昇進の日に丸いものを食べてはいけない。あるいは、昇進の日には誰にも挨拶してはいけない。私が通勤していると、電車の中で誰かが「昇進」と呟いた。するとその呟きはたちまちに感染していき、通勤電車の中の誰もがお経を唱えるかのようにぶつぶつ「昇進」と呟き続け、そこには不思議な音の海が出来上がった。もちろん、人々はそれぞれ本を読んだりスマホをいじったり、やっていることはいつもと変わらなかった。ただ、口元だけが昇進に支配されてしまっていた。結局昇進とは私の身に起こる出来事なので、私もあえて「昇進」と呟いた。すると人々は急に黙り一斉にこちらを向いて、石化したかのように動かなかった。やがて電車は終点に止まったが、私一人だけ降りて、残りの人々は石化したまま電車を降りようとしなかった。
私は会社に着くと、まず服を脱がなければいけなかった。なぜなら、着ている服には以前の地位がどっぷり浸み込んでいるので、昇進の邪魔になるからだ。私はまず自分の裸を昇進させないといけない。昇進は皮膚の上から私の内臓や血液、脳髄や骨格に浸透していくものなのだ。私は社長室の中に通された。社長はけたたましく笑っていた。社長秘書は社長の笑いを丁寧に記録していた。社長の笑いが終わると、社長は私に背を向けた。すると私は社員たちによって地下書庫に連行された。私は過去の文書の紙を縫って新しいスーツを作る作業にその日一日を費やした。日も暮れ、出来上がったスーツを着て地下から上がると、私には辞令が交付された。辞令交付は、非常に整った容姿をした美しいタヌキのまなざしだった。タヌキが私を十分間じっとまなざし続けると、私の文書のスーツはみるみる新しい絹のスーツに変わっていった。私は新しい席に誘導されると、新しい仕事の説明を受けた。私は昇進し、それとともに、社員たちの配属も全くでたらめに組み直された。つまるところ、私は社長になったのだった。
最新情報
zero - 2015年分
選出作品 (投稿日時順 / 全23作)
- [優] 昇進 (2015-01)
- [佳] 処刑 (2015-01)
- [優] 霧 (2015-02)
- [優] 成人 (2015-02)
- [優] 雨の日 (2015-03)
- [優] 詩 (2015-03)
- [優] 起きたとき (2015-04)
- [優] 朝 (2015-04)
- [佳] 一年 (2015-05)
- [優] 理由 (2015-05)
- [優] 遠い空 (2015-06)
- [佳] 難解な朝 (2015-06)
- [優] 春 (2015-07)
- [優] 大洪水のあと (2015-07)
- [佳] 器 (2015-08)
- [優] 歩く (2015-08)
- [優] 静物 (2015-09)
- [優] 結晶 (2015-09)
- [優] 額縁 (2015-10)
- [優] 希死 (2015-10)
- [佳] 敵 (2015-11)
- [優] 業務 (2015-12)
- [優] 無題 (2015-12)
* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。
昇進
処刑
処刑はなされなければならない。結論だけが先にやって来て、権力の発動はすぐさまそれに続いた。だが、誰がどのような理由で処刑されなければならないのか、それは国家権力の組織的事務処理の途中で失われてしまった。そうして今日も「処刑」とだけ書かれたビラが街中に撒かれ、軍隊は常駐し、人々は家の中にこもって処刑がなされるのを待っていた。許可なく家を出た者はすぐさま射殺されたし、誰が処刑されるのか、処刑の理由は何かを官憲に問い詰めたものもすぐさま射殺された。
とにかく、処刑はなされなければならない。対象と理由を詮索することはもはや固く禁じられ、ただ軍隊は処刑の準備を淡々と進めていった。宛名のない逮捕状、理由のない勾留状、囚人の名が載っていない死刑執行状、書類の作成はどんどん進められたが、論理的に処刑をすることは不可能だった。だが、処刑に異議を唱える者は次々と射殺され、ただ異様な緊張感が街をずっと覆い続けた。
ところが、あるとき、当局の最高権力者は気づいてしまった。もはや処刑は完了してしまった、と。つまり、今回の処刑の対象者は、処刑に疑義を申し立てるすべてのものであり、処刑の理由は、処刑という国家権力の命令に公然と刃向ったということ、そういうことなのだ、と。実際、今回の処刑に関して射殺された者たちは皆この要件を満たしていた。
