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2010年02月分

月間優良作品 (投稿日時順)

次点佳作 (投稿日時順)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


net 詩

  りす

みずから編んだ網の
美しい放射を 
蜘蛛は知らない
だから ため息をつかない 
網をたたむ 
空腹の夜さえも

ストッキングに爪をかけて
破りたい、欲望の夜 
彼は ヒョーゲンする
破れ目から顔を出す
絶世の自我像を
破れ目から手を振る
薄化粧の父親を

となりでは
鳥目の彼女がいそいそと
メタファーをずり下ろす
足首で丸まったストッキングは
金糸雀の巣のように暖かい

劣文を敷いた冷たいベッドでも
性交はできるんだ
痛んだバネがギシギシ鳴るから
甘い睦言にも切実さが、

ねえ、できちゃったの。
なにが?
詩が。

もしもし、おふくろ、
何日身籠れば 産んでもいいんだ?
なにを?
なんだろう。


鳥目の彼女には羽がない
おだてても 懇願しても
飛んでいってくれない
これが モモ肉
これが ムネ肉
これが ササミ
全部に名前が付いてるの
豊満な鳥肌を惜しげもなく差し出して
ああ、君を食べ尽くすことなんて
僕にはできないよ


未熟児を産湯からあげて
原稿用紙にくるむ
赤ん坊から立つ湯気の香りは
うまく表現できないけれど良いものだ
やはり 
原稿用紙は満寿屋に限る
ところで
この子の名前、どうする?
「無題」はどうかな?
あ、いいんじゃない、字画もいいし。


何日も 何日も
獲物が掛からないことがある
網を張る場所が悪いのか
網の出来が悪いのか
蜘蛛に そういう悩みはない
腹が減れば 網を食ってしまう
網は また張ればいい
糸なら、
糸ならたくさん
あるのだから
この腹の中に


がんばれ、ベアーズ

  ゼッケン

石を握って
ぼくは
ピッチャーマウンドに立つ

ぼくの住む町でいちばん清潔な建物はパチンコ屋で
磨かれた床にぼくの顔が映るほどで
毎日、生活保護がくるくるぴかぴか回っていた
オーナーであるあなたが住む隣町のリトルリーグのチームは
全員がユニホームさえ着ていた
胸にはベアーズと赤文字でチーム名が刺繍されていた
卑屈な狡猾さが怠惰を助長しかしないぼくたちの町
見えない場所に巧妙に隠された痣のあるぼくたちは全員が素手
それでもフィールドに立つ
プレイボール!
審判が開始の合図を告げたのでぼくは
石を握った手を大きく振りかぶる
打たれてはいけなかった、背後で守備についた仲間はいまだグラブを持たない
ぼくの球を受けるキャッチャーも素手だ、ストライクを投げてはいけない
一球、バッターの頭をぶち抜いてやる
手頃な石を川原で拾う
くたばれ、リトルリーグ!
振り抜いた腕から放たれた球速は真実の120キロ
度肝を抜いて
真昼の陽光を反射してヘルメットが宙に舞った
デッドボール!
審判が叫んだ
しかし、ぼくには見えていた、頭のいい相手はぼくがこうするしかないことを知っていたので、
待ち受けて寸前に避けた動作でヘルメットを宙に飛ばしてさも致命的な被害を受けたかのように
うわぁーと叫ぶ、痛みはあっただろうか?
デェェェッドボォォォル
公式に報復の承認を得た隣町ベアーズがいっせいにベンチから飛び出してくる
計画通りの制裁の発動だが、こちらもすでに背後で守備についていた仲間が走り出しているはずだ
ピッチャーマウンドを包囲した隣町ベアーズにぼくは引き倒され、打撃打撃打撃される
制裁用スパイクの硬い底で地面に倒れたぼくを踏みつける22本の足の隙間からぼくは首を捻って見た
仲間たちは空になった相手のベンチに殺到する
真新しい革の匂いのするグラブと傷ひとつなくキンキンと音のするバットを片端から抱え込む

盗め!盗め!

ぼくたちはぼくたちのチームをつくるのだ
そしてそれぞれが家に帰ったら
グラブで拳を受け止め、バットで脳天を殴る


冬の手帖

  丘 光平



 冬があるいていた、
手わたされた枯れ葉へ
まえぶれもなく刻まれるたび
ちいさな声をあげる午後


庭がふるえていた、
産みおとされたふたごの沈黙から
ひとつの泉が広がるように 
 つめたいひかりをあびて


 そして、動けないでいるベンチの
すこし病んだひざのうえで 
わたしを見上げるひとみはとじて
あなたを見送るページのまえで


手をふっていた、赤 しろ 黄いろ
待ちこがれた
梅のつぼみのように
 つめたいひかりをあびて


褐色の月

  岩尾忍

あの子は
砂糖の箱の中で死んだ

透明な滑らかな
傾斜95度のアクリルの坂を
あの子は繰り返し登った
一度目はほとんど
頂上に達するまで
そしてその端に爪をかけようとして ぽろっと
黒い雪の片のように落ちた

あの子は繰り返し登った
二度目は八分目まで
三度目は七分目まで
四度目は半ばまで
五度目はその半ばまで
そして登っては ぽろっと
音もなく落ちた
まるで
そういう遊びのように 

疲れると あの子は
足元の砂糖を舐めた
右にも左にも延々と続く
純白の砂糖を
砂糖は甘かった 腹は
いくらでも膨れた
しかしその後にやってくる渇きを
充たすものはなかった

外はよく見えた 見えすぎるほどに
あの子と同じ色 同じ形の
多くの影が過ぎた
近くを
そしてかぎりなく遠くを

それは長い三昼夜だった しかし
所詮は三昼夜だった

あの子が死んだ時
しらじらと起伏する砂糖の丘の彼方に 一つの
褐色の月が出ていた
そしてその月の光は あの子の
砂糖に埋れつつ砂糖に膨れきった影をも
かすかな虹色の暈の襞で飾った


このように言いたいのだ 私は
その月が もちろん
月などではなかったとしても
清潔な台所 その棚で翌朝
あの子の亡骸を見とがめて捨てる手
その同じ手が点した
一つの
褐色の豆電球に
すぎなかったとしても


