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Migikata (右肩) - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全14作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


  右肩

 ミシシッピ州からやってきた鰐がこちらを見ている。美しい鰐だ。愛している、という目で僕を見ている。いつか君を食べる時がきても、ゆったりとくつろいだ幸せな気分で、よく噛んで粗相の無いように食べます、とその目が言っている。それはいやだな、でも、もし逆に僕が君を食べることになったら、僕もよく噛んで食べることを忘れないようにしよう。黒々とした熱い鋳鉄の皿の上で、君の肉片は適度な大きさに切られ、焼かれているはずだ。落ち着いて、じっくり食べて、できれば食べながら声を上げずに泣こう。僕と鰐は愛し合っている。鰐の故郷、ミシシッピ川の丈高い草に覆われた川辺はとてもよいところだ。
 僕らは今、薄暮の霞んだ月を戴いたユーラシア大陸の一画、平原に並んで立っている。僕らしかいない。春の草花が一面に揺れて、幽かな、しかし嗅覚を超越して深い匂いを放っている。僕らは愛に包まれて、つまり眠りよりも濃い安心感に陶酔しながら、これからこの草地を歩いていくだろう。草の隙間からしらしらと輝くものが見える。かつて城壁を構成していた石積みの名残だ。断面の凹凸も角も磨り減り、柔らかく崩れた石の塊が、草花に隠れながら、紫や青や赤や黄色が暗い緑の中からにじんで浮き上がる空間にちらりちらりと見え隠れしながら、延々と連なっている。
 鰐よ、総ての喜びは記憶と、記憶にない歴史の隧道をたどってもたらされる。総ての苦しみは何も無い未来から光として流れ込んでくる。君とここにいるということは、その二つが無限の愛によって抱擁し合う場面を目の当たりにしているということだ。裸の肌と肌とが触れあって、冷たく燃え始める。赤い興奮が唇として重なり舌となって絡み合うと、その先は必ず充分な余裕を持って相手の核心に届いている。愉楽。射精は言葉をもたらし、受精はモノをもたらす。産まれてくるものは喜びの膣口と苦しみの肛門を突き破って足を伸ばし、その足が地面に触れるとソックスを生成し、スニーカーを生成し、下側から段々と日常のかたちを生成してそれは今僕として君とここに立つ。鰐よ、君と歩き始めようとしている。
 生きている意味ってなんでしょうか?と鰐が僕に問いかけているようだ。生きているものを生きたまま食べる時、口中にしぶく血、その感覚が質問の起点です。鰐は僕に問いかけの意味を解説し、すっと目を閉じる。その瞼から金色の波紋がさやさやと広がり、徐々に地表を夜で浸す。僕は答える。鰐よ、意味は言葉によってもたらされるものだ。しかし、言葉は発せられた時既に固有の意味を背負っている。意味によって意味を語ることは堂々巡りに他ならない。僕たちが人生に苦しむのは、この堂々巡りが未来から光となって僕たちを照射するからなのだ。過去に注意を向けるといい。この春先、この花野に降っていた最後の雪にだ。生きることの意味は日の当たる土地に降り注ぎ、たちまち消えていく雪片だ。百億千億の意味があり、等しく光の中で輝いている。総て言葉ではなく、総て正しく、総て瞬時に消えていく。僕たちに与えられた生きる意味がそこにあった。今それは一面の花として、冥界からの残光に喜び輝いている。喜びは記憶と過去とからやってくるんだ。鰐よ、僕らは予兆としての苦しみと、記憶や過去でしかない喜びから絶えず産み出されている。そのみどり児だ。愛している。僕も君を愛している。
 僕と鰐は古代の城壁に沿って延々と歩くだろう。歩くうちにもあちこちで積石は厚焼きビスケットのように割れ、割れ目から星が生まれ、意味は天に帰っていく。しゃりしゃりというかすかな音。絶えることのない美しさ。


骨の王

  右肩

 少年が黒いTシャツの上から羽織っているレモン色のパーカー。陽差し除けに母が着せたのだった。信号待ちをするタクシーの後部座席に並んで坐っている。
「お母さん。」と彼は呟くように言った。
「あそこ。犬かな。轢かれて内臓が飛び出している。」
本当は、それは毛布だった。
表がベージュ、裏の赤い毛布が路上に落ちて、捻れたまま通りすぎる車に轢かれているのだった。暗く汚れていた。

タクシーは動き出す。

彼にはもうその実体を検証する方法はない、永遠に。
そして現実に世界の何処かで、今も多くの犬が路上に骸をさらしている。
少年の殺意はレモン色のパーカーに包まれ、まったく見えないままだ。

 母親は彼の肩に手を回すようにして身体を引き寄せた。細く柔らかい髪の毛と頭皮をとおして、その子の頭蓋骨の形、それを掌の中に抱え込んでしまう。
シャンプーの甘い匂いがする。匂いが網の目のように母の意識を覆っていく。
好き。性の愉楽が身体を舐めに、記憶の底から舌を伸ばしてくる。あの夜のこと。この子を受胎した夜、列車のコンパーメントでの情事。

(もしこの子が病気から生き延びることができたら。
 生き延びて成長したら、父を殺し、わたしと交わるのかもしれない。
 いい。それでもいい。わたしも他の人もみんな苦しんで死んでいく。)