そこで最高権力者は最高会議で処刑が完了した旨発言した。すぐさま街を原状に復するように命じた。すると、ただちにほかの会議のメンバーは最高権力者を取り押さえ、有無を言わさず射殺した。処刑はまだ終わらないし、これからも終わらないだろう。処刑は誰も対象としないし、いかなる理由も持たない。街にはこれからも悲鳴が響き続ける。処刑はなされなければならない。
霧
霧が鳴いている
遠くへ存在を送るためでなく
内側にどこまでも響かせるように
霧が水の衝動を鳴いている
霧の中に沈む街並み
の中に沈み込む人々
霧が覆い隠すのは風景ではない
人々の明るいまなざしだ
人々はまなざしを濃くすることで
身体にまとわりついた他者の痕跡をそぎ落とす
霧は人々を新しい生命として浮き立たせる
近くに限られることで
遠くをはっきり失うことで
人々は自らの血そのものとなり
脈打ち、めぐり、証明する
霧が鳴いている
人々の肥大した耳は
霧が光と陰との相克できしむ音を聞き
その僅かに内側へと反響する
静止への欲望を共有する
成人
全ての色彩から、全ての音響から、全ての芳香から見放され、僕はこの空の沙漠で下界に着地するすべを知らなかった。僕は太陽として余分すぎる存在であり、意味もなく光を放ちとても醜いので、いっそのこと夜が積み重なる下に砕かれていたい。僕はどんな距離も、どんな風景も経ることなくこの空の沙漠で飢えているので、途中で拾ってくるはずだった愛の小石や連帯の花弁を一つも携えていない。
僕は成人になることで誰からも手を差し伸べられなくなった。成人になったときの喪失感、それは少年の喪失ではなく、たくさんの手の喪失だ。現に僕はまだ少年だし、これからも少年の鉄筋で貫かれていくだろう。これからは僕が手を差し伸べる、水の手、風の手、あらゆる手を他人に差し伸べる、だが少年の僕にはまだ手が一本も生えていなかったのだ。いや、生えている手はどれも不気味でどろどろしており、それをいかにかぐわしく他人との握手のかたわれとするか、僕は森林の一葉一葉から辞書を編み出さないといけない。
僕は手も足も持たないただの太陽で、転がることしか知らない。とりあえず人間の町を転がってみると、大量の水で冷却されるし鑿で削られるし、人間の町から追い出されては少しずつただの物体になっていった。僕がまともな人間の形でもって荒野を歩けるようになった頃、もはや僕はあらゆる人間から毛嫌いされ、あらゆる町から締め出されていた。僕は太陽から人間になった。こんなにも夥しく傷ついてようやく。だというのに、人間になった僕にはもはや人間としての居場所はないのだ。再び太陽に戻れない僕はこっそり月になった。夜、ひそかに人間の町を照らしながら、人間に思いを注ぎ続ける月になった。
月になった僕は、自らの反射する光を操って光の人間となり、夜の孤独な少年や老人たちと少しずつ会話を交わした。この夜という莫大な海に墜落する光の人間として、僕は少しずつ色彩と音響と芳香を自らの手から生み出すようになった。成人になるということ、それは太陽が月に変わり、月が再び人間になろうとする、その叶わない夢の試み一つ一つであり、いつか人間の町に人間として住むという夢の祭壇に、自らの体ごと血まみれの生贄として捧げるということだ。
雨の日
雨の日に、僕は雨粒の音を数えている。僕が数えられるよりももっと速く雨粒は降ってくるし、遠くの雨粒の音はよく聞こえない。それでも僕は雨粒の音を数えている。自分の感性の平原、その静寂に一番響く雨粒の音を探している。全てがほとんど同じであろう雨粒の音の中で、この世の正と負との境界を厳密に突くような雨粒の音を、たった一つでも聴き分けることができればいい。
雨の日に、僕は家の中で外を想像している。外は禁止されていて、不思議な権威をまとい、何やら神秘的なふりをするものだから、僕はそんな外に疑問を感じるし、そんな外をほっておけない。雨に包まれた外をどこまでも思い出していく。あの道をたどればあの駅に出て、あの裏道を抜ければあの大通りに出る。外が禁止されているのは余りにも不当だし、外は何かすっかり変わってしまったかのように振る舞うから、僕はいつもの外を再現して雨による変装を暴こうとする。
