#目次

最新情報


コントラ - 2005年分

選出作品 (投稿日時順 / 全10作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


セントロの南

  コントラ

キャップを目深にかぶった
ガム売りの男
木蔭で涼んでいる
セントロの公園 午後2時

胸元まで開いたシャツに
滲む汗

半島には川がない
ライムホワイトの大地は
地上にふる雨を
ゆっくりと濾過し
地下の空洞に
巨大な水甕をつくっている

古代マヤ人には聖なる泉と呼ばれた
その水甕は今日も
水をはねて遊ぶ子供を見まもる
慎ましやかな
若い母親たちで
にぎわっていた

Ciudad Blancaの日曜日
市庁舎のまえの仮設ステージの
上では 花柄の刺繍の入った
白い衣装の女たちが
耳がわれるような音量の
メロディに合わせて
眠くなるようなダンスを
踊る

彼女は言っていた
中南米は暴力と犯罪の温床だけれど
この土地はずっと平和
きっと神様がまもってくれている
んだと思う

月曜日
図書館で読む本をカバンにつめて
朝、市場の南側でバスを降りた
まっすぐに伸びる60番通りからは
オールド・プラザのアーチが半分だけ見えて
いつも道に迷わずにすんだ

朝日を受けて空を刺す
カテドラル

石畳の中心地区はさいきん
政府当局の意気込みで
スパニッシュ・コロニアル調に
化粧直しした

その通りに面した
大きな羽根扇風機が回る店で
僕は友達に絵葉書を書いた

6月は雨が降らなかった
乾期の巨大な太陽は夕方
教育学部の正門でバスを待つ
僕の目の前を
見たこともない色に反転させた

帰り道
身動きのとれない
バスや
乗り合いタクシーの列
そのすき間を縫って
放縦にひろがってゆく
ラッシュの人波

排気ガスで壁が黒くなった
通りで
ビンの底に映ったような
洋服屋や新聞屋台のかすんだ
光を抜けながら

さきを急ぐ彼女の横顔に僕は
東洋的な沈着さをみた

学生証があるから大丈夫
と言う彼女の後ろにかくれ
お金を払わずに
街の南にくだるバスに乗った
午前0時

一街区おりるごとに
外の闇は濃さを増し
目だって増えた
道路の継ぎ目や水溜りが
つぎつぎと
バスの車輪を呼び止める

セントロの南
シャッターを下ろした
トルティヤ工場

一列につづく街灯のオレンジ色の光は
半裸のままで空き箱をかこむ
肌の黒い男たちを
ときどき
しずかに浮かび上がらせる

彼女のお母さんは
サンフランシスコ教会の
ちかく
マヤの男たちが
闇にまぎれて泥酔する
街外れのタコス屋で
働いていた

鈍く光る
路上のフォルクスワーゲン
セメントづくりの
低い家並みがつづく路地で

ときおり
エアコン付きの長距離バスが
排気ガスの匂いだけを置いて
遠くに旅立っていった

あぶり焼きの肉からしたたる
脂の熱量が、一日の疲れに盲目な
癒しをあたえている
小さなタコス屋のテーブルで
彼女から
いちばん長いスペイン語の単語を
教わった

メリダ・ユカタン

老婆もヘアピンで蝶をとめる
あか抜けた自然
岩盤の下の水甕にいだかれた
この街で

ひとびとは
脂肪を蓄えるのに余念がない

そして今日も
トラックでやってきたマヤの男たちは
長距離ターミナルのまえで
木箱にならべたガムを売る
40ペソの日当のために

* 注
1.セントロ=街の中心部、ダウンタウン。中南米の都市は碁盤の目のところが多く、たいていその真ん中にカテドラル、市庁舎、広場などがあつまっていて、その一帯をセントロと呼ぶ
2. Ciudad Blanca=直訳で「白い街」、「白亜の街」くらいか。観光プロモーションの文脈で、この街はこう呼ばれることもあるが、地元のひとはあまり使わない表現


学校にはいなかった/ホンジュラスの海の底で

  コントラ

ゴルフの試合中継が映るテレビ
だれもいない居間
昼休みが終わっても
僕は学校には帰らなかった

体育館の裏で
座りこんでいる僕を見た
という証言があっても
それは僕ではない

そのとき僕は
意識の小さな空洞にいて
体育館の窓から
透明な煙があふれだすのを
遠くから見ていた

ゼロックスのレーザーで
網膜が傷ついたOL
閉めきった下宿で空き瓶に
囲まれた予備校生
友達のいないレジ係
みんな砂利のうえに
膝をついていた

そこは金日成広場のように
草ひとつ生えない
かわいた校庭
体育館のカマボコ屋根のてっぺんには
いつのまにか
巨大なビルボードが掲げられていて
僕はその数字を読んだ

