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鈴屋 - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全9作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


冬の散歩

  鈴屋


マフラーを首にひとまき
「タバコを買いに」と妻の背に告げ、おもてに出る

真新しい電柱がならぶ新開地を行く
鉄線柵にかこわれた休耕地の角をまがる
雨戸を閉めた住宅の庭で、黒い犬がはげしく吼えている
私の鼻先で輝く巨大な牙と舌
遠近をうまく調整できないでいる
光と影がすさぶ
どこかでプラスティックが燃えている
駅のほうへ向かう                   
                   
   消火栓の標識のかたわら
   妻が私のほうを見て笑っている、レジ袋を下げている
   引っ越し屋のトラックが過ぎ、軽油の焼ける臭いが吹きすさぶ
   まだ笑っている、瞬くように笑っている
   手を振るわけでもない  
   私が見えないのか、それとも私を忘れかけているのか
   ふらつく視線でえんえんと笑いながら遠のいていく   
   妻の名をなんども呼ぶのだが
   その声が当の私にも聴こえない

   *
   
駅前のコンビニでタバコとライターを買う
通常の帰り道をそれてみる
集合住宅が2棟並んでいる
二階のベランダで一枚の黄色いシャツがコメディアンを演じている
クリーム色の壁面に貼りついた矩形のよそよそしい青空
明るい飛行機雲が斜めにかかっている

   閉じられた窓、二度とそよがないレースのカーテン
   テーブルの上では、飲みのこしの紅茶が、時をかけゆっくりと乾ききる
   音のない部屋、鏡にうつっている真鍮のノブ
   そこにある一点の暗い光が、いわれもなくどこまでもこびりつく

   * 
   
来たことのない単線の踏み切りを渡る、道は畑野に入る
せっせと歩いている自分が可笑しい
途中、誰もいないバス停のベンチでタバコを喫う
目の前に冬枯れの桑畑が広がる
いじけた子どもの頭のような瘤が無数ならんでいる

ふたたび歩きはじめる
傾きはじめた日のほうへ向かう 
ひと筋のびている道が地から剥がれ、遠くの林のうえにしろじろ浮いている
褐色の丘陵を越えていく送電塔の列、斜めに刺さっているくさび型の雲
さびしさは方位にもとり憑く
立ちどまり、しばらくは行く手の茫漠を見つめ、踵を返す
   
   深夜
   地平の果てで、世間は冷え切っている

   凍りつく星座の下
   裸の妻が山脈の尾根を駆けぬける   
   膣からつややかな液体がいく筋も垂れて、私を誘う
   裸の私が追いかける      
   背後に追いすがり、抱き合ったままころげ落ち、乾いた朽ち葉に埋もれる
   妻の慟哭がこだまする
   「かわいそ」と妻のうなじにいう、「かわいそ」と妻も私にいう

   *   

疲れたのか、黒い犬が今にも吼えそうに鼻づらをもたげている
ちらと私を見る、吼えるわけでもない
郵便受けには役所からのハガキが一枚ある
居間に入ると、妻が庭にしゃがみこんで、パンくずを雀に投げ与えている
「ただいま」をいう
唇に人さし指をおいて、ゆっくりふり向く
「キジバトもくるのよ」と小声でいうのをタバコに火を点けながら聞く


おんみ

  鈴屋


壁の日めくり、二月某日
さしこむ西日に侘助は明るみ
すきま風に追われては、紅ひとつ方丈にくずれる

おんみは綿にくるまれ熱に饐えて、ほしがる水は口うつし
されば世の男のはしくれとてふれた唇そのままに
やわらに舌を吸いあげ、乳房に顔をうずめ
うつせみの世の隅そのまた一隅
侘しくあればこそのいちずな色の行い

  
 「小宮さん、先日亡くなった瀬木さんは末期癌だったんですよ」 
 「刑事さん、どうしてわたくしがその瀬木さんと組んで堂島さんを殺さなければならないのです?」
 「復讐ですよ」
 「復讐?まあまあまあ、なんと興味深いお話」

 
枯れがれの檜葉の梢の夕月に
そのあたり風すさび、おんみのおえつ笛のごと鳴る
肌身を捨てても心をすてても、おんみの瞳は空をさすらい
海と陸
日と月
雲と波浪
見えるかぎりの果ての果てまで
こうしてひたすら見わたしているのだから
ああ、なんという愉楽
生まれなければよかった、からだなど
こころなど、なお
生まれなければよかった

波打つ胸の起伏をはじらい、あえぎを呑みこみ息をととのえ
おんみはうっすら瞼をひらく、そのいとしさあいらしさ
洩れる吐息の香味を惜しむあまり
息を絡ませまた口づける