雨の日に、僕はいくつもホットケーキを焼く。何でも自分でやるのに向いているのが雨の日だ。雨は少しずつ自分の自分による自分のための生活を思い出させる。例えばゴミを整理して袋に詰めたり、本棚を整理したり、靴を磨いたり。自分が自分に立ち返り、外の助けを受けなくてもやっていける、そんな僕はホットケーキを焼く。自分の生命を遠回りに支えてくれるお菓子の栄養、僕はそれが自分の生活の要だと思うので、ホットケーキを焼く。
雨の日に、僕は本を読む。雨の日は本を読むのに適さないけれど、本の活字と雨音はどこか似ている気がして、活字と雨音が響きあうのを心地よく感じ取っているのだ。活字はいつでも降って来るもの。活字はいつでも潤っているもの。そして活字は記憶の水溜りの中に消えていくもの。雨は外に降っている。活字は僕の中に降ってくる。僕は活字が僕の中に降って来て、僕の地面にぶつかって音をたてる音楽のリズムを、エンドレスで聴き続ける。活字は大雨になり小雨になり、やがて静かに虹を映し出す。
詩
夜の街路で、街灯もない道を私はさまよっていた。正義はいつでも鋼鉄でできている。それは鋼鉄の壁かもしれないし、鋼鉄の刃かもしれない。私は自らの著作の記述で異教徒を激怒させ、異教徒に追われていた。だが、この異教徒は詩だ。私が信念を吐き出して安堵してしまったとき、鋼鉄の切れ味で私を追い詰めてくる他者、それは私の中の他者であり、私の中の詩に他ならない。私は街路で躓いて転んでうずくまる。どうやら膝をすりむいたようだ。追っ手はどこにいるのか。私を捕まえて何をしようとするのか。私はひたすら論理的で体系的で整合的で完璧な表現をしたいのだ。だがそんな私を理解不可能な鋼鉄の正義を振りかざして追撃するものがある。それが詩だ。詩が私の命を狙っている。詩に殺されるとき、私の理論の鎧はどうなってしまうのか。数人が走ってくる足音が聞こえる。異教徒の追っ手が私を見つけた。私はもう逃げられず、詩に殺されるほかない。詩なんて知らなければよかった。私の中に異教徒としての詩が侵入することを許したのが私の最大の失敗だ。いや、成功かもしれぬ。私が正常な論理のみで私を完結させようとしたとき、それは私に対する最大の裏切りだったのだ。異教徒としての詩は、結局は私の中の私に対する誠実さだったのだ。ついに異教徒たちは私を取り囲んだ。私はうろたえて恐怖した。異教徒の一人が銃を取り出し発砲する。詩の弾丸が私を撃ち抜く。私の死体を確認したうえで、異教徒の一人は私の服をすべて奪って、生きていたときの私と同じ服装になる。その異教徒は顔かたちも私と同一である。私は異教徒として別の身体を得た。詩という鋼鉄の正義を原理的に信じるテロ組織のリーダーだ。私は人間も自然も社会もすべてを歌に変えることができる。この牧歌性、生きる喜び、青春と懊悩、癒えない傷、そういう正義を守るために私は手段を選ばない。
起きたとき
起きた時喪失を感じる。夢を遡り昨日を遡り、どんどん過去へと逃げていく私の心の半分。私は朝起きるたび心が半分になる。そして、過去へと遡って行った心は決して帰ってこず、その代わり消え去った思い出を蘇らせる。私の心は半分になっても、新しい朝はなくなった半分をあてがってくれる。焼き立てのパンのように匂い立つ半分を。
起きた時沙漠を感じる。不毛な目覚めは幻想ばかりを呼び込み、刺激に満ちた空虚をどこまでも上塗りする。この沙漠は緑により浸食され水により滲み込まれ、一日とは充実した沙漠の緑化作業である。だが起きた時の沙漠は緑化などという野蛮なおせっかいを望んでいない。人生のエコロジーは沙漠の零点の美を台無しにする。
起きた時哲学を感じる。まだ覚めやらない意識が既に身体と不可分になっており、思考がのろのろ体を動かすときすでに哲学は最も曖昧で不確かな部分を感知している。起きた時のいまだ明晰でない思考によってのみとらえられる認識の萌芽は、萌芽のままそこで死んでいけばいい。起きたときの曖昧で完結しない哲学、消えていく哲学は、真理そのものを火のように照らしてただちに消えるがよい。
起きた時光を感じる。ところで光とはなんだろうか。彼岸と此岸とがきしみ合うときに発される意志のようなもの、それが光だろうか。曜日と曜日とがけだるい交替のあいさつを交わすときに発される親しさのようなもの、それが光だろうか。わたくしだけの世界にわたくし以外の者が訪れるときの足音のようなもの、それが光だろうか。全ての物語を引き連れて、光は指先に灯る。
朝
全ての生命が鉱物のようにまどろんでいる
太陽は新しく昇ったばかりの新人で
世界の照らし方がわからない
ぎこちない光を浴びながら