[34000]

空港の検疫係の手にはめられた
白い手袋と
蛍光灯の通路が
どこまでもつづく
スーパーフラット
戦後のこの国を出国していった
ひとびとの数は
バルト三国やCIS諸国
のつぎに多いと
最近のニュースが
言っていた

僕は学校のことを考えていた
何かが僕の首をはげしく
ゆさぶりつづける
食べかけの弁当箱がすべり落ちて
レタスや鰹をまぶしたご飯が
黒い床に散らばっていた

鉄筋コンクリートの教室
うず高く積まれた机のあい間で
背を低くして
生きなければならない現実

その現実は
遠いホンジュラスの海で
魚を口にふくんだ子供や
酷寒の首都で広場に献花する
名もなきひとびと
腹の出た独裁者の手のしわがきざむ
時間の

ながい
どこまでもながい
列のいちばんうしろで
たったひとかけらの
砂糖の配給を
待ちつづける

校長先生は「みどりの日」の由来について
えんえんと話をつづけていた
かがやく太陽の下
棒立ちになった人影が
少しずつの間隔をおいて
倒れていった

回っている
揺れる椰子の木の残像が
ゆっくりと
視界に近づいたかと思うと
体育館の丸い屋根をこえて
飛びさっていった

同じころ
東へ10000Km離れた
ホンジュラスの港町
ラ・セイバ
雨が上がったばかりの
小さな目抜き通り
その目抜き通りの突端にある
岸壁で
海をみながら
彼女はきいた

海の底では
たくさんの人をのせた
地下鉄の音が聞こえるっていうけど、
ほんとう?

* 注
ホンジュラス=ホンジュラス(Honduras)共和国の名はスペイン語のhondura(深さ、深み)という言葉に由来する。むかし征服者たちがこの地に上陸しようとしていかりを下ろそうとしたところ、深くて海底にとどかなかったことからこの名がついた。


クルンテープ

  コントラ

赤い湿疹が体をおおう夢をみた
5階建てのドミトリーで
寝がえりをうつ深夜

ベランダにでると
デルタ地帯からの風が吹いていた
吐き出すクレテック煙草の甘い煙と
のどの痛み

生あたたかい闇のなか
はすかいに見える古い旅社では
白いワンピースを着た女が
長く暗い廊下の奥へと
しずかに消えていった

真昼は血液が氾濫する恐怖のうちに
すぎていった
チャイナタウンの排水溝
香菜と煮込んだ肉が薫る
路地をぬけてゆく
眼のみえない犬

歩道橋の陰で
寝そべる
片足のない子供たち
ダンキンドーナツの紙カップの底には
わずか2、3枚の
銅のコインがはいっていて
彼らが音をたててそれを振るとき
きまって
雨がふるのだった

夕方4時
ラマ4世の交差点
スモッグにおおわれた空
追い抜いていったホンダの
後部座席では
横座りした若い女が
建設ラッシュの高架に
微笑を投げ

夕日を背に渋滞する車の列
その前方には
青いSANYOのネオンサインが
ひかっていた

国鉄の線路をこえたむこう
荒地のまんなかに立つ
白い病院の屋上には
アドバルーンが
浮かんでいた

細い注射器に満ちてゆく血液
流暢な日本語を話す医師の名刺には
大阪大学医学部卒
とあった

夜は眠られるまで
脈拍を数えていた

飛行機に乗る夢をみた
大地に影を落として飛ぶ機体

窓から見おろすと
湿地帯を蛇行する川が
赤い三日月形の沼を
つくっていた

クルンテープ


Contra- No.558

  コントラ

枕崎の海岸に打ち上げられた記憶は
入管で取調べを受け
入国を拒否された

係官が彼らのシャツをはたくと
砂がぼろぼろと落ちてきた

それは
上陸できずに
浅瀬に埋まっていた
みたされないおもい

あやうく県知事肝いりの
護岸工事で
テトラポッドの重みの下に
沈められてゆくところだった

生協スーパーのまえでは、旗を手にした
主婦たちが集まって
スピーカーで何か叫んでいた
手にしたチラシの山
カラー印刷の光沢をすべる真昼の光線
彼女たちは「子供たちの未来を守るために」
声を張り上げる
「アジアのひとびとと連帯するために」
スピーカーをますます高くかかげてゆく
交差点はかたちを変え
信号機のランプは青から黄色へ、そして赤へとかわる
でも彼女たちの声のトーンがあがればあがるほど
街からは陰影がきえてゆく
公園は無人になる
残ったコンクリートの堆積で
区切られたアブストラクション
そのうつろな質量を「平和」と呼ぶ