夜に死なない

  黒木みーあ


ないていた。



どこか遠くで、日を捨てる音がする。昨日と、今日と、明日と。夜にさえ、抱かれない。わたしの、帰る道。立ち並ぶ家に人は居るのに、話声ひとつきこえない。石壁に反響する歩く音は、乾いた鼓膜を少しずつ圧迫していく。二つ目の曲がり角、ないていた。夜に刺さる声、二階建ての空き家。そのてっぺんできいきいと、風見鶏がないていた。それをいつも、いつもいつもどうにかしてやりたいと、思っていた。わたし、わたしは、たぶんわたしが思うよりもおかしくなっていたのかもしれない。頭が、ひどく痛かった。その日は、男のモノをくわえているのがいつもよりも苦痛で、とにかく頭が、痛かった。

あの、吐いても、いいですか、
言葉よりも先に、モノが出た。男のモノを噛み砕く、一歩手前で。薬が欲しかった。なんでもかまわない。今日に限って忘れてしまっていた。頭が痛い。男の情けない顔、わたしはどんな、顔をしていたのか。不意に笑いそうになる。おかしかった。とにかく、とにかく。何も考えずに飛び出した。小さい頃は全力疾走とかしょっちゅうで、でもやっぱりあの頃のようにはいかない。走りはじめてすぐに、胸が痛くなった。それに同調するように頭の痛みが激しくなる、ずきずき、ずきずき、暗い、路地裏。明るすぎた場所からの影響でうまく前が見えない。生ごみの臭いがする。寒かった。一瞬、裸かと思ったらわたしは服を着ていた。おかしかった。電話が鳴る。半狂乱の店主から、半狂乱な声で、どうしたんだと。どうしたんだと、わたし。いやどうもしていない。わたし。誰にも会いたくなかった、もう、思いつく限りの罵声を浴びせて、電話を切った。
 
 
 
歩きながら、わたしは死んでいた。今までと同じように、ひとりずつ、わたしが死んでいった。
なかなか治まらない胸の動悸と頭痛で、死期が早まるように、どんどん、どんどん死んでいった。一体、後何人のわたしが残っているんだろう。急に走るものじゃない。昔誰かに言われたことがあった。親だったか、愛そうとした人か、遠い昔ほど、よく覚えていた。気付けば足も痛い。走れるような靴ではなかった。路地裏からいつもの道に出た。わたしは真っ黒になってしまったんじゃないか、そんな気がしていたが、ガラスに写るわたしはいつものわたしだった。眩しい。この街のネオンが心底嫌いなんだと、思った。
  
少ししてまた、電話が鳴った。友人。という文字が画面の中で点滅している。とらなかった。捨てた。わたしには友人はいない。吐き出す息と一緒に声に出す。いたことさえない。今すぐ、飛び降りてしまいたかった。もう、どこか高いところから、気絶しておしまい。おはよう地獄。きっと今だって、頭が割れているに違いない。でもほんとうは死にたくないと、思ってる。わたし、わたしはわがまま。わがままな子だと、小さい頃から親が言い続けたように、わたしはわがままだった。わがままじゃないといい続けたわたしは、たぶん、一番はじめに死んでいた。


 
自然と、帰路についていた。昨日と同じ帰り道には、昨日と同じように少しずつ明かりが失われていく。時間がいつもより早くても、夜に変わりはなかった。外灯はくたびれ果てて、出迎えることは決してしない。通る度、夜の温度が濃くなっていくような、そんな感覚を抱いていた。どこの家も真っ暗で、わたしも、同じように真っ暗だった。誰も居ない。居ない。帰っても、わたしはそこに居ないし、ここにも、居ない。
かなしい声がきこえる。わたしの、風見鶏の、声。ないていた。くたびれた外灯の端に建つ空き家の、漆黒の闇のてっぺんで、風の吹く度ないている。わたしは後何人、残っているんだろう。何度も思いながら、空き家の前で立ち止まった。もうきっとおかしくなっていた、頭が、痛かったし、無性に笑いたかった。何も飲んでいないから、口が酸っぱい。あんなモノ、噛み砕いてやればよかった。一瞬、そう思って、でも噛まなくてよかったんだと、思いなおした。

 
 
ないている。いつまでも、風見鶏が、誰もいない夜に向かって。ないている。今、どんな顔をしているんだろう。朝の雄々しい姿を見ないままでいた。でもそれでよかったのかもしれない。誰も居ない家のてっぺんからは、きっと、かなしい景色しか見えないでしょう?うずくまる、わたしの背中を預ける夜が寒いのは、昨日も、一昨日も、ずっと、ずっと同じ。帰りたかった。どこかに。わたしの居るどこかに。胸の動悸が少しずつ落ち着いていく。ないている。ずっと。ないている。わたし、わたし、わた、し、ばいばい。小さく叫んだ。外灯がじりじりと唸っている。その音よりもずっと小さく、けれど叫んだ。おもいきり。ないている。ずっと、ずっと。ばいばい。
 
立ち上がる。頭はどうせ割れていた。今何人目かはもう、わからなかった。ないている。わたし、もう、ないていない。またひとり、死んでいった。夜の底の、底の、底。上を見上げても、何も無い。そんなことずっと前から知っていた。星よりも多い、わたしの死体は星よりも弱く、瞬きもしないこと。一体、夜はどこまで、高くなるのか。長い間を、宛てもなくないている。目を閉じていても、開けていても、わたしが確かに、そこに、死んでいる。
 
 


