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田中宏輔 - 2010年分

選出作品 (投稿日時順 / 全13作)

* 著作権は各著者に帰属します。無断転載禁止。


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔

 
 間違って、鳥の巣のなかで目を覚ますこともあった。間違って? あなたが間違うことはない。Ghost、あなたは間違わない。転位につぐ転位。さまざまな時間と場所と出来事のあいだを。結合につぐ結合。さまざまな時間と場所と出来事の。Ghost、あなたは仮定の存在である。にもかかわらず、わたしたちは、あなたがそばにいれば気がつく。あなたが近づいてくるときにも、あなたが離れていくときにも、わたしたちには、そのことがわかる。Ghostは足音をさせて近づいてくることがある。Ghostは足音をさせて離れていくことがある。Ghost、あなたは仮定の存在である。かつて詩人が、あなたについて、こういっていた。あなたは、わたしたちが眠っているときにも存在している。わたしたちの夢のなかにもいる。そうして、わたしたちの夢のなかで、さまざまな時間と場所と出来事を結びつけたり、ほどいたりしているのだ、と。Ghost、二つの夜が一つの夜となる。いくつもの夜が、ただ一つの夜となる。いくつもの情景が、ただ一つの情景となる。何人もの恋人たちの顔が、ただ一人の恋人の顔となる。結ばれては、ほどかれ、ほどかれては、結ばれる、いくつもの時間、いくつもの場所、いくつもの出来事。Ghost、あなたは、つねに十分に準備されたものの前にいる。あなたにとって、十分に準備されていないものなど、どのような時間のなかにも、どのような場所のなかにも、どのような出来事のなかにも存在しないからである。Ghost、あなたはけっして間違うことがない。わたしたちはつねに機会を逃す。あなたはあらゆる機会を的確に捉える。Ghost、わたしたちはためらう。あなたはためらわない。わたしたちは嘘をつく。あなたは嘘をつかない。Ghost、わたしたちは否定する。あなたは否定しない。わたしたちは拒絶する。あなたは拒絶しない。Ghost、わたしたちは、ゆがめてものを見る。あなたは、ゆがめてものを見ない。わたしたちは、何事にも値打ちをつける。あなたは、何事にも値打ちをつけない。しかし、Ghost、わたしたちは、わたしたち自身について考えることができる。たとえ、それが間違ったものであっても。あなたは、あなた自身について考えることができない。そもそも、考えるということ自体、あなたにはできないのだから。それにしても、Ghost、わたしたちが夢を見ているときのわたしたちとは、いったい、何ものなのだろうか。それは、目が覚めているときのわたしたちと同じわたしたちなのだろうか。わたしたちは夢と同じものでできているという。何かあるものが、夢になったり、わたしたちになったりするということなのであろうか。しかし、Ghost、あなたは夢ではない。あなたは夢をつくりだすものである。夢を見ているわたしたちと、あなたが結びつけるものとは、同じものからできているのだが、あなたは、その同じものからできているのではないからだ。Ghost、あなたは夢ではない。夢をつくりだすものなのだ。ときに、あなたが結びつけるものが、わたしたちを驚かすことがある。べつに、あなたは、わたしたちを驚かそうとしたわけではない。ただ結びつこうとするものたちを結びつかせただけなのだ。Ghost、ときに、あなたに結びつけられたものが、わたしたちに、わたしたちが見なかったものを見させることがある。わたしたちに、わたしたちが感じなかったことを感じさせることがある。それは、あなたが片時も眠らず起きていて、ずっと、目を見開いているからだ。Ghost、ときに、あなたが結びつけたものに対して、不可解な印象を、わたしたちが持つことがある。そういったものの印象は、結びつけられたものとともに、しばしばすぐに忘れられる。わたしたちには思い出すことができない。あなたは、すべてのことを思い出すことができる。結びつけられるすべての時間と場所と出来事を、それらのものが醸し出すすべての些細な印象までをも。おそらく、わたしたちは、あなたが結びつけた時間や場所や出来事でいっぱいなのだろう。そのうち、どれだけのものをわたしたちが記憶しているのかはわからない。Ghost、あなたが、わたしたちの夢のなかで見せてくれるものが、いくら不可解なものであっても、それはきっと、わたしたちにとって必要なものなのだろう。しかし、どのような結びつきも、あなたにとっては意味のあるものではないのであろう。Ghost、ときおり、あなたのほうが実在の存在で、わたしたちのほうが仮定の存在ではないのかと思わせられる。ときに、わたしたちは、あなたに問いかける。しかし、あなたは、わたしたちに答えない。わたしたちは、わたしたちの問いかけに、みずから答えるしかないのだ。あなたは、わたしたちに問いかけない。そもそも、あなたは問いかけでもなければ、答えでもないからだ。しいていえば、問いかけと答えのあいだに架け渡された橋のようなものだ。Ghostは目ではあるが口ではない。見ることはできるが、しゃべることができない。あなたは、わたしたちの魂の目に、あなたが結んだ時間や場所や出来事を見せてくれるだけだ。Ghost、あなたにとって、あらゆる時間と場所と出来事は素材である。わたしたちには思い出せないことがある。あなたには思い出せないことがない。Ghost、あなたは言葉ではない。しかし、言葉と似ている。言葉というものは、名詞や動詞や形容詞といったものに分類されているが、これらは身長と体重と体温といったもののように、まったく異なるものである。一つのビルディングが建築資材や設計図や施工手順といったものからできているように、Ghostによって、さまざまな時間と場所と出来事が結びつけられる。わたしたちのなかには、わたしたち自身がけっして覗き見ることのできない深い深い深淵がある。あなたは、その深淵のなかからやってきたのであろう。Ghost、詩人は、あなたのことを、あなたがたとはいわなかった。たとえ、たくさんのあなたがいるとしても、結局、それはただ一人のあなただからだ。あらゆる集合の部分集合である空集合φが、ただ一つの空集合φであるように。そうだ、あなたは、あらゆる時間と空間と出来事の背後にいて、あるいは、そのすぐそば、その傍らにいて、それらを結びつけるのだ。既知→未知→既知→未知、あるいは、未知→既知→未知→既知の、出自の異なる別々の連鎖が、いつの間にか一つの輪になってループする。この矢印が自我であろうか。言葉から言葉へと推移するこの矢印。概念から概念へと推移するこの矢印。Ghostは、詩人によって、自我と対比させて考え出された仮定の存在である。わたしたちの身体は、同時にさまざまな場所に存在することができない。あなたは、同時にさまざまな場所に存在することができる。ここだけではなく、他のいかなる場所にも同時に存在することができる。Ghost、わたしたちの身体は、現在というただ一つの時間に拘束されている。あなたは、いくつもの時間に同時に存在することができる。あなたはさまざまな時間や場所や出来事を瞬時に結びつける。それとも、Ghost、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのこと自体が、あなた自身のことなのであろうか、それとも、さまざまな時間や場所や出来事が瞬時に結びつくということ、そのことが、あなたというものを存在させているということなのであろうか。image after image。結ぼれ。結ぼれがつくられること。夢の一部が現実となり、現実の一部が夢となる。真実の一部が虚偽となり、虚偽の一部が真実となるように。Ghost、いつの日か、夢のすべてが現実となることはないのであろうか。いつの日か、現実のすべてが夢となることはないのであろうか。一度存在したものは、いつまでも存在する。いつまでも存在する。ときに、わたしたちは、わたしたちの喜びのために、わたしたちの悲しみのために、何事かをするということがある。あなたは、あるもののために、何事かをするということがない。いっさいない。あなたは、ただ時間と場所と出来事を結びつけるだけだ。それが、あなたのできることのすべてだからだ。Ghost、わたしたちは驚くこともあれば、喜ぶこともある。そして、わたしたちが驚くのも、わたしたちが喜ぶのも、すべて、あなたがつくった結ぼれを通してのことなのだが、あなたは、驚くこともなければ、喜ぶこともない。いっさいないのだ。しかし、Ghost、わたしたちの驚きが大きければ大きいほど、わたしたちの喜びが大きければ大きいほど、わたしたちは、わたしたちがあなたに似たものになるような気がするのだ。なぜなら、わたしたちには、ときによって、あなたが、まるで、驚きそのものであるかのように、喜びそのものであるかのように思われるからである。Ghost、間違って、鳥の巣のなかで眠ることもあった。間違って? あなたが間違うことはない。眠ることもない。けっして、けっして。


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔



 そこに行けば、また詩人に会えるだろう。そう思って、葵公園に向かった。魂にとって真実なものは、滅びることがない。葵公園は、賀茂川と高野川が合流して鴨川になるところに、その河原の河川敷から幅の狭い細長い道路を一つ挟んであった。下鴨本通りと北大路通りの交差点近くにあるぼくの部屋から、その公園に行くには、二通りの行き方があった。北大路通りを西に向かって上賀茂橋まで行き、そこから川沿いに河川敷の砂利道を下って行く行き方と、下鴨本通りを南に向かって普通の歩道を歩いて行く行き方である。
 途中、下鴨本通りにあるコンビニに寄って、マールボロのメンソール・ボックス一箱と、コーヒー缶を一つ買った。公園に着いたときにも、陽はまだ落ち切ってはいなかった。しかし、公衆便所の輪郭や、潅木の茂みの形は、すでにぼんやりとしたものになっていた。飲み終わったコーヒー缶をクズかごに入れ、便所の前にあるベンチに腰かけると、タバコに火をつけて、ひとが来るのを待った。詩人を待っているのではなかった。詩人が現われるとしても、それはすっかり夜になってしまってからであった。タバコをつづけて喫っているうちに、便所に明かりが灯った。時間がくると、自動的に電灯がつくのであった。だれも来なかった。
 詩人がいつもいたところに行くことにした。詩人はよく、少し上手の河川敷に並べられたベンチの一つに坐っていた。ぼくは、道路を渡って河川敷に向かって下りていった。潅木の生い茂る狭い道を通って石段を下りると、茂った枝葉を覆うようにして張られていた蜘蛛の巣が、顔や腕にくっついた。手でとってこすり合わせ、小さなかたまりにして、横に投げ捨てた。砂利道に下りると、ちらほらと人影があった。腰をおろして川のほうを向いているひとが一人。ぼくより、十歩ほど先にいる、ぼくと同じように、川下から川上に向かって歩いているひとが一人。ぼくとは反対に、川上から川下に向かって歩いてくるひとが一人。その一人の男と目が合った。ぼくたちは値踏みし合った。彼は、ぼくのタイプじゃなかったし、ぼくも、彼のタイプじゃなかった。彼がまだ視界のなかにいるときに、ぼくは視線を、彼のいないところに向けた。彼の方は、すれ違いざまに、ぼくから顔を背けた。ぼくは、目の端にそれを捉えて、あらためて、ぼくたちのことを考えた。ぼくたちは、ただ本能のままに自分たちの愛する対象を選んでいるだけなのだと。ウミガメの子どもたち。つぎつぎと砂のなかから這い出てくる。ウミガメの子どもたち。目も見えないのに、海を目指して。ウミガメの子どもたち。おもちゃのようにかわいらしい、ぎこちない動き方をして。ウミガメの子どもたち。なぜ、卵から孵るのだろう。そのまま生まれてこなければいいのに。ウミガメの子どもたち。詩人の詩に、ウミガメが出てくるものがいくつかあった。以前に、ウミガメが産卵するシーンをテレビで見たことがあって、それを詩人に話したら、詩人がウミガメをモチーフにしたものをいくつか書いたのであった。河川敷に敷かれた丸い石の影が、砂利道の上にポコポコと浮かび出た無数の丸い石の影が、ぼくにウミガメの子どもたちの姿を思い起こさせたのだろう。そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に、詩人がいつも坐っていたベンチのところに辿り着いた。ベンチは、少し離れたところに、もう一つあったのだが、そちらのベンチの方には、だれも坐らなかった。坐った瞬間、ひとが消えるという話だった。じっさい、何人か試してみて、すっと消え去るのを目撃されているのだという。川辺の風景が、流れる川の水の上に映っている。流れる川の水が、川辺の風景の上に映っている。もしかすると、流れる川の水の上の風景の方が実在で、川辺の風景の方が幻かもしれなかった。
 月の夜だった。満月のきらめきが、川面の流れる水の上で揺らめいている。よく見ると、水鳥が一羽、目の前の川の真ん中辺りの、堆積した土砂とそこに生えた水草のそばで、川面に映った月の光や星の光をくちばしの先でつついていた。その水鳥のそばの水草の間から、もう一羽、水鳥がくちばしをつつきながら姿を現わした。二羽の水鳥は、寄り添いながら川面に映った光をつついていた。しかし、水鳥たちは知っている。ぼくたちと同じだ。いくら孤独が孤独と身をすり寄せ合っても、孤独でなくなるわけではないということを。どれほど孤独と孤独がいっしょにいても、ただ同じ孤独を共有し、交換し合うだけなのだと。どれだけ孤独が集まっても孤独でなくなるわけではないということを。ゼロがどれだけ集まってもゼロであるように。
 水鳥が川面のきらめきに何を語っているのか知っているのは、ぼくだけだ。水鳥は、川面に反射する月のきらめきや星のきらめきに向かって、人間の歴史や人間の秘密を語っているのだった。それにしても、繰り返しはげしくくちばしを突き入れている水鳥たち。まるで月の輝きと星の輝きを集めて、早く朝を来させるために太陽をつくりだそうとしているかのようだ。たしかに、そうだ。川面に反射した月明かりや星明りが集まって、一つの太陽となるのだ。あの便所の光や、ぼくのタバコの先の火の色や、川面に反射した、川沿いの家々の軒明かりや、窓々から漏れ出る電灯の光が集まって、一つの太陽となるのだ。しかし、それは別の話。人間のことはすべて知っているのに、ぼくのことだけは知らない水鳥たちが、川の水を曲げている。ぼくのなかに曲がった水が満ちていく。夜はさまざまなものをつくりだす。もともと、すべてのものが夜からつくられたものだった。
 事物から事物へと目を移すたびに、魂は事物の持つ特性に彩られる。事物自体も他の事物の特性に彩られながら、ぼくの魂のなかに永遠に存在しようとして侵入してくる。一人の人間、一つの事物、一つの出来事、一つの言葉そのものが、一つの深淵である。そして、ぼくの承認を待つまでもなく、それらの人間や事物たちは、やすやすと、ぼくの魂のなかに侵入し、ぼくの魂のなかで、たしかな存在となる。ときどき、それらの存在こそがたしかなもので、自分などどこにも存在していないのではないか、などと思ってしまう。薬のせいだろうか。いや、違う。ぼくが錯乱しているのではない。現実の方が錯乱しているのだ。どうやら、ぼくの思いつくことや、思い描いたりすることが、詩人の書いた詩やメモに、かなり影響されてきたようだ。詩人がこの世界から姿を消す前に、ぼくの名前で発表させていたいくつもの詩が、ぼくを縛りつけている。詩人と会ってしばらくしてからのことだ。いつものように、ぼくの体験したことや、思いついたことを詩人に話していると、詩人が、ぼくのことを詩にしようと言い出したのである。それが「陽の埋葬」だった。それは、ぼくの体験をもとに、詩人がつくり上げたものだった。ぼくはけっして、ぼく自身になったことがなかった。ぼくはいつも他人になってばかりいた。詩人はそれを見通して、ぼくに対して、もうひとりのわたしよ、と呼びかけていたのだろう。詩人も、ぼくと同じ体質であった。ぼくと詩人が出会ったのは偶然の出来事だったのだろうか。おそらく、偶然の出来事だったのだろう。あらゆることが人を変える。あらゆることが意味を変える。その変化からまぬがれることはできない。出来事がぼくを変える。出来事がぼくをつくる。ぼくというのも、一つの出来事だ。ぼくが偶然を避けても、偶然は、ぼくのことを避けてはくれない。
 一つの偶然が、川下からこちらに向かってやってきた。


THE GATES OF DELIRIUM。

  田中宏輔



 世界は、ただ一枚の絵だけ残して滅んだという。いったい、だれの描いた、どの絵として残ったのであろうか? あるいは、世界自身が、世界というもの、それ自体が、ただ一枚の絵になってしまったとでもいうのであろうか? それは、わからない。詩人の遺したメモには、それについては、なにも書かれていなかったのである。しかし、それにしても、なぜ、写真ではなかったのであろうか? 人物であっても、あるいは、風景であっても、なぜ、写真ではなく、絵でなければならなかったのであろうか?
 詩人は、絵を見つめていた。しかし、彼は、ほんとうに絵を見つめていたのであろうか? 詩人の生前のことだが、あるとき、詩人が、一冊の本の表紙絵をじっと見つめているときに、わたしが、「女性の頭のところに、死に神がいますね。」といったことがあった。わたしは、その死に神について、詩人が、なにか、しゃべってくれるのではないかと思ったのである。しかし、期待は裏切られた。詩人は、「えっ、なになに?」といって、真顔で、わたしに尋ね返してきたのである。そこで、わたしが、もう一度、同じ言葉を口にすると、詩人は、「ああ、ほんとうだ。」といって、笑いながら、しきりに感心していたのである。わたしには不思議だった。その絵を見て、女性の頭のところにいる死に神の姿に気がつかないことがあるとは、とうてい思えなかったからである。なぜなら、その絵のなかには、その死に神の姿以外に、女性のまわりにあるものなど、なに一つなかったからである。詩人は、いったい、絵のどこを見つめていたのであろうか? 絵のなかのどこを? どこを? いや、なにを? であろうか? 
 その本のタイトルは、『いまひとたびの生』というもので、詩人が高校生のときに夢中になって読んでいたSF小説のうちの一冊であった。作者のロバート・シルヴァーバーグは、ひじょうに多作な作家ではあるが、生前の詩人の言葉によると、翻訳された作品は、どれも質が高く、つまらない作品は一つもなかったという。ところで、『いまひとたびの生』という作品は、未来の地球が舞台で、そこでは、人間の人格や記憶を、他の人間の脳の内部で甦らせることができるという設定なのだが、論理的に考えると、矛盾するところがいくつかある。小説として面白くするために、作者があえてそうしていると思われるのだが、宿主の人格と、それに寄生する人格との間に、人格の融合という現象があるのに、それぞれの記憶の間には、融合という現象が起こらないのである。しかも、宿主の人間の方は一人でも、寄生する人間の方は一人とは限らず、二人や三人といったこともあり、それらの複数の人格が、宿主の人格と寄生している人格の間でのみならず、寄生している人格同士の間でも、それぞれ相互に他の人格の記憶を、いつでも即座に参照することができるのである。これは、複数の人間の記憶を、それらを互いに矛盾させることなく、一人の人間の記憶として容易に再構成させることができないからでもあろうし、また、物語を読者に面白く読ませる必要があって施された処置でもあろうけれども、しかし、もっとも論理的ではないと思われるところは、宿主となっている人間の内面の声と、寄生している人間の内面の声が、宿主のただ一つの心のなかで問答することができるというところである。まるで複数の人間が、ふつうに会話するような感じで、である。この手法は、ロバート・A・ハインラインの『悪徳なんかこわくない』で、もっとも成功していると思われるのだが、たしかに、物語を面白くさせる手法ではある。また、このヴァリエーションの一つに、シオドア・スタージョンの『障壁』というのがある。これは、一人の人間のある時期までの人格や記憶を装置化し、それを用いて、その人格や記憶の持ち主と会話させる、というものである。これを少しくは、ある意味で、自己との対話といったところのものともいえるかもしれないが、しかし、これを、まったきものとしての、一人の人間の内面における自己との対話とは、けっしていうことはできないであろう。話を『いまひとたびの生』に戻そう。この物語では出てこない設定が一つある。生前の詩人がいっていたのだが、もしも、自分の人格や記憶を自分の脳の内部で甦らせればどうなるのか、というものである。はっきりした記憶は、よりはっきりするかもしれない。その可能性は大きい。しかし、あいまいな記憶が、どうなるのか、といったことはわからない。その記憶があいまいな原因が、なにか、わからないからである。思い出したくないことが、思い出されて仕方がない、ということも、あるのかどうか、わからない。意思と記憶との間の関係が、いまひとつ、はっきりわからないからである。人間というものは、覚えていたいことを忘れてしまったり、忘れてしまいたいことを覚えていたりするのだから。しかし、『いまひとたびの生』の設定に従えば、一人の人間の内面で、一人の人間の心のなかで、自己との対話が、より明瞭に、より滞りなくできるようになるのではないだろうか? 感情の増幅に関しては、それをコントロールする悟性の強化に期待することができるであろう。わたしには、そう思えなかったのであるが、詩人はそのようなことをいっていた。
 世界は、ただ一枚の絵だけ残して滅んだという。いったい、だれの描いた、どの絵として残ったのであろうか? あるいは、世界自身が、世界というもの、それ自体が、ただ一枚の絵になってしまったとでもいうのであろうか? それは、わからない。いや、しかし、それは、もしかしたら、詩人の肖像画だったのかもしれない。しかし、現実には、詩人の肖像画などは、存在しない。それどころか、写真でさえ、ただの一枚も残されてはいないのである。ところで、もし、詩人の肖像画が存在していたとしたら? きっと、その瞳には、世界のありとあらゆる光景が絶え間なく映し出されているのであろう。きっと、その耳のなかでは、世界のありとあらゆる音が途切れることなく響き渡っているのであろう。あらゆるすべての光景であるところの詩人の瞳に、あらゆるすべての音であるところの詩人の耳に。ただ一枚の肖像画であるのにもかかわらず、実在するすべての肖像画であるところの、ただ一枚の肖像画! 世界が詩人を笑わせた。世界が詩人とともに笑った。世界が詩人を泣かせた。世界が詩人とともに泣いた。世界が詩人を楽しませた。世界が詩人とともに楽しんだ。世界が詩人を嘆かせた。世界が詩人とともに嘆いた。
 そうして、世界は、ただ一枚の絵だけ残して滅んだのかもしれない。