天気図は60年前のあの日と
同じ配置をしめしていた
南西にちぎれゆく雲
その親指ほどのすき間に
顔をのぞかせる アジアの島々

ゆるやかに南下する海流
その軌跡は若い兵士たちの足どりを
なぞっていた
目を閉じて足をひたして
流れてゆく

高いヤシの木にまもられた
マングローブの入江
丸太で組み立てられた小さな埠頭で
手を振る男たち

海流はそっといだく
大人もこどもも
ヒステリックな女たちがかかげる
スピーカーも
仏壇に目を閉じ祈る祖母の背中で
振り子時計が8時を打っていた
あの朝も

この国の歴史教科書には海がない
かつて船で見送られていったひとびとが
かいだ潮のにおい、故郷への想いや
はるか遠い世界をみすえたまなざしは
海の底
乱反射するガラス瓶の集積のむこうに
いまも癒えることはない

一夜あけたいま
海岸には土砂を積んだトラックが何台もとまっていた
集まったライトグリーンの作業服の男たち
トラックの窓から煙草をふかし
見つめる先には今日も
眠気をさそう
波ひとつないアジアの海


アスワン=ハイダム

  コントラ

砂粒の記号は砂漠気候を示していた

油田地帯の真昼
地図帳で見ると
デルタの首都から南下する河は
ダムの南でふた手に
わかれていた

地理の授業は午後4時から
ビルの5階の教室ではじまった
大きな窓からは
観覧車と
弧を描くぺディストリアンデッキ
その上をひとびとが移動してゆくのが
まるで電子のビットのように
ちいさく見えた

青ナイル川/白ナイル川

港湾の排気ガスがのどを
つきさす
学校帰りの遠い舗道
陽のあたらない
切通しのプラットホームで

チャットするたび揺れる
彼女たちのスカート
耳を澄ませると
丘陵地帯の長いトンネルを
抜けてくる電車の轟音が
ずいぶん前から聞こえていた

どこにいるのかはわからない
ただ銀の扉が開くたび
聞こえてくる短いメロディと
フロアを流れてゆく
つややかな電光

ファーストフードの
飽和したゴミ箱
臨海地帯の芝生に3人
僕たちが行き着きたい
どこでもない場所は
ここしかないと
目で合図しあった

たった一人だけで
ぺディストリアンデッキをあるいていた
観覧車の光の輪が燃えて
凍るような12月の風
暗い夜空のドームにはなにもみえなかった

細長いビルの5階の教室で
まぶたの裏にはりつく
蛍光灯の光
白・マイナスの残像
黒板にチョークで記した
アスワン=ハイダム
青ナイルと白ナイルが交差する
ラテライトの大地に

青と白の二色の旗を立てて
薄闇/白粉を塗った少女たち
パゴダの遺跡がある
村の夕暮れに
僕たちを招待してくれる

真昼のつよい光を
ビーズの刺繍の入ったキャップで
目を細めて
写した記念写真がいま
僕の手のなかにある

5階建ての予備校の教室で
いつからか
僕たちは砂粒をコンテナに詰めてはこぶ
港湾の労働者だった

冷たく青い冬の空の下
襟をたて
視界を閉ざすヘルメットから
決して見上げることなく

模試の順位がプリントされた
小さなブックレットを下敷きに
して眠りこんでいた


1979年 武蔵野

  コントラ


踏切には食パンの屑が散らばっていて
ストライキの西武線は
西日を受けた会社員たちが
田無の方角から歩いていた

自転車の後ろで揺られ
世界はぼんやりとしたピンク色で
みたされていた
雑木林のまえのアパートで
母は買い物袋を降ろすと
豆球のあかりをつけた
天井には対角線に
張りめぐらした万国旗
サッシからこぼれる夕日が
静かに畳の上をあたためていた

坂道を降りた丁字路のむこうは
黒い木立が続いていた
そこにはこれから生まれてくる
子供たちが住んでいて
僕の妹もまだ
木々の間を走り回ってる
神話のなかの精霊のように
1979年
眠れぬ夜に母はよくそう言った