 
 「瀬木さんが二階の堂島さんの居室で凶行に及んだあと、凶器のナイフと血のついた上着を窓から落とした、それをあなたが拾って松円寺公園の藪に捨てにいった、こうして瀬木さんのアリバイはつくられたのです」
 「ほんとにまあ、よく出来たお話だこと、でも、再三再四申し上げていますように、なぜわたくしが人殺しの、おお、なんという怖ろしい言葉、そんな手助けなどしなければならないのでしょう」
 「手助けをしたのは瀬木さんのほうですよ、小宮さん、あなたが二十年このかた胸に秘めていた復讐のね」


顔の幅に窓をあけて苗圃をぬける小道を見やれば
夕日は蕭々として、去り行くおんみのうしろを照らし
道にならぶ立木の影がつと起きては倒れ、つと起きては倒れ
これがおんみの見おさめ、まさか
まさかそんなはずはなどと危惧するのは
わずかに手をふった別れぎわの
笑まいのさびしさのせい


 
  
 注、次のように修正しました。  榧→檜葉。 木立→立木


笑う男

  鈴屋

バス停に人はいない
ベンチを借りてタバコを喫う

畑野の上
雲の群れが底辺をそろえ、刻々と移動している
男が一人やってくる
五十前後、黄色いカーディガンのなで肩、痩せた紡錘形
笑っている
煙を吸い灰をにはじく

男の上下の唇がしきりに揉みあい
笑っている
前歯が一本、下唇を噛んでいる
窪んだ眼がとつぜん空に向かって剥かれ
笑っている
たまに、グフッと声が洩れる
近づいてくる
ズボンの皮ベルトの余りを前に垂らしながら
近づいてくる
目が合うぞ、と覚悟する間も無く
極端な上目遣いが素通りしていく
二つの水気のない石の目玉が
笑いに似合っている
通りすぎて
黄色い背中が町のほうへ去っていく
煙を吸い灰をはじく
去っていく男が横を向くと
やはり笑っている
鉤鼻を空にもたげ
唇のはしと目尻がくっつかんばかりに
笑っている

指に熱を感じる
吸殻を携帯灰皿に捨て立ち上がる

時折、雲の群れの底辺が割れることがあり
丘の上に光の柱が立ったりする
私が笑ってみる
唇を揉みあわせる、目を剥く、グフッと言う
ずっとそうやって
笑いながら町の方へ歩いていく
これで
やっていけるのがわかる


関東平野

  鈴屋

関東平野ではなく、人の皮膚について書いた。それは丘陵の斜面をたどる散兵隊をルーペで観察す
ることだった。
静脈と漂泊について書いた。男は故郷を捨てたあるいは市制都市の円筒型給水塔を設計施工したと
書いた。

雷鳴まじりの天気雨は梅雨明けのしるし
奥武蔵の山裾、自動車解体業の男が行方不明
廃業した事務所で内縁の妻は日がな笑って暮らし
私は関越沿いの南国風モーテルに彼女を連れ出し、抱く
ソバージュに指を差しこみ
真っ白に磨かれた乱杭歯に舌を這わせて

私の仕事は自動車中古部品販売の営業です
白いハイエースを駆り、緑に濡れ光る関東平野をカミソリのように縦横に切り裂く、狂える営業です

街道沿いにはタチアオイが並び咲き、薄紅、濃い紅
花はジグザグに連なって夏空に昇る
かつて、この私が子供だったという不思議
夏休みの校庭の隅で
たったひとりで見とれていた
同じ紅、灼熱の光り、花びらの翳り

関東平野ではなく、女の背中について書いた。それは筆跡としてのアスファルトの路面がざあざあ流
れていくことだった。
乳房と川について書いた。母は少年を捨てたあるいは鉄橋を渡るステンレスボディーの電車は4両編
成であったと書いた。

もちろん私は知っている
自動車解体業の男が溜池に沈んでいるのを
八月中旬、予定通りゴルフ場造成業者のブルドーザーが溜池を埋め尽くしたのを
廃業した事務所で私と女はウイスキーで乾杯
夜更けまで、鼻と唇を酒で濡らして
羽虫と一緒にくるくる回って
舌をしゃぶりあって
はしゃいで笑って乾杯
笑って済む話は笑うしかない
私と女と死んだ男のありふれた履歴
関東平野の北北西の隅のちょっとした凸凹、笑うしかない

