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コントラ

選出作品 (投稿日時順 / 全27作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


セントロの南

  コントラ

キャップを目深にかぶった
ガム売りの男
木蔭で涼んでいる
セントロの公園 午後2時

胸元まで開いたシャツに
滲む汗

半島には川がない
ライムホワイトの大地は
地上にふる雨を
ゆっくりと濾過し
地下の空洞に
巨大な水甕をつくっている

古代マヤ人には聖なる泉と呼ばれた
その水甕は今日も
水をはねて遊ぶ子供を見まもる
慎ましやかな
若い母親たちで
にぎわっていた

Ciudad Blancaの日曜日
市庁舎のまえの仮設ステージの
上では 花柄の刺繍の入った
白い衣装の女たちが
耳がわれるような音量の
メロディに合わせて
眠くなるようなダンスを
踊る

彼女は言っていた
中南米は暴力と犯罪の温床だけれど
この土地はずっと平和
きっと神様がまもってくれている
んだと思う

月曜日
図書館で読む本をカバンにつめて
朝、市場の南側でバスを降りた
まっすぐに伸びる60番通りからは
オールド・プラザのアーチが半分だけ見えて
いつも道に迷わずにすんだ

朝日を受けて空を刺す
カテドラル

石畳の中心地区はさいきん
政府当局の意気込みで
スパニッシュ・コロニアル調に
化粧直しした

その通りに面した
大きな羽根扇風機が回る店で
僕は友達に絵葉書を書いた

6月は雨が降らなかった
乾期の巨大な太陽は夕方
教育学部の正門でバスを待つ
僕の目の前を
見たこともない色に反転させた

帰り道
身動きのとれない
バスや
乗り合いタクシーの列
そのすき間を縫って
放縦にひろがってゆく
ラッシュの人波

排気ガスで壁が黒くなった
通りで
ビンの底に映ったような
洋服屋や新聞屋台のかすんだ
光を抜けながら

さきを急ぐ彼女の横顔に僕は
東洋的な沈着さをみた

学生証があるから大丈夫
と言う彼女の後ろにかくれ
お金を払わずに
街の南にくだるバスに乗った
午前0時

一街区おりるごとに
外の闇は濃さを増し
目だって増えた
道路の継ぎ目や水溜りが
つぎつぎと
バスの車輪を呼び止める

セントロの南
シャッターを下ろした
トルティヤ工場

一列につづく街灯のオレンジ色の光は
半裸のままで空き箱をかこむ
肌の黒い男たちを
ときどき
しずかに浮かび上がらせる

彼女のお母さんは
サンフランシスコ教会の
ちかく
マヤの男たちが
闇にまぎれて泥酔する
街外れのタコス屋で
働いていた

鈍く光る
路上のフォルクスワーゲン
セメントづくりの
低い家並みがつづく路地で

ときおり
エアコン付きの長距離バスが
排気ガスの匂いだけを置いて
遠くに旅立っていった

あぶり焼きの肉からしたたる
脂の熱量が、一日の疲れに盲目な
癒しをあたえている
小さなタコス屋のテーブルで
彼女から
いちばん長いスペイン語の単語を
教わった

メリダ・ユカタン

老婆もヘアピンで蝶をとめる
あか抜けた自然
岩盤の下の水甕にいだかれた
この街で

ひとびとは
脂肪を蓄えるのに余念がない

そして今日も
トラックでやってきたマヤの男たちは
長距離ターミナルのまえで
木箱にならべたガムを売る
40ペソの日当のために

* 注
1.セントロ=街の中心部、ダウンタウン。中南米の都市は碁盤の目のところが多く、たいていその真ん中にカテドラル、市庁舎、広場などがあつまっていて、その一帯をセントロと呼ぶ
2. Ciudad Blanca=直訳で「白い街」、「白亜の街」くらいか。観光プロモーションの文脈で、この街はこう呼ばれることもあるが、地元のひとはあまり使わない表現


学校にはいなかった/ホンジュラスの海の底で

  コントラ

ゴルフの試合中継が映るテレビ
だれもいない居間
昼休みが終わっても
僕は学校には帰らなかった

体育館の裏で
座りこんでいる僕を見た
という証言があっても
それは僕ではない

そのとき僕は
意識の小さな空洞にいて
体育館の窓から
透明な煙があふれだすのを
遠くから見ていた

ゼロックスのレーザーで
網膜が傷ついたOL
閉めきった下宿で空き瓶に
囲まれた予備校生
友達のいないレジ係
みんな砂利のうえに
膝をついていた

そこは金日成広場のように
草ひとつ生えない
かわいた校庭
体育館のカマボコ屋根のてっぺんには
いつのまにか
巨大なビルボードが掲げられていて
僕はその数字を読んだ

[34000]

空港の検疫係の手にはめられた
白い手袋と
蛍光灯の通路が
どこまでもつづく
スーパーフラット
戦後のこの国を出国していった
ひとびとの数は
バルト三国やCIS諸国
のつぎに多いと
最近のニュースが
言っていた

僕は学校のことを考えていた
何かが僕の首をはげしく
ゆさぶりつづける
食べかけの弁当箱がすべり落ちて
レタスや鰹をまぶしたご飯が
黒い床に散らばっていた

鉄筋コンクリートの教室
うず高く積まれた机のあい間で
背を低くして
生きなければならない現実

その現実は
遠いホンジュラスの海で
魚を口にふくんだ子供や
酷寒の首都で広場に献花する
名もなきひとびと
腹の出た独裁者の手のしわがきざむ
時間の

ながい
どこまでもながい
列のいちばんうしろで
たったひとかけらの
砂糖の配給を
待ちつづける

校長先生は「みどりの日」の由来について
えんえんと話をつづけていた
かがやく太陽の下
棒立ちになった人影が
少しずつの間隔をおいて
倒れていった

回っている
揺れる椰子の木の残像が
ゆっくりと
視界に近づいたかと思うと
体育館の丸い屋根をこえて
飛びさっていった

同じころ
東へ10000Km離れた
ホンジュラスの港町
ラ・セイバ
雨が上がったばかりの
小さな目抜き通り
その目抜き通りの突端にある
岸壁で
海をみながら
彼女はきいた

海の底では
たくさんの人をのせた
地下鉄の音が聞こえるっていうけど、
ほんとう?

* 注
ホンジュラス=ホンジュラス(Honduras)共和国の名はスペイン語のhondura(深さ、深み)という言葉に由来する。むかし征服者たちがこの地に上陸しようとしていかりを下ろそうとしたところ、深くて海底にとどかなかったことからこの名がついた。


クルンテープ

  コントラ

赤い湿疹が体をおおう夢をみた
5階建てのドミトリーで
寝がえりをうつ深夜

ベランダにでると
デルタ地帯からの風が吹いていた
吐き出すクレテック煙草の甘い煙と
のどの痛み

生あたたかい闇のなか
はすかいに見える古い旅社では
白いワンピースを着た女が
長く暗い廊下の奥へと
しずかに消えていった

真昼は血液が氾濫する恐怖のうちに
すぎていった
チャイナタウンの排水溝
香菜と煮込んだ肉が薫る
路地をぬけてゆく
眼のみえない犬

歩道橋の陰で
寝そべる
片足のない子供たち
ダンキンドーナツの紙カップの底には
わずか2、3枚の
銅のコインがはいっていて
彼らが音をたててそれを振るとき
きまって
雨がふるのだった

夕方4時
ラマ4世の交差点
スモッグにおおわれた空
追い抜いていったホンダの
後部座席では
横座りした若い女が
建設ラッシュの高架に
微笑を投げ

夕日を背に渋滞する車の列
その前方には
青いSANYOのネオンサインが
ひかっていた

国鉄の線路をこえたむこう
荒地のまんなかに立つ
白い病院の屋上には
アドバルーンが
浮かんでいた

細い注射器に満ちてゆく血液
流暢な日本語を話す医師の名刺には
大阪大学医学部卒
とあった

夜は眠られるまで
脈拍を数えていた

飛行機に乗る夢をみた
大地に影を落として飛ぶ機体

窓から見おろすと
湿地帯を蛇行する川が
赤い三日月形の沼を
つくっていた

クルンテープ


Contra- No.558

  コントラ

枕崎の海岸に打ち上げられた記憶は
入管で取調べを受け
入国を拒否された

係官が彼らのシャツをはたくと
砂がぼろぼろと落ちてきた

それは
上陸できずに
浅瀬に埋まっていた
みたされないおもい

あやうく県知事肝いりの
護岸工事で
テトラポッドの重みの下に
沈められてゆくところだった

生協スーパーのまえでは、旗を手にした
主婦たちが集まって
スピーカーで何か叫んでいた
手にしたチラシの山
カラー印刷の光沢をすべる真昼の光線
彼女たちは「子供たちの未来を守るために」
声を張り上げる
「アジアのひとびとと連帯するために」
スピーカーをますます高くかかげてゆく
交差点はかたちを変え
信号機のランプは青から黄色へ、そして赤へとかわる
でも彼女たちの声のトーンがあがればあがるほど
街からは陰影がきえてゆく
公園は無人になる
残ったコンクリートの堆積で
区切られたアブストラクション
そのうつろな質量を「平和」と呼ぶ