百行詩

  田中宏輔



一行目が二行目ならば二行目は一行目ではないこれは偽である

二行目が一行目ならば一行目は二行目であるこれは真である

三行目が一行目ならば二行目は二行目であるこれは偽である

四行目を平行移動させると一行目にも二行目にも三行目にもできる

五行目は振動する



六行目が七行目に等しいことを証明せよ

七行目が八行目に等しくないことを証明せよ

八行目が七行目に等しくないことを用いて六行目が七行目に等しくないことを証明せよ

九行目が無数に存在するならば他のすべての行を合わせて一つの行にすることができるこれは真か偽か                   

十行目は治療が必要である



十一行目がわかれば十二行目がわかる

十二行目がわかっても十一行目はわからない

十三行目は十四行目を意味する

十四行目は読み終えるとつぎの行が十一行目にくる

十五行目はときどきほかの行のフリをする



十六行目は二通りに書くことができる

十七行目はただ一通りに書くことができる

十八行目は何通りにでも書くことができる

十九行目は書くことができない

二十行目は自分の位置をほかの行にとってかわられないかと思ってつねにビクビクしている



二十一行目は二十二行目とイデオロギー的に対立している

二十二行目は二十三行目と同盟を結んでいる

二十三行目は二十二行目と断絶している

二十四行目は二十一行目も二十二行目も二十三行目も理解できない

二十五行目は二十四行目とともに二十二行目と二十三行目に待ちぼうけをくわせられている



二十六行目は二十七行目と目が合って一目ぼれした

二十七行目は二十八行目が二十六行目に恋をしていることに嫉妬している

二十八行目は二十七行目に傷つけられたことがある

二十九行目は二十八行目とむかし結婚していた

読むたびに三十行目がため息をつく



読むたびに三十一行目と三十行目が入れ替わる

三十二行目は三十三行目の医者である

三十三行目は三十二行目の患者である

三十四行目は三十五行目の入っている病院である

三十五行目は三十一行目の行方を追っている



三十六行目は出来損ないである

三十七行目はでたらめである

三十八行目は面白くない

三十九行目は申し訳ない

四十行目は容赦ない



四十一行目は四十二行目と違っていて異なっている

四十二行目は四十三行目と違っているが異なっていない

四十三行目は四十四行目と違っていないが異なっている

四十四行目は四十五行目と違っていないし異なってもいない

四十五行目はほかのすべての行と同じである



四十六行目は四十七行目とよく連れ立って散歩する

四十七行目は四十八行目ともよく連れ立って散歩するが

四十八行目はときどきもどってこないことがある

四十九行目は五十行目と散歩するときは寄り添いたいと思っているが

五十行目はそんなそぶりを微塵も出させない雰囲気をかもしている



五十一行目は慈悲心を起こさせる

五十二行目も同情心をかきたてる

五十三行目は寒気を起こさせる

五十四行目は殺意を抱かせる

五十五行目は読み手を蹴り上げる



五十六行目は五十七行目のリフレインで

五十七行目は五十八行目のリフレインで

五十八行目は五十九行目のリフレインで

五十九行目は六十行目のリフレインで

六十行目は五十六行目のリフレインである



六十一行目は朗読の際に読まないこと

六十二行目は朗読の際に机をたたくこと

六十三行目は首の骨が折れるまで曲げること

六十四行目はあきらめること

六十五行目はたたること



六十六行目は揮発性である

六十七行目は目を落とした瞬間に蒸発する

六十八行目ははずして考えること

六十九行目のことは六十九行目にまかせよ

七十行目は他の行とは分けて考えること



七十一行目は正常に異常だった

七十二行目は異常に正常だった

七十三行目は正常よりの異常だった

七十四行目は正常でも異常でもなかった

七十五行目は異常に正常に異常だった



七十六行目は七十八行目を思い出せないと言っていた

七十七行目は七十七行目のことしか知らなかった

七十八行目はときどき七十六行目のことを思い出していた

七十九行目は八十行目のクローンである

八十行目は七十九行目のクローンである



八十一行目は八十二行目から生まれた

八十二行目が存在する確率は八十三行目が存在する確率に等しい

八十三行目が八十二行目とともに八十四行目をささえている

八十四行目は子沢山である

八十五行目は気は弱いくせにいけずである



八十六行目は八十七行目とよく似ていてそっくり同じである

八十七行目は八十八行目にあまり似ていないがそっくり同じである

八十八行目は八十九行目とよく似ているがそっくり同じではない

八十九行目は九十行目とまったく似ていないがそっくり同じである

九十行目は八十六行目に似ていないか同じかのどちらかである



九十一行目はおびえている

九十二行目はつねに神経が張りつめている

九十三行目は睡眠薬がないと眠れない

九十四行目は神経科の医院で四時間待たされる

九十五行目はときどききれる



九十六行目はここまでくるまでいったい何人のひとが読んでくれているのかと気にかかり

九十七行目はどうせこんな詩は読んでもらえないんじゃないのとふてくされ

九十八行目は作者にだって理解できていないんだしだれも理解できないよと言い

九十九行目はどうせあと一行なんだからどうだったっていいんじゃないと言い

百行目はほんとだねと言ってうなずいた


LA LA MEANS I LOVE YOU。

  田中宏輔



●マドル●マドラー●マドラスト●子供たちは●頭をマドラーのようにぐるぐる回している●マドラーは●肩の上でぐるぐる回っている●ぐちゃぐちゃと●血と肉と骨をこねくりまわしている●そうして●子供たちは●真っ赤な金魚たちを●首と肩の隙間から●びちゃびちゃと床の上に落としている●子供たちの足がぐちゃぐちゃと踏みつぶした●子供たちの真っ赤な金魚たちの肉片を●病室の窓の外から●ぼくの目が見つめている●学生時代に●三条河原町に●ビッグ・ボーイ●という名前のジャズ喫茶があった●ぼくは毎日のように通っていた●だいたい●いつも●ホットコーヒーを飲んでいた●そのホットコーヒーの入っていたコーヒーカップは●普通の喫茶店で出すホットコーヒーの量の3倍くらいの量のホットコーヒーが入るものだったから●とても大きくて重たかった●その白くて重たい大きなコーヒーカップでホットコーヒーを飲みながら●いつものように●友だちの退屈な話を聞いていた●突然●ぼくの身体が立ち上がり●ぼくの手といっしょに●その白くて重たい大きなコーヒーカップが●友だちの頭の上に振り下ろされた●友だちの頭が割れて●血まみれのぼくは病院に連れて行かれた●べつにだれでもよかったのだけれど●って言うと●看護婦に頬をぶたれた●窓の外からぼくの目は●首から上のないぼくの身体が病室のベッドの上で本を読んでいるのを見つめていた●ぼくは●本の間に身を潜ませていた神の姿をさがしていた●いったい●自我はどこにあるのだろうか●ページをめくる指の先に自我があると考える●いや●違う●違うな●右の手の人差し指の先にあるに違いない●単に●普段の●普通の●あるがままの●右の手の人差し指の先にあると考える●ママは●人のことを指で差してはだめよ●って言っていた●と●右の手の人差し指の先が記憶をたぐる●でもさあ●人のことを差すから人差し指って言うんじゃんかよ●って●右の手の人差し指の先は考える●自我は互いに直交する4本の直線でできている●1本の直線からでもなく●互いに直交する2本の直線からでもなく●1点において互いに直交する3本の直線からでもなく●1点において互いに直交する4本の直線からできている●と●右の手の人差し指の先が考える●ぼくの目は●窓の外から●それを見ようとして●ぐるぐる回る●病室のなかで●4本の直線がぐるぐる回る●右の手の人差し指以外のぼくの指がばらばらにちぎれる●子供たちの首と肩の隙間から●真っ赤な金魚たちがびちゃびちゃあふれ出る●子供たちは●頭をマドラーのようにぐるぐる回している●マドラーは●肩の上でぐるぐる回っている●ぐちゃぐちゃと●血と肉と骨をこねくりまわしている●そうして●子供たちは●真っ赤な金魚たちを●首と肩の隙間から●びちゃびちゃと床の上に落としている●それでよい●と●右の手の人差し指の先は考えている●45ページと46ページの間に身を潜ませていた神もまた●それでよい●と●考えている●ああ●どうか●世界中の不幸という不幸が●ぼくの右の手の人差し指の先に集まりますように!


メシアふたたび。

  田中宏輔




つい、さきほどまで

天国と地獄が

綱引きしてましたのよ。

でも

結局のところ

天国側の負けでしたわ。

だって

あの力自慢のサムソンさまが

アダムさまや、アベルさま、それに、ノアさまや、モーゼさまたちとごいっしょに

辺獄の方まで観光旅行に行ってらっしゃったのですもの。

みなさん、ご自分方がいらしたところが懐かしかったのでしょう。

どなたも、とっても嬉しそうなお顔をなさって出かけられましたもの。

あの方たちがいらっしゃらなかったことが

天国側には完全に不利でしたわ。

それに、もともと筋肉的な力を誇ってらっしゃる方たちは

どちらかといえば

天国よりも地獄の方に

たくさんいらっしゃったようですし……。

まあ、そう考えますと

はじめから天国側に勝ち目はなかったと言えましょう。

地上で活躍なさってる、テレビや雑誌で有名な力持ちのヒーローの方たちは

その不滅の存在性ゆえに

最初から、天国とは無関係なのですもの。

何の足しにもなりません。

そして、これが肝心かなめ。

何といっても、人間の数が圧倒的に違うのですもの。

いえね

べつに、ペテロさまが意地悪をされて

扉の鍵を開けられないってわけじゃないんですよ。

じっさいのところ

天国の門は、いつだって開いているんですから。

ほんとうに

いつだって開いているんですよ。

だって、いつだったかしら。

アベルさまが、ペテロさまからその鍵を預かられて

かつて、カインに埋められた野原で散歩しておられるときに失くされて

もちろん

ペテロさまは、アベルさまとごいっしょに捜しまわられましたわ。

でも、いっこうに見当らず

とうとう出てこなかったらしいんですのよ。

まえに、アベルさまには言っておいたのですけどね。

お着物をかえられたらって。

だって、あの粗末なお着物ったら

イエスさまが地上におられたときに着てらっしゃった

亜麻の巻布ほどにもみすぼらしくって

まともに見られたものではなかったのですもの。

ですから

懐に入れておいた鍵を落とされたってことを耳にしても

ぜんぜん、不思議に思わなかったのです。

ペテロさまは、イエスさまに内緒で

(といっても、イエスさまはじめ天国じゅうのものがみな知っていたのですけれども)

合鍵をつくられたのです。

しかし、これがまた鍛冶屋がへたでへたで

(だって、ヘパイストスって、天国にはいないのですもの)

ペテロさまが、その鍵を使われて

天国の門の錠前に差し込んでまわされると

根元の方で、ポキリってことになりましたの。



それ以来

天国の門は開きっぱなしになっているのです。

ああ、でも、心配なさらないで。

天国にまでたどり着くことができるのは善人だけ。

それに、ペテロさまがしっかり見張ってらっしゃいましたわ。

ある日、ウルトラマンとかと呼ばれる異星の方が

ご自分の星と間違われて

こちらにいらっしゃったとき

その大きなお顔を、むりやり扉に挟んで

その扉の上下についた蝶番をはずしてしまわれたのです。



その壊れた蝶番と蝶番のあいだから

ペテロさまは

毎日、毎日、見張ってらっしゃいましたわ。

さすがに

さきほどは、綱引きに参加しに行かれましたけれどもね。

毎日、しっかりと見張ってらっしゃいましたわ。

ほんとうに

これまで一度だって

悪いひとが天国に入ってきたっていう話は聞きませんものね。

まっ

それも当然かしら。

だって、鍵を失くされてからは

ひとりだって、天国にやってこなかったのですもの。

そうそう

そういえば

何度も、何度も

門のところまでやってきては

追い返されていたひとがいましたわ。

まるで、ユダの砂漠の盗賊のような格好をした

アラシ・カンジュローとかという老人が

自分は、クラマテングとかという

正義の味方であると

喉をつまらせ、つまらせ

よく叫んでいましたわ。

ペテロさまがおっしゃったとおり

あの黒い衣装を脱いで、覆面をとれば

天国に入ることができたかもしれませんのに。

意固地な老人でしたわ。

それがまた、可笑しかったのですけれど。

まあ、ずいぶんと脱線したみたい。

羊の話に戻りましょう。



どうして

天国と地獄が綱引きをすることになったのかってこと

話さなくてはいけませんわね。

それは

わたしが退屈していたからなのです。

いえいえ

もっと正確に言わなくては。

それは

わたしが、ここ千年以上ものあいだ

イエス・キリストさまに無視されつづけてきたから

ずっと、ずっと、無視されつづけてきたからなのです。

もちろん

イエスさまは、わたしが天国に召されたとき

それは、それは、たいそうお喜びになって

わたしの手をお取りになって

イエスさまに向かって膝を折って跪いておりましたわたしをお立たせになられて

祝福なさいましたわ。

イエスさまは

あのゴルゴタの丘で磔になられる前に

上質の外套を身にまとわれ

終始、慈愛に満ちた笑みをそのお顔に浮かべられ

わたしの手をひかれて

わたしより先に天国に召されていたヤコブさまや

その弟のヨハネさまがおられるところに連れて行ってくださって

わたしに会わせてくださいました。

天国でも、イエスさまは地上におられたときのように

そのおふたりのことを

よく「雷の子よ」と呼んでいらっしゃいましたわ。

そして、イエスさまがいちばん信頼なさっておられたペテロさまや

その弟のアンデレさまに、またバルトロマイさまや

フィリポさま

それと、あの嫉妬深く、疑い深いトマスさまや

もと徴税人のマタイさまや

イエスさまのほかのお弟子さま方にも

つぎつぎと会わせてくださいましたわ。

どのお顔も懐かしく

ほんとうに、懐かしく思われました。

きっと天国でお会いすることができますものと信じておりましたが

じっさいに、天国で会わせていただいたときには

なんとも言えないものが

わたしの胸に込み上げました。

そして

イエスさまや

もとのお弟子さま方は

わたしを天国じゅう、いたるところに連れて行ってくださいました。

ところが

やがて

そのうちに

天国の住人の数がどんどん増えてゆきますと

イエスさまや

そのお弟子さま方は

わたしだけのことにかまっていられる時間がなくなってまいりましたの。

当然のことですわね。

なにしろ

イエスさまは

神さまなのです。

天国の主人であって

わたしたちの善き牧者なのです。

ひとびとは牧される羊たち

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわります。

いつまでも

どこまでも

きりがなく

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわるのです。

もちろん

そのお弟子さま方のお気持ちもわからないわけではありませんが。

ひとびとは牧される羊たち

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわります。

いつまでも

どこまでも

きりがなく

ぞろぞろ、ぞろぞろついてまわるのです。

そして

やがて

ついに

イエスさまは

お弟子さま方たちや、信者のみなさんに、こうおっしゃいました。

「わたしはふふたび磔となろう。

 頭には刺すいばら

 苦しめる棘をめぐらせ

 手には釘を貫き通らせ

 足にも釘を貫き通らせて

 いまひとたび、十字架にかかろう。

 それは、あなたたちの罪のあがないのためではなく

 それは、だれの罪のあがないのためでもなく

 ただ、わたしの姿が

 つねに、あなたたちの目の前にあるように。

 つねに、あなたたちの目の前にあるように

 いつまでも

 いつまでも

 ずっと

 ずっと

 磔になっていよう。」



そこで

お弟子さま方は

イエスさまがおっしゃられたとおりに

天国の泉から少し離れた小高い丘を

あのゴルゴタの丘そっくりに造り直されて

イエスさまを磔になさいました。

さあ

それからがたいへんでした。

磔になられたイエスさまを祈る声、祈る声、祈る声。

天国じゅうが

磔になられたイエスさまを祈りはじめたのです。

それらの声は天国じゅうを揺さぶりゆさぶって

あちらこちらに破れ目をこしらえたのです。

その綻びを繕うお弟子さま方は

ここ千年以上も大忙し。

休む暇もなく繕いつくろう毎日でした。

わたしもまた

跪きひざまずいて祈りました。

かつて

あの刑場で

磔になられたイエスさまを見上げながら

お母さまのマリアさまとごいっしょにお祈りをしておりましたときのように

跪きひざまずいて祈りつづけました。

地上にいるときも

マグダラで

わたしにとり憑いた七つの悪霊を追い出していただいてからというもの

ずっと

わたしは、イエスさまのおそばで祈りつづけてきたのです。

天国においても同様でした。

ところが

あるとき

奇妙なことに気がついたのです。

磔になられたイエスさまのお顔が

険しかったお顔が

どこかしら

奇妙に歪んで見えたのでした。

それは

まるで

なにか

喜びを内に隠して

わざと険しい表情をなさっておられるような

そんなお顔に見えたのです。

そして

さらに奇妙なことには

いつの頃からでしたかしら

お弟子さま方が声をかけられても

お返事もなさらないようになられたのです。

また

わたしの声にも

お母さまのお声にも

どなたのお声にも

お返事なさらないようになられたのです。

けれども

お弟子さま方は

そのことを深く追求してお考えになることもなく

ただただ

天の裂け目

天の破れ目を繕うほうに専念なさっておられました。

ああ

祈る声

祈る声

祈る声

天国は

イエスさまを祈る声でいっぱいになりました。

そうして

そして

何年

何十年

何百年の時が

瞬く間に過ぎてゆきました。

イエスさまのお顔には

もう

以前のような輝きはなくなっておりました。

何度、お声をおかけしても

お顔を奇妙に歪められたまま

わたしたちの祈る声には

お返事もなさらず

まるで

目の前のすべての風景が

ご自分とは関係のない

異世界のものであるかのような

虚ろな視線を向けられておられました。

わたしのこころは

わたしの胸は

そんなイエスさまをゆるすことができませんでした。

そして

そんな気持ちになったわたしの目の前に

膝を折り、跪いて祈るわたしの足元に

磔になられたイエスさまのおそばに

天の裂け目が

天の破れ目が口を開いていたのです。

目を落としてみますと

そこには

なにやら

眼光鋭いひとりの男が

カッと目を見開いて

こちらを見上げているではありませんか。

日本の着物を着て

両方の腕を袖まくりして

その腕を組み

じっと

こちらを見上げていたのです。

その顔には見覚えがありました。

天国の図書館にあった

世界文学全集で見た顔でした。

たしか

アクタガワ・リュウノスケという名前の作家でした。

わたしは、そのとき

彼の『クモノイト』とかという作品を思い出したのです。

そのお話は

イエスさまの政敵

ブッダが地獄にクモノイト印の釣り糸を垂らして

亡者どもを釣り上げてゆくというものでありました。

カンダタとかという亡者が一番にのぼってきたことに

シャカは腹を立て

釣り糸を

プツン



切ったのです。

スッドーダナの息子、ブッダは目が悪かったのです。

遠見のカンダタは

シッダルダ好みの野生的な感じがしたのですが

近くで目にしますと

なんだか

ただ薄汚いだけの野蛮そうな男なのでした。

ブッダは

汚れは嫌いなのです。

それで

カンダタの代わりを釣り上げるために

釣り糸をいったん切ったのです。

たしか

このようなお話だったと思います。

仏教においても

顔の醜いものは救われないということでしょうか。

わたしには、たいへん共感するところがございました。

アクタガワの視線の行方を追いますと

そこには

イエスさまが

磔になられたイエスさまのお顔がありました。

わたしは立ち上がり

鉄の鎖があるところに

酒に酔われたサムソンさまを縛りつけるために使われる

あの鉄の鎖が置いてあるところにゆきました。

刑柱の飾りにと、わたしが言うと

お弟子さま方はじめ

大勢の方たちが、それを運んでくださいました。

わたしは

その鎖の一端を磔木(はりぎ)の根元に結びつけ

残るもう一端を

天の裂け目

天の破れ目に投げ落としました。

みな

唖然としたお顔をなさられました。

すると

突然

鎖が引っ張られ

イエスさまの磔になられた刑柱が

ズズッ

ズッ

ズズズズズズズッと

滑り出したのです。

お弟子さま方はじめ天国の住人たちは

みな驚きおどろき

ワッと駆け寄り

その鎖に飛びつきました。

イエスさまは

事情がお分かりになられずに

傾斜した十字架の上で目を瞬いておられました。

わたしは

わたしが鎖を投げ下ろした

天の裂け目

天の破れ目を上から覗いてみました。

無数の亡者たちが鎖を手にして引っ張っておりました。

見るみるうちに

天の鎖が短くなってゆきました。

そして

とうとう

イエスさまが磔から解き放たれる前に

天の鎖が尽きてしまいました。

つまり

イエスさまは

お弟子さまや

天国の住人たちとともに

みなものすごい声を上げて

地獄に落ちてしまわれたのです。

ひとり

ただひとり

天国に残されたわたしは

ナルドの香油がたっぷり入った細口瓶を携え

天の裂け目

天の破れ目に坐して、この文章をしたためております。

こんどは地獄にある

地獄のエルサレムで

地獄のゴルゴタの丘で

イエスさまを祈るため

イエスさまを祈るために

わたしは

この

天の裂け目

天の破れ目に、これから降りてゆきましょう。

地獄でも

きっと

イエスさまは奇跡を起こされて

いえ

地獄だからこそ

こんどもまた

奇跡を起こされて

きっと

ふたたびまた

天に昇られることでしょう。

ですから

このわたしの文章を

お読みになられたお方は

どうして

天国にだれもいないのか

お分かりになられたものと思います。

わたしのしたことは

けっして

あのイヴのように

神に敵(あだ)する

あの年老いた蛇に唆(そそのか)されてしたことではないのです。

わたしの

わたしだけの意志でしたことなのです。

そして

最後に

サムソンさま

ならびに

お弟子さま方はじめ

辺獄にお出かけになられたみなさま方に

お願いがございます。

もしも

天国の門のところで

まだうろうろしている黒装束の老人を見かけられましたら

覆面をしたままでも

もう天国に入られてもよろしいと

お声をかけてあげてください。

よろしくお願いいたします。


では

ごきげんよろしく。

さようなら。


                            マグダラのマリアより



         


順列 並べ替え詩 3×2×1

  田中宏輔




映画館の小鳥の絶壁。
小鳥の映画館の絶壁。
絶壁の映画館の小鳥。
映画館の絶壁の小鳥。
小鳥の絶壁の映画館。
絶壁の小鳥の映画館。

球体の感情の呼吸。
感情の呼吸の球体。
呼吸の球体の感情。
球体の呼吸の感情。
感情の球体の呼吸。
呼吸の感情の球体。

現在の未来の過去。
未来の過去の現在。
過去の現在の未来。
現在の過去の未来。
未来の現在の過去。
過去の未来の現在。

実質の実体の事実。
実体の事実の実質。
事実の実質の実体。
実質の事実の実体。
実体の実質の事実。
事実の実体の実質。

彼の彼女のハンバーグ。
彼女のハンバーグの彼。
ハンバーグの彼の彼女。
彼のハンバーグの彼女。
彼女の彼のハンバーグ。
ハンバーグの彼女の彼。

孤島の恍惚の視線。
恍惚の視線の孤島。
視線の孤島の恍惚。
孤島の視線の恍惚。
恍惚の孤島の視線。
視線の恍惚の孤島。

直線の点の球体。
点の球体の直線。
球体の直線の点。
直線の球体の点。
点の直線の球体。
球体の点の直線。

どこの馬の骨。
馬の骨のどこ。
骨のどこの馬。
どこの骨の馬。
馬のどこの骨。
骨の馬のどこ。

きゅうりのさよならの数。
さよならの数のきゅうり。
数のきゅうりのさよなら。
きゅうりの数のさよなら。
さよならのきゅうりの数。
数のさよならのきゅうり。

一篇の干し葡萄の過失。
干し葡萄の過失の一篇。
過失の一篇の干し葡萄。
一篇の過失の干し葡萄。
干し葡萄の一篇の過失。
過失の干し葡萄の一篇。

ぼくが夢のなかで胡蝶を見る。
夢が胡蝶のなかでぼくを見る。
胡蝶がぼくのなかで夢を見る。
ぼくが胡蝶のなかで夢を見る。
夢がぼくのなかで胡蝶を見る。
胡蝶が夢のなかでぼくを見る。

右の耳の全裸。
耳の全裸の右。
全裸の右の耳。
右の全裸の耳。
耳の右の全裸。
全裸の耳の右。

あなたの影の横揺れ。
影の横揺れのあなた。
横揺れのあなたの影。
あなたの横揺れの影。
影のあなたの横揺れ。
横揺れの影のあなた。

白紙の信号機の増殖。
信号機の増殖の白紙。
増殖の白紙の信号機。
白紙の増殖の信号機。
信号機の白紙の増殖。
増殖の信号機の白紙。

信号機の小鳥の増殖。
小鳥の増殖の信号機。
増殖の信号機の小鳥。
信号機の増殖の小鳥。
小鳥の信号機の増殖。
増殖の小鳥の信号機。

夢の糸の錯誤。
糸の錯誤の夢。
錯誤の夢の糸。
夢の錯誤の糸。
糸の夢の錯誤。
錯誤の糸の夢。

詩の一度きりの増殖。
一度きりの増殖の詩。
増殖の詩の一度きり。
詩の増殖の一度きり。
一度きりの詩の増殖。
増殖の一度きりの詩。

田中の広瀬の山田。
広瀬の山田の田中。
山田の田中の広瀬。
田中の山田の広瀬。
広瀬の田中の山田。
山田の広瀬の田中。

TVの弁当箱の抑圧。
弁当箱の抑圧のTV。
抑圧のTVの弁当箱。
TVの抑圧の弁当箱。
弁当箱のTVの抑圧。
抑圧の弁当箱のTV。

画面の重湯の暗喩。
重湯の暗喩の画面。
暗喩の画面の重湯。
画面の暗喩の重湯。
重湯の画面の暗喩。
暗喩の重湯の画面。

孤島のシャツの世界。
シャツの世界の孤島。
世界の孤島のシャツ。
孤島の世界のシャツ。
シャツの孤島の世界。
世界のシャツの孤島。

両頬のマクベスの渦巻き。
マクベスの渦巻きの両頬。
渦巻きの両頬のマクベス。
両頬の渦巻きのマクベス。
マクベスの両頬の渦巻き。
渦巻きのマクベスの両頬。

桜の文字の公園。
文字の公園の桜。
公園の桜の文字。
桜の公園の文字。
文字の桜の公園。
公園の文字の桜。

瀕死の感情の帆立貝。
感情の帆立貝の瀕死。
帆立貝の瀕死の感情。
瀕死の帆立貝の感情。
感情の瀕死の帆立貝。
帆立貝の感情の瀕死。

物語の日付の距離。
日付の距離の物語。
距離の物語の日付。
物語の距離の日付。
日付の物語の距離。
距離の日付の物語。

曲解の表面の拡散。
表面の拡散の曲解。
拡散の曲解の表面。
曲解の拡散の表面。
表面の曲解の拡散。
拡散の表面の曲解。

表面の小鳥の品詞。
小鳥の品詞の表面。
品詞の表面の小鳥。
表面の品詞の小鳥。
小鳥の表面の品詞。
品詞の小鳥の表面。

睡眠の小鳥の物語。
小鳥の物語の睡眠。
物語の睡眠の小鳥。
睡眠の物語の小鳥。
小鳥の睡眠の物語。
物語の小鳥の睡眠。

現実のデズデモウナの紙挟み。
デズデモウナの紙挟みの現実。
紙挟みの現実のデズデモウナ。
現実の紙挟みのデズデモウナ。
デズデモウナの現実の紙挟み。
紙挟みのデズデモウナの現実。

