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zero - 2016年分

選出作品 (投稿日時順 / 全22作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  zero

風が大気を弦のように鳴らしている
あるいは木管のように
この大気圏という巨大な楽器を吹き鳴らすのは
人間の息ではなく大風や大嵐である
天上の音楽とはあるいは
宇宙線が宇宙空間を吹き鳴らす音なのかもしれない

風が無垢な衝動を募らせている
衝動以前の衝動を生むもの
それが風であり
衝動が解放されるとき
風はぴたりとやむ
風によって昂ぶった大気圏は
その溜め込んだ衝動をもとに
今にも地上を破壊しようとしている

風に始まりはなく
風に終わりはない
風はどこまでも解釈され
どこまでも翻訳される
大気圏の風は人の内側を流れる気流として
人の精神を少しずつ育み
人もまたたくさんの風を吹かせる
何気ない勇気や慈しみ
その捧げられた手には風が吹いている


神経

  zero

あの街角にひっそりと立って
待ち合わせの標となっている一体の彫像
あれはむき出しになった街の神経だ
その敏感な裸体をさらしながら
人々の眼差しに貫かれ
あまつさえ人々にじかに触れられる
その度に崩れそうになりながらも
形をとどめ続ける街の神経

山は鬱蒼と神経を生い茂らせている
山に生える草木はむき出しの神経で
山はそれを隠すことを意図的にやめた
だから山は陽射しも風雨も敏感に感じすぎて
いつでも苦痛にあえいでいる
山の巨大な重量は草木の夥しい感受力を支えるためにある
山はいつだって崩れ落ちそうだ

私の神経は至る所に存在する
世界に瀰漫するエーテルのように
繊細に社会の波を伝えていく
遍在する神経は広がり過ぎて
もはや根を張ってしまったので決して回収できない
社会的な出来事その問題その毒
批判的感受力で波を受信しては
今にも世界の淵で濁って流れ落ちてしまいそうだ


憎しみ

  zero

憎しみは
分かち合うことを拒む
吊るされた人影
すぐさま照り返され
いくつもの道を選び損ねる
大きな水たまり

憎しみは転がり
転がっていることさえも
空隙の中に遺失する
自らに対峙することなく
すべてに漠然と対峙する
森のようなもの

憎むことは
美しいものと邂逅すること
苦しみと怒りのただ中に宿る
甘美な生命のいろどりがまぶしく
憎んでいる人間は
いつでも心を打たれている


絶望

  zero

世界中の海から集められた
追いきれない広さと迫りきれない深さ
あるいは群れをなす魚の一匹が発した
どこまでも届く一瞬の輝き
そういうものが
個人のはるか遠くまで開け放たれた
借り物の一室に湿り気を届ける
それが絶望だ

絶望は一つの生命を持ち
個人の生命と交信して渦を分かち合う
絶望から贈られる湿った渦の構造は
極めて難解で飛散していて
個人の人格はそれを収集し解明するために
どこまでも低い沙漠へとさかのぼっていく

絶望はとても明るい海の光
そして人をとても暑い沙漠へと連れていく
その明るさがまぶしくて
その暑さに膨大な汗をかき
個人は雨の日の電柱のように
大きく背を伸ばしては
物思いと覚醒を繰り返す
開け放たれたドアから
誰からともしれない手紙が届くのを待ち続ける
その手紙には一言
また会おうね、と書いてある


冬のはじまり

  zero

冬はなりたての死刑執行人
このぎこちない朝に
辺り一面に自らの恐怖をこぼしてしまう
例えばそれはつめたい雨のしみとして路上に
例えばそれは朝日の顫動として線路の途上に
世界が沈黙するとき
世界と接するためには等量の沈黙が必要である
世界が凍っているとき
世界に交わるためには等しい低温が必要である
朝はいつまでも夜のようで
信号が不吉ににじみ出している
人はみな生も死も忘却して
生きても死んでもいない
透明になった人々を
死刑執行人はひたすら打つのだ
そして打つ手はすべて空を切る
冬の死刑はすべて失敗する
失敗することで罪びとに
生殺しの耐え難い快感を与える
罪びとになる資格は
この朝を目撃したという
ただその一点に集約される