「犬のことは考えなくていいわ。犬は犬の天国に行った。今ごろはボールとじゃれてるの。」
だが、轢き潰され埃にまみれているあれは、犬ではなく毛布だ。

母も子もそのことを知らない。

 この子の父親は三年前に失踪した。
 二年前、元気ですと手紙が着いた。
 二年前は元気であった。
 三カ月前に死んだ。

母も子もそのことを知らない。

将来も知ることがない。知る方法がない。
子が知らないまま、父殺しは既に成就していた。
十歳のこの子が母を娶るのはいつか。
心臓が破れ、そうなる前に死ぬのか。

 ガラスの向こうに、初夏の危険な光が氾濫している。遠くの山上でショッピングセンターの廃墟が歪む。そこへ続く雑木の暗い緑。見えるところ、見えないところ、あちこちに絡んだ山藤の蔓から、枯れた花房が下がっている。いくつも。人生は隅々までくまなく恐ろしい。

 ルームミラーから後部座席を見ると、少年が黒目がちで大きな目を開き、こちらを見ていた。母親は目を閉じ、頭を傾けている。
あどけない。眠ってしまったのかも知れない。子どもを置いて親が眠ってはいけないのに。
運転手は自分が誰で何処へ行こうとしているのか、既に忘れようとしていた。
母親は眠り、子どものギザギザの縁の想像力は、浸食領域を広げつつある。

(死んでしまったものすべての上に、生きて君臨したい。ぼくは骨の王になる。骨の王は、大腿骨にチェーンを通し、いつも首から吊している人だ。)

 夢の坂を下り、夢の坂を上る。
 夢の交差点を右折し、夢の架橋をくぐる。
 夢の車輪は四つとも燃えている。
 夢の匂いが焦げ、夢の電話線が走り、夢の木造建築が三棟、地上から浮き上がり夢の炎を纏っている。
 夢の窓に覗く夢のひと影を確かめる間もなく、夢のタクシーは夢のような速度で首をもたげ、夢の天頂でああと鳴く。
 夢の鴉になる。

 母は目を開けながら、傾いていた頭を持ち上げる。子は背筋を伸ばして坐り、真っ直ぐ前を向いていた。運転手の目がミラーに映り、こちらを覗いていた。その目はこの子の父親に似ている。
だが、父親ではない。母の官能は冷め、斜めに揃える両脚の奥、性器は清潔に乾いていた。
「次の信号を左へ曲がって下さい。曲がったらすぐ次の信号のない交差点を左です。そこから五十メートルくらい行った先です。」
運転手は頷いた。終わりが近づいていることがわかった。

 終わりの先のことまではわからない。


言語的存在とは何か

  右肩

第一編
 靴屋の冬靴。言語的存在になるところ

第二編
 文法規則は牝馬 赤黒い脚四本を雪に立てる

第三編(実在は言語的未遂である、と彼は僕に言った)
 セントルイスを語らぬ羽音その冬蝿

第四編
 笑い声ではない決してない鰤起

第五編(硬貨を八枚並べなさい、と君はバカなことを言う)
 空腹の言語の神のこの吹雪に硬貨八枚

第六編
 チェス。クイーンは冬林に立っている

第七編
 凍港という語が追い立てる船という語を

第八編(鴉に読めない文字が包装するもの。その実体が嘴で剥かれる)
 もの喰えば鴉ああと鳴く。経済の内実を剥く

第九編
 幻影を言語周回す。クリスマス。

第十編
 語の爛熟 何も熟していない。地上に渇く種の殻。春。


反「言語的存在とは何か」

反第一編
 僕は靴屋である。靴屋は靴しか売っていない。昨日は肉じゃがを食べた。胃が凭れている。涙が流れる。感情は涙ではない。

反第二編
 僕は獣医である。治療のため牝馬の性器に腕を突っ込んだことがある。文法規則はぶよぶよして血にまみれていた。

反第三編
 セントルイスでは長い放尿を経験した。それは日本での放尿と、香港での放尿と、インスブルクでの放尿と質的に同じであり、量的に異なっていた。
人生とはこういうものの間に嵌め込まれた言語的存在である。もちろん、そこに蝿は飛んでいる。辛い。

反第四編
 鰤起。鰤起。鰤起。姉はダッフルコートを着て防波堤に立っている。鰤起。海から打ち上げられる石は皆丸く小さい。

反第五編
 僕はバカなことを言っている訳ではない。この視界のない吹雪の中でも君の買った三冊の『エロトピア』の古本は八百円であり、釣りがない上に五百円玉は嫌いだ。だから総て百円玉で払って欲しいと言っている。君の僕に向けるねっとりした視線は、決して言語的ではない。

反第六編
 クイーンは裸だ。

反第七編(君は「それも言語だ。唾棄すべき言語だ。」と僕に告げるだろう)
 僕は船である。追い出されることなく凍っている。ペニスも凍っている。尿道口から言語は出てこない。

反第八編
 経済の外殻は証券取引所や銀行にある。内実は魚肉ソーセージとしてビニールの包装に包まれている。僕は雨の日、セントルイスのトイレの片隅でそれを食べた。ほどなく発熱した。

反第九編
 「す」はサ行変格活用の動詞であるが、あらゆる名詞を動詞化しようと策謀を巡らせてきた狡猾な策士である。第九編では、クリスマスの系に列なる言語を周回という動的な語とともに、動詞として動的状態に置こうとしている。危険だ。

反第十編(僕に春がなくても、誰かが持っている。富も季節も遍在する。それでいい。)
 言語は野に捨てられる。


「反『言語的存在とは何か』」の存在にコメントする
 「言語的存在とは何か」は俳句的記述ですが、俳句の社会性を個人的世界の個人的充足に置き換えています。ですから、まるで無謬のように振る舞います。
「反『言語的存在とは何か』」は、これに対し、無謬だろうがなんだろうが、屑は屑だ、と「言語的存在とは何か」を規定しなおしています。
 しかし、それは外部からの規定を待つべきものであって、本質的には同質の内容を繰り返す愚挙に過ぎないのではないか、と僕は考えます。僕は考えます。

