもは
生ぐさい潮風で錆びついたシャッターを常に降ろしてしまっている
この街の炭鉱からかつて採れた石炭は
もはやとっくの昔に時代おくれのものとなり
それさえももはや底を尽きてしまった
オレは半ばゴーストタウンとなった街の駅そのものだ
そしてそれ以下の存在だ
なぜならばオレの許なんかには
もはやだれ一人として訪れもしなければ
降り立ちもしないのだから
きょうも人々の詰め込まれた電車が
オレのホームの前をただただ通り過ぎてゆくばかり
視えもしないものを描きたがった結果が
ついにこれなのだ
オレはかつての昭和の栄光をとどめたまま
朽ちて風化した残骸だ
オレはもはや――)



部屋に戻って
机の上で履歴書を書いた
履歴書はいつも嫌いだ
本当に書きたいことは
なにひとつとして書けはしない
たった一文字だって
間違えることなんて許されてはいない

胸のなかで
ひそかに降り積もっている
許されていないことそのものへの
(どうして「?」)、という素朴な疑問符、
くしゃくしゃになった
何まいもの苛立ちが
クズカゴのなかにうち捨てられて
押し込められている
机の上には
小さな四角い写真の中で
写真うつりの悪い
写真の中の自分
ありありと見せつけてくる
見たくもない現実

レールを踏み外してしまった
あのとき
罅の入ってしまったものが
拳以外にもあったのかもしれない
なぐられた顔よりも
むしろなぐった拳のほうが痛くて そうして
ひび割れてしまったままの

屋根には霧雨が頻繁に降りしきる
読みあさる詩句さえも錆びてその色彩をうしなう


水精

  本田憲嵩


   1

やさしいきみはあまやかな声の中に居た
水のせせらぎの癒しにも似た音色
きみは水で形成されたうつくしい水精(ナンフ)だった
ぼくはひとつの水槽の中に入るように きみのなかに熔けてゆく
きみのからだはあるいはゼラチン質にも似て
ぷるぷるぷるぷる
ぼくの意識もゼリーみたいに きみに零れはじめる
やがて半透明に透けはじめてくる ぼくらのからだ
ぼくらの存在は まるでゆらめく蜃気楼のようになる
ながい抱擁
うしなわれてゆく平衡感覚
ついに上も下もなくなって
海に映えるさかさまになった高楼のような幻となる
そのまま水の中にいる
やがて
水の中に射しこむまばゆい光が視えはじめる――

   2

さわやかな朝
やさしいきみはあまやかな声の中に居た
水のせせらぎの癒しにも似た音色で
きみは水で形成されたうつくしい水精(ナンフ)だった


淡い水色の

  本田憲嵩

木製の昼の頭蓋の
硬さとおなじだけ
いつまでも揺蕩っていたい
すこしだけ曲げた
指さきと指さきとで
共有しあう
些細な、ひとひらの花弁をひとつの接点として
子供がつくった水色のゼリィーのような
たがいに繋がりあった
透明な旋律線
羽毛のような軽やかさに
いつも
釣り合わない握力で
その肩を掴もうとしました
うすいシャツを着た
顔のない、
あなたの後ろ姿は
なんにも書かれていない
淡い水色の、うすい便箋のようでした
とっくに賞味期限の切れた
あなたが綴った文字を消した
なにかを屠る行為にひとしい


融解

  本田憲嵩

いつも気になっていたのは
君の鼓動、
タイムリミットのある
運命みたいに
乱ざつに履きかえた内靴と外靴
しろくおもみのないものが
花びらの速度で降りつづける夜
水平線の見える
駐車場へと追いかけて
レールのように硬い鉄のかたまりを
万力で捻じ曲げるみたいに
たしかにこの手で
捻じ曲げたもの
けがれなく
ささやくように泣いている
釣り合わない握力で
掴みよせた
まるで白い綿のように重さのない肩
(ふわり、ポトリ、融けるように
言葉のない白い花びらは
君を愛おしむため
手のひらのやわらかな水平線へと落ちる


