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sample - 2012年分

選出作品 (投稿日時順 / 全12作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


キッチン

  sample

炊飯器をけりとばし
ビー玉が釜からこぼれ落ちる
冷蔵庫の野菜室から
子どもが飛びだして
線路には気をつけなさいとだけ
忠告をする

透明な硝子のなかに
天の川が流れたような
白い模様のあるビー玉がひとつ
テーブルの陰に転がりこみ
それを追いかけた子どもの
名を呼ぼうとしたが
どんな名だったか
思いだせない

それでも呼びとめなければ
いけない気がして
何かを叫ぼうとして
口を動かし
スリッパを脱ぎ捨てる
やかんの湯が沸騰して
警笛を鳴らす

子どもは立ちどまり
こちらを振り返ろうとしたが
列車が子どもの運動靴を
せわしく脱がせて
隠すようにどこかへ
投げ捨ててしまった

やかんの底はあかく
熱され続けている
裸足のわたしがよく冷える
つめたい台所の床で
鉄道模型が樹脂製の車輪を
こすり合わせている


針と糸

  sample

雨傘のとても良い
鳴声を聴きながら
裁ち切られた
耳鳴りをさがしている
砂丘で失くした
二月の誕生石を
さがす女の
袖口からほつれた
生糸に視線を落とし
遠い目をする
仕草のように

路線図のそばで
バスを待つ小学生の
手から吊るされ
打ち鳴らされる
トライアングルの音は細く
しなやかな針金となり
革靴を履いた
標識のような足を縛り
冬の濃い空気もまた
軒下に暗雲を呼んで
乗車券に
黒い染みを付けて行く

未舗装の駐輪場
使い古されたオートバイの
鍵穴は梅色に錆びていて
力強くペダルに蹴りを入れた
白い住人が吐く息に
混ざったオイルの匂いが
部屋に流れて
内鍵をしめた指先は
交換されたばかりの
電球の灯りにさえ
丸みを帯びた
影を差し出す
天井の雨漏りが
うつわの縁に弧を描き
それで安心して
時計の秒針に
耳鳴りを、縫いつける


3月

  sample

花瓶から
あふれた水の
殆どは書き記されて

干上がった
窓辺に立てられた
イーゼル

幼児に
水で手を
洗われるような

3月に画布を
はる


暗礁

  sample

天井から集まる
星屑のめいめつが
頬からこぼれそびれて
睫毛にからまり
目を閉じると
角膜の表面に錨をおろし
浮標のように
ただ揺れている
覚束ない眩しさを
ひとつ摘んで
たやすくつぶし
ひしゃげたおとが
耳から鼻孔へ
すべりこむと
小匙ていどの
くしゃみが生まれ
さそわれるままに
あくびをしてしまった
ほの暗い口腔が開かれて
乳歯から順番に
明かりが点される
うわ唇がめくり上げられ
夜が頭巾のように
被せられる
赤裸々になった
のどちんこに
灯台が建設されて
置き去りにされたゆりかご
漫然と船を漕ぐ

アイロンをかける
母のそばにはいつも
天使がいて
幽霊が描く漫画の線のように
頼りない輪を描いていた
湿った繊維から
蒸気があがるたびに
軌道をそらし
畳に落ちそうで心配だった
また見てしまった
おそろしい夢 
回転木馬を模し
貴金属を装飾した
拷問器具に拘束され
あかくらげに触診される
けさ、起きると
乾燥した白い肌に
爪痕があかく
火傷のようにうかんでいて
毛布に身体を埋めても
土踏まずの下みたいに冷たい
母のくすりゆびに
嵌められた指輪は
あの拷問器具の
部品のひとつに似ている
だから手をつないで
海岸を歩いたとき
右手をつかむようにしていた
ふたりで灯台にのぼり
真昼の星座をつないだ
解体された、母の手が
星を真似て
さよなら、していた


空白

  sample

筆先を紙上に置く
まだ、なにも見たことのない
目のことを思う。
インクがにじみ
黒点が生まれる。

筆先を右に移動させる
まだ、なにも聞いたことのない
耳のことを思う。
ふたつの黒点を繋ぐ
線が引かれている。

筆先を下方へ移動する
まだ、痛みを知らない
腹のことを思う。
垂直に線が引かれ
三つめの黒点が生まれている。

筆先を左に移動させる
まだ、冷たさを知らない
手のことを思う。
線と線が対置し
四つめの点が生まれている。

筆先を基点へ重ねる
まだ、うそぶいたことのない
口のことを思う。
四つの点が結ばれ
形が生まれている。

四角、である
口と呼んでも良い
カタカナの「ろ」でもあり
人は窓だと言うだろう。

筆先を四角へ閉じ込め
空白をでたらめに走らせる
まだ、逃走を知らない
足のことを思う。
黒い固まりが描かれている。
光の角度によって紫色に見える。
暗い洞穴のようでもある。