反『「反『言語的存在とは何か』」の存在にコメントする』
 いえ、考えていません。
 


早春

  右肩

泥にまみれたハガキが
届く
夜空の鳥の苦しみから
ねじれ落ちる真っ白い文字

(私のこと、思い出して下さいね
 何か知れない私の
 何か知れない気持ちも)

あの日
透きとおった水が体を走り
とめどなく長いくちづけから
熱を奪っていった
僕の上で君の乳房が
ひたすら泣きもだえた

少しも
離れたくなかったはずなのに
冷たい流れが
何もかもをわからなくしていた
何もかも、今でも何もわからない

痛みと
やり切れない喜びとが
僕と君をつないでいたのか
(一緒に耐えること
 それだけね)
二人が二人でいた理由は
それだけ
愛まで指が届かない
どうしても届かないまま

君は淋しかった夕暮れの野の
スミレの花だ

始めからしまいまで
キスしてもキスしても僕ら
ホテルの窓に
別々の月を見るのだった

ぽろぽろとこぼれる赤い丸薬

泥にまみれたハガキが
死んでしまった君から
届く

北へ帰る雁が
春月に浮き上がり
思い出の片隅で
君の横顔が
美しくすすり泣いている


あなたは空の白鳥で、衛星があなたと僕を見ている

  右肩

机 と 机 の間に波 を曳き
 夕暮れ オフィスか ら泳ぎ出 た
白鳥の翼が 鴨や おしどり の 群れ から
 離れる        それが あなただ 
誰 の 耳 にも羽ばたく 音
空が
 またもや青い
 冬晴れ 
を残し
歩きながらしきりに振る
 首は
地上を 見はるかす鳥
 の仕組みに
 どこか
 しら 似る
  その あなた
 街のマップを
大股で突っ切る
 あなたが歩く 道す じ
それは
 航路 
と呼 ぶ のにふさ わしく
地上の人は
 皆 
死ぬ
濃淡 ある 死の   モザイク

あなたは
攻撃的に
 孤立し
 突っ切って
いく


語ろう、明日を。雲の背後を回る太陽が、雲の輪郭から光を放ち白い。僕は人に愛されない。ガスシリンダー式昇降チェアを低くセットする。事務机の前、背中を丸めている。A4の用紙に、鉄の罫線が格子を引く納品書。インク。その輝ける黒。黒の断片。断片がとりとめなく黄道に連なる。僕は空から零れて今ここにいる断片。きりきり苛まれている。だから明日を語る。服を着ているときばかりではない。裸のときにも明日を語る。裸で歴史の底に落ちている。そこは激しく乾燥しているので、僕は目を見開いたまま、決して腐敗しない。硬い底に、誰かの踵で頭を踏みつけられていたい、いつまでも。そういうことだ、明日を語るとは。


美し い とは ひとり で
 生き 抜く こと か

そうか

ひとりで 生きるもの を 衛星

 見て いる 翼ある ものの
 生きざまを翼なき もの の
生きざま  を
 ホーロー の 白いなべぶた
のような空 を 白鳥 が たどるうちに
 や や あ っ て
あなた も あなたのゆくえが
 わから なく なる
僕  を
 知ら なくなる 僕  も あなたを



地上の希望 を 占 有 し
 衛星が見ている 


桜の精と僕

  右肩

 桜の精はガムを噛むのが好き。緑色の厚いジャンパー。前ファスナーを引き上げて一番上へ。その襟元、灰褐色のボアが首を巻く。「ロシアの密漁船で河口まできた。船、どこもションベン臭くて。まいったよ。」「仕方ない。頼んだんだろ?乗せてくれって。」と聞く。うなずいた。桜の精は鼻を啜る。口から出したガム。親指と人差し指でつまむ。しばらく見ている。その丸い塊を彼女は地球と呼びたいらしい。そうかな?「紳士的。あいつらは極めて紳士的だった。」桜の精は言った。体を売った、その具合が悪くなかったということのようだ。「お前はどうなの?」僕の方をちらと見て、言う。意地が悪い。首を回し、底の厚いゴム長靴をボコンと踏み鳴らす。ひゆっ、川へガムを放り捨てている。

 東風の抜ける町。吹く。屋並みが震える。電線、テレビアンテナ。ほらね。ああ、みな震える。砂塵が立つ。桜、すべてが開く。砂。目をつむる。吹きつのる温かさ。こよなく温かいものせつないもの。せつない。傍らに立つ桜の精、男たちと肌を合わせてきた彼女の体臭。あらゆる女たちの息のにおい。桜の匂いだ。くらくらと視界のけば立つ幻臭。それだ。霾の中に。

 歌っている、桜の精。「徐州徐州と人馬は進む」そりゃ何だ?「わからない。」

 橋を渡る。コンクリートの河岸に散乱する、あれは乾いた魚。魚だね。海藻の破片。そうだね。どろんと暗い、水は暗緑色。吹かれる波、霾曇の海から逆流している。満潮。桜、咲く。咲くだろ?桜、散る。散るね?水面にひとつ、花びら。二つめの花びら。三つめ?四つめだよ。花の屑。屑。屑。花筏?波の起伏。そう、呼吸する。

 「徐州居よいか住みよいか」歌う、桜の精。「往けど進めど麦また麦の 」「波の深さよ夜の寒さ」麦秋、まだ先だね。

 桜の精はもうここにいない。ごぼ。ごぼぼ。ごぼ。やがて。白い空の闇。朝のふうな夜。満ち来る。くるくる。膨れあがる眼球。その、孕む諸々。昨日花びら、今日花びら。花を見る眼球。破裂。血を噴かす、花。吹雪く。

