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ゼッケン - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全12作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


折檻夫妻

  ゼッケン

アンパンマン撮影会でバイトのぼくは
アンパンマンの着ぐるみのまま
あんたがたに拉致された

タバコくさい!この人、アンパンマンのくせにタバコくさい!
ぼくの右隣に立ってピースサインを出していた女のほうが騒ぎ出したとき、
ぼくの左隣に立っていた男の右腕はすぐさまぼくの首に回された
おまえはアンパンマンに謝れ
ぼくの首に食い込んだ男の腕に力が込められ
ぼくは失神した

アンパンマンのかぶりものの中で目を覚ましたとき
ぼくは首から下を裸にされていることを知った
立ったままコンクリートの壁にはりつけにされているらしい
背中と尻が冷たく、固かった
きつく引っ張られた手首を動かすとじゃらりと鎖が鳴った
やめてください
ぼくは言った
足の裏が濡れる感触があった
床に水を撒いたようだった
やめ、めめめめめ
あんたがたは中途で切断して銅線をむき出しにした電気コードを
あんたがたはアンパンマンの裸踊りを
あんたがたの鋭く煌く歓喜が
ぼくはもういちど失神するまでをとても長く感じていた

しー。助けに来たよ、アンパンマン
と、ジャムおじさんは言った
さあ、すぐに新しいアンパンと取り替えよう
ジャムおじさんはビニールの袋を破ってヤマザキの小倉あんぱんを取り出す
自分で焼いている暇がなかったんでね
ジャムおじさんは片目をつぶってみせる
べりべりべり
アンパンマンの傷んだ頭部は取り外され
ジャムおじさんは買ってきたばかりの小倉あんぱんを
血を噴き出すぼくの左右の肩の間に
ぽん、と乗せた
小倉あんぱんを乗せたぼくの首から下の全裸の身体は
鎖を引きちぎり、口がないのでくぐもった唸り声を上げながら地下室から飛び出していった
床に転がったアンパンマンの頭の中のぼくの頭は思った
取り替えられた古いアンパンマンの頭はいつもどうなるんだろうとぼくはいつも思っていたものだ
ジャムおじさんに抱えられ、リビングに上がると
パジャマ姿のサタンが振り下ろした日本刀を小倉あんぱんマンが真剣白刃取りで掴んでいた
ソファの背もたれに登って奇声を発しつつ鎖鎌を振り回している女夢魔を横目で見ながら
ぼくの頭は館を出る
疲れたろう? さ、帰ろうよ
ぼくの頭は丸い丸いアンパンマンの頭の中にかくまわれている
ジャムおじさんの丸い手が
丸い丸いアンパンマンの頭を丸く撫でてくれる
ぼくの頭はもうタバコを吸わないだろう
気球はふわりと浮いて
静かな星座に針路を取る


がんばれ、ベアーズ

  ゼッケン

石を握って
ぼくは
ピッチャーマウンドに立つ

ぼくの住む町でいちばん清潔な建物はパチンコ屋で
磨かれた床にぼくの顔が映るほどで
毎日、生活保護がくるくるぴかぴか回っていた
オーナーであるあなたが住む隣町のリトルリーグのチームは
全員がユニホームさえ着ていた
胸にはベアーズと赤文字でチーム名が刺繍されていた
卑屈な狡猾さが怠惰を助長しかしないぼくたちの町
見えない場所に巧妙に隠された痣のあるぼくたちは全員が素手
それでもフィールドに立つ
プレイボール!
審判が開始の合図を告げたのでぼくは
石を握った手を大きく振りかぶる
打たれてはいけなかった、背後で守備についた仲間はいまだグラブを持たない
ぼくの球を受けるキャッチャーも素手だ、ストライクを投げてはいけない
一球、バッターの頭をぶち抜いてやる
手頃な石を川原で拾う
くたばれ、リトルリーグ!
振り抜いた腕から放たれた球速は真実の120キロ
度肝を抜いて
真昼の陽光を反射してヘルメットが宙に舞った
デッドボール!
審判が叫んだ
しかし、ぼくには見えていた、頭のいい相手はぼくがこうするしかないことを知っていたので、
待ち受けて寸前に避けた動作でヘルメットを宙に飛ばしてさも致命的な被害を受けたかのように
うわぁーと叫ぶ、痛みはあっただろうか?
デェェェッドボォォォル
公式に報復の承認を得た隣町ベアーズがいっせいにベンチから飛び出してくる
計画通りの制裁の発動だが、こちらもすでに背後で守備についていた仲間が走り出しているはずだ
ピッチャーマウンドを包囲した隣町ベアーズにぼくは引き倒され、打撃打撃打撃される
制裁用スパイクの硬い底で地面に倒れたぼくを踏みつける22本の足の隙間からぼくは首を捻って見た
仲間たちは空になった相手のベンチに殺到する
真新しい革の匂いのするグラブと傷ひとつなくキンキンと音のするバットを片端から抱え込む

