#目次

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飯沼ふるい

選出作品 (投稿日時順 / 全11作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


供花

  飯沼ふるい

少女がしゃがみこみ
自分の影を古いアスファルトに垂らしている
路地裏、午後三時、大安の日

アパートの二階
アルミの冷たい窓枠に肘をついて
しばらく一人でぶつぶつ何事かを嘆いている彼女を見ている
いつも誰かしらに親父臭いと言われる
ショートホープ
左手に握られた毒素が苦い

「あなたがそばにいないから」
 ――あなたがそばにいないから。
彼女が嘆いた流行り歌のタイトルのようなことばの上に
厚い雨雲が傾れている
煙草の煙は
そこへ溶け込む遥か手前で散る

もしかすると彼女は
クスリが切れてしまった少女
そういう現代社会の病の表れなのではなく
人の身体を真似た
ことばの陰影なのかもしれない

人でいることに
窮屈さを感じたことばたちが
押し潰された声帯を通して
吐瀉物のように漏れ出ている
そう思うと
善きものへの志向とか
人並みに生きるということとか
なにか道徳的なことが浮かんでは沈む
僕の頭ン中でもことばが衣擦れを起こしているらしい
けれど14mgのタールの中には道徳的なものなど
これっぽちも含まれていない

そして次第に雨が降る
無限の、その一歩手前ほどの意味を孕む雨
それは台所のシンクに詰まっていた汚水だ
死んだ魚の腐肉を浚った水だ
どこかで三年前に生まれた赤子を洗った産湯だ
生きる、ということにおいて
無限の、その一歩手前ほどの意味を孕む雨だ
彼女は雨に濡らされている

華奢な彼女の背中と
それを眺める自分との間に潜む
湿った空気のせいで
古いアスファルトがふやけていく
蜘蛛の食事のように
古いアスファルトはゆっくりと彼女の真っ赤なハイヒールを飲み込んでいく
踝、太もも、下腹部、鳩尾、胸、
彼女の姿を成すものは
しどけなげに降る雨とともに
路地の暗い影の底へ沈んでいく
はなむけに煙草を雨に晒すと
ほの赤い熱源が音もたてずに冷えた

彼女の姿がこの世界のどこにも見えなくなる
雨が止む
似たりよったりのアパートに挟まれた
細い道の遥か向こうで
虹の切れ端が覗いている
向かいの部屋のベランダでは
放置された観葉植物がじっと枯れるのを待っている
彼女のことばの落ちた所は陽炎で滲んでいた
次の煙草に火をつける
路地裏、午後三時、大安の日


野火

  飯沼ふるい

夜は暗い
地平の涯まで
音の無い破砕が続いている

彼は農場の納屋の中で眠ろうとしていた
それが懲罰の為か
彼自身の性癖の為かは
今となっては分からないし
彼の履歴を辿るのは
有りもしない言葉の意味を
解こうとするのに似ている


納屋の隅には
昨年から横たわっている萎びた蝿と
がらんどうの玩具箱とが転げている
くすんだ赤い塗料が剥がれ
捻じれた口を開け
記憶の放たれたブリキの残骸
つまらないその箱は
そのつまらなさの為に
彼を無性に悲しくさせた

起き上がり
彼は
牛酪ナイフで脹脛を削ぐ
肉の裏をナイフの腹が滑る
血が吹く代わり
農場の外れで夜と佇む
老いた一木の松から
黒ずんだ野火が溶け出して
農場の荒れた地の上を
静かに嘗めていく

彼は削いだ肉と足跡を玩具箱へ収め
蓋を閉じる
蓋も容器も
柔らかく湾曲して
もとの形を拒んでいるから
完全には
閉じることが出来ない

火は納屋へも注がれる
土壁が燃え落ちる
鋤や鍬や唐棹が穏やかに倒される
玩具箱も血脈のうねりの中に消えていった
その緩やかな侵食を眺めていた


 眺めていた
 彼は

 新しい朝を思ったかも知れない
 幾度も訪れた町の街灯を思った知れない
 すれ違う老人の皺だれた手頸を思ったかも知れない
 塗りつぶされた白墨の文字の行方を思ったかも知れない

 消えていくものごとと
 それに伴う引き潮のような情緒とを
 少ない思い出の中から呼び起こし
 消えていくものごと
 そのものになろうとしている自分の為に

 彼は
 裏返ろうとしたかも知れない


身体が火の中へ潜ろうとしたその間際
彼が見たのは
火の明かりを吸い
蛍火のような光を帯びて乱れる雪の群像
淡い輝きの一つ一つに映り込んだ
やがて朽ちていくこの世界の輪郭線
その背後に
ただあるだけの暗い夜


 暗い夜
 彼は

 消えていくものごと
 在り続けるものごと

 その差にあるものを
 彼は
 見つけられただろうか


それから少しして
軒先の小さく丸い氷柱が折れる音を聴いた
凛としたその音は
火に包まれていく彼の感じた
最後の優しさだった

納屋は燃え続け
燃える為の納屋になる
ありったけの怒濤は
誰に聞かれることもなく
 それは確かに無音とも言う
彼の身体をどこかに滅して
夜の深い秒針に紛れていく

そして雪の積もった朝がくる
ほの朱い日差しが
澄み切った雪原を照らして描くのは
少年の美しい鎖骨のような
微妙な陰影
この緩やかな傾斜と砕かれた写実の下で
焼け跡すら残さずに消えたものは
なんであったか
今となっては分からない


言いたかったことはぜんぶ、

  飯沼ふるい

駆けぬけていった少年は
潮の灼けた匂いを残した

かなしい匂いだ
陽炎にゆられる
焦れったい、夢精の残り香

海を見に行くきっかけなら
それで十分だった
そこで心中したり
煙草をくゆらしたり
そのくらいの自由が
欲しいと思えた

4tトラックが待っている
信号を右に曲がれば
狭い路地、長い下り坂
床屋を示す三色の渦巻きを過ぎれば
潮風の匂いは濃くなって
海が見えてくる
良く晴れている
沖合で産まれたての
入道雲はくっきりと白い
足元には、猫の死骸

素知らぬまま海へと誘った彼を
入道雲に見ようとしたけど
雲は雲で変わりようない
彼に言いそびれたことがあったのだけど
言葉は
猫が腐っていく時間の中に
溶けていってしまう

てくてくと坂を下るに連れて
次第に大きくなっていく海が
探し物はなんですかと訊いてくる
たしかに見つけにくい物なのですが
入道雲は、じっとしている


海は
途方もなく穏やかで
外国から来たらしい
プラスチックの漂流物でさえ
憎たらしくも風情を湛えていた

僕も負けじと
風景の一部になろうとして
煙草をくゆらせてみるが
渇ききった喉に
煙草の煙がへばりついて不味い

裸足になって砂を踏みしめる
あたたかくて柔らかい
 あぁ、これは、
言えなかった言葉の感じに
そっくりだ
そう思うと
風(という名詞
匂い(という名詞
次から次へ
淀みなく消えていく
新しい初夏の感じが
皮膚を透かして
胃の腑を不快にあたためる

猫の腐臭も、彼の汗ばんだTシャツも
それらを感じた僕も
過去形に埋もれた、砂

碧い海に呑まれて
それらはいつか新世紀の
新しい呼吸に馴染んでいく、だろうか
青白い空に
置き去りの自分よ

  ここから帰れば
  きっと僕は
  熱にうなされながら
  自慰に耽る

  戻らないため息を悔やみながら
  キスを交わして
  失われた果肉を
  膣に求めて、なんて
  そんな嘘で
  息を荒くして
  何度も繰り返し
  身体中に
  壊疽を拡げる