水のように低くしたたかに歩道を歩く
私はすべてを根拠付け、そののちすべてに根拠付けられる
鳥の声を余すことなく撃ち落とそう
鳥など存在したことがなかった
ただ甲高い鳴き声だけが存在した
あの羽の生えた飛ぶ生き物は鳥ではない
甲高い声の主、その音源こそが鳥であり
それはあの生き物ではなく
空間の無意味さである
電車は悲しい歌を歌っている
とても感傷的で、過去を振り返るような
かと思うと勇壮な行進曲を歌ったりもする
時間は混沌として何の意味もなく
電車は昼も夜もどんな季節も通過して行く
私をいつもの場所に連れて行くがいい
この混沌の時間を横切って
建物はつめたい
どんな熱を受けようと
無に帰してしまうのが建物だ
建物は意に反して立っている
設計も建築もこんな大きな体もいらなかった
建物は失意そのものだ
いつでもつめたい物思いに沈んでいる
一年
輝くものと輝かないものが出会って
互いに氷として融け合った一年だった
ほんとうのことはすべて
偉大な虚構から滑り落ちた一年だった
どこまで伸びていくか分からない
指先を丁寧に繕った一年だった
咲くということが裂くということであり
割くということでもあった一年だった
得たもの育んだもののかげでは
死んだもの失ったものが雫となった一年だった
はるか遠くを見渡すために
目の前の小さな虫たちを観察した一年だった
言葉にならないものばかりが
言葉になろうとして真実を失っていった一年だった
理由
なぜなら真新しい渕に一枚のはがきが落とされたから
なぜなら古い日記帳に挟まれたかつての友人からの手紙が鮮やかだから
なぜなら花は美しいだけでなく春は温かいだけでないから
なぜならどこまでも鋼鉄が広がり踏みしめるすべては冷たく硬いから
なぜならあなたは私との恋が人生で初めての恋だから
なぜなら言葉はどこまでも真実とすれ違い続けるから
なぜなら私の人生は何度も終わり何度も始まったから
なぜならあなたは自分の美しさに自信が持てないから
なぜなら私は自分は美しくなくともあなたを喜ばせることができるから
なぜなら遠い山に季節はいつでも気遣いを忘れないから
なぜなら木の梢に一羽の鳥がとまったまま声を失っているから
なぜなら早朝に目覚めた判事がすべての法律を眠りの奥に投げ捨てたから
なぜならあなたは今朝私に長い手紙を書いたから
なぜなら私も今朝あなたに長い手紙を書いたから
遠い空
遠い空の明け方の光のもと
純粋なデモが始まった
幾つもの国境と限界を越えた先のデモだけれど
空を渡ってこちらまでシュプレヒコールは届いてきた
純粋なデモの純粋な示威行動と純粋な主張には何も内容がなかった
ただ純粋な行為としてデモは内容を持ってはいけなかった
遠い空はいつまでも遠く
決して近くなることがなかった
遥かな理想や高邁な哲学が
遠い空にはいつまでも秘されていた
飛行機も船も何もかも遠い空には及ばなかった
遠い空は搦め手を待っていて
逆走を求めていた
正確なな正攻法は遠さを近さに変えることができない
僕たちはとりとめのない話をしながら
気持ちは遠い空を揺蕩っていた
親しい友人たちや恋人たちの気持ちが飛んでいく場所
それが遠い空である
僕たちはお互いの眼差しを感じているが
この眼差しは遠い空へと幾筋も伸びていき
いつまでも保存されるのだった
遠い空の夕焼けの光のもと
テロ組織が国家に戦争を仕掛けた
民間人は死に大国が武力介入し多くの血が夕陽のように流れた
遠い空は山を映すように戦争を映した
木々の芽吹きと人間の死とが遠い空で等しく絡まった
無差別で無批判に何もかも映し出してしまう遠い空
その限りない優しさ
難解な朝
朝は難解である
アスファルトの奇異な色彩
人気のない誇張された静寂
待合室は不自然に明るく人を拒む
僕は始発電車に乗ろうと
駅のホームに立っているが
朝は難解である
時間は動くのをやめたかのよう
全てが終わった後の厳粛さに包まれ
光は目のあらぬところを貫く
これから仕事であり
僕はスケジュールを立てるが
朝は難解である
どこか狭間にはまり込んでしまった世界
新しいがゆえに言語化されていない風景
全てが虚構のようにみずみずしい
僕は朝を反射する
僕は単純な原理である
朝はこだまを返してくる
ずっと難解なままでいさせてくれと
それにあなたもひどく難解だと
そうこだまを返してくる
互いに難解であり続けることで
僕と朝との対話は尽きることがない
朝は本当はひどく単純だ
僕が単純であるのとまったく同じ理由で