盗め!盗め!

ぼくたちはぼくたちのチームをつくるのだ
そしてそれぞれが家に帰ったら
グラブで拳を受け止め、バットで脳天を殴る


さらにがんばれ、ベアーズ

  ゼッケン

石を握って
きみはひとりで
そんなところに立っているんだろう

バッターボックスに立ったぼくは正午の蒼穹を見上げ、一瞬、くるりと眩暈を覚えた
親が買ったキンキンと音のするバットの先端で一度おおきく空に円を描いてから構えた
川原で拾ってきた石なんかを握ってマウンドに登ってしまったきみは
その石をぼくにぶつけるしかない、素手のキャッチャーは
きみのその120キロの石を受けることができない、背後に立つきみの持たざる仲間たちは
無力。ぼくだけだよ、きみを救えるのは
投げろ、ぼくときみはぼくときみにしか理解できない信頼で結ばれている

きみは、
投げた、

うわぁーと叫ぶ、演技ではない分が混じった
鼻先を120キロで石がかすめ、ぼくは首を振ってヘルメットを宙に飛ばした
ぼくの父が経営するパチンコ屋で普段は店長をしている審判がデッドボールを宣言する
胸がむかついた、ぼくはまだおぼっちゃまにすぎない
デェェェッドボォォォル
チームメイトが全員ベンチから飛び出してくる
いちはやくピッチャーマウンドに到達したぼくは
きみの鼻を拳で叩く
ぷっと鼻血を吹いて
きみは抵抗せずにマウンドに倒れる
よくやったぞ、きみは
チームメイトに囲まれ、きみは踏まれる
踏まれる踏まれる踏まれる、そうして
英雄が生まれようとしている
きみの仲間は空になったこちらのベンチからグラブとバットを盗み出している
盗め!盗め! はっはっ
道具を手に入れたきみらはきみらのチームをつくり、きみらの子供たちが
野球をするようになるだろう
そのときにはおぼっちゃまじゃなくなったぼくは
きみらの子供たちに新しいボールを売り、新しいユニホームを売り、
新しい野球場を売り、新しいルールを売り、
その金でぼくらの子供たちが宇宙船を造る

宇宙のひろがりのなかでひとりひとりが魂の崇高さを見つめる
ふたたびバベルへと航海する
結集した人々が挑み続ける


ポテトL

  ゼッケン

ぼくはきみの小指とは逆の方向にぼくの小指を曲げてみせた
右手の小指の爪が右手の甲にぴたりとつく
小指のすべてのみっつの関節がきみの小指のみっつの関節とは逆の
方向に曲がる
ドナルド・マクドナルドがきみの背後のガラス越しに笑っている
小指を逆に曲げた右手でテーブルの中央に置かれた紙のカップを持ち上げる
口元まで引き寄せ、ストローを咥える
コカコーラはたっぷりと入っていて容器の中で揺れていた
その重みにぼくは満足だった
ぼくとテーブルを挟んで向かいの席に座ったきみは
食べかけのハンバーガーをテーブルの上に置いたままにしていた
ポテトをもらってもいいかい?
小指を逆に曲げた右手できみのポテトをつまむ
口に運ぶ
油、
と塩
世界にはうまいものが多い
そういえば細胞も多い
ほこりは剥がれ落ちた細胞だそうだ
繭に入る寸前の幼虫のように
小指が白い腹を見せて裏返っている
ぼくはきみの手を握った
きみの小指も曲がるようにしよう
なぜ? つまりそれは、なんのために?
きみは意味がないと言った
友情に意味がないと言ったきみの小指を包み込んだ掌にぼくが力を込めると
きみは痛みに震え上がった
大丈夫だ、痛みなど痛いはずだ、にすぎない
きみは涙を流し身をよじる
涙を流し身をよじっているときのきみの姿はぼくに
慈悲と憤怒が一の根源から湧くものであることを何度でも悟らせる
きみの背後のガラスには道化が映っている
ぼくがちらりと視線を上げると
釣りあがった笑みを浮かべていた
釣りあがった笑みはヒステリーの兆しだった
ドナルド・マクドナルド氏、心臓発作で逝去
原因はポテトの食べすぎか?
ぼくは上体を前かがみに椅子から腰を浮かせた  
奇跡だよ、I'm loving it 愛することは
愛であることと区別できない、曲がれ!ボキっという
奇跡ではなにも変えられない、無意味だ
残った一本はきみのぶんだ
冷めないうちに持ち帰ればいい