言いたかった
何も言えなかった


200円のコノテーション

  飯沼ふるい

瞬き、膨れ上がる眠気
カッフェーで向かい合う恋人の
片割れが言う
「モカ」
という音韻に倒されて
睫毛から鱗粉が発火する
それは、春に降る雪のようにこぼれる、というが
一秒の、線分の上に絡め取られて
橙の幼い鱗粉
チリチリ燃える

朝のまだきに生れ指ばら色の曙の女神が
朝食代わりに品書きのインクを卑猥に啜る
朝、たったそれだけの文字を誘拐した文庫本は
閉じたまま
未明の沖で漂っている

カラスが骨のように鳴いているのは
鱗粉の遺り香に惹きつけられているから、らしいが
枯れ枝のような声色は
哲学を勘違いした
死に欠けの震え

夕方、その一つの季節のような時間が
カッフェーの、椅子の陰間で怯えている
眠たい震え

ようやく目を開く
私の詩文が始まる為に
コーヒーと、ハムのサンドイッチを頼む
ほどなくして
ウエイターは
コーヒーと、ゆで卵を運んでくる
文字は予約されていないから
間違えたのはどちらでもない

「この街に晒された透明の密度を女の手首が掻き分ける
 柔らかい仕草の間にも
 この銀河は不断に柩を産み続けているのだから
 反省と土塊にたいして差異はないのだ」

ウエイターは気違いを見る目で
「だ」という濁音で淀んだ私を見る

はっきり言っておく
語彙に埋まっていこうとする
この詩文は
サボタージュとして許容されるような詩への
当てつけでしかないから
慰められているのは誰でもない
あなたでも、私でも。

コーヒーを啜るが、シガレットはあいにく切らしている
卵の殻を砕き
固い黄身でむせ返る

開くニュウスペイパー
語れば表れるのは私
語られるのを待つ全ての語彙
古い批評で測られる身体

痣を撫でる手のひらのように不吉な
光の淘汰が頬骨を削る、ガサゴソと油脂臭い紙を捲り
これからの天気を眺める、と、既にもう
明日の襞が雲の影からうねり始める
夕立、

その通りだ、
語るべくして振る雨
夕立なのだから、既にもう
朝ではない
何者かに拿捕された、遠距離の弾痕が
報復に出る時間
パナマ帽が排水溝でくるくる回っているのも
突飛に躍り出た、夕方の仕業

コーヒーに脈打つ水紋は
郷里に暮らす誰かの不幸を報せている
これもまた、震え
表面から渇き
内部から濡れる
まだらに弛緩した涙腺が
裏切りを作用して、
コーヒーの色を黒くする、
景色もろとも排水溝へ垂らす、
過去が水平に流れていく、
さよなら、さよなら

あらゆるものがある、雨
あらゆるもののために、雨
濡れそぼった
語彙が読めない
品書きも、ニュースペイパーも
それらの文字が渇いた時が明日だ
手垢もすっかり消えて
真新しい文字が浮かんでいることだろう

その通りだ、
我々は時間の懐に忍び込み
自壊するだけで
比喩のように繰り返す瞬き
裁断された映写機の映す夢
発火する幼い鱗粉、その閃光の突端で
胡桃のように落ちていく午睡
弓なりに撓る一秒を深くする全ての胡乱
あなたでも、私でも
ない、
そのような感覚の内に
母胎を見ている

だからいいか
恋人たちよ
お前らの姿はもうないが
よく聞くがいい
残り数行の詩文として終わろうとする私の
影こそ、君らの醜い歯並びで
繋がれた指先を交感しあう熱なのだ
そしてこの情けない終わりを
笑え!

「お客さま、料金が200円足りません」
「あ、ごめんなさい」


霧の町の断片

  飯沼ふるい



正確な円い輪郭を、灰色に淀んだ空にくっきりと浮き上がらせる
午後の弛んだ日射しも少しばかり傾き始める
根深い霧がこの港町から抜けることはなく
ここでの昼とはほんの少し明るい夜のことを言う



赤茶のレンガで積まれた製氷場の倉庫の向こうで
海猫が気ぜわしく鳴いている
波止場に打ちつけられる波飛沫は
異邦人たちが流す汗と同じ匂いがする

製鉄所のバースを発とうとするタンカーが汽笛を鳴らす
重くて暗い音がいつまでも響く
誰も聴く人などいないのかもしれない
バラスト水を吐き終えても
いつまでもタンカーは進まない



港から少し離れた公園にも
潮風と魚の腐ったような匂いは
鼻を突く濃さを保ったまま運ばれてくる
伸びるに任せっきりの生け垣の向こうでは
年端もいかない男女が、肌に染みつくような腐臭と霧とに混じって
身体を重ね合わせている

夜にはまだ遠いはずの時間
少年の真剣な眼差しが
この町の唯一の灯火のように
ちろちろと燃えている

喉仏もまだ柔らかい少年は上擦った声で呻く
身体の内も外も無くなって
静かなこの町が彼の中に収斂されていく

足元に落ちていた青魚の鱗と
濁った精液が渇いていく様とを眺める彼の目からは
既に灯りが消えていて
少女は口を結んで涙を流し続ける

星のない夜であるはずの時間
二人は灯りのない小道を歩く



この町唯一の駅の待合室には蜘蛛が住み着き、
単線路のホームに旅客列車も貨物列車も訪ねてくる気配は無い
疲弊した無宿の人がやってきて
埃の絡んだ蜘蛛の巣を揺らすまで
ここは無人のままにある

駅前の交差点の信号機はいつも点滅している
すれ違う人々は造花の花束を抱え
急ぎ足でそれぞれの行くべき場所を探す

革靴で歩く足音がくすんだコンクリートに反響して
霧を包んだレジ袋が消火栓にぶつかる

そこかしこにため息が隠されているこの界隈で
そこはかとなく漂うのは
精液の匂いか、港の匂いか



みんなが寝静まる頃
思い出したかのようにタンカーの汽笛が鳴る
霧の声のように響く、音にもならないようなその震えを感じながら
湿ったベッドの中で少年は
あの時の自分の片割れのように涙を流す

霧が深みを増して夜を蹂躙する


六月三十一日

  飯沼ふるい

そして歩けばいい
積み重ねた故意の失意が
足跡を深める砂丘
錆びついた音響が
骨を震わせ泣いている
そのような
最果ての
更に果てを
歩けばいい
彼もまた誰かを真似て
青く弾ける火花のような
孤児の鎮まらない痛みを
一人抱えて
静かに
静かに
声も忘れて

/

なにもない
爪もない男の
指差すほうには
正確さを求めるなら
なにもなくなる、だが
同心円に
なにもない
が拡がっていくから
差し出されることのなかった
手紙のような、なんてものも
なくなっていくことも
ないのだが

/

ファミレスで昼食をとっていた。
彼には秘密があって、それを一度だけ、高校の同級生だったMに明かしたことがある 。
大分前から食べる気を無くしていたパスタをフォークに絡ませていた。 足をもがれた節足動物の群れがのたうち回るような、なまめかしい渦が、自らをそう遠くない過去へ誘う。その渦の中心で、Mの哀れみの目尻がちらついている。
人に言わないことそれ自体に、何かを期待していた。薄い皮膜に包まれた、蛹の意思。それが彼だという担保、あるいは自信。しかしそれには共感も必要だった。孤独で自身の硬度を保てるほど強くはなかった。
Mは鼻で笑って仕舞いにした。自ら裂いた皮膜の中身は、重たい粘りの、精液に似た汁でしかなかった。
それ以来、秘密の意味と自身との両方に失望している。彼はわざとあの日のように静かに席を立った。
路上で空を仰いだ。飛行機が遠くを流れていた。しばらく日向を浴びていると、羽化せんとする原型のない蛹の意思を感じた。真っ直ぐな熱があった。
人を刺す、たったそれだけの冴えない背徳に何を期待していたのだろうか。しかし彼でないままに生きた彼は今や、他人、その差異、その意味を確かめなければならなかった。
人を刺さなければならなかった。私ではない物を抉る。抉られない私がここにある。その新しい熱。
金物屋はどこか探す必要が出てきた。彼はついに気付くことなかったが、それだけで久しぶりに生きている心地に満たされていた。

/

額縁に収められた親指にマニキュアを塗る
飢えた純粋はまた裏切られ
経血が流れる
その寂しさ
嘗めとる
熱砂の味がする
黄金の血
飲み干して
下血する

/

あなたはミニバンの後部座席で退屈していた。自分で車を運転しない長距離移動は久しぶりだった。東北道を下っていく。
あなたは暇潰しに2ちゃんねるを流し見していたが、那須辺りで電波が途切れがちになった。窓を見上げると、飛行機があなたの乗る車の進行方向とは真逆に飛んでいる。


【朗報】通り魔あらわる、死にたい奴はさっさとーー駅に行け!