ハ ル         

  りす

梅のなかにハルは隠れていた

男たちの少女期のように

前髪をあげる時機を逸して

笑顔をもらえなかったハル


桜が咲いて散るのは

冬の粗相だというのに

ハルはかたくうつむいたまま

冬の代わりに罰を受ける


暖かい梅の幹を追われ

毛虫のように叩き落とされ

この世の冷たい草むらで

ほっそりと生きはじめるハル


背中を丸めた小さなハルは

ながいながい余生をさかのぼる

この世は巨大な獣のようで

波うつ広い平野をもっていた


なめらかな毛並みに逆らって

獣の背中を越えていくハル

獣はあたたかい土地から土地へ

盲目に走りだしてしまうから


ハルの頭のうえをひゅんひゅん

飛び去って行くたくさんのハル

ハルはハルをなんにちも

見送って飽きなかった


見あげるハルと見おろすハル

見あげてもハナはなく

見おろしてもハナはなく

見えるのは桃色のハルの影ばかり


胸のなかにハルを隠していた

膨らむことのない硬い胸に

ハルがあふれてもあふれても

ハルはハルになんにも

教えることができない


十三夜

  坂口香野

道は工業高校の前を通って
青渭神社の森へと続く
市民農園には大根が植わっている
春先の青首は塩によくなじみその薄切りは霙にも似る
酒蒸しにおけるあさりの断末魔および釈迦涅槃図との関連について
菌床しめじ社会における養分格差および古代原木への憧憬について、等々
ひょろ長い二本の脚でせっせと歩を進めつつ
君は熱心に話してくれる
ご自慢のパンクロッカー風ブーツはよく光っているし
お話はとても興味深いのだけれど
等々や云々がにょきにょきと並び立ち
雲がうようよ増えて空はすでに真っ暗だし
月はいまどこにいるのだろう

 繰言は果てなき千の海鼠雲
 君よ蹴破れ光浴びたし

うーん
どうかなあ
やってみてもいいんだけど
なにせ俺はアキレス腱が弱いしさ
こないだなんか右足の平目筋がひらっと砂にもぐっちゃって
足首がぶらぶらになっちゃってまあ、困った困った
知ってる? 平目って白身だろ
白身の魚って全身が速筋繊維なんだぜ
速筋はつまり瞬発力に関わる筋肉ってこと
砂に隠れて近づいた獲物を捕食する魚だから
すばやい動きが重要なんだな
だけど平目筋は遅筋繊維が著しく優位な抗重力筋、つまり赤身の筋肉なんだぜ
矛盾してると思わない?
そんなわけで動きの鈍い俺の赤い平目は
すぐまた捕まえられたんだけどさあ

いやもう君の話はわかりにくいし
わたしは空腹で目が回りそうなのに
天は食用に適さない鉛色の海鼠だらけで真っ暗だから
いますぐお願いしますよ、ええ
うーん
しかしなあ
俺こないだ平目に逃げられていらい右足に捻挫ぐせがあるし
中・高と帰宅部だったし
この靴だし
いいからいますぐ
アレグロビバーチェ・コンブリオ
はなはだ急速に活気をもってよろしく頼むわ、というと
君は小さく唸り
それでもきっちりアキレス腱のストレッチを行ってから
平目に逃げられていないほうの左脚で土を踏みしめ
ひょろ長い右脚を振り子の要領で蹴り上げた 
パンクロッカー風ブーツ(スコットランド製)がしずかに宙を舞い
海鼠の群れに吸い込まれていく
君はぽかんと空を眺め
私もぽかんと待ちたかったが
間が持たないので雑草をむしることにした
どくだみの赤い根は柔らかくまた深い
靴はきっかり三十七秒後に落ちてきて
大根葉の間を数回バウンドしたのち
すっくと土の上に立ち上がった
はるか頭上に肉眼で五円玉大の穴が穿たれており
そこから月夜の青がのぞいていた

君は得意そうに鼻の穴を大きくして
こっちを見ずにブーツの泥を払っている
ありがと、というと
そんだけ? という顔をする
だって驚くことじゃない
広辞苑にだって書いてあるよ
子どもは風の子だが
じつは男子は一生を通じて風雨の王であり
いついかなるときも大気を動かすことができるのだと
そんな記述見たことないぜ
ああ、これは辞書の本文じゃなくて
巻末付録の品詞活用表だとか旧国名地図とかの後についてる
「この世のしくみ」っていう薄い袋とじ別冊に載ってるのよ
ほんとかなあ
ほんとだよ

いまや群雲は靴穴を基点に真二つに裂けて
十三日目の月がそのつややかな輪郭をあらわす
空の道ははるかにひらけ
どこかの窓から青菜を茹でる湯気の匂い
ついでに言っとくと
女子の役割は日月のすこやかなめぐりを守ること
だからね あの月はわたしがのぼらせたのよ
そうか そいつはまことにお役目大儀
今宵はひとつ互いのわざをたたえあい
菜の花とあさりの辛子和えかなんかで
きゅっと一杯やろうではないか
異議なし、しかし
唯一残された問題はあさりの調達法のみ
空の浅瀬で獲れるものかどうか
菜の花はここに咲いてるのをちょっと失敬するとして
大丈夫、調布パルコの魚屋さんがまだ開いてるだろ
閉店は九時だよ
間に合わない
走るぞ
うん

 騒ぎ立つ雲の波間をゆく月は
 腹の底までpinkgold也


2010年2月2日

  ぱぱぱ・ららら

雪の朝
世界は白くて
寒い
なぜだか
涙が止まらなくて
ああ、
僕が言いたいことなんて
こんなものだったんだ
 
本当は
何か難しいことを
言いたかったんだけれど
 
まあ
いいや
 
僕は
雪じゃなくて
君が降ってくれば
いいな、
って思ってるんだ


カモミール・ティー

  荒木時彦


あなたに宛てた
封書を追いかける

チャーリーが私を追いかける

カモミール・ティーは
もう、冷めてしまっただろうか?