春
生命の芽吹きは死と同義
草木が芽吹いているのではなく
死が咲き乱れている
春に漂う死の破片は極めて正気で狂気のかけらもない
この緻密に計算された春の死に私の感情も巻き込まれる
新しい職場や新しい仕事や人間関係
全てが更新され死んでいく中
私の影も死で満たされる
この熱病のような陽気の中
私は固くスーツを着込み襟をそばだたせる
この自然の宴会はあまりにも危険で
隠れた殺戮が陰湿に乱舞している
その殺戮の粒子が刺してくるので
防毒マスクをかけた私はひとり温かさに堪えている
春は傾きながらも均衡を目指している
死や殺戮もまた一つの大いなる均衡で充実する
更には夏や秋や冬へと接続していく道筋を得るため
均衡は欠かせない
乱雑で混沌とした力学からぽっかりと浮かび上がってくる均衡を
春は季節の接続のために求めている
私は春の用意した均衡に乗ろうと思わない
そのような延命はもはや私には不要だし
夏に接続する命も要らない
私自身の刹那的な均衡がいくつも連鎖していけばいい
私は春から身を守りながら
小さな均衡を積み重ね星座を作る
私だけの春の星座を
大洪水のあと
洪水が激しく流れたが
それに先立って激しく流れた風景の束があった
音響が激しく鳴り響いたが
それに先立って激しく鳴り響いた光の板があった
先立つ抽象的な激流によって
地上の生物の本質はすべて抜き取られて
本質無き大地の上を
洪水と音響はただ論証のように滑っただけだ
論証のあとにさらに流れていった私の手指たち
私の指は幾万本となくがれきの墓標となった
何も破壊などされていない
唯一、破壊という現象が破壊された
何も失われてなどいない
唯一、喪失という推移が失われた
静寂と痛みとはまったく同義であり
限りない痛みの原野は限りなく静かである
洪水は生き残った者たちによってその覚醒が同意された
洪水には無根拠な共感が次々と寄せられた
だが洪水はついに真実にはならなかった
激流も音響もすべて虚構だった
あらゆる人間の同意を取り付けても
なお虚構であることに耐えられること
大洪水とは虚構の大水が現実に流れること
そして私はこの大洪水で幾万回と殺され
幾万回と生まれ変わった
すべての地上の生物だった
器
人間の体は労働により徐々に疲労していき
ある真夜中に一つの硬い器となる
器は木ずれの音も雷光もなにもかも呼び寄せて
きれいにその中に収めてしまう
疲労というこの硬い器には
幾つもの突起があって
夜風で飛んでくる他者の息吹のようなものをひっかける
革命は沈降した
疲労は勃発した
器の表面に走る静脈には
労働だけでなく生活や恋愛や享楽なども含まれる
疲労は快楽からいちばん生じるため
そして労働は最も禁欲的な快楽であるため
器の中心にある心臓では
過去の刺激が流体となって押し出されている
この疲労の器を生かしている色を捨てた過去
この廃墟の器に倦怠を常に供給して
瞬間ごとの亀裂と崩壊によって生まれ変わらせていく
真夜中に疲労の器と化した人間の弱いまなざしには
世界中の激烈な視線が一斉に返されていく
今日も明日もない時刻の零点において
歩く
駅から家までの道を歩きながら
様々な方角へと視線を分け入らせていく
見たこともない花が咲いていたり
知らなかったガソリン貯蔵施設があったり
私の視線は細くしなやかな糸のように
どこまでも犀利に分け入っていくから
その糸の先端に風景を創造するのだ
今まで気づかなかったのではない
今日私が視線を向けることで
そこに新たに花は創造される
今まで見逃していたわけではない
今日私が全容をつかむことで
貯蔵施設は存在を始める
歩くということ
視線があらゆる細部を撫ぜていくということ
視線は私のてのひら
見慣れた風景もそうでない風景も
全ていつでも新しいから
私は視線のてのひらで風景を新しく創造する
私の通ったあとに風景は新しく存在を始め
次に私が通ることでその存在が更新されるのを
どこまでも細かく存在し始めるのを
沸き立つように待ち続けている
静物
林檎や梨が
その位置を偶然から必然へと動かすとき
その表面へ差す光は
外部に言葉を与え 内部を言葉から離した
再び
林檎や梨が
その位置を必然から偶然へと移すとき
昼の底にある闇が
にぎやかな籠を形成して
色彩は昼の空間に連続し
夜は白々と浅薄に飛び散った
籠が憂えているのを
その憂えが時間の湾曲に沿っているのを
林檎はその見えざる跳躍において怒り