重さ

  zero

けだるい朝
仕事に行くのもおっくうで
とりあえずコーヒーでも飲んでみる
そういえば
全てのものには重さがあった
部屋のサッシのガラスにも重さがあるし
この蛍光灯にも重さがある
LEDランプの明滅にも
流水のような重さがある
自分を包むすべてのものの重さに
心地よくくるまっている朝があってもいい
やがて自分は出勤し
重さを感じる暇もなく
どんな重いものでも瞬時にはねのけていくだろう
今手にしているマグカップの重さ
これはとても重要で
ここから何かが始まり何かが終わる
そのくらい重要で
コーヒーを飲み終えた後の
マグカップの軽さが恨めしい


とげ

  zero

世界を構成する元素はとげである
この物質的な世界において
物質とは必ずとげでなければならない
細長い円錐は無限に硬く
割れることも裂けることもない
人も木も鳥も花も
このとげの原子の組み合わせで構成される
どんなに美しい朝の海でも
その波はすべてとげでできているし
どんなに穏やかな夜の森でも
その木の葉はすべてとげでできている
私は何気ない部屋に座りながら
何気ない家具に囲まれ
外は何気ない風景が広がり
しかしそれらはすべてとげであり
私も全くとげでできている
こんな些細な真実に気づくとき
私の心もとげのように苛立つ


帰郷

  zero

故郷には深さがある
海の深さとは別の種類の
血の深さと記憶の深さ
一人の人間に一つずつ
最も深い故郷が与えられており
人がほんとうに帰っていく極地がある

果樹園に包まれ
たった一度も裏切らなかった生家よりも
もっと深く血を分けた故郷があり
それは子供の頃よく探索し
木々の香気に浸っている近所の山だ

二年間のデスクワークは
私の増殖を大きく偏らせた
私は壊れた天秤で
物事の価値を間違って比較してしまう
間違いのたびに社会から削り取った疲労は
蓄積してとがって私を駆り立てるので
私は再び山へと帰ってきた

ほころび始めた桜のつぼみ
針葉樹に常緑樹に葉の落ちた裸の樹
眼下に一望される住宅地と市街地
冬と春が生温かいアルコールの中で混じり合って

私は頂上で寝転び風を浴びて
己を縛るものをすべて引きちぎった
山において人間と自然はまったく等しい
人間も自然もともに循環する精神的原理
物質の装いとともに精神を清くあふれさせている
ひとつの世界内細胞
まったく同一の世界の遺伝子を共有しながら