 橋脚の下に放置された、古い木造船の舫綱を解き、僕は川を漕ぎ去った。朽ちかけた艪を握り岸辺の樹々を見まわしながら。水の落花は、漕ぎ行く舟の跡見ゆるまで。花さそふ比良の山風、そうかな?離れ去る僕を見送る。薄暮。白暮。どこにも着かないので、まだまだ漕いでゆくようだ。艪の音。左胸辺りの永い静寂。最も白く硬く、乾いた場所。別の場所、そこへも花の屑は吹き寄せられる。



*引用(「麦と兵隊」 作詞 藤田まさと)
*4月25日改訂しました


追憶の冬の日暮れの物語死にたる猫と川を旅せり

  右肩

 僕に四歳以前の記憶はない。だから、三歳の僕が夕焼けに呑み込まれて真っ赤になった町に立っていたというのも、本当かどうかはわからない。ただ、眼窩から大きく目玉が飛び出し、ひしゃげた胴体の下腹辺りから内臓をはみ出させたびっこの三毛猫に対する愛情は、彼の実在が本当であるか否かにかかわらず本物だ。彼は頭蓋の割れ目から鼻まで滴る脳漿をしきりに舐めながら楽しそうに歌を歌っていた。
「ねこねここねこ、こねこねこ。いぬいぬこいぬ、いぬきつね、ねんねねんねこ、ねこまんま。」
すり寄せてくる体の毛並みが心地よく暖かい。傷口から覗く白い骨。泥濘から伸びる茎の先の、白蓮に似た匂いがする。
 猫と僕は手を繋いで、真っ赤な町の真っ赤な商店街のアーケードを通り抜けた。商店街に人気はなく、どの店でも神仏への供物が売られている。道の突き当たりの堤防まで来て、猫の手を借りて引き上げてもらった。ひときわ赤い川が流れ、ざざざ、ざざざと枯れ薄が波うつ。それから僕らは河原を歩いた。無数の烏が舞い上がり、飛礫のように小さくなって、また降りてくる。川の上流は氷の国で、そこでは夕日も氷の森に閉じこめられ千年間虚しく赤いのだろう、と、僕らはそんな話もしたかしれない。この地方でも、その冬の寒さは格別であったからだ。やがてさらさらと雪も降り始めることとなる。脂の乗った暖かい焼き魚が食べたい。猫と僕は無邪気にそんな話もした。寒風に身体が痺れてくると、何もかも楽しいからだ。 
 その後の、三歳の僕と猫の行方は知らない。それはこの物語が不断に進行し続けているためなのだろう。僕は時々そう考える。


若葉は濡れている

  右肩

 柿の若葉は一枚残らず光に浸り、濡れていた。よく光る、舌に甘い若緑の幻惑。人生は甘い、どう考えても。いや、実は何も考えていない。
 僕は柿の木の下に仰向けの形で倒れ、五月の晴天に向き合う。得体の知れない記憶。それが若葉の向こうから透けてくる空だ。僕は何も考えていなかった。
 ただ慕わしいのは、ひとつの葉の表を這っている蝿の影だ。輪郭の不鮮明な影が裏側に透けている。六本の肢を張り動かない。または、思い出したように微妙に前進しようとする。叢に隠された猫の死骸の、半開きの口から羽化した群体の突端が、柿の葉の上にあって音のない微細な揺動をともにしていた。かつて真珠色の蛆虫であった、それが。

 そういう白さに連なる皮膚が、裸の重量で僕に覆い被さっていたことがある。湿り気を持ち、絶えざる流動を内部に包含するもの、その外形としての女性。彼女は今でも僕の脳の特定の領域に浸透している。脂の塊のように白い脳の、言葉で説明できない秘所に、だ。だから、目を閉じるとあの時と同じに彼女が僕に重なってくる。ひしゃげた乳房が僕の体の上を滑り、動きの中で乳首と乳首が触れあったりもする。太腿の上に太腿が乗り、崩れて交錯する。とても気持ちいい、などとため息のような言葉も耳に流れてくるが、もちろん、今僕のペニスは下着の中でただ尖っている、それだけのものだ。
 目を開けば、まさに蝿が空に飛ぼうとしている。蝿は小さなペニスであり、広大な空へ無防備に孤独を曝して飛ぶ。猫の死骸の、赤黒い肉の裂け目へ帰るのだ。帰るのならば、という仮定の中で、僕もまた彼女の断裂の中にのめり込み、互いに温かく残響する快感へと感覚を返すことができる。
 もうどこへも帰らない、と彼女は囁いてそのまま僕の耳朶をしゃぶった。舌先を起点として総てが曖昧に濡れている。重なって二人、揺動をともにする。それから彼女の肘がベッド脇のキャビネットにあたり、分厚いガラスの灰皿が落ちた。絨毯の上の、そのごとんという音が再現し、それが僕の意識に優しく手を当て、若葉の下の肉身へ押し返してくれる。

 若葉の季節は、生まれたての光の季節だ。遥か遠くの海が眼球の裏でうねっている。波の起伏の中で光が呼吸し、得体の知れない記憶、僕の総ての感覚はその広大な幻から流れ込んできている。