梨はその見えざる分裂において喜んだ
銃声に似た何かが聞こえると
それぞれの個体は一気に溶け出し
昼の壺の中へと 空の溶液の底へと
硬さを静かに統一し
瞬間を痙攣的に編集していった
結晶
線香をあげるとき
仏壇に飾られたあなたの遺影の中で
あなたは結晶化していた
あなたは若いままでもう歳をとらない
あなたはいかなる光も言葉も感情も透過する
温かく透明な結晶だ
あなたの作品の数だけ
あなたの結晶は作られた
どんな批評も解釈も砕くことのできない
それでいてどんな批評も解釈も虹色に変える
季節の巡りの証のような結晶
あなたの結晶は静かに鳴り響いている
遠くにある存在とも遥かな距離を経て共鳴する
存在することは共鳴することであり
あなたは常に無限の他者と交流している
私の中にもひとつ
あなたの結晶がある
私を映し出し私に問いかけるあなたの結晶
これから歳をとっていくにあたって
様々な側面を見せ様々な問いを発してくれるだろう
私が変化していく過程で
あなたの結晶の全てを明らかにすることはできない
あなたが謎のままであり続ける角度を前にして
あなたの取り返しのつかない不在に
せめて言葉だけでも捧げていいだろうか
額縁
仕事上のトラブルで疲弊した私は、医者の診断書をもらって長めの休暇をとった。しがらみの藪の中で沢山の蔓を引きちぎって、ようやく手にした明るい広場のような休暇だった。この明るい広場には何から何までそろっていた。普段の私の視界など筒状の非常に狭いもので、社会とかいうつくりものの万華鏡をのぞいて全てが分かった気になっていたが、いざ万華鏡を取り下げてみるとそこにはほんものの全てがあった。万華鏡も筒の外側の模様がよく見えたし、何より全方向に向かって自然も人間も社会も世界もその肢体を自由に伸ばしていた。
とりあえず私は実家の農作業を手伝うべく、薪割りを始めた。薪割り機にガソリンを注ぎ、エンジンをかけて薪を一つ一つ割っていく。しばらく薪を割って休みを取りドラム缶に腰を下ろして裏庭から見える風景を眺めていると、私は過去の思い出に襲われた。半農で国家試験の浪人をやっていたとき、同じように薪割りをし、よくこの裏庭の風景を眺めたのだった。古いボイラー室や灌木の数々、右手に見える杉林、遠くに見える山々。私はそこに自分の原風景があると思った。
私の原風景は、試験や恋愛や学校生活に挫折し、ひたすら愛に飢えた傷ついた青春のまなざしが見た風景だった。この自然ととことん混ざっていく労働の途上、四季の移り変わりとともに見える農場の風景、私の傷ついた青春によって血のにじんだ風景、これこそが私の原風景なのだった。私の原風景はいわば彼岸から眺め返された風景だと言ってもいい。もはや人生が終焉したという絶望のまなざしのもと、人生の向こう側から眺め返された、血のにじんだ自然の移り変わりが私の原風景なのだった。
かつて、私の原風景は、子どもの頃によく遊んだ近所の山の風景だった。そこには子どもの頃の記憶が膨大に詰まっていた。だが、原風景とはそもそも唯一ではないのだ。原風景など、展覧会の絵のように無数にある。自分の感情によって強く色づけられ、自分の体験によって長く引き伸ばされた風景は無数にあり、原風景とはそのうちのどれかに額縁がかかったものだと思っていい。これは真に展示すべきものだと、ひときわ豪華な額縁がかかった展覧会の風景、それが原風景だ。
私の人生の展覧会が、この明るい広場で自由にとり行われている。ひときわ豪華な額縁がかかっているのが傷ついた青春の風景であり、それが現在の私の原風景だ。この額縁は近所の山の風景から取り外され、私の激しい苦悶の手つきによりここに取り付けられたわけだ。だが、これだけ目立つようにしても鑑賞者は私一人のみ。私はこれから語り出して行かなければならない。この額縁にふさわしいだけの言葉で、この原風景にまつわる無限のエピソードを。事実か虚構かは問わない。この額縁の豪華さは無限に言説を生み出す豊饒さの記号である。この明るい広場に人は呼べない。私は再び社会という狭い万華鏡の中で、その間隙に無限のエピソードを押し込んでいく。この額縁の威厳にかけて、私の原風景の無限のエピソードを。
希死