流星

  本田憲嵩

湿った黒髪の纏わりつく夜
子供のように無邪気な指先
で確かめる暗がりのなか憂
欝な鏡面のように光る素裸
のゼラチン質、顔を埋めて
息も絶え絶えに幾度となく
試みられる潜水、ふと見上
げれば目も眩むばかりの海
面を支配する赤い火の、あ
まい呼吸、その赤い反射光、
そのあとに訪れる打ち寄せ
られる岩礁のような死者の
ねむり、あおじろい浜辺の
うえの星月夜、口紅の広告
の艶やかさで幾重にも背中
に降り積もる顔の見えない
女のくちびるの星のタトゥ


黒魔術(改)

  本田憲嵩

メロウなサックス 黒いランジェリーの黒魔術
交錯するグラスの水晶の煌めき じっとりと焼
き爛れてゆく黒い蛇の腰つき そのすこし萎び
た手の冷やかさ 垣間見える策士の法令線 狡
猾な蛇の舌と舌 淑女は憂いがちに幸福のため
息を漏らし その自らの甘さに蕩けそうになる
やがて辿りつく脚の海岸 黒い花々の施された
レースの襞の波 まばゆい砂浜の腿 その波打
ち際で少年のように戯れる下僕 その皮膚を幾
重にも焼いていく熱風 その潮騒のようなリズ
ム うつ伏せに寝そべりながら 静かに打ち寄
せられてゆく もはや焼け爛れる岩礁の人 そ
れを鳥瞰するかのような 切れ長の妖艶なまな
ざし そのながい睫毛の黒い計略 落ちて砕け
るグラス くらくらと贋の光による眩暈の陶酔
寧ろ悦びつつ その昏さに沈みこんでゆく――
段々と彼女はしなやかな黒豹へと変化してゆく


星星

  本田憲嵩

過ぎていった季節を常夜灯のように思う
わたしは揺り椅子の二つの脚に停留の錨を下ろし
アンテナの代わりに
机のうえの海に花瓶と丈高い花を置いて
自分のなかの未知なる惑星を探りだす
(わたしは丈高い花がやがて丈高い女になることをはげしく夢見ている)
暦が痩せほそってゆくような
孤独という肌ざむさが
自分とぴったりと重なりながら椅子に座って
白いままの紙の上でその白い手を悴ませている

とおく
漁船のエンジン音が
氷づけになった星星を振動させている


夕暮れ

  本田憲嵩

夕暮れどき
一日の仕事を終え
石段を弾むようにかけおりて
家路へと急ぐ、うしろ髪を簡素にたばねた初老の少女
時刻を告げるためのモノラルのスピーカーが
懐かしい音楽の一節で
夕暮れのあたり一面をよりいっそう強く燃えたたせる
太陽は沈みながらも赤く膨張する
それはまるで、これからおとずれる夜に向けて人々の胸に
火を灯すために

だれもいない小径
注がれる赤い陽だまり
そこにいる筈だった
つないだ手と手、
視線はときおり
黄色い蝶のように移ろって、
きゅっ、と
そのやわらかな手をつかみ取った
太陽は沈みながらもさらに赤く膨張する
はげしさに、かがやく、それは命だろう


夕暮れ時に

  本田憲嵩

この夕暮れ時に、ひとときの安堵と寂しさとのあいだで、わたしの瞳の中を泳ぐ、俎板のう
えのかなしい子魚たち、時のながれをさかのぼるように、わたしの水面を掻きみだす、台所
に立つ萎んだ母の背中、澄んだ水道水のかぼそいせせらぎ、揺らめいてガスコンロの火さえ
も寂しげに、小さな四角い窓からは、まだ葉をつけていない冬の裸の老木、木はたとえ倒れ
ても春になれば葉をまた茂らせることができるのだと、信じたい、あるいは、西の窓から滲
む紅のまぶしさと温かさのように、包みこむことができるのなら、このような夕暮れ時に。