(僕は上半身を起こした。柿畑の緩やかな斜面の向こうは、弟夫婦の家だ。そうだ、弟夫婦の家が見える。大きなダンボール箱のような家の中に、使わない時にはきれいに畳まれて、セックスが収納されている。弟は今頃は勤め先の設計事務所でCADのモニター画面に向かい、その妻はボランティア活動先で古着の仕分け作業をしている。社員旅行でハワイに行った時、マカデミアチョコ一箱、傾けると軸にヌード写真が浮き出るボールペン一本を土産にくれた弟。僕は立ち上がる。だが、本当に「弟」は存在するのか。
 ハワイに行って土産を買ってきたのは僕で、がらんどうの空間でぽつねんと暮らしているのも僕だ。そもそもこの僕は「弟」夫婦の性的妄想の具現化かも知れない、と思いながら立ち上がり、ズボンの尻をはたく。ポケットに手を入れてみると、タバコの箱のかわりにハーブキャンディが数個入っていた。)


「六月」もしくは「青いポロシャツ」

  右肩

 六月が始まった。覗き見る指の間から指の向こうの景色が生まれ、それはどうしてもやるせない。水に無数の島山が浮かぶ奇景だ。雨の匂いがしてしまう。僕は泣きたくなる。泣きたい、という衝動が連なり、小さな太鼓を鳴らして行進する。
 音には緑の蛇が巻き付いていて、死んでしまえと赤い舌を出している。言われなくとも僕は死ぬ。手足二十本の指に二十個のほの白い爪を持つ人間、そんなつまらないものに過ぎないのだから、僕は。六角形の恋が、目の隅の黒い機械から転がりながら出てくる。箱に詰められることもなく、ため息とともに広大な世界に拡散して見えなくなるもの。もしくはそれは、昼餉の後のさびしい空白の時間、後頭部に飛んでくるひらひらした影の気配。昨日、吊られるように跳ね上がり、コッカースパニエルが追いかけていたあれがそれだ。そんなものを追わなくとも、どうせ僕らはばらばらに飛んで散っていく。「僕ら」と僕は言い、突っ伏して言葉をぐいと喉に詰まらせ、後はもう一切何も言えなくなる。目を閉じると六月でも何月でもない空が動かし難く、かつあいまいな色彩で体を覆い始める。色の呼び方を与えられない雲。雲。雲に連なる靄。
 家々の屋根で太鼓が鳴っている。

 かつては「あらかじめ失われている」という言葉が好きだった。今は痛み以外の何もかもが僕から失われようとしていて、僕以外の人々はみなガラスの目で、空間としかいえない空間を見ている。素敵だ。泣きたいという衝動たちはそれぞれ小さな潜水艇に乗り込んで辛い海底の風景を漂い始める。泥の上にわずかに石が乗るだけの、単調な起伏が続く海底。太鼓の音はそこでつぶつぶとした小さな小さな泡になってしまう。水の中をとりとめなく浮き上がっていくためだけに。それもそれで素敵だ。が、ちっとも美しくない。

 「愛は手続きへ解消してゆく。」カフェの窓の下に車が見える。その、ハンドルに被せられていたタオルが言った。タオルの下をくぐり抜けてフロントガラスに居所を移した羽虫も性という手続きを負っている。「では、虫の愛はあらかじめ解消されているのか?」椅子の上で組んだ足の、汚れたスニーカーの先に魂をひっかけておいて、体はひたすら老いる練習を繰り返している僕が聞く。タオルは黙って吸い込んだ汗を咀嚼している。僕のテーブルに置かれたアイスコーヒーのグラスが答えた。「犬に仏性はあるのか、という問題と似たような形式がその質問にはある。それだけだね。」と。車の羽虫がふっと飛ぶ。しかし閉じられた空間に出口はない。今度はカーエアコンの吹き出し口にとまる。フェイスタオルには「I LOVE SPORTS」と書いてある。車の種類は〇二年製の商用ワゴン、トヨタプロボックスだ。目前のアイスコーヒー。グラスは実はほとんど空で、溶けかかった氷がわずかに残る。凝結した水分が玉となって付着している。そんなこんなの辛さ。乾いた涙腺が震えるだけの辛さ。

 僕のかわりに誰かが泣く。美しく泣くのは本当に難しい。泣くのは人に任せよう。その人が、今あそこにいる青いポロシャツを着た、腕の太い大柄な男性でも良いし、そうでなくてもよい。いずれにせよ、彼は僕よりもしっかりと、ちゃんと泣けるにきまっている。彼の人生については何も知らないが、そうにきまっている、と考えなければもう僕は生きていけない。
 六月の島山が、とうとう光を浴びることのないまま僕の目の裏側で夕闇に沈もうとしている。やるせなさも終わる。午後二時半のこの場とは関係なく、僕は幻視の中の一日を早ばやと閉じてしまう。指を広げる。広げた指をまた閉じる。その指の向こう、ああ、どうにも辛そうな表情で、青いポロシャツの男はトレーに乗せたキャラメルマッキアートを自分のテーブルに運んでいる。辛そうなふうに見えてくるのだ。彼こそが本当の悲しみを泣く。
 希望は僕の知らない場所にしかないのだから。