無題

  zero

ある日一つの愚かさが生まれて、
流言蜚語のようにばらばらと伝染していきました、
でも人生は無窮の海よりも美しくて、
人生を形容することが許されているのは「美しい」の一語のみです、
人生は形容の分割力にどこまでも抵抗するので、
分割することなく肯定する「美しい」の一語のみが君臨します、
それでも風のように吹き荒れる愚かな気流は再生産を繰り返し、
切り裂かれた海が風景のあちこちに貼りつきます、
愚かさとは実は愚かさを語る者の硬い疲労でしかなくて、
疲労とは実は嫌悪を感じる者を取り巻く完全なまでの単純さでしかないのです、
氾濫する論理は乾いた惑星をどこまでも潤し、
爆発する倫理は平和な社会を掘削していきます、
真実というものは隙間さえ見つければ隠れようとしますし、
芯の無い皮だけの植物ですからすべての皮は等しく虚偽です、
力強く語られるものも雑踏の中でつぶやかれるものも等しく虚偽なのですから、
歴史とは真実の落とす影をつないでできる星座であります、
僕はいつだかあなたを愛していないと嘘をつきました、
僕はいつだかあなたを愛していると嘘をつきました、
客観的な幸せにはいつでもまぶしい方向ばかりが宿っていますが、
鳥の声を聴く幸せは方向を持たないやさしいかたまりです、
僕は黎明の空に逮捕されました、
罪状など何もなかったけれど黎明の空の薄赤い色彩を理解しすぎたのです、
僕は海沿いの松林に逮捕されました、
権力など死んでいましたが松林の構造があまりにも整然と僕を追い詰めたのです、
ですが社会人など好んで牢獄に囚われる逆立した人間で、
逮捕というきれいな言い訳など要らずいつでも身の回りは鉄格子、
僕の存在の枢軸は空っぽで様々な存在がそこに出たり入ったり混じり合ったりします、
その枢軸にガソリンのような液体が少しずつ溜まり始め、
他の存在の進入を邪魔するようになり枢軸は停滞しました、
僕の枢軸は花火のように夜空に打ち上がっては散華して、
その度に燃料の配合をどんどん誤っていきました、
枢軸が純粋に誤りそのものになったとき、
あらゆる道は死に至り朽ち果てていきました、
もはや草原には至る所に崖が発生し、
崖の側面には夥しい文字が書かれています、
自己の誤りも他者の誤りも社会の誤りもすべて一様に記されて、
責任の落ち着く先は流れていく雲のように不定形です、
それでも人生は美しさを美しさで幾重にも包括し、
降りしきる闇の指し示す地点から星座を作り上げました、
僕は歴史の星座と人生の星座を組み替えて過程の星座を作り上げ、
それは幽閉から解放への過程であり誤りから修正への過程でありました、
僕もまた一つの過程として闇を多彩にデザインしていきました、
色彩を物自体から盗み取って光を現象から寸借して、
僕の本体はただ死んだように停滞していても、
僕の分身は忙しないデザインと造形を誰にも見られずに遂行していきました、
ある日生まれた愚かさは強靭の槍のように聳え立ち、
愚かさなりの過程を経ながら星座に組み込まれていきました、
美しい人生は永遠に美しく単純で、
その過程の去っていく過程に僕の恢復の過程がありました、
何もかもがある日の平凡な午下がりに集約される過程であります、


無題

  zero

僕は生まれ変わりました、
生まれ変わりは一つ一つが音符のようで、
人生は生まれ変わりのメロディーが錯綜している大音響です、
僕は何か遠くの方に不穏なものが墜落する影を目撃しました、
社会が墜落してこの地球に文明が誕生しました、
歴史が墜落してこの地球に時間が誕生しました、
文学が墜落してこの地球に感情が誕生しました、
僕は永遠に苦しむ者、
永遠が瞬間を宿すことを苦しむ者、
森羅万象の苦しみを包蔵した苦しみをさらに苦しむ、
社会というものは人間とは複雑に異なった愛憎の対象となり、
無数の人たちの顔が集合して超越した無名の巨大な顔を持っています、
僕の庭には雪が降り陽射しが乱れました、
そして虫が言葉を運び鳥が意味を伝えました、
僕は庭を広げてはたたんで、
自分の庭がうまく敷ける整った土地を探したのです、
僕の庭は生まれ変わりました、
それまで自然の洗練するがままに広げておいたのですが、
いつのまにか種や苗が植えられ、
未来と終末とが親戚同士のように肩を組んで、
色濃く影を落とし影は種や苗に吸収されました、
僕の庭は風雨の被害を受けそれに耐えるだけの風景ではなくなった、
風雨を糧として花や作物を育てていく架空の庭、
この世ではだれ一人助けてくれない、
この事実は層状に連なる複雑な化合物、
最終的に頼れるのは自分一人、
いつまでも硬直した鉱物性の根拠のようなもの、
迫害、磔刑、火あぶり、魔女狩り、スケープゴート、
人間の永続的に狂っている部分が獣のように欲望してやまないこと、
人生は獣だ、社会は蛇だ、
荒れ狂う衝動と狡猾な計略とそのすぐ裏側に貼りついた愛と、
そこから僕は生まれ変わったのです、
同じような思考のパターンを繰り返しながら、
いつの間にかそのパターンがより繊細かつ優美に変化している、
僕ら進化するミニアチュール、
束ねた花束の数は必ず刻まれてある、
打ち捨てていけ、最も貴重なものから順に、
僕は生まれ変わっていたのです、
僕は生まれ変わることを強いられたのです、
僕は好んで生まれ変わったのです、
内容も理由もいらない、
ただそこに裂け目を超えた跳躍の軌跡だけが残っている、