天気図は60年前のあの日と
同じ配置をしめしていた
南西にちぎれゆく雲
その親指ほどのすき間に
顔をのぞかせる アジアの島々

ゆるやかに南下する海流
その軌跡は若い兵士たちの足どりを
なぞっていた
目を閉じて足をひたして
流れてゆく

高いヤシの木にまもられた
マングローブの入江
丸太で組み立てられた小さな埠頭で
手を振る男たち

海流はそっといだく
大人もこどもも
ヒステリックな女たちがかかげる
スピーカーも
仏壇に目を閉じ祈る祖母の背中で
振り子時計が8時を打っていた
あの朝も

この国の歴史教科書には海がない
かつて船で見送られていったひとびとが
かいだ潮のにおい、故郷への想いや
はるか遠い世界をみすえたまなざしは
海の底
乱反射するガラス瓶の集積のむこうに
いまも癒えることはない

一夜あけたいま
海岸には土砂を積んだトラックが何台もとまっていた
集まったライトグリーンの作業服の男たち
トラックの窓から煙草をふかし
見つめる先には今日も
眠気をさそう
波ひとつないアジアの海


アスワン=ハイダム

  コントラ

砂粒の記号は砂漠気候を示していた

油田地帯の真昼
地図帳で見ると
デルタの首都から南下する河は
ダムの南でふた手に
わかれていた

地理の授業は午後4時から
ビルの5階の教室ではじまった
大きな窓からは
観覧車と
弧を描くぺディストリアンデッキ
その上をひとびとが移動してゆくのが
まるで電子のビットのように
ちいさく見えた

青ナイル川/白ナイル川

港湾の排気ガスがのどを
つきさす
学校帰りの遠い舗道
陽のあたらない
切通しのプラットホームで

チャットするたび揺れる
彼女たちのスカート
耳を澄ませると
丘陵地帯の長いトンネルを
抜けてくる電車の轟音が
ずいぶん前から聞こえていた

どこにいるのかはわからない
ただ銀の扉が開くたび
聞こえてくる短いメロディと
フロアを流れてゆく
つややかな電光

ファーストフードの
飽和したゴミ箱
臨海地帯の芝生に3人
僕たちが行き着きたい
どこでもない場所は
ここしかないと
目で合図しあった

たった一人だけで
ぺディストリアンデッキをあるいていた
観覧車の光の輪が燃えて
凍るような12月の風
暗い夜空のドームにはなにもみえなかった

細長いビルの5階の教室で
まぶたの裏にはりつく
蛍光灯の光
白・マイナスの残像
黒板にチョークで記した
アスワン=ハイダム
青ナイルと白ナイルが交差する
ラテライトの大地に

青と白の二色の旗を立てて
薄闇/白粉を塗った少女たち
パゴダの遺跡がある
村の夕暮れに
僕たちを招待してくれる

真昼のつよい光を
ビーズの刺繍の入ったキャップで
目を細めて
写した記念写真がいま
僕の手のなかにある

5階建ての予備校の教室で
いつからか
僕たちは砂粒をコンテナに詰めてはこぶ
港湾の労働者だった

冷たく青い冬の空の下
襟をたて
視界を閉ざすヘルメットから
決して見上げることなく

模試の順位がプリントされた
小さなブックレットを下敷きに
して眠りこんでいた


1979年 武蔵野

  コントラ


踏切には食パンの屑が散らばっていて
ストライキの西武線は
西日を受けた会社員たちが
田無の方角から歩いていた

自転車の後ろで揺られ
世界はぼんやりとしたピンク色で
みたされていた
雑木林のまえのアパートで
母は買い物袋を降ろすと
豆球のあかりをつけた
天井には対角線に
張りめぐらした万国旗
サッシからこぼれる夕日が
静かに畳の上をあたためていた

坂道を降りた丁字路のむこうは
黒い木立が続いていた
そこにはこれから生まれてくる
子供たちが住んでいて
僕の妹もまだ
木々の間を走り回ってる
神話のなかの精霊のように
1979年
眠れぬ夜に母はよくそう言った

その夜母はいなかった
仏壇のむこうで台所に立つ祖母が
ほんとうは耳のそばで
静かに正座しているのを
知っていた
夢のなかで僕は
淡い午前の光の奥で黄色の
信号機が点滅している道を
母に手を引かれてあるいていた
その場面をビデオテープのように
何度もくり返し再生した
手をはなすと
ダンプカーがたてる黄色い砂埃
にはばまれて母の姿は
もうみえなかった

それから生垣に囲まれた
埃っぽい道を
ずいぶん歩いていた
木造の家々は黒くしずみ
まるで廃屋のように
どこも戸を閉ざしていた
西武線の踏切の
矢印が夕もやのなかで赤く
光っていた
僕はまだひとりで
踏切をわたることができない

全速力で走った
いくつもの郊外の食卓を通り
いくつもの日照りの路地を過ぎて
郵便ポストの角を曲がれば
1979年
畳に落ちた新聞の切抜き
6畳間を照らす暗い豆球の下で
座っていたことを
憶えている


1981年 長津田

  コントラ


母はガスレンジをひねり
鍋のなかのアジフライが
はねはじめた

暗い街灯をたどって
33号棟に着く
グレーの背広

ベランダから遠く
消防署のあかりが消えるのをみた

キッチンの壁は黒ずんで
景色は油膜がはったように
ぼやけてにじむ


旧植民地にて

  コントラ


日本製の中古バスは
扉を開けっぱなしで疾走して
サロンを巻いた男が
イギリス煙草をすすめてくる
曇り空の日本を上空から
眺めた映像はだんだん小さくなって
いまはもう見えない

その村には1週間滞在した
ニャン・ウーの市場へ
砂埃の一本道を3人で歩く
乾期の太陽は日陰の余白を残さない
くたびれた僕らは
食堂でタイガービールを飲んで
安宿にかえると
スプリングの抜けたベッドに倒れこんだ

天井の羽根扇風機が音もなく
風を送りつづけていた
夢で見るのはなぜか
日本のことばかりだった
大学のクラスメートたち
せまい下宿でジンを飲んで
とめどなく語り
昼すぎに目をさます日々
ヤダポンが大きな目を
見開いて今日も
百合子ちゃんのことを
話そうとしている

軍政が布かれて長いこの国で
バスを乗り継ぎ
ドーム屋根の市場をぬけて
日なたの道を汗だくになって歩いた
インド人の商人や
白粉を塗った少女たち
靴工場ではたらく青年
夜行バスで首都に着いた朝
街角の屋台でコーヒーを飲んで
どうしても代金を受け取ろうとしなかった
「生きることではなく
生かされているということ
宇宙の調和のなかで」
汚れたノートに
ガイドブックの言葉を走り書きしている
僕はまだ二十歳になっていなかった

3日過ぎた午後
僕は首都に戻っていて
ガラスばりのエアラインオフィスで
バンコクまでのチケットを予約した
ガラスの向こうでは相変わらず
三輪タクシーが行きかい
闇両替の男たちが観光客の姿を
注意深く探していた

目抜き通りのインド料理屋に
行くと店員が僕を覚えていた
「旅行はどうだった」
「この国が好きか」
「もう明日帰るんだ」
「いつかまた来たい」
僕は答える
僕らはならんで店の前にしゃがみ
彼はイギリス煙草の包みを
僕のまえに差し出した
「日本に持って帰れ」
にぎやかな通りの先では
パゴダの尖塔が容赦ない
真昼の日差しをはじいている


注:パゴダ=東南アジアなど上座部仏教の国に多い円錐形の仏塔のこと


熱帯アメリカ

  コントラ

乾いた空気をつたって波の音が聞こえる。真昼の日差しは街をアルミのように白く光らせる。道端の日陰で空を見上げるホームレスの老婆。ダウンタウンの7番街を過ぎると、電車は雑居ビルと人影の真下をとおりぬける。

光がまばゆい車両の内部では、歴史を選ぶことに特別の意味はない。ジャンパーにくるまって宙をみつめるエルサルバドルの少年、手をひざのうえに置いたまま、彫刻のように動かない黒人の男。等間隔につづくレールの継ぎ目の音なかで、ひとびとはまだ夜が暗かった、密林のなかの小さな窓辺を想い出す。

地上は正午をむかえていた。風がつよい日に道を渡る国境の労働者たちは、砂ぼこりに目を細め飛ばされないように新聞をかざす。彼らの手はいつも、褐色の聖母像を握りしめている。ドーム屋根の市場に入ると、フロアはいつも湿っている。赤や黄色のセロファンを透かして陽が差す天井に気化してゆく歌声。汗とガラスのモザイク、遠いインディアスの空。

「熱帯アメリカ」シケイロス 1932年。上空で獲物をさがすアメリカン・イーグル。熱帯雨林の中央で十字架にはりつけられたインディアンは、論争を呼んで塗り潰される。回収できない歴史の余剰。プラカードめがけてぶつかりあうさまざまな腕。電気技術者と女たちは、流れる虹を映す立体壁画のなかで革命の理想を表現する。