神のもん

  右肩

 わたし、おふだが降ったらお伊勢に行くんだよ。
 いつ頃?電車で?
 降ったらだよ。降るかどうかわかんないじゃん。
 わかんないのに行くのか?
 わかんないから行くんだよ。良ちゃんはロマンがないよ。
 ロマンと無計画はべつじゃね?
 それ、いじわるじゃん。バチがあたるよいじわるな人には。
 え?あたるの?
 えい。
 あ、痛ッ。
 ほらあたった。
 おまえ、痛いんだよ、それ。
 いじわるだからばちがあたったんじゃん。
 バチって、おまえつねっただけだろ。 
 神が奈津にやどったんだよ。つねらせたんだよ。憑依だよ。すげえでしょ?
 あっ?バカじゃね?バチっていったら神罰じゃん、まじそんなセコイのかよ?
 コバチ。
 え?コバチってなによ?
 小さいバチがあたるから小バチじゃん。大バチ小バチで日が暮れるんだよ。
 そりゃ、大バカ小バカでご苦労さんな。
 ちがうもん。えいっ。
 痛いってんだよ。しつこいよ。
 連続小バチ。
 体操の技じゃんそれ。
 いいじゃん。
 そう。じゃさ、ほれ。
 何すんのよ、いきなり!
 必殺、バチ返し。
 どこ触るわけ?ヘンタイ!
 神の門じゃん。シーザーのもんはシーザーに、神のもんは神の門に返しまあす。
 ああ、もう、どすけべ。そういうデリカシーのないの、奈津、すっげ嫌いだって。いっつも良ちゃんに言ってるよね?
 おふだを納めに参っただけだよおっと。それっ。
 おっと。
 え?そういう展開じゃねえの?
 ばあか。今あれだよ、あれ。ざまみろです。
 やばっ。まじショックっす。
 まだあの日、おぼえてないって、まともじゃないよ。血がついちゃうよ?バカ良ちゃん。
 ううんと。じゃ、後ろからいく。
 はあっ?何?
 へへっ、後ろっちゃ後ろじゃん。新しいヨロコビじゃん。
 げげっ。げげげのげ。
 おっ、鬼太郎をたたえる虫たちの唄?
 そんなことしたら殺す。どヘンタイ、信じられないよ。
 地獄送り?やばいなぁ、そりゃ。
 ねえ、良ちゃん、へんなビデオとか見過ぎでしょ?
 冗談だよ、冗談。
 ねぇ、変なの見てるんだ?
 見てねぇよ。
 嘘つき。神の御まえでザンゲだよ?
 えっ?お伊勢さんでもザンゲとかあんの?
 あるよ、良ちゃんなんか嘘ばっかだから、絶対上から水かけられるよ?どうよ?
 おまえさ、それむかしのオレたちなんとか族がどうのとかってのじゃね?いつの生まれよ?
 パパがむかしとったビデオで見せてくれたもん。
 マニアックだよ、奈津パパも奈津も。おれ、マニアじゃねえからね。しかも、それ伊勢、 ぜんぜんっ関係ないし。
 ええじゃないかええじゃないか。
 なんで、そこだけピュアに伊勢よ?
 おふだが降ったらさ、良ちゃんも一緒に行くんだよ?
 降るのかよ?
 たぶんぜったい降るよ。
 たぶんなのか絶対なのかどっちだよ?わけわかんねぇよ。
 あ。良ちゃん、今のとこ、爆笑問題の田中さん入ってる?
 わかった?

「奈津、電車で行くよ。

  神都線の路面電車で行くんだよ。

 集まっている黒い雲と黒い雲の間は、しばらく前まで夕焼けで真っ赤だったよ。それが だんだん勢いをなくし、夜の暗さと雲の黒がしんから黙り始めてしまいます。
 電車の屋根のパンタグラフが、ばちばちと火花を飛ばします。
 そうやってほの暗いお空にもういちど火を付けようとしているのです。
 薄い絵のように透きとおる人びとを呑み込んで、電車が動き始めます。

  がったんごとん。がたごとん、ごとごとん。お伊勢は近い。ごとごとん。

 続くのは軒の低い家とコールタールを塗った電信柱ばかり。
 それもほんのもう少しでみんな影になってしまいます。
 こんな幽霊電車に乗ってお伊勢に行けるのか、と奈津は泣きそうでした。
 それでもようやく窓に田んぼが現れると、田んぼは移っていく宵口の空を滲ませたみず田です。
 ぴたあととまった水の上に
 過ぎていく、
 暮れはてていく、
 お日さまの一日。
 そんなところから、ゆっくり走る電車からでなければ、高天原は見とおせません。
 一生さまよう覚悟があれば、お伊勢は必ずどこかにあるが、
 高天原は幻です。

  なつかしや、高天原。

 奈津はどおしてこんなけがれたところに来てしまったんだろう。
 どおして、どおしてこんな……。
 ひどいよ。」


泣いてもだめです


津田さんと僕。それぞれ

  右肩

 私、うつむいて自分の足もとを見た。白い爪を揃えた素足がらららららとサンダルへ透けている。
 脚は膝の少し上まではそのまま脚。でももっと上、私の体は空色のワンピースを着ていたり、白いブラウスに薄桃色のスカートを穿いていたり、突然裸のままだったり。
 私、決定的に乱れている。誰?何?何ひとつ定まらない。
 でも、そのことに不満を持つ私はもういない。

 背中が裂けた。めくれ上がった鋼板の角が皮膚を切った。力ずくで肉を切った。背骨を削った。吹き出した血はいち度空へ上がってから落ちてきた、ゆっくり。
 そのとき。聞こえる全部、言葉の全部、頭の中全部が悲鳴。私は悲鳴。赤く沸騰して輪郭がとんだ。
 すぐ、紫の平板な板、静かな板になった。頬の下のアスファルトと倒れている私。路面と私、存在の様子が似ていた。見たところ、私は半分ねじれて血の中に突っ伏していた。大破した車の中で、お父さんとお母さんが笑って死んでいた。ほんとうに笑っていたかどうかはわからない。そういうふうに見えた。

 お父さんとお母さんと、車と私の体は迅速に片付けられた。色々な工程を踏んで何処かできちんと処分されている。
 るるるるる。歌われて音符のような、私たち。
 人生は神様のアイディア、夏空にかえる。メガネスーパーの看板と入道雲が重なる空。電線。電話線。やはり眩しい。