わろた。おやすみなさい。ごめんなさい。
おやすみなさい。ごめんなさい。わろた。
ごめんなさい。わろた。おやすみなさい。
わろた。ごめんなさい。おやすみなさい。
おやすみなさい。わろた。ごめんなさい。
ごめんなさい。おやすみなさい。わろた。

振動する小鳥の受粉。
小鳥の受粉する振動。
受粉する小鳥の振動。
振動する受粉の小鳥。
小鳥の受粉する振動。
受粉に振動する小鳥。

樹上のコンビニの窒息。
コンビニの窒息の樹上。
窒息の樹上のコンビニ。
樹上の窒息のコンビニ。
コンビニの樹上の窒息。
窒息のコンビニの樹上。

ブラウスの刺身のマヨネーズ炒め。
刺身のマヨネーズ炒めのブラウス。
マヨネーズ炒めのブラウスの刺身。
ブラウスのマヨネーズ炒めの刺身。
刺身のブラウスのマヨネーズ炒め。
マヨネーズ炒めの刺身のブラウス。

フラスコの紙飛行機の蒸発。
紙飛行機の蒸発のフラスコ。
蒸発のフラスコの紙飛行機。
フラスコの蒸発の紙飛行機。
紙飛行機のフラスコの蒸発。
蒸発の紙飛行機のフラスコ。

海鼠の水槽の回し飲み。
水槽の回し飲みの海鼠。
回し飲みの海鼠の水槽。
海鼠の回し飲みの水槽。
水槽の海鼠の回し飲み。
回し飲みの水槽の海鼠。

樹上のフラスコのブラウス。
フラスコのブラウスの樹上。
ブラウスの樹上のフラスコ。
樹上のブラウスのフラスコ。
フラスコの樹上のブラウス。
ブラウスのフラスコの樹上。

階段の沸騰するプツプツ。
沸騰するプツプツの階段。
プツプツの階段の沸騰。
階段のプツプツの沸騰。
沸騰する階段のプツプツ。
プツプツの沸騰の階段。

樹上のブラウスの刺身。
ブラウスの刺身の樹上。
刺身の樹上のブラウス。
樹上の刺身のブラウス。
ブラウスの樹上の刺身。
刺身のブラウスの樹上。

待合室の松本さんの燻製。
松本さんの燻製の待合室。
燻製の待合室の松本さん。
待合室の燻製の松本さん。
松本さんの待合室の燻製。
燻製の松本さんの待合室。

踏み段の聖職者の振動。
聖職者の振動の踏み段。
振動の踏み段の聖職者。
踏み段の振動の聖職者。
聖職者の踏み段の振動。
踏み段の聖職者の振動。

無韻のコップの治療。
コップの治療の無韻。
治療の無韻のコップ。
無韻の治療のコップ。
コップの無韻の治療。
治療のコップの無韻。

蒸発するコンビニの聖職者。
コンビニの聖職者の蒸発する。
聖職者の蒸発するコンビニ。
蒸発する聖職者のコンビニ。
コンビニの蒸発する聖職者。
聖職者のコンビニの蒸発する。

振動する窒息する花粉。
窒息する花粉の振動する。
花粉の振動する窒息する。
振動する花粉の窒息する。
窒息する振動する花粉。
花粉の窒息する振動する。

コンビニの男性化粧品棚の受粉。
男性化粧品棚の受粉のコンビニ。
受粉のコンビニの男性化粧品棚。
コンビニの受粉の男性化粧品棚。
男性化粧品棚のコンビニの受粉。
受粉の男性化粧品棚のコンビニ。

フラスコの鯨の回し飲み。
鯨の回し飲みのフラスコ。
回し飲みのフラスコの鯨。
フラスコの回し飲みの鯨。
回し飲みのフラスコの鯨。
回し飲みの鯨のフラスコ。

指先の樹液の聖職者。
樹液の聖職者の指先。
聖職者の指先の樹液。
指先の聖職者の樹液。
樹液の指先の聖職者。
聖職者の樹液の指先。

樹上の水槽のブラウス。
水槽のブラウスの樹上。
ブラウスの樹上の水槽。
樹上のブラウスの水槽。
水槽の樹上のブラウス。
ブラウスの水槽の樹上。

松本さんの本棚のマヨネーズ炒め。
本棚のマヨネーズ炒めの松本さん。
マヨネーズ炒めの松本さんの本棚。
松本さんのマヨネーズ炒めの本棚。
本棚の松本さんのマヨネーズ炒め。
マヨネーズ炒めの本棚の松元さん。

鳴り響く帽子の群れ。
帽子の群れの鳴り響く。
群れの鳴り響く帽子。
鳴り響く群れの帽子。
帽子の鳴り響く群れ。
群れの帽子の鳴り響く。

正十二角形の鯨の花びら。
鯨の花びらの正十二角形。
花びらの正十二角形の鯨。
正十二角形の花びらの鯨。
鯨の正十二角形の花びら。
花びらの鯨の正十二角形。

テーブルの象の花。
象の花のテーブル。
花のテーブルの象。
テーブルの花の象。
象のテーブルの花。
花の象のテーブル。

指先の鯨の蒸留水。
鯨の蒸留水の指先。
蒸留水の指先の鯨。
指先の蒸留水の鯨。
鯨の指先の蒸留水。
蒸留水の鯨の指先。

朝凪の一茎の鯨。
一茎の鯨の朝凪。
鯨の朝凪の一茎。
朝凪の鯨の一茎。
一茎の朝凪の鯨。
鯨の一茎の朝凪。

踏み段の顆粒の波。
顆粒の波の踏み段。
波の踏み段の顆粒。
踏み段の波の顆粒。
顆粒の踏み段の波。
波の顆粒の踏み段。

顆粒の小鳥の暗闇。
小鳥の暗闇の顆粒。
暗闇の顆粒の小鳥。
顆粒の暗闇の小鳥。
小鳥の顆粒の暗闇。
暗闇の小鳥の顆粒。

帳面のサボテンの巡回。
サボテンの巡回の帳面。
巡回の帳面のサボテン。
帳面の巡回のサボテン。
サボテンの帳面の巡回。
巡回のサボテンの帳面。

ネクタイの雲の名前。
雲の名前のネクタイ。
名前のネクタイの雲。
ネクタイの名前の雲。
雲のネクタイの名前。
名前の雲のネクタイ。

朝凪の百葉箱の十六方位。
百葉箱の十六方位の朝凪。
十六方位の朝凪の百葉箱。
朝凪の十六方位の百葉箱。
百葉箱の朝凪の十六方位。
十六方位の百葉箱の朝凪。

孤独の小鳥の集団。
小鳥の集団の孤独。
集団の孤独の小鳥。
孤独の集団の小鳥。
小鳥の孤独の集団。
集団の小鳥の孤独。

一茎の聖職者の夕凪。
聖職者の夕凪の一茎。
夕凪の一茎の聖職者。
一茎の夕凪の聖職者。
聖職者の一茎の夕凪。
夕凪の聖職者の一茎。

ぼくは金魚に生まれ変わった扇風機になる。
金魚は扇風機に生まれ変わったぼくになる。
扇風機はぼくに生まれ変わった金魚になる。
ぼくは扇風機に生まれ変わった金魚になる。
金魚はぼくに生まれ変わった扇風機になる。
扇風機は金魚に生まれ変わったぼくになる。

祈りの青首大根の旋回。
青首大根の旋回の祈り。
旋回の祈りの青首大根。
祈りの旋回の青首大根。
青首大根の祈りの旋回。
旋回の青首大根の祈り。

二千行のルビの蠅。
ルビの蠅の二千行。
蠅の二千行のルビ。
二千行の蠅のルビ。
ルビの二千行の蠅。
蠅のルビの二千行。

スーパーマーケットのリア王の増殖。
リア王の増殖のスーパーマーケット。
増殖のスーパーマーケットのリア王。
スーパーマーケットの増殖のリア王。
リア王のスーパーマーケットの増殖。
増殖のリア王のスーパーマーケット。

倫理の二千行の腰掛け。
二千行の腰掛けの倫理。
腰掛けの倫理の二千行。
倫理の腰掛けの二千行。
二千行の倫理の腰掛け。
腰掛けの二千行の倫理。

海面の鳥肌の手術。
鳥肌の手術の海面。
手術の海面の鳥肌。
海面の手術の鳥肌。
鳥肌の海面の手術。
手術の鳥肌の海面。

朝食の吃音の註解。
吃音の註解の朝食。
註解の朝食の吃音。
朝食の註解の吃音。
吃音の朝食の註解。
註解の吃音の朝食。

断面のビルの蠅。
ビルの蠅の断面。
蠅の断面のビル。
断面の蠅のビル。
ビルの断面の蠅。
蠅のビルの断面。

言葉はぼくを孤独にする。
ぼくは孤独を言葉にする。
孤独は言葉をぼくにする。
言葉は孤独をぼくにする。
ぼくは言葉を孤独にする。
孤独はぼくを言葉にする。

ぼくがひとりを孤独にする。
ひとりが孤独をぼくにする。
孤独がぼくをひとりにする。
ぼくが孤独をひとりにする。
ひとりが孤独をぼくにする。
孤独がひとりをぼくにする。

わたしはこころに余裕がない。
余裕はこころにわたしがない。
わたしは余裕にこころがない。
こころは余裕にわたしがない。
余裕はわたしにこころがない。
こころはわたしに余裕がない。

苺の幽霊の椅子。
幽霊の椅子の苺。
椅子の苺の幽霊。
苺の椅子の幽霊。
幽霊の苺の椅子。
椅子の幽霊の苺。

側頭部の聖職者の糊付け。
聖職者の糊付けの側頭部。
糊付けの側頭部の聖職者。
側頭部の糊付けの聖職者。
聖職者の側頭部の糊付け。
糊付けの聖職者の側頭部。

樹上のコーヒーカップの一語。
コーヒーカップの一語の樹上。
一語の樹上のコーヒーカップ。
樹上の一語のコーヒーカップ。
コーヒーカップの樹上の一語。
一語のコーヒーカップの樹上。

苺の注射器の秩序。
注射器の秩序の苺。
秩序の苺の注射器。
苺の秩序の注射器。
注射器の苺の秩序。
秩序の注射器の苺。

波打ち際の苺のトルソー。
苺のトルソーの波打ち際。
トルソーの波打ち際の苺。
波打ち際のトルソーの苺。
苺の波打ち際のトルソー。
トルソーの苺の波打ち際。

側頭部の海のコーヒーカップ。
海のコーヒーカップの側頭部。
コーヒーカップの側頭部の海。
側頭部のコーヒーカップの海。
海の側頭部のコーヒーカップ。
コーヒーカップの海の側頭部。

稲妻の樹上の鯨。
樹上の鯨の稲妻。
鯨の稲妻の樹上。
稲妻の鯨の樹上。
樹上の稲妻の鯨。
鯨の樹上の稲妻。

夜明けのバネ仕掛けのサンドイッチ。
バネ仕掛けのサンドイッチの夜明け。
サンドイッチの夜明けのバネ仕掛け。
夜明けのサンドイッチのバネ仕掛け。
バネ仕掛けの夜明けのサンドイッチ。
サンドイッチのバネ仕掛けの夜明け。

樹上の暴走のカルボナーラ。
暴走のカルボナーラの樹上。
カルボナーラの樹上の暴走。
樹上のカルボナーラの暴走。
暴走の樹上のカルボナーラ。
カルボナーラの樹上の暴走。


Pooh on the Hill。

  田中宏輔




Narrate refero.

私は語られたることを再び語る。

                    (『 ギリシア・ラテン引用語辭典』)

熊がかわいそうな人間を食うのなら、なおさら人間が熊を食ったっていいではないか。

                    (ペトロニウス『サテュリコン』66、国原吉之助訳 )

(これを殺しても殺人罪にならない)

                    (文藝春秋『大世界史14』)

またそれを言う。

                    (横溝正史『嵐の道化師』)

「いやんなっちゃう!」と、プーはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

「そうらね!」と、コブタはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』5、石井桃子訳)

「あわれなり。」と、イーヨーはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

それでしゅ、それでしゅから、お願いに参ったでしゅ。

                    (泉 鏡花『貝の穴に河童のいる事』)

饂飩(うどん)の祟(たた)りである。

                    (泉 鏡花『眉かくしの霊』二)

それは迷惑です。

                    (泉 鏡花『山吹』第一場)

為様(しよう)がないねえ、

                    (泉 鏡花『高野聖』十九)

やっぱり、ぼくが、あんまりミツがすきだから、いけないの

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』1、石井桃子訳)

と、プーは、かなしそうにいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』4、石井桃子訳)

じぶんじゃ、どうにもならないんだ。

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』6、石井桃子訳)

あのブンブンて音には、なにかわけがあるぞ。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』1、石井桃子訳)

もちろん、あれだね、

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』7、石井桃子訳)

何だい?

                    (フィリップ・K・ディック『時は乱れて』12、山田和子訳)

変な声が聞えるんです。

                    (泉 鏡花『春昼後刻』三十一)

変かしら?

                    (リチャード・マシスン『縮みゆく人間』5、吉田誠一訳)

その声が堪(たま)らんでしゅ。

                    (泉 鏡花『貝の穴に河童のいる事』)

花だと思います。

                    (泉 鏡花『高野聖』十六)

花がなんだというのかね。

                    (ホラティウス『歌集』第三巻・八、鈴木一郎訳)

あの花はなんですか。

                    (泉 鏡花『海神別荘』)

ラザロはすでに四日も墓の中に置かれていた。

                    (ヨハネによる福音書一一・一七)

なぜ四日かかったか。

                    (横溝正史『憑(つ)かれた女』)

「四日ですか」

                    (フィリップ・K・ディック『アルファ系衛星の氏族たち』3、友枝康子訳)

神のみは、すべてのものを愛して、しかも、自分だけを愛している。

                    (シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』宇宙の意味、田辺 保訳)

誰もそのような愛を欲しがりはしないにしても、

                    (E・М・フォースター『モーリス』第一部・11、片岡しのぶ訳)

「こりゃまた、なんのこっちゃい。」と、イーヨーがいいました。

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』9、石井桃子訳)

何を言ってるんだか分らないわねえ。

                    (泉鏡花『春昼後刻』二十七)

と、カンガは、さも思案(しあん)しているような声でいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』7、石井桃子訳)

これらはことばである。

                    (オクタビオ・パス『白』鼓 直訳)

そこには現在があるだけだった。

                    (サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

すべてが現在なのだ。

                    (アゴタ・クリストフ『昨日』堀 茂樹訳)

記憶より現在を選べ

                    (ゲーテ『ほかの五つ』小牧健夫訳)

いったいぜんたい、なんのことなんだか、プーは、わけがわからなくなって、頭をかきました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

「花は?」

                    (フロベール『感情教育』第一部・五、生島遼一訳)

「花は」

「Flora.」

たしかに「Flower.」とは云はなかつた。

                    (梶井基次郎『城のある町にて』手品と花火)

汝は花となるであろう。

                    (バルザック『セラフィタ』五、蛯原〓夫訳)

花となり、香となるだろう。

                    (サバト『英雄たちと墓』第IV部・7、安藤哲行訳)

それにしても、なぜいつもきまってあのことに立ちかえってしまうのでしょう……。

                    (モーリヤック『ホテルでのテレーズ』藤井史郎訳)

どこであれ、帰ってくるということはどこにも出かけなかったということだ。
            
                    (フエンテス『脱皮』第三部、内田吉彦訳)

あれは白い花だった……(それとも黄色だったか?

                    (ブライス=エチェニケ『幾たびもペドロ』3、野谷文昭訳)

「青い花ではなかったですか」

                    (ノヴァーリス『青い花』第一部・第一章、青山隆夫訳)

見覚えました花ですが、私(わたし)はもう忘れました。

                    (泉 鏡花『海神別荘』)

真黄色(まつきいろ)な花の

                    (泉 鏡花『春昼後刻』三十三)

淡い青色の花だったが、

                    (ノヴァーリス『青い花』第一部・第一章、青山隆夫訳)

「だれか、このなかへ、ミツをいれておいたな。」と、フクロがいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

ぼくは、ばかだった、だまされてた。ぼくは、とっても頭のわるいクマなんだ。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』3、石井桃子訳)

「いやんなっちゃう!」と、プーはいいました。

                    (A・A・ミルン『クマのプーさん』6、石井桃子訳)

嫌になつちまふ!

                    (泉 鏡花『化銀杏』六)

単純な答えなどはない。

                    (アルフレッド・ベスター『虎よ、虎よ!』第二部・14、中田耕治訳)

私はもはや、私自身によってしか悩まされはしないだろう。

                    (ボードレール『夜半の一時に』三好達治訳)

「それが、問題(もんだい)なんだ。」と、ウサギはいいました。

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』7、石井桃子訳)

人間に恐ろしいのは未知の事柄だけだ。

                    (サン=テグジュペリ『人間の土地』二・2、堀口大學訳)

私は未知のものより、既知のものをおそれる。

                    (ヴァレリー『カイエ一九一〇』村松 剛訳)

私が話しているとき 何故あなたは気難しい顔をしているのですか?

                    (トム・ガン『イエスと母』中川 敏訳)

きらいだからさ。

                    (夏目漱石『こころ』上・八)

これは私についての話ではない。

                    (レイモンド・カーヴァー『サン・フランシスコで何をするの?』村上春樹訳)

どこかに石はないだろうか?

                    (ホラティウス『諷刺詩集』第二巻・七、鈴木一郎訳)

どうして石なんだ?

                    (フィリップ・K・ディック『銀河の壺直し』11、汀 一弘訳)

石は硬く、動かない。

                    (サルトル『嘔吐』白井浩司訳)

すべてのものにこの世の苦痛が混ざりあっている。

                    (フアン・ルルフォ『ペドロ・パラモ』杉山晃・増田義郎訳)

石があった。

                    (テッド・チャン『バビロンの塔』浅倉久志訳)

石なの?

                    (フィリップ・K・ディック『宇宙の操り人形』第三章、仁賀克雄訳)

「花は?」

                    (フロベール『感情教育』第一部・五、生島遼一訳)

「花は」

「Flora.」

たしかに「Flower.」とは云はなかつた。
 
                    (梶井基次郎『城のある町にて』手品と花火)

またそれを言う。

                    (横溝正史『嵐の道化師』)

これで二度目だ。

                    (泉 鏡花『眉かくしの霊』二)

「きみ、気にいった?」

                    (A・A・ミルン『プー横丁にたった家』2、石井桃子訳)


ベルゼバブ。

  田中宏輔



 コーヒーを飲み終えられたベルゼバブさまは、机の上に置かれたアルコールランプを手元に引き寄せられると、指を鳴らして、火花を発して火を灯されました。すると、ベルゼバブさまの前に坐らされておりました老人が、ビクンッと躯をふるわせて、そのゆらゆらと揺れ動くアルコールランプの炎に目をやりました。はじめてアルコールランプといったものを目にしたのでしょうか、ほんに、その眼差しは、狂った者の、恍惚とした眼差しでございました。ベルゼバブさまは、しばらくのあいだ、その老人の顔を眺めておられましたが、白衣のポケットから、折り畳まれたハンカチを取り出されると、それでスプーンの柄を持たれて、アルコールランプの炎の中に、スプーンの先を入れられました。スプーンの先は、たちまち炭がついて黒くなりました。ベルゼバブさまは、たびたび手を返されて、ふくらんだ方も、へこんだ方も、丹念にスプーンの先を熱せられました。そうして、ベルゼバブさまは、充分に熱せられたスプーンの先を、呆けた眼差しをアルコールランプの炎に投げつづける狂った老人の額の上に押し当てられたのでございます。すると、ギャッという叫び声とともに、老人の躯が椅子の上で跳ね上がり、寄り目がちの双つの眼がさらに寄って、瞬時に充血して、真っ赤になりました。狂った老人は、顔を伏せて、自分の額を両の手で覆うようにしてふるえておりました。ベルゼバブさまは、ふたたびスプーンの先を丹念に熱せられると、こんどは、それを老人のうなじに押し当てられたのでございます。老人は、グアーッという、獣じみた声を発して床の上に這いつくばりました。ベルゼバブさまは、その様子を飽かずに眺めておられましたが、わっしらもまた前脚をこすりながら、手術台の上に横たえられた女の死骸の上から、その這いつくばった老人の背中を見下ろしておりました。それは、毛をむしり取られ、傷だらけにされて群れから追い出された老いぼれ猿のように、まことに醜く無惨な姿でございました。ベルゼバブさまが、このような老いぼれ猿の姿をごらんになられて、いったい、どのようなお歌をおつくりになられるのか、ほんに、楽しみなことでございます。あれは、いつのことでありましたでしょうなあ。わっしらがむさぼり喰らうこの女が絶命し、ベルゼバブさまが、この女の胎の内から血まみれの赤ん坊の肢体を引きずり出されたのは。そうして、ベルゼバブさまは、その赤ん坊の首を、まるで果実を枝からもぎ取られるようにして引きちぎられると、ぐらぐらと煮え立つ鍋の中に放り投げられました。すると、その赤ん坊の首が、激しく沸騰する熱湯の中で微笑みを浮かべて、ゆらゆらと揺れておるのでございました。あのとき、ベルゼバブさまが、わっしらの前で詠まれたお歌は、ほんに、すばらしいものでございました。


   ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも   (『赤光』)


 いえいえ、もちろん、このお歌ばかりではございません。斎藤茂吉のお名前でおつくりになられた、どのお歌も、まことにすばらしいものでございます。仮のお宿のひとつになさっておられる、この気狂い病院で、ベルゼバブさまは、ほんに、たんとの、すばらしいお歌をおつくりになられました。


   狂人に親しみてより幾年(いくとせ)か人見んは憂き夏さりにけり   (『あらたま』)

   みやこべにおきて来(きた)りし受持の狂者おもへば心いそぐも   (『あらたま』)

   きちがひの遊歩(いうほ)がへりのむらがりのひとり掌(て)を合す水に向きつつ   (『あらたま』)

   ダアリヤは黒し笑ひて去りゆける狂人は終(つひ)にかへり見ずけり   (『赤光』)

   けふもまた病室に来てうらわかき狂ひをみなにものをこそ言へ   (『あらたま』)

   暁にはや近からし目の下(もと)につくづくと狂者のいのち終る   (『あらたま』)

   ものぐるひの屍(かばね)解剖(かいぼう)の最中(もなか)にて溜(たま)りかねたる汗おつるなり   (『あらたま』)


有り難いことに、使い魔たる、わっしら、蠅どものことをも、ベルゼバブさまは、たんと、たんと、お歌に詠んでくださっておられます。


   留守居して一人し居れば青(あを)光(ひか)る蠅のあゆみをおもひ無(な)に見し   (『あらたま』)

   汗いでてなほ目ざめゐる夜は暗しうつつは深し蠅の飛ぶおと   (『あらたま』)

   ひたぶるに暗黒を飛ぶ蠅ひとつ障子(しやうじ)にあたる音ぞきこゆる   (『あらたま』)

   あづまねのみねの石はら真日(まひ)てれるけだもの糞(ぐそ)に蠅ひとつをり   (『あらたま』)


 ベルゼバブさまは、手を伸ばされると、気の狂った老人の頭をつまみ上げられて、壁に叩きつけられました。ゴンッという、大きな鈍い音とともに壁が揺れ、干からびた猿のような老人の死骸が床の上に落ちました。老人は声を上げる間もなく、絶命しておりました。治療室の白い壁の上に、血まみれの毛髪と肉片が貼りついておりました。ベルゼバブさまは、立ち上がられて壁のすぐそばまで寄って行かれると、その壁面の模様を、しばしのあいだ眺めておられましたが、突然、なにかを思いつかれたかのように、その壁面を指さして、机のある方に向かって歩き出されました。それで、わっしらは、その合図にしたがって、切り刻まれた女の死骸から離れて、血まみれの壁の方へと向かって、飛び立ったのでございます。





                       *引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。


『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』。 

  田中宏輔




 ボードレールの作品世界に通底している美意識は、詩集『悪の華』(堀口大學訳)に収められた詩の題名によって捉えることができる。たとえば、「不運」、「前生」、「異なにほひ」、「腐肉」、「死後の悔恨」、「幽霊」、「墓」、「陽氣な死人」、「憂鬱」、「虚無の味」、「恐怖の感應」、「われとわが身を罰する者」、「救ひがたいもの」、「破壊」、「血の泉」、「惡魔への連祷」などである。

 本稿では、前半で、これらの語群をキーワードとして用い、斎藤茂吉の作品世界に、ボードレール的な美意識が表出されていることを示し、後半で、「蠅」がモチーフとして用いられている茂吉の短歌作品を幾首か取り上げ、『斎藤茂吉=蠅の王(ベルゼブル)論』を導き出し、その作品世界を新たに解読する手がかりを与えた。