筆先に思い切り力を込め
右斜め上方へ払う
まだ、飛ぶことを知らない
鳥のことを思う。
濃く鋭い筆跡と
ひき裂かれた紙に
空隙が生まれている。

筆を置く
まだ、何も書かれていない
白紙のことを思う。
わたしがいる。
机と、万年筆と。


郷愁

  sample

春へ
迷いこんだ赤とんぼに
音信を宛てる
なんとなく
くち淋しくて
見知らぬ子どもの
懐かしい
薄荷の味する
はなうたをぬすむ
ぐらつく
奥歯のように
母音を舌で
ころがしていると
しっぺ返しに
ひどく疼いた口内炎
頬をおさえて
手放した、はなうたは
母親の手に、拾われて
抱き上げた
子どもに恵む
子守唄へと
移ろいで行った

送電線に
からまった西日
明るいうちに
割愛された句読点が
砂場で灰になり
夜泣きしている
木陰はえんぴつのように
とがりつづけて
突端が軌条に
現在時刻を書き連ねる
北上する、夜行列車
車窓から
火の、手に
包まれた鳥たちが逃亡し
越境をあきらめた
羽根を焦がして
運河へ身を、投じて行く

燃えのこりが
舞い散る川端
水をなめる老犬は
落命を嗅ぎつける
緑青する、前肢
追憶に敷きつめられた
楓の葉を掻く、後肢
(すでに、私の尾は
 軸の折れた、筆、でしかない、のか。)
老犬は
焼けつくような爪の渇きに
牙を剥き、鉄橋を駆ける
鼻の位置を
一等、高くして
嗅覚の奥、微かに残る
薄荷の匂いと
幼い声紋を、頼りに

水面の
熟れた光が射し
老犬の目に
桑の実が赤く、色づく
心音が
ひとつ鳴るたびに
投函される
一通の、手紙
明白になる
あの、はなうた


釣れないな

  sample

なないろの架け橋から
ダムが嘔吐している
あじさいが
潤んだ目を擦り合わせ
ねむたげな林道
葉うらで演奏される口琴
耳をすます野池
水面の波紋に
意識が吸い込まれ
蛙の呼吸に同調したら
靴ひもの結び方は、もう
忘れてしまった

遠い海に住む
漁夫の塩辛い
手の平の上に似た桟橋は
老いてもなお
あたたかく逞しい
木目につまった砂粒が
汗を握っているかのように
朝日に煌めいている
釣り針に糸をとおし
きつく結ぶとき
僕の手は
求愛する鵜になる

竿を振りあげ
耳のそばで指先をはじく
着水し、青に溶けるライン
蓮の下の魚眼を
だまし抜くため
理想の身長に近い竿先に
なんども、なんども
女たらしの嘘をつかせる
けれども
疑問符みたいな
害魚が針にぶら下がっては
口の形のかたちを
Qにしたり、Aにしたり
するばかりだ

そうこうしてるあいだに
お日様にはゆったりとした
たも網がかけられてしまい
雨を降らせると
水面が鳥肌を立てて
足並みを乱す
僕は、今日の釣り人をあきらめて
レインコートを羽織る
フルフェイスのメットをかぶり
国道をまっすぐ進み
二段階右折と、信号待ち
黄色い傘をさし、孫と散歩していた
おばあちゃんの影と
集団下校する、小学生の影
自転車にまたがり
スカートを湿気た空気でふくらませた
女学生たちの影が交わって
横断歩道をわたる
ひとつの大きな影になり
また、はなればなれになって

玄関のドアを開けて
なまぐさい手を
洗っていると
エプロンを
ゆるく結んだ妻から
日がな一日
どこへ出掛けていたの、と
問い質されて
僕は一体、
どんな口をすればいいのか
わからないでいた
視線をそらした先には
物干し竿と
ぶらさがった洗濯ばさみ
町は半分
まっかな舌を出している