或いは、この国のものたちへ

  はるらん

 
 曇り空の金網の向こうでは、空爆の飛行機が離発着を繰り返している。耳を劈くようなキーンキーンという高い金属音さえ、いつのまにか慣れようとしている自分がそこにいた。そして女である私たちは、アレを拾って、子宮の中に出来るだけ沢山、それを隠さなければいけない。しかし、入れるそばからそれは、おなかの中から突き上げてくるようで、終いには喉元からグエっとそれを吐き出しそうになるのだ。

 ダメよ、ダメダメっ!いま、それを口から出してはダメ!
ココを出てからならいいわ。ミサイルのように、それを発射させても。
 領内に立つ警備兵たちは、あちこちで目を光らせている。女たちが作業を少しでも休むと、彼らは銃で背中を小突いたり、髪の毛を鷲掴みにして、地面に叩きつけることもあった。

 羽虫の音が耳元でうるさい。ものすごい高速回転。周波数。誰かが私のことをスパイになって、探ろうとしている。こんな生活がいつから始まったのだろう。数週間前からのような気もするし、数ヶ月前からのような気もするし、あるいはもう何年も前から、こんな生活が続いているのかもしれない。日付はいつも、記憶の彼方にある。

 他の国には、どんな暮らしがあるというのだろう。私は子宮の奥にアレを詰め込みながら、いつか見た風景の記憶を探そうとする。固い土の中に、それは埋められていて、私はひび割れた素手でそれらを拾い、スカートの中で、もぞもぞする。それはインドネシアの小さな女の子のお人形だったり、誰かの父や母が幼い頃に吹いて遊んだかもしれない、おもちゃのラッパや、ところどころ錆びているハーモニカ。その多くは手のひらにすっぽりと収まるような、小さなものだった。それらを体の奥に詰め込むことに、どんな意味があるのか、私にはわからない。いつか、隣の女の子に聞いたことがあるが、やはり、彼女は首を振ったのだった。
 けれど私たちは毎日それを続けなければいけない。水鳥たちが川面に流れてきたジュースのキャップやビニールを飲み込むように。わけのわからないプラスチック、釣り針や釣り糸。人間が捨てたあらゆる様々なゴミたちを。彼らが死んだあとに、胃袋から取り除かれる、それらの死骸たち。あるいは、彼らは最初から知っていたのか。そうなる、運命を。

 私は今日も地面を掘る。アカギレだらけの指で掘る。なぜ、こんなにもたくさんのモノたちが埋められているのか。私は土を払って、拾ったものを確認すると、それは手のひらで四角を作ったくらいの大きさの木製のレリーフだった。小さな木枠の中には、丘の上に立つ、小さな家があった。何段か続く石段の上に半開きになったドアがあり、家のそばにある小さな木と木の間にはロープが張られ、洗濯物が風にそよいでいる。

 これは私の家ではないか。もう、ずっと帰っていない、あの家。
 数センチしか開いてない家の中は見えないけれど、このドアを開ければ、暖かい暖炉やテーブルがあり、その上にはティーポットや摘んだばかりの小さな白い花がコップの水の中に入れられている。風に気持ちよさそうにそよいでいる洗濯物は、私の愛する人のシャツであり、私のお気に入りのスカートだ。 私は思わず石段を駆け上がり、、数センチ開かれているドアを勢いよく開けそうになる。
 でも、私はふいに不安になる。ドアを開けて、もし違う人がいて、ここは私の家だ、と言われたら。洗濯物は、違う人のものであり、違う愛する人のものである。私の大切な人は、何処へ行ったのだろう?
 作業終了のサイレンが鳴るのと同時に、今度は大きなマリオネットの人形を見つけた。こんなもの、どうやって、子宮の中へ押し込めろというのか。バラバラにしろとでも。

 私たちは狭いコンクリートの中へ押し込められ身を縮めて、固い地面の上に横になる。20ワットの裸電球の光がまぶしく感じられる。それをじっと見つめていたら、一条の光が私の視線の斜め上を射していった。いや、私の頭の上の少し手前で、それは伸び縮みを繰り返し、一本だった光は数本の束になり、中心で交わり、交差し、それでもまだ、私の頭の少し上で止まったままで、それ以上、先へ進もうとはしなかった。何か目に見えない力によって、その光はそこで遮られているようでもあった。
 なぜ、もっと遠くへ行けないの。行ってしまえばいいのに。
 そう思ったとき、灯りが消された。消灯の時間だ。鉄格子の窓から夜空の星は見えない。

 この土地へ来たばかりの頃、愛する人と手を繋いで、満天の星を見た。初めて来た彼の故郷。それは、空を埋め尽くすほどのミルキーウエイだった。田舎は空気がキレイだからね。彼の手を離れて、ひとり、星に見とれていると、私の体はふわりと浮き上がり、自分も宇宙の中の星のひとつになれたようだった。銀色の海。遮るものは、何も無い。私はここで生まれ、ここで消えてゆくのだ。たぶん、きっと。
 けれど、満天の星を見れたのも、宇宙の銀河をひとり漂うことが出来たのも、これが最初で最後だった。それでも、星座は日々、動いているのだろう。少しずつ、その位置を変えて。いま、私は何処にいるのだろう。


 気がつくと、私は母と森林の中を散策していた。途中、右や左へ折れ曲がる道が何箇所もあったが、母はまっすぐの道だけを選んだ。いつの日も、母が、そうして歩いて来たように。
 ときおり、樹木の葉がさわさわと風に吹かれ、私の髪も、ときおり、風に撫でられていった。生暖かいような、どこか懐かしい匂いのするような、たとえばそれは、お帰りなさいの夕焼け小焼けのメロディが町中に響く中、群青色の空に届きそうなブランコを、いつまでも漕いでいた小学生の頃とか、角のタバコ屋さんの前でいつまでも友達とおしゃべりして笑っていた中学生の頃とか。子犬を抱いて散歩する川原の土手の上のクローバー。春の終わりと初夏のあいだをまたいでゆく、ほんのりと暖かい緑の風に揺られていたわたし。

 おかあさん、あれからずいぶん、いろんなことがあったんだよ。あなたが亡くなってから。いちどに、いろんな波がドッと押し寄せてきたの。夫が事故で失明して、瀕死の重傷を負ったこと。それから・・
 何から話せばいいのか、わからなかった。あれもこれも話したかったけれど、何も話さなくてもいいんだ、どこかでそんな気もしていた。
 おかあさん、あなたの好きだった、ヒトトヨウは、まだ歌っているよ。私の好きなkiyoshirouは、去年の5月に死んじゃったけどね。人はなぜ死に、なぜ、生きるのでしょうね。あなたが得意だった、肉じゃがは、私は未だに苦手なの。それから、父さんや兄さんや姉さんは牡蠣フライが好きだったけれど、なぜか私だけ食べれなかったよね。みんないつも、熱々の牡蠣フライを美味しそうに食べていたけれど。私がアレを食べようとすると、悪寒と鳥肌が一度に込み上げてくるのだった。食卓に残るレモンの果汁と、牡蠣の匂い。