 今、うつむいて足もとを見ている私。私の、体のようなもの。
 そこから後ずさってみると、背中は割れている。割れ目からむりむりと押し出されてくる、ピンク色の肉塊。血にまみれて柔らかい。路面に落ちてべちゃっと潰れた。私の自己愛というもの。その後から、茶碗の欠片が少し、折れたハサミと髪の毛のからまったヘアーブラシ。古い文庫本とセブンイレブンのビニール袋。片方だけのソックス。どろっとした血と一緒に落ちた。
 振り向いた私。私の顔も笑っている。死んだ人が笑うことに意味はないようだ。

 私が振り返る。別の私、鴉の私は翼を開いて降下した。私の背中に爪を立ててとまる。翼を畳む。背中の断裂に嘴から潜り込む。私が私を啄むため、しきりと首を振りながら。私、食欲旺盛。私は私の貪欲に身を任せる。削り取られる愉楽と。満たされる快美と。
 腐肉、恍惚、腐肉、恍惚、腐肉。
 私はゴミ、めくるめくまでゴミ。
 私を突き抜け、食い破り、鴉の私が突き出した首を捻って見上げると、包まれた瞼の隙間から、私の眼球が、少しだけ覗いている。漆黒の瞳、金色のふちを持つ虹彩。

 雨が降る。鴉は雨の使い。

 私が雨を降らせている。今は私が、風のない町にぱらぱらと降り注いでいるものの正体だ。
 山の稜線に交わり、街路樹の繁茂に重なり、屋並みにしたたり、蜘蛛の巣に絡め取られ、あるいはまた鳥の姿を得て、屹立する電柱の頭でああと鳴く。漆黒の翼は月のない夜と変じ、貪婪な嘴は町に番うものの精気を啜る。お、情欲に腰が震える、背筋から北極星まで一気に震える。雨の水紋を崩し、神社の池の鯉が浮き、墓地裏の沼の鯉が沈みながら、私の食道、私の胃、私の腸管をずるずると時が流動する。両腕で乳房を抱けば発せられないやおよろずの言葉が町に充填される。生垣の根元から百足が這い出し、ピカピカと甲殻を光らせながら足を蠢かすとき、放送局の電波が私の体を抜け、私は参議院議員選挙、山形三区の開票状況について速報する。「続いて自由民主党選挙対策本部からお伝えします。」と唇が動いて地鳴りの音と重なる。発光、雷同。遠いところ、無数の波の跳躍。
 もう私、地霊になってしまった。



 予備校のかえり道、自販機でコーラを飲むときに見た。路側の花束と、横に立つ津田さん、あなたのようなもの。
 あなたは笑っている。口だけ笑っていて、開いた眼に瞳がない。
 僕はあなたが好きでした。僕らのクラスでは木部と杉浦、四組では三浦があなたのことを好きだった。それから僕の知らないでいる何人かも、たぶん。ただ、あなたはもう燃やされて、思い出とか何とか、人ではない、わけのわからないものに還元されている。死とは実体を持たない抽象的な概念だ。そうやってあなたが、どんなに生前の姿を保って立ち続けていても。
 夕闇の中を山から雨が近づき、ライトを点灯したバスがやってくる。あなたを残してバス停へ走り出す僕。
 僕は変容していく。津田さん、あなたも、木部も杉浦も三浦も。死者も生者も変容していく、そのことに変わりはありません。


まったく新しい蟻

  右肩

秋、すじ雲を吹く風から生まれ、眩しさの中を降りてきた蟻。
天上、地上。撓んだ茅萱の葉の先端で、蟻は僕に知性を教えた。

知性。空に風があり、この扇状地には扇の骨の伏流水がある。
血管と繋がる意識の中を、ふる里の地理が推移する。

 蟻の眼は暗い複眼であった。
 大ぶりの触角が二本、くらくらと動いていた。

「我々の営為は、知るものと知らないものを照応することだ。天文の霊的記録者たることだ。」

蟻よ、そうに違いない。たとい君が走り、増殖し、下草の葉影に拡散し、姿を消すだけの存在であっても。
知るものがあり、知らないものがあって、君や僕がそれらを少しずつ受け入れていく。

地面に横たわり耳を当てても、流れるものの音は聞こえない。
だからといって、希望がないこともないのだ。

僕の体の裂け目の奥に、言葉が大きな空洞を作って待っている。
宇宙の総体が傾ぎ、まったく新しい意味が注がれる。


旅への誘い

  右肩

 あなたが頼まれて巌邑堂に茶請けの練り菓子を買いに行ったとする。帰路、通りすがりに金木犀から呼ばれたものの、そのまま山県さんの屋敷を過ぎるところまで来てようやく足を止めた、と。

 花の色は濃厚な黄色。

 振り向くと今もう見えない小花を照らすのと同じ光が、雲間から路地に注いでいる。注がれ溢れ、こぼれている。電線の影が地上に揺れ、路側帯の白線と平行してアスファルトを走る。
 あなたのスニーカーは白いコンバース。くたびれた靴紐が蝶結びのループを大きく左右に垂らしている。密度の低い午後三時だ。車と人が通らない。塀の向こうから張り出した楠が揺れ、いくらかまとまった量の葉が擦れ合う音がする。

 あなたは死の世界にいる。今日はあなたが死ぬのに良い日和であった。刺激を差異として陳列する「世界」で自己充足するのが人間だ。あなたはそう考えてきたとする。だから、あなた自身がいない「世界」はあり得ない、と。