ダフネー

  本田憲嵩

   1

水のせせらぎのかぼそく落ちてゆく音の
さらさらとそよぐ 細い川が立っている
あるいは川面に映る 黒髪のなびく樹木の体幹
水面を揺らす風の冷ややかさでつるりと象られた
細ながい球根の輪郭だ
その黒い枝葉は 星の川で 夜の森の奥底へと接続されている
つやのある蟻のように瞳は円らで
まるで揺らめく水瑪瑙だ
そこにも小さな光の星が落ちている
川を下るように君という樹木を下ってゆく
苔生した
浅瀬のけぶる

   2

さらさらと
声の葉が いつまでもせせらぎ続けている
水のしずくのかぼそく落ちてゆく幹の
きらめく細い川が立っている


天体

  本田憲嵩


   ※

揺らめく瞳に湛えた
微笑みの奥から
さらに微笑みが湧き出ているかのような瞳
滾々とした
透明度の高いその水面の煌めきは
その青い瞳を通して視る世界に
含有されている
金色の星々を意味しているのか
いずれにせよ旺盛な好奇心によって翔びまわる
その青い水鳥は今
飾り窓の中に生えるドレスの樹木に憩う
その樹木に咲き誇っている
洋裁の赤い薔薇を煌かせている

   ※

その距離はほとんどない
対等という名の
おなじ高さにある
鼻の岸壁と鼻の岸壁
一つのレンズを通したように見つめ合う
青い瞳と黒い瞳
砂糖を塗したような覚束ない異国語と
練乳で精製された流暢な母国語が
蔓草のように絶妙に絡み合って
一つの渦巻く小銀河を形成してゆく
鏤められた小さな星星の花
その母音の豊富な微光
そのいくつもの煌めきと陶酔によって
天の川で膨張してゆく明日
乳製品の今日

   ※

強い香水のかおりがスパークする
昨日の情事を煌めく流星の速度で巡る
その頭髪の金星の強い反射率の残光に
かんきつ類が混じって拡がる鼻腔で摩耗してゆく
余韻のリラグゼーション
記憶の燃える小隕石が幾度となく観測される度に
スパーク・スパーク・スパーク!
そのたびに冷たく新発見される
二つの瞳の青い水星
不意にせまり来る
唇の薔薇のような炎星
そのように昨日の情事が次の情事に更新されるまで

   ※

ギリシャ風に白い天体が浮かび上がる
惑星の眠りから目醒めて
閉ざされた睫毛の黒雲が裂かれ
双子の青い衛星が鮮やかに観測される
その時を待つ
不意にレースのカーテンをひるがえして
朝の穏やかな気流が今
その長い睫毛を
吹き払うべき雲としてではなく
黄金の麦穂として
揺り籠のようにやさしく揺らしている
彼女の瞼の奥はもう一つともう一つ
それら青い星だけはでなく
今まさに窓の外で
黄金に輝く
あのひとつの太陽
陽が地平に沈み
やがてこの地球という惑星の約半分が
漆黒のネグリジェを纏うとき
彼女のもう一つの
もう一つの輝く眼は銀の月となる


ダフネー2

  本田憲嵩

つやのある蟻のような円らな瞳で、住みついている栗鼠のようにや
さしく微笑みかける。いま柔らかな月光によって冷ややかにコーテ
ィングされながら、か細く流れる川の音のようにやさしくせせらぐ。
日々の生活の滲みが暗い銀としてこびり付いている、その痩せ細っ
た肢体、黒髪の枝葉を腰の辺りまで繁らせて、しっとりと夜の川の
ように。あるいはさらさらと星くずの散りばめられた煌めく夜空そ
のもののように。穏やかな北風はいま、その見事な臀部を、よりい
っそう冷ややかな球根形に仕上げるため、澄んだ水面にやさしく唇
を濡らしてから、もう一度その臀部につるりと接吻してゆく。幾重
にも幾重にも。その肢体は逆さまになった樹木の蜃気楼として澄ん
だ水面にくっきりと映り込んでいる。妖しく揺らぐ銀色の月。やが
てその汗腺からうっすらと吹き上げる塩からい蒸気が股間の苔むし
た浅瀬の霧と交じり合って、よりいっそう深い緑の芳香を漂わせて
ゆくだろう。そのぼくらの秘密の周囲を取りまくように銀色に輝く
無数の川魚たちが勢いよく飛び跳ねまわることだろう。君という樹
木の体幹。川を下るように君という樹木を下ってゆく――