アーサー

  ゼッケン

ハイジャック! 
JAL323羽田発福岡
機長からの報告、犯人はひとり
乗客のひとりを人質
座席番号から人質の身元判明
氏名イソノナミヘイ、男、会社員
一本立ってるやつか?
そうです、一本立ってます、犯人は
抜く、と
言ってます
バカナ! 毛根が抜けたら終わりだ!
日本社会最後の安心が人質にとられている
犯人は利口で危険なやつだ
機中の犯人が携帯ムービーをニコニコ動画へ投稿
みんながわらってるー
おひさまもわらってるー
るーるる、るるッるー
今日もだれもぼくを見ていなかった
ぼくのメガネしか見ていなかった
ぼくの髪がどんなふうだったか
ぼくがどんな服を着ていたか

ナカジマ!

ほーら、ひっぱるよ〜
空の上では誰も安心じゃない
重力は公平だ
質量に応じて力がかかる、しかし、
地面には同時に激突する
ぼくは要求すルンだ!
政府はアサハラショウコウことマツモトチヅオを釈放せヨ

公安は動きをつかんでいなかったのか、それとも黙っていたのか
官房長からお電話です
きみぃ、要求は呑めんよ、それより抜かせたまえよ
ぼくンとこの試算じゃ日曜夕方の流動性が高まって一兆円の内需が拡大するんだから
抜ーけ! 抜ーけ! 抜ーけ! 抜ーけ! 抜ーけ! 抜ーけ! 抜ーけ! 抜ーけ!
コメントが犯人を煽ってます
しくんだな!
知らんねえ、CIAじゃないんだから

ナカジマくん、きみはカツオの友達だったね? きみにこの毛が抜けるかな?
イソノのお父さん、ぼくはナカジマです、しかし、この名前はぼくのものだ
イソノの友達がみんなナカジマだとでも? ぼくを挑発したことを日本国民に謝ったほうがいい
あ、あれ?、あれれ?? 抜けないよぅ、こんなにつよく引っ張ってるのに抜けないんだよぅ
そのとおり、きみにこの毛は抜けないなぜなら
この毛を抜けるのはこの国の王となる宿命を持つ者だからだ
きみの宿命はメガネだ、三度生まれ変わって三度メガネであり
きみはその二度目のメガネだ、きみの自由とは永遠にメガネを受け容れることだ
わしの宿命が毛であり、わしの自由が毛であるように
では宿命に選ばれし者とはカツオですか? やっぱりやっぱりあいつなんだ!
それはわしにも分からんことだ、あやつにはまだこの毛に触れさせてはおらんのだ
わしでさえこの毛に素手で触れるのは初めて  あれ? 抜けた
イソノのお父さん、あなた自身が王だったんですよ!
宿命を語る者は宿命から遠ざかるものだな、ナカジマくん、きみはおれに忠誠を誓うか?
誓います!
誓うか!
誓います!
ならば新党結成だ
次週予告
波平、クーデター
カツオの裏切り
サザエ、おまえもか!
の三本です
ウフフー