 みんなが捨てた牡蠣の殻が、一度に地面から出て来る。その殻で私は指を怪我する。いつも同じ箇所を切り、その裂け目から血が滲んでいる。それにしても、おかあさん、戦争はいつ終わるのでしょうね。いえ、ホントは私、あの飛行機が何処へ飛んでゆくのか知りません。この国の名前さえ、ホントはわからないのです。

 でも、いつか私も、私の体の中から、小さなミサイルを発射させるかもしれません。 ああ、喉が渇いてきました。砂漠の中にいるようです。

 さっきまで一緒に歩いていた母は、もういない。そばに、モスグリーンの薄いスカーフが落ちていた。私がいつか、母にプレゼントしたものと、同じだった。私はそれを拾い上げ、自分の手首に巻いて歩く。森林の奥まった側には小さなカフェがあり、私はその中へ一人で入ると、店の中にはウエイターの男の子がいるだけだった。こげ茶色の木製のテーブルに座ると、おなかの中は、火の嵐のように燃えている、のがわかった。
 作業場へ戻らなくてはならない。キリキリと、子宮は激しく収縮を繰り返し、おなかの中は、オレンジ色のマグマが溢れ出そうとしている。 しかし、地面に流れ出ることのないマグマは、私の体の中で、燃え続けなければならない。或いは、私が二度と戻れない国の中で。私は私の子宮の中で、私の祖国を抱きしめる。まだ、一度も渡ったことのない海の向こう。

 オレンジ色のマグマは間断なく、子宮の中で暴れまくっている。いっそのこと、このまま眠りにつけたなら、どんなにラクだろう。私はおなかを抱えたまま、テーブルに顔を埋めた。ウエイターの男の子は、そんなことには、おかまいなしに、「お客様、ご注文は?」と、にこやかな笑顔で聞いてくる。私はテーブルの上に置いた顔をを横に向けたまま、必死でメニューを横向きで追いかける。

 喉が焼けそうに熱いのだ。何か飲まなければ・・
私は額に汗を滲ませたまま、だんだん霞んでくる瞳で、それでも、できるだけにこやかな顔で注文した。

「旅の途中の麦わら帽子を被った女の子の小さな宇宙のショコラムースを」、と。


Petite et accipietis

  しりかげる

 
 
眠れない真夜中。
この街を縦横無尽に走る、幹線道路。
行き交う蛍は、目的地を知らないの。
乱立する、高層建築物。
点された炎は、ひどくつらそうに、
死角を放出している。


ねえ、、


ビルの脇に等間隔にたたずむ、
カーキ色の街路樹。
公共バスに窮屈そうに乗る、
仕事帰りの会社員。
裏路地にかりそめの関係を探す、
涙線のない女子高生。
コンビニに並んだ菓子パンみたい。
一様にくたびれていて、
きっと鉄の味しかしないわ。


パーティーに使う、
折り紙のわっかを繋げて作るやつ、
あれ、名前なんて言うんだっけ。


視線の抱擁、
網膜、と、網膜、
キスをしよう。
篝火の暖色に包まれ、
ホームレスの男たちは、
小さな公園の隅で、
儀式をしている。
震える、切っ先、
吐息、絡める、
重ねる、輪、


保健所ではたくさんの動物が、
毎日殺処分されているから、
その中に二人ぐらい、
人間が混じり込んでも、
きっと、気付かれない。
声を潜めて、一緒に、
おどりを、踊ろう。


温度のないリズム、
壊れた問いかけ、
吐き捨てられたガム、
誰も知らない。
願い、人、
きこえる、きこえず、


感覚が。


昨夜から、どうもおかしいみたい。
どうおかしいの。
なんだかね、すごくぼやけてる。
ふうん。


摩擦。


数多もの心が波になる。
数多もの波が海になる。
銀波が水面を浚う。
水中は見えない。
傷付いた音や光が、
手のひらの世界を、
飽和させている。


不器用な喧騒。


夜ごと、内部で生み出された騒音を、
やかましい光に変え、
ネオンサインから排出している。
そんなパチンコ店。
夜ごと、光に集まる蛾のように、
汚れたスニーカーたちが、
忘却の快楽を求めてコインを弄る。
そんなゲームセンター。
夜ごと、淡く色づいた爪が、
指先でついばむように、
一瞬の空白を傷つけあう。
そんな風俗店。


空っぽの欲望がね、
ぎらぎらしている、
そんな悲しい光が、
この街の夜を照らしているんだよ。
眠らない街、だって。
眠れない街、なのにね。


うるさい光たちが、
羽虫のように飛びかって、
ぶんぶうん、って、
耳障りな音を立てている。


こんなに明るいから、
星なんて見えるはずもなく、
綻びのない常夜に、
都心は傷跡を抱き、
旅人たちは、
祈りを、
 
 
 


言語的存在とは何か

  右肩

第一編
 靴屋の冬靴。言語的存在になるところ

第二編
 文法規則は牝馬 赤黒い脚四本を雪に立てる

第三編(実在は言語的未遂である、と彼は僕に言った)
 セントルイスを語らぬ羽音その冬蝿

第四編
 笑い声ではない決してない鰤起

第五編(硬貨を八枚並べなさい、と君はバカなことを言う)
 空腹の言語の神のこの吹雪に硬貨八枚

第六編
 チェス。クイーンは冬林に立っている

第七編
 凍港という語が追い立てる船という語を

第八編(鴉に読めない文字が包装するもの。その実体が嘴で剥かれる)
 もの喰えば鴉ああと鳴く。経済の内実を剥く

第九編
 幻影を言語周回す。クリスマス。

第十編
 語の爛熟 何も熟していない。地上に渇く種の殻。春。


反「言語的存在とは何か」

反第一編
 僕は靴屋である。靴屋は靴しか売っていない。昨日は肉じゃがを食べた。胃が凭れている。涙が流れる。感情は涙ではない。

反第二編
 僕は獣医である。治療のため牝馬の性器に腕を突っ込んだことがある。文法規則はぶよぶよして血にまみれていた。

反第三編
 セントルイスでは長い放尿を経験した。それは日本での放尿と、香港での放尿と、インスブルクでの放尿と質的に同じであり、量的に異なっていた。
人生とはこういうものの間に嵌め込まれた言語的存在である。もちろん、そこに蝿は飛んでいる。辛い。