天気予報・初夏、二編

  本田憲嵩


   天気予報

まだ晴れている朝
片方の前髪だけ趣向を変えて
より露わになった左半分の肌色が
まるで新調の石鹸かなにかのように光っている
かつては他人の雨傘をほんの少しの間だけ
秘密の甘い果実として共有し合った事もあった
今は其々が其々の雨傘を所有し
玄関隅の円い傘立てだけが
朝の短いキスと同じくらいの空白で
二人の唯一の結節点である
その一瞬の深い夢から目醒める


   初夏

新しい季節は
昼の休憩時間に不意に訪れる
事務机(デスク)に寝そべりながら
その頭髪は午後の陽光にほんのりと茶色に透けている
まだ汚れも老いも知らない
化粧された瑞々しい肌と あどけなさの残る飴色い視線
抗いつつも
まだ着慣れないスーツのように馴染まない
胸の太陽の羽ばたき
そこには初夏のような熱い幸福と
光合成をする新緑のような活力が確かにある
(新しい季節が訪れる
開け放たれた窓から
そう予感する
空の、青い海に入道雲はひろがってゆく


ルナーボール

  本田憲嵩

二人だけの休日という貴重な一房の葡萄の果実を、ビリヤードの
褐色矮星として分かち合う。果実は混沌と混乱の銀河を巡って軌
道の覚束ない彗星となり、沈黙の時間を巡って遂には規則正しい
乱軌道の惑星となり、終いには枠外という宇宙の最果てを跳び超
えてしまった。

『ルナーボール』
というタイトルのゲームのことがなぜか思い出される。まだコン
ピューターの技術が今ほどに進歩していなかった頃に開発された
憂鬱なゲームソフトのことだ。どこか茫洋とした、シュールで索
漠とした雰囲気と近未来的な音楽とが印象的な、僅か8ビット程
の家庭用ゲーム機ソフトのことがなぜか思い出される。

戸外へ出ればいつの間にか葬送のようなどことなくしめやかな夜、
満月は夜空にぽっかりと浮かんでいる。冷ややかな月光にコーテ
ィングされて何も語らない彼女の後ろ姿の、それはそれは豊かに
波うつ黒髪はなんだかとても艶やかで、それはそれは美しかった。
窪んだ土の中に溜まった泥水には果実がゆらゆらと魂かなにかの
ように映りこんで。


潤い

  本田憲嵩

メーターが振り切れそうになる
一秒当たりの時間の価値だけが赤く高騰してゆく
それはたとえ休日とて例外ではない

はずなのに
具体的に何をしてよいのかさっぱり分からない
いつもの休日

夕方に近い
昼下がりになって
ようやくウォーキングがてら徒歩で外出する
歩道沿いの
石垣のある民家の庭から
撒かれるホースの水

それが服に少しかかる
花と樹木のためにも
さして気にしないようにして
乾いた歩道を再び歩きだす

(生活には潤いが必要
(でなければ心が乾いて枯れてしまう
(そして、栄養も

別の民家の庭では
家族が賑やかにバーベキューをしている
その赤い肉の焼けてゆく匂い

すき屋に行った
牛丼屋で頼んだのは茶色い肉類ではなく
赤いマグロのユッケ丼
独特の甘じょっぱいタレが効いていて
とても美味しい
そこへさらに醤油をかける
とても濃くて美味しい

身体と心が欲しているのか
「生きている」、
という確かな証を

生卵を土星のようにのせてから
ぐちゃぐちゃにかき混ぜる
そこへさらにもう一度醤油をかける

コップの水をがぶがぶと飲み干した
その間
時間にしてわずか十五分足らず
店を後にする

爛れるような夕焼け
のどが渇く


終末

  本田憲嵩

     ※

死の匂う、音を聞く。だいぶ疲れているのだろうか。考える人のようにソファーに座
り込んで、夕方に近い、昼下がりのつよい陽射しに少しうつむく。それは沈んでる、
僕の罪悪そのもの。不意に、朽ちた老木が倒れ込む寸前のような、あるいはそれは、
一家の没落への道に吹き付ける、ひとひらの風として、そのまま直結しているかのよ
うな、父の深いため息。