  ゼッケン

窓を見ていた
ぼくが動かなければ窓も動かないようだった
一間しかないフローリングの床にぼくの首は転がっていた
見える範囲で窓を見ていた
ガラス越しに視界は流れない雲で充填されていた
真空パックの光沢で密封されていた
ぼくの首が、あるいはぼくの首以外が
ビニルの皮膜で包まれていた
そろそろ猫が鳴く時刻だろうと思った
部屋にはもともと猫がいないことを思い出した
猫好きだったことなど一度もなかったが猫のことを思った
すこし悲しい気持ちになった
ぼくは自分をすこし悲しくするのを好んだ
感情的沈黙に耐えられない

水面から水滴が撥ねる
ぽちゃんと音を立てて元の水面に落ちる
世界はそうやってあした終わるそうだ
ぼくとかがふたたび水面に落ちて無秩序に溶け合う
果てしない自由度を持った光速の運動体になる
ぼくとかはなんとかと見分けがつかなくなる
個性と自由は相反する
それがあした起こる

そんな日の前日は
にゃーと鳴く

すこし悲しくなった床にぼくの首は転がっていた
コンタクトレンズがついたままの眼球を動かすと
天井はまだある
見慣れない白さだった
床と天井の区別はまだあった
キッチンのテーブルには
ガラスのコップが置かれたままになっている
場所と物が互いに近くなり始めている
記憶からガラスのコップに水を注ぐ
白くなっていく天井壁床
椅子机首、いっさいが白くそして低くなる
色のある花を一輪、
白い部屋に挿した
花の名前は分からなかった
あの花の名前を知らないぼくを置き去りにして
天井から窓の外へ
首の視線は移った

名前のなくなる日の前日
花の名前を探さなかった
悲しいことがなにもなかった

いっさいが白くそして低い

部屋が
雲を見ていた


水晶

  ゼッケン

マミー’ズ・マムの店では
ぼくをミイラにしてくれる
ぼくは即身成仏コース49日間を選択した
頭蓋穿孔をオプションにつけた
三角形のアクリルの板を4枚貼り合わせただけの
頭に載せるピラミッドのミニチュアはサービスだった
ブルーとイエローとピンクの中からピンクを選んだ
ぼくは茶目っ気があるとマムに思われたかった

当日、言われたとおり頭髪を剃り落としてきたぼくは
店の奥の小部屋に通された
部屋の中央には床に釘付けされた椅子が一脚ぼくを待っていた
椅子の座面には穴が開いていた
あそこから排泄するのだろう
ぼくは血栓が生じるのを防ぐ弾性ストッキングを履かされた
それから椅子に縛り付けられる
マムは点滴の袋を金属製のスタンドの先にぶらさげながら言った
楽しんでね

頭蓋骨を削られている最中にぼくはすこし酔った
ごりごりという振動が頭の中いっぱいに広がって
眼球を裏から押したからだ
それ以外はとくに不快感は覚えなかった
マムにピラミッドのミニチュア(ピンク)を
穴を開けたばかりの頭頂に載せてもらった
似合うわよ
ぼくは少しばかりの愛想笑いをマムに返した
眠かった
点滴にそういう薬が入っているらしい
49日間をかけてぼくはこれからミイラになる
方法は複雑ではなく、基本餓死だが、
最初は水分と養分を点滴で補給される
意識を維持したまま
ぼくは7週間かけてじゅうぶんに肉を失っていく
死のスピードを上手に制御し、過程を可視化する
ぼくは変貌するだろう

死に始めてから2週目、ぼくはいまだに腹が減っていた
それから幻覚ばかりみていた
声も聞こえていた
穴を開けた脳の表面を何かが這っている
腐ったのだろうか
ぼくはマムに尋ねた
マムは心外の意を表明する皺を眉間に寄せて言った
違うわ、根を張っているの、いまは
それからいまに立派な世界樹があなたの頭のてっぺんから
伸びて世界へと枝を張り巡らせる
ぼくはたぶんマムに言ったのだろう、そんなことになったらピンク色のばかげた
小さなピラミッドのミニチュアが世界樹の頂で風にぶらぶらと揺れるんだね
夜の雲の上を飛ぶ国際線の飛行機の窓から
揺れる三角形のアクリルが月光を反射しているのを見る