さっきからサイレンがうるさい件

俺の凶器も人前で暴走しそうです><


たくさんの人生が一筋の白い軌跡に纏まって、空を淡く傷つける、時速数百kmの緩やかな経過、


ガチ家の近くなんだが、テレビうぜ
ー、報道ヘリの数増えすぎ、うるせ
ーよ、今北産業、第二の加藤、やべ
ーなこれ、何人逝った?、犯人捕ま
った?、ちょっと現場見物してくる
、電車とまってる、おいふざけんな
、マジかこれ、起きてテレビつけた
らこれ、加藤再来、駅で身動きとれ
ない、警察の数がヤバい、現場近く
おるけど変わらず仕事やで、都会っ
てこえーな、田舎もんおつ、奴は犠
牲になったのだ、田舎の方が陰湿や
ろ、ヘリうるせーぞ!、メシウマ、
テレビに友達うつった、こういう風
にわたしはなりたい、これはチョン
の仕業、ネトウヨ働けよ、えげつね
ぇな、なにこれ、被害者の無事を祈
ります、通り魔とかこわ、俺の右腕
が疼きやがるっ!、最低だな、運休
きた、もっとやれ、早く捕まえろよ
無能警察、人類間引きしてくれたん
だろ?感謝しないと、通り魔に刺さ
れて終わる人生って悲惨だな、犯人
の名前まだ?、がんばれー、もう驚
かない、親があの辺出掛けてるんだ
が、被害者の数がおそろしいことに
なってる、こういう事件増えたな、
盛り上がってまいりました、まだ捕
まってないの?、また都会かよ、思
想もない自己中ね、犯罪評論家乙、
犯人の身内がかわいそう、他人の不
幸で飯がうまい、今日人生初デート
、学校休みキター!、わりとどうで
もいい、


それを眺めながらあくびをかます、あなたとは?

/

隣室の三人家族は三十二時間後、練炭で心中を執り行おうとするが未遂に終わる。ざらついた異形の繋がりや、唇の端で腐敗した言葉の滓、糞尿、その他の排泄物に満たされた家族は死ぬ夢から覚めた後、離散する。反対の壁の向こうから子供の明るい声がする。どのテレビ局も連続通り魔の報道に熱をあげている。アナウンサーの深刻な顔。煉瓦ブロックの歩道にこびりつく血の痕をおさめたTwitterの写真。救急車のサイレン。テレビのボリュウムを下げる。子供はおとなしく、アニメでも見ているらしい。明日の朝、アパートの前をパトカーと救急車の列が塞ぐのを見て、子供は訳の分からない不安に怯える。そんなことはない。全て滅多に飲まない焼酎のせいだ。事実は通り魔と、家族の数だけセックスがあるということ。通り魔は僕の妄想ではない。通り魔はいる。通り魔とのセックス。ペニス。通り魔の数だけセックスがある。死ぬというセックス。血濡れたペニス。家族という神話体系。通り魔が僕を煽る。僕を犯す。僕には十時間後、旗振りの仕事が待っている。テレビを消す。通り魔が消える。ペニスが消える。

/

振り向いてほしくて
彼のエプロンを掴んだけれど
するすると紐がほどけていくばかりで
衣服も溶けて
皮膚も筋肉も骨も腸も大気中に分解されて
とろとろの半熟眼球ふたつ、ぽたりと落ちた
白色蛍光の光に濡れた
水晶体がわたしを映す
出かけなくちゃいけないのに
朝ごはんはまだできない
彼がわたしのことを可哀想な目で見ている
いや可哀想な目でって笑
あんた目しかないっつーのにね笑
あー朝ごはんあー朝ごはん

/

春と夏の真ん中で
日射しが君の形をくり貫いた
後に残った蜃気楼
ゆらゆらと
そこだけ秒針が頼りなく
君との時間も途切れがちになっていく
横断歩道を渡ると
風が器物を吹き飛ばす
振り返れば
めくれあがった舗装路のすぐ下に
生乾きの肉がひしめいている

ジューンブライド、その慰めのような響き
君が遠く
屈折した熱源の裏側へ蒸発してしまったら
町の名もすっかり消えてしまった

ジューンブライド、君の影だけがよちよちと歩きはじめ
傍観者の歌う民謡が
さみしい風を呼んできてしまったら
視線のない景観だけが取り残された

さよならしか言えない
祝日のない季節
いつまでも時間が進まない
非日常の季節
歩いても歩いても
日は沈まない
夜は明けない

/

「あ、ひこうきぐも」
そういって、はやしくんが、そらに、ゆびをさしました。
「ほんとだ」
「ひこうきぐもって、なに?」
「きれいだね」
といって、おともだちが、みんなで、そらにかおをあげました。せんせいが、ぼくたちのことをみて、わらいました。
ゆういちくんが
「ぼくたちのこと、みえているかな?」
と、いったので、みんなで、ひこうきに、てをふりました。
ぼくは
「おーい!」
と、おうきなこえで、ひこうきにあいさつしました。たくさんあいさつしたけど、ひこうきは、あというまに、みえなくなりました。
ひこうきぐもが、きれいでした。ぼくたちのこえが、聞こえていたらいいなと、おもいました。そして、あしたもいいてんきだったらいいなとおもいながら、ずっと、そらをみていました。


空洞

  飯沼ふるい

仕事を終えて
アパートの玄関を開ける
先日
酔いすぎてもどした
消化途中の言葉尻が
まだ
黒ずんだ上がり框に
飛び散っている

向かいの棟の方から
チリチリと音がする
数日前から
あちらの
共用廊下の照明が切れかかっている

ノイズ混じりの黄ばんだその明かりは
台所の磨りガラスに張り付いて
三角コーナーに溜まった生ごみに
生き物じみた明暗を浮かばせている

「疑似餌」

そんな言葉をまた不快にこみ上がらせながら
わたくしということが
台所を過ぎる
と、
居間の方で
日めくりのカレンダーが一枚
剥がれ落ちた

影がない

斑に白く曇ったシンクの隅で
ひっそりと呼吸する
酸えた匂いは
輪郭の定かでない暗闇を
黴のように
あちこちへ撒いているが
あすこに落ちている日付の方角から
この部屋へやってきた
わたくしには

それに気づくや否や
目の前に
空洞が、空洞という存在があった
見えない、という大きなものが
ぽっかりと、認知された

 (これは虚無感の隠喩かしらん

言葉の滓はなおも
ひくひくと身悶えているが
しかし
わたくしはこの部屋で一人

ゆっくりとこちらへ歩み寄る空洞
わたくしの体は
身じろぎもせずに
捕食される

部屋が
一段と静まり返った
のではなく
わたくしの
 (わたくしの?
なかから
 (なかから?
先程までの
不快な言葉の淀みが抜けきったのだ
沈黙の涼しい時間が代わりにあった
そして
あなたは
いずれこの部屋へ帰ってくる