反第四編
 鰤起。鰤起。鰤起。姉はダッフルコートを着て防波堤に立っている。鰤起。海から打ち上げられる石は皆丸く小さい。

反第五編
 僕はバカなことを言っている訳ではない。この視界のない吹雪の中でも君の買った三冊の『エロトピア』の古本は八百円であり、釣りがない上に五百円玉は嫌いだ。だから総て百円玉で払って欲しいと言っている。君の僕に向けるねっとりした視線は、決して言語的ではない。

反第六編
 クイーンは裸だ。

反第七編(君は「それも言語だ。唾棄すべき言語だ。」と僕に告げるだろう)
 僕は船である。追い出されることなく凍っている。ペニスも凍っている。尿道口から言語は出てこない。

反第八編
 経済の外殻は証券取引所や銀行にある。内実は魚肉ソーセージとしてビニールの包装に包まれている。僕は雨の日、セントルイスのトイレの片隅でそれを食べた。ほどなく発熱した。

反第九編
 「す」はサ行変格活用の動詞であるが、あらゆる名詞を動詞化しようと策謀を巡らせてきた狡猾な策士である。第九編では、クリスマスの系に列なる言語を周回という動的な語とともに、動詞として動的状態に置こうとしている。危険だ。

反第十編(僕に春がなくても、誰かが持っている。富も季節も遍在する。それでいい。)
 言語は野に捨てられる。


「反『言語的存在とは何か』」の存在にコメントする
 「言語的存在とは何か」は俳句的記述ですが、俳句の社会性を個人的世界の個人的充足に置き換えています。ですから、まるで無謬のように振る舞います。
「反『言語的存在とは何か』」は、これに対し、無謬だろうがなんだろうが、屑は屑だ、と「言語的存在とは何か」を規定しなおしています。
 しかし、それは外部からの規定を待つべきものであって、本質的には同質の内容を繰り返す愚挙に過ぎないのではないか、と僕は考えます。僕は考えます。

反『「反『言語的存在とは何か』」の存在にコメントする』
 いえ、考えていません。
 


赤子

  益子

部屋では男が赤子と遊んでいた。赤子が床を這うのに合わせて男の体も動いた。男と赤子は親子ではなかった。しかし顔はよく似ていたが手足はまったく似ていなかった。男は動かしている手が誰のものだかわからずに遊んでいた。赤子と遊ぶには赤子の名前を知る必要があったが教えてくれる者はいなかった。男は赤子のことは何も知らなかった。赤子の性別も知らなかった。ふいに赤子が服を脱ぎたそうに身動ぎした。男は赤子と遊んでいた。男の肌は浅黒かったが赤子の肌は風船のようだった。男と赤子は風船で遊んでいた。男は赤子と話をした。手が二本で足が二本だった。いつしか赤子は男の真似をしているということに男は気づいた。手足が似ていたからだ。赤子が男の名前を呼ぶ声は赤子の母親に似ていたが男は母親のことは何も知らなかった。母親の性別はとてもよくわかっていた。男は赤子と母親の性別の話をした。そのためには赤子の名前と性別を知る必要があったから遊んでいた。しかし顔はよく似ていた。赤子の自分で服を脱ぐのを男は眺めていた。赤子の腹は風船のようだったが男はそれの真似をした。母親も今その真似をしている。男は今赤子と遊んでいた。遊んでいた赤子は知らない男と遊んでいた。赤子は母親を叱った時の声真似をした。男は赤子のことを何も知らなかったが風船を赤子の腹に結び付けて母親へのプレゼントとした。赤子は男を振りほどきたそうに身動ぎしたら男が笑った。赤子も笑った。母親も今声を上げて笑っているのだと赤子は男の声真似をして言った。風船が割れると母親が出てきたと思ったら赤子で、赤子の手足は短く、男は床を這っていた、裸を見ても性別がわからない、風船のような腹を押し潰したら赤子のような声で浅黒かった、で笑った、赤子は風船とともに空へ昇り、それに合わせて男は母親を追った真似をして性別がとてもよくわかった二本だった、部屋で



※一条氏の『nagaitegami』を参考にさせて頂きました。


おんみ

  鈴屋


壁の日めくり、二月某日
さしこむ西日に侘助は明るみ
すきま風に追われては、紅ひとつ方丈にくずれる

おんみは綿にくるまれ熱に饐えて、ほしがる水は口うつし
されば世の男のはしくれとてふれた唇そのままに
やわらに舌を吸いあげ、乳房に顔をうずめ
うつせみの世の隅そのまた一隅
侘しくあればこそのいちずな色の行い

  
 「小宮さん、先日亡くなった瀬木さんは末期癌だったんですよ」 
 「刑事さん、どうしてわたくしがその瀬木さんと組んで堂島さんを殺さなければならないのです?」
 「復讐ですよ」
 「復讐?まあまあまあ、なんと興味深いお話」

 
枯れがれの檜葉の梢の夕月に
そのあたり風すさび、おんみのおえつ笛のごと鳴る
肌身を捨てても心をすてても、おんみの瞳は空をさすらい
海と陸
日と月
雲と波浪
見えるかぎりの果ての果てまで
こうしてひたすら見わたしているのだから
ああ、なんという愉楽
生まれなければよかった、からだなど
こころなど、なお
生まれなければよかった

波打つ胸の起伏をはじらい、あえぎを呑みこみ息をととのえ
おんみはうっすら瞼をひらく、そのいとしさあいらしさ
洩れる吐息の香味を惜しむあまり
息を絡ませまた口づける

 
 「瀬木さんが二階の堂島さんの居室で凶行に及んだあと、凶器のナイフと血のついた上着を窓から落とした、それをあなたが拾って松円寺公園の藪に捨てにいった、こうして瀬木さんのアリバイはつくられたのです」
 「ほんとにまあ、よく出来たお話だこと、でも、再三再四申し上げていますように、なぜわたくしが人殺しの、おお、なんという怖ろしい言葉、そんな手助けなどしなければならないのでしょう」
 「手助けをしたのは瀬木さんのほうですよ、小宮さん、あなたが二十年このかた胸に秘めていた復讐のね」