5週を過ぎた頃、部屋にぼくとマム以外の他人をマムが連れて入ってきた
スーツを着た男たちに囲まれて腫れ上がって痣だらけの顔をした、
わずかに残った黒髪からアジア系だろうとは思うが、
性別の見分けのつかない人物を
事務用の折り畳み椅子を持ってきて
ぼくの前に座らせた
お願い、視て
薄くなった瞼は開かなくてもすべてがぼくには見えていた
ぼくはその人物を見た
何かを視た
ぼくの口から果てしない桁数の数字が流れ出る
人物がぎゃあ、とわめく
男たちに連れ出されていった
ありがとう、マムはしかし、その指先は
ぼくに触れなかった

7週目に入ってマムは最後の点滴を外した
いよいよ行くのね、寂しい
マムは部屋の電球を消し、扉から出て行った
ドアを閉めるときにいちど振り返った
ご利用ありがとうございました
一礼してマムは小部屋の扉を閉めた
カチリと外から鍵をかける音がして
ぼくは暗闇の中で思った
うそをつけ
マムはぼくをいちどだけ道具として使った
支払わせなければ
ぼくは干からびた舌先の肉を噛んだ
血はわずかに出た
ぼくは薄くなった肉片を噛み切った
心臓が光を放った
噛み続けよう
これでじゅうぶんだ
一週間後、ぼくの脳天から伸びた世界樹が星の侵略を開始する
人々は
それぞれの葉っぱの上でいままでに食べた分の皿を洗わなければならない


週末

  ゼッケン

おれはおれを誘拐し、身代金要求の電話をかける
部屋の電話が鳴り、左手で受話器を取った もしもし? 
おれは右手に持った携帯電話に向かって言う
黙れ、おれの可愛いおれはいま、
おれのところにいるよ、おれの命が惜しければ

ケーサツには言うな

経済学者も人間が合理的に行動しないことを支持している
誘拐犯にケーサツに言うなと言われれば
言われた人間はケーサツに言うべきかどうかをいちどは考えさせられてしまう
完全な情報を持たない者が考えること自体が合理的ではない
変数の個数より式の数が少ない連立方程式を解こうとする不注意さだ
合理的であれば人間の脳が考えようと考えまいとすべては必然だ
ケーサツに言うのか言わないのか、おれが考えたとする
おれにはおれの主観確率を客観的に予測する方法はない
おれの行動はおれには予想がつかない

おれはケーサツに言うなという台詞を本当に言ってみるにはどうしたらいいのか
を考えた
言われたのがおれだとしたら
それでもおれがケーサツに言わない保証はない、おれは
おれが不利になることをしたことがある、あるいは
おれが有利になることをしなかったことがある
経験はおれをクロだと判定している

しかし、その誰かの言葉をケーサツが信用しないとしたら
たとえばおれが誘拐されましたとおれが言ったとして
その言葉はケーサツが出動するためのなんらの根拠も与えない
自己言及の矛盾があるためだ
誘拐犯であるおれの裏切りを不可避とおれが判断し
ケーサツに通報したとしても
ケーサツはこの誘拐を真とも偽とも区別できず、矛盾は放置するしかない
そうであれば(ケーサツが動かないのであれば)
なんのためにおれは税金を納めていたのか
おれの嵌めこまれているパブリックは
保険会社が運営しているとのことらしい
保険社会主義国家のお客さま方へ
カネとは不安だ
おれがカネを盗むのは、しかし、不安の量をカネ化するためではない
おれはカネ持ちになりたい、カネは嫌いだがカネ持ちは好きだ
盗むというのはつまり
なりたい、ということだ
おれはおれの言葉を待っていた
おれの身代金はいったいいくらだとおれが言うのか
羨望と不安の目隠しを切り開いておれになったおれがおれのまえに姿を現す、存在の興奮、が訪れる
3万円、とおれは言った
納得したおれは受話器を戻し、携帯を閉じた
ATMで3万円を下ろすのは月曜まで待つことにする
そうすれば手数料がかからない