眠った炎

  zero

炎が眠っている
その熱と光を休めながら
かつて燃えたことを証明する
灰が柔らかな布団になって
炎は夢を見ている
かつて照らし出した
闇の中に浮き立つ人の顔が
ばらばらになって融合した
光を清算する夢を見ている
燃料など必要なかった
ましてや消すための水も要らない
この自立した眠りにより
炎は自らを蓄え続ける
火の粉が一定の海域を超えると
それは不可解な声となり
かつて人はそれを詩と呼んだものだった


温泉

  zero

温泉に入ると
深く広々と湛えられたお湯が
私を首まで飲み込んだ
温泉の広さと深まりを前に
これが私の水位
これが私の容量
これが私の精神
これが私の闇
これが私の歴史
これが私の栄光
これが私の傷
と知らぬ間に対応させていた
温泉には私の全てがあふれかえっていた
そんな温泉からあがるとき
私はお湯をそっくり捨て去って出て来た
私は自分のなにもかもを
温泉のお湯として投げ捨ててきたのだ
これから新しい私が始まる


  zero

今頭から離れなくなっているのは雲の巡りの歌。岩だらけの高山の頂を擦過して暗い鉱物に脈動を贈られ、波の荒い大海の巨大な表情でひずんだ音響により膨張し、ありふれた市街地の上空を闊歩して人々それぞれの生活の雑音を精査している。青空の青い伴奏に沿って雲の彫刻的な歌が映像として記譜される。

今頭から離れなくなっているのは事務所に幾台となく置いてあるパソコンの歌。演算処理の歌が厳しく研ぎ澄まされるとき、叩かれるキーボードの歌は散り散りに頭脳を経めぐり、明滅するLEDの歌は川のように悠々と、絶え間ない通信の歌は重低音を維持する。それらの上方の空の広がりのように、二進法の歌は低く流れる。

今頭から離れなくなっているのは机上に置かれた静物の歌。静寂が静物の表面で変形しては生々しい呻きになる。真空が静物の内面で破裂してはういうしい笑い声になる。室内の白光が静物に注ぎ込んでは群衆のざわめきとなる。この牛の頭骨はいったいいくばくの人間の声を気づかれることなく録音してしまったのか。

今頭から離れなくなっているのは限りなく遠くへ逝ってしまったかつての歌。すべて新しく降ってくる歌は実はかつても一度流れた歌で、それが限りなく大きな輪を循環してくるのである。輪廻転生が古い歌を新しい歌へとつなぎ、歌の死生の度に繰り返される激痛が、脈拍として歴史を通じて太いリズムを維持する。


表裏

  zero

浅い息の淵をたぐって、人混みのほどけた場所へ、同じハッピに同じサンダル、出場の順番を待って、盆踊りの夜は凍える。アルコールの傾斜を滑り、秩序や光が失われる場所へ、根源的な連帯が訪れる瞬間へと、僕らは来たはずだった。笛の音が抽象的に踊り、スピーカーからは祭りの歌声が弧を描いて、湾曲しながらはかない均衡へと至るため、僕らはみな同じ振り付けを同じリズムで。沿道で見守る観客たち、ざわめきと視線がきつく澄んでいて、僕らは通りの平面の上を、終わりをわざと見失いながら。盆踊りは雨のように終わった、僕らは心を融合させて明日を迎えるはずだった、だが僕を襲ったのは根源的な冷たさ、深く野合したが故に訪れる深い寂寥、連帯の混沌は同時に孤独の混沌であり、この世との隔たりに目が眩み足早に立ち去る。何も望んでいなかった、だが確実に大きな喪失があり、僕は単純に孤独な老職員と等しく老いて、同じまなざしで仮構された連帯を刺し、根源的な孤独をともに嘗めた。もっとも孤独を深めるもの、もっともこの世との距離を気付かせるもの、それは過剰に潤った連帯だった。