顔の幅に窓をあけて苗圃をぬける小道を見やれば
夕日は蕭々として、去り行くおんみのうしろを照らし
道にならぶ立木の影がつと起きては倒れ、つと起きては倒れ
これがおんみの見おさめ、まさか
まさかそんなはずはなどと危惧するのは
わずかに手をふった別れぎわの
笑まいのさびしさのせい


 
  
 注、次のように修正しました。  榧→檜葉。 木立→立木


  はかいし

向こうに布をかけて、道を閉ざしてしまうことにした。繊維の隙間から街々の影が覗いている。それが次々に増えていって震え出した頃に、わたしは布を撥ね除ける。布の下から青や赤が駆け抜けていって、部屋全体を染め上げる。それからつめたくなった彼女を見つけて、まど、と呼んだ。

いつも向こうから囁いているのは、やけるような夜景だ。彼女はそこに恥部をさらけ出して言う。物語の作り方を知りたい、と。それなら、とわたしはその背中に滑り込んだ。背中の上で燃えて、わたしは灰になる。ここには誰もいない。誰もいないんだよ。

(引き延ばして欲しい、もっと、影だけでも背伸びして、太陽に裸体を曝して、どこまでも続く背中の中に、)
向こうから、夜景の消えていく音がする。それは街路樹の群れをこえ、信号機の点滅をこえて、やがてわたしの鼓膜をこえて、中へと入ってくる。代わりに色彩が少しずつ短くなって部屋から抜けていく。

彼女は歯をわたしに向ける。日差しはそこかしこに散らばって、ぎらぎらと滾っている。彼女はわたしの物語のせいで、歯まで真っ黒だ。夜が更ける頃に、わたしはつめたくなった背中を探して、部屋中に広がるだろう。だから、また布をかけて、向こうからくるひかりを閉ざすことにした。


草原の少女

  19

記憶の中で

震える星の
架かる空

冷たい雫に
映る顔
爬虫類のまなこ
瞼の無い

切り結ぶ唇に
寥々と灰色を這わせ
紅を除いた白い頬を浮かべ
寒気が躍る

記憶の下で
寒気が躍る
灰色の雲が
渦を巻く

セーターもマフラーも
そこだけが鮮やかで

スカートもブーツも
どこか緩い

昼だったような

夜だったような


みずがめの空

  丘 光平



目をとじて
たわむれる羽むしの
夜は剥がれて
焼かれてまもない朝の破片 


 うなだれた睡蓮の
みずがめにひびく 
薄氷の空 

しずかに渡る星たちが
 降りやまぬ坂の石段を 


散りしく二月の薫りが
こどものように
跳ねている


さらにがんばれ、ベアーズ

  ゼッケン

石を握って
きみはひとりで
そんなところに立っているんだろう

バッターボックスに立ったぼくは正午の蒼穹を見上げ、一瞬、くるりと眩暈を覚えた
親が買ったキンキンと音のするバットの先端で一度おおきく空に円を描いてから構えた
川原で拾ってきた石なんかを握ってマウンドに登ってしまったきみは
その石をぼくにぶつけるしかない、素手のキャッチャーは
きみのその120キロの石を受けることができない、背後に立つきみの持たざる仲間たちは
無力。ぼくだけだよ、きみを救えるのは
投げろ、ぼくときみはぼくときみにしか理解できない信頼で結ばれている

きみは、
投げた、

うわぁーと叫ぶ、演技ではない分が混じった
鼻先を120キロで石がかすめ、ぼくは首を振ってヘルメットを宙に飛ばした
ぼくの父が経営するパチンコ屋で普段は店長をしている審判がデッドボールを宣言する
胸がむかついた、ぼくはまだおぼっちゃまにすぎない
デェェェッドボォォォル
チームメイトが全員ベンチから飛び出してくる
いちはやくピッチャーマウンドに到達したぼくは
きみの鼻を拳で叩く
ぷっと鼻血を吹いて
きみは抵抗せずにマウンドに倒れる
よくやったぞ、きみは
チームメイトに囲まれ、きみは踏まれる
踏まれる踏まれる踏まれる、そうして
英雄が生まれようとしている
きみの仲間は空になったこちらのベンチからグラブとバットを盗み出している
盗め!盗め! はっはっ
道具を手に入れたきみらはきみらのチームをつくり、きみらの子供たちが
野球をするようになるだろう
そのときにはおぼっちゃまじゃなくなったぼくは
きみらの子供たちに新しいボールを売り、新しいユニホームを売り、
新しい野球場を売り、新しいルールを売り、
その金でぼくらの子供たちが宇宙船を造る

宇宙のひろがりのなかでひとりひとりが魂の崇高さを見つめる
ふたたびバベルへと航海する
結集した人々が挑み続ける


太陽

  ぷう

、くっきりとした蒼を破り、激しい熱が降り注ぐ、
、眩しすぎて、直視できないけれど―――、


時間と空間のエアポケットのような、狭間に消えた/消失した、
脱出不可能、生還率のかなり低い場所に、隠されている、そのコトバをください、
覚悟を決めて、飛び込んだ世界は、ひどく深く、狭い、トラップだらけの、ムとセイブツの世界、
ほんの数秒で、焼き切れてしまうくらいの、閉じた/閉塞した、ワイヤード、
生き延びるパーセンテージは、50%、ただの確率、つまり、
「to live or not to live」


割れた、絶対的なレンズを捨てて、叫ぶ―――母の手をはぐれた、迷い子のように、
躰の芯から、声を上げる、そして、
はじめて、あなたの中の、
胎児が、始動する、
バイブルを破り捨てて、イノチの爆発を、躰全体で、表そうとしている、
静かな午後に、響き生まれる、莫大なエネルギィを、叫びとともに、
放出、しようと、していた、(それは、進化/誕生の、可能性でもある、、