いつからの付き合いだろう
あなたは
思春期の盛りの夏
部活からの帰路
自転車に轢かれ
側溝の蓋に頭を強く打った

わたくしの
記憶を言った
それから少し経ち
玄関扉が開く
ぬるい気流が
生ごみの匂いを散らす

 (あなたとはわたくしの妄想かしらん

あなたがある
わたくしということが見えない
あなたが見るのは
空洞、
まるで惨劇のように
静かな部屋
そのなかで
あなたの影は
蝸牛のようだった

この狭苦しい部屋の向こうで
空は
愚鈍に延び広がる
冷たい尿が
薄い屋根板を流れる
軒下の砂利を洗う

いずれにしても
あなたということは
蜘蛛の巣のように疎ましい憎悪
であったり
脂汗のようにべたつく性欲
であったり
夕焼けのように痛ましい思慕
であったり
凪のように静かな不安
だったり
つまり
なにひとつわかっていない
だからこそ
あなたということにすがってみる
艶のない髪を撫でる
衰えた聖、その感触
あなた、わたくし、という
なにがしかの境界が裂けていく
意識、あなたの、未遂の

 (あるいはわたくしの隠喩かしらん

遠雷が遠くで鳴っている
カレンダーの新しい一面に
鯨幕が浮かびあがっては消える

これはいったい
どれほどの自我だろう
張りつめた動脈の遡上が
途絶えるまで続ける
口吻
春の色彩に包まれた
死期の味がする

あなたであるものを通してもなお
存在の密度が
ほろほろと
崩れていく

その感じ
それだけが
わたくしということを
強く訴える

これはいったい
どれほどの自我だろう
あなたもまた中指から流線型に形を崩し
気流に溶けはじめる
もとより気流だったのかもしれない
わたくしがいまここで空洞としてあるように
とすれば
もう誰もここにいやしない
わたくしとか、あなたとか、
そのような形骸を掘りこんだ
覚えていない日々の連なりが
空洞に包まれて
延長された命日だけが
過呼吸気味に息吹いている
百年の孤独とはよくいったものだと思う
これが
収斂していくということかと思う
先日
酔いすぎてもどした
消化途中の言葉尻が
まだ
黒ずんだ上がり框に
飛び散っている
そのまま
なにも残さず
揮発してしまえばいい

雨音は強く
そのなかに
向かいの棟を歩く誰かの足音が紛れていた
閃光は強く
そのなかに
わたくしのうしなはれた影が紛れていた
けれどあなたが風のひとすじになるならば
もう誰もここにいやしない
その為に
向かいの棟の灯りも事切れ
捲れた日付は
とうに
未来からも窺い知れない場所まで
わたくしたちを運んでいる

いつからの付き合いだったろう
眠気にも似ている
意識、あなたの、未遂の
いつも
抱き寄せようとして潰える
火照り
あなたはいたずらに
落ちた日付をひらと揺らしていなくなる
わたくしもまた消化され
ひっそりと、その形をうしなってしまうのだが
それから少し経ち
仕事を終えて
アパートの玄関を開ける
わたくしがいる


晩夏だったはず

  飯沼ふるい

ちょうどあそこの
宅地に囲まれた
整地もなされていなくて
誰も見ているけど
誰も知らないような
小さな野っ原
まずあの野っ原がなければ
始められない気がする

姿のない声が
はっきりとそこから聞こえる

「うしろのしょうめんだぁれ」

子供らの唄うはないちもんめ
けれど本当にそうだという確証はない
他の人には
ヒステリックな主婦の金切り声や
老いたサラリーマンの鼻唄に
もしかしたら泣き女の痛ましい嗚咽だったり
はたまた人外の虚のようなおののきにさえ
感じうるかもしれない
暮らしの中のふとした追想か
けれどそれは本当に子供らの声に違いない

そしてその日見ていたものは
晩夏の景色のはずだった

九月の暮れの小さな遊び場
夕暮れに染まる
子供らの声が
とろとろと延びる影に溶けていく
なんてことを書いていると

「三番線に
 列車が参ります
 危ないので
 黄色い線より
 下がって
 お待ちください」

そんなアナウンスが
無人の駅舎の方から聞こえてきて
近くの踏切で
乳母車をおす男が寂しそうに立っているのが見えてくる

男は赤子の寝顔を覗き
このまま乳母車を踏切に投げ込んでしまおうか思案する
赤子を供物に捧げよう
それが馬鹿げた妄想で
彼だって赤子が真実愛しいのだから
ずっとハンドルを握りしめている

二両ばかりの列車を見送り
踏切を渡る男の哀しい背中を見送り
あの野っ原の方を振り返る

するとどういう訳か
さっきまでの赤や朱の彩りはすっかり褪せて
白い陰や黒い陽射しの入り混じる
無声映画のような風景になっている

そうなると
薄暗い雲から
綿みたいな雪が降らないといけない
冷たいにおいが
もうそこらに満ちている
町は黙祷をはじめ
唱う子らの声も
降りしきる雪に紛れ
九月の暮れに落ちた影が
乾いた雪に埋もれていく
そういう風に書き換えた

そろそろ終わりにしたいのに
終わりようのない雪は降り続いている
そもそも終わりとはなんだろか
散歩の道すがら
野っ原を眺めるたびに考えた
このちっぽけな野っ原は人を欺く為にあって
本当にそこにあるのは荒涼たる原野ではないかとも考えた
考えているうちに
あれははないちもんめじゃなくて
かごめかごめだと気がついた
一つの正しいことに触れた途端
野っ原は真っ白に塗りつぶされていく
僕が見たもの
僕が聞いたもの
それら一切は印象からも脱皮して
このように
白々しい言葉と果てていく

「かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる」

もう何も見えないし
何も聞こえない
明日になれば野っ原に
まっさらな雪のかむった墓石が並ぶ

そう書かなければ
終われない気がするので。


群像

  飯沼ふるい




えぇ、ご指摘の通り、これはシベリアンステップの凍土に眠る名もなき独逸の冒険家が手首に巻いていたスカァフです。それはさておき私の話をまずお聞きなさい。





一小節、まだまだ弦楽は引きつって笑わなければならない。ティンパニ、ティンパニ。ここで叩く音が嬰児を爆ぜさせて射精、掌握された、
二等星、そのために手を繋ぎ唾液を髪に垂らす星、下痢をぶちまける、指のかたちに、夜が河川に運ばれる、星が運ばれる、海へ、塩辛い破裂音が犬吠埼に弾かれる、
3番線、それは以前に書いた詩の名残、架線にたなびくビニール袋、聞き慣れた単位に染められようとする一筋の希望、
地平線は震え、たくさんの涙腺から、医務室に収められた、ホルマリン漬けの卒業証書。





 我々の遺骨を
 我々が納める
 我々の指先
 




道玄坂を下っていた男は朗らかな東北訛りで、日露のエネルギィ通商に伴うOPEC諸国との資源交渉の影響について連れ添いの女に説いていました。
さて、浜田商店という看板のかかった、古ぼけた個人商店には萎びた玉ねぎや人参が、並べられています。
埃っぽい店内の空気をいっぱいに吸い込んだそれらは、近所の農家が三代前の主人に卸してからずっと残されているもののようにも見えるのです。
数年前に流行った文具のポスターが、レジの下に色褪せながらも貼られています。
そこに向かって深緑のジープが突っ込んで来たのは、語尾をずるずる引き延ばすような訛りを隠そうともしない男が女と別れてから中央線での人身事故に捕まり立ち往生していた時でした。
衝撃はよほど大きかったと見え、その破壊力は二度目の元寇の際、いざ浜に上陸せんとして蒙古兵が投げた、てつはうにまでおよび、肥前武士の右腕をちぎり飛ばしたものです。
彼の流した血とよく分からない体液は、海砂と化合してひとつの小さなストロマトライトになりました。
それは今も尚、死んだ観念のような姿で酸素を吐き続けています。





冬の陽のおおらかな無情
 行方は知らない

白い雪の静かな知性
 行先を教えない

低気圧が覆っている
敷き詰められた白線の下敷きになって
寒い
日本酒を呑む
うまい
こたつにミカン
カメラはNikon
言葉は知らない
除染済みの土砂を
モノクロに写して

僕は何に恋をする

人恋しさに
恋をする

干柿のような顔のカップル
1枚、どう?