 あなたはあなたのいない世界を歩き出す。山県さんの屋敷の脇から、狭い狸坂を下る。表具屋の羽目板の外壁に節穴があり、そこへ楓の葉が葉柄を引っかけて揺られている。それを見る。茶色の体毛に覆われた猫が空中で丸まっている。電柱の下に三分の一ほど雨水を溜めたバケツが置かれている、その角を右に曲がる。「菊」という漢字が見えた。冬蜂のようにあなたは歩く。

 こんにちは、「世界」。ごきげんよう、「人間」。

 あなたにはあなたの体が下界の狭隘な路地を抜け、色彩の多様な大通りへ出て行くのが、豆粒ほどの大きさで見えている。それはあなたではない。あなたは畳一枚ほどの白すぎる雲の上に正座し、左手の懐紙の上に乗せた巌邑堂の菓子を、桜の枝から削りだした楊枝で割っている。薄緑の菓子の肌の上を、季節風が吹き、潮流が循環する。その地殻、マントル、外殻、内殻。楊枝が深い記憶にずぶずぶと切り込み、割れめから甘く霞んだ黒色の餡が溢れ出す。
 一方、豆粒のあなたはガラスや、ガラスでない扉からいくつかの建物に出入りした後、夫または妻の待つ場所へと徐々に接近していく。「愛」ということがらについてあなたは考え、そんなものは何処にもないということに気づく。新鮮で、穏やかな驚きを感じている。それはたちまち性愛の喜びに勝る。

 むくと猫が起き出すと体を伸ばし、あなたの記憶の中の六角柱に飛び乗った。それは雪のように白いが、かつて神社で手に取った神籤の串を納める木箱と同じ形だ。茶色の猫もすぐに白くなり、白い州浜の砂を歩く。白砂はあなたの懐紙であり、二つに割られた練り菓子が生々しく濡れた食欲を舐め上げる。あなたの膝元に開いた柔らかな穴から神籤の串が飛び出す予感もある。


あとは眠るだけ

  右肩

 出来事に順序はない、と思いたい。何が進行していたとしても、何が起きている途中であったとしても、僕に残された選択肢は「すぐに眠る」の一事でしかなく、僕がそのことに倒錯的な信仰心を抱いていたとしても、それは悪いことではない。
 意識は瑠璃色の谷筋の隘路を下って昨日へ進む。飴色の流れに沿って薄紅色の湖へ遡行する。湖。それは今さっきスターバックスの女性店員から黄色のランプの下で受け取ったマグカップの中にあってもよい。今日は明日からすれば既に昨日だから。だがそこが何時であり何処であり、それが何であっても僕にとっては認識の位相が幾層にもずれた未知の次元なのだ。シナモンの匂いがした。机に肘をつき顎を支えた右手から頭が落ちようとしていた。落ちようとするのでしがみつくと、僕は大理石の円柱を抱いている。真っ白でありながらどこかしら確信的にピンクであり、冷ややかでありながらわずかに熱を持つ予感がある。そしてそれは犬ほどの感情も持たず、冬の蝿ほどの記憶も持たない。ただ石の柱である。僕はすがりついたまま、滑らかにかつ滑らかに滑り落ちていく。気持ちの良い滑落だ。重力のままにありながら、僕は自由だ。酔ってしまうくらい自由だ。自由だと言える。
 眠りはまた浅緑の蔓である。僕が昼間職場でしてきたこともすべて、荒れ果てた記憶の神殿の列柱なのだから。絡みつくままに眠りが眠りの葉を茂らす。夕景。広い葉の和毛が逆光の中で泡立つように美しい。会社の伝票にレーザープリンターで打ち出されていたアラビア数字や製品の略号が、短い繊毛に埋もれながら優しく浮かび上がる。今は読み説くことも発音することもできないその文字が、神に捧げる呪言なのだ。言葉の内実は薄暗い。「愛」という感情がそうであるように。そしてそれは人生の薄暗さに通ずる、と僕は考えてみる。昼間、会社では僕の席の真上の蛍光灯が切れかかり、ゆっくりとしたテンポで点滅していた。僕は犬の呼吸の、あるいは蝿の呼吸の、あるいは脚の長い羽虫の呼吸のテンポで明滅する世界を見つめ、俯いてじっと祈る。祈るように考える。そこに詩はない。
 何に何を祈るの
 何に何を何するの
 これはそれそれあれはあれ
混濁が眠りの本質であるから、と僕は神殿の床に仰向けに沈み込んで思っている、だから目前のこの場面が唐突に美しいということもある。生きることが決して間違わない。そんなこともまたある。
 ここを外れて、外。外のまた外側、夕暮れに渋滞する車列からエンジンのアイドリングの音が聞こえてくる。バックするトラックのブザー音。硬質なもの、金属パイプのようなものがいくつかかち合う音もする。遠い神社で松の梢が騒ぎ、シャンシャン鳴る鈴が次第次第に数を増す。増せるぶんだけ増してゆく。聴覚の領域が隙間なく埋め尽くされると、僕はすがるべきものから体を離し、粗い粒状の光、形のない映像となった淋しさの中を、額にある眼を見開いたまま、ぐんぐんと沈んでゆく。これでいい。新たな冒険が始まるのだ。冒険には語りうる一切の内容がない。世界が開き、世界が閉じる。記憶と論理と感情に先駆け、前方の扉が開く。その刹那後方の扉が閉まる。前方の扉が開く。通り過ぎた扉が後方で閉まる。冒険とは主体と世界そのものの運動なのだ。僕は底のない眠りの深淵を、喜びとともに疾駆する。
 旅する意志のなすところ、僕は神のように明晰に眠り、水に沈む石のように真っ直ぐに生きることを選択したのだった。たとえ隣席でマグカップが床に落ちて激しく砕けようとも、僕は迷わない。目覚めない。

文学極道

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