君に伝えたい

  sample

 ぼくは会社を休んだ。株式の建築会社だ。今朝、目を覚まし、まだ眠りたらないモグラのように目頭をこすると木魚を叩きながらこっくりこっくりと居眠りをするつやつやなお坊さんが一瞬あたまをよぎり、その幸福そうにふくらんだ鼻ちょうちんが儚くぺちんっと割れた瞬間「いけない、これは寝坊だぞ!」と飛びあがろうとしたのだけれど、ぼくのあたまのちょうどいつもならウェットティッシュやプロパンガスのことを考えている部分が赤やら黄色やら桃色やらを撹乱させて頭蓋のへりを擦り上げるたびにバチバチとトラッキング現象を起こしている。サーモンピンクの火花を散らし、悪意をもった痛みを両手いっぱいの花束のように抱えた白ありがぼくのあたまの中で何千という隊列を成し徘徊している。ぼくは青色吐息で暗くてせまい前頭葉の階段の踊り場にあるブレーカーを落とす。今日は夜まで、くすぶり続けるひとりぼっちのキャンドルナイト気分で貧乏臭い省エネ運転の不快極まりないスローライフをおくることになるだろう。ぼくは右手で受話器をにぎり、いつも無口で蜘蛛の巣みたいな口ひげを生やした部長の金子に「すみません、頭痛が痛いので休みます。」と霞みかかったソプラノでこの惨憺たる有様を告げる。そして、その二分後に「先程の件ですが決して重複表現ではございません。デリカシーの欠片もなく理不尽で非常識な頭のイタさ、であることを強調したまでであります云々。」と弁明の電話をしようとしたが弁明の余地にはすでに青々とした雑草が生い茂りその真ん中には「くだらない」とだけ書かれた野立て看板がななめに突き刺さっていたのでやめにした。欠陥だらけのぼくのあたまと体は悲鳴をあげている。きっと、ぐつぐつ煮だった寸胴鍋にあたまからつっ込まれるロブスターの悲鳴もこんな感じだろう。引き千切れるギリギリまでテンションが強められたガットギターの弦みたいにキーキー言って見る見るうちに錆止めの塗料がペイントされた鉄骨さながら真っ赤に染め上げられてしまう。ひどいもんだ。ところでさ、正月の飾りに伊勢えびが良く使用されるけど、あれってどうしてか知ってる?あれはね、えびみたいに腰が曲がるまで長生きできますようにって言う長寿祈願の意味が込められているんだってね。まったくバカバカしいよ。どうして腰が曲がってまで長生きしなくちゃならないって言うんだ。ぼくは年寄りはきらいだよ。それに最近の年寄り、あれドーピングしてるだろ。腰なんてバネでも仕込んでいるみたいにピーンとしてるしさ、彼らは話が長いんだ。ほんの小さな話の火種から導火線に火が点くと月までえんえんとつづく線香みたいに煙ったい話を息継ぐ間もなくしゃべりつづける。話を聞き終えるころには疲れ果てて東京タワーも大展望台付近からくねっとへし折れるんじゃないかってくらいだ。それでさいごに彼らは自慢げにこう言うよ。「いやぁ、わたしも今年で八十歳だよ、嫌だねぇ!」ぼくはそんなとき「お若いですねぇ。」なんて口が裂けても言わないし驚く仕草も見せない。そんなことを口走ってしまえば目の色を変えてまたおんなじ話をあたまから、怒鳴るように、大きな声で。まるで怪獣だよ。ゴジラだ。東京タワーと国会議事堂を破壊する怪獣王だ。ああ、どうせならやっぱり年寄りはえびのように腰でも曲がっていた方がかわいげがあるのかもしれないな。なんだかおしゃべりしているあいだに少しあたまの痛みが和らいできたようだ。あたまのなかで錆びついていた歯車が少しずつ動きはじめている感覚。けれどぼくは忘れかけていた余計な痛みを感じ始めていて、ちょっとイライラしている。どうやら革靴が足に合っていないらしく、株式の会社へ初出勤の前日に新調した革靴だっていうのにすでにぼくのくるぶしは木こりが斧をいれた切り株の断面みたいに皮がめくれて、てらてら光りいやらしい痛みを醸し出している。それに、もしかしたらあの会社自体ぼくには合っていないのかもしれない。カブシキ、カブシキってみんな言うけれどぼくにはなんのことだかさっぱりなんだ。ぼくはもうじきあの会社に辞表を出すつもりだ。いつも仏頂面でろくに口もきいたことのない金子だったがいったいどんなことを言うのだろうか。それとも余りの無口のためか本当にあの口ひげは彼の顔にへばりついた蜘蛛の巣で、もう何年も開かずの扉なのかもしれない。珍しい年寄りだ。ぼくは若い木こりが骨を休めているあいだに辞表を提出し、その帰り、あの「くだらない」とだけ書かれた野立て看板を蹴り飛ばしに行こうと思っている。でも、ぼくはまだ好きだよ。建築とか、北欧とか。ぼくには夢があってね、それはフィンランドの小高い丘に小さな家を建てて、子どもたちのためにドールハウスと世界一かわいい長靴をつくることなんだ。ぼくは建築家くずれの駆け出しくずれのモルタルだけど、さいごに君に伝えたい。ぼくと結婚しよう。