皆さんもご存じのこととは思いますが、昨日、貯水池に落ちたゴムボールを拾おうとして、柵を乗り越えた子供が足を滑らせ池に落ち、溺死しました。
さればこそ、以下に述べる事実もまた教えなければなりません。
明後日は、老人がぬるい茶を大袈裟に啜りながら、彼の友人に王手を掛けることでしょう。
また、因数分解の初歩に戸惑う岐阜の中学生の女の子が、先生と目を合わせないよう不自然に目を泳がせることでしょう。





「青や緑は人に寒さを感じさせる、寒色と呼ばれる色です。赤や黄は逆に、暖かみを感じさせます。これを暖色といいます」
と、いつか図工の時間に先生が教えてくれた。新しく僕に与えられた言葉はそっくりそのまま教科書に印字されている。
青い水彩絵の具をなんとか絞り出す。弱ったなまこみたいな寒色が小汚いパレットにぽてりと落ちる。
ひねくれはじめていた当時の僕はそれで暖かい太陽を描こうとしたのだが、どうもうまくいかなかった。
太陽は赤い、などと誰が決めた。とは言うものの、しかし、しかし例えばだ。僕が赤いと思って見ている物が、僕が青いと思って見ている物の色で見える人に、焚き火や夕焼けの色、あれが暖色といいます。
と、教えたとする。
「ほう、あの色が」
彼が夏の黄昏を情感いっぱい込めて描いたとき、僕は彼をひっぱたいてしまうかもしれない。
てめぇの血は何色だと。お前それ暖かく見えんのかと。ひねくれるんじゃないよ。夕焼っていうのはこういう色だ。いや、違う……。
と、謎の押し問答が始まるのではないか。彼の暖かさとはいったいどうなのか。絵の話が論理学だか哲学だかの話になってしまうからもうやめる。
とにかく僕は諦めて画用紙を青空で埋めた。青く円い太陽はすっかり潰されて、雲を描くのも忘れた。





2014.11.30

またなにもしない1日。
彼らを思うことの虚しさ。
仕事を探さねば。
社会に出て働くこととは相容れないが、仕事をしなければ何事も説得力に欠ける。





教皇への布施を誤魔化し続け、売れない芸術家を養い続けたシチリアの銀行家は睡眠中に窒息死しました。
彼の不倫に嫌気がさした妻が、湿らせたシルクのハンケチを彼の喉に突っ込んだのです。
彼が死ぬ間際まで愛読してきたヴェスプッチの『新世界』第3版は、彼の死とともに妻の手で焼かれました。
その火を種に、思想家の卵が心密かに疑念視していた易経もまた、始皇帝の命により焼かれたのです。
それらの、明るい燃焼音を記録したレコオドはいずれ、オクラホマの図書館から見つかることでしょう。

その翌日の早朝、南米の密林に流れる小川に、純度の低い安物のコカインが大量に流れました。それを拾い上げた者が、キュロス2世に仕えた軍人の一人でした。
興味のままに服用し、興奮した彼が見たのはどこか遠い国から湧き立つ蒙古高句麗(ムクリコクリ)の雲でした。
神にも見紛う姿だと、畏れ敬う彼の大きく開かれた瞳には、新しい生の兆しがきらめいていました。
湧きあがる力のままに、彼は下エジプトの麦畑を蹂躙したのです。その後、彼はメデシン・カルテルに加担するマフィアの一員とみなされ、警官の一斉射撃を受け死亡しました。
彼の呟きは、ホメロスの耳にも届き、あの有名な枕詞となったのです。つまりオデュッセウスやテレマコスとは原子爆弾の隠喩ともいえるでしょう。





2015.1.15

白く薄い布を首から爪先までぴったり巻き付けられた中年のアラブっぽい男が腹をかっさばかれた。
舗装されていない路上で、細長く反りの強い刀を持った長身の男が倒れている中年男を踏みながら、男になにか怒鳴りつけ、おもむろに刃を脇腹に突き刺したのだ。
中年男はぎゃあぎゃあ叫びながら首を降りまくる。長身男は尚も怒鳴りながらマグロを解体するように何度も刀を押しては引いて、腹に一文字の穴を開ける。
血は一滴もでない。長身男が中年男を蹴って、横向きにさせたとたん、濡れた一塊の腸がどろりと地面に溢れる。中年男の胸がまだ上下している。
そこで目を背ける兄と知人。テレビの映像だった。自分はやべぇやべぇと言いながらその場を離れ、何度もその現場を振り向いた。
兄らとテレビを見ていた筈なのに自分だけいつのまにかそこに置いてかれていた。
砂埃と黄土色の荒廃した荒れ地を駆ける。すると、古い日本の宿場町の面影の残る、山の斜面をつづらに縫う田舎道についた。
折り返しのうねりの頂点に路が一つ伸びていて、そこに入ると、親戚の家のような実家だった。葬式の準備で慌ただしそうにしていた。
自分も真っ黒の靴下を探したが見当たらないので、深い紺色の靴下で我慢した。
ネクタイも葬式用の黒一色のものがなかった。一筋の黄色い雷模様のついた趣味の悪いネクタイで妥協した。
準備を終えると、見知らぬ子供と風呂に入っていた。田舎の子らしい垢抜けない丸い顔の男だった。途中でその兄と思わしき男が入ってきた。小学校高学年くらいの男だった。
狭い風呂だったから兄はずっと立ちっぱなしだった。





『インディアン』と、ある全体の為の便宜的な名詞それ自体をさも彼の名であるかのように入植者たちから呼ばれていることなど知る由もない男が
新しい命の為に流した汗は蒸発してアパラチア山脈の霧となったことに疑いようがありません。
しかし彼の妻はペストに罹り、腹の子と共に赤い土の中で分解されていきました。
彼の慟哭は、あのシチリアの銀行家が見た走馬灯の最後に、鈴の音のようにかすかに響いたのです。





雪のまばらに残った梨畑が午後四時の夕陽に曝されて、赤黒く染まっていた。
渋谷のスクランブル交差点を歩く群集が頭によぎった。
田舎者が思い浮かべるテンプレートな都会の偶像だ。
しかしそこに同時代の私がいる。
共有しきれない、私という境界が、肩をぶつけ合い、ざわめき、すれ違う。
哲学を噛み砕いたような胡散臭い曇天が、吾妻山の山体を覆い隠した。
雪片がそこから無軌道に落ちて、土塊を埋めていった。

老人の渋面みたいな梨木の皮膚が孤独だ。
お天気カメラに映る数人の死者が孤独だ。
そういう同質さは繰り返される。
私の境界も、
一生分の永遠のうちに切り取られ、
身震いし、崩れていく体。
身震いし、崩れていった町。
埋め合わせの、
夢見がちな言葉が群がる。