母校

  zero


母校へと続く道を
十数年ぶりに歩いていると
風景に込められた無量の意味が
過ぎ去った感覚を再び過ぎ去らせて
私の身は引き裂かれ
その間隙を過去の雨だれが舐めていく

緑地公園をさまよう私の流跡
郷愁と郷土愛の合金に似たものが
新幹線の下の道に紡がれていく
夏の陽射しは木の葉に燃え移り
太陽の実が至るところで輝いている
高校生の頃
世界はもっとまばゆく熱かった

母校に辿り着くと
何も変わっていなかった
校舎の見た目というよりも
高校の果たす機能が変わっていない
目に映る高校球児も
大工仕事をしている若い教師も
昔とそっくり同じ顔をしている
何よりも額の部分に同じ含みがある

図書館でもみな夏の装い
本はこの世の冷却材のようで
司書さんに挨拶をし
卒業生として著作を寄贈した
寄贈は母校との師弟関係への一打撃
拒絶から愛へ向かう精神史の証明

私は高校時代に文学を知った
私の著作は高校時代へのはなむけで
夏は毎年鋭利に人生を区切るのだった


三十歳

  zero

朝陽は陰々と降りかかる、その日の人々の通勤に結論を下すため。人々が夢から生まれ、途端にすべやかな仮面とともに成人するのを見届けるため。電車は巨大な獣のように息を荒げて疾駆する、人々を腹の中に収めてはまた吐き出し、同じ線路を毎回異なるまなざしでやさしくにらむ。彼は着古したスーツに身を包んで、粉々になった朝の中枢を手繰るようにホームへとのぼっていく。始まりがすべて何かの終わりだとしても、この一日のはじまりは終わらせたい流血を一つも止血してくれない。

正しいものがどれも間違っていても、正しさが終焉する沃野に今彼は立っていて、そこでは間違いもすべて狂気を治めてしまう。追求する目的という果実めいたものはとっくに食らいつくして、追求の運動という飢えばかりが残った。彼のスーツにはたくさんの色彩が混じって、その黒を一層黒くした。どんな苦難も喜びも吸い取るために、スーツは黒でなければならなかった。彼と朝陽は毎朝新しく出会い、新しく別れる、互いに交わすメッセージはすべて言葉以外に蒸留しなければならない、例えば雲の白のように。

コンピューターの原料となる岩石がまだ自らの夢を知らなくても済んだころから、自然を利用するのは人間の罪滅ぼしだった。風が木の葉を揺らすように、仕事は人間を動かした。風の源泉が不明であるように、仕事の源泉を遡ると結局彼自身に還流した。畢竟人生は一つのパズルに過ぎない、与えられた謎に対して適切な解を返して行って次第に全体へと漸近する、当てはまりの快楽に満ちた命のやり取りだ。パズルに直面した苦悩もまた一つのパズルであり、そのパズルを解くパズルも当然無限にパズルである。

捨てていった影に寄り添うように、膨大な量の光を捨てる。消していった憎しみに寄り添うように、膨大な量の愛を消す。どんな緻密な倫理も彼を追い込むことはできず、彼は倫理に垂直に突き刺さる永遠の直線なのだ。死ぬことは何かを始めることであり、彼は自分が死ぬときに何を始めるか、何が始まるか、それだけをきれいな文字でノートに厳密に記述している。社会は死で構成されており、死んだ権力が死んだ暴力を行使して、ますます彼の垂直な直線は強靭に伸びていくばかりだ。