死にたい、という発語が季節の初めての落葉のように池に浮かんだ。毎日ひげを剃ってはコーヒーを飲んでスーツを着ていつもの道を出勤する、そんな生の周到な殻が静かに割れたかのように。僕は部屋で本やCDが平積みになったテーブルの前に座りながら、小さな蛍光灯の光を斜めに浴びて、己の生が抉られた痕の傷をなぞっていた。この人間の生というものは、心とも命とも魂とも違い、ましてや体とも衝動とも息吹とも違う。どんな比喩からもするするとすり抜けてしまうので、もはや言葉ですらないかのようだ。言葉ではなく体験や流れそのものであり、言葉にすることにより実体が隠蔽されてしまう繊細な基底、それが生である。この滑らかな生はどこまでも届いていくはずだった。太陽の熱と共に伸縮し、夜の闇とともに形を消す自然の一部として、遥かな消失点ですべての存在と共に混じり合うはずだった。この生の殻の内側に何があるのか、僕にはよく分からない。時間や空間の素になるような始原的なものが入っているかのようにも思えるし、空虚であることすら否定する絶対的な空虚が入っているかのようにも思える。ただ今回分かったことは、そんな生の周到な殻が割れたとき、内側からにじみ出てきたものはすぐさま外気と化学変化を起こし、死にたい、という発語に姿を変えるということだ。生の殻の内側にあるものは単純な死ではなく、むしろすべてが始まるときのかすかな音響のようなものが積もっているのかもしれない。死にたい、という発語は、実は、生きたい、を意味しているのではないか。実際、死にたい、という発語には、生きなければ、という意志がすばやく続き、そのあとに、なんでこんな言葉が発されたのか、という驚異が僕を覆い尽くした。死にたい、は漠然と死に向かう人間を生の側に呼び戻す警笛の音であり、死の眠りをまどろんでいる人間を覚醒させる冷水に他ならない。しかしそれは本当だろうか、死にたい、が訪れたときの異様な静けさ、その瞬間に垣間見た何もかもが混然となった真実のようなもの、そして絶望に似た甘い法悦、それらは生とも死とも違う属性を帯びていた。生や死が答えであるのなら問いのようなもの、生や死が方向であるのなら点のようなもの。僕の生の殻はひどく抉られていて、痛みははなはだしく、その抉られて薄くなったところが割れて何かがにじみ出し、それはすぐさま、死にたい、という発語に変わった。僕はバッグに入れて持ち運ぶものが一つ増えた気がした。長旅の際に思いを巡らす中継地点ができた気がした。過去にも未来にも同じだけの傷がたくさんちりばめられた気がした。
敵
存在するということ
そこに立つということ
それは紛れもなく敵であるということ
私は隅々まで敵を探し出す
現象の狭間に隠れた見えない真理も
みんな敵なのだから
私は何も信じなくていい
どんなに高潔な倫理も
みな敵なのだから
私は何に従わなくともいい
私は恋人に癒しを求め
美しい自然に癒しを求め
芸術作品に癒しを求めた
だがすぐに気付いたことだが
私を癒すものは同時に私の敵でもあったのだ
私はすぐさま注意深く距離をとり
その距離の確かさだけを
その距離の堅さだけを
心のよりどころとした
敵とは戦う必要はない
表層では敵は全て味方であるし
深層においても敵とは決して戦わない
戦った瞬間
敵は敵ではなくなり
戦いのあとには
敵はもはや無意味な存在となる
世界を有意味なものとするため
敵は敵のままであり続けなければならない
全世界が敵であるため
もはやいかなる裏切りもあり得ない
いかなる権謀術数も不要であり
シンプルに対立だけすればいい
世界は金属の冷たさで私を冷やし続け
私はその硬さと冷たさに
人生の手触りを確かに感じ
人生はこのように単純に進んでいけばいい
業務
会社で働くようになると、仕事の能率を上げる行為や仕事に必要な行為は、仕事そのものでなくとも「業務」扱いされる。例えば、同僚のことをよく知ることも業務だし、同僚と親睦を深めることも業務だ。休暇をしっかり取ることも業務だし、飲み会に参加することも業務だ。社会人の業務は実に幅広い領域をカバーしている。
例えば、この間私は万引きをした。これもまた業務の一環である。万引きをするくらいの勇気は仕事上必要だし、人の目を欺いて素早く行動することも、迅速さが要求される我々の仕事には必要だ。なによりも、正しい法の領域から少し逸脱してみること、これは今後上役になっていくに従い少しずつ身につけなければならないスキルだ。万引きもまた業務なのである。
そして、私は店員に見つかり、事務所に連れて行かれ、詰問されても反省の意を示さなかったため、警察に引き渡された。これもまた業務の一環である。まず、異業種の事務所がどんなふうに作られているか知ることは仕事上参考になるし、簡単に折れない気持ちの強さはどんな仕事にも必要である。さらに、巨大な権力組織である警察の内情を知るなど、同じように組織で動いている私の業務上も参考になる点が多い。