その夜母はいなかった
仏壇のむこうで台所に立つ祖母が
ほんとうは耳のそばで
静かに正座しているのを
知っていた
夢のなかで僕は
淡い午前の光の奥で黄色の
信号機が点滅している道を
母に手を引かれてあるいていた
その場面をビデオテープのように
何度もくり返し再生した
手をはなすと
ダンプカーがたてる黄色い砂埃
にはばまれて母の姿は
もうみえなかった

それから生垣に囲まれた
埃っぽい道を
ずいぶん歩いていた
木造の家々は黒くしずみ
まるで廃屋のように
どこも戸を閉ざしていた
西武線の踏切の
矢印が夕もやのなかで赤く
光っていた
僕はまだひとりで
踏切をわたることができない

全速力で走った
いくつもの郊外の食卓を通り
いくつもの日照りの路地を過ぎて
郵便ポストの角を曲がれば
1979年
畳に落ちた新聞の切抜き
6畳間を照らす暗い豆球の下で
座っていたことを
憶えている


1981年 長津田

  コントラ


母はガスレンジをひねり
鍋のなかのアジフライが
はねはじめた

暗い街灯をたどって
33号棟に着く
グレーの背広

ベランダから遠く
消防署のあかりが消えるのをみた

キッチンの壁は黒ずんで
景色は油膜がはったように
ぼやけてにじむ


旧植民地にて

  コントラ


日本製の中古バスは
扉を開けっぱなしで疾走して
サロンを巻いた男が
イギリス煙草をすすめてくる
曇り空の日本を上空から
眺めた映像はだんだん小さくなって
いまはもう見えない

その村には1週間滞在した
ニャン・ウーの市場へ
砂埃の一本道を3人で歩く
乾期の太陽は日陰の余白を残さない
くたびれた僕らは
食堂でタイガービールを飲んで
安宿にかえると
スプリングの抜けたベッドに倒れこんだ

天井の羽根扇風機が音もなく
風を送りつづけていた
夢で見るのはなぜか
日本のことばかりだった
大学のクラスメートたち
せまい下宿でジンを飲んで
とめどなく語り
昼すぎに目をさます日々
ヤダポンが大きな目を
見開いて今日も
百合子ちゃんのことを
話そうとしている

軍政が布かれて長いこの国で
バスを乗り継ぎ
ドーム屋根の市場をぬけて
日なたの道を汗だくになって歩いた
インド人の商人や
白粉を塗った少女たち
靴工場ではたらく青年
夜行バスで首都に着いた朝
街角の屋台でコーヒーを飲んで
どうしても代金を受け取ろうとしなかった
「生きることではなく
生かされているということ
宇宙の調和のなかで」
汚れたノートに
ガイドブックの言葉を走り書きしている
僕はまだ二十歳になっていなかった

3日過ぎた午後
僕は首都に戻っていて
ガラスばりのエアラインオフィスで
バンコクまでのチケットを予約した
ガラスの向こうでは相変わらず
三輪タクシーが行きかい
闇両替の男たちが観光客の姿を
注意深く探していた

目抜き通りのインド料理屋に
行くと店員が僕を覚えていた
「旅行はどうだった」
「この国が好きか」
「もう明日帰るんだ」
「いつかまた来たい」
僕は答える
僕らはならんで店の前にしゃがみ
彼はイギリス煙草の包みを
僕のまえに差し出した
「日本に持って帰れ」
にぎやかな通りの先では
パゴダの尖塔が容赦ない
真昼の日差しをはじいている


注:パゴダ=東南アジアなど上座部仏教の国に多い円錐形の仏塔のこと


熱帯アメリカ

  コントラ

乾いた空気をつたって波の音が聞こえる。真昼の日差しは街をアルミのように白く光らせる。道端の日陰で空を見上げるホームレスの老婆。ダウンタウンの7番街を過ぎると、電車は雑居ビルと人影の真下をとおりぬける。

光がまばゆい車両の内部では、歴史を選ぶことに特別の意味はない。ジャンパーにくるまって宙をみつめるエルサルバドルの少年、手をひざのうえに置いたまま、彫刻のように動かない黒人の男。等間隔につづくレールの継ぎ目の音なかで、ひとびとはまだ夜が暗かった、密林のなかの小さな窓辺を想い出す。