今、と言ったときの過去が幾度となく去来して、私、と言ったときの過去が幾度となく去来して、未来、へ進もうとする意志が宇宙と並行して走っている、今。








2014.11.13

ハローワークに行った。事務職は幹部候補として育てる予定がないと採用厳しい。資格、経験も必要になってくる。
帰りに美術館に寄った。常設展は以前見たときと変わらない。企画展の方へ向かう。
企画展はなんとか千甕という人の特集だった。
10代半ばの頃に描いたという仏画はきれいだった。仏画をまじまじと見るのは初めてだった。仏の纏う装飾物の緻密な描写に驚いた。
仏の体を成す墨の線ひとつひとつの柔らかさ、繊細さ。人の信仰を篤くさせる技術への畏敬。





えぇ、ご察知のこととは思いますが、これはチグリス川に辿り着いた遊牧民に伝わるタペストリーのひとつです。そんなことはいいから私の話をお聞きなさい。





たしか小学校に入学したての頃だった。自分の顔を好きに描きなさい、そう言われたのでクレヨンで想像上の自分を描いた。
描いている最中のことはまるっきり覚えていない。気がつくと子どもの描くお決まりのホームベース形の顔が教室の後ろの壁に並んでいる。
名前がないと誰かも分からない自画像の列のなかに僕の顔がある。両肘の関節を不自然に折り曲げておネエのように手を振っている。
その指の歪さったらない。派手な盆栽の枝ぶりかと。本物の自分の手と自分が描いたはずの自分の手を何度も見比べたのを覚えている。
僕の指はあんな形ではない。先生が、「みんな上手に描けていますね」とかなんとかニコニコしながら褒めた。
「はぁ、あの指が」
僕の指が先生にはあんな歪に見えるのだろうか。などと本気で考えるほど僕は阿呆ではなかった。お世辞という感じくらい分かった。
先生は僕の絵を「元気なのがよく分かるね」と褒めてくれた。気恥ずかしかったけど、努めてなんでもない顔をつくった。

ただ、世界はある時代までモノクロで出来ているのだと思っていたくらいには無知だった。
カメラが映す人はヘルメットをかむったアメリカ人、外人とはつまり全員アメリカ人だ。そしてみんな妙に素早い。せかせかと行進するアメリカ人。
モノクロの人たちは今どこでなにしているんだろう。日曜日の朝、戦争の話をしているテレビを見ていて思った。

それから少しして、母方のじっちやんが骨になった。骨を拾う時のカサカサという音が心地よかった。
みんながすすり泣いているのを見るのがおもしろかった。知らない親戚のおんつぁまが話しかけてくるのが怖かった。
大人が着る服もそこかしこに掛かる幕も骨も白と黒ばかりだった。戦争のテレビを思い出した。
じっちやんは、モノクロからフルカラーに世界が変わるときを生きていたのかと思った。
じっちやんは機関士だったという。
こんなにも目覚ましく色づいた世界にあって、機関車が真っ黒のまんまで、どす黒い煙を吐いてずんずんと突き進んでいたのを知ったとき、彼はがっかりしなかっただろうか。
そんなこと考えていると、僕のいなかった時代があったのだと、初めてわかった。
心のすぅっと浮くような涼しい感じがした。のど仏が納められて、質素な木箱が閉じられた。誰かがここからいなくなった。
あとで父ちゃんにモノクロの話をしたら思い切り笑われ馬鹿にされた。

それからクレヨンも絵の具も真っ先にあおいろが無くなっていった。
空は青いし雨も青いし朝顔もそれを植えたプラの鉢も運動着も青かったからだ。
ひねくれてしまったのは父ちゃんのせいだと思う。





四号室、ヤニ臭いシングルルームに男を呼びこんで寝る。ふやけた視界が捉える、シーツや鏡、暖色にまみれた時間、
窓の向こうの海浜公園から花火がうち上がる、雅やかな光の輪、もはや体温だけの男。
目から彗星のようにとめどなくこぼれた、意味と、水風船の破裂するようなびしゃびしゃの景色が、
饐えた臭いごと肛門に注がれ、指を首へ殺意のように絡め、銀が散り、塵が舞い、夜はあぶれて、
五時、水平線の底からたち昇る古い友人のような朝焼、部屋に残された指輪とコンドームが、他人事のように輝く。





これらは全て、明日をも知れない若い新橋のホームレスが仕立てた、平坦な悲劇の妄想です。
「かつて」から「いつか」にかけての時制の間、皆さんの身に起こってもよかった事実の目録です。

ベクトルとは常に一定とは限りません。幽霊のようにふわふわと彷徨うクォンタムとメランコリィとミィムとにより、それは湾曲し、正道を征き、あるいは拗ねたり、反発したりもするのです。
黄金に輝くアジア象の夢から生まれ、砕かれた林檎のような女陰が咲き乱れる沼へと注がれるように、
皆さんや、皆さんがご覧になっておられる教科書の綴じ紐や、この詩というくだらない言語遊戯の構造上「私」と語られるべき、この私も、
歴史と重力との網状のスペクトルをすり抜け、十一月の大西洋に人知れず舞い落ちる白雪になり得るのです。えぇ、そうです、おっしゃるとおりですので、私の話を聞きなさい。





以下余白







 


死活

  飯沼ふるい

葉桜の並木道を一台の霊柩車が行進していくのは
28℃
「にじゅうはちどしー」
と、略さずに呼びたい一日
の真白い光
噛み砕くと
腐った果実のにおいが広がる





額から垂れる汗の微温さや性器の湿り気がどうしようもなく不快だった。このまま町の風景に鈍く固着していく予感が、僕を解放してくれる誰かを求めずにはいられなくさせた。密林のように舌を絡ませあい、じゅくじゅくと沸騰しては冷えて固まる死という堆積物をお互いの肺胞におさめあう誰か。そんな血みどろの想念を、丁重に運ばれていく骸へ注ぐ視線の裏で患いながら、誰にも悟られないよう親指をそっと掌へしまった。

誰もいないのに。





着信音で意識を取り戻す。まどろみから抜け出しきれぬままに通話ボタンを押して「はい?」と寝ぼけた調子を隠しもせずに相手を問う。

スピーカーの向こうから「きみ」の葬儀の日取りを伝えてくるのは昔付き合っていた女だ。
女の、重力そのもののような重たくのっそりした声に押し潰されて瞼を開くこともままならない。手探りで卓袱台に置いたはずのライターと煙草を取る。ライターを摩擦する音をマイクが拾いあげたか、嫌煙家の女は黙りこんだ。
煙草を肺の奥深くへ充填させる。眩暈を感じるまで息を止める。吐く。ねばついた口腔から漏れ出る煙は電灯の紐に絡まりもつれながら消えていく。こめかみが脈打っている。

どくどく、どくどくと。

死ぬのはいつだって僕ではない。ざらついたライターの歯車を親指でこすりつづけていたら火がつかなくなってしまった。

二週間洗っていない寝間着には煙草の脂と寝汗がたっぷりと染みているはずだが、それすらももうわからないほどに身体と馴染んでしまっている。その身なりのままサンダルに足を突っ掛け、99年式のパジェロミニに乗り込んだ。





入道雲が膨れ上がっている
そのしたでくすぶる初夏
空の密度は息苦しい
(ガラスを幾重にも重ねたように
(透明だが、透き通ってもいない






  背中に、
  背中に、舌を這わせた
  脊椎の窪みへ舌をぴたりと合わせ
  丹念に
  丹念に
  舐めた
  「きみ」の身体から滲んだ皮脂は
    とにかく苦かった
  執拗に吸われた「きみ」の肌には
  紅い斑点が浮かんだ
  僕の舌が舐めた跡は
  蛞蝓の這いずった道筋のように光っていた
  どんなに「きみ」を汚しても
  「きみ」は微笑むだけで
  僕を許した