     ※

(この古ぼけた駅はまるでオレそのものだ。かつてこの市(まち)の炭鉱から採れた
石炭は、もはやとっくの昔に時代遅れのものとなり、それさえも底を尽きてしまっ
た。目の前にひろがる北の大通りの店さきどもは、生ぐさい潮風で錆びついたシャッ
ターを常に降ろしてしまっている。オレは半ばゴーストタウンとなった市(まち)の
駅そのものだ。視えもしないものを描きたがった結果がついにこれなのだ。オレはか
つての昭和の栄光をとどめたまま朽ちて風化した残骸だ。そしてもはやそれ以下の存
在だ。なぜならば本当はそんな栄光すらも何ひとつとして有りなどはしないのだか
ら。ただただ日に日に老いて朽ち果ててゆくばかり。あの幣舞の橋から見える、あか
い夕映えは世界でも三番目ぐらいの美しさだ。オレはもはや――)。

     ※

この夕暮れ時に、ひとときの、安堵とさびしさ、とのあいだで、時のながれを 遡
る、瞳の中を 泳ぐ、俎板のうえ かなしい、小魚たち、台所に立つ 萎んだ、母の
背中、そのように、拙く、頼りない 水道水は、かぼそく、揺らめいて、ガスコンロ
の火、さえも、寂しげに、揺らめいて。 小さな、四角い、窓からは、まだ、葉をつけ
ていない、冬の裸の老木、木は、たとえ倒れても、春 に、なれば、また、葉を、茂
らせることが、できるのだと、また 生きてゆくことが、できる のだと。あるい
は、西の窓 から滲む、紅のまぶしさと、温かさ、そのように、包みこむ ことが、
もしも もしも、できる のなら、
このような、やさしい、夕暮れ 時に、
もしも できる、のなら、

     ※

週末、太陽とともに、最後の炎を夕空に燃やしている、夕刻を告げる、モノラルのス
ピーカーの懐かしいフレーズ、祇園精舎の鐘の音のような近所のお寺の鐘の音、そし
て電線に集結しているカラスたちの焔のようにけたたましく赤い鳴き声、それらの音
が一斉にあべこべに混ざり合う。不協和音で構成されたきわめて短いひとつの曲を奏
でる。西窓から射し込んでくる赤い光に照らされている、子供のように老いた母、老
木のように老いた父、そして老いの戸口に立たされた僕、三人で丸いちゃぶ台で食卓
を囲む。「いただきます」まるで世界の終末の最後の光景、そのもののように。(西
窓から外界は、落ちてきた太陽によって、真っ赤に燃えている、燃えている、)。


あなたのせいという、陽だまり 二編

  本田憲嵩


   あなたのせいという

あなたのせいという
急速な風に吹かれて
青葉がつぎつぎと落ちるように
暦が落ちてゆきました

あなたのせいという
見えない伝書鳩が
ひと息いれる暇もなく
夏の星座の下を行き交いました

あなたのせいという
メロンクリームソーダ
あなたのせいという
金色の夕映えの中でたしかにつないだ手と手

そして あなたのせいとはいえない
このうすら寒い部屋の窓枠には
季節はずれの風鈴が
まだぶら下がったままで


   陽だまり

静止したレースのカーテンが夕陽をたたえて、切りとられた金色に
染まっているこの寂しさは、切りそろえられて強調されたおかっぱ
のうなじ、森の小径で縫うようにうつろう黄色いニ匹の蝶々、また
そのような視線、そそがれる陽だまりのなか、たしかにつないだ手
と手。きみの知りえない夕映えのわたしの色を帯びて、高い窓から
見おろすミニチュアのまち、観覧車の速度でおだやかな時間がなが
れてゆく、こびとになった恋人たちのはいりこむ、ちいさな街路の
迷路の世界、そして、レコードを回して此処に居てほしかった、や
わらかなみどり色のソファー。