パンタグラフが架線をシャカシャカ擦って、新幹線が北関東の山岳に穴をあける
平野を撫でれば、縦横に張り巡らされた高圧線が指に引っ掛かる
晩夏、傾く日は錆びつき、平野の緑は灼け、数本の川が河口からぬるい水を海へ押し出す
夜が来る、澱んだ闇が微細な生き物達に原始の夢をうながす
空が白めば夢はうたかた、ふつふつ割れては消え、やがて
朝日が昇る
関東平野がゴム引きのようにぬらっと光る

小さな町で女とスナックなどやってみようか
東北道沿いの営業の途中、小奇麗な居抜きの店舗を見つけたのだ
筑波の山が近くに座っていた
ハイエースのフロントガラスの向こうの
少し先の、心和む、そこそこの、私の人生

関東平野ではなく、初秋に出会った見ず知らずの眸について書いた。それは山稜に佇む銀色の美し
い一基の送電塔について語ることだった。


町の散歩

  鈴屋


五月、私は
つねに私であり、歩いていた
電柱は問題なく立ち
道々の薔薇は不完全に美しい
たったいま
道路鏡をよぎったのは私か?
出掛けに
ケイタイは充電すると重くなることを知った

歩きながらの
私の身柄に
赤い液体が満ちているはずもなく
とりどりの内臓など詰め込んでいるはずもなく
抜きつ抜かれつ、左右の靴先が
舗道に滑り出ているはず

切り取りでもしないかぎり
私は、生涯
自分の耳を見ることはできない
天気雨だった

雨女のあの女は
私の濡れた耳のへりを旅していて
粉ガラスのような金色の雨粒を裸にまとい
あまりに自分が好き
女神を気取り
崖上から羽ばたこうとする

私は
つねに私であり、歩いていた
陽射しが町をすばやく乾かしていく
パン屋の店先、一輪のマーガレットから雫が逃げる
空のすみずみまでチャイムがめぐり
郵便配達のバイクが
片足投げだしUターン
小麦粉が焼け
それきりの

静寂に
顔をあげれば、あの女の
息吹が一陣、町を掃く、色彩を刷る
とつぜん私は愛される
せつなの苦しい
幸福
身をふるわし
歯をくいしばる

過ぎれば短い橋が見えてくる
手前の幟旗はたしかクリーニング店のはず


雨期

  鈴屋

水びたしの森と草
ざあざあ、雨だけが記憶される
ふり返ればあなたの住まいは、もやい舟のようにたよりない
わたしを見送る仄白い顔も窓から消えた
 
木陰で紫陽花の青が光っている
踏切ではレールが強引に曲がっている
側溝で捻りあう蛭の恋愛
あなたはただ単に明るく生きればいい存在だ
傘をかたむける、雨がまぶしい、白磁の空の下を絽の端切れのような雲が渡っていく

線路沿いを歩く
電車が追い抜いていく
車輪とレールの接触点、硬い理屈について考える
コンビニでタバコ、ついでに単3電池を買う
駅舎の前で傘をさしたまま一服
ロータリーにはタクシーが一台だけ
路面に水が張っている
タバコが終わるまで、尽きることないリングの明滅を見つめていた

あなたの姓名を呟いてみる、あなたは気付いていただろうか、わたしが畳に寝転がり肘枕してあなたの立ち居振る舞いを盗み見ていたのを、あなたは洗濯物を部屋干ししていた、目の高さをあなたの素足がせわしなく行き来する、無防備に晒されているひかがみ、きつく跡付けられた二本の湿った皺、そこで折れ曲がっている静脈、足の裏の秘密めいた汚れ、もう一度あなたの姓名を呟いてみる、あなたは国語に似ている、水漬く国の

車内は空いている、湿って生暖かい
座席の端に座り、傘を畳んで膝のあいだに立てかける
床を水の脈が幾すじも横断している
電車がカーブするとわたしの傘の水も参加する
丘陵の上の電波塔がゆっくりと移っていく
屋根の重なり、煩雑なテレビアンテナ、波のように上下する電線
なにもかも雨の散弾が溶かしにかかる

長雨は人をぼんやりさせる、今あなたはようやく片付けごとが一段落したところかもしれない、飲みのこしのコーヒーを前に窓の雨音に耳をかたむけているかもしれない、こんなふうにわたしがあなたをおもうように、あなたもまた、車窓をぼんやり眺めているわたしをおもうだろうか、わたしが何かしら途方に暮れているように、あなたにも何かしら途方に暮れるわけがあるのだろうか、垂直に降るあなたの雨、斜めに降るわたしの雨、そんなことを考えもしたろうか

忖度はつつしむべきものだ
眠気がやってくる
とつぜん警報機の音が過ぎる
青空、そんなものはあったか
雨を良しとして、瞼が下りる


道のはた拾遺 7.