     夏の陽射しに顔をしかめながら
     腐りかけの桃を握る
     いつかの祖父
     枯れ節のような指に
     濁った果汁が媚びるように絡んで汚かった


    牡丹雪は
    降っていたか

  菜の花は
  揺れていたか

   合唱コンクールの
   課題曲を
   思い出せない

  川に投げた
  地蔵の頭は
  見つかったのか


 あぁ、なにか、そう、今は
 今(であったこと)に蝕まれているらしい

たしかなのは
霊柩車は空を辿って行ったこと
(油彩画のような重たく厚い青空を
(成層圏まで沸き上がる陽炎にのって

 28℃
 「にじゅうはちどしー」
 と、略さずに呼びたい一日に
 28℃
 「にじゅうはちどしー」
 と、略さずに呼びたい一日に
 まぎれもなく、そこには


入道ぐも






        入どうぐもも



  28℃
  
  28℃
  「にじゅうはちどしー」
 と、


           にゅうどうぐももも 

  略さず呼びたい一日の
 屁
           ぐももも

  28℃
   「にじゅうはちどしー」
   と、略さず呼びたい一日は

   略さず呼び、呼びたい一日は
  28℃
  「にじゅうはちどしー」
  「にじゅうはち
    と、略さず
  「にじゅ「にじゅはち「にじゅはちど「にじゅはちどしと、略、略さず呼びたい
  呼び爆撃と、屁がぐももも
 がぐもももも
  「にじゅうはちどちちちちちちちち」
  にゅうどょうぐももももももも
 ここにきて
  びちょびちょの
  28℃
  「にじゅうはちどしー」
  と、略さず呼びたい
 と、煮えている僕のなかから
  霊柩車、空になってーー


歩道を歩く女の子のスカートが短い





女が言うには車はおもむろに路肩へ突っ込んでいったらしい。
飛び散った「きみ」のどこかの指のひとつは天を指すように突っ立ち、まるでアスファルトから勃起したぺニスのようだったという。

女は僕が「きみ」の指で犯される夢で夢精したことを知っているに違いない。





コンビニの冷房は汗ばむ体に辛くあたる。
ライターと香典袋を購うと、それだけで一日の予定が終わってしまった。アイスもいちど手に取ったが、なにか不謹慎な気がしてもとの場所に戻した。
ギンギンの陽射しを刑事ドラマの主役でも演じるように睨み返して車に乗り込む。
来た道をそのまま逆に走っていると、フロントガラス右上端にぼやけた染みが浮いているのに気がついた。
手を伸ばして拭こうとするとそれは汚れなどではなくて、目の前を覆うガラスなんかより遥か彼方の青空で溶けかかっている月だった。
精液を全身に浴びたような白ーー。そんな喩えが頭に浮かぶと、恐ろしくなった。今ここに僕がいることが恐ろしくなった。

女の子をまた見かけた。女の子は女の特徴をやおらに主張する格好をしている割に化粧もしておらず、幼い面立ちをしていた。本当に幼いのかもしれなかった。女の子に乱暴すれば気も紛れるかと思ったが実行できる訳もないので想像の内に留めた。その想像をも振りきるようにアクセルを踏み込んだ。
バックミラーを覗くと女の子は気のない顔で、けたたましい音を散らす割にのんびりとした速度で逃げていく僕の背中を眺めていた。





生まれたての姿の僕は野グソするようにしゃがみこみ、アスファルトに融着した「きみ」の指を尻の穴にねじこんでいく。
体を上下に揺らすたび、手入れの行き届いた爪が僕の内側を引っ掻くから気持ちよさなど微塵もない。それでもあの出所の分からない恐ろしさから逃れるように、執拗に「きみ」の指とまぐわう。「きみ」の指を尻の口で豚のようにむしゃぶりながら、喘ぐ。喘ぐたびに還っていく。祖父のいやらしい手を見て目を背けたあの頃へ。精液を知らなかったあの頃へ。





いつかの祖父は、幼い僕のイチモツをしごくことで愛を教えた。僕を取り繕う魂とか精神とかいう類のものは、脳髄から脊椎へ雪崩れこむ、抗うことのできない激流に飲み込まれ、あの濁った果汁となって祖父のもとへ放たれた。祖父の愛に体が応え、おぞましい快感と底知れぬ悲しみが残った。
そして理性が、自分の中身は腐っているのだという理解を引き連れて帰ってきた。息もきれぎれに、こんなものを吹き出してしまう自分のことを、どれほどの汚物であるか責めたてた。密室で、河川敷で、公園で、銭湯で、体をがくがくと震わせて濁った果汁を放つときの、暗い目の僕を、祖父はいつも恍惚と眺めていた。愛のために命の純度は落とされていった。

それから10と余年経った頃に付き合っていた嫌煙家の女は、クンニリングスの恥ずかしさが好きだと言った。僕はそんな自分の様を鏡で鑑賞すればいいと提案し、ベッドの脇に持ってきたスタンドミラーに向かい合わせて股をひらかせた。祖父のいやに優しい手を迎え入れるかつての自分の姿が重なった。いびつに窪んだ性器へかしずくように顔を埋めた。熟れすぎて爛れたあけびのような窪みからは、やはり腐った臭いが広がる。人は生きながら腐っていく。腐るところがなくなると人は死ぬ。僕の舌が女の腐敗をさらに酷いものにさせた。女はひどく恥ずかしがった。つまり悦んでいたのだが、僕は吐き気がするほど女を軽蔑した。腐っていくことが悦びとは。しかし僕にとって、軽蔑は愛と同義であるのも事実だった。





そしてただ微笑みの印象を残して大破した「きみ」とはいったい誰であったのか。





喘ぐ。喘ぎながら僕は穴という穴から汁を垂らす。汗も涙も鼻水も腸液も、こぞって僕を汚くしてくれる。ブラブラ揺れるイチモツを握り、唯一まだ汁を垂らしていないその最涯の穴から、僕の髄まで絞り出そうとする。祖父はとうとう僕の尻穴に指の味見をさせずに逝った。外で小便を垂れるのと同じ種類の心地好さや幸福な感じにまみれている。武者震い。イチモツと陰嚢の狭間が震えはじめる。

ひくひく、ひくひくと。

もういい
飛び出していけ
なにもかも失ってしまったのだ
なにもかも失ってしまえ
「きみ」という
一過性の無間
引きずり抜かれていく
「さんじゅうろくどごぶ」の体温
頭のなかも真っ白に
込み上げてくる嗚咽
真昼の月はぼろぼろと崩れ
失いかけた我が名を取り戻すように
「きみ」の名を絶叫する

「きみ」の名を絶叫する


厭離穢土、欣求浄土

  飯沼ふるい

午前0時過ぎに(表現の誤解にもとづ
いて、近所の土手を(地滑りしていく
永遠を這うように、散歩している。鉄
塔の灯りが点滅しているのを眺めなが
ら「あれは飛行機のためにあるという
のは建前で、ほんとうは宇宙人と交信
するためにある」と、小学生も騙せな
いような(記述の憂き目に遭う、しょ
うもないホラを呟く。昨日食べた焼き
そばのせいか、鉄工所が燃えているせ
いか。土手を下ってすぐの鉄塔の足元
らへん、人の背丈ほどの(生き死には
語られ続け、薄い塀に囲まれた、小さ
な(骸になるのを許されるのは、鉄工
所の開口部という開口部から炎が盛ん
に噴いている。

ウソとホラの違いってなんだろう。燃
えるという物理学的な仕事は(語るこ
とをやめた者だけ、視覚のみに働いて
いて、臭いや音といった知覚への作用
は感知できないでいる。(おい、叢に
まぎれた虫とカエルとが鳴いている。
川でなにかが弾ける。遠くの道を車が
(そつちのほうに、ときおり過ぎる。
心臓のそばで蛆が這う。そういう類い
の静けさの中心に、炎は視えるだけで、
それは少なくとも俺にとって正しい。