ギフト

  sample

 リボンを解き箱を開く。赤い花束の一部が見えた瞬間、混入されていた爆発物が発火した。鋭い閃光が放たれて視界の全ては真っ白になる。頭を貫く耳鳴りが徐々に遠ざかる、遠ざかる道程には乱れた鼓動が穿たれる。穿たれた穴にか細い風が吹き込んで耳障りな音を立てている。風は乾ききっていて音は今にも壊れそうだ。耳をくすぐるその感触がやたらに生々しい。まるで誰かが息を潜めて小声でなにかを早口に呟いているのをヘッドフォンごしに目隠しされたまま聞いているかのようだ。鼓動が鎮まると次に騒々しい足音が流れ込んでくる。視界の濃淡が鮮明になり焦点が合わされると景色の右半分にはザラザラしていて堅い質感の壁があり、その左半分は様々な色と形を持った靴が上下へと飛び交っている。乳母車の中にいた彼は、爆発の衝撃によって路上へ投げ出され倒れ込んでいた。まだ、火薬の匂いがシャツに残っている。

 上体を起こし、景色の上下左右を正常な位置に立て直す。見上げると人の顔、顔、顔。顔はどれも似たような表情で真夏の空の下、一定の速度で左右へ流れている。そのさらに上方、高層ビルが空を占有し巨大ヴィジョンが映像を流している。エコー映像だ。頭部がやけに大きく感じる胎児が交差点の背景で大写しにされている。彼は無意識に口を開け、親指を銜えようとしていた。しかし、しゃぶる親指はどこかへ吹き飛んでしまっていて、こぶしから突き出た骨がただ鼻の先を引っ掻くだけだった。彼は仕方なく乳母車を乗り捨てて、雑踏へと歩き出す。不在となった乳母車。造花の花びら。その傍らには彼の背中を見失ってしまい立ちすくんでいる母親がいた。

 母親は静かに花びらを拾いあげ、拾いあげるたびに風が吹き手の中に集められた花びらは散ってしまう。それを何度も繰り返しているとどこからか懐かしい声が聞こえた気がした。振り返る、が誰もいない。見上げた先には子宮の中で安らかに呼吸をする胎児の映像。弛んだ手の平から花びらが舞う。視線を乳母車へと落とし、かごの中へ残っていた花びらを手で払い落とす。母親はそこへ自ら腰を掛けると膝の上で重ねた皺だらけの手の甲に、故郷と、町と、酒場と、スケートリンクとかつての恋人と、それらにまつわる全てへ影を落とす薄汚れたシーツのような雨雲を映しながら、背後からやさしく誰かが乳母車に手を掛けてくれるのを待ち侘びていた。ヘリコプターが、八月の空を手を上げ横断している。

 雑踏へ消えた彼は人混みを押し分け走っていた。飛び交う罵声の全てが彼の耳には祝福の声に聞こえた。人や車の間を縫い、駆け抜けたその背後で次々にパーティーグッツが軽やかに破裂音を鳴らし紙テープが撒き散らされる。その内、彼の腕は掴まれ、もつれた足が空を切り、頭から転倒しそのまま背中を壁に強く打ち付けられてしまう。掃き溜めのねずみが口々に彼の名を叫びシュプレヒコールを上げる。人々が足を止め、彼を見下ろし何かを耳打ちしている。背を預けてしまった壁には古びた排水管が延びている。そこから白濁した水が滴り落ち、欠損した指の付け根にある傷口を洗った。人々の抑えられた口の動きを見つめながら彼は呟く。声を上げてくれ、もっと声を、もっと口を開くんだ、産まれたばかりのように、声を。