長らく、ぎゅっと握りしめられた、コブシを、ゆっくりほどいて、
ためていた増幅するエントロピーを、少しずつ、零してゆく、
発散され、解放される、極度の熱に、
あなたは、溶かされていきそうな気がして、わずかに目眩を覚える、
しかし、溶けていくのは、あなただけではない、それは、
閉塞して、凍りついた世界をも、溶かすと云うことだ、


深く、吸い込まれそうな蒼が、広がっている、
あなたは、両手を広げ、包みはじめる、だんだんと、還ってゆく、のです、
よければ、また、コトバを、くれますか、それは、あなたからの、放出、
閉塞した機関は、勇気と、勲章を、与え、讃えます、
あの日消失した、あなた自身の世界と、
再生され、生まれ変わるまでの、莫大な熱量と、エントロピーの回復について、


200%でも足りないくらいの、あなたは、
黒いベールの中、蒼を抱き、
自ら熱を放射する、存在に、なりえる、の、です、
わたしは媒体に過ぎない、あなたが、光り輝く為の、ただの、コトバ、であり
あなた自身、
だって、わたしは、あなたの、
かけがえのない、
胎児ですから、


早春

  右肩

泥にまみれたハガキが
届く
夜空の鳥の苦しみから
ねじれ落ちる真っ白い文字

(私のこと、思い出して下さいね
 何か知れない私の
 何か知れない気持ちも)

あの日
透きとおった水が体を走り
とめどなく長いくちづけから
熱を奪っていった
僕の上で君の乳房が
ひたすら泣きもだえた

少しも
離れたくなかったはずなのに
冷たい流れが
何もかもをわからなくしていた
何もかも、今でも何もわからない

痛みと
やり切れない喜びとが
僕と君をつないでいたのか
(一緒に耐えること
 それだけね)
二人が二人でいた理由は
それだけ
愛まで指が届かない
どうしても届かないまま

君は淋しかった夕暮れの野の
スミレの花だ

始めからしまいまで
キスしてもキスしても僕ら
ホテルの窓に
別々の月を見るのだった

ぽろぽろとこぼれる赤い丸薬

泥にまみれたハガキが
死んでしまった君から
届く

北へ帰る雁が
春月に浮き上がり
思い出の片隅で
君の横顔が
美しくすすり泣いている


striptease

  はなび



場末の酒場のサーカス小屋みたいなおんぼろのステージで
観客は興奮したら死んでしまいそうな爺さんばかり
肉体を憧憬するより背後に渦巻く古典的な愚かさ
身につけた装飾品を剥がしてゆく
たおやかな線が表れる
詩的な昆虫が脱皮するように

ストリップ劇場の外では男も女もその他大勢
何か脱ぎきらないまま抱き合ったり潰れたり

幕間のコントが爆竹の様にけたたましく走り去り
ストリップ嬢の絹の靴下に吸収される

女の匂いが火花のようにパチパチ衝天するような
角材で殴られて気絶した夜

拡声器の残響だけが
脳裏を支配する暗転



幕が引かれスポットライトがあたると女は自分の生立ちで漫才をはじめた
秀才肌だが自慢話と悪口ばかりの年上の男にいつも低能だと罵られていたせいで
すっかりマゾヒスティックになってしまった夜のこと
子供の頃遊んだ公園の滑り台が蛸のフォルムをしていたせいで
曲線と吸盤の快楽を知ってしまった夜のこと
真夜中のキッチンで冷蔵庫を開けた途端紙パックの牛乳に寄り掛かられて
ミルクアレルギーになったこと



覗き穴と世界中の好奇の目
白目をむいて過呼吸気味
まぶたが裏返ったような奇態な人類が
覗き穴の奥に住んでいると聞いたけど
朝になればお弁当を持った小人がゾロゾロ出勤してゆく

お手洗いに行きたくなって目が覚める
朝のひかりにゆうべのラメが鈍く反射して
ここがどこだかわからなくなる

いろいろな部屋のいろいろな窓
いろいろな家具のいろいろな色
いろいろな場所のいろいろな朝

果物や牛乳
不味いパンや美味しいパン

白砂糖がポロポロこぼれてちいさな山になる
小人の上に降り積もる

小人は砂糖をポケットに入れ小屋へ持ち帰り
うすい砂糖水をこしらえて

唇を突き出したような格好でいつまでも啜っている



あたしには夜の記憶しかないんです
脱いでも脱いでもなんにもでてこないのは
あたしっていう人間がつまらないから

おもしろいひとになりたくて
漫才を覚えたくてたくさん本も読んだけど
いつか
男がから揚げを食べながら教えてくれた

積み木でもするみたいに
書物でかよわい城壁をつくりその奥へ沈殿してゆくのだと
無意味な質問をして怖がるのはアホだと

から揚げみたいなあの男が話す口元は
使い古しの食用油で光ってた

あたしがなんにもこわくないのはそういう訳で
怖がりなのは業務用フライヤーに自分から
ダイブしてゆく黒焦げの三葉虫
絶滅するにも才能が要るって訳



「大衆化された芸術ってやつが持ってるようなものは、どんな要素もサーカスの中にみんなあるじゃないか」ってTVからのナレーション 錬金術にかかったみたいに あたし 眠れなくなっちゃって このステージが世界の一点で全体なんだってわかった

それからずっと おばあさんになるまでここを愛せるような気分になって 夢でも見てるみたいにうっとりして 毎日ストリップしてる 見せるものなど何もないけど



お客だって何にもないことをおどろいたりよろこびはしても 
いつまでも感傷的になれるほどアホじゃない 
そうやってこころみたいなものがささえられる 

そういうこころみたいなぶぶんと口笛と紙テープが 
ながいながいながいながい パンティストッキングみたいな首吊りロープにつながってる 
たぶんそれは全人類をつないで結べるくらいにながい

首吊りロープに引っかからない為にあたしは口笛をたぐりよせ
スルスルと吸い込んでは蓄える

安物のスルメみたいな匂いがなんだか恋しくなる
汚れたタオルが洗濯機に放りこまれる
そうやっていろんなものをほうりこんでグルグルまわす

ストリップ劇場の楽屋口の物干し脇で
煙草を吸いながら洗濯していると
焼鳥屋のバイトのコが缶ビールみやげに遊びに来る
下心があるみたいな爽やかさで
下心がないみたいな人なつこさで

文学極道

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