水精とは

  本田憲嵩

生活には潤いが必要だったことについて
少しばかり語りたい
たとえば
星星や月に照らされて浅い川面に映える
逆さまになった細ながい樹木のような体幹も
おだやかな夜風に棚引くその黒々とした頭髪の枝葉も
すべては
昇る太陽と共に起床し 沈みゆく太陽と共に家路を目指す
規則正しい時計の針のような生活の中 寝台という名の透明な水の層に揺蕩って
性的な夢の波間からふいに漏れ出した 他愛もない
夢精のような謔言に過ぎなかったのさ
或いはそれはほとんど無限に近い精液の海から精製された
もう一人のボクでありながら
決してボクじゃないボク/もしかするともう一人のワタシ?
そうしていつも夜になると
ボクじゃないもう一人のワタシが居る?
しかし これさえもさして変わり映えしない単調な日常の牢獄から
振り子の原理さながらに
ぼく自身が編み出した
潤いという 膨らみに膨らんだゼリー質の半透明な夢の重し
生活の乾いた岩石と常に釣り合いを取るための 夢と現実の両天秤

水精とは
すなわち女性の瞳の水面(みなも)のように青く澄んだ僕のなかの潤いの結晶体
つまるところぼく自身がその水精だった
という訳なのさ


星星

  本田憲嵩

(記憶の夜空に浮かぶ
(過去の星星は
(幾億光年という長い歳月を経た
(客観性の強い光を帯びて――

つい先日 北海道全域が地震と停電に襲われた
ぼくの住むこの赤い夕陽の市(まち)でさえ
家屋こそ倒壊はしなかったものの
その夜は
夜よりも さら暗い
夜に世界は包まれ
そのひとときだけ観測できる
貴重な鉱物である星星を
首が痛くなるまで
いつまでも
採取して

そう 何度でも 何度でも

たとえいつもは視えないものだったとして
失うことでしか確認できないことをいつも繰り返して
いったいなにを得てゆくだろう

(客観性の強い光を徐々に帯びながら――


月精(あるいは湿原精)

  本田憲嵩

――逆さまに曝された流線型の細ながい肢体。澄んだ水面の白い後ろ影は揺れる。世
界でも有数の赤い夕陽は沈んだ。そののちに訪れる、この心地よい夜の冷ややかさ。
その臀部の心地よいなめらかさ。そよぐ枝葉のように質感のある濡れた黒髪にも、水
の星星は灯る。君という樹木の体幹。透明な空気はその間げきを穏やかに穏やかに吹
き抜けてゆく。
ただの一度としてついぞ開かれることのなかったとされている、その旧い水門、その
錆びた重い鉄扉がついに開くとき、うっとりと揺蕩うように誘いながら、蛇のように
くねりながら、蛇行する水の断面もまた、その月影宿した、球根型の見事な臀部に、
どこまでもどこまでも纏わりついてゆく。たびたびに飛び跳ねる水銀色の魚たち。躍
動する生命たちの煌き。あるいは月の欠片のような迸り。しだいに間断なく跳ねまわ
ってゆく――


そうして辿りつく。魚たちのオルガズムはついに頂点に達する。


その両生類のように暗く湿った彼女の狭い股間。黒い陰毛の換わりには粘性の暗い苔
がびっしりと其処に繁茂していて、むしろ彼女の夜の奥の奥、彼女の毛深い陰部その
ものであるものは、まさに此処、この黒い湿原そのものである。
不意に鈍行列車の汽笛が夜空たかく鳴りひびく。レールを滑ってゆく車輪の音と葉の
ざわめきが静かな伴奏のようにながくながく響きわたる。それを合図として、湿原の
咽せ返るような芳香は濃い霧と結晶して、銀に輝く月はその織りなされた神秘のヴェ
ールを棚引かせてゆく。

文学極道

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