     夕さればむらがりて来る油むし汗あえにつつ殺すなりけり     (『赤光』)

     をさな妻こころに守り更けしづむ灯火(ともしび)の虫を殺しゐたり     (『赤光』)

     宵ごとに灯(ともし)ともして白き蛾(が)の飛びすがれるを殺しけるかな     (『あらたま』)

     ゆふぐれてわれに寄りくるかすかなる蟆子(ぶと)を殺しつ山の沼(ぬ)のべに     (『ともしび』)

     ちひさなる虻にもあるか時もおかず人をおそひに来るを殺しつ     (『石泉』)


 これらの歌は、きわめて特異な印象を与えるものであった。害虫退治という題材が特殊なためではない。害虫退治が題材であるのに、ここには、害虫に対する嫌悪や憎悪といった表現主体の悪感情がほとんど見られないためである。悪感情もなく、害虫を殺すといったことに、なにかしら、尋常ならざるものが感じられたのである。


     ゴオガンの自画像みればみちのくに山蚕(やまこ)殺ししその日おもほゆ     (『赤光』)

     河豚の子をにぎりつぶして潮もぐり悲しき息をこらす吾(われ)はや     (『あらたま』)

     さるすべりの木(こ)の下かげにをさなごの茂太を率(ゐ)つつ蟻(あり)を殺せり     (『あらたま』)


 子供ならば、面白がって害虫でもない小動物を殺すことがあるかもしれない。しかし、そのことによって、自分のこころが慰められているのだという認識はないであろう。あるいは、そう認識するまえの段階で、そのような行為とは決別するものであろう。しかし、茂吉は、そう認識しつつも殺さなければならないほどに、こころが蝕まれていたのであろう。


     むらぎものみだれし心澄みゆかむ豚の子を道にいぢめ居たれば     (『あらたま』)


このような歌を詠まずにはいられない茂吉の心象風景とは、いったい、いかなるものであったのだろう。


     唐辛子(たうがらし)いれたる鑵(くわん)に住みつきし虫をし見つつしばし悲しむ     (『白桃』)

     昆虫の世界ことごとくあはれにて夜な夜なわれの燈火(ともしび)に来る     (『白い山』)

     砂の中に虫ひそむごとこのひと夜山中(やまなか)に来てわれは眠りぬ     (『白桃』)

     たまきはる命をはりし後世(のちのよ)に砂に生れて我は居るべし     (『ともしび』)


 これだけ昆虫を殺しながらも、その昆虫、あるいは、その昆虫の世界を哀れに思い、自身が昆虫に転生するような歌をもつくるのである。茂吉は、かなり振幅のはげしい嗜虐性と被虐性を併せ持った性格であったのだろう。


     鼠等(ねずみら)を毒殺せむとけふ一夜(ひとよ)心楽しみわれは寝にけり     (『暁紅』)

     狼になりてねたましき喉笛(のどぶえ)を噛み切らむとき心和(なご)まむ     (『愛の書簡』)


 まことに陰惨な心象風景である。しかし、このようなこころの持ち主には、小胆な者が多い。そして、そういった人間は、しばしば神経症的な徴候を示し、病的ともいえる奇矯な振る舞いに及ぶことも少なくない。


     この心葬り果てんと秀(ほ)の光る錐(きり)を畳に刺しにけるかも     (『赤光』)

     ふゆの日の今日(けふ)も暮れたりゐろりべに胡桃(くるみ)をつぶす独語(ひとりごと)いひて     (『あらたま』)


このように病んだこころの持ち主が、異常なもの、グロテスクなものに、こころ惹かれるのも無理はない。


     一夜(ひとよ)あけばものぐるひらの疥癬(かいせん)にあぶらわれは塗るべし     (『ともしび』)

     うち黙(もだ)し狂者を解体する窓の外(と)の面(も)にひとりふたり麦刈る音す     (『あらたま』)

     狂者らは Paederasie をなせりけり夜しんしんと更(ふ)けがたきかも     (『赤光』)

     あたらしき馬糞(まぐそ)がありて朝けより日のくるるまで踏むものなし     (『ともしび』)

     狂人のにほひただよふ長廊下(ながらうか)まなこみひらき我はあゆめる     (『あらたま』)

     けふもまた向ひの岡に人あまた群れゐて人を葬(はふ)りたるかな     (『赤光』)

     墓はらを歩み来にけり蛇の子を見むと来つれど春あさみかも     (『赤光』)

     朝あけていろいろの蛾(が)の死(しに)がらのあるをし見れば卵産みけり     (『白桃』)


これらの作品には、どれにもみな、ボードレール的な美意識が表出されているように思われる。


     ものぐるひの声きくときはわづらはし尊(たふと)き業(なり)とおもひ来(こ)しかど     (『白桃』)

     十日なまけけふ来て見れば受持の狂人ひとり死に行きて居し     (『赤光』)

     死に近き狂人を守るはかなさに己(おの)が身すらを愛(は)しとなげけり     (『赤光』)

     うつせみのいのちを愛(を)しみ世に生くと狂人(きやうじん)守(も)りとなりてゆくかも     (『この日ごろ』)


 精神科医であった茂吉の、気狂いに対する ambivalent で fanatic な思いは、どこかしら、彼の昆虫に対する思いに通じるところがある。ボードレールもまた、つねに ambivalent で fanatic な思いをもって対象に迫り、それを作品のなかに書き込んでいくタイプの詩人であった。


     まもりゐる縁の入日(いりび)に飛びきたり蠅(はへ)が手を揉むに笑ひけるかも     (『赤光』)

     留守をもるわれの机にえ少女(をとめ)のえ少男(をとこ)の蠅がゑらぎ舞ふかも     (『赤光』)

     冬の山に近づく午後の日のひかり干栗(ほしぐり)の上に蠅(はへ)ならびけり     (『あらたま』)

     うすぐらきドオムの中に静まれる旅人われに附きし蠅ひとつ     (『遠遊』)

     蠅(はへ)多き食店にゐてどろどろに煮込みし野菜くへばうましも     (『遠遊』)


「蠅」が茂吉の使い魔であることは、一目瞭然である。「蠅の王」(ベルゼブル、ベルゼブブ、あるいは、ベルゼバブ)は、蠅を意のままに呼び寄せたり、追い払うことができるのである(ユリイカ1989年3月号収載の植松靖夫氏の「蠅のデモロジー」より)。「ベルゼブル」は、マタイによる福音書12・24や、ルカによる福音書11・15によると、「悪魔の首領」であるが、茂吉に冠される称号として、これ以上に相応しいものがあるであろうか。demonic な詩人の代表であるボードレールに与えられた「腐肉の王」という称号にさえ、ひけをとらないものであろう。

 つぎに、茂吉を、「蠅の王」と見立てることによって、彼の作品世界を新たに解釈することができることを示してみよう。本稿の目的は、ここに至って達成されたことになる。


     ひとり居て卵うでつつたぎる湯にうごく卵を見ればうれしも     (『赤光』)


 一見、何の変哲もないこの歌が、「卵」を「赤ん坊」の喩と解することによって、「ひとりでいるとき、赤ん坊を茹でていると、煮えたぎる湯のなかで、その赤ん坊の身体がゆらゆらと揺れ動いて、それを眺めていると、じつに楽しい気分になってくるものである」といったこころ持ちを表しているものであることがわかる。


     汝兄(なえ)よ汝兄たまごが鳴くといふゆゑに見に行きければ卵が鳴くも     (『赤光』)


「卵」を「赤ん坊」と解したのは、この歌による。

 拙論にそって、斉藤茂吉の作品を鑑賞すると、これまで一般に難解であるとされてきたものだけではなく、前掲の作品のように、日常詠を装ったものの本意をも容易に解釈することができるのである。




                                            *引用された短歌作品は、すべて、斎藤茂吉のものである。


熊のフリー・ハグ。

  田中宏輔




まあ

じっさいに、熊の被害に遭われた方には

申し訳ないのだけれど



熊のフリー・ハグに注意!



きょう

きゃしゃな感じの三人組の青年たちが

フリー・ハグのプラカードを胸にぶら下げて

四条河原町の角に立って

ニタニタ笑っていた

プラカードの字はぜんぜんヘタクソだったし

見た目も気持ち悪かったし

なんだか頭もおかしそうだった



そういえば

おとついくらいかな

テレビのニュースで見たのだけれど

二十歳くらいのかわいらしい女の子たちが二人

フリー・ハグのプラカードを胸に下げて

通っているひとたちに声をかけて

ハグハグしていた



とってもかわいらしい女の子たちだったから

ゲイのぼくでもハグハグしてもらったらうれしいかも

なんて思っちゃった



不在の猫

猫は不在である

連れ出さなければならなかったのだ

波しぶきビュンビュン

市内全域で捜査中

バケツをさげたオバンが通りかかる

「あたしの哲学によるとだね

 あんた

 運が落ちてるよ」

不在の猫がニャンと鳴く

挨拶する暇もなく

雨が降る

「このバケツにゃ

 だれにでもつながる電話が入ってるんだよ

 試してみるかい」

角のお好み焼き屋のオヤジが受話器を握る

「猫を見たわ

 過激に活躍中よ

 気をつけて

 あなたの運は落ちてるわ」

ガチャン

お好み焼き屋のオヤジは受話器を叩きつける

「あんた

 これはあたしの電話だよ

 こわれるじゃないか」

バケツをさげたオバンが立ち去る

お好み焼き屋のオヤジがタバコをくわえる

不在の猫がニャンと鳴く

雨が上がる

いまの雨は嘘だった

ずっと

青空だったのだ

お好み焼き屋のオヤジが放屁する

真ん前の空を横切って、一台のUFOがひゅるひゅると空の端っこに落ちていく

学校帰りの小学生の女の子が歌いながら歩いてきた

「きょうもまじめな父さんは

 あしたもまじめな父さんよ

 きょうもみじめな母さんは

 あしたもみじめな母さんよ

 ローンきつくてやりきれない

 ローンきつくてやりきれない

 みんなで首をくくって死にましょう

 みんなで首をくくって死にましょう」

不在の猫がニャンと鳴く

「お嬢さんの学校じゃ

 そんな歌が流行ってるのかい」

時代錯誤のセリフがオヤジの口を突いて出てくると

かわいらしい小学生の女の子はオヤジの目を睨みつけて

「バッカじゃないの

 おじさんって

 おつむは大丈夫?

 おててが二つで

 あんよが二つ

 あわせて四つで

 ご苦労さん」

テレフォン・ショッピングの時間です

午後にたびたび夕立が降るのは

ご苦労さんです

仕事帰りに一杯のご気分はいかがですか?

鼻息の荒い毛むくじゃらの不在の猫がニャンと鳴く

カレンダー通りに

月曜日のつぎは火曜日

火曜日のつぎは水曜日

水曜日のつぎは木曜日

木曜日のつぎは金曜日

金曜日のつぎは土曜日

土曜日のつぎは日曜日

日曜日のつぎは月曜日

これってヤーネ

燃え上がる一台のUFOから宇宙人が出てきて

インタビューを受けている

「とつぜんのことでした

 ブランコに乗っていたら

 知らないおじさんが

 おいらのことを

 かわいいかわいいお嬢さん

 って呼ぶものだから

 おいらは宇宙人なのに

 お嬢さんだと思って

 おじさんの手に引かれて

 ぷらぷらついていったの

 知らないおじさんは宇宙人好きのする顔だったから

 おいらは

 てっきり

 おいらのことをお嬢さんだと思って

 それで

 縄でくくられて

 ぬるぬるした鼻息の荒い毛むくじゃらのタコのような不在の猫がニャンと鳴く」

お好み焼き屋のオヤジがタバコを道端に捨てて

つま先で火をもみ消した

バケツをさげたオバンがまたやってきた

「あたしの哲学によるとだね

 あんた

 運が落ちてるよ」

それを聞くなり

お好み焼き屋のオヤジが

バケツを持ったオバンの顔をガーンと一発殴ろうとしたら

反対に

オバンにバケツでどつかれて

頭を割って

さあたいへん

どじょうが出てきてコンニチハ

頭から

太ったうなぎほどの大きさのどじょうが出てきたの

どうしようもないわ

お好み焼き屋のオヤジは道端にしゃがんで

頭抱えて

思案中

「ところで

 明日の天気は晴れかな」

ぎらぎら光るぬるぬるした鼻息の荒い毛むくじゃらのタコのような不在の猫がニャンと鳴く

「晴れ

 ときどき曇り

 のち雨

 ときには豹も降るでしょう」

だれもがそう思いこんでいる

気がついたら

6時50分だった

ニュースが終わるよ

終わっちゃうよ

猫は不在である

というところで

人生の達人ともなれば

自分自身とも駆け引き上手である

勃起が自尊心を台無しにすることはない

理性に判断させるべきときに

理性に判断させてはいけない

わたしが20代の半ばくらいのときに

神について、とか

人間について、とか

愛について、とか

生きることについて、とか

そんなことばかりに頭を悩ませていたのは

そういったことばかりに頭を使っていたのは

真剣に取り組まなければならなかった身近なことから

ほんとうにきちんと考えなければならなかった日常のことから

自分自身の目を逸らせるためではなかったのだろうか

真剣に取り組んで、ほんとうにきちんと考えなければならなかった問題を

自分自身の目から遠くに置くためではなかったのだろうか

たとえどんなにブサイクな恋人でも

濡れた手で触れてはいけない

オハイオ、ヤバイヨ

愛はたった一度しか訪れないのか

why

Why



詩に飽きたころに

小説でオジャン

あれを見たまえ



角の家の犬

自分が飼われている家の近くにいるときには

とてもうるさく吠えるのに

公園の突き出た棒につながれたら

おとなしい



掲示板



イタコです。

週に二度、ジムに通って身体を鍛えています。

特技は容易に憑依状態になれることです。

しかも、一度に三人まで憑依することができます。

こんなわたしでよかったら、ぜひ、メールをください。

また、わたしのイタコの友だちたちといっしょに、合コンをしませんか?

人数は、四、五人から十数人くらいまで大丈夫です。こちらは四人ですけれど、

十数人くらいまでなら、すぐにでも憑依して人数を増やせます。

合コンのお申し込みも、ぜひぜひ、よろしくお願いいたします! (二十五才・女性会員)。



今朝、通勤の途中、新田辺駅で停車している普通電車に乗っていたときのことでした。

「ただいま、この電車は、特急電車の通過待ちのために停車しております。」

というアナウンスのあとに、「ふう。」と、大きなため息を、車掌がつきました。

しかし、まわりを見回しても、車掌のそのため息に耳をとめたひとは、ひとりもおらず

みんな、ふだんと同じように、居眠りしていたり、本を読んだりしていました。

だれひとり、車掌のため息を耳にしなかったかのように、だれひとり、笑っていませんでした。

笑いそうになってゆるみかけていたぼくの頬の筋肉が、こわばってひきつりました。



一乗寺商店街に

「とん吉」というトンカツ屋さんがあって

下鴨にいたころや

北山にいたころに

一ヶ月に一、二度、行ってたんだけど

ほんとにおいしかった

ただ、何年前からかなあ

少しトンカツの質が落ちたような気がする

カツにジューシーさがないことが何度かつづいて

それで行かなくなったのだけれど

ときたま

一乗寺商店街の古本屋「荻書房」に行くときとか

おしゃれな書店「恵文社」に行くときとかに

なつかしくって寄ることはあるんだけれど

やっぱり味は落ちてる

でも、豚肉の細切れの入った味噌汁はおいしい

山椒が少し入ってて、鼻にも栄養がいくような気がする

とん吉では、大将とその息子さん二人と奥さんが働いていて

奥さんと次男の男の子は、夜だけ手伝っていて

昼間は、大将と長男の二人で店を開けていて

その長男が、チョーガチムチで

柔道選手だったらしくって

そうね

007のゴールドフィンガーに出てくる

あのシルクハットを、ビュンッて飛ばして

いろんなものを切ってく元プロレスラーの俳優に似ていて

その彼を見に行ってるって感じもあって

トンカツを食べるって目的だけじゃなくてね

不純だわ、笑。

とん吉には

プラスチックや陶器でできたブタのフィギュアがたくさん置いてあって

お客さんが買ってきては置いていってくれるって

大将が言ってたけれど

みずがめ座の彼は



ぼくが付き合ってた男の子ね

ぼくがブタのフィギュアを集めてたことをすっごく嫌がっていた

見た目グロテスクな

陶器製の精巧なブタのフィギュアを買ったときに別れたんだけど

ああ、名前を忘れちゃったなあ

でも、めっちゃ霊感の鋭い子で

彼が遊びにきたら

かならず霊をいっしょに連れてきていて

泊まりのときなんか

ぼくはかならずその霊に驚かされて

かならずひどい悪夢を見た

彼は痛みをあんまり痛みに感じない子やった

歯痛もガマンできると言っていた

ぼくと付き合う前に付き合ってたひとがSだったらしくって

かなりきついSだったんだろうね

口のなかにピンポンの球みたいなものを

あのひも付きの口から吐き出させないようにするやつね

そんなものをくわえさせられて

縛られて犯されたって言ってたけど

そんなプレーもあるんやなって思った

痛みが快感と似ているのは

ぼくにもある程度わかるけど

そういえば

フトシくんは

ぼくを縛りたいと言ってた

ぼくが23才で

彼が二十歳だったかな

ラグビー選手で

高校時代に国体にも出てて

めっちゃカッコよかった

むかし

梅田にあったクリストファーっていうゲイ・ディスコで出会ったのね



一度

ホテルのエレベーターのなかで

ふつうの若いカップルと乗り合わせたことがあって

なぜかしらん、男の子のほうは

目を伏せて、ぼくらのほうを見ないようにしてたけど

女の子のほうは、目をみひらいて

ぼくらの顔をジロジロ交互にながめてた

きっと

ぼくらって

ラブラブのゲイカップルって光線を発してたんだろうね



あのエレベーターのなかじゃ、あたりまえか

ラブホだもんね

なにもかもがうまくいくなんて

けっしてなかったけれど

ちょっとうまくいくっていうのが人生で

そのちょっとうまくいった思い出と

うまくいかなかったときのたくさんの思い出が

いっぱい

いいっっぱい

you know

i know

you know what i know

i know what you know

同じ話を繰り返し語ること

同じ話を繰り返し語ること



地球のゆがみを治す人たち



バスケットボールをドリブルして

地面の凸凹をならす男の子が現われた

すると世界中の人たちが

われもわれもとバスケットボールを使って

地面の凸凹をならそうとして

ボンボン、ボンボン地面にドリブルしだした

そのたびに

地球は

洋梨のような形になったり

正四面体になったり

直方体になったりした



2008年4月22日のメモ(通勤電車のなかで)



手の甲に

というよりも

右の手の人差し指の根元の甲のほうに

2センチばかりの切り傷ができてた

血の筋が固まっていた

糸のようにか細い血の筋に目を落として考えた

寝ているあいだに切ったのだろうけれど

どこで切ったのだろうか

どのようにして切ったのであろうか

切りそうな場所って

テーブルの脚ぐらいしかないんだけれど

その脚だって角張ってはいないし

それ以外には

切るようなシチュエーションなど考えられなかった

幼いときからだった

目が覚めると

ときどき

手のひらとか甲とか

指の先などに

切り傷ができていることがあって

血が固まって

筋になっていて

指でさわると

その血の筋が指先に

ちょっとした凹凸感を感じさせて

でも

どこで

どうやって

そんな傷ができたのか

さっぱりわからなかったのだ

これって

もしかすると

死ぬまでわからないんやろうか

自分の身の上に起きていることで

自分の知らないことがいっぱいある

これもそのひとつに数えられる

まあ

ちょっとしたなぞやけど

ごっつい気になるなぞでもある

なんなんやろ

この傷

これまでの傷



彼女は手紙を書き上げると

彼に電話した

彼も彼女に手紙を書き終えたところだった

二人は自分たちの家の近くのポストにまで足を運んだ

二つのポストは真っ赤な長い舌をのばすと

二人をぱくりと食べた

翌日

彼女は彼の家に

彼は彼女の家に

配達された

そして

二人は

おのおの宛てに書かれた手紙を読んだ



きのうは

ジミーちゃんと

ジミーちゃんのお母さまと

1号線沿いの「かつ源」という

トンカツ屋さんに行きました。

みんな、同じトンカツを食べました。

ぼくとジミーちゃんは150グラムで

お母さまは、100グラムでしたけれど。

ご飯と豚汁とサラダのキャベツは

お代わり自由だったので

うれしかったです。

もちろん、ぼくとジミーちゃんは

ご飯と豚汁をお代わりしました。

食後に芸大の周りを散歩して

それから嵯峨野ののどかな田舎道をドライブして

広沢の池でタバコを吸っていました。

目をやると

鴨が寄ってくるので

猫柳のような雑草の先っぽを投げ与えたりして

しばらく、曇り空の下で休んでいました。

鴨は、その雑草の穂先を何度も口に入れていました。

「こんなん、食べるんや。」

「ぼくも食べてみようかな。」

ほんのちょっとだけ、ぼくも食べてみました。

予想と違って、苦味はなかったのですが

青臭さが、長い時間、残りました。

鴨のこどもかな

と思うぐらいに小さな水鳥が

池の表面に突然現われて

また水のなかに潜りました。

「あれ、鴨のこどもですか?」

と、ジミーちゃんのお母さまに訊くと

「種類が違うわね。

 なんていう名前の鳥か

 わたしも知らないわ。」

とのことでした。

見ていると、水面にひょっこり姿を現わしては

またすぐに水のなかに潜ります。

そうとう長い時間、潜っています。

水のなかでは呼吸などできないはずなのに。

顔と手に雨粒があたりました。

「雨が降りますよ。」

ぼくがそう言っても

二人には雨粒があたらなかったらしく

お母さまは笑って、首を横に振っていました。

ジミーちゃんが

「すぐには降らないはず。降り出すとしても3時半くらいじゃないかな。

 しかも、30分くらいだと思う。」

そのあと嵐山に行き

帰りに衣笠のマクドナルドに寄って

ホットコーヒーを飲んでいました。

窓ガラスに蝿が何度もぶつかってわずらわしかったので

右手の中指の爪先ではじいてやりました。

しばらくのあいだ、蠅はまるで死んだかのような様子をしていて、まったく動かなかったのですが

突然、生き返ったかのようにして動き出すと、元気よく隣の席のところにまで飛んでいきました。

イタリア語のテキストをジミーちゃんが持ってきていました。

ぼくも、むかしイタリア語を少し勉強していたので

イタリア語について話をしていました。

お母さまは音大を出ていらっしゃるので

オペラの話などもしました。

ぼくもドミンゴの『オセロ』は迫力があって好きでした。

ドミンゴって楽譜が読めないんですってね。

とかとか、話をしていたら

突然、外が暗くなって

雨が降ってきました。

「降ってきたでしょう。」

と、ぼくが言うと

ジミーちゃんが携帯をあけて時間を見ました。

「ほら、3時半。」

ぼくは洗濯物を出したままだったので

「夜も降るのかな?」って訊くと

「30分以内にやむよ。」との返事でした。

じっさい、10分かそこらでやみました。

「前にも言いましたけれど

 ぼくって、雨粒が、だれよりも先にあたるんですよ。

 顔や手に。

 あたったら、それから5分とか10分くらいすると

 それまで晴れてたりしてても、急に雨が降り出すんですよ。」

すると、ジミーちゃんのお母さまが

「言わないでおこうと思っていたのだけれど

 最初の雨があたるひとは、親不孝者なんですって。

 そういう言い伝えがあるのよ。」

とのことでした。

そんな言い伝えなど知らなかったぼくは、

ジミーちゃんに、知ってるの?

と訊くと、いいや、と言いながら首を振りました。

ジミーちゃんのお母さまに、

なぜ知ってらっしゃるのですか、とたずねると

「わたし自身がそうだったから。

 しょっちゅう、そう言われたのよ。

 でももう、わたしの親はいないでしょ。

 だから、最初の雨はもうあたらなくなったのね。」

そういうもんかなあ、と思いながら聞いていました。

広沢の池で

鴨がくちばしと足を使って毛繕いしていたときに

深い濃い青紫色の羽毛が

ちらりと見えました。

きれいな色でした。

背中の後ろのほうだったと思います。

鴨が毛繕いしていると

水面に美しい波紋が描かれました。

同心円が幾重にも拡がりました。

でも、鴨がすばやく動くと

波紋が乱れ

もう美しい同心円は描かれなくなりました。

ぼくは振り返って、池に背を向けると

山の裾野に拡がる畑や田んぼに目を移しました。

そこから立ち昇る幾条もの白い煙が、風に流されて斜めに傾げていました。



ようやく珍しい体位の暗い先生に

イカチイ紅ヒツジの映像が眼球を経巡る。

なんと、現在、8回目の津波に襲われている。

ホームレスリングのつもり。

段取りは順調。

声が出てもいいように

洗濯機を回している。

ファンタスティック!