地上は正午をむかえていた。風がつよい日に道を渡る国境の労働者たちは、砂ぼこりに目を細め飛ばされないように新聞をかざす。彼らの手はいつも、褐色の聖母像を握りしめている。ドーム屋根の市場に入ると、フロアはいつも湿っている。赤や黄色のセロファンを透かして陽が差す天井に気化してゆく歌声。汗とガラスのモザイク、遠いインディアスの空。

「熱帯アメリカ」シケイロス 1932年。上空で獲物をさがすアメリカン・イーグル。熱帯雨林の中央で十字架にはりつけられたインディアンは、論争を呼んで塗り潰される。回収できない歴史の余剰。プラカードめがけてぶつかりあうさまざまな腕。電気技術者と女たちは、流れる虹を映す立体壁画のなかで革命の理想を表現する。

吹き抜けの連接部にはEMERGENCY ONLYのサインがゆれていて、通り抜けることができない。OTRO BAILE MAS? (もう一曲ダンスはいかが)壁のポスターが語りかける。電車はまもなく減速して、明るく照らされたプラットホームにすべりこむ。ステンレスの車体に赤いランプが点ると一斉にドアが開く。眠りから覚めた遠い昔、アジア人たちがやわらかい足音で歩いた土地の、固いプラットホーム。銀色に光る長距離エスカレーターは地上へと続いている。


コロニア・ペニンスラル

  コントラ


コロニアの低い屋根、一直線にのびる道は暑さで少し歪んでいて、クロームメッキのように日差しをはじく。はるか向こうに、赤いボンネットバスが停まっているのが見える。粉塵を巻きあげながら、バスはほぼ5分おきにこの道をとおって、中心街の映画館の前までコロニアの住民をはこんでゆく。家々のドアは開いていて、タイル張りの廊下の奥にはハンモックが揺れている。コンクリートの裏庭、洗濯ロープごしの空。角の小さな雑貨屋にはいると、店番をしている少女が涼しげな笑顔で僕に話しかける。カウンターにならぶ曇ったガラス瓶のなかには飴玉や袋菓子が入っていて、蓋はかすかに古い油の匂いがする。

日曜日の朝、カンティーナがならぶセントロの南、サンフアン公園のまえでカルラと僕は待ち合わせる。大きな籠を持った女や、パナマ帽の男たちのかたまりが市場の方角へ動いている。生身の空気をつたって流れる、きざんだ野菜や吊るされた生肉の匂い。

休日なのに遺跡公園には誰もいない。入場券を買わずに鉄線をまたいで登る7世紀のピラミッド。石段に腰かけると濃い緑の森がどこまでも広がっていて、街は見えない。遠い土地に移り住む記憶が手を重ねる、湿気をふくんだ曇り空の下、地平線を背にして笑うカルラ、そして僕もやがて静かに背を向けてこの半島を離れてゆく。底の広いズボンを履いて鏡をのぞいていた聖人祭の朝。植民地時代の教会が立つ広場で、6月の日差しにゆらめく花柄の白い衣装。アイスクリーム売りの鐘の音。

乾期の陽は早くも傾いている。荒れ野のなかの一本道を、近くの村にむかって歩く。空は冷たく澄んでいて、鳥の鳴き声が聞こえる。空も空気もエナメルのように艶やかで、手を触れることはできない。公園の傍の壊れそうな椅子のうえで、僕らはなかなか来ないバスを待つ。ネクタイをしめたモルモン教の青年たちが村の人と握手しながら別れを告げている。日が暮れかけている、汚れたシャツの子供たちが鬼ごっこをして走りまわり、僕に気がつくとはにかんだ表情で笑う。

何年か後にこの土地で、天井の高い家に住むことを考えていた。海を渡ってきた荷物をほどきながら、たくさんの学術書を本棚に整理してゆく。空は晴れていて、どこかで聖人祭の行列がねり歩く音がする。街の通りは青い水で満たされてゆく。その青い水のなかで手を振る父や母、そして僕。団地の下の傾いた時計塔、砂場にささったままの積み木。

コロニア・ぺニンスラルの午後は洗濯物がゆれていて、太陽は街をアルミのように白く光らせる。



1.コロニア(西語)=街区
2.セントロ(西語)=街の中心部、ダウンタウン。中南米の都市は碁盤の目のところが多く、たいていその真ん中にカテドラル、市庁舎、広場などがあつまっていて、その一帯をセントロと呼ぶ。
3.カンティーナ(西語)=酒場。労働者が集う場所という含みがある。

文学極道

Copyright © BUNGAKU GOKUDOU. All rights reserved.