吹き抜けの連接部にはEMERGENCY ONLYのサインがゆれていて、通り抜けることができない。OTRO BAILE MAS? (もう一曲ダンスはいかが)壁のポスターが語りかける。電車はまもなく減速して、明るく照らされたプラットホームにすべりこむ。ステンレスの車体に赤いランプが点ると一斉にドアが開く。眠りから覚めた遠い昔、アジア人たちがやわらかい足音で歩いた土地の、固いプラットホーム。銀色に光る長距離エスカレーターは地上へと続いている。


コロニア・ペニンスラル

  コントラ


コロニアの低い屋根、一直線にのびる道は暑さで少し歪んでいて、クロームメッキのように日差しをはじく。はるか向こうに、赤いボンネットバスが停まっているのが見える。粉塵を巻きあげながら、バスはほぼ5分おきにこの道をとおって、中心街の映画館の前までコロニアの住民をはこんでゆく。家々のドアは開いていて、タイル張りの廊下の奥にはハンモックが揺れている。コンクリートの裏庭、洗濯ロープごしの空。角の小さな雑貨屋にはいると、店番をしている少女が涼しげな笑顔で僕に話しかける。カウンターにならぶ曇ったガラス瓶のなかには飴玉や袋菓子が入っていて、蓋はかすかに古い油の匂いがする。

日曜日の朝、カンティーナがならぶセントロの南、サンフアン公園のまえでカルラと僕は待ち合わせる。大きな籠を持った女や、パナマ帽の男たちのかたまりが市場の方角へ動いている。生身の空気をつたって流れる、きざんだ野菜や吊るされた生肉の匂い。

休日なのに遺跡公園には誰もいない。入場券を買わずに鉄線をまたいで登る7世紀のピラミッド。石段に腰かけると濃い緑の森がどこまでも広がっていて、街は見えない。遠い土地に移り住む記憶が手を重ねる、湿気をふくんだ曇り空の下、地平線を背にして笑うカルラ、そして僕もやがて静かに背を向けてこの半島を離れてゆく。底の広いズボンを履いて鏡をのぞいていた聖人祭の朝。植民地時代の教会が立つ広場で、6月の日差しにゆらめく花柄の白い衣装。アイスクリーム売りの鐘の音。

乾期の陽は早くも傾いている。荒れ野のなかの一本道を、近くの村にむかって歩く。空は冷たく澄んでいて、鳥の鳴き声が聞こえる。空も空気もエナメルのように艶やかで、手を触れることはできない。公園の傍の壊れそうな椅子のうえで、僕らはなかなか来ないバスを待つ。ネクタイをしめたモルモン教の青年たちが村の人と握手しながら別れを告げている。日が暮れかけている、汚れたシャツの子供たちが鬼ごっこをして走りまわり、僕に気がつくとはにかんだ表情で笑う。

何年か後にこの土地で、天井の高い家に住むことを考えていた。海を渡ってきた荷物をほどきながら、たくさんの学術書を本棚に整理してゆく。空は晴れていて、どこかで聖人祭の行列がねり歩く音がする。街の通りは青い水で満たされてゆく。その青い水のなかで手を振る父や母、そして僕。団地の下の傾いた時計塔、砂場にささったままの積み木。

コロニア・ぺニンスラルの午後は洗濯物がゆれていて、太陽は街をアルミのように白く光らせる。



1.コロニア(西語)=街区
2.セントロ(西語)=街の中心部、ダウンタウン。中南米の都市は碁盤の目のところが多く、たいていその真ん中にカテドラル、市庁舎、広場などがあつまっていて、その一帯をセントロと呼ぶ。
3.カンティーナ(西語)=酒場。労働者が集う場所という含みがある。


泉川 1986年

  コントラ


露がついた二重の窓は
水のなかの液晶画面のように
白樺の林を映す
午前7時、灰色の空
国鉄式ディーゼル列車の客室内は
暖かくて、かすかに軽油の匂いがする
靴からはたいた雪が
木の床に滲んでゆく

トーストが焼ける匂いを憶えている
僕が住んでいる工場町の
小さな家のテーブル
六畳の暗がりは遠く
祖父が遺したニス塗りの木箱
三菱鉛筆の工場や
焼け野原だったころのこの街に
続いている

その日もヘリコプターの音
が聞こえていた
校庭の隅の百葉箱には
遠い日付の日誌が入っている
砂利の上に足を伸ばすと
空はひろくて午後の路地は
静まり返っている
開基70周年
プレハブの校舎
鉄製の階段を降りてゆくと
雨のしずくが音をたてる
土曜日の正午
イギリス帰りのあの子は
赤と白の傘をさして
通学路をたどる

泉川、1986年
ガラス戸からは3月の淡い光
がこぼれている
待合室の円筒ストーブ
午前の列車が出てゆくと
駅員たちは切符売り場のカーテンを
おろして姿を消した

厚い氷のプラットホームを
踏みしめ
まっさらな雪の上に
足跡をしるしてゆく
つららの降りた0番ホーム
改札口のガラス戸は
一日三度だけ開かれる
朝8時、午後4時
そして、まだ陽は落ちない
最終の6時

オルゴールが短く鳴ると
列車は雪原のなかに
停車する
粉雪が降り続いている
小さな板張りのホーム
と看板だけの乗降場
はなれた集落では
黒い家々が点のように滲み
防風林が吹雪にかすんでいる


Negara Katulistiwa  熱帯アジアの十字路にて

  コントラ

ベンクーレンのドミトリー、灰色の絨毯に夕方の日が差しこんで、ベランダに出ると、青く透きとおる北東の空に雲がちぎれている。埃を吸い込んだベッドの端には、誰かが忘れた国際フェリーの半券が落ちている。いましがた半裸で眠りつづけていたイギリス人は、少しまえに荷物をまとめて出ていった。誰もいない、翳ってゆく部屋。明け方、国境の水道を渡る列車のなかで出会った女の子は、別れ際に小さな紙片を僕に手渡した。煙草に火を点けて、いまその紙片を読んでいる。クレテック煙草の甘い煙はパチパチはじけながら、僕が数ヶ月前に引きはらった、寒い盆地のはずれにある下宿にまで記憶を参照していった。

椰子の木が植えられた空港からこの界隈まで、瀟洒な二階建てバスが結んでいる。街の通りのあちこちは工事中で、闇のなかベンガルの男たちがかざすオレンジ色のランプで、渋滞する車の列が誘導されてゆく。朝、目がさめると、5階の窓は開け放たれている。じわじわと湿度をあげる空気をつたって、建築資材がぶつかりあう音がビル街に響いている。ヤンゴン、クアラルンプール、スラバヤ。台北、コロンボ、シンガポール。安宿のベッドとシーリング・ファンが回る天井。小さな吹き抜けの空間で撹拌され気化してゆく意識。真昼には路線バスを十字路ごとに乗り換えて、近代的なショッピング・コンプレックスのエスカレーターを昇ってゆく。屋上のテーブルから街を見晴らすと、三角州の上にはうっすらと排気ガスの層がかぶさっている。1日3回以上冷たいシャワーを浴びて、そのたびにパウダーを全身に塗りたくった。ひんやりした熱帯夜の手のひらで、セブンイレブンで買ったシャーベットを飲み干すと、僕は屋台で遅い食事をとっている、スカーフを巻いた女たちのおしゃべりを聞いていた。

最終日、彼女はいくら待っても現れなかった。「検事」通りの出口の、30度を超える日なたで、通りの反対側、ナシゴレンを炒める屋台から甘い煙が流れている。Jam Karet. 歯の欠けたガム売りの男が話しかけてくる(この土地では時間はガムのように伸び縮みするものなのだ、と)。国際フェリーに乗って海峡を渡るとき、船尾に集まる潮の渦を眺めながら、僕は「旅」について、冷たい「構造」を発見するのかもしれない。国際ターミナルの免税品店を漂うコロンの匂いのなかで、あるいは、空港に向かう二階建てバスの窓から、高木樹が植えられた分離帯を眺めながら。バスがランプウェイを降りてゆくと、滑走路にはもう飛行機が到着していて、その光景を、フェンスの向こうの荒れ地から、僕はただ見まもっていた。


・追記
書いているときはほとんど視界になかった自分の脳天気さに絶望するのですが、この作品を構成している、実在する地域の一部(特にスマトラ島とスリランカ)は2004年暮れの大津波の被災地域です。書いてしまってから手遅れなのですが自戒のために。


白い象

  コントラ

僕はそのとき、半島を南に向かう急行列車のデッキにつかまって眺
めていた、養殖場の白い灯りを思い出していた。12両編成の客車は
大きな砂袋を担いだ男たちで混み合っていた。開け放たれた窓、暮
れてゆくモンスーンの稲田が果てるあたりには、送電線が走る低い
山の影が国境へ連なっている。列車が州都の駅の低いプラットホー
ムに着くと、餅米や、葉でくるんだ焼きバナナの入った籠を頭に載
せた女たちが、列車の窓の真下に集まりはじめる。