さて、警察に呼ばれてからは、私はひたすら反省の意を示し、店にも丁寧に謝罪し、結局微罪処分で終わった。これもまた業務の一環である。会社で一番必要なのはこのような演技であり、特に謝罪する演技は何よりも必要である。それに、自分が仕事でミスした際にはそれ以降ミスしないよう反省し自己分析する必要があるので、反省の経験も仕事に活かされていく。
その後、当然のように会社から懲戒処分を受けた。減給3か月である。これもまた業務だ、と言いたいところだが、さすがの私もこれはおかしいと思った。万引きは業務の一環であったはずだ。私の能力を高めるための行為であって、会社に貢献する行為のはずである。それがなぜ懲戒処分を受けるのだろう。これはおかしい。だが私はすぐに納得した。これは私に給料の重さを実感させるための教育的配慮であり、給料を会社からもらって働いているという労働関係の基本を実感させるための研修のようなものであり、やはり業務の一環なのである。会社で働いている以上、いかなることも業務なのだ。
無題
僕は壊れてしまいました、
もはや一滴の乾きかけた涙としてしか存在していません、
光も闇も幻で真っ青な衝撃だけが現実です、
人間の正しさとは何かと問いかけると桜の花が散りました、
人間の貧しさの上に咲き誇っているあの名を奪われた花を血眼になってむしりとると、
度重なる人間の驟雨が晴れ上がる頃には社会という雲海が血を降らせていました、
世界は暴力という元素から構成されており、
複数の暴力が相克しながら時間をかたどっています、
今日一つの純粋な愛が孤児として街角に捨てられていて、
愛はこのように与えるものでも与えられるものでもなくただ遺棄されるもの、
低い位置には重くて濁った行き場のない液体ばかりが流れ落ちてくるので、
どんな低さでも粉飾しなければ生き永らえません、
この街にはとてつもなく大きく入り組んだ笑いが必要です、
ただの痙攣ではなく物質的に彫刻された笑いが除幕され解析されなければ、
あなたを殺せなくてもあなたの名前を殺してよろしいでしょうか、
もはやあなたが誰からも呼ばれず透明に消えていくように、
組織では惰性の万年雪が年々厚みを増していて、
組織である以上決して融けない雪がどんどん増えていきます、
雪に切りつける炎の正しい色を探しに、
雪を掘り起こす労働の正しい関節を探しに、
僕はもうあきらめて新しい雪の一片として群衆の鮮やかさを増すばかりだ、
衝撃とは瞬間の打撃ではなくいやらしい持続の分泌液だ、
とてつもなく長い長編小説を読み終えたかのような衝撃を僕はあなたの暴力から感受したのです、
あなたの暴力は恐ろしく硬い人格の核内から遥かな総合を経て生まれたものだ、
暴力は余りにも激しく自らに愛され過ぎて行き場所を無くした自我の噴出、
かつて僕は花の美しさが分かりませんでした、
確かにどことなくきれいだと思っても何の感銘も受けませんでした、
あの頃の彫りもなく無味無臭のゴムみたいな世界をもう一度たしなみたい、
言葉だけを知っていてもその言葉の実感が伴わない未分化な自己、
感受性のない残酷で放埓な演算機にしか感受できない無機質のひらめきがあったものです、
何かを失うごとにさらに何かを失ってきました、
失うものなど何もないという空き瓶ばかりがきれいに収集され、
肯定的な価値など苛立ちしかもたらさないのですべて失ってしまいたい、
僕はもはや感情の重みを失ってしまった、
感情が疲労の風によって簡単に揺れ動く重心が不安定な労働者です、
労働のストレスが快楽として熟する前に感情を砕く、
僕はもはや以前のような中毒的な労働には吹き飛ばされてしまう、
労働者から労働をとるということは僕の存在の根拠を奪うということです、
僕は悪という麻薬を常用しなければ生きて来れなかった、
存在が力を投げ捨てるとき代わりに存在にみなぎるものが悪だった、
どんな混沌にも混乱にもすっきりした秩序を形成するのが悪なのです、
僕の音符は社会の音楽と何一つ符合しない、
僕と社会との間にはあらゆる種類の事故が発生しました、
僕の悪は事故のたびに保険のように支給されていったのです、
社会への憎しみは限りなく美しく官能に満ちています、
そうして僕はどこにも辿り着くまいとする美学を貫き続けるのです、