仔犬日記

  ゼッケン

おとうさんはいつも小学校までぼくを迎えに来てくれます
その日の帰り道 ぼくたちは子犬を拾いました
おかあさん、飼ってもいいって言う?
ぼくはおとうさんにたずねます
たぶんね。父さんからもお願いしてみるよ
うん
ただいまー
玄関を開けると、いつものようにおかあさんがエプロンで手を拭きながらスリッパをぱたぱたいわせて出てきます
おかえりなさい。あら、子犬ね
ぼくはちょっとどきどきしながら言います、おかあさん、おねがいがあるんだけど
おいしそう。煮込みがいいかしら?
おかあさん、おねがいがあります、煮込まないでくださいっ!
あら、焼いた方がいいの? お父さんは?
おとうさんはすこし苦笑いしながら
食べずに飼った方がいいんじゃないかな?
まあ! おかあさんは頬をちょっと赤くして
わたしったら、食い意地張っちゃったわ。そうね、もうすこし大きくなったほうが脂ものっておいしいわよね
おかあさん、脂をのせないでください、おねがいします!
もう、この子ったら、なんでも自分の思い通りにしたいのね。かわいくなくなったわ、明日からネグレクト決定
ぼくはもうすこしで泣きそうだとぼくは思いました
おいおい、母さん、ネグレクトだなんて。この子ももう小学生だし、閉じ込めて餓死させるのはたいへんだぞ、いっそ
いっそ、なんですか? 
優等生づらでお父さんにつっこむのね、包茎で童貞のくせに
おかあさん、ぼく小学生です。そこに劣等感はまだありません
じゃあ、どっちかに決めなさい。子犬を食べるの? あなたを食べるの?
いつどこでなぜ、そんな二択になったの?
おとうさんはぼくの肩に大きな手をのせると、言います
おまえが決めなさい
ぼくは逃げられないことを悟りました

子犬、子犬を、子犬を食べましょう、みんなで!

おとうさんとおかあさんは顔を見合わせると、すこし安心したようにうなずき合いました
それから子犬をおかあさんに渡し、ぼくは自分の部屋に入りました
そして、晩ごはんができるまでの間、新しく日記をつけ始めました
はじめまして。ぼくは今日からこの家の子犬になりました
これからみんなと楽しく遊ぶ予定です
おとうさん、おかあさん、小学生のぼくと子犬のぼく、いっしょにいっぱいいっぱい遊びたいです
       わん、
 わん、

    わわん、   

           わん、 

        わん。


葉書

  ゼッケン

コンビニエンスストアの前には郵便ポストがある
住む地域が田舎だからだろうか
ぼくが子供の頃は郵便ポストはタバコ屋の前にあった
ひざ小僧にかさぶたをつくったぼくが
タバコ屋の前の路地をかけていく
そこには郵便ポストが立っていたはずだ

専売公社と郵便局の信頼関係は
子供だったぼくの社会性善説をはぐくんだ

とう!

郵便ポスト vs おれ

弱い方が!
強い方の周りを!
回るんだよッッ!

爪先立ちで膝を曲げ腰を落とし
左右の手刀を胸の前で構え
おれは郵便ポストの周囲をちょこちょこした足取りで行ったり来たりしつつ
ときどき休んだ
ポストの投函口は速達と普通に分かれているが
全体としてはひとつの直方体だった
それを一本の円柱が支えている
ポストとの間合いの取り合いではやくも体力の消耗を感じたおれは
ひとつ息を吸い、吐く途中で渾身のローキックを放った
コーン!
足の甲に走った亀裂が見えるような痛みがおれを
みるみるうちに目減りしていく闘志に
むしろ死に物狂いでしがみつかせた

骨だけで済むと思うなよ
心も
折ってやるから

真っ赤に点滅しながらゲージが空になっていく
KO、その寸前に
捨て身の片足タックルをおれは敢行する
格闘技はウェブの記事で読んでいた
つまり、おれは格闘技の記事が好きだ
しかし、格闘技をやっている人間は
どちらかといえば筋肉から遠いおれをバカにするにちがいないと思う
昔はバキを立ち読みしていたこともある
すなわちおれは片足タックル! と叫びながら
郵便ポストの支柱にヘッドスライディングを敢行した
雨が降ってきた、たぶん
郵便ポストの根元でうつぶせに倒れている人間は
悲しい
雨が降ってきた

あれだけ大勢いるカラスは
いったいどこで死ぬんだろう
カラスの死体が落ちてくるのを見たことがない
ねぐらに辿りつく前に力果てたカラスは
それでも
空から降ってくるんだ、黒い矢印のように
そして郵便ポストの下で伸びているおれの尻に突き刺さるにちがいない