川向こうの病院から橋をわたると、黒く濁った運河と、白く干上が
った路地が幾本も交わる界隈の奥に、ドーム屋根のターミナルがあ
る。その駅からは、一日5、6本の普通列車が空っぽの客車を何両
も連ね、音もなく発車していった。日なたでは片足を負傷した兵士
が、生々しい傷口を太陽にさらしている。薬はどこの店にも売って
いなかった。テワナ風のブラウスを着た彼女は午前中ずっと、酷暑
の街を歩いていた。無音の路地から路地へ、そして僕を見つけると、
遠くから名を呼んだ。[・・・・・]

スタンドの柱にもたれて女たちが踊る歓楽街で、暗褐色のビール瓶
の内側に炎がゆれ動くのを見た。一本杉の丘から、牛車がぬかるみ
の道を進んでいき、小さな点になり、やがて見えなくなる。政府の
緑化政策は農薬の使用量を増大させ、低い山並みのあいだには真新
しい高速道路の高架が見えるけれど、この村へ通じる出口は無い。
バナナ会社は、栽培地を鉄柵で囲い、立入禁止の白いプレートを等
間隔で貼りつけていった。蒸し暑い雨期の午後、筵を敷いた床で横
になったまま痩せてゆく、都会帰りの娘の顔を、親戚たちは黙って
見おろしていた。

21号運河の駅を出ると、列車はスピードを落とす。線路のまわりに
空き缶を拾いにくる子供たちが、機関車の巨体の隅で背をかがめて
やり過ごしているためだ。線路際の青空市にならぶ鍋や薬缶が、真
昼の日を受けてきらきら輝いている。運河の水の底ではいつも、現
金支払機が札束を数える音や、レストランでフォークやグラスがぶ
つかり合う音が聞こえているのかもしれない。列車は分岐器を渡り
ながら、ターミナルのドームの影に吸い込まれてゆく。林立する信
号機の腕木はすべて、空を指している。


エミリアーノ・サパタ

  コントラ

カフェのガラスの向こうでは
カーニバルの飾りつけがはじまろうとしている
彼女は前の日に時計が止まった話をしながら
手首を裏返してみせる

教会前で待ち合わせたのは12時
正午の太陽は僕らの頭上から
街を炭酸水の無色透明に還元する

大通りでは
クリスタルというラベルが貼ってある
炭酸水の群がトラックの荷台で
街の北から南へはこばれてゆく

カルラ、あなたは白く乾いた路地が
交わる88番通りの角の雑貨屋で昼間
うず高く積まれたカートンのむこうから
眠たそうな目だけをのぞかせて
往来を眺めている

バスが地面を揺らせながら
狭い通りを通過する
フロントガラスに白いペンキで書かれた
行き先は「エミリアーノ・サパタ」
それはメキシコ革命の英雄の名では
あるけれど

街の南の、環状道路の交差点をこえて
刑務所の長い塀をすぎてゆくと
木立と鳥の鳴き声に混じって
セメント造りの低い家が点々とする
コロニア

あそこは以前、べつの村だったんだ
マルコスは言っていた
街の南の、それでも少しは街の中心に近い、
ハンモックが揺れる
タイル張りの床の台所で

夜が更けて
テーブルに肘をつく僕らの横を
何台ものフォルクスワーゲンが
通り過ぎていった

午前0時
僕らは
売春婦が客待ちする黒く汚れた
塀の角から
エミリアーノ・サパタヘくだるバスに乗る
薄明かりの電球に照らされ
電灯の減ってゆく家並みを網膜のモザイクに
焼きつけながら


パトリシア先生

  コントラ



パトリシア先生は今日も
ハンドバッグを持って学校にやってきた
Buenos Dias (おはようございます)と
三度復唱させると
生徒たちにノートを開かせて
ひとつひとつ中をのぞいてまわる

石畳とペンキで塗られた家並みのむこうに
なだらかな火山が煙をあげている
金網で仕切られた屋上の教室では
遠くでバスの車掌が連呼するリズムが
風をかすかに震わせている

欧米人が歩く街に散りばめられた
鮮やかなテキスタイルの色が
今日も民芸品屋の店先を飾る
青い空の盆地にすっぽりとはめこまれた
この街に内戦時代の痕跡はない

万国旗がならぶオープンエアのカフェテラスでは
旅人たちが濃厚なコーヒーの匂いに酔いしれる
軽やかなサルサは、それぞれの瞳に映りこむ
ユートピアの表象と溶け合い気化してゆく

デコボコの道の先に見える火山が
今日はすこしゆがんで見える
褐色の農民たちはいつも道の片隅を歩いている
彼らはほとんど足音をたてず、示し合わせたように
一列になって通り過ぎる

2トントラックがヘアピンカーブ
を曲がりきれずにブレーキを踏む
その狭い路肩でじっと身を寄せながら
彼らは街の外のコロニアに帰る
そこではきっと降りやまない雨が今日も
とうもろこしの芯や
ちいさなマリアやイサベルのおもちゃを
グレーの濁流に飲み込んでいる

パトリシア先生は「インディオ」の話になると
いつも困った顔をする
彼らは森の木立の奥深くにいて
教会に行くことを知らない
それだけだ

そしていつものように話を変えると
「安楽死」は正しいと思うか、と
黒板に書いた

昼休みになると
パトリシア先生はバッグから携帯電話を取り出して耳に当てる
相手は年下の恋人で
来年の春には結婚する予定だ

そのあと、このにぎやかだけれど実入りの少ない
外国人にスペイン語を教える仕事を
続けるのかどうかは
まだわからない


ロシータ

  コントラ



ローサは表通りのブライダル用品店で
働きはじめて2年になる
頭上にそびえるオフィスビルの
硬質ガラスに跳ねかえる
朝日を見ながら、店の前の道路に水を撒いている

青ざめた空気の向こうに地下鉄
のランプが点灯している
オフィス街の谷間に残された
インナーシティには古びた
がらっぽのビルがいくつも
ならんでいる

そんなビルのうちの一つの
細長い壁面には
巨大なマラソンランナーがゴール
のテープを破っている
オリンピックの年に
つくられた壁画だ

最近、ハリウッドにある
夜間学校に通い始めた
そこは1学期3ドルという無料同然の
金額で、来たばかりの移民たちに
英語を教えている
木の床にならべられたイスに座り
夜の9時まで先生の課すテーマ
について英語で書く

朝、店の前を掃除しながら
ローサは「書く」ことに
ついて考ることがある

バスに乗って街のなかを
移動してゆくとき
目のなかのモザイクを
流れてゆく交通信号やテールランプの帯
あるいは
船底のようなスーパーのキャッシャーで
メキシコ人のパートタイマーたちが
ドル札をさばいてゆく指先

蛍光灯の下で削るようにペンを
走らせてゆくと
ありふれた風景の断片も
離れた土地に移り住んだ人々の生の表出を
いくつものレイヤーに
刻み込んでいることに気づくのだ

仕事を終えてバスを待つ時刻
日はかたむき、クレーンが吊りさがった空は
ファーストフードの広告塔や
ラジカセを持って歩く黒人たちを
鍋底のような闇夜のコントラストに
徐々に落とし込んでゆく

追伸

夜間学校で出会う日本人や韓国人は
感じのよい人たちで
ときどきスペイン語で話しかけてくれる

この国に来る前は
(アジア人といえば)
アルトゥーロの雑貨屋の
暗い棚の奥に座っている
無愛想な中国人しか知らなかったけれど


シルビア

  コントラ



シルビアは恋人の兄のマルコスに「デブだ」とからかわれても、なにも
言い返さなかった。雨上がりの日曜日。リビングには湿った風が吹いて
いて、テーブルの上では処方薬の袋がかすかに音をたてている。門の前
に車がとまり、礼服を着たシルビアの家族が午前のミサから帰ってくる。
彼らは部屋に入って着替えを済ませると、すぐにまた車に乗ってでかけ
てゆく。シルビアの家族は、小さな弟たちもふくめ、みんな太っている。
国境を越えて輸送される赤や黄色の炭酸水は、この国の神話のプログラ
ムを見えないところで書き換えている。

パウンドケーキのような熱帯林の中央基線が交わるあたりには、巨大な
ショッピングコンプレックスが午後の陽を浴びて白く光っている。シル
ビアによれば、ここのフードコートで売られているピザやフライドチキ
ンは、母がつくったものとは違う味がする。しゅわしゅわと口のなかで
溶け、まるで宇宙食を食べているような感じなのだ。シャーベットのよ
うな冷気が充填されたフロアを出ると、シルビアの家族は地平線が見え
るハイウェイに車を入れる。後部座席では、シルビアが物憂げな表情で
窓ガラスに額をあてている。いつからか、彼女の視界には光る綿のよう
なものがちらつくようになった。