  鈴屋

7. 神


日暮れの町はずれ
神がつっ立ってこっちを見ている
ついて来るのだ

むこうへ行け、俺にかかずらうな、と俺はいう
仕事がないのだ、と彼はいう

尾長が一羽、叫びながら森へわたる
舌が尖っている
彼も見あげている

姿は蚊柱、顔は砂、神とはそんなものだ
言葉の要請にすぎぬ
俺がわらう
彼もわらう

風はすずしく、メヒシバがゆれる
道の先は闇にとけ
夕餉はとおい

先をいそぐ俺の背に
おまえは仕事になる、と神はいう 


木杭

  鈴屋


秋は正午、いましも
日が傾くとき

私は荒れ地の高みにつっ立つ古い木杭だった、しかも
荒れ地の高みにつっ立つ古い木杭は私だった

私は木杭として
地に穿たれ微動だにできない
それが悪い事態とは考えない
つまり、考えない

自分の身柄を見ることはない
ただ、砂地におちている棒状の影に私を見出す
先端に一羽の鳥の影を見ることもある

影の傍らには、一輪の白い花が咲く
影が移り花を暗くする
すぐ明るくなる

見晴るかす地平の一画
石の街区を曲がっていくあの私
一脈の川を渡っていくあの私
そんなふうに
幾多の私が私を剥がれ、去った

あの私らはもはや私を捨てた
私も捨てた

私は木杭として
楽しくも悲しくもない
たとえば、葉擦れの囁き、線虫が描く数字、砂の上の発条
身辺の
ありもしない謎に遊ぶことはある

私は木杭として
つねに、とても気持ちよく私を忘却する
荒れ地の高みにつっ立つ古い木杭は私を忘却する


恋唄五つ

  鈴屋


カーテンの隙間から差しこむ日に
タバコの煙を吐きつけると大理石の壁が立ち上がる

毛布にくるまれたわたしたちの
よごしあった皮膚の上では微生物が急速に繁殖している
安息とは饐えることにはちがいない

あなたはベッドを降りて
下着を胸に掻き抱き、前かがみに浴室へ向かう
楽園を追われるイブ、とわたしはわらう

 +   +

ケヤキ並木の影が路上に倒れている

遅い秋の午後ともなれば
一秒、二秒、日輪を見詰めることができる
黄金のリング、暗い渦
逸らす視線の先、美しい緑青の斑がいつまでも剥がれない

不意に木枯らしが吹くと
吹き溜まりに眠っていた落葉がいっせいに立ち上がり
ケラケラ、ケラケラ、小躍りしながらアスファルトを駆けていく

「唄はだあれ?」
「ヘレン・メリル」

わたしがキーを回したので、あなたはカーラジオのボリュームを上げる
タイヤが枯れ枝を踏んで、小気味好い音をたてる

 +   +

窓の外の空をまだだれも冬とは呼んでいなくても
暖かく支度した部屋で、二つの紅茶は紅く、わたしたちは眠い
レモンスライスを浮かべると紅が薄まるのは口惜しい気もする

あなたは唇に手をあて隠れるように短い欠伸をする
それからうっすらと涙目になって、そのまま溶け入るような頬笑みをよこす

とてもたいくつ
とても大切なたいくつ

あと1時間
明日一日
それから一週間、それから一年
それから先もつづくはずの
大切なたいくつ

 +   +

闇の中に座って、それでも乳房の白さはぼうと映えて
わたしはあなたの腰をささえ
わたしの左右の二の腕にあなたの爪が食い入る
あなたの二つの眸と口がなおさらに黒い三つの空洞となって揺れ
あなたは死に仕える埴輪のようにゆるやかに踊っている

なぜわたしたちはこの現在にいるのか
なぜこんなところでこんなことをしているのか

あなたの忍び音は山脈の果てからとどく悲鳴のようにも聴こえ
藪を分けて、山犬がこちらを向く

 +   +

電車が鉄橋を渡る
草サッカーの歓声が上がる
耳もとでは絶え間ないススキの葉擦れ
絵画のように音にも遠近法があるのがわかる

わたしから離れて
今あなたは水辺にたどりついた

川面では夥しい光りの欠片が煌く
スカートをじょうずにたくし上げ、しゃがんでは手を水に晒し
立っては覚束ない足許のせいでふらついたりもする

あなたは上流から下流へゆっくり首を回してから
光のほかに何もない空を仰ぎ見る、いつまでも
そのままに、あなたは遠い
光りの中にいて、はるかに遠い

文学極道

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