郷土の愛

  zero

故郷を愛する前に
故郷に愛されている
故郷においてすべては始まり
人はみな故郷の意志を浴びて
目覚め、働き、交流する
人の意志は人から始まるのではなく
あらかじめ故郷から意志されている
人はいつでも受け身になって
故郷の愛を受け取るのみだ
故郷の緑の道を歩くとき
人は自ら歩くのではなく
故郷の無限の愛によって
やさしく突き動かされているのだ
人よ驕ってはいけない
郷土を愛する以前に郷土に愛されている
始まりにある大いなる受動性のもとに
人はすべてを意志しているのだ


銃弾

  zero

銃身の鈍重さを仮装しながら
銃弾のようにすばやく生きるのだ
この秋の穏やかな一日は
最大限の速度で組み替えられていくから
この君の静止した生活も
信じがたい高速で雑踏に埋没していくから
撃ち出す可能性しかない母体を装い
撃ち出された現実性しかない弾丸を生きるのだ
この浜辺の町の風景には
夢の遊び込む一片の亀裂も存在しないから
この復旧されていく時間には
もはや現在の証明しか存在しないから
銃身の優しさで横たわり
銃弾の鋭さで何もかもつんざいていく
責任も罪も悪徳も無効になるこの秋の日
弾丸となりすべてを傷つけていく


小さき者へ

  zero

生まれたばかりの君は聖なる皮膚に包まれていた。今君は聖なる皮膚を脱ぎ捨てて、聖なる脈動となりほとばしり、聖なる瞳となって散っていった。祝祭の鐘は鳴りやまず、君の存在は歴史に深く刻まれた。君はもういない、だが君の祝祭は果てることなく執行され続ける。

慟哭する心臓たち。どこまでも降りていく螺旋に沿って、次第に密度を増していく氷河の底に宿る小さな火。君は既に描かれ拡げられ接続されている。君を幹として枝葉は広がり、根は深く張って水音が鮮やかだ。君は慟哭され、慟哭する、存在を賭けた慟哭の末に果てていく。

誰かが君の名を呼んでいる。君は既にすべての人たちと名を交換し合った。君の名は君をめぐる物語の証拠であり、君に捧げられた親しいまなざしの痕跡である。君の生きた豊穣な時間を指し示すしるしとして、君の名は海に至るまでどこまでも受け継がれていく。

君の流した血は私の血である。君の失った命は私の命である。君が葬られるとき、葬る私も葬られている。初めから決まっていたことなのだが、君は私なのだ。君を喪うとき、私も私を喪う。そうしてすべてが抜き取られた後で、私は脱け殻を生きる、君の名が大きく瞬くその時刻まで。


寺院

  zero

時間が感覚している
巨大なてのひらが極めて薄くなり
眼を開く刻限を探っている
仏は舞い散っては脱皮して
柱を支える土壌に滲み込んでいく
空間が覚醒している
門の内と外は色濃く混じり合って
木立の霊は影を歌い続ける
参道は禍の産道であり
迫りくる重量を濾過してゆく
生と死が対等に煮え立つ境内で
すべてが聖別された痕を光が抉る
色彩が驚嘆している
紅葉が輪廻するその刹那まで
存在の疑いを苦しみ続ける


植樹

  zero

木を植える
まだ草のような
苗木を植える
時計の針をセットするように
一日を新しく始めるように
この一点に集中する
冷気は言葉を生み出していく
終わりのない長い文章を
だが木は記述されるものではなく
みずからが記述となるもの
木は観察されるものではなく
みずからが観察となるもの
青空から青がしたたり落ちる
そのしずくを垂直に貫きながら
木の視界は
空の半球を完全に収めている


駅のホーム

  zero

駅のホームには
ひとつの世界が埋葬されている
それゆえに駅のホームは
世界の墓地であり霊場である
だから今日もそこには
忘れられた眼の光や
捨てられた愛の閃きなど
あらゆる感傷的なものが訪れる
駅のホームでは
幻想がどこまでも濃くなっていき
人の暗い内側では
熱された論理が組み立てられ
人は世界を弔う一つの感傷となる
駅のホームには人が集まり
電車が停車し鳥が羽ばたく
集まってくる日常的なものはすべて
葬られた世界への供花である

文学極道

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