ドラム缶で燃える丸焼きのチキンが黒い煙を空にたなびかせている、環
状道路の交差点。信号待ちで車が止まると、安物のキャップをかぶった
物売りたちが寄ってきて、小さな押し花やボトル詰めの炭酸水を売り歩
く。汗ばむ褐色の腕に握られた炭酸水がきらきらと熱を放射するのを見
まもるシルビア。排気ガスで黒く汚れた壁と、炎天下に立ちつくす売り
子たちの姿が無声映画のカットのように映り、アクセルを踏み込むと視
界から消える。ドライバーの目線をはばむ鋼鉄の防音壁の外に広がる原
生林のむこうには、板きれやダンボールで風をしのぐバラックの群がゆ
るやかな丘の中腹まで続いている。

あれは小さなころ、縫いぐるみを抱いて祖母の家に遊びにいったときの
ことだ。眠たい目をこすりながら飛行機がこの街に着陸してゆくとき、
砂粒のような電灯の群がこの丘のうえまで這い上がっているのを見て、
シルビアはベッドカバーに落ちた宝石のように、それらを手にとること
ができるような気がしていた。いま、そこから数百メートルも離れてい
ない、なめらかに舗装されたハイウェイを、日本製のセダンは滑ってゆ
く。道が緩やかにカーブしていくと、フライドチキンの広告塔が回転し
ているのが視界の隅にはいり、そのむこうには広く青ざめた空が緑の地
平線をすりきりの地点で飲みこんでいる。


Last Modified 2005/06/06


1982

  コントラ

冬の日の夕方、街外れにある高架鉄道の駅の暗く湿ったエントランス
を、僕は母に手を引かれて降りていった。東京オリンピックの年に開
通した半地下のプラットホームは、長いトンネルにはさまれていて、
新造電車の灯火が闇の奥に点ると発車案内のランプが赤く点滅した。
微風のなかに、僕は飛沫をふくんだコンクリートの匂いをかいだ。耳
の底で轟音がふくらんで、トンネルから顔を出したオレンジの車両と
窓ガラスの光の列が僕の視界をフラッシュしていった。

冬枯れの武蔵野から、競馬場のある駅で電車を乗りかえて、母は工場
町にある祖母の家に僕を連れて行った。電車はジャンパーを着た男や
厚化粧の女たちで混んでいた。銀色の手すりをにぎっていた、汗ばむ
手のひらに残る苦い鉄の匂い。くぐもったガラス窓に映る田畑や農家
は、私鉄のデパートやマンションに変わり、路地やフェンスや煤けた
鉄工場の塀がつづく。母は私鉄線の乗りかえ駅にある洋菓子屋でシュ
ークリームを3つ買った。白い紙で組んだ箱。夕方の人のまばらな商
店街には丸い蛍光灯が数珠のように点っていて、買い物を乗せた自転
車の細いシルエットが角を曲がって消えてゆく。タバコの自販機が白
い光を地面に投げる、潮が引いた浜辺のように静かな道で、母の背中
は通りの奥に小さくなっていた。

祖母の家は郵便ポストの角を曲がった公園の奥の、松の木が生えてい
る小さな水槽のなかにあった。石油ストーブの上では餅がふくらんで
いて、僕は竜宮城のような水の泡がはじけてゆく水面に耳を澄ませた。
母が話す声も、祖母が応じる声も僕にはよく聞きとれない。母がいつ
もと違う表情で僕に笑い、引き戸の奥に姿を隠した。車庫のトタン屋
根の上には鈍色の空が斜めに見える。となりの民家では嫁に行かない
三姉妹が買い物かごをさげて空へ泳いでゆく。庭の植木鉢も地中に棲
むクモも、水のなかで息をしている。

丸テーブルの蜜柑がサッシから差す日を浴びている/ 午後の、静まりか
えった二階家/ 機械油の匂いが染みた路地や電線がはしる町/ 祖母は奥
の衣装ダンスのなかで眠りつづけている/ 引出しには工場に勤めていた
ころの帳簿が入っていて、そこにはボールペンの文字で日付が書きこ
んである

学習机の世界地図にはうっすらと埃が積もっている。春のよく晴れた
日に、ミツバチが飛ぶ公園で2人の子供がブランコを漕いでいた。 赤
レンガの渡り廊下には青空がこぼれ、靴音が深くこだました。校庭で
子供たちは凧のように空へ泳いでゆく。祖母の衣装ダンスは僕の部屋
になり、僕はこの街で小学校の一年生になった。


AYAKO

  コントラ


アヤコの手を握って歩いていた。路面電車の駅からつづく暗い道で、7月。祭りのあとの、風のない夜。客のない喫茶店の室内灯と、黒い電線がはしる空。単線の踏切を渡ると原っぱのなかにタバコの自販機がぽつんと光を放っている。僕らは小さな橋をわたり、行き止まりの道にあるアパートにつく。戸口には古い蛍光灯が消えかけていて、錆びた自転車が置いたままになっている。窓から川が見える2階の、6畳の部屋。薄闇のなか、僕らは水槽の魚のように折り重なって眠る。窓の外で原付自転車が橋をわたり、ゆるい坂を登ってゆく。マンホールの蓋がくぼむ音。闇に伸びてゆくテールランプの帯。

オレンジ色のランプが入口にかかっている。半地下にあるアフリカ料理屋のテーブルで僕はアヤコと向きあっていた。派手な髪飾りに気づくと、いつも東南アジア系に間違われるから、と言いながらはにかんで笑う。薄暗い店内にいる僕らの肌には赤や黄色のセロファンが投影されている。それは立体壁画のモザイクのように過去や現在を透かして見せる。バクラランからコタキナバルへ、シンガポールからアロースターへ。アヤコは涼しげな顔で僕の話を聞いている。ときどき、「それはどうして?」と言って僕の目をみる。グラスの氷がぶつかり合う音。ドアのガラスのむこうではセミが鳴いている。

アヤコを見送る。私鉄線の駅前。小豆色の6両編成が小さな光源になって森の裏側へ隠れる。風のない夜。深夜の丸太町を4速で走った。90ccの消えいりそうなエンジン音が、穏やかな海のように凪いでいる。シャッターを下ろしたディスカウントストアの交差点を入ると街路樹が闇を包みこみ、灯りの消えたアパートや家並みがつづく。何年か前に、赤道近くの白く乾いた街で同じようにホンダを走らせたことがあった。くねくねした支道をどこまでも入ってゆくと、道は未舗装になり、電気もまだ来ない海岸の村にたどり着く。サロンをまいた老人は、高床の家の筵に僕を座らせて、酸っぱく味つけた焼魚を振舞ってくれた。

水をふくんだ空気。窓からみえるラグーンの向こうには緑に覆われた島が横たわっている。老人は言った。あの島は数年前に白人の大富豪に買い取られて、高級ホテルと自然保護区が整備されて立ち入り禁止になった。だから私たちはここから島を眺めるだけなのだ、と。硬質プラスティックに映るタバコの自販機の灯りを視界の隅にとらえる。橋をわたり右にターンしてアパートの前にバイクを止める。フルフェイスを脱ぐと、星々がきれいに見えた。鍵を抜いてポケットに入れ、アパートの階段を上る。

夢をみた。たちのぼる陽炎のむこうには緑の島がにじんでいて、僕は油の浮いた海を、岸を目指して泳いでいる。苦しくて息がきれる。老人は後ろから僕の肩をつかんで引きとめる。そのうちさざなみの合間にはいくつもの褐色の腕が浮かび上がる。港では短針が振り切れた白い時計塔の下で女たちが膝をついている。午後の太陽は島の中央基線の上に14時間以上もとどまりつづけていて、浜辺にはいくつもの干上がった魚が打ち上げられていた。

アヤコと向き合って路面電車に揺られていた。肩からブラジャーのストラップがのぞいているのをぼんやり見ていた。電車の広告が江ノ島の写真を載せている。「江ノ島って熱帯みたいな感覚がある」と僕はアヤコに話す。窓に指をあてながら「それはどうして?」と彼女が答える。祭りのあとの人いきれを載せた電車。乗客の背丈のうえで扇風機が風を送る。窓の外で飽和してゆく、水をふくんだ盆地の夏。古い家屋の軒先に風鈴が揺れている、僕らが歩いている道の、マンホールの底のように暗い夏。いつか深夜便のせまい窓から見た赤道直下の島々のように、そこには風がなくて、ただ白く光るタバコの自販機だけがかすかな音をたてていた。


  コントラ


ずっと考えていた。森のなかの涼しい空気が充填されている砂地で、地表に消失した分岐点の意味や、アンビエント音楽のリズムのなかに浮かぶオレンジ色の矢印と、それによって暗示されるもの。あるいは、緑の地平線に埋められた歴史の余剰と、褐色の土地を踏み分け播種して来た、やわらかな足音で歩く人々のこと。僕は、新幹線のガードが横切る高いフェンスに囲まれたグラウンドで、鉛色の空をずっと見上げていた。風景はどこか陰影がなくて、ビニールプリントのようなつややかな光沢を帯びていた。冬の日の夕暮れ、電灯がとぎれた商店街の暗い路地で、白くフラッシュする自動車のヘッドライトに、僕はいつも手をかざしていた。