一瞬の(回想はまだ残つてゐるか、白
い閃光のすぐあと、1つの窓から炎が
巨大なマッシュルームの形にむせる。
そして内側から裂けるようにはじけて
萎むと、黒煙がのぼりはじめる。黒煙
は(使ひすぎるほど使つても、重々し
い量感を漲らせ、またたく間に空へ空
へと突き進み(まだ足らないまだ足ら
ない、鉄塔を覆い隠す。そういえば最
近見たニュースのなかで昔の友達がイ
ンタビューを受けていた。真面目にマ
イナンバーカードについて語ったあい
つは(あんまり足らないものだから、
いつか「セフレと事に及ぶときは朝5
時まで呑んで死にたくなるほどの二日
酔いを抱えたまま精神科でメンタルセ
ラピーに臨むような気持ちが大事」と
も言っていた。今もその言葉が頭から
離れないでいるから、インタビューで
も言っていたに違いない。(愛のため
の言葉なぞみじめに媚びりつかせやが
つて、猥褻のカドで捕まればいいのに。

黒煙の行方を追い続けていると、(と、
一点の光が七色にうつろいながら輝い
ている。(斜に構へてみたりする、鉄
塔の点滅ではない、ユーフォーだ。ホ
ラかもしれないしウソではないかもし
れない。30分ほど前(あつちには芍薬
の枯野がひろがつてゐて、土手に腰を
下ろしていた俺の背を通り過ぎた徘徊
性の痴呆らしい禿たジジイが、黒煙に
まみれて咽ながら光へ召し上げられて
いるからだ。

あぁ、(こつちには明王の眼が転がつ
てゐて、キャトルミューティレーショ
ン、御来光、メメント・モリ。焼きそ
ばだって食べたくもなるし、(いつた
いなにをひつようとしてゐるのか、セ
フレというウソみたいな関係にすがり
たくなる場合もあるんだろう。結局は
いつだって他人事だから(かんがへる
だけかんがへて、いつまでも童貞だ。

うねるような(子午線を幾度も跨ぎ、
灯りに照らされて、煤や灰やにまみれ
ていることに気付く。洗うダルさを思
いながら(いみじくも人を阿呆にさせ
続ける、身体のあちこちの黒い染みを
検分していると、それらは次第に俺の
身体を侵食して点々とした(裏切りの
数々、孔をあける。割礼、そういう言
葉が(繰り返し、よぎる。真っ黒な孔
があいたぶんだけ(繰り返し引きちぎ
られる、身体が軽くなる。午前0時過
ぎに在ったであろう俺の身体(回想、
は光へ向かって手を挙げていた。いつ
のまにか俺は上空からその姿を見下ろ
している。魂の救済、解脱、(ばかり
に目を回す、回向なんて求めるほど思
い悩む生き方をしていないが、あぁ、
キャトルミューティレーション、重力
がこれほど人間を縛っていたとは。

俺は(けれどもまだ死ねないから、土
手をくだり(それらを砂に還して鋳型
をつくる、鉄工所へ歩を進めた。空か
ら眺めている限り、俺と(歯ぎしりと、
ジジイとの差など無いに等しい。ジジ
イはいつの間にか全裸にされている。
子供のように手足をばたつかせてはし
ゃいでいる。俺もあんなふうにされる
のか。宙に放られている俺のすべてが
宇宙人の知覚にかかっているなら、ジ
ジイのすべてはだれだったんだろう。
俺は健気に塀を越えて、さよならも言
わず(真つ赤な動脈を流し込み、自ら
を荼毘に付していった。涼しい。親友
がひとり亡くなったら、こんな気持ち
になるのかもしれない。

煤や灰やが螺旋に舞い上がり俺を祝う。
尋常ならざる力によって上着も下着も
透けていく。空を泳ぐ空想はよくした
ものだが、裸になるのは及びもつかな
かった。覚えたての自慰を(時間をか
け、終えたときの気分だ。大気が揺れ
んばかりの重く激しい爆発が足元から
おこる。バゴォーンは全国で売られて
ないことをはじめて知ったときと同じ
くらいの衝撃で童貞は木っ端微塵にな
った。(此岸の融点で、音とも衝撃波
ともつかない振動が鼓膜や下腹に伝わ
ってくる。あらゆる物理的な仕事の作
用を知覚する俺というものは取り戻さ
れて、痒い。いきおい身体の裏返るほ
どの走馬灯とちんぽの痒みに襲われる。

はじめて(結晶させる、恋人の手を繋
いだとき、指紋に染みた汗を餌に蛆が
沸いた。土のなかの(みずみずしい未
熟児、湿った暗がりが口のなかいっぱ
いに広がった。ちんぽを掻いてしまう
のは場の空気にそぐわぬ気がする。じ
りじり我慢しながら、厄災よ祓われた
まえと念じながら炎の唸りを聴いてい
る。(人がひとり剥がれ落ち、走馬灯
に照らされた肺腑の蛆がのたうち回っ
ている。恋人との別れを決定付けた
(言語の都市に産まれいづる、メール
を撫でたのと同じ指紋で詩を打った。
打てば打つほど蛆は潰れて、(意味の
与へられてゐない存在、それを餌に新
しい蛆が沸いた。

(その悦びと、ちくしょうインテリジ
ェンス。こんな思い出ばかりしか浮か
ばないのは宇宙人の仕業か、あいつの
話のせいか。いつの間にかこの世から
見えなくなったジジイにはなにが見え
て、なにが見えなくなったのか。ウソ
をついたぶんの三倍は正しいことをし
ろと(己のものでない痛みの数々とを、
保護者ヅラした親から折檻をうけた。
蛆の染み付く前の話を空に見ている。
あれはなんのウソがバレたときだった
か。ちんぽをさらけ出して宙に浮いて
いることを除けば、俺はいま独り光へ
臨み、清く正しい人間に生まれ変わろ
うとしている(あらためておもい知ら
されれば、そんな気がする。

孔は拡がるのをやめず、そこからこぼ
れていくものがある。蛆だ。尋常なら
ざる力で(涙は空襲のやうに、溶かし
だされている。あぁ、キャトルミュー
ティレーション、ただ存在のためだけ
に溜まり続けた澱がこれほど重たかっ
たとは。寒い。冴え渡りすぎて寒い。

走馬灯も(あふれるものだから、すべ
て過ぎた。(やうやく死ぬのが近づい
たのかもしれない、とうとうこの身体
にも過去形が迫ってきた。はるか下方
の炎はとうに潰えて、目前の光は眩く、
(永遠はまたひとつ崩れ、記述される
俺としての俺の終わりか。しかし宇宙
人の正しいことってなんだろう。(お
前に用意されたあたらしい予言に満ち
る、人生に誤謬があるなら、それは俺
の眼にしかないはずなのだから、あい
つらが棄てていったものがなければ、
残された記述は光へ向かい、暗くなっ
ていく身体だけだ(それもいづれ都市
の言語中枢に食はれてしまう、俺はい
ったいだれというんだろう。あぁ、血
も涙も走馬灯もちんぽの痒みも枯れ果
て、劇的な意味もなく(だから最期と
も言わぬが、地球の自転と宇宙の膨張
との延長線上の出来事として(ひとつ
の記述をのこしておえるとする、連れ
去られていく視線から(空と一緒に翔
んでいかうとする、遺骨まで遠く、拡
がり続ける(あらゆるものの、孔で真
っ黒に裏返り(ひとつの可能性として
の、“ここ”から絶えようとしている、
だれかの(お前の、
ために、
(真名を、
聖歌を。

けれど彼はその一つも知らなかった。

文学極道

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