 街の血液が一挙に流し込まれ、膨張し、突き破って顔を出した性器のようにこの夕空の下では比肩するものがない高層ビル。避難用階段。彼は屋上を目指していた。靴底が床を叩くたびに低い金属音が辺りに反響する。近隣のビルをほぼ全て見下ろせる高さにまで上りつめたとき、彼は足を止め舌打ちをした。しくじった。千を越える段数をひとつずつ上って来たというのにどこかで一段抜かしたままここまで来てしまったかもしれない。大したことではないと思いながらも心の隅では気がかりでならなかった。その一段に足を掛けなかったことで、今向かっている目的地がまるで撮影を終えて演者のいなくなった映画のセットのように、迷いなく解体され全く違う景色にすり替えられてしまっているような気がした。引き戻そうかと足りない指で階数を数えているうちに、その手は屋上の重い扉を押し開いていた。

 屋上には一台のヘリがとまっていた。近づいてゆくと彼の到着を待っていたかのようにドアが開いた。コックピットの後方に乗り込むと中には航空ヘルメットを被った操縦士がいた。それを見たとき、まるで蠅だと思った。翅の無い、大きな蠅だと思った。操縦桿が握られ機体が震えだす。その震えは一瞬で体の先にまで伝達され安定した浮力を感じると機体がゆっくりと上昇した。操縦士は何故だかとても嬉しそうにおしゃべりしていた。しかし回転翼の音がうるさくて、その殆どは聞き取れなかった。操縦士には彼と同じように親指が無かった。外を見るように促され、窓に顔を近づけると街には光の粒が溢れていた。蛆の群れ。そう思った。ぬらぬらと輝く蛆の群れに首都高速都心環状線は骨までしゃぶられて、なお渋滞が続いているのだ。

 夜空を周遊し、ヘリはあの巨大ヴィジョンが設置されたビルに近づいていた。母はまだ、そこにいるだろうか。少しずつ高度が下げられ交差点へ近づくごとに、自分の体が少しずつ小さくなってミニチュア模型の世界に入り込んで行くような気分になった。人々が空を見上げている。交差点の真上でホバリングを続けていると目の前で眠っている巨大な胎児が体を震わせ始めた。そして今にもこのまま機体ごと飲み込んでしまうかのように大きな口が開かれたとき、操縦士は彼に向かって叫んだ。だが、やはり翼の音に掻き消されて上手く声を拾うことが出来なかった。彼はもう一度聞きなおそうとした。しかし、それは必要ないことだと分かった。都会の夜はとてもきれいだ。母がこちらへ手を振っている。お誕生日おめでとう。たしかにそう言っていた。いちばんの友人みたいに、盛大な祝福と共に。


カフェイン

  sample

 殴打する中空に指を二本立てたら銀河の果てまですべてはピースだから、水中眼鏡かけて、太陽の目を潰して、苦くて冷めきったブラックコーヒーで夜を水没させる肉体労働をしようよ。喫水線がシンデレラの膝下にとどいてしまったら、かぼちゃの馬車は砂糖で煮詰められ、鍋からロバが逃げ出すとファンファーレが鳴り響く。万馬券を握りしめた僕らのこぶしがささやかに解かれたとき、ガラスの靴を履く夢を見た少女のベッドの下には、口の中のビスケットみたいに、朝が溶けだしている。少女が寝返りをうった寝具は昨夜まで争いなんて知らない地形のように整えられていたはずなのに、いまではすっかり焼け野原で、カーテンの隙間から射しこまれる異国のスラングが、少女のおはよう、になりすまし、こんにちは、で接吻し、おやすみ、で婚約している。そして、くすくす笑いあう六月に招待状がとどいたら、僕らそれを見て争いを猿と蟹だけに任せたことを後悔し、嘆きながら、いちばんの正装に着替えて文鳥のように仄かに赤い唇を尖らせ、おぼえたての祝婚歌を精一杯にさえずるんだ。

 ひと粒のこらず古米を啄ばみながら歩いていった公園。町の隅っこに留められたホッチキスみたいな鉄棒。僕はそれを思いきりつかんで日暮れまで逆上がりをした。鳥かごの中で狂った文鳥みたいだ。って笑われても、何度も地面を蹴って何度もひっくり返ってた。お箸もつかめないほど弱ってしまった手の平をゆっくり開くと、そこには世界地図が広がっていて、いくら眺めても歩けない街や、泳げない海の美しい名前が書かれているばかりで、誰ひとり握手を求める人なんていなかった。僕は豆腐の角が崩れるときの音を聞いた。近くのベンチには髪とひげを伸ばした空腹のグルメ家が夜空を見上げながら顎まで伸ばして「夜中に食べる銀河は驚くほどうまい。」そう言って、口の周りを光であふれさせながら笑っていた。僕は、本当はすぐにでも肉刺だらけの手の平は新しい大陸ができたみたいだって誰かに伝えたかったけれど、痛みを見せることはじゃんけんみたいにこぶしを振り上げることと一緒なんだって、まだ少女だった頃の君が教えてくれたから、今夜もありったけのお湯を沸かそうと思うんだ。飼い犬の背中を撫でながら、僕は今夜、濾過されてゆく。カフェインの成分も知らずに。今夜、僕は。