考えていたのは、社会主義時代の崩れたビル街を見下ろす海岸通りで、乗合バスを待つあの娘のことというよりは、あのとき、灰色の、暗くしずんだトタン屋根の家屋がつづく商店街を歩いていた僕の、目のなかに映っていたもの。あるいは、砂地の円環に記された矢印が指さす、風が吹いてくる先にあるイメージ。たとえば、遠い初夏の午後、散水車が通った道の、濡れたコンクリートに、道路標識の菱形や楕円がにじんでいた風景。長いあいだ、その湾曲するフォルムが何を意味するのか、僕はわからなかった。僕の手の中に残る、いくつもの思い出せないもの。

そういえば僕は黒い山影の記号がいつも眼前にせまる郊外の片隅で、白いペンキで塗られたアパートに住んでいたことがあった。そのころ、いくつもの小さな紙焼きのカラー写真が、僕の部屋に郵送され、フロアに散らばっていた。でもそれらのイメージが語るものについて、僕は何一つ思い当たらなかった。思い出せなかったもの。たとえば、ゆるやかな海流にいだかれた小さな島のサトウキビ畑の、きれいに区画されたパターン。あるいは、首都の海岸通りで、僕の手をギュッと握った、あの娘のひんやりとした肌のこと。すべては砂地に投影された円環のなかで、神話的な象徴形式に書きかえられていた。

何年か過ぎたあと、円環はアンビエント音楽のCDジャケットの上で、静かな光を放ち、僕は深夜のガード下を歩きながら、ヘッドフォンを耳にあてていた。僕の存在を肯定するすべての神話論理が、どのように日々に「無題」を記しつづけ、それらはいつ地表に書きこまれるのか。白黒とカラーの紙焼き写真がいま、僕の手のなかにある。ひとつは、つややかに光る学校の廊下で、小さな男の子がカメラのフラッシュにおびえて手をかざしているイメージ。もうひとつは、早朝の海岸通りで、満員の乗合バスの手すりにつかまるあの娘が、生暖かい風に白いシャツをはためかせながら、目線の先にブラウズする青い海。

オレンジ色の矢印は、光ることをやめない。いくつもの枝分かれする消失した河川のルートが、褐色の大地に書きこまれている、そのことの意味が明らかになるまで。僕はすべての大量輸送システムから切り離さた森のなかで、涼しい空気が充填された木々のあいだで、褐色の土壌に含まれた水分に、深く浸透していたい。この土地に初めてやってきた人々の足音を聞くまで、僕は。砂地に記された矢印の上にたつ。


住宅計画

  コントラ

[この街をいだく海流の下では、いくつもの金属片が、かさなりあって音をたてていた。その音は谷間を貫く巨大な高架の防音壁にあたり、また海に帰ってゆく。夕方、銀色に光る通勤電車が長いトンネルを抜けてこの街に着き、無人のプラットホームに停車する。白くかわいた新造住宅街の部屋の奥で、街の住人はもう何年も眠りつづけている]

男はもう10年も、午後の日がさす部屋で暮らしていた。夕方4時になると、団地のスクールバスの音で目を覚ます。ベッドから起き上がると彼はコンピュータの電源を入れる。ファンの音がやみ、黒いスクリーンに文字が入力されるのを見つめる。遠くの部屋でなにかが壁にあたる。コップの水面が少し揺れる。インターネット掲示板にはたくさんの書きこみがあった。男は頬をゆるめたり顔をしかめたりしながらキーボードを叩いている。紙パックのコーヒーを飲み終え、握りつぶすと午後5時だった。キーをポケットにいれ、階段をくだる。原付自転車が団地の平坦な区画を出て坂道をのぼってゆく。男はフルフェイスに風を受けながら、口のなかが乾いているのを感じていた。

街の南にある埠頭は風が強かった。フルフェイスを脱ぎ、岸壁の上に置いた。コンクリートの灰色が街と海のあいだに真っ直ぐな線をひいている。遠くで作業服の男たちがいくつものパーセルをコンテナに積みかえている。長方形のものから小さな円筒形まで、荷物にはたくさんの種類があった。水平線の、貨物船が停まっているあたりから、金属のぶつかり合う音が断続的に聞こえている。海の底では金属片が重なりあって音をたてているのだ、とむかし図書館で借りた本で読んだことがある。キーをまわして原付自転車を発進させる。カーブした坂の下の、薄く靄がかかったあたりに、新造団地の群が見えている。灰色がかったスクリーンのなかで、A号棟の丸い非常灯が赤い焦点をにじませている。

[街の南にある埠頭では、作業服の男たちがいくつものパーセルをコンテナに積みかえていった。ラベルは擦り切れていて読めなかったが、荷物の中身にはたくさんの種類があった。たとえば、両親の帰らない部屋で泣いている女の子の手に抱かれた人形。壊滅した首都の市場で水たまりに落ちたサンダルや、遠い砂漠の採油場で、鉄製の梯子を動いてゆく蟻のような人影。岸壁では金属片のかさなる音が潮をふくんだ空気をふるわせている]

男の家族がこの街に引っ越したとき、彼は幼稚園に入る年だった。白くまっさらな部屋にいくつものダンボールが運び込まれ、父は日なたのベランダでタバコを吸っている。窓の下には小さな時計塔がたっていて、そのむこうには同じ形の建物が海のようにどこまでもつづいていた。ある秋の夕方、母は不機嫌で、幼稚園のスクールバスを降りたあと、団地の部屋につくまで一言も口をきこうとしなかった。重いスチールの扉を閉めると、母は、粘りつくような視線で彼を見た。次の瞬間、買ったばかりの立体模型がキッチンテーブルの上からすべり落ち、灰色のビルディングや、ガソリンスタンドの看板がフローリングの床に飛び散っていた。彼の網膜にはいくつものカレイドスコープが増殖し、そのひとつひとつには綿密な住宅計画のパターンが転写されていた。

[団地の窓から見える時計塔が午後4時を指すと、スクールバスが到着して園児たちが母親と手をつなぎ、家に帰ってゆく。そのなかに30年前の男の姿があった。黄色い帽子をかぶり、母親の手をにぎりながらA号棟の暗いエントランスに吸いこまれてゆく。窓に灯が点ると、空が暗くなりはじめる。新造住宅地の日々は、油膜のはったアルミホイルやレンジでミルクが温まる匂いが、薄闇で目をとじる人々の呼吸を明け方までつつみこんでいる]

男はキーボードを叩いていた。掲示板を開いてメッセージが入力されるのを見つめる。口の渇きはとまらない。コップの水を口にふくむ。青い光を発するブラウン管。画面のあちこちに表示された住宅計画。メカニカルに増えてゆくフロアプランを遠くまで歩いた。A号棟からB号棟へ。同じ形の建物がつづく。男は街を見下ろす坂の上にいた。踏切、信号機、ガソリンスタンド。港湾、貨物船、コンテナ倉庫。街の上空には薄い雲がかぶさっている。その雲のしたでは、いくつもの透きとおった人影が蒸留されているのが見える。次の瞬間、男は午後の日が射す部屋にいた。右手に感触があり、見ると原付自転車の鍵をにぎっていた。顔をあげると、テーブルの上には旧式のデジタル時計がのっていて、時刻は午後4時を過ぎていた。

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パス:bungaku

『住宅計画』 2006/8


n.d.

  コントラ


クリーム色の廊下を歩いていた。クレンザーの匂いがする、つややかにひかるエナメルの、窓のしたに黒い制服が集まる、午後。溝の底を金属でさらう。飛行船が音も無く飛んでいる、空。2年生の色は黄緑で、目の細い彼は机を蹴飛ばし、小さなネジが幾つも飛び散った。ロッカーの鉄板はゆがんでいて、マーカーで印をつける。細い目。いくつもの細い目が僕を見ていた。教壇にはチョークの粉が飛び散っている。紅潮した頬。林檎のよう。窓ガラスがピリピリしている。忘れ物をした。空っぽの弁当箱。

ブレザーをこすった。肩に手を置く。髪の毛を引っ張る。廊下に集まる。ゴム製の靴底。ニスに濡れた黒い廊下、の奥に見える非常ベル。白い扉。角を曲がると、ポケットに手を突っ込んで、にやりと笑う。僕の前に立つ、意味は、なんなのだろう。ぼんやりと校庭を見ていた。マンガ雑誌の付録の、中学生の作文。水道がもれている。雑巾を絞る。踊り場の天井。斜めの校庭が見える。すれ違う。廊下が、すべる。クレンザーの匂い。教室の扉は開いていて、誰かがもたれている。笑い声。落ち着かない視線。

階段を上がると、壁際に立っている。女の子たち、が笑う、ガラスが揺れている、ドアは、真鍮のノブ、少し開いている、目の細い彼が近づき、長い足で僕を蹴った、とき、僕は、昨晩のおかずのことを考えていた。テーブルに並んだ、目玉焼きと、温野菜と、台所の向こうで仕度をする母と。かみ殺していた。すべて。子供部屋で、僕は、何も考えることができなかった。ただ、どうにか、そのお椀にもられた味噌汁を、こぼさないように。そう、母さんはいつも僕にそう言っていたっけ。手をはたいて、立ち上がる。目を合わせない。誰とも、目を合わさないで、僕は、生きていくんだ。きっと何年たっても、大人になっても。