イグザクトゥリー?

アハッ。

ジャズでいい?

オレも、ジャズ聴くんすよ。

ふたたび、手のなかで、眼球がつるつるすべる。

ふたたび、目のなかで、指がつるつるすべる。

777 Piano Jazz。

事件が起こった。

西大路五条のスーパー大国屋の買い物籠のなかで

秘密指令を帯びた主婦が乳房をポロリ。

吸いません。

違った、

すいません。

老婆より中年ちょいブレ気味の一条さゆり似のメンタ。

火曜日午後6時30分発の

恋のスペシャル。

土俵を渡る。

つぎは難儀。

つぎはぎ、なんに?

SМILE。

「有名な舌なの?」

吸われる。

「有名な死体なの?」

居据わられる。

「有名な体位なの?」

坐れる。

こころが言い訳する。

いろいろ返します。

ポイント2倍デイ、特別価格日・開催中。

窓々のガラスに貼られた何枚もの同じ広告ビラ。

このあいだ恋人と別れたんやけど

いまフリーやったら、付き合ってくれる?

別れる理由はいろいろあったんやけど

なんなんやろね、なんとなくね。

とてもいい嘘だよ。

理由は、ちゃんとある。

ある、ある、ある。

ちゃんと考えてある。

いまなら、送料 + 手数料=無料。

YES OR NO?

YOU OK?

もうなにも恐れません。

あなたの買いたい=自己解体。

生まれ変わった昭和の百姓、二百姓。

ってか、なんだか、変なんです。

生きるって、なんて、すばらしいの?

なにも言ってませんよ。

紅ヒツジのイカチイ映像が

ぼくの過去の異物に寄り添っている。

喉越しが直撃する。

言下に垂下する。

期間限定の奴隷に参加。

面白いほど死ぬ。筋肉麻痺が分極する。

前半身31分。後ろ半身32分。横半身30分ずつ。

今後も、足の指は10本ずつ。

動いたり止まったりします。

念動力で動く仕組みです。

メエメエと鳴く一頭の紅ヒツジが

ぼくの耳のなかに咲いている。

基本、暑くないですか?

きわめて重要な秘密指令を

週5日勤務のレジ係のバイトの女の子が

パチパチとレシートに打ち出す。

(なぜだか、彼女たちみんな、眉毛をぶっとく描くのねん。)

エクトプラズムですもの。

はげしいセックスよりも、ソフトなほうがいいの?

紅ヒツジは全身性感帯だった。

柔道とカラテをしていた暗い先生は

体位のことしか考えている。

倫理に忠実な自動ドアが立ち往生している。

「有名な下なの?」

「有名な上なの?」

「有名な横なの?」

右、上、斜め、下、横、横、後ろ、前、左、ね。

じゃあ、こんどはうつぶせになって。

ぼくの有名な死体は彼の舌の上を這う。

彼の下の上を這う。

ルッカット・ミー!

do it, do it

一日は17時間moあるんだから

エシャール

そのうち、朝は15時間で、お昼は20時間で、夜は15時間moあるんだから

すぇ絵tすぇ絵tもてぇr府c家r

sweet sweet mother fucker

チョコレートをほおばる。

スニッカーズ、9月中・特別価格98円。

気合を入れて、プルプル・グレープを振る。

とても自由な言い訳で打ち震える。

きみの6時30分にお湯を注ぐ。

どんなに楽しいことでも

180CC。

きょうは実家に帰るんです。

紅ヒツジの覚悟の体位に

暗い先生は厳しい表情になる。

主婦が手渡されたレシートには、こう書いてあった。

「計¥ 恥ずかしい」

暗い体位を見つめている先生は

しばしば解釈の筋肉が疲労している。

ふだんはトランクス。

「なに? このヒモみたいなの↓」

自販機で彼に買ってあげた缶コーヒーに口をつける。

右、上、斜め、下、横、横、後ろ、前、左、ね。

ぼくのジャマをしないで。

恋人になるかどうかのサインを充電している。

道徳は、わたしたちを経験する。

everything keeps us together

指が動くと、全身の筋肉が引き攣れ

紅ヒツジの悲鳴が木霊する。

採集された余白が窓ガラスにビリビリと満ち溢れる。

「このテーブル、オレも使ってました。

 オレのは、黒でしたけど。」

どこまで、いっしょなの?

この十年間、付き合った子、

みんな、ふたご座。

なんでよ?

そのうち、二人は誕生日が同じで、血液型も同じ。

すっごい偶然じゃん。

それとも、偶然じゃないのかな。

名前まで、ぼくとおんなじ、田中じゃんか!

いくら多い名前だからってさあ。

それって、ちょっと、ちょっと、ちょっとじゃなあい?

それじゃあ、ピタッと無責任に歌っていいですか?

いいけどお。

採集された余白が窓ガラスにビリビリと満ち溢れる

西大路五条のスーパー大国屋の買い物籠のなかで

秘密指令を帯びた主婦が乳房をポロリ。

ポロリポロリのポロリの連発に

暗い体位の先生が自動ドアのところで大往生。

違った、

大渋滞。

ピーチク・パーチク

有名な死体が出たり入ったり

繰り返し何度も往復している。

紅ヒツジの全身の筋肉が引き攣れ

レジ係の女の子の芸術的なストリップがはじまる。

あくまでも芸術的なストリップなのに

つぎつぎと生えてくる

一期一会のさえない男たちの客の目がギロリ、ギロリ。

もう一回いい?

さすがに、いいよ。

ほんまやね。

2割引きの398円弁当に一番絞りの缶が混じる。

まとめて、いいよ。

持っておいで。

フリーズ!

ギミ・ザ・ガン!

ギミ・ザ・ガン!

カモン!

やさしいタッチで

見せつける。

よかったら、二回目も。



で、

それで

いったい、神さまの頬を打つ手はあるのか?

アロハ・

オエッ



さっき、うとうとと、眠りかけていて

ふとんのなかで、ふと

「恋愛増量中」なる言葉がうかんだ。

何日か前に、シリアルかなんかで

「増量20グラム」とかとか見たからかも

いや、きょう買ったアルカリ単三電池10個が

ついこのあいだまで、増量2本で1ダース売りだったのに

買っておけばよかったな、などと

朝、思ったからかもしれない。

いや、もしかしたら、いま付き合ってる恋人に対して、

そう感じてるからかもしれない。

どこまで重たくなるんやろうかって。

へんな意味ではなくて

いい意味で。



ケンコバの夢を見た。

ケンコバといっしょに

無印良品の店に

鉛筆を買いに行く夢を見た。

けっきょく買わなかったのだけれど

鉛筆の書き味を試したりした。

帰りに、その店の出入り口のところで

「おれの頭の匂いをかいでみぃ。」とケンコバに言われて

かいでみたけれど、ふつうに、頭のにおいがして

そんなに不快やなかったけど

ちょっと脂くさい頭のにおいがして

べつにシャンプーやリンスのいい匂いではなかった。

「ただの頭のにおいやん。」と言うと

「ええ匂いせえへんか。」と言われた。

「帰り道、送って行ったるわ。

 祇園と三条のあいだに中村屋があったやろ、

 その前を通って行こ。」

と言われたが、チンプンカンプンで

それは、いまぼくが住んでるところとはまったく違う場所だし

祇園と三条のあいだには中村屋もない。

しかし、芸能人が夢に出てくるのは、はじめて。

むかし、といっても、5、6年前のことだけど

ひと月くらい、北山でいっしょに暮らしていた男の子がいて

きのう、その子とメールのやりとりをしたからかなあ。

髪型は、たしかにいっしょやけど

顔や体型はぜんぜん違うしなあ。

なんでやろ、ようわからん。

しかし、いやな夢ではなかった。

むしろ、楽しい夢やった。

ずっとニコニコ顔のケンコバがかわいかった。



お皿を割ったお菊を

お殿様が

切り殺して

ブラックホールのなかにほうり込みました

読者のみなさんは

ブラックホールから

お菊さんが幽霊となって出てきて

お皿を、一枚、二枚、三枚、……と九枚まで数えて

一枚足りぬ、と言う姿を想像されたかもしれませんが

あにはからんや

お菊さんがホワイトホールから

一人、二人、三人、……と

無数の不死身の肉体を伴ってよみがえり

そこらじゅう

ビュンビュンお皿を飛ばしまくりながら出てきたのでした

いまさらお殿様を恨む気持ちなどさらさらなく

楽しげに

満面に笑みをたたえながら



ウンコのカ

ウンコの「ちから」じゃなくってよ

ウンコの「か」なのよ

なんのことかわからへんでしょう

虫同一性障害にかかった蚊で

自分のことを蠅だと思っている蚊が

ウンコにたかっているのよ

うふ〜ん



毎晩、寝るまえに枕元に灰色のボクサーパンツを履いたオヤジが現われ

猫の鞄にまつわる話をする金魚アイスのって、どうよ!

灰色のパンツがイヤ!

赤色や黄色や青色のがいいの!

それより

間違ってっぽくない?

金魚アイスのじゃなくって

アイス金魚のじゃないの?

たくさんの猫が微妙に振動する教会の薔薇窓に

独身の夫婦が意識を集中して牛の乳を絞っているのって、どうよ!

こんなもの咲いているオカマは

うちすてられて

なんぼのモンジャ焼き

まだやわらかい猫の仔らは蟇蛙

首を絞め合う安楽椅子ってか

やっぱり灰色はイヤ!

赤色や黄色や青色のがいいの!



院生のときに

宇部のセントラル硝子っていう会社のセメント工場に見学に行ったときのこと

「これは塩です」

そう言われて見上げると

4、5階建てのビルディングぐらいの高さがあった

塩の山

そこで働いている人には

めずらしくともなんともないものなのだろうけれど



自由金魚

世界最大の顕微鏡が発明されて

金属結晶格子の合間を自由に動きまわる金魚の映像が公開された。

これまで、自由電子と思われていたものが

じつは金魚だったのである。

自由金魚は、金属結晶格子の合間を泳ぎまわっていて

金属結晶格子の近くに寄ると

まるで金魚すくいの網を逃れるようにして、ひょいひょいと泳いでいたのである。

電子密度は、これからは金魚密度と呼ばれることになり

物理とか化学の教科書や参考書がよりカラフルなものになると予想されている。


ベンゼン環の上とか下とかでも、金魚たちがくるくるまわってるのね。

世界最大の顕微鏡で見るとね。



金魚蜂。

金魚と蜂のキメラである。

水中でも空中でも自由に泳ぐことができる。

金魚に刺されないように

注意しましょうね。



金魚尾行。

ひとが歩いていると

そのあとを、金魚がひゅるひゅると追いかけてくる。



近所尾行。

ひとが歩いていると

そのあとを、近所がぞろぞろぞろぞろついてくるのね。

ありえるわ、笑。



現実複写。

つぎつぎと現実が複写されていく。

苦痛が複写される。

快楽が複写される。

悲しみが複写される。

喜びが複写される。

さまざまな言葉たちが、さまざまな人間たちの経験を経て、現実の人間そのものとなる。

さまざまな形象たちが、さまざまな人間たちの経験を得て、現実の事物や事象そのものとなる。



顔は濡れていた。

ほてっていたというわけではない。

むしろ逆だった。

冷たくて、空気中の水蒸気がみな凝結して露となり、

したたり落ちているのだった。

身体のどこかに、この暗い夜と同じように暗い場所があるのだ。

この暗い夜は、わたしの内部の暗い場所がしみ出してできたものだった。

わたしの視線に満ち満ちたこの暗い夜。



あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆる機械は機械を機械する。

あらゆる機械を機械に機械する。

あらゆる機械に機械は機械する。

機械死体。

故障した機械蜜蜂たちが落ちてくる。

街路樹が錆びて金属枝葉がポキポキ折れていく。

電池が切れて機械人間たちが静止する。

空に浮かんだ機械の雲と雲がぶつかって

金属でできたボルトやナットが落ちてくる。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆるものが機械する。

機械したい。

機械される。

あらゆる機械は機械を機械する。

あらゆる機械を機械に機械する。

あらゆる機械に機械は機械する。



葱まわし 天のましらの前戯かな

孔雀の骨も雨の形にすぎない



べがだでで ががどだじ びどズだが ぎがどでだぐぐ どざばドべが



四面憂鬱

誌面憂鬱

氏名憂鬱

四迷憂鬱

4名湯打つ

湯を打つ?

意味はわからないけど

なんだか意味ありげ

湯を打つと

たくさん賢治が生えてくるのだった

たとえば、官房長官のひざの上にも

スポーツキャスターの肩の上にも

壁に貼られたポスターの上にも

きのう踏みつけた道端の紙くずの上にも

賢治の首がにょきにょき生えてくるのだった

身体はちぢこまって

まるで昆虫のさなぎみたいに

小さい

窓々から覗くたくさんの賢治たち

さなぎのようにぶら下がって

窓々の外から、わたしたちを覗いているのだ

「湯を打つ」の意味を

こうして考えてみると

よくわかるよね

キュルルルルル

パンナコッタ、

どんなこった



さっき

散歩のついでに

西院の立ち飲み屋にぷらっと寄って

飲んでいました。

むかし

「Street Life.」って、タイトルで

中国人の26才の青年のことを書いたことがあって

立ち飲み屋の客に

その中国人の青年にそっくりな男の子がいて

やんちゃな感じの童顔の男の子で

二十歳過ぎくらいかな

太い大きな声で、年上の連れとしゃべっていました。

ときどき顔を見ていたら

やっぱりよく似ていて

そっくりだったなあ

と思って、帰り道に

その男の子と

中国人の青年の顔を思い浮かべて

ほんとによく似ていたなあと

ひとしきり感心して

ディスクマンで、プリンスの

Do Me,Baby を聴きながら

帰り道をとぽとぽと歩いていました。

もしかしたら、錯覚だったのかもしれません。

あの中国人の青年のことを思い出したくて、似ているなあと思ったのかもしれません。

いまでも、しょっちゅう、あの中国人青年の声が耳に聞こえるのです。

おれ、学歴ないやろ。

中卒やから

金を持とうと思うたら、風俗でしか働けへんねん。

そやから、風俗の店で店長してんねん。

一日じゅう、働いてんでえ。

そんかわり、月に50万はかせいでる。

たしかに、そんな感じだった。

ぼくと出会った夜

おれがホテル代は出すから

ホテルに行こう

って、その子のほうから言ってきて

帰りは、自分の外車で送ってくれたのだけれど。

さっき立ち飲み屋で話してた青年も

あどけない顔して、話の中身は風俗だった。

まあ、客にそのときはまだ女がいなかったからね。

でも、ほんとに風俗が好きなのかなあ。

このあいだ、よく風俗に行くっていう、24才の青年に

痛くない自殺の仕方ってありますか、って訊かれた。

即座に、ない、とぼくは答えた。

その子も童顔で、すっごくかわいらしい顔してたのだけれど。

おれ、エロいことばっかり考えてて、女とやることしか楽しみがないんですよ。

いたって、ふつうのことだと思うのだけれど。

それが、死にたいっていう気持ちを起こさせるわけでもないやろうに。

そういえば、あの中国人青年も、風俗の塊みたいな子やった。

おれ、女と付きおうてるし、女好きなんやけど

ときどき、男ともしたくなるねん。

おっちゃん、SMプレーってしたことあるか?

梅田にSMクラブがあんねんけど

おれ、月に一回くらい行ってんねん。

おれ、女とやるときには、おれのほうがSで、いじめたいほうなんやけど

男とするときには、おれのほうがいじめられたいねん。

おっちゃん、おれがしてほしいことしてくれるか?

って、そんなこと、ストレートに訊かれて

ぼくは

ぼくの皮膚はビリビリと震えた。



三日ぶりに

仕事場に彼が出てきた

愛人のわたしの前で他人行儀に挨拶する彼

そりゃまあ仕方ないわね

ほかのひとの目もあるんですもの

それにしてもしらじらしいわ

彼は首に娘を巻きつかせていた

「このたびはご愁傷様でした」

彼女は三日前に死んだ彼の娘だった

死んだばかりの娘は

彼女の腕をしっかり彼の首に巻きつけていた

彼の首には

三年前に死んだ彼の母親もぶらさがっていた

母親の死体はまだまだ元気で

けっして彼から離れそうになかった

その母親の首には

彼の祖父母にあたる老夫婦の死体がぶらさがっていた

もうほとんど干からびていたけど

そんなに軽くはないわね

わたしの目の前を彼が通る

机の角がわたしの腰にあたった

彼の足下にしがみついて離れない

去年の暮れに死んだ彼の奥さんが

わたしの机の脚に自分の足をひっかけたのだ

いつもの嫌がらせね

バカな女

でも彼のやつれた後ろ姿を目にして

彼とももうそろそろ別れたほうがいいのかなって

わたしはささやきつぶやいた

わたしの首に抱きついて離れないわたしの死んだ夫に



「言葉とちゃうやろ

 好きやったら、抱けや」

数多くのキッスと

ただ一回だけのキス

むかし、エイジくんって子と付き合っていて

その子とのキッスはすごかった

サランラップを唇と唇のあいだにはさんでしたのだ

彼とのキスはそれ一回だけだった

一年間

ぼくは彼に振り回されて

めちゃくちゃな日々を送ったのだ

ぼくは一度も好きだと言わなかった

彼もまた、ぼくのことを一度も好きだと言わなかった

お互いに

ぜんぜん幸せではなかった

だけど

離れることができなかった

一年間

ほとんど毎日のように会っていた

怒濤のような一年が過ぎて

しばらくぼくのところに来なくなった彼が

突然、半年振りに

ぼくの部屋に訪れて

男女モノのSMビデオを9本も連続してかけつづけたのだ

わけがわからなかった

「たなやんといても

 俺

 ぜんぜん幸せちゃうかった

 ほんまに

 きょうが最後や

 二度ときいひんで」

「元気にしとったん?」

「俺のことは

 心配せんでええで

 俺は何があっても平気や」

ぼくは30代半ば

私立高校で数学の非常勤講師をしていた

彼は京大の工学部の学生で柔道をしていた

もしも、もう一度出会えたら

彼に言おうと思ってる言葉がある

「ぼくも

 きみといて

 ぜんぜん幸せちがってた

 だけど

 いっしょにいなかったら

 もっと幸せちごうたと思う

 そうとちゃうやろか」



この齢になっても

愛のことなど、ちっとも知らんぼくやけど

「俺といっしょに行くんやったら

 きたない居酒屋と

 おしゃれなカフェバーと

 どっちがええ?」

「カフェバーかな」

「俺は居酒屋や

 そやからインテリは嫌いなんや」

「きみだってインテリだよ」

「俺のこと

 きみって言うなって

 なんべん言うたらええねん

 むっかつく」

ぼくは、音楽をかけて本を読み出す

きみは、ぼくに背中を向けて居眠りのまね

いったい、なにをしてたんだろう

ぼくたちは

いったい、なにがしたかったんだろう

ぼくたちは

ぼくは気がつかなかった

きみと別れてから

きみに似た中国人青年と出会って

ようやく気がついた

きみが、ぼくになにを望んでいたのか

きみが、ぼくにどうしてほしかったのか

ぼくたちは

ぼくたちを幸せにすることができなかった

ちっとも幸せにすることができなかった

それとも、あれはあれで

せいいっぱいの幸せやったんやろか

あれもまたひとつの幸せやったんやろか

よく考えるんやけど

もしも、あのとき

きみが望んでたことをしてあげてたらって

もちろん、幸せになってたとは限らないのだけれど

考えても仕方のないことばかり考えてしまう

つぎの日の朝のトーストとコーヒーが最後やった

二度とふたたび出会わなかった



単為生殖で増えつづける工事現場の建設労働者たちVS真っ正面土下座蹴り

&ちょい斜め土下座蹴り&真っ逆さま土下座蹴り



いつの間に

入ってきたのだろう

窓を開けたのは

洗濯物を取り入れる

ほんのちょっとのあいだだけだったのに

蚊は

姿を現わしては消える

音楽をとめて

蚊を見つけることにした

本棚のところ

すべての段を見ていく

パソコンの後ろをのぞく

CDラックもつぶさに見ていく

ふと思いついて

箪笥を開ける

箪笥を閉める

振り返ると

蚊がいた

追いつめてやろうとしたら

姿を消す

パソコンの前に坐って

横目で本棚のところを見ると

蚊がいた

やがて

白い壁のところにとまったので

しずかに近づいて

手でたたいた

つぶした

と思ったら

手には何の跡もない

ぼくは

白い壁の端から端まで

つぶさに見ていった

蚊はどこにもいなかった

ふと、壁の中央に目がひきつけられた

壁紙の一部がぽつりと盛り上がり

それが蚊に変身したのだ

そうか

蚊はそこから現われては

そこに姿を消していったんだ

ぼくは

壁面を

上下左右

全面

端から端まで

バシバシたたいていった

ぼくは、どっちを向けばいい?



倫理的な人間は、神につねに監視されている。



会話するアウストラロピテクス



あのひとたちは長つづきしないわよ

どうして?