ボタンホール

  sample

プラットホームを歩いていたら
数歩先で人と人とが
すれ違いざまに接触した。
体と体の打ち合う音がして
ボタンがひとつ
床に落ち、私の足もとに転がった。
思わずそれを拾い上げ
視線を元の場所へと戻したが
どちらが失くしたものかは分からず
落としましたよ、
と言う声は喉の奥で綻んだまま
ふたつのうしろ姿は
うしろ姿の中に紛れてしまい
私の手の中に、ボタンは留まった。

電車が到着する。手の平を握る。
コートのポケットに手首を差し込んで
降り口に近い座席に座る。
態々、急ぎ足を立ち止まらせて
渡してあげる程のものじゃない。
そもそも、拾い上げるものでもない。
そう思って、目の前の座席から
女性が立ち上がり、電車を降りて行った。
その空席には誰も座らないまま
電車が次の駅に向かったので
小さな緊張のたがが外れたのを感じつつ
対面する車窓のガラスに映る
自身と少しの間、目を合わせてから
窓の外へと、焦点をやさしく押し込んだ。

郊外の風景には、郊外の風景らしい
適切な距離と、適切な暗さを守るように
家々が夜に針穴を開け
最小限の光で塞いでいる。
そんな、つましい星間を
電車は光の束となり
開封された夜の切り口から
終点、とアナウンスされる場所まで
長い手を差し伸べて行く。
私はそこから、みっつほど前の駅で降りる。
駅舎から少し歩き、入り組んだ路地へ入る。
その奥にひとつだけ
煌々と点る、家の明かりがあった。

路地と人家を区画する為に
設けられたブロック塀には
大半の葉を落としてしまった
花水木の影が貼り付き
細く神経質な枝振りは
眼の端に浮かぶ静脈を思い起こさせるようだ。
二階の窓辺に置かれた観葉植物の鉢植えが
磨りガラス越しに映っている。
その奥に現れた人影。
カーテンが閉められ、長方形の光に
型枠通りの闇が嵌め込まれる。
木の影が消え去り、私の影も消え去って
不意に訪れた暗闇に一瞬、
目を開けているのが不思議に感じた。

私は数分後
いくつかの角を曲がり終え
使い古した眼鏡を外し
眉間を指で軽く揉んだ後
弛めた手の平からゆっくりと剥がれ落ちた
黒いボタンに目を留め
知らない街のどこかで
冬のコートの一部に
やり切れないボタンホールと
無用の重なりだけがあることを、思う。


音の城

  sample

子どもは揺りかごのなか、ぐっすり。と水になる。
笹船のように耳だけをうかべて、聴いているのは、さざ波の音。
僕は、耳を手のひらで掬いあげ、扉を押し、ひらく。
足下には砂、埋もれた階段、月明かり、が部屋の隅々にまでながれ
子どもの背中で水浴びをはじめる、鳥。

上空、なにもいない。砂丘に囲まれた立方体。その動かない影。
砂に足をつけ、指が、沈んで、離すと爪先から肌色の砂がこぼれ落ちる。
砂丘へとあるく。掬いあげた子どもの耳には
極小の水たまりができていて、そこへ映るのは、見下ろす顔。ふたつの目。
砂が吹きつけて、閉じる左目。見下ろす月。

砂丘の斜面には様々な管楽器が、小さいものから徐々に大きいものへと
円を描くように並べられている。僕はその中心で立ちどまる。
あしあとをたどる、小さな、人影。揺りかごの中、水であった子ども。
何かをさがすような足どりで、こちらへと、あるいてくる。
まだ、眠たいのだろうか。目を擦りながら僕の手から耳を拾い上げる。
あたまをそっと傾けて、耳に、重ねる。

少し目が覚めたような表情で、そのまま片足を折り曲げ、四回、跳ねる。
いち、に、さん、し。耳から数滴、水が落ちる。
子どもがとてもおどろいた顔をしたので、空を見上げる。
飛び立つ群鳥のようだった。この砂丘をつくる、砂とおなじ数だけ
色と形が、楽器から、あふれはじめていた。

文学極道

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