ぷすっ、と

言いたいことはない
届けたかっただけだ

おれは最後に両手両足を伸ばしてビクンビクンと2回全身をえびぞらせる


アレルギー性恋愛過敏症

  ゼッケン

ヴぁ、ヴぁ、ヴぁっくしょい! 好きです
つきあって、ヴぁっくしょい、ちーん! ください
ちょっと待って、と言った彼女はバッグからケータイを取り出し
カメラをおれに向けるとボタンを押した
鼻水最長記録男というタイトルで彼女のブログにのるそうだ
ありがとう、と言って彼女はケータイをバッグにしまい
まだ他に用事ある? と聞かれたおれは
ないです、と答えた 長く伸びた鼻水の先端が
フーコーの振り子のように回転しているのをおれは鼻先の感覚から想像した
よかったら、これ使ってください
ひとりきり、右の鼻孔から伸びた鼻水を啜り上げるか
勢いよく鼻息でとばすかで迷っていたおれにその女の子は
ハンカチを差し出して言った 
いや、ティッシュ持ってるんで
おれは鼻を噛んだ
アレルギーなんです、とおれは言った
恋愛の
そうなんですか、と女の子は言い、大変ですね
女の子はおれのくしゃみと鼻水の止まった顔を見て付け足した
残念です
じゃあ、と言って
ぼくらは別れた

ヴぁ、ヴぁ、ヴぁっくしょい! 好きです
つきあって、ヴぁっくしょい、ちーん! ください
男は
女の子にちょっと待ってと言うとジーンズの尻ポケットからケータイを取り出し
カメラを女の子に向けボタンを押した、鼻水最長記録女というタイトルでブログに
のせるのだろう
女の子を残して男が立ち去った後、おれは
くしゃくしゃの顔のままで鼻水を啜るかとばすか迷っていた女の子に
ティッシュを差し出した
女の子はすなおに受け取って鼻を噛んだ
あなたもアレルギーだったんですか
そう、恋愛の
おれはくしゃみと鼻水の止まった女の子の顔を見て
残念です、と言ったおれの方もくしゃみと鼻水は出なかった
女の子もおれのまともな顔を見て、それから
女の子の方もくしゃみと鼻水が出ないことに
女の子は

やっぱり、
残念、
と言って笑った


したく

  ゼッケン

おれは警察に捕まるときになにを準備したらいいのか知らなかった
それにここは勤め先の高校の職員室でどうせ持って行きたいような私物はない
タバコは吸っておいた方がいいのではないかと思い、おれは
職員室を出た、教頭がびくりと顔を上げた、
おれは人差し指と中指の二本を口元に持っていき、前後に揺らした
教頭は黙っていた、おれはまだ逮捕されていないからだ、それから
おれは職員室を出た
体育館の裏に行く
よお。
どうも。
おれはタバコに火をつける
先客の男子学生はタバコを吸うおれの唇から10センチの場所にある火を探そうとしているようだった
昼間なので火は見えない
先生、つかまるんでしょ?
男子はそう言った
理科室のツメガエル、あれ、週イチで水代えとエサよろしく、あいつらにも言っといて
ぼくらも逮捕されますか?
されないでしょ
そうですか
男子は信じていない風でおれをじっと探っている
いや、むしろ被害者
そうですよね
そうですよね、ハート、じゃないよ
すみません
今朝、彼女は無事に出産したとの知らせが入った
驚いた親が問いただすと父親はおれだと言った
計画どおりに
もちろん、おれは父親ではなく、いまここにいる男子でもない
男子ではない
彼女の親友で恋人の女子だ
ふたりの卵巣から卵子を摘出、高カルシウム濃度と適度な電気刺激
融合と卵割の開始、子宮への着床
高校の生物部としては上出来だがやりすぎだ
おまえらね、赤ん坊は週イチの世話じゃ済まないからね

わかってる?

はい
男子は言う
おれは自分もふくめてなにもわかっていない気がした
カレンダーの上ではもうすぐクリスマスだ
ともあれメリークリスマス、よかったね、マリアさま

文学極道

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