わたしたちみたいに長いあいだいっしょにいたわけじゃないもの

そんな言葉を耳にしてちらっと振り返った

よく見かける初老のカップルだった

たぶん夫婦なのだろう

バールに老人たちがいることは案外多くて

それは隣でバールの主人の父親が骨董品屋を開いていて

というよりか

骨董品屋のおじいさんの息子が

骨董品屋の隣にバールをつくったのだけれど

だからたぶんそのつながりで老人が多いのだろう

洛北高校が近くて

高校生がくることもあったのだけれど

客層はばらばらで

あんまりふつうの感じのひとはいなくて

クセのある個性的なひとが集まる店だった

西部劇でしかお目にかからないようなテンガロンハットをかぶったひととか

いやそのひとはときどき河原町でも見かけるからそうでもないかな

マスターである主人は芸術家には目をかけていたようで

店内には客できていた画家の絵が掲げてあったり

大学の演劇部の連中の芝居のチラシが貼ってあったり

ぼくも自分の詩集を置かせてもらったりしていた

老夫婦たちが話題にしていた人物が

じっさいには何歳なのか

具体的にはわからなかったけれど

年齢差のあるカップルについて話していたみたいで

あの若い娘とは知り合ったばかりでしょ

とか言っていた



バール・カフェ・ジーニョ

下鴨に住んでいたころには毎日通っていた

ぼくの部屋がバールの隣のマンションの2階にあったから

いまでも、コーヒーって、200円なのかな



さっき

「会話するステテコ」って

突然おもい浮かんだのだけれど

意味がわからなくて

というのは

ステテコが何かすぐに思い出せなくて

ステテコに近い音を頭のなかでさがしていたら

アウストラロピテクス

って出てきた



ステテコって

フンドシのことかな

って思っていたら

いま思い出した

パッチのことやね



ステテコ

じゃなくて

フンドシで思い出した

むかし、エイジくんが

フンドシを持ってきたことがあって

「これ、はいて見せてや」

と言われたのだけれど

フンドシなんて

はいたことなくって

けっきょく

はいたかどうか

自分のフンドシ姿の記憶はない

ただ、「やっぱり似合うなあ」って

なんだか勝ち誇ったような笑顔を浮かべながら言う

エイジくんの顔と声の記憶はあって

当時は、ぼくも体重が100キロ近くあったから

まあ、腹が出てて、ふともももパンパンやったから

似合ってたのかもしれない

はいたんやろうね

なんで憶えてへんのやろ



フンドシは

白の生地に●がいっぱい

やっぱり

●とは縁があるんやろうなあ



これはブログには書けないかもね

フンドシはなあ



どうして、ぼくは、きみじゃないんやろうね。

どうして、きみは、ぼくじゃないんやろうね。



フンドシはなあ。


Jumpin' Jack Flash。

  田中宏輔



●捜さないでください●現実は失敗だらけで●芸術も失敗だらけ●ちゃんと生きていく自身がありません●ハー●コリャコリャ●突然●自由なんだよって言われたってねえ●恋人没収!●だども●おらには●現実がいっぱいあるさ●芸術だっていっぱいあるわさ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●足をあげて●足をさげて●オイ●チニ●オイ●チニ●黄色いスカートをひるがえし●オイ●チニ●オイ●チニ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちの黄色いスカートがまくれあがり●マリリン・モンローのスカートもまくれあがり●世界じゅうの婦女子たちのスカートもまくれあがる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●自転車は倒れ●バイクも倒れ●立て看板も倒れ●歩行者たちも倒れ●工事現場の建設作業員たちも倒れ●ぼくも道の上にへたり込む●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●吹けよ●風!●呼べよ●嵐!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●真っ直ぐな肩よ●来い!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●真っ直ぐな肩よ●来い!●東京のあるゲイ・バーでの話●ジミーちゃんから聞いたんだけど●隣に腰掛けてた三木のり平そっくりの男のひとが●ジミーちゃんに向かって●こんなこと言ったんだって●「あまりこっちを見ないで」●「恐れなくてもいいのよ」●「話しかけてくださってもいいのよ」●「でもお話ってセンスの問題でしょ」●「この方がリクエストしてくださるから赤とんぼ入れてくださるかしら」●もちろん●ジミーちゃんは●そのひととは一言も口をきいていません●このエピソード●なんべん思い出しても笑けてしまいます●エリカも笑けるわ♪●記憶の泡が●ぷかぷかと浮いている●記憶の泡が●ぷかぷかと浮いている●大きな記憶の泡たちが●ぷかぷかと浮いている●小さな記憶の泡たちが●ぷかぷかと浮いている●見ていると●小さな記憶の泡たちは●つぎつぎとぷちぷちはじけて●隣に浮かんでいる大きな記憶の泡と合わさって●ますます大きな記憶の泡となって●ぷかぷかと浮いている●ぷかぷかと浮いている●ぼくは●棒の先で●そいつをつつく●そしたら●そいつが●パチンッとはじけて●ぼくの持っている棒を●引っ張って●引っ張られたぼくは●落っこちて●ぼくが●ぷかぷかと浮いている●ぼくが●ぷかぷかと浮いている●大きなぼくの泡が●ぷかぷかと浮いている●小さなぼくの泡が●ぷかぷかと浮いている●見ていると●小さなぼくの泡は●つぎつぎとぷちぷちはじけて●隣に浮かんでいる●大きなぼくの泡と合わさって●ますます大きなぼくの泡となって●ぷかぷかと浮いている●ぷかぷかと浮いている●記憶が●棒の先で●大きなぼくの泡をつつく●そしたら●ぼくは●パチンッとはじけて●えさをやらないでください●公園には●そんな立て看板がしてあったのだけれど●ぼくは●いつものように●えさをやりに公園に行った●公園には●小さなぼくがたくさんいた●たくさんの小さなぼくは●くるってる●くるってるって●鳩のように鳴きながら●砂をひっかきまわして●地面をくしゃくしゃにしていた●ぼくは●ぼくの肉をなるべく小さくひきちぎって●投げてやった●すると●たくさんの小さなぼくは●くちばしをあけて●受けとめると●ぱくぱく●ぱくぱく●ぼくを食べた●ぼくは●ぼくの肉をひきちぎっては投げ●ひきちぎっては投げてやった●たくさんの小さなぼくは●ぱくぱく●ぱくぱく●ぼくを食べた●たくさんの小さなぼくは●ぱくぱく●ぱくぱく●ぼくを食べた●たくさんの小さなぼくは●もうぼくの身体に●肉がぜんぜんついていないのを見ると●くるってる●くるってるって●鳩のように鳴きながら●飛び去っていった●ぼくは●自分の胸の奥の●奥の奥の●骨にこびりついた●ちびっと残った肉のかけらを●骨だけになった指先で●つまんで食べた●こんな詩の一節を●むかし書いたことがあって●公園のベンチに坐りながら●持ってきた本を読んでいた●ひと休みして顔を上げると●ひとつ置いて●横に並んだベンチのうえに●となりのとなりのベンチのうえに●疲れた様子の猫が一匹●腰掛けていた●猫が首をまわして●ぼくのほうを見て●にやりと笑うので●ぼくは●猫の隣にいって●猫の肩をもんでやった●肩でも凝ってるんだろうなって思って●すると●猫はうれしそうに●くすくす笑って●公園のブランコのあるほうを眺めていた●しばらくすると●もういいよ●という合図のつもりなのか●猫は●ぼくの手の甲をひとかきすると●にやりと笑って●走り去っていった●ぼくは●自分のいたベンチにもどって●またしばらく本を読んでいた●2●3ページほど読んだところだった●前のほうから●子供たちの声がするので●向かい側のベンチのほうに目をやった●4人の小さな子供たちに囲まれて●ひとりのおじいさんが●片手をすこし上げていた●指を伸ばした右の手のさきで●その手のさきにある地面のうえで●たくさんの枯れ葉が円を描いて●くるくると回っていた●やがて●枯れ葉は●おじいさんの腕のまわりを●螺旋を描いて●くるくると回りながら●まとわりついていき●おじいさんのからだ全体をすっぽりと包み込んでしまった●そのくるくると螺旋を描いて回る枯れ葉を見て●子供たちがさらに声をあげた●おじいさんが左手をすこし上げると●こんどは●全身を包んでくるくると回っていた枯れ葉が●これまた螺旋を描きながら●左腕を伝って●地面のうえに落ちていき●地面のうえでも円を描いて●子供たちの足に●腰に●腹に●背に●手に●顔に●頭に●全身●からだじゅうに●カサカサあたりながら●くるくる回って●くるくるくるくる回って●すると●子供たちは●いっそう大きな声でさわいで●おじいちゃんに声をかけた●すてきなおじいちゃん●大好きなおじいちゃん●カッチョイイおじいちゃんって●枯葉はいつまでも●子供たちのからだを取り巻きながら●くるくる回っていた●くるくるくるくる回っていた●子供たちの歓声を聞くと●おじいさんは●すごく喜んで●けたけた笑って●軽快にスキップしながら●公園から走り去っていった●でも●子供たちは●おじいさんよりすごくって●手を上げると●子供たちのまわりで●そこらじゅうのものが●ぐるぐる回りだした●そばの大人たちは悲鳴をあげて舞い上がり●自転車は舞い上がり●立て看板は舞い上がり●植わっていた樹木は根っこごと●ずぼっと抜けて舞い上がり●ブランコは鎖からちぎれ●シーソーの板は軸からはずれ●鉄棒さえ支柱ごと地面から抜けて舞い上がり●ぐるぐるぐるぐる回りだした●ぼくのからだも宙に舞って●ぐるぐる回りだした●世界が●子供たちのまわりで●ぐるぐるぐるぐる回った●突然●子供たちが手を下ろすと●みんな●どすん●どすん●と落っこちて●ぼくは手に持っていた本がなくなっていたから●そのあと公園のなかを●はぐれた本を探して●ずいぶんと長い間かかって探さなければならなかった●イエイ!●仕事帰りに寄った●烏丸のジュンク堂で●ぼくの作品が載ってる号でも見ようと思って●國文學の最新号とバックナンバーが置いてある棚を見たら●ぼくの原稿が載っているはずの号がないので●店員さんに訊くと●発売日が20日から27日に変更になっていた●うううううん●そういえば●去年のユリイカの増刊号も●ぼくの書いている号の発売日が延期されたぞ●ま●偶然だと思うけど●しかし●きょう●店員さんが見せてくれた書店向けのその27日発売の増刊号の予告のチラシ●執筆者の数が●いつもの号の倍近く●昨年のユリイカの増刊号の『タルホ』特集もものすごく分厚かったけど●今回の國文學の臨時増刊号●『読んでおくべき/おすすめの短編小説50 外国と日本』も分厚そう●ああ●そう●きょう●新しい詩集のゲラの校正をしていて●ぼくが26歳のときのことを書いているところがあって●そのころ知り合った20歳の青年のことを●思い出していて●ああ●ヘッセなら●これを存在の秘密とでも言うんだろうなあ●と思った●彼は福岡出身で●高校を出てすぐ●18才から京都で●昼間はビリヤード店で●夜はスナックでアルバイトをしていると言っていた●ぼくが下鴨に住んでいたころね●ぼくが住んでいたワンルーム・マンションの向かい側に●そのビリヤード店があって●彼が出てくるところで●ぼくと目が合って●で●ぼくのほうから声をかけて●そのあとちょこっとしゃべって●それから口をきくようになったのだけれど●3回目か●4回目に会ってしゃべっていたときかな●別れ際に●「こんどゆっくり男同士の話をしましょう」と言われて●びっくりして●いままでも男同士だったし●ええっ?●という感じで●またそのときの彼の目つきがとてつもなく真剣だったので●それから●ぼくは彼を避けたのだった●避けるようになったのだった●ぼくは●彼はふつうの男の子だと思っていたから●ふつうの男の子とはふつうに接しないといけない●と●ぼくは思っていたのだ●そのときのぼくは●ね●ま●いまでもそうだけどさ●ぼくは自分の大事な感情や気持ちから●逃げることがよくあって●いまから思うと●大切なひとを●大切な時間を●たくさんすり抜けさせてしまったんだなあと思う●ああ●ヘッセなら●これを存在の秘密とでも言うんだろうなあ●そう思った●存在の秘密●ヘッセが言ってたかな●もしかしたら言ってたかもしれない●言ってなかったら●ぼくが考え出した言葉ってことになるけど●なんだかどこかで見たような記憶もある●ありそうな言葉だもんね●ま●どうでもいいんだけどね●あ●そうそう●詩集の校正をしていた喫茶店でね●高瀬川を見下ろしながら●「ソワレ」っていう京都では有名な喫茶店の二階でね●こんなこと考えていた●思い出していた●考えながら思い出していた●思い出しながら考えていた●ぼくは●ほんとうに●何人もの●もしかしたら深い付き合いになっていたかもしれないひとたちを避けてきたのだった●と●いま46歳で●もう●愛する苦しさも●愛されない苦しさも●若いときほどではないのだけれど●記憶はいつまでも自分を苦しめる●まあ●苦しむのが好きなんだろうね●ぼくは●笑●人生というものが●ぼくのもとからすぐに通り過ぎていくものであるということを●若いときのぼくは知らなかった●いまのぼくは知っていて●古い記憶に苦しめられつつも●思い出しては●ああ●あのとき●こうしておいたらよかったのになあとか●ああしておいたらよかったのになあとか●考えたりして●おいしい時間を過ごしているっていう●ああ●ほんまにオジンやな●チャン●チャン●で●その青年とは●半年くらい経ってから●高野にある「高野アリーナ」だったかな●そのホテルのプールで再会して●いっしょにソフトドリンクを飲んだのだけれど●コーラだったと思う●でも●そのとき●彼は彼の友だちと来ていて●その友だちに●ぼくのことを説明しているときに●その友だちが●きつい目つきで●ぼくのことを見つめていたので●それから●ぼくはあまりしゃべらずに●ただ●彼の顔と●水泳を中学から高校までしていたという●すこしぽちゃっとしたからだつきの●彼のからだを眺めながら●夏のきつい日差しで●自分のからだを焼いていた●というのはちょこっと嘘で●というか●もうすこし詳しく書くと●彼の股間を●青いビキニの布地を通して●横にストライプの細い線が二本はいった●青いビキニの布地を通して●もっこりと浮かび上がった彼のチンポコの形を●ジーパンのときとは違って●はっきりうつった彼のチンポコの形を●じっと眺めていた●ぼくは彼の勃起したチンポコをくわえたかった●ぼくは彼の勃起したチンポコをくわえたかった●たぶん●彼の体型によく似た●太くて短いチンポコね●あ●20代後半まで●ぼくは●夏には真っ黒に日焼けした青年だったのだ●若いときの写真は●ぼくの詩集の『Forest。』にのっけているので●カヴァーをはずすと本体の表紙に●ぼくの若いときの写真がたくさんついているので●見る機会があれば●見てちょうだいね●チャン●チャン●じゃないや●もうちょっと考えないとだめだね●いまでも苦しんでるんだからね●若いときの苦しみは●自分の気持ちだけを考えての苦しみで●それで強烈に苦しんでいたのね●相手の気持ちを考えもせずに●相手の苦しみをわかろうともせずにね●でも●いまの苦しみは●相手の苦しみをも感じとりながらの苦しみで●けっしてひとりよがりの苦しみではないから●若いときの苦しみとは違っていて●より苦しい部分もあるんだけど●それでも●深いけれど●強烈ではなくなったわけで●それは意義のある苦しみだとも言えるわけでね●つきつめて考えればね●未知ならぬ未知●既知ならぬ既知●オキチならぬオキチ●未知なる未知●既知なる既知●オキチなるオキチ●オッ●キチ●洗剤自我●なんか●いいっしょ?●いいでしょ?●洗剤自我●ゴシゴシ●キュッって●あちゃ●ghost into tears●もちろん●burst into tears●のパスティーシュ●ね●涙に幽霊する●と訳する●ゴーストは翻訳機械でもある●ゴーストは仮定の存在であるにもかかわらず●近づいてくるときにもわかるし●離れていくときにもわかる●そばにいてじっとしているときにも●その気配を感じとることができるのだ●Wake up,the ghost.●たくさんのメモを見渡していると●ゴーストの設定が●はじめに設定していた立ち位置と●多少変わっていることに気づかせられる●そのずれもまた楽しい●ルンル●ルンル●ル〜●日々●これ●口実●ゴーストと集合論●集合論といっても●公理的集合論のほうではなくて●素朴集合論のほうだけど●ゴーストと集合論を●空集合を梃子として●照応させることができた●どの集合も空集合を部分集合とするが●それらは●ただひとつのまったく同じ空集合である●ファイ↑●Φ●ファイ↓●したがって●分裂機械の作品のなかで●主人公の青年が詩人と交わした会話を思い出して書いたところで●詩人が●ゴーストを複数形ではなく●単数形として扱っていたことも●論理的に十全たる整合性があって●あると思っていて●数年前に●dioに●数学的な記述でもって●集合論と自我論を対比させて●論考を書いたことがあったが●その論考の発展形として●分裂機械19の散文詩を書くことができた●ファイ↑●Φ●ファイ↓●『THE GATES OF DELIRIUM。』は●ぼくの作品のなかでも●とびきり複雑な構成の散文詩にするつもりで●井原秀治さんに捧げて●『The Wasteless Land.IV』として書肆山田から詩集として上梓する予定●3●4年後にね●さっき●ノヴァーリスをノートしていて●はっ●として●グッ●なのじゃ●ふるいじゃろう●笑っておくれ●そだ!●シェイクスピアと亡霊って●すっごい深いつながりがあって●『ハムレット』において●亡き父親の霊である亡霊の言葉によって●ハムレットの人格が一変するように●亡霊が人間に影響を与えるということは●重々明白で●『リチャード三世』の第五幕・第三場に●「待て!●何だ●夢か●ああ●臆病な良心め●どこまでおれを苦しめる!」●というセリフがあって●夢のなかで亡霊に責め立てられるのも●じつは●自分の良心が自分自身を咎めるからであって●同じく●第五幕・第三場に●「影が●ゆうべ●このリチャードの魂をふるえ上がらせたのだ」●というセリフがあって●影=亡霊●とする記述が見られるんだけど●『リア王』のセリフには●「わしはだれじゃ?」●というのがあって●それに答えて●「リアの影」というのがあるのだけれど●夢と影●自我とゴースト●この4つのものが●シェイクスピアのなかで●ぼくのなかで●ぐるぐる回っている●ファイ↑●Φ●ファイ↓●自我=夢●夢=影●影=亡霊●亡霊=自我●この数日●シェイクスピアを読み直してよかったな●と●つくづく思う●以前に●ミクシィの日記にも書いた●『あらし』のなかにある●「わたしたちは夢と同じものでつくられている」●といったセリフや●『ハムレット』のなかにある●第一幕・第三場の●「影?●そうとも●みんな影法師さ●一時の気まぐれだ」●といったセリフや●同じく●第二幕・第二場の●「夢自体●影にすぎない」●といったセリフに表わされるように●シェイクスピアの戯曲には●よく●ぼくたちの実体が●ゴーストとちっとも違わないってことが書かれてあるような気がする●うううううん●やっぱり●ぼくは●霊●ゴーストなんだ●それで●霊は零で●ぼくはゼロで●なんもなしだったのか●今夜は●『リア王』を再読する予定●第一幕・第一場のセリフ●「何もないところからは●何も生まれない」●について考えたくて●あ●もうそろそろ寝る時間かな●ナボナ●ロヒプノール●ピーゼットシー●ワイパックスを一錠ずつ取り出し●手のひらのうえにのせて●パクッ●それから水をゴクゴク●で●眠るまでの一時間ほどのあいだ●シェイクスピヒイイイイイイイイイイア●と●エリオットのまね●笑●できることなら●生きているあいだに●顔を見たひとみんな●声を聞いたひとみんな●そばにいたひとみんなを●こころにとどめておきたい●とかなんとか●霊は●ゴーストは●蜘蛛のように●くるくると巻き取るのだ●時間を●空間を●出来事を●くるくると巻き取っていくのだ●そのヴィジョンがくっきりと目に浮かぶ●愛によって●理解しようとする意図によって●糸によって●時間を●空間を●出来事を●くるくると巻き取っていくのだ●ひゃひゃひゃ●意図は●糸なのね●ひゃひゃひゃひゃひゃ●ワードの機能は●無意識の意図を●糸を●つむぎだすのだね●自分のメモに●「表現とは認識である」とあった●日付はない●ひと月ほど前のものだろうか●わたしが知らないことを●わたしの書いた言葉が知っている●ということがある●しかも●よくあることなのだ●それゆえ●よくよく吟味しなければならない●わたしの言葉が●認識を先取りして●時間と空間と出来事を●くるくると巻き取っていくのだ●「表現とは認識である」●この短いフレーズが気に入っている●発注リストという言葉を読み間違えて●発狂リストと読んでしまった●お上品発狂●おせじ発狂●携帯電話発狂●注文発狂●匍匐前進発狂●キーボード発狂●高層ビル発狂●神ヒコウキ発狂●歯磨き発狂●洗顔発狂●小銭発狂●ティッシュ発狂●ノート発狂●鉛筆発狂●口紅発狂●カレンダー発狂●ときどき駅のホームや道端なんかで●わけわからんこと言うてるひとがいるけど●手話で発狂を表わしてもいいと思う●オフィーリアの発狂を●手話で表わしたらどんなんなるんやろうか●きれいな手の舞いになるんやろうか●おすもうさんも発狂●ハッキョー●のこった●のこった●てね●後味すっきり●発狂も●やっぱ後味よね●ええ●ええ●それでも●ぼくにはまだ●虫の言葉はわかりません●あたりまえだけど●あたりまえのことも書いておきたいのだ●沖縄では●塩つぶをコップの半分ほども飲むと●蟻の言葉がわかるという言い伝えがあるんだけど●死んじゃうんじゃないの●塩の致死量って●どれくらいか忘れたけど●むかし●京都の進学高校で●洛星高校だったかな●運動会の日に●ある競技でコップ一杯分の塩つぶを飲ませられて●生徒が何人か死にかけたっていう話を聞いたことがある●その場で倒れて救急車で病院に運ばれたらしいけど●朝●通勤の途中に寄った本屋さんで●シェイクスピアの『あらし』をちらりと読んでたら●「ああ●人間てすばらしい」というセリフがあって●人間手●すばらしい●で●違うページをめくったら●ちんちんかもかも●ってセリフがあって●あれ●こんなセリフあったんやって思って●帰ってきてから●しばらく●ちんちんかもかもって●そういえば●むかし読んだことがあって●笑ったかなあって●美しい●オフィーリアの●溺れた手の舞いが●スタージョンの●ビアンカの手を思い出させて●ええと●いまのアメリカの大統領●名前忘れちゃった●あ●ブッシュね●あのひと●完全にいかれちゃってるよね●戦争起こして●ゴルフして●あんなにうれしそうな笑顔ができるんだもんね●戦争が好きなひとの笑顔って●こわいにゃ●腹筋ボコボコのカニ●毎日ボコボコ●ボコボコ●爆撃してるのね●あ●で●手話発狂●そうそう●そだった●手で●ぐにぐにしてるひとがいたら●それは手話発狂なんやって●そだった●『ハムレット』のなかで●オフィーリアが発狂して●川辺で歌い踊りながら●川に落ちて死んだ●と●告げるシーンがあって●もちろん●美しい声で歌を歌いながら●若い娘らしく可憐に踊りながら●川に落ちるんやろうけど●どんなんやったんやろうかって●きれいな手の舞いやったんやろうかって●手に目が●目に手が●たたんた●たん●たた〜●たたんた●たん●たた〜●軽度から重度まで●いろいろな症状の発狂リスト●程度の違いは多々●多々●たたんた●たん●たた〜●たたんた●たん●たた〜●で●ぼくたちは●思い出でできている●ぼくたちは●たくさんの思い出と嘘からできている●ぼくたちは●たくさんの嘘とたくさんのもしもからできている●嘘●嘘●嘘●もしも●もしも●もしも●ぼくたちは●百億の嘘と千億のもしもからできている●それは●けっして●だれにも●うばわれることのない●ときどきノイローゼの仮面ライダー●キキーって●ときどきショッカーになる●「あんた●仮面ライダーなんやから●悪モンのショッカーになったらあかんがな」●「変身願望があるんです」●「正義の味方なんやから●そんな願望持ったら●あかんがな」●「そやけど●どうしても●ときどきショッカー隊員になりたいんです」●「病気やな」●「ただの変身願望なんです」●「病気だよ」●「キキー!」●自分の感情のなかで●どれが本物なのか●どれが本物でないのか●そんなことは●わかりはしない●そう言うと●まるで覚悟を決めた人身御供のように●わたしは●その場に身を沈めていったのであった●ずぶずぶずぶ〜●百億の嘘と千億のもしも●きょう●『The Wasteless Land. III』の校正を●仕事場の昼休みにしていて●「ぶつぶつとつぶやいていた」●と書いてあったのを●[putsuputsu]と[putsu]やいていた●と発音して●これっていいなって思ったり●[tsuputsupu]と[tsupu]やくでもいいかなって●思ったりしていた●市場の仕事って●夜明け前からあって●って言葉を●昼過ぎに職場で耳にして●ああ●何年前だったろう●十年くらい前かな●ノブユキに似た青年が●ぼくのこと●「タイプですよ」って●「付き合いたい」って言ってくれたのは●でも●そのとき●ぼくには●タカシっていう恋人がいて●タカシのことはタンタンって呼んでいたのだけれど●ノブユキに似た彼には何も言えなかった●彼は●市場で働いてるとか言ってた●「朝●はやいんですよ●夜中の2時くらいには起きて」●だったかな●だから●会えるとしても●月に一回ぐらいしか●と言われて●ぼくには●壊れかけの関係の恋人がいて●タンタンのことね●壊れかけでも●恋人だったから●で●彼には●ごめんねって言って●梅田のゲイ・ポルノの映画館で●東梅田ローズっていったかな●彼といっしょに●トイレの大のほうに入って●ぼくたちは抱き合い●キスをして●彼のチンポコを●ぼくはくわえて●彼のアヌスに指を入れて●ぼくは彼のチンポコをくわえながらこすって●こすりながら彼のチンポコをくわえて●彼は目をほそめて●声を出して●あえぎながら●ぼくの口のなかでいって●彼は目をほそめて●あえぎながら●ぼくの口のなかでいって●すると●アヌスがきゅって締まって●ぼくの指がきゅって締めつけられて●ああ●ノブユキ●ほんとに似てたよ●きみにうりふたつ●そっくりだったよ●もしも●あのとき●もしも●あのとき●もしも●あのとき●ぼくが付き合おうかって●そんな返事をしてたらって●そんな●もしも●もしもが●百億も●千億もあって●ぼくの頭のなかで●[tsuputsupu]と[tsupu]やいている●つぷつぷとつぷやいている●[tsuputsupu]と[tsupu]やいている●つぷつぷとつぷやいている●ぼくたちは●百億の嘘と千億のもしもからできている●ぼくたちは●もしも●もしもでいっぱいだ●ぼくは何がしたかったんだろう●ちゃんと愛しただろうか●ぜんぜん自身がない●百億の嘘と千億のもしもを抱えて●ぼくは●[tsuputsupu]と[tsupu]やいている●つぷつぷとつぷやいている●つぷつぷと●通報!●通報!●蘇生につぐ蘇生で●前日の受難につぐ受難から●凍結地雷という兵器を想像した●踏むと凍結するというもの●きのう●dioのメンバーで●雪野くんという●まだ京都大学の一回生の男の子がいて●その子が●この夏●哲学書をたくさん読んでいたらしく●「ぼくって●まだ不幸を知らないんです●これで哲学を理解できるでしょうか」●って訊いてきた●「不幸なんて●どこにでもあるやんか●ちょっとしたことでも●不幸の種になるんやで」●って言ってあげた●いや●むしろちょっとしたことやからこそ●不幸の種になるといってもよい●ぼくなら唇の下のほくろ●なんだか泣き虫みたいで●情けない●あ●情けない話やなくて●不幸の話やった●そうやな●漫才師の「麒麟」っていうコンビの片割れが●むかし●公園で暮らしたことがあるって●そんなことを書いた本があって●売れているらしくってって●このあいだの日曜日に会った友だちが●ジミーちゃんね●「今●本屋で探しても●ないくらいやで」●とのこと●ほら●他人の不幸も●そこらじゅうに落ちてるやんか●でも●赤ちゃんがいてると●不幸が●どこかよそに行ってしまうんやろうなあ●アジアやアフリカの貧しい国の子供たちの顔って●輝いてるもんなあ●アジア●アフリカかあ●行ったことないけど●写真見てたら●そんな気がするなあ●おいらのこの感想も浅いんやろなあ●そこのほんまの現実なんて知らんもんなあ●でも●公園で暮らしてた●っていうエピソードは●レイナルド・アレナスを思い起こさせる●レイナルド・アレナス●『夜になる前に』という映画や●そのタイトルの自伝で有名な作家●彼の尋常でない●男の漁り方は●必見!●必読!●そういえば●ラテン・アメリカの作家の作品には●ゲイの発展場とか●よく出てくるけど●女性にも理解できるんやろうか●まだ訊いたことないけど●また●訊けるようなことちゃうけど●笑●男やったら●ゲイでなくてもわかるような気がするけど●ちゃうかなあ●どやろか●笑●道徳とは技術である●多くの人間が道徳につまずく●あるいは●つまずくのを怖れる●道徳のくびきを逃れようとする者は多いが●逃れ切ることができる者は少ない●道徳は●まったき他人がつくるものではない●自分のこころのなかの他人がつくるものである●いわば●自分のこころに振り回されているのである●パピプペポポ詩って●タイトルにしようかな●うんこの本をきのう買ったから●うんこのことを書くにょ●『うんことトイレの考現学』っちゅう本だにょ●うんこの話も奥が深いんだにょ●しかし●ひかし●ひかひ●ひひひ●そんじょそこらにあるうんこの詩を書くにょ●さわったら●うんこになる詩だにょ●嗅いだら●うんこの臭いがするにょ●ぼくは●そんな滋賀●柿●鯛●にょ●阿部さん●黒丸って●それひとつだけでも●そうとう美しいですものね●で●砲丸が空から落ちてくるように●黒丸でページを埋め尽くすと●それはもう●美しい紙面に●というわけで●戦争を純粋に楽しむための再教育プログラム●こんどの詩集は●全ページ黒丸で●埋め尽くしました●文字ではなく●黒丸だけを見るために●ぱらぱらとページをめくる●といった方も●いらっしゃるんじゃないかしら●と●ひそかに●ほくそえんでいます●ぼくは●ぱらぱら●自分でしてみて●悦に入ってました●書肆山田さんから●ゲラの第二稿がまだ届かないので●読書三昧です●笑●そろそろ睡眠薬が効いてきたかな●眠くなってきた●阿部さん●おはようございます●すごいはやいですね●ぼくはいま起きました●真ん中の弟を●下の弟が殺した夢を見ました●それを継母がどうしても否定するので●ぼくが下の弟を●サーカスの練習で使う●空中ブランコの補助網の上で●弟を下に落とそうと脅かしながら●白状させようとするのですが●白状しません●最後まで白状しませんでしたが●ぼくは●真ん中の弟の骨についた肉を食べて●その骨をいったん台所の流しの●三角ゴミ入れのなかに入れて●またそれを拾い出して●ズボンのポケットに入れました●奇妙な夢でした●意味わからん夢ですね●スイカを見る●スイカになる●真夜中の雨の郵便局●ぼくの新しい詩集の校正をようやく終えたのが●夜の12時すぎ●さっき●で●歩いて7●8分のところにある●右京郵便局に●こんな夜中でも●ぼくと同じ時間に●二組みのひとたちが●郵便物を受け取りに●あるいは●書留を出しにやってきていた●昼には●四条木屋町の「ソワレ」という有名な喫茶店に行って●ジミーちゃんに●ぼくの作品が載ってる●國文學の増刊号を読んでもらって●感想を聞いたり●ぼくの新しい詩集の初校を見てもらって●ぼくが直したところ以外に●直さなければならない箇所がないか●ざっと見てもらったりしていたのだけれど●場所が変わると●気分が変わるので●ぼく自身が●きのうまで気がつかなかったミスを見つけて●そこで●5箇所くらい手を入れた●ああ●文章って怖いなあ●と思った●なんで二週間近く見ていて●気がつかなかったんやろうか●また文章と言ったのは●こんどのぼくの詩集って●改行詩じゃないのね●とくに●『The Wasteless Land.III』は●一ヶ所も改行していないので●書肆山田の大泉さんも●ぼくのその詩集の詩をごらんになって●マグリットの●『これはパイプではない』という作品が思い出されました●と手紙に書いてくださったのだけれど●ということは●「これは詩ではない」という詩を書いたということなのか●それとも●単に「これは詩ではない」というシロモノを書いたということなのか●まあ●ぼくは●自分の書いたものが●詩に分類されるから●詩と言っているだけで●詩と呼ばれなくても●詩でなくてもいいのだけれど●まあ●詩のようなものであればいいのだけれど●あるいは●詩のマガイモノといったものでもいいのだけれど●ぼくは●ぼくの書いたものを見て●読者がキョトンとしてくれたら●うれしいっていう●ただそれだけの●単純なひとなのだけれど●ぼくは●ああ●ぼくは●詩を書くことで●いったい何を得たかったのだろう●わからない●いまだによくわからないのだけれど●ぼくは●詩を書くことで●かえって何かを失ってしまったような気がするのだ●その何かが何か●これまた●ぼくにはよくわからないのだけれど●もしも得たかったものと●失ってしまったものとが同じものだとしたら●同じものだったとしたら●いったいぼくは●ぼくは●中学2年のとき●祇園の家の改築で●一年間ほど●醍醐にいた●一言寺(いちごんじ)という寺が坂の上にあって●両親はその坂道のうえのほうに家を買って●ぼくたちはしばらくそこに住んでいた●引っ越してすぐのことだと思う●友だちがひとり●自転車に乗って●東山から●わざわざたずねてきてくれた●土曜日だったのかな●友だちは●ぼくんちに泊まった●夜中にベランダに出て●夜空を眺めながら話をしてたのかな●空に浮かんだ月が●いつになく大きくて明るく輝いていたような気がする●でも●そのときの話の内容はおぼえていない●ぼくはその友だちのことが好きだったのだけど●ぼくは●まだセックスの仕方も知らなかったし●キスの仕方も知らなかったから●あ●これは経験ありか●嘘つきだな●ぼくは●笑●でも●ぼくからしたことはなかったから●したいという衝動はあったのだろうけど●はげしい衝動がね●笑●でも●どういうふうにしたら●その雰囲気にできるか●まったくわからなかったから●いまなら●ぼくのこころのなかの暗闇に●ほんのすこし手を伸ばせば●その暗闇の一部を引っつかんで●そいつを相手に投げつけてやればいいんだと●知っているんだけど●しかし●もうそんな機会は●『Street Life。』