だから僕は、船に乗るのか、乗らないのか、いつもすぐに考えなくちゃならなかった。荷物をまとめて、出発するのか、どうか、ということ。


日曜日の午後

  コントラ


「日曜日の午後」

終わらない日曜日の午後。夢のなかで僕は、草の生えたサイクリング
ロードを母に手をひかれて歩いている。用水路のかわいた側壁には、
雨水の流れた跡がいくつも残っていて、ときどきそれは、人のかたち
をしているようにも見える。午後2時。市役所のまえの広場では、人
類の平和を願うメモリアルが冬の太陽を浴びている。全国の子供たち
から贈られた、色とりどりの折り紙と、寄せ書きで埋まる色紙。子供
たちは歩いてゆく。チューリップの花壇のある道を、手をつないで。
真っ青な空を飛行船が横切る。ドーム屋根の下には涼しい風が吹いて
いて、日が差す天井には赤や黄色の紙風船がゆれている。

メモリアルには、次のような言葉が刻まれている。

『かつてこの土地では/足の長い男たちが投下した/爆弾によって/
多くの命が奪われた/森林や田園は消失し/風景はまっさらな空白に
還元された/それでも/わたしたちは/この空白を愛している/わた
したちは/自由であり/平和な未来を/願うのである』

「空白」

最近の新聞によれば、この街で命を絶とうとする子供たちは、冷えた
冬の夕暮れに造成地の段丘を歩き、葉を落とした木立が空にとどかず
に終わる空白の意味を、どこまでも追いかけようとした。死ぬことは、
本当に空白なのだろうか。たとえば、熱帯雨林の奥に埋もれたた仏教
寺院の、石柱や回廊のレリーフにきざまれた人や樹木の模様の密度が、
人々の生のありかたに端正な形式を与えてきたということ。それはあ
まりにもあいまいな昔のことで、彼らの想像力の一部は、閲覧が制限
されているために、いくつもの数列のむこうに徐々に姿をあらわして
くるクリアな対称を、見出すことができない。言いかえれば、小さな
紙片に「憎む」と書かれたことの意味は、その紙片が朽ちてゆくテー
ブルの上で存在しつづける時間よりもむしろ、投げかけられた一瞬の
微かなインパルスによって、彼らの歩く道の上に、どこまでも影を落
としつづける。

「施設」

いまでも意識のなかに残る、焦点が合うことのない、いくつかの地形
図。たとえば、僕は、子供のころから、クリーム色の建物がこわかっ
た。その建物はサイクリングロードから見える丘に建っていて、そば
を通るとき、僕はいつも母親のスカートの陰に隠れていた。それらは
「施設」であり、等高線のそばにバツ印で記入されている、枯れた
木立に囲まれた場所。建物のなかでは、矯正器具をあてがわれた身体
が真新しいシーツのうえに並べられている。こうして日曜日の午後が
何年もつづいたあと、これらの身体は紙粘土のように水分を失い、や
がて用水路のコンクリートにわずかな痕跡をのこしながら、息たえて
ゆくのだろうか。僕は、廊下のつきあたりの、淡いひかりがこぼれて
いるガラス戸をあけて、建物の裏の、草が生えた空き地に出た。赤や
黄色の花が咲く、チューリップの花壇には、今日も新しい盛土がつく
られていて、そこには子供たちの名前が書きこまれている。

「集合的記憶」

たとえば、瓦屋根の家々に囲まれた田園で人々が、1932年に植えたア
カシヤの木の、根もとに飾られたいくつもの短冊や遺影が象徴するも
の。この土地に初めてやってきた僕らの祖父母は、地平線から吹く風
が運んでくる柑橘類の匂いを、いくつもの樹木を植えて土壌に含ませ
ようとした。ある日、背の高い男たちがたくさんやってきて、この土
地に家を建て始めた。何年かすると、彼らはオレンジの樹木に囲まれ
た中庭で、椅子に座り、評議会を始めた。僕らの祖父母が、侵略者な
のか、英雄なのか。それは足の長い男たちによって、木の板に貼られ
た白黒写真とカラー写真の対比のもとに人々に告知され、説明はなさ
れなかった。日が昇ると、僕らの祖父母はリヤカーに荷物を積んでこ
の土地をあとにした。地平線に続く人々の列が、砂を這う蟻のように
小さくなり、見えなくなっても、あたりに吹く風には、まだ柑橘類の
匂いが残っていた。

「日曜日の午後」

日曜日の午後。洗濯ロープに白いシャツがゆれる路地を、走ってとお
りぬけた。風景が、ガラス瓶の底のように青みがかっているのは、僕
の身体が施設化される以前の記憶だからなのかもしれない。サ
イクリングロードは静まりかえっている。かつて施設をつくりあげた
何百という労働者たちと、足場の悪い土地に仮設された、アリの巣の
ような作業所の群は、それが完成すると同時にすがたを消し、いまは
コンクリートの遺構が、街のあちこちでかわいた日差しを浴びている。
乾いた広場に立つメモリアルはどんな意味においても、中心(Symbolic
Center) を表現しない。かわりにそれは、この街の地勢図を、自らの
内部にとりこんでいる。それは、偏在する施設の中央に建ち、放射状
に延びる通りのすべての方面に、絶えまない監視を行き渡らせている。


共有地/インターセクション

  コントラ


遠くなる
日差しをはじく
アルミ屋根の集落と
陥没したアスファルトの
水たまりに映る
草の根の

においを含んだ空気
錆びたバスは三車線のインターセクションに
横づけになり
ガードレールが雨に濡れている

共有地を背にしている
あの娘がくれた
ビーズの飾りと
飴玉の入った紙袋

フロントガラスが映す
熱帯の植生は
青ざめていて、深い

バスに乗ってあとにした
農道脇のターミナル
と、雑居ビルが交互配置する
首都の
三車線の
排水構を埋める
灰色の雨水と
とうもろこしの芯

記入された住所、たとえばある場所に
住んでいることは、輸送によって、液
状化され、かくはんされ、梱包された

ラベルの消えた炭酸水
を買い、手のひらに小さなコインを受けとる
よごれたブラウスの売り子が
俯いている
雨に濡れている
三車線のインターセクション

思い出すことは
いくつもの合流/分岐と
湿っぽい首都のコンクリート
輸送されることが
生の表質に
未分化の日程を
書きこむとすれば

朝は夜になり、夜は朝になり
タイル張りの床で
ハンモックに揺れらているあの娘は
ガラス窓の鉄格子に
星空が流れこみ
寝息をたてている
雑貨屋の二階、の薄闇

から、夜行バスで着いた、早朝の
インターセクションで
バスが横づけになった
三車線の
雨上がりの、朝

くもったガラスの外では
砂袋を担いだ
共有地の男女が
首都のあちこちに散らばる作業所へ
音もなく、移動している


US 40

  コントラ

街が途切れてだいぶたった。僕は暗闇なかを、ギアを4速にいれて走っていた。ふとなにか思うことがあって、対向車線の空き地に車をとめようと思い、ハンドルを左に切る。何をしたかったのかは、よく覚えていない。水を飲みたかったのか、地図をたしかめたかったのか。数秒とたたないうちに、車は深い雪のなかに傾いてとまり、車輪は空転した。ノブをひくと重みでドアが開き、雪にはまってとまる。真っ暗な2車線のハイウエイの、空き地の向こうに、2、3軒の民家があり、いちばんむこうの1軒には明かりが点いている。

ふらふらと、明かりの点いているポーチに近づく。ドアをノックしてしばらく待つと若い女性の声が少し待つように告げ、やがて背の低い黒人の男が現れた。彼は、僕の肩ごしに、20メートルばかり向こうに傾いてとまっている車に目をやる。物音ひとつしない、冷えてゆく平原の真ん中で、空には星がいくつも見える。そこは小さな木造りの家で、リビングルームに大きなスクリーンのテレビがあり、どうやら白人の女性と、黒人の男性の、おそらくはカップルしか住んでいないようだった。ロードサービス会社が、車を路面まで引き揚げるためのトラックでここまで来るのには40分くらいかかりそうだった。

天井に吊られた白熱球が淡いひかりを落としていた。女性は、ソファーに僕から少し離れて座り、紙箱のなかからいくつものアルバムを取りだしはじめ、「ユースケ」がここに来たのは、いつのことだったかしら、と男に聞いている。「これがユースケよ」といいながら僕の前に写真を差しだす。そこにはメガネをかけた二十歳前後の、痩せた日本人の青年が、照れ笑いとも苦笑いともつかない表情でピースサインをしている。「これはいつの写真?」と僕が聞くと、「たしか95年だったかな、もう10年も前だ」と男が言う。「カレッジにはいろんな国の留学生がいたよ。みんな1年くらい居たあと、すっかり帰ってしまったけどな」。顔にフットボールのチームカラーをペイントした青年たちや、深夜のパーティーでおどけた表情の女の子たち。いくつもの写真が、黒い厚紙に貼られ、白いマーカーでコメントが上書きされ、それらは、糊のあとがついたアルバムのなかに大事にしまわれていた。