●こんなタイトルの詩を●何年か前に書いた●いま手元に原稿の写しがないので●正確に引用できないんだけど●その詩は●ぼくが手首を切って風呂場で死んでも●すぐに傷が治って生き返って●ビルから飛び降りて頭を割って死んでも●すぐに元の姿にもどって●洗面器に水を張って顔をつけて溺れ死んでも●すぐに息を吹き返して●そうやって何度も死んで●何度も生き返るという●ぼくの自殺と再生の描写のあいだに●ぼくとセックスした男の子のことを書いたものなんだけど●その男の子には●彼女が何人もいて●でも●ときどきは●男のほうがいいからって●月に一度くらいって言ってたかな●ぼくとポルノ映画館で出会って●そのあと●男同士でも入れるラブ・ホテルに行って●セックスして●彼はアナル・セックスが久しぶりらしくて●かなり痛がってたけど●たしかに●締まりはよかった●大きなお尻だった●がっちり体型だったから●シックスナインもしたし●後背位で挿入しながら●尻たぶをしばいたりもした●で●このように●ぼくの死と再生というぼくの精神的現実と●その男の子とのセックスという肉体的現実を交互に書いていったものだったのだけれど●その男の子がぼくに話してくれたことも盛り込んだのだけれど●そのときの話を●完全には思い出すことができない●彼は●女性はいじめたい対象で●大阪のSMクラブにまで行くと言っていた●男には●いじめられたいらしいんだけど●はじめての経験は●スピード出し過ぎでつかまったときの●白バイ警官で●そいつに●ちんこつかまれて●くわえられて●口のなかでいった●とかなんとか●ぼくは最初のセックスで●相手に「いっしょにいこう」と言われて●えっ?●どこに?●って言ったバカなんだけど●で●その男の子は●あ●この男の子ってのは●ぼくの最初のセックスの相手じゃなくて●Street Life●の男の子のほうね●で●その男の子は●中国人で●小学校のときに日本にきて●中学しか出てなくて●いま26歳で●学歴がないから●中学を出てからずっと水商売で●いまはキャバクラの支配人をしていて●女をひとり●かこっていて●部屋まで借りてやって●でも●ほんまに愛しとる女もいるんやで●そいつには俺がSやいうことは知られてへんねんで●もちろん●ときどき男とセックスするなんてぜんぜん知らんねんで●想像もしたこともないやろなあ●とかなんとか●そんな話をしていて●ぼくは●そんなことを詩の言葉にして●ぼくが●何べん自殺しても●生き返ってしまうという連のあいだにはさんで●ええと●この詩●どなたかお持ちでないでしょうか●ある同人誌に掲載されたんですけど●その同人誌をいま持ってないんですよ●ワープロを使っていたときのもので●パソコンを買ったときに●ワープロとフロッピー・ディスクをいっしょに捨ててしまったので●もしその同人誌をお持ちでしたら●コピーをお送りください●送料とコピー代金をお返しします●同人誌の名前も忘れちゃったけど●『Street Life。』●いい詩だったような記憶がある●言葉はさまざまなものを招く●その最たるものは諺どおり●禍である●阿部さん●場所って●不思議な力を持っているものなのですね●「ソワレ」で●それまで見えていなかったものが●見えてしまったのですもの●ひさしぶりに●哲学的な啓示の瞬間を味わいました●「われわれの手のなかには別の風景もある」●含蓄のあるお言葉だと思います●わたしたち自身も場所なので●わたしたちを取り囲む外的な場所自体の記憶+ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)と●わたしたち自身の内的な場所の記憶+ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)が●作用し合っているというわけですね●わたしたちだけではなく●場の記憶やロゴス(概念形成力・概念形成傾向)も●随時変化するものなのですね●ヘラクレイトスの●「だれも同じ川に二度入ることはできない●なぜなら●二度目に入るときには●その川はすでに同じ川ではなく●かつまた●そのひとも●すでに同じひとではないからである」といった言葉が思い起こされました●薔薇窗16号●太郎ちゃんのジュネ論●明解さんの引用が面白い位置にあって●このスタイルって●つづけてほしいなあって思いました●かわいらしかったですよ●タカトさんのお歌も●幽玄な感触が濃厚なもので●味わい深く感じました●ああ●雨脚がつよくて●雨音がつよくて●なんか●ぼくのなかにあるさまざまな雑音が●ぼくのなかから流れ出て●それが雨音に吸収されて●しだいにぼくがきれいになっていくような気がしたのですが●そのうち●ぼく自身が雨音になっていくような気がして●ぼくそのものが消え去ってしまうのではないかとまで思われたのでした●ぼく自体が雑音だったのでしょうか●阿部さん●記憶+ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)●と書きましたが●記憶=ロゴス(概念形成力・概念形成傾向)●かもしれませんね●こういったことを考えるのも好きです●ひとりひとりを●ひとつひとつの層として考えれば●世界はわたしたちの層と層で積み重なっているという感じですね●でも●わたしたち自身が質的に異なるいくつもの層からなるものだとしたら●世界はそうとうな量●さまざまなもので積み重なってできているものとも思われますね●世界の場所という場所は●数多くの層を●数多くのアイデンティティを持っているということになりますね●その層と層とのあいだを●また●自分のなかの層と層とのあいだを●あるいは●世界と自分との層と層とのあいだを●いかに自由に移動できるか●表現でどこまで到達し●自分のものとすることができるか●どのぐらいの層まで把握し●同化することができるか●わあ●わくわくしてきました●ぼくも●もっともっと深い作品を書かねばという気になってきました●おとつい●「ぽえざる」で●年配の女性の方が●「みんなきみのことが好きだった。」を手にとってくださり●目次をちらりとごらんになられて●「すてきね」とおっしゃって●買って行ってくださったのですが●ぼくは●なんて返事をするべきかわからなくって●ただ「ありがとうございます」と言っただけで●お金を受け取ったあと●ぺこりと頭をさげただけだったのですが●きのうと●きょう●その年配の女性の方のことが思い出されて●なんていうのでしょうか●幸福というものが●どういうものか●46歳にもなって●まだわからないところがあるのですが●おとつい耳にした●「すてきね」という●ささやくような●つぶやくようなその方の声が●耳から離れません●来年●また●「ぽえざる」でお会いしたときに●なんておっしゃってくださるのか●なにもおっしゃってくださらないのか●わかりませんが●「すてきね」という●その方の声が●すさんだぼくの耳を●ずいぶんと癒してくださったように思います●お名前もうかがわないで●なんて失礼なぼくでしょう●でも●このことは●創作というものがなにか●その一面を●ぼくに教えてくれたような気がします●自分さえ満足できるものができればいいと思っている●思っているのですが●「すてきね」という声に●そう思っている自分を●著しく恥ずかしいと思ったわけです●うん●勉強●勉強●まあ●こんな殊勝な思いにかられるのも●ほんのすこしのあいだだけなんだろうけどね●笑●言葉は同じような意味の言葉によっても●またまったく異なるような意味の言葉によっても吟味される●ユリイカの2003年4月号●特集は●「詩集のつくり方」●むかし書いた自分の文章を読み返す●自分自身の言葉に出会う●かつて自分が書いた言葉に●はっとさせられる●もちろん●体験が●言葉の意味を教えてくれることもあるのだけれど●言葉の方が●体験よりはやく●自分の目の前に現れていたことにふと気づく●ふだんは気がつかないうちに●言葉と体験が補い合って●互いに深くなって●さらに深い意味を持つものとなって●ぼくも深くなっているのだろうけれど●きのう●シンちゃんに●「許す気持ちがあれば●あなたはもっと深く●自分のことがわかるだろうし●他人のこともわかるだろう●むかしからそうだったけれど●あなたには他人を理解する能力がまったく欠けている」●と言われた●ぼくは●今年亡くなった父のことについて電話で話していたのだ●「ひとそれぞれが経験しなければならないことがある●ひとそれぞれに学ぶべきことがある●学ぶべきことが異なるのだ●ひとを見て●自分を見て●それがわからないのか」●とも言われた●深い言葉だと思った●と同時に●46歳にもなって●こんなことが●自覚できていなかった自分が恥ずかしいと思った●自分を学べ●ということなのだね●むずかしい●と●そう思わせるのは●ぼくが●人間として小さいからだ●それは●ひとを愛する気持ちが少ないからか●だとすれば●ぼくは●愛することを学ばなければならない●46歳にもなったぼくだけれど●でも●ぼくは●これから愛することを学べるのだろうか●自分を学べ●の前に●愛することを学べ●と書いておく●きょうの一日の残りの時間は●それを念頭において生きてみよう●あとちょっとで●きょう一日が終わるけど●笑●でも●ぼくの場合●愛することとは何か●と考えて●それで学んだ気になるかもしれない●それでは愛することにはならないのだけれど●無理かなあ●愛すること●自分を学ぶこと●うううん●ひとまず顔を洗って●歯を磨いて●おやすみ●笑●トマトケチャップの神さまは●トマトの民の祈りの声を聞き届けてはくださらない●だって●トマトケチャップの神さまだからね●彼氏は裸族●ぜったい裸族がいいわ●彼の衣装は裸だった●ぼくに向かって微笑んでくれた●彼の顔は●こぼれ出る太陽だった●ぼくは●目をほそめて●彼を見上げた●うつくしい日々の●記憶のひとつだった●そのときにしか見れないものがある●その年代にしか見れないうつくしいものがある●そのときにしか見れない光がある●その年代でしか感じとれない光がある●言葉が●それらを●ときたま想起させる●思い出させる●タカトさん●きょうのお昼は●東山に桜を見に行きました●八坂神社の円山公園に行き●しだれ桜を見てまいりました●散り桜もちらほらと見受けられました●帰りに四条木屋町を流れる高瀬川のあたりを歩いておりますと●花筏というのでしょうか●タカトさんのミクシィの日記を拝読していて●この言葉を知りましたが●川沿いに植えられた桜の花びらが散り落ちて●川一面に流れておりました●また●いたるところで●詩は●うんこのように●毎日●毎日●ぶりぶりってひりだされているのですが●そのことには気がつかないで●いかにも「詩」みたいなものにしか反応できないひとが●たくさんいそうですね●すました顔で●でっかいうんこをする彼女が欲しいと●そんなことを言う●男の子がいてもいいと思います●うんこ色のパンツをはいた●ひきがえるが●白い雲にむかって●ぶりぶり●ぶりぶりっと●青いうんこを●ひっかけていきます●そしたら●曇ってた空が●たちまち●青く青く●晴れていきました●うんこ色のパンツをはいた●ひきがえるに●敬礼!●ペコリ●笑●くくく●昨年の冬に●近所の公園で踏みました●草のなかで●気づかずに●こんもりと●くやしかった●笑●そういえば●雲詩人とか●台所詩人とか●賞詩人とか●いろいろいますが●すばらしいですね●ぼくは●うううん●ぼくは●ぼこぼこ詩人です●嘘です●ぼくは●うんこ詩人です●ぼくは●でっかいうんこになってやろうと思っています●一度形成されたヴィジョンは●音楽が頭のなかで再生されるように●何度でも頭のなかで再生される●わざと間違った考察をすること●わざと間違えてみせること●わざと間違えてやること●タカトさん●「言葉の真の『主体』とは誰か」ですか●書きつけた者でもなく●読む者でもなく●言葉自体でもなく●だったら●こわいですね●じっさいは書きつけた者でもあり●読む者でもあり●言葉自体でもあるというところでしょうか●「わたし」という言葉が●何十億人という人たちに使用されており●それがただひとりの人間を表わすこともあれば●そうでない場合もあるということ●いまさらに考えますと●わたしが記号になったり●記号がわたしになったり●そんなことなどあたりまえのことなのでしょうけれど●あらためて考えますと●不思議なことのように思われますが●だからこそ●容易に物語のなかに入りこめたり●他者の経験を自分のことのように感じとれたりするのでしょうね●きょう●dioの締め切り日だと思ってた●だけど違ってた●一日●日にちを間違えてた●一日もうけたって感じ●ワルツじゃ●いや●アルツか●笑●笑えよ●おもろかったら●笑えよ●こんなもんじゃ笑われへんか●光が波立つ水面で乱反射するように●話をしているあいだに●言葉はさまざまなニュアンスにゆれる●交わされる言葉が●さまざまな表象を●さまざまな意味概念を表わす●それというのも●わたしたち自身が揺れる水面だからだ●ユリイカに投稿しているとき●過去のユリイカに掲載された詩人たちの投稿詩を読んでいると●「きみの日曜日に傷をつけて●ごめんね」みたいな詩句があって●感心した●それから●たびたび●この言葉どおりの気持ちが●ぼくのこころに沸き起こるようになった●きみに傷を●と直接言っていないところがよかったのだろうか●きみの日曜日に●というところが●Shall We Dance●恋人とこの映画を見に行く約束をして●その待ち合わせの時間に間に合いそうになくって●あわてて●バスに乗って●河原町に行ったのだけれど●あわてていたから●小銭入れを持って出るのを忘れて●で●財布には一万円札しかなかったので●運転手にそう言うと●「釣りないで」●ってすげなく言われて●ひえ〜●って思って固まっていたら●ほとんど同時に●前からはおじさんが●後ろからは背の高い若い美しい女性が●「これ使って」「これどうぞ」と言ってお金を渡そうとしてくださって●これまた●ひえ〜●って状態になったんだけど●おじさんのほうが●わずかにはやかったので●女性にはすいませんと言って断り●おじさんにもすいませんと言って●お金を受け取って●「住所を教えてください」●と言うと●「ええよ●ええよ●もらっといて」●と言われて●またまた●ひえ〜●となって●バスから降りたんやけど●そのあと●恋人と映画をいっしょに見てても●バスのなかでの出来事のほうがだんぜんインパクトが強くて●まあ●映画も面白かったけどね●映画よりずっと感動が大きくって●で●その感動が●長いあいだ●こころのなかにとどまっていて●ぼくも似たことを●そのあと●阪急の●梅田の駅で●高校生くらいの恋人たちにしてあげた●切符の自販機に同じ硬貨を入れても入れても下から返却されて困ってる男の子に「これ使えばええよ」と言って●百円玉を渡してあげたことがあって●たぶん●はじめてのデートだったんだろうね●あの男の子●女の子の前で赤面しながらずっと同じ百円硬貨を同じ自販機に入れてたから●あの子の持ってた百円玉●きっとちょこっとまがってたんだろうね●あの子たちも●どこかで●ぼくのしてあげたことを思い出してくれてたりするかなって●これ●まだどこにも書いてなかったと思うので●いま思い出したので●書いとくね●でも●あのときの恋人●いまどうしてるんやろか●あ●ぼくの恋人ね●いまの恋人と同じ名前のえいちゃん●エイジくん●おおむかしの話ね●あのときのエイジくんは●えいちゃんって呼んだら怒った●それは高校のときに付き合ってた彼女だけが呼んでもええ呼び方なんや●って言ってた●いま付き合っているえいちゃんは●えいじって呼び捨てにすると怒る●なんだかなあ●笑●初恋が一度しかできないのと同じように●ほんとうの恋も一度しかできないものなのかな●ほんとうの恋●真実の恋と思えるもの●その恋を経験した後では●どの恋も●その経験と比べてしまい●ほんとうの恋とは思えなくさせてしまうものなのだから●しかし●ほんとうの恋ではなかっても●愛がないわけではない●むしろ●ほんとうの恋では味わえないような細やかな愛情や慈しみや心配りができることもあるのではないか●スターキャッスルのファーストをかけながら●自転車に乗って郵便局に行ったんやけど●「うまく流れに乗れば土曜日に着きます」という●局員の言葉に●ああ●郵便物って●流れものなのか●と思って●帰りは●「どうせ●おいらは流れ者〜」とか●勝手に節回しつけて●首をふりふり帰ってきました●あ●ヘッドフォンはスターキャッスル流しっぱなしにしてね●で●これから●また自転車に乗って●五条堀川のブックオフに●ひゃ〜●どんなことがあっても●読書はやめられへん●本と出会いたいんや●まあ●ほんまは恋に出会いたいんやけどね●笑●いやいや〜●恋はもうええかな●泣●恋愛増量中●日増しに●あなたの恋愛が増量していませんか●翻訳するにせよ●しないにせよ●誤読はつねにある●ジョン・レノンの言葉●「すべての音楽はほかの何かから生まれてくるんだ」に●しばし目をとめる●目をとめて考える●あらゆるものがほかの何かから生まれてくる●うううん●なるほど●あらゆるものがほかの何かからできている●とすれば●まあ●たしかに●そんな気がするのだけれど●では●それそのものから生まれてくるものなどないのだろうか●それそのものからできているものなどないのだろうか●とも思った●もう一度●「すべての音楽はほかの何かから生まれてくるんだ」に●目をとめる●ブックオフで『新古今和歌集』を買った●あったら買おう●と●チェックしていた岩波文庫の一冊だった●で●手にとって開いたページにあって●目に飛び込んできた歌が●「言の葉のなかをなくなく尋ぬれば昔の人に逢ひ見つるかな」で●運命的なものを感じて●すかさず買う●笑●人間はひとりひとり●自分の好みの地獄に住んでいる●水風呂につかりながら読んでいる『武蔵野夫人』も●面白くなってきたところ●どうなるんやろねえ●漱石が知性の苦しみを描いたのに対して●大岡昇平は●知性の苦しみが美しいところを描いている●この違いは大きいと思う●小説は実人生とは異なるのだから●美しいものであるべきだと思う●真実が美しいのではないのだ●真実さが美しいのだ●ぼくは●苦しみを味わいたいんやない●苦しみを味わったような気になりたいんや●だから●漱石よりも大岡昇平のほうが好きなんや●麦茶の飲みすぎで●ちとおなかが冷えたかも●お腹が痛い●新しいスイカ割り●スイカが人間にあたって●人間がくだけちゃうっての●どうよ●うぷぷぷぷぷ●ああ●なぜ●わたしは●わたし自身に偽りつづけたのだろうか●そんなに愛をおそれていたのだろうか●愛だけが●人間に作用し●その人間を変える力があるからだろう●なぜなら●本物の愛には●本物の苦痛があるからだ●でも●贋物の愛にも本物の苦痛があるね●笑●なんでやろか●よい日本人は死んだ日本人だけだ●というのが●太平洋戦争のときの●アメリカ政府のアメリカ人に対する日本人というものの戦略的な知らしめ方●いわゆるスローガンのひとつだったのだけれど●詩人にとって●よい詩人も●案外●死んだ詩人だったりして●笑●彼は同時に二つの表情をしてみせた●ぼくのこころに二つの感情が生じた●そのひとつの感情を●ぼくは悲しみに分類し●悲しみとして思い出すことにした●自我を形成するものを遡ると●自我ではないものに至りつくのか●自転車に乗って●嵐山に行った●ジミーちゃんと●ジミーちゃんは●モンキー・パークに行くという●ぼくは猿がダメなので●というのも●大学の人類学の授業の演習で●嵐山の猿を観察していたときに●仔猿をちらっと見ただけで●その母親の猿に追いかけられたことがあるからなんだけど●で●それで●ぼくは●モンキー・パークの入り口の登り口近くの●桂川の貸しボートの船着場のそばの●石のベンチの上に坐って●目の前に松の木のある木陰で●ジミーちゃんを待っていました●川風がすずしく●カゲロウがカゲロウを追って飛んでいる姿や●鴨が鴨の後ろにくっつくようにして水面をすべっている様子を目で追ったり●ボートがいくつで●どんな人たちが何人くらい乗っているか●数えてみたりしていました●いや●多くの時間は●さざなみの美しさに見とれていましたから●ボートとそのボートに乗った人たちのことは●その合い間に観察していた●と書いたほうが正確でしょう●十二のボートが川の上に浮かんでいました●三人連れのボートが一つ●三人の子供を乗せた父親らしきひとの4人乗りが一つ●あとは●男女のカップルにまじって●男男のつれ同士が二つ●女女のつれ同士が一つでした●ぼくが一人で坐っていると●ゲイらしきカップルが●左となりに腰掛けて●自分たちの姿をパチパチ写真に撮りはじめました●背中に腕をまわして抱き合ったり●まあ若いから●まだ20歳くらいでしょう●二人とも●かわいらしくて美しいから許される光景でしたが●笑●と●思っていると●右となりにも●ゲイらしきマッチョ風の男同士のカップルがやってきて●ここは●どこじゃ●と●ぼくは不思議に思いましたが●まあ●そんなこともありかな●と思いました●有名な観光名所ですものね●右となりのカップルは●タイかフィリピンかカンボジアからって感じで●中国語とも韓国語とも違う言葉をしゃべっていたような●左となりのカップルは●たぶん韓国語だと思いますけど●ぼくは●川の風景と●川ではないものの風景を●たっぷり楽しんでいました●ジミーちゃんがくるまで●4●50分くらいでしょうか●左となりのカップルは●楽しげに●ずっといちゃいちゃしていました●時代ですね●川のうえを●川の流れとともに下っていくさざなみが●ほんとにきれいやった●また●さざなみの一部が●川岸にあたって●跳ね返ってくる波とぶつかってできる波も●ほんまにきれいやった●ぼくは●きょうの半分を●川に生かされたと思った●川と●川風ちゃん●ありがとう●美しかったよ●何もかも●画像を撮らなかったのが残念●行きの自転車では死にそうなくらいに暑かったですが●陰にはいりますと●川風がここちよかったです●同じくらいの時間に●タカトさんも行ってらっしゃってて●でも●南北と●違う川沿いの道だったようですね●お会いできずで●残念です●きらきらときらめく水面が美しかったです●ここ●1●2週間●悩むことしきり●自分の生き方もですが●生きている道について考えていました●父親が●ことし亡くなったのも関係があるのかもしれません●ジミーちゃんに●帰りに一言●言いました●ぼくって●だれかひとりでも●ひとを幸せにしてるやろか●って●そんなん知らんわ●とのお返事でした●うううううん●もしも●ぼくの存在が●ただひとりの人間のためにもなっていないのだとしたら●生きている価値なんかあるんやろか●って●川の美しさに見とれながら●そんなこと●考えていました●家族がいないということがきっかけでしょうか●自分の選んだ道ですが●自分の選んだ生き方ですが●自分の存在があまりに小さく思えて●こんなこと●考えるひとじゃなかったのですが●考えれば気がつくこと●考えなければ●いつまでも気がつかなかったであろうこと●ひとつひとつの息が●つぎの息につづくように●孤独を楽しむ●といっても●もう自分が孤独でないことを●ぼくは知っている●何かについて考えたり●思い出したりすると●その何かが●ぼくに話しかけたり●考えさせたりしてくれるからだ●ぼくが出来事に注意を払うと●出来事のほうでも●ぼくに注意を払ってくれるのだ●だから●赤ちゃんや●幼児が●愛に包まれているように見えるのだ●ときどき●ぼくは●ぼくになる●ときどき●詩人が●詩人になるように●で●詩人がぼくになったり●ぼくが詩人になったり●これまで●ぼくは●たくさんのことに触れてきたけど●そのとき同時に●たくさんのことも●ぼくに触れていたのだ●と●そんなことを●きょう●電車のなかで読んでいた●シルヴァーバーグの『Son of Man』●の●He touches everything and is touched by everything.●というセンテンスが●ぼくに教えてくれた●ほんとうのぼくが●ここからはじまる●帰りの通勤電車のなかで●ふとメモを取った言葉だった●ところで●禅●って●詩の骨●みたいなものかしらね●矛盾律の解体●と●言ってもいいのかも●解体●じゃなく●再構築かな●彼のぬくもりが●まだそのベンチの上に残っているかもしれない●彼がそこに坐っていたのは●もう何年も前のことだったのだけれど●あるものを愛するとき●それが人であっても●物であってもいいのだけれど●いったい●わたしのなかの●何が●どの部分が●愛するというのだろうか●どんな言葉が●いったい●いつ●どのようなものをもたらすのか●そんなことは●だれにもわからない●わかりはしない●人生を味わうのが●人生の意味だとしたら●いま●どれぐらいわかったところにいるんだろう●ふと水鳥が姿を現わす●なんと生き生きとした苦痛だろうか●その苦痛は●ぼくの胸をかきむしる●ああ●なんと生き生きとした苦痛だろうか●苦痛という言葉が●水鳥の姿をとって●ぼくの目の前に姿を現わしたのだ●ぼくは●夜の賀茂川の河川敷で●月の光にきらめく水のうねりを眺めていたのだった●ぼくは●前世に水鳥だったのだ●巣のほうを振り返ると●雛が鷹に襲われ●自分もまた襲われて殺されたのだった●水は身をよじらせて●ぼくの苦痛を味わった●水鳥の姿をした●ぼくの前世の苦痛を味わった●それを眺めながら●ぼくも身をよじらせて苦痛を味わった●大学のときに●サークルの先輩に●「おまえ●なんでいつも笑っているの?」●って言われて●それから●笑えなくなった●それまで●ひとの顔を見たら●ついうれしくて●にこにこ笑っていたのだけれど●ささいなことで●人間って傷つくのね●まあ●ささいなことだから●とげになるんだろうけど●ミツバチは●最初に集めた花の蜜ばかり集めるらしい●異なる種類の花から蜜を集めることはしないという●そのような愛に●だれが耐えることができようか●ひとかけらの欺瞞もなしに●ぼくは彼を楽しんだ●彼が憐れむべき人間だったからだ●彼もまた●ぼくを楽しんだ●ぼくもまた憐れむべき人間だったからだ●こんなに醜い●こんなに愚かな行為から●こんなに惨めな気持ちから●わたしは●愛がどんなに尊いものであるのか●どれほど得がたいものであるのかを知るのであった●なぜ●わたしは●もっとも遠いものから●もっとも離れたところからしか近づくことができないのであろうか●鯨が●コーヒーカップのなかに浮かんでいる●ベートーベンよりバッハの方がすてきね●音楽がやむと●鯨は●潮を吹いて●からになったコーヒーカップのなかから出てきて●葉巻に火をつけた●光は闇と交わりを持たない●光は光とのみ交わりを持つ●われわれが言語を解放することは●言語がわれわれを解放することに等しい●高村光太郎の詩を読む●目で見ること●目だけで見ること●ついつい●わたしたちは●こころで見てしまう●目だけではっきり見ることは不可能なのだろうか●言葉で考える●というより●言葉を考える●というより●言葉が考える●まったくわたしがいないところで●言葉が考えるということは●不可能だと思うが●言葉が●わたしのことをほっぽっておいて●ひとりでに他の言葉と結びつくということはあるだろう●もちろん●結びつくことが●即●考えることではないのだが●言葉がわたしを置いていく●わたしのいない風景がどこにもないように●そこらじゅうに●わたしを置いていく●わたしの知らないあいだに●あらゆる風景が●わたしに汚れていく●いつの間にか●どの顔のうえにも●どの風景のなかにも●わたしがいるのだ●ひとりでに●みんなになる●あらゆるものが●わたしになる●掲示板●イタコです●週に二度●ジムに通ってからだを鍛えています●特技は容易に憑依状態になれることです●一度に三人まで憑依することができます●こんなわたしでも●よかったら●ぜひメールください●イタコです●年齢は微妙な26才です●笑●でも週に二度事務に通っています●いやああああああああああん●ジムに通っています●でも●片手でピーナッツの殻はむけません●むけません●むけません●むけません●たった一度の愛に人生がひきずりまわされる●それは●とてもむごくて●うつくしい●サラダ・バーでゲロゲロ●彼の言葉は●あまりにこころのこもったものだったので●ぼくには●最初●理解することができなかった●うんちも●うんちをするのかしらん●吉田くんは●手足がバラバラになる●だから●相手をやっつけるときは●右手に右足を持って●左手に左足を持って●相手をポカスカポカスカなぐるのだが●あんまりすばやくなぐって●もとに戻すので●相手もなぐられたことに●気がつかないほどだ●裸の女が●エレベーターのなかで●胸元を揺らすと●エレベーターが●ボイン●ボインってゆれる●裸の老婆が●しなびた乳房の先をつまんで●ふにゅーって伸ばすと●エレベーターが急上昇!●ビルの屋上から飛び出て●大気圏の外まで出ちゃった●摩天楼の上で●キングコングが美女を手から離して●地面に落とす●飛んでっちゃったエレベーターをつかもうとしたんだな●キキキ●きっとね●事実でないことが●記憶としてある●偽の記憶●と●ぼくは呼んでいるが●なぜそんな記憶があるのだろう●親の話によると●幼いころのぼくは●テレビで見たり●本で読んだりしたことを●みんなほんとうのことだと思っていたらしい●また●嫌なことが贋の記憶をつくるということもあるかもしれない●たとえば●ぼくは●おつかいが嫌いだったので●商店街に行く途中で通る橋のたもとにある大きな岩の表面を●いつもびっしりとフナムシのような昆虫が覆っていたという記憶があるんだけど●これなんかはありえない話で●おそらくは無意識がつくりあげた幻想なのであろう●まるで悪夢のようにね●比喩が●人間の苦痛のように生き生きしている●苦痛は●いつも生き生きしている●それが苦痛の特性のひとつだ●深淵が深い●震源が深い●箴言が深い●信念が深い●ジェルソミーナ●だれも知らないから●捨てられるワタシ●ノウ・プロブレムよ●このあいだ合コンに行ったら●相手はみんなイタコだった●みんな●死んだ友だちや死んだ歌手や死んだ連中を呼び出してもらって●大騒ぎだった●ぼくにもできるにゃ●ひさんなバジリコ・スパゲティ●I●II●III●IV●と●ローマ数字を耳元でささやいてあげる●芸術にもっとも必要なのは勇気である●と言ったのは●だれだったか忘れたけれど●恋人たち●気まぐれな仮面●奇妙な関係●貝殻の上のヴィーナス●リバー・ワールド・シリーズ●と●つぎつぎに●フィリップ・ホセ・ファーマーの小説を読んでいると●そんな気になった●ぼくも●テキスト・コラージュをはじめてつくったときには●それが受け入れてもらえるかどうか●賭けたのだけれど●現代詩はかなり実験的なことも可能な世界であることがわかった●ぼくは自分が驚くのも好きだけど●ひとを驚かせるのはもっと好きなので●これからも実験的な作品を書いていきたいと思っている●何もしていないのに●上の前歯が欠けた●相方没収!●突然●自由なんだよって言われたってねえ●きょう●ニュースで●息子の嫁の首を鉈でたたいて●殺そうとした姑がいたという●80歳のババアだ●ジミーちゃんにその話をしたら●「その切りつける瞬間●その姑さんが念じた言葉●わかる?」●と訊いてきたので●「殺してやる?」と答えたら●そうじゃなくて●「ナタデココ」●と言って●自分の首を指差した●やっぱり●ぼくの友だちね●微妙にこわいわ●友だちだけどね●友だちだからね●笑●母親に抱えられた赤ん坊が通り過ぎていく●人には●無条件で愛する対象が必要なのかもしれない●自己チュウ●と違って●自己治癒●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●踊りに踊る●一糸乱さず整然と●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●踊りに踊る●一糸乱さず整然と●黄色いスカートが●ひらひらと●ひらひらと●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●街じゅういたるところから●猿のおもちゃたちが●姿を現わす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●シンバルを打ち鳴らしながら●猿のおもちゃたちが●ぼくのほうに向かってやってくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちが●足をあげて●足をさげて●オイ●チニ●オイ●チニ●黄色いスカートをひるがえし●オイ●チニ●オイ●チニ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●猿のおもちゃたちが●シンバルを打ち鳴らす●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脱穀の北朝鮮●朝鮮民主主義人民共和国の令嬢夫人たちの黄色いスカートがまくれあがり●マリリン・モンローのスカートもまくれあがり●世界じゅうの婦女子たちのスカートもまくれあがる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●自転車は倒れ●バイクも倒れ●立て看板も倒れ●歩行者たちも倒れ●工事現場の建設作業員たちも倒れ●ぼくも道の上にへたり込む●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●オスカル・マツェラートの悲鳴がとどろくように●街じゅういたるところ●窓ガラスは割れ●扉ははずれ●植木鉢は毀れ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●建物はブルブルふるえ●道もブルブルとふるえ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●何台もの自動車が歩道に乗り上げ●つぎつぎとひとたちを跳ね●何台もの自動車がビリヤードの球のようにつぎつぎと衝突し●特急電車や急行電車や普通電車がつぎつぎと脱線する●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●ビルの壁に取り付けられた看板はビルの壁ごと剥がれ落ち●ヘリコプターはキリキリ舞いしながら墜落し●飛行機は太陽の季節のようにビルを突き抜けて爆発炎上し●コンクリートの破片が●ガラスの破片が●血まみれの手足が●空からつぎつぎと落っこちてくる●空からつぎつぎと落っこちてくる●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●大気はビリビリに引き裂かれ●白い雲は粉々に吹き散らされ●大嵐の後の爪痕のように●街じゅういたるところの景色がバリバリと引き剥がされていく●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●ぼくの顔から目が飛び出し●歯茎から歯が抜け●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●身体じゅうの骨がはずれ●世界のたががはずれ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●脳髄から雑念が払われ●想念から悲観が欠け落ち●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●時間は場所と出来事からはずれ●場所は出来事と時間からはずれ●出来事は時間と場所からはずれ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●時間は場所と出来事からはぐれ●場所は出来事と時間からはぐれ●出来事は時間と場所からはぐれ●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●すこぶる●ひたぶる●すこすこ●ひたひた●爽快な気分になっていく●爽快な気分になっていく●パシャン!●パシャン!●パシャン!●パシャン!●吹けよ●風!●呼べよ●嵐!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●まっすぐな肩よ●来い!●沸騰する二酸化炭素●カーボン・ダイオクサイド●真っ直ぐな肩よ●来い!


存在の下痢。

  田中宏輔




って

どうよ!

下痢をしているわたしの部屋に

ジミーちゃんがたずねてきて

唐突に言ったの

最近

猫を尊敬するの

だって

猫って

あんなに小さくて命が短いのに

気にもとめない様子で

悠然と

昼間からただ寝てばかりいる

きっと悟っているに違いない

ですって

わたしは下痢で

おなかが痛いって言って

きてもらったんだけど

きのう、恋人にひどいことを言われて

ショックで

ひどい下痢になったわたしの部屋で

いろいろお話をしてくれてるんだけど

ジミーちゃんの話には猫がよく出てくる

ぼくは動物がダメで

猫がかわいいとか思ったこと

一度もないんだけど

ジミーちゃんの話を聞いて

猫の存在から

存在というものそのものについて

すこし考えた

たしかに猫の存在は

ぼくにはどうってことのないものだけれど

ぼくにとってどうってことのないものが

まわりまわって

どうってことのないものではないものになって

ぼくそのものの存在を



ここまで書いたところで

ジミーちゃんが口をさしはさんだ

「そんな自分についての話でどうどうめぐりになってないで

 猫のように悟るべきっ!」

だって



この文章のタイトルをどうしようって言ったら

「恋人に気持ち悪いって言われて

 とても悲しいの」

にしたらって言われたので

わたしが

「気持ち悪いって言われてないわよ

 けがらわしいって言われたのよ」

と言って

ジミーちゃんのほうに向かって

声を張り上げたら

ジミーちゃんが大笑いをしだして

涙を流した

存在って不思議ね

わたしの下痢もとまらないし

存在の意味についても

あんまり深く考えられないし

ここらでやめとくわ

そんなこんな言ってるあいだ

Dave Brubeck のピアノと

ベースとドラムが

ここちよいジャズを

のんびり奏でてた

そうよ

のんびり奏でてたのよ

下痢をしているわたしの部屋で

ゲーリー・クーパーが

ヘアーをたわしで櫛どいていたら

あるいは櫛どいているときに

ネコがコネをつかって

詩集の賞をねらって

詩を書いているのかと思いきや

ねらっているのは

じつは鰹節であった

ってのは

どうよ

当たり前すぎるかしら

存在の下痢について

きょう

ジミーちゃんと酔っ払いながら

話していたのだけれど

ジミーちゃんは

存在の下痢以前に

下痢の存在について

自我の存在を疑っていた

デカルトに訊いてみないと

とか言い出した

あの近代合理主義哲学のそ

そ?



はじめのひとの「祖」ね

育毛剤のコマーシャルで

むかし

シェーン、カミング・バック

っていうのがあったけど

おそ松くんのイヤミは

ただ

シェー

とだけ言っていた



クッパを食べて

ゲリゲリになった

ゲーリー・クーパーが

芸名を

ゲリゲリ・クッパに変えようとしたら

良識ある周囲の人たちに

猛反対にあった

っていう夢を見たと嘘をつけ



わたしにうるさくせっつくのよ

どうすりゃいいのさ

こ〜の わぁ〜たぁ〜しぃ〜

ってか

ブヒッ

存在が下痢をするなら

存在はちびりもするだろう

包皮も擦るし



放屁もするし

脱糞もするだろう

存在は骨折もするかもしれないし

病に倒れて重態に陥ることもあるだろう

存在はあてこすりもするだろうし

嫌味を言うかもしれない

足を踏むことだってあるだろう

あらゆる存在がさまざまな存在様式で存在する

実在の存在だけではなく

仮定の存在も下痢をするし

ちびりもする

放屁もするし

脱糞もする

そのほか

ごにゃごにゃもするのだ

実在と仮定のほかに

可能性の存在というものもある

これもまた

下痢もするし

ちびりもする

って書いてきて

あれ

下痢をすると

ちびりもするって

同じことじゃないかなって

いま気がついた

あちゃ〜

この文章

書き直さなきゃならないかも

いや

下痢をするからって

ちびるとは言えないから

まあ

いいか

このままで

せっかく書いたんだし、笑。

ゲーリー・スナイダーを

山にひきこもった詩人のジジイだと思っているのは

わたしだけかしら

高村光太郎も山にひきこもっちゃったし

そういえば

山頭火だって

そう言えなくもない感じがする

都会生活をしていて

都会生活者の存在の下痢を描写する詩人っていないのかな

ぶひひ

それじゃあ

おれっちがひりだしてやろうかい

存在の

ブリッ

ブリブリブリブリブリッ

って

ひゃ〜

って言って

自分でスカートをまくるちひろちゃん

きゃっわいい!

おっちゃんは

存在の下痢をする

存在を下痢するのだ

存在もまた下痢をする

存在自体が存在の下痢をするのだ

存在が嘔吐する

だったら

哲学的な感じがするかな

ありきたりだけど

存在が下痢をする

だと

やっぱり、くだらん

って言われるかな

ほんとにくだってるんだけどね、笑。

うううん

存在が嘔吐する

のほうがいいかな



でも

ゲリグソちびっちゃうみたいに

存在が

シャーッ

シャーッ

って下痢ってるほうがすてき

嘔吐だと

床の上に

べちゃって感じで

存在がはりついちゃうような気がするけど

下痢だと

シャーッ

シャーッ

って感じで

存在が

はなち

ひりだされるってイメージで

なんだか

きらきらとかわいらしい



きょうは

ぼくも

じゃなかった

ぼくは

きょうも

下痢がとまらず

でも

腸にいいようにって

バランスアップっていうビスケットのなかに

食物繊維が入ってるものを食べたんだけど

しかも繊維質が一番多い

一袋3枚・食物繊維6グラム入りのものを

朝9時50分から

昼の1時すぎまで

ちょっとずつかじっては

緑の野菜ジュースをちびりちびり

ちょっとずつかじっては

緑の野菜ジュースをちびりちびり

口のなかでゆっくりと、じっくりと

シカシカと、ジルジルと

唾液と混ぜながら

緑の野菜ジュースでビスケットをとかして

合計6袋18枚も食べたのだけれど

ビスケットをかじって

5分から10分もすると

うううう

おなか

いたたたたた

って感じで

トイレで

シャーシャー

トイレで

シャーシャー

してたのね

食べてすぐって

生理的にっていうか

肉体的にっていうか

ぜったい

直で出てたんじゃないと思うけど

食べてないときにはシャーシャーあまりしなかったから

直で出てたのかもしれない



シンちゃんが前に言ってたけど

からだが反応して

食べてすぐシャーシャーしてるんじゃなくて

神経が反応してシャーシャーさせてるんだよって

あらま

そうかもしんない

存在は魂を通して

生成し、消滅する

時間として

場所として

出来事として

精神や物質といったものも

ただ単なる存在の一様式にしか過ぎず

存在は魂を通して

生成し、消滅する

時間として

場所として

出来事として

そして

存在が生成するものであるがゆえに

存在は消滅するものなのであり

存在が消滅するものであるがゆえに

存在は生成するものなのである

存在が生成しなければ

存在は消滅しないのであり

存在が消滅しなければ

存在は生成しないのである

ぼくは

きょうも、ひどい下痢をして

ようやく存在というものが

どういうものなのか

その一端をうかがい知れたような気がする

ビスケットをかじりかじり

シャーシャー

シャーシャー

ゲリグソちびりながら

ぷへぇ〜

おなか痛かったべぇ〜

もう一週間近くも下痢ってる



存在の下痢

というかさ

存在は下痢

なのね



ぼくのいま住んでるマンションで

もう一年以上も前のことになるのだけど

真夜中のものすごい「アヘ声」に目を覚まさせられたことがあって

それから

それが数分間もつづいたので

よけいに驚かされたのだけれど

個人的な経験という回路をめぐらせる詩句について

あるいは

そういった詩句の創出について考察できないか考えた

語感がひとによって違うように

どの詩句で

それが起こるのかわからない

偶然の賜物なのだろうか

書くほうにとっても

読むほうにとっても

死んだ父親に横腹をコチョコチョされて

目が覚めたのが

朝の3時46分

寝たのが

1時頃だから

3時間弱の睡眠

あと

いままで寝床で

目を覚ましながら横になっていた

dioの印刷が終わったあと

百万遍にある、リンゴという

ビートルズの曲しかかからない店で

食事をしながらお酒を飲んで

打ち上げをしていたのだけれど

そのときに着ていた服が

父親の形見のコートだったので

「このコート

 死んだ父親のなんだよね」

って言って

「父親の死んだのって

 今年の平成19年4月19日だったから

 逝くよ

 逝く

 なんだよね」

って言うと

斎藤さんが

「わたしの誕生日も4月19日なんです」

って言うから

びっくりして

「ごめんね

 気を悪くさせるようなこと言って」

って、あやまったんだけど

まあ

彼女もべつに機嫌を悪くするわけでもなく

ふつうにしていてくれたから

ぼくも気がやすまって

そのこと忘れていたんだけど

きのう

詩集の校正を書肆山田に送ることができたので

河原町六角にある日知庵に行って

その話をして

酔っ払って帰ってきたから

そんな夢を見たのかもしれない

文学極道

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