やがて男の携帯電話のサインが青く光り、彼はドアを開けると、僕に合図する。空き地のむこうには青と赤のランプを点滅させたトラックが止まっており、作業服の男が車にワイヤーをくくりつけているところだった。暗がりをはさんで、男と作業員が書類にサインしているのが遠くから見える。「500ドル!」と男がにやにやしながら僕の背中をたたく。僕はなんだかぎこちなく御礼を言い、ロードサービス会社のメンバーシップについて、すこし言葉を交わしたあと、車をターンして、木造の家をあとにした。幹線道路には灯りひとつなく、黄色い反射板がヘッドライトに浮かび上ると、道が徐々にカーブして、僕が住んでいる大学街の灯が小高い丘の木々の合間から、ときおり見え隠れする。やがて車が街の郊外にはいると、僕は大型スーパーの駐車場に車を止め、ラップトップを立ちあげて、いま、この文章を書いている。大陸の中央部にあるこの街の外には、無人の平原地帯がどこまでも続いており、それは今さっき僕に起こった出来事も、彼らのアルバムにしまわれた記憶のひとつひとつも、暖かい暗闇のなかに飲みこんでしまうような気がしていた。


ヒューストン、テキサス、2008年

  コントラ



5年前に、この町の、植え込みがある曇り空の、小さな赤い花々が揺れる路地を、傾いて停止しているフォルクスワーゲンをファインダーの端にとらえながら、僕は、歩いていた。そこは雲につつまれた、ほんのひととき安息ができるような場所で、大都市の一角の、静かな街路樹の隙間にひらけた、小さな木造の家。僕はヘッドフォンで、コロンビア人のポップ歌手が歌う、甘いバラードを聴いていた。「この大陸には、草が生えていて、それは尽きることなく、大地を湿らせている」。ファインダーの隅っこの、道幅の広い植え込みの先のほうで、黒人の男がよれたシャツを着たまま角を曲がって消える。そして、スペイン人が、先住民が、アングロサクソンが、それに続く。僕は夢中になって路地の先を見つめている。街のあちこちの、道路わきの溝にはタールのような黒い液体がゆっくりと流れている。

ヒューストン。街の一角にあるエリート大学の図書館前は、ゴミひとつ落ちていない。この大学の人類学部には、名の知れた教授がおり、彼の本は何冊が僕のバックパックに入っていたが、彼の文章は鉄屑でも噛んでいるかのように読みにくく、いつも頭を痛くさせた。僕はその教授に会うのをあきらめて裏門から外に出た。裏門の石柱には蔦が絡まっており、それは湿り気を含んでいた。曇り空の、傾いたファインダーの端を、スケートボードに乗った少年が白いシャツをはためかせながら横切る。思い当たることがあった。彼の書いた本はいつもカバーがピカピカ光るオレンジや青で、それは新手の商売を予感させた。それらの本はこの大陸のあらゆる街の、大学の図書館に配布され、サンパウロでも、カラカスでも、ベリーズシティでも、きっと本棚を埋めていくに違いない。そのとき、誰かが気づくだろう。僕らはどこでも椅子に座らされ、本を読まされ、そしていつまでたっても読まされるだけなのだ、ということを。

湿気をふくんだ曇り空が僕は好きだった。それはこの街の半円の空をいつも満たしており、僕は傾きながら歩いていた。傾いていたのは、右手にたくさんの本を抱えていたこともあるけれど、かなり弱ってもいた。僕はしばらくのあいだ、逃避していた。理論などはどうでも良かった。しかし挨拶をするとなると問題だった。教授たちは部屋に閉じこもり、決して出てこようとはしなかった。かれらは4ヶ月に一度真ん中のホールに出てきて、僕らの研究発表を酒のつまみを品評するかのように聞いたあと、何気なく後ろから、「なかなか面白いね」などと突然声をかけて僕を驚かせた。僕は、ほんとうは、あなたたちと酒が飲みたかった。酒を飲んで、殴り合いをしたかった。だがそうは行かない。僕らはいつも行儀よく座らされ、本を読まされる。そしてその本は、世界中に分配されている、あの表紙がピカピカした本だった。5年前に、僕はヒューストンで、エリート大学のキャンパスを足が痛くなるまで歩き続けていたが、意外なことにそれらの本はすべてこの街を出払っているらしく、どこにも見つけることができなかった。

ヒューストン、2008年。街路樹の覆いかぶさった旧家では、酒を飲んだ男たちが階下のホールで、大声で怒鳴り合っている。入り口の公衆電話には国際電話用の、色とりどりの国旗のシールが貼ってあるが、もう長く使われていない。僕は5年前にこの公衆電話から、午前3時、ずいぶん会っていなかった友達に電話したことを思い出す。夜半、僕は外に出て、寝静まった3車線の住宅街を散歩する。オレンジのランプがどこまでも点しつづけ、僕はずっと前からこんな道ばかり歩きつづけていた気がしていたけれど、実はもうずいぶん前に、汗にまみれた住宅街で、視界の片隅に貼りついて消えない、黒い鉄の塊におびえていたのだということも知っていた。その鉄塊はいま溶けて液状化して、ヒューストンの町の、あちこちの排水溝をゆっくり流れていた。それはこの街に住む黒人たちの身体に繋がっているようにも見えたし、ショッピングセンターのきらびやかなネオンサインにも、目を凝らしてみると、そんな黒い灰塵の一粒一粒が、うっすらと含まれているような気もしていた。

* 発起人・選考委員による投稿 (選考対象外)


マナグア

  コントラ

6月の首都は厚ぼったい水蒸気のなかにしずんでいた。インターコンチネンタルプラザの最上階からは、社会主義時代の古びたビルの向こうに湖がかすんで見えるのだが、そこまでどうやっていくのかはわからなかった。今朝、夜行バスでターミナル近くの安宿に着き、昼過ぎまでシーツをかぶって眠っていた。微熱が続いており、体は水分を求めつづけている。2時間ほど眠ってはふらふらと街を歩き、再び疲れては眠る。今日一日はその繰り返しだった。朦朧とした意識のなかで地図を開く。錆びた下水管と蔦のからまった鉄条網で区切られた路地がどこまでも続く貧民街を、旧いアメリカ製のボンネットバスが縦横無尽に結んでいる。フロントガラスに書かれた行き先はどこも聞きなれない地名ばかりで、僕はガイドブックを見るのをやめ、バスに乗るのをあきらめた。

夕方、それでも少しは無理をして湖の方向へ向かって植込みのある道路を歩いてみる。片側二車線のアスファルトはところどころに穴があき、緑地帯はガラスの破片や投げ捨てられた空き缶で埋まっている。空には水蒸気を含む灰色の雲が結集し、雨の時間が近いことを知らせていた。道路が湖の手前で途切れる地点が見えてきたあたりに、公園への入り口があった。そこには同じ色のシャツを着た人々が幾人もあつまり、その向こうの教会前広場にはマーチングバンドが入場していくところだった。フェンスにもたれると、ちょうどとなりにいた男に話しかけてみる。「これから何がはじまるんですか」「旧革命政権の集会ですよ。もうすぐ大統領が出てきて演説するんです」。巨大な広告塔に描かれた大統領の顔に、解放戦線を率いた30年前の面影はなく、髪の薄くなったただの50がらみの男にすぎない。

そこを通り過ぎてなおもいくと、ペンキのはげたガードレールの向こうに湖が見えてきた。道路が湖岸に出るところは大きなロータリーになっており、その円周に沿っていくつかのレストランが並んでいる。スピーカーから巨大な音量でサルサ音楽がながれているが、テーブルに客の姿はない。そのロータリーを斜めに横切って歩く。雑草がところどころ顔をだしたコンクリートの階段を下りると、排気ガスで葉が萎れた木陰で中年のカップルが肩をよせあっている。なおも歩く。防波堤までくると三角形の電波塔が空に向かってまっすぐ立ち、それと同じ形の塔が湖岸に沿っていくつも立っている。不意に街宣車のスピーカーからかつて革命戦士の名をたたえる呼び声が聞こえてきた。ビバ・サンディーノ!。ビバ・サンディーノ!。その声はひどく間延びしていて、耳の奥で金属的に鳴り響いた。

翌日、警備員にガードされた首都のターミナルで、国際バスに乗る。カウンターの若い女性に日本のパスポートを差し出す。チケットはできれば現地通貨で購入したかったが、足りないので仕方なく米ドル札をだす。この国の通貨は米ドルに対しつねに下落を続けている。急な変動はないが、それは切り傷から流れ出た血がとまらないかのように、絶え間なく続いている。申し訳なさそうに彼女は、きっと国境で両替できますよ。と言うと、言い訳のように、日本大使館で日本語を教えているのを知っていますか、と言った。もっと気の利いた答えを返せばよかったものを、数日の微熱のせいで、僕はただ中身のないことを口ごもっただけだった。「首都に来ていらい風邪を引いてしまって、どこも見ていないのです」。彼女は再び申し訳なさそうに僕をみると、ニカラグア・コルドバの札束を僕の手に差し戻した。

* 発起人・選考委員による投稿 (選